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リングにかける男たち

経営難、比嘉の減量失敗…歯車狂い歴史あるジムに幕

白井・具志堅スポーツジムの外観(2020年6月6日撮影)

国内にボクシング専門誌は2誌ある。毎月15日に発売されるが、一方の雑誌のある広告に目が止まった。白井・具志堅ジムの練習生募集だった。2週間前の6月1日に営業再開も、その5日後には7月限りでジム閉鎖を発表した。まさに突然を示していた。

具志堅会長はホームページ上で「気力、体力ともに、これまでのように情熱を持って指導にあたるには難しい年齢になった」と説明した。第1号と最多防衛記録保持者。日本ボクシング界の偉大な2人の名を冠したジム閉鎖は寂しい限りだ。

ジム4人目で5度目の挑戦にして、17年に世界王者比嘉大吾が誕生した。全国には282のジムがある。世界王者が育ったジムは37だけだが、白井・具志堅ジムは新興とも言える。オープンは95年だった。

英雄2人は当時TBSの解説者で、具志堅会長はジム経営の希望を持っていた。名誉会長となる白井氏がアートネイチャー創業者阿久津氏と親交があった。阿久津氏はアマ経験者だったこともあり、全面バックアップを申し出て、引退から14年後にジム開設となった。

代々木のアートネーチャー旧本社ビルを地上4階、地下2階に建て替え、リングが3つと豪華なジムだった。オープン前に阿久津氏が急死して徐々に支援が縮小され、02年に現在の杉並区に移転することとなった。

03年に白井氏が死去し、12年の待望の世界王者は女子の山口、江藤はタイで世界王座奪取も暫定で認められず。苦難に厚い壁もついに悲願達成。故郷の英雄にあこがれ、多くの沖縄出身者が入門。世界挑戦した4人全員も、ウチナンチュー(沖縄の人)だった。

元世界王者の友利氏も同郷が縁でオープンからトレーナーになった。一時離れたが11年に復帰し、17年からチーフに。それが4月に突然退職を通告されて、SNSに「チーフなんかやるんじゃなかった」と記した。資金繰りが厳しいという理由。どこのジムも約2カ月営業自粛し、再開後も苦しい経営が続く。

それだけではない気がする。比嘉が減量失敗で王座剥奪に資格停止処分を受けた。二人三脚だった当時の野木チーフトレーナーは退職。ジムの歯車が狂いだし、次々と選手が移籍していった。顕著になったのは比嘉が再起戦で勝利も歯切れは悪く、ついにはジムと契約を解除となった。

週刊誌には夫人の口出しが要因とも書かれた。その裏には具志堅会長の姿勢もあったのではないだろうか。今やボクサーではなくタレントの顔の方が有名なほど活躍する。この稼ぎをジム運営に注いでいたとも聞くが、身の入り方がもう1つだったようにも見えた。

比嘉の減量失敗も懸念されていたことで、管理が甘かったことは確かだ。江藤がタイで世界暫定王座に挑戦した時のこと。成田空港へ出発取材に行くと、たった1人だったのにびっくりした。具志堅会長が「潮時」とも記した、丸25年の節目での決断だった。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

18年4月14日、1回目の計量で900グラムオーバーとなりうなだれる比嘉(左)は具志堅会長から声をかけられる
リングにかける男たち

清水聡に注目 再開ボクシングのタイトルマッチ

清水聡(2018年12月3日撮影)

新型コロナウイルスの感染拡大により、2月27日から休止していたボクシング興行が、4カ月半ぶりに再開する。今月12日の名古屋での中日本新人王予選を皮切りに、16日には東京・後楽園ホールで日本、東洋王座のタイトルマッチ2試合が行われる。同興行でメインイベントを務めるのが、東洋太平洋フェザー級王者の清水聡(34=大橋)。ロンドンオリンピック(五輪)から8年。プロ転向から4年。34歳となった銅メダリストにとって、今後のキャリアを左右する重要な一戦となる。

19年7月にWBOアジアパシフィック・スーパーフェザー級王者ノイナイ(フィリピン)に挑戦も、6回TKO負け。プロ初黒星とともに、両眼窩(がんか)底、両眼窩内など計4カ所を骨折し、試合4日後に横浜市内の病院で緊急手術を受けた。描いていた世界王者への道が大きく揺らぐ敗北。そして、コロナ禍が続いた。だが、1年のブランクは、清水にとってマイナスだけではなかった。

デビューから8連勝。4戦目での東洋王座奪取と、アマの実績通りの活躍を見せてきたが、ここまでの4年間は、「思うようにいかない」という感覚のずれとの戦いだった。原因は、体の軸のずれ。あらためて自身のボクシングと向き合うと、アマ時代の「もらわずに、自分だけが当たる」という繊細な感覚を失っていることに行き着いた。「ある意味、コロナが良い期間になった」。

外食が多かった食生活は、鶏のササミを中心とした自炊に切り替えた。下半身強化に時間を割き、今春は1カ月で250~300キロを走り、土台を作り直した。「去年の敗戦はもう終わったこと。この復帰戦にすべてをかけている。1年前とは手応えも全然違う」。

五輪がなくなった「20年夏」。競輪界で戦う親友の新田祐大(34)が、東京五輪日本代表に選ばれたことも大きな刺激となった。8年前、ともにメダルを獲得した村田諒太(帝拳)は世界の頂点に駆け上がり、メダルを争った海外のライバルたちもプロで結果を出している。負けていられない。プライドもある。

「ルーク・キャンベルとも(アイザック)ドグボエともやっている。『清水はあまり強くない』と思われていると思うが、ここでバチっと変えたい。今、数年ぶりに、ボクシングが楽しい。『清水、世界行ける』っていう試合をしたい」。

対戦相手は同級14位の殿本恭平(25=勝輝)。大橋会長は「今回はスパーリングを重ねる度に良くなっていった。重圧のかかる試合だが、そこは五輪メダリスト。次が見えてくるような試合をしてほしい」と話す。つまずきは許されない。コロナ禍後、国内最初のタイトルマッチで、清水が存在感を示す。【奥山将志】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

柴田国明氏、アルゲリョ氏らと戦ったエルネスト・マルセル氏が死去

来日して柴田国明氏(ヨネクラ)の持つWBC世界フェザー級王座に挑み引き分けた経験も持つ元WBA世界フェザー級王者、エルネスト・マルセル氏(パナマ)が6月29日、亡くなった。72歳だった。死因に関する報道はないが、近年は脳の疾患に悩まされていたと伝えられており、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)ではないという。

マルセル氏は1966年4月に17歳でプロデビュー。4年後、のちに世界4階級制覇を果たす同胞のロベルト・デュランには10回TKOで敗れたが、その後7連勝を収めてWBC世界フェザー級2位まで上昇。

その余勢を駆り71年11月に来日して愛媛県松山市で柴田氏に挑戦した。マルセル氏は前後左右に素早く動きながら手数やヒット数で主導権を掌握、着々とポイントを積み重ねているように見えた。十分な手応えがあったのだろう、マルセル氏は試合終了と同時に高々と手を挙げ勝利を確信。一方の柴田氏は右目上の傷から鮮血を滴らせ、消化不良の印象を与えた。

そんな試合だったため生中継の終了時間が迫っていたテレビ局は、コミッションが公式採点の集計に手間取っている間、「マルセル タイトル奪取」「柴田 2度目の防衛ならず」とテロップを出す勇み足をしてしまった。実況者も「第6代(WBC)チャンピオン誕生」とアナウンスしてしまうハプニング付きだった。実際の採点は72対69で柴田氏、71対65でマルセル氏、71対71(当時は5点法×15回戦=75点満点)の三者三様で柴田氏の引き分け防衛だった。

そんな苦い経験をしたマルセル氏は翌72年8月、西城正三氏からWBA世界フェザー級王座を奪ったアントニオ・ゴメス(ベネズエラ)を15回判定で破って悲願の戴冠を果たした。パナマ・アル・ブラウン、イスマエル・ラグナ、アルフォンソ・フレーザー、ロベルト・デュラン、エンリケ・ピンダーに続きパナマでは6人目の世界王者だった。

マルセル氏は2度目の防衛戦でゴメスを返り討ちにし、V3戦ではスパイダー根本(草加有沢)を9回KOで撃退。4度目の防衛戦では、のちに世界3階級制覇を果たすアレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)の挑戦を受け、15回判定勝ちを収めた。中盤にはストップ負け寸前の窮地もあったが、それを乗り越えての価値ある勝利だった。試合前から「これがラストファイト」と公言していたマルセル氏は「アルゲリョは必ず世界王者になるだろう」と予言し、自身は25歳の若さで引退を表明した。

8年間のプロ生活で記録した戦績は46戦40勝(23KO)4敗2分。柔軟な体を生かした運動量の多い右のボクサーファイター型で、勘の良さに定評があった。

王座を返上してリタイアしたボクサーはのちに戦線復帰するケースが多いが、母親の意向に沿って引退を決断したといわれるマルセル氏は2度とリングに戻らなかった。

大相撲裏話

コロナ時代に向き合う裏方、難局乗り越え守る伝統

大相撲初場所の土俵祭りが執り行われる両国国技館(2020年1月11日撮影)

「久しぶりです、お元気ですか?」。その問い掛けに受話器の向こうで、その若者頭は語尾のトーンを落として笑った。「おお、元気だよ。元気だけど、元気ないよ」。その気持ち、痛いほど分かる。経済活動が徐々に解除されつつあるとはいえ、当たり前の日常を取り戻すには当分、時間を要する。

幸いにも新型コロナウイルスには感染していない。だから表面的には元気。ただ、動きようにも動けないから「覇気」は薄れる。そんな、もどかしい思いで、高砂部屋の若者頭・伊予桜さんは続けた。「電車の乗り方も忘れちゃったよ」。外出自粛を忠実に守り、自宅のある埼玉・草加市内から出ない。“遠出”といえば1カ月前、都内の高砂部屋で抗体検査を受けに出たぐらい。それも公共交通機関は使えないため、タクシー通いだったという。

そんなもんもんとする日々が続く中、ささやかな“朗報”も…。「新弟子検査が決まった(13日)から久々に国技館に行けるんだよ。週末には部屋の土俵づくりも始まるからね」。声のトーンは明らかに違っていた。当たり前の日常が、少しばかり戻りそう。仕事仲間との3カ月ぶりの再会の日も近い。「人のいない時間を見計らって朝と晩、1時間半ぐらいウオーキングはしてるよ」。仕事柄、体力勝負は身に染みている。本場所再開の日を粛々と待つ。

丹精込めた土俵づくり。「力士が土俵に足を踏み入れた時、足の裏で『ああ、本場所が始まるんだな』と感じてくれれば、僕らもうれしいですね」。やはり高砂部屋の幕内呼び出し・利樹之丞さんは願いを込めて言う。土俵づくりは呼び出しの重要な仕事の一つ。通常、東京場所前に行うが、今年夏場所は中止。初場所は昨年末に行ったため、今年はまだやっていない。その土俵づくりについて6月下旬、日本相撲協会が各一門に対し、師匠の判断で許可する通達を出した。高砂部屋では今週末に土俵を一度、壊して作り直し、週明けに土俵祭りを行う。「うちも師匠の判断で、いつもの場所のペース、リズムを作ろうということになりました。通常の番付発表の直前に土俵を作って、土俵祭りをやって稽古始め。力士が感覚を取り戻してくれればいいですね」。

もどかしさもある。本場所と本場所の間で呼び出しは、太鼓の稽古を行う。喉が命の商売柄、声出しも。だが、それもままならない。若手の呼び出しが太鼓をたたけない現状に「エアで練習してるのかな…。外での声出しも、飛沫が…となると出来ないし。こんなに声を出さない日が続くなんて初めてですよ。(場所直前の)触れ太鼓も回れないだろうし。ある意味、ワーワー騒ぎながら勢いでこなすのが僕らの仕事ですからね…」。それでも裏方としての誇りは忘れない。「いつもの日常には、すぐには戻れないけど(本場所は)やれば出来ます。マスクをしながらでも土俵を作ります」。

両国まで約50キロ。1時間少々の東京・八王子に住む幕下行司・木村悟志さんは抗体検査の際、高砂部屋までレンタカーで往復した。「協会からはタクシー代が支給されますが、八王子は遠くて2万円以上かかりますから…」。さすがに往復約5万円は気が引ける。経費削減の涙ぐましい話だ。もちろん、外出はそれだけ。行司会からは、各自で出来る仕事を探すように、という通達が出て、自宅では封筒書きや「これをいい機会だと思って始めました。気を紛らわすのにもいいかなと思いまして」と、横綱から序ノ口まで全力士の出身地も入った、大判の番付の筆書きの練習も始めた。後援者らに番付や部屋便りの新聞などを送る封筒の宛名書きも、向こう数場所分を書き終えたという。

「毎日、通っていた部屋に行けない。変な感じです。外で声出しをしようにも、飛沫が…とか言われそれが相撲関係者だと言われるといけないので…。完全自粛です。でも、今は我慢してます」。いつの日か朝乃山の大関昇進披露パーティーや、高砂親方の停年の宴の案内状を発送する日が必ず来る。そうなれば封筒の宛名書きにも力が入る。そう信じて、今は耐える。

華やかなスポットライトが当たる力士だけでは、屋台骨は支えられない。舞台裏で、誰に頼るでもなく自前で成り立ってきた伝統がある。コロナの時代に向き合う裏方たちも、見えない敵と闘いながら難局を乗り切ろうとしている。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

金銭清算やめ3年契約でトップ選手のジム移籍容易に

日本初にして唯一の4階級制覇を成し遂げているWBO世界スーパー・フライ級王者、井岡一翔(31)が5月25日、DANGAN AOKIジムから旧オザキジムを母体とする「Ambition GYM」に移籍した。父親が会長を務める井岡ジムからデビューした井岡にとっては2度目の移籍ということになる。マネジャーやトレーナー、練習環境がセットになっているボクシングジムと選手が契約する形態の「クラブ(ジム)制度」が採用されている日本では、以前はトップ選手が所属先を変わることは稀有だった。しかし、昨年5月の伊藤雅雪(29=横浜光)や今回の井岡のように近年は現役の世界王者が移籍することも珍しくなくなった。

欧米ではボクサーがマネジャー、トレーナーと個々に契約を交わし、さらに練習するジムを探してトレーニングする「マネジャー制度」が採られている。試合をする場合にはマネジャー経由でプロモーターとも契約を交わすことになる。そのため選手は自分の素質を伸ばす能力がないと判断したトレーナーとの契約を解除することも可能だし、同様に無能なマネジャーとの関係を自分の意思で終わらせることもできる。

これに対し日本では大正10年(1921年)に日本拳闘倶楽部(ジム)が設立されて以来、昭和27年(1952年)のJBC(日本ボクシングコミッション)設立を経て100年近くも「クラブ(ジム)制度」が続いている。トレーナー、練習場、マネジャー、プロモーターがセットになっているジムと契約を交わして入門すると、のちに問題が発生しても選手が環境を変えることは難しいシステムだったといえる。

こうした背景があったため日本ではトップ選手がジムを移籍した例は少なかった。現役の世界王者がジムを移籍したのは2007年の長谷川穂積(千里馬神戸⇒真正)が最初で、昨年の伊藤が2例目、今回の井岡が3例目となる。

また、高山勝成(エディタウンゼント⇒グリーンツダ⇒真正⇒仲里⇒寝屋川石田)、亀田興毅(グリーンツダ⇒協栄⇒亀田⇒協栄)、亀田和毅(亀田⇒協栄)のように、元王者がジム移籍後に再び戴冠を果たした例もあるが、これらも21世紀に入ってからのことだ。

このほか、ジム移籍後に世界王者になった選手としては川島郭志(相模原ヨネクラ⇒ヨネクラ)、戸高秀樹(宮崎ワールド⇒緑)、徳山昌守(グリーンツダ⇒金沢)、畑山隆則(京浜川崎⇒横浜光)、西岡利晃(JM加古川⇒帝拳)、三浦隆司(横浜光⇒帝拳)、小國以載(VADY⇒角海老宝石)、村田諒太(三迫⇒帝拳)らがいる。

さらに世界王座から陥落後にジム移籍を果たした例としては山口圭司(グリーンツダ⇒TAIKOH小林⇒新日本木村⇒TAIKOH小林)、石田順裕(金沢⇒グリーンツダ)、今年に入ってからは木村翔(青木⇒花形)、比嘉大吾(白井・具志堅⇒Ambition GYM)などがいる。これらの事例も川島を除いて最近の25年間に集中している。なお、木村と比嘉は現役だけに、再戴冠を果たすことができるか注目される。

こうしたなか昨秋には、長い間の業界のあしき慣例だったジム移籍の際の金銭清算が撤廃され、また選手がジムと交わす3年契約が再確認されたことで満了後の移籍が容易になった。要はハードルが低くなったわけで、比嘉の移籍はその典型例といえる。今後、トップ選手のジム移籍に拍車がかかる可能性がある。

大相撲裏話

7月場所まで1カ月 企業に支えられ開催へ歩む

結びの一番で土俵上に回る懸賞旗(2020年3月15日撮影)

19日からプロ野球が開幕した。中継を見ていると、ソフトバンクとの第3戦で満塁弾を放ったロッテの井上晴哉内野手が、ベンチに戻って今季から取り入れたというパフォーマンスを披露。大相撲の力士が懸賞を受け取る際に行う、手刀を切るような所作だった。本物のおすもうさんが懸賞を受け取る姿も、待ち遠しく感じた。

3月に無観客で開催された大相撲春場所では、15日間の懸賞本数が前年の1938本から1068本と半減した。それまである幕内力士を指定して、15日間懸賞を出していた企業は「業界全体が厳しい状況にあるので、3月は取りやめました」と説明。春場所に続いて無観客で開催される見通しの、7月場所(19日初日、東京・両国国技館)の買い付けも取りやめる方針を明かした。3月の春場所まで人気力士の取組に懸けていた企業も「7月場所は検討中です」。無観客で懸賞の広告効果が薄れることに加え、新型コロナウイルス感染拡大の影響は3月以上に大きくなっているという。

逆に「こんなときだからこそ」と、懸賞をかけ続ける企業も。ドラッグストア大手のウエルシアは、春場所に続いて7月場所でも懸賞を出す方針だ。「日本の国技である大相撲を応援させていただきたい」と広報担当者。17年初場所から、店舗がない九州場所以外の5場所で、1本7万円の懸賞金を毎日4本出している。「日本を元気にしていただけるようなダイナミックな取組を期待しています」と、7月場所に向けて調整する力士らにエールを送った。

大相撲に懸賞を出して約20年という、お茶漬けなどで知られる永谷園も同じだ。7月場所も毎場所通り約200本の懸賞を出す予定。広報担当者は「大相撲を応援するスタンスは変わらない」と明かした。毎場所と同数の懸賞を出した春場所後には、大相撲ファンから好意的な意見も寄せられたという。「3月と状況は変わりつつありますが、力士の皆さんの力になれれば」と話した。

7月場所まで1カ月を切った。さまざまな企業にも支えられながら、角界は開催に向けて歩んでいく。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

試合再開もトラブル続出 ウイズコロナへ模索続く

ボクシングの聖地ともいわれる米国ネバダ州ラスベガスで6月9日(日本時間10日)、約3カ月ぶりに試合が行われた。その後も週に2回ほどのペースでイベントが開催されテレビで中継されているが、コロナ禍が収束していないためすべて無観客試合としての挙行だ。6月下旬から7月の試合計画も発表されているが、しばらくは試行錯誤のなかでのイベント開催が続きそうだ。

6月9日にラスベガスのMGMグランド・カンファレンス・センターで挙行されたイベントでは、選手やトレーナーら出場メンバーはホテル入りする際にコロナの検査を受けたうえで隔離され、外出禁止の措置がとられた。試合時、2名に限定されたトレーナーにはマスクと手袋の着用が課され、止血などの応急処置を施すカットマンはコミッションが派遣した2名が務めた。プロモートしたトップランク社によると、コロナ対策の費用だけで2万5000ドル(約267万円)に上るということだ。こうして5試合が行われ、メインに出場したWBO世界フェザー級王者のシャクール・スティーブンソン(22=米国)がノンタイトル10回戦で6回KO勝ちを収めるなどイベントは終了した。

その後、MGMグランド・カンファレンス・センターでは11日、16日、19日にもイベントが開催されたが、まったく問題がなかったわけではない。9日にはセミファイナルに出場予定だった女子選手が計量前日のコロナ検査で陽性反応を示し、そのため試合は中止に。女子選手のトレーナーはスティーブンソンの指導もしていたため、メインカードでスティーブンソンのセコンドをすることを禁じられるというハプニングがあった。

また、19日のメインカードで組まれていた元世界2階級制覇王者のホセ・ペドラサ(31=プエルトリコ)対ミッケル・レスピエール(35=トリニダードトバゴ/米国)も中止になった。試合2日前に行ったコロナ検査でレスピエールのマネージャーが陽性だったことが判明したためだ。ペドラサとレスピエールは計量も済ませていただけに気の毒な決定だったといえる。

そのためトップランク社は中止になった上記2カードを7月に行う方向で調整に入っていると伝えられる。

このあと25日にはラスベガスで、27日にはメキシコシティでイベントが予定されている。7月にはさらに多くの試合が開催される見込みだが、ウイズコロナを前提に新しいイベント開催の方向性を探るため、しばらくは厳重な管理と検査のなか試行錯誤が繰り返されることになりそうだ。

リングにかける男たち

本当は超乙女!?世志琥のギャップに萌え~~続出

世志琥のダイビングセントーン

プロレスラー世志琥(よしこ)が大人気だ。5月始めにTiktokに投稿したチュロス作りの動画をきっかけにブレーク。6月24日現在Tiktokのフォロワーは30万人。

ツイッターのフォロワーも4月末に4000人ほどだったのが、今は14万人超となっている。

お金をかけずにSNSでバズる。今どきのやり方で自己PRに成功した世志琥は痛快な存在だ。世志琥は以前からプロレス業界では有名だったが、世間一般での知名度はそれほど高くなかった。所属するSEAdLINNNG(シードリング)は選手4人の小さな団体。大きなスポンサーに支えられているわけでもない。それが、動画をきっかけとしてわずか1カ月で、国内で活動する現役女性プロレスラーでダントツのフォロワー数を得ることとなった。

世志琥の動画の一番の魅力はギャップ。ヒールらしく怖い形相でカメラをにらみ、「笑ってんじゃねーぞ、コノヤロー」といった口調で話しながら、かわいらしいお菓子や料理を作る。動画の最後に試食し、そこで初めてにっこりと笑う。その笑顔がまたかわいいのだ。ヒールのキャラクターとお菓子作りの特技をかけ合わせ、誰が見ても楽しめるコンテンツを作り上げた。

Tiktokでバズった直後の5月中旬ごろ、リモートでインタビューをさせてもらった。世志琥は「ほんとに、人生変わったんじゃねーかぐらいの勢いです」とうれしそうに話した。そもそも動画投稿に熱心に取り組み始めたのは、コロナの影響で試合ができないからだった。「逆にこの(自粛の)時期があって、ありがたいというか、すごく充実して、成長できていると思います」。以来、世志琥のメディア露出は続く。5月には情報番組「スッキリ」で紹介され、6月6日の「有吉反省会」は、その回まるまる世志琥特集。ドレスアップした姿で新日本プロレスの飯伏幸太に告白し、ディズニーランドデートの約束を取り付けるというかわいらしい姿をお茶の間に届けた。最近では日清食品とのコラボレーションも実現。同社の袋麺を使ったレシピ動画を6月18日から公開している。

例えば、街頭で「女子プロレスラー」の名前を挙げてくださいと人に聞けば、ほとんどの人が今の若手選手ではなく北斗晶、ダンプ松本、ブル中野、長与千種らレジェンドの名を口にするのではないだろうか。過去に地上波で試合が放送されていた時代と違い、女子プロレスは一部のファンだけが見るジャンルとなっている。その中で、世間に名前を広めた世志琥の力は大きい。プロレスラーは、試合でいいパフォーマンスを見せるのが第一の仕事だが、それだけを続けていても、プロレス業界の中にしか届かない。大事なのはリング外のきっかけをいかに作れるか。新日本プロレスが特に2012年以降多くの新規ファンをつかみ、大ブームを作り出したのは、試合の充実ぶりはもちろん、「スイーツ真壁」としてテレビに出続けた真壁刀義や、あらゆるメディアでPRを続けたエース棚橋弘至ら選手のリング外の努力もあったからだ。

世志琥は言う。「Tiktokを見ているのは小、中学生が多いんですよ。女子プロレスやプロレスに必要なのって、そういう若い年齢層だと思うので、ちょっとでも興味をもってもらって、会場に足を運んでくれたらいいなと思ってます。また、後楽園ホールを満員にしたいんです。それを目標にやってます」。SEAdLINNNGは7月13日に後楽園ホールで1月以来約半年ぶりの有観客試合を行う。また同26日には新木場1stRINGで世志琥プロデュース興行も開催する。いずれもソーシャルディスタンス確保のため座席数限定での興行となるが、世志琥の願い通り、新たなファンが来場することを期待したい。【高場泉穂】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

大相撲裏話

夏場所中止を誰より寂しがった天国の「お父ちゃん」

昭和35年名古屋場所 小結の大鵬と大阪日刊スポーツ新聞社の岡本晴明記者(1960年7月)

大相撲夏場所がなかった5月。NHKのアーカイブ企画がおもしろく、興味深かった。昔懐かしい、といっても生では知らない時代がほとんどだったが、当時の角界の文化が伝わり、楽しめた。

その中で画面に出された1枚の写真に声が出た。「あっ、お父ちゃんや」。横綱大鵬と柏戸の「柏鵬時代」の特集。横綱柏戸の横に取材で張り付いていたのは、まぎれもなく若き日の「お父ちゃん」だった。

実の父親ではない。日刊スポーツの大・大先輩、近畿大相撲部出身で名物相撲記者だった岡本晴明さん。他社の記者からもだれからも「お父ちゃん」と親しまれた。自分が相撲記者として“ニッカン部屋”に入門した時は、すでにご意見番的存在だった。自分はといえば、何冊かの相撲関連の本を読んで知識をつけていったつもりだったが、相撲のことを何も知らないに等しい。「お父ちゃん」はまさに師匠だった。

相撲の記事を書く上で欠かせない「手さばき」がある。立ち合いから突っ張ったり、四つに組んだり、左を巻きかえてうんぬんなど取組の勝敗を決したポイントを説明する。とはいえ、ほとんどの勝負が数秒で決する。90年代はじめで、今のように簡単にVTRを見返せない時代。何も分からない新弟子記者を導いてくれたのが、お父ちゃんのアクション解説だった。

実際に四つに組むなどで、取組を再現してくれた。差した腕を上げて、相手の上手を切る「かいなを返す」。相手の差し手のひじを握って絞り上げる技など。それを実演してもらうことで勝敗を決める上でどれだけの効果を及ぼすのか、本当に分かりやすかった。分かってくると、相撲の魅力にはまる。打ち出し後、他社の記者と国技館の廊下で相撲をとり、何度も先輩記者にしかられた。

それもこれもいい思い出でしかない。お父ちゃんには感謝しかない。東京場所ではよく浅草橋の焼き鳥店に誘ってもらった。焼き鳥を数本、そして最後に釜飯が定番。「食わんと番付上がらんで」が口癖。食べながら相撲を語る。教えてもらったことは数え切れない。

1枚の写真からいろんな思い出がよみがえってきた。相撲がなかった5月。天国のお父ちゃんも寂しかっただろう、と思う。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲初場所11日目 20年ぶりに生観戦する明大ラグビー部・北島忠治監督(中央右=北島監督は明大学生時代初めは相撲部で活躍)と斎藤コーチ(中央左)、右端は日刊スポーツ岡本晴明記者(1982年1月20日撮影)
大相撲裏話

人命救助も納得 境川親方は人望あるおとこ気の塊

20年1月、豪栄道の引退会見であいさつする境川親方(元小結両国)

10年前に相撲担当に戻った時のこと。知った力士はもう数人で、親方衆に「何しにきたの?」とけげんな顔をされたり、「ひやかしは帰って」とひやかされた。そんな中で背後から声を掛けられた。「お元気そうで。だいぶお年を召されましたね」。境川親方(元小結両国)だった。

日大4年時から取材した。新入生にのちの久島海の久島がいた。末は横綱と言われた逸材。親方は当時主将としてボディーガード隊長のようで、いつもピリピリ。道場に行っても「取材はダメです」としばしば拒否された。

長崎の同郷の縁もあり、元横綱佐田の山の出羽海部屋に入門した。プロでも口数は少なく、接点は少なかった。それがほほ笑みながらあいさつされて、ちょっとびっくりした。学生時代から顔見知りの縁が、十数年ぶりの懐かしい再会になった。

こわもてで威圧感がある。若手記者にはつっけんどんで怖がられていた。こちらは部屋へ行けば「大したもんはありませんが」と言いつつ、ちゃんこを振る舞ってくれた。飲み屋で会うと、ボトルの差し入れ合いになってしまった。

テレビから力士が川に飛び込んだ女性を助けたというニュースが耳に入った。ピンと来た。画面に目をやると境川部屋とすぐに分かった。親方が助けを求める声を聞いたのが始まりにもうなずけた。

サイパンへの部屋旅行で、バンザイクリフにある慰霊碑が落書きされているのを見て激怒。日程を変えて洗剤とブラシを買い込み、弟子と一緒に汗だくで磨き上げた。

元前頭豊響を下関の自宅へ勧誘に行ったが母親に悪態をついた。「親にそんな口をきくヤツは、こっちから願い下げだ」と破談になった。職を転々とした後に豊響が頭を下げると「命を懸けて来い」と受け入れた。

6年前には豪栄道が部屋から初の大関誕生となった。昇進伝達式での口上は「大和魂を貫く」というもの。親方夫妻と考えたと言ったが、あの親方にして、この弟子ありと言える口上だった。

元久島海の田子ノ浦親方が12年に急死した。プロでも同じ部屋で過ごした。高校生初のアマ横綱も、最高位は東前頭筆頭に終わった。境川親方は「三役にも上げられなかったことが一番悔しい」と話したものだ。

角界で一大勢力の日大勢はいずれも元監督の田中理事長の教え子だ。18年のアメリカンフットボール部問題では理事長独裁のガバナンスなどが問題視された。境川親方は以前から一線を画し、部屋に日大出身力士は同郷の對馬洋だけ。一方で角界を離れた大先輩の元横綱輪島さんとは、最後までつながりを持っていた。

誰でも一長一短あるものだが、境川親方は人望もあり、悪口を聞いたことがない。人命救助にも女性を気遣って多くは語らなかったという。筋の通ったおとこ気の塊のような親方である。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

コロナ禍の影響か 前WBC王者グウォジク引退

コロナ禍が続くなか米国やドイツ、ポーランドなどでボクシングのイベントが再開されたが、その一方、前WBC世界ライト・ヘビー級王者のオレクサンダー・グウォジク(33=ウクライナ)が引退したという寂しいニュースが伝わってきた。グウォジクは昨年10月の王座統一戦でIBF王者のアルツール・ベテルビエフ(ロシア)に10回TKO負けを喫したのがプロでは唯一の敗北で、その試合がラストファイトになった。

グウォジクは10歳でボクシングを始め、アマチュアで255戦175勝80敗という戦績を残した。勝率は約70パーセントと決して高くはなかったが、3年連続でウクライナの国内王者になったほか09年と11年の世界選手権に出場。そして12年ロンドン五輪ではライト・ヘビー級で銅メダルを獲得している。

米国のトップランク社とプロモート契約を交わしてプロに転向し、ラスベガスでデビューした。地域王座を獲得するなど地力をつけたうえで18年3月にWBC世界ライト・ヘビー級暫定王座を獲得。その年の12月には、5年半に9度の防衛を果たしていた正王者のアドニス・スティーブンソン(ハイチ/カナダ)に11回KO勝ち、自力でWBC正王者に昇格した。19年3月のV2戦では5回TKO勝ちを収めている。

しかし、その7カ月後に行ったIBF王者との統一戦では9回までポイントでリードを奪いながら10回に3度のダウンを喫してTKO負け、王座を失った。無冠になってからもWBCで3位、IBFで7位にランクされていた。一時はベテルビエフとの再戦に意欲をみせていたもののコロナ禍の影響で試合の見通しが立たない状態が続いていた。そのため気持ちが引退に傾いたと思われる。

グウォジクは丹念に左ジャブを突いてから右ストレートにつなげる基本に忠実なタイプで、パワーもあった。戦績は18戦17勝(14KO)1敗、プロ活動は実質5年半と短かった。

プロ転向時からコンビを組んできたエギス・クリマス・マネージャーは「彼にはボクシング以外にもやりたいことがたくさんあるらしい。賢い男なのでビジネスでも成功するだろう」とコメントしている。トップランク社のボブ・アラム・プロモーターも「彼の能力、人間性、忍耐強さをもってすれば次のチャレンジもうまくいくと思う」とエールを送っている。

リングにかける男たち

闘う姿を…矢田良太、引退危機とコロナ禍から再起へ

枚方市の伏見市長(左)から感謝状を贈られるグリーンツダジムの本石会長(中央)と矢田(2020年6月11日撮影)

新型コロナウイルスのせいで閉じられていたスポーツの世界も、徐々にだが、ようやく動きだそうとしている。ボクシングも7月12日に愛知県内で無観客で実施される。大阪でも。「再開」に名乗りをあげたのがグリーンツダジム。本石昌也会長(44)は、出身地の大阪・枚方(ひらかた)市で8月9日に興行を行う強い意思を示した。

6月11日に枚方市役所の伏見隆市長を訪問し、新型コロナウイルス感染症対策応援基金として、100万円を寄贈した。そして「コロナに負けず、枚方に貢献していきたい」と8月に行う興行の意義を強く訴えた。ボクシングは当面無観客も、客入れができる状況となることを期待する。ただ、会長は「無観客でも枚方でやります」。地元の市民に闘う姿を見せたい。その思いを伝えた。

その興行でメインを務めるのも、枚方市出身の元日本ウエルター級王者矢田良太(31)。昨年12月、WBOアジア太平洋ウエルター級王座決定戦で10回TKO負け。「もうダメか」と引退を考えたという。

年末年始は夫人の実家・高知へ。引退後は営む土佐文旦の農園を継ぐ約束があり、収穫を手伝うためだった。「むちゃくちゃしんどかった。農業をなめてました」。大事に育てた作物を大事に収穫する。その作業を手伝いながら、わき上がるものがあって作業の合間に走った。その気持ちは、義理の父に見透かされた。「何のために走る? (ボクシングを)やりたいんやろ。思い切りやってこい」と背中を押され、再起に向かった。

そこに襲われたコロナ禍。ジムも休業となったが、矢田は近くの公園でトレーニングを続けた。ジム再開後は「練習ができてうれしかった。普通にやれていたことをやれなかったことで、今はありがたみを感じている。地元で再起戦ということで、勇気と感動を届けられればと思っている」と誓った。

タイトル戦でもないが8・9、枚方市総合体育館の四角いリングには男たちのドラマが詰まる。コロナに負けない熱い戦いを待ち望む人々も、決して少なくないだろう。【実藤健一】

大相撲裏話

手負い稀勢の里V…敵役の照ノ富士が飲み込んだ言葉

17年3月、優勝決定戦で稀勢の里に敗れた照ノ富士は、土俵に座ったままぼうぜんとする

春場所が終わって、約2カ月半がたった。大阪から帰京後、猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で在宅勤務が増え、夏場所が中止となり、そして今も在宅勤務がメインとなっている。稽古場に行き取材していたころと比べると時間に余裕がある。ふと、昔の取材ノートを整理した。すると記者にとって思い出深い1冊が出てきた。

17年春場所。この場所は稀勢の里の新横綱場所だった。稀勢の里は12日目まで全勝。久しぶりの日本人横綱による快進撃に、ファンは連日酔いしれていた。その稀勢の里を追いかけていたのが大関照ノ富士。12日目までに1敗を守り、賜杯を虎視眈々(たんたん)と狙っていた。

大きく動いたのは13日目だった。照ノ富士が横綱鶴竜を破った、次の結びの一番。横綱日馬富士の鋭い強烈な立ち合いを受け止めきれなかった稀勢の里は、一気に土俵下まで飛ばされた。土俵上に戻ろうとする稀勢の里だったが、右手で左胸を押さえながら苦悶(くもん)の表情。明らかに異常事態だった。それでも心配するファンをよそ目に、自力で歩いて支度部屋へと戻った。

翌14日目も波乱が起こった。稀勢の里に1敗で並んだ照ノ富士は、琴奨菊相手に立ち合い変化で白星。これまで四つに組んで力強い相撲を見せてきただけに、館内にはブーイングが飛び交った。この日は場所が始まって初めて、16年に手術した左膝のテーピングの上からサポーターを着用。治療のための病院も欠かせない状況で、1つの白星、そして悲願の賜杯を抱くために選んだ立ち合い変化だった。しかしファンにとっての主役は、この日までの声援の大きさから推測すると新横綱だった。稀勢の里の優勝を待ち望んでいるファンにとっては、照ノ富士の立ち合い変化での勝利が面白くなかったのだろう。

その稀勢の里は13日目の負傷の影響で本来の力を全く出せず、14日目も敗れて2敗に後退。そして千秋楽は、本割で稀勢の里と照ノ富士が組まれた。照ノ富士は勝てば優勝、稀勢の里は本割と優勝決定戦で勝てば優勝。これはさすがに照ノ富士が圧倒的に有利だろう-。相撲担当3場所目の若造記者の予想だった。

千秋楽、結び前の一番。取組前から異様な雰囲気だった。両者が花道に現れた時の、ファンの反応は極端だった。新横綱へは大歓声、優勝争い単独トップの大関には手厳しいヤジ。そして本割。待ったがかかった最初の立ち合いで、稀勢の里は右に変化気味に動いた。まともに当たっては勝てないか-。そう思ったが、次は正面から当たり、そして土俵際で突き落とし。新横綱の勝利に、会場が大いに沸いた。そして優勝決定戦。稀勢の里が小手投げを決めた瞬間、満員のファンによる大歓声でエディオンアリーナ大阪が揺れるのを感じた。手負いの新横綱の逆転優勝だった。

当時、記者は照ノ富士を担当していた。13日目に負傷した稀勢の里と並び、14日目に琴奨菊に立ち合い変化で勝って単独トップに立ってから、ファンから向けられる目がかなり厳しくなったと感じた。それは照ノ富士も少なからず感じていたはず。それでも表情に出すことはなかった。優勝決定戦後の西の支度部屋。肩を落とした照ノ富士は、報道陣に対して「目に見えるつらさと目に見えないつらさがあるんだよね」とつぶやいた。

照ノ富士が支度部屋を出た後、会場を出るまでついていき、目に見えるつらさと目に見えないつらさとは何か、聞いてみた。すると「みんなには分からないよ」。遠くを見つめる照ノ富士にそう言われると、何も言えずに見送った。ノートに書かれたこの場所の照ノ富士への取材コメントは、この言葉で終わっていた。

新横綱の劇的な逆転優勝は印象深い。一方で、敗者の言葉も同じぐらいしっかりと記者の心に刻まれた。本当は不満や鬱憤(うっぷん)など、言いたいことは山ほどたまっていたと思う。それでも言い訳せず、飲み込んだ姿は今でも忘れられない。新型コロナの影響で中止となった夏場所の番付で、幕内に復帰した照ノ富士。再び土俵を盛り上げてくれるのを期待している。【佐々木隆史】

原功「BOX!」

デビュー戦で唯一王座に挑戦したラドメイカー氏死去

1956年メルボルン五輪ヘビー級金メダリストで、プロ転向初戦で世界王座に挑戦した経験を持つピート・ラドメイカー氏(アメリカ)が4日、米国オハイオ州クリーブランドの病院で亡くなった。91歳だった。プロでは十分な実績を残すことができなかったラドメイカー氏だが、「プロデビュー戦で世界王座に挑戦した唯一の男」として歴史に名を残している。

フィンランド系米国人のラドメイカー氏は1928年11月20日、米国ワシントン州のタイトンという町で生まれた。ボクシングはアマチュアでスタートし、79戦72勝7敗の戦績を収めた。ハイライトは28歳になった直後に出場したメルボルン五輪で、3試合すべてにKO勝ちを収めて金メダルを獲得したときであろう。

翌年8月22日にプロ転向を果たすことになるが、いきなり当時の世界ヘビー級王者、フロイド・パターソン(米国=当時22歳)への挑戦試合が組まれた。いまでは原則として世界15位以外の選手には挑戦権がないが、当時は規定が甘かったのだろう。ちなみに現世界ライト級王者のワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)が五輪連覇後にプロ転向する際、プロモーターに「デビュー戦で世界挑戦させてほしい」とリクエストした逸話があるが、興行主は「世界15位以内に入れば2戦目で世界戦を組む」と約束。実際にデビュー戦で世界ランカーを破ったロマチェンコはプロ2戦目で世界挑戦(判定負け。3戦目で戴冠)している。

ラドメイカー氏は身長187センチ、リーチ196センチ、体重は約92キロと当時のヘビー級では大柄だった。一方、王者のパターソンは52年ヘルシンキ五輪ミドル級金メダリストで、プロに転向して5年が経っていた。戦績は33戦32勝(23KO)1敗。身長183センチ、リーチ180センチ、体重は約85キロと最重量級のなかでは小柄だった。前年の11月、ちょうどラドメイカー氏が金メダルを獲得したころに世界王座を奪取。7月には10回TKO勝ちで初防衛を果たしたばかりで、前戦からわずか24日でV2戦に臨むことになった。

戦前のオッズは10対1、もちろんパターソン有利である。ミスマッチの声もあるほどだったが、シアトルのシックス・スタジアムを埋めた約1万7000人の観客は同州出身者が初回から快調に飛ばすのを見て期待を膨らませた。2回には得意の右を当てて先制のダウンも奪った。この際、リングサイドの観戦者2人が驚いて心臓発作を起こしたと伝えられる。しかし、ダウンで目が覚めたのかパターソンがペースを上げると、対照的にラドメイカー氏は疲労の色を濃くしていった。5回、左ガードの低い挑戦者にパターソンが右を狙い撃ち。この回だけで5度もダウンを奪った(1度はカウントなし)。続く6回、パターソンが2度のダウンを追加するとレフェリーが試合を止めた。

大記録を達成できなかったラドメイカー氏は11カ月後の再起戦でも、アマチュア時代からのライバルでのちに世界挑戦するゾラ・フォーリー(米国)に4度倒されて4回KO負け。その後、6連勝や7連勝をマークしたこともあるが、32歳を過ぎてから3連続KO負けを喫するなどして引退した。地域王座の獲得もなく、プロでは23戦15勝(8KO)7敗1分という平凡な戦績で終わった。

近年は認知症の症状が出ていたこともあり入院生活を送っていたという。

リングにかける男たち

黒、黄、赤…大橋会長の験担ぎを払拭した教え子たち

WBC世界ストロー級タイトルマッチ 崔漸煥(左)の顔面に強烈な右フックを見舞う大橋秀行(1990年2月7日撮影)

今月からボクシングジムが営業を再開し、WBA、IBF世界バンタム級王者井上尚弥が所属する大橋ジムを取材で訪れた。

自粛が続き、久しぶりのジム取材とあってか、「ピーッ」というなじみ深い音がなぜか耳に残った。ボクシングの試合は、1ラウンド3分で、ラウンド間に1分のインターバルが入る。多くのジムが、この「3分-1分」をゴングやブザー音などで区切って練習しているのだが、大橋ジムのインターバルは40秒に設定してある。

ふと疑問に思い、大橋秀行会長(55)にその理由をたずねると、現役時代に所属したヨネクラジムが40秒だったからだと教えてくれた。試合より短いインターバルに慣れることで、本番で1分が長く感じられる-。だが、大橋会長が続けたのは、意外な言葉だった。

「ただ、最近、1分に変えようかなと思ったんですよ。試合と同じ長さにした方が時間の感覚にも慣れるし、しっかり回復してから全力で次のラウンドに入った方が効果が出るんじゃないかと思って」。

94年にジムを開き、26年。この「40秒」で育った川嶋勝重、八重樫東、井上尚弥、井上拓真が世界王者へと駆け上がった。「験担ぎのような気持ちはないのですか?」。そう聞くと、同会長は「今は、ないですね」と言った。

「今は」が気になったので、その真意をたずねると、恩師である米倉会長との思い出を交え、ジンクスや験担ぎについて語ってくれた。

「米倉会長は、宿泊するホテルの方角の運勢を調べたり、日付や字画などにもこだわる人なんです。黒が嫌いだったから、選手は黒のトランクスはだめ。あと『引退式』はしないという決まりもありました。ある興行で、所属選手の引退式をやったら、メインを務めた同門の選手がKO負けしたからです。僕の指導法は米倉会長のまね。だから、大橋ジムも引退式はしないし、現役中から色へのこだわりも強かったんです」。

86年12月、張正九(韓国)との世界初挑戦で5回TKO負けした。その試合で着用したのが、黄色のガウン、黄色のトランクスだった。試合前に着ていた小百合夫人からプレゼントされた手編みのセーターも黄色。それ以降、黄色はNGカラーとなった。88年6月、張正九との再戦に臨むも、またも王座奪取はならなかった。この時のトランクスの赤も、米倉会長の苦手な黒、黄色に続き、その後、避ける色になったという。

ラッキーカラーは青だった。90年2月の崔漸煥(韓国)との3度目の世界挑戦で、悲願の世界王者となった。日本人の世界戦連敗を21で止めた伝説の一戦で使用したトランクスの色だった。引退後に開いた大橋ジムの看板、チームジャージーも青にするなど、会長にとって長く幸運を呼び込む色だったという。

そんな「こだわり」に変化を与えたのは、教え子たちだった。12年6月、WBAミニマム級王者八重樫が、WBC王者井岡との国内初の2団体統一戦に臨んだ。「何かを変えないと勝てない」と思い、チームジャージーを、あえて“不吉”な赤に変えた。試合こそ敗れたものの、翌年、その赤のジャージーで、八重樫が2階級制覇を達成した。井上尚も続く。黄色と黒という、目を覆いたくなるような配色のトランクスで「怪物」ぶりを見せつけた。そんな積み重ねが、会長の色へのこだわりを、少しずつなくしていったという。

「選手たちがジンクスを全部払拭(ふっしょく)してくれたんです。プロ初黒星を喫した時、たまたま目に入った時計が1時11分だった。それ以来、ぞろ目の時間を見ると、嫌な気がしていたけど、尚弥のある試合の朝、4時44分に目が覚めたが、尚弥は圧勝した。変化を恐れず、自分が目指す方向に道を切り開いていく意識が重要なんだと思っています」。

ヒリヒリする勝負の世界で生きてきた大橋会長の経験談に引き込まれていると、会長は「思い出した!」と続けた。

リカルド・ロペスに敗れ王座から陥落した週に「こういうついていない時は当たる」と買った宝くじで100万円が当たった話…、世界王座返り咲きを果たした試合の朝、日刊スポーツの占いを見たら「最悪の運勢の日」と書いてあった話…。

仮に、大橋ジムのインターバルが1分に変わっても、力強い選手たちが「関係ない」と証明してくれるに違いない。【奥山将志】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

大相撲裏話

初代貴ノ花命日に思う、諸行無常でも変わらない心

東京・中野新橋にあった旧二子山部屋跡地では現在、新築マンションの建設工事が進んでいる中

受話器の向こうから切なそうな声が聞こえてきた。

「今年も行きたかったんだけど、コロナでねぇ…。新幹線で移動するのも、はばかられるご時世だし。店も1カ月半ぐらい閉めてましたよ」

5月30日。東京・阿佐ケ谷にある天桂寺の門前で、私はスマホを握っていた。この日は15年前に亡くなった元二子山親方(元大関貴ノ花)の命日。故人が永眠する墓がここにある。所用があって墓参できない時を除いて、命日には私も足を運んでいる。ふと気になって、上京した際には墓参りに訪れる故人の弟子で、今は東京を離れて料理店を営む元力士に電話した。もし、これから墓参に来るなら久々の再会を楽しもう…。そんな願いは、前述のようにコロナ禍でかなわなかった。

足を運びたくても、墓参に来られなかった人は他にもいただろう。ただ、うれしいことに墓前には、持参した花が差し込めないぐらいの、あふれるほどの花が添えられていた。「15年たっても忘れられない存在の人だったんだな」とか「あの兄弟も、別々ではあっても来たんだろうな」とか雑念にかられながら…。

そんな下世話なことも考え、手を合わせて引き揚げる間際、年配女性と鉢合わせした。故人の現役時代からのファンで千葉・船橋から訪れたという。「『クンロク(9勝6敗)大関』とか言われたけど、小さい体で強かったもんね」。墓前でひとしきり話し込んだこの女性、自宅から一度、中野新橋にあった旧二子山部屋に寄って墓参りに来たという。「部屋はもう取り壊されてマンションの建築中でしたよ」。

そう聞いて、足は自然と中野新橋に向かった。街並みは変わっていない。ただ栄華を誇ったあの部屋は確かに跡形もなく、今年12月完了予定の4階建てマンションの建築工事中だった。もう一度、前述の元力士に電話してみた。「そうですか…。さら地になったのは聞いていたけど、もう他の建物が建つんですか…」。実は、部屋があった場所がさら地のうちに、OBの力士で集まって、酒を酌み交わしながら昔話に花を咲かそう、と夢を描いていたそうだ。

再び切なそうな声だったが、思い直したようにそのOB力士は言った。「来年は親方の17回忌ですか。またみんなで集まれればいいな。自分らが親方に育てられたことに変わりはないからね」。何となく、柄にもなく諸行無常を感じた新緑の一日。世の中のもの、移り変わっては生まれ変わり、また消えては…の繰り返しなのかもしれない。それでも、人それぞれ、心の中に大事にしまっているものは変わらない。とかく冷静さを失いがちな、コロナ禍にあるこのご時世でも…。墓前で会ったあの女性、OB力士に教えられた気がする。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

東京・中野新橋にあった旧二子山部屋跡地では現在、新築マンションの建設工事が進んでいる中
原功「BOX!」

WBO王者スティーブンソン登場 3カ月半ぶりボクシング再開へ

ボクシングの聖地ともいわれる米国ネバダ州ラスベガスで6月9日(日本時間10日)、久しぶりにボクシングが行われることになった。メインにはWBO世界フェザー級王者のシャクール・スティーブンソン(22=米国)が登場、ノンタイトル10回戦に臨む予定だ。コロナ禍の影響を受けラスベガスで組まれていたボクシングのイベントは2月28日を最後に中止や延期が相次ぎ、これが3カ月半ぶりの試合となる。

16年リオデジャネイロ五輪バンタム級銀メダリストでもあるスティーブンソンは、もともと3月14日にニューヨークで初防衛戦が組まれていたが、直前になって中止が決定したという経緯がある。それだけにプロモートを担当するトップランク社も伸び盛りの22歳に早い時期の試合を提供する必要性を感じていたのかもしれない。相手のフェリックス・カラバリョ(プエルトリコ)はWBC中米カリブ王座を獲得したこともある選手で、戦績も16戦13勝(9KO)1敗2分と悪くない。しかしランキング外ということもあって試合はスーパー・フェザー級ノンタイトル10回戦として挙行される。

これに先立ち5月下旬、スポーツ・イベントを管理するネバダ州アスレティック・コミッション(NSAC)はイベント再開の承認を出しており、試合はホテルの施設内で無観客として行われることが確認されている。戦いの模様はテレビで生中継される予定だ。

スティーブンソンの試合をスタートに、その後もトップランク社はスポーツ専門チャンネルのESPNと組んで以下のようなカードをメインとして週に2度のペースで無観客試合の挙行と放送を計画している。ちなみにナバレッテ対ロペス戦以外はラスベガスで行われる予定だ。

■6月11日 ジェシー・マグダレノ(米国)

対エニフェル・ビセンテ(ドミニカ共和国) 

フェザー級10回戦

■6月16日 ジョシュア・グリーア(米国)

対マイク・プラニア(比国) バンタム級10

回戦

■6月18日 ホセ・ペドラサ(プエルトリコ)

対ミッケル・レスピエール(トリニダードト

バゴ/米国) スーパー・ライト級10回戦

■6月20日 エマヌエル・ナバレッテ(メキ

シコ)対ウリエル・ロペス(メキシコ) フ

ェザー級10回戦@メキシコ

■6月23日 アンドリュー・マロニー(豪)

対ジョシュア・フランコ(米国) バンタム

級10回戦

■7月 2日  ジャメル・ヘリング(米)対ジ

ョナサン・オケンド(プエルトリコ) WB

O世界スーパー・フェザー級タイトルマッチ

■7月 9日 イバン・バランチク(ベラルー

シ)対ホセ・セペダ(米国) スーパー・ラ

イト級10回戦

スティーブンソン、ナバレッテ、マロニーは現役の世界王者だが、いずれもタイトルをかけない調整試合となる。また、昨年5月に伊藤雅雪(伴流⇒横浜光)に勝ってWBO世界スーパー・フェザー級王座を獲得したヘリングは2度目の防衛戦としてリングに上がる予定だ。バランチク対セペダは世界ランカー同士のカードとなる。

こうした一方、5月30日にドミニカ共和国の首都サントドミンゴで行われる予定だったボクシングのイベントが直前で中止に追い込まれるなど、まだまだコロナ禍の影響は大きいものがある。

聖地ラスベガスで予定される上記試合が順調に挙行されることを祈りたい。

リングにかける男たち

ヘビー級に活況の兆し、願う長者番付に井上尚弥の名

井上尚弥(2019年11月7日撮影)

米経済紙フォーブスがこの1年間のアスリート長者番付を発表した。1位はテニスのフェデラーで1億630万ドル(約117億円)だった。2~4位はロナウド、メッシ、ネイマールのサッカー・トリオで、残るベスト10はNBA、NFL、ゴルフの選手が続いた。ボクサーの1位はWBC王者タイソン・フューリー(英国)で、5700万ドル(約63億円)で11位だった。

15年にクリチコから3冠王座獲得も、引退、コカイン、ドーピング違反などの騒動を起こした。18年に再起し、2戦目にWBC王者デオンテイ・ワイルダー(米国)と引き分け。これで再浮上し、今年2月にワイルダーとの再戦に快勝で王座に返り咲いた。

5000万ドルを試合で稼いだ。ワイルダー戦以外は、昨年9月に100万ドルの再起戦と小遣い稼ぎ? のプロレスデビュー戦だけ。ワイルダー戦のファイトマネーは500万ドルで、2500万ドルが最低保障だったペイ・パー・ビューの売り上げが効いたようだ。

1度は天から地に落ちたが、昨年2月にトップランクと契約した。これをステップに身も心も入れ替え、王座奪回とともに、莫大(ばくだい)な報酬を得て、頂点に立った。

ベスト100に入ったボクサーはあと3人いた。ヘビー級3冠王者アンソニー・ジョシュア(英国)が4700万ドル(約52億円)で19位、ワイルダーが4650万ドル(約51億円)で20位に入った。

昨年9400万ドル(約103億円)で4位だったサウル・アルバレス(メキシコ)は3700万ドル(約40億円)で30位に入った。昨年100位以内のパッキャオとゴロフキンは圏外になった。

この長者番付は90年からで、マイク・タイソンが2860万ドルで1位だった。2位ジェームズ・ダグラス、3位シュガー・レイ・レナードとボクサーがトップ3。91年はイベンダー・ホリーフィールドにタイソンがワンツー。92年はホリーフィールド、93年はリディック・ボウが2位、96年にタイソンが1位に復活した。

その後はNBAのジョーダン、ゴルフのウッズらが長年トップに君臨した。ボクサーが復活したのは12年で、フロイド・メイウェザー・ジュニアが初の1位に。14、15、18年と4度トップとなった。パッキャオが3位に2度入っている。

ヘビー級が3位以内は00年の3位タイソン以来いない。ベスト10に入れなかったが、ボクシングの象徴と言えるヘビー級がトップ3。中量級スターの前に影が薄かったが、ようやく活況の兆しを示す数字と言える。フューリーとワイルダーの第3戦、その後にはジョジュアの決着戦も期待されるのに。ウイルスが憎い。

今回の100位は男子テニス選手で約24億円だった。日本選手では大坂が約41億円で29位、錦織が約35億円で40位に入った。テニスは賞金よりも破格なスポンサー収入が大きい。今後期待されるのはNBAの八村か。ひそかな願いがある。井上尚弥がいつかランクインする日がくることを。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

井上尚弥(2019年10月28日撮影)
プロレスの月曜日

ノアDDT高木社長、動画ビジネスを語る

名称変更した動画配信サービス「WRESTLE UNIVERSE」をアピールするDDT、ノアの高木三四郎社長

DDTプロレスリンググループが17年から提供する動画配信サービス「DDT UNIVERSE」が5月12日、「WRESTLE UNIVERSE(レッスルユニバース)」(https://www.ddtpro.com/universe)に名称変更した。また、1月から同じくサイバーエージェントグループとなったプロレスリング・ノアの動画も見られるようになった。DDT、ノア両団体の高木三四郎社長(50)に、サービス改称の理由と今後の動画ビジネスについて話を聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

◇   ◇   ◇

-まず名称を変えた理由を教えてください

このサービスでは、DDTだけでなく、ノア、DDTグループ団体の東京女子プロレス、ガンバレ☆プロレスなどさまざまな団体の試合が見られます。ただ、それぞれのファンにとって「DDT」という名前が入っていると、入りづらい部分がある。「DDT」ではなく「WRESTLE」とすることで、多くのファンの方に抵抗なく見ていただけると思い、変更しました。

-変わった点は

新型コロナウイルスの影響で、ノアは3月末から無観客試合を行い動画を配信していますが、それによって圧倒的に視聴者数が増えました。3月から4月にかけて、それまでの視聴者数の30%増となりました。大きく伸びたきっかけは3月29日のGHCヘビー級選手権、潮崎豪対藤田和之戦です。(王者潮崎と挑戦者の藤田が試合開始から約30分間、無接触でにらみ合いを展開。その後、壮絶な戦いとなり57分47秒で潮崎が勝利)。あれでめちゃくちゃ伸びたんです。プロレス史における事件や名勝負、ビッグマッチはやっぱり見られるということがあらためて分かりました。

-ノアはこれまで動画配信サービスを持っていませんでした。DDTと別に作ることは考えませんでしたか

ノアの過去の動画はほとんど日本テレビが持っていて、会社に資産として残っていないんです。今後資産を残していくうえで、提携のアベマTVで全部の試合を中継するのは難しい。それで、「ユニバース」で配信することになりました。別にゼロから作るとなると、お金も時間もかかる。「ユニバース」の形は、まだまだ十分ではないと思っていますが、そのまだまだの形に持ってくるまでに3年ぐらいかかっています。だったら今あるものにくっつけた方がいいと考えました。この資産というのが、大事なんです。DDTは97年の旗揚げから現在までの映像をほとんど持っているんですよ。一時期、他の媒体で配信してもらっていましたが、後にその権利を全部買い取りました。いまだに飯伏幸太(元DDTで現在新日本プロレス所属)の路上プロレスの動画を貸してほしいとテレビ局に依頼されることが多いです。コンテンツビジネスをやっていくのであれば、動画、選手の肖像権は資産になり、今後より大事になってくる。ノアの過去の動画を買い取るのは現段階では難しいので、ゼロから資産を構築していきます。

-プロレス界の動画サービスビジネスについて考えをお聞かせください

僕たちが始めたのは17年からですが、もうちょっと早くやっていれば…という思いはあります。WWEが14年に「WWEネットワーク」を始めた時、すぐにこれからの時代はこの定額サービスがスタンダードになると思いました。その他にも、モノ自体が売れなくなってきている、というのを他業界から学んでいたので、これは絶対プロレスを動画で見る時代がくるな、と。分かってはいたんですけど、当時は開発費用に3、4000万かかり、すぐに取りかかるのは無理でした。すぐ後に新日本プロレスもテレビ朝日と共同で「新日本プロレスワールド」を始めました。誰の目にも明らかなんですけど、WWEと新日本が大きく伸びたのは、その独自の動画配信サービスを持ったからです。今新しくテレビを買うと、配信系のデータがあらかじめ入っている。そこに新日本ワールドは入っているんですよね。そこは企業努力だし、すごいなと思います。

-レッスルユニバースの強み、独自性とは

間違いなく強い部分が一つある。とにかくいろんなプロレスを見られることです。ノアのような正統派から、DDTのエンタメ系、そして女子プロレス。現在は7500本の動画を提供していますが、さらに数を増やし、コンテンツの幅も広げていきたいと思っています。その中で、人気なども考慮し、内容を取捨選択していく予定です。

-今後の課題や目標は

新日本さんが約10万人の視聴者を持っているといわれている。最低でもその半分には、来年中にいきたいですね。海外の視聴者を獲得するためにも、英語サービスは大きな課題の1つ。今も一部の動画には英語実況をつけていますが、もっと充実させていきたいです。今までのデータで分かっていることですが、やはり見られるのは、試合なんですよね。いい試合を届けることが1番なんです。扱う団体が増えれば、扱う動画の本数も増えるので、その精査もしないといけないと思っています。現在、映像スタッフは常駐6人に外注3人。緊急事態宣言前から明けるまで、一番忙しかったのは彼ら映像班です。今後その人数は増やしたいです。いつでも募集しています!

大相撲裏話

言葉発さずにうなずき…記者を救った鶴竜の懐の深さ

バスケットボールを片手に笑顔の鶴竜(2019年8月19日撮影)

日本相撲協会が7月場所(19日初日、東京・両国国技館)の開催を目指す中、プロ野球が開幕日を6月19日と決めた。他競技でも再開の足音は近づいており、スポーツ観戦を趣味に持つ方々の期待も高まっているのではないだろうか。

角界でスポーツ観戦好きといえば、横綱鶴竜(34=陸奥)がパッと頭に思い浮かぶ。NBAを筆頭にさまざまなスポーツに精通。鶴竜の囲み取材では、雑談の中で他のスポーツ界に関する質問が飛び交うことはしばしばある。昨年10月、デビュー直後のウィザーズ八村塁の話題に及ぶと「外からのシュートがそこまで決まっているわけではないのに、あれだけ点を決められる。シュートタッチがまだ向こうで慣れていないのか外している。あとは慣れでしょうね」と解説。囲んでいた記者はフンフンとうなずく。相撲記者は土俵上での活躍を取り上げるのが基本。本業と関係ないことを聞くのは、少し恐れ多い場面がある。ましてや横綱。しかし、鶴竜はいつも嫌な顔をせずに答えている。

そんな横綱の懐の深さに、昨年8月の夏巡業で救われたことがあった。土俵入り後の取組までの合間に、鶴竜が遊びで会場内のバスケットゴールを使いシュート練習を行っていたときのことだ。なぜか記者はたまたまゴール下にいたため、球拾いをした。その1週間後に行われたバスケットボール男子日本代表の強化試合の始球式でもその実力を示していたが、鶴竜の3点シュートはぽんぽん入る。7本連続で決める場面もあった。明後日の方向にいくことがほとんどない。リバウンドを拾うのもラクだ。華麗なシュートフォームに見とれるあまり、総シュート本数と成功本数を数えていなかった(デスクに怒られた)が、5、6割は成功していたのではないだろうか。

約15分間のシュート練習が終わると、取組の準備のため、鶴竜は支度部屋に戻った。記者はここで大失態に気づく。リバウンドを拾うことに集中していたため、練習中の写真を撮っていなかった。写真がある、なしでは全く違う。どうすれば…。もう時間はない。取組直前に、横綱本人に頼み込むしかなかった。

巡業の支度部屋でも、横綱は忙しい。関係者へのあいさつや写真撮影、髪結いや綱締め実演など取組以外の仕事がたくさんある。基本的に取材は土俵入りまでに済ます必要があり、多忙の横綱に時間を割いてもらうことは申し訳なかった。

でもいくしかない。たしか結びの4、5番前、花道に向かう途中で声をかけた。「すみません横綱、これ(ボール)持って、写真いいですか?」。本当に取組直前だ。断られるかも…と思ったが、鶴竜は言葉を発さずうなずき、ボールを右手に持って記者のカメラに向き直った。写真は笑顔。満面の笑みだった。横綱の懐の深さに、感謝してもしきれない。ちなみにその写真を掲載した記事は、WEBを通じてそこそこ読まれたらしい。サムネイルの笑顔に引きつけられたのだろうか。多彩な一面が伝わっていれば幸いだ。

NBAなど世界中のスポーツが再開したときには、また話を聞きにいくかもしれない。もちろんそれ以上に、土俵での活躍を取り上げていく所存です。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)