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闘病しながらUFCと契約を続けたKIDさんの思い


米メディアの取材に対し、流ちょうな英語で対応していた姿が印象的だった。11年2月、格闘技の聖地、米ラスベガス。今月18日に死去した山本“KID”徳郁さん(享年41)が初めてUFCに参戦した時のことだ。高校中退後、4年間の米留学の経験があり、通訳は必要なし。UFCデイナ・ホワイト社長との会話も弾んでいた。もう何年も前からUFCにいたような雰囲気に見えた。

11年2月、米ラスベガスのUFC初参戦前の公開練習で現地メディアのインタビューを英語で応じる山本“KID”徳幾さん(中央)

前座カードにもかかわらず、UFCから異例の要請を受け、メインカードの選手と公式会見に出席した。ホワイト社長から「KIDが私にファイト・オブ・ザ・ナイト(MVP)とノックアウト・オブ・ザ・ナイト(KO賞)を取ると言った」と明かされ、会見の盛り上がりは頂点に達した。急きょ試合順も第3試合から第4試合に格上げされ、ネット生中継も決まった。「メインしか呼ばれない会見に呼ばれて光栄」と感謝したKIDさんには、米国でも暗闇の荒野に道を切り開いてしまうようなオーラを放っていた。

この11年からUFCに軽量級のバンタム級(61・2キロ以下)が新設された。「今まで『オレの階級』がなかった。UFCバンタム級の中心になりたい。集大成のつもりでやる」と明確な目標を掲げた。姉美憂と妹聖子がレスリングで世界女王だったこともあり「UFCはランキング、王座、階級が決まっていて世界の強いヤツが集まる。UFCのベルトが事実上、世界トップ。世界一になりたい」とこだわっていた。

KIDさんが33歳で迎えたUFCデビュー戦は得意の打撃をかわされ、何度もタックルを浴びて判定負け。「殴り合うことしか考えていなかった。ルールを知らないのも準備不足」と反省した。運命のいたずらか、そのデビュー戦の相手デミトリアス・ジョンソン(米国)は12年に新設されたフライ級(56・7キロ以下)でUFC王座を獲得。UFC最多の11度防衛に成功し、王座陥落するまでパウンド・フォー・パウンド(階級を超越した最強選手)1位に君臨した。「たら」「れば」を言えばきりがないが、UFCがあと5~6年早く軽量級を新設すれば、KIDさんが「オレの階級」で日本人初のUFCベルトを手にしていたかもしれない-と今でも思う。

11年2月、UFCの要請を受けて急きょ公式会見に出席した山本“KID”徳郁さん

7年前、あのUFC公式会見で、KIDさんが壇上に設置されたUFCベルトをじっくり眺めていた姿を覚えている。闘病しながら「集大成のつもり」の言葉通り、UFCとの契約を続けた。実現しなかったが、オクタゴン(金網)の中で英語の勝利者インタビューに応じるKIDさんは、きっと格好良かったに違いない。

【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

悩める納谷 幕下の壁

花道を引き揚げる納谷(2018年9月21日撮影)


元横綱大鵬の孫、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)が幕下の壁にはね返された。3勝4敗と初土俵以来、初めての負け越しを経験。来場所は再び三段目に陥落することが濃厚だ。

今場所の六番相撲で3勝目を挙げ、星を五分に戻しても「今場所はずっとモヤモヤした気持ちがある」。四つにならず立ち合いで突き放して前に出る相撲。三段目までは通過できたが、幕下力士の踏み込みには圧力があった。勢いを止められ、今場所は勝ち負けにかかわらず「2歩目、3歩目が出なかった」と何度も反省を口にした。

師匠の大嶽親方(元十両大竜)は、悩める弟子を場所前から不安視していた。「何か変だったんだよね。迷いなのかな。本人は『全然大丈夫です』と言うんだけど」。稽古でもあっさり負けてしまう場面が目立っていたという。ただ「こっちからガミガミ言っても仕方ないから」と、求めるのは自主性。小手先の技術もいつか必要になるが「今はガムシャラに前へ出続けて欲しい」と多くは求めず、温かく見守る姿勢だ。

「元横綱の孫」という代名詞がのし掛かるが「気負うことなく頑張りたい」と納谷。大器はゆっくりと階段を上るつもりだ。【佐藤礼征】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

木村翔「もう引退。燃え尽き症候群」もひとまず休養

12回を終え、抱き合ってたたえ合う木村(右)と田中(撮影・前田充)

<プロボクシング:WBO世界フライ級タイトルマッチ12回戦>◇24日◇愛知・武田テバオーシャンアリーナ


敗れた王者木村翔(29=青木)はV3失敗に「悔しさ」も「気持ちよかった」と満足感も得ていた。初回から攻防が刻々入れ替わる手数の多い打撃戦。右目の周りを腫らせて「終盤は見えなかった。右拳も痛めた」が、ジャッジ3人の採点が一致は12回中5回だけ。「王者の根性は見せられた」と、0-2判定以上に競り合いの激闘を演じた。

有吉会長は結果を受け入れたが、採点には不満を示した。7回にダウンさせるもスリップ、最終回は田中優勢の採点が1人。異議通りなら2-1で勝利か、0-1の引き分けで防衛成功となる。立会人を通じてWBOに抗議する。

木村はたたき上げの雑草から、中国の英雄鄒市明を皮切りにエリートを倒してきた。今回も「全力を出し切って紙一重」に「もう引退。燃え尽き症候群」。あっさり引退宣言まで口にした。59日間で2戦した自称昭和のボクサーはとりあえず休養に専念する。

激しく打ち合う木村(右)と田中(撮影・前田充)

応援会HPに「長らく貴乃花を応援してくださり…」

貴乃花親方(18年7月9日撮影)


秋場所千秋楽から一夜明けた24日、貴乃花親方(46=元横綱)が「貴乃花応援会」のホームページにコメントを投稿した。「千秋楽迎え、貴乃花部屋を支えて下さる皆様へ」と題し、冒頭は勝ち越した同部屋の関取衆3人への応援の感謝などを記した。

審判部の一員として千秋楽の職務後の写真と共に、最後に「皆様長らく貴乃花を応援してくださりありがとうございました。厚く御礼を申し上げるとともに、弟子たちを今後、末永く応援賜りますように何卒宜しくお願い申し上げます」とコメント(原文まま)。27日の理事会までに、全ての親方が5つある一門のいずれかに所属しなければ厳罰の可能性がある中、無所属の貴乃花親方は方向性を示していない。

3階級制覇の田中恒成、一夜明け「本当に良かった」

木村翔を判定で破り、3階級制覇を達成した田中恒成


世界ボクシング機構(WBO)フライ級王者の田中恒成(畑中)が王座奪取から一夜明けた25日、名古屋市内で記者会見し「いい試合だった、感動したと、会う人会う人が言ってくれたのでうれしい」と、世界最速タイ12戦目での世界3階級制覇の喜びをかみしめた。

序盤から激しい打ち合いとなった試合に、観客は大いに沸いた。「スタミナも気持ちも持続できたのが良かった」としながらも、まだ課題は多いと振り返り「テクニカルな部分をもう少し交ぜてやれるのに、試合でそれを表現できていない」と反省点を挙げた。

田中は昨年9月の世界戦で両目眼窩(がんか)底を骨折したが、今回は「感覚的には(目の)問題はない」と言う。次戦の予定は未定。

長谷川穂積 田中恒成は「総合力で勝った」

12回、激しく打ち合う木村(右)と田中(撮影・前田充)

<プロボクシング:WBO世界フライ級タイトルマッチ12回戦>◇24日◇愛知・武田テバオーシャンアリーナ


挑戦者の田中恒成(23=畑中)が世界3階級制覇を達成した。王者木村翔(29=青木)との壮絶な打ち合いを制し、2-0判定勝ち。プロ12戦目での達成は怪物王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)と並ぶ世界最速となった。

元世界3階級王者の長谷川穂積氏は「いい試合だったから、いい打ち合いになった。(田中の強みは)ひと言で言えない。総合力で勝った」とコメントした。

ファンの声に「いいよ」二所ノ関親方の写真

10日、名古屋場所の会場に姿を見せた二所ノ関親方


 昨年10月に頭部を手術した二所ノ関親方(61=元大関若嶋津)が、3日目に取材に対応した。一時は意識不明の重体で、安否を気遣うファンの声は多数。名古屋場所の会場内を、つえなどを使わず自力で歩く中、そんなファンの声を伝えると、二所ノ関親方は「そうか、いいよ」と、写真撮影に快く応じた。手術後、初めての取材対応だった。

 実は3月の春場所前の時点で、会話もできるほど回復していた。だが、それが知れ渡ると、見舞客が後を絶たなくなる可能性があった。当時、ある部屋関係者に「話せるとはいっても、まだ流ちょうではないし、体力を使うので、その情報を出すのは控えてほしい。親方は気を使う人。見舞いに来てくれた方には、一生懸命応対してしまうから」と言われた。見舞客の応対で体調を悪化させては本末転倒。記者失格かもしれないが静観することにした。

 今回、二所ノ関親方が取材に応じたと複数の部屋関係者に伝えると、いずれも「ぜひ報じてください」と返答された。自転車で転倒した際に左脳を強く打ち、右半身はやや反応がにぶいという。だが補助付きではない普通のはしも使いこなし、家族との散歩が日課で稽古にも顔を出すという。部屋関係者の明るい対応に、今後のさらなる回復を確信した。【高田文太】

小結→三段目→十両、静かに常幸龍を支えた妻の思い

豪風(下)をはたき込みで破った常幸龍(撮影・河田真司)


東十両14枚目常幸龍(30=木瀬)が再び関取定着へ奮闘している。秋場所13日目のこの日、西十両6枚目豪風(39=尾車)を破り8勝5敗。2015年九州場所以来の十両勝ち越しを決めた。

14場所ぶりの十両復帰でも気負う様子はない。「けがする以前との変化は特にない。普通ですよ」。11年夏場所の初土俵から、5場所で十両昇進。4年前の秋場所で小結まで昇進したが、右膝のけがの影響で三段目まで番付を落とした。三役経験者が三段目陥落後に十両へ返り咲くのは明治以降では初となる。

無給の幕下では生活費だけでなく、リハビリのための治療費も負担となった。ただ、貯金を切り崩す生活に、真美夫人(32)は文句も励ましの一言も発しなかったという。「僕たちは土俵の上で結果を残すしかない、と分かってくれていた」。相撲に口を出さない妻がありがたかった。

長男心絆(しんば)ちゃんは4歳、2月に生まれた次男日彩(ひいろ)ちゃんはハイハイができるようになった。心絆君は相撲が分かるようになったが「テレビで見た方がきれいなので」と照れ隠し。十両定着、さらに幕内復帰へ。今は十両の中で番付最下位。幕下の足音が聞こえなくなったときに、自信を持って家族を招待したい。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

口数少なく態度で示す 退路断った稀勢の里の挑戦

大相撲秋場所の土俵祭りに臨む稀勢の里(撮影・河田真司)


ファンはもちろん、多くの相撲関係者も、やめてほしいなどと思っていない。何よりも本人が、復活を信じ、現役を続けたいと稽古している。それでも結果が伴わなければ、やめなければならない状況だと腹をくくっている。そんな力士生命をかける思いで秋場所(9日初日、東京・両国国技館)に臨むのが、横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)だ。7月の名古屋場所の休場を表明した際に「来場所、すべてをかけて頑張っていきたい」と、決意を語っていた。

稀勢の里は第72代横綱。江戸時代前期の初代明石志賀之助から数えて、横綱はわずか72人しかいない。師弟ともに横綱というケースは少ないが、稀勢の里の師匠も元横綱隆の里の故先代鳴戸親方。現役時代は口数も少なく、師匠としては「朝稽古」が午後まで続くことも当たり前という、厳しい指導で知られる。その隆の里の師匠も「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱の初代若乃花。口数の少なさ、厳しい稽古は、その初代若乃花を引き継いだ。極めて少ない、3代続く横綱の系譜を継いだ稀勢の里が、口数が多いわけもない。言い訳はせず、土俵で結果を示してきた。

口数の少ないことで、誤解されかねないこともある。秋場所初日のちょうど1カ月前となる8月9日。地元茨城県の龍ケ崎市で行われた巡業で、稀勢の里は朝稽古の土俵に立たなかった。その3日前の8月6日から、関取衆相手に本格的な稽古を再開し、翌7日まで2日連続で相撲を取っていた。同8日は稽古土俵に立っていなかったが、幼少期を過ごした龍ケ崎市で目いっぱい稽古するための休養だと、報道陣は勝手に思い込んでいた中で、肩すかしを食った格好となった。「9月場所で活躍できるよう、しっかり頑張りたい」などと、稽古を休んだ理由について、多くは語らなかった。

だが龍ケ崎市での巡業の取組を終えて、花道を引き揚げる際に、明らかに異変があった。地元ファンの盛大な拍手と声援に笑顔をつくることもできず、険しい表情で歩いていた。後日、実は左足裏に傷ができていて「龍ケ崎の時が一番ひどかった」と話している。多くを語らないことで、その日は、地元ファンに稽古も見せず、交流も少なめと、冷たい態度を取ったようにも見られたはず。だが立っているだけでも痛みを感じる中で、稽古場には姿を見せて四股を踏み、横綱土俵入りも取組も行った。龍ケ崎市の巡業の翌日、福島・白河市での巡業では稽古場にも来ることができず、土俵入りも回避したことを考えれば、その時点での目いっぱいのファンサービスだった。

秋場所の出場意思を表明した9月6日も「やるべきことは、やってきた」と、短い言葉に決意を込めた。それまでの稽古を振り返り「良かったり悪かったりというのが、逆に良かったと思う」と、けっして順調ではなかったことも自覚している。それでも「しっかりと準備はできた」と言い切った。8場所連続休場で、相撲勘が鈍くなるのも当たり前。言い訳したくなる状況でも、出場する以上は「準備はできた」と断言し、退路を断って臨む秋場所。横綱として歴代最長の連続休場明けの、誰も経験したことのない挑戦が、いよいよ幕を開ける。

【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「九死に一生」式守与之吉 土俵に戻る

九州場所で土俵に復帰する式守与之吉


幕内格行司の式守与之吉(49=宮城野)が、ギラン・バレー症候群を克服して土俵に戻ってくる。今年の初場所から5場所連続で休場中。秋場所の土俵には上がっていないが、事務方として国技館に出勤できるまでに回復した。「九死に一生を得ました。本場所は、九州場所から土俵に上がります」と声をはずませた。

発症したのは、昨年12月8日の宮崎市巡業の朝。前夜から肩が上がらず「疲れかな?」と思って一夜明けると、症状が重くなっていた。顔を洗うことも、着替えることもできない。現地で診察を受けると、そのまま入院を勧められた。四肢に力が入らなくなる難病「ギラン・バレー症候群」だった。巡業で滞在していたため荷物は十分でなく、まずは緊急帰京。空港では自力で歩けず、車いすでの移動を強いられるほどに病状が進行した。

東京に戻って入院。5日間点滴を受け、回復を待った。病気になった明確な原因は分からなかった。その後、リハビリを開始。「今年の3月までは、自分で起き上がることもできませんでした。寝たきりの時はこたえました。復帰できないと、半分以上はあきらめていました」。

一時は体重が10キロ以上も減った。「リハビリの先生の献身が、折れた心を救ってくれました。『治る病気なんです』と言って、手や足を持ち上げてくれました」。歩けるようになったのは、4月から。それでも、大相撲中継は見る気になれなかった。「自分が土俵に立つ時間は心苦しくて、気の焦りもありました。その時間はあえて院内を歩いたりしていました。ニュースや結果は耳に入りましたが、1~7月は見ていないんです」と振り返った。

6月14日に退院。再発の恐れはなくなり、本格復帰への準備を進めている。9月の秋場所からは国技館に出勤し、行司仲間から「おめでとう!」との声を掛けられた。ファンも多く、館内で気づいた人たちに驚かれる毎日だ。

休場中は、日本相撲協会の配慮で病名は伏せられていた。だが回復した今、与之吉は「公表してもらってかまいません。なってしまったものは、仕方ないですし」と前を向く。

30日の日馬富士引退相撲から土俵に立ち、本場所後の秋巡業に参加しつつ、九州に入る。「こんなに長い間空けたことはなかったので、楽しみも不安も半々です。初心に戻る感じですね」。今や表情は明るく、血色もいい。もう間もなく、あのはつらつとした「ハッキヨイ」の声が土俵に戻ってくる。【佐々木一郎】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)