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セクハラ式守伊之助、初場所前日の土俵祭りも不在へ

明治神宮参拝奉納土俵入りを披露する白鵬。太刀持ちは大栄翔、露払いは石浦、行司は式守勘太夫(撮影・小沢裕)

 9日の明治神宮奉納土俵入りに、立行司の第40代式守伊之助の姿はなかった。

 現在は木村庄之助が空位だけに、行司トップの伊之助が横綱を先導するところだが、昨年12月16日に10代の若手行司にセクハラ行為を行っていたことが発覚。処分は未定だが、近日中に行われる臨時理事会で決議される見込み。出場停止などの可能性もあり、関係者は「(初日前日の)土俵祭りも不在でしょう」と話していた。

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右膝の内視鏡手術の白鵬が退院「無事終わった」

白鵬

18日に右膝の骨片を摘出する内視鏡手術を受けた大相撲の横綱白鵬が20日、東京都内の病院を退院した。松葉づえをついて歩く状態で、患部を気にしながら車に乗り込んだ。

九州場所(11月11日初日・福岡国際センター)に向け不安な状況に「手術は無事に終わった。また、しっかり検査をしていく。頑張ります」とだけ述べた。当面は治療やリハビリに努め、稽古の再開は九州場所の新番付が発表される10月29日以降になる見通し。

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花田光司氏11月にちびっこ相撲訪問、育成に意欲

元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏

1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が20日、貴乃花応援会公式サイト内のブログを更新し「これからの人生も、今までの人生同様に目指す道を極めていきたいと思っております」と思いをつづった。

その上で、11月3日、4日に、日本相撲協会を退職後、初めて福岡県田川市で行われる、田川ちびっこ相撲大会を訪問することを明かし「こういった、子ども達の教育に役立てるような活動にも今後、携わっていきたいと考えております」と今後、次世代の相撲人の育成に取り組んでいく考えを示した。そして田川ちびっこ相撲大会に旧貴乃花部屋の弟子も訪れる予定であることも明らかにした。

花田氏はブログの冒頭で「近状のご報告 貴乃花は元気にしております。今まで旧貴乃花部屋をご支援いただきました支援者、後援者の方々にお礼のご挨拶に伺っております。ご支援いただきました皆様とは、共に長い時間を過ごさせていただきました。皆様とお会いできる限られた時間の中で、共に語らいながら昔話に花をさかせ振り返りの時間をいただいております」と近況をつづった。

その上で「この一時の中で、これから何を行って行きべきなのかを徐々にではありますが考えられる余裕が生まれて来ました。現在、46歳ですが、来年はどのような人生を歩みたいのかを真剣に考え、思い描くことで、気持ちの高まりが徐々に湧いてきたように思います」と、日本相撲協会退職から3週間近くが経過し、心境に変化があったとつづった。

そして「来月の11月3日、4日は、引退後初めての田川ちびっこ相撲大会に伺います。その大会には、元の私の弟子達も来るようです。この数週間会っておりませんが、元気でやっているようだと風の便りで聞いています」と弟子の近況も報告した。

その上で、花田氏は「時は早いもので来月ともなれば福岡場所が始まります。たくさんの大相撲ファンのご来場が期待されます。そんな中、たまに会う時にちょっとしたアドバイスしてあげたい元弟子たちの奮闘と健全を思いながら、一に足腰、二に足腰、三に足腰これでやってほしいと願っております」と、かつての弟子達をおもんぱかるように思いをつづった。

さらに

「基本動作は同じ動きの繰り返し、精神的にきついですが、反復運動は肉体を超えて反射的になれます。自ら気づかないうちに身についていたりします」

「鍛錬してる最中は、悩んだり苦しかったりの繰り返しですが、鉄砲柱に寄りかかり下っ腹のチカラを使えば辛さも喜びに変わるでしょう」

「空高くつま先を天に向かって足を上げて四股を踏めば、いつのまにか軸ができている。摺り足でも常に負けそうな自分を思い描いて行えば、じっくり汗もかけるはずです」

などと、かつての弟子達へのアドバイスとも取れるメッセージをつづり「田川で会えることを楽しみにしてるぞ!!」とも呼び掛けた。

田川市には、大相撲九州場所の際に宿舎を構え、けいこ場などを提供されてきた田川貴乃花部屋後援会があり、13日のブログで解散式に出たことも報告していた。花田氏は「田川炭坑節まつりでは、元田川貴乃花部屋後援会の方々と共にお祭りを楽しみたいとも思っております。お祭りの総踊りを楽しみ、鎮魂のろうそくの火を眺めながら良い時間を過ごせればと願っております」(コメントは原文のまま)と、かつての後援者との交流も楽しみにしているとつづった。

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琴奨菊、嘉風が手作りちゃんこ豪雨被災地を慰問

西日本豪雨で被害を受けた岡山県総社市で大相撲秋巡業「がんばろう 大相撲総社場所」が20日開かれ、平幕の琴奨菊、嘉風が市内にある仮設住宅の被災者らを慰問した。

手作りちゃんこ鍋を振る舞い、握手会や記念撮影などで被災者を激励した。市内の仮設住宅に住むサービス業の武田久美子さん(54)は「避難所でもテレビで相撲を観戦していた。力士を見るだけで元気が出た」と話した。慰問を終えた琴奨菊は「たくさん触れあってパワーを与えられたと思う。この思いを胸に秋巡業も頑張りたい」と意気込んだ。

20日午後は総社市内のスポーツセンターで、日本相撲協会から岡山県への義援金贈呈式を実施。

力士らは26日に広島県呉市の認定こども園を慰問する。25日に松山市で、26日に呉市、28日に山口県周南市でも義援金が贈呈される予定だ。

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白鵬今日にも退院「スッキリした表情だった」親方

白鵬

18日に右膝の内視鏡手術を受けた横綱白鵬について、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)が19日、都内の部屋で現状を説明した。

この日午前に白鵬が入院している都内の病院を訪れたといい「スッキリした表情だった。前から違和感があったところ。本人も『前向きにやります』と言っていた」と明るい表情。退院日は、順調に患部の痛みと腫れが引けば「明日か明後日には」と話した。約2週間のリハビリが必要で、本格的に体を動かすのは今月末になるという。

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八角理事長「暴力根絶に全力」コンプラ委を設置予定

日本相撲協会八角理事長(18年2月撮影)

昨秋の元横綱日馬富士関による暴行事件を受けて2月に発足した日本相撲協会の第三者機関、暴力問題再発防止検討委員会が19日、都内で会見し、協会に関連する暴力を調査した最終報告を行った。調査は1月時点で在籍していた親方、力士、行司ら約900人の協会員全員との個別面談で実施。うち5・2%の40~50人が「暴力を受けた」と訴えたという。

暴力問題再発防止検討委員会からの報告書公表を受け、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「報告書に書かれたご指摘のすべてを真摯(しんし)に受け止めます。今後も外部の有識者の意見を取り入れながら暴力の根絶に全力で取り組みます」などとコメントを発表した。また芝田山広報部長(元横綱大乃国)は、コンプライアンス委員会の設置を予定していることを明かした。「何でもかんでも危機管理委員会ではね」と理由を説明。設置時期、メンバーは未定。

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力士ら40~50人「暴力受けた」生活指導名目で

記者会見で調査結果を説明する但木敬一委員長

昨秋の元横綱日馬富士関による暴行事件を受けて2月に発足した日本相撲協会の第三者機関、暴力問題再発防止検討委員会が19日、都内で会見し、協会に関連する暴力を調査した最終報告を行った。調査は1月時点で在籍していた親方、力士、行司ら約900人の協会員全員との個別面談で実施。うち5・2%の40~50人が「暴力を受けた」と訴えたという。元協会員51人も調査し、78年以降40年分の調査結果も出た。78年の37%に比べると減少傾向だった。

暴力の多くは入門4~6年目力士が加害者、同1~3年目力士が被害者のケースが多数だったという。日々の雑務など、生活指導の名目で部屋の稽古場以外の場所での暴力が目立った。元日馬富士関のようなカラオケラウンジで、しかも部屋の枠を超えた暴力は珍しい。但木敬一委員長(元検事総長)は「人が育成した金の卵を、他の部屋の人が頭を殴るということに違和感を覚えた」と話した。

同委員長は元日馬富士関による前頭貴ノ岩への暴力を「部屋別総当たり制の原則にそぐわない」と断言した。この事件に同席していた横綱白鵬が「あえて『愛のムチ』と呼びたい」と話していたことも判明。再発防止策として、今回のモンゴル人力士のような出身地が同じなどの縁でも部屋を超えた上下関係は「よくない」(但木委員長)と踏み込んだ。他にも元朝青龍の例も出し、外国人や横綱にも注意すべきと進言した。

◆暴力問題再発防止検討委員会の委員 但木敬一委員長(元検事総長)、近石康宏委員(全柔連副会長)、中田■士委員(剣道・範士8段)、宇津木妙子委員(元ソフトボール日本代表監督)

※■=王ヘンに秀

記者会見を行う暴力問題再発防止検討委員会の委員ら。左から中田委員、但木委員長、近石委員、宇津木委員

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「師匠に事実報告はまれ」暴力防止委員会が調査報告

暴力問題再発防止検討委員会の記者会見で調査結果を説明する但木敬一委員長

暴力根絶を目的に今年2月、日本相撲協会の第三者機関として発足した「暴力問題再防止検討委員会」(委員長=但木敬一・元検事総長)が19日、東京・墨田区内のホテルで記者会見を開き、約8カ月にわたり実施してきた調査内容、結果を最終報告として発表した。

再発防止検討委は昨年10月に起きた、元横綱日馬富士による幕内力士・貴ノ岩に対する傷害事件などを受けて設置された。委員は但木委員長はじめ、元ソフトボール女子日本代表監督の宇津木妙子氏ら4人で構成。鏡山理事ら現役、OBの協会協力員らを含めれば、同会は13人で構成される。5月に1回目の中間報告がされ、今回が最終報告となった。既に5月の中間報告の時点で、親方や力士、行司ら相撲協会関係者ら約900人からの聞き取り調査が終わり、以後は調査結果の集約に務めてきた。

報告書は「骨子」が4ページに集約され、「報告書要旨」として76ページにわたる膨大なものとなった。

それによると角界で暴力を受けた者の割合は、79年の37%から、今年の5・2%と減少傾向にある。暴力発生場所は稽古場以外の相撲部屋内で、生活指導名目で兄弟子が弟弟子にふるうことが多いという。また暴力の事実が師匠らに報告されることは「まれである」とした。

さらに暴力を受ける側は入門後1年目から3年目にかけての力士が多数を占め、逆に暴力をふるう側は入門後4年目から6年目にかけての力士らが多数を占める傾向も指摘。暴力を受けた力士が、逆に年数がたち暴力をふるう側にまわる傾向もあるという。

昨年の元日馬富士関の暴行問題にも踏み込み、現場にいた力士らは指導のための暴力は許容されるという意識があり、これは相撲部屋内の弟子間の暴力の原因と共通すると記述。モンゴル出身力士の間には所属部屋を越えた上下関係、指導・被指導の関係が存在していた、とも踏み込んだ。

これらを踏まえた再発防止策として、師匠ら全協会員の意識革命、師匠や年寄資格の明確化、継続的な研修の実施、外国出身力士に対する施策の実施などを提言としてまとめた。

また但木委員長は「今年から相撲協会はいろいろな規定を設けたが、大事なのは(規定を)作ることではなく、履行すること。暴力を撲滅できるか(の鍵)は相撲協会がお持ちになっている」と話した。日本相撲協会内のコンプライアンス委員会の半数を外部有識者で構成されることを希望するなど、公平性、透明性のある制度づくりを求めた。

暴力問題再発防止検討委員会の記者会見で調査結果を説明する但木敬一委員長

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花田光司氏6日ぶりブログで景子夫人2ショット公開

貴乃花応援会公式サイト内のブログにアップされた花田光司氏と景子夫人の2ショット

1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が19日、貴乃花応援会公式サイト内のブログを6日ぶりに更新し、身内で食事会を開いた際の景子夫人(53)との2ショット写真を公開した。

「身内の食事会での1枚です。行きつけの中華料理屋さんで安らぎのひとときを過ごすことができました。これも中野総料理長とスタッフの方々のお陰です。いつも美味しい料理を振る舞っていただき有難うございます。これからも宜しくお願いいたします」

花田氏は、景子夫人と笑顔で見つめ合う写真など、3枚の写真をアップした。

花田氏は13日にアップしたブログで、福岡県田川市を訪れ、大相撲九州場所の際に宿舎を構え、けいこ場などを提供されてきた田川貴乃花部屋後援会の解散式に出席したと報告した。

「田川貴乃花部屋後援会の皆さんにはこれからも見守りいただけますが、苦渋の決断をした私へ断腸の思いで私を抱擁してくれています。感謝、感謝、ご厚情に大感謝です」

「田川は、花田光司へ帰れるような場所ですが、貴乃花は一代限りの授かった名前です。貴乃花は花田光司でありながら、花田光司は貴乃花でしかありませんので、花田光司として故郷田川へ」

「帰れる場所があるのは、ことあるごとに琴線に触れられる清く正しき光の居場所、そんな気がしてなりません」

「元、田川貴乃花部屋後援会ならびに相撲茶屋貴ノ花、ここに万歳三唱です。私の人生の一区切り、新たなスタートを生きれることを大切にしてゆきたいと思います」(コメントは全て原文のまま)

景子夫人との2ショットをアップしたブログは、その時以来の更新だった。

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白鵬右膝の内視鏡手術「切っていたら1週間」親方

白鵬

右膝痛により秋巡業を途中離脱した横綱白鵬(33=宮城野)が18日、都内の病院で右膝の骨片を摘出する内視鏡手術を受けた。

今日19日に病院を訪れる予定の師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)は「内視鏡手術だけなら20日には退院できるけど、切ったりしていたら1週間ぐらいはかかる」と話した。白鵬と医師から話を聞き、九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)に向けての予定について話し合う。

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「暴力減少もまだあるということ」年寄総会で説明

5月、「暴力問題再発防止検討委員会」の中間報告記者会見に臨む但木委員長

日本相撲協会は18日、巡業同行や九州場所担当などを除く全親方衆を対象とした、年寄総会を東京・両国国技館で行った。

今年2月に立ち上げられた暴力問題再発防止検討委員会の但木敬一委員長(元検事総長)が、調査結果をもとに出席した親方衆に説明。ある親方は「暴力は徐々に減少傾向にあるが、まだあるということだった。ゼロにしないといけない」と話した。同委員会は今日19日に、親方や力士らからの聞き取りを受けた暴力の実態調査結果の発表を予定している。

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暴力問題再発防止検討委が調査報告 大相撲年寄総会

大相撲の年寄総会が18日、東京・両国国技館で行われた。

現在、行われている秋巡業に帯同している親方や、九州場所担当として現地入りしている親方らを除いた全親方衆が対象。昨年10月に起きた元横綱日馬富士関による暴行事件に端を発し、2月に立ち上げられた暴力問題再発防止検討委員会の但木敬一委員長(元検事総長)が出席し、同委員会が親方や力士らから聞き取りを行った調査結果などを説明した。

同委員会は調査結果をふまえ、19日に会見を予定している。

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炎鵬が白まわしで24歳誕生日「また違った気持ち」

白まわしで初の誕生日を迎え、24歳になった炎鵬(撮影・加藤裕一)

大相撲の人気小兵力士、十両炎鵬(宮城野)が18日、大阪府池田市五月山体育館で行われた秋巡業で24歳の誕生日を迎えた。

「最初はみなさん、知らなかったみたいですけど、旭大星関と(誕生日が)同じみたいで」と徐々に増える「おめでとう」の声に照れくさそうだった。

昨年の誕生日は序ノ口デビューから3場所連続全勝優勝を飾り、幕下昇進を確実にしたタイミングだった。「どれだけ頑張っても、最速でも(関取になるのは)無理」と笑う。関取のみがつける白まわしで初めて迎える誕生日を「また違った気持ちがあります」と喜んだ。

秋場所は再十両で9勝6敗、関取で初の勝ち越しを決めた。「年が同じ関取衆もどんどん番付を上げている。自分も相撲界になじんできたし、24歳も充実した日を送っていきたいです」と話していた。

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御嶽海「本当にいい胸を」稀勢から三番稽古連続指名

稀勢の里に連日の指名を受け、三番稽古を行った御嶽海(撮影・加藤裕一)

大相撲の秋巡業が18日、大阪府池田市五月山体育館で行われ、関脇御嶽海(25=出羽海)が横綱稀勢の里から2日連続で“指名”されて、三番稽古に汗を流した。

前日の京都市巡業は11番とって、2勝9敗。この日も最初の1番で横綱の左を封じ、内容の濃い白星を奪った。その後に9連敗したが、右を差し込み、体をくっつけ、いい体勢に持ち込む相撲も目立った。

2日間で3勝18敗。稽古の白黒以上の充実感がある。「横綱は稽古もガチで来るので、こっちもガチでいきやすい。勝ち負け関係なく、どれだけ慌てさせることができるか、です。本当にいい胸を出してもらっています」。

稽古で全力を出さない“場所相撲”と評されることが多いが、本人はマイペースを守る。ただし「底上げはしていきたい」という。「1年前、2年前からは上がってますよ。昨年は横綱、大関に指名されることなんて、なかったから」。秋場所は9勝6敗で、大関とりを逃した。再出発の九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)の目標を「白星を重ねること。2桁は当然、最低ライン。そうしないと先につながっていかないから」と話した。

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稀勢の里、御嶽海に9勝2敗「いい汗」秋巡業手応え

御嶽海と三番稽古を行った稀勢の里。手前は栃ノ心(撮影・加藤裕一)

大相撲の秋巡業が17日、京都市の島津アリーナ京都で行われ、横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)は関脇御嶽海と三番稽古をして9勝2敗だった。

「いい稽古ができました。いい汗をかいた」。8場所連続休場後の秋場所を完走。皆勤した秋場所前の夏巡業に比べ、秋巡業は違う手応えがある。「本場所をはさんでいるんでね。仕上がりはよくなっています」。九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)へ。11年に大関昇進を決め、16年は準優勝して横綱昇進の足がかりを作った場所での完全復活に向け、足取りは順調だ。

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稀勢の里が御嶽海指名の理由「言わない」も稽古充実

御嶽海と三番稽古を行った稀勢の里、手前は栃ノ心(撮影・加藤裕一)

大相撲の秋巡業が17日、京都市の島津アリーナ京都で行われ、横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が関脇御嶽海と三番稽古を行った。本場所で対戦する相手と11番とって、9勝2敗。相手に御嶽海を指名した理由こそ「それを良く聞かれますけど、特に言わないですよ」と明かさなかったが「いい稽古ができました。いい汗をかいた。お互いが力を出さないと、いい稽古にならないからね」と満足そうに話した。

8場所連続休場後、進退場所とされた秋場所で10勝5敗。久々に15日間を“完走”した。秋場所前の夏巡業も皆勤したものの、後半に入った今回の秋巡業は、違う手応えがある。「やっぱり本場所をはさんでいるんでね。仕上がりはよくなっています。(秋場所は)きつい部分もありましたけどね。今まで当たり前にやってきたけど(秋巡業は)当たり前じゃないような、ね。新鮮というか…いい状態です」。九州場所は11年に大関昇進を決め、16年は12勝3敗の準優勝で横綱昇進の足がかりを作った。「いいイメージ? そうですね。九州はいつもいいですね。(10日目から休場した)昨年は悔しい思いをしたけど、あれがなかったら…」とも話した。雪辱への思いが、復活ロードの分岐点となった九州場所は、11月11日に初日を迎える。「しっかりやっていきたいですね」と完全復活の足場を固めていく。

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豪栄道が順調稽古、上機嫌で井上尚弥70秒KO語る

豊山との三番稽古に8戦全勝した豪栄道(撮影・加藤裕一)

大相撲の秋巡業が17日、京都市の島津アリーナ京都で行われ、大関豪栄道(31=境川)が三番稽古を8戦全勝とした。

「馬力があるし、元気のいい相撲を取るから」と、相手に平幕の朝乃山を指名。番数を追う事に力強さが増し、立ち合いから相手を押し込む場面が目立った。巡業も後半に入り「それなりに疲れはあるけど、ある程度前に出れてるしね」と、充実した内容に満足そうだ。

念願の初優勝を飾った16年秋場所から早くも2年が過ぎ、2度目の優勝が欲しい。「この2、3カ月、体の感覚がいい。稽古をしていてもイメージ通りに体が動いている。この状態を維持したい」と、1年の締めくくりとなる九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)へ、稽古を続ける。好きなボクシングの話題にも触れて「井上尚弥ってすごいなあ」と、10月7日に“70秒KO”を飾ったWBA世界バンタム級王者井上について興味深そうに語るなど上機嫌だった。

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鶴竜8番全勝、九州へ「最後はしっかり締めたい」

大相撲の秋巡業は16日、大阪府泉佐野市で行われ、横綱鶴竜(33=井筒)が今巡業の稽古で初めて相撲を取った。平幕正代を相手に8番取って全勝。「稽古なので」と内容にこだわらず、九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)を見据えて「(巡業は)あと半分。ここから上げてうまくやっていきたい」と意気込んだ。秋場所は10連勝後に5連敗と失速し「自分で崩れた」と振り返る。今年は春、夏で自身初の2場所連続優勝を果たし、名古屋場所を途中休場した。一年納めの九州へ「最後はしっかり締めたいという気持ちがある」と落ち着いた様子で話した。

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具志堅用高氏「よく銀座や赤坂に」輪島さんしのぶ

輪島大士さんの告別式に参列する具志堅氏(撮影・横山健太)

大相撲の元横綱で、下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった輪島大士さんの葬儀が15日、東京・青山葬儀所で営まれ、ボクシングの元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高氏が参列した。

同氏が世界王者、輪島さんが横綱という、ともに全盛期から交流があったという。中でも夜中に呼び出され、具志堅氏が減量中にもかかわらず、大きなおにぎりを食べるよう、半ば強引に勧めてくるような、豪快な性格が強烈に印象に残っているという。「よく銀座や赤坂に呼び出されましたよ。しゃぶしゃぶとかも連れて行ってもらった。相撲も何回か見に行っています。さみしいね」と、故人をしのんでいた。

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輪島さん最期は「静かに眠るように」留美夫人明かす

輪島大士さんの遺影を手に一礼する、左から長男の大地さん、長女、妻の留美さん(撮影・横山健太)

大相撲の元横綱で、下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった輪島大士さんの葬儀が15日、東京・青山葬儀所で営まれ、妻留美さんが喪主あいさつを行った。

亡くなった時の様子として「最後は、主人は自宅のソファでテレビを見ながら静かに眠るように、座ったまま亡くなっておりました」と明かした。続けて「ご迷惑をおかけすることも多かった人生ですが、最後は1人で誰にも迷惑をかけず、静かにとてもいい顔で眠っておりました。とてもにぎやかなことが好きだった人なので、本日、皆さまにお集まりいただき、さぞ喜んでいることと存じます」と、涙をすすりながら話していた。

クラクションの合図で輪島大士さんの大相撲での通算勝利数である673個の風船が空に舞い上がる(撮影・横山健太)

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北の富士氏「華があった横綱でした」輪島さん悼む

輪島さんの告別式に参列する北の富士氏(撮影・横山健太)

下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱で、プロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの葬儀・告別式が15日、東京・青山葬儀所で営まれた。日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、NHK解説者の北の富士勝昭氏、プロ野球巨人の原辰徳前監督、好角家のデーモン閣下ら約500人が参列した。

輪島さんと現役時代に対戦して通算7勝5敗と勝ち越した北の富士氏は「一番取りにくい力士でした」と振り返った。輪島さんの代名詞となった「黄金の左」の強さはもちろんのこと「右からのおっつけが効いた。あれは素晴らしかった。同じ左四つでこっちが十分になっても相手はもっと十分だった。足腰も強かった」と話した。

輪島さんは現役引退後に花籠部屋を継承するも、年寄名跡担保問題で相撲協会を退職。その後はプロレスラーに転向し、アメリカンフットボールの学生援護会総監督やタレント活動も行った。波瀾(はらん)万丈人生を送った輪島さんを、北の富士氏は「北の湖相手に14回も優勝するのはすごいこと。華があった横綱でした。いろいろあったけどそれも含めて話題性のあった力士でした」としのんだ。

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輪島さん最後の“土俵入り”格好良かった遺影勇姿

土俵をかたどった祭壇に置かれた輪島さんの棺と遺影(撮影・中島郁夫)

下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱で、プロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの通夜が14日、東京・青山葬儀所で営まれた。

土俵をイメージした祭壇に飾られた遺影は、喪主の妻留美さんが選んだという横綱時代の土俵入りだった。朱色のひつぎは、昨年まで毎年のように見学に訪れていた、地元石川県七尾市の石崎奉登祭に由来。ひつぎの中では、横綱時代に最も好んで着ていた薄緑色の着物姿で安らかに眠っていた。

輪島さんの付け人を約1年務めた芝田山親方(元横綱大乃国)は「土俵入りのかっこよさを学んだ。付け人をしたのは名誉」と、優勝14度の功績をたたえた。故人とは遠縁で、しこ名に「大士」をもらった同郷の前頭輝は「偉大な方。強くなることでしか恩返しできない」と出世を誓った。芸能界からも関口宏、五木ひろし、とんねるずらが駆けつけるなど、参列した約500人が、誰からも好かれる故人の人柄をしのんだ。

輪島大士さんの通夜に参列した芝田山親方(撮影・中島郁夫)

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遠藤、同郷の輪島さん「目標にしないといけない人」

大相撲秋巡業が14日、石川県金沢市で行われ、同県出身の元横綱輪島さんと同郷の現役力士たちが改めて思いをはせた。

平幕遠藤は「残念な気持ち。目標にしないといけない人なんだと改めて思った」と話した。遠縁に当たり、しこ名の下の名前に「大士」をもらった平幕輝は「名前に負けないような相撲を取っていきたい。(今後は)三役に上がれるようにしたい」と活躍を期した。会場の一角では輪島さんの写真パネル展が開かれた。

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輪島さん通夜に花田虎上氏、とんねるずら500人

土俵をかたどった祭壇に置かれた輪島大士氏の棺と遺影(撮影・中島郁夫)

下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱のため、8日に70歳で亡くなった、大相撲の元横綱で、プロレスラーやタレントとしても活躍した輪島大士さんの通夜が14日、東京・青山葬儀所で営まれた。現在、相撲協会の広報部長を務める芝田山親方(元横綱大乃国)、元武蔵川理事長で元横綱三重ノ海の石山五郎氏、3代目元横綱若乃花の花田虎上氏ら元力士や、現役力士では前頭輝、幕下豊響、芸能界からは関口宏、五木ひろし、とんねるずの石橋貴明と木梨憲武、勝俣州和らが参列。約500人が集まった。

土俵をイメージした祭壇に飾られた遺影は、喪主の妻留美さんが選んだという横綱時代の土俵入りだった。朱色のひつぎは、昨年まで毎年のように見学に訪れていた、地元石川県七尾市の石崎奉登祭に由来。同祭への、輪島さんの出身地域からの参加者が着用する衣装の色という縁で朱色にした。ひつぎの中で輪島さんは、横綱時代に最も好んでいた薄緑色の着物を着ていた。

参列した野球解説者の田淵幸一氏は、阪神での現役時代から続く、40年以上の付き合いだと明かした。当時、輪島さんは大阪での春場所中とあって、合間を縫って甲子園球場に招き、本人の意向で打撃練習に参加したところ「5、6球打って膝を痛めて休場した」(田淵氏)というエピソードを明かした。互いを「横綱」「監督」と呼び合い、深い交流があったという。田淵氏は「豪放磊落(らいらく)。純粋で、誰かをだまそうというところがまったくなかった。最高の男だった。お通夜で、こんな話ができるのはあいつだけ」と、故人と一緒に現役時代に撮影した写真を何枚も持参し、当時を思い出していた。

他にも五木ひろしは、日本レコード大賞を受賞した際に、お祝いに駆けつけてくれたこと。芝田山親方は約1年務めた付け人時代に、当時、付け人の中でも最も若いぐらいだった自身にも気さくに話しかけてくれた話。元3代目若乃花の花田虎上氏は、父で故人の元二子山親方(元大関貴ノ花)と輪島さんが親友だった関係から「輪島ちゃん」と親しみを込めて呼んでいたエピソードなどを明かした。通夜にもかかわらず、参列者が口々に型破りな輪島さんとの思い出話を語り、笑顔の絶えない、故人の人柄を表すような通夜となった。葬儀は15日に行われる。

土俵をかたどった祭壇に置かれた輪島さんの棺と遺影(撮影・中島郁夫)

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若の里チームが少年相撲全国3位

全国少年相撲選手権大会で3位に入った若の里チームAのメンバー。後列中央は西岩親方(元関脇若の里)

<第15回全国少年相撲選手権>◇14日◇東京・両国国技館

若の里チームA(青森)が、全国3位になった。大会は、小学生4人(3年以上の各学年1人ずつ)と中学生による1チーム5人の団体戦。73チームが出場し、若の里チームAは予選を勝ち抜いて32強による決勝トーナメントに進出。準決勝で敗れたが、3位の座を勝ち取った。静岡のやいづ少年相撲クラブが優勝した。

若の里チームは、大相撲の西岩親方(元関脇若の里)が出身地の青森県の子供たちに呼び掛けて結成し、昨年初出場。前日には若の里チームAとBが宿泊先の西岩部屋で稽古し、力士たちとちゃんこを食べ、この日に備えていた。

国技館で大会を見守った西岩親方は「現役中は地元の人たちに応援してもらっていたので、恩返しがしたかった。青森で相撲をやる子が減っているので、国技館の土俵で相撲を取ってもらいたいと思っていました。子供たちは勝った喜び、負けた悔しさを感じたでしょう。私は感動をもらいました」と喜びを口にした。

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白鵬 右膝内視鏡手術へ 九州場所ピンチ

18年7月29日、朝稽古中に右膝を気にする横綱白鵬

横綱白鵬(33=宮城野)が右膝の骨片を摘出する内視鏡手術を受けることが13日、決まった。

18日に都内の病院で実施し、数日で退院する見込み。投薬治療では改善に限度があり、手術に踏み切ることにした。四股を踏めるようになるのは、10月末ごろの見通し。「やれることをやっていくしかない」と、自らに言い聞かせるように話した。残りの秋巡業は休場する予定で、九州場所(11月11日初日・福岡国際センター)に向けて不安な状況になった。

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栃ノ心31歳、綱取りは?に「その質問はシカト」

愛知・豊田市巡業で31歳の誕生日を迎えた大関栃ノ心(撮影・加藤裕一)

大関栃ノ心(春日野)が13日、愛知・豊田市巡業(スカイホール豊田)で31歳の誕生日を迎えた。

初場所で初優勝、夏場所で大関昇進を決め、名古屋場所を途中休場し、秋場所をいきなりかど番で迎えて9勝6敗と切り抜けた。波瀾(はらん)万丈だった30歳を振り返り「幸せなことも、厳しいこともあった。全部勉強になった」と話した。一方で、新たな1年の目標を「また優勝したいね」と語りつつも、綱取りへの意識を問われると「その質問はシカトします」と苦笑い。むだな重圧を避け、あくまで自然体を保つ姿勢は崩さなかった。

この日は魁聖、朝乃山、輝と相撲を14番とって全勝。右四つに持ち込み、得意の型に磨きをかけようとする姿勢が目立った。2度目の賜杯へ、九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)の優勝争いへ。心身ともに充実してきた。

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白鵬右膝痛「骨折でした」秋巡業離脱リハビリ治療へ

白鵬

大相撲の横綱白鵬(33=宮城野)が12日、秋巡業を離脱した。所属する宮城野部屋関係者によると右膝痛のためで、巡業地の三重県四日市市から東京に戻り精密検査を受ける見込み。

白鵬は7月の名古屋場所で右膝を負傷し、途中休場していた。自身の公式ツイッターにエックス線写真を投稿し、「応援してくれてる皆様、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。骨折でした。頑張ったけどやっぱりダメでした。東京でリハビリ治療頑張ります」などと記した。

9月の秋場所は、前人未到の幕内1000勝を達成。15日に1000人規模のパーティーを予定していたが、中止になった。九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)に向けて、不安を抱える状況となった。

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輪島さん 親方時代も豪快 芸人にまわし着けさせる

元横綱輪島大士さん

大相撲の元横綱でプロレスラーやタレントとしても活躍し、8日に死去した輪島大士さんの通夜が14日、葬儀が15日に、ともに東京・青山葬儀所で行われることが10日、分かった。この日は東京・世田谷区の自宅に、同じ石川県出身の森喜朗元首相らが弔問に訪れた。森元首相はSP(警護官)を伴い、輪島さんの自宅に約5分滞在。遺族とみられる見送った女性は「昔から親交があったようです」とだけ話した。

死去判明から一夜明けても、輪島さんの型破りな取り口や性格を物語るエピソードは後を絶たなかった。大関豪栄道は巡業先の甲府市で「天才じゃないですか」と、輪島さんを表現。「相撲をやっている人間からしたら、あの取り方はまねできない。普通は上手から攻めろと教わるが、輪島さんは平然と下手で攻める。理にかなっていない」と舌を巻いた。

入門から輪島さんが引退するまで6年間、付け人を務めた若者頭の花ノ国(元前頭)は、引退後の話として「ビートたけしさんと島田洋七さんと一緒に飲んで朝5時に部屋に戻って、そのまま、芸人さんにまわしを着けさせて大笑いしていた」と、親方時代も豪快だったと明かした。

角界と距離を置いた時期も長かったが、多くの人の胸に、今も輪島さんは生きていた。

77年3月、春場所での輪島さん
ビートたけし(18年4月3日撮影)

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ハンセン氏 輪島さん悼む「のど輪強烈だった」

87年4月、スタン・ハンセン(右)にコブラツイストを決める輪島さん

全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者スタン・ハンセン氏(69)が9日(日本時間10日)、米コロラドの自宅で、全日本時代に激闘を繰り広げた輪島さんを悼んだ。

「悲しいね。同年代だから…。新日本プロレス時代にテレビで大相撲の輪島さんを見たんだ。とにかく強かったよ。まさか、その横綱と対戦することになろうとは。運命の出会いだった。遅いプロレス転向だったけど、パワーあふれる左腕を有効に使ったチョップと、のど輪は強烈だった。相撲時代からの足腰の強さはものすごく、気迫の突進でスモウタックルも素晴らしかった。一生懸命の戦いで、こちらも思わず力が入ったことを思い出すよ。とにかく偉大な人だった。もう1度お会いしたかったのに」と、しみじみと話した。

ハンセン氏は輪島さんと、87年4月に米国でPWFヘビー級王座決定戦を行うなど、何度も戦った。

87年4月、全日本PWFヘビー級選手権でスタン・ハンセン(右)にゴールデン・アームボンバーを決める輪島さん

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稀勢の里が稽古再開「予定通り」白鵬静養「膝痛い」

甲府市での巡業で佐田の海(右)を相手に三番稽古を行った稀勢の里

大相撲の秋巡業は10日、甲府市で行われ、朝稽古では横綱稀勢の里、大関豪栄道が相撲を取る稽古を再開した。

稀勢の里は、前頭佐田の海と10番取って全勝。得意の左四つに組み止め、圧倒する内容が続いた。稽古後は「ちょうど(秋巡業初日から)1週間。予定通り。夏(巡業)もやっているから、力を試すにはいい相手。しっかり体をつくってきているからね。いい感じで稽古できている。夏よりは確実にいいし、夏以上の状態だと感じる。本場所に出たからね」と手応えを感じた様子だった。

豪栄道は前頭千代大龍を相手に9番取って、こちらも全勝だった。「(千代大龍は)圧力があって、どんどん前に出てくる。部屋にはいないタイプだし、合口も良くないから」と、過去6勝6敗と五分の相手を指名した理由を語った。そんな相手を圧倒し「だいぶ体も仕上がってきたと思う。いい稽古ができた」と、こちらも手応えを口にした。

一方の横綱白鵬は、この日は右膝の骨に痛みと違和感を覚え、稽古に姿を見せず、土俵入りと取組も回避した。観衆の前に姿を見せたのは、移動のバスからの会場入りと、会場を後にする時だけ。「右膝の骨だね。膝を曲げると痛い。昨日の朝からすごく痛くて、昨日はよく温めて寝たけど、朝起きても良くなっていなかった。4カ所に痛み止めを打った」と明かし、この日は静養に努めた。

甲府市での巡業で佐田の海(右)を相手に三番稽古を行った稀勢の里

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輪島さん 借金、親方廃業、「大事件」プロレス入り

86年11月、全日本七尾大会で国内マットでのデビュー戦を故郷で迎えた輪島さん(右)はタイガー・ジェット・シンをコーナーに追い詰める

輪島大士さんは、大相撲の横綱として史上2人目のプロレスラー転身を果たした。年寄名跡を借金の担保に入れたことが発覚して角界を廃業し、86年に鳴り物入りで全日本プロレスに入門。特別待遇の英才教育を受けデビューした。絶大な知名度でテレビの視聴率、地方興行の集客と話題を集めたが大きな実績を残せず、3年足らずで引退した。

大相撲で一時代を築いた名横綱のプロレス入りは、一大事件だった。85年12月に廃業。アントニオ猪木率いる新日本プロレスと激しい興行戦争を展開していたジャイアント馬場が、集客の目玉として輪島さんをスカウトした。日刊スポーツは輪島さんの全日本入りを86年4月8日付の1面スクープとして伝えた。輪島さんのプロレス転向をきっかけに、日刊スポーツにまるまる1枚のプロレス面がスタートした。

輪島さんは馬場から特別待遇で迎えられた。ジャンボ鶴田や天龍ら、当時のトップレスラーにコーチ役を頼まず、いきなりハワイで練習。初代AWA世界ヘビー級王者のパット・オコーナーの指導を受け、馬場とタッグ戦で米国でデビューを飾った。当時、日本でスパーリングのパートナーを務めた渕正信は「38歳がスタートだったから、米国で涙の出るような練習をしたと聞いた。『渕君、オレにはこれ(プロレス)しかないから、1年、2年(練習を)しっかりやるよ』と明るく話していた」と言う。

米国での集中特訓で腹をへこませ、背筋を鍛えた。大相撲時代ののど輪をヒントにゴールデン・アームボンバーを開発。リック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座挑戦や、スタン・ハンセンとPWF世界ヘビー級王座決定戦を行うなど実績を積んだ。帰国後、全日本デビュー戦のテレビ視聴率は20%を超えた。地方興行も常に大入り、タイトル獲得はなかったがプロレス入りの反響は絶大だった。

全日本には天龍を始め、角界出身の先輩がいたが、輪島さんは横綱のプライドを捨てて、溶け込もうと努力した。角界出身のグレート小鹿は「オレは相撲界に3年しかいなかったけど、オレのことを先輩と言ってくれた。気さくで、人懐っこい人だった」と話す。天龍との試合では、靴ひもの跡が顔につくほど蹴られたが、それもプロレス界で一流になってほしいという、天龍の愛情からだった。

88年12月に、輪島さんはひっそりと引退した。引退発表も引退試合もなかった。膝や首など、約3年間のプロレス生活で体はボロボロになっていた。「プロレスの世界ではチャンスに恵まれず、自分の道を歩けなかった。でも、まだ70歳でしょ。ちょっと早いよ」と小鹿は残念がった。【桝田朗】

85年12月、廃業を発表した輪島さん

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黄金の左、のど輪落とし/輪島さん波瀾万丈人生

77年3月、春場所での輪島さん

第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

<輪島さん波瀾万丈人生>

◆虫嫌い 1948年(昭23)1月11日に石川県七尾市に理髪業の輪島家の長男として生まれる。4500グラム。ケガをすると家族は反対も石崎小3から相撲の町内大会などで優勝。香取中では野球部も相撲も稽古し、1年の奥能登、3年の県大会で優勝。蛇、カエル、ミミズと虫嫌い。東京五輪石川県聖火ランナー。

◆サイン稽古 金沢高では岡大和監督宅に下宿して1年で山口国体を制し、高2の夏に大鵬親方らから勧誘される。「有名になる」とサインを練習し、このため本名で通したともいわれる。監督の薦めで日大進学で新人戦優勝。3年で初めて学生横綱になる。

◆貴ノ花圧倒 日大時代に当時新十両で親友となる貴ノ花(初代元大関)に稽古で2勝1敗と勝ち越し。当時の二子山親方(元横綱若乃花)が貴ノ花に「関取の白まわしを締める資格がない」と激怒。2年連続学生横綱など大学通算14冠を引っ提げ、合宿所隣で気心知れた元前頭大ノ海の花籠部屋に入門。

◆快進撃 花籠親方は雑用を免除し、食事は親方宅、大部屋は3日で日大合宿所の2人部屋に戻った。70年初場所幕下尻付出で誕生日にデビューし、日大応援団も駆けつける中で7戦全勝優勝。「蔵前の星」と呼ばれ連続全勝優勝で夏場所最速新十両昇進。ザンバラが目に入ると美容室でパーマをかけ怒られた。

◆特例懸賞 70年夏3日目にプロ初黒星で連勝は16でストップし、名古屋で初負け越し。秋はライバルだった東農大出身の長浜(のちの小結豊山)と5戦全勝で対決。観客投票で幕内にかける懸賞の森永賞が特例でつき、この一番を制して13勝で十両優勝を飾る。

◆最短V 71年初に新入幕を果たし、夏は11勝で初の敢闘賞。72年初場所は新小結で北の富士から横綱初勝利し、初の殊勲賞となる。夏に関脇で12勝を挙げて最短15場所で初優勝を飾る。学生相撲出身では山錦以来42年ぶり。

◆貴輪時代 72年秋の千秋楽は貴ノ花と水入りの一番を制して、13勝の準優勝で貴ノ花と大関同時昇進し、貴輪時代到来といわれた。昇進を機にしこ名を博から大士に改名。63勝で初の年間最多勝。豪華マンションに住み、リンカーン・コンチネンタルを乗り回し、外国製腕時計をして、プロ野球や芸能人と交流した。引退後の81年、2人はそろって資生堂のテレビCMに出演した。

◆稽古嫌い 稽古が嫌いで、まだ若手の千代の富士が1度出稽古に来ると、部屋に入る前に「帰れ」と追い返した。腰が軽くなるといわれたランニングを導入。二子山親方が「マラソンで強くなるなら(メキシコ五輪銅の)君原は大横綱だ」と吐き捨てたという。貴ノ花は「本当に稽古しないのに強く天才」と言った。

◆本名横綱 73年春の13勝まで3場所連続準優勝で、夏に初の全勝優勝で54代横綱に昇進。学生相撲出身、本名の横綱は史上初で、石川出身は阿武松以来145年ぶり。秋に全勝で横綱初優勝。九州は貴ノ花を下して12連勝も、右手指の間を3センチ裂いて6針縫う。13日目に負けたがV4が決定し、14日目から2日間休場と史上初めて休場して優勝となった。

◆黄金の左 75年春から3場所連続休場した。秋から気分一新して黄金の締め込みに替え、「黄金の左」と呼ばれるようになった。78年から休場が多くなり、この年は優勝なし。80年九州では外出を控えて体力温存し、最後となる14度目の優勝となった。

◆親方廃業 師匠が定年を迎える81年春は3日目で引退し、12代目として花籠部屋を継承した。審判委員などを務め、82年夏には輪鵬、花ノ国が新十両など4人の関取を育てた。85年11月に実妹が年寄名跡を借金の担保にし、2階級降格と無期限謹慎処分。借金4億円などで12月に廃業し、力士らは放駒部屋に移籍した。

◆転身 86年4月に全日本プロレスに入門し、米国やプエルトリコで修行。8月に米国でジャイアント馬場とタッグを組んで白星デビュー。11月に地元石川で国内デビューし、凶暴さで鳴らすタイガー・ジェット・シンとシングルで対戦。両者反則で引き分けも場外乱闘にもひるまなかった。

◆存在感 レスラー時代の必殺技はゴールデン・アームボンバー(のど輪落とし)。初のテレビ中継の視聴率は20%を超えた。87年にはリック・フレアー、スタン・ハンセンとタイトル戦でも対戦し、元前頭の天龍から妥協なき攻撃を受けて語り草に。88年12月に体力の限界で引退した。

◆家族 留美夫人と1女1男。長男大地さんは17年夏の甲子園に天理高の一員として出場。準々決勝明豊戦に2番手投手として登板した。

70年5月、夏場所の輪島さん。パーマがかかっているように見えるが…
74年7月、名古屋場所の優勝決定戦で横綱輪島さんは「黄金の左」下手投げで北の湖(右)を大逆転する
スタン・ハンセン(右)にコブラツイストを決める輪島さん(1987年4月24日撮影)

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輪島さん「もう1度裸に」忘れられぬ全日入り/悼む

87年3月、全日本武道館大会でリック・フレアー(右)を絞め上げる輪島さん

第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

   ◇   ◇

角界時代の輪島氏のことはあまり取材していない。担当になった時はすでに親方で、そのうち年寄名跡騒動が起きた。九州場所では博多の百道海岸の宿舎を遠巻きに張り込んだ。そんな合間に若い衆から数々の逸話を聞き、天然ぶりに笑わせられ、感心もさせられた。

当時の地方の宿舎には、ピンク色の公衆電話が臨時設置された。親方用と部屋用。力士が親方へ連絡する時も公衆電話で、長電話に備えて10円玉に両替が必須だった。当時元十両輪鵬は10円玉が足りなくなって「かけ直しします」と切ろうとした。すると親方は「大丈夫だ。こっちから10円玉入れるから」と答えたという。「熱いのはダメ。猫背だから」、「その先を右へ左折して」。天然も発想は実に奇抜だった。

プロレスデビュー前の海外修行中、米ニューヨークで息抜き時に取材した。頼まれた土産は週刊誌。日本の情報に飢えていて、その場でむさぼるように読み始めた。「美女と対談したこともある」と自慢していた。その遠征中の取って置きの話。機中のドリンクサービスで牛乳が飲みたくなったが「ミルク」という単語が浮かばない。そこで客室乗務員に向かって「モー、モー」と牛の鳴きマネをした。通じなかったそうだが。

日大はアメリカンフットボールの名門で、名将と言われた篠竹監督と親交があった。91年には学生援護会総監督に就任し、日本社会人協会理事にも就任した。日大のビッグゲームには応援に来て顔を合わすようになった。「和倉温泉に連れて行ってやる」と約束してくれていたのに。

86年に全日本プロレス入り会見での名言は忘れられない。「自分は裸(力士)になって、裸(借金4億円)になってしまったのだから、もう1度目いっぱい裸(プロレスラー)になって頑張るしかない」。憎めない、面白い人だった。【河合香】

81年10月、断髪式で親友貴ノ花(左)からはさみを入れられる輪島さん

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輪島さん甘え上手 記者の自腹でビジネスに/悼む

86年11月、全日本七尾大会で国内マットでのデビュー戦を故郷で迎えた輪島さん(中央)。右はジャイアント馬場

第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。

   ◇   ◇

相撲では大横綱だった輪島さんだが、私には大きな甘えん坊に見えた。困ったことが起こると、「お願いだから~、頼むよ~」と、大きな体を丸めて、モジモジ。そんな姿を見せられると、ついやってあげたくなる。得な性格だった。

プロレスラーとして最初の洗礼は、デビュー前のハワイでの最終調整を終えて、米国デビュー戦に向かうホノルルの航空機チェックインカウンターだった。故ジャイアント馬場さんが用意していたのは、プロレスではあくまで「新弟子」という扱いだからエコノミー席だった。

ここで輪島さんは、「体が入らないからさあ、ビジネスにならないかなあ」と、大胆にも記者にアップグレードを要求。普通に言われたら、「無理です」と断れたのだが、上目遣いで頼まれたのもあって「馬場さんには内緒ですよ」と、記者の自腹でビジネスに交換してしまった。これが最初の甘えん坊被害となった。その後も、ことあるごとに、甘えに乗せられてしまった。他社の記者も同様のようで、ある意味、輪島さんの人間性にひかれていってしまうのだと感じた。

約3年という短い期間のプロレス生活では不器用さが目立ってしまい、本領は発揮できなかった。だが、輪島大士というレスラーがその時代にいたことは誰も忘れないと思う。【元バトル担当=川副宏芳】

87年12月、勝ち名乗りを受ける輪島さん(左)とジャイアント馬場。中央はジョー樋口

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輪島さん死去 波瀾万丈の70年、最期はひっそり

81年1月、初場所で雲竜型で土俵入りをする輪島さん

「黄金の左」と呼ばれた型破りな元横綱が逝った。第54代横綱でプロレスラーにもなった輪島大士さん(本名輪島博)が8日午後8時、東京・世田谷区の自宅で亡くなった。70歳。死因は下咽頭がんと肺がんの影響による衰弱だった。日大からプロ入りして学生出身では初の横綱に昇進し、左下手投げを得意に歴代7位の14度優勝。年寄名跡を借金の担保にして廃業後、全日本のプロレスラーでも活躍した。土俵の内外で自由奔放な個性的な横綱だった。葬儀・告別式は未定で、喪主は妻の留美(るみ)さんが務める。

輪島さんは4年前に引っ越した世田谷区の自宅で亡くなった。近所の住民によると、前日深夜に自宅へ救急車、パトカー、消防車が相次いで到着したという。以前は1人でよく散歩し、顔を合わすとしゃべる代わりに肩をたたいたり、手をたたいて、気さくにあいさつされたそうだ。1年前から散歩に出なくなったが、3日前にはつえをついてデイサービスの車に乗る姿を見たという。

13年に咽頭がんの手術を受けた後は声が出ないこともあり、公の場に出ることは減った。遠縁の輝が所属する高田川部屋の稽古を定期的に訪れていたが、今年はなし。そのほかは、日大の後輩である境川親方(元小結両国)の弟子の挙式に出席する程度。角界だけでなくプロレス、日大などの関係者とも疎遠となり、一時代を築いた横綱はひっそりとこの世を去った。

幕下での初土俵には日大応援団まで駆けつけた。「蔵前の星」と期待されるも、たたき上げから「学生さん」と見下された。大成しないと言われた学生相撲から、初めてで唯一の横綱昇進でジンクスを打破した。

得意は左四つからの下手投げ。右の絞りが強かった。これも大成しないと言われたが、角界では異端のランニングも重視し、安定した下半身を作った。大型化が始まった時代で昇進時は120キロ。下半身の瞬発力に天性のタイミングで、このジンクスも打破した。

北の湖とは44度対戦した。74年名古屋場所で逆転優勝したが、北の湖も横綱に昇進した。ここから「輪湖時代」と呼ばれて毎場所賜杯を争った。75年に腰痛などで3場所連続休場し、気分一新に締め込みを金色に替えた。カラー化時代の先駆けで「黄金の左」が代名詞に。レスラー時代も同系色の黄色いパンツがトレードマークだった。

81年春場所で連敗すると現役を引退した。花籠部屋を継いだが、年寄名跡を借金の担保にしていたことで大騒動に発展。親方は4年半で廃業し、86年にはプロレスラーに転身した。馬場社長にかわいがられたが、約3年で2度目の引退となった。

日大相撲部で1学年上に頭の上がらない現日大田中理事長がいた。大学3年時に決勝で破って学生横綱になると、当時の理事長にプロを勧められた。日大からは66人が入門して51人が関取に。その道筋をつけ、燦然(さんぜん)と輝く第1号。型破りで奔放な性格と言動で一世を風靡(ふうび)した昭和の横綱は、波瀾(はらん)万丈の人生を送った。今年は騒動続きの日大にあって大スターだった横綱が旅立った。

◆輪島大士(わじま・ひろし)本名輪島博。1948年(昭23)1月11日、石川県七尾市生まれ。金沢高で相撲を始め、日大で2年連続学生横綱など14タイトル。花籠部屋に入門し70年初場所幕下尻付け出し初土俵。連続全勝優勝で夏場所新十両、71年初場所に新入幕。72年初優勝、秋場所後に大関昇進。73年夏場所後に54代横綱昇進。優勝14回、三賞5回。現役時185センチ、125キロで、得意は左四つ、下手投げ、寄り。81年春に引退して花籠部屋継承も85年に年寄名跡担保問題で退職。86年プロレスラー転向し、88年引退後アメリカンフットボールの学生援護会総監督やタレント活動も、13年に咽頭がん手術を受けた。

87年4月、全日本PWFヘビー級選手権でスタン・ハンセン(右)にゴールデン・アームボンバーを決める輪島さん
16年2月、豊響の挙式・披露宴に出席した輪島さん

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藤田紀子、元貴ノ花とのデートにはいつも輪島氏同席

ミス・エールフランス・コンテストの審査員を勤めた貴ノ花夫妻。妻は旧姓・藤田憲子さん(1970年10月撮影)

タレント藤田紀子(71)が9日、日刊スポーツの取材に対し、50年近い付き合いの輪島さんをしのんだ。

初めて輪島さんと出会ったのは、元夫で05年に亡くなった貴ノ花との初デートの時、1969年のことだった。「私は松竹を辞めてフリー、親方(貴ノ花)は幕内から十両に落ちて、互いに再出発ということで紹介され、新橋の喫茶店で待ち合わせたんです。その時、親方が連れてきたのが当時は日大相撲部で、学生横綱だった学ラン姿の輪島さんでした。肩幅が広くて『衣紋掛けが来たかと思った』って笑ったのを覚えてます」と振り返った。

その後はデートする度に、輪島さんも同席した。「互いに『輪島』『満』と呼び合って、喫茶店でお話しした後にご飯を食べに行きました。支払いの時には輪島さんが貴ノ花のお財布を持って堂々と払っていました。明るい人で、面白いことを言って、いつも笑わせてくれました。同級生みたいな感じです。亡くなったと聞いても、楽しかった思い出ばかり。輪島さんがいてくれたから、私たちは結婚できたと思います」。

長男花田虎上氏(47)が3歳くらいの時には「勝(虎上氏)、連れてくよ」と声を掛けて、静岡の巡業先までリンカーンに乗せていったこともあったという。「子供が大好きで、お兄ちゃんは『輪島ちゃん』と慕っていました。最後に親しくお話ししたのは20年くらい前に結婚式でご一緒した時で、その後は15年前に対談の仕事で一緒になりました。本当に残念です」と“恩人”の死を悼んだ。 【小谷野俊哉】

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宿敵他界から3年…輪島さん「輪湖時代は私の誇り」

76年9月、優勝額贈呈式で互いの健闘を誓い合う輪島さん(左)と北の湖さん

70歳で死去した輪島大士さんは、横綱北の湖と「輪湖(りんこ)時代」を築いた。対戦成績は輪島さんの23勝21敗。横綱を務めた73年から81年は北の湖の全盛期と重なり、2人の熱戦は昭和の相撲史を色濃く彩った。

輪島と北の湖。左の相四つでがっぷりと胸を合わせての力比べは、最高の見せ場だった。72年名古屋の初対戦から、13度目の対戦となった74年名古屋場所。輪島が1人横綱で大関北の湖を1差で追っていた。千秋楽に本割、優勝決定戦とも輪島が下手投げで連勝して逆転優勝した。場所後に北の湖が横綱に昇進して輪湖時代が始まった。

76、77年の12場所はすべて千秋楽結びで対戦して両者とも5度優勝。通算22場所あり、相星4度を含めて8度がともに優勝圏内で対戦。水入りが3度あった。決定戦を含めず輪島が通算23勝21敗だった。

後に日本相撲協会の理事長になった北の湖親方は生前「常に輪島さんとの一番を意識していた。絶対に負けられんぞと気合が入ったものだ」と明かしていた。

レスラー時代の全日本プロは国技館から締め出され、疎遠になっていた。それでも20年ほど前にサウナで会って以来、北の湖理事長から番付が送られるようになり、輪島さんは全て大事に保管していたという。09年初場所のNHK中継にゲストで23年ぶりで本場所観戦した。13年がんが判明した後、15年には雑誌の対談で両雄が再会した。「輪湖時代は私の誇り」と話していた。

15年11月に北の湖理事長が死去した際には、声が出ないために文書でコメントを寄せた。「お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」「(北の湖は)運動神経が抜群だった。1度掛けた技は2度は通用せず、頭のいい力士だった」「俺はもう少し頑張る。よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」。あれから3年。輪湖はともに旅立った。

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元貴乃花親方が輪島さんを追悼「輪島のおじちゃん」

元貴乃花親方(2018年9月28日撮影)

1日付で日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が10日、貴乃花応援会公式サイト内のブログを通じ、大相撲の第54代横綱輪島で死去したことが分かった輪島大士氏(本名・輪島博=享年70)の死を悼んだ。

花田氏は「輪島さんに哀悼を告げます」と題し、以下の文章をつづった。

「哀悼を告げます。輪島さんに最後にお会いしたのは、未だに私の尊敬する、亡き北の湖前理事長との対談をされていたときで、その際傍でご挨拶ができました。その時は、声帯の手術と治療をされていると聞きましたが、かすれながらに『こうじ、こうじ、』と、元気にお声がけ頂いたことが思い出されます。それが輪島さんと最後にお会いした時でした。その時期の私は、北の湖理事長の下で職務を学んでいた頃でした。輪島さんに久しぶりにお会いできて大変嬉しく、同時に北の湖理事長の輪島さんに対する労わりの精神を垣間見させていただきました」

花田氏は、輪島氏との最後の対面を明かした。その上で、敬愛した当時の理事長で15年11月に亡くなった北の湖敏満氏も、輪島氏には一目置き、尊敬の念を持って接していたことをつづった。

「北の湖理事長も横綱を張った輪島さんとあって緊張された様子でした。その御心を察して、手を引くように国技館をご案内され、労わるように輪島さんの前を歩いておられたそのお姿。神が降臨したかのような北の湖理事長の優しさ、美しさ。そして、近年の実績でも追従をゆるさない横綱北の湖関に、私は魅了されてしまいました。輪島さんの緊張を察してそれをほぐすかのように、川の流れのように、自然体で深くて美しくゆったりとした風格。それこそが私には印象的でした」

そして輪島氏が気さくな人柄で周囲から愛されていた思い出話を明かした。

「輪島さんとその前にご同席できたのは、石川県にあります、かの有名な加賀温泉の加賀屋様でのひと時でした。一晩、加賀屋様にお泊めいただいた私は、「この世に竜宮城のような、こんな絢爛豪華なお宿があるのか」と思った次第です。それに加えて、従業員さんたちの礼儀正しさと、気品溢れる大女将様の仕草と語らいは、日本国を代表するこの世の居留地であり、人生のあらゆる場面で生じた喜怒哀楽を青く澄んだ海に浮かべることができるようなお宿で、展望台の中に佇んで旅情を包んでくれる御心与えしおもてなしでした。輪島さんの気さくで誰も真似のできない会話のユニークさ、そして、演出できない輪島さん節を聞きながら、天空のお宿、加賀屋様で過ごした思い出は私の人生の財産です」

また輪島氏が85年に花籠名跡を担保に借金したことで日本相撲協会を離れた後も、各界で支援されていたと明かした。

「輪島さんは定年以前に角界を去りましたが、後援会長や支援者に長年にわたり愛され、大切にされた方です。個人名は出せませんが、輪島さんを永年ご支援された方々は存じております。私の父、先代貴ノ花の師匠からも輪島さんが人々に愛され大切にされてきたお話はたくさん聞いておりました」

また幼少期に輪島氏に出会った思い出もつづった。

「私が幼い頃ですが、輪島さんは先代貴ノ花の自宅へ遊びに来られていました。夜に突然来られてあっという間に残り香を遺して帰られるような輪島さんは、私の子供の頃の記憶を辿ると、宇宙人みたいな、それこそ天孫降臨されたような方でした」

さらに父の貴ノ花親方が生前、輪島氏が代名詞「黄金の左下手」を、より光らせる技を持っていたと明かしたこともつづった。

「大相撲の時代を作った輪島さんの黄金の左下手は天才です。ふと私の父の遺した言葉が蘇りますが、"輪島は黄金の左下手といわれるがそれは違う、左を差した時の右からのおっつけが強かった。"黄金の左下手には、そんな秘訣もありました。これも私の父が遺した言葉です。"北の湖は天才。北の湖は若い頃から孤独でそれに打ち勝って横綱になった。北の湖は強かった。"もう一つ父の言葉が蘇ってきます。"俺は、玉の海関に強くしてもらった。玉の海関がいなかったら今の自分は存在しない。"輪島、貴ノ花が若手の筆頭株で、二人で幕内上位に昇り龍のごとくに活躍していた前から、バリバリの若手を相手にして息も上がらずに、一番も負けずに何十番と稽古をつけられた方が、横綱玉の海関でした。玉の海関は、解説でも著名な北の富士親方の盟友でもあった方です。私も本場所中は花田家の仏前に祈りを捧げて通っておりましたが、玉の海関の戒名もうちの仏前には書き込んでありました。毎回、私は御先祖様と玉の海関に蝋燭とお線香をたいて祈りを告げておりました」

花田氏は最後に「輪島さんの思い出を辿ると、先代貴ノ花の師匠が遺して下さったお話も尽きないほどに思い出されますが、どれもが懐かしいことばかりです。輪島さんのあの愉快な楽しい話がまた聞きたいです。グァム旅行にご一緒したこともありました。大きな大きな背中の輪島のおじちゃんとの大切な思い出を、いつまでも心にしまっておきたいと思います」(原文のまま)と、輪島さんへの思いをつづった。

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親交深い高田川親方「器の大きな方」輪島さん悼む

元関脇安芸乃島の高田川親方(2018年3月28日撮影)

第54代横綱の輪島大士さんが70歳で死去し、親交のあった高田川親方(元関脇安芸乃島)は9日、故人をしのんだ。

現役時代の師匠、藤島親方(元大関貴ノ花)が親しかったこともあり、輪島さんには新弟子のころからかわいがってもらったという。「輪島さんは変わった人。他の部屋の親方は、新弟子なんか相手にしないけど、かわいがってくれた。反物をくれたりもした」。

近年は、弟子の幕内力士、輝が輪島さんと同じ石川県出身ということもあり、本場所前は稽古を見に来てくれていたという。

輝が関取になる時は、輪島さんが愛用していた金色のまわしを締め、下の名前「大士」を使わせてもらうことを願い出た。「てっきり、『たいし』と読むのだと思っていたので『たいしをいただいてもいいでしょうか?』と聞いたら『いいよ。でも、これはひろしって読むんだぞ』と」。名前の読みを間違えながらも、怒ることもなく、やんわり指摘され「器の大きな方」とあらためて感じたという。

「横綱なのに、いばりちらしたりしない。人間的にすごい。亡くなった親方(元貴ノ花)と相通じるものがあったのかもしれない」と話していた。

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大横綱、理事長経験者が相次ぎ死去 喪失感漂う角界

北の湖さん(右)を寄り切りで破った輪島さん(1975年1月26日撮影)

近年は大相撲史に残る歴代横綱たちが、相次いで天国へと旅立っている。9日には輪島大士さんの死去も判明。「平成の大横綱」だった元貴乃花親方の退職に揺れる角界は、寂しさに襲われた。

5年前には史上1位(当時、現在は2位)の優勝32度を記録した大鵬が72歳で逝去。全盛期は「巨人、大鵬、卵焼き」と称されるほどの国民的人気を誇り、現役引退後は一代年寄として圧倒的な威厳を保ち続けた。

2015年には史上5位の優勝24度を誇る北の湖が急逝。現職の日本相撲協会理事長だった九州場所中の訃報は衝撃を与えた。輪島さんは当時、好敵手の死を受け「先に逝かれて寂しい。俺はもう少し頑張る」などと文書でコメントした。

16年には小兵ながら史上3位の優勝31度で「小さな大横綱」、精悍(せいかん)な顔つきと気迫で「ウルフ」と呼ばれた千代の富士が力尽きた。北の湖は62歳、千代の富士は61歳。ともに還暦土俵入りを務めた後だった。

「土俵の鬼」と恐れられた元横綱初代若乃花は10年に82歳で逝き、境川理事長として角界改革を目指した元横綱佐田の山は昨年に79歳で死去。11年には稀勢の里関の師匠、鳴戸親方(元横綱隆の里)が59歳で急死。後に横綱となる弟子が大関昇進へ挑む九州場所直前の出来事だった。10年以降で理事長経験者3人、一代年寄2人(千代の富士は辞退)が亡くなり、喪失感の大きさはぬぐえない。

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同郷の輝大士「地元の英雄」悼む、しこな輪島氏由来

土俵入りを披露する輝

大相撲の第54代横綱の輪島大士氏(本名・輪島博)が死去したことが分かった9日、静岡・東伊豆町では秋巡業が行われた。輪島氏と同じ故郷の石川・七尾市出身で平幕の輝(24=高田川)は「小学校にも公民館にも(輪島氏の)額があって一番身近な地元の英雄でした」としみじみと話した。

直近で会ったのは去年の春場所前で、大阪で食事をしたという。輪島氏は13年に咽頭がん手術を受けたため、やりとりは筆談で行われた。そのため多く“語る”ことはなかったというが「『今場所も頑張れよ』と言われた」と明かした。当時の様子については「元気は元気でしたけど、少しやせてたかな」と話した。

しこ名の「輝大士」は輪島氏の「大士」が由来。新十両昇進を確実にした14年秋場所後の千秋楽パーティーで、師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)とともに、パーティーに出席していた輪島氏に相談。「『名前をもらっていいですか』と聞いたら『いいよ』って言ってもらいました」と明かした。読み方は「ひろし」ではなく「たいし」だが「名前負けしないように恥ずかしい相撲を取らないようにしたい」と話した。

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遠藤、同郷で日大先輩「目指さないと」輪島氏悼む

ぶつかり稽古で栃ノ心に胸を出す遠藤(右)

大相撲の第54代横綱の輪島大士氏(本名・輪島博)が死去したことが分かった9日、静岡・東伊豆町では秋巡業が行われた。

巡業に参加している、同郷の石川出身で日大の後輩にあたる平幕の遠藤(27=追手風)は、報道陣から輪島氏の死去を知らされて驚きの表情を浮かべた。

小学時代と角界入り後に1度ずつ会ったことがあるという遠藤。小学時代は、地元石川で行われた相撲大会に輪島氏が訪れたという。騒ぐ周囲に対して「みんなが輪島、輪島と言っていたけど、当時は何のことだか分からなかった」というが、相撲を続けているうちに輪島氏の偉大さに気が付いた。

角界入り後は「新入幕に上がる前」に会った。話の内容は「緊張して覚えていない」と偉大な先輩を前に頭が真っ白になったというが「気まずいとかはなかった。ユーモアのある方。向こうから話しかけてくれた」と印象を語った。

輪島氏の現役時代の相撲は、映像で何度か見たという。「左の下手投げと右のおっつけの印象が強い。まわしがからし色。学生出身で唯一の横綱で日大出身。目指さないといけない」と話した。

第54代横綱の輪島大士氏

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元横綱輪島大士さんが死去 70歳、「黄金の左」

元横綱輪島大士さん

大相撲の第54代横綱輪島で、北の湖とともに輪湖時代を築いた輪島大士氏(本名・輪島博)が死去したことが9日、分かった。70歳だった。

1948年(昭23)1月11日、石川県七尾市生まれ。日大3、4年時は連続学生横綱。花籠部屋に入門し、70年初場所幕下付け出し(60枚目格)で初土俵。73年名古屋場所で横綱に昇進。

「黄金の左」を武器に優勝14回。ライバル北の湖と輪湖(りんこ)時代を築いた。81年に引退し、花籠部屋を継承。しかし、85年に花籠名跡を担保に借金したことで日本相撲協会を離れた。

86年に全日本プロレス入門。88年の引退後は学生援護会アメリカンフットボール部の総監督、タレントなどでも活躍した。

13年12月に咽頭がんの手術を受けたが、翌14年には高田川部屋へ、二所ノ関一門の連合稽古を見学に訪れ、筆談に応じるなど元気な姿をみせていた。

第55代横綱で、日本相撲協会の理事長を務めた北の湖敏満氏は15年11月に亡くなっている。

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白鵬が輪島大士さん悼む「我々を上から見守って」

輪島大士さん(左)と白鵬(2006年7月23日撮影)

大相撲の第54代横綱の輪島大士氏(本名・輪島博)が死去したことが分かった9日、秋巡業が静岡・東伊豆町で行われ、親交のあった横綱白鵬(33=宮城野)が悲しみを口にした。

最後に会ったのは「1年半前か、2年ぐらい前になるかな」と食事をともにしたのが最後だという。13年に咽頭がん手術を受けたため、筆談でのやりとりに苦労したことを明かした。過去には、輪島氏の故郷・石川県七尾市で2人でトークショーを開いたこともあり「一緒に飲んだり食べたり、ゴルフもした。本当に良くしてもらいました」としみじみ。「天国で歴代の横綱たちと相撲を取ってるかもしれないね。我々を上から見守ってくれれば」と話した。

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元横綱三重ノ海の石山五郎氏「残念」輪島さん悼む

元横綱輪島大士さん

大相撲の第54代横綱輪島で、14度の幕内優勝を果たした輪島大士さん(本名・輪島博)が死去したことが9日、関係者への取材で分かった。70歳だった。

輪島さんと同年齢で、日本相撲協会理事長も務め第57代横綱三重ノ海として活躍した、現相撲博物館の石山五郎館長は「ニュースで(訃報を)知ってビックリした」と話した。2年前の名古屋場所で現地を訪れた際、ホテルのロビーで偶然、顔を合わせたのが最後だという。会話はできなかったが「こっちの方で一方的に『今後、飯でも食おう』と話しました。普通に歩いていたし元気だった。それきりです」と続けた。

同じ昭和23年の早生まれで同学年。たたき上げと大卒の違いで、初土俵は同館長の方が6年半早かったが、横綱昇進は輪島さんの方が約6年、早かった。当時を振り返り「それまで我々が教わった相撲界の中では、考え方も含めて番外でした。(地方場所で)ホテルから部屋に通うなど考えられなかった。うらやましかった」と、豪放磊落(らいらく)な性格をうらやんだ自分がいたという。

思い出の一番に挙げたのは77年(昭52)九州場所、4勝3敗で迎えた8日目の相撲だったという。「私は大関でしたが、それまで何場所か勝ってなくて(4場所連続黒星)、その場所も調子が良くなくて、彼は全勝。思い切って張り差しにいって二本差していっぺんに持って行った。翌日、支度部屋で『あんなに思い切り、ひっぱたかなくてもいいじゃないか』と言われました(笑い)。あれから俺のことを苦手にしたみたいでした」。幕内対戦成績は16勝27敗だが、その一番を含め以降は10勝3敗と得意にした。

現役引退後も、食事会を設け、年寄としては2場所“先輩”だったこともあり職務のアドバイスなどもしたという。年寄名跡を借金の担保にしたことなどで輪島さんは廃業に追われたが「その前に2人で食事した時も、心配で何度も聞いたけど『大丈夫。持っている土地を処分すれば大丈夫』と言っていた。あんな形で(廃業したのは)残念」と惜しんだ。

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輪湖時代、プロレスでも活躍/輪島大士さん写真館

大相撲の元横綱で、北の湖とともに輪湖時代を築いた輪島大士氏(本名輪島博)が死去したことが9日、関係者への取材で分かった。70歳。石川県出身。

学生横綱祝勝会の席で花籠部屋入りを表明した輪島さんは、花籠親方(左)と握手(1969年12月16日撮影)

プロ入り表明後初稽古を行った輪島さん(右)。出稽古に来ていた初場所再入幕の貴ノ花さん(左)と22番の申し合いをし11勝11敗の五分(1969年12月22日撮影) 

初土俵の初場所で全勝優勝し東幕下8枚目に躍進した輪島さん(1970年撮影)

十両入りを果たし日大相撲部の後輩から胴上げされる輪島さん。幕下付け出しから2場所連続全勝優勝しデビューから3場所目のスピード出世だった(1970年4月27日撮影)

15戦全勝で2度目の優勝を飾り、横綱昇進を確実なものとし賜杯を抱く輪島さん(1973年5月27日撮影)

優勝パレードに出る輪島さん、左は旗手を務める貴ノ花さん(1973年5月27日撮影)

土俵入りする第54代横綱の輪島さん(1973年7月9日撮影)

北の湖さん(右)を寄り切りで破った輪島さん(1975年1月26日撮影)

優勝額贈呈式で互いの健闘を誓い合う名古屋場所優勝の横綱輪島さん(左)と夏場所優勝の横綱北の湖さん(1976年9月11日撮影)

花籠親方(奥)に付き添われ引退会見をする横綱の輪島さん(1981年3月11日撮影)

引退、花籠襲名披露で苦楽をともにした親友貴ノ花さん(左)がはさみを入れると、一瞬涙ぐんだ輪島さん(1981年10月4日撮影)

プロレスデビューした元横綱の輪島さん。左はジャイアント馬場さん(1986年撮影)

国内マットでのデビュー戦を故郷・七尾で迎えた輪島(中央)はタイガー・ジェット・シンをコーナーに追い詰めチョップの連打(1986年11月1日撮影)

スタン・ハンセン(右)にコブラツイストを決める輪島さん(1987年4月24日撮影)

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輪島さんが贈った北の湖さんへの弔いの言葉/復刻版

76年9月、輪島と握手を交わす北の湖

大相撲の元横綱で、北の湖と輪湖時代を築いた第54代横綱の輪島大士氏(本名輪島博)が死去したことが9日、分かった。

輪島さんはかつてしのぎを削ったライバル、北の湖理事長さんが急死した際、文書でコメントを発表した。15年11月22日付の日刊スポーツ記事で振り返ります。(年齢は当時)。

  ◇  ◇  ◇

北の湖理事長と現役時代にしのぎを削り「輪湖(りんこ)時代」を築いた元横綱、輪島大士氏(67)が21日、かつてのライバルの急死について文書でコメントを寄せた。咽頭がんの手術を受けて発声が困難なため。訃報について「最近、理事長は元気だと聞いたばかりだったので、とても驚いた。お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」とした。

対戦成績は輪島の23勝21敗だが「運動神経が抜群だった。1度掛けた技は2度は通用せず、頭のいい力士だった」と説明。思い出の対戦には74年名古屋場所を挙げた。千秋楽の本割、優勝決定戦と輪島が得意の下手投げで2連勝して逆転優勝。この場所後に北の湖は横綱に昇進した。

輪島氏は引退後、日本相撲協会を退職した。その後はあまり付き合いがなかったというが「偶然、ホテルのサウナで会い、『裸の付き合いだね』と笑った。その後食事に行き、酒は強かった」と懐かしむ。

その縁もあり理事長からは毎場所、番付表が送られてきた。「昔のライバルが相撲界で頑張り続けていることが、とてもうれしかった。もらった番付表は全て取ってある」。そして「俺はもう少し頑張る。(理事長には)よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」と弔いの言葉を贈った。

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「黄金の左」武器に優勝14回/輪島大士さん略歴

元横綱輪島大士さん

大相撲の元横綱で、北の湖と輪湖時代を築いた輪島大士氏(本名輪島博)が死去したことが9日、関係者への取材で分かった。70歳。

◆輪島大士(わじま・ひろし)本名・輪島博。1948年(昭23)1月11日、石川県七尾市生まれ。日大3、4年時は連続学生横綱。70年初場所幕下付け出し(60枚目格)で初土俵。73年名古屋場所で横綱に昇進。「黄金の左」を武器に優勝14回。ライバル北の湖と輪湖(りんこ)時代を築いた。81年に引退し、花籠部屋を継承。しかし、85年に花籠名跡を担保に借金したことで相撲協会を離れた。86年に全日本プロレス入門。88年の引退後は学生援護会アメリカンフットボール部の総監督、タレントなどでも活躍した。

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鶴竜ボヤく「巡業盛り上がらない。ちびっ子相撲を」

ぶつかり稽古で竜電(手前)に胸を出す鶴竜

大相撲秋巡業が8日、神奈川・南足柄市で行われ、力士会会長の横綱鶴竜(33=井筒)が現状の巡業についてぼやいた。

支度部屋で「巡業があんまり盛り上がっていない。ちびっ子相撲を復活して欲しい」と話した。巡業での人気企画だったが、子どもたちのケガの心配などを理由に夏巡業から行っていない。秋場所前の力士会でも話題に挙がり、巡業部に提案したが通らず「普段できないことをできるのが巡業なのに」とポツリ。4人1組などによるグループ形式の申し合い稽古についても「終わった人から土俵周りからいなくなるから寂しい」と肩を落とした。

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北勝富士「いい汗かける」グループ形式稽古に手応え

グループ形式の申し合い稽古に参加する遠藤ら(撮影・佐々木隆史)

大相撲秋巡業が8日、神奈川・南足柄市で行われ、今巡業から導入された4人一組などで行われるグループ形式の申し合い稽古について、平幕の北勝富士(26=八角)が前向きな姿勢を見せた。

北勝富士はこの日、平幕の朝乃山、正代、竜電とグループを組んで申し合い稽古に励んだ。グループ形式の申し合い稽古は、力士会からの要望により実現。北勝富士は「申し合い稽古に比べて数多く稽古ができる。今までは1番ぐらいしか取れない時もあったけど、今は10番ぐらいは取れる。いい汗かける」と手応えを口にした。

九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)では、初場所以来となる幕内上位が濃厚。「新三役に上がりたいという思いはかなり強い」と決意。今巡業できっちりと体調を仕上げる。

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