上へ戻る

au版ニッカン★バトル

新着

原功「BOX!」

リゴンドーvsソリス 勝者は井上の対戦相手浮上か

8日(日本時間9日)、米国ペンシルベニア州アレンタウンでWBA世界バンタム級王座決定戦が行われる。元WBA世界スーパーバンタム級王者のギジェルモ・リゴンドー(39=キューバ)と、元WBA世界スーパーフライ級王者のリボリオ・ソリス(37=ベネズエラ)が拳を交えるもので、勝者は井上尚弥(26=大橋)の対戦相手候補として浮上してきそうだ。

もともとこの王座は井上が持っていたものだが、昨年11月の「ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)」決勝で同団体スーパー王者のノニト・ドネア(37=比国)に判定勝ち、井上自身がスーパー王者に昇格したため空位になっていた。それを受けて1位のリゴンドー対2位のソリスの試合が組まれたわけだが、当初は昨年12月に米国カリフォルニア州オンタリオで挙行される予定だった。しかし、ソリスが期日までに査証取得をできなかったため延期になった経緯がある。

リゴンドーは2000年シドニーオリンピック(五輪)と04年アテネ五輪バンタム級金メダリストで、475戦463勝12敗のアマチュア戦績を残している。亡命後の09年に28歳でプロ転向を果たし、1年半後には7戦目でWBA世界スーパーバンタム級暫定王座を獲得。のちに正王者に昇格するなど7年間に10度の防衛を果たした。この間、WBO王者だったドネアに12回判定勝ち、来日して天笠尚(山上)に11回終了TKO勝ちを収めている。「ジャッカル」の異名を持つ技巧派サウスポーで、プロ戦績は21戦19勝(13KO)1敗1無効試合。17年12月に2階級上のワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)に挑んで6回終了TKO負けを喫したのが唯一の敗北だ。プロ22戦目で初めてバンタム級で戦うのは、近い将来の井上戦を前提にしているからと見られている。

一方のソリスも日本になじみの選手だ。初来日はWBAのスーパーフライ級暫定王者時代の13年5月で、このときは正王者の河野公平(ワタナベ)に12回判定勝ち、自身が正王者になった。7カ月後、IBF王者の亀田大毅(亀田)と統一戦を行うために再来日したが、前日計量で体重オーバーのため失格、王座を剥奪された(試合では12回判定勝ち)。

バンタム級に上げたあと16年3月には山中慎介(帝拳)の持つWBC王座に挑んだが12回判定で敗れた。その後、WBA王座に2度挑戦したが目的は果たせないまま現在に至る。

幅広く均整のとれた戦力を備えた試合巧者で、足かけ20年のキャリアで37戦30勝(14KO)5敗1分け1無効試合の戦績を残している。

スピードやテクニックなどで勝るリゴンドーが有利と見られており、タイミングのいい左ストレートでソリスに初のKO負けを味わわせる可能性も十分にある。圧倒的な勝ち方で戴冠を果たすようならば、井上の近未来の対戦相手候補としてクローズアップされるはずだ。ただ、このところリゴンドーは以前よりも攻撃的になっており、その分だけディフェンスが甘くなっている。加えて打たれもろい面があるだけに予断は禁物といえる。

大相撲裏話

大子錦 高砂部屋ちゃんこ長25年胸張り第2の長へ

17年2月、調理する高砂部屋ちゃんこ長の大子錦

高砂部屋の胃袋を支えてきた力士が角界を去る。同部屋ちゃんこ長、序ノ口の大子錦(42)が今場所限りで引退する。95年九州場所で初土俵を踏み、25年間の相撲人生。「スッキリです。裏方として頑張れました」と胸を張る。

ソップ炊きやキムチ鍋、アンコウ鍋や手羽ちりなど、高砂部屋では豊富な種類のちゃんこの味が代々受け継がれてきた。大子錦は入門当初からちゃんこ場に立つ機会が多く、伝統の味に四苦八苦しながら作り続けてきた。そして先代高砂親方(元小結富士錦)の定年に伴い、高砂部屋と現高砂親方(元大関朝潮)が興していた若松部屋の合併後の、03年ごろからちゃんこ長に就いた。一番の思い出は「昔からの味を知っている床寿さんに『今日のはうまいな』と言われたこと」。約50年間、高砂部屋の床山を務め、19年に死去した元特等床山で床寿の日向端隆寿さんにほめられたことだ。

今日まで、伝統ある高砂部屋直伝のちゃんこの味を先代から守り続けた。第2の人生は、高砂親方の後援会関係者からの紹介で、岐阜県内の会社寮で寮長を務める。ちなみに「料理はしない予定です」と“ちゃんこ長”ではない。「社員の寮と職場の送迎とか掃除とか。今の部屋の延長みたいなもの。楽しみです」と人生2度目の“長”として歩み始める。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

もし現役ならリモート取材応じる?親方4人に聞いた

鳴戸親方

今場所8日目のこと。幕内後半は西方力士が全員敗れ、誰も取材に応じなかった。コロナ禍にあるため報道対応はリモートのみ。東西の支度部屋を出たところにそれぞれモニターが設置されている。画面を通じてメディアの質問に応じるかどうかは、力士の判断に委ねられている。勝ってもしゃべらない力士もいる。

モニターの近くで、協会職員とともに力士に報道対応を促している担当の1人が、鳴戸親方(元大関琴欧洲)。事情を聴くと、仕事の難しさを口にした。「(力士)全員に声がけをしているが、強制ではないので3分の1くらいは取材に応じていない。負けた人の気持ちが分かるので、なかなか強くお願いできない」。現役時代、勝っても負けても口数が多くはなかった鳴戸親方は、力士の気持ちをおもんぱかった。

-もし現役力士だったら、リモート取材を受けますか?

「日によると思うが、会って話したほうが伝わるのでリモートは積極的に受けようと思わない。誤解を生んだり、ニュアンスがくみ取れない可能性もあるので」

対面での会話とは違い、互いの表情や空気感がリモート取材では読み取りにくい。ブルガリア出身の鳴戸親方が指摘する通り、特に外国出身力士にとってはやりにくさがあるのかもしれない。

-支度部屋に報道陣が入れた時は、負けた時でも質問される。この状況について、どう考えますか?

「記者の皆さんは質問することが仕事だと思っているので、当たり前だと思っている。ただ返答するかしないかは、力士の性格によるところが大きい。勝っても負けてもいろいろなことを話す人もいれば、勝っても多くを話さない人がいるように」

鳴戸親方のほかにも、3人の親方に、もし今現役だったらリモート取材に応じるかどうか、考えを聞いた。

元幕内天鎧鵬の音羽山親方は、YouTube「親方ちゃんねる」の中心メンバーとして軽やかなトークを展開している。現役時代は宇良に勝った際、映像分析が実を結んだことを明かし「宇良ビデオを見て研究しましたからね」と「宇良ビデオ」を連発して報道陣を笑わせた実績がある。

-今、現役だったらリモート取材に応じますか?

「受けますよ。でも自分は現役時代、取材していただく機会が少なかったので…。負けても(本場所の)前半だったらいいですけど、負けて(十両や幕下に)落ちる時はきついですよね」

元関脇栃煌山の清見潟親方は現役時代、負けるとめっきり口数が少なくなった。悔しさを強くにじませていたタイプだ。

-今、現役だったらリモート取材に応じますか?

「はい。自分は負けるとぶすっとしていたけど、しゃべるのも仕事のうちだと思っていましたから。聞かれたら必ず答えていましたよね? 取材を受けるのも仕事のうち。淡々と答えればいいと思います。お客さんから写真撮影やサインを頼まれた時も、場所入りの時は取組が控えているのでできませんが、帰りは必ず応じていました。負けた時は、あんな空気感を出しているにもかかわらず、よく来てくれたなと(笑い)」

最後は、元関脇安美錦の安治川親方。現役時代、勝っても負けても、気の利いたコメントで報道陣を手玉に取っていた。

-今、現役だったらリモート取材に応じますか?

「逆に、なんで応じないのかと思う。負けた時は『今日は負けたから明日頑張ります。これでいいですか?』と言って帰ればいい。明らかに変なことを書かれるなら別だけど、自分の名前を出して記事にしてくれるんだから。野球やサッカーに置き換えれば、負けた監督が何もしゃべらないで成り立つのかと言ったら違うでしょう。力士も自分のためだけに戦っているわけじゃない。こういう状況で本場所をやらせてもらって、お客さんにも来てもらっている。そこを考えれば、自分たちのすべき行動はみえてくるんじゃないかな」

8日目のことがあってから、気に懸けてくれる力士も増えてきた。個人的には、取材に応じるかどうかは力士の自由なので、決して無理強いするものではないと思っている。力士らしいおおらかなコメントが出れば、その横顔も書きたいし、無言のまま勝負に集中しているのなら、その一番にかける姿勢を伝えたい。ともにコロナ禍を乗り切りたい。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

リングにかける男たち

閉館した横浜文化体育館 数々の名勝負が思い出深い

横浜文化体育館でTKO勝利を収めた井上尚弥(2017年12月30日)

ボクシング世界戦も徐々に開催されている。相次いで日本人世界王者2人の防衛戦も発表された。井上尚弥(大橋)は10月31日に米ラスベガス、京口紘人(ワタナベ)は11月3日に大阪で臨む。

今年国内での世界戦は1試合も開催されていない。3月にタイで1試合、女子を含めても国内では日本人対決1試合だけだった。井上は再開後、日本人最初の世界戦、京口は国内最初の世界戦となる。

京口は2試合連続の凱旋(がいせん)でもある。会場は大阪市住之江区にある国際展示場インテックス大阪。4000席を設営も観客動員は2000人にとどめるという。ボクシング開催は初で、国内では113番目の会場になる。

日本で初開催したのは後楽園球場だった。52年の白井義男で、世界戦7試合すべてがここ。戦後復興のシンボルとして熱狂の渦となった。合計で9試合開催されたが、その後は蔵前国技館などが増え、人気の上昇から各地で開催されるようになった。

最も多いのが76試合の大阪府立体育館。ボディメーカーコロシアムをへて、今はエディオンアリーナ大阪となった。大相撲春場所など関西でのスポーツの拠点であり、ダブルやトリプル開催も多かった。

59試合の聖地と言われる後楽園ホール、44試合の両国国技館、40試合の大田区総合体育館、35試合の有明コロシアムと続く。

13試合で13番目も、思い出深いのが横浜文化体育館だ。62年に開館したが、9月6日に閉館となった。JR根岸線関内駅近くで、収容人員は約5000人と手頃な大きさだった。

最初の世界戦は74年で、現在は日本プロボクシング協会会長の花形進が5度目の挑戦で王座奪取した。大場政夫に挑戦は日大講堂も、他の3度挑戦はいずれも敵地海外だった。チャチャイ・チオノイ(タイ)に再挑戦で6回KO勝ち。生まれた地で、ジムもあった地元横浜での悲願に喜びも爆発した。

新王者誕生は2人だけ。アンタッチャブルと呼ばれた川島郭志は担当だった。94年に初挑戦で奪取した。11回にダウンを奪っての快勝に会場が歓喜に包まれた。V2、V3戦もここ。安定王者となり、V4戦からは両国国技館に格上げとなった。

その後は、川嶋勝重、内山高志、佐藤洋太らの防衛戦など。最後は17年。ダブルで寺地拳四朗が先陣、井上尚弥がトリとなった。WBO世界スーパーフライ級時代のV7戦で3回TKO勝ち。大橋ジムは世界戦以外の興行も多く、八重樫東はデビュー会場だった。

文体の名で親しまれた会場は生まれ変わる。地上3階建てでホテルも隣接される横浜ユナイテッドアリーナとなる。来年着工して、24年4月に完成する。こけら落としには井上尚弥がふさわしい? その時、何本目のベルトを持ち、どの階級にいるのだろうか。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

双子の兄弟世界王者チャーロ兄弟が揃って世界戦登場

史上5組しか達成していない双子の兄弟世界王者として知られるジャモール&ジャーメルのチャーロ兄弟(30=米国)が26日(日本時間27日)、米国コネチカット州アンカスビルで揃って世界戦のリングに上がる。兄のジャモール・チャーロはセルゲイ・デレビヤンチェンコ(34=ウクライナ)を相手にWBC世界ミドル級王座の4度目の防衛戦、弟でWBC世界スーパー・ウェルター級王者のジャーメル・チャーロは同級WBAスーパー王座とIBF王座を持つジェイソン・ロサリオ(25=ドミニカ共和国)との3団体統一戦に臨む。

兄弟で世界王者になった例は30組を超すが、双子の兄弟となるとカオサイ&カオコーのギャラクシー兄弟(タイ)、チャナ&ソンクラームのポーパイン兄弟(タイ)、ラウル&ラモンのガルシア兄弟(メキシコ)、レネ&フェリックスのアルバラード兄弟(ニカラグア)、そしてジャモール&ジャーメルのチャーロ兄弟(アメリカ)の5例しかない。

特にチャーロ兄弟はふたりとも評価の高い世界王者で、兄のジャモールはスーパー・ウェルター級とミドル級の2階級を制覇した実績を持つ。8度の世界戦を含む戦績は30戦全勝(22KO)だ。スピードとパワー、テクニックをバランスよく備えた強打者で、世界戦のリングで何度も戦慄を感じさせるようなKO勝ちを収めてきた。

挑戦者のデレビヤンチェンコはアマチュアで410戦(390勝20敗)を経験後にプロ転向し、ここまで15戦13勝(10KO)2敗の戦績を残している。2度の敗北はいずれも世界挑戦で惜敗したもので、現在はWBC1位にランクされている。

スピードとパンチ力で勝るジャモール・チャーロがテンポよく攻めることができれば防衛が濃厚だが、強引に距離を詰められるようだと厳しい戦いを強いられる可能性もある。オッズは3対2で王者有利と出ている。

双子の弟、ジャーメル・チャーロはこれが第2次政権となる。最初は2016年5月から2018年12月まで1年7カ月の在位で、現在の王座は昨年12月に奪回したものだ。コロナ禍の影響で試合ができなかったため、10カ月ぶりの実戦が初防衛戦となる。こちらはテクニックを主体としたボクシングに定評があったが、最近は兄のように切れのあるパンチで派手なKO勝ちを収めることが多い。戦績は34戦33勝(17KO)1敗。世界戦では6戦5勝(4KO)1敗の数字を残している。

そのジャーメル・チャーロと拳を交えるロサリオは今年1月、16対1のオッズをひっくり返して5回TKO勝ち、2団体王座を獲得した強打者で、こちらも9カ月ぶりの試合となる。右ストレートや左フックのほか死角から突き上げるアッパーなどパンチは多彩で強い。知名度や評価ではライバル王者に及ばないが、22戦20勝(14KO)1敗1分とKO率では上回っている。

経験値やテクニックで勝るWBC王者が有利とみられており、オッズは4対1と大差がついている。ジャーメル・チャーロが3つのベルトを手にするだろうと予想されているが、ロサリオの強打が火を噴く可能性も十分にある。

チャーロ兄弟が同じ日に同じ会場で揃って世界戦に臨むのは今回が3度目となる。最初(2016年5月)は兄が判定勝ちで王座防衛、弟がKO勝ちで王座獲得、2度目(2018年12月)は兄が判定勝ちで防衛、弟が判定負けで王座陥落という結果だった。理想は兄弟揃ってのKO勝ちだが、はたして-。

大相撲裏話

床山の床盛「後悔なく」勤続30年で転職した理由

力士の髪を結う床山の床盛

力士のまげを結う床山の床盛(とこもり、45=本名・難波健治)が、4日付で日本相撲協会を退職した。もともと妻の実家が兵庫・淡路島でタマネギ農園を営んでおり、まずは手伝うかたちで農業を始めたという。

15歳で角界入りし、勤続30年7カ月。来年早々には、2等床山から1等床山への昇進も確実だった。なぜ、この年での転職なのか? 元床盛の難波さんに聞いた。

「相撲も魅力があり、大好きなのですが、相撲協会にいたらできないことが淡路島にはあります。畑仕事もそうですし、目の前の漁港で魚を釣ることもできます。後悔はなく、今は楽しみしかありません。タマネギだけでなく、ブドウ作りも頑張りたい。義理の兄がワインを造っているんです」

難波さんは力士志望だったが身長が規定に足りず、床山として元関脇青ノ里の立田川部屋に入門。「2、3年床山をやって、身長が伸びたら力士になったらどうか」と言われ、のちに身長は170センチになったが転向はしないまま。その代わり、床山のまま約10年は、東京場所前や夏合宿に限って、まわしを締めて力士とともに稽古していたという変わり種だ。

「入門してから、師匠には手取り足取り、ちゃんこの作り方も教えてもらいました。一緒の部屋に寝て、朝から晩まで。師匠のおかげで、企業の社長と話す機会があったり、勉強になりました」

師匠の定年に伴い、2000年に湊部屋に移籍。2014年10月には報道陣約60人の前で、逸ノ城の初まげを結ったことが見せ場の1つだった。立田川部屋時代も含め、本場所では敷島(現在の浦風親方)、豊桜、霧の若、琉鵬、逸ノ城の大銀杏(おおいちょう)を担当してきた。

くしやまげ棒など、床山の道具は一式、記念に持ってきた。秋場所はテレビで観戦しているが、不思議な感覚だという。「変な感じがしますね。あの場にいたわけですから。近所にあいさつ回りをすると、不思議がられますよ」。

7月場所は、部屋から本場所まで車で逸ノ城の送迎も担当していた。逸ノ城に向けては「ケガを治すことも、トレーニングも、努力している関取です。三役に戻ってくれたらうれしいですね」とエールを送る。

最後に、タマネギのPRを。「淡路島のタマネギは甘いんです。サラダで食べるとみずみずしい。(力士たちにも)食べてもらいたいですね」。多くの力士のまげを結ってきた職人の手はこれから、畑仕事に生かしていく。【佐々木一郎】

大相撲裏話

伊勢ノ海部屋に新風バットトクトホ・トゥルトクトホ

伝統ある部屋に新風が吹く。伊勢ノ海部屋に入門したモンゴル出身のバットトクトホ・トゥルトクトホ(23)が、秋場所前に新弟子検査を受けて合格。長い歴史を持つ同部屋で初の外国出身力士が誕生した。伊勢ノ海親方(元前頭北勝鬨)は「部屋のいい刺激になっている」と声を弾ませた。

鳥取城北高を経て同志社大に進学。入門のきっかけは同大関係者からの紹介。同大との付き合いは、10代目伊勢ノ海親方(元前頭柏戸)時代から続くという。現部屋付きの甲山親方(元前頭大碇)と立川親方(元関脇土佐ノ海)も同大から伊勢ノ海部屋に入門している。

江戸の大相撲で初めて縦番付がつくられた1757年(宝暦7)に「初代伊勢ノ海」が存在した伝統部屋。同大出身者は5人目だが、外国出身力士は初。1部屋1人の外国出身枠や部屋の伝統を考えると悩ましかった。しかし「入門前に面接をしたら真面目でいい子だった。2人のOBもいるから大丈夫。この子に限って引き受けた」と受け入れを決意。すでに部屋での生活にもなじみ、相撲も幕下ほどの力があるという。「部屋がいい方向に傾いてくれれば」と期待をかけた。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

国技館に行きたくなる初の相撲ドキュメンタリー映画

満員の国技館を久々に体感できた。先日、10月末に公開される大相撲ドキュメンタリー映画「相撲道~サムライを継ぐ者たち~」の試写会に足を運んだ。コロナ禍以前の、大勢の観客でにぎわっていた本場所の様子が、美しい映像と音響で何度か流れた。忘れかけていた大歓声だった。

主に登場するのは境川部屋と高田川部屋の力士だ。18年12月から19年6月の半年間に密着している。見どころは数多くあるが、けがと闘う元大関豪栄道(現武隈親方)の姿は必見。弱音を吐かない「やせ我慢」の精神は、初の大相撲ドキュメンタリー映画という本作の主役にぴったりだった。

春巡業で稽古に励む豪栄道(2019年4月21日撮影)

大相撲ファン以外にもおすすめできる作品だ。立ち合いの「ゴンッ」という鈍いぶつかり音は、生で聞く以上に鮮明で度肝を抜かれる。番付制度など角界の複雑な仕組みも丁寧に説明されており、初心者も違和感なく楽しめるはず。映画はTOHOシネマズ錦糸町で10月30日、中野区のポレポレ東中野で同31日ほか全国で順次公開。コーディネートプロデューサーを務める相撲漫画家の琴剣淳弥さん(60)の言葉を借りれば「この映画を見終わったあと、きっとあなたも国技館へ行きたくなっているでしょう」。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

先代井筒親方死去から1年 伝授の技であと一歩

井筒親方(10年01月11日撮影)

天国で見守る先代師匠に伝授された技で、懸命な攻めを見せた。西三段目44枚目鋼(39=陸奥)は白旺灘に逆転の上手投げを食らって1番相撲から2連敗となったものの、もろ差しで土俵際まで追い詰めた。「師匠みたいに、もろ差しで寄り切りたかったんですけどね」と苦笑い。もろ差しの名人だった先代井筒親方(元関脇逆鉾)が死去して、16日でちょうど1年。去年の秋場所後、横綱鶴竜、三段目鶴大輝らとともに旧井筒部屋から陸奥部屋に転籍した。鋼は「あっという間の1年だった」と神妙な面持ちだった。

コロナ禍で、感染予防のため一周忌には参加できなかったが、思いをはせる機会があった。秋場所直前に鶴大輝と旧井筒部屋を訪問。仏壇に手を合わせ、先代師匠と会話した。「先代が喜んでくれると思い、こんなことがあったなと思いながら。いろいろ考えた」。思い出がよみがえった。

横綱鶴竜は初日から休場しているだけに、2人には期するものがある。1勝1敗の鶴大輝は「場所後に先代に手を合わせて、いい報告ができるようにしたい」。先代師匠の顔を思い浮かべ、土俵に上がり続ける。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

リングにかける男たち

京口紘人の異例防衛戦 コロナ禍では国内初の世界戦

挑戦者のパネルとファイティングポーズをとる王者京口(2020年9月8日)

新型コロナウイルス感染症の収束はまだまだ見えないが、スポーツ界は観客数の上限緩和など少しずつ「通常モード」へ動きだしている。室内競技で厳しい条件下にあるボクシングも、感染拡大防止のルールを徹底した上で興行を再開。9月8日には大阪市内のホテルでWBA世界ライトフライ級スーパー王者京口紘人(26=ワタナベ)の3度目防衛戦が発表された。

コロナ禍で興行の自粛など動きが停止した後、男子の世界戦では国内初。11月3日にインテックス大阪で開催される。挑戦者は同級11位、14戦無敗(12KO)のタノンサック・シムシー(20=タイ)。ただ、さまざまな条件付きの発表でもあった。

海外渡航の制限から、挑戦者が来日できる確約はない。発表会見もパソコンの画面越し、オンラインでの対応だった。またマッチコミッショナーやレフェリー、ジャッジのオフィシャルも団体の本部から選任し、来日するのが通例だが、今回の世界戦はそれらを日本国内でまかなうよう調整しているという。また、タイからの来日がかなわなかった場合に備え、代替の選手も検討と異例ずくめだ。

こういう事態は何より、主役となるボクサーの心理状態をおもんばかる。ボクシングは厳密な体重によって区切られる競技。最大の敵は対戦相手だけでなく、減量という己との戦いでもある。コロナ前も、減量に失敗しての体重超過が話題になってきた。それほど体重を絞るのは極限の戦い。対戦相手もどうなるか分からない状況下では、精神的負担も大きいはずだ。

京口の世界戦予定も、当初は3月だった。その上で「(試合間隔が)空いたのは仕方ない。トレーニングできる時間が増えてよかったと、プラスに捉えている」と言い切った。本音では不安を抱いているとしても、こう言い切れるのがチャンピオンの心だと思う。

体だけでなく、心もギリギリまで削って戦うところにボクシングの魅力がある、と個人的に思っている。京口にとって、すでに戦いは始まっていたのだろう。11・3、魂の戦いを楽しみにしたい。【実藤健一】

原功「BOX!」

ネリ、ローマン、パヤノ…日本ファン気になるボクサー続々登場

26日(日本時間27日)、米国コネチカット州アンカスビルで世界タイトルマッチ5試合と挑戦者決定戦1試合が行われる。出場選手のなかには日本で世界王座を獲得したルイス・ネリ(25=メキシコ)とダニエル・ローマン(30=米国)、そして井上尚弥(27=大橋)に70秒でKO負けを喫した元王者のファン・カルロス・パヤノ(36=ドミニカ共和国)が含まれている。さらに4月に予定された井上との統一戦が先送りになったWBO世界バンタム級王者、ジョンリエル・カシメロ(31=比国)の防衛戦も組まれている。日本のファンにとっては気になる一日となりそうだ。

ネリは17年8月に京都で山中慎介(帝拳)のV13を阻止してWBC世界バンタム級王座を獲得したが、試合後にドーピング違反が発覚。WBCが調査に乗り出したが、「意図的に禁止成分を摂取したとは断定できない」という灰色決着になり、山中との再戦を命じた。

そもそもネリは山中に対する挑戦者決定戦(17年3月)でも1.5キロ近い体重オーバーの失態を犯しているが、WBCはこれをスルーして挑戦権を与えた経緯がある。このあたりに“ネリ問題”の根っこがあるといってもいいだろう。

18年3月の山中との再戦時、ネリは計量で2.3キロという意図的とも考えられる体重超過を犯し、再計量でも規定内に収めることができずに王座を剥奪された。試合では2回TKO勝ちを収めたものの日本ボクシングコミッション(JBC)から事実上の永久追放処分を受けた。ちなみにWBCは6カ月の出場停止という大甘処分だった。その後、戦線復帰して4連続KO勝ちを収めたあと昨年11月にはWBCの挑戦者決定戦が組まれたが、ここでもネリは体重オーバー。試合は中止になり、主要4団体は揃ってネリを世界ランキングから除外した。

しかし、6月になってWBCはネリを1階級上のスーパー・バンタム級1位にランクしたうえでアーロン・アラメダ(27=メキシコ)との挑戦者決定戦を承認。その矢先、負傷したレイ・バルガス(メキシコ)を正王者から“休養王者”に格下げし、ネリ対アラメダを王座決定戦に昇格させた経緯がある。

30戦全勝(24KO)のネリに対しアラメダも25戦全勝(13KO)だが、強豪との対戦や目立った実績は皆無に等しい。WBCが世界6位にランクしているのが不思議に思えるほどだ。ネリのKO勝ちが確実視されるカードといえる。

ローマンは17年9月に京都で久保隼(真正)を9回TKOで攻略してWBA世界スーパー・バンタム級王座を獲得し、5カ月後には再来日して松本亮(大橋)の挑戦を退けている。今年1月に無冠になり、今回が再起戦となる。と同時にローマン対パヤノは、ネリ対アラメダの勝者に対する挑戦者決定戦でもある。

そのパヤノは18年10月に横浜で井上に右一発でKOされたが、5カ月後に再起。しかし、昨年7月にネリに9回KO負けを喫しており、こちらも再起戦となる。ローマンに分があるとみるが、接戦になりそうだ。戦績はローマンが31戦27勝(10KO)3敗1分、パヤノが24戦21勝(9KO)3敗。

コロナ禍の影響もあって井上戦が先送りになったカシメロは、12年ロンドン五輪出場経験者のデューク・マイカー(29)を相手に3度目の防衛戦に臨む。強引な攻撃とハードパンチで知られるカシメロのKO防衛が濃厚だが、リズムを狂わされると集中力を欠く傾向のあるカシメロだけに波瀾が起こる可能性もある。戦績はカシメロが33戦29勝(20KO)4敗、マイカーが24戦全勝(19KO)。

この日のイベントは2部構成になっており、1部のメインでスーパー・ウェルター級のWBA、WBC、IBF3団体統一戦、ジャーメル・チャーロ(30=米国)対ジェイソン・ロサリオ(25=ドミニカ共和国)が組まれている。2部のメインではジャモール・チャーロ(30=米国)対セルゲイ・デレビヤンチェンコ(34=ウクライナ)のWBC世界ミドル級タイトルマッチが行われる予定だ。

大相撲裏話

「国技館カレー」発売 蔵前時代の伝統の味解禁

日本相撲協会が新発売した「国技館カレー」

<大相撲秋場所>◇2日目◇14日◇東京・両国国技館

これを食べれば、あなたも新弟子の気分!? 国技館の地下にある、協会員専用の食堂で提供されるカレーを再現した「国技館カレー」が、今場所から館内で発売された。レトルトで1個400円。新弟子から理事長まで、誰しもが教習所時代に食べるカレーだ。今でも10日に1回は食堂で提供されており、親方衆や関係者が場所中などで食べていたが、ついに一般人にも伝統の味が解禁される。

発案は協会広報部の高崎親方(元前頭金開山)だった。売店ではタオルなどグッズは充実しているが、代表的な飲食物は焼き鳥くらい。角界でも「セブンプレミアムのような」プライベートブランドの開発が急務と感じた。昨年末から広報部で7人体制のチームをつくり、3、4回の試食を経て味を忠実に再現。高崎親方は「お客さんがお土産として買ってくれるようになれば」と期待した。

味にも自信がある。具材に特別な工夫はないが、豚肉とタマネギをたっぷり使った“王道”の味。レシピは蔵前国技館時代から変わっていないという。料理の腕前でも知られる同親方は「自信を持っておすすめできます」と力強く話した。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

真面目、熱心さで存在感 衝撃走った25歳の引退

木崎海(撮影2020年7月22日)

25歳での若さの決断に、角界に衝撃が走った。木瀬部屋の十両木崎海が、8月27日に現役を引退した。引退の理由は慢性的に抱えていた首の痛みで、手にもしびれが及んでいたという。鳥取城北高で高校横綱に輝いた木崎海は、日大では4年時に全日本選手権で3位となり、三段目100枚目格付け出しとして18年春場所でデビュー。将来を嘱望されていた。

師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)は「真面目な人間。なあなあに取っていくのも心苦しかったんだと思う」と弟子の心境を察した。首の痛みについて、師匠に相談はあっても弱音を吐くような様子はなかったという。中途半端な状態で相撲を取るべきではないと判断した木崎海の意思を、木瀬親方は「勇気がいること。男らしいと思う」と評した。

実直な雰囲気で土俵外では“癒やし系”として知られていた。十両の優勝争いに加わった昨年九州場所。取材が終わると毎日、立ち止まって報道陣に「ありがとうございます」。丁寧にペコリと頭を下げる姿は、関取の中でも異彩を放っていた。最近の最も高い買い物を問われると、10万円の電動アシスト自転車と答え「出稽古まで行くのに坂が多いから助かるんです」と笑みを浮かべた。

巡業先では毎日欠かさず土俵に上がるなど、稽古熱心さでも存在感を放っていた。木瀬親方も「相撲に対しては純粋に取り組んできた。巡業中も真面目に取り組んでいると聞いていたので」と誇らしそうに振り返った。

木崎海の出身地は沖縄県うるま市。同県出身の関取は7月場所時点で兄の十両美ノ海(27=木瀬)と2人だけで「いい成績を残して地元を盛り上げたい」と何度も語っていた。今後、両親と相談しながら治療先の病院を探すという。まだ25歳。第2の人生が明るく照らされることを、陰ながら祈っている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

日本ボクシング界と縁ある元トップ選手2人が他界

8月29日と31日、日本のボクシング界と関係のある元トップ選手がヨーロッパで相次いで亡くなった。1971年にWBA世界フライ級王者の大場政夫(帝拳)とノンタイトル戦で拳を交えたフリッツ・シェルベ(スイス=享年77)と、かつて協栄ジムに所属したオルズベック・ナザロフ(キルギス)から1998年にWBA世界ライト級王座を奪ったジャン・バプチスト・メンディ(セネガル/フランス=享年57)である。

シェルベは、60年ローマ五輪に兄弟で出場した2歳上の兄エルネストと1歳上の兄ポールの弟で、自身は62年にプロデビュー。大場と戦ったときはWBA7位にランクされていた。東京・後楽園ホールで行われた試合で、シェルベは3回には王者に鼻血を流させたが、8回に連打を浴びたところで自陣から棄権のタオルが投入された。その後、シェルベはヨーロッパ王座を獲得するなどしてトップ戦線に踏みとどまり、世界挑戦のチャンスを待った。73年、大場の事故死によって空位になったWBA王座の決定戦に出場したが、タイで地元のチャチャイ・チオノイに4回終了TKO負け。1年後、舞台をスイスに移して再戦に臨んだが、2対1の判定で惜敗した。生涯戦績は71戦59勝(25KO)9敗2分。

いまだにスイスからは男子の世界王者は生まれておらず、シェルベは同国が輩出した偉大なボクサーのひとりとして知られている。死因は不明だが、8月29日に倒れ、収容先の病院で息を引き取ったという。

メンディは、かつて「世界一過酷な車のレース」として知られたパリ~ダカール・ラリーのゴール地点でもあった西アフリカのセネガルのダカール出身で、少年期にフランスに移住。19歳でプロデビューし、10年後の92年にヨーロッパ王座を獲得した。96年に33歳でWBC世界ライト級王座を獲得したが、このときは初防衛戦でベルトを失った。98年5月、協栄ジムを離れフランスに活動拠点を移していたWBA世界ライト級王者のナザロフに挑み、3対0の12回判定勝ちを収めて2度目の戴冠を果たした。ちなみにナザロフはこれが初黒星で、そのまま引退した。

ナザロフから王座を奪ったメンディだが長期政権は築けず、11カ月後のV2戦で敗れて無冠に戻った。その後、37歳までリングに上がり現役を終えた。生涯戦績は67戦55勝(31KO)8敗3分1無効試合。恵まれた体格を生かしたサウスポーの技巧派だった。近年、膵臓ガンを患い闘病中だったという。

大相撲裏話

貴景勝と婚約相手の角界DNAなら最強力士誕生?

貴景勝(2019年3月9日)

おめでたい話題に久々に「へえー」と声が出た。大関貴景勝が婚約した。その事実はもちろん驚きだが、お相手の千葉有希奈さんの系譜が興味深かった。「元大関北天佑」の次女。14年前、45歳の若さで他界した。愛称は「北海の白熊」。豪快な取り口で人気だった北天佑が好きで、個人的に角界への入り口だった。

80年代、大横綱千代の富士の全盛期。その中で北天佑の相撲は独特で気持ちがよかった。両方の握力は100キロ近いとされた。その怪力を武器に、得意の右四つで食い止めたら力勝負が始まる。特に千代の富士との引きつけ合いは大興奮だった。「末は横綱」を確実視されながら、けがなどが重なりかなわなかった。しかし、その相撲っぷりはいまだ、強烈に残っている。

土俵以外ではインタビューなどでも話すことが苦手な寡黙な印象だった。そのDNAを受け継ぐ有希奈さんと貴景勝が結ばれる。先走りすぎだが、もし男の子が生まれたら…想像はふくらむばかりだ。

押し相撲で大関の地位にある貴景勝に、四つ相撲を極めて幕内優勝2回の北天佑の血が加われば、最強の力士が誕生するのでは。それぞれに個性的な強さを発揮していた、しているだけにそんな妄想を描いてしまう。同じような考えは、自分だけではないだろう。

「血の系譜」は尊い。「若・貴ブーム」も背景にはおじの元横綱若乃花、父の元大関貴ノ花がある。最近でも元関脇琴ノ若の長男、琴ノ若が幕内で活躍(秋場所は西十両2枚目で幕内復帰を目指す)。さらに秋場所では元横綱朝青龍のおい、豊昇龍が新入幕を果たした。好角家、見る側にとっても「○○の息子、血縁者」は感情移入がしやすい。

冒頭の話題とはかけ離れてきたが、将来に向けて楽しみな話題は間違いない。新型コロナウイルスの影響で秋場所もさまざまな制限の中で開催される。普通に生で相撲観戦はまだしばらく時間がかかる。ならば、勝手にいろんな妄想を膨らませることも相撲を楽しむ手だ。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

貴景勝の婚約相手の千葉有希奈さん
原功「BOX!」

197センチ「タワーリング・インフェルノ」フンドラに注目

体重ごとに17階級に細分化されているプロボクシングだが、身長の制限はない。そのため、ときには頭ひとつ分も背丈が異なる選手が拳を交えるケースもある。154ポンド(約69.8キロ)が体重リミットのスーパー・ウェルター級でWBC34位にランクされているセバスティアン・フンドラ(22=米国)は身長が197センチもあり、このクラスではずば抜けた長身ボクサーとして注目を集めている。

スーパー・ウェルター級は減量前の体重が75キロ~80キロの選手が多い。そのため175センチ~180センチが平均的な身長といえる。現WBC王者のジャーメル・チャーロ(米国)は身長が180センチ、リーチは185センチある。9月26日にチャーロと統一戦を行う予定のWBA、IBF王者ジェイソン・ロサリオ(ドミニカ共和国)は180センチ/178センチだ。今年1月、そのロサリオに両王座を奪われたジュリアン・ウィリアムス(米国)は178センチ/184センチで、3人とも比較的恵まれた体格の持ち主といっていいだろう。ちなみに昨年1月にWBO王座に挑んだ前日本王者の井上岳志(ワールドスポーツ)は173センチ/174センチで小柄な部類に入る。

こうしてみると身長197センチ、リーチ203センチのフンドラがいかに大きいかが分かるだろう。身長とリーチに限ってみれば、体重が200ポンド(約90.7キロ)以上のヘビー級トップ選手の平均を上回る数値といえる。身長2メートル超えのWBC王者タイソン・フューリー(英国)や前WBC王者のデオンタイ・ワイルダー(米国)はともかくとして、WBC暫定王者のアレクサンデル・ポベトキン(露)の188センチ/191センチ、前3団体統一王者のアンディ・ルイス(米国)の188センチ/188センチ、元WBO王者のジョセフ・パーカー(ニュージーランド)の193センチ/193センチよりも5階級下のフンドラの方が数字上は大きいということになる。

そんなフンドラは、超高層ビル火災の恐怖を描いて1970年代にヒットした映画、「タワーリング・インフェルノ」というニックネームを持つ。長い手足で対戦相手を混乱させてパニックに陥れるという意味なのだろう。ただ、フンドラの戦い方を見ると体格を生かしたアウトボクシングにこだわりはないようだ。むしろ相手が懐に飛び込んでくることを前提にして接近戦をこなすことが多い。長い両腕をコンパクトに畳んで左構えからアッパーを突き上げ、さらにフックをボディ、顔面に打ち分ける。8月22日の直近の試合では元世界上位ランカーのナサニエル・ガリモア(ジャマイカ/米国)のラフな攻撃をしのぎ、一定以上の耐久力があることを証明している。そのうえでKO負けが一度もなかったタフな相手を接近戦で攻め落としてしまった(6回KO勝ち)。これで2016年9月のプロデビューからの戦績を16戦15勝(10KO)1分に伸ばした。

現時点ではすぐに世界挑戦というわけにはいかないが、挑戦圏内のトップ15入りも近いと思われる。次戦は未定だが、今後もボクシング版「タワーリング・インフェルノ」に注目していきたい。

プロレスの月曜日

アスカから後輩たちへ「世界目指せ」/インタビュー

<アスカの歩む道~“女子プロレス”を超えて~(下)>

国境、性別の差を超えて世界中にファンを持つWWEの“女帝”アスカ(ASUKA=38)の歩みをたどる連載「アスカの歩む道~“女子プロレス”を超えて~」。最終回は、アスカの目から見た日本とWWEのプロレスの違い、今後の展望を聞く。

       ◇       ◇       ◇

男女両方の試合を含むWWEの大会でメインを任されるアスカは、もはや「女子プロレス」というジャンルの中に生きていない。アスカは「『女子プロレス』と聞くと、ちょっともやっとします。私の中には、その言葉自体がないですね」と話す。

WWEのスーパースターとして活躍するアスカ(C)2020 WWE,Inc.All Rights Reserved

アスカのWWEでの成功は、同団体で「女子革命」が進んだ時期と重なる。かつて、WWEには「ディーバ」と呼ばれる存在がいた。男子選手を指す「スーパースター」とは違い、「ディーバ」は選手に加え、マネジャー、タレントら登場する女性すべてを指す言葉。セクシーな要素、添え物的な意味合いが強かった。だが、WWEは男女差別への意識が高まる現代社会を鑑みて、15年から女子部門の強化を開始。アスカはその中心を担う選手として、熱烈なラブコールを受けて入団した。

「私が入った時(2015年秋)は、もう『ディーバ』の言葉がなくて、女性選手も『スーパースター』の呼び名となっていました。これから女子部門を強めていく、そのために私が呼ばれたんです。これが私の使命なんや、と思いましたね。WWEに来たばかりの時、NXTの大会で私が何回かメインを務めました。その時は、スタッフの方々に『女子がメインなんてほんまにすごい!』『メインおめでとう!』みたいに言われていました。そのぐらい、WWEでは女子選手がメインに出ることは珍しかったんです。でも、今はPPVやテレビ放送のメインを任されたりするのがすっかり普通になりましたね。WWE内の男女の差を埋め始めた最初のきっかけの1人が私じゃないのかな」。

世界最大の団体WWEで男女差が薄れていく中で、日本プロレス界のメジャー3団体といわれる新日本、全日本、ノアはいずれもほぼ男性の試合のみで構成される。日本では多くの女子プロレス団体が存在することもあり、「女子プロレス」は一ジャンルとして確立されている。また、女子プロレスは現在主に男性ファンに支えられている。日本でも活動していたアスカはその違いをどう感じているのか。

「(日本の状況)まぁ、独特やなぁと思いますよね。自分が日本にいた頃、見に来てくれる女性の方が少なかっただけに、ファンになってくれるのはものすごいうれしかったですね。当時、私は普段は男性のプロレスを見ているファンを増やそうと意識していました。女子プロレスの世界は、小さい村のような雰囲気。そこの中で勝負するだけでなく、男子のプロレスを見ている人にファンになってもらおうと考えていました。彼らが喜ぶような選手にならないと、世界に通用するレベルにたどりつかないと思っていました」。

WWEに入ってからも、さらに日本との差を痛感した。WWEでは個性が何よりも重要視されるという。

WWEのスーパースターとして活躍するアスカ(C)2020 WWE,Inc.All Rights Reserved

「特に日本では、運動神経のいい選手が評価される傾向があるように感じますが、WWEで認められるためのポイントはそこではないんです。こんなことできます、あんなことできます、だけではアメリカ、というか世界のファンはそうですか、という感じ。ファッションだったり、個性が強いことが大事。もちろんレスリングの技術は必要なんですけど、ファンを引きつける雰囲気や人間性が重要になってきますね。WWEには、レスリングの技術があり、動けるのに、全然人気がない方もほんとにたくさんいます。日本はキャリアがある人ほど偉いという面がありますが、ここでは人気がある人が1番なんです」

これから日本、そして世界のプロレスはどう変化していくのか。その中で女子選手の立ち位置はどうなっていくのか。アスカは「WWEが女子をメインで扱い始めたので、世界のプロレスも徐々にそうなっていくと思います」と希望を込めて、予想した。

多忙ゆえ、日本の女子プロレスラーの試合は「あまり見られていません…」と正直に明かす。ただ、「ツイッターでよく目を引かれるのですが、明るくて、楽しそう」とセンダイガールズプロレスリングの岩田美香と橋本千紘を気になる選手として挙げた。やはり、アスカ自身も発信力を感じる人に引かれるようだ。

ここ数年、日本の女子選手が海外団体の興行に出るケースが多くなってきた。アスカはそんな後輩たちの背中をぐっと押す。「海外へ進出するチャンスがある選手は、どんどんした方がいいと思います。実際に海外を本拠地にしてみないと、この感覚は分からないと思うんですけど、世界をつかむ、というのは楽しいです」。

男女、言葉、肌、文化の違い。あらゆる壁を取っ払って輝くアスカの言葉は、力強く響く。【高場泉穂】

大相撲裏話

コロナ感染者0の7月場所 保健所のサポートで実現

新型コロナウイルス感染を避けるため力士不在で行われた大相撲7月場所の土俵祭りに臨む親方ら協会関係者たち(2020年7月18日撮影)

コロナ禍で開催された7月場所は、日本相撲協会の協会員から感染者を出すことなく15日間を終えた。協会は開催に向けて、場所前や場所中の決まり事などを定めたガイドラインを作成。各部屋に通達する他、観客や報道陣にも感染防止策を示した。そのかいあってか場所中に数人の発熱者は出たが、コロナ感染者は0。一方で、大きなサポートもあった。

協会が作成したガイドラインでは、力士らは場所中に1日2回検温。そして37度5分以上の発熱があった場合、隔離の上、医療機関でPCR検査あるいは抗原検査を受ける、としていた。通常の15日間でさえ親方をはじめ力士らは1つの白星のために神経をとがらせるが、それに加えて致し方ないことではあるが、不測の事態に備えるのは、さらに神経をすり減らすことともいえる。それを支えたのが、両国国技館や多くの相撲部屋が構える、墨田区の墨田区保健所だった。

7月場所中に墨田区保健所は、協会とホットラインを開設していた。各部屋の力士らの朝の検温記録は全て、墨田区保健所に送られ、管理。発熱力士の有無を把握する他、PCR検査や抗原検査、陽性だった場合に入院する医療機関先までを墨田区保健所が管理していたという。また陽性者が出た場合、濃厚接触者の行政検査も区内で行うとしていた。しかも、都内以外に構える部屋の協会員らも対象にするなど、墨田区保健所が全面バックアップ体制をとっていた。

墨田区保健所の西塚至保健所所長には、今も忘れることができない苦い記憶があった。高田川部屋の三段目力士だった勝武士さん(本名・末武清孝=すえたけ・きよたか)が、5月に新型コロナによる肺炎で死去したことだった。角界初の新型コロナによる死去の衝撃は大きかったが、西塚所長がショックを隠しきれなかったのはそれだけではなかった。

「あの時は、すぐに受け入れ先が見つからなかったんですよね」。勝武士さんは当時、38度台の発熱があった際、師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)が保健所や病院に電話するも、都内の医療機関は逼迫(ひっぱく)状態にあったため、すぐに受け入れさきは見つからなかった。結局、入院できたのは発熱から3、4日たってからだった。もし、すぐに医療機関が見つかっていたならば-。それでも結果は変わらなかったかもしれないが、西塚保健所所長は1人の医療関係者として歯がゆい思いがあったという。だからこそ「もう、あのようなことが2度と起こらないように、全面サポートすると決めました」と固い決意があった。

協会の徹底した感染防止策と、墨田区保健所の万全なサポート。これらが合わさったからこそ、7月場所の感染者0は実現できたと思える。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

リングにかける男たち

生活ぶりや身の上が共感…ボクサー山口拓也に注目

ボクシング界は7月に興行を再開して約2カ月になる。全国の新人王予選で始まり、その後はタイトル戦中心。観客も地方から徐々に入れ、後楽園ホールでも13日から有観客開催が始まった。タイトル戦はないが、新たな路線を行く興行が、31日に新宿FACEで開催される。

ファーストレートPresents A-SIGH BOXINGは8回戦以下6試合が予定される。八王子中屋と横浜光の両ジムが共催。ITを活用して宣伝、収益化を目指している。期間限定の有料オンラインサロンを開いているが、当日の観客100人もその会員を招待する。

メインは坂井祥紀(29=横浜光)の国内デビュー戦。メキシコでデビューし、米国を含めて23勝(13KO)11敗2分け。WBC世界ユース王座を獲得した実力が試される一戦となる。一方で3試合目の63キロ級6回戦の山口拓也(34=ワールド日立)が、ちょっとした注目となっている。

出場選手に1日密着し、YouTubeで紹介している。山口の場合、ジム近くの家賃2万円の6畳間のアパートを直撃。いきなり道で拾ったペットのヒキガエルのチハルが登場する。エサはジョギング中に捕った昆虫か煮干し。山口の朝食も同じ煮干しだった。

徒歩20秒のコンビニで働く。布団の横に置かれたダンベルなどで休憩時間も筋トレ。中学から引きこもり、漫画やアニメを見る日々だったという。唯一興味があったのが格闘技や体を鍛えること。25歳で実家を出て、近くにあるワールド日立ジムに入門した。

10年前に亡くなった父の形見のガラケーを今でも使っている。冷蔵庫はなく、洗濯も手洗い。ガスを契約していないため、冬場は電気ポットのお湯で体を洗う。極貧生活も認知症の母のため。今後に備えて貯金しているという。

クラウドファンディングを活用して、広告やグッズを返礼に資金集めしている。独特なのが激励賞を1口500円で募るもの。選手の取り分は90%。山口のユーチューブは1日に公開されたが、25日時点で34万回以上視聴され、激励賞はなんと70万円を超えた。

総額も150万円を超えたが、山口はメインの坂井の倍でほぼ半分を手にすることになる。13年デビューから4勝(2KO)11敗2分け。成績はパッとしない。山口の生活ぶりや身の上などが共感を呼んでいるようだ。18年まで5連敗も、昨年唯一の試合で日本王座挑戦経験ある相手に勝利している。

興行が再開し、熱心な観客の拍手が選手を後押しするが、歓声が沸くような活気には程遠い。それでもドラマはさまざまある。大会MVP投票権も1口500円で購入できる。ここでも山口が奇跡を起こすか!?【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

6階級王者オスカー・デラ・ホーヤの12年ぶり復帰は如何に

スーパー・フェザー級からミドル級までの6階級で世界王座を獲得した実績を持つオスカー・デラ・ホーヤ(47=米国)が2008年12月以来、約12年ぶりのリング復帰を宣言した。まだカムバック戦の時期や相手など詳細は不明だが、過去の名選手たちがそうだったように厳しい道が待っていることは間違いない。

92年バルセロナ五輪ライト級金メダリストでもあるデラ・ホーヤはスーパースターとして活躍する一方、キャリアの途中で自らの愛称を冠した「ゴールデンボーイ・プロモーション」を興し、自身の試合を含め数々の注目ファイトを提供してきた。しかし、同じ6階級制覇王者のマニー・パッキャオ(比)に8回終了TKO負けを喫したのを最後に45戦39勝(30KO)6敗の戦績を残して35歳で引退した。その後、アルコールや薬物依存に陥ったこともありカムバックは噂には上ったものの実現しないまま12年が経過していた。戦線復帰の端緒や理由は定かではないが、54歳のマイク・タイソン(米国)と51歳のロイ・ジョーンズ(米国)のエキシビションマッチ(11月予定)が刺激になったのは間違いないようだ。デラ・ホーヤは「私の場合はエキシビションではなく本当の試合だ」と話している。

2年以上もリングを離れていたボクサーのカムバックが極めて難しいことはいうまでもないが、成功例がないわけではない。ベトナム戦争の際に徴兵拒否してライセンスを剥奪されたモハメド・アリ(米国)は3年の空白を埋めたうえで32歳のときに世界ヘビー級王座を奪回したし、5階級制覇王者のシュガー・レイ・レナード(米国)も約3年のブランク後にマービン・ハグラー(米国)を破ってミドル級で戴冠を果たしている。当時は31歳だった。

極めつけは引退から10年後に戦線復帰した元世界ヘビー級王者のジョージ・フォアマン(米国)であろう。カムバックしたときが38歳で、42歳のときに世界王座に挑戦。このときは善戦したものの判定で敗れたが、試合後に「年齢を重ねることは恥ずかしいことじゃない」という中高年を勇気づけるコメントを残したものだ。その後、当時の最高齢戴冠記録となる45歳で世界王座を奪回し、48歳まで現役を続けた。

成否を定める段階ではないが、つい先日は元世界スーパー・ウェルター級、ミドル級王者のセルヒオ・マルチネス(45=アルゼンチン)が6年のブランク後にリング復帰を果たし、9歳若い相手を7回KOで下している。

ただし、これらは数少ない例外といっていい。古くは世界ヘビー級王座を25度防衛したジョー・ルイス(米国)やミドル級で5度の戴冠を果たしたシュガー・レイ・ロビンソン(米国)ら多くの名選手が30代後半でカムバックしたものの十分な結果を残せなかった史実がある。レナードも6年ぶりに40歳でリングに戻ったが、5回TKO負けを喫している。デラ・ホーヤのライバルだったフェリックス・トリニダード(プエルトリコ)も12年前、2年8カ月の空白後に現役復帰したが、目的を果たせずに再引退している。こうした失敗例は枚挙にいとまがないほどだ。

デラ・ホーヤの場合は12年のブランクに加え、すでに47歳という大きなハンディキャップがある。全盛期のパフォーマンスと人気を知るファンは「無残な姿をさらさないで……」といった思いなのではないだろうか。

それでもデラ・ホーヤはリングに上がるのか。今後の動きに注目したい。

プロレスの月曜日

女帝アスカの自己プロデュース力/インタビュー

<アスカの歩む道~“女子プロレス”を超えて~(中)>

国境、性別の差を超えて世界中にファンを持つWWEの“女帝”ことアスカ(ASUKA=38)の歩みをたどる連載「アスカの歩む道~“女子プロレス”を超えて~」。第2回は、WWE入団からトップに駆け上がった現在までを振り返る。

     ◇     ◇

2015年10月、下部組織NXTでWWEデビューしたアスカは一気にスターへの階段を駆け上がった。負けなしで16年にNXT女子王座を獲得。17年にロウに昇格した後も勢いは止まらず、18年に女子初のロイヤルランブル戦を制覇。その年、ニューオーリンズで行われた年間最大のビッグマッチ「レッスルマニア」ではシャーロットに敗れたが、デビュー以来267連勝という前人未到の記録を残した。成功の裏にはアスカ自身の創意工夫があった。

「デビュー以来、ずっと常に試合のことを考えています。どうしたら、WWEユニバース(WWEのファンを示す言葉)が喜んでくれるのか…。もしかしたら、見ている方は私がこういうキャラクターをするよう指示されていると思われているかもしれないですが、もう、まったくないですね! 自己プロデュース力が必要なんです」

WWE女子タイトル制覇の偉業を達成したアスカ(C)2020 WWE,Inc.All Rights Reserved

色彩豊かなコスチューム、能面を使ったパフォーマンス、大阪弁のマイクなどファンを喜ばせるために思いついたアイデアを、その都度ビンス・マクマホン社長やプロデューサーに伝え、実行してきた。

「コスチュームのデザイン、色、形もこういう感じだと自分で考えてますし、髪をピンクにしたいとか、こういうことがしたい、いつもビンスに伝えています。大阪弁もWWEデビュー当初から使っているんですが、ビンスら会社の人たちが気に入ってくれたみたいで、『もっともっとわけがわからない関西弁しゃべってくれ! あれが欲しい!』みたいに要求されて、現在だんだん程度が強まっている感じです(笑い)。何より、大阪弁で話すとWWEユニバースの人たちがすごい喜んでくれるんです。私の言い方もあると思うんですけど、しっかり内容は分からなくても、伝わるんですよ。こんなに日本語でマイクしゃべらせてもらえるって、あんまりなかったと思いますけど、ばんばんしゃべらせてもらってます」

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、WWEも今年春から無観客試合を放送し続けている。その中で、5月にアスカはWWE本社全体を使って王座挑戦権利書の入ったケースを奪い合う「マネー・イン・ザ・バンク」で優勝。翌日にロウ女子王者のベッキーから、妊娠の告白とともにベルトを渡され、新王者となった。これで、WWE女子の主要タイトルを全制覇。今は再びベルトを失ったが、コロナ禍の中でトップ戦線をかき回し、WWEを盛り上げ続けている。無観客という特殊な環境での試合が続くが、日本時代の経験が生きているという。

「仕事はコロナ禍の前より、今のほうが忙しいです。半端じゃないぐらい仕事してます。無観客は全然気にならないんです。日本のフリー時代、試合の大小問わずいろんな団体に出ていたんです。地方のお祭りに参加して、リング作って試合することもありましたし、数人しかいない小さい会場でやったりもしました。関係者の人たちからは『やめた方がいい』『試合を選んでベテラン感を出したほうがいい』とかアドバイスをめちゃめちゃもらいましたけど、この時にいろんな試合を経験したことが今に生きているんです。臨機応変にパフォーマンスできているのはそのおかげだと思います」

WWEに入団してから5年弱。約30言語、世界の約180カ国で放送されていることもあり、米国、日本だけでなく、メキシコ、英国、フランスなど世界中から応援メッセージが届く。

「(成功は)狙い通りでは確かにあるんですけど、よく考えたら信じられない感じですね…。よくWWEのスタッフから、私が出ている時の視聴率がよかったよ、とか、トレンドに入ってるよとか言われるんです。私ならではの、何か印象を与えられているのかなと思います。試合する度に、リック・フレアーや、他のスーパースターたち、WWE以外の選手からも良かったよ、と連絡もらったりする。評価してもらえているのは、めちゃくちゃうれしいです。ただ、本当に大変です。常に壁にぶちあたって、それを越えて、また壁があって、また越えて…。デビューしてから、ずっとその繰り返しです」

WWEで大きな結果を残したアスカの今の夢は、プロレスの枠を飛び越えた“インフルエンサー”になることだ。

「グランドスラムを達成したり、記録を作ったことで、プロレス以外のところで、例えば本田圭佑や、ゲーム会社のカプコン、ナムコなどいろんな人脈が増えました。だから、やっぱり自分自身の価値をもっと高めたいです。価値が高まれば、社会やビジネスに反映させていけるし、発言力や影響力が生まれる。私の言葉によって、困っている人を助けることもできるかもしれない」

自分で考え、道を切りひらいてきたアスカだからこそ、言葉に力がある。これから何かに挑戦しようとする人へ、エールをもらった。

「過去にひきずられないことだと思うんですよ。例えば、私の場合は過去をひきずるファンや、関係者の言葉に耳を傾ける必要がないと思っています。古い風習、価値観に縛られ、業界が衰退してきた現実があるので…。日本人は真面目なので、上下関係で損している人がたくさんいると思いますが、成功している人だけの意見を聞いた方がいいと思いますよ。“上”の人の言葉は、気にするな!」【高場泉穂】

<アスカ(ASUKA)の主な歩み※WWE入団以降>

▼2015年(平27)9月8日 WWEとの契約を発表。

▼同10月7日 デイナ・ブルック戦でNXTデビュー。

▼16年4月1日 ベイリーを下し、NXT女子王座獲得。

▼17年10月22日 「TLC」でロウに昇格後初戦。

▼18年1月28日 女子初のロイヤルランブル戦に出場し、優勝。

▼同4月8日 「レッスルマニア34」でスマックダウン女子王者シャーロット・フレアーに挑戦し、敗退。デビュー以来の連勝記録が267で止まる。

▼同12月16日 王者ベッキー、シャーロットとの戦いを制し、スマックダウン女子王座初戴冠。

▼19年4月15日 カイリ・セインとのタッグ「カブキ・ウォリアーズ」を結成。

▼同10月6日 WWE女子タッグ王座初戴冠。

▼20年5月10日 WWE本社で行った「マネー・イン・ザ・バンク」ラダー戦で勝利。王座挑戦権を獲得。

▼同年5月11日 妊娠発表したロウ女子王者ベッキー・リンチからベルトを譲渡され、新王者となり、WWE女子主要タイトル全制覇を達成。