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au版ニッカン★バトル

ランキング

ノア潮崎が拳王と激闘ドロー「意味ある戦いだった」

ノアの横浜文化体育館大会が10日に行われ、GHCヘビー級王者潮崎豪(38)、同ナショナル王者拳王(35)による2冠戦は、60分時間切れにより、引き分けとなった。

潮崎が逆水平チョップで攻め込めば、拳王も得意のキックで応戦。終盤に拳王がダイビングフットスタンプで流れを奪うも、潮崎もふらふらの状態で3カウントは許さなかった。残り30秒を切り、潮崎が最後の力を振り絞ってムーンサルトプレスを決めるも、疲労からカバーにいけず、直後に無情のゴングが鳴らされた。マイクを握った潮崎は「これがGHCだ。これがノアの闘いだ。最後まで決められなかったが、意味のある闘いだった」。

YOSHI-HASHI初タイトル 同門対決制す

オカダからベルトを腰に巻いてもらうYOSHI-HASHI(新日本プロレス提供)

<新日本プロレス:後楽園大会>◇9日◇東京・後楽園ホール

メインのNEVER無差別級6人タッグ王座決定トーナメント決勝戦は、後藤洋央紀、石井智宏、YOSHI-HASHI組が、オカダ・カズチカ、矢野通、SHO組との「CHAOS」同門対決を制し、第21代王者となった。

互いの手の内を知る6人が激闘を繰り広げた。YOSHI-HASHIが、オカダと一進一退の攻防を展開。オカダのドロップキック、ツームストンパイルドライバー、変形コブラクラッチを耐え抜くと、カウンターのラリアットで逆転。リング中央でバタフライロックにとらえると、ギブアップ寸前まで追い込むなど、勢いをつけた。

連係も良く、20分を過ぎると、SHOを孤立させることに成功。石井が打撃戦でペースを呼び込むと、最後は垂直落下式ブレーンバスターからの片エビ固めで、24分18秒、3カウントを奪った。

07年に新日本に入門したYOSHI-HASHIは、待望のタイトル初戴冠。戦いを終えたオカダから腰にベルトを巻いてもらうと「ようやく、ベルトを取ることができました。物事は変わるのは一瞬。でも、毎回変わっていたら、そんな人生楽しくないよ。なかなかうまくいかないから、楽しいんだ。もしもつまずいても、また立ち上がればいいんだ」と喜びをかみしめた。

ファンの温かい拍手が会場を包むと、「物事が変わるのは一瞬だ」と熱いマイクで締めくくった。

石井は「YOSHI-HASHIがすべて。ここにくるまで、ゆっくりだけど、着実に前に歩いてきた。その証しだよ。周りに何を言われようが、どう思われようが、たどり着けばいいんだ。今まで、いろいろ言ってきたやつを黙らせるぐらいの試合をやればいいんだよ」とたたえた。

後藤は「YOSHI-HASHIから夢をもらった。諦めなければこうして結果はついてくるってこと」と話した。

式秀部屋稽古再開へ 親方は協会に呼ばれ血圧上昇も

式秀部屋の看板(2017年1月撮影)

力士9人が逃げ出す騒動のあった式秀部屋が、早ければ11日にも稽古を再開することが10日、分かった。相撲部屋は一般的に本場所後の1週間は休みにあてるため、多くの部屋は10日から再始動しているが、式秀部屋は1日遅れで動きだす。

9、10日の2日間をかけて、式秀親方(48=元幕内北桜)は力士1人ずつと向き合って面談を行った。20人全員と腹を割って話し合い、これまでの不満や今後への改善点などについて確認したとみられる。面談には、あえておかみさんは同席せずに実施したという。

力士9人が4日に逃げ出した主な理由は、おかみさんによるいきすぎた生活指導にある。今年に入って式秀親方は体調を悪化させ、おかみさんを「師匠代行」に任命した。おかみさんは、新型コロナウイルス感染予防に敏感になり、グループラインで連日、長文の指示を送信。張り切りすぎがエスカレートし、多くの力士にとって心的負担になっていた。

逃げた力士は5日に部屋に戻り、日本相撲協会のコンプライアンス委員会からの聞き取り調査も受けた。式秀親方は6日の師匠会に出席したが、つえをついて歩いていたという。同席した別の親方は「みんなの前で『迷惑をおかけしました』と普通に話していた。コンプライアンス委員会に呼ばれて、また血圧が上がったらしい」と明かした。力士の師匠への信頼は変わらないため、部屋の正常化は式秀親方の健康状態にかかっている。

式秀部屋の稽古場(17年1月撮影)

ジャイアント・キマラさん死去 コロナ合併症か

89年2月、全日本プロレスで谷津(手前)の首をロープに押しつけ後頭部へキックを浴びせる初代ジャイアント・キマラ

全日本プロレスなどに参戦した元WWEレスラーのジャイアント・キマラ(本名ジェームス・ハリス)さんが9日、心肺停止で死去した。70歳だった。キマラさんは5日にコロナウイルス検査で陽性反応を示し、そのまま入院。10年から高血圧と糖尿病に苦しみ、両足切断に追い込まれていた。コロナウイルスとの合併症が死因と報じる米英メディアもある。

78年にデビューしたアフリカ系米国人のキマラさんは82年からウガンダの部族をモチーフとしたフェースペイント、ボディーペイントを施し、怪奇派の巨漢レスラーとして活躍した。84年からWWF(現在WWE)に参戦。85年にはジャパンプロレスで初来日を果たした。89年には全日本プロレスにも登場し、ブッチャーとも共闘した。95年にはハルク・ホーガンの誘いでWCWとも契約した。

WWFではアンダーテイカー、アンドレ・ザ・ジャイアントらとも対戦。ホーガンは「キマラの死去はとても悲しい。親切心の塊だった。安らかに眠れ、ビッグブラザー」などとSNSを通じて悲しみをつづった。

初代ジャイアント・キマラ(1989年2月26日)
全日本プロレス ジャイアント・キマラ、アブドーラ・ザ・ブッチャー組対田上明、谷津嘉章組 谷津嘉章(下)を踏みつける初代ジャイアント・キマラ(1989年2月26日)

大島親方が先代武隈親方悼む「よく飲みにも行った」

大島親方(17年6月11日撮影)

9日に67歳で死去した大相撲の元前頭蔵玉錦(ざおうにしき)の先代武隈親方について、親交の深かった大島親方(元関脇魁輝)が11日、故人との思い出を振り返った。

65年秋場所に初土俵を踏んだ大島親方が5年早く入門したが、2人は同学年だった。弟弟子の元前頭王湖が先代武隈親方と同期生だった縁もあり、仲が深まったという。「ザオウ(蔵玉錦)が関取になったくらいからよく話すようになった。巡業に行けば山稽古もしょっちゅうやった。昔は山稽古が普通だったから。夜はよく飲みにも行ったね。黒姫山さん(先々代武隈親方)や俺が教習所で一緒だった佐渡ケ嶽部屋の琴ケ嶽とかも交えてよく行ったね」。

先代武隈親方は元横綱柏戸の鏡山部屋で育った。「良くも悪くも周りのことを気にせず自分の道をいく。先代の鏡山さん(柏戸)の教育だったと思う。豪快に飲むやつだったけど、周りに迷惑をかけなかったし、切りのいいところで切り上げていた」と人柄を懐かしんだ。

最後に会ったのは「去年の暮れか今年の年明け」で、先代武隈親方はつえをついて歩いていたという。「腰のヘルニアだかで悪かったのは聞いていたし、心配してた」と話した。

先代武隈親方の弟弟子だった鏡山親方(元関脇多賀竜)は「早く亡くなったことに驚いた。ご冥福をお祈りするしかない」と悼んだ。

78歳グレート小鹿が9月防衛戦「暴れ回るからな」

防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)

新潟プロレスは10日、1月以降、新型コロナウイルス感染症のため中断していたプロレス大会を9月12日より再開すると発表。

新潟タッグ王者で世界最年長ベルト保持者のグレート小鹿(大日本)が、78歳になって初の防衛戦を9月13日、新潟市東区プラザ大会で行うことが決定した。9月12日には、新潟無差別級選手権が同市のサントピアガーデンで行われ、王者河上隆一(大日本)に、ビッグ・THE・良寛(新潟)が挑戦する。シマ重野(新潟)と中断前の1月に5度目の防衛を果たした小鹿は、6度目の防衛戦を前に「コロナで大変な思いをしたが、ボクは、それをいい方向に考えている。コロナのおかげで、ギネス記録認定を目指す最年長防衛記録が1歳伸びたからね。新潟プロレスも大日本プロレスもコロナには負けない。ボクも、どんどん防衛記録を伸ばして、リングの上で暴れ回るからな。ワッハッハ」と意気盛んだった。

防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)
防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)