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au版ニッカン★バトル

新着

大相撲裏話

台風余波 前泊力士はリラックス…しすぎて負けた

台風15号の影響で混乱するJR新木場駅=9日午前11時半(撮影・鹿野芳博)

9日の台風15号は、相撲界にも大きな影響を及ぼした。取組は30分遅らせて午前9時10分開始。それでも電車のダイヤが乱れた影響で、序ノ口から取組に間に合わない力士が続出した。序ノ口が4人、序二段が10人、三段目が1人。千葉・鎌ケ谷市の朝日山部屋、同松戸市の佐渡ケ嶽部屋など、墨田区の両国国技館から離れた地域の部屋の力士が多かった。計15人、13取組を後に回す特別措置を取り、不戦敗などにはしなかった。

茨城・つくばみらい市の立浪部屋は、序二段1人が遅れただけだった。部屋関係者は「つくばエクスプレスの終点、秋葉原から歩いた力士も何人かいた」と、約2キロを自力で移動していたと明かす。この日は普段見かけない街中にも、力士が出現したようだ。

前泊した部屋もあった。西武線沿線に唯一構える、埼玉・所沢市の二子山部屋は、東京・台東区のホテルに全9人の力士が宿泊した。9人中8人が2日目に取組があったため、全員がシングルルームに宿泊。相撲部屋は関取になるまで個室を与えられないことが多い。久々のプライベート空間を体験し、同部屋の若い衆の1人は「リラックスできたけど、リラックスし過ぎて負けました…」と頭をかいた。取組に遅れた力士は15人中11人が白星。準備万全だから勝てるものでもないようだ。【高田文太】

原功「BOX!」

アルバレス4階級制覇なるか コバレフは危険な相手

現役ボクサーのなかで「最も稼ぐ男」として知られるサウル・カネロ・アルバレス(29=メキシコ)が11月2日(日本時間3日)、米国ネバダ州ラスベガスでWBO世界ライトヘビー級王者のセルゲイ・コバレフ(36=露)に挑むことが決まった。アルバレスはスーパーウエルター級、ミドル級、スーパーミドル級で世界王者になっており、勝てば4階級制覇となる。ただ、「クラッシャー(破壊者)」の異名を持つコバレフは76パーセントのKO率を誇る強打者だけに、アルバレスにとってはリスクの高い冒険マッチといえそうだ。

現在もミドル級のWBAスーパー王座とWBAスーパーミドル級王座を同時に保持しているアルバレスは、昨秋にDAZNと「5年間に11試合、総額3億6500万ドル(当時のレートで約412億円)」という超大型契約を結んだ。1試合につき約37億円が保証される好条件だが、代わりに強敵とのマッチメークが続くハイリスクの契約でもある。事実、12月の初戦ではWBAスーパーミドル級王座への挑戦試合が組まれ(3回TKO勝ちで戴冠)、今年5月の第2戦ではIBFミドル級王者のダニエル・ジェイコブス(32=米)との統一戦がセットされた(12回判定勝ち)。この2試合でアルバレスは3階級制覇とミドル級3団体王座統一を果たしたが、のちにミドル級のIBF王座は剥奪され、WBCからは「フランチャイズ(特権)王者」にスライドさせられた経緯がある。それでも、このまま2階級の王座を保持したままコバレフに挑んで勝った場合、3階級の王座を同時に保持する可能性があるわけだ。

そんなアルバレス(55戦52勝35KO1敗2分)だが、コバレフ(38戦34勝29KO3敗1分)は文字どおり大きな壁になるかもしれない。米国を主戦場にしているコバレフは10年前のプロデビュー時からライトヘビー級で戦っており、この階級の主ともいえる存在だ。13年8月以降の16戦はすべて世界戦(13勝10KO3敗)で、3度の戴冠を果たしている。身長173センチ/リーチ179センチのアルバレスに対しコバレフは183センチ/184センチと体格でも大きく勝る。体重もライトヘビー級はミドル級よりも約7キロ、スーパーミドル級よりも約3キロ重い。アルバレス自身も「コバレフは大きくて危険な強打者」と認めているが、「だからこそリスクと向き合って挑戦する意味がある」とも話している。

アルバレスにとって危険なカードには違いないが、試合が発表された直後のオッズは9対2で挑戦者有利と出ている。直近の7戦でコバレフがアゴとボディの打たれ脆さを露呈して3敗(2KO負け)していることが理由だと思われる。ボディ攻撃が巧みなアルバレスがコバレフの弱点を突いて攻略してしまうだろうという見方が多いのだ。

予想どおりの結果になるのか、それともアルバレスの冒険が失敗に終わるのか。ゴングが待ち遠しい。

大相撲裏話

歴代2位の11回目 不戦勝が魁聖の活力源

青狼の休場により不戦勝の勝ち名乗りを受ける魁聖(撮影・小沢裕)

東前頭4枚目の玉鷲(34=片男波)と東十両8枚目の魁聖(32=友綱)が、不戦勝で星を伸ばした。玉鷲は鶴竜、魁聖は青狼と取組予定だったが相手が休場。実はこの2人、不戦勝の回数が歴代1位と2位タイ。玉鷲は5日目の逸ノ城戦に続く今場所2回目で通算13回目、魁聖は11回目となった。

出羽錦と並ぶ1年半ぶり不戦勝に魁聖は「コツは他のことでツイてないことかな」と笑うが、すぐに真顔で「幕内上位で取ることが多かったから」と話した。結果も内容も問われる上位は途中休場も多く、その副産物だと分析する。玉鷲は「お客さんに相撲を見せられず残念」と話した。

この1年半の間に、玉鷲に追い越された魁聖は「名前を残したい。また幕内の上位に」と活力源となっている。魁聖は現在も継続中の横綱戦37連敗という、不名誉な1位記録も保持。「そっちは抜かれないと思うけど…」。【高田文太】

リングにかける男たち

日本王者5人所属の三迫ジム、名門復活へ今後が勝負

左からミニマム級田中教仁、バンタム級鈴木悠介、フェザー級佐川遼、三迫貴志会長、ライト級吉野修一郎、ライトフライ級堀川謙一の三迫ジムの日本王者

5人の王者が並ぶとやはり壮観だ。三迫ジムにとって現役最多を更新する日本王者が誕生した。昨年1月のミニマム級田中教仁(34)、昨年2月のライトフライ級堀川謙一(39)、7月のバンタム級鈴木悠介(30)、17年10月のライト級吉野修一郎(27)にフェザー級佐川遼(25)が加わった。鈴木が王座獲得時でジム最多だった。躍進著しい。

プロボクシングは1人が年間3、4試合程度しかできない。他競技も当たり前になったが、昔からランキングというシステムで、マッチメークという独特方法で試合を決める。1試合の重み、勝ち負けが大きい個人競技。相乗効果はあるが、これだけ同時はなかなかない。

佐川は天才肌の阿部麗也(26=KG大和)に判定勝ちした。下馬評を覆す9戦目での王座獲得は3-0の判定。採点は1、2ポイント差だったが、スコア以上の完勝だった。東農大出身で技術力は認められていたが、阿部は日本王座挑戦前に世界ランク入り。前回の初挑戦は引き分けも、センスのよさは高評価だった。

佐川は長身でリーチを生かし、先手でジャブを突き、右ストレートを打ち込み、阿部に入り込ませなかった。地味な技術戦にはなったが、作戦を遂行しきった。文句のつけようのない勝利だった。

ジムは毎月1日にプロ全選手が集合してミーティングを開いているそうだ。三迫貴志会長を中心に選手からも忌憚(きたん)のない意見をかわす。プロの個人競技では珍しいが、ジムの結束力となり、5人王者誕生にも結びついたと言えるだろう。

加藤健太トレーナー(33)の存在も大きそうだ。プロボクサーだったが網膜剥離で引退し、12年から三迫ジムのトレーナーになった。他ジムながらも東京を練習拠点に移したWBC世界ライトフライ級王者拳四朗(BMB)も指導。現役では最多の6度防衛中が、その指導能力の高さを示している。

名門ジムと言えば、歴史と実績=世界王者を何人輩出したかがバロメーター。協栄ジム13人、帝拳ジム12人、ヨネクラジム5人、角海老宝石、ワタナベ、大橋の3ジムが4人輩出し、三迫ジムなどが3人で続く。

8月に大会長と呼ばれた三迫仁志会長が亡くなった。輪島功一らを育て、プロモーターとして手腕を発揮した。昭和の時代は協栄、帝拳、ヨネクラと4大ジムが引っ張った。平成だった2年前にヨネクラは閉鎖。令和となった現在、4つのジムの世界王者はWBAミドル級の村田諒太しかいない。

14年に跡を継いだ長男貴志会長も海外で積極的にマッチメーク。佐川も前戦でマニラでの地域王座獲得が成長にもつながった。移籍組のベテランも多いが、日本は世界へのステップも共通認識。世界再挑戦を期すライト級小原佳太もいる。三迫が名門復活と言えるか、本当の勝負はこれからの勝負となる。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

プロレスの月曜日

「ヤングライオン杯」令和最初の最強若獅子は誰だ

新日本プロレス若手選手の登竜門「ヤングライオン杯」が9月4日の後楽園大会から開幕した。2年ぶり12度目の開催となる今回は新日本2、3年目の4人に加え、柴田勝頼がコーチを務めるLA道場から3人、バッドラック・ファレが指導するニュージーランドのファレ道場から1人の計8人が参戦。未来のスターを目指し、頂点を争う。

   ◇   ◇

この中から未来のスターが生まれるかもしれない。4日の後楽園ホールから総当たりリーグ戦がスタート。3カ所の道場から集まった8人は熱いファイトで聖地を盛り上げた。リーグ戦は22日神戸大会まで続き、最高得点者が優勝となる。以下参戦8人を紹介する。

海野翔太<新日本>(左)と成田蓮<新日本>

<新日本(野毛道場)>

公式のファン優勝予想で1位となったのがデビュー3年目の海野だ。転機となったのは6月のジョン・モクスリーとのシングルマッチ。元WWEのスーパースターに敗れたものの、モクスリーに気に入られ、G1期間中はタッグパートナーと、セコンドを務めた。英語でのコミュニケーションに苦戦しながらも一流の背中を近くで追った経験は大きい。黒星スタートとなったが、「絶対あきらめない」と巻き返し初優勝を狙う。

同期で青森生まれの成田も負けじとステップアップのチャンスをうかがう。今年は初めてベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアに参戦も全敗。その悔しさをぶつける。

辻陽太<新日本>(左)と上村優也<新日本>

アメフト出身の2年目辻は、ヤングライオンの名にそぐわない貫禄とパワーをつけつつある。G1最終戦の武道館でLA道場のコナーズに敗れ、体を絞り、新技も用意してリベンジを狙う。もう1人の2年目上村はアマレス出身で技術と高い身体能力を誇る。優勝とその先の海外遠征を目標に掲げる。G1期間中諸事情により、トレードマークだった髪をばっさりカット。昭和風のお気に入りの髪形に戻すためにも、ここで結果を残したい。

カール・フレドリックス<LA道場>(左)とクラーク・コナーズ<LA道場>

<LA道場>

長期欠場中の柴田勝頼が育てた精鋭がそろった。最年長29歳のフレドリックスは185センチの長身と強靱(きょうじん)な肉体を武器にチャンスを狙う。コナーズは初戦で優勝候補の海野を撃破。173センチと小柄だが技術とジュニア離れしたパワーを持つ。

アレックス・コグリン<LA道場>とマイケル・リチャーズ<ファレ道場>

鋼の筋肉をまとうコグリンは8人中唯一2連勝。強烈な逆水平で客席を沸かせるほか、甘いマスクで人気が出そうだ。

<ファレ道場>

バッドラック・ファレがニュージーランドで主宰する同道場からは1人。スキンヘッドにあごひげ、24歳には到底見えない風貌のリチャーズは17年のトライアウトで合格し、ファレ道場に入門。日本の野毛道場でも練習を積み、この6月にオーストラリア大会で2連勝デビューした。必死なファイトが日本のファンの心をつかみつつある。【高場泉穂】

ヤングライオン杯歴代王者

大相撲裏話

嘉風引退に角界ショック 影響力の強さ感じさせた

嘉風(19年3月撮影)

関取最年長で元関脇の十両嘉風(37=尾車)が秋場所5日目の12日に日本相撲協会へ引退届を提出し、角界にもショックが広がっている。

5日目の取組後、支度部屋で「嘉風引退」を知らされると、ほとんどの関取が目を丸くしていた。年齢の近い琴奨菊は「本当にいいアドバイスをくれるんだよね。『自分を貫き通せ。(周りの意見は)全部聞き流せ』とか、なかなか言ってくれる人いないよ」。大関復帰を目指す貴景勝も影響を受けた1人だ。「自分がベラベラしゃべるものじゃない。軽くなっちゃうから」と前置きした上で「30代で真っ向勝負。自分も嘉風関の押し方をまねしたこともある」と打ち明けた。初めて幕内上位に上がったときは「上位の先入観にとらわれるな」と言葉をもらったという。幅広い年代からの支持が、影響力の強さを感じさせた。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

天国に旅立ったムギのために活躍届ける荒汐部屋勢

「荒汐部屋のモルとムギ」発売記念イベントで、若い衆の大部屋でファンと交流するムギ(16年10月撮影)

荒汐部屋の看板猫「ムギ」が5日に死んだ。部屋の若い衆によると7月に容体を崩し、足に腫れが見られたという。最初に連れて行った病院では「肉離れ」と診断されたが、食欲が出ないなど体調が回復せず、他の病院での検査で悪性腫瘍と判明。部屋でムギと最も仲が良かったという福轟力は6日、ツイッターで「肺の腺癌でした」とつづった。ムギは同じ飼い猫の「モル」とともに荒汐部屋で暮らしていた。テレビやSNSで紹介され人気を博し、16年にはモルとムギ、部屋の力士が登場する写真集「荒汐部屋のモルとムギ」(リトル・モア社)が発売されるなど、一部でブームを巻き起こした。

突然の別れに部屋で一番の兄弟子、十両蒼国来(35)は「悲しいね。本当に何を言っていいのか分からなかった…」と肩を落としていた。涙を流す若い衆もいたという。その影響か、蒼国来によると「みんな気合が入っている。特に幕下が調子が良くて、期待大だね」と熱弁。部屋全体で4日目終了時点で15勝11敗と白星が先行。天国に旅立ったムギのためにも、活躍を届けたい荒汐部屋勢だ。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

統一王者ロマチェンコとデービス 直接対決に現実味

階級を超越したボクサーの総合的偏差値ともいえる「パウンド・フォー・パウンド(PFP)」で現役最強の評価を得ているライト級3団体統一世界王者、ワシル・ロマチェンコ(31=ウクライナ)に、注目すべきライバルが現れた。前WBA世界スーパーフェザー級のスーパー王者、ジャーボンテイ・デービス(24=米)だ。21戦全勝(20KO)という驚異的なKO率を誇るデービスは、このほどライト級に転向。いきなりWBA1位にランクされた。

WBAとWBOライト級王者だったロマチェンコは8月31日、12年ロンドンオリンピック(五輪)金メダリストのルーク・キャンベル(31=英)を12回判定で退け、空位になっていたWBC王座も獲得し、3団体のベルト保持者になった。翌9月1日付でWBAランキングが発表されたが、ロマチェンコは月間最優秀選手に選ばれた。それ以上に注目すべきは、デービスがスーパーフェザー級王座を返上してライト級に転向、いきなり1位にランクされたことである。

もともとデービスはロマチェンコとの対戦希望を口にしてはいたが、プロモーターや階級が異なるため、仮に対戦が実現するとしても2~3年先になるだろうとみられていた。それが今回の転級によって一気に直接対決が現実味を帯びてきたといえる。

デービスはアマチュアで220戦(205勝15敗)を経験後、13年2月にプロデビュー。17年1月にIBF世界スーパーフェザー級王座を獲得した。このときはV2戦を前に体重オーバーのため計量で失格してベルトを失ったが、昨年4月にWBAのスーパー王座を手に入れた。今回の返上を前に2度のKO防衛を果たしている。身長は170センチのロマチェンコよりもさらに小さい166センチのデービスだが、距離を潰しながら積極的に仕掛け、左構えから回転の速い左右のフックやアッパーを顔面とボディに打ち分ける攻撃的なスタイルを確立している。ニックネームは「TANK(装甲戦車)」。計量で失格になった試合も含め世界戦では6試合すべてをKOで終わらせている。5階級制覇王者のフロイド・メイウェザー(米)がプロモーターを務めるなど話題性もある。

同じサウスポーのロマチェンコはアマチュアで五輪と世界選手権を連覇し、プロでは3階級制覇を成し遂げている。戦績は15戦14勝(10KO)1敗。「ハイテク(高性能)」のニックネームどおりスピードと攻防のテクニックに長けている。

そのロマチェンコはライト級で主要4団体制覇を目標に掲げているが、残るIBF王座を持つリチャード・コミー(32=ガーナ)は12月に防衛戦を控えている状況だ。仮にロマチェンコとIBF王者の最終統一戦が実現するとしても早くて来春ということになる。その前にロマチェンコ対デービスが実現するのか、それとも4団体統一後に両雄の対決が見られるのか。ロマチェンコ、そしてデービスの今後に要注目だ。

リングにかける男たち

井上尚弥に「刺激」最強王者のパートナーとスパー

井上尚弥のスパーリング相手として来日したジャフェスリー・ラミド

ワールド・ボクシング・スーパーシリーズ(WBSS)決勝(11月7日、さいたまスーパーアリーナ)を控えるWBA・IBF世界バンタム級王者井上尚弥(26=大橋)は今週から第2次スパーリングに突入した。米老舗ボクシング誌「ザ・リング」が選定するパウンド・フォー・パウンド(階級を超越した最強王者)ランキング1位の3団体統一ライト級王者ワシル・ロマチェンコ(31=ウクライナ)の練習パートナーを務めるジャフェスリー・ラミド(19=米国)と約1カ月間、拳を交える。5階級制覇王者のWBAスーパー王者ノニト・ドネア(36=フィリピン)との決勝に備え「強力助っ人」を呼び寄せた。

所属ジムの大橋秀行会長(54)によれば、ラミドは20年東京オリンピック(五輪)米国フェザー級代表候補で、全米アマチュア同級ランキング2位に名を連ねる。10月に同級ランキング1位との代表選考会が予定されており、その強化の意味も込めてラミド陣営からスパーリングの申し込みがあったという。米カリフォルニア州オレンジ郡を拠点とするフィリピン系米国人のラミドは、どちらかと言えば優しい顔立ち。大橋会長は「以前の私の経験から言えば、あの雰囲気の顔で弱かったボクサーは誰もいない」と、静かに燃えるラミドのオーラを感じ取っている。

昨年から2度、ラミドはロマチェンコの練習パートナーを担当している。ボクシングは1回3分間だが、ロマ流スパーは1回4分間。その過酷な設定であっても、1日に9回を任されていたという。計150回以上のラウンド数を消化してきたが、ロマチェンコに倒されることがなかったそうだ。ラミドの関係者は「ロマチェンコは3人のパートナーを呼ぶが、ラミド以外の2人は、3ラウンドももたなかった」と明かした。

9月上旬に来日済みで、大橋ジムで時差調整を兼ねてトレーニングを積んでいる。他選手とのスパーリングをチェックした井上は「うまいですよ。アマチュアの選手なので。うまさはすごくあります」と実力を認める。対ドネア対策という意味では「スタイルが似ているかと言えば、そうではないですけれど」と前置きした上で「自分の引き出しの多さを試すには良いパートナーです」と楽しみにしている様子だった。

8月下旬、井上は「刺激が欲しい」という内容をSNSにつづった。WBSS決勝発表会見では、他ジムへの出げいこにも興味を示すほど触発されるものを求めていた。最強王者の練習パートナーは、モンスターにとって「刺激」になるのか。報道陣には、ラミドとのスパーリングが公開されることはないが、井上の言動を追って確認していきたい。その刺激度の高さが、WBSS決勝に向けた仕上がりにも影響することは間違いないからだ。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

スパーリングを行う井上尚弥

プロレスの月曜日

プロレスもコーヒーも「表現」三沢ファン妻と出会い

<私とプロレス>

今年で25周年を迎える鎌倉の名店「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」の店主堀内隆志さん(51)は熱心なプロレスファンでもあります。WWE中邑真輔ら数々のレスラーとの交遊やプロレスの魅力などを語ってもらいました。【取材・構成=高場泉穂】

01年4月、ノア広島大会で勝ち名乗りで手を上げる三沢光晴さん

堀内さんの人生は、プロレスと深く結びついている。妻千佳さんと出会い、親しくなったきっかけが故三沢光晴さんだった。

「プロレスは、父が好きだったので小学校の頃から一緒にテレビで見ていました。(ミル・)マスカラスや、猪木さんが好きでしたね。1度は離れましたが、四天王(※注)が出始めたころに見始めました。94年に店を開いて数年経った頃、ここに営業に来た嫁さんと出会いました。持っていた荷物に週プロが入ってたんですよね。そこで「プロレス好きなんですか?」と聞いて。嫁さんも三沢ファンだったので、全日本を中心にいろんな大会を一緒に見に行きました」。今年18歳になる夫妻の愛犬パグの名前は「ミサワ」だ。

6月、ロバート・ルードを執拗に攻める中邑真輔

コーヒーを通じて選手とも交流が生まれた。12年のある日、現WWEの中邑真輔がいきなり店に訪れた。「あれ? 大きい人が来たな、と思ったら中邑さんだったんです。それまでレスラーの方が来ることはなかったので、舞い上がっちゃって。コーヒーを食後に頼まれたんですけど、先に出しちゃって、しかも(手が震えて)ガタガタガタ…としちゃいました」。

以来、中邑が度々店に訪れるようになった。堀内さんは今年3月、コスタリカへの豆買い付けの帰りに米・ミネアポリスでスマックダウンを観戦。中邑に直接コーヒー豆を差し入れた。春先に帰国した際にも来店し、人気メニュー「プリンパフェ」を食べていったという。また、コーヒー通で知られるWWEのセザーロとも6月の両国大会で交流し、豆をプレゼント。DDTのアントーニオ本多、竹下幸之介らもなじみ客の1人だ。

カフェ経営やコーヒー作りは堀内さんにとっての表現。プロレスラーに重なる部分もあると感じている。「店をやっていると出会いも別れもあり、浮き沈みもある。僕もフリーの選手みたいなもので、自分が焙煎(ばいせん)したコーヒーを飲んだ方がどう評価してくださるのか、試合じゃないですけど、表現としてどう受け取ってくれるか考えながらやっています」。

WWE中邑真輔のポーズをとる「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」の店主堀内隆志さん

仕事の合間を塗ってテレビや現地での観戦を楽しんでおり、それが日々の活力につながるという。「仕事でつらいときもあるんですけど、プロレスを見ると元気が出るんですよね」。店を開いて25年、焙煎を始めて10年。「僕も試行錯誤しながら、現役を続けることが目標です」と語った。

◆堀内隆志(ほりうち・たかし)1967年(昭42)9月30日、東京都生まれ。大学卒業後、流通業を経て、94年に「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」を開店。ブラジル音楽にも精通し、FMヨコハマなどラジオパーソナリティーとしても活躍する。

※注 四天王…90年代前半以降全日本プロレスの人気をけん引した三沢光晴、川田利明、小橋健太、田上明の4人を指す言葉。彼らが中心となり行った激しいファイトスタイルを四天王プロレスという。

大相撲裏話

貴景勝の判断力、回転の速さは取材対応でもピカイチ

貴景勝(2019年9月3日撮影)

「ごめんね」。そんな気遣いの一言が、いくつ年齢を重ねても、うれしいものだと感じたことがあった。今月5日、千賀ノ浦部屋での稽古後だった。1場所での大関返り咲きを目指す関脇貴景勝(23=千賀ノ浦)が、テレビカメラも撮影する中で取材に応じた。新大関で迎えた5月の夏場所中に右膝を痛め、7月の名古屋場所は全休。わずか2場所で陥落した大関の座に、10勝以上で復帰できる秋場所(8日初日、東京・両国国技館)前の稽古を打ち上げた直後の取材対応。最後に発した自分の質問に答えなかったことに対し、申し訳なさそうに謝ってきた。

その日は、同部屋の十両貴ノ富士による、2度目の付け人への暴力が判明した2日後だった。前日4日の稽古後は、貴景勝は無言だった。それでも秋場所は注目の的であることを理解し、5日は約30人の報道陣を前に、取材に応じた。これまでの調整、現在の状態、秋場所への意気込みといった質問に次々と回答。そこで、貴ノ富士の暴力問題に話題が及んだ。現在の心境を問われると「自分はやるべきことをやるだけ。自分には全く影響はない」と言い切った。そして私が「何か貴ノ富士関とは話したか?」と聞いた。すると「もういいですか」と話し、取材を打ち切った。

テレビクルーが撮影をやめ、取材の輪が解けた時に貴景勝が話しかけてきた。「ごめんね。師匠(千賀ノ浦親方=元小結隆三杉)がこの件について話していないのに、一力士のオレが話すわけにはいかないから」。貴景勝自身の立場、師匠の立場も理解した上で、最後の質問に答えなかったのは最良の選択だった。貴ノ富士の暴力問題については、現在、コンプライアンス委員会が調査中。日本相撲協会は、調査結果をふまえて、どのような暴力が振るわれたかなど、詳細を発表するとしている。それだけに、千賀ノ浦親方は一貫して「その件は(相撲協会)広報部に任せている」と話している。

それでも、最後の質問を無視した形となったことを申し訳なさそうにした。貴ノ富士に関する質問をしなければならない、報道陣の仕事も理解している。テレビカメラが撮影を続け、毅然(きぜん)とした態度を取らなければならない状態とはいえ、非礼と思ったのだろう。そんな気遣いが、うれしくないわけはなかった。

質問された瞬間、さらには取材後のフォローと、23歳とは思えない対応の連続だ。取材中も、貴ノ富士に関する質問に一切答えないわけにもいかないと理解し、暴力問題を受けて、あくまでも自分の内面についてだけは語った。判断力や頭の回転の速さには驚かされる。土俵での瞬時の対応の速さもうなずける。大関返り咲きのかかる場所だが「(秋場所で)成績が良くなくても腐らず、3年、5年先を」と、将来を見据える。末恐ろしいと感じずにはいられなかった。【高田文太】

原功「BOX!」

「それはもう文化だ」プエルトリコのボクシング事情

去る8月24日、プエルトリコのサンファンではWBO世界ミニマム級タイトルマッチが行われ、挑戦者のウィルフレド・メンデス(22=プエルトリコ)が王者のビック・サルダール(28=フィリピン)に12回判定勝ちを収め、新たなベルト保持者になった。プエルトリコに本部を置くWBO会長のフランシスコ・バルカルセル会長(プエルトリコ)は「メンデスはプエルトリコのボクシング史上60人目の世界王者。長く王座を守ってほしい」と祝福のメッセージを送った。今回はそんなカリブ海の“ボクシング強国”にスポットを当ててみよう。

プエルトリコは厳密にいえば独立国ではなく、米国の自治連邦区という立場にある。面積は9100平方キロメートルほどで、これは東京、神奈川、埼玉を合わせた面積よりも小さい。住民数は370万人ほどで、静岡県と同じぐらいの人口だ。ボクシングのほか野球やバスケットボールが盛んな地域として知られる。

プエルトリコで最初に世界王者になったのはバンタム級のシクスト・エスコバルで、1934年のことだった。白井義男氏が世界フライ級王者になったのが1952年だから、初代世界王者は日本よりもプエルトリコの方が18年早いことになる。世界戦開催能力の問題もあり世界王者の総数では91人の日本に及ばないが、総人口におけるプエルトリコの戴冠率は極めて高いといえる。ちなみに世界王者輩出数では、同じカリブのドミニカ共和国(22人)、中米パナマ(31人)、南米のベネズエラ(39人)、コロンビア(39人)を大きく引き離している(数字はboxrec参照)。

60人の歴代王者のなかには世界記録保持者が何人かいる。70年代に史上最年少の17歳5カ月で戴冠を果たしたウィルフレド・ベニテス、同じく70年代に17連続KO防衛を果たしたウィルフレド・ゴメス、さらに親子世界王者のウィルフレド・バスケス&バスケス・ジュニア父子もいる。

前出のゴメス、バスケス父をはじめ来日して日本のトップ選手と拳を交えた選手も多い。

1960年代のカルロス・オルティス、70年代のアルフレド・エスカレラ、80年代のサムエル・セラノらは強烈な印象を残していったものだ。ガッツ石松(ヨネクラ)から世界ライト級王座を奪ったエステバン・デ・ヘススも強打と技巧を備えた好選手だった。

90年代以降では、3階級制覇を果たしたフェリックス・トリニダード、4階級制覇のミゲール・コットらが世界のボクシング界をリードするスター選手として注目を集めた。

近年では16戦全KO勝ちという戦績を引っ下げて田中恒成(24=畑中)の持つWBO世界ライト・フライ級王座に挑んだアンヘル・アコスタ(28)や、先月、同じく田中に挑んだジョナサン・ゴンサレス(28)、今年5月にWBA世界バンタム級王者の井上尚弥(26=大橋)と対戦したIBF同級王者のエマヌエル・ロドリゲス(27)が日本のボクシングファンの記憶に残っているはずだ。3人とも前評判は高かったが、その強敵を田中は12回判定と7回TKO、井上は2回TKOで下している。

なぜプエルトリコではボクシングが盛んなのか-数年前、同地の有力選手を数多く抱えるピーター・リベロ・プロモーターに米国で取材したことがある。リベロ氏は「プエルトリコでボクシングが盛んなのはラテンの血がボクシングに合っているためだと思う。ボクシングはプエルトリコが世界に誇れるスポーツで、いまでは文化になっている。プエルトリコで有名選手の試合が行われるときは街から人がいなくなり、交通量も激減する」と話していたものだ。

そんなプエルトリコだが現役世界王者はメンデスのみと、やや寂しい状態といえる。バルカルセルWBO会長は「メンデスが少年たちの模範になって活気を取り戻してほしい」と期待を寄せている。

そういえば先月、2度の五輪出場実績を持つスーパー・フライ級のジェイビエール・シントロン(24)が、江藤光喜(31=白井・具志堅)に勝って井岡一翔(30=Reason大貴)の持つWBO同級王座への指名挑戦権を獲得したばかりだ。早ければ年内にも日本(井岡)対プエルトリコ(シントロン)の世界戦が見られるかもしれない。

リングにかける男たち

幾度と立ち会いたい、名作が成り立つその瞬間に

8月24日、超満員となった大日本プロレス後楽園ホールの様子。リングで戦うのはマイケル・エルガンと関本大介

これを見逃したら後悔する。そんな思いが、人をある現場へと向かわせる。

8月18日、「RIZIN18」取材のため名古屋にいた私は、試合前にアートの祭典「あいちトリエンナーレ」の会場へ向かった。同3日に「平和の少女像」を含む「表現の不自由展・その後」の展示が中止となり、それに反対する複数の作家が自らの展示中止を申し出ている状況だった。ちょうどその日が彼らの作品を見られる最終日だったため、ミーハー心でのぞいてみることにした。

昼前、「あいトリ」の玄関口である愛知芸術文化センターに入ると、既にたくさんの観客でにぎわっていた。ひときわ人が集まっていたのはパンフレットの表紙を飾るスイス生まれの作家ウーゴ・ロンディノーネの展示ルーム。「孤独のボキャブラリー」と題したその作品は45体のピエロが目を閉じ、人間が24時間内に行う45のポーズを示したもの。彼も展示中止を希望する1人だったため、その限定性を求める高揚感が部屋に漂っていた。しかも、この展示はいわゆる“映える”スポット。老若男女がピエロの写真を撮りながら、思い思いに楽しんでいた。(注、その後ロンディノーネは展示続行を決断)。また、作品が撤去された「表現の不自由展・その後」の暗い部屋の前では多くの人が中止を告げる説明表示を撮影していた。私もそうだが、実際に見て、誰かに伝えたいと願う人が少なくないのだろうと感じた。

1週間後、8月24日の大日本プロレス後楽園大会でも似たような、高揚した空気を感じた。この日のメインはマイケル・エルガンと関本大介の怪物対決。パワーファイターとして知られるエルガンは、今年3月に新日本プロレスを退団し、すぐ自身のSNSで関本との対戦を熱望。6月に2人の初対戦が決定すると瞬く間にチケットが売れた。そして迎えた当日。メイン以外のカードが充実していたこともあってか、バルコニー席だけでなく、入り口の南側に立ち見が出るほどの1740人の超満員となった。誰もが目撃者になろうとしていた。

熱気が立ちこめる中で始まったエルガン関本戦は期待を裏切らなかった。まず目を見つめ合い、ゆっくりと両手をつかむ。そのまま互いの力を確かめるように押し合うだけで緊張感が高まっていった。2人の巨体がぶつかると、バチッバチッという鈍い音とともに汗が飛び散る。ジャーマン、ラリアット、エルボーなどシンプルな技の攻防が続き、カウント2、ときに1で返す度に会場の温度が上がっていく。エルガンがバーニングハンマーで関本から3カウントを奪った瞬間、大歓声とともに何ともいえない幸福感が会場を包んだ。

この日は、プロレス界の生き字引である元東スポ記者の門馬忠雄さんも見に来られていた。「関本エルガンを見に来たんだよ。だって、分かりやすいでしょ」。分かりやすい、は門馬さん流の賛辞だ。体のでかい選手が体をぶつけ合う、シンプルで誰が見ても面白い試合。それがこの日の関本エルガン戦だった。3月以来の来日となったエルガンは試合後、「みんなはファミリーだ」と感動し、関本は「快感だね」と喜んだ。その晩、SNSでは多くの人がこの試合の感想を熱っぽく語っていた。誰かに語りたくなるようなその試合の写真は、その後、週刊プロレスの表紙を飾った。

かつて武藤敬司は、プロレスを芸術、その試合を作品と称した。リング上のレスラーの表現は、それを見る観客なくして成り立たない。今の時代、後からいくらでも試合の動画は見られるが、作品に関われるのはその場にいた人だけだ。プロレス担当として、たった1度の名作が成り立つ瞬間に、できるだけ立ち会えたらと思う。【高場泉穂】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

天才ロマチェンコはライト級3団体王座を独占できるか

ライト級のWBAスーパー王座とWBOを持つ世界王者、ワシル・ロマチェンコ(31=ウクライナ)が31日(日本時間9月1日)、英国ロンドンでWBC1位のルーク・キャンベル(31=英国)と対戦する。この試合はWBC王座の決定戦も兼ねており、勝者が3団体の王座を独占することになる。ロマチェンコは08年北京オリンピック(五輪)(フェザー級)と12年ロンドン五輪(ライト級)を制覇者で、キャンベルもロンドン五輪のバンタム級で優勝している。サウスポー同士の金メダリスト対決を制するのは-。

ロマチェンコは五輪のほか世界選手権も連覇するなど、アマチュア時代に397戦396勝1敗という驚異的な戦績を残している。プロ転向後も「ハイテク(高性能)」のニックネームどおりの活躍をみせ、史上最速タイの3戦目でフェザー級王座を獲得し、7戦目でスーパー・フェザー級、12戦目でライト級を制覇した。身長170センチ、リーチ166センチとライト級では小柄なため転級当初は苦戦したが、3試合をこなして十分に慣れたようだ。以前は下の階級に戻るプランも出ていたが、いまは近未来の目標としてライト級の主要4団体王座統一を掲げている。戦績は14戦13勝(10KO)1敗。そのうちデビュー戦を除く13試合が世界戦という内容の濃さだ。唯一の敗北はプロ2戦目で挑んだ世界戦で、体重オーバーの相手に惜敗したものだ。

そんな天才に挑むキャンベルも五輪金のほか世界選手権に2度出場し、11年の大会ではバンタム級で準優勝している。十分に輝かしい実績を残しているのだが、ロマチェンコと比較すると見劣りしてしまう。

キャンベルは13年7月にプロ転向を果たし、6年間に22戦20勝(16KO)2敗の戦績を収めている。2年前にホルヘ・リナレス(帝拳)の持つWBA世界ライト級王座に挑んで12回判定負けを喫したが、以後は3連勝(2KO)と調子を上げている。両ガードを高く上げた構えから左ストレートを狙っていくタイプで、KO率(73パーセント)ではロマチェンコ(71パーセント)を上回っている。身長でもロマチェンコよりも5センチ高く(175センチ)、リーチは14センチも長い(180センチ)。こうした体格データに加え、地元での挑戦という点がキャンベルの数少ないアドバンテージだ。

金メダリスト対決という付加価値がついたカードだが、オッズは14対1と大差がついている。もちろんロマチェンコが有利とみられているのだ。細かく立ち位置を変えながら相手を揺さぶり、瞬時に懐に飛び込んでボディから顔面にコンビネーションを散らすというロマチェンコならではの戦いが今回も見られそうだ。特にボディブローが効果を発揮しそうだ。大番狂わせが起こるとしたらキャンベルの左ストレートがカウンターで命中した場合だが、可能性は極めて低いといわざるをえない。

リングにかける男たち

調整失敗も強いことを証明した田中恒成のV2戦

スポンサーの亀田屋酒造特製の日本酒で祝V2で乾杯するWBO世界フライ級王者田中恒成(2019年8月25日撮影)

不思議な試合でした。24日、名古屋市の武田テバオーシャンアリーナで行われたWBO世界フライ級タイトルマッチ。王者田中恒成(24=畑中)の2度目の防衛戦です。

母校の中京学院大中京が今夏の甲子園で印象づけた「ラッキーセブン」よろしく、田中が7回TKOで勝った。ところが、6回までの採点は負けとった。3回に田中がダウンを奪い、4回に奪い返された。それだけ聞けば「一進一退の攻防」となるけど、そうでもない。ジャッジ3者中1人は58-54の4ポイント差、1人は57-55の2ポイント差で挑戦者ゴンサレスがリード。残る1人だけが56-56。採点の流れは明らかにゴンサレス優勢やった。

ちなみに私は4回までイーブン、5、6回は田中と、2ポイント差で田中優勢だった。「ひいき目」と言われたら…そりゃそうだ。そもそも担当歴がまだ2年半。有効打か、手数か。ボクシング自体をわかっていないせいか、そのへんも正直、よくわかりません。

ただ、これだけは言えます。田中の“圧”が、ゴンサレスを終始上回っていた。手数が少なく、空振りも目立って、パンチももらってた。でも、もらっても、浅かった。それって、ゴンサレスが田中の圧力に踏み込み切れてなかったからかもしれません。4回に奪われたダウンも両足がそろった時、軽くもらって、尻もちをついただけに見えた。3回に強烈なボディーで奪ったダウンと明らかに質は違った。

要は田中に感じた圧力が、自分にポイントをつけさせた-。今になって、そう思います。

田中の一夜明け会見のコメントを並べてみます。

「(ポイントは)どうでも良かったです。取られてるのも分かってました」。

「本当に(冗談でなく?)それ(中京学院大中京の7回)もちょっとあって、そろそろ半分に差し掛かってきたし、会長が言ってるように“7回ぐらいに(ギアを)上げよっかな”というのはありました」。

「(コンディション不良は)8月に入って1週間ほど熱を出した。その影響で減量が遅れてのもの。フライ級が目いっぱいで無理ですというより、調整段階でそういう失敗があったんで。まだまだそのへんが甘いですね」。

「試合当日、コンディションが悪いのは明らかにわかっていた。“スピード出ないなあ”と思って(スピード勝負は)入場まで迷ってました。“止めた方がいいな”と思いながら“いや、スピード、スピードって言ってきたしな”と思ったり。“もう(パワーで)押しつぶしちゃおうか”“スピード勝負しようか”と迷って、それでなかなかうまくいかなかった。ま、でも、ギア上げて追い詰めていけば、いつでも倒せるっていう感じはありました」。

…とまあ、こんな具合。「そんなもん、勝った後なら何とでも言えるがな」というツッコミは、ありですが、きっと違います。実際に話を聞いた感じ、彼の過去の言動を踏まえて考えると、偽りや強がりでなく本音です。となると、明らかに劣勢やったボクサーが普通言うセリフではないんですわ、これが。

勝手に迷って、勝手にヘタ打って、勝手に勝負を決めた。WBOフライ級ランキング1位のトップコンテンダー相手にでっせ? 調整に失敗し、公約のスピード勝負ができず、不満だらけのV2戦。実は田中がすご~く強くなってることの証明やったんかもしれん。

ま、次戦ではっきりすると思いますけどね。【加藤裕一】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

プロレスの月曜日

武藤敬司「引退?今はないよ」生涯プロレスLOVE

プロレス界で「天才」「プロレスリング・マスター」と呼ばれるレジェンド、武藤敬司(56)が、10月でデビュー35周年を迎える。9月1日にはW-1の横浜文化体育館大会で、記念試合も行われる。35年間、日本のプロレスのトップに君臨してきた武藤に、過去と未来を語ってもらった。

「プロレスは芸術だ」。35年たった今も変わらぬプロレスLOVEを語る武藤敬司(撮影・中島郁夫)

武藤は昨年、両ひざに人工関節を入れる手術をして、今年6月26日の長州力引退試合で復帰した。復帰に当たっては代名詞のムーンサルトプレスを封印。その代わりに、新たな武器となるワザに取り組んでいる。

「これからやっていかなきゃいけないのは、ドロップキック。今のオレは、自分にふさわしいワザか、向いていないワザか選別していく作業をしている」

武藤敬司の両膝の手術痕

55歳で両ひざの大手術に踏み切ったのは、現役を続けていく強い気持ちがあったからだ。

「プロレスでしか、自分を表現できない。引退? 今はないよ。できるなら、生涯プロレスをやっていきたい」

そこまでプロレスにこだわる理由は何か。

「朝6時に起きて、9時から練習する。このルーティンをもう何十年も続けている。このルーティンを続けていくためには、試合というものがあって、試合に向かって練習していかないといけない。これがなくなるオレの生活が想像できない」

84年10月7日、同期入門の蝶野正洋戦でデビュー戦勝利。翌年秋には米国武者修行に出された。米国では、その天才ぶりから、多くのプロモーターの注目を集めた。

「デビュー戦から勝って、ムーンサルトプレスを引っ提げて米国に渡った。そこではい上がった。活躍が認められて、メジャー団体から初めてスカウトされた。米国のメジャーからスカウトされたレスラーは、オレが日本で初めてじゃない?」

日本に凱旋(がいせん)帰国してからは、「闘魂三銃士」として一時代を築いた。

「上に長州、藤波、前田。下には馳、佐々木健介がいた。層の厚い時代だった。一見ライバルみたいに見られたけど、オレたちは運命共同体。同じ時代に一緒に団体を引っ張ったんじゃなくて、それぞれが次々に時代をつくっていった。その後、みんなが新日本を離れ、別れてから初めて本当のライバルになったんだ」

6月26日、長州力の引退試合で石井智宏(左下)にフラッシングエルボーを見舞う武藤敬司

56歳で武藤は、これまで築いてきたものとは違う新たな武藤としてのプロレスラー像を模索している。

「ベルトも30本以上巻いて、もう馬場さんよりたくさん取ったから、これ以上タイトルを取る必要はない。オレ自身は楽しんで、見てくれるお客さんとともに楽しい空間をつくれればいい。そして、見ている人を元気にさせたい」

9月1日、35周年記念試合では、カズ・ハヤシ、ペガソ・イルミラルと組んで、TARU、レネ・デュプリ、ゾディアック組と対戦する。この試合で、どのような新しい武藤が見られるか楽しみだ。【取材・構成=桝田朗】

プロレスの月曜日

中島翔子 元吉本芸人「147センチの大怪獣」

<プロレスの女>

プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー4回目は、元吉本芸人の東京女子プロレス中島翔子(28)。この5月、デビュー7年目にして団体の顔といえるプリンセス・オブ・プリンセス王座を初戴冠。「147センチの大怪獣」として、さらなるレベルアップに励んでいる。【取材・構成=高場泉穂】

「147センチの大怪獣」こと東京女子プロレスのプリンセス・オブ・プリンセス王者中島翔子

元吉本芸人の中島が自ら衝撃の事実を切り出した。「最近(吉本興業の)騒動があって思い出したんですけど、デビュー戦は“闇営業”だったんです」。高校卒業後、NSCを経て芸人としてデビューしたものの半年で1回のペースで相方が変わるさえない日々。そんな中、先輩芸人に連れられ女子プロレスを観戦し、心がうずいた。旗揚げ間近の東京女子プロレスが選手募集しているのを見つけ「芸の肥やしになればいい」と軽い気持ちで入門した。

「デビュー戦(13年8月)が決まってから事務所に事後報告したんですよ。そうしたら問題になって…。ダブル所属するための話し合いをしていたんですが、プロレスを頑張っても吉本にファイトマネーが吸収されてしまうと思って、きっぱり芸人はやめました」。雪国生まれで長くクロスカントリーをやっていたからか、「運動神経もスタミナも問題ありませんでした」。13年末から東京女子プロレスに専属所属。147センチと小柄ながら派手なムーブで沸かせる中心選手として、団体を引っ張ってきた。

デビュー7年目となる今年、大きな出来事が2つあった。1つは5月に団体の不動のエース山下実優を下し、初のシングル王者となったこと。団体の顔であるプリンセス・オブ・プリンセス王者となり、既に1度防衛したが「まだ実感はわかない」。9月1日には挑戦者瑞希との2度目の防衛戦が待つ。「瑞希は自分よりプロレス経験が長く、華がある」と弱音を吐きつつも、「王者としてやりたいことがあるのでまだ負けるわけにはいかない。自分の土俵に持ち込めばいける」と必勝を約束した。

もう1つは初の海外リングの経験。7月に米国AEWに初参戦。物おじしないファイトで米国ファンを沸かせた半面、反省も多かった。「試合をしながら『足りないな』と感じました。体力もそうだし、技術面でも引き出しが圧倒的に少ないと思った」。試合後にはAEW副社長を務めるケニー・オメガにもアドバイスをもらったという。「『ここはいいけど、ここはすごくダメ』と改善点を指摘してもらった。そこを直したら、もっと上にいけると思えた。収穫がいっぱいありました」。

夢はもっと「あぶないこと」をできる選手になること。トランポリンや床運動で跳躍を磨き、さらに最近は空中感覚を鍛える特別トレーニングも開始。「147センチの大怪獣」はさらに進化する。

東京女子プロレスのプリンセス・オブ・プリンセス王者中島翔子

◆中島翔子(なかじま・しょうこ)1991年(平3)7月19日、新潟県津南町生まれ。高校卒業後、上京し、吉本興業の養成所NSC入り(16期生)。芸人活動中にプロレス観戦したのをきっかけに13年東京女子プロレスに入団。13年8月のDDT両国大会でプロレスラーデビュー。得意技はノーザンライト・スープレックス。147センチ。

大相撲裏話

弓取り式も危機管理“2人目”将豊竜が選ばれた理由

将豊竜(2019年7月11日撮影)

打ち出し前の弓取り式。巡業部の花籠副部長(関脇太寿山)は緊張した面持ちで土俵上を見つめていた。「だいぶ良くなってきましたよ」。大相撲夏巡業が北海道・函館市で行われた16日、弓取り式を務めていたのは横綱鶴竜の付け人、幕下将豊竜(22=時津風)。横綱同士の結びの一番が終わって登場した将豊竜は、大歓声の中で堂々と儀式を全うした。

弓取り式も“危機管理”が問われているようだ。7月28日から始まった今巡業ではここまで20日間、弓取り式は横綱白鵬の付け人、三段目春日龍(35=中川)と将豊竜が半分ずつ務めた。昨年春場所から主に春日龍が担当していたが「もしものことがあったら、困るからね」と花籠副部長。伝統儀式の大役を務められる力士が1人では心もとない。巡業で見せ物として人気の初っ切りも、不測の事態に備えて「3人目」を常に準備させているが、弓取り式は用意していなかったため、4月の春巡業中に「できるか?」と将豊竜に打診したという。

その春巡業で3度、弓取りを務めた将豊竜は当時「もう全然ダメです…。動きが硬くなってしまった」と肩を落としていた。素人目には分からなかったが、ぎこちなさが抜けなかったという。今巡業でも、付け人業務の合間を縫って練習している様子で「まだまだ全然勉強の身。春日龍さんに教わりながらです」と謙虚に話していた一方、花籠副部長は「安定感が出てきましたね」と目を細めた。

なぜ将豊竜を選んだのか? ズバリ選考基準は「度胸があるかどうか」。フィーリングで決めたという。幕下ではあるが、将豊竜は170センチの小柄な体格でその番付まで上がっているだけに「それなりの度胸があるということ」と花籠副部長は評価する。てっきり手先の器用さなどを加味しているものかと思っていたが、それらを超越したものが大事らしい。

花籠副部長は「(25日の)KITTE場所でもできたら。まだ決まってはいないけど(秋)場所でも3日くらいやらせてみようかなと思っているよ」と話していた。本当にデビューするかどうかは分からないが、そのときは要注目だ。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

王者コバレフが意地を見せるか 俊英ヤードと防衛戦

2013年以降の6年間、浮き沈みはあったもののライト・ヘビー級の主役を務めてきたWBO王者のセルゲイ・コバレフ(36=ロシア)が24日(日本時間25日)、ロシアのチェリャビンスクで同級1位の指名挑戦者、アンソニー・ヤード(27=英)を相手に防衛戦を行う。今年2月、3度目の戴冠を果たしたコバレフにとっては初防衛戦だが、相手のヤードが18戦全勝(17KO)という強打者だけに厳しい戦いが予想されている。

「クラッシャー(破壊者)」というニックネームを持つコバレフは37戦33勝(28KO)3敗1分の戦績を誇るスラッガーで、右でも左でもKOするパワーを持っている。13年8月~16年11月の第1次政権では8度の防衛を記録し、その間にWBA王座とIBF王座も吸収した。しかし、下の階級から上がってきたアンドレ・ウォード(米)に惜敗して3団体の王座を失い、再戦では打たれ脆さを露呈して8回TKOで敗れた。そのウォードが引退すると、それにともなって行われたWBO王座決定戦に出場。格下を2回TKOで一蹴して返り咲きを果たし、初防衛戦でもTKO勝ちを収めた。

第2次政権も長く続くかと思われたが、昨年8月のV2戦でエレイデル・アルバレス(コロンビア)の強打に捕まり、7回TKO負けを喫した。ポイントでリードしていながら突然崩れ、3度のダウンを奪われて敗れるという試合だった。

それでもコバレフは王座に執念を見せ、今年2月の再戦ではアウトボクシングと手数でアルバレスを封じ、3度目の戴冠を果たした。

そんなベテランを脅かすヤードは19歳でボクシングを始めたため、アマチュア経験はコバレフの215戦(193勝22敗)と比べ12戦(11勝1敗)と極端に少ない。2年前からWBO1位にランクされながら挑戦を急がなかったのは、じっくりと経験を積む必要があったからといわれている。今回は指名挑戦権を行使して勝負に出たといえる。ヤードは接近しても離れても戦える万能型の強打者で、目下16連続KOと勢いがある。ただ、英国外での試合となると米国で1度経験しているだけで、今回はアウェーというハンデもある。さらに前半のKOが多いため最長でも7ラウンドまでしか戦ったことがなく、このあたりも不安要素といえる。

ともに相手をKOするだけのパンチ力があるだけに序盤からスリリングな攻防が展開されそうだ。隙をみせた方が一気に崩壊する可能性もある。経験値に加え地の利があるコバレフが7対4のオッズで有利とみられているが、打たれ脆さがあるだけに数字はあてにならない。

36歳のベテラン王者が意地をみせるのか、それとも94パーセントのKO率を誇る27歳の俊英が新時代の扉を開けるのか-。

リングにかける男たち

勝みなみも夢中、飯伏幸太G1優勝でスター街道へ

G1クライマックスを制した飯伏幸太は優勝旗とトロフィーを手に雄たけびを上げる(2019年8月12日撮影)

女子ゴルフの国内ツアー、NEC軽井沢72大会の会場で、突然、飯伏幸太(37=新日本)の名前が飛び出した。名前を出したのは、女子ゴルフ界で新たな時代を築きつつある黄金世代の勝みなみ(21=明治安田生命)だ。一時の不振から抜け出し、優勝争いに帰ってきた実力者は「12日の日本武道館でG1クライマックスを見に行ったんです。同じ鹿児島出身の飯伏幸太が優勝して。めっちゃ刺激になりました」と、うれしそうに話していた。

元々、プロレスファンだった勝は、今年1月4日の新日本東京ドーム大会も観戦した。そのときは「オカダ・カズチカさんとか、格好良かった」と話してくれたが、今回のG1でプロレスのとりこになったそうだ。「プロレスが大好きになりました。あんなにすごいとは思いませんでした」。記者がプロレス担当もやっていると話すと「飯伏さんにファンですと伝えてください」と、お願いまでされてしまった。驚異的な身体能力、そのスター性から、いずれは新日本の中心に立つレスラーだと確信した。しかし、16年2月に突然、退団してフリーになった。飯伏のトップレスラーへの道は、そこで絶たれたかに見えた。それから1年、飯伏は新日本に帰ってきた。17年のG1クライマックスに参戦したのだ。

その後、飯伏は新日本所属となり、再びトップへの階段を上り始めた。そんな姿、戦いぶりは勝みなみだけではなく、多くの人々を励ましている。普段は人見知りで、温厚な青年だ。17年、G1参戦前に取材の約束をしたが、身内の不幸があり、記者は九州の実家に帰ることになった。取材の約束をした当日、電話して事情を話すと、電話での取材に応じてくれた。その後、開幕戦の会場で会うと、記者がわびを言う前に真っ先に「大変でしたね。大丈夫ですか」と言葉をかけてくれた。プロレスラーとしても人としても尊敬できる男、飯伏幸太。スター街道をばく進してくれることを願っている。【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

ホワイト(左)にカミゴェを見舞う飯伏幸太(2019年8月12日撮影)