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木村花さんの葬儀・告別式営まれる、小川氏が報告

女子プロレス団体スターダムのロッシー小川エグゼクティブプロデューサーは自身のツイッターに木村花さんの遺影の写真とともに追悼の言葉を記した(同氏ツイッターより)

23日に22歳で亡くなったプロレスラー木村花さんの葬儀・告別式が30日、営まれた。木村さんが所属していた団体、スターダムのロッシー小川エグゼクティブプロデューサー(63)が同日、ツイッターで報告した。

小川氏は遺影を投稿し「花の葬儀が無事に終わりました。この遺影は昨年11月にカメラマンの佐々木さんがスタジオ撮影したもの。華やかな花らしい写真。多くの仕事仲間や友人知人が見送り、最期を迎えたのです。棺に入っていた花はとびきり綺麗で寝ているようでした。永遠の眠りについた花…世界に一つだけの大輪となった」と記した。

薬師寺ジムが興行中止「入場収入なければ出る一方」

薬師寺保栄会長(2016年12月23日撮影)

ボクシングの薬師寺ジムが7月12日に愛知県内で予定していた興行を中止としたことが30日、分かった。

同ジム所属のWBO世界フェザー級5位で同アジアパシフィック同級王者森武蔵(20)のノンタイトル戦をメインに計画していた。しかし、原則となる「無観客」が最大の壁となり、開催を断念せざるをえなかった。元WBC世界バンタム級王者の薬師寺保栄会長(51)は「(放映権料が見込める)テレビ中継がつくわけでもなく、入場収入がなければ出ていく一方。ファイトマネーも払えない」と苦渋の決断を語った。

日本ボクシングコミッション(JBC)と日本プロボクシング協会(JPBA)は前日29日に新型コロナウイルス対策連絡協議会を開き、7月からの興行再開を決めた。ただ「原則無観客」で、客入れには厳しい条件設定。実際には興行不可能な厳しい現実が示された。

将来期待の森は来春にも世界戦が計画されている。年内に2戦で世界挑戦が描かれていたが今後の興行、試合日程も「全くの白紙」(薬師寺会長)と見通しがたたない。プロ野球、Jリーグと動きだしてきたスポーツ界だが「密」を避けるのが難しいボクシング、格闘技にはまだまだ高いハードルが立ちはだかる。

森武蔵(2017年12月22日撮影)

大嶽親方が元横綱大鵬誕生日に祈り「今は健康第一」

大鵬さん(2005年2月5日撮影)

大相撲の大嶽親方(元十両大竜)が29日、元師匠で昭和の大横綱に祈りをささげた。この日は、13年に死去した元横綱大鵬の80度目の誕生日。電話取材に応じた大嶽親方は、朝稽古後に弟子らと一緒に、都内の部屋に隣接する建物内にある仏壇に手を合わせたことを明かした。

墓参りも考えたというが、新型コロナウイルスの感染防止のために断念。「仏壇にお線香をあげるのも2人ずつ。密にならないようにね」と感染防止に努めた。本来ならば、仏壇の前で弟子らの成長を一番に願いたいところ。しかし今回は「今はこんな時だから相撲よりもまずは、『みんなが健康第一でありますように』と手を合わせました」と話した。

現在部屋には、元関脇貴闘力の次男で3月の春場所で初土俵を踏んだ鵬山、三男の幕下納谷、四男の三段目夢道鵬と、元横綱大鵬の孫が3人所属している。部屋での稽古は基礎運動が中心で、ぶつかり稽古などの接触を伴う稽古は行っていない。そんな状況下でも「夜に稽古場を見に行くと自主的に体を動かしているのが何人かいる。孫3人もそうだけど、つられて若い衆もやっている」と大横綱のDNAを引き継ぐ3人が部屋を盛り上げようとしている。

各師匠の判断となっている接触を伴う稽古は、6月から再開するという。日本相撲協会が無観客での実施を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)まで、時間はまだあり「いつでも相撲を取れる状態だけど、まずは軽く。今はケガをして病院に行くのが一番怖いからね」と慎重な構えを見せた。

4月以降、買い物などは「全部俺とおかみさんがやっている。ケガの治療とかでどうしても本人が病院に行かないといけないこと以外は、一切外に出していない」といい、部屋に届く郵便物などは全て受け取ってから消毒するなど、感染防止策を徹底している。だからこそ「何とか無事に7月場所を迎えたいですね」と切に願った。

【佐々木隆史】

隠岐の海「それがよかった」語らぬ親方にひかれ入門

隠岐の海(2020年3月12日撮影)

大相撲の小結隠岐の海(34=八角)が30日、AbemaTV放送の「大相撲ABEMA場所~記憶に残る名勝負100連発~ 二日目」にリモートで生出演した。

新型コロナウイルスの影響で中止となった夏場所について「なかなかモチベーションが大変だと思う」と話す一方、「しっかりと次の場所に向けてやりたい」と日本相撲協会が無観客での開催を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて意気込んだ。

出演中には、初土俵を踏んだ05年初場所での前相撲の映像が流れた。当時を「緊張していました。(部屋の)世話人さんとか先輩が怖くて、しきたりも分からなくて緊張しました」と苦笑いで振り返った。

角界入りのきっかけは、「(八角)親方が島に来てくれて、一緒にご飯を食べた時に『東京いけるな』『親方だったらいいな』と思った」。心に残った誘い文句はなかったというが「あんまりしゃべってないんですけど、それがすごいよかった」と多くを語らなかった八角親方の姿にひかれて入門を決意した。

印象に残る取組には、15年九州場所での横綱白鵬戦を挙げた。土俵際まで寄るも、逆転のやぐら投げをくらい負けた一番。「最後寄っていくんですけど、その時に1番力を出し切れたかなと。こん身の寄りだったと思います」と横綱を追い詰めた寄りに手応えを感じた。

15年九州場所 隠岐の海をやぐら投げで破り全勝を守った白鵬(2015年11月14日)

朝青龍、35連勝でストップ/夏場所プレイバック

04年5月14日 大相撲夏場所6日目 北勝力(右)は朝青龍を押し倒しで破り連勝を35で止める

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。6日目は連勝記録に挑んだ横綱です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇6日目◇04年5月14日◇東京・両国国技館

当時23歳の朝青龍が、173日ぶりに負けた。歴代4位タイ(当時)の36連勝を目指し、前頭筆頭北勝力(現谷川親方)と対戦。引いたところを一方的に押し倒され、04年初黒星を喫した。

「やられたよ。かっこよくできればよかったな」。立ち合いで北勝力に2度つっかけられた場面もあった。3度目の仕切りに入る前、右手で下がりを分けるまで約5秒、北勝力をにらみつけた。「手つきがねえ。合わせないといけないよな。まあ、こっちが悪いんだよ。自分のミスだよ。(北勝力は)いい押しだったな」。ぐっと堪えながら、自らの相撲を反省する言葉を並べた。

予兆もあった。「朝からかゆかった。何かあるかと思ったよ」と笑って「おとといから背中が痛い。体ぱんぱんだ」と背中をさすった。「もったいない星だね」。

朝青龍にとって、この35連勝が自身の最長連勝記録となった。朝青龍の引退後、白鵬が63連勝(史上2位)、43連勝(史上5位)、36連勝(史上6位タイ)と次々に連勝記録を打ち立てた。モンゴル勢の躍進は、現在も際立っている。

全日本50周年へ カーベルとスポンサー契約延長

全日本プロレス福田剛紀社長(左)と株式会社カーベルの伊藤一正社長

全日本プロレスは28日、都内で会見を開き、株式会社カーベルと2年間のスポンサー契約を結んだと発表した。

新車リースや格安レンタカーをフランチャイズ展開する同社は、17年9月からスポンサーとなっており、伊藤一正社長(49)は、「カーベル伊藤」として度々、全日マットに上がっていた。全日本が創立50周年を迎える22年までその契約を延長した形だ。会見に出席した全日本福田剛紀社長(54)は「若く元気のある会社にサポートしていただき、私たちもまだまだ伸びていけると希望を持っている」と感謝を述べるとともに、2年後の50周年イヤーに向け「躍進を遂げなければいけない」と成長を誓った。

会見ではカーベルの伊藤社長が、新型コロナウイルスの影響で年商75億円のうち、約20%にあたる15億円売り上げが下がると明かした。そんな苦しい状況でもスポンサーを続ける理由は「僕が選手として活動しているから」。試合に出る中で触れあってきた選手、ファン、スタッフの顔が浮かび、こんな時こそ「仲間の役に立ちたい」と思ったことが決め手だったと説明した。幸い、社員も歓迎ムードだという。伊藤社長は「社内でハレーションも起きず、やるなぁ、みたいな、早く全日本プロレスを見たいという声の方が多い」とうれしそうに語った。

伊藤社長は、スポーツのスポンサーをする他の企業にもメッセージを送った。「あらゆるスポーツのスポンサーさんが、どうしようかな、ときっと今悩んでいると思う。でも、プロスポーツというのは団体、ファン、スポンサー、三位一体とならない限り存続しない。だから、プロ、アマ問わず、なんとか費用を捻出していただいて、スポーツが持つ素晴らしさを失うことなく、力添えに頑張っていただきたい」。プロレスに限らず、スポーツ界全体の発展のため協力をあおいだ。

また、全日本はこの日、4月に行う予定だった春の祭典「チャンピオンカーニバル」を9月から10月にかけて開催すると発表した。

復帰意欲のタイソン氏、プロレスでも因縁相手と乱闘

ボクシング元ヘビー級王者マイク・タイソン氏(左)とクリス・ジェリコの挑発合戦を伝えた米プロレス団体AEWの公式ツイッター

ボクシング本格練習再開で話題の元世界ヘビー級王者マイク・タイソン氏(53)が、元新日本プロレスのケニー・オメガ、Codyらが所属する新団体オール・エリート・レスリング(AEW)マットに「進出」している。27日(日本時間28日)に中継されたAEW大会では、リング上で新日本プロレスにも参戦するクリス・ジェリコと挑発合戦を展開した。

10年1月、WWEマットでタイソン氏はジェリコとタッグを組んで試合出場。しかしジェリコを右拳で殴る裏切り行為で失神させていた。10年後、AEWマットで再会した形だ。ジェリコから「今、ここで謝罪しろ。オレのキバがオマエのノドをかききる前に謝罪した方が身のためだ」と要求されると、タイソン氏は怒りの表情で着用していたTシャツを破り捨て鍛え上げた上半身を誇示。両者の小突き合いから大勢のレスラーによる大乱闘となった。

WWEで2度リングに上がった経験のあるタイソン氏は23日にフロリダ州ジャクソンビルで開催されたAEWのPPV大会に登場。TNT王座決定トーナメント決勝戦の立会人を務め、新王者となったCodyにベルトを授与していた。

タイソン氏はチャリティー事業としてエキシビション戦でリング復帰する意欲を示し、SNSなどを通じて練習動画を何度も投稿。05年6月、ケビン・マクブライド戦で棄権による6回終了TKO負けを喫して引退して以来のリング復帰に意欲をみせていたが、英メディアによると、対戦相手の交渉が進んでいないようだ。

戦い続けた42歳牧師の姿/記者が振り返るあの瞬間

ジョージ・フォアマン(1973年)

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(40)

日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

   ◇   ◇   ◇

試合終了を告げるゴングが鳴る前から1万8000人の大観衆は立ち上がった。地鳴りのようなスタンディングオベーションに私も一緒に加わった。それがやがて「ジョージ!」のコールに変わった。12ラウンドを勇猛に戦い続けた42歳の牧師ボクサー、ジョージ・フォアマン(米国)への賛歌だった。

1991年4月19日、米ニュージャージー州アトランティックシティーで行われたプロボクシング統一世界ヘビー級タイトルマッチ。全盛期を迎えていた28歳の王者イベンダー・ホリフィールド(米国)に、17年前に失った王座を取り戻すために、10年のブランクを経て復帰したフォアマンが挑んだ。

120キロ近い太鼓腹の元王者の勝利を予想する声は皆無だった。米国人記者たちは「ただのデブ」「出番を勘違いした老いぼれ」「ジョークだ」と冷笑していたし、地元紙は太っちょ(FAT)の挑戦者に引っかけて「FAT CHANCE(絶望)」の見出しを付けた。私も早いラウンドでの決着を予想していた。

開始から打撃戦になった。予想と違ったのはフォアマンが1歩も引かなかったことだ。若い王者の速射砲のような連打を耐えに耐えて前進を続け、豪快な右強打で対抗した。7回開始直後、その右で顔面を打ち抜かれた王者が宙をさまようように後退した。時代の逆転…起こるはずのないことが起きている。背中に戦慄(せんりつ)が走った。

試合はホリフィールドの判定勝ちだった。しかし、もう結果はどうでもよかった。時代にあらがい、果敢に挑んだフォアマンの勇気、生きざまに酔いしれ、計り知れない人間の可能性に気づかされたのである。「年寄りであることを恥じることはない。みんな誇りを持っていい」。試合後の彼の言葉は、年齢を重ねるにつれて、私の中で輝きを増すようになった。

実は彼が現役復帰した理由は名誉のためではない。77年の引退後、牧師として活動しながら、不遇な若者を救済するユースセンターを運営していた。そのセンターが経営難に陥ったため、手っ取り早く資金を稼ぐために再びグローブをはめたのだ。他人の人生まで背負うと、人はこんなにも強くなれるのだ。連打の嵐の中を前進するフォアマンを見ながら、そんなことも感じた。

激闘から一夜明けた土曜日、フォアマンは予定された記者会見をキャンセルした。理由は「会見に出ると牧師をしている日曜学校に間に合わなくなるから」。3年後の94年、彼は45歳にして世界ヘビー級王座復帰の偉業を成し遂げる。そして、71歳になった今も地元ヒューストンでユースセンターの経営と、牧師としての活動を続けている。【首藤正徳】

五城楼、史上2度目の珍事とは/夏場所プレイバック

取り直しの1番が取れないため琴春日の不戦勝が決まる(2005年5月14日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。7日目は“チン事”ではない、57年ぶりに起きた珍事です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇7日目◇2005年5月14日◇東京・両国国技館

それは十両の五城楼(現浜風親方)-琴春日戦で起きた。土俵際で相手を突き落とし軍配をもらった五城楼だが、物言いがつく。ただ、この一番で右膝を負傷した五城楼は人の肩を借りなければ土俵から下りられなかった。協議が行われている間、土俵上の審判団と五城楼が何やら意思確認。直後、五城楼は車いすで退場した。そして押尾川審判長(元大関大麒麟)の場内説明。「土俵に着くのが同時とみて同体取り直しと決定致しましたが五城楼が負傷しており、相撲が取れず琴春日の不戦勝と致します」。

取り直しの一番が一方の力士の負傷で不戦決着となるのは、48年秋場所6日目の力道山-前田山戦(力道山の不戦勝)以来、史上2度目の珍事。呼び出しが慌てて持ってきた「不戦勝」の旗が掲げられ琴春日が勝ち名乗りを受けた。もちろん五城楼の不戦意思と、琴春日の取り直し意思は確認された末の結末だ。ちなみに琴春日にも不戦意思があれば「痛み分け」になる。

五城楼の診断は右ひざ半月板損傷および同外側側副靱帯(じんたい)損傷の疑い。場所中も酸素カプセル(通称「ベッカムカプセル」)に入り体調管理には万全を期し、場所後の俳優松方弘樹とのマグロ釣りを楽しみにしていた。ここまで休場14回、うち途中休場5回と満身創痍(そうい)が続き「どこかに、靱帯とか筋肉は売ってないかな」と嘆いたことも。1場所2度の反則負け(03年九州場所)という史上初の不名誉記録も持ち「記憶に残る力士」ともいえそうだ。

車椅子で待機中の五城楼は、不戦敗の裁定と負傷の痛みでガックリ(2005年5月14日撮影)

木村花さんを誹謗中傷のアカウント、死後に続々削除

23日未明に木村さんがアップしたインスタグラム

22歳の若さで23日に死去した女子プロレス団体スターダムの看板選手、木村花さんの自宅から、遺書のような手書きメモが見つかっていたことが25日、捜査関係者への取材で分かった。母親で元プロレスラーの響子さん(43)に宛てたもので「産んでくれてありがとう」などと書かれていた。警視庁は木村さんが自殺を図ったとみて経緯を調べている。

   ◇   ◇   ◇

捜査関係者などによると、都内にある木村さんの自宅マンションからは薬剤の容器も見つかったという。ベッドの近くに置かれており、警視庁は有毒ガスを発生させて自殺をしたとみて、調べを進めている。

捜査関係者によると、木村さんは23日午前3時半ごろ、自宅内で心肺停止状態で発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。玄関ドアは施錠されていたという。

遺書のような手書きメモは、リビングで見つかった。母の響子さんに向けては「ごめんなさい。産んでくれてありがとう」などとつづられていたという。メモは数枚見つかり、響子さんへのほか、周囲への感謝の気持ちが書かれていたという。

響子さんは24日夜にツイッターを更新し「木村花を応援してくれたかた、守ってあげれなくてごめんなさい。あなたがつらいと花もつらいから。どうか楽しく元気な花を心においてあげてください」とつづり、さらに「死者のプライバシーをどうか尊重してあげてください」と訴えた。

木村さんはフジテレビ系で放送し、ネットフリックスで配信されている恋愛リアリティー番組「テラスハウス」に出演。関係者によると、年明けごろからSNS上で、番組内での言動などを非難するような投稿がされていた。それらの投稿に木村さんは悩み、響子さんに相談していた。20日には「そうだよね。顔も中身もブスでごめんね。消えれるもんなら早く消えたいよ」「消えてなくなったら許してくれますか? 消えたらみんなに愛してもらえますか」などと書き込んでいた。23日未明には「毎日100件近く率直な意見、傷ついたのは否定できなかったから。死ね、気持ち悪い、消えろ、今までずっと私が一番に思ってました」などと最後に投稿している。

木村さんに対し、誹謗(ひぼう)や中傷をSNSに書き込んでいたアカウントは、死去の後から続々と削除されている。

◆木村さんがSNSで激しく誹謗中傷された3月末放送の「テラスハウス」のシーン プロレス用衣装を洗濯機に放置していた間に、同居男性が自身の衣類と一緒に衣装を乾燥し、縮ませてしまった。木村さんは「人のこともっと考えて暮らせよ」と憤り、男性の帽子をはたき落とした。