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大相撲ニュース

力士、親方らコロナ抗体検査開始 対象約1000人

両国国技館

日本相撲協会は18日、力士ら協会員を対象とした新型コロナウイルスの感染歴を調べる抗体検査を開始した。

電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「抗体検査は本日からスタートし、(今日は)2部屋43人が検査を受けた」と説明。今後は1日に2、3部屋、約50人を対象に実施予定だと明かした。

新型コロナの影響で13日に高田川部屋の三段目力士、勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝)が28歳で亡くなった。協会は同日、希望する力士ら協会員全員を対象に抗体検査を実施することを発表。検査は専門機関に依頼し、各部屋で医師らが血液採取するとしていた。実施日などについては人数分の書類を各部屋に送り、希望者の書類が届いた後に調整していた。

力士約700人、親方衆は約100人で、行司や呼び出しら裏方などを合わせ最大で約1000人規模の検査となる見込み。終了まで1カ月程度要するとされるが、感染歴の有無で状況を把握することで、今後の感染対策に活用できる。無観客での実施を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向け、協会が1歩踏み出した。

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NHK「大相撲特別場所」放送、鶴竜らリモート出演

鶴竜

NHKは17日までに、中止になった大相撲夏場所に替わって「大相撲特別場所~テレビ桟敷へようこそ~」を3週にわたって放送すると発表した。

第1回は24日午後3時5分から午後5時15分。1987年の「大相撲この一年 燃える九重名コンビ」と2004年の「大相撲この一年 激闘 新たな夢へ」を放送し、横綱鶴竜、大関朝乃山がリモート出演で近況を語るという。

また、ABEMAは15日に「大相撲LIVEチャンネル」で「大相撲ABEMA場所~記憶に残る名勝負100連発~」を3回にわたって生放送すると発表。1回目は23日午後4時から。大相撲の歴史に残る名勝負100選を、「土俵際の大逆転劇集」「豪快な取組」「イケメン力士集」というテーマ別で振り返る。三役以上の力士もリモートで生出演予定。

朝乃山(20年1月撮影)

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元十両鶴嶺山の福薗好政さん死去「井筒3兄弟」長兄

81年、名古屋場所で土俵に上がる元十両鶴嶺山で福薗好政さん

大相撲で元十両鶴嶺山の福薗好政(ふくぞの・よしまさ)さんが3月28日に急性心不全のため、都内の自宅で死去したことが16日、分かった。60歳だった。

福園さんは実父の先々代井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)の長男で、父の弟子として75年春場所で初土俵を踏んだ。昨年亡くなった次男の元関脇逆鉾(先代井筒親方)、三男の元関脇寺尾(現錣山親方)とともに“井筒3兄弟”と呼ばれ、父親譲りのもろ差しを武器に81年名古屋場所で新十両に昇進。幕内入りも期待されたが、右肩脱臼などのケガに泣かされて90年初場所限りで現役を引退した。その後、91年9月に東京・墨田区内に相撲茶屋「寺尾」を開店した。

関係者によると、葬儀・告別式はすでに近親者で行われた。

81年7月、名古屋場所の番付を見つめる「井筒3兄弟」長男で元十両鶴嶺山の福薗好政さん(左)。右から三男の元関脇寺尾の錣山親方、次男で元関脇逆鉾の福薗昭廣さん、元関脇鶴ケ嶺の福薗昭男さん

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勝武士さん同期の琴恵光「人を喜ばせるのが好き」

琴恵光(19年8月撮影)

大相撲の西前頭16枚目琴恵光(28=佐渡ケ嶽)が14日、日本相撲協会を通じて13日に新型コロナウイルス感染の影響で亡くなった高田川部屋所属の三段目力士、勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけ・きよたか)への思いを語った。2人の初土俵は07年春場所。同期生の訃報に「正直驚きました。本当にショックです」と胸を痛めた。

勝武士さんは稽古熱心で知られ、琴恵光も「若い頃何度か稽古したことがあったけれど、とにかく真面目にやっていました」と振り返る。巡業などでは相撲の禁じ手などを面白おかしく実演する「初っ切り」を担当し、相撲ファンに親しまれた。「同期会などでは盛り上げ役でみんなを楽しませてくれて、人を喜ばせるのが好きだったと思います」。同期生の中でもムードメーカー的存在だったことを明かした。

佐渡ケ嶽部屋と高田川部屋は、同じ二所ノ関一門。琴恵光は「(自分が)幕内に上がったときに反物を作って渡したら、それをすぐに浴衣にして着てくれた。それがすごくうれしかった。優しい同期生です」。温かい人柄だった。

勝武士さんは先月8日に入院し、同月19日から集中治療室(ICU)での治療を続け、ウイルスと粘り強く戦った。「これからは、自分たち(同期生)が胸を張って土俵に上がっている姿を見守っていてほしい」と、天国の戦友に語りかけた。

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気絶した…勝武士さん初っ切り相棒に聞く(下)

17年2月、初っ切り相撲で高三郷(左)におどけた表情を見せる勝武士さん

大相撲力士の勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけ・きよたか)が、新型コロナウイルス感染の影響で13日に28歳で亡くなった。勝武士さんと「初っ切り」でコンビを組んでいた元高三郷の和木勝義さん(30)に話を聞いた。【聞き手=佐々木一郎】

-勝武士さんとコンビを組んだ初っ切りは、2014年4月の神奈川・藤沢市巡業から2018年4月の長野・東御市巡業まで続きました。勝武士さんの印象は

和木さん まじめでした。初っ切りも楽しくできました。やりやすかったですね。巡業では稽古もたくさんやりました。稽古後、一緒にトレーニングもしていました。自分が2年兄弟子なので、向こうが合わせてくれたというのもあると思います。

-初っ切りでのアイデアは、どちらが出していたのですか

和木さん お互いにですね。出番前に『合わせ』をやるんですが、『こういうのやってみない?』と言いながら。

-勝武士さんが亡くなり、SNSなどではおふたりの初っ切りが特に印象に残っているという声が多くみられました。なぜだと思いますか

和木さん お客さんが楽しんでくれたからですかね。自分らも楽しんでやっていました。最初はギクシャクしましたが、慣れてからは楽しめるようになりました。

-勝武士さんは大事な相撲の時は緊張すると言っていました。初っ切りを担当すると度胸がつくのでは

和木さん それは、そうでもないんですよ。ある程度はつくけど、僕も緊張しました。初っ切りも大きな会場では『本当に緊張するよね』なんて話していました。

-2人は対戦もありました。最初の対戦(2009年九州場所)では高三郷さんがすくい投げで勝ち、次の対戦(2011年名古屋場所)は高三郷さんがつき膝で負けました。1勝1敗です。

和木さん 2度目の対戦では、僕が気絶させられたんです。自分が胸で当たりにいったところ、向こうの頭があごに入りました。気付いたら倒れていました。

-その取組について2人で話したことはありますか

和木さん あります。向こうもびっくりしたと言っていました。

-今、勝武士さんに伝えたい言葉はありますか

和木さん 1カ月間もよく頑張ったと思います。長いですよね。あとはゆっくり休んでください、と。

和木さんは2018年夏場所後に引退。今は、巡業の会場設営をする会社で働いている。第2の人生で、角界に恩返しすることを考えている。

17年2月、初っ切り相撲の立ち会いで、足を蹴り上げ砂を巻き上げる勝武士さん(右)。左は高三郷

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コンビ秘話…勝武士さん初っ切り相棒に聞く(上)

17年2月、初っ切り相撲で取組中にVサインを見せる勝武士さん(右)

大相撲力士の勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけ・きよたか)が、新型コロナウイルス感染の影響で13日に28歳で亡くなった。勝武士さんは相撲の禁じ手などを面白おかしく実演する「初っ切り」を、巡業などで担当していた。初っ切りで最初の相棒を務めていた元高三郷の和木勝義さん(30)に話を聞いた。【聞き手=佐々木一郎】

勝武士さんとコンビを組んでいた和木さんは、訃報に触れた後、ツイッターに「ほんとかよ 嘘だと言ってほしい」と苦しい胸の内をつぶやいた。「直接お別れできないのがかなり辛い」とも。

勝武士さんが亡くなり、メディアでは初っ切りを担当していた時の写真や映像が多く紹介された。コンビを組んでいたのは、元幕下高三郷の和木さんだ。故人をしのんだ後、電話インタビューに応じてくれた。

-勝武士さんは高田川部屋、和木さんは東関部屋の所属でした。同じ部屋の力士で初っ切りを務めることが多いのですが、なぜこの2人がコンビを組んだのでしょうか

和木さん 大山親方の付け人として巡業に出ていた時、(初っ切りの)1組がなくなったんです。それで、大山親方から『やってみないか?』と言われました。同じ部屋に、ちょうどいいサイズの人がいなかったのですが、高田川部屋の行司さん、今の伊之助親方ですが、『うちに勝武士がいるよ』と紹介されました。

-初っ切りは体格が異なる大型力士と小兵のコンビが一般的なので、勝武士さんとはサイズ感が合ったのですね。2014年4月の神奈川・藤沢市巡業で初めて初っ切りを披露しました。準備期間はどのくらいありましたか

和木さん 半年くらいでした。

-それまで面識はあったのですか

和木さん 対戦もありましたし、しゃべったこともありました。練習は主に夜です。ウチの部屋まで来てくれました。部屋が違うのは大変でしたね。最初はもう1組の動きを見て覚えて、徐々に大山親方に教えてもらったり。1年くらいたってから、自分たちで新しい動きを考えたりしました。

-高三郷、勝武士のコンビならではの動きはありますか

和木さん 最後にハリセンで自分が切られて、『パン』とたたかれるところですかね。その時に流行っていたネタや、その地方に合う言葉を入れたりもしました。例えば、(長野県)松本市の時は、地元の大きな病院の名前を出したり。その都度、考えていました。

<(下)に続く>

17年2月、初っ切り相撲で高三郷(左)の顔面に力水を吹き掛ける勝武士さん

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28歳勝武士さんコロナ死、国内20代で初の事例

17年2月、しょっきり相撲で塩かごを手にする勝武士さん

大相撲で初めて新型コロナウイルス感染が判明していた東京・江東区の高田川部屋の三段目力士、勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけ・きよたか)が13日午前0時半、新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去した。28歳だった。新型コロナ感染での死者は角界初。国内で20代の死亡は年齢が明らかになっている中では初とみられる。28歳の早すぎる死は、ウイルスの恐ろしさを改めて世間に伝える形となった。

角界に衝撃が走った。日本相撲協会はこの日、新型コロナ感染で入院治療していた勝武士さんの死去を発表。八角理事長(元横綱北勝海)は「協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。1カ月以上の闘病生活、ただただ苦しかったと思いますが、力士らしく、粘り強く耐え、最後まで病気と闘ってくれました」と悼んだ。

協会によると、勝武士さんは4月4日ごろに38度台の高熱を発症。師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)が受け入れ先を探し続けたが、都内の医療機関が逼迫(ひっぱく)している状況と重なり、なかなか見つからず。血痰(けったん)が見られた同8日夜に、ようやく都内の大学病院に入院した。簡易検査の結果は陰性だったが、容体が悪化して翌9日に転院。10日にPCR検査で陽性と判定されると、さらに容体が悪化した19日から集中治療室で治療を受けていた。

勝武士さんは、14年に糖尿病による低血糖障がいを患った。現在もインスリン注射の投与が必要で、三段目だった16年初場所では取組直前に土俵下の控えで手が震えるなど体調不良を訴え、不戦敗となったこともあった。現役力士の死去は08年に急性骨髄性白血病で亡くなった元幕下若三梅以来。二十数人の力士を育てる師匠は「他の病気でも糖尿病を持っていると治りが遅い。感染しないように、さらに敏感にならないといけない」と警戒感を強めた。

協会は3月の春場所を史上初の無観客で実施し、新型コロナ感染者を出すことなくやり遂げた。以降、出稽古の禁止や接触を伴うぶつかり稽古の自粛要請を各部屋に通達。感染防止に努めてきたが4月10日に勝武士さんの感染が判明。その後に高田川親方や同部屋の十両白鷹山、幕下以下の力士4人(部屋、力士名は非公表)の感染も確認されたが、勝武士さん以外の6人はすでに退院していた。

葬儀・告別式は未定。高田川部屋の稽古についても、芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「今行う状況ではない」と説明するにとどめ、再開時期のめどは立っていない。高田川親方の談話はなく、報道陣には「しばらくはそっとしてあげておいて欲しい」と断るなど角界全体が混乱している。

◆勝武士幹士(しょうぶし・かんじ)本名・末武(すえたけ)清孝。1991年(平3)11月4日、甲府市生まれ。竜王中では柔道部に所属し、中学卒業後に高田川部屋に入門。07年春場所で初土俵を踏んだ。最高位は17年九州場所の東三段目11枚目で、通算79場所で260勝279敗。165センチ、107キロ。得意は突き、押し。

◆力士の地位 番付は幕内、十両、幕下、三段目、序二段、序ノ口に分かれており、幕下以下の力士に給与は支払われない。中止となった夏場所の番付では、三段目は東西それぞれ100枚目まであり、昇進すれば雪駄(せった)を履くことができる。三段目の優勝賞金は30万円。15日間の本場所では2日に1番のペースで、7番相撲を取る。

勝武士さんの発熱からの経過
東京都江東区にある勝武士さんが所属する高田川部屋
19年5月、若野口(右)に突き出しで敗れる勝武士さん

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勝武士さんも 糖尿病患者致死率9・2%/鎌田實氏

勝武士さん(左)(2019年5月15日撮影)

大相撲で初めて新型コロナウイルス感染が判明していた東京・江東区の高田川部屋の三段目力士、勝武士(しょうぶし、本名末武清孝=すえたけ・きよたか)さんが13日午前0時半、新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去した。28歳だった。

新型コロナ感染での死者は角界初。国内で20代の死亡は年齢が明らかになっている中では初とみられる。28歳の早すぎる死は、ウイルスの恐ろしさを改めて世間に伝える形となった。

   ◇   ◇   ◇

<医師で作家の鎌田實(みのる)氏(71=長野・諏訪中央病院名誉院長)>

勝武士さんは「しょっきり」でお客さんを喜ばせる魅力的な力士でした。まだまだ未来があっただけにショックです。20代から40代という若い世代の感染者は日本でも多いが、28歳という若さで亡くなったのは残念でなりません。

新型コロナウイルスは、重症化させないためにも初期診断と早期治療が大事になります。医療体制が追いつかず、発熱から4日たっての入院という初動の遅さが重症化につながりました。糖尿病の持病があったことも、リスクを高めた要因だと思います。

世界保健機関(WHO)の発表によると、新型コロナウイルスによる世界の致死率は2%ほどですが、糖尿病患者は9・2%にまではねあがっています。この感染症で分かったことは、血栓ができやすく血管が根詰まりすること。始まりは肺炎でも、そこに終わらず、循環器が悪くなり、脳梗塞や腎臓や肝臓にも影響が出る。今回の死因も多臓器不全でした。自粛生活が続くと、食べ過ぎや飲みすぎに陥りやすい。太りすぎないよう気をつけたいところです。

現役力士の死を無駄にしないためにも、先進国並みに多くの検査を受けられる医療体制の構築が急務です。PCR検査に、抗原検査、抗体検査を織り交ぜ、複合的に対応していくことが求められます。従来の常識が通じるか分からない未知のウイルスだけに、それぞれの検査の差を使いながら、早期の診断と治療につなげていくことが命を救うカギになります。

◆鎌田實(かまた・みのる)1948年(昭23)6月28日生まれ、東京都出身。東京医科歯科大医学部卒。長野・諏訪中央病院院長で「健康づくり運動」を実践。脳卒中死亡率の高かった長野県の長寿日本一に貢献した。04年からイラク支援を始め、小児病院へ薬を届けたり北部の難民キャンプ診察も続ける。

「しょっきり」で塩かごを手にする勝武士さん(2017年2月5日撮影)

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巡業人気者の勝武士さん、土俵下で糖尿発症不戦敗も

17年2月、「しょっきり」で取組中にVサインを見せる勝武士さん(右)

大相撲で初めて新型コロナウイルス感染が判明していた東京・江東区の高田川部屋の三段目力士、勝武士(しょうぶし、本名末武清孝=すえたけ・きよたか)さんが13日午前0時半、新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去した。28歳だった。

新型コロナ感染での死者は角界初。国内で20代の死亡は年齢が明らかになっている中では初とみられる。28歳の早すぎる死は、ウイルスの恐ろしさを改めて世間に伝える形となった。

   ◇   ◇   ◇

最高位は三段目11枚目、勝武士さんは持病と付き合いながらの力士人生だった。糖尿病のため、インスリン注射は欠かすことができなかった。16年には取組直前に土俵下の控えで全身が赤らんで手が震え、異例の不戦敗を経験している。糖尿病による低血糖障がいだった。

巡業や花相撲では知られた人気者だった。元気で明るい性格。相撲の所作や禁じ手などを力士2人が面白おかしく実演する「しょっきり」を担当することが多く、ファンを楽しませた。兄弟子で1学年上の前頭竜電とは幼なじみで、山梨・竜王中ではともに柔道部に所属。気心の知れた仲で、付け人を長く務め兄弟子を支えた。

あまりにも早い別れに、周囲も胸を痛めた。竜王中柔道部の恩師、佐々木秀人さん(65)は「ワシより早くいっちゃダメだよ」と、声を震わせながら悲しんだ。中学時代の勝武士さんは稽古熱心で「何事にも一生懸命。体が小さいぶん、人の倍は稽古をしていた」と、170センチに満たない体で奮闘していた教え子を誇る。最後に会ったのは今年の2月だった。山梨県内で行われた竜電の後援会による激励会後に、佐々木さん、竜電、勝武士さんの3人だけで酒を酌み交わした。「そのときも元気だった。そんなにひどい糖尿病ではなかったと聞いていた。本当に残念」と肩を落とした。

09年に現師匠に部屋を譲った先代高田川親方の清水和一さん(75)は、勝武士さんの入門時を知っているだけに「びっくりした。まだ若いのに、考えられない」と驚きを隠せない様子。高田川親方の誘いを受けて入門したため、自身がスカウトした弟子ではなかったが「真面目な子。たまにふざける姿も見せていたけど、仕事に関しては無口で黙々とこなしていた」。丁寧な仕事ぶりを知っていただけに、沈痛な思いを吐露した。【佐藤礼征】

◆勝武士幹士(しょうぶし・かんじ)本名・末武(すえたけ)清孝。1991年(平3)11月4日、山梨・甲府市生まれ。竜王中では柔道部に所属し、中学卒業後に高田川部屋に入門。07年春場所で初土俵を踏んだ。最高位は17年九州場所の東三段目11枚目で、通算79場所で260勝279敗。165センチ、107キロ。得意は突き、押し。

勝武士さん(左)(2019年5月15日撮影)
「しょっきり」で塩かごを手にする勝武士さん(2017年2月5日撮影)

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勝武士さん死去で角界混乱 高田川親方の談話も出ず

「しょっきり」で塩かごを手にする勝武士さん(2017年2月5日撮影)

大相撲で初めて新型コロナウイルス感染が判明していた東京・江東区の高田川部屋の三段目力士、勝武士(しょうぶし、本名末武清孝=すえたけ・きよたか)さんが13日午前0時半、新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去した。28歳だった。

新型コロナ感染での死者は角界初。国内で20代の死亡は年齢が明らかになっている中では初とみられる。28歳の早すぎる死は、ウイルスの恐ろしさを改めて世間に伝える形となった。

   ◇   ◇   ◇

角界に衝撃が走った。日本相撲協会はこの日、新型コロナ感染で入院治療していた勝武士さんの死去を発表。八角理事長(元横綱北勝海)は「協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。1カ月以上の闘病生活、ただただ苦しかったと思いますが、力士らしく、粘り強く耐え、最後まで病気と闘ってくれました」と悼んだ。

協会によると、勝武士さんは4月4日ごろに38度台の高熱を発症。師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)が受け入れ先を探し続けたが、都内の医療機関が逼迫(ひっぱく)している状況と重なり、なかなか見つからず。血痰(けったん)が見られた同8日夜に、ようやく都内の大学病院に入院した。簡易検査の結果は陰性だったが、容体が悪化して翌9日に転院。10日にPCR検査で陽性と判定されると、さらに容体が悪化した19日から集中治療室で治療を受けていた。

勝武士さんは、14年に糖尿病による低血糖障がいを患った。現在もインスリン注射の投与が必要で、三段目だった16年初場所では取組直前に体調不良を訴え、不戦敗となったこともあった。現役力士の死去は08年に急性骨髄性白血病で亡くなった元幕下若三梅以来。二十数人の力士を育てる師匠は「他の病気でも糖尿病を持っていると治りが遅い。感染しないように、さらに敏感にならないといけない」と警戒感を強めた。

協会は3月の春場所を史上初の無観客で実施し、新型コロナ感染者を出すことなくやり遂げた。以降、出稽古の禁止や接触を伴うぶつかり稽古の自粛要請を各部屋に通達。感染防止に努めてきたが4月10日に勝武士さんの感染が判明。その後に高田川親方や同部屋の十両白鷹山、幕下以下の力士4人(部屋、力士名は非公表)の感染も確認されたが、勝武士さん以外の6人はすでに退院していた。

葬儀・告別式は未定。高田川部屋の稽古についても、芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「今行う状況ではない」と説明するにとどめ、再開時期のめどは立っていない。高田川親方の談話はなく、報道陣には「しばらくはそっとしてあげておいて欲しい」と断るなど角界全体が混乱している。

◆勝武士幹士(しょうぶし・かんじ)本名・末武(すえたけ)清孝。1991年(平3)11月4日、山梨・甲府市生まれ。竜王中では柔道部に所属し、中学卒業後に高田川部屋に入門。07年春場所で初土俵を踏んだ。最高位は17年九州場所の東三段目11枚目で、通算79場所で260勝279敗。165センチ、107キロ。得意は突き、押し。

<スポーツ界の主な感染>

◆プロ野球 3月26日に阪神藤浪晋太郎投手がPCR検査を受け、NPB球団所属選手として初の陽性判定。27日には同じく阪神の伊藤隼太外野手、長坂拳弥捕手の感染も判明。4月1日には楽天などで監督を務めた梨田昌孝氏が陽性判定。14日には元阪神ヘッドコーチの片岡篤史氏が感染を公表した。

◆サッカー 日本協会の田嶋幸三会長が3月17日に陽性であることが判明。東京都内の病院に入院したが、順調に回復し、4月2日に退院した。Jリーグでは、ヴィッセル神戸の元日本代表DF酒井高徳が3月30日に感染していることが判明。4月1日には、神戸のトップチーム関係者1人と、セレッソ大阪GK永石拓海、J2ザスパクサツ群馬DF舩津徹也の罹患(りかん)も明らかになった。

◆バスケットボール Bリーグの大阪エヴェッサでは、4月2日に選手1人の感染が確認されると、3日にはチーム関係者1人の感染を発表。13日までに計13人の感染が確認され、27日に計13人全員が退院もしくは自宅療養解除となったことを発表した。

◆柔道 総本山こと講道館の理事で、全日本柔道連盟(全柔連)副会長などを歴任した松下三郎さんが4月19日、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した。東京都文京区の講道館内に事務局を置く全柔連では、4月16日までに役職員19人の集団感染が確認された。

勝武士さん(左)(2019年5月15日撮影)
17年2月、「しょっきり」で取組中にVサインを見せる勝武士さん(右)

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芝田山広報部長「不安取り除く」力士ら全員抗体検査

芝田山広報部長(2020年3月1日撮影)

現役力士の死を無にはしない-。日本相撲協会は13日、希望する力士ら協会員全員を対象に、新型コロナウイルスの感染歴を調べる抗体検査の実施を発表した。力士約700人、親方衆は約100人で、行司や呼び出しら裏方などを合わせ最大で約1000人規模の集団検査となる。

電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)によれば、既に人数分の書類を各部屋に送っており、希望者の書類が返送後に決まる実施時期は週明けをめどに調整中という。検査は専門機関に依頼。各部屋で医師らが血液採取する。

検査終了まで1カ月ほどを要する見込みだが、感染歴の有無で感染状況を把握することで、今後の感染対策に活用できる。無観客開催を目指す7月場所(19日初日、両国国技館)に向けた対策を講じる一助にもなり同広報部長も「判別が出来ることが大きなメリット。団体生活や稽古を行う上での不安を取り除くことができる」と、力士らの精神的負担の軽減に期待する。

検査前には毎日の検温、発熱や倦怠(けんたい)感の有無など体調確認も行う。同部長によれば抗体検査では無感染、感染中、感染後治癒が判明されるというが、検査前の体調確認と照らし合わせた上で、検査結果によっては「状況を踏まえ専門家の先生からご指摘をいただく」とPCR検査実施の可能性にも言及した。これまでの日本相撲協会の感染防止対策について同部長は「対策はずっと立てていて抗体検査もその1つ。主事が中心となって、理事長の意見も聞いて皆さんにお伝えしている」と語った。

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相撲協会員の希望者全員に抗体検査 終了まで1カ月

日本相撲協会は13日、協会員のうち希望者全員を対象として新型コロナウイルスの抗体検査を実施すると発表した。

検査終了まで約1カ月かかると見込んでいる。検査結果は、まとまった段階で発表する予定。

抗体検査で協会員のおおよその感染状況を把握し、専門家の助言を参考にしながら、協会員の健康や今後の本場所開催へ向けた取り組みに生かしていくという。

日本相撲協会は同日、三段目の勝武士さんが新型コロナウイルス性肺炎による多臓器不全で死去したことを発表したばかり。同協会は緊急事態宣言の延長を受け、5月の夏場所を中止とし、7月の名古屋場所(7月19日初日)は東京・両国国技館での無観客開催を予定している。

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死去の勝武士さん発熱も受け入れ病院なく4日後入院

勝武士さん(左)(2019年5月15日撮影)

日本相撲協会は13日、新型コロナウイルス感染のため入院していた高田川部屋の三段目の勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝)が、同日にコロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため死去したことを発表した。28歳だった。

協会が発表した勝武士さんの経過は以下の通り。

▽4月4、5日 38度台の発熱。師匠らが保健所に電話をかけ続けたが、つながらず。

▽4月4~6日 近隣の複数の病院に依頼したが、受け付けてもらえず。

▽4月7日 近隣の医院にも相談したが、医療機関は見つからず。

▽4月8日 熱が下がらず血痰(けったん)が見られたため救急車を呼んだが、なかなか受け入れ先が決まらず、夜になって都内の大学病院に入院。簡易検査の結果は陰性。

▽4月9日 状態が悪化し、別の大学病院へ転院。

▽4月10日 PCR検査で陽性と判定。

▽4月19日 状態が悪化し、集中治療室で治療を受ける。

▽5月13日 午前0時30分、都内の病院で死去。

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勝武士さん死去に理事長「ただただ苦しかったと…」

勝武士さん(左)(2019年5月15日撮影)

日本相撲協会は13日、新型コロナウイルス感染のため入院していた高田川部屋の三段目の勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝)が、同日にコロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため死去したことを発表した。28歳だった。

勝武士さんは明るい性格で知られ、巡業などでは初っ切りを務めたこともある。糖尿病の持病があり、入院後も体調が心配されていた。

八角理事長(元横綱北勝海)は、協会を通して以下のコメントを発表した。

「この度は悲報に接し、協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。1カ月以上の闘病生活、ただただ苦しかったと思いますが、力士らしく、粘り強く耐え、最後まで病気と闘ってくれました。今はただ、安らかに眠って欲しいと思います。懸命の措置をしてくださいました医療機関の皆様には、故人に代わり、深く感謝申し上げます」

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高田川部屋の勝武士さんがコロナ感染死 28歳

勝武士さん(左)(2019年5月15日撮影)

日本相撲協会は13日、新型コロナウイルス感染のため入院していた高田川部屋の三段目の勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝)が、同日午前0時半にコロナウイルス性肺炎による多臓器不全のため都内の病院で死去したことを発表した。山梨県出身。28歳だった。日本のプロスポーツ選手が新型コロナウイルスの影響で死去するのは初めて。国内で20代の死亡は、初とみられる。

勝武士さんは中学卒業後に高田川部屋に入門し、2007年春場所初土俵。身長165センチと小柄ながら、強い足腰を武器に最高位は東三段目11枚目。明るい性格で知られ、巡業などでは初っ切りを務めたこともある。糖尿病の持病があり、入院後も体調が心配されていた。

協会が発表した勝武士さんの経過は以下の通り。

▽4月4、5日 38度台の発熱。師匠らが保健所に電話をかけ続けたが、つながらず。

▽4月4~6日 近隣の複数の病院に依頼したが、受け付けてもらえず。

▽4月7日 近隣の医院にも相談したが、医療機関は見つからず。

▽4月8日 熱が下がらず血痰(けったん)が見られたため救急車を呼んだが、なかなか受け入れ先が決まらず、夜になって都内の大学病院に入院。簡易検査の結果は陰性。

▽4月9日 状態が悪化し、別の大学病院へ転院。

▽4月10日 PCR検査で陽性と判定。

▽4月19日 状態が悪化し、集中治療室で治療を受ける。

▽5月13日 午前0時30分、都内の病院で死去。

八角理事長(元横綱北勝海)は、協会を通して以下のコメントを発表した。

「この度は悲報に接し、協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。1カ月以上の闘病生活、ただただ苦しかったと思いますが、力士らしく、粘り強く耐え、最後まで病気と闘ってくれました。今はただ、安らかに眠って欲しいと思います。懸命の措置をしてくださいました医療機関の皆様には、故人に代わり、深く感謝申し上げます」

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阿武咲「今は基本動作を中心に」返り三役へ基礎固め

千葉県内の阿武松部屋で稽古を行う阿武咲

久しぶりに巡ってくる上位総当たりの場所に備え、返り三役を目指す男は基礎固めに余念がない。大相撲の西前頭2枚目阿武咲(23=阿武松)が12日、日本相撲協会を通じて近況を明かした。

この日を含め稽古場では「今は基本動作を中心にやっています」という。新型コロナウイルスの感染防止のため、接触を伴うぶつかり稽古や、相撲を取る稽古の再開などは各師匠の判断に任されている。ただ、ウイルスとの闘いは長期戦。今はジックリ、四股やてっぽうなど基礎作りを行っているようだ。

24日初日を目指し開催予定だった夏場所は中止になったことには「最初は戸惑いがありましたが、今は逆に時間があるので、その期間でしかできないようなことや、しっかり体作りをしようと思っています」とプラス思考に切り替えた。

最後の上位総当たりだったのは、三役2場所目で小結だった18年初場所。その後はケガで一度は十両まで落ちたが、2年半をかけて復活。西前頭5枚目だった3月の春場所は、10日目に全勝だった横綱白鵬を押し出し、通算2個目の金星を奪取。初の殊勲賞(三賞は4回目)も受賞した場所を「無観客っていうのが本当に最初は違和感だったのですが、すぐに慣れました。その中でも白鵬関に勝てたのは自分でも大きな一歩になりました」と振り返った。

無観客での開催を目指す7月場所(19日初日、両国国技館)は2年半ぶりの上位総当たりとなる。約2カ月先を見据え「自分の課題は分かっていますので、そこを重点的にやっていこうと思います」とコメントし、感染予防策も「まずは外出をしないことと、部屋にいてもこまめに手洗い、うがいを徹底的にしています」と、抜かりはないようだ。

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今も実感沸かぬ大横綱の死/記者が振り返るあの瞬間

元横綱千代の富士の九重親方死去を報じる16年8月1日付の本紙1面

<スポーツ担当記者 マイメモリーズ>(28)

政府の緊急事態宣言が延長され、スポーツ界も「自粛」状態が続いている。日刊スポーツの記者が自らの目で見て、耳で聞き、肌で感じた瞬間を紹介する「マイメモリーズ」。サッカー編に続いてオリンピック(五輪)、相撲、バトルなどを担当した記者がお届けする。

  ◇   ◇   ◇ 

暑く、長い夏の1日だった。16年7月31日。元横綱千代の富士の九重親方が亡くなった。その日は、夏巡業取材で大阪から岐阜市内へ日帰りで出張していた。仕事を終えて夕方の新幹線でのんびり帰阪していると、デスクから携帯電話に一報が入った。

「九重親方が亡くなったようだ。福井に行ってくれるか」

えっ…。しばし、絶句した。親方は都内の病院で亡くなったが、力士や親方衆一行は岐阜からバスで次の巡業先の福井市へ向かっていたため、そこで関係者を取材してほしいということだった。新大阪駅に着いたのは午後6時ごろ。自宅まで着替えを取りに行く時間などない。慌てて特急サンダーバードに乗り換え福井へ向かった。午後8時過ぎに着くと、駅前のホテル周辺で関係者を捜し回った。

取材していて、動悸(どうき)が収まらなかった。昭和49年生まれの記者にとって“大横綱”といえば、千代の富士だった。筋骨隆々の体で豪快につり出し、上手投げで勝ち続ける姿は、ヒーローそのもの。子供のころ、狭い家の中で父親と相撲を取る時は、ベルトを前みつ代わりに引きつけて頭をつけ、千代の富士になりきっていた。記者になってから関係者の紹介で食事をした際は「俺は日刊が嫌いなんだ!」と言われてビビリまくったが、マッコリをたくさん飲むと笑ってくれた。そして、ひとたび相撲の話になると現役時代のような鋭い眼光に戻り、言った。「三役が大関を、大関が横綱を目指すなら、もっともっと稽古をやらないと。『もっと』じゃないよ。もっともっと、だ」。少し前まで熱く語っていた“大横綱”が死ぬなんて、信じられなかった。

その夜は結局、午後11時過ぎまで取材を続け、元大関栃東の玉ノ井親方や、豪栄道らから思い出話を聞いた。翌8月1日は1~3面と芸能面で死を悼む記事が掲載されたが、紙面を見ても亡くなった実感は湧かなかった。4年の歳月が流れた今も同じだ。テレビで見た現役時の勇姿も、一緒に飲んだ時の笑顔も、「もっともっと、だ」と力を込めた険しい顔も、すぐによみがえってくる。心の中で生き続けるとは、こういうことなのか。横綱千代の富士が、教えてくれた気がする。【木村有三】

現役時代の横綱千代の富士

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白鵬の恩返し 懸賞金で医療従事者などへマスク寄贈

白鵬(2020年3月20日撮影)

日本相撲協会は11日、横綱白鵬(35=宮城野)が日本とモンゴルの医療従事者などへ、合計2万5000枚のマスクを寄贈することを発表した。マスクの購入費用は全額、3月の春場所で獲得した懸賞金から出したという。

白鵬は協会を通して、以下のコメントを発表した。

「3月の無観客場所では私自身、本当に祈りながら15日間土俵に上がりました。あの場所で土俵を全うできたのは、自分だけじゃなく、テレビの向こうから声援を送っていただいたファンのみなさんをはじめ、まわりで支えてくださる方々がいたからこそだと感じています。そこでこの場所で頂いた懸賞金を使って世の中のために何かできないか考えていたところ、モンゴルの関係者から『マスクが不足している』と連絡をもらいました。そして日本でも医療従事者や一般の方々の間でまだまだマスクが不足しているという話を聞きました。5月場所は残念ながら中止となりましたが、私は稽古やトレーニングなど自分のやるべきことをコツコツと続けています。食事でも野菜を多めにしてビタミンをとり、弱酸性次亜塩素酸水の消毒スプレーを常に持ち歩き、感染防止に努めています。みなさんも毎日マスクをつけての生活で自粛も続き、ストレスもあると思いますが、みなさんで力を合わせて乗り越えましょう!」

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張本氏「無理してやれと言う人いない」夏場所中止に

張本勲氏(20年2月19日撮影)

張本勲氏が10日、TBS系テレビ「サンデーモーニング」にオンライン出演。夏場所の中止が決まった大相撲についてコメントした。

「相撲協会はいい判断してくれましたよ。これからどうなるか分かりませんけど、名古屋場所(7月)も両国でやると言ってるから、これも分からないけど。私も相撲が好きだから、相撲ファンで『無理してでもやれ』って言う人はこの国には誰もいないと思いますよ」と話していた。

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隆の勝 10年で開花、中卒たたき上げ/プロに聞く

地元の千葉・柏での巡業で犬と記念写真に納まる

大相撲で勢いに乗る幕内力士の1人、隆の勝(25=千賀ノ浦)に話を聞いた。今年で入門10年。史上初の無観客開催となった春場所では12勝3敗の好成績で優勝次点、初の敢闘賞も獲得した。近年は高校、大学を経由して角界入りする力士が多くなる中、貴重な中卒たたき上げ。大家族で育った幼少時代の経験などを明かした。

丸顔に癒やし系の笑顔で“おにぎり君”の愛称で親しまれる隆の勝にとって、相撲との出会いは必然だった。父俊哉さんは大相撲観戦が好きで、地元の千葉・柏市は相撲が盛ん。幼稚園や小学校に相撲大会出場を勧誘するチラシが多数張られており、相撲クラブに所属していない少年も積極的に参加していたという。隆の勝は小1のときに初めて地元の相撲大会に参加。小3から柏市スポーツ少年団で本格的に相撲を始めた。同学年には大翔鵬(現十両)、後輩には元横綱琴桜を祖父に持つ琴ノ若(現前頭)や琴勝峰(現十両)が在籍。強豪のクラブチームだった。

「中卒で大相撲に入るまでずっと通っていました。稽古は厳しかったけど、小さい頃はとにかく相撲が楽しかった記憶があります。クラブには全国で2位、3位になるような強い子もいて、僕も小4から小6までわんぱく相撲の全国大会に出場していましたが、飛び抜けて強いわけではありませんでした」

クラブの練習は1日4時間で、土日の週2回。他のスポーツは習っていないため、平日の放課後は友達と遊ぶ時間が多かったが、学年が上がるにつれて、クラブ以外での稽古時間が増えたという。

「家では週に2、3回はみっちり四股を踏んでいました。回数はあまり覚えていないけど、30分くらいだったかな。めちゃくちゃ厳しく指導されたわけじゃありませんが、父親の監視の下で踏んでいたことを覚えています」

6人きょうだいの4番目として生まれた。母雅代さんは整体師。相撲を始めた頃から、痛いところがあればすぐに治療をしてくれた。今でも実家に戻ると体を診てくれるという。両親は子どもたちを特別厳しく育てたわけではないが、隆の勝にとって印象深い「ルール」がある。

「テレビゲームはいいけど、携帯ゲームは禁止されていましたね。他の家だと『目が悪くなるから』『勉強をしなくなるから』って理由が多いと思うんですけど、うちの場合は『姿勢が悪くなるから』とよく言われました。ゲームに限らず姿勢のことはよく注意されていましたね。いま思うと、整体師らしい視線だなと思います。ちなみに、今も携帯ゲームはやっていませんよ(笑い)」

大家族の存在は今でも力になっている。場所中は家族のライングループに母親が自身の取組動画を投稿。負けが込むと、姉からは「顔が死んでいるよ」と一喝される。

「昔から家族はみんな応援してくれた。今もだけど、家族の存在はずっと力になっています」

春場所では初めての敢闘賞を受賞するなどブレークした。力のある突き押し、右を差して素早く寄る相撲も目立ったが、現在の形が確立され始めたのは最近のこと。

「自分の相撲をつかみ始めたのは出稽古を積極的にするようになった3、4年前くらいからです。自分の型というのは、本来なら早めに決めた方がいいのかもしれないけど、今となっては焦らずに決めなくて良かったのかもしれない。だからこそ、若いときから四股やすり足の基礎(運動)で体をつくることが重要だと思う」

師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)や同部屋の力士が口をそろえて「稽古熱心」と評価する真面目な性格。地道な鍛錬で自身と向き合い続け、その才能を開花させた。【佐藤礼征】

◆隆の勝伸明(たかのしょう・のぶあき)本名・石井伸明。1994年(平6)11月14日、千葉県柏市生まれ。小3から柏市スポーツ少年団で相撲を始め、小4から小6までわんぱく相撲全国大会出場。先代千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)からの誘いを受け、千葉・西原中を卒業後、千賀ノ浦部屋に入門。10年春場所で初土俵。17年九州場所で新十両、18年秋場所で新入幕。20年春場所では12勝3敗の好成績で初の敢闘賞を受賞。家族は両親、兄、姉2人、妹、弟の8人家族。183センチ、163キロ。血液型O。得意は押し。

幕内土俵入りする隆の勝
春場所で敢闘賞を受賞した隆の勝(右)
大相撲春場所 9日目 玉鷲(右)との立ち合いで顔をうち出血するも押し出しで破る隆の勝

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