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大相撲裏話

芝田山広報部長「無の境地」春場所完走の大きな意味

八角理事長(右)から賜杯を受け取る白鵬(撮影・前岡正明)

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、史上初の無観客開催となった春場所が幕を閉じた。発熱による休場者は平幕の千代丸ら3人出たが感染者は出ず、土俵周りでも大きなトラブルはなかった。「無観客開催運営プロジェクトチーム」のリーダーを務めた芝田山広報部長(元横綱大乃国)は、「他のスポーツ界にも勇気を持ってもらえると思う」と胸を張った。

同チームは、広報部の高崎親方(元前頭金開山)が発案。場所中に毎日、広報部や審判部、行司や呼び出しなど、各担当部署の代表者ら約25人が集まった。前日の反省や今後の対応についてなど、約1時間の会議が連日行われ、会議内容や決定事項などは代表者が担当部署や所属部屋に伝達。芝田山広報部長は「どんなささいなことも話し合い、みなさんに情報が回るように徹底した」と話した。

感染者を出さないための努力も当然あった。会場入りする親方衆の専用入り口を作ったり、世話人が会場内に明け荷を運ぶ際の動線も場所前に何度もシミュレーションした。力士らが行き帰りで使用するタクシーの待機場所や方向にもこだわるなど、密集による接触や混乱を回避するあらゆる方法を考え抜いた。

芝田山広報部長は「無の境地でやった。プロジェクトチームだけではなく全協会員が一丸となった結果」と15日間を振り返った。スポーツイベントの中止や延期が国内外で相次ぐ中、15日間やり切ったことには大きな意味がある。【大相撲取材班】

受けた賜杯を見つめる白鵬(撮影・外山鉄司)
大相撲裏話

ブルガリア出身碧山コロナ不安も癒やしは夫人と愛犬

碧山(2020年3月12日撮影)

大相撲春場所は史上初の無観客開催で15日間をやり遂げた。その中で主役の1人を担ったのが碧山。終盤3連敗で11勝に終わったが、一時は単独トップに立つなど優勝争いを盛り上げた。

碧山は欧州のブルガリア出身。新型コロナウイルス感染は欧州で拡大し、その影響に話が及んだ。実家については「自分のところは都会ではないから大丈夫」と話した上で、「毎日電話してますよ。心配だから」と話していた。

碧山の地元ではやはりマスクを着ける習慣はなく、売っているところも希少。日本から送らないのか聞いたが「送りたいけど、売ってないでしょ。どこに売ってるんですか」と厳しい表情で返された。

東京に1人残すビオレタ夫人も、厳しく「外出禁止」を言い渡したという。「向こうも1人。寂しいのは分かっている。よく我慢している」。外出でもできない碧山にとって、約1時間半の夫人との電話が唯一の癒やしだったという。

その2人の共通の話題は愛犬のMOLLY。12勝3敗と好成績をあげた昨年の春場所後から碧山家に加わったトイプードル。「小さくてね、犬とは言われないんです」。近くにいた栃ノ心が「人形だよ」。それほど溺愛する愛犬も、心の支えとなっていた。

相撲界における外国出身力士の活躍はすさまじい。何より驚かされるのが、日本での生活への順応で言葉も達者だ。碧山は「ちゃんこ場で勉強した」という。他の競技では通訳がつき、言葉をやりとりするが、相撲界では独自で乗り越えなければならない。碧山は日本語を学ぶためにノートを作り、耳にした単語をアルファベットで記し、覚えていったという。

相撲は日本独特の文化であり、神事とされる。その意味を理解しなければ、成功はできない。ブルガリア出身の碧山を取材する中であらためてそんな思いを強くした。【実藤健一】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

リングにかける男たち

3度離婚の山本美憂にとって恋愛は「生活の一部」

自身の過去の五輪挑戦と東京五輪について語った総合格闘家山本美憂

今年1月、いま一番興味がある選手へのインタビューがかなった。総合格闘家山本美憂(45)だ。五輪について語るリレー連載の取材をお願いし、女子レスリング元世界女王でありながら、3度の挑戦ともに五輪に届かなかったこと、今年開催されるはずだった東京五輪について思うことなどを聞いた。

だが、本当に聞きたいことは別にあった。山本は45歳。昨年19年には長男アーセンの娘、つまり孫も生まれ“おばあちゃん”になった。(現役引退までは“おばさん”という設定にさせておくそうだ)。それでも、体力の衰えを感じさせるどころか、試合を重ねるごとに強くなっている。そして、いつでも自然体で美しい。その力と魅力がどこから湧くのか探ってみたかった。

競技の話題だけでなく、恋愛、子育てなどプライベートに触れる質問をぶつけてみたが、山本は嫌な顔せず楽しそうに答えてくれた。恋愛とは何ですかと聞くと、「やっぱり生活の一部ですかね。自分が幸せであるために必要」。“仕方ないよね”と言いたげな笑顔に思わず「かっこいい…」と声が出た。人生の一部、ではなく、生活の一部、である。今の恋愛について聞くのはやぼだと思い、そこはあえて突っ込まなかった。

ここで、山本の経歴を説明したい。74年8月4日生まれ。父郁栄氏はミュンヘン五輪レスリンググレコローマン57キロ級代表。ミュンヘンにちなんで、美憂の名を与えられた。のちに総合格闘家となる弟の山本“KID”徳郁、妹の聖子とともにレスリングの英才教育を受ける。17歳だった91年に世界選手権に初出場し、史上最年少優勝。94、95年に世界選手権連覇も、その年にJリーガー池田伸康と結婚し、現役引退。96年に長男アーセン出産。98年に現役復帰し、99年離婚。00年に格闘家エンセン井上と再婚し、同時に引退。04年アテネ五輪で女子レスリングが正式種目になったのを機に、現役復帰も代表に届かず、3度目の引退。同年、井上と離婚。06年にアルペンスキー選手佐々木明と3度目の結婚。同年次男アーノン、08年に長女ミーアを出産。11年、ロンドン五輪挑戦のため、3度目の現役復帰。同年、佐々木と離婚。同12月の選考会で敗れ、出場を逃す。13年から拠点をカナダへ。15年にカナダ国籍を取得し、カナダ代表として16年リオデジャネイロ五輪を目指すもかなわず、16年に総合格闘技に転向。18年9月に弟徳郁が胃がんで死去。現在は、弟が亡くなったグアムで家族とともに暮らす。

3度の結婚と離婚。その間、五輪の夢を追い続けた。そして今は総合格闘技に没頭する。山本は「めちゃめちゃ自分のやりたいことをやってる。わがままなんです」と笑いながら人生を振り返る。結婚した後、しばらく夫や家族のサポートにまわった時期もあった。それも「その時に自分がしたいと思ったこと」。どんな選択も自分が選んだことだから仕方ないと思えるという。

山本はさまざまな選択に迷う女性アスリートにこう助言する。「気持ちがある以上は競技を続けてほしいなと思いますね。たとえ、結果が結びつかなかったとしても、自分がやりきったという気持ちが残る。だって、何をしても後悔はつきまとうじゃないですか。ああしていれば…とか。でも、やらなくて後悔するのが1番私の中では嫌なんです。やって失敗して、その度にあーってなるけど、しょうがない。自分が選んだことだから。常にそれの繰り返しです。その時は結果に結びつかなくても、あれがあったからこれがあるんだな、って思える時が来たりする。私も五輪に行きたくて行けなかったけど、その過去があるから今がある。残念でしたけど、今は総合格闘技という自分なりの活躍の場所を見つけることができました」。

拠点のグアムでは、2人のこどもの学校や習い事への送り迎えをしながら、その合間にジムで練習を積む。「グアムって狭いから、できちゃうんですよ。ジムも近いし、選手生活を送るには楽です。シングルマザーはすごく助かります。それに、娘は11歳、息子は13歳なんで、もう楽っちゃ、楽。皿洗い、掃除とか家事も手伝ってくれて、逆にあの子たちに助けられているんです。すごくいい環境で練習ができていますね。バタバタしてますけど、それが自分には合ってるのかな」。総合格闘家に転向して4年。「自分はまだ新人の部類にあたる気がする。やることいっぱいあるのがうれしいこと。飽きないですね」とまだ熱が冷めることはなさそうだ。

雑談で美容の秘訣(ひけつ)も聞いた。「とにかく保湿! あとは水をすごく飲む。1日4、5リットルぐらい」。年齢を忘れるほど強く、美しい山本は、私たち後輩女性に勇気をくれる。【高場泉穂】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

メイウェザー氏を悼む 甥フロイド5階級制覇支える

1980年代にスーパー・フェザー級とスーパー・ライト級の2階級を制覇した元世界王者、ロジャー・メイウェザー氏(米国)が3月17日、糖尿病からの合併症のため亡くなった。58歳だった。引退後にトレーナーに転身したメイウェザー氏は、甥でもあるフロイド・メイウェザー(米国)の5階級制覇を手助けするなど指導者としても実績を残した。

米国ミシガン州グランドラピッズ出身のメイウェザー氏は9歳上の兄フロイド・シニア、4歳下の弟ジェフとともに3兄弟ボクサーとして知られるが、世界王者になったのはメイウェザー氏だけだった。

アマチュアを経て81年に20歳でプロデビュー。83年1月には、来日経験もある技巧派のサムエル・セラノ(プエルトリコ)に8回TKO勝ちを収めてWBA世界スーパー・フェザー級王座を獲得した。初陣からわずか1年半後、15戦目のことだった。3度目の防衛戦で王座を失ったのを含め3年間に5敗するなど一時は限界をみせたかと思われたが、2階級上のスーパー・ライト級に転向して息を吹き返した。87年11月、浜田剛史(帝拳)と1勝1敗のWBC王者、レネ・アルレドンド(メキシコ)に6回TKO勝ちを収めて2階級制覇を達成。この王座は1年半の間に4度の防衛を果たした。

171センチの身長に対しリーチが187センチと長いメイウェザー氏は、中長距離から繰り出す多彩な左で相手を戸惑わせ、そこに右ストレートを打ち込むスタイルを確立。その切り札と獰猛な戦いぶりから「ブラックマンバ(毒蛇)」の異名があった。無冠になってからも戦い続け、99年に引退するまで12度の世界戦(8勝6KO4敗)を含め72戦59勝(35KO)13敗の戦績を残した。強打の半面、打たれもろい欠点があり、それがスター選手への壁になったともいえる。

引退後、メイウェザー氏は兄の子、フロイド・メイウェザー・ジュニアのトレーナーを務め、甥の5階級制覇をサポートした。特に兄とジュニアが仲たがいした時期には先輩王者として、また叔父としてスーパースターを支えた。

トレーナーとしては2000年から13年ごろまで活動したが、50歳を迎えたころから体調を崩したため一線を退いた。以後は健康の問題から表舞台に戻ることはなく、近年は闘病生活が続いていたという。

恩人を失った甥のメイウェザーは「叔父はリングの内外において私の人生で最も重要な人物のひとりだった。彼はボクサーとしてもトレーナーとしても偉大な人だった」と早過ぎる死を悼んだ。

アゴに爆弾を抱えながらも果敢に攻める、スリリングで躍動感のあるボクシングが懐かしい。

プロレスの月曜日

モスクワ五輪「幻の金メダリスト」谷津嘉章の思い

昨年右足を切断し今年6月に「義足プロレスラー」として復帰する谷津嘉章(63)は、モスクワ五輪時に犠牲になった「幻の金メダリスト」。世界的な新型コロナウイルス感染拡大による東京オリンピック(五輪)開催危機の中、自分の経験をもとに五輪を目指す選手へ助言を送った。

 ◇  ◇  ◇

「谷津って男はとことん五輪に見放された男。縁がないみたいです」と谷津は笑った。レスリングで76年モントリオール五輪フリースタイル90キロ級に出場し、8位入賞。80年モスクワ大会は金メダルを期待されながら政治的事情による日本のボイコットで出場できなかった。プロレスラー転向後、日本レスリング協会から声がかかり、88年ソウル五輪を再び目指したが、世界連盟がプロの参加を禁じたため再び五輪の舞台を踏むことはなかった。

アマチュアレスリング時代の谷津

開催が危ぶまれる今夏の東京五輪と、80年モスクワ五輪の状況は重なる。もし開催にこぎつけたとしても、世界中の選手が最高のコンディションで日本に集結するのは難しい状況だ。過去に五輪に出場できずに涙をのんだ谷津が考える五輪とは「世界の祭典」。祭典にならないのなら、1年延期すべきと提案する。「一個人の意見ですが、コロナの問題が停滞して、安全宣言をしたとしても、アジア地域ということで『行っても大丈夫なのか』という風評が残る。1年間待って、同じスケジュールでやれれば今よりももっと安心してできると思う」。

また、予想外の事態で進んでいない五輪代表選考についても思いをはせた。「まだ、代表は半分も決まっていない。となるとここまでの結果、データで選手を決めていくと思う。最後の代表選考で起死回生をかける連中は却下される。協会の線引きでどういう選手を選ぶのか。どうしても、公平ではなくなる。その辺は選手も覚悟しなくてはならない。だけど選ばれても、五輪が中止になればもれなくばっさり切られる。僕は、ばっさり切られた人間。4年をかけて、照準を合わせて調整しているから、いま調整している選手らの気持ちは理解できます」。

モスクワ五輪に出場できなかった谷津はすぐにプロレスラーに転向した。アマレス選手としてピークを迎えながら次の84年ロサンゼルス五輪を目指さなかったのは「魅力がなかったから」と言う。「モスクワ五輪の時は、西側諸国がボイコットをした。だから、西がそれをやったってことは、ソ連や共産圏の国も報復でボイコットするだろうと思った。(東西の)片方だけが出た五輪だから、実績は残りますよ。メダリストになるのはたやすい。だから、全然自分には価値を感じられなかった。わずかの差で勝つ喜び、達成感。そういうのが薄いだろうと。それだったら、かねてやりたかったプロレスの世界にいってしまえ、と」。五輪とは、メダルの価値とは何なのか。犠牲になった谷津の言葉は重い。

聖火トーチを持つ姿でポーズをとる谷津嘉章

いまだ消化しきれぬ五輪の思いを、聖火に託す。3月29日に、足利工大付高卒業という縁もあり足利市の聖火ランナーを務める。区間はわずか200メートルだが、昨年糖尿病により右足を切断し、義足となった谷津にとって大変な仕事だ。依頼を受け、ラン専用の義足をつけて本格的な練習を始めたのは今年1月から。2月に入り、ようやく走れるようになった。新型コロナウイルスの影響で沿道無観客で実施される方向だが、「走るからには美しく走りたい」と実際のトーチと同じ重さの棒を持ち、下を向かずに走る練習を続ける。

「谷津がどんな走りをするんだろうと楽しみにしてくださっている人がいる。できれば生で見せてあげたい。そのつもりで走り込んで、美しく走る練習をしてきました。東京五輪のトーチを持って、区間から区間に渡すまでの責任をまっとうして思いをぶつけながら、五輪というものへの自分なりのピリオドを打てればいいなと思っています」。【高場泉穂】

◆谷津嘉章(やつ・よしあき)1956年(昭31)7月19日、群馬県明和町生まれ。レスリングで76年モントリオール五輪8位。80年モスクワ大会は日本のボイコットで不参加。「幻の金メダリスト」と呼ばれた。80年に新日本プロレスでデビュー。その後、全日本などさまざまな団体を渡り歩き、ジャンボ鶴田との「五輪コンビ」で88年に世界タッグ初代王者となる。10年に現役引退も15年に復帰。19年6月に右足膝下切断。186センチ、115キロ。

◆モスクワ五輪 1980年7月19日~8月3日にモスクワで開催。開会式の入場行進に参加した国と地域は81(当時のIOC加盟国・地域は145)。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議した米国、日本、西ドイツなど50カ国近くが不参加。英国など参加した西側諸国の17カ国・地域が国旗ではなく、五輪旗やNOC(国内オリンピック委員会)旗を使用した。日本は18競技で178人の代表がいた(最終選考を行わなかった馬術の候補選手10人含む)。そのうち、次のロサンゼルス五輪に出場したのは50人だけだった。

プロレスの月曜日

清野茂樹アナ ゲストはみんな“プロレスラー”

プロレス実況を中心に活躍する清野茂樹アナウンサー(46)がパーソナリティーを務めるラジオ日本のプロレス番組「真夜中のハーリー&レイス」(毎週日曜午後11時~同30分)が4月5日に10周年を迎える。唯一無二のプロレス番組を長く続けてきた清野アナに話を聞いた。

ラジオ日本「真夜中のハーリー&レイス」の収録ブースに座る清野茂樹アナウンサー。手前は毎回ゲストと争うNWAベルト

番組にはいつも“プロレスラー”がやって来る。本物のレスラーはもちろん、芸人、小説家、ジャーナリストと過去500人超のゲストの肩書はさまざまだ。毎回「NWAベルト」をかけて戦う設定だが、内容はプロレスの話題に特化しない。パーソナリティーである清野アナが受け役となって、ゲストの仕事やプライベートの話を自由に引き出す。

清野アナは番組について、こう説明する。「プロレスの番組といってプロレスラーを呼ぶのは容易だと思うんです。他ジャンルの人を呼ぶのはプロレス関係の人だけ呼ぶとプロレスファンの方しか聞かなくなるから。見方を変えれば番組に来る人はすべてプロレスラー。リングに上がってもらっている時点でみんなプロレスラーなんです」。内容が良くても悪くても編集はなし。「それもプロレスの試合と一緒。こういうのがプロレスなんだよ、というぼくなりの提示なんです」。狭い時は約3畳、広くて6畳ほどの収録ブースで毎週試合が行われている。

スタートは10年4月。初回はグレート・カブキが電話越しに登場。2回目に当時格闘技団体DREAMを運営していた笹原圭一氏が生出演して以来、毎回ゲストを呼びノーカットで話す形が出来た。ゲストである挑戦者は表向きはNWA総会で決定とされているが、有名、無名は問わず清野アナが話を聞きたい相手、光を当てたい人に自らオファーをする。

「今でも断られることが多いです! 『私プロレス詳しくないんで』と。いや、そうじゃないんです、あなたの話が聞きたいんですと熱意を相手に伝えて、ここまでやってきました。電話で直接お話ししたり、メール送ったり、手紙をかくこともあります」。撮りだめをせず毎週収録し、同じゲストを2度呼ばないことも信条。あえて負荷をかけて10年続けてきた。

一発勝負だからこそアクシデントも多い。最もつらく、思い出にも残るのは「(話が)ハネないこと」。酒に関わるエピソードも多い。前田日明(12年2月21日)は六本木で約6時間飲んだ後、「水割りだったら何杯でも大丈夫なんだよ」とほろ酔いで15分前にスタジオ到着。去年タレント壇蜜と結婚した漫画家清野とおる氏(11年8月30日)も痛飲した様子で現れ、谷津嘉章(13年2月5日)は足がふらつくほどの泥酔で生放送に臨んだ。

肌と肌を合わせるプロレスのように「1対1でスタジオに入った時間というのは濃密なんです」。収録後、ゲストとの関係が続き、深まることも多いという。「プロレスラーもキャリア10年ぐらいたってやっと味が出てくる。ラジオも一緒。ぼくは受け身専門ですけどね」。10年続けて「山の頂上にのぼった感じ」と達成感はありつつも「間違いなくぼくの代表作で、ライフワーク。なくなったらさみしい」と継続を願う。ただ、10周年を機に、「プロレスラーのヒール転向のように」と形式を変えることも検討中だ。【高場泉穂】

◆清野茂樹(きよの・しげき)1973年(昭48)8月6日、神戸市生まれ。青山学院大卒業。18年に早大大学院政治学研究科修士課程修了。広島エフエム放送でアナウンサーを経験後、06年からフリー。新日本プロレス、WWE、UFCなどプロレス、格闘技の実況を中心にCMナレーション、司会など幅広く活動。

大相撲裏話

神田川俊郎さん「大阪人として残念」公私とも寂しさ

記念写真に納まる神田川氏(右)と朝青龍(08年3月16日)

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

料理人の神田川俊郎さん(80)が、公私ともにさみしい思いをしている。春場所は例年、向正面の溜まり席などで観戦してきた。「もう40年以上になります。大阪人として残念でさみしい。今年も毎日行く予定でした」と残念がる。大阪の「顔」だが、無観客で開催される今年はテレビ画面に映らない。

日本料理店「神田川本店」など、大阪・キタに3店舗を構える。去年は遠藤らが来店した。「特別な肉を用意したら、ペロッと3枚食べてた。白鵬もかわいがっているけど、今年はこられない」。日本相撲協会は新型コロナウイルス感染予防のため、協会員に外出を控えるように通達している。「ある親方からは電話がかかってきて『今年はだめです。外に出て見つかったら怒られてしまう』と言ってました。本当なら、楽しくおいしいものを食べて、元気にやって欲しいんだけどね。新地には誰もきてくれません」(神田川さん)。

自らの店舗だけでなく、大阪の繁華街から人が減ったことも悔やんでいる。「ミナミもキタも人がいない。にぎやかさがない」。来年こそは、本場所ともども、大阪の街をあげて盛り上がりたい。【佐々木一郎】

大相撲裏話

海外の視聴者は「まるでSF映画」異空間の緊張感

無観客で執り行われる大相撲春場所(2020年3月18日撮影)

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

「まるで(実況)アナウンサーと日常会話をしているようだった」。9日目にNHK大相撲中継の正面解説を務めた本紙評論家の高砂親方(元大関朝潮)はそう語る。「Be silent!」が1つのテーマともいえる今場所。正面放送席は防音対策のアクリル板で覆われるが「雰囲気からして、どうしても声は抑えがちになる」とも言う。

大観衆のざわめきは土俵進行の大事な一端を担っていた。時間いっぱいの最後の塩。東西の呼び出しが立ち一気にボルテージが上がる。アナウンサーも「さあ時間です!」。そんな高揚感が今場所はない。こんな偽らざる実況でのアナウンスもあった。「私たちも相当、注意しないと時間を誤ってしまいます」。いつも以上に目配せが求められるというわけだ。

3日目から視聴者の「応援メッセージ」を紹介。勝ち越しや金星以外にも“臨時”で取組直後の力士をインタビュールームに呼ぶなど何とか工夫を凝らす中継が続く。呼び出しにとっては声が、より反響するため技量が問われる緊張の場所にもなっている。海外の視聴者から「まるでSF映画を見ているようだ」と形容される異空間の中、さまざまな“闘い”が繰り広げられている。【大相撲取材班】

大相撲裏話

「チラシ1つ渡せない」引退相撲PRも遠慮がちに

元安美錦の安治川親方

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

無観客での本場所は、引退して間もない親方にも影響を与えている。元関脇安美錦の安治川親方(41)は、10月4日に断髪式などを含む引退相撲(両国国技館)を控えている。本来なら、春場所の観客にチラシを配るなどの宣伝を考えていた。「PRできなかったのは残念。でも、誰が悪いわけでもないから…」。

新型コロナウイルス感染を予防するため、日本相撲協会は協会員への不要不急の外出を控えるように通達している。夜の街には繰り出せない。安治川親方は「チラシ1つ渡せない。新地には1日も行ってないよ」と歯切れが悪い。打ち出し後は自室にこもり、宣伝資料を作ったり、電話やメールで営業する毎日だ。

元安美錦のような人気力士ですら、引退相撲は本人が主体となって集客に努める。協会は個人のSNSを禁じているが、こういうPRは了承している。安治川親方もツイッターを始めたが、協会全体が自粛ムードの中、遠慮がちになってしまうという。

「まずは地道にやっていくしかない。本場所に来られなかった人のために、協会も若手の親方もいろいろやっているから」。我慢の本場所を乗り切るまで、あと3日だ。【佐々木一郎】

引退相撲の詳細は、以下のウェブサイトを参照ください。http://aminishiki.jp/

大相撲裏話

さらなる静けさ作り出す「通路での準備運動禁止」

無観客で執り行われる大相撲春場所11日目(撮影・河田真司)

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

何もかもが異例の春場所。特に静寂に包まれた土俵上は、神聖さを感じると同時に寂しさもある。耳を澄まさなくとも聞こえる、いつもの本場所では聞くことができないさまざまな音。無観客だから当然-。しかし、それ以外にも静けさを作り出す要因がある。

地方場所ならではの光景が消えた。いつもなら支度部屋外の一般客も利用する広い通路で、出番前に体を動かす力士が多い。四股やすり足、若い衆にぶつかる関取衆など。しかし今場所は、通路での準備運動が禁止された。

力士らによると、準備運動をしている音で土俵上の力士の集中力をそがないようにするためだという。報道陣の動線の関係で、今場所力士が通れるのは東西の支度部屋を結ぶ一部の通路のみ。支度部屋外にいる親方衆や世話人らが目を光らせ、出番前の力士が準備運動のために通路に行こうとすると注意する。

場所前には報道陣が、力士と報道陣の間を柵で隔てて作られたミックスゾーンにスピーカーを設置するように協会に要請。しかし、スピーカーから出た音が土俵上に漏れては力士も集中できない、と認められなかった。NHKの放送席も、四方を壁で囲って音漏れを防ぐなど、あの手この手で静けさが作られている。【大相撲取材班】

北勝富士(左)と立ち合う白鵬(撮影・河田真司)
リングにかける男たち

偉業目指す寺地拳四朗の調整にも影響、コロナ禍憎い

19年12月、7度目の防衛に成功し、一夜明け会見で笑顔を見せる寺地

新型コロナウイルスの感染拡大でスポーツイベントの自粛が続く。中でも顕著なのは屋内型で、ボクシングは3月中の興行中止が4月いっぱいまで延びた。興行を主催し、商売とするジムにとって、致し方ないとはいえ、ダメージは計り知れない。

プロ野球やサッカーJリーグでも試合日程が決まらない状況の中で、最も影響を受けるのが選手だろう。野球の先発投手であれば、登板日に合わせて逆算して調整する。ボクシングでいえば、さらに長い期間をへて、試合に合わせて調整する。しかも10キロ近い減量を伴う。その難しさは想像すらできない。

まだ感染拡大が広まっていない2月末にWBC世界ライトフライ級王者・寺地拳四朗(28=BMB)の7度目防衛の祝勝会が京都市内で行われた。寺地は「この時期に来てくださるみなさんは本当にありがたい。握手とかもあまりできないのに」。直接の接触は避けながら、写真撮影などファンとの交流に奔走した。

その一方で不安は尽きない。当初は年内3度の防衛戦を行い、防衛回数2桁10回がプランだった。しかし米国、欧州まで感染拡大が広がる中、マッチメークは容易ではない。寺地も「メンタル的な影響はないが、(次戦が)いつ決まるんやろ。当分、決まらないでしょうね」と本音を漏らしていた。

ボクサーにとって減量は、試合以上の難敵と言われる。体質的に減量苦が少ない寺地だが、明確な目標がなければ当然、モチベーションも上がらない。「(年内のV10が)無理なら無理で引きずることはない。今まで通り、流れに任せるだけです」と話したが、本音はきついと思う。

ウエート調整が厳しく、複数階級制覇が主流の中、寺地はかたくなに防衛回数にこだわる。元WBA世界ライトフライ級王者具志堅用高のV13。その偉業を応援したいからこそ、あらゆるイベントにダメージを及ぼすコロナ禍が憎い。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

世界的な注目ファイトにも新型コロナウイルスの影が

新型コロナウイルスの世界的蔓延の影響により、ボクシングも世界的にイベントの中止や延期が相次いでいる。4月から夏にかけても数多くの注目ファイトが組まれているが、それらの試合が実施されるのかどうか微妙な状況になってきた。

この14日にはアメリカのニューヨークでシャクール・スティーブンソン(アメリカ)対ミゲール・マリアガ(コロンビア)のWBO世界フェザー級タイトルマッチが組まれていた。主催者のトップランク社はいったんは無観客試合として強行する方針を打ち出したものの、直後にイベントの中止と試合の延期を発表した。

これより前、13日にカナダで行われる予定だったイベントは、選手の計量が済んだあとで急きょ、中止が決定している。このほかカリフォルニア州では3月中の格闘イベントがすべて見送りとなっている。ボクシングの聖地とも呼ばれるラスベガスのあるネバダ州でもアスレチック・コミッションが3月25日までの格闘競技のイベント中止を決めた。それ以降のイベントに関しては25日に協議する予定だという。

こうしたなか、以前から決まっているボクシングの注目ファイトは少なくない。5月1日以降だけでも以下のようなカードが決定、あるいは内定している(3月16日時点)。

■5月2日@米国 WBA、WBO世界スーパー・ミドル級王座統一戦 サウル・カネロ・アルバレス(メキシコ)対ビリー・ジョー・サンダース(英国) ※未発表

■5月2日@英国 WBA、IBF世界スーパー・ライト級タイトルマッチ ジョシュ・テイラー(英国)対アピヌン・コーンソン(タイ)

■5月9日@米国 WBC、WBO世界スーパー・ライト級タイトルマッチ ホセ・ラミレス(米国)対ビクトル・ポストル(ウクライナ)

■5月16日@米国 WBC世界バンタム級タイトルマッチ ノルディーヌ・ウバーリ(仏)対ノニト・ドネア(比国/米国) ※未発表

■5月23日@英国 ヘビー級12回戦 オレクサンダー・ウシク(ウクライナ)対ディレック・チゾラ(ジンバブウェ/英国)

■5月30日@米国 世界ライト級4団体王座統一戦 ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)対テオフィモ・ロペス(米国) ※未発表

■6月9日@米国 IBF世界ミドル級タイトルマッチ ゲンナディ・ゴロフキン(カザフスタン)対カミル・シェルメタ(ポーランド)

※未発表

■6月20日@英国 WBA、IBF、WBO3団体統一世界ヘビー級タイトルマッチ アンソニー・ジョシュア(英国)対クブラト・プーレフ(ブルガリア)

■7月11日@サウジアラビア WBA世界ウェルター級タイトルマッチ マニー・パッキャオ(比国)対マイキー・ガルシア(米国) ※未発表

■7月18日@米国 WBC世界ヘビー級タイトルマッチ タイソン・フューリー(英国)対デオンタイ・ワイルダー(米国) ※未発表

5月9日に予定されているラミレス対ポストルは当初、2月1日に中国の海口で行われる予定だったが、新型コロナウィルスの影響で開催地を変更したうえ3カ月延期された経緯がある。再延期は避けたいところだ。

また、アルバレス対サンダースのように内定していながら正式発表を先延ばしにしているカードもあり、今後の流れしだいでは延期になる可能性も否定はできない。

世界的な注目ファイトが予定どおり実現できるよう祈るばかりだ。

大相撲裏話

TV中継は生存確認の場?大村崑は無観客も幸せ実感

阿武咲に押し出しで敗れ、ぶぜんとした表情で引き揚げる白鵬(撮影・上田博志)

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

無観客場所を“観戦の達人”はどう見ているのか? 喜劇俳優の大村崑(88)。かつて栄養ドリンク「オロナミンC」のCMなど、テレビに映らぬ日はなかった。最近はNHKの大相撲中継。向正面の砂かぶりで、よく“出演”している。「今場所は5日、見に行く予定でした。テレビに映らんかったら『死んだんか思うた』とよう言われます」。“生存確認”の場がなくなり? 苦笑いした。

初観戦は4歳、父に肩車されていた。戦前の1936年(昭11)だから実に84年前。力士はもちろん、行司、呼び出しの着こなしまで楽しむ。大阪在住だから、特に春場所、また名古屋場所には足しげく通う。

「無観客。無人の劇場でやる、私らの通し稽古と似てますな。でも、幸せでっせ。テレビの向こうにファンがぎょうさんおるんですから」。テレビで見て、新たな発見もあった。「拍子木の音とか、普段はあんな聞こえへん。白鵬の“ふ~っ”ちゅう息づかいも聞こえましたな」。

今回はたまたまだ。「我々にとって今場所はいい思い出になりまっせ。これから先“あの時、あんなんやったなあ”と思い出すのが、きっと楽しおまっせ」。前向きにとらえ、89歳の春場所はまた砂かぶりで楽しむつもりだ。【加藤裕一】

大村崑(2019年1月12日撮影)
大相撲裏話

無観客の春場所にタクシー行列 いつもと違う光景

無観客で執り行われる幕内土俵入り(撮影・河田真司)

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

繁華街からほど近くにある春場所会場のエディオンアリーナ大阪。その周辺に例年とは違う光景が広げられる。正面とは逆の協会関係者の出入り口がある、人通りの少ない車道に並ぶタクシーの列だ。普段は使わない若い衆らが複数人で乗り込む。注意喚起の周知で近隣への迷惑は抑えられているが、序盤は数珠つなぎになる混雑もあった。

3月1日の夜。ある部屋に突然、地元のタクシー会社の幹部が訪れた。理事会で無観客開催が決定し、力士の移動も基本的に公共交通機関を使わないことも発表された。関取衆は後援者らの送迎が多いが、若い衆は必然的にタクシー通いになる。それを見越した営業のあいさつだった。観光客の激減から「空港や新大阪駅に行っても客はいないし(夜の繁華街)北新地に行っても10時に人はまばら」と嘆く業界関係者にとっては、すがる思いだろう。

配車を優先する配慮もする。会場付近では“力士待ち”している空車も見受けられる。距離にして片道1万円以上かかる部屋もいくつかある。ただ、事が事なだけに“思わぬ経済効果”と喜ぶわけにはいかない。ある運転手は「お相撲さんに感染させてはいけない」と不安の声を漏らす。一方で逆に「感染する」リスクも等しくある。誰もが目に見えない相手と闘っている。【大相撲取材班】

大相撲裏話

初大銀杏に初土俵 一生一度の晴れ舞台も静寂の中

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

一生に一度の晴れ姿を、無音の会場で飾った力士もいる。初めての大銀杏(おおいちょう)に、真新しい締め込みで臨む新十両の翠富士は「静かだなと。ワーッという感じは来場所(十両に)残れば違うんでしょう」と、大歓声を想像した。8日目は日曜日。通常開催なら、女手1つで育ててくれた恵さんを会場に招くにはうってつけの日だったが「気にせず相撲を取れています」と快活に笑った。「親子3代」の幕内力士として注目を集める新入幕の琴ノ若は「逆にこの雰囲気にのまれないようにしたい」と浮足立つ様子はなかった。

新弟子にとっても、忘れられない場所になりそうだ。元横綱大鵬の孫で元関脇貴闘力の次男、納谷幸林(22=大嶽)は、3日目に初土俵を踏んで前相撲を白星デビュー。「もともと前相撲はお客さんが少ないと聞くので違いが分からない」と、ちゃめっ気があふれるコメントで報道陣を笑わせた。初場所から弓取り式を務める幕下将豊竜(23=時津風)も、独特な雰囲気に徐々に順応してきたという。序盤は親方衆の目線も感じたが「もういつもと変わりません。教わったことをやるだけ。相撲と一緒ですよ」と、泰然としていた。【大相撲取材班】

大相撲裏話

栃ノ心は「逆に緊張する」無観客の静寂に力士の思い

宝富士(左)を攻める栃ノ心(撮影・河田真司)

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

静寂に包まれた館内で、取組が行われている。心の持ちようは力士それぞれだ。

小兵の石浦は「あまり周りを見ないようにしている」と花道を通る時や土俵に上がる時に周囲を見渡さない。いつもなら約7000人はいる観客が0。目に入るのは審判、呼び出し、行司、出番前の力士ら数人のみ。「1人1人の顔が印象に残ってしまって気になる」。さらに「記者の方も…」と、2階席の一部にいる報道陣も気になるという。

無音に敏感になる力士も多い。三役復帰を目指す栃ノ心は「お客さんがいないと不安になる。本当に静かで逆に緊張する」と静けさが重圧になるという。一方で「誰も見てないから緊張しない」と魁聖。しかし声援がないからこそ「気合が入りにくい。いい緊張感が出ない」と正直だ。錦木は「シャッター音が気になる」。いつもなら声援にかき消されるはずの、報道陣のカメラのシャッター音に戸惑う時があるという。

「時間いっぱいになったらいつも気合が入りすぎて頭が真っ白になる。だからいつもと変わらない」と言うのは、十両上位からの幕内復帰を目指す照ノ富士。史上初の無観客開催に、それぞれが経験したことのない心理状態で臨んでいる。【大相撲取材班】

御嶽海(左)のまわしをつかみ力強く攻める白鵬(撮影・河田真司)
大相撲裏話

外出禁止の救世主!各部屋ちゃんこ番が手作り弁当

5日目の高砂部屋のちゃんこ番手作り弁当。しらす干しをかけたご飯と、おかずは味付けの手羽先唐揚げ、豚肉辛みそ炒め、ギョーザ、目玉焼き、ハム

<記者席から 緊急連載・厳戒の春>

ちゃんこ番の手作り弁当が広がりを見せている。新型コロナウイルスの感染リスクを避け、他人と接触する機会を減らすため、今場所は力士ら協会員の再入場が禁止。会場入り後、昼食や買い物で外に出ることができない。幕内力士の付け人を務める序二段力士は、自身の取組後、6~8時間も会場に滞在することになる。力士にとって空腹は取組後の最大の敵。そんな状況を乗りきるため、各部屋のちゃんこ番が腕によりをかけている。

きっかけは相撲協会公式ツイッターの投稿だった。高砂部屋の付け人力士が、手作り弁当を持参していると写真付きで紹介された。これを機に、各部屋で栄養とボリュームのある手作り弁当を持参する新たな動きが出始めた。協会公式ツイッターはその後、陸奥、佐渡ケ嶽、錣山、追手風部屋などの弁当も紹介した。

もともとは横綱鶴竜の付け人を務める、高砂部屋の序ノ口神山の発案。全力士最長、10時間超も滞在する負担を軽減するため始まった。弁当箱代わりのプラスチック製容器4個を購入した高砂部屋のちゃんこ長で序ノ口大子錦は「冷めてもおいしく食べられるものが中心」と毎日違う献立。大子錦は今場所途中休場した分、サポートにも一段と力が入る。【大相撲取材班】

6日目の高砂部屋のちゃんこ番手作り弁当。しらす干しをかけたご飯と、おかずはハンバーグ、鶏の塩焼き、スパゲティ、卵焼き、かまぼこ
原功「BOX!」

バーランガ連続1ラウンドKO勝ち記録にどこまで迫れるか

14日(日本時間15日)、米国ニューヨークではシャクール・スティーブンソン(22=米国)対ミゲール・マリアガ(33=コロンビア)のWBO世界フェザー級タイトルマッチをメインとするイベントが開催されるが、この日は前座カードにも注目が集まっている。デビューから13試合連続で1ラウンドKO勝ちを収めているスーパー・ミドル級のホープ、エドガー・バーランガ(22=米国)が出場するからだ。連続1ラウンドKO勝ちの史上最長記録は「21」で、バーランガは道半ばといったところだが、このレコードにどこまで近づけるかニューヨークのファンの期待を集めている。

バーランガはプエルトリコ系のアメリカ人で、アマチュア時代には全米レベルのユース大会やジュニアの大会に何度か出場したが、いつも2番手、3番手に甘んじていた。16年4月、19歳になる直前にプロに転向し、キャリアは4年になる。16年=3試合、17年=3試合、18年=3試合、19年=4試合とコンスタントにリングに上がり、すべて3分以内で片づけてきた。最も長い試合で2分45秒、最も短い試合は41秒で終わらせている

身長185センチと恵まれた体格から重量感のあるワンツーを繰り出し、相手をパワーでねじ伏せてしまうことが多い。まだ骨のある選手との対戦は少ないが、2年前には世界挑戦の経験を持つベテランを下したこともある。昨秋には世界戦を控えたミドル級の強豪、セルゲイ・デレビャンチェンコ(ウクライナ)のスパーリング・パートナーを務め、トップレベルの力を肌で感じ取った様子だ。最大手のトップランク社がプロモートを担当するなどバックアップ体制も整っている。

14戦目の相手は7日の時点では未定だが、試合は8回戦として行われる予定だ。バーランガは「そろそろ長いラウンドも経験したい。もっと長い時間、自分を見てもらいたいからね」と複雑な心境を明かしている。

ところで、130年超の近代ボクシングにおいて、連続1ラウンドKO勝ちの歴代記録としては以下のものが残っている。

(1)21=アリ・レイミ(ソマリア)

   2011年1月~14年7月

(2)19=タイロン・ブルンソン(米国)

   2005年4月~08年3月

(3)18=エドウィン・バレロ(ベネズエラ)

   2002年7月~10年2月

1位のレイミの「21」はボクシング不毛の地、中東のイエメンで記録されたもので、対戦相手も同国人やソマリア国籍の選手など無名ばかり。認知度は低く、価値も割り引いて考える必要があるだろう。ブルンソンの「19」も対戦相手の多くが負け越し選手で、レイミ同様、価値という点で疑問は残る。

これに対し、バレロの「18」は中身が濃い。世界挑戦経験者や現役の世界ランカーも含んでいるのだから文句なしだ。余談だが、バレロの連続1ラウンドKO勝ちが15になっていたとき、日本で「1ラウンドKOを免れたら100万円」という賞金までつけて対戦相手を募集したことがあった。勇敢な日本人選手が相手を務めたが、116秒で撃沈した。その半年後に1ラウンドKO勝ちは18で途絶えたが、決着ラウンドを問わない連続KO勝ちは継続。06年にバレロはスーパー・フェザー級で世界王座を獲得し、09年にはライト級も制覇した。しかし、28歳のときに家族を道連れに謎の死を遂げた。

8度の世界戦を含めた通算戦績は27戦全KO勝ち。早世が惜しまれる。

さて、こうした歴史にバーランガはどこまで迫れるのか。14日の試合だけでなく、その後も「ザ・チョーズン・ワン(選ばれた者)」というニックネームを持つ22歳の強打者のパフォーマンスと結果に注目していきたい。

プロレスの月曜日

新日本メイ社長、コロナ禍にも「まだやることある」

新日本プロレスの人気は、日本から世界へと広がり続ける。その飛躍を進めてきたプロ経営者のハロルド・メイ社長(56)に今後のプランや、現在頭を悩ませる新型コロナウイルス感染拡大への対応について聞いた。

新日本プロレスの未来を熱く語る、ハロルド・メイ社長

自らを“百戦錬磨”と称するメイ社長でさえ、今回の新型コロナウイルス対応に関しては「かじ取りが難しい」と嘆く。イベント自粛の波が広がる中で、新日本は3月1日から15日までの11大会を中止。再開の見通しが立たない9日現在、「再開する、しない両方のプランを考えている」と明かす。米国で興行する案も計画したが、実現は難しく頓挫した。

ただ、次の行動を起こすのは早かった。中止決定と同時に、ファンのための新サービス「新日本Togetherプロジェクト」を立ち上げた。「すぐに選手、社員、スポンサー、関係各所に説明して、4日に(企画を)スタートできた。社内の団結があったからこそです」。メイ社長は日々、1フロアの社内を違うルートでまわり、社員と会話することを欠かさない。四半期ごとの社の報告会議には選手の一部も出席する。社員全員が経営状況を把握し、一丸となって前に進む環境があったからこそ、今回もスムーズに事は進んだ。第一弾の内藤哲也、高橋ヒロム無観客トークショーは、国内のツイッタートレンド最高6位になるなど注目を集めた。

この未曽有の事態でも「まだまだやることがある」と信念は揺るがない。18年6月に社長に就任してから約1年9カ月。その間、力を入れ、成果を出してきたのが海外展開の拡大とブランド力アップだ。海外進出を進める理由は「日本の市場、人口が間違いなく減る」から。外に出なければ経営は傾くだけで「必要だからです」。今は米国、欧州で土台固めをし、その先にアジア進出を見据える。

世界に通用する確信もあった。「言葉、文化、男女、年齢の壁。すべて乗り越えられるのが、プロレス。ルールも単純明快。極端にいえば、2000年前のローマ帝国でもやっている」。英語での動画配信や情報を充実させると、狙い通り、ファンは世界中に拡大。今年1月4、5日の史上初の東京ドーム2連戦の7万人の観衆のうち、約2割が外国人だった。さらに、初日の4日はツイッターの世界トレンドの首位を約6時間独占。「世界でこんなこと誰ができます? できないですよ。誇りに思います」。ドーム2連戦の成功は、大きな自信となった。

選手のマスコット人形を肩に付けて、笑顔でポーズをとる新日本プロレスのメイ社長

一方で、国内での価値向上にも努力は続く。メイ社長は昨年末に出版した著書でこう記している。「プロレス業界で働くようになってから、世の中にはプロレスを少し見下していたり、偏見や誤解をしている人がまだまだ結構いるのだなと思うようになりました」。負のイメージを払拭(ふっしょく)するために選手、スタッフとともに取り組んだのがリング外での露出だ。

選手がテレビ、映画など他媒体に出るのはもちろん、社長自身も経済誌やNHKのドキュメンタリー番組の取材を受けるなど、プロレスに触れるきっかけを増やすことに努めた。「どのドアから入っても好きになれる。そのドアを増やしていくイメージです」。その成果もあり、最近は三越伊勢丹、アンダーアーマーなど有名企業とのコラボレーションが続く。「今まで以上に、新日本が認められ始めている証し。あらゆる分野でもっと広げていきたい」と攻勢を続ける。

日本で暮らした幼少期、言葉が分からない中でも楽しめるプロレスに助けられた経験がある。だからこそ、「残るキャリアを新日本にささげる」と思いは強い。今、特に力を入れるのがIP(知的財産)ビジネスだ。選手や試合のコンテンツをいかに他の収益に変えていくか。「出版、ゲーム、テレビ放映権…。未知の新しいビジネスもあるかもしれない」とアイデアは尽きない。【高場泉穂】

◆ハロルド・ジョージ・メイ 1963年12月4日、オランダ出身。8歳から13歳まで日本で過ごす。ニューヨーク大大学院修了。87年にハイネケンジャパンに入社。数社を経て、06年に日本コカ・コーラの副社長、14年にタカラトミーの社長に就任。赤字経営を立て直し、V字回復に導き17年退社。18年6月に新日本プロレス社長に就任。19年12月に初の著書「百戦錬磨 セルリアンブルーのプロ経営者」を出版。

リングにかける男たち

22歳クドゥラ金子は青かった…初黒星で引退宣言

第10R、長濱(左)に右ストレートを放つクドゥラ金子(2020年2月27日撮影)

ウイルスで世界中が静まり返っている。スポーツへの影響は多大で、再び歓声が湧く日が見えてこない。ボクシングも例外なく、4月15日までの試合が中止、延期になった。対策実施前最後の興行が2月27日に後楽園ホールであった。当日券販売なしでも1009人集まった。逆転、番狂わせなど8試合は熱気があった。

協栄新宿ジム初陣、賞金マッチ5回戦は元日本王者土屋と元東洋太平洋王者小浦が再起戦、はじめの一歩トーナメント準決勝と、いつになく話題豊富。応援団も多くが駆けつけたようだ。

注目はやはりメインで、東洋太平洋ウエルター級王座決定戦だった。アフガニスタン出身の同級2位クドゥラ金子(本多)が王座奪取なるか。15年にデビューから11連勝で8KO。18年に元日本王者有川を3回TKOで一躍名を上げた。

出稼ぎで来日の父に、11年の13歳の時に母、弟と呼び寄せられた。ボクシングとの出会いはテレビで見たタイソン。キックボクシングジムに通ったこともあったそう。来日後に自宅近くのジムに通い始めて「プロになりたい」と本多ジムに移った。

C級トーナメント優勝、東日本新人王も初戦突破したが右拳を痛めた。仕事でも手をケガして手術。ブランクを作り、対戦相手探しに苦労しながら、日本ユース王座獲得をへての初挑戦だった。

本名クドゥラ・トゥラに、本多会長は虎をリングネームにしようとした。本人が拒否。中高時代送り迎えしてくれ、ロードワークにも付き添い、手塩にかけて育ててくれた金子トレーナーの名前をもらった。

首都カブールから車で8時間のマザリシャリフ生まれ。山やパキスタンに住んだことも。授業はイスがなく床に座る。小学校から大学まで同じ場所で入れ替えのため授業は3時間程。金がない人は教科書がなかった。祖国は「戦争のあとは爆弾」と今だ戦火にある。

タイソンが手本も、生き方はパッキャオに共鳴する。「ファイトマネーで母国の人を助けたい。学校を建てたい」が夢だったが、結果は初黒星を喫した。

同級7位長浜(角海老宝石)に6~8ポイント差の0-3判定負け。長浜の顔は敗者のように腫れ上がり、クドゥラは強打も浴びせた。接近戦などで先手をとられ、スタミナも切れた。アマ経験ある全日本新人王に日本ユース王座を獲得した相手と技量、対策に差があった。

何より新王者の「パターンが同じ」という言葉が実力を示していた。終盤はイライラを募らせ、首を振ってコーナーに戻る。採点がコールされると、客席に頭を下げることなく、そそくさとリングに下りた。「話は長浜に聞いて」とだけ言い、さっさと引き揚げた。8日にはSNSで「ボクシングをやめます」と宣言した。22歳のアフガン戦士はまだ青かった。【河合香】