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大相撲裏話

ブルガリア出身碧山コロナ不安も癒やしは夫人と愛犬

碧山(2020年3月12日撮影)

大相撲春場所は史上初の無観客開催で15日間をやり遂げた。その中で主役の1人を担ったのが碧山。終盤3連敗で11勝に終わったが、一時は単独トップに立つなど優勝争いを盛り上げた。

碧山は欧州のブルガリア出身。新型コロナウイルス感染は欧州で拡大し、その影響に話が及んだ。実家については「自分のところは都会ではないから大丈夫」と話した上で、「毎日電話してますよ。心配だから」と話していた。

碧山の地元ではやはりマスクを着ける習慣はなく、売っているところも希少。日本から送らないのか聞いたが「送りたいけど、売ってないでしょ。どこに売ってるんですか」と厳しい表情で返された。

東京に1人残すビオレタ夫人も、厳しく「外出禁止」を言い渡したという。「向こうも1人。寂しいのは分かっている。よく我慢している」。外出でもできない碧山にとって、約1時間半の夫人との電話が唯一の癒やしだったという。

その2人の共通の話題は愛犬のMOLLY。12勝3敗と好成績をあげた昨年の春場所後から碧山家に加わったトイプードル。「小さくてね、犬とは言われないんです」。近くにいた栃ノ心が「人形だよ」。それほど溺愛する愛犬も、心の支えとなっていた。

相撲界における外国出身力士の活躍はすさまじい。何より驚かされるのが、日本での生活への順応で言葉も達者だ。碧山は「ちゃんこ場で勉強した」という。他の競技では通訳がつき、言葉をやりとりするが、相撲界では独自で乗り越えなければならない。碧山は日本語を学ぶためにノートを作り、耳にした単語をアルファベットで記し、覚えていったという。

相撲は日本独特の文化であり、神事とされる。その意味を理解しなければ、成功はできない。ブルガリア出身の碧山を取材する中であらためてそんな思いを強くした。【実藤健一】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

プロレスの月曜日

世志琥、見た目と裏腹“ギャップ萌え”大ブレーク中

女子プロレスラーの世志琥(よしこ、26=SEAdLINNNG)が“ギャップ萌え”のSNS動画で大ブレーク中だ。動画サービスTikTok(ティックトック)での、こわそうな見た目と裏腹のかわいらしいお菓子作りの動画が話題を呼び、5月中旬現在、フォロワー数はTikTokで約20万人、ツイッターで約10万人を超えた。この人気をどう感じているのか、世志琥に聞いてみた。

「コロナ」と書かれた障子を破る(本人のTikTokから)

TikTokのフォロワーは20万人、ツイッターは10万人。この1カ月でSNS界のスターとなった世志琥は「ほんとに、人生変わったんじゃねーかぐらいの勢いだよ」とZoomの画面越しにうれしそうな笑顔を見せた。

新型コロナウイルスの影響で自宅待機となったのを機に、4月14日から1カ月連続投稿チャレンジをスタート。「コロナ」と書かれた障子を破ったり、浜崎あゆみ風のメークをするなどのユニークな動画で少しずつフォロワー数が増えていった。大きな転換点となったのは5月1日にあげたディズニーランド風のチュロスを作る動画。話題を集め、1日で約5万人ものフォロワーが増えた。「ちょうどディズニーランドが休園中で、行きたくても行けない人がたくさんいると思ったから園内で売ってるチュロスを再現しようと思ったんだ。それがこんなに反響を呼ぶとは…」。うれしい誤算だった。

眼光鋭く「作るぞ」とにらむ(本人のTikTokから)

ディズニーランド風のチュロスを作る動画でかわいい笑顔(本人のTikTokから)

その後も、世志琥の快進撃は止まらない。ディズニーシーのキャラクター、ダッフィーのオムライス、プードルクッキーなど、“映える”料理動画を続々投稿。眼光鋭くこちらをにらみ、「作るぞ、コノヤロー」といった荒っぽい言葉で説明する一方、手つきは丁寧で出来上がった料理は美しく、最後の試食後にとびきりかわいい笑顔を見せる。そのギャップが話題となり、フォロワーはどんどん増えていった。

ダッフィーのオムライスなど出来上がった料理は美しい(本人のTikTokから)

相棒の力も大きい。動画をプロデュースしているのが、あぃりDXさん(22)。90年代に一世風靡(ふうび)した全日本女子プロレスの故今井良晴リングアナを父に持ち、今年からシードリングの宣伝部長を務めている。連続投稿チャレンジを持ちかけたのもあぃりさんで、アイデア、編集など献身的にサポートしてくれているという。「あぃりちゃんがすごく自分のことを生かしてくれている」と世志琥。特技の料理が、人々が自粛するこの時期にうまくはまった。

浜崎あゆみ風のメークも(本人のTikTokから)

新たに注目してくれた人の多くはプロレスになじみがない。今いるのは所属選手4人の小さな団体。フォロワーの人を、会場へと誘導するのが今の目標だ。「TikTokを利用しているのは、本当に若い世代の子、小、中学生が多い。これからの女子プロレスやプロレスに必要なのも、そういう若い年齢層だと思うんだ。そういう子たちがちょっとでも興味を持ってくれて、会場に足を運んでくれたらいいなと思ってる」。

3月23日の試合を最後に団体も自粛期間に入り、自宅で1人練習する日々が続く。「プロレスラーなんで、リングの上に立って、お客さんに見てもらってなんぼ。早く試合がしたい。自粛が明けたら初めて見にきてくれる方も増えると思う。自分の中にあるプロレスLOVEな気持ちを爆発させて、みんなの心に届くプロレスをしたい」。日課となった動画制作に励みながら、再開の日を待つ。「コロナでストレスがたまる世の中だけど、うちの動画みて、楽しめよな。てめーら、コロナが収束したら、うちの試合みにこいよ! そこんとこ、よろしく」。【高場泉穂】

◆世志琥(よしこ)1993年(平5)7月26日、東京・葛飾区生まれ。11年にスターダムに入団し、同1月23日に美闘陽子戦でデビュー。15年に1度引退するが、16年にミャンマーで復帰とSEAdLINNNG入団を発表。160センチ、75キロ。得意技はダイビング・セントーン、ラリアット。

大相撲裏話

コロナで注視も角界独特「集団生活」のプラス面とは

富山の食材を手に笑顔を見せる朝乃山(前列左)ら高砂部屋の力士(2020年2月7日撮影)

大相撲三段目力士の勝武士さんが新型コロナウイルスの影響で亡くなったのは本当に残念で、ショックだった。

その中で大相撲独特の文化である「集団生活」があらためて取りざたされた。関取になれば個室、または別に自宅を持つことができるが、以外の大多数は1カ所で、いわゆる大部屋で生活する。他のスポーツであれば練習、競技で集まり、解散だが、大相撲の世界は1日中をほぼ一年中、同じ空間をともにする。

記者が新弟子だった20数年前、「相撲道を知るにはとにかく入門しろ」の指令を受け、若松部屋(現在の高砂部屋)にお世話になった。当時はまだ若い部屋で関取もいない。元大関朝潮の師匠の下、自分がいち早く出世しようとする活気に満ちていた。そんな世界に素人が恐る恐る入門した。

黒まわしを借りて、稽古に参加させてもらった。最初はさすがに「なんじゃこいつは」という視線を感じたが、股割りでもん絶したあたりからとけ込む空気に変わった。10代の新弟子たちと申し合いを行い、最後はぶつかり稽古。取材で見ていると「簡単に押せそう」となめていたが、ビクとも動かない。しかし、体の使い方を指導されると何とか押せるようになる。「最も実になる」とされる稽古を肌で実感した。

ひと通り稽古を終えて、一緒に風呂に入った時にはもう「仲間」だった。雑談しながら和気あいあい。たった1日だったが、内部を知ることで自分の中でかなり変われた記憶がある。

新型コロナウイルス禍でクラスター化の怖さが言われ、その前は暴力事件の問題もあった。独特の文化である「集団生活」のマイナス面だが、それ以上にプラス面もあるということだ。年齢は関係ない番付社会。刺激し合い、励まし合い、笑い合ってピラミッドの頂上を目指す構図がある。

長年にわたって継がれ、今に生きる文化。その根底が揺らぐ厳しい状況下だが、大相撲の歴史は必ず乗り越えられると信じる。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

リングにかける男たち

支え合う亀田和毅夫妻、自粛続きも第1子誕生目前

亀田和毅と妻シルセさん(亀田和毅提供)

3月、米ラスベガスにいるボクシング元WBCスーパーバンタム級暫定王者亀田和毅(28)からうれしい知らせが届いた。妻シルセさん(32)が第1子となる男児を妊娠したという。

「シルセもすごく喜んでます。自分も子どもが欲しかったのでめちゃくちゃうれしいです。シルセのサポートをしながらボクシングもがんばります」

メールの文面から喜びが伝わってきた。

亀田は19年7月にWBCスーパーバンタム正規王者レイ・バルガス(メキシコ)との統一戦で敗退。同11月から米国に拠点を移していた。この4月に再起戦を行う予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延期となり、まだ渡航制限のない3月中にシルセさんの故郷メキシコへと移動した。今は自粛生活を送りながら、5月末の出産を待つ。

昨年の統一戦を前に、シルセさんにじっくり話を聞いたことがあった。支え合う2人の物語に心を打たれた。出会ったのは約13年前。中学卒業後すぐメキシコに武者修行に行った亀田が、アマチュアボクサーだったシルセさんと出会い、恋に落ちた。

07年、亀田はアマチュアトーナメント大会の決勝で後の世界王者バルガスと対戦する。会場は、メキシコシティの格闘技の聖地アレナ・メヒコ。大ブーイングを浴び、判定で敗れた。満員の観衆の中、亀田に声援を送るのはシルセさんと、その家族だけだった。

「メキシコだから、みんな地元のバルガスを応援していました。和毅の応援をしていたのは、私のパパ、ママ、兄弟合わせて10人ぐらい。ビール、ナッツ、水…いろんなものが私たちにもかかってきました。和毅の応援をしていたから、みんな怒っていたみたい。すごく怖かった。あの時、和毅は16歳。まだキャリアがなかったから、緊張していたと思います。試合の後は『大丈夫。いいよ、すごく頑張ったよ。最後まで倒れなかったから』と声をかけました。和毅はがっかりしながらも、『勉強になる。がんばる』って言っていました」(シルセさん)

その後、遠距離恋愛を経て、15年10月に結婚。今では亀田はスペイン語を、シルセさんは日本語を自由に使いこなす。結婚後は、主に日本での生活。慣れない場所、言葉、文化の中で、シルセさんは苦労した。だが、メキシコでシルセさんがしたように、今度は亀田と家族が彼女を助けた。

「和毅は、すごく優しい。いつも私のことを気遣ってくれます。私があげれば、和毅も私にくれる。ピンポンみたいだなと思います。日本人とメキシコ人は全然違う。でも、和毅の家族は優しかった。彼らのおかげで日本語が話せるようになりました。2人にとって、言葉をかけ合うことはすごく大切です。1日が終わると、『ありがとう。きょうもがんばったね』とスペイン語で言い合います。ハグも、チューもします。日本に来て、少し恥ずかしくなりましたが(笑い)」(シルセさん)

2人の関係から学ぶことは多い。

亀田によれば、今メキシコは「毎日2000人以上感染していて、ピークの状態」。極力外出せず、家の中で筋トレやシャドーなど練習に励んでいるという。

シルセさんの出産予定日まで約1週間。大変な状況の中、無事2人の子どもが生まれることを祈る。【高場泉穂】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

井上尚弥の転級待つナバレッテら北米での試合具体化

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)の流行が収まらない状況に変わりはないが、世界各地で経済活動再開の動きが出始めている。

すでにボクシングも4月下旬に中米ニカラグアや韓国が中堅どころの試合を中心にしたイベントを催したが、今度は北米で世界王者たちの試合が具体化してきている。

メキシコでは6月6日にWBO世界スーパー・バンタム級王者のエマヌエル・ナバレッテ(25=メキシコ)がメキシコシティーで試合をする計画だと伝えられる。無観客イベントとしてテレビ局のスタジオにリングを設置して試合を行い、それをテレビ中継する予定だ。保健当局の特別許可が出るのを待っている状態だという。

ナバレッテは32戦31勝(27KO)1敗の戦績を残している攻撃型の選手で、18年12月に戴冠を果たしてから1年5カ月の間に5度の防衛をこなしている“戦うチャンピオン”だ。1階級下の井上尚弥(27=大橋)が転級してくるのを待っている状態で、「井上に勝てば評価が上がる。もちろん勝つ自信はある」と吹いている。若くて勢いがあるだけに、陣営としてもブランクは最小限に食い止めたいのだろう。

6月9日にはWBO世界フェザー級王者のシャクール・スティーブンソン(22=米国)がラスベガスで試合を計画している。16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)バンタム級銀メダリストのスティーブンソンは3月14日にニューヨークで初防衛戦を行う予定だったが、コロナ禍のため直前になって中止になった経緯がある。次戦はノンタイトル戦になる模様で、試合内容が良ければスーパー・フェザー級に転向する可能性が高い。スティーブンソンは13戦全勝(7KO)の伸び盛りの逸材で、ナバレッテと同じように空白期間を短く抑えたい意向があるようだ。

昨年5月に伊藤雅雪(29=伴流⇒横浜光)からWBO世界スーパー・フェザー級王座を奪ったジャメル・へリング(34=米国)には、7月2日にラスべガスで2度目の防衛戦を行うプランが浮上している。プロモートするトップランク社が計画を明らかにしたもので、スティーブンソンと同様、テレビ局のスタジオで無観客試合として挙行、それが放送される予定だ。

へリングは12年ロンドン五輪に出場した経歴を持つ技巧派サウスポーで、プロでは23戦21勝(10KO)2敗の戦績を残している。再戦と雪辱を目指す伊藤にとってもヘリングの動きは気になるところといえよう。

依然としてCOVID-19は予断を許さない状況であることに変わりはないが、これらの試合が決行されることを多くのボクシングファンが願っている。

リングにかける男たち

53歳タイソン氏“復帰”甦るラスベガスの硬い記憶

2年前のあの日、村田諒太に「グッド・ラック!」とサムアップポーズでエールを送るマイク・タイソン氏(18年10月19日)

ボクシングの元世界ヘビー級王者、マイク・タイソンがリングに“復帰”する。53歳になったレジェンドがチャリティー事業のエキシビションマッチに出場するため、先月から練習を再開したとの報道が今月に入って飛び交った。11日にインスタグラムに投稿したミット打ちでは、年齢からは想像できない高速コンビネーションの強打を放っていた。それを見て、あの「硬さ」が思い起こされた。

18年10月だった。「痛っ!!」と思わず顔をしかめた。米国・ラスベガスのショッピングモールでクリンチ、いやハグをしてもらった。その体は岩のように硬かった。

WBA世界ミドル級王者村田諒太の初防衛戦のために訪れたラスベガスだった。同地に住むタイソンがサイン会を開くという情報を聞きつけ、カメラマンと2人で巨大なモールを探し回った。スポーツショップの外にイベントの看板を見つけた。話を聞ければ、記事になる。ただ、不発に終わる可能性もある。それでも、高揚した勢いままに、自腹覚悟で参加権代わりの250ドルのボクシンググローブを購入した。数組の列に並び、黒カーテンの奥にその姿がちらほら。小学生時代に遊び続けた家庭用テレビゲーム機のボスとして戦い続けたレジェンドがそこにいた。そして、ついにその時が。

カーテンを開けると、緊張するこちらを一見して、とっさに日本人と判断したのだろう。「コンニチハー!」の大きな声。かみつき事件などで凶暴なイメージも付きまとい、勝手に身構えていたところに、おもむろに席を立ち上がると、こちらに迫ってきた。そして分厚い肉体で抱きしめられたのだった。

その体はゴツゴツし、一切のゆるみを感じさせなかった。わずかの接触で、驚異のパワーを拳に宿した肉体のすごみの一端に触れた気がした。その取材では、村田に「グッドラック!」とサムアップポーズでエール。無事に記事となり、グローブ代も経費で精算でき、一安心の米国遠征となった。

忘れないあの痛さ。15年ぶりの“復帰”がいつになるのか、楽しみでしょうがない。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

プロレスの月曜日

創始者三沢光晴の魂引き継ぐノアGHCヘビー級王座

新型コロナウイルス感染拡大の影響でプロレス興行はできない状況が続く。この機にプロレス界の主要ベルトの歴史をひもとき、その価値をあらためて探る。第3回はプロレスリング・ノアのGHCヘビー級王座。

   ◇   ◇

◆創設 01年に団体創始者の三沢光晴が創設。GHCはグローバル・オナード・クラウンの略で、地球規模の崇高なる王位を意味する。01年以降初代ベルトが使用されてきたが、19年11月2日の両国大会から新調。裏面は三沢のイメージカラーである緑が残された。

三沢光晴は初代GHCチャンピオンに輝く

◆絶対王者小橋建太 03年3月1日に三沢光晴を破り、第6代GHCヘビー級王座を獲得。以降13度防衛。04年4月に高山善広を破り8度目の防衛を記録した際に、秋山準が「絶対王者」と命名。05年、V13を達成した当時独身の小橋は嫁取り宣言も。「結婚はさ、勢いってこともあるからね。すぐあるかもしれないし、分かんないよ。芸能人なら国仲涼子がタイプだな」と話していたが5年後の、10年に演歌歌手のみずき舞と結婚した。腎臓腫瘍、度重なるケガを乗り越え、熱いファイトを見せ続けた鉄人として今も愛される。

2003年3月1日 小橋建太は三沢光晴(左)を破り、第6代GHCヘビー級王座を獲得

◆最年長戴冠 杉浦貴の47歳10カ月。18年3月11日の横浜大会で拳王を破り、最年長記録とともに最多4度目の戴冠を果たした。拳王の「丸藤、杉浦の時代は終わった」の言葉に反発し、挑戦を表明。拳王の強烈な蹴りや張り手に耐え、最後は回転式フロントネックロックで失神させレフェリーストップ勝ち。若さを見せつけ、「オレがこれから時代をつくる」と宣言。

◆最多防衛 杉浦が第16代時代に達成した14度。11年5月13日から英国、ドイツで異例の3日連続海外防衛戦を決行。英国でデイブ・マスティフ、鈴木鼓太郎を破った後、15日にドイツ・オーバーハウゼンでクラウディオ・カスタニョーリに勝利。小橋建太と並んでいた連続防衛記録を更新した。

杉浦貴は最年長戴冠、最多防衛、最多戴冠の記録を持つ

◆最年少戴冠 第32代王者清宮海斗の22歳5カ月。18年12月16日横浜大会で、王者杉浦貴を猛虎原爆固めで破り、史上最年少戴冠を達成。「ノアの新しい顔はオレだ!」と高らかに宣言。その後も三沢を表す緑のコスチュームを身につけ、若きエースとして団体をけん引。12年12月以来約7年ぶりに進出した19年11月の両国国技館大会では、メインで拳王に猛虎原爆固めで勝利し、6度目の防衛に成功。「業界2位と言わず、1位にいきたい。みんなで一緒に1番まで駆け上がっていきましょう」と約束した。

2018年12月16日 清宮海斗は横浜大会で、王者杉浦貴を猛虎原爆固めで破り、史上最年少戴冠を達成

◆最多戴冠 杉浦貴(第16、25、27、31代)と潮崎豪(第15、17、26、33代)の4度。2人とも10年以上ノアのトップ戦線を戦い続け、今も衰えず。現王者潮崎は20年1月4日に清宮から王座を奪取。3月29日に無観客で行われた後楽園大会では、藤田を下し、初防衛。藤田とは試合開始から約30分間距離を取ったままにらみ合うという異例の試合を展開。その後、ようやく組み合い、最後は豪腕ラリアットで勝利。テレビカメラに向かって「アイ・アム・ノア」と豪語した。興行中止が続く中、2度目の防衛戦は未定だ。

最多戴冠の記録を持つ潮崎豪

大相撲裏話

勝武士さん、出番前は真剣「初っ切り」へのプロ意識

17年2月、初っ切り相撲で高三郷(左)におどけた表情を見せる勝武士さん

新型コロナウイルスに感染し、入院していた勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけきよたか)が13日に亡くなった。

勝武士さんといえば、「初っ切り」のイメージが強かった。私が相撲担当になったのが16年の九州場所から。その時にはすでに勝武士さんは、日々の巡業などで全国各地の相撲ファンに笑顔を届けていた。

私が担当になった当時、勝武士さんは元高三郷の和木勝義さんとコンビを組んで約2年たっていた。口に含んだ力水を互いの顔に吹きかけ合ったり、ラリアットの応戦があったり。組んでは土俵際で2人そろって観客席に向かってVサイン。最後は勝武士さんにハリセンで腹を切られ、頭をたたかれた和木さんが土俵上に大の字で倒れて終了。名漫才師のような、息の合った完成の高い約10分間の実演に観客同様、巡業取材中の私も何度も笑顔にさせられた。

ある日の巡業で、出番前の勝武士さんに声をかけたことがあった。調子を聞くような、何げない声かけだったと記憶する。しかし返事はなく、真剣な表情を浮かべたまま勝武士さんは土俵上へ。先ほどまでの表情とは打って変わり、いつものようにハツラツとした表情で、2人息の合った動きを見せて会場中から笑いを誘った。

実演終了後、勝武士さんから声をかけられた。「さっきはすいませんでした。出番前は少し集中したくて」。初っ切りに懸ける、高いプロ意識をかいま見た瞬間だった。

先日、勝武士さんと同期の琴恵光が「人を喜ばせるのが好きだった」と振り返るように、ムードメーカー的存在だったようだ。確かに、勝武士さんの周りにはいつも多くの人の笑顔があった。私も勝武士さんからエネルギーをもらったその1人として、今後の取材活動にまい進していきたい。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

17年2月、初っ切り相撲で取組中にVサインを見せる勝武士さん(右)
原功「BOX!」

誰が一番強いか WBSSシーズン3スタートに期待

井上尚弥(27=大橋)がバンタム級で優勝するなどして日本でも注目を集めた階級最強決定トーナメント、「ワールド・ボクシング・スーパー・シリーズ(WBSS)」はシーズン3の開催が期待されているが、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の影響で年内の開始は厳しくなった。チーフ・オフィサーのカレ・ザワランド氏は、「来年1月にスタートさせたい」と話している。

WBSSはスイスを活動拠点とするザワランド・イベント社や、元世界5階級制覇王者のノニト・ドネア(フィリピン/米国)らを擁する米国のリングスポーツ社などが提携して2017年9月にスタートした。第1回大会はクルーザー級とスーパー・ミドル級の2階級で実施。原則として出場資格を世界王者と世界ランキング15位以内の選手に絞り、各階級8人が参戦した。

クルーザー級には主要4団体の王者すべてがエントリーしたため、準決勝2試合と決勝は統一戦となった。その結果、オレクサンデル・ウシク(ウクライナ)が優勝し、試合報酬に加え1000万ドル(約10億6000万円)の賞金を得た。スーパー・ミドル級は途中で欠場者が出るなどしたが、本命視されていたカラム・スミス(英国)が勝ち抜いてWBAスーパー王座を獲得して優勝した。

団体や国の壁を越えて「その階級で誰が一番強いのか」という分かりやすい構図のトーナメントだけに、ファンや関係者へのアピールは絶大だった。

それを受け18年秋から19年秋にかけてシーズン2が3階級で実施され、バンタム級で井上、スーパー・ライト級でジョシュ・テイラー(英国)が優勝した。ふたりとも他団体王者との競り合いを制して評価を上げ、それを機に世界的なスター選手の仲間入りを果たしたといえる。

ただ、シーズン1に続いて実施されたクルーザー級では、決勝戦が19年12月から今年3月、さらに5月と延期されたすえ、コロナ禍の影響で現時点では具体的な開催日程が立てられない状況となっている。

主催者側はシーズン3を開催する方向で検討しているというが、前回大会の決勝戦を前に次の大会を開始するわけにもいかない。「5月の予定(クルーザー級決勝戦)がキャンセルになったばかりなので、いまは状況を見ているところ」(ザワランド氏)という。

財政面では大きな問題を抱えているといわれるWBSSだが、ファンの注目や期待は高いものがある。ザワランド氏は次回大会を2階級に絞る考えがあると明かしている。そのうえで「2021年1月にシーズン3をスタートさせたい」と話している。

実施される場合はどの階級になるのか、日本人選手の参戦はあるのか-コロナ禍が終息した先の話とはいえ興味は尽きない。

リングにかける男たち

敵地韓国でいやがらせも徳山昌守が失神KOで存在感

WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ 5R45秒でKOした徳山昌守はガッツポーズ、左下はダウンしたチョ・インジュ(2001年5月20日撮影)

スポーツ記者なのに、自分の世界からスポーツが消えてどれぐらいだろう。新型コロナウイルス感染拡大防止で外出自粛、自粛。家にこもり、今までのつながりをたどって電話、オンラインで取材の日々が続く。

そんな非日常の中で悪くないこともある。日刊スポーツのウェブ上で連載しているボクシングの「一撃」で、元WBC世界スーパーフライ級王者徳山昌守氏(45)と久々につながった。妙に意気投合し、世界王座奪取前からプライベートも含めて密に接してきた。それが最近は会う機会がなく、遠い存在になっていた。今回の企画をだしに連絡をとると「うわぁ、久しぶりっすね」と変わらず、明るい感じで応じてくれた。

元世界王者らに自身の最も印象に残っている「一撃」を語ってもらう企画。徳山氏は「パッキャオのマルケス戦とかあるけど、自分のでいえばやっぱり、あの右」。話しているうちに19年前の刺激的なソウルの夜がよみがえってきた。

01年5月20日、王者徳山2度目の防衛戦は敵地だった。ベルトを奪ったチョ・インジュとの再戦。試合そのものに加え、朝鮮半島の南北統一問題が動いていた時代。朝鮮籍の徳山がソウルで試合することが、現地の注目点だった。

仁川空港に降り立った瞬間、徳山氏は大勢の韓国マスコミに囲まれた。「政治のことは知らない。自分は試合をしに来た」。その後も緊迫感の連続だった。チョ・インジュは予定の公開練習をキャンセルするなど雲隠れ。徳山陣営も、金沢英雄会長が報道陣に突然、「ちょっと出てくれ!」。窓にタオルで目隠ししての厳戒秘密練習。実際は秘密でも何でもなく、普通の練習だったが、メンタルの駆け引きがすごかった。

その後も連載に記したが徳山氏が泊まる部屋に夜中に電話がかかったり、計量のはかりのバネが外れていたり、リングの徳山のコーナーに目つぶしのようにライトが当たるようになっていたり…(いずれも原因は不明)。記者仲間で一致したのは「判定はやばい」。

不安なスタートだった。試合後に金沢会長が「体は動かんし、どないなるかと思った」と言った通り、判定狙いの相手の思うつぼにはまりかけた。しかし徐々にペースをつかんで4回に右でダメージを与え、フィニッシュは一瞬。5回45秒、ワンツーからの右ストレートで失神KOを飾った。

記者席で興奮した。過程が刺激的だからこそ、結末はよりドラマチック。ボクシングの魅力が詰まった一戦。こんな興奮を早く、もう1度味わいたい。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

WBC世界スーパーフライ級タイトルマッチ 4R終了間際、徳山昌守の右がチョ・インジュにヒット(2001年5月20日撮影)
プロレスの月曜日

全日本の至宝 多くのスターを生み出した3冠ヘビー

新型コロナウイルス感染拡大の影響でプロレス興行は止まり、各団体のトップ戦線は、ほぼ休戦状態にある。この機にプロレス界の主要ベルトの歴史をひもとき、その価値をあらためて探る。第2回は全日本プロレスの3冠ヘビー級王座。

   ◇   ◇

◆創設 インターナショナル、UN、PWFという由緒ある3本のヘビー級ベルトを統合して創設されたもの。最強を決めようと機運が高まる中、89年4月18日、大田区体育館大会でインター王者ジャンボ鶴田が、UN、PWF両王者スタン・ハンセンを下し、初代王者となる。3冠戦は天龍と鶴田の鶴龍対決や90年代の三沢、小橋、川田、田上らによる四天王プロレスなど時代ごとに名勝負、スターを生み出していった。

89年4月18日、初の3冠統一を果たしたジャンボ鶴田は両肩にベルトを掲げる

◆ベルト統合 3冠ヘビー級王座が定められてから24年4カ月となった13年10月、老朽化により1本に改められ、3本のベルトはジャイアント馬場の遺族に返還された。3本をかけた最後のタイトル戦は王者諏訪魔対挑戦者潮崎豪で、諏訪魔が防衛した。19年2月19日に両国国技館で行われたジャイアント馬場没20年追善興行では当時の3冠王者宮原健斗が馬場家から借りた旧ベルト3本を体に巻いて登場した。

◆最年長戴冠 第29代王者天龍源一郎の52歳2カ月。02年4月13日全日本武道館大会で、王者川田が負傷返上で空位になっていた王座を武藤敬司と争い、垂直落下式ブレーンバスターで勝利した。前年01年に天龍は新日本所属だった武藤に敗れ、王座を流出させていた。武藤は02年に全日本に電撃移籍したが、天龍は1年前の借りをきっちり返した。

02年4月13日の全日本武道館大会で武藤敬司にパワーボムを見舞う天龍源一郎。最年長戴冠となった

◆最年少戴冠 第55代王者宮原健斗の26歳11カ月。16年2月12日後楽園ホール。宮原はゼウスとの王座決定戦でジャーマンスープレックスホールドを決め、勝利。「小さい頃からの夢をつかめた。俺たちの世代で新しい輝きを作っていく」と決意を語った。宮原はその後、57、60、62代と4度戴冠。「最高ですかー」の決めぜりふとともに宮原時代を構築し、62代時代には川田と並ぶ最多V10を達成した。

宮原健斗は16年2月に最年少戴冠、20年2月には最多タイの10度目の防衛に成功

◆唯一の4冠同時戴冠 第33代小島聡が達成。05年2月16日代々木体育館大会で、小島聡が川田を破り初戴冠。そのわずか4日後の2月20日両国国技館大会で、新日本のIWGPヘビー級王者で元パートナーの天山広吉と両タイトルをかけて対戦し、59分49秒でKO勝ち。初の4冠王者となり、「オレみたいなサラリーマン上がりのレスラーが、4本のベルトをつかんだ。たくさんの人に夢、希望、元気を与えられればいい」とコメントした。「試合後にはIWGPベルトを投げ捨てて、花道に向かった。追いかけてきた中邑ら新日本勢に向かってまくし立てた。『よく聞け。オレは元新日本じゃない。全日本の小島だ』」(翌日本紙から)。その後、陥落するまでIWGPのベルトは巻かなかった。

05年2月の新日本両国大会で、天山広吉(左)に強烈なローリングエルボーをぶち込む小島。初の4冠王者となった

◆最多戴冠 諏訪魔の7回(37、43、46、49、54、58、63)。20年3月23日、後楽園大会で王者宮原健斗を破り、2年5カ月ぶり7度目の返り咲きを果たした。史上最多11度防衛をかけた宮原と最多記録更新をかけた諏訪魔の戦いは30分超の大熱戦となり、諏訪魔がドロップキックから岩石落とし固めに持ち込み勝利した。感染防止のため、1200人超の観客がマスクをする異様な雰囲気の中での試合となったが、諏訪魔は「気持ちは今日が一番最高だったんじゃないかな」と喜びをかみしめた。初防衛戦は未定だが、無観客テレビマッチでの王者諏訪魔の動きに注目だ。

3本のベルトをかけた最後のタイトル戦は王者諏訪魔が防衛

大相撲裏話

今こそ必要な力士の発信力、待たれる角界SNS解禁

夏場所中止が決まった両国国技館。後方の高層タワーは新型コロナウイルス軽症者等の宿泊療養施設となったホテル

用あって出社後の帰宅途中、ふと気になって両国に寄ってみた。当たり前のように通い慣れた、いつもの“職場”付近はどうなっているんだろう-。国技館の建物そのものは、いつもの威容を誇っているように見える。風も爽やかな晴天の昼下がり。だが、やはり何かが違う。

本場所の開催を告げる各種掲示物はなく、前売り状況を示す電光掲示はブランクのまま。周囲も閑散とし当然のこととはいえ、空虚感は否めない。本来なら8日に夏場所初日と2日目の取組が決まり、10日に初日を迎えるところ。その初日を2週間延ばして開催を目指したが、それも中止を余儀なくされた。

両国国技館の背後にそびえる高層タワー。完成したばかりのホテルは、5月1日から新型コロナウイルスの軽症・無症状感染者を受け入れる宿泊療養施設になった。このコロナ禍が終息を迎え本場所が通常開催できる日を迎えたあかつきには、このホテルが地方から観戦に訪れる宿泊客でにぎわうことを願わずにはいられない。

夏場所中止は4日に決まった。「今回ばかりはそうなるはず」とは思っていたが、実際に八角理事長(元横綱北勝海)のコメントが流れると、決断の重さに現実を突きつけられた思いだ。一方で、何事もネガティブにとらえていたら心がむしばまれるだけだ。少しずつでいい、気持ちを両国国技館開催の7月場所に向かわせればいい。ケガを抱える力士はその療養期間が出来たととらえればいいし、技術的向上を目指す者は本来はない本場所間の4カ月を「錬成期間」と考えればいいのではないか。

もう1つ。夏場所中止決定直後に、ふと考えたことがある。図らずも7日付の日刊スポーツ本紙に寄稿してもらった漫画家・やくみつる氏が望んだ、力士のSNSの解禁だ。スポーツ各紙やテレビのスポーツコーナーで、スポーツ各界からアスリートたちの近況がSNSで届けられている。いずれも中止や延期を余儀なくされた選手たちの、今の思いやファンに向けられたメッセージ性の高い言葉であったり、近況報告であったりする。

これが相撲界にも波及できないか。今から半年前、一部力士の悪ふざけの動画がアップされたことで、力士らの個人的なSNSは現状で禁止されている。その活用できない痛みは、当人のみならず協会員全員が分かち合ったはずだ。発信元になることの責任感、しかるべき社会的地位に立っている自覚を再認識する機会になるのではないか。

ファンや応援してくれる関係者への現状報告、子どもたちや力士も世話になっている医療関係社への励ましのメッセージ…。このご時世、発信内容もごく普通の常識的なものに限られるはずだ。それが力士たちに出来ないとは思えない。そうして本来、SNSが果たすべき役割を理解できる好機になるのではないか。解禁後、再び前述のようなことが繰り返されたら厳しい処分を下せばいいと思う。肖像権や個人情報など難題もあるだろうが、これほどの歴史的有事に際して、思い切りがあってもいい。

先日、滋賀県の三日月知事が、外出自粛要請の標語「ステイ・ホーム」を「ステイ・ホームタウン」へ変更することを提唱した。緊張の中にも緩和を織り交ぜたうまい言葉だと思う。角界の目標も、無観客開催ではあるが7月19日初日の7月場所に定まった。感染予防策には細心の注意を払いつつ、徐々に日常を取り戻す-。八角理事長が常々、口にする「相撲は単なるスポーツではない」という神事性は、無観客でシーンと静まりかえる中でも15日間を乗り切った春場所で、記者としても体感できた。その神事性を保ちつつ、ファンが求める情報解禁に少し、足を踏み込んでもいいのではないだろうか。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

夏場所中止が決まった両国国技館正面入口。左の高層タワーは新型コロナウイルス軽症者等の宿泊療養施設となったホテル
リングにかける男たち

粟生隆寛引退「満足感と悔しさ」栄光と挫折の17年

プロボクシング62キロ契約体重 8回戦 粟生隆寛対ガマリエル・ディアス 4回、粟生隆寛(左)はガマリエル・ディアスに左パンチを放つ(2018年3月1日撮影)

4月6日、ボクシングの元世界2階級王者粟生隆寛(36=帝拳)が自身のSNS上で引退を発表した。36歳の誕生日だった。一時代を築いた王者の目からは涙があふれた。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、会見はできず。発表から1カ月がたった6日、栄光と挫折を経験した17年間のプロ生活をあらためて振り返りつつ、現在の思いを聞いた。(敬称略)【取材・構成=奥山将志】

   ◇   ◇   ◇

天才。エリート。粟生には、そんな言葉がいつもつきまとった。3歳でボクシングを始め、父広幸さんと二人三脚で技術を磨いた。千葉・習志野高で史上初の「高校6冠」を達成。大きな注目を集めて転向したプロの世界でも、日本人7人目の2階級制覇を達成するなど活躍を続けた。だが、減量苦の影響もあり長期政権を築くことはできず、キャリア終盤は、試合から遠ざかる日々が続いた。

「今、振り返ってみると、正直『もっといけたな』という思いもあるし、『ここまでこられた』という思いもある。世界チャンピオンになれたという満足感、3階級制覇できたんじゃないかという悔しさ、両方の感情が残っている」

同じ時代に活躍した西岡利晃、長谷川穂積のような派手さこそなかったが、切れ味鋭いカウンターを中心とした卓越した技術は、多くの選手、関係者から称賛された。対戦する相手の研究はわずか3分。「自分のボクシングをすれば勝てる」。追い求め続けてきた技術への自負が、粟生にとっての生命線でもあった。

「僕は一般受けするボクサーだったと自分でも思っていない。(元WBC世界スーパーフライ級王者の)西岡さん、(元WBAスーパーバンタム級王者の)下田だったりが持っている野性の勘というか、いけるときにいく強引さが自分にはなかった。技術に頼りすぎた部分があったのかもしれないが、それがあったからここまで戦ってこられた」

12年10月にWBCスーパーフェザー級王座から陥落。そこから約7年半、長いトンネルが続いた。層が厚いライト級での3階級制覇を目指し、チャンスが来たのは15年5月。空位のWBO王座をかけ、米ラスベガスでレイムンド・ベルトランとの対戦が決まった。試合は2回TKO負け。だが、前日計量で体重超過したベルトランに、後日、禁止薬物の使用が発覚した。試合結果こそ、無効試合に変更となったものの、待望のチャンスは、相手の“暴挙”により奪われた。

悪夢は続いた。同年11月に設定されたノンタイトル戦に向けたスパーリング中、バックステップした瞬間、左足に激痛が走った。腓骨(ひこつ)筋腱(けん)脱臼。手術を受け、練習に復帰するまで半年かかった。31歳。引退につながる大けがだった。

「復帰戦が決まり、もう1度ここからというタイミングでやってしまった。3階級制覇がそれほど遠いものだとも思っていなかったし、気持ちも切れていなかった。ただ、まったく練習できない時期があれだけ長く続いた。年齢的なことを考えても、あれで(チャンスが)遠のいていったのかなと思う」

18年3月に2年10カ月ぶりのリングに立った。対戦相手は、7年半前に世界王座を奪われたガマリエル・ディアス。判定勝ちを収めたが、それが最後の試合となった。

WBCスーパーフライ級王者川島郭志に憧れた幼少期。小学校の文集にはWBCのベルトの絵を描き、隣に夢を記した。「ぼくはプロボクサーがゆめです。プロボクサーになったら客をよろこばせたい。りっぱなチャンピオンになる」。

その言葉通り、WBCのベルトを2本取った。そして、「天才」は、苦しみ、もがきながら、グローブをつるした。今後は育ててもらった帝拳ジムでトレーナーを務めていくという。

「ボクシング、ジムへの恩返しをしないといけないと思っています。いずれは自分でジムをという思いもありますし、指導者として良い選手を育てていきたいですね」

期待という重圧とともに歩み続けてきた。豊富な経験は、今後の引き出しになる。第2の人生も、ボクシングとともに生きていく。

◆粟生隆寛(あおう・たかひろ)1984年(昭59)4月6日、千葉県市原市生まれ。3歳からボクシングを始め、千葉・習志野高では選抜、国体、総体を2度ずつ制し、史上初の高校6冠を達成。アマ戦績は76勝(27KO・RSC)3敗。03年9月にプロデビュー、07年3月に日本フェザー級王座獲得。09年3月にWBC世界フェザー級王座、10年11月に同スーパーフェザー級王座を獲得し、2階級制覇。左ボクサーファイター。168・5センチ。プロ戦績は28勝(12KO)3敗1分け1無効試合。

原功「BOX!」

6人王者擁す英国などボクシングイベント再開の動き

まだまだCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の勢いは衰えていないが、そんな状況下で見切り発車的に世界各地でボクシングのイベント再開の動きが出てきている。すでに4月25日(日本時間26日)に中米ニカラグアで8試合、26日には韓国で3試合が行われたばかりだ。このあともニカラグア、メキシコ、ポーランドなどで数試合が行われる予定で、時期尚早の声があるなか不安と期待の入り混じったイベント開催となりそうだ。

4月25日にニカラグアの首都マナグアで開催されたイベントでは、選手やトレーナーなどがマスクをして入場。マスク着用が義務づけられた観客は隣の席と2メートルほどの距離を空けて座った。ゴム手袋をしたレフェリーは試合中もマスクを外すことがなく、普段とはかけ離れた光景といえた。

この日の8試合をプロモートした元世界2階級制覇王者のロセンド・アルバレス氏は5月16日にもマナグアで試合を挙行する予定で、すでに世界挑戦経験者のフランシスコ・フォンセカ対エウセビオ・オセホというニカラグア人同士のカードをメインとして組んでいる。4月のイベントと同じ会場が予約されており、次回も観客を入れて挙行することになるという。

その1週間後の5月23日にはメキシコのミチョアカン州パツクアロでも5試合が行われる予定だ。このイベントは同地出身の元IBF世界スーパー・ウエルター級王者のカルロス・モリナ(メキシコ/米国)がプロモートするもので、モリナ自身がメインカードに出場すると発表されている。当日は5試合が予定されているが、無観客試合として行われるという。

さらに6月12日にはポーランドのコナリーで、マリウス・ワフ(ポーランド)対ケビン・ジョンソン(米国)というヘビー級の元世界ランカー対決が組まれている。ふたりとも世界挑戦経験者だが、ともに40歳でピークを過ぎて久しい。現状を考えるとこのあたりのマッチメークが精一杯なのかもしれないが、主催者は無観客で行うこのイベントを課金システムのペイ・パー・ビュー(PPV)で放送するとしている。どのくらいの契約が取れるのかという点にも注目したい。

このほか英国でも再開の動きが出ており、条件が整えば7月にもボクシングのイベントが開催される可能性があると伝えられる。ヘビー級3団体王者のアンソニー・ジョシュア、WBCヘビー級王者のタイソン・フューリーら6人の世界王者(暫定王者を含めれば8人)を擁する英国だけに、どんなイベント形態をとるのか、こちらも世界的な注目を集めそうだ。

リングにかける男たち

防衛戦2度延期で引退…ボクサー人生をも変える現状

19年、初挑戦で日本王者となって涙声でインタビューに答える高橋悠斗

新型コロナウイルスは人の生き方まで変える事態となっている。ボクシングでは日本ライトフライ級王者だった高橋悠斗氏が現役に見切りをつけた。昨年10月に初挑戦で王座奪取も、初防衛戦が今年3月15日、再設定された5月15日と2度延期されて決断した。

ジムは4月3日に「気持ちの維持が難しい」との理由で引退を発表した。後日に一般紙でも大きく報道されると「直接話も聞いていないのに」とツイート。そんな事情もあったのか、3日に元世界王者木村悠氏とのオンライントークショーで思いの丈を語っていた。

最初の延期で「結構、心が折れました」と明かすも「モチベーションが低下とはちょっと違う」と説明した。「世界を狙っていたけど、今のやり方だと収入面とか知名度とか変わらない」と続けた。

さらに「練習する時間をビジネスなど、自分の磨くことにあてたかった。食べていけないスポーツはたくさんある。そういった選手を盛り上げようと、会社設立を進めている」と今後へ意欲を示した。

高橋氏は国士大時代にキックボクシングで学生王者になり、プロでもランク2位までいった。就職の際にトレーナーと知り合ってボクシングに転向。4敗したが、ミニマム級1位まで浮上した。

1度は日本王座初挑戦が流れると、ライトフライ級に昇級してチャンスをつかんだ。その後にジムが立ち退き移転のために移籍。紆余(うよ)曲折をへて5年目で初挑戦をものにした。ダイエットジムの店長を勤めながら、次は2年で世界王者を目標に掲げていた。

現在は飲食店も開いたが休業に追い込まれ、自宅は水漏れトラブルでホテル住まい。波乱続きも次は総合格闘技への意欲も口にした。「3つの競技でチャンピオンなら日本人初だから」と。

3月19日のドイツを最後に世界中で興行が中止だったが、4月25日にニカラグアで再開された。前日計量ではマスク姿のフェースオフ。当日の観衆は1割程度の約800人に抑えられた。同国は感染者が少なく、野球やサッカーなども開催されている。韓国では翌日に無観客開催され、メキシコは5月開催が発表された。

日本は7月に新人王各地区予選で再開を目指している。全日本新人王は通常12月から、年度内の来年3月を予定する。東日本は12階級に130人がエントリー。3階級は決勝まで5試合だったが、20人が出場辞退して日程調整できた。

競技性から三密は避けられず、緊急事態宣言が解除されても練習法などにも課題は残る。まだまだ予断は許さない。辞退者は医療従事者、本人や家族の不安、ジムの判断などが理由という。高橋氏はこれまでも積極的な行動で人生を歩み、スパッと切り替えて今後へも前向きだ。一方で貴重なホープたちは無念の辞退と言える。

仕事もままならない現状に、他にもリングから離れる選手は少なからずいるだろう。選手人口が減少する業界への追い討ちだが、今の状況にどこまで耐え、踏み止まれるか。1人でも多くが再びリングに上がり、スポットライトを浴びる日が、1日でも早く来ることを願うばかりだ。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

プロレスの月曜日

新日本IWGPヘビー級 初代王者はアントニオ猪木

新型コロナウイルス感染拡大の影響でプロレス興行は止まり、各団体のタイトル戦線も休戦状態だ。この機にプロレス界の主要ベルトの歴史をひもとき、その価値をあらためて探る。第1回は新日本プロレスIWGPヘビー級王座。

新日本IWGPヘビー級選手権 マサ斎藤を下し王者に輝いたアントニオ猪木は祝杯をあげる(1987年6月12日)

◆創設 アントニオ猪木が、世界に乱立するベルトを統一して、真の世界王者を作るためのリーグ戦を構想。83年6月2日、「IWGP=International Wrestling Grand Prix」第1回を開催。日本、北米、米国、中南米、欧州代表計10人で争われ、米国代表ハルク・ホーガンが決勝で猪木を失神KOさせ、優勝を果たした。第5回大会の87年からタイトル化され、初代は猪木。100キロ以上の選手が対象だったが、現在制限はなし。

武藤敬司をスリーパーで攻める天龍源一郎。49歳10カ月は最年長戴冠(1999年5月3日)

◆最年長戴冠 第25代王者天龍源一郎の49歳10カ月。タイトル戦は99年12月10日、大阪府立体育会館。当時の王者武藤敬司に北斗ボム2連発を決め、26分32秒で勝利。「大阪へ向かう新幹線の中で『リストラされたっていうおっさんに、頑張ってくれ、と言われた』。(中略)まだまだ現役であることは『きょうは肝臓が破裂するまで飲みますよ』の言葉に凝縮されていた」(翌日本紙)。これでベイダーに続き、日本人選手初の全日本3冠ヘビー級王座との両メジャー制覇を達成。華麗な技を持つ武藤に逆水平など武骨な攻めに徹し、昭和のプロレスラーの意地を見せた試合だった。

天山広吉を倒し史上最年少でIWGP王者となった中邑は雄たけびを上げる(2003年12月9日)

◆最年少戴冠 第34代王者中邑真輔の23歳9カ月。03年12月9日、王者天山広吉に逆十字固めで勝利。最年少、かつデビュー最速戴冠。その後、大みそかのDynamite!!でイグナチョフ(ベラルーシ)と、年明け1・4東京ドーム大会で高山善広と戦うなど連戦のダメージで、2月に王座返上。当時は総合格闘技ブーム。中邑は王者として総合のリングでも活躍し、若きエースとしてプロレスというジャンルのプライドを守った。

最多戴冠は棚橋の8度。ケニー・オメガを下しベルトを巻いてエアギターを披露(2019年1月4日)

◆最多戴冠 棚橋弘至の8度。06年2月の初戴冠以来、新日本のエースとして団体の人気回復に貢献してきた。膝のけがを乗り越え、19年1・4ドーム大会で約4年ぶり8度目の王者に返り咲き、「『初めて巻いたよう』と新鮮な喜びにつつまれた」(翌日本紙から)。

最多防衛はオカダ・カズチカ。ベルトを巻きポーズを決める(2013年5月3日)

◆最多防衛 オカダ・カズチカが12度の最多連続防衛、30度の最多通算防衛記録を持つ。20年1月5日のIWGPヘビー、同インターコンチネンタル(IC)両王座戦で内藤に敗れ陥落も、その実績は現在の日本プロレス界でずぬけている。オカダはIWGPヘビー級王座を「金メダル」と表現。昨年12月の王者時代には「世界一の団体のチャンピオンだから、世界一のプロレスラー。僕以上のことができる人はいない」と言葉を残している。

◆返上 王座返上、剥奪合わせ過去10度。88年初代王者猪木がジョギングで左足を痛め返上。第3代藤波、第16代橋本はともに日米ソ3国代表トーナメントにベルトをかけて権威を高めるため。第22代蝶野は身内の不幸。第26代佐々木は川田に敗れたため。第29代藤田は右アキレス腱(けん)断裂。第34代中邑は前述。第37代ボブ・サップは総合の試合に藤田に敗れたのをきっかけに返上。第44代ブロック・レスナーは契約問題により剥奪。第52代棚橋は09年G1準決勝中邑戦で右目眼窩(がんか)内側壁骨折で長期離脱のため。

大相撲裏話

琴勝峰と琴ノ若 幼少時から縁ある2人の旋風に期待

琴勝峰(2019年11月24日撮影)

4月27日に大相撲夏場所(24日初日、東京・両国国技館)の新番付が発表され、20歳の若武者、琴勝峰(20=佐渡ケ嶽)が新入幕昇進を決めた。3月の春場所では12勝3敗で初の十両優勝を果たし、所要3場所で十両を通過した。191センチ、165キロの恵まれた体格にスケールの大きい相撲内容。師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)の長男でもある幕内の琴ノ若(22=佐渡ケ嶽)とともに部屋の成長株として注目を集める存在で、そのポテンシャルは同部屋の大関経験者、琴奨菊が「琴勝峰の力強さ、琴ノ若の柔らかさが欲しい」とうらやましがるほど。若い2人が名門部屋に新たな刺激を与えている。

埼玉栄高の2学年先輩でもある琴ノ若は、新入幕だった春場所で見事に勝ち越しを決めた。兄弟子の背中を追いかける琴勝峰は「すごく刺激になっている。どんどん先に進んでいくので、必死に追いかけたい」と、モチベーションを高めている。

琴勝峰にとって、琴ノ若は相撲を始めた頃から縁のある存在だった。幼少時代、2人はともに柏市の相撲少年団に所属。少年団に入り立ての琴勝峰に初めて“指導”した先輩が、当時小1の琴ノ若だったと琴勝峰の父、手計学さんが証言する。ある日の稽古後、まだ礼儀作法を知らない琴勝峰少年は、少年団の先輩に先んじて更衣室に戻ろうとした。「それで『お前がいちばん後輩なんだから、お前がいちばん最後に更衣室に入れ』と言ったのが、琴ノ若でした」。稽古のカテゴリーは幼稚園児と小学生などで分かれていたが、別のグループだった琴ノ若は目を光らせていたという。「僕も『すごいな、ここから先輩後輩があるんだ』と思って、感心して見ていた。そのときは鎌谷くん(琴ノ若の本名)が佐渡ケ嶽親方の子どもとは知らなくて、あの子すごいなと思っていた」と学さん。琴勝峰にとって、当時から琴ノ若の存在感は抜群だった。

新型コロナウイルス感染拡大の影響により、開催が危ぶまれている夏場所は琴ノ若にとって幕内2場所目、琴勝峰にとっては晴れの新入幕場所。縁のある2人が、旋風を巻き起こせるか。【佐藤礼征】

大相撲初場所 6日目 塵手水する琴ノ若=2020年1月17日
リングにかける男たち

「本当にありがたい」大日本を支える珍グッズの売上

大日本プロレスのマスコット「デスかも」のグッズを持つ菊田一美(大日本プロレス提供)

コロナ禍でプロレス興行ができない中、大日本プロレスが“珍グッズ”通信販売に力を注いでいる。

公式通販サイトBJ-SHOPには、ステーキやお吸い物味のポップコーン、DVDと食べものを組み合わせた「BJW stay homeセット」、ロシアンルーレット的にどの選手の顔が出てくるかわからない缶バッジくじなど多種多様な商品が並ぶ。その中でも登坂社長、新土リングアナらフロント、スタッフ陣の缶バッジくじは4月の販売開始早々売り切れ。5月上旬に再入荷されるという。マニアックであればあるほどファンは手が伸びるのか…。

大日本によれば、今年4月前半の通販でのグッズ収入は前年同時期比200%。試合ができず興行収入が得られない中、グッズ売り上げが貴重な支えとなっている。登坂栄児社長(49)は「いつも面白いグッズを開発しようと考えていますが、『社長の考えるグッズはコストパフォーマンスが悪い』とスタッフに注意されます(笑い)。弊社の商品はバリエーションがあるので、こうした状況で2、3度と買ってくださる方も多い。よりお客様に利用していただいているようで、本当にありがたいことです」とファンの支援に感謝する。

選手もグッズ販売に協力的だ。現在スタッフは2つのチームに分かれて通販業務を行うが、今は選手も積極的に作業を手伝っているという。また、選手はSNSでも商品PRに努めている。登坂社長は「スタッフと選手が協力してくれている様子をほほえましく見ています」と、有事下の団結を喜ぶ。

大日本プロレスは新型コロナウイルス感染拡大の影響で2月末に政府が自粛要請を出した後も感染防止に努めた上で、興行を継続していた。だが、4月上旬の緊急事態宣言を受け、興行を中止した。厳しい状況が続くが、登坂社長は生き残る使命を口にする。「旗揚げの時(1995年3月)の直前には阪神大震災があった。その後も、大雨、大火事、東日本大震災…といろんなピンチがありました。それでも、その時々にいろんな人に助けてもらいました。いまピンチを乗り越えないと、過去に応援してくれた方々に申し訳ない。団体を途切れさせてはいけない。強い気持ちで何とか乗り切ろうと思います」。

横浜市のJR鴨居駅近くにある道場での合同練習は中止しているが、選手は3班に分かれ工夫しながら練習を続ける。「いかつい団体ですが、それでも優しさ、強さをみなさんに感じてもらえたら、社会に何か貢献できたらと思っている。興行を再開した時、さらに強く、優しくなった選手たちの姿を見てほしいです」と登坂社長。今年で旗揚げ25周年。したたかに生き残ってきた社長の言葉は心強い。【高場泉穂】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

「BJW stay homeセット」を持つ佐藤孝亮(大日本プロレス提供)
原功「BOX!」

目まぐるしく変わったデビン・ヘイニーの王者の肩書

昨年9月から今年4月までの間に、暫定王者 ⇒ 正王者 ⇒ 休養王者 ⇒ 正王者 と肩書が次々に変わった世界王者がいる。WBCライト級王者のデビン・ヘイニー(21=米国)のことだ。7カ月前の戴冠後にヘイニーは防衛戦を1度こなしただけだが、自身の肩の手術やCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の影響を受けたかたちとなった。

アマチュアを経て17歳でプロデビューしたヘイニーは才能に恵まれた中量級のスター候補で、「ザ・ドリーム」というニックネームを持つ。昨年9月、期待に応えるように20歳の若さでWBC世界ライト級暫定王座を獲得してみせた。翌月、正王者のワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)が「フランチャイズ(特権)王者」にスライドしたのを受け、暫定王者から正王者へと昇格した。11月には初防衛にも成功したが、この試合で右肩を痛めたため手術。6カ月間は試合ができないことから12月には一転してWBCから休養王者に格下げされてしまった。空位になった王座は1位のハビエル・フォルトゥナ(ドミニカ共和国)と2位のルーク・キャンベル(英国)で争われることになり、4月17日に米国東海岸で決定戦が挙行されることが決まった。

この間、ヘイニーは正王者への復帰を主張し、いったんはWBCが王座返還に動いた。しかし、今度はフォルトゥナ陣営とキャンベル陣営が異を唱えたため、ヘイニーは休養王者の地位に留められたという経緯がある。

こうしたなか4月22日にWBCの役員投票が行われ、その結果、晴れてヘイニーの正王座復帰が認められた。また戦線復帰となる次期防衛戦では自由に対戦相手を選べることも確認された。元の鞘に収まったかたちだが、ヘイニーにとっては最良の裁定が出たといっていいだろう。フォルトゥナ対キャンベルの試合がCOVID-19の影響で延期されたことがヘイニーにはプラスに作用したといえるかもしれない。ちなみにフォルトゥナ対キャンベルは暫定王座決定戦として挙行される予定(開催日時や場所は未定)で、勝者にはヘイニーとの団体内統一戦が課されている。

24戦全勝(15KO)のヘイニーは早ければ7月にもリングに上がれる状態だというが、もちろんCOVID-19の鎮静化が大前提となる。とにかく一日も早くコロナ禍が終息してほしいものだ。

プロレスの月曜日

長州力SNSでも革命戦士…バズる秘密は「塩修正」

昨年6月にプロレスラーを引退した長州力(68)のツイッターが話題を集めている。昨年12月末の開設以来、“ハッシュドタグ”“井長州力”など数々の珍ツイートでバズり続け、現在のフォロワー数は40万人超え。3月にYouTubeチャンネルを開設するなど革命を続ける長州力のSNSの秘密を、スタッフに聞いた。

長州力(2020年2月22日撮影)

長州力のツイッターは自由だ。「ところで源ちゃん(天龍源一郎)いますか?」と個人的なやりとりに使ったり、おにぎり、ヘビなど意味不明の絵文字も多用。解読できない面白さが話題となり、昨年12月の開設からわずか3カ月でフォロワー数は40万人を超えた。

その魅力について長州本人へのインタビューを申し込んだところ、NG。「谷やん」としてツイッターにも登場する谷口マネジャーに理由を聞くと、「ツイッターについていろいろと質問を受けると、『あれ?おかしいのかな?』と思ったり、自然なつぶやきができなくなるのではと危惧しています」と回答。代わりにツイッターを始めた理由など事情を教えてくれた。

「昨年6月に引退し、悠々自適に暮らしている中で、時間もあるしツイッターでもやってみようという本当に気楽な気持ちで開設しました。本人はツイッターのことなど知らないので、最初の頃は奥さんにLINEで文章を送って、奥さんからアップしてもらっていました。今年2月に沖縄に行った頃、自分でも投稿したいという感じになりまして、やり方をみんなで教えました。基本は本人→奥さんから投稿のスタンスでお願いしたのですが、我慢できないのか自分でも投稿し始めていきました。それが孫の全裸写真投稿事件につながっていきます。あれに懲りたのか、本人もかなり慎重になっていますね」。

「事件」が起こったのは3月11日。長州は孫由真くんの入浴写真を投稿。その股間が丸出しだったため、コメントが殺到し、数時間後にスタッフが削除した。その後、ブログを更新した長州は「うそだろ…まだ生後7カ月だぞ…!?」「規制だらけだな」と納得いかない気持ちをつづった。それでも長州の自由さは変わらなかった。翌12日には最大のバズりが起こる。ハッシュタグを間違え、「ハッシュドタグ」「井長州力」とツイートすると瞬く間に何十万もの「いいね」がついた。

3月には、コンビニエンスストアチェーンのファミリーマートから声をかけられたのを機に、YouTubeチャンネルも開設。元新日本で現在WWEのスーパースター中邑真輔との対談など長州独特の語りが楽しめるコンテンツをそろえ、登録者数は1カ月で3・7万人となった。

SNSで人気者となった今でも谷口氏らスタッフは長州の自由なツイートに目を光らせるが、「修正することはほとんどありません。しても、ほんの少し塩をかける程度です」。新型コロナウイルスの感染が広がる中、長州のSNSはまだまだ我々を癒やしてくれそうだ。【高場泉穂】

<長州力のツイッター用語と使用例>

▼セーブ…フォロワーの誤り。「なんだかセーブが突然増えてますね」(1月24日)

▼井…「ハッシュタグ」の記号である#を誤って漢字の井で表記。「井長州力」(3月12日)

▼ハッシュドタグ…「ハッシュタグ」の誤り(3月12日)

<登場する主な人物>

▼慎太郎…長女有里さんの夫、池田慎太郎氏。「慎太郎いますか?連絡ください!?」(19年12月27日)

▼正男…元レフェリーのタイガー服部氏

▼武田くん…ノア・グローバルエンターテインメントの武田有弘社長。「武田くん!正男は間違いなくニューヨークのトランプだよ!」(19年12月27日)

▼栗ちゃん…担当の美容師。「栗ちゃん、少しおくれるかもわかんない」(1月28日)

◆長州力(ちょうしゅう・りき)本名・吉田光雄。1951年(昭26)12月3日、山口県周南市生まれ。73年に新日本入り。74年8月8日のエル・グレコ戦でデビュー。84年12月に新日本を離脱し、ジャパンプロレス旗揚げ。87年に復帰。98年1月に引退も01年に復帰した。02年5月に新日本を退団。03年3月にWJを旗揚げも崩壊。その後、リキプロを設立。19年6月に引退。184センチ、120キロ。得意技はリキラリアット、サソリ固め。

大相撲裏話

2度の手術に2度の長期離脱、苦難乗り越え宇良輝く

三段目優勝した宇良(2020年3月22日撮影)

史上初の無観客で行われた大相撲春場所。三段目は元幕内の宇良(27=木瀬)が7戦全勝の決定戦を制して優勝した。

新型コロナウイルス感染症の影響で開催が懸念されている夏場所では、幕下復帰が確実。ようやく関取の座が見えてきたところにコロナ禍と、本人の心中を思ってしまう。

早く十両、幕内の土俵で見たいと願う1人だ。関学大相撲部出身で、動画で披露したアクロバティックな動きで入門前から注目を集めた。15年春場所の前相撲からのスタートで、順調に出世を重ねた。最高位は17年名古屋場所の東前頭4枚目。そこから膝のケガで地獄を味わった。

17年秋場所を右膝の負傷で途中休場し18年秋場所、三段目で復帰するまで1年を要した。さらに19年初場所でも同じ箇所を負傷して手術、長期の休場。19年九州場所は序二段106枚目で復帰。力士にとっては致命傷に近い膝のケガ、2度の手術を乗り越えての土俵復帰は感動だった。

復帰の階段をのぼる宇良を取材する過程で、興味深かったのが取り口や、狙いについて「相手に知られるので、話したくない」。前頭上位まで番付を上げた立場が序二段、三段目でも同じ姿勢を貫いた。三段目で最も警戒したことも「対戦したデータがないことが怖い」。上からではなく、同じ目線で歩むことが、順調な結果につながっている。

ただ、三段目までは格の違いでも星を重ねられてきたとはいえ“関取予備軍”の幕下ではどうか。最も恐れているのが、右膝のケガの再発であり、春場所の時点でも通常のぶつかるけいこはできていない。春場所で三段目優勝を飾った後も「気遣いというより(ケガをしないよう)気をつけている感じ」と話していた。

土俵の上は過酷な世界。一瞬の不運から、力士生命を奪われる場面を少なからず見てきた。2度の手術、2度の長期離脱。心が折れそうな苦難を乗り越えて、再び関取の座を目指す宇良は自然と応援したくなる。その個性は、大相撲の活性化においても間違いなく必要だと思う。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)