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【新日本】KENTA、ダーティーファイトで鈴木みのる破り初防衛 試合後には暴言連発

STRONG無差別級で初防衛に成功した王者・KENTAは珍しい路上でインタビューを受ける(新日本プロレス提供)

<新日本:Multiverse United:Only The STRONG Survive>◇30日(日本時間31日)◇米・カリフォルニアGlobe Theatre

新日本プロレスとIMPACT WRESTLINGの合同興行「Multiverse United:Only The STRONG Survive」が行われた。第7試合ではSTRONG無差別級で、第3代目の王者のKENTAが、挑戦者の鈴木みのるに勝利し、初防衛に成功した。

序盤からKENTAは、鈴木へ挑発行為。最後はレフェリーをつかんで転倒させると、そこから横入り式エビ固めで、まんまと3カウントを奪った。

試合後、珍しく? 路上で行われたインタビューでは「おい、見たか? 俺が勝った。王座防衛した。これは俺の王座だ。言わせてもらおう。ここの観客はあほだ。愚か者たちだ。誰も真のレジェンドが誰か分かっていない。俺だ! 俺だよ! だからロサンゼルスは嫌いなんだ」と興奮冷めない様子だった。対戦相手の鈴木は怒り心頭の様子だったが、KENTAがダーティーファイトで勝利を飾った。

STRONG無差別級で王者KENTAへビッグブートを浴びせる挑戦者の鈴木みのる(新日本プロレス提供)
STRONG無差別級で初防衛に成功した王者・KENTA(新日本プロレス提供)

92年10月 宮沢りえと婚約発表/貴乃花光司年表

91年5月、初日に千代の富士を破る

元横綱の貴乃花親方(46)が日本相撲協会に退職の届け出を提出したことで、花田家が大相撲界から完全決別することになる。1946年(昭21)、伯父で元横綱初代若乃花の花田勝治氏(享年82)が、二所ノ関部屋に入門してから72年。父で元大関貴ノ花の故満氏(享年55)、兄で元横綱3代目若乃花の虎上(47)と重ねた幕内優勝回数は、39回に及ぶ。

<貴乃花光司年表>

◆1972年(昭47) 杉並区阿佐谷生まれ。

◆83年 小学5年でわんぱく相撲の全国大会優勝。

◆85年 明大中野中に進学。

◆88年2月 兄勝とともに父の藤島部屋に入門。

◆88年3月 貴花田のしこ名で春場所で初土俵。

◆89年3月 春場所で序の口東11枚目で5勝2敗

◆89年5月 幕下東48枚目で7戦全勝で優勝。16歳9カ月での幕下優勝は史上最年少。

◆90年3月 春場所は西十両3枚目で臨み9勝6敗。場所後に17歳8カ月での新入幕昇進を果たした。

◆91年3月 春場所東前頭13枚目で初日から27年ぶりの11連勝。敢闘賞、技能賞のダブル受賞を果たす。

◆91年5月 夏場所では西前頭筆頭まで番付を上げ、初日に横綱千代の富士と対戦し、18歳9カ月での史上最年少金星を獲得。

◆92年1月 初場所は東前頭2枚目。14勝1敗の好成績で初優勝。

◆92年10月 秋場所後に女優宮沢りえとの婚約発表。世紀のカップル誕生は社会現象となった。

◆93年1月 東関脇で迎えた初場所は11勝4敗。20歳5カ月で大関昇進を果たし、その直後にしこ名を貴花田から父親と同じ貴ノ花に改名。また、宮沢りえとの破局が明らかになった。

◆94年9月 西大関として初の全勝優勝。場所後に貴ノ花から貴乃花に改名した。

◆94年11月 九州場所で2度目の全勝優勝。秋場所初日から30連勝で、第65代横綱に昇進。11月23日の昇進伝達式では「不撓(ふとう)不屈」(大関昇進時も使用)「不惜身命」の4文字熟語で横綱昇進への決意を示した。

◆95年5月 元フジテレビアナウンサーの河野景子と結婚。同年9月に長男優一氏が誕生。

◆01年5月 初日から13連勝も14日目の大関武双山戦で右膝半月板損傷の大けが。千秋楽に完敗し、決定戦で武蔵丸を上手投げで破り優勝、表彰式で当時の小泉首相から「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」の名文句が飛び出した。

◆03年1月 最後の場所となった初場所、4勝4敗1休で、30歳5カ月で相撲人生にピリオドを打った。

◆04年6月 正式に二子山部屋を継承。名前は貴乃花部屋に変更した。

◆05年5月 父の二子山親方(元大関貴ノ花)が口腔底がんのため死去。

◆10年1月 初場所後の理事選に立候補することを表明。二所ノ関一門を離脱してまで単独で立候補する貴乃花親方の行動は一門の枠を超えて親方衆に影響を与え、落選必至と言われた中で当選を果たし「貴の乱」と言われた。

◆10年5月 貴乃花グループと呼ばれていた派閥は「貴乃花一門」に。

◆16年1月 初場所後の理事選で4選を果たし、理事長選に出馬も6対2で現在の八角理事長に完敗。

◆18年6月 貴乃花一門は、貴乃花親方が離脱したため消滅。

◆18年9月 25日に相撲界からの引退を発表。

88年2月、角界入りのあいさつをする、左から藤島親方、花田勝、花田光司、花田憲子さん
花田家の家系図

元大関の大麒麟が死去 74年引退68歳

66年5月、うっちゃりで柏戸を破る麒麟児(のちの大麒麟)

 大相撲の元大関大麒麟で元押尾川親方の堤隆能(つつみ・たかよし)氏が4日、死去した。日本相撲協会関係者によると、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内で亡くなった。68歳。佐賀市出身。葬儀・告別式は近親者による密葬で済ませるという。

 58年夏場所に二所ノ関部屋から初土俵。柔らかい体を生かし、つり、うっちゃりを得意とした。兄弟子の横綱大鵬から「天才」と言われる取り口で、3賞受賞は9回。大関昇進は70年秋場所後で25場所在位した。優勝経験はなく、74年九州場所で現役を引退した。

 75年9月には、師匠の二所ノ関親方(元大関佐賀ノ花)没後の跡目を相続できず、小結青葉城、前頭天龍らを連れて部屋を飛び出し、独立を訴えて騒動になった。その後正式に分家を許され、同年10月末に独立し、押尾川部屋を創設した。

 師匠としては、関脇益荒雄(現阿武松親方)らを育てた。04年には相撲協会理事に就任し、審判部長を約2年間務めた。定年退職1年前の06年6月に64歳で同協会を退職。大の読書家で頭脳明晰(めいせき)、角界屈指の知性派としても知られた。

宝塚108期生コロナ禍乗り越えラインダンス 茉莉那ふみ「雑草のような期。しっかり根を」

初舞台公演の初日口上に臨んだ(前列左から)花海凛、茉莉那ふみ、彩姫みみ(撮影・村上久美子)

宝塚歌劇団に今春入団の108期生が23日、兵庫・宝塚大劇場で開幕した星組公演「めぐり会いは再び next generation」「Gran Cantante!!」で、初舞台を踏んだ。

一昨年春に宝塚音楽学校入学も、戦後初の入学式6月延期を経験。コロナ禍を乗り越えてのラインダンスに、娘役の茉莉那(まりな)ふみは「雑草のような期。失敗してもしっかり根をはって」挑んだ成果に胸をはった。宝塚千秋楽の5月30日まで出演。

横綱朝青龍の語録はこちら99~01年

初土俵時の朝青龍(99年撮影)

【1999年】

 ◆5月23日 「体を大きくして、千代大海関みたいな相撲を目指します」(夏場所で序二段で優勝)

 ◆7月16日 「今度は全部、モンゴルの家に送りたいと思います」(名古屋場所で三段目で優勝、その賞金について)

【2000年】

 ◆7月26日 「すごいうれしい。早過ぎる感じがする」(十両昇進が決定して)

 ◆11月14日 「火曜日に負けることが多いので緊張した。幕内はモンゴルにも中継されるからうれしい」(九州場所10日目、十両3枚目で幕内土俵で勝ち、勝ち越しを決めた後で)

 ◆11月28日 「テレビで見てたよ。強くてかっこよくて、モンゴルでも有名だから」(熊本・人吉巡業の朝げいこで横綱貴乃花の胸を借りて)

 ◆12月20日 「千代の富士のような力強いスピード相撲が目標です」(史上最速タイ所要12場所で新入幕果たして)

【2001年】

 ◆1月8日 「偉い人に勝ってうれしい」(初場所2日目、史上初のモンゴル対決となった旭鷲山に勝って)

 ◆1月11日 「顔、かっこよかったな、相手。でも怖かったよ」(初場所5日目、貴闘力を下して)

 ◆4月25日 「今日、初めて知った。そんなに速いのか」(初土俵から史上最速タイの14場所で3役昇進が決まって)

 ◆5月14日 「横綱の厳しい右を殺すことだけ意識した」(夏場所初日、横綱武蔵丸を下して)

 ◆10月2日 「昔のビデオを見たけどかっこいいよな。オレは相撲界の長嶋茂雄になるぞ」(長嶋茂雄氏の巨人監督の退任セレモニーに触発され)

川口春奈が泣いた!恋人矢地「最後の覚悟」逆転勝利

矢地の勝利に涙を流し喜ぶ川口春奈(撮影・滝沢徹郎)

<ベラトール日本大会>◇29日◇さいたまスーパーアリーナ

麒麟がくる前に矢地が来た!

米格闘技団体ベラトール初の日本大会が行われ、RIZINのお祭り男こと矢地祐介(29)が、上迫博仁(32)に3回4分36秒でTKO勝利。交際中でNHK大河「麒麟がくる」出演の川口春奈(24)が会場で見守る中、3連敗から脱出した。

  ◇  ◇  ◇

「ヤッチくんでーす!」とお祭り男矢地の明るい声がさいたまスーパーアリーナに響き渡った。RIZIN3連敗中と崖っぷち。しかも、交際中の女優川口春奈がお忍び観戦。見えないプレッシャーを抱えながら臨んだ一戦だった。1、2回と上迫に押されていたが、3回に右フックで上迫を倒し、ひざまずいたその顔に左足でサッカーボールキックでトドメ。レフェリーストップで逆転勝利を決めた。勝利直後にカメラで映された川口は、顔を覆って泣いていた。

崖っぷちの悲壮感をあえて消した。16年末のマリオ・シスムンド戦でRIZINデビューして以来5連勝をおさめたが、そこから3連敗。ここで4連敗したら、引退の可能性もあると想像はふくらませた。「その時に最後の試合楽しめなかったと思うのは嫌だった。最後になってもいいように楽しむ覚悟でやりました」。最後のサッカーボールキックは「練習でもやったことない。幼い頃に数年やっていたサッカーが生きたかな」。試合を楽しむ心が、勝利を引き寄せた。

今年7月に朝倉未来に敗れて以来、頻繁に他のジムに出稽古し、基礎から技術を見直した。打ち合う時に目を背ける弱点がこの日も出てしまった点は反省したが、「1歩前に出れた気がした。うれしい」と自らの進化を喜んだ。

恋人川口が応援に来たことに関しては「ノーコメント」と笑ったが、その交際報道で知名度は一気に高まった。「RIZINのリングで試合してほしい、とファンのみなさんや関係者の人に思ってもらえるように勝つのみ」と浮上を宣言した。【高場泉穂】

◆矢地祐介(やち・ゆうすけ)1990年(平2)5月13日、東京都生まれ。08年から山本“KID”徳郁のもとで本格的に総合格闘技を始める。09年4月の修斗でプロデビュー。16年大みそかにRIZINデビューし5連勝も、18年8月から3連敗。176センチ、71キロ

矢地対上迫 矢地の勝利に喜ぶ川口春奈(撮影・滝沢徹郎)
矢地対上迫 矢地の勝利に涙を流し喜ぶ川口春奈(撮影・滝沢徹郎)
矢地対上迫 上迫(左)の顔面を蹴り上げノックアウト勝ちした矢地(撮影・滝沢徹郎)
矢地対上迫 試合後、笑顔であいさつする矢地(撮影・滝沢徹郎)

【BreakingDown7・5】ジョリー、啓之輔と“因縁の勝負”制す 前回に続き判定勝利

ジョリー対啓之輔 パンチを放つジョリー(左)(撮影・横山健太)

<格闘技イベント:BreakingDown7・5>◇第5試合◇31日◇都内

安保瑠輝也のYouTubeチャンネルメンバーのジョリーが、Mr.アウトサイダーこと啓之輔との“因縁の勝負”を制した。1分3Rの特別ルール。4R目へ突入し、最終的にジョリーが判定2-1で勝利を奪った。

第1Rで、ジョリーが1度目のダウンを奪った。だが、すぐさま攻撃を加えたことで、レフェリーからダウンが取り消しが言い渡された。第4Rでは、啓之輔が得意の膝蹴りの際に、ジョリーをつかんだとして、警告が与えられた。

「BreakingDown7」からの再戦となった。前回もジョリーが、延長戦の末に啓之輔に判定勝利していた。互いに完全決着を希望した中で、ジョリーが2連勝を奪った。

ジョリー対啓之輔 判定の末に勝利したジョリー(撮影・横山健太)
ジョリー対啓之輔 蹴りを放つジョリー(右)(撮影・横山健太)
ジョリー対啓之輔 蹴りを放つ啓之輔(撮影・横山健太)
ジョリー対啓之輔 判定の末に敗れリングを後にする啓之輔(撮影・横山健太)

琴欧洲親方が断髪式…部屋独立に意欲

琴欧洲の断髪式ではさみを入れ言葉をかける白鵬(撮影・鈴木正章)

 大相撲で欧州出身初の大関で初優勝も遂げた琴欧洲親方(31)が4日、東京・両国国技館で引退相撲を行った。

 横綱白鵬や父ステファンさんら約350人がはさみを入れた。入場券が完売する中、師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)に大銀杏(おおいちょう)を切り落とされた同親方は「満員御礼で、私の胸がつまって言葉が出ない。大勢のみなさんに『頑張れ、頑張れ』と言われるたびにグッときた。世界一幸せな男だ」と感謝した。

 今年1月には日本国籍を取得しており、今後について「自分を超える力士を育てたい。出来るか出来ないかは話は別だが(部屋を)持ちたい」と独立の意向をあらためて示した。

 琴欧洲親方は02年九州場所で初土俵を踏み、202センチの長身とイケメンで「角界のベッカム」として人気を博した。06年初場所に大関昇進し、在位47場所は史上4位。現役最後の相手となった白鵬は「彼と私で朝青龍関を追い掛けた。ライバル意識がありました。上半身の力は把瑠都関と2人で東西の横綱だった」と話した。

 同時期に同部屋に入門して切磋琢磨(せっさたくま)してきた大関琴奨菊も「努力を教えてくれた。ケガとの闘いもあったけれど、孤独の中で引退ということでお疲れさまと言っていいのか分からない。でも引退してからの方が元気だね」。親方としての相撲人生にも期待を寄せた。

奨菊「今回は結婚」自作絵本でがぶり寄り

婚約者の祐未さん(左)の頬に照れながらキスする大関琴奨菊(撮影・神戸崇利)

 大関琴奨菊(31=佐渡ケ嶽)が20日、千葉県松戸市の部屋で会見し、長野県在住の石田晃さんの次女で東京都出身の元会社員、祐未(ゆみ)さん(28)と婚約したことを発表した。昨年10月の鳴戸親方(元大関琴欧洲)の断髪式前日に、自らの成長ストーリーをしたためた手製の「絵本」をつくってプロポーズ。ロマンチストな大関は、より高みを目指すことを誓った。近日中に婚姻届を提出する。

 顔がとろけていた。琴奨菊の表情は、笑顔で崩れっぱなしだった。交際1年半での婚約。「常に明るく支えてくれて、頑張っていこうと思えたのは彼女の存在でした。これからの人生を一緒に乗り越えられたら」と照れながら打ち明けた。

 立ち合いの圧力で一気に持っていく大関らしい? プロポーズが秘策だった。「今回は…あっ、今回はって…。ハハハハハ」と自ら昔の婚約解消騒動を想起させる言葉を発してしまったが、持ち前の明るさで笑いに変えると「絵本を作り、絵本の中に指輪を入れてプレゼントしました」。

 地元柳川の名物、どじょうなどを登場させて自らが成長していく物語を、知人の協力で6ページの絵本に描いた。結末は「いい嫁がいる」というごほうび。昨年10月3日の鳴戸親方の断髪式前日。読み聞かせた絵本から実際に「ヴァンクリーフ&アーペル」の婚約指輪を取り出して結婚を申し込んだ。「気持ちが伝われば」という大関に、祐未さんは「涙でよく覚えていないけど、長い時間かけて作ってくれたと聞き、とてもうれしかった」と振り返った。

 4年間、スウェーデンで生活して英語やスウェーデン語、ロシア語に手話もできる祐未さんを「自分にはもったいない」と話す琴奨菊。子どもは「3人欲しい」と望む伴侶とは今年から千葉県内で暮らす。初場所は負けるとプリンやケーキを買って帰ったが「なるべく多く懸賞金を持って帰れるように。もう1度、頑張らないといけない」。絵本はハッピーエンド。その後の結末も、幸せに彩る決意を込めた。【今村健人】

<琴奨菊が作製した絵本>

 地元福岡・柳川の城主である立花家のお殿さまがある日、お堀に足を浸していると、柳川のどじょうがやってきた。「お殿さま、菊次家の三男坊に、相撲の強い人がいるんです」と、相撲の強い「琴奨菊」を紹介。お殿さまにひいきにされ、すくすくと育っていく。やがて各地にライバルが現れる。高知の四万十川のうなぎは、豊ノ島が強いと言い、下関では豊響の名も…。ライバルと切磋琢磨(せっさたくま)しながら大関に上り詰めた琴奨菊はやがて「プレゼントを与えよう。いい嫁さんが見つかったから一緒になってはどうだ」と祐未さんを紹介される。すると絵本の中から「ヴァンクリーフ&アーペル」の婚約指輪が登場。それを祐未さんに渡してプロポーズした。

統一王者・寺地拳四朗の新挑戦者オラスクアガ「チャンスは2度と来ないかも」公開トレで必勝誓う

公開練習を行う寺地拳四朗と対戦するオラスクアガ(撮影・中島郁夫)

プロボクシングWBA世界フライ級2位アンソニー・オラスクアガ(24=米国)が急きょ決まった自身初の世界挑戦に胸を躍らせた。4月8日、東京・有明アリーナでWBAスーパー、WBC世界ライトフライ級王者寺地拳四朗(31=BMB)に挑戦することが29日に正式発表された。30日には東京・新宿区の帝拳ジムで練習を公開。アマで48勝16敗で国体優勝の経験もあるプロ2勝(2KO)の小川寛樹(24=帝拳)と2回のスパーリングを披露した。

スピードと力を兼ね備えた動きをみせたオラスクアガは「今はワクワクしている。世界王者になることが目標でチャンスが来た。チャンスが2度と来ないかもしれないので受けた。受けたからには勝ちたい」と強い決意を示した。

寺地と3団体王座統一戦に臨む予定だったWBO世界同級王者ジョナサン・ゴンサレス(31=プエルトリコ)がマイコプラズマ肺炎で来日不可能となり、白羽の矢が立った。4月15日に韓国で試合が組まれていたため、今月13日から日本で調整していた。1週間前倒しの急ピッチ調整となったが、指導するルディ・エルナンデス・トレーナーは「韓国の試合に向けて練習は続けていた。それが1週間早まり、ライトフライ級になっただけ。減量の問題もない」と強調した。

昨年9月、オラスクアガは米ロサンゼルスで練習した寺地とスパーリングしている。オラスクアガは「これまでは対戦相手として意識したことはなかったが、今回のオファーを受けて受けない手はないと思った。今は対戦をイメージするようになった。強い選手であり、ジャブが強い選手だと知っている。自分にとっても最高の試合になるだろうし、素晴らしい機会になると思う」と気持ちを引き締めた。

同じエルナンデス・トレーナーに師事する前WBO世界フライ級王者中谷潤人(M・T)とは「盟友」となる。14~15歳の頃からの知り合いで、中谷が同トレーナーのもとに練習に来た際には一緒の部屋で生活していたそうで「本当に家族みたいな関係です」と笑顔。昨年11月に初来日し、中谷のスーパーフライ級転向第1戦も会場で見守っていた。

アマ戦績は23勝1敗で、全米アマのフライ級1位を下した後、プロに転向した。プロ戦績は5勝(3KO)ながらも、既にWBAランキングで2位と上位に入るなど実力は評価されている。エルナンデス・トレーナーは「本来なら6試合から10試合ぐらいで世界挑戦させたいと計画していたが、思ったよりも早く来たというのが今回の試合」と大きな期待を寄せていた。

公開練習を行う寺地拳四朗と対戦するオラスクアガ(撮影・中島郁夫)
ファイティングポーズするオラスクアガ(撮影・中島郁夫)
公開練習を行う寺地拳四朗と対戦するオラスクアガ(撮影・中島郁夫)
公開練習を行う寺地拳四朗と対戦するオラスクアガ(撮影・中島郁夫)
公開スパーリングを行う寺地拳四朗と対戦するオラスクアガ(撮影・中島郁夫)
公開スパーリングを行う寺地拳四朗と対戦するオラスクアガ(撮影・中島郁夫)
ファイティングポーズするオラスクアガ。左はルディ・エルナンデス・トレーナー(撮影・中島郁夫)