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ランキング

ノア潮崎が拳王と激闘ドロー「意味ある戦いだった」

ノアの横浜文化体育館大会が10日に行われ、GHCヘビー級王者潮崎豪(38)、同ナショナル王者拳王(35)による2冠戦は、60分時間切れにより、引き分けとなった。

潮崎が逆水平チョップで攻め込めば、拳王も得意のキックで応戦。終盤に拳王がダイビングフットスタンプで流れを奪うも、潮崎もふらふらの状態で3カウントは許さなかった。残り30秒を切り、潮崎が最後の力を振り絞ってムーンサルトプレスを決めるも、疲労からカバーにいけず、直後に無情のゴングが鳴らされた。マイクを握った潮崎は「これがGHCだ。これがノアの闘いだ。最後まで決められなかったが、意味のある闘いだった」。

ジャイアント・キマラさん死去 コロナ合併症か

89年2月、全日本プロレスで谷津(手前)の首をロープに押しつけ後頭部へキックを浴びせる初代ジャイアント・キマラ

全日本プロレスなどに参戦した元WWEレスラーのジャイアント・キマラ(本名ジェームス・ハリス)さんが9日、心肺停止で死去した。70歳だった。キマラさんは5日にコロナウイルス検査で陽性反応を示し、そのまま入院。10年から高血圧と糖尿病に苦しみ、両足切断に追い込まれていた。コロナウイルスとの合併症が死因と報じる米英メディアもある。

78年にデビューしたアフリカ系米国人のキマラさんは82年からウガンダの部族をモチーフとしたフェースペイント、ボディーペイントを施し、怪奇派の巨漢レスラーとして活躍した。84年からWWF(現在WWE)に参戦。85年にはジャパンプロレスで初来日を果たした。89年には全日本プロレスにも登場し、ブッチャーとも共闘した。95年にはハルク・ホーガンの誘いでWCWとも契約した。

WWFではアンダーテイカー、アンドレ・ザ・ジャイアントらとも対戦。ホーガンは「キマラの死去はとても悲しい。親切心の塊だった。安らかに眠れ、ビッグブラザー」などとSNSを通じて悲しみをつづった。

初代ジャイアント・キマラ(1989年2月26日)
全日本プロレス ジャイアント・キマラ、アブドーラ・ザ・ブッチャー組対田上明、谷津嘉章組 谷津嘉章(下)を踏みつける初代ジャイアント・キマラ(1989年2月26日)

勅使河原弘晶が輪島功一ジムから三迫ジムへ移籍

輪島功一会長(右)と勅使河原弘晶(2019年12月12日撮影)

ボクシングIBF世界スーパーバンタム級3位勅使河原弘晶(30)が11日、輪島功一ジムから三迫ジムへ同日付で移籍を発表した。世界初挑戦を目指してよりよい環境を求めての移籍。「師匠である輪島会長と同じジムから、世界王者になるために練習に励んでいく。必ず世界チャンピオンベルトを輪島会長にお見せする」とコメントした。

勅使河原は少年院時代に元世界王者輪島会長の自伝を読み、感動して入門した。11年にプロデビューからWBOアジア太平洋バンタム級王座を獲得し、18年には東洋太平洋スーパーバンタム級王者も獲得。現在はWBCでも世界8位につける。海外に強いパイプを持ち、選手層も厚く練習環境にも恵まれた名門ジムで、世界を目指していく。次戦は秋に予定している。

美ノ海再十両望み、引退大喜鵬に花道飾りたい一心

美ノ海(2019年3月22日撮影)

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇22日◇東京・両国国技館

東幕下6枚目美ノ海(ちゅらのうみ、26=木瀬)が再十両に望みをつないだ。7番相撲で王輝に下手ひねりを決め、5勝2敗とした。十両の下位、幕下上位の勝敗状況次第だが、3場所ぶりに十両復帰の可能性がある。

「そうですね。でも、あまりそのへんは考えずに相撲をとりました。それより(元幕内の)大喜鵬さんが引退なので、変な相撲だけはとりたくなかった」。鳥取城北高-日大の先輩の花道を飾りたい一心だったという。

弟で西十両13枚目の木崎海はこの日、勝ち越しを決めた。木崎海は先場所が新十両で兄と“行き違い”だった。兄弟同時関取の希望は残ったことになる。

王輝、錦富士が新十両昇進 再十両は2人

王輝(20年1月撮影)

日本相撲協会は5日、大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、十両昇進の4人を発表した。

初めて関取の座を射止めた新十両は2人で、王輝(24=錣山)と錦富士(24=伊勢ケ浜)。王輝は元関脇寺尾の錣山親方が育てた5人目の関取となった。7月場所は西幕下2枚目で5勝2敗だった。錦富士は東幕下3枚目で5勝2敗だった。

再十両は2人。最高位が東前頭筆頭の千代の国(30=九重)は、昨年夏場所以来7場所ぶりの復帰。7月場所は西幕下12枚目で7戦全勝優勝を果たした。北はり磨(34=山響)は、7月場所は西幕下3枚目で5勝2敗。17年秋場所以来、17場所ぶりの関取復帰となった。これが8度目の十両昇進で、希善龍の9度に次いで須磨ノ富士と並び2番目という記録になった。

新十両昇進の錦富士「次は勝ち越して上にいくこと」

錦富士(20年3月撮影)

日本相撲協会は5日、東京・両国国技館で大相撲秋場所(9月13日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、錦富士(24=伊勢ケ浜)の新十両昇進を決めた。錦富士は両国国技館で、オンラインによる新十両会見に出席。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)も同席した。

16年秋場所で初土俵を踏み、約4年で新十両に昇進した。東幕下3枚目だった昨年秋場所で左肘を負傷して手術。翌九州場所は全休したが、今年の初場所で復帰し、3月の春場所で幕下優勝。7月場所は14日目の七番相撲で5勝目を挙げ、十両昇進を決定的にした。「ケガして苦しい時に師匠や安治川親方(元関脇安美錦)、楯山親方(元前頭誉富士)、照ノ富士関や翠富士関、照強関とか、たくさんの人に声をかけてもらって頑張ってきた。そのことがよぎって目が熱くなった」と振り返った。

心強い同期が部屋にいる。十両翠富士は近大の同級生であり、入門も同じ16年秋場所。対抗心を燃やしながら同じように番付を上げてきたが、翠富士は春場所で新十両昇進と先を越された。「幕下にいた時は僕が常にちょっと上にいた。でも休場している間に先を越されて、うれしい気持ちと悔しい気持ちと焦りの気持ちと、いろんな気持ちがあった」という。しかし、気持ちを落とすことなく奮起。翠富士からは早速「来場所から一緒に土俵入りできるな」と声をかけられたといい「負けてられないなと思いながら、うれしい思いもあった」と笑みを浮かべた。

返り入幕だった照ノ富士が復活優勝を果たすなど、伊勢ケ浜部屋にとって明るい話題が続くこととなった。錦富士は「場所前から自粛生活が続いている中で、伊勢ケ浜部屋旋風を起こそう、と照ノ富士関を中心に言ってた。今場所はそういう面でも各自が頑張っていたと思う」と団結秘話を明かした。伊勢ケ浜親方は「もっと前に出る相撲を。まだまだ取り切れていない。自分から攻める相撲が取れれば幕内もいけると思う」と期待。錦富士は「とりあえずは次の場所で勝ち越して上にいくことです」と意気込んだ。

YOSHI-HASHI初タイトル 同門対決制す

オカダからベルトを腰に巻いてもらうYOSHI-HASHI(新日本プロレス提供)

<新日本プロレス:後楽園大会>◇9日◇東京・後楽園ホール

メインのNEVER無差別級6人タッグ王座決定トーナメント決勝戦は、後藤洋央紀、石井智宏、YOSHI-HASHI組が、オカダ・カズチカ、矢野通、SHO組との「CHAOS」同門対決を制し、第21代王者となった。

互いの手の内を知る6人が激闘を繰り広げた。YOSHI-HASHIが、オカダと一進一退の攻防を展開。オカダのドロップキック、ツームストンパイルドライバー、変形コブラクラッチを耐え抜くと、カウンターのラリアットで逆転。リング中央でバタフライロックにとらえると、ギブアップ寸前まで追い込むなど、勢いをつけた。

連係も良く、20分を過ぎると、SHOを孤立させることに成功。石井が打撃戦でペースを呼び込むと、最後は垂直落下式ブレーンバスターからの片エビ固めで、24分18秒、3カウントを奪った。

07年に新日本に入門したYOSHI-HASHIは、待望のタイトル初戴冠。戦いを終えたオカダから腰にベルトを巻いてもらうと「ようやく、ベルトを取ることができました。物事は変わるのは一瞬。でも、毎回変わっていたら、そんな人生楽しくないよ。なかなかうまくいかないから、楽しいんだ。もしもつまずいても、また立ち上がればいいんだ」と喜びをかみしめた。

ファンの温かい拍手が会場を包むと、「物事が変わるのは一瞬だ」と熱いマイクで締めくくった。

石井は「YOSHI-HASHIがすべて。ここにくるまで、ゆっくりだけど、着実に前に歩いてきた。その証しだよ。周りに何を言われようが、どう思われようが、たどり着けばいいんだ。今まで、いろいろ言ってきたやつを黙らせるぐらいの試合をやればいいんだよ」とたたえた。

後藤は「YOSHI-HASHIから夢をもらった。諦めなければこうして結果はついてくるってこと」と話した。

式秀部屋稽古再開へ 親方は協会に呼ばれ血圧上昇も

式秀部屋の看板(2017年1月撮影)

力士9人が逃げ出す騒動のあった式秀部屋が、早ければ11日にも稽古を再開することが10日、分かった。相撲部屋は一般的に本場所後の1週間は休みにあてるため、多くの部屋は10日から再始動しているが、式秀部屋は1日遅れで動きだす。

9、10日の2日間をかけて、式秀親方(48=元幕内北桜)は力士1人ずつと向き合って面談を行った。20人全員と腹を割って話し合い、これまでの不満や今後への改善点などについて確認したとみられる。面談には、あえておかみさんは同席せずに実施したという。

力士9人が4日に逃げ出した主な理由は、おかみさんによるいきすぎた生活指導にある。今年に入って式秀親方は体調を悪化させ、おかみさんを「師匠代行」に任命した。おかみさんは、新型コロナウイルス感染予防に敏感になり、グループラインで連日、長文の指示を送信。張り切りすぎがエスカレートし、多くの力士にとって心的負担になっていた。

逃げた力士は5日に部屋に戻り、日本相撲協会のコンプライアンス委員会からの聞き取り調査も受けた。式秀親方は6日の師匠会に出席したが、つえをついて歩いていたという。同席した別の親方は「みんなの前で『迷惑をおかけしました』と普通に話していた。コンプライアンス委員会に呼ばれて、また血圧が上がったらしい」と明かした。力士の師匠への信頼は変わらないため、部屋の正常化は式秀親方の健康状態にかかっている。

式秀部屋の稽古場(17年1月撮影)

78歳グレート小鹿が9月防衛戦「暴れ回るからな」

防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)

新潟プロレスは10日、1月以降、新型コロナウイルス感染症のため中断していたプロレス大会を9月12日より再開すると発表。

新潟タッグ王者で世界最年長ベルト保持者のグレート小鹿(大日本)が、78歳になって初の防衛戦を9月13日、新潟市東区プラザ大会で行うことが決定した。9月12日には、新潟無差別級選手権が同市のサントピアガーデンで行われ、王者河上隆一(大日本)に、ビッグ・THE・良寛(新潟)が挑戦する。シマ重野(新潟)と中断前の1月に5度目の防衛を果たした小鹿は、6度目の防衛戦を前に「コロナで大変な思いをしたが、ボクは、それをいい方向に考えている。コロナのおかげで、ギネス記録認定を目指す最年長防衛記録が1歳伸びたからね。新潟プロレスも大日本プロレスもコロナには負けない。ボクも、どんどん防衛記録を伸ばして、リングの上で暴れ回るからな。ワッハッハ」と意気盛んだった。

防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)
防衛戦再開が決まったグレート小鹿(左端)

大島親方が先代武隈親方悼む「よく飲みにも行った」

大島親方(17年6月11日撮影)

9日に67歳で死去した大相撲の元前頭蔵玉錦(ざおうにしき)の先代武隈親方について、親交の深かった大島親方(元関脇魁輝)が11日、故人との思い出を振り返った。

65年秋場所に初土俵を踏んだ大島親方が5年早く入門したが、2人は同学年だった。弟弟子の元前頭王湖が先代武隈親方と同期生だった縁もあり、仲が深まったという。「ザオウ(蔵玉錦)が関取になったくらいからよく話すようになった。巡業に行けば山稽古もしょっちゅうやった。昔は山稽古が普通だったから。夜はよく飲みにも行ったね。黒姫山さん(先々代武隈親方)や俺が教習所で一緒だった佐渡ケ嶽部屋の琴ケ嶽とかも交えてよく行ったね」。

先代武隈親方は元横綱柏戸の鏡山部屋で育った。「良くも悪くも周りのことを気にせず自分の道をいく。先代の鏡山さん(柏戸)の教育だったと思う。豪快に飲むやつだったけど、周りに迷惑をかけなかったし、切りのいいところで切り上げていた」と人柄を懐かしんだ。

最後に会ったのは「去年の暮れか今年の年明け」で、先代武隈親方はつえをついて歩いていたという。「腰のヘルニアだかで悪かったのは聞いていたし、心配してた」と話した。

先代武隈親方の弟弟子だった鏡山親方(元関脇多賀竜)は「早く亡くなったことに驚いた。ご冥福をお祈りするしかない」と悼んだ。