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ボクシングニュース

憧れのトリニダードの左フック/村田諒太の一撃

フェリックス・トリニダード

<ボクシング、忘れられない一撃~20>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。WBA世界ミドル級王者村田諒太(34=帝拳)が影響を受けた一撃は「トリニダードの左フック」。00年のWBA世界スーパーウエルター級王者フェリックス・トリニダード(プエルトリコ)-IBF同級王者フェルナンド・バルガス(米国)は全勝同士の注目の王者対決となった。「倒し、倒され」の死闘の幕開けとなった一撃を、村田が語った。(取材・構成=奥山将志)

    ◇    ◇

▼試合VTR 00年12月2日。デビューから38戦全勝、2階級制覇を果たしていたトリニダードが、同じく20戦全勝のバルガスとの統一戦に臨んだ。村田が選んだ左フックは試合開始からわずか20秒。バルガスのジャブをよけた瞬間、強烈な左が顎を捉えた。後ろによろけるバルガスに、一気に連打を浴びせ、最初のダウンを奪った。同回にもう1度ダウンを加えたが、そこからバルガスも反撃。4回に左フックでダウンを返すなど、互いの意地がぶつかる激闘となった。試合は最終12回、トリニダードが3度のダウンを奪い、王座統一を果たした。

    ◇    ◇

いろんな候補が頭に浮かびましたが、やっぱり、自分の人生で一番見た試合、バルガス戦の最初の左フックですね。「一撃」って、その一発で試合が決まる「一撃」もありますが、この試合では「これで決まっただろう」という一撃が、実はシーソーゲームの幕開けだった。そして、12回の劇的なKOです。倒しきるところがトリニダードがスーパースターであるゆえんだと思いますし、ボクシングの醍醐味(だいごみ)が詰まった一戦だと思います。

技術的には、バルガスはガードを少し顔から離し、前気味に構える選手です。右のガードが顎についていないところからジャブを打つ。本来、ジャブの距離は左フックを合わせる距離ではないんですが、バルガスはジャブをストレート気味に打つので若干ですが深くなる。とはいえ、決して、不用意なパンチではないです。その一瞬を開始直後にドカーンと合わせる。そこが、トリニダードのすごさだと思います。

当時、僕は中学3年生で、テレビをかじりつくように見ていました。全勝対決でしたし、どっちが勝つんだろうと、興奮して見ていましたね。ボクシングをするのにじゃまだと思って髪の毛を丸め、ようやく自分が生きる道を見つけた時期です。中途半端に何も続かなかった自分に変わるきっかけを与えてくれたのがボクシングでした。その最初のスターがトリニダード。初恋のボクサーですね。

トリニダードの魅力は、ころっと倒れたかと思えば、立ち上がって、倒す。試合が本当に面白かった。そこがすべてですね。自分が世界王者になった今でも、トリニダードのことを考えることがあります。自分と比べて、まだ足りていないなと思ったり。米国人ではない人間が人気を得るには、トリニダードぐらいやらないといけない。ずっと頭の中にある存在ですし、そういう意味では、今でも影響を受けていますね。

僕は成長するために、人に憧れたり、人をまねることはとても大切だと思っています。自分ではああいう膝が立ったボクシングはできませんでしたが、中学時代からさんざんまねもしました。ああなりたいという気持ちは頑張る助けになります。僕も、トリニダードに憧れ、いつか自分も人から憧れられる存在になりたいと思ってやってきました。あらためて考えても、あの試合は僕にとって特別な試合ですね。

◆村田諒太(むらた・りょうた)1986年(昭62)1月12日、奈良市生まれ。伏見中1年で競技開始。南京都高(現京都広学館高)で高校5冠。東洋大で04年全日本選手権ミドル級で優勝など。11年世界選手権銀メダル、12年ロンドン五輪で日本人48年ぶりの金メダルを獲得。13年8月にプロデビューし、17年10月、WBA世界ミドル級王座を獲得し、日本人で初めて五輪金メダリストがプロ世界王者になった。家族は佳子夫人と1男1女。

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末吉大が引退表明「ボクシングに出会えてよかった」

末吉大

ボクシング前日本スーパーフェザー級王者末吉大(29=帝拳)が現役を引退した。10日にブログを通じて表明した。

17年10月に初挑戦で日本王座を獲得したが、昨年12月に5度目の防衛に失敗していた。「コロナとかは関係なく、12月の試合が終わってしばらく考えて、このような結論に至りました。100%自分で出した結論です」と記した。

世界挑戦には届かなかったが「ボクシングに出会えてよかったし、ボクシングを通じてできた経験、出会えた人々、すべてが最高でした」とつづった。

末吉は5歳で空手、中1でキックボクシングをへて、千葉経大付でボクシングを始めた。東洋大に進学もプロで世界王者を目指して2年で中退。11年6月に帝拳ジムからプロデビューした。

12年の東日本新人王準々決勝では、のちの世界王者伊藤雅雪(横浜光)に僅差判定で初黒星を喫した。その後はB級トーナメントを制し、13連勝で日本王座を獲得。18年には東洋太平洋同級王者三代大訓(ワタナベ)と2冠統一戦に臨むも引き分けた。通算19勝(11KO)2敗1分け。

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ロマチェンコ恐ろしく芸術的な軽打/岩佐亮佑の一撃

ロマチェンコ(2019年12月5日撮影)

<ボクシング、忘れられない一撃~19>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。IBF世界スーパーバンタム級暫定王者岩佐亮佑(30=セレス)があげたのは、現ライト級3団体統一王者ワシル・ロマチェンコ(32=ウクライナ)の「心を折る軽打」。世界が注目した「五輪2大会連続金メダリスト対決」で、ギジェルモ・リゴンドー(キューバ)を翻弄(ほんろう)した戦いを語りました。(取材・構成=奥山将志)

◇     ◇    ◇

▼試合VTR 17年12月9日、米ニューヨークで、08年北京五輪、12年ロンドン五輪金メダルのWBO世界スーパーフェザー級王者ロマチェンコが、00年シドニー五輪、04年アテネ五輪金メダルのリゴンドーの挑戦を受けた。高い技術戦が期待されたビッグマッチだったが、「ハイテク」の異名を取るロマチェンコが、その強さを見せつける展開となった。ジャブの差し合いで早々にペースを握ると、2回以降は手数を重視した軽いパンチと、出入りのスピードでリゴンドーを圧倒。一方的な展開で迎えた6回終了時に「キューバの英雄」が棄権を申し出た。これにより、ロマチェンコは、4試合連続で相手の棄権によるTKO勝ち。相手に何もできない絶望感を与える、その強さが際立つ一戦となった。

◇     ◇    ◇

相手の頭を触るような「パチ、パチ、パチ」という軽いパンチが、見ていて恐ろしく、芸術的とさえ感じました。あのリゴンドーに何もさせなかった。すごい試合でした。

ロマチェンコの特徴は、一発の強さはないですが、すべての種類のパンチを打てること。そして、相手の周りをぐるぐる回りながら、常に相手を触り続ける。一般受けする選手ではないかもしれませんが、対戦相手からすると、崩しにくい、本当に戦いにくい選手だと思います。

選手目線で見れば、学ぶべきところが多いですね。たとえばメイウェザーやハメドの動きはまねできませんが、ロマチェンコはできる。

ベースにあるのは運動量で、どれだけ動くんだというぐらい徹底して足を動かし、出入りのボクシングでペースをつかむ。防御も、ガードをしっかりして、上体の動き、膝の沈め方でパンチをかわす。ナチュラルな「天才」というより、基本を忠実に追い求め、努力でつくりあげた「天才」だと思います。

アマチュアのような戦いで、プロでも新たな形をつくりだしたロマチェンコ。学ぶべきところは多いですし、少しでも自分のものにしていきたいですね。

◆岩佐亮佑(いわさ・りょうすけ)1989年(平元)12月26日、千葉・柏生まれ。地元のセレスジム開設に合わせ、中2で入門。習志野高3年で3冠。アマ戦績60勝(42KO)6敗。08年プロデビュー。11年に日本バンタム級王者山中慎介に挑戦も失敗。2戦後に日本同級王座、13年に東洋太平洋同級王座獲得。15年に英国でIBF世界同級暫定王座決定戦での世界初挑戦は失敗。17年9月にIBF世界スーパーバンタム級王者小国を破り王座獲得。19年12月にIBF同級暫定王座を獲得し、王座返り咲きに成功。171・5センチの左ボクサーファイター。家族は両親と姉。

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戻ってきたマイク・タイソン氏!ミット打ち動画投稿

自らのインスタグラムにミット打ちの動画を投稿したマイク・タイソン氏(タイソン氏のインスタグラムより)

本格トレーニングを再開したと明かしていたボクシングの元世界ヘビー級王者マイク・タイソン氏(53)が11日、自身のインスタグラムで激しいミット打ちに取り組む動画を投稿した。チャリティー事業のエキシビションマッチに出場するため、先月から練習再開したと明かしていたが、最新の投稿では猛烈なスピードとパワーでミット打ちしている姿が編集され、最後にタイソン氏は「オレは戻ってきた」と宣言した。

タイソン氏は05年6月、ケビン・マクブライド戦で棄権による6回終了TKO負けを喫した後に現役を引退。その後、グローブを装着してリングに上がっていないものの、この最新の動画では、以前と比べてもタイソン氏の肉体は絞られているように見える。

同日、タイソン氏のインスタグラムのトレーニング動画を報じた英紙サンは早速、エキシビション戦の対戦相手を予想。ある情報提供者は「マイクがボクシングに戻った時はボクサーと戦うことになる」と明かしたと報じ、昨年、エキシビション戦への意欲をみせたイベンダー・ホリフィールド氏(57)を有力候補に挙げた。両者は現役時代、2度対戦した。特に97年の2度目対戦時には、タイソン氏がホリフィールド氏の耳をかむ事態となり物議を醸した。エキシビションとはいえ、実現すれば注目されるだろう。同紙によれば、ホリフィールド氏も「私は彼よりも4歳上ですが、問題ではない」と前向きだという。

タイソン氏が本格的にトレーニングを再開したことで、15年ぶりのリング“復帰”というムードは少しずつ高まっているようだ。

自らのインスタグラムで激しいミット打ち動画を投稿したマイク・タイソン氏(左=タイソン氏のインスタグラムより)

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佐伯霞「出産はボクシングより痛かった」第1子誕生

佐伯霞(2019年4月27日撮影)

ボクシングの元WBO世界女子ミニマム級王者・佐伯霞(23=真正)が2日に大阪市内の病院で第1子の男児を出産したと所属ジムが11日に発表した。

佐伯は「出産は想像よりはるかに痛くて、ボクシングより痛かった。一段落つけば、復帰に向けて頑張ります」とコメントした。

近大を中退し、18年5月にプロデビューした佐伯は、ランウエーモデルを務めるなど美人プロボクサーとしても注目された。19年4月に世界王座を獲得も、その後に返上。同年7月に一般男性と結婚した。

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高山勝成”定年”37歳に「人生はそう長くない」

高山勝成(2015年9月10日撮影)

プロボクシングのミニマム級で世界主要4団体を制し、アマチュアで目指した東京五輪出場はならず、プロに再転向した高山勝成(36=寝屋川石田)が11日、本来なら“定年”となる12日の37歳の誕生日を前に電話取材で心境を語った。

東京五輪の夢はかなわず、プロに再転向した高山は3月17日にプロライセンスを再取得。5月10日に復帰戦も組まれたが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった。

プロで国内での最後の試合から3年以上が経過しており、元王者らへの定年延長の特例措置には37歳の誕生日までに試合をしなければならなかった。陣営は“定年”延長の嘆願書を提出し、日本ボクシングコミッション(JBC)も状況を鑑みて認める方針とした。

高山は「14歳からボクシングを始めて、いろいろなことがあったが、あっという間の37歳。人生はそう長くないと、あらためて実感しています」。名古屋産業大に通う大学生でもあり、生活の拠点は愛知県にある。本年度で卒業見込みで、授業再開の準備をしながら、まだ具体的に決まっていない試合に向けてトレーニングを続けているという。

「年齢の壁を超えてもやれることを証明したいとか、そういう思いはあまりない。ただ自分が成し遂げたい。あと1、2年と思っているので、たどり着けるところまでやっていきたい」。この日、11日はヴィッセル神戸の元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタの36歳の誕生日だった。「知らなかった。1個下なんですね」と笑いながらも、「同じ世代なんで、この年まで第一線でやれているすごみを感じる。日々のトレーニング、栄養の取り方が試される年代ですから」。

大きな節目の誕生日も普通に過ごす。ただ「37歳になってもボクシングができること。これが自分にとって最高の誕生日プレゼントです」と言った。【実藤健一】

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亀田父がマスク1万枚寄贈「協力できてうれしい」

亀田姫月(中央)の母校、成南中にマスクを贈る史郎氏(右)

亀田3兄弟をボクシング世界王者に育て、現在はユーチューバーとして活躍する亀田史郎氏(54)が11日、大阪市内のゆかりある中学校にマスク計1万枚を寄贈した。

興毅、大毅、和毅の3兄弟と娘の姫月(ひめき)、そして自身が卒業した3校に各3150(サイコー)枚超を寄贈。緊急事態宣言期間が延長となり、大阪市内もいまだ休校期間中。各校が再開に向けて準備している状況で「大変ありがたい。学校が始まったら全生徒にマスクを渡します。助かります」と感謝の言葉を返されたという。

史郎氏は「学校では悪い存在やったし、今まで、役に立ったことがなかったからな。興毅らの時はばんばん電話かかってきて。ボクシング一本やったから、学校に途中から行かしたりするんも理解してくれた。世話になった学校に役立てた、協力できたんがほんまにうれしい」とやんちゃな過去を振り返ってかみしめた。

K-1選手の皇治(TEAM ONE)から回ってきた「マスクリレー」で、この輪を絶やすことなく今後もつないでいく。「あとどれぐらいかかるか分からんけど、早く日常が戻ってほしいな。子どもはやっぱり学校行って友だちと遊んで、勉強するんが3150(サイコー)! やから」と願った。

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パッキャオKOしたマルケスの右/川島郭志氏の一撃

ファン・マヌエル・マルケス

<ボクシング、忘れられない一撃~18>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元WBC世界スーパーフライ級王者川島郭志氏(50)の一撃は、4階級制覇したファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)の「パッキャオ戦の右ストレート」です。4度目の対戦で倒し倒され、最後はマルケスがKOで初勝利となった一撃です。(取材・構成=河合香)

▼試合VTR 12年12月に米ラスベガスで、WBO世界スーパーライト級王者マルケスが、前WBO世界ウエルター級王者マニー・パッキャオ(フィリピン)とウエルター級で対戦した。WBOが「過去10年間で最高王者」という認定ベルトをかけた決戦。両者は04年はフェザー級で引き分け、07年はスーパーフェザー級で2-1、11年の第3戦はウエルター級で2-0と、パッキャオが僅差判定も連勝していた。試合は3回にマルケスが右のロングフックでまずダウンを奪った。5回にはパッキャオが右ストレートでダウンを奪い返す。続く6回はパッキャオ攻勢も、ゴング寸前にマルケスが右ストレートで2度目のダウンを奪う。パッキャオは失神して6回2分59秒KO。まさに一撃KOで、マルケスが4戦目で初勝利となった。

  ◇   ◇   ◇

あの一撃は衝撃的だった。前のめりに倒れたパッキャオが、しばらくピクリともしなかった。5回にパッキャオがダウンを返して、やや有利になったかと思った6回。パッキャオが攻勢で、あの場面も右ジャブをついて出ていった。そこへマルケスが、きれいに右ストレートを決めた。

同じ相手との再戦は、互いに手の内を知っているので、大抵は慎重な戦いになるもの。3戦まではパッキャオが2勝1分けだったが、いずれもそう差はなかった。4度目の対戦に、互いに今度こそ決めてやろうと、実に攻撃的な試合だった。

マルケスは3回に左フックで最初にダウンを奪った。パッキャオはストレートで来ると思っていたと思う。そこへ外から打ち込んだ。最後もカウンター。マルケスのうまさも光った。

サウスポーに対しての左ボディーがうまい。下を打つふりをして上、上のふりで下と打ち分ける。パッキャオも下を意識させられた面もあっただろう。マルケスにはメキシコ人独特のリズムがある。日本人はとてもマネできない。あの体のうまさも強み。

パッキャオもリズムよく攻める。テクニックもあるが、階級を上げていくことでパンチ力優先になった。力ずくに変わっていった。そこにスキがあったのかも。それでもいまだ現役なのには驚かされる。

◆川島郭志(かわしま・ひろし)1970年(昭45)3月27日、徳島県海部郡海部町(現海陽町)生まれ。小さいころから父の指導を受け、海南高時代にインターハイ優勝。ヨネクラジムに入門し、88年に1回KOでプロデビュー。連続KO負けに左拳骨折の挫折を乗り越え、92年に日本スーパーフライ級王座を獲得し、3度防衛した。94年に世界初挑戦し、WBC世界同級王者ブエノ(メキシコ)からダウンを奪い、判定勝ちで王座を獲得した。97年に7度目の防衛に失敗して引退。通算20勝(14KO)3敗1分の左ボクサー。00年に東京・大田区内に川島ジムを開設した。

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マルケスの右にパッキャオ動けず/川島郭志氏の一撃

ファン・マヌエル・マルケス

<ボクシング、忘れられない一撃~18>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元WBC世界スーパーフライ級王者川島郭志氏(50)の一撃は、4階級制覇したファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)の「パッキャオ戦の右ストレート」です。倒し倒されの末に、4戦目で初勝利となった一撃です。(取材・構成=河合香)

▼試合VTR 12年12月に米ラスベガスで、WBO世界スーパーライト級王者マルケスが、前WBO世界ウエルター級王者マニー・パッキャオ(フィリピン)と対戦した。契約体重はウエルター級で、WBOが「過去10年間で最高王者」という認定ベルトをかけた決戦。両者は04年はフェザー級で引き分け、07年はスーパーフェザー級で2-1、11年の第3戦はウエルター級で2-0と、パッキャオが僅差判定も連勝していた。試合は3回にマルケスが右のロングフックでまずダウンを奪う。5回にはパッキャオが右ストレートでダウンを奪い返す。続く6回はパッキャオ攻勢も、ゴング寸前にマルケスが右ストレートで2度目のダウンを奪う。パッキャオは失神して6回2分59秒KO。まさに一撃KOで、マルケスが4戦目で初勝利となった。

    ◇    ◇

あの一撃は衝撃的だった。前のめりに倒れたパッキャオが、しばらくピクリともしなかった。5回にパッキャオがダウンを返して、やや有利になったかと思った6回。パッキャオが攻めていて、あの場面も右ジャブをついていった。そこへマルケスが、きれいに右ストレートを決めた。

同じ相手との再戦は、互いに手の内を知っているので、大抵は慎重な戦いになるもの。3戦まではパッキャオが2勝1分けだったが、いずれもそう差はなかった。4度目の対戦に、互いに今度こそ決めてやろうと、実に攻撃的な試合だった。

マルケスは3回に左フックで最初にダウンを奪った。パッキャオはストレートで来ると思っていたと思う。そこへ外から打ち込んだ。最後もカウンター。マルケスのうまさも光った。

サウスポーに対しての左ボディーがうまい。下を打つふりをして上、上のふりで下と打ち分ける。パッキャオも下を意識させられた面もあっただろう。マルケスにはメキシコ人独特のリズムがある。日本人はとてもマネできない。あの体のうまさも強み。

パッキャオもリズムよく攻める。テクニックもあるが、階級を上げていくことでパンチ力優先になった。力ずくに変わっていった。そこにスキがあったのかも。それにしても、いまだ現役なのには驚かされる。

◆川島郭志(かわしま・ひろし)1970年(昭45)3月27日、徳島県海部郡海部町(現海陽町)生まれ。小さいころから父の指導を受け、海南高時代にインターハイ優勝。ヨネクラジムに入門し、88年に1回KOでプロデビュー。連続KO負けに左拳骨折の挫折を乗り越え、92年に日本スーパーフライ級王座を獲得した。3度防衛。94年に世界初挑戦し、WBC世界同級王者ブエノ(メキシコ)からダウンを奪い、判定勝ちで王座を獲得した。97年に7度目の防衛に失敗して引退。通算20勝(14KO)3敗1分の左ボクサー。00年には大田区内に川島ジムを開設した。

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「悪魔王子」の右フック/井上真吾トレーナーの一撃

ナジーム・ハメド

<ボクシング、忘れられない一撃~17>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。

世界3階級王者井上尚弥(27=大橋)を指導する父の真吾トレーナー(49)は、「プリンス」「悪魔王子」の異名を取った元WBO、WBC、IBFフェザー級王者ナジーム・ハメド(英国)の「右フック」を選んだ。セイド・ラワル戦の衝撃の一撃を振り返った。(取材・構成=奥山将志)

    ◇    ◇    ◇

▼試合VTR 96年3月16日、前の試合でWBO世界フェザー級王座を獲得した当時22歳のハメドが、ナイジェリア人のラワルとの初防衛戦に臨んだ。

両腕を下げたままガードをしない。相手の攻撃はダンスを踊るようなステップと、柔らかな上半身の動きでかわす。ひとたび攻撃のスイッチが入れば、予測不能、変幻自在な動きからスピードに乗った強烈なパンチを放ち、KOの山を築く。そんな「天才」のV1戦はわずか35秒で終わった。

ゴングと同時に両者がゆっくりとリング中央に歩み寄ると、やや重心を下げながら急激にスピードを加速させたハメドが強烈な右フックを振り抜いた。後ろに崩れ落ちたラワルはどうにか立ち上がったが、ダメージは深く、その後右アッパー2発を浴びてストップ。ハメドが放ったパンチはわずか3発、ラワルは0発で試合が終わった。

    ◇    ◇    ◇

うそでしょ!? 世界戦でこんなことあるの!? って、この試合は本当に驚きましたね。当時、私は25歳。まだ尚弥も拓真もボクシングを始める前で、デラホーヤやトリニダードなど、海外の試合をよく見ていた頃です。

ハメドは、見たことがない独特のスタイルで、試合当時は、まだ穴を指摘されたり、実力が完全に認められる前だったと思います。

この右フックの瞬間は、放送したテレビの映像も、試合開始に合わせて、遠目から観客席を含めたリング全体を映していました。その直後、2人が接近した瞬間に、相手が倒れたので、最初は何が起きたのか分かりませんでした。

サウスポーから右にシフトして下から突き上げるようなアッパーでKOしたり、その動きは、とにかく予測不能。ただ、ガードこそしていませんが、防御をしながら、相手の攻撃はしっかりと見切っている。多くの選手がハメドのまねをしましたが、誰もあの域には近づけませんでした。

指導者の立場でみれば、参考にしにくいボクサーですが、変則的であれ何であれ、それを徹底して追求し、自分のものに出来れば、それは技術なんです。驚きという意味で、この試合、最初の右フックは忘れられないですね。

◆井上真吾(いのうえ・しんご)1971年(昭46)8月24日、神奈川・座間市生まれ。中学卒業後、塗装業の仕事に就いて修業。20歳で明成塗装を起業。ボクシングはアマで戦績2戦2勝。39歳でアマチュアの井上ジムを設立したが、長男尚弥の大橋ジム入門に合わせ、大橋ジムのトレーナーに就任。14年に最も功績を残したトレーナーに贈られる「エディ・タウンゼント賞」を受賞。家族は美穂夫人と1女2男。

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ハーンズ大の字!ハグラーの右/畑中清詞会長の一撃

畑中清詞会長(19年3月撮影)

<ボクシング、忘れられない一撃~16>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。

元WBC世界スーパーバンタム級王者で、4階級制覇を狙う田中恒成を指導する畑中清詞会長(53)の印象深い一撃は「ハグラーの右」。85年に行われた統一ミドル級王者マービン・ハグラー(米国)-のちの初の5階級制覇王者トーマス・ハーンズ(米国)は「黄金の中量級」と称された80年代を象徴する一戦。劣勢の展開からハーンズを沈めたハグラーの右ストレートを畑中会長が語った。(取材・構成=実藤健一)

▼試合VTR 85年4月15日、米国ラスベガスで行われたビッグマッチ。開始早々、スロースターターだったはずのハグラーが逆手にとるように仕掛け、打ち合いに持ち込む。パンチのキレはハーンズで1回にハグラーの右目上、2回には額から流血させる。3回、出血のドクターチェックを受けてストップの危険を感じたハグラーが一気にギアを上げ、サウスポースタイルから右構えにスイッチして猛ラッシュ。ハーンズの弱点あごに右をヒットさせてぐらつかせ、さらに右ストレートを打ち抜くと、ハーンズは大の字に倒れ、10カウントが告げられた。

◇ ◇ ◇

俺が18の時だから、すでにプロになってた時だね。映像で見たのは覚えているけど、テレビ中継なのか、後でビデオで見たのかはっきりしないけど、すごいパンチだったのは記憶に残っている。あのハーンズが大の字に倒れて動けない。強烈に刺激を受けたよ。

といっても体格やバネは外国人特有のものだから。練習でまねしようとしたけど、すぐにあきらめた。日本人には無理だ、と。

黄金の中量級と言われた時代でね。4人(ハグラー、ハーンズ、シュガー・レイ・レナード、ロベルト・デュラン)の戦いが、楽しみでしょうがなかった。自分のボクシングの参考というより、違う次元のものとして見ていた。4人ともスーパーチャンプだからね。それぞれに個性があって、そのぶつかり合いにわくわくした。ファンだね。

ボクシングのスタイルはまねできないけど、当時のような活気は目指したいと思っているよ。その一環でU-15(ジュニア世代の強化を目的に07年に設立された全国U-15ジュニアボクシング大会)ができて、この大会から(WBA、IBF世界バンタム級王者)井上尚弥らがでてきた。

近い世代、階級にはうちの田中恒成もいる。それぞれが刺激し合い、いずれは「黄金の軽量級」となればいいね。あんなすごいKOシーンは、だれもが見たいもの。

◆畑中清詞(はたなか・きよし)1967年(昭42)3月7日、愛知県生まれ。中学からボクシングを始め、享栄高3年時にプロ入り。84年11月のデビュー戦で1回KO勝ちを飾り、その後5戦連続1回KO勝利。88年9月、15戦無敗でWBC世界スーパーフライ級タイトルに挑戦も、ヒルベルト・ローマンに完敗。91年2月、WBC世界スーパーバンタム級王座に挑み、計6度のダウンを奪って8回TKO勝ちでベルトを奪取した。戦績は22勝(15KO)2敗1分け。現在は畑中ジム会長。

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リナレス、プロ初ダウン奪った一撃/木村悠氏の一撃

ホルヘ・リナレス

<ボクシング、忘れられない一撃~15>

<ボクシング、忘れられない一撃~15>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。元WBC世界ライトフライ級王者木村悠氏(37)の一撃は、3階級制覇したホルヘ・リナレスの「ロマチェンコ戦の右ストレート」です。現役最強と言われる相手に敗れはしたが、プロ初ダウンを奪った一撃。生で見た感動を話してくれました。(取材・構成=河合香)

▼試合VTR リナレスはWBA世界ライト級王者として、18年5月にWBO世界スーパーフェザー級王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)を迎え撃った。会場は聖地と言われる米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン。ロマチェンコのスピードあるパンチにリナレスは徐々に押され気味になったが、6回残り30秒で放った右カウンターをアゴに命中させる。プロ12戦目で初めてとなるダウンを奪った。ほぼ互角の展開となり、9回までの採点は三者三様のドロー。10回に回復したロマチェンコの細かいパンチを浴び、最後は左ボディーでついにダウン。10回2分8秒TKO負けで4度目の防衛に失敗したが、本田会長は「商品価値は高めた」と評した。ロマチェンコは世界最速での3階級制覇となった。

    ◇    ◇    ◇

あの試合は現地へ見に行った。米国での試合を見るのは初めて。一緒にずっと練習してきた仲間が、世界最強とも言われる相手に、どこまで通じるか、楽しみだった。

ともにスピードがあり、手数も多く、ロマチェンコが攻めてきても、リナレスも劣っていなかった。互角に近い劣勢ぐらいの感じ。そんな中で6回に、リナレスが右ストレートでダウンを奪った。彼らしい、すばらしいパンチだった。

その瞬間、会場が静まり返った。完全にアウェーだったのに、あの一発で雰囲気が一変した。完全に流れが変わり、9回で採点もドローとなって、ここから逆転できると思った。あの大きな舞台であと一歩、寸前まで追い込んだ。最後は負けたが、しびれた。

10回にダウンを喫したパンチは、ボクが座った席からは見えなかった。あとで見たら、左ボディーがいい角度で入っていた。リナレスは前の試合で脇腹を折っていた。治っていたが、ロマチェンコは試合後に「狙っていた」と言っていたそう。リナレスはまた折ったようで、ロマチェンコもすごかった。

リナレスの応援も兼ねての観戦だったが、行ったかいは十二分にあった。あらためてボクシングの面白さや深さを知ることができた。すでに会社を辞めて、新たな道に進み始めていた。あの試合を見たことで、ボクシングをもっともっと広めていきたいと思うようになった。

◆木村悠(きむら・ゆう)1983年(昭58)11月23日、千葉市生まれ。中2でボクシングを始め、習志野高をへて法大に進み、1年で全日本優勝。卒業後は帝拳ジムに入門し、06年10月にプロデビュー。6戦目で初黒星を機に、専門商社に入社してサラリーマンボクサーとなる。14年に日本ライトフライ級王座決定戦に判定勝ちで王座を獲得。3度防衛。15年11月に仙台市でWBC世界同級王者ペドロ・ゲバラ(メキシコ)に挑戦し、判定勝ちで王座獲得に成功した。翌年初防衛に失敗して引退。通算18勝(3KO)3敗1分。引退後は退職し、解説、執筆、講演やオンラインジム(オンラインサロン)を運営している。

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大橋ジムが中止要請明け初タイトル戦を7月に計画

大橋秀行会長(2020年1月31日撮影)

大橋ボクシングジムが、新型コロナウイルスの感染拡大による興行中止が続く中、初めてのタイトル戦を、7月16日に東京・後楽園ホールで計画していることが判明した。大橋秀行会長(55)が7日、明かした。

東洋太平洋フェザー級王者清水聡(大橋)が殿本恭平(勝輝)を迎え撃つ5度目の防衛戦、日本スーパーライト級王者井上浩樹(大橋)の永田大士(三迫)とのV2戦の2試合の開催を目指し、この日までに日本ボクシングコミッション(JBC)と日本プロボクシング協会(JPBA)に申請した。

JBCとJPBAは新型コロナウイルス対策連絡協議会を継続的に開き、6月30日までの興行中止要請を決めている。7月以降は、最初の興行として、5日に中日本新人王予選(愛知・刈谷市あいおいホール)が予定されている。

大橋会長は「選手のモチベーションを考え、無観客試合も含め、さまざまな感染予防策を考えながら開催を目指したい」と話した。

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日本プロボクシング協会 申請ジムに30万追加支給

日本プロボクシング協会は7日にオンラインで臨時理事会を開き、第2弾となる新型コロナウイルス対策支援を決めた。

自粛要請協力などを条件に補助申請したジムへ、30万円を追加で支給する。4月には全国282のジムへ一律10万円を支給していた。また、3~4月の興行を中止したプロモーターに対し、入場券などの印刷代を最大30万円補助する。会場キャンセル料は上限15万円に続く追加補助となる。

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頭部陥没させたドネア左フック/山下正人会長の一撃

ノニト・ドネア(19年11月撮影)

<ボクシング、忘れられない一撃~14>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。

元世界3階級王者の長谷川穂積らを育てた、真正ジムの山下正人会長(58=西日本ボクシング協会会長)があげた一撃は「戦慄(せんりつ)の左フック」。11年2月のWBO、WBC世界バンタム級タイトルマッチで、挑戦者ノニト・ドネア(フィリピン)が、統一王者フェルナンド・モンティエル(メキシコ)を沈めた一撃。倒す要素が詰まった理想の1発を振り返る。(取材・構成=実藤健一)

▼試合VTR 11年2月19日、米ラスベガスでのWBO、WBC世界バンタム級タイトルマッチ。3階級制覇の統一王者モンティエルと2階級制覇王者のドネアが激突。軽量級屈指の好カードは、挑戦者のドネアが圧倒した。立ち上がりから右ストレートからの左フックのコンビネーションで主導権を奪い2回、強烈な左フックでキャンバスに沈んだモンティエルは大の字で動けず2分25秒TKO負け。モンティエルの右側頭部は陥没していた。

◇ ◇ ◇

最もインパクトあったんがドネアの左フック。モンティエルが衝撃的な倒れ方やった。パンチというのは当てるだけやない。大事なのは呼吸、タイミング。それをあらためて思い知らされた一撃やった。

選手を指導する上で、常に選手に教え込むのがタイミング。言葉にするのは難しいけど、そこは0コンマ何秒の世界。たいがいはタイミングが早かったり遅かったり。ここで打たなあかん! というのは練習で体に覚え込ますしかない。その点でドネアの左フックはすごい、完璧なパンチやった。

ドネアの場合、あの左フックにたどり着くまで、いっぱいの伏線があった。右ストレート、ジャブ、いろんな伏線を張り巡らして、最後だけは左フックで仕留めると決めている。

1発で、狙い澄まして、というのは難しい。自分が最も自信があるパンチをいかに効果的に打てるか。そういう視点からも、あの試合から学ぶものは少なくなかった。

選手には「半呼吸」を教えている。打たれてすぐに打ち返しがちだが、そこで半呼吸ためることができれば、相手もタイミングがとれずに隙が生まれやすい。倒すのは決して力ではない。ドネアの左フックは、自分が指導する上で理想としている。

◆山下正人(やました・まさと)1962年(昭37)4月30日、兵庫県伊丹市生まれ。伊丹東中から村野工へ。野球部で俊足巧打の1番打者として活躍。3年夏の県大会ではベスト4と甲子園に迫った。卒業後、兵庫県警で暴力団対策の刑事。99年に民間の警備会社に移り、千里馬神戸ジムでトレーナー。長谷川穂積を世界王者に育て、05年度にトレーナーのMVP「エディ・タウンゼント賞」。07年に真正ジムをたち上げる。昨年度から西日本ボクシング協会会長。

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WBC会長が再開ガイドライン、自宅ジャッジ提案

WBCのスライマン会長(2016年4月8日撮影)

ボクシングWBCのスライマン会長が5日、オンライン会見でジャッジが自宅で採点を提案した。新型コロナウイルスの感染拡大で興行がほぼ中止する中、再開に向けてのガイドラインを作成し、各国のコミッションやプロモーターに送付した。

その中でジャッジは会場外でテレビやネットを通して各ラウンドを採点し、アプリケーションを使用して会場内のスーパーバイザーが集計する、リモート・スコアリングシステムを提案している。会場内の人数を極力減らす狙い。

また、ボクサーやトレーナーらのスタッフは、試合の2週間前からホテルなどに隔離し、日々の検温などで健康をチェックする。記者会見や計量は公開せずに、ネットで配信を推奨している。

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海老原博幸カミソリ左ストレート/柴田国明氏の一撃

63年9月18日 世界フライ級選手権 1Rから王者ポーン・キングピッチ(左)を果敢に攻める挑戦者海老原博幸

<ボクシング、忘れられない一撃~13>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトして語ります。『天才パンチャー』の異名を取った元世界2階級制覇王者(WBCフェザー、WBA、WBCスーパーフェザー)柴田国明さん(73=ヨネクラ)の忘れられない一撃は「キングピッチを初回にKOした海老原の左ストレート」です。

▼試合VTR 1963年(昭38)9月18日、東京都体育館で世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)に、同級4位の海老原博幸(協栄)が挑戦した。初回終盤、海老原はサウスポースタイルから『カミソリパンチ』と呼ばれた左ストレートで痛烈なダウンを奪うと、立ち上がった王者に連打でラッシュ、最後は再び左ストレートをさく裂させて1回KO勝ち。白井義男、ファイティング原田に続く、日本人3人目の世界王者になった。足をけいれんさせたキングピッチはしばらく立ち上がることができなかった。

あの海老原さんの左ストレートは、今も鮮明に覚えています。それほど美しかった。“前、後ろ、前、後ろ”と彼特有のフットワークのリズムに合わせて、“パーン”と放ったパンチ。足と手のタイミングがぴたりと合って、体重移動から拳の握り具合まで完璧でした。まさにサウスポーのお手本とも言える左ストレート。挑戦者のリズムに引き込まれていたキングピッチはよける術がなかった。あれを正面からアゴに食らったら立てません。

海老原さんの左は“カミソリ”と呼ばれるほど切れ味鋭かった。パンチの威力は筋力やパワーだけでは生まれません。スピード+正確性+パワー。この3つが1つになって初めて破壊力のあるパンチが打てるのです。それが海老原さんの左ストレート。あのタイミングは理屈ではなくて、金平会長との長い練習の中で体に染み付いていたのでしょう。だからあの一瞬に出せたのだと思います。

キングピッチ-海老原戦は、まだプロデビューする前にテレビで見ました。衝撃を受けたというより、ただ感激しましたね。後年、海老原さんとゴルフをした時にあのパンチについて聞いたら「柴田くん、あれはよく分からないんだよね」と答えました。狙ったのではなくて、無意識に打ったからだと思います。僕もKOしたパンチは不思議と力が入っていなかった。体感で打っていたとしか言いようがないですね。

海老原さんはパンチも強かったけど、特にすごかったのは足の動きなんです。前後のフットワークは世界一。一方、ファイティング原田さんは首を左右に振ってリズムを取るのが抜群でした。僕は上体や肩を小刻みに動かすボディーワークを生かしたリズムボクシング。ボクシングで強くなるには、自分のリズム、つまり型をいかにつくるか。当時の世界チャンピオンは、みんな自分の型を持っていました。私も自分の型にはまったときは負けませんでしたよ。

◆柴田国明(しばた・くにあき)1947年3月29日、茨城県日立市生まれ。65年3月プロデビュー。才能は日本歴代屈指と言われ『天才パンチャー』の異名を取った。70年12月に敵地メキシコで名王者サルディバルを13回KOで下してWBC世界フェザー級王座獲得。3度目の防衛戦で敗れたが、73年3月にWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得して2階級制覇。2度目の防衛戦で王座を手放すも、74年2月にWBC同級王座を獲得。3度の防衛に成功した。77年に引退。通算戦績は47勝(25KO)6敗2分け。163センチの右ファイター。名門ヨネクラジムの最初の世界王者。

63年9月18日 世界フライ級タイトルマッチ 王座に輝き関係者らに抱えられる海老原博幸(左)と金平正紀ジム会長 
63年9月18日 世界フライ級タイトル 王座に輝いた海老原博幸(左)を祝福する力道山(中央右)

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亀田父がマスク1万枚寄贈 関西格闘界で支援の輪

亀田史郎氏

亀田3兄弟をボクシング世界王者に育て、現在はユーチューバーとして活躍する亀田史郎氏(54)が、ゴールデンウイーク明けに大阪市内の学校にマスク計1万枚を寄贈する。

対象は興毅、大毅、和毅の3兄弟と娘の姫月にゆかりのある大阪市西成区内の3校で、各校に3300枚超を贈る。当初の緊急事態宣言期間6日が明けてからの学校再開を見据えて準備してきたが、宣言期間が延長となり、大阪市内の休校期間も5月いっぱいまで延びた。その中、「地元の子どもたちのためにできることをやりたい」と知人のつてを頼った独自ルートで、マスクを調達した。

関西の格闘界で「マスクの輪」をつなぐ。今回も、K-1選手の皇治(TEAM ONE)からバトンが回ってきた。皇治が4月16日に地元の大阪・池田市に計1万1500枚のマスクを寄贈。同じユーチューバーでもある史郎氏に「次はお願いします」とリレーした。史郎氏もこの支援のバトンを今後、格闘家に渡す意向だ。

史郎氏は「家にずっとおるんはしんどいよ。俺でさえノイローゼになりそうやもんな。子どもたちもパンクしそうやと思うよ。友だち同士で会話するのが一番やろうしな。早く学校行って、勉強して、遊んで。元の生活できるのが3150(サイコー)! やな」と願った。

◆亀田史郎(かめだ・しろう) 1965年5月22日、大阪市生まれ。独特の指導法で注目を集め、長男の興毅(元世界3階級)、次男大毅(元世界2階級)、三男和毅と3兄弟を世界王者に育てる。世界戦のトラブルからライセンスを剥奪され、ボクシング界から追放。現在は大阪市内のアマチュアのジムで、長女の姫月を指導しながらユーチューバーとして活躍。

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赤井英和8連続KO劇の左フック/井岡弘樹氏の一撃

浪速のロッキーこと赤井英和(1984年5月30日撮影)

<ボクシング、忘れられない一撃~12>

一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトし、語ります。

   ◇   ◇   ◇

元世界2階級王者の井岡弘樹氏(51=井岡弘樹ジム会長)の人生を変えたのが「浪速のロッキー」の左フック。現在はタレントで活躍する赤井英和が、1回KOでデビュー以来8連続KO勝利を飾った一撃をあげた。この試合で赤井にあこがれ、所属するグリーンツダジムに入門。世界王者への道を歩みだしたという。(取材・構成=実藤健一)

▼試合VTR 81年12月18日、デビューから7戦連続KO勝ちで「浪速のロッキー」と呼ばれ、人気の赤井はノンタイトル10回戦ながらテレビ中継された。相手はアウトボクサーの桑田修孝。距離をとりたい相手にさせず、立ち上がりから前に出てラッシュ。1回1分25秒に打ち下ろす右フックで最初のダウンを奪い、立ち上がったところに連打で2度目のダウン。最後は強烈な左フックで試合を終わらせ、デビューから8連続KO勝ちとした。

自分がボクシングをやろうと決めたきっかけが、赤井先輩の左フック。中1の冬やった。テレビで見ていて、最後はものすごい左フックでKOした。いっぺんにあこがれましたね。

スポーツ全般、好きやった。もちろん、格闘技もボクシングに限らず。そんな中で、あの試合が自分の運命を決めた。中2から赤井先輩と同じジムに入った。日本王者じゃなく、世界王者になろうと決めた。

赤井先輩は派手な言動が注目されがちやけど、ものすごい練習する。キャンプも一緒させてもらったけど、すごい練習量でした。自分にも世界の目標があるから、絶対に音を上げない。でも実際は、頭が下がる思いでした。

赤井先輩は大けが(85年2月の試合で意識不明に陥り開頭手術、その後に引退)で世界王者の夢を果たせなかった。自分も病院に行かせてもらったけど、ものすごいショックでした。先輩の分も夢をかなえたい。その思いは当然あった。

結果的に世界王者になれたのは、練習のおかげ。きつい練習も「頑張ろう」と踏ん張れたのは、赤井先輩のおかげやと思ってます。

◆井岡弘樹(いおか・ひろき)1969年(昭44)1月8日、大阪・堺市生まれ。もともとは野球少年だったが、赤井にあこがれて中学2年の時にグリーンツダジムに入門。86年1月プロデビュー。87年10月、日本選手最年少の18歳9カ月でWBC世界ミニマム級王座を獲得。91年12月にWBA世界ライトフライ級王座を獲得し2階級制覇。その後、3階級制覇を狙ったがならず、98年12月にノンタイトル戦でのちのWBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守に敗れ、引退した。戦績は33勝(17KO)8敗1分け。現在は井岡弘樹ジム会長。

◆オンライン教室 井岡弘樹会長は外出自粛で自宅にこもる人たちへ、オンラインを利用してボクシングを絡めたエクササイズ教室を開設中。ボクシングとダイエットを融合して「ボクシエット」と命名し、午後8時からライブ配信。「井岡弘樹のボクシエット」で検索。

井岡弘樹氏

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畑中ジム会長、田中恒成の次戦「何も進めようない」

畑中ジムの畑中清詞会長(2018年9月18日撮影)

4階級制覇を目指す田中恒成(24)が所属する畑中ジムの元WBC世界スーパーバンタム級王者・畑中清詞会長(53)は、緊急事態宣言の期間延長を冷静に受け止めた。

当初は6日までの期間が今月いっぱいに延びた。プロボクシングはすでに6月いっぱいまでの興行中止、7月から条件付きで興行再開を目指す方針を示していた。政府の今後の方針を受けた畑中会長は電話取材で「変わりないよ。(それ以前に)5月いっぱいは(活動再開は)無理だろうと思っていた」と話した。

田中のマッチメークに関しても「何も進めようがない」としながら、ゴールデンウイーク明けにも単独でのジムワークは認める方向。日本フライ級2位の畑中建人(21)と時間差で使用する意向。通常に戻る日を見据え、徐々に動きだしていく。

田中恒成(中央)、畑中ジムの畑中清詞会長、左は田中の父・斉トレーナー(2019年3月17日撮影)

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