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オカダ・カズチカ「クールですね」SANADA挑発

オカダ・カズチカ(右)はSANADAにチャンピオンベルトを見せつける(撮影・柴田隆二)

<新日本:後楽園大会>◇23日◇東京・後楽園ホール

IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(31)が、SANADA(31)との5月4日の初防衛戦に向けた前哨戦で、初めてロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン勢を下した。

メインのスペシャルタッグでYOHと組み、SANADA、BUSHI組と対戦。一進一退の攻防の中、YOHとの連係もあり、コブラホールドからレインメーカーにつなげて、BUSHIを沈めた。

リングでマイクを持ったオカダはSANADAに向かって、「やっと熱を帯びてきたというのに、相変わらずクールですね」と挑発。「でも、まだまだ時間があるので、必ず熱くさせてやる」と言い放った。IWGPジュニアタッグ王者で26日広島大会での防衛戦を控えるYOHは「後楽園にいい風吹きましたー」と絶叫。「広島で防衛します!」とファンに約束した。

オカダ・カズチカ(右)はSANADAにエルボーを決める(撮影・柴田隆二)

パッキャオにメイウェザー妄想かき立てるRIZIN

RIZINのリングに上がりあいさつするマニー・パッキャオ(2019年4月21日撮影)

横浜アリーナに、WOWOWのボクシング中継「エキサイトマッチ」のテーマ曲のファイティング・ブラッド(つのだひろ作曲)が流れていた。21日に開催された格闘技興行RIZIN15大会のセミファイナル前。花道に登場したのはスーツ姿のボクシング5階級制覇王者マニー・パッキャオ(フィリピン)だった。自分がボクシング担当だからなのだろう。何かを「持っていかれた」という感覚があった。

格闘技興行の観戦は初めて、というパッキャオはRIZINとの交渉を経て推薦したというフリッツ・ビアグタン(フィリピン)とキックボクシング界の「神童」那須川天心(20)のキックボクシングルールを視察。3回KOで下した那須川を「強い」と感想を述べた。試合後の会見で報道陣から那須川に質問が飛んだ。「将来的にパッキャオとの対戦は?」。那須川は「そこはノーコメントで」。競技は違うのに、この質疑応答が成立してしまう。それは昨年の大みそかのRIZIN14大会のメインイベント、ボクシング5階級制覇王者フロイド・メイウェザー(米国)とのエキシビション戦があったからだろう。

国内でのボクシング公式戦は、日本ボクシングコミッションが管轄している。パッキャオやメイウェザーがRIZINのリングでボクシング公式戦はできない。昨年大みそかも、打撃はパンチのみという限りなくボクシングルールに近いエキシビション戦だった。キックボクシング、総合格闘技、ボクシングは異なるジャンルにもかかわらず、ボクシング界のスーパースター登場がRIZINで話題になり、来場だけで演出の1つになった。RIZINのプロモーション能力の高さだろう。

エキサイトマッチのテーマ曲が会場に流れた時の、胸騒ぎのような「持っていかれた」感は何だろうと考えた。先日来日したメイウェザーの関係者が前WBA世界ミドル級王者村田諒太(帝拳)との対戦プランを明かした。階級も近い両者の対戦は「ドリームマッチ」として想像できた。ワクワクした。いつかボクシング界で組まれるかもしれない夢カードの妄想は胸をかき立てる楽しみだ。

もしかしたら対戦するかもしれないという期待感-。実現するか否かは別にしても、ボクシング界で考えられるべき、メイウェザーやパッキャオの夢カードを想像する楽しみを、RIZINに「持っていかれた」のかもしれない。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

那須川天心戦で笑顔を見せるフロイド・メイウェザー(2018年12月31日撮影)

王者リンチ戦闘不能、襲撃のエバンス満足げ WWE

5月19日のPPV大会でのロウ女子王座の防衛戦が決まった王者リンチ(左)と挑戦者エバンス(C)2019WWE,Inc.AllRightsReserved

<WWE:ロウ大会>◇22日(日本時間23日)◇アイオワ州デモイン・ウェルズ・ファーゴ・アリーナ

2冠(ロウ女子、スマックダウン女子)王者ベッキー・リンチが5月19日のPPV大会マネー・イン・ザ・バンク(コネティカット州ハートフォード・XLセンター)で挑戦を受けるレイシー・エバンスに襲撃された。 

アリシア・フォックスとのシングル戦に臨む前に姿をみせたエバンスから「マネー・イン・ザ・バンクではレディーへのリスペクトを教えてあげるわ」と挑発を受けた。試合でフォックスを必殺のディスアーマーで絞め、ギブアップ勝利を挙げると、背後から次期挑戦者に不意打ちを食らった。強烈なウィメンズ・ライト2発を顔面にたたき込まれて戦闘不能になり、満足した様子で赤いハットをかぶり直してエレガントにリングを後にしたエバンスを追いかけることはできなかった。

エバンス(右端)に殴られた2冠王者ベッキーリンチ(中央)(C)2019WWE,Inc.AllRightsReserved

逸ノ城の常識覆る縦の動き226キロ“押しつぶし”

大相撲春場所 14日目 ははたき込みで貴景勝を破り1敗を死守した逸ノ城(2019年3月23日撮影)

相撲の常識が覆るかもしれない。来場所で三役返り咲きが確実視される前頭逸ノ城(26=湊)が、14勝を挙げて優勝次点となった3月の春場所で、異次元ともいえる取り口を何度も見せた。従来、相撲で勝つには、前に出ての寄り切りや押し出し、後ろに下がっての引き落としやはたき込みが決まり手の大部分を占めている。いずれも「横」の動きだ。だが春場所の逸ノ城は「縦」の動きで、白星を量産した。

193センチの長身で、しかも関取衆最重量226キロの逸ノ城が、どっしりと構えて受けて立つ。中途半端な力で押し込めないことは一目瞭然。上体が伸び上がっては、びくともしないだけに、相手は低い姿勢で下から押し込もうとする。だが懐の深い逸ノ城は、これを組み止め、下に潜り込ませず上からズドン。春場所の14勝のうち、はたき込みで6勝、突き落としで3勝と、このパターンで勝ったのが大部分だ。

はたき込みは引き技、突き落としは土俵際などでの逆転技の印象が強いが、春場所の逸ノ城は違った。余裕を持って、狙い通りに仕留めていた。他に適当なものがないため、決まり手は、はたき込みや突き落としになっているが、実際のところは「押しつぶし」ともいえる内容だ。従来の決まり手では表現しきれない、枠に収まらない「縦」の動き。何より相撲界にはまだ、突然上から降ってくる200キロ超の重さを、背中で受け止めることを想定した稽古が確立しているとはいえない。対策のしようがないのかもしれない。

実は逸ノ城自身が、この取り口の異次元ぶりに気付いていないようだ。はたき込みは、内容が良くないとされ、現在行われている巡業中も「もっと前に押し出す、寄り切るような相撲を出していきたい」と、反省気味に語っていた。目標とする大関昇進のためには、相撲内容も求められており、はたき込みが多いことを課題として挙げていた。だが報道陣から、新しい取り口だと指摘されると「本当ですか!?」と、少しは自信を持った様子をのぞかせていた。

ただ、相撲の長い歴史の中で、ずっと追い求められている、前に出る姿勢は今後も理想型として必要不可欠だろう。その基本が強いからこそ、上から下への押しも効いてくる。「横」でも「縦」でも、自在に力を発揮できるようになれば、大関昇進も初優勝も遠くない。私生活では「まだ、しばらくは部屋に住む予定。地方場所とかで、みんな(若い衆)が先に移動していていない時とか、洗濯物とか洗い物とかがあって大変。自分でもできるけど、こんなに違うんだと感じるから」と、独り立ちは遠そうだ。だが土俵では、14年秋場所の新入幕から優勝争いに絡んで「怪物」の異名を取った逸材。相撲の常識さえも変える、本物の怪物になる日も遠くはないかもしれない。

【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大大相撲春場所 13日目 ははたき込みで御嶽海を破る逸ノ城(2019年3月22日撮影)

初代タイガーが期待 藤田和之リアルジャパン初参戦

藤田和之(2018年3月25日撮影)

リアルジャパンプロレスが23日、都内で会見を行い、初代タイガーマスク佐山サトル(61)プロデュースによる「ストロングスタイルvol.2」(6月20日、東京・後楽園ホール)のメインカードを発表した。

リアルジャパン初参戦の藤田和之がケンドー・カシンと組みスーパー・タイガー、船木誠勝組と対戦する。

佐山は初参戦の藤田について「タックルを生かしたプロレスで地味ですが、その速さにはびっくりすると思う。そこを見てほしい」と説明した。

暴走するような内容になるのでは、と質問を受けた佐山は「ガチガチの試合がストロングと思われていますが、そうではない。男と男が戦って何ができるか、というハラハラドキドキの展開がストロングスタイル。リミッターを超えるところに期待をしています」と想定外の展開を求めた。

また、この日4月23日は38年前に1981年(昭56)にタイガーマスクが対ダイナマイト・キッド戦でデビューした記念日。佐山は今でも新旧のファンがその試合を覚えてくれていることに感謝し、「新間(寿)さんが作った虚像であり、実像。責任を感じます。ありがたい人生です」と話した。

初代タイガーマスクの佐山サトル(2018年9月20日撮影)

新日本ジュニア祭典「BOSJ」に初出場鷹木信悟ら

鷹木信悟

新日本は23日、5月13日に開幕するジュニアヘビー級最強決定戦「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」の出場選手を発表した。

田口隆祐(14年連続16度目、12年優勝)、タイガーマスク(18年連続18度目、04、05年優勝)、ロッキー・ロメロ(3年ぶり7度目)、SHO(2年連続2度目)、YOH(2年連続3度目)、ウィル・オスプレイ(4年連続4度目、16年優勝)、石森太二(2年連続3度目)、エル・デスペラード(3年連続4度目)、TAKAみちのく(2年ぶり7度目)、金丸義信(3年連続3度目)、BUSHI(4年連続7度目)、フリップ・ゴードン(2年連続2度目)、ティタン(6年ぶり2度目)、マーティー・スカル(3年連続3度目)、ドラゴン・リー(3年連続3度目)、ロビー・イーグルス(初)、ジョナサン・グレシャム(初)、バンディード(初)、鷹木信悟(初)、「X」の計20人。Xの正体は不明。会場で流された動画ではシルエットのみが映され、近日発表するとした。

2ブロックに分かれてリーグ戦を行い、各ブロック1位が6月5日に両国国技館で決勝を行う。

佐山秘蔵っ子・舞海魅星、震災乗り越えデビューへ

握手をかわす初代タイガーマスクと東京女子プロレスからデビューする舞海魅星(みらい)

リアルジャパンプロレスが23日、都内で会見を開き、初代タイガーマスク、佐山サトル(61)の秘蔵っ子、舞海魅星(まいうみ・みらい=19)が5月3日の東京女子プロレス後楽園大会でデビューすると発表した。

岩手・宮古市生まれの舞海は、12年5月にリアルジャパンが行った巌流島大会に東日本大震災の被災者の1人として招待された。本州最東端の宮古市重茂地区、海のすぐ側にある実家は津波で流されなかったが、うに、あわび漁を営む父の船を失った。

「震災の悲しみはありましたが、試合を見る時だけは楽しくいられました」

佐山や新間寿氏とも交流を続けながら、いつしかプロレスラーになる夢を持つようになった。

「今度は自分が東北を始めとする方々に元気を届けたいです」

佐山は「プロレスをやりたい、と聞いたときはびっくりした。必ずチャンピオンになって、岩手の希望になってほしい」とエールを送り、「将来、指導してみたい」と直接指導を含め、舞海への支援を続けると誓った。

AJスタイルズが王者ロリンズ挑戦権ゲット WWE

5月19日のPPV大会でユニバーサル王者ロリンズ(左)に挑戦することが決まったAJスタイルズ(C)2019WWE,Inc.AllRightsReserved

<WWE:ロウ大会>◇22日(日本時間23日)◇アイオワ州デモイン・ウェルズ・ファーゴ・アリーナ

スマックダウンからロウに移籍したばかりの元WWEヘビー級王者AJスタイルズがユニバーサル王座挑戦権をゲットした。5月19日のPPV大会マネー・イン・ザ・バンク(コネティカット州ハートフォード・XLセンター)で同王者セス・ロリンズに挑戦する。

同王座を狙う6選手が2組に分かれて3WAY形式で対戦し、AJスタイルズはレイ・ミステリオJr.、現US王者サモア・ジョーと激突。ジョーのコキーナ・クラッチ、ミステリオJr.の619など必殺技の攻防が繰り広げられた。最後はAJスタイルズがマットに倒れ込んだジョーにめがけ、ミステリオJr.をスタイルズ・クラッシュでたたきつけて2人まとめて始末。ジョーから3カウントを奪ってみせた。

もう1組の3WAY戦でザ・ミズ、ドリュー・マッキンタイアを下したバロン・コービンと挑戦権を懸けてメインイベントで対決。AJスタイルズがスタイルズ・クラッシュやカーフ・クラッシャーと立て続けに狙い、回避され続けたが、何とかフェノメナール・フォアアームで倒し切った。勝利後、リングに出現した王者ロリンズと対峙(たいじ)したAJスタイルズは自信たっぷりの握手を交わしていた。

コービン(手前)にフェノメナル・フォアアームをたたき込んだAJスタイルズ(C)2019WWE,Inc.AllRightsReserved

矢田良太が防衛失敗「左もらいすぎた」7回TKO

TKO負けで日本ウエルター級王座の5度目の防衛に失敗した矢田(撮影・加藤裕一)

<プロボクシング:日本ウエルター級タイトルマッチ10回戦>◇21日◇エディオンアリーナ大阪第2競技場

王者矢田良太(29=グリーンツダ)が7回1分9秒TKO負けを喫し、3度目の防衛に失敗した。

サウスポーの同級1位永野祐樹(29=帝拳)の左ストレートを何発も食った。3回にはタイミングのいい1発を浴び、しりもちをつくようにダウン。最後は左から細かい連打を浴び、棒立ちとなった試合を止められた。

それでも“ナニワのターミネーター”は見せ場は作った。オーバーハンドで繰り出す大振りの右、力任せの左が随所でヒット。4回には左を食って腰が落ち、ダウン寸前の体勢から、豪快な右で相手をぐらつかせ、ダウンを奪い返した。洗練された永野と対照的に、粗削りで豪快なボクシングで場内をわかせ続けた。

矢田は「左をもらいすぎました。効いた感じはなかったけど(右目が腫れて)見えにくくなって。やっぱり、相手が強かったということです」と潔く完敗を認めた。

苦手のサウスポー対策に、対戦が決まってから1日10時間以上のハードワークで追い込んだ。「もうこれ以上できんぐらい練習をしてきた。世界で1番やった自信があります。それでダメやったんやから、これ以上どうやったら強くなれるんか…。だから、全然悔いはないし、涙も出ません」。今後については「しっかり考えて、嫁さん、会長、応援してくれる人と話し合って決めます」と明言を避けた。

30年続く「ドームプロレス」令和へ新たな進化も

89年4月、チョチョシビリに抑え込まれるアントニオ猪木

<平成とは・バトル編(5)>

昭和末期のプロレス界は新日本、全日本、国際の3団体だった。平成を迎えて団体の乱立、交流戦を通じた淘汰(とうた)、そしてK-1、PRIDEの隆盛による人気低下の時期を乗り越え、2010年(平22)以降から新日本が中心となって復活を遂げた。そんな激動続きの平成の時代に幕を開け、30年間続いたのは「ドームプロレス」だった。

平成元年の89年4月24日、アントニオ猪木がけん引した新日本が最初に東京ドームに進出した。前年にマイク・タイソンの世界戦が開かれていたこともあり、世界的規模を意識。「日ソ異種格闘技戦」と題し、旧ソ連VS新日本を演出した。メインではロープのない円形リングで、猪木が72年ミュンヘン五輪柔道金メダリストのチョチョシビリと対戦。裏投げ3連発でKOされる結末に大きなインパクトを与えた。

豪華かつ派手、話題性を加えるため、選手移籍などで緊張感のあった団体間の「壁」が崩れた。翌90年2月、2度目の新日本の東京ドーム大会で全日本勢が参戦。ジャンボ鶴田、谷津嘉章、2代目タイガーマスク、天龍源一郎がタッグ戦に出場。ビッグバン・ベイダーVSスタン・ハンセンという新日本と全日本のトップ外国人が激突した。同年4月には米WWF(現WWE)、新日本、による「日米レスリングサミット」も開催。ハルク・ホーガンらも参加し、ドームプロレスならではの夢対決が実現していった。

ドーム大会で実現させた新日本の交流戦は、特に注目度が高かった。高田延彦のUWFインターとの対抗戦では、闘魂三銃士の1人、武藤敬司が輝きを増した。95年10月9日の東京ドーム大会のメインで高田と対戦し、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。翌96年1月の東京ドーム大会での再戦は5年ぶりに地上波で生中継され、当時の武藤は「史上最大のイベントなんだから派手にやらなきゃ」と豪語した。97年には大阪、ナゴヤ、福岡を含めた4大ドームツアーが行われ、98年4月に猪木引退試合も開催。プロレス参戦した小川直也VS橋本真也との抗争など注目興行は00年初頭まで続いた。

その同時期からわき上がってきたK-1とPRIDEの隆盛で、ドームプロレスはピンチを迎えた。当時について武藤は「三銃士時代はドームと同じ時代を生きてきた。三銃士の成長曲線は、ドームのそれと一致している。オレたちが本流から外れ、ドームが寂しがっているようにも感じる」(09年日刊スポーツのインタビュー)と00年初頭まで続いた第1次ドームプロレスの終結を分析した。年2、3回のドーム大会を続けてきた新日本は集客に苦しみ、サイモン猪木社長(当時)は06年限りの撤退まで示唆する事態となった。

しかし危機こその結束感が当時の新日本にあった。中邑真輔は「新しい時代をつくる。絶対に最後のドームにしない」と全選手の言葉を代弁。社内会議は揺れ動いたが、菅林直樹副社長(現会長)は開催に反対意見があったことを認めた上で「待っているだけでは追い風は吹かない。最後は全員一致でした」と存続を決めた経緯を明かしていた。

一転、開催された07年1月4日のドーム大会は新日本35周年記念興行だった。武藤率いる全日本の全面協力を得て大会名も「レッスルキングダム」へ。06年以降は1月4日の年1回のドーム大会となったものの、年間最大の祭典に据えたことで全体の展開も分かりやすくなった。12年に凱旋(がいせん)帰国したオカダ・カズチカの活躍も重なり、団体の人気が回復を遂げた。16年以降は新日本、海外招請選手のみでマッチメーク。平成最後のドーム大会でIWGP王者となった棚橋弘至は「東京ドーム大会を見れば全部分かる。1年間のゴールであり、スタート」と分かりやすさを強調。新規ファンを増やそうとする姿勢、環境も人気回復のポイントとなった。

令和初となる来年の「1・4」は、翌5日も続くドーム2連戦に決まった。フルサイズでのドーム連戦は初の試み。新日本が平成元年から30年間定期的に続け、死守してきたドーム大会。90~00年代の交流戦、対抗戦を通じた人気とは違い、新日本独自の世界観で演出する第2次ドームプロレスに変貌を遂げた。

ドームプロレスという「文化」は令和でも新たな進化を遂げていくに違いない。(敬称略)【藤中栄二】(この項おわり)

90年2月、スタン・ハンセン(左)にドロップキックを見舞うビッグ・バン・ベイダー
94年1月、アントニオ猪木(右)にパワーボムを見舞う天龍源一郎
95年10月、高田延彦にドラゴンスクリューを決める武藤敬司
99年10月、橋本真也(手前)を蹴り上げる小川直也
04年5月、アントニオ猪木は得意のパフォーマンスを見せる