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大相撲裏話

貴ノ富士「きつい時間が幸せ」暴行、謹慎を経た思い

大相撲夏巡業の稽古後、親方衆にアドバイスを受けた貴ノ富士(右端)(2019年8月8日撮影)

「今は、きつい時間が幸せです」。十両貴ノ富士(千賀ノ浦)が、つぶやいた言葉には、22歳にして重みと深みがあった。現在、夏巡業中。バスでの移動時間も長く、暑さは日を重ねるごとに体力を奪っていく。加えて7月の名古屋場所中に左足甲を痛めているが、連日、巡業の稽古土俵に上がっている。そんな、きつい時間への充実感を、素直に口に出せるようになったことが、何よりもうれしそうだった。

今年1月の初場所で改名するまでは、貴公俊のしこ名で土俵に立った。その名を最も有名にしたのは、貴乃花部屋時代の昨年3月、新十両として迎えた春場所8日目に支度部屋で起こした付け人への暴行騒動だった。翌9日目から謹慎となり、同場所は途中休場。続く夏場所も謹慎で休場した。本場所にも、関取として初めての巡業にも、出たくても出られない-。ちょうどそのころ、双子の弟の貴源治、同部屋の貴景勝は、番付を上げ、活躍していた。自分の未熟さを悔いても、時間は戻らないもどかしさと葛藤する日々だった。

そんな時に先代師匠の貴乃花親方(当時)から「どん底まで落ちて、はい上がるのが英雄だ」と、声を掛けられたという。貴ノ富士は「あの時は『英雄って何だよ』『どん底って何だよ』って、素直に声を聞くことができなかった。でも今は、少しは理解できる気がする」と振り返る。遠回りをしたからこそ、共感してくれる人や、応援してくれる人が増え、その支えに恩返ししたいという力がわいてくる。土俵に集中できる、当たり前と思っていたことにも感謝できるようになったという。

名古屋場所では初めて十両で勝ち越した。しかも優勝争いにも名を連ねる11勝4敗の好成績。なかなか暴行と切り離されない報道に、一時は嫌気も差したというが、今は乗り越えた。謹慎明けの昨年名古屋場所は西幕下49枚目。関取返り咲きは容易ではない位置まで番付を落とした。それでも、幕下で4場所連続で勝ち越し、今年春場所で再十両。負け越して再び幕下に陥落したが、夏場所では7戦全勝で初の幕下優勝を果たした。

「年6場所あると、けがも増える。けがが増えれば、番付が落ちる可能性もある。きっと、横綱まで上り詰めた人にとっては、地位を守らないといけないから、けがのリスクもあるし、年6場所も必要ないと感じるのだと思う。でも、上がっていく人にとっては、チャンスが年6回もある。今の僕もそう思えるようになった。休んでいる暇はない」。来場所は自己最高位が確実。はね返される度に、挫折を味わう度に、一回り強くなって帰ってくる。波瀾(はらん)万丈の力士人生も「もしも将来『貴ノ富士物語』ができたとしたら、この年齢で、これだけいろいろあるから、面白い内容になるかもしれませんね」と笑う。最後に「英雄」となる物語だとすれば、まだまだ序章にすぎないのかもしれない。【高田文太】

十両貴ノ富士

大相撲裏話

頑張ってほしい“おっさん”32歳栃煌山

栃煌山(2016年9月11日撮影)

年は取りたくない。名古屋場所が終わり、大阪に戻って家で朝起きたら、右肩が痛い。肘を曲げても、前後左右、どっちに腕を振っても脂汗をかくほど痛い。我慢できず病院に行った。「先生、これって、いわゆる50肩ですか?」。すると即答で「そうですよ。気をつけてくださいね」。…気をつけるも何も、寝てただけやのに…。54歳にもなると、若い頃には想像もせんかったことが起こるもんです。

そう言えば碧山がよく年のことを口にします。「僕もう、おっさんですよ、おっさん」。いやいや、まだ33歳やん。「そうですよ、もう33歳ですよ。おっさんですよ」。…相撲の世界では確かにそうか。

体重150キロ以上が当たり前の関取衆は、一般人には想像もつかん負担を体に掛け続けてます。毎日稽古して、年に6場所、計90日もガツンと相撲をとってるわけで程度の差こそあっても膝、腰、首と体中を痛めてします。おまけに場所の合間は巡業で全国行脚。バス移動がほとんどやけど、これがまたきつい。何せ、あの巨体です。長時間座ったままやと腰に来るしね。そうなると、ゆっくりけがを治す暇もない。

今、頑張ってほしい、心配に思う“年頃”のお相撲さんが何人かいますが、32歳の栃煌山もその1人です。

07年春場所の新入幕から幕内の座を74場所守ってきた。ちなみに現役では白鵬の91、琴奨菊の85、鶴竜の76に次ぐ4番目の記録やから、すごいことです。ところが、東前頭12枚目で迎えた名古屋場所は5勝10敗と負け越した。秋場所の幕内キープは微妙な状況です。

彼はすごく真面目です。朝稽古では全体メニューが終わった後、居残りで付け人相手に立ち合いの確認をするのがルーティン。最近は自分の“軽さ”が気になっているようで「踏み込み、立ち合いの低さ、強さ」を求めて、四股、てっぽう、すり足、股割りといった相撲の基礎稽古を見直す日々を送っています。186センチ、156キロの体は、大型化が進む角界ではむしろ小柄の部類に入りつつあるのも事実。名古屋場所では「1歩目はよくなってきたんですけど、まだ2歩目以降でなかなか力が(相手に)伝わらない」とこぼしてました。

もう2歳になる長女稟(りん)ちゃんがいます。「パパって呼んでくれるようになったんですけど、僕やなく、壁に貼ってる僕のカレンダーを指さして“パパ、パパ”言うんですよね」。稟ちゃんが物心ついて、はっきり「パパ」とわかるまで、三役の常連やった“強い栃煌山”であるために、あと一踏ん張りも二踏ん張りもせなあきません。

私たちマスコミはどうしても新鮮な若手、新顔に飛びつきがちです。でも、いわゆる“おっさん”つまりベテランが強くて初めて、若手も輝く。栃煌山のような踏ん張りどころのお相撲さんに注目して、ぼちぼち秋場所取材の準備を始めようかと思ってます。50肩を治してから。【加藤裕一】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

ヘビー級統一王者と前王者再戦 再び番狂わせあるか

ヘビー級の3団体統一王者のアンディ・ルイス(29=米)と、前王者アンソニー・ジョシュア(29=英)のダイレクト・リマッチが12月7日、サウジアラビアの首都リヤド近郊のディリヤで行われることになった。両者は今年6月1日に米国ニューヨークで対戦し、圧倒的不利とみられたルイスが最初のダウンから立ち上がって4度倒し返し、7回TKO勝ちで戴冠を果たしている。ジョシュアが雪辱を果たすのか、それともルイスが返り討ちにするのか。この注目の試合には「CLASH ON THE DUNES(砂丘の激突)」というイベント・コピーがつけられている。

今年6月の初戦は、ジョシュアに挑戦するはずだった選手がドーピング違反で出場不可能となり、代役としてルイスに白羽の矢が立った経緯があった。試合まで1カ月を切った時点でのことだった。ルイスは33戦32勝(21KO)1敗という好戦績を残していたが、22戦全勝(21KO)の3団体王者には歯が立たないと見られていた。戦前のオッズは16対1でジョシュア有利というものだった。

はたして3回、ジョシュアの左フックでルイスがダウン。ダメージは深刻ではなかったが、関係者やファンの多く、そしてジョシュア自身もそのまま王者のペースで試合が進むと思ったはずだ。ところがジョシュアが仕留めにかかったことで両者の距離が縮まり、これを機に戦況が一変。寸胴体型のルイスの回転の速い連打が筋骨隆々の王者を捉え、たちまちジョシュアから2度のダウンを奪う。7回、さらにルイスはジョシュアから2度のダウンを奪いTKO勝ちを収めた。

再戦の舞台としてはニューヨークや英国など複数の会場が候補に挙がっていたが、サウルアラビアの投資家グループが1億ドル(約106億円)を提示してイベントを誘致したと伝えられる。

ところで、ヘビー級では過去にも何度か大番狂わせが起こってきた。1978年には10対1で有利とみられたモハメド・アリ(米)がレオン・スピンクス(米)に敗れ、1990年には東京ドームでマイク・タイソン(米)がジェームス・ダグラス(米)に10回KO負けを喫したこともあった。このときのオッズは42対1だった。2001年には9度の防衛を重ねていた絶対王者、レノックス・ルイス(英)が20対1で有利とみられていたにも拘らずハシム・ラクマン(米)に5回KOで敗れる大波乱もあった。アンディ・ルイスの殊勲はレノックス・ルイス対ラクマン以来の衝撃だったといえる。

ただ、興味深いデータもある。アリは7カ月後の再戦でスピンクスに雪辱を果たして王座を奪回。再戦ではないが、タイソンに勝ったダグラスは8カ月後の初防衛戦でイベンダー・ホリフィールド(米)にあっさり3回KO負けを喫してしまう。レノックス・ルイスは7カ月後、ラクマンとの再戦で4回KO勝ちを収め王座を取り戻しているのだ。ちなみにアリ対スピンクス再戦、レノックス・ルイス対ラクマン再戦のオッズはいずれも5対2

で前王者有利。ダグラス対ホリフィールドは9対5で挑戦者有利と出ていた。そして実際の試合もそのとおりの結果に落ち着いている。

アンディ・ルイス対ジョシュア再戦のオッズは11対4でジョシュア有利と出ている。「初戦はあくまでもジョシュアのポカ、今度こそ実力どおりの結果になるだろう」という予想が大勢を占めているのだ。再び番狂わせが起こるのか、それともジョシュアが主役の座に返り咲くのか。年末が待ち遠しい。

リングにかける男たち

計量失格など増えるボクシング界 体重計無いジムも

王者堀川謙一は計量をクリアも挑戦者大保が棄権でV2戦は中止になった(19年8月7日撮影)

8日に予定されていたボクシング日本ライトフライ級タイトル戦が中止となった。

挑戦者の大保龍斗(横浜さくら)が計量失格のため。前日計量の7日午前に体調不良となり、救急車で搬送された。ジム側は「計量に間に合わせようと点滴治療を受けている」としたが、結局ドクターストップで出頭しなかった。

V2戦だった王者堀川謙一(三迫)はリミットの48・9キロでパスしていた。中止は決定的も「絶対に勝ちます」と拳を握り締めて会場を後にした。時間の猶予はあり、正式決定ではなく、気持ちを切らすまいという姿勢、努力が手に取るように見えた。

試合当日に堀川はWBC世界同級王者拳四朗とスパーリングを披露した。7月にV6に成功したばかりの拳四朗はだいぶ太めで「恥ずかしい。内緒でお願いします」と苦笑いしていた。堀川はスピードある動きでいい出入りも、徐々に相手ペースに。どうも気持ちが入っていないように見えた。

スパー後に「申し訳ないという気持ちでスパーしていた」と心情を吐露した。「チケットを購入してくれた方を裏切る結果になってしまって、申し訳ない」と謝罪した。彼に責任はないはずだが。

堀川は続けてリング上から訴えた。「最近ウエートが作れないとか、キャンセルになる試合が多い。試合が決まった時点でリングに上がるのはボクサーの責任。責任を持ってリングに上がらないといけない」。

日本ボクシングコミッションがこのほど19年度版ルールブックを発売した。改定は3年ぶりだが、大きな変更点は計量。「ボクサーの体重が契約体重の3%以上超過した場合、当該ボクサーは計量失格となり試合に出場できない(試合中止)ものとする」とされた。

すでに昨年から施行されている。3%以上で中止となった例はまだないが、計量失格や棄権が増えている。会長、マネジャー、トレーナーらのジムは、選手の健康管理義務があるはずだが、選手任せのジムも多いと聞く。体重計のないジムもあるという。

18年に前世界王者山中が再戦となったが、王者ネリが体重超過した。山中が「ふざけるな」と吐き捨てたシーンは、いまだに脳裏に残る。もう喉元過ぎれば、という状況では困ったものだ。

堀川はここまで56試合をこなし、これは現役最多を誇る。3年前に移籍した39歳で、すでに原則定年の37歳を過ぎている。それでも今年3試合目と精力的だった。WBCとIBFで5位につけ、世界が目標だからだ。貴重な1試合がなくなった大ベテランとしての大人の苦言。いつもながらとも言えるが、選手はあらためて肝に銘じるべきだろう。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

世界王者同士の対戦増加 主因はメディアの場外戦

2019年も7カ月が過ぎたが、今年は団体内の統一戦を含め世界王者同士の対戦が目立って多い。5月にWBA世界バンタム級王者の井上尚弥(26=大橋)がIBF王者エマヌエル・ロドリゲス(26=プエルトリコ)を衝撃的な2回TKOで屠ったが、あの試合も統一戦だった。それを含めすでに今年は7試合も世界王者同士のカードが行われた。下半期も多くの統一戦が組まれている。その主因として世界のトップ選手たちが試合を放映するメディアによって大きく3つのグループに分かれていることが挙げられる。

今年4月にはスーパーバンタム級のWBA王者ダニエル・ローマン(29=米国)対IBF王者TJドヘニー(32=アイルランド/豪)、5月にはミドル級のサウル・カネロ・アルバレス(29=メキシコ)対ダニエル・ジェイコブス(32=米国)のWBA(スーパー王座)、WBC、IBF3団体統一戦が行われ、いずれも前者が判定勝ちを収めている。

7月には、13日にレイ・バルガス(28=メキシコ)対亀田和毅(28=協栄)のWBC団体内の世界スーパーバンタム級王座統一戦が行われ、正王者バルガスが暫定王者の亀田を12回判定で下した。その1週間後の20日にはマニー・パッキャオ(40=比)対キース・サーマン(30=米国)のWBA団体内世界ウエルター級王座統一戦が挙行され、パッキャオが判定で勝利を収め、スーパー王者のサーマンに初黒星をつけた。さらに1週間後の27日、スーパーライト級の世界王座統一戦が行われ、WBC王者ホセ・カルロス・ラミレス(26=米国)がWBO王者モーリス・フッカー(29=米国)に6回TKO勝ちを収めた。無敗の世界王者同士の一戦とあって見応えのある攻防だった。

同じ階級の統一戦ではないが、3月にはIBF世界ウエルター級王者エロール・スペンス(29=米国)対WBC世界ライト級王者マイキー・ガルシア(31=米国)というスター対決も実現した(スペンスが12回判定勝ち)。

こうした傾向が顕著になっている主因として、近年になって参入してきたストリーミング配信サービスのDAZNと、以前から存在するプレミア・ボクシング・チャンピオンズ(PBC)、そしてトップランク社と提携するESPNによるトップボクサーの囲い込み競争の激化を挙げることができる。たとえばアルバレスとジェイコブス、ローマンとドヘニー、フッカーはDAZN、パッキャオとサーマンはPBC、ラミレスはESPNの契約選手なのだ。よりインパクトの強いカードを提供してファン(加入者、視聴者)を増やそうと躍起になっているのだ。ラミレスがフッカーと対戦したように条件次第では提携するケースもあるが、そんな例はいまのところ稀だ。

下半期も数多くの世界王者同士の好カードが決定、あるいは内定している。「ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)」バンタム級決勝、WBA&IBF王者の井上対WBAスーパー王者ノニト・ドネア(36=比)をはじめ、WBSSのクルーザー級とスーパーライト級の決勝も王者同士の統一戦となる。9月28日にはウエルター級のIBF王者スペンスとWBC王者ショーン・ポーター(31=米国)も決まっている。

リング内の戦いはもちろんだが、スター選手を巡るリング外のビジネスの動きにも注目していきたい。

プロレスの月曜日

モクスリー「真剣勝負の場」俺の原点/インタビュー

新日本G1クライマックス29に参戦中のジョン・モクスリー(撮影・高場泉穂)

元WWEのスーパースター、ディーン・アンブローズことジョン・モクスリー(33)が新日本のG1クライマックスに参戦し、輝きを放っている。初めて体験する新日本のリングで感じていること、今後の展望などについて話を聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

◇   ◇   ◇

-プロレスとの出合いは

自分にとってプロレスは逃げ場だったんだ。家は貧しく、現実は不安だらけだった。だから、ビデオやテレビでプロレスを見て、そこに居場所を探してた。プロレスでは強いやつが勝つ。それだけ。そんな世界に憧れて、自分もそこにいたいと思った。16歳で学校を辞めてトレーニングを始め、プロレスの世界に入った。

-WWEを辞めた後、新日本に参戦した理由は

もともと日本のプロレスの大ファンだったからね。自分はくだらないキャラクターを演じるエンターテインメントじゃなく、真剣なプロレスがしたかった。それが俺の原点で、日本のプロレスがそういうシリアスな場所なのは知っていた。WWEの時は、会社に言われた場所に行き、言われたように戦っていた。鎖につながれているのと同じ。今は何をやるにも俺の自由。世界中で戦い、経験、知識を得て、人生を楽しむことができる。

-新日本プロレスは思い描いた通りだったか

いや、だいぶ違っていた。新日本は世界中で最も激しくぶつかりあう真剣勝負の場だ。おどけてダンスを踊るのとはわけが違う。世界のどのプロレスとも違い、新日本で重要なのは戦いに絶対的に集中することなんだ。

-いきなり長いリーグ戦。どう過ごしているか

いい時間を過ごしているよ。自分の体は若くないから回復に努めてる。試合の合間は次の相手の研究をしたり、ストレッチをしたり、けがの手当てをしたり。

-日本のプロレスの聖地である後楽園ホールでも試合したが、どうだったか

神社、寺のような聖地だった。人生の1つの目標が達成できたよ。

-G1の後の予定は。また新日本に参戦できるか

幸い、いまアメリカの団体(AEW)に所属しながら新日本で戦うことに何の問題もない。将来的に、おれはいつでも日本に現れて試合をすることができる。

-来年1・4、5の東京ドーム参戦は頭にあるか

当然、東京ドームではやりたい。G1で優勝すれば、東京ドームのメインで戦える。やるだけだ。

-対戦したい選手は

鈴木みのるとやってみたい。また、斬新でユニークなスタイルを試みるレスラーなら誰とでも対戦してみたい。日本にはそんなレスラーがいっぱいいる。

-ファンに向けて一言

日本のファンは世界一だ。尊敬するし、本当にありがたい。彼らの前でプロレスができることを誇りに思う。みんな歓迎してくれて、そしてキャンバスで戦わせてくれてありがとう。

◆ジョン・モクスリー 1985年12月7日、米オハイオ州シンシナティ生まれ。04年6月、HWAでデビュー。11年にWWE入団。リングネームをディーン・アンブローズに変え、12年からローマン・レインズ、セス・ロリンズとともに「ザ・シールド」を結成して大活躍。19年4月に退団。5月にAEWと契約を結ぶとともに、新日本への参戦を発表した。得意技はデスライダー(WWEではダーティ・ディーズ)。妻はWWEのキャスター、ルネ・ヤング。188センチ、102キロ。

リングにかける男たち

厚い支援、WWEに愛されたハーリー・レイスさん 

ハーリー・レイスさんの追悼式開催を発表したWLW公式サイト

「ミスタープロレス」「ミスターNWA」と呼ばれた伝説的なレスラー、ハーリー・レイスさんが1日(日本時間2日)、肺がんによる合併症のために76歳で死去した。7月13日、イベント開催地のノックスビルへ移動中、体調を崩して入院。そのまま闘病生活を送っていた。亡くなる数日前に容体が悪化し、航空医療輸送の移動を余儀なくされた。その際の高額費用はWWEのビンス・マクマホン会長がすべて負担したという。

レイスさんの弟子の1人で、元WWE戦士のトレバー・マードックが4日(日本時間5日)、自らのフェイスブックを更新し、その事実を明かした。「ハーリーさんは、アトランタからセントルイスに移す必要があった。大きい体格のため、救急航空機が必要だった。WWEに連絡を入れると10分後、その費用が全額支払われていた。ハーリーさんはビンス・マクマホン会長に大事にされていた。ありがとう、ビンス。私たちにもう2日間、ハーリーさんと一緒に過ごす時間を与えてくれた」と感謝の言葉をつづった。

計8回のNWAヘビー級王座戴冠、そしてWWF(現WWE)時代、ハルク・ホーガンと何度もWWF王座を争った。アンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦、共闘した。04年にWWE殿堂入り。何よりレイスさんが育てた選手も多くWWEと契約してきた。現在も在籍するトマソ・チャンパやカーティス・アクセルらはハーリー・レイス・レスリング・アカデミーの出身選手だ。選手として、指導者としてプロレス界に貢献してきたレイスさんは、WWEに愛されていた。この最大級のサポートが、その証明だろう。

また多くのファンの要望を受け、8月11日(日本時間12日)にはレイスさん主宰のプロレス団体WLW(ワールド・リーグ・レスリング)が一般公開による追悼式典をミズーリ州トロイのレイス・レスリング・アリーナで開催することを発表した。母国のプロレス界、ファンに長年愛され続けたレイスさんは、多くの人たちに見守られながら天国に旅立つことになる。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

プロレスの月曜日

全日本プロレス旗揚げ47年目 新体制で新たな歩み

旗揚げ47年目を迎える全日本プロレスが、新たな道を歩み出した。7月10日付でオーナーの福田剛紀氏(53)が社長に就任。秋山準前社長(49)は現場最高責任者のGMとなった。新体制となった全日本プロレスの今後の展望について、福田新社長と秋山GMに話を聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

全日本プロレスのさらなる発展を目指す福田剛紀新社長(左)と秋山準GM

大の全日本ファンだった福田社長がトップに就くことは必然だったのかもしれない。小学校4年生で賞をとった作文の題は「プロレスを見にいったこと」。デストロイヤーにサインをもらったうれしさを書いたものだった。全日本との接点ができたのは約7年前。経営している都内のビルにテナントとして全日本が入ったことから。15年12月に筆頭株主となって以来、オーナーとして裏方で経営を支え、今回満を持して秋山から社長の座を引き継いだ。

「電柱看板の仕事をしていまして、一生看板屋さんで終わるのもいやだなと思っていました。人生後半にひと花咲かせられないかなと。この年になってかなうとは感慨深いです。でも責任は重大。全日本の灯を消しちゃいけない」。培ってきた経営術と愛情で全日本のさらなる発展を目指す。

新体制に踏み切ったのはこの5年で経営がジリ貧状態から右肩上がりに転じたから。それでも「まだまだ厳しいところもたくさんある」と秋山GMは正直に明かす。「いまうちの(ツイッター)フォロワー数が2万ちょっと。その中でもしっかり見てくれているのは10分の1ぐらいだろう。それを増やしていかないと」。昨年3月から始めた動画サービス「全日本TV」の契約者数も「まだ十分ではない」(福田社長)。広告、SNSを通じてさらなるファン拡大に努めるほか、英語版の動画の配信も検討中。世界中のファン獲得に向け、情報量を増やして行く予定だ。

来年、新日本プロレスは東京ドーム2日連続興行、DDTはさいたまスーパーアリーナ大会実施と攻めの姿勢を打ち出している。だが、全日本はこの2年間を「足固め」にするという。秋山GMは「ちょっと前に冒険したこともあったけど、大変だった。それより後楽園でお客さまを着実に増やしていくほうがいい。今は宮原(健斗)がいて、ジェイク(リー)、野村(直矢)らが並ぶぐらいになれば」。福田社長も「いずれは武道館で、という思いはあるが、時期がきたら」と慎重な姿勢を示した。

リングのさらなる充実も課題だ。秋山GMは「うちの選手は言葉の力が足りない」と課題を挙げた。「俺だったらもっとこういう風に言うのに、というのがたくさんあるんですよ。でも四六時中言うわけにもいかないし、教えても俺の言葉になってしまう。個々の自覚に任せるしかない。アンテナをもっと広げて、他の選手の言葉を拾ってキャッチボールしてほしい。そうすれば試合ももっと面白くなる」。激しい戦いはそのままに、さまざまな方策で新たな全日本プロレスを築く。

原功「BOX!」

イバン・ホリフィールドは偉大な父に追いつくことができるのか

クルーザー級とヘビー級で世界王者になったイベンダー・ホリフィールド(56=米)の息子、イバン・ホリフィールド(21=米)がスーパーウエルター級のプロボクサーとしてスタートすることになった。24日、トレーニング拠点のある米国テキサス州ヒューストンで発表したもので、親子での世界王者を目指す。

父ホリフィールドは84年ロサンゼルス五輪銅メダリストで、プロ転向後は1年8カ月でWBA世界クルーザー級王者になり、統一戦でIBF王座とWBC王座も獲得。その後、ヘビー級に階級を上げ、90年10月にジェームス・ダグラス(米)を3回KOで屠って2階級制覇を成し遂げた。ジョージ・フォアマン(米)やラリー・ホームズ(米)らを退けて3度の防衛を果たしたが、リディック・ボウ(米)に敗れて王座を失った。96年11月にはマイク・タイソン(米)に11回TKO勝ちを収めてヘビー級で3度目の戴冠を果たし、翌年の再戦では耳を噛みちぎられたが、相手の失格(反則負け)によって防衛に成功。37歳のときに4度目の王座につき、ヘビー級では最多の戴冠記録をつくった。

身長189センチ、体重100キロ前後と最重量級では小柄な方だったが、ハートの強さと戦術でカバーし、ボウとの3試合やタイソンとの初戦など数々の名勝負を残した。5度目の戴冠を目指して48歳まで戦い続け、27年間で57戦44勝(29KO)10敗2分1無効試合の戦績を残して引退した。

イバンは11人きょうだいの6番目で、アマチュアで85戦70勝15敗の戦績を収めている。154ポンド(約69.8キロ)が体重リミットのスーパーウエルター級にあって身長185センチと体格に恵まれている。プロ転向に際しては父親と同じメインイベンツ社とプロモート契約を結び、同じく父親がコンビを組んでいたコンディションニング・コーチの指導を仰いでいる。現時点ではデビュー戦は未定だが、イバンは「私を支えてくれるチームに感謝したい。世界チャンピオンというゴールを目指して日々努力していく」と決意を口にしている。

ただ、130年を超える近代ボクシングの歴史上、兄弟の世界王者が30例を超しているのに対し親子の世界王者はエスパダス親子、スピンクス親子、バスケス親子、チャベス親子、アリ親娘、ユーバンク親子の6例しかない。年齢が近いため切磋琢磨しながら同じ目標を目指せる兄弟と異なり、20歳~30歳の年齢差がある親子となると環境や価値観に大きな違いが出てくる。そのあたりが数字に表れているのではないだろうか。現にジョー・フレージャー(米)、ロベルト・デュラン(パナマ)、カルロス・サラテ(メキシコ)、アーロン・プライアー(米)といった歴史に名を刻む名王者の息子たちも父親の背中を追いかけたが果たせなかった。

イバン・ホリフィールドは偉大な父親に近づき、いつの日か追いつくことができるのだろうか。

リングにかける男たち

WWEの地位捨て新日へモクスリーは「色気すごい」

G1CLIMAX 29 第9試合 30分一本勝負 「G1CLIMAX 29」Bブロック公式戦 石井智宏vsジョン・モクスリー 石井(下)を攻めるモクスリー(2019年7月19日撮影)

狂犬は誰にも止められないのか-。元WWEのスーパースター、ディーン・アンブローズことジョン・モクスリー(33)が新日本の夏の祭典、G1クライマックスBブロック首位を独走している。タイチ、ジェフ・コブ、石井智宏、鷹木信悟、内藤哲也を破り、無傷の5連勝。内藤を下した28日の名古屋大会では「俺の前に立ちはだかるやつはすべてたたきつぶす」と全勝優勝宣言まで飛びだした。

この春まで世界最大級のプロレスの団体、WWEのスーパースターだったが、その座を自ら捨てた。理由は本人がさまざまなメディアで語っているが、5月に自身のSNSで発表した動画がとても分かりやすい。その動画の中でモクスリーは囚人を演じている。刑務所の独房の壁を力ずくで壊し、有刺鉄線のついた塀を跳びこえて、脱走。WWEはモクスリーにとっては刑務所のように不自由な場所だったということだろう。

その後、AEWと契約を結ぶとともに新日本への参戦も決定。モクスリーは「新日本からのオファーは、パーフェクトなタイミングだった」と振り返る。実際に参戦してみて、新日本は思い描いた以上に過酷で、刺激的な「スポーツ」の舞台だったという。さらに、その中で「自分のアートを見せられる」。キャンバスに自由に筆を走らせるように、モクスリーは生き生きと戦っている。

プロレス新米記者である筆者はWWEのアンブローズについて、ほとんど無知だった。だが、新日本に初登場した6月の両国大会でその魅力に一気に引き込まれた。技術や引き出しの多さ、マイクのうまさなどプロレスラーとしての長所はたくさんあるのだろうが、何よりたたずまいがいい。その大会でのバックステージ取材後、通訳のK嬢と顔を見合わせ「色気がすごいですね…」と話したのを覚えている。

試合を重ねるにつれ、モクスリーへの観客の声援もどんどん増えてきたように感じる。子分として引き連れるヤングライオン海野翔太とのやりとりもユーモアにあふれて、楽しい。参戦から約2カ月で新日本のマットにすっかりなじんでいる。すぐ順応できたのは持ち前の才能がなせる業かもしれないが、努力もかいま見える。27日、名古屋大会の試合開始の約3時間前。黒いTシャツとジーパンで会場入りしたモクスリーは、1階のフロアレベルから会場全体と誰もいないリングを真剣な表情でしばらく見つめていた。お決まりになっている客席からの入場はどこからするか、どんな戦いを見せるか。そんな考えを巡らせていたのかもしれない。またG1期間中は常に次に対戦相手の研究をしているとモクスリーは明かす。28日の内藤との試合では、内藤がよくやるロープワークの後に寝ころぶポーズを再現。挑発すると同時に、内藤へのリスペクトさえ感じさせた。

少年時代のモクスリーは、さえない現実から逃げるために故郷オハイオ州シンシナシティのビデオショップ、フリーマーケットで世界中のプロレスビデオを買いあさっていたという。多種多様なプロレスを自分の中に取り込み、成功する夢を膨らませた。新日本プロレスも、そんなモクスリー少年の憧れの対象だった。「G1で優勝して、東京ドームのメインでIWGPヘビー級に挑戦したい」。その夢は現実になるか。残り2週間、モクスリーの姿と、G1戦線をしっかり見届けたい。【高場泉穂】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

大相撲裏話

アキラさんお疲れ様…横綱と苦楽共にした仲間が定年

特等床山の床蜂氏(右)にまげを結ってもらう白鵬(撮影・河田真司)

「アキラさん、50年間お疲れさまでした!」。横綱白鵬(34=宮城野)が花束を手渡すと、アキラさんは照れ笑いを浮かべながら、周囲に一礼した。名古屋場所千秋楽、西の支度部屋。アキラさんとは、名古屋場所が定年前最後の場所となる特等床山の床蜂(64=宮城野、本名・加藤章)。04年の白鵬の新十両以来、15年間白鵬の大銀杏(おおいちょう)を結ってきた。角界には13歳で入門。これは床蜂いわく「少なくとも自分が入ってからは見たことない年齢」という。入門の経緯は父と先代宮城野親方(元横綱吉葉山)に共通の知人がいたため。以降、北の湖や千代の富士ら数々の横綱を担当してきた。最後に横綱のまげを結い終えると「いよいよ次の世代に譲るんだなあと、不思議な気分ですよ」と話し、目尻を下げた。

白鵬を「命の恩人」と呼んでいる。数年前の春場所のこと。起床時から体調が悪く、人生で初めて吐血するほどだった。朝稽古後、白鵬のまげを結っている最中には顔が真っ青になり、汗だくに。職人気質の床蜂は「場所に行く」と言い張っていたが、白鵬に「今日は(場所に)行かないで検査を受けた方がいい」と強く勧められて翻意。病院で検査を受けると胃と食道の間が5センチほど切れており、10日間の入院を強いられた。「医者には『あとちょっと病院に来るのが遅かったら命の保障はできない』と言われた」と床蜂。白鵬の一言が無ければ最悪の事態に陥る可能性もあったという。「長くやっているとそういう運命的な部分もあるのかな、と思う。あれがなければ最後までできなかったかな」。数々の記録の裏で、常にそばにいた存在。白鵬も床蜂のことを「仲間」と表現する。優勝こそ逃したものの「出られて良かった」とすがすがしい表情を見せた。

第2の人生を歩む床蜂。「趣味がないんだよね、見つけなきゃ」。8月の“夏休み”に向けて、妻との旅行計画を練っているという。【佐藤礼征】

原功「BOX!」

Sフェザー級WBOとIBFで注目のタイトルマッチ

27日(日本時間28日)、スーパーフェザー級の世界タイトルマッチが2試合、米国で開催される。この階級には5月のV2戦でWBO王座から陥落した伊藤雅雪(28=横浜光)と、一度はIBF王座を獲得しながらドーピング検査で陽性反応が出て戴冠を取り消された「幻の王者」尾川堅一(31=帝拳)らが控えているだけに、王座の行方が気になるところだ。

メリーランド州ボルティモアではWBAスーパー王者のジャーボンタ・デービス(24=米)が、2位にランクされるリカルド・ヌニェス(25=パナマ)を相手に2度目の防衛戦に臨む。デービスは元世界5階級制覇王者のフロイド・メイウェザー(米)の秘蔵っ子としてしても知られる逸材で、プロでは21戦全勝(20KO)というレコードを残している。かつて体重オーバーのため計量で失格して王座を失ったが、昨年4月に2度目の戴冠を果たした。Tank(装甲戦車)というニックネームを持つ小柄なサウスポーで、スピードと勘、パンチ力が売りの攻撃型だ。メイウェザー譲りなのか口も達者で、盛んに対抗団体の王者や1階級上のWBA&WBO王者、ワシル・ロマチェンコ(31=ウクライナ)らを挑発している。

そんなデービスに挑むヌニェスは23戦21勝(19KO)2敗の元南米王者で、このところ10連勝(9KO)と上り調子だ。ひと泡吹かせてやりたいところだが、凱旋防衛戦となるデービスを破るのは難しそうだ。

一度は尾川に12回判定負けを喫したものの「ノーコンテスト(無効試合)」に結果が変更され、別の相手との王座決定戦に勝ってIBF王者になったテビン・ファーマー(28=米)は、3位のギヨーム・フレノア(35=仏)と拳を交える。昨年8月に戴冠を果たしたファーマーにとっては早くも4度目の防衛戦である。打たれないことを身上とするサウスポーのファーマーだからこそ11カ月の短期間で5試合が可能なのだろう。戦績はファーマーが35戦29勝(6KO)4敗1分1無効試合、同じく技巧派サウスポーのフレノアは48戦46勝(12KO)1敗1分。試合はテキサス州アーリントンで行われるが、初めてヨーロッパを出て戦うフレノアにとっては厳しい戦いが予想される。

このIBF王座には尾川が挑戦の準備を進めている。9月にも挑戦者決定戦を計画している尾川は、それをクリアしてファーマーとの再戦に駒を進めたいところだ。

また、無冠に戻ったものの伊藤も現役続行を決めている。現在はWBO9位、WBC11位にランクされており、王者たちから逆指名される可能性もある。さらにWBO3位には尾川のジムメートでもある日本王者の末吉大(28=帝拳)が控えている。

27日(日本時間28日)の2試合には、日本からも熱い視線が向けられている。

リングにかける男たち

追い詰められミスした吉本…拳四朗はミスせんかった

タコリン(左)に右アッパーを入れる拳四朗(2019年7月12日撮影)

人がミスするのは、どういう時やと思います?

先日、雨上がり決死隊の宮迫、ロンドンブーツ1号・2号の亮が闇営業問題に関する謝罪会見をした。

ギャラをもらったのに、もらってないとウソをついた。良心の呵責(かしゃく)から「謝罪会見」を所属の吉本興業に頼んだら、岡本社長に拒否され、ついには契約解除されたとか。その経緯を明かしたから、今度は闇営業から話が飛んで、吉本興業の隠蔽(いんぺい)工作疑惑という大問題に発展してしもた。

ウソがあかんいうことは、宮迫や亮の最初の隠蔽で明らかやったのに、ウソの上塗りに走った。「愚かやな」と誰もが思いますわな。事態が表面化した時、2人に先輩芸人たちが告白を諭した。きっと、それが最善の処し方です。岡本社長も平常時、冷静な時やったら、そんな愚は犯さんかったんちゃいますかね。組織を守る意識とかが先走ってしもたんかな-。

人は追い詰められたら、ミスをする。

7月12日、エディオンアリーナ大阪で6度目の防衛に成功したWBC世界ライトフライ級王者拳四朗は、ミスをせんかった。

会心の右カウンターで、4回1分ジャストTKO勝利を飾ったけど、試合後に「強かったッスよ。パンチあったし、何発かもらった」と苦笑いした。ニュアンスとしては、対戦相手の同級1位タコニンは7度の世界戦で最強-。そんな話しぶり。タコニンは距離をつぶそうと強引に飛び込んできた。ハードパンチャーの上、サウスポーの嫌らしさもあった。実際、1回は2、3度懐に入られて、横に回ってしのげず、後退する場面があった。その展開が続くようなら、正直危ない展開はあり得たと思う。

それでも、きっちり勝った。自分の生命線「左ジャブを生かした距離感」を信じ、貫いてTKOした。要するに、慌てず、怖さに対応し、克服したわけです。

拳四朗は「距離感は、より自信がついたかなと思う」と言い、父親でもあるBMBジムの寺地永会長は「打ち負けなかったですね。これまではもっと下がる場面もあったけど。終わってみたら、パンチのパワーも回転も勝ってた。特に回転で勝ったんは、想定外でした」と喜んでた。

拳四朗の目標は、具志堅用高さんがWBA世界ライトフライ級王者として記録した「13連続防衛」の日本記録。まだ半分にも届いてへんけど、ひょっとして…と思わせるムードが出てきたんちゃうかな。

追い詰められてもミスせんかった。山を1つ越えて、たくましくなった。

【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

タコニンをTKOで破り6度目の防衛を果たした拳四朗はチャンピオンベルトを指さし笑顔を見せる(2019年7月12日撮影)
プロレスの月曜日

KENTA「充実しています」G1の夏に燃える

今年1月にWWEを退団したKENTA(38)が、新日本プロレスのG1クライマックスに初参戦している。4戦を終え、得意の打撃を武器に無傷の4連勝と好調。初体験の新日マットの感触や、再起にかける思いを聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

日本でのリングは5年ぶり、「G1クライマックス29」に帰ってきたKENTA(撮影・酒井清司)

「自分のやりたいプロレスをやりたい」。それがKENTAがG1に参戦する理由だ。14年、ノアを退団し移ったWWEでの新リングネームは「イタミ・ヒデオ」。「いつかそう呼ばれることに慣れるだろうと思っていたけど、最後までしっくりこなかった(笑い)」。けがなどもあり、WWEでは思うようなプロレスができず今年1月に退団。次の戦いの場に新日本プロレスを選んだのは世界に発信力があるから。ここで再起のチャンスを狙う。

米ダラスでのG1初戦は昨年準優勝の飯伏幸太。世界中のファンが注目する中、必殺技go2sleepで勝利した。約半年ぶりの実戦。ブランクは感じつつも「今までの思うようにいかなかった数年間の思いをぶつけようという思いでやりました」。初対戦だった飯伏とのタフな試合を制し、鮮烈な新日デビューを果たした。

14日、棚橋弘至にスワンダイブ式ドロップキックを放つKENTA(左)

エース棚橋、巨人アーチャー、EVILも下し開幕4連勝。最高の滑り出しだが、残る試合もオスプレイ、SANADA、オカダと初顔合わせの強敵が並ぶ。「どういう試合になるのか予想もつかない」。全員を警戒した上で、ポイントと定めるのが27日名古屋でのIWGPヘビー級王者オカダ戦。「米国にいた時、また新しい才能が出てきたと思ったのを覚えている。全勝で(オカダ戦に)臨めればいい」。新日本の顔を倒せば、この上ないアピールになる。

連戦のきつさはあるが「充実しています」と笑顔で語る。自宅は米フロリダにあるが、G1中は日本に長期滞在。「すぐいけばコンビニがあって便利だったり、ココイチ(カレーチェーン店)もある。巡業でも久しぶりに行くところが多くて楽しみ」と久しぶりの日本生活を堪能している。

インタビューで笑顔を見せるKENTA(撮影・酒井清司)

ファンの歓迎と拒否。さらに5年前の自分と比べて見られていることも感じている。「期待に応えたいとは思う。自分でも自分に期待している。5年前にやっていたようなことをやりたいとは思いますけど、その後の5年も、自分のなかでは無駄な時期ではなかった。そこで学んだもの、得たものをプラスαで出していきたい」。G1後のプランは考えているが、「ここでなにかを残さないと次はないと思っている」。すべてを出し尽くす覚悟で、残る試合を完走する。

大相撲裏話

初めて横綱のまげを直し「夢がかなった」床竣

47歳差の世代交代!? 11日目の打ち出し後、西の支度部屋。不戦勝の横綱白鵬のまげを直しているのは、17歳の五等床山、床竣(宮城野)だった。入門時から白鵬のまげを結ってきた特等床山の床蜂(64=宮城野)が、今場所限りで定年退職。床蜂から「経験した方がいい」と抜てきされた。部屋で横綱のまげを結ったことはあるが、本場所では初めて。「夢がかなった」と、目を輝かせた。

11日目、白鵬(手前)のまげを結う床竣

鳥取・湖東中を卒業して昨年5月から部屋に住み込み、今年の2月に協会から採用が認められた。幼い頃からテレビを通じて大相撲に興味を持ち、中2だった16年に鳥取市出身の石浦の新入幕パーティーで白鵬と出会った。当初は呼び出しを希望していたが、部屋から「いま床山が少ない」と言われ、宮城野部屋に体験入門。床蜂の洗練された仕事を見て、床山として入門することを決めた。

床蜂によると、白鵬の大銀杏(おおいちょう)を担当する“後継者”は未定。それでも、初めて本場所でまげを直すと横綱から「これからよろしくね」と声を掛けられ「身が引き締まりました」と床竣。偉大な大横綱に、少し認められた気がした。【佐藤礼征】

プロレスの月曜日

デビュー20年、女性レフェリー李日韓の「流儀」

<プロレスの女>

プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー3回目は、フリーのレフェリー李日韓(44)。99年に大日本プロレスでデビューしてから今年で20年。唯一無二の名レフェリーにその半生を語ってもらった。【取材・構成=高場泉穂】

6月、全日本プロレス後楽園ホール大会 カウントを取る女性レフェリー李日韓(撮影・河田真司)

白黒タテジマの衣装に髪を後ろにまとめたスタイル。柔らかな雰囲気の李がリングに上がると、その貫禄で一気に緊張感がみなぎる。試合中はハスキーなボイスで選手の名前を呼び、激しい技の応酬には苦しそうに顔をしかめる。反則には毅然(きぜん)とした態度で怒号を発し、試合後は選手を笑顔でたたえる。すべては「お客さんが楽しめるように」。喜怒哀楽豊かな李につられて、見ている側も思わず心を揺さぶられる。

99年に大日本でレフェリーデビュー。翌00年からはデスマッチもさばくようになり、大日本を代表する名レフェリーに成長。16年に独立してからは、全日マットを中心に、海外にも活動の場所を広げている。「全日本に出始めた時は『女があがるリングじゃない』とSNS上で言われたこともありました。でも、私はこれが仕事。女だから、と悲観してみられたらだめだなと思っています」。

新米時代、元大日本で現新日本の本間朋晃からは「体を鍛えろ」。大日本の伊東竜二からは「泣くなら、リングからおりろ」と助言を受けた。その教えを今も守り、「思いきり(リングを)たたける体をつくらないと」と、トレーニングは欠かさない。確かなプライドを胸に男たちの戦いを20年間さばき続ける。

胸に刻む一戦がある。09年11月20日、後楽園ホールでの葛西純対伊東竜二。デスマッチ界トップ2人の対戦に聖地は満員札止め。残り15秒で葛西が制した死闘はその年のプロレス大賞年間ベストバウトに選ばれた。そのレフェリーを務めたのが李だった。受賞後、葛西には食事をごちそうされ、伊東からは賞金をそのままもらった。

「おれたちがすごいんじゃない。あれは3人でとった賞だからと2人が言ってくださった。試合の後、記憶に残る選手とレフェリーになろう。そのために、あの試合を塗り替えていかないといけない。がんばって努力しよう、と3人で話をしました」

6月、全日本プロレス後楽園ホール大会で選手のかけ技に驚きの表情を浮かべる女性レフェリー李日韓

20年間のレフェリー生活でさばいた試合数は「4ケタ以上」。それでも李は「まだまだです」と謙遜する。現在主戦場とする全日本では名物レフェリー和田京平から多くのことを学んでいるという。

「大日本でお世話になった16年間を恩返しするために、野心を忘れず、もっと有名になりたい。もっと海外もみてみたい」

唯一無二のレフェリー人生はまだまだ続く。

◆李日韓(り・にっかん)1975年(昭50)4月15日、滋賀県生まれ。高校卒業後、岐阜、愛知地区タウン誌ライター。インディ団体「世界のプロレス」スタッフ、週刊ゴングのアルバイトを経て、99年に営業兼レフェリーとして大日本プロレス入り。16年からフリー。157センチ、65キロ。

原功「BOX!」

40歳パッキャオ 敗北=引退の団体統一戦に挑む

6階級制覇の実績を持つスーパースター、WBA世界ウエルター級王者のマニー・パッキャオ(40=比)が20日(日本時間21日)、米国ネバダ州ラスベガスで同じWBAウエルター級のスーパー王者、キース・サーマン(30=米)と拳を交える。試合はWBA団体内の統一戦として行われる。フィリピンの上院議員でもある40歳のパッキャオにとっては、敗北=引退を意味する重要な戦いとなる。

パッキャオは19キロもの体重の壁を破って32歳になる直前に6階級制覇を成し遂げたが、以後はライバルのファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)に失神KO負け(12年12月)を喫したり、フロイド・メイウェザー(米)との世紀の一戦で敗れたり(15年5月)と、かつての勢いは影を潜めていた。2年前、世界的には無名だったジェフ・ホーン(豪)に12回判定負けを喫してWBO世界ウエルター級王座を失ったときは、多くの関係者やファンが引退のタイミングが来たと思ったほどだった。

しかし昨年7月、1年ぶりのリングで歴戦の強者、ルーカス・マティセ(亜)から3度のダウンを奪って7回TKO勝ちを収めて現在の王座を奪い、世界王者として18年12月に40歳の誕生日を迎えた。フライ級での初戴冠が19歳で、スーパー・バンタム級、スーパー・フェザー級、ライト級で王座獲得を果たした20代を経て、30代前半にウエルター級とスーパーウエルター級も制覇。その結果、10代、20代、30代、40代で世界王者という前人未到の記録を樹立した。早熟かつ晩成という、スポーツ選手だけでなく誰もが羨むようなことをやってのけたわけだ。16歳でプロデビューしてから24年、パッキャオにとってはこれが71戦目となる(61勝39KO7敗2分)。

一方のサーマンも実績十分の実力者だ。12年のキャリアで30戦29勝(22KO)1無効試合の戦績を残しており、6年前にWBA世界ウエルター級暫定王座を獲得後、正王者からスーパー王者に昇格しながら8度の防衛をこなしてきた。左フックや右クロスはタイミングが抜群で破壊力もある。73パーセントのKO率はパッキャオの56パーセントを大きく上回っている。ただ、直近の3年ほどは王者経験者など手強い相手と苦戦続きで、加えて右肘を手術したり左拳を痛めたりしたため活動が不活発だった。今年1月、約2年ぶりにリングに上がったが、格下相手に苦戦を強いられた。

オッズは4対3でサーマン有利という数字でスタートしたが、試合が近づくにつれて13対10、6対5、8対7、12対11、20対19と接近。7月に入ると11対10でパッキャオ有利に逆転した。これでも分かるように、両者の総合力は拮抗しているとみられている。それだけに試合当日のコンディションや戦術が勝負を分けるカギになりそうだ。サウスポーのパッキャオはいつものように揺さぶりをかけながら踏み込んで左ストレートを狙うものと思われる。これに対しサーマンがどう迎え撃つか。右ストレートのカウンターがクリーンヒットすれば6階級制覇王者も立っていられないだろう。逆にパッキャオの左ストレートか左ボディブローが絶妙のタイミングで命中すれば、サーマンが膝を折るシーンが見られるかもしれない。

経験値の高い世界王者同士の試合だけに、駆け引きを含め初回から目の離せない攻防が展開されそうだ。

大相撲裏話

引退安美錦「貴乃花最後の相手」に苦しむ

最年長関取の安美錦(40=伊勢ケ浜)が、名古屋場所10日目の16日に現役引退を表明した。安美錦は、横綱貴乃花の最後の相手としても知られている。

03年初場所8日目、安美錦(左)は、立ち合いで貴乃花の右腕を取り、送り出しで破る

03年初場所8日目のこと。結びの一番だった。24歳で三役経験もなかった安美錦が、横綱貴乃花を送り出しで破った。初の金星だった。当時の安美錦は支度部屋で「勝った瞬間は、何が何だかわからず、頭がぼーっとした」とのコメントを残している。

貴乃花は直前の九州場所を右膝のケガが悪化して全休。初場所で復帰したものの2日目に左肩を強打して休場した。2日間休んだだけで強行出場し、4勝2敗1休で迎えた中日の安美錦戦だった。

敗れた貴乃花は、その翌日に引退を発表した。この事実に、安美錦は長く苦しんだ。大横綱の引退発表、記者会見…。日本中が大騒ぎとなり、全メディアが報じる様子を安美錦は信じられない気持ちで見ていた。

「大変なことをしちゃったんじゃないかと。テレビでもその取組が何度も映像で出てくる。勝手にプレッシャーを感じていた。勝った人はみんな強くなったと言われて…。その後、自分で貴乃花戦のことは触れなくなっていた。自分で自分のことを縛っていた」

あの呪縛から解放されたのは、近年のことだ。

数年前の巡業中、地元関係者らとの食事会で貴乃花親方と同席した。すると貴乃花親方が思い出の一番としてあの取組を話しているのを聞いた。「少しホッとした」。

その後、貴乃花親方がテレビ番組で、あの一番についてコメントしている場面を見た。最後は手負いの状況だったため「出場していなければ引退にならなかったのでは?」という問いに「あの一番はケガをしていてもしていなくても同じ結果」と答え、安美錦の実力をそのまま受け止めてくれていたことを知った。「あれで良かったんだ」と思えて、自然と涙がこぼれた。

19年名古屋場所2日目、竜虎(左)との取組で右膝を痛めた安美錦。最後の取組となった

時は流れ、安美錦の最後の相手は竜虎(尾上)になった。引退を発表した日、安美錦はこう言った。

「向こうの方が上だった。いい若手とできて良かった。自分も大横綱(貴乃花)からバトンをもらって、若い人にバトンタッチできて終われたのはうれしい」

余計なものは背負わなくていい-。そんなメッセージが込められた。すがすがしく後輩を立て、土俵を去った。【佐々木一郎】

大相撲裏話

AEDに救われた命“稽古”のたまもの

御嶽海(左)に水をつける出羽海親方(2018年7月22日撮影)

稽古はうそをつかない。土俵外でも、そんな出来事が起きたのは今月4日、愛知・犬山市の寺に宿舎を構える出羽海部屋。初日を3日後に控えた午前7時45分だった。序二段力士の稽古を指導中の出羽海親方(51=元前頭小城ノ花)の心臓が停止。座っていたベンチから突如、前のめりに倒れた。だが序二段小城虎を中心に、若い衆の素早い対応で同親方は3日目の9日に職務復帰。後遺症もない。

病名は冠攣縮性(かんれんしゅくせい)狭心症。血栓も、血管にも異常はなかったが突発的に起きた。しかも最初の心臓停止から約15分後、再び心臓が停止。2度とも日本相撲協会が全46部屋に配布した自動体外式除細動器(AED)を使い、意識を取り戻した。2度目の際にAEDを使用した、実弟で部屋付きの中立親方(元小結小城錦)は「引退直後に、たまたまAED講習を受けていた」と振り返った。現在は全部屋でAED講習を定期的に実施し、その成果が出た。

出羽海部屋では90年2月の稽古後、前頭龍興山が虚血性心不全のため22歳で亡くなっている。出羽海親方とは同い年で新十両も新入幕も一緒。同親方はかつて「あんなことだけは避けたい」と話していた。龍興山の急死を機に、相撲協会は定期的な心電図検査を義務づけ、AEDも取り入れた。“稽古”を重ねてきたからこそ、救われた命だった。【高田文太】

リングにかける男たち

教育係大石真翔も涙、大鵬3世納谷まだまだ強くなる

鈴木秀樹(左)にエルボーを見舞う納屋幸男(撮影・たえ見朱実)

プロレスのDDT東京・大田区総合体育館大会のバックステージで、1人の男が涙を流していた。DDTのベテラン大石真翔(まこと=40)だった。リアルジャパンから移籍してきた大鵬3世、納谷幸男(24)の教育係として入団から面倒をみてきた。この日の鈴木秀樹とのシングル戦では、セコンドについていた。

納谷は、リアルジャパンから見違えるようになっていた。弱々しさや、自信のなさが消えた。技術的にはまだまだだが、ベテランの鈴木にひるむことなく立ち向かった。ゴングが鳴ると、いきなり体当たり。続けざまにエルボー6連発から、右ハイキック5連発とたたみかけるような攻撃で会場を沸かせた。

鈴木の強烈な反撃や、場外乱闘でのパイプイス攻撃にも心は折れなかった。痛がるしぐさも見せず、やられても、やられても何度も立ち上がった。相手への恐怖心も消えていた。相手をにらみ付ける目は、最後まで強い光を放っていた。最後は、鈴木の変形ネックロックにギブアップしたが、その表情はすがすがしかった。鈴木から背中をたたかれ「やればできるじゃん」と声を掛けられると、頭を深々と下げた。

バックステージで鈴木に「ボクの方が効いてますよ。練習したかいがありましたね」と声を掛けられると、大石は鈴木の肩に手を当てて泣き崩れた。「鈴木との試合が決まってから、彼の悩みや、この試合にかける気持ちとか、ずっと相談を受けていたからね。今日の試合で彼のトラウマも払拭(ふっしょく)されたと思います」と言って大石はまた涙ぐんだ。

リアルジャパンでは、大鵬3世ということもあり、大事に育てられた。ただ、リアルジャパンの興行は年3、4回。より実戦の多い場所を求め、佐山の承諾も得て移籍を決意した。納谷は「DDTに来て、気持ちが大きく変わった。ここで一から若手と一緒にプロレスを教えてもらって、どんなにやられても食らい付いていこうという気持ちになれた」と納谷も満足顔だった。

リアルジャパン時代も戦ったことがある鈴木は「あれだけの体のサイズがあって、やるべきことをやれば、ボクなんかよりずっと強くなる。今日は、ボクも気持ち良かったです」と温かいまなざしで言った。自分を変えようとして飛び込んだDDTで、大石に出会い、鈴木という好敵手を得て、納谷は大きく成長しようとしている。【桝田朗】

鈴木秀樹(右)にキックを叩き込む納屋幸男(撮影・たえ見朱実)