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大相撲裏話

千代大龍、コロナ痩せで20キロ減「動けるデブ」に

妙義龍(左)を押し出しで破る千代大龍(撮影・鈴木正人)

春場所後からのコロナ禍での自粛生活は、力士にさまざまな影響を及ぼした。

多くの力士が、体重の変化を口にする。ほとんどが「コロナ痩せ」で、中でも千代大龍は「春場所から20キロは落としました」と明かす。春場所後は193キロあった体重を172キロまで落としたという。減量方法は「本とか携帯で調べて、野菜中心の食生活にしました」。5月の夏場所が中止となり、約4カ月続いた自粛生活を有効活用。「動けるデブと言ったら変だけど、体が軽くなっていいっすね」としゃべりも軽快だ。

体を休めてケガを治した力士が多い中、魁聖は「コロナのせいで病院に行けなかった」とポツリ。いくら休みがあるとはいえ、病院で治療を受けないと治せないケガもある。しかし、通院すれば感染リスクは高まる。魁聖は6月に結婚したばかりで「古傷とか、あちこち痛くなるよ。でも周りの人に迷惑かけられないから」と話す。角界には糖尿病持ちが多く、容易に通院できない事情もある。

約4カ月ぶりの開催となった本場所。稽古場以外でも努力や苦労を重ね、力士らは土俵に上がっている。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

琴勝峰(左)を下手出し投げで破る魁聖(撮影・中島郁夫)
プロレスの月曜日

エルビス・プレスリーの夢はプロレスラーだった

エルビス・プレスリーの夢はプロレスラーになることだった-。伝説のロックスターはプロレスを愛し、死ぬ間際までプロレス映画を作ろうとしていた。元週刊プロレス、週刊ゴング外国人レスラー番のスポーツライター、トシ倉森氏(65)が生前のプレスリーを知るレスラーの証言をもとに、秘話を語ってくれた。【取材・構成=高場泉穂】

没後43年目の夏、エルビス・プレスリーの名前がニュースを賑わせた。プレスリーの孫、ベンジャミン・キーオさんが27歳の若さで亡くなったからだ。ベンジャミンさんはプレスリーの娘、リサ・マリーの長男で俳優兼ミュージシャン。プレスリーによく似た顔立ちと雰囲気を持っていた。7月13日、彼の訃報が報じられると、その話題は瞬く間に世界中に広がった。ビートルズ、ボブ・ディランにも影響を与えた伝説のロックスター、プレスリー。その偉大な功績は今もあせることはない。

プレスリーは実は大のプロレス好きだった。長く米マット界を取材してきた倉森氏は生前、プレスリーと交流があったレスラーからさまざまなエピソードを聞いてきた。「空手が好きで、高段者なのは知られていますが、プロレスが好きなことは今もあまり知られていないんです」。

1935年にミシシッピ州テュペロの貧しい家庭に生まれたプレスリーは、少年時代にテネシー州メンフィスへと移った。高校卒業後は電気工事のトラック運転手を務めながら、エリス・オーディトリアムなどのプロレス会場に出入りし、レスラーのかばん持ちをしていた。「エルビスはレスラーになりたかったんです。プロモーターには『お前は、やせっぽちだからだめだよ』とかけ合ってもらえず、チャンスはつかめませんでした」。

同時に音楽活動を続けていたプレスリーは、ラジオやコンサートで評判を得て1956年に出した曲「ハートブレークホテル」で大ブレーク。スター街道を歩んでいった。歌手として大成功した後も、プロレスへの愛は変わらなかった。ミッドサウス・コロシアムなど地元メンフィスのプロレス会場にはお忍びで頻繁に観戦。2階席の1番後ろや、ステージのカーテンの隙間から見たりしていた。また、マット界のスーパースター、ハーリー・レイスを自身のラスベガスのショーに招待したり、自宅のグレースランド内にリングを作り、私的なプロレス大会を開催したりしていた。58年に陸軍に入隊し、西ドイツに行く前まで付き合っていた彼女はペニー・バーナーという美しい女子プロレスラーだった。

2014年に来日したダニー・ホッジ氏(左)とトシ倉森氏(トシ倉森氏提供)

1977年の春、プレスリーはマネジャーを通し、憧れのプロレスラーへ連絡を取った。相手はNWA世界ジュニアヘビー級王座に長年君臨したダニー・ホッジ氏だった。1956年メルボルン五輪レスリング・フリースタイルミドル級銀メダリストでありながら、58年にはアマチュアボクシング全米最大の大会、ゴールデングローブのヘビー級王者も戴冠。日本の国際プロレス、日本プロレスにも参戦し、ジャイアント馬場、アントニオ猪木とも熱戦を繰り広げた。「レスリングのメダリストとボクシングの全米王者になったのはホッジさんだけです。今でも歴代最強のレスラーの1人。エルビスは彼の大ファンだったんです」。

プレスリーはプロレスの映画を作ろうとしていた。その中でレスラー役を演じるためにホッジ氏にトレーニング役を頼んだ。倉森氏はホッジ氏本人とマネジャーから後に、この話を聞いた。「エルビスはプロレスラーになりたかった夢を映画の中でかなえようとした。でも話はそこで止まってしまいます」。その約半年後の8月16日、プレスリーは自宅のバスルームで倒れて息を引き取った。42歳だった。

プレスリーの歌う、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の曲「見果てぬ夢」は名カバーとして知られる。“いかに望みが薄く、いかに遠くにあろうとも、あの星の後を追う”。歌手として大成功したエルビスも、プロレスラーになるという一番の夢は最後までかなえられなかった。

◆トシ倉森 1954年(昭29)12月2日、長崎県長崎市出身。京都産業大学外国語学部英米語学科卒業後、79年に渡米し週刊ファイトの特派員として全米マット界を取材。81年にカリフラワー・アレイ・クラブの正会員となる。83年に帰国後、ベースボール・マガジン社に入社し、「週刊プロレス」の創刊号から主に外国人レスラーを担当。「相撲」編集部を経て、日本スポーツ出版社に入社し、「週刊ゴング」編集部勤務。退社後、SWSの設立メンバーとして広報担当。現在はスポーツライター。著書「これがプロレスのルーツだ!カリフラワー・レスラーの誇り」(電子書籍)、共著として上田馬之助自伝「金狼の遺言」。

原功「BOX!」

ウエルター級トップ戦線左右 スペンス対ガルシア 

6階級制覇を成し遂げているマニー・パッキャオ(41=比国)や3階級制覇のテレンス・クロフォード(32=米国)らスター選手がしのぎを削るウエルター級で、トップ戦線の行方を左右する魅力的なカードが実現することになった。WBCとIBFの王座を持つ2団体王者のエロール・スペンス(30=米国)が、3代前のWBC王者で現WBA2位、WBC2位、WBO1位のダニー・ガルシア(32=米国)の挑戦を受けるもの。試合は11月21日、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで行われる予定だ。

12年ロンドンオリンピック(五輪)ウエルター級でベスト8の実績を持つスペンスは、8年のプロキャリアで5度の世界戦(5勝3KO)を含め26戦全勝(21KO)という完璧なレコードを残している。サウスポー・スタンスからじりじりと相手にプレッシャーをかけ、左ストレートや右フックなど多彩なパンチを顔面とボディーに打ち分ける。スピード、パワー、テクニック、スタミナなど高い次元でバランスのとれた戦力を備えている。不安があるとすれば昨年10月に起こした自損事故の影響だろう。飲酒運転、スピード超過でハンドル操作を誤ったのか運転していたフェラーリが横転、車外に投げ出されるという事故だった。奇跡的にスペンスは比較的軽いけがで済んだが、今年1月25日に計画されていたガルシア戦はキャンセルしなければならなかった。

ガルシアはスーパー・ライト級時代の12年にWBCとWBA2団体の王座を獲得し、5度の防衛に成功。16年にはウエルター級でWBC王座についた。翌17年にWBA王者との統一戦で惜敗し、18年には王座決定戦で僅少差の判定で敗れた。以後は2連勝を収めている。戦績は38戦36勝(21KO)2敗。世界戦は9戦7勝(2KO)2敗で、次戦が10度目の世界戦となる。スペンスのような強烈なインパクトはないが、変則的なタイミングと角度で振り抜く左フックには定評がある。

いまのところオッズは3対1でスペンス有利と出ている。1年前までの勢いをみれば妥当な数字だが、スペンスが起こした事故が心理面、肉体面で影響を及ぼすのか否か、やはり気になるところといえる。

同じようなタイミングで対戦が期待されたWBAスーパー王者のパッキャオ対WBO王者のクロフォードの一戦が暗礁に乗り上げていると伝えられるだけに、ぜひともスペンス対ガルシアは予定どおり実現してほしいものだ。

プロレスの月曜日

ジュリア 怒りを力に変え終わりなき戦いに挑む

<プロレスの女>

プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー第10回はスターダムのジュリア(26)。昨年10月にアイスリボンから電撃移籍。“お騒がせ女”として、故木村花さんとの攻防や新ユニット「ドンナ・デル・モンド(DDM)」結成などで話題を振りまいてきた。7月26日後楽園大会ではシングル主要ベルトの1つ、ワンダー・オブ・スターダムを初戴冠。成長を続ける彼女に、今の思いを聞いた。

美貌と圧倒的な強さでスターダムに嵐を巻き起こすジュリア(撮影・横山健太)

電撃移籍から約9カ月。ジュリアは「本当に、すべてが変わった」としみじみと語った。昨年10月14日、前所属団体アイスリボンとの交渉が終わらぬうちに、スターダムの後楽園大会に現れ、移籍を発表。その後、両団体の話し合いの末、正式に移籍が発表されたが、“お騒がせ女”として賛否両論を浴びた。その後、故木村花さんとの“ハーフ抗争”が勃発。同12月24日の初シングルで名勝負を繰り広げた。今は美女軍団「DDM」を率い、スターダム看板選手として確固たる地位を築きつつある。

ハーフで、元キャバクラ嬢。刺激の強い肩書をひっさげ、17年10月にデビューした。「ヘアメークの専門学校に行きながら、その学費を払うために都内のキャバクラで働いていました。そこのお客さんでプロレス好きの方がいて、同伴で見に行ったのがきっかけでした」。学校に通い、そのまま寝ないで働いていた当時のジュリアは、リングで死にものぐるいで戦う女性の姿に「元気をもらった」。自然と1人で観戦するようになり、アイスリボンのプロレスサークルに通い始めると、テレビ局の密着ドキュメンタリーの話が決定。そのままプロレスラー人生が始まった。

小波(左)を攻める

しかし、現実は厳しかった。「何もできなかった。受け身なんてとんでもない。前転、後転も危ういし、腕立て伏せもできない。そういうレベルだった。しかも元キャバ嬢、っていう目で見られるから、先輩たちの当たりはかなり強かった。でも、逆にそれで、『なんでこんなやつらに言われなきゃなんねえんだ。負けてたまるか』という気持ちが芽生えて打ち込めた」。怒りを力に変えた。

スターダムに嵐を巻き起こすジュリア(撮影・横山健太)

「死ぬときにプロレスラーになって良かったと思って死にたい」。ジュリアは移籍を決めた理由をこう語る。「(前所属は)小さい団体だったから、どんなに頑張っても雑用が多く自分の練習時間も取れない。お給料も少ないから、治療や自分磨きにお金をかけることができない。お金じゃないっていったら、すごいロマンチックで夢があってかっこいいかもしれないけど、自分が30歳、40歳になった時、体はどんどんボロボロになり、貯金もできませんでした。どうやって生活していくんだろう、って将来を考えた時に不安になって…。すべてプロレスのために生きる。それができるのはスターダムしかない」。トップになるために迷わず業界最大手に移る道を選んだ。

移籍後は「やりたかったこと、でもできなかったことを1つずつ今できるようになってきている」。特に今は体作りに力を入れる。コロナ禍でジムに行けない時期の3月にはトレーニング器具を購入し、“自宅ジム”を整備。この6月からは故木村花さんが通っていたパーソナルジムに声をかけてもらい、週4回本格的なボディーメークを始めた。「写真を見れば一目瞭然だけど、腹筋も割れてきた。私の試合スタイルはバチバチ系だから、それなりにダメージが大きい。それに耐えられる体作りもしている。プロレスラーである限り、終わりなき戦いです」。

20年7月17日、スターダムエクスプロードインサマー2020で小波(左)を攻める

ジュリアが目指すのは、「心を揺さぶるプロレス」だという。参考とするのは80年代から90年代にかけて日本中を熱狂させた全日本女子プロレスだ。「昔の全女のプロレスはすべてがリアルに見える。今は(リアルを)あまり感じることがなくて、そこが問題点というか…。全盛期の女子プロレスは人間の感情がすべてさらけ出されていた。リングの上はやるかやられるか、食うか食われるか。それに刺激を受けて、それを見た人が何かを感じる。私たちは人の感情を揺さぶらなきゃいけない。私ができるのはそれしかない。苦しい、悲しい、つらい、嫉妬、いろんな感情を隠さず出していきたい。それが少しでもスターダムや女子プロレス業界の刺激になればいい。それが今の時代に受け入れられるかどうかは分からないから、怖くもあるけれど…」。

5月に急逝したライバル木村花さんについては「まだ話せない…」。強烈なプロ意識と葛藤を胸に、さらに成り上がる。【高場泉穂】

スターダムエクスプロードインサマー2020で小波に勝利し拳を突き上げる

◆ジュリア 1994年(平6)2月21日、英国・ロンドン生まれ。イタリア人の父と日本人の母を持つ。アイスリボンの練習生を経て、17年10月にデビュー。18年にはAbemaTV「格闘代理戦争」で総合格闘技にも挑戦。19年10月にSNSでアイスリボン退団を発表し、同11月にスターダム正式入団。20年1月4日には新日本東京ドーム大会のスターダム提供試合に出場。162センチ、55キロ。得意技ステルス・バイパー、グロリアスバスター。

大相撲裏話

新型コロナで引退延期…50歳華吹はまだ輝き続ける

華吹

幕内優勝の行方が混沌(こんとん)とする中、記録を打ち立てた序二段力士がいる。現役最年長の50歳、西序二段68枚目の華吹(はなかぜ、立浪)が、14日目に今場所最後の相撲を取った。負けて2勝5敗で終え、2場所連続勝ち越しはならず。しかし、1906年(明39)1月場所の鬼ケ谷以来、114年ぶりに50代力士として本場所を皆勤した。

思いもよらぬ形で金字塔が打ち立たれた。師匠の立浪親方(元小結旭豊)によると「もうそろそろ、という話も正直ある」と引退の話も出ているという。しかし「コロナの影響で延期になってしまって」。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、華吹が働く予定の職場の受け入れ態勢が整わず、引退時期が延びているという。結果的に快挙を達成。「できないことをできたのは本人も周りの人も喜んでいると思う。元気づけられた、という声も多いからね」と誇らしげだ。

現在はちゃんこ長として、立浪部屋の胃袋を支える。同親方は「こういう時に楽しみなのは食べることしかない。まだまだ若手の食育をして欲しい」と期待する。現役唯一の昭和入門の大ベテランは、新型コロナに負けずにまだ輝き続ける。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

新様式で売店グッズに新商品ゼロ、タオル需要は拡大

大相撲7月場所初日 観客動員された中で執り行われた幕内土俵入り(撮影・河田真司)  

相撲観戦も“新様式”が求められている。今場所は館内での飲食が奨励されていない。開場時間は普段より5時間遅い午後1時で、観客が昼食を終えた時間を見越している。横綱、大関の力士弁当は販売されず、食べ物は焼き鳥のみ。焼き鳥は通常1日あたり約6万本作るが、今場所は同3000~4000本と1割以下にとどまっている。アルコールの販売は禁止。観客同士で飲食しながら楽しむ今までの観戦スタイルは、当分できそうにない。

売店のグッズ巡りも寂しさが残る。今場所の新商品はゼロ。国技館内の販売を手がける「国技館サービス」の担当者も、10日目を終えた時点で来場所以降の課題として「グッズの少なさが一番」としている。観客を入れての今場所開催が決定したのは初日の6日前。在庫リスクを懸念して、新商品の販売を委託してくる外注先がなかったためだ。

一方で力士名が書かれたタオルが、オンラインでの販売を通じて売れ行き好調だ。「感覚的には普段の4、5割は多い。自宅のテレビ観戦でタオルを掲げる需要がある」。人気はぶっちぎりで新大関の朝乃山。お茶の間から新しいかたちで声援が送られている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

コロナ禍のなか世界王者同士統一戦のゴング鳴ること期待

世界のボクシングをリードしている米国では近年、試合を放送、配信するショータイム、ESPN、DAZNの大手3社が競い合っている状態が続いている。それぞれが有力プロモーターと提携して注目ファイトを提供しているわけだ。コロナ禍のなか6月にはESPNがいち早く放送を再開し、7月にDAZNが続いた。ショータイムはやや遅れをとった印象だったが、7月下旬に8月以降の放送カードを発表。そのなかには世界王者同士の統一戦が2試合含まれていた。

ショータイムは「プレミア・ボクシング・チャンピオンズ(PBC)」として数年前から数々のビッグマッチを提供してきたが、今回の発表カードもファン垂涎のものが多かった。

特に注目すべきは9月26日に米国東海岸のコネチカット州アンカスビルで行われるジャーメル・チャーロ(30=米国)対ジェイソン・ロサリオ(25=ドミニカ共和国)のWBA、WBC、IBF世界スーパー・ウェルター級3団体王座統一戦だ。WBC王者のチャーロが34戦33勝(17KO)1敗、WBAとIBF王座を持つロサリオが22戦20勝(14KO)1敗1分と、ふたりとも驚くほどKO率が高いわけではないが、直近の試合では評価の高かった王者を倒して戴冠を果たしたという共通項がある。経験値で勝るチャーロが4対1で有利とみられているが、ロサリオの強打が炸裂する可能性も低くはない。

10月24日に同じく米国コネチカット州アンカスビルで行われるWBA世界ライト級王者、ジャーボンテイ・デービス(25=米国)対WBA世界スーパー・フェザー級スーパー王者、レオ・サンタ・クルス(31=メキシコ)は、2階級の世界王座が同時にかけられる変則タイトル戦となる。135ポンド(約61.2キロ)のライト級王者、デービスが130ポンド(約58.9キロ)のスーパー・フェザー級まで体重を落として戦うというのだ。勝者が一時的に2階級の王座を保持することになるが、もともとスーパー・フェザー級で2度の戴冠を果たしているデービスは減量苦のために転級した経緯がある。オッズは11対4でデービス有利と出ているが、ライト級王者のコンディション調整が気になるところだ。

もう1試合、12月12日にセットされたWBC世界バンタム級タイトルマッチにも触れておきたい。昨年11月に来日して暫定王者だった井上拓真(24=大橋)を12回判定で下して王座を防衛したWBC王者のノルディーヌ・ウバーリ(33=フランス)が、5階級制覇の実績を持つノニト・ドネア(37=比国/米国)の挑戦を受けるのだ。この試合は当初5月16日に予定されていたが、コロナ禍の影響で延期されていた。五輪に2度出場した経験を持つサウスポーのウバーリが17戦全勝(12KO)、井上尚弥(大橋)との激闘が記憶に新しいドネアが46戦40勝(26KO)6敗。勝者が井上尚弥との統一戦に向かう可能性があるだけに日本のファンの注目度も高いカードだ。この試合もアンカスビルで行われる。

コロナ禍のなか、いまのところ上記試合は無観客で行われる予定と発表されている。これらの試合が延期や中止にならず、無事に開始のゴングが鳴ることを期待している。

リングにかける男たち

もう一花…新天地で3人目世界王者育成目指す名伯楽

前島正晃会長(左)を相手にドラムミットで練習する木村蓮太朗(2020年6月12日撮影)

国内ボクシングも再開された。東京・後楽園ホールでの無観客だった2興行は同僚が取材し、いずれも録画放送で見た。関係者らは遠巻きに座っていた。リングに入れるのは、選手2人、チーフセコンド2人、レフェリーの5人だけ。1人はマスク越しに久々に見る顔だった。

22日の2試合目で東洋大主将だった木村蓮太朗(23)が、2回TKOでプロデビューを飾った。セコンドについたのが高橋智明トレーナー(43)。20年勤めたワタナベジムを昨年12月で退職し、今年から静岡・富士市の駿河男児ジムに移った。

岩手・水沢農時代にインターハイ2位で東農大に進んだ。3年で病気のため現役を断念。マネジャーとなってトレーナーを目指していると、ワタナベジムの募集広告を見つけて応募して採用された。

WBA世界スーパーフライ級王者河野公平(左)と高橋智明トレーナー(2015年10月10日撮影)

その99年から入門したての河野公平を教えてきた。未経験で「何もない選手だった」が、12年に3度目の挑戦で世界王者になった。初防衛失敗も14年には王座に返り咲き、亀田興毅らに3度防衛。その後も井上尚弥に挑戦し、18年の引退まで二人三脚で歩んだ。

10年に内山高志がジム初の世界王者となった。世界戦を控え、当時のチーフトレーナーが急に退職した。スタッフらジム一丸で内山を支えたが、チーフを務めたのが高橋トレーナーだった。

内山が連続KO防衛も果たすと、トレーナーを表彰するエディ・タウンゼント賞をチーム内山で受賞した。河野を育てたことで15年にも受賞。90年に始まった同賞では、最後に唯一の2度受賞者となった。

ワタナベジム渡辺均会長(前列左から2人目)、内山高志(同3人目)らチーム内山。前列左端が高橋智明トレーナー(2010年1月9日撮影)

そんな姿がドキュメントでテレビ放送され、駿河男児ジム前島正晃会長(41)が見ていた。10年にジムを開いてまもなくで「選手への思い入れに感動」。面識はなかったが、試合会場にも出向いて誘い続けた。

高橋トレーナーの家族は夫人の実家がある御殿場市に住む。単身赴任で週末帰宅生活に、いずれは静岡で家族と生活するつもりだった。願ってもない話だが、選手第一に踏ん切りがつかなかった。河野引退後も船井龍一にチャンスがあった。昨年5月に米国で挑戦も敗れたことで、ようやく決断できた。

木村は静岡・飛龍高出身で、東洋大で3冠を獲得、主将として初の大学日本一にも導いた。ケガで東京オリンピック(五輪)国内予選に出られず。大手ジムからの誘いもあったが「静岡から初の世界王者に」と地元ジムを選んだ。

高橋トレーナーは日中は富士市内で木材加工会社に勤めている。会長からは専任でと誘われたが、大学と高校受験を控えた息子が2人いるため、「稼がないと」と笑う。

ワタナベジムは国内最多の選手がいる。木村陣営の悩みはスパーリングパートナー。そのためデビュー前は都内のジムでスパーを積み、高橋トレーナーも休日には上京して同行した。古巣のジムにも出稽古した。

河野と船井はたたき上げだった。木村はアマエリートに「一言言えば理解できる。内山のようにボクシングIQが高い。楽です」と話す。9月には地元での主催興行で2戦目に臨み、年内にもう1試合を希望する。「もう一花咲かせたい」。高橋トレーナーも新天地で3人目の世界王者育成を目指す。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

プロ転向会見を行った木村蓮太朗(中央)。左は前島正晃会長、右が高橋智明トレーナー(2020年3月5日撮影)

大相撲裏話

「白鷺の姉御」来年の名古屋開催まで「辛抱と我慢」

15年7月、大相撲名古屋場所8日目を観戦する陸上・神野大地の祖母磯部安江さん(左)。中央は青学大陸上部の原晋監督

名古屋場所で着物に髪をばっちりセットし、西の花道近くの客席で15日間観戦する女性は大相撲ファンにおなじみだ。磯部安江さん(78)は、箱根駅伝で活躍した青学大の神野大地(セルソース)の祖母としても有名。7月場所が東京開催となったが「協会の判断が正解! 今は辛抱と我慢ね」と歯切れよく話した。

磯部さんは名古屋市内の鶏肉卸店の4代目おかみで「白鷺の姉御」が愛称。初めて大相撲を観戦したのは、20年ほど前になる。知人からチケットを譲り受けたのがきっかけだった。相撲の知識は皆無だったが、いざマス席から観戦すると、当時大関だった千代大海(現九重親方)の地割れのようにひび割れした足裏を見て「頭が下がる思いになったわ」。当時幕内だった若の里(現西岩親方)の美しい所作などにもほれ込み、大相撲特有の神秘的な雰囲気にのめり込んだ。

最初の5年は定着している西ではなく、東の花道近くで観戦していた。西の花道に変えたのは、行司や呼び出し、贈呈物が真横を通り過ぎ、より大相撲を身近に感じることができるから。「優勝杯が通り過ぎると興奮します。今の席はすごくいいわ」。コアな楽しみを持つ姉御は、来年の名古屋開催を待ち望んでいる。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

15年7月、大相撲名古屋場所8日目を観戦する陸上・神野大地の祖母磯部安江さん(右から3人目)。同2人目は青学大陸上部の原晋監督
大相撲裏話

場所あっても厳しい実情ちゃんこ鍋店も待ち望む日常

コロナ禍で客の出入りが減少した商業施設「-両国-江戸NOREN」

国技館から徒歩1分で大相撲ファンになじみの有名商業施設が、悲痛な叫びを訴えた。JR両国駅に隣接する「-両国-江戸NOREN」の三好昇副所長は「7月場所でお客さんを入れると決まった時の期待とは、大きくかけ離れている」と肩を落とす。緊急事態宣言が解除された6月から一部店舗を再開させたが、前年の同時期に比べて客入りは2、3割にとどまっている。7月場所が始まっても、打ち出し後に訪れる観客はめっきり減った。

館内にある12店の飲食店のうち、4店はまだ再開していない。陸奥親方(元大関霧島)が手がける「ちゃんこ霧島」は、同施設内の店舗を休業中。もともと夏場は客足が遠のく上に「大人数で鍋をつつくのは感染予防の観点でいうと厳しいものがある」と同副所長。ちゃんこ鍋店は特に厳しい実情がある。

一方で7月の名古屋場所、11月の九州場所が東京開催となった。例年にない売り上げが見込まれ、わずかな“追い風”となるが、吉田秀久所長は「名古屋と九州の方には申し訳ない。大相撲だけでなく、早く日常が戻ってほしい」と、複雑な表情を浮かべた。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

懸賞減った場所から応援の“新規参入”

くら寿司の懸賞旗(撮影・鈴木正人)

大手回転ずしチェーン「くら寿司」が、今場所から大相撲に懸賞を出している。貴景勝、朝乃山、炎鵬を指定するなど、15日間通じて出し続ける。同社の担当者は「食を通じて健康を提供していくくら寿司が、スポーツでも人々の健康を応援していきたい」と説明する。昨年11月には本社がある堺市の野球場のネーミングライツを取得するなど、スポーツを応援する熱が高まっているという。すしと相撲は日本を代表する文化で親和性も高い。昨年には米国子会社が現地で上場。海外進出を図る機会に、大相撲の力も借りる。

コロナ禍で企業の業績は打撃を受け、今場所は懸賞が大幅に減少した。場所前の芝田山広報部長によると、今場所の懸賞申し込みは約1300本。近年の東京場所は、申し込み時点で2000本を超えることも珍しくなかった。

観客を入れ始めた今場所だが、まだ国技館の定員の4分の1ほど。「正直なところ観客が減る部分に関しては悩む部分はあった。ただ世間で『できない』『やらない』がまん延する中、観客数を減らしても工夫して開催に挑戦することを応援したい」と担当者。かつてない開催方法に挑む大相撲をバックアップする。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

再開はしたものの…検査陽性にドーピング違反などトラブル続出 

コロナ禍のなか米国では6月9日からネバダ州ラスベガスなどでイベントが再開されたが、トラブルなく終わったものもあれば選手やブレーンが検査で陽性反応を示したため中止や延期というケースもあった。そのほか選手の負傷も目立つ。この1カ月半を振り返ってみよう。

異常事態のなか米国で最初にボクシングのイベント再開にこぎ着けたのは大手のトップランク社だった。会場をラスベガスのMGMグランドのカンファレンス・センターに定め、すべて無観客とした。選手や関係者がホテル入りする際と計量時に検査を行い、セコンドの数は2名に限定したうえ、マスクとゴム手袋の装着を義務づけるなど対策には万全を期した。以後のイベントに関しても同様の対応がとられている。

6月9日の再開イベントではセミファイナルに出場予定だった女子選手が陽性反応だったため試合は延期に。その女子選手のトレーナーは濃厚接触者と判断され、メインに出場したチームメートのWBO世界フェザー級王者(のちに王座返上)、シャクール・スティーブンソン(米国)のセコンドにはつけなかった。

18日のイベントではメインに出場するミケル・レスピエール(トリニダードトバゴ/米国)のマネージャーが陽性だったため試合は2週間延期。セミファイナルを繰り上げてイベントは開催された。

この2件に関しては以前にも触れたが、その後もトラブルは絶えない。

7月2日にはジャメル・ヘリング(米国)対ジョナサン・オケンド(プエルトリコ)のWBO世界スーパー・フェザー級タイトルマッチが行われるはずだったが、事前の検査でヘリングが新型コロナウィルスの陽性反応が出たため14日に延期された。ところが試合前日の検査でもヘリングの陽性が再確認されたため、またもキャンセルという憂き目に。

このほかコロナ禍とは直接的な関係はないのだろうが、7月7日にセットされていた元IBF世界スーパー・ライト級王者のイバン・バランチク(ベラルーシ)対ホセ・セペダ(米国)のカードは、バランチクが肩を痛めたため延期になっている。その2日後のメインにはヘビー級の元世界ランカー、ジャレル・ミラー(米国)が出場予定だったが、ドーピング検査で陽性だったためキャンセルに。ミラーは昨年6月に3団体統一王座に挑む予定だったが、そのときも薬物検査でクロと判定されてチャンスを逃している。

7月16日にはエレイデル・アルバレス(コロンビア)対ジョー・スミス(米国)のライト・ヘビー級世界ランカー対決が予定されていたが、元世界王者でもあるアルバレスが肩を負傷したため延期になった。また、この日は3度の世界挑戦経験を持つフェザー級の世界ランカー、ミゲール・マリアガ(コロンビア)の試合も予定されていたが、相手のマーク・ジョン・ヤップ(フィリピン)が前日計量で4キロ近くも体重オーバー。そのため試合はキャンセルされた。この日は前座に出場予定だった選手が検査で陽性だったため、これも中止になった。

コロナの陽性判定に加えドーピング違反、体重超過-いつもと異なる環境下でのトレーニングということでコンディション調整は難しいのだろう。それでも、せっかくイベントが再開されただけに選手には最善を尽くしてほしいものだ。

大相撲裏話

元中川部屋力士「みんな頑張ろうぜ」新天地で奮闘

転籍した元中川部屋の力士が、新天地で奮闘している。東序二段4枚目春光(34=宮城野)は一番相撲で押し出され、白星発進とはならなかったが「自分が頑張ることで一緒にいた中川部屋のみんなも頑張れると思う」と前向きに話した。

攻めに耐える春光(撮影・河田真司)

13年前の新横綱場所から白鵬の付け人を務めてきたため、移籍した宮城野部屋の力士は全員が顔見知りだった。「親方、横綱をはじめみんなが快く受け入れてくれました。横綱には『よく稽古してるね』と声をかけてもらったり、かわいがってもらっています」と感謝する。

移籍して元中川部屋の力士に「みんな頑張ろうぜ」とLINEを送って鼓舞した。幕下吉井には直接「大丈夫か? 落ちついているか?」と連絡した。元中学横綱の有望株といってもまだ16歳。新たな環境に身を置く弟弟子を、兄弟子なりに気遣った。

武玄大(左)を攻める吉井(撮影・河田真司) 

その吉井はこの日、一番相撲で左差しから一気に寄る快勝を収めた。「(移籍した時津風部屋は)みんな優しく受け入れてくれた。勝ち越しできるように1日1日集中してやっていく」。関取候補の幕下旭蒼天も「長い間一緒にいたから寂しさはあるけど頑張ります」と誓った。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

ボロボロになっても…元栃煌山不器用な分こだわった

リモート引退会見に出席した元栃煌山(2020年7月15日撮影)

清見潟(きよみがた)親方、つまり引退を発表した元関脇栃煌山(33=春日野)と最後に話をしたんは春場所前、大阪・交野市にある宿所の朝稽古後でした。

「あいつ、言うてたんですよ。ボロボロになってまでやりたくないって」

あいつ、は豪栄道(現武隈親方)で、初場所後に引退していた。同じ昭和61年度生まれの“花のロクイチ組”。子供の頃から影山(栃煌山)と沢井(豪栄道)でやり合ってきた。

昨年の初場所は、これもロクイチ組、稀勢の里(現荒磯親方)の最後の対戦相手になった。

ライバルが去った土俵で、栃煌山は頑張った。自分のために。そして、子として、父として。

18年5月30日。都内の春日野部屋で栃ノ心の大関昇進伝達式があった。部屋仲間の晴れ舞台に栃煌山も、栃煌山の父もいた。

夏場所後、後援会の行事で故郷・高知に出向き、前日に陸路、乗用車で半日かけて戻った。車中、運転する父に頼まれた。「“栃ノ心関の伝達式、ワシも現場で見てええかな?”って。まあめったにないことですから。でも“ああ、そういうのが見たいんやなあ”と思いました」

三役在位25場所、ずっと大関候補だった。幕内優勝は12年夏場所、優勝決定戦の末に逃した。当時31歳の身に大関の道は厳しくなりつつあったが、賜杯はまだまだ狙えた。父に晴れ姿を見せたかった。

17年9月11日。妻せりさんが長女稟(りん)ちゃんを出産した。

「口に含んだお茶を、顔に吹きかけられたんです。もうぶわ~って」。支度部屋では真顔でぼそぼそしゃべる記者泣かせの男が、ニコニコして声を弾ませた。年に3度は地方場所、合間には巡業もあり、都内の自宅に戻る機会は少ない。稟ちゃんは早くに「ママ」としゃべったが「パパ」は時間がかかった。

1年ほど前「嫁さんに聞いたら、テレビで俺を見たら、壁のカレンダーの俺の写真を指さすんですって。まだ、相撲はわからんでしょうけど」と少し悔しそうだった。

2度目の十両陥落で、引退を決めた。不器用な分、自分の型にこだわった。低く、速く、強く、差し身で前へ-。独特の長い仕切りも、腰をしっかり入れるため。朝稽古後は居残って、付け人相手にプラス30分、立ち合いを確認するのが常だった。

晩年は椎間板ヘルニアなど足腰の故障に苦しんだ。ここ1、2年「立ち合い? 高いです。踏み込み? 1歩目がよくても2歩目が出んかったり」が口癖だった。ボロボロになるまでやっても、どうしても前に出られなくなった。

努力、経験、心根、みんな持ってる。きっとええ親方になると思う。【元相撲担当・加藤裕一】

15年9月、秋場所で稀勢の里(手前)を寄り切り全勝対決を制した栃煌山
原功「BOX!」

ロマチェンコを食うのは誰?注目ライト級トップ戦線

135ポンド(約61.2キロ)を体重上限とするライト級はWBAスーパー王座、WBCフランチャイズ(特権)王座、WBO王座を持つワシル・ロマチェンコ(32=ウクライナ)がトップ戦線の中心にいるが、この夏以降、大きな動きがありそうだ。

ロマチェンコはオリンピック(五輪)連覇後にプロ転向を果たし、フェザー級、スーパー・フェザー級、ライト級の3階級制覇を成し遂げた実力者で、ボクサーの偏差値評価ともいえる「パウンド・フォー・パウンド」で最強の声もある。戦績は15戦14勝(10KO)1敗。この「ハイテク(高性能)」のニックネームを持つ技巧派サウスポーがライト級の核であることは間違いない。ただ、32歳になったこともあり、これ以上の伸びしろがあるかというと疑問だ。身長170センチ、リーチ166センチはこの階級では小柄な部類に入り、ライト級転向初戦ではホルヘ・リナレス(34=帝拳)の右ストレートを浴びてダウンを喫するなど体格の壁が薄っすらと見え隠れしている。

ライト級トップ戦線が盛り上がってきたのは、この主役を食ってやろうという若手の台頭が著しいからである。

すでに10月3日にロマチェンコとの統一戦が内定しているのがIBF王者のテオフィモ・ロペス(22=米国)だ。16年リオデジャネイロ五輪に出場した経験を持つロペスはプロ転向後、4年間で15戦全勝(12KO)を収めている。現在の王座は昨年12月に2回TKO勝ちで獲得したもので、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いといえる。戦績が示すとおりの強打者で、得意の右でロマチェンコをキャンバスに沈める可能性もある。ただ、大舞台の経験やスキルで勝る3団体統一王者有利は不動とみられており、オッズは4対1と出ている。

そのロペスに勝るとも劣らぬ評価と期待を集めているのがWBA王者のジャーボンテイ・デービス(25=米国)だ。身長166センチ、リーチ171センチとロマチェンコよりも小柄で、「TANK(装甲戦車)」のニックネームがある。元5階級制覇王者フロイド・メイウェザー(米国)の秘蔵っ子としても知られるサウスポーのスラッガーで、23戦全勝(22KO)と高いKO率を誇る。直近の5年間は14連続KO勝ちと破竹の快進撃を続けている。スーパー・フェザー級とライト級の2階級制覇を成し遂げており、7度の世界戦はすべてKO(TKO)で終わらせている。ただし、そんなデービスをもってしてもオッズは11対4でロマチェンコ有利と出ている。

WBC王者のデビン・ヘイニー(21=米国)は24戦全勝(15KO)の逸材で、「ザ・ドリーム」のニックネームを持つ。反応の良さとハンドスピードが身上だが、ロペスやデービスと比較すると現時点では迫力不足の印象は拭えない。パワーなど総体的なスケールアップができれば2~3年後が楽しみな選手といえる。

まだ世界王座とは縁がないが、WBAとWBOで2位、WBC3位にランクされるライアン・ガルシア(21=米国)も注目の強打者だ。デビューから4年、20戦全勝(17KO)と85%のKO率を誇るパンチャー型で、「フラッシュ(閃光)」のニックネームどおりタイミングよく繰り出される右ストレートと左フックには一撃KOの破壊力がある。この童顔の人気者にはWBCからルーク・キャンベル(32=英国、23戦20勝16KO3敗)との暫定王座決定戦が指示されているほか、WBOからは指名挑戦者決定戦出場の指令が出ている。ガルシアがどちらを選択するのかという点にも要注目だ。

このほか8月28日には3階級制覇の実績を持つリナレス(52戦47勝29KO5敗)対ハビエル・フォルトゥナ(31=ドミニカ共和国、40戦35勝24KO2敗1分2無効試合)というベテラン同士のカードも予定されている。

コロナ禍の影響で今後の試合計画が変更になる可能性もあるが、ライト級トップ戦線から目が離せない状況になってきたことは間違いない。

リングにかける男たち

清水聡に注目 再開ボクシングのタイトルマッチ

清水聡(2018年12月3日撮影)

新型コロナウイルスの感染拡大により、2月27日から休止していたボクシング興行が、4カ月半ぶりに再開する。今月12日の名古屋での中日本新人王予選を皮切りに、16日には東京・後楽園ホールで日本、東洋王座のタイトルマッチ2試合が行われる。同興行でメインイベントを務めるのが、東洋太平洋フェザー級王者の清水聡(34=大橋)。ロンドンオリンピック(五輪)から8年。プロ転向から4年。34歳となった銅メダリストにとって、今後のキャリアを左右する重要な一戦となる。

19年7月にWBOアジアパシフィック・スーパーフェザー級王者ノイナイ(フィリピン)に挑戦も、6回TKO負け。プロ初黒星とともに、両眼窩(がんか)底、両眼窩内など計4カ所を骨折し、試合4日後に横浜市内の病院で緊急手術を受けた。描いていた世界王者への道が大きく揺らぐ敗北。そして、コロナ禍が続いた。だが、1年のブランクは、清水にとってマイナスだけではなかった。

デビューから8連勝。4戦目での東洋王座奪取と、アマの実績通りの活躍を見せてきたが、ここまでの4年間は、「思うようにいかない」という感覚のずれとの戦いだった。原因は、体の軸のずれ。あらためて自身のボクシングと向き合うと、アマ時代の「もらわずに、自分だけが当たる」という繊細な感覚を失っていることに行き着いた。「ある意味、コロナが良い期間になった」。

外食が多かった食生活は、鶏のササミを中心とした自炊に切り替えた。下半身強化に時間を割き、今春は1カ月で250~300キロを走り、土台を作り直した。「去年の敗戦はもう終わったこと。この復帰戦にすべてをかけている。1年前とは手応えも全然違う」。

五輪がなくなった「20年夏」。競輪界で戦う親友の新田祐大(34)が、東京五輪日本代表に選ばれたことも大きな刺激となった。8年前、ともにメダルを獲得した村田諒太(帝拳)は世界の頂点に駆け上がり、メダルを争った海外のライバルたちもプロで結果を出している。負けていられない。プライドもある。

「ルーク・キャンベルとも(アイザック)ドグボエともやっている。『清水はあまり強くない』と思われていると思うが、ここでバチっと変えたい。今、数年ぶりに、ボクシングが楽しい。『清水、世界行ける』っていう試合をしたい」。

対戦相手は同級14位の殿本恭平(25=勝輝)。大橋会長は「今回はスパーリングを重ねる度に良くなっていった。重圧のかかる試合だが、そこは五輪メダリスト。次が見えてくるような試合をしてほしい」と話す。つまずきは許されない。コロナ禍後、国内最初のタイトルマッチで、清水が存在感を示す。【奥山将志】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

原功「BOX!」

柴田国明氏、アルゲリョ氏らと戦ったエルネスト・マルセル氏が死去

来日して柴田国明氏(ヨネクラ)の持つWBC世界フェザー級王座に挑み引き分けた経験も持つ元WBA世界フェザー級王者、エルネスト・マルセル氏(パナマ)が6月29日、亡くなった。72歳だった。死因に関する報道はないが、近年は脳の疾患に悩まされていたと伝えられており、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)ではないという。

マルセル氏は1966年4月に17歳でプロデビュー。4年後、のちに世界4階級制覇を果たす同胞のロベルト・デュランには10回TKOで敗れたが、その後7連勝を収めてWBC世界フェザー級2位まで上昇。

その余勢を駆り71年11月に来日して愛媛県松山市で柴田氏に挑戦した。マルセル氏は前後左右に素早く動きながら手数やヒット数で主導権を掌握、着々とポイントを積み重ねているように見えた。十分な手応えがあったのだろう、マルセル氏は試合終了と同時に高々と手を挙げ勝利を確信。一方の柴田氏は右目上の傷から鮮血を滴らせ、消化不良の印象を与えた。

そんな試合だったため生中継の終了時間が迫っていたテレビ局は、コミッションが公式採点の集計に手間取っている間、「マルセル タイトル奪取」「柴田 2度目の防衛ならず」とテロップを出す勇み足をしてしまった。実況者も「第6代(WBC)チャンピオン誕生」とアナウンスしてしまうハプニング付きだった。実際の採点は72対69で柴田氏、71対65でマルセル氏、71対71(当時は5点法×15回戦=75点満点)の三者三様で柴田氏の引き分け防衛だった。

そんな苦い経験をしたマルセル氏は翌72年8月、西城正三氏からWBA世界フェザー級王座を奪ったアントニオ・ゴメス(ベネズエラ)を15回判定で破って悲願の戴冠を果たした。パナマ・アル・ブラウン、イスマエル・ラグナ、アルフォンソ・フレーザー、ロベルト・デュラン、エンリケ・ピンダーに続きパナマでは6人目の世界王者だった。

マルセル氏は2度目の防衛戦でゴメスを返り討ちにし、V3戦ではスパイダー根本(草加有沢)を9回KOで撃退。4度目の防衛戦では、のちに世界3階級制覇を果たすアレクシス・アルゲリョ(ニカラグア)の挑戦を受け、15回判定勝ちを収めた。中盤にはストップ負け寸前の窮地もあったが、それを乗り越えての価値ある勝利だった。試合前から「これがラストファイト」と公言していたマルセル氏は「アルゲリョは必ず世界王者になるだろう」と予言し、自身は25歳の若さで引退を表明した。

8年間のプロ生活で記録した戦績は46戦40勝(23KO)4敗2分。柔軟な体を生かした運動量の多い右のボクサーファイター型で、勘の良さに定評があった。

王座を返上してリタイアしたボクサーはのちに戦線復帰するケースが多いが、母親の意向に沿って引退を決断したといわれるマルセル氏は2度とリングに戻らなかった。

大相撲裏話

コロナ時代に向き合う裏方、難局乗り越え守る伝統

大相撲初場所の土俵祭りが執り行われる両国国技館(2020年1月11日撮影)

「久しぶりです、お元気ですか?」。その問い掛けに受話器の向こうで、その若者頭は語尾のトーンを落として笑った。「おお、元気だよ。元気だけど、元気ないよ」。その気持ち、痛いほど分かる。経済活動が徐々に解除されつつあるとはいえ、当たり前の日常を取り戻すには当分、時間を要する。

幸いにも新型コロナウイルスには感染していない。だから表面的には元気。ただ、動きようにも動けないから「覇気」は薄れる。そんな、もどかしい思いで、高砂部屋の若者頭・伊予桜さんは続けた。「電車の乗り方も忘れちゃったよ」。外出自粛を忠実に守り、自宅のある埼玉・草加市内から出ない。“遠出”といえば1カ月前、都内の高砂部屋で抗体検査を受けに出たぐらい。それも公共交通機関は使えないため、タクシー通いだったという。

そんなもんもんとする日々が続く中、ささやかな“朗報”も…。「新弟子検査が決まった(13日)から久々に国技館に行けるんだよ。週末には部屋の土俵づくりも始まるからね」。声のトーンは明らかに違っていた。当たり前の日常が、少しばかり戻りそう。仕事仲間との3カ月ぶりの再会の日も近い。「人のいない時間を見計らって朝と晩、1時間半ぐらいウオーキングはしてるよ」。仕事柄、体力勝負は身に染みている。本場所再開の日を粛々と待つ。

丹精込めた土俵づくり。「力士が土俵に足を踏み入れた時、足の裏で『ああ、本場所が始まるんだな』と感じてくれれば、僕らもうれしいですね」。やはり高砂部屋の幕内呼び出し・利樹之丞さんは願いを込めて言う。土俵づくりは呼び出しの重要な仕事の一つ。通常、東京場所前に行うが、今年夏場所は中止。初場所は昨年末に行ったため、今年はまだやっていない。その土俵づくりについて6月下旬、日本相撲協会が各一門に対し、師匠の判断で許可する通達を出した。高砂部屋では今週末に土俵を一度、壊して作り直し、週明けに土俵祭りを行う。「うちも師匠の判断で、いつもの場所のペース、リズムを作ろうということになりました。通常の番付発表の直前に土俵を作って、土俵祭りをやって稽古始め。力士が感覚を取り戻してくれればいいですね」。

もどかしさもある。本場所と本場所の間で呼び出しは、太鼓の稽古を行う。喉が命の商売柄、声出しも。だが、それもままならない。若手の呼び出しが太鼓をたたけない現状に「エアで練習してるのかな…。外での声出しも、飛沫が…となると出来ないし。こんなに声を出さない日が続くなんて初めてですよ。(場所直前の)触れ太鼓も回れないだろうし。ある意味、ワーワー騒ぎながら勢いでこなすのが僕らの仕事ですからね…」。それでも裏方としての誇りは忘れない。「いつもの日常には、すぐには戻れないけど(本場所は)やれば出来ます。マスクをしながらでも土俵を作ります」。

両国まで約50キロ。1時間少々の東京・八王子に住む幕下行司・木村悟志さんは抗体検査の際、高砂部屋までレンタカーで往復した。「協会からはタクシー代が支給されますが、八王子は遠くて2万円以上かかりますから…」。さすがに往復約5万円は気が引ける。経費削減の涙ぐましい話だ。もちろん、外出はそれだけ。行司会からは、各自で出来る仕事を探すように、という通達が出て、自宅では封筒書きや「これをいい機会だと思って始めました。気を紛らわすのにもいいかなと思いまして」と、横綱から序ノ口まで全力士の出身地も入った、大判の番付の筆書きの練習も始めた。後援者らに番付や部屋便りの新聞などを送る封筒の宛名書きも、向こう数場所分を書き終えたという。

「毎日、通っていた部屋に行けない。変な感じです。外で声出しをしようにも、飛沫が…とか言われそれが相撲関係者だと言われるといけないので…。完全自粛です。でも、今は我慢してます」。いつの日か朝乃山の大関昇進披露パーティーや、高砂親方の停年の宴の案内状を発送する日が必ず来る。そうなれば封筒の宛名書きにも力が入る。そう信じて、今は耐える。

華やかなスポットライトが当たる力士だけでは、屋台骨は支えられない。舞台裏で、誰に頼るでもなく自前で成り立ってきた伝統がある。コロナの時代に向き合う裏方たちも、見えない敵と闘いながら難局を乗り切ろうとしている。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

金銭清算やめ3年契約でトップ選手のジム移籍容易に

日本初にして唯一の4階級制覇を成し遂げているWBO世界スーパー・フライ級王者、井岡一翔(31)が5月25日、DANGAN AOKIジムから旧オザキジムを母体とする「Ambition GYM」に移籍した。父親が会長を務める井岡ジムからデビューした井岡にとっては2度目の移籍ということになる。マネジャーやトレーナー、練習環境がセットになっているボクシングジムと選手が契約する形態の「クラブ(ジム)制度」が採用されている日本では、以前はトップ選手が所属先を変わることは稀有だった。しかし、昨年5月の伊藤雅雪(29=横浜光)や今回の井岡のように近年は現役の世界王者が移籍することも珍しくなくなった。

欧米ではボクサーがマネジャー、トレーナーと個々に契約を交わし、さらに練習するジムを探してトレーニングする「マネジャー制度」が採られている。試合をする場合にはマネジャー経由でプロモーターとも契約を交わすことになる。そのため選手は自分の素質を伸ばす能力がないと判断したトレーナーとの契約を解除することも可能だし、同様に無能なマネジャーとの関係を自分の意思で終わらせることもできる。

これに対し日本では大正10年(1921年)に日本拳闘倶楽部(ジム)が設立されて以来、昭和27年(1952年)のJBC(日本ボクシングコミッション)設立を経て100年近くも「クラブ(ジム)制度」が続いている。トレーナー、練習場、マネジャー、プロモーターがセットになっているジムと契約を交わして入門すると、のちに問題が発生しても選手が環境を変えることは難しいシステムだったといえる。

こうした背景があったため日本ではトップ選手がジムを移籍した例は少なかった。現役の世界王者がジムを移籍したのは2007年の長谷川穂積(千里馬神戸⇒真正)が最初で、昨年の伊藤が2例目、今回の井岡が3例目となる。

また、高山勝成(エディタウンゼント⇒グリーンツダ⇒真正⇒仲里⇒寝屋川石田)、亀田興毅(グリーンツダ⇒協栄⇒亀田⇒協栄)、亀田和毅(亀田⇒協栄)のように、元王者がジム移籍後に再び戴冠を果たした例もあるが、これらも21世紀に入ってからのことだ。

このほか、ジム移籍後に世界王者になった選手としては川島郭志(相模原ヨネクラ⇒ヨネクラ)、戸高秀樹(宮崎ワールド⇒緑)、徳山昌守(グリーンツダ⇒金沢)、畑山隆則(京浜川崎⇒横浜光)、西岡利晃(JM加古川⇒帝拳)、三浦隆司(横浜光⇒帝拳)、小國以載(VADY⇒角海老宝石)、村田諒太(三迫⇒帝拳)らがいる。

さらに世界王座から陥落後にジム移籍を果たした例としては山口圭司(グリーンツダ⇒TAIKOH小林⇒新日本木村⇒TAIKOH小林)、石田順裕(金沢⇒グリーンツダ)、今年に入ってからは木村翔(青木⇒花形)、比嘉大吾(白井・具志堅⇒Ambition GYM)などがいる。これらの事例も川島を除いて最近の25年間に集中している。なお、木村と比嘉は現役だけに、再戴冠を果たすことができるか注目される。

こうしたなか昨秋には、長い間の業界のあしき慣例だったジム移籍の際の金銭清算が撤廃され、また選手がジムと交わす3年契約が再確認されたことで満了後の移籍が容易になった。要はハードルが低くなったわけで、比嘉の移籍はその典型例といえる。今後、トップ選手のジム移籍に拍車がかかる可能性がある。

リングにかける男たち

経営難、比嘉の減量失敗…歯車狂い歴史あるジムに幕

白井・具志堅スポーツジムの外観(2020年6月6日撮影)

国内にボクシング専門誌は2誌ある。毎月15日に発売されるが、一方の雑誌のある広告に目が止まった。白井・具志堅ジムの練習生募集だった。2週間前の6月1日に営業再開も、その5日後には7月限りでジム閉鎖を発表した。まさに突然を示していた。

具志堅会長はホームページ上で「気力、体力ともに、これまでのように情熱を持って指導にあたるには難しい年齢になった」と説明した。第1号と最多防衛記録保持者。日本ボクシング界の偉大な2人の名を冠したジム閉鎖は寂しい限りだ。

ジム4人目で5度目の挑戦にして、17年に世界王者比嘉大吾が誕生した。全国には282のジムがある。世界王者が育ったジムは37だけだが、白井・具志堅ジムは新興とも言える。オープンは95年だった。

英雄2人は当時TBSの解説者で、具志堅会長はジム経営の希望を持っていた。名誉会長となる白井氏がアートネイチャー創業者阿久津氏と親交があった。阿久津氏はアマ経験者だったこともあり、全面バックアップを申し出て、引退から14年後にジム開設となった。

代々木のアートネーチャー旧本社ビルを地上4階、地下2階に建て替え、リングが3つと豪華なジムだった。オープン前に阿久津氏が急死して徐々に支援が縮小され、02年に現在の杉並区に移転することとなった。

03年に白井氏が死去し、12年の待望の世界王者は女子の山口、江藤はタイで世界王座奪取も暫定で認められず。苦難に厚い壁もついに悲願達成。故郷の英雄にあこがれ、多くの沖縄出身者が入門。世界挑戦した4人全員も、ウチナンチュー(沖縄の人)だった。

元世界王者の友利氏も同郷が縁でオープンからトレーナーになった。一時離れたが11年に復帰し、17年からチーフに。それが4月に突然退職を通告されて、SNSに「チーフなんかやるんじゃなかった」と記した。資金繰りが厳しいという理由。どこのジムも約2カ月営業自粛し、再開後も苦しい経営が続く。

それだけではない気がする。比嘉が減量失敗で王座剥奪に資格停止処分を受けた。二人三脚だった当時の野木チーフトレーナーは退職。ジムの歯車が狂いだし、次々と選手が移籍していった。顕著になったのは比嘉が再起戦で勝利も歯切れは悪く、ついにはジムと契約を解除となった。

週刊誌には夫人の口出しが要因とも書かれた。その裏には具志堅会長の姿勢もあったのではないだろうか。今やボクサーではなくタレントの顔の方が有名なほど活躍する。この稼ぎをジム運営に注いでいたとも聞くが、身の入り方がもう1つだったようにも見えた。

比嘉の減量失敗も懸念されていたことで、管理が甘かったことは確かだ。江藤がタイで世界暫定王座に挑戦した時のこと。成田空港へ出発取材に行くと、たった1人だったのにびっくりした。具志堅会長が「潮時」とも記した、丸25年の節目での決断だった。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

18年4月14日、1回目の計量で900グラムオーバーとなりうなだれる比嘉(左)は具志堅会長から声をかけられる