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原功「BOX!」

デービス対ガルシア ノンタイトルもKO決着間違いなし、全勝強打者同士の注目ファイト

スター選手が集結するライト級の主役のひとり、WBA王者のジャーボンテイ・デービス(28=アメリカ)と、西海岸を中心に抜群の人気を誇る元WBC暫定王者のライアン・ガルシア(24=アメリカ)が22日(日本時間23日)、アメリカのネバダ州ラスベガスで対戦する。試合はライト級1ポンド超過の136ポンド(約61.6キロ)契約12回戦として行われる。28戦全勝(26KO)のデービス、23戦全勝(19KO)のガルシア。世界王座はかからないが、KO決着間違いなしの注目ファイトだ。

61.2キロが体重上限のライト級では8日(日本時間9日)にシャクール・スティーブンソン(25=アメリカ)対吉野修一郎(31=三迫)のWBC挑戦者決定戦が行われたばかりで、来月20日(日本時間21日)には4団体統一王者のデビン・ヘイニー(24=アメリカ)と元世界3階級制覇王者のワシル・ロマチェンコ(35=ウクライナ)が対戦する。強豪が集結しており、まさに風雲急を告げる状況となってきた。

そんななかで今回のデービス対ガルシアが行われる。かねてから対戦が期待され、両者もことあるごとに自己アピールしてきただけに対抗意識は強いものがある。試合が決まったあとのPRツアーでは顔をつけて罵り合い、乱闘寸前の場面もあったほどだ。

サウスポーのデービスは身長166センチ、リーチ171センチとライト級では小柄だが、鋭く相手の懐に潜り込み、速くて強烈なパンチを顔面とボディに打ち分ける。特に左右フックと左アッパーは破壊力抜群で、何度も痛烈なKOシーンを生み出してきた。スーパーフェザー級、ライト級、スーパーライト級の3階級で世界王座を獲得しており、世界戦(自身が体重超過した試合を含む)だけで12戦全勝(11KO)をマークしている。

リングの中ではルールに従っているデービスだが、リング外ではアウトローとしても知られ、暴行などで何度も警察の世話になってきた。いまも交通事故関連で起訴されており、試合後に判決が出ることになっている。

一方、身長、リーチとも178センチのガルシアは甘いマスクと強打で女性を含めた幅広い層に支持されている。2年前にWBC暫定世界ライト級王座を獲得したが、メンタルヘルスの問題を理由に防衛戦を行うことなくベルトを返上した。1年3カ月の休養後、昨年4月に12回判定勝ちで戦線復帰を果たし、次戦では元世界王者に6回KOで快勝している。

遠い距離から打ち込む右ストレート、カウンターのタイミングで打ち込む左フックが主武器で、ダウンシーン、KOシーンは芸術的ですらある。

この先、デービス対ガルシアの勝者はヘイニー対ロマチェンコの勝者と対戦する可能性が高くなるだけに、勝負の行方が注目される。

全勝の強打者対決のオッズは9対4でデービス有利と出ている。

原功「BOX!」

ヘイニー対ロマチェンコのビッグマッチ5・20正式決定 世代交代か健在誇示か待ち切れない一戦

WBA(スーパー王座)、WBC、IBF、WBO4団体統一世界ライト級王者、デビン・ヘイニー(24=アメリカ)対元世界3階級制覇王者、ワシル・ロマチェンコ(35=ウクライナ)のタイトルマッチが5月20日(日本時間21日)、アメリカのネバダ州ラスベガスで行われることが正式決定した。ともにスピードとスキル、戦術に長けた技巧派選手で、高度な技術戦が期待される注目カードだ。オッズは9対4、若くて体格で勝るヘイニーが有利と見られている。

ヘイニーにとっては世代交代を印象づける絶好の機会となり、ロマチェンコにとっても一気に4団体王座を獲得して健在ぶりを示すには申し分ない試合だ。「私は2019年にロマチェンコと対戦したかったが、彼はチャンスを与えてくれなかった。ついにファンが本当に望む戦いが実現する。試合が待ちきれないよ」とヘイニー。ロマチェンコも「4団体統一王者になることが私のゴールなんだ。ヘイニーはそのベルトをすべて持っている。彼のボクシングIQは尊敬に値する。興奮が抑えきれないよ」とヘイニー同様、5月20日が待ち遠しい様子だ。

ヘイニーは全米ユース選手権や全米ジュニア選手権を制するなどアマチュアで146戦138勝8敗の戦績を残し、2015年12月にプロに転向。4年後、20歳のときにWBC暫定世界ライト級王者になった。その後、WBC正王者だったロマチェンコが「フランチャイズ(特権)王者」に昇格したのに伴いヘイニーが正王者に繰り上がった経緯がある。「ロマチェンコはチャンスをくれなかった」というのは、このときのことを指している。

右肩を負傷するなどして戦線離脱した時期はあったもののヘイニーは元世界3階級制覇王者のホルヘ・リナレス(帝拳)らを退けて防衛を重ね、昨年6月にはWBAスーパー王座、WBCフランチャイズ王座、IBF王座、WBO王座を持つジョージ・カンボソス(オーストラリア)に大差の判定勝ちを収めて4団体統一王者になった。4カ月後の再戦でも大差の判定で返り討ちにしている。戦績は29戦全勝(15KO)。

ロマチェンコは2008年北京五輪フェザー級、2012年ロンドン五輪ライト級で金メダルを獲得するなどアマチュアで397戦396勝1敗という驚異的な戦績を残し、2013年10月にプロデビュー。2戦目の世界挑戦は失敗に終わったが、次戦でWBO世界フェザー級王座を獲得し、歴代最短(3戦目)戴冠記録に並んだ。2016年にスーパーフェザー級、2018年にライト級王座を獲得して3階級制覇を達成。しかし、2020年10月にテオフィモ・ロペス(アメリカ)に惜敗して無冠に戻った。その後、中谷正義(帝拳)を9回TKOで下すなど3連勝を収めている。戦績は19戦17勝(11KO)2敗。

若くて伸び盛りのヘイニーが自らの拳で新時代到来をアピールするのか、それとも「ハイテク」のニックネームを持つ35歳のサウスポーが意地を見せるのか。戦う両選手同様、ファンも5月20日が待ち切れない。

原功「BOX!」

前3団体統一世界ヘビー級王者アンソニー・ジョシュア再起戦 再びスポットライトの中心に戻れるか

前WBA、IBF、WBO3団体統一世界ヘビー級王者、アンソニー・ジョシュア(33=イギリス)が4月1日(日本時間2日)、自国ロンドンでWBC25位のジャメイン・フランクリン(29=アメリカ)を相手に再起戦に臨む。一時は眩しいほどのスポットライトを浴びたジョシュアだが、直近の5戦に限ってみれば2勝3敗と苦しい状態が続いている。格の違うフランクリンを相手に復活を印象づけることができるか。

ジョシュアは2012年ロンドン五輪スーパー・ヘビー級で金メダルを獲得後にプロ転向を果たし、2016年4月にIBF世界ヘビー級王座を獲得。このときの戦績は16戦全KO勝ちだった。3度目の防衛戦ではWBAスーパー王者のウラジミール・クリチコ(ウクライナ)にも勝って王座を統一し、2018年3月にはWBO王座も手に入れた。WBC王者のデオンテイ・ワイルダー(アメリカ)との米英頂上決戦が期待されたのは、このころのことだ。

ところが2019年6月、ジョシュアは伏兵アンディ・ルイス(アメリカ)に7回TKO負けを喫して3本のベルトを失ってしまう。半年後の再戦で3王座を奪回したものの、2021年9月にオレクサンダー・ウシク(ウクライナ)に12回判定で敗れ無冠に逆戻り。11カ月後のリマッチでも判定負けを喫した。現在はWBA4位、WBC、IBF、WBOで5位に甘んじている。戦績は27戦24勝(22KO)3敗。2連敗後の再起戦を前にジョシュアは「精神的にも肉体的にも十分な準備ができている」と意気込みを口にしている。ウシクとの再戦後に組んだデリック・ジェームス・トレーナーが出す指示や戦術にも注目が集まる。

フランクリンは22戦21勝(14KO)1敗の戦績を残しているホープで、昨年11月に元WBC暫定王者のディリアン・ホワイト(ジャマイカ/イギリス)に判定負けを喫するまでデビューから21連勝を収めていた。こちらも再起戦ということになる。「ジョシュアにも全盛期があったが、これからは俺の時代だ。ジャッジの手を煩わすことなく22勝目をものにしてみせるよ。エイプリルフールじゃないぜ」と自信をみせる。

身長188センチ/リーチ196センチのフランクリンに対しジョシュアは198センチ/208センチと体格で大きく勝っている。その利を生かして左ジャブでコントロールすることができれば勝利は自ずと転がり込んでくるはずだ。しかし、踏み込んで右フックを振り抜いてくるフランクリンの攻撃を持て余すようだと苦戦は免れないだろう。オッズは8対1でジョシュア有利と出ているが、元王者の打たれモロさを考えると番狂わせの可能性も捨てきれない。

現在、ヘビー級はジョシュアに連勝したウシクと、WBC王者のタイソン・フューリー(イギリス)がトップを並走しており、そこにジョシュアとワイルダーの元王者ふたりが割って入れるかという状況が続いている。ジョシュアが再びスポットライトの中心に戻ってくるのか、それとも選手生命を脅かされることになるのか。フランクリンとの試合に要注目だ。

リングにかける

関西ボクシング界の新星・尾崎優日、世界へ殴り込み 名前に込められた父の思いをかなえる

関西ボクシング界の新たなスター候補となるか。兵庫県三田市が拠点の大成ジムが4月16日にエディオンアリーナ大阪第2競技場で興行を行う。

メインはWBOアジアパシフィック・フライ級王者加納陸(25=大成)の初防衛戦。さらにWBC世界ユース・ライトフライ級王座決定戦に尾崎優日(20=大成)がプロ3戦目で臨む。

尾崎の相手は4勝4KO(1敗)のバオラブト・サラブタン(タイ)。丸元大成会長が「尾崎は必ず世界王者になる」と期待する逸材で、尾崎は「世界につながるチャンス。いい内容でKOしたい」と言った。

大阪・興国高でインターハイ2位、法大に進み全日本ライトフライ級で5位などアマで実績を積み、五輪を目指す選択肢もあったが「世界王者になることが小さいころからの夢」と大学を中退してプロの世界へ飛び込んだ。

おやじの夢を背負う。父次郎さん(51)も新日本木村ジムに所属したプロボクサーだった。バンタム級で6戦。ベルトへの夢が膨らみかけた時、地元の関西が大震災で被災した。家業などの兼ね合いから、夢は断念せざるをえなかった。

尾崎は2003年2月に生まれた。名付けられた優日(ゆうが)に父の思いがこめられた。「ボクシングで優勝する日。その願いでつけられたと聞きました」。父がかなえられなかった夢へ。その思いをしっかりと受け止めた。

ここまで2戦連続KO勝利と順調にプロのキャリアを積んでいる。身長168センチとライトフライ級(リミット48・9キロ)では長身。さらに下のミニマム級(リミット47・6キロ)も「世界戦のチャンスがあれば大丈夫です」と言うほど、体重調整を含め体格的に恵まれている。

今回の初タイトル戦が夢への入り口となる。「(プロデビューから)3年で世界王者になりたいと思っています」。ライトフライ級はWBAスーパー、WBC王者寺地拳四朗に元王者の矢吹正道ら日本選手の強豪がそろう。その中で父子の夢をかなえるべく、尾崎が殴り込みをかける。【実藤健一】

◆尾崎優日(おざき・ゆうが) 2003年(平15)2月18日、大阪府豊中市生まれ。小学1年からボクシングを始め、豊中五中から興国高へ。インターハイで2位となり、法大に進学もプロへの道を選択して中退した。昨年9月にプロデビュー。戦績は2勝2KO無敗。身長168センチの左ボクサーファイター。

大相撲裏話

春場所横綱不在でも、大阪には「道頓関」がいる!? 日本文化紹介にも効果絶大

大阪グルメを堪能し、ほろ酔い気分で帰っていた道すがら。目に飛び込んできた力士像にくぎ付けになった。道頓堀川に面した商業施設「DOTON PLAZA大阪」(道頓プラザ)の一角に置かれた、高さ2メートル以上ある「道頓関」だ。後ろに回ってみると、結び目の輪が1つの雲竜型の綱を締めている。これは横綱なのか。色めきだって写真を撮っているうちに、なぜここにあるのかと疑問が湧き同施設に聞いてみた。

道頓プラザの一角に置かれた「道頓関」(撮影・平山連)

道頓プラザの一角に置かれた「道頓関」。結び目の輪が一つの雲竜型の綱を締めている(撮影・平山連)

「まさか注目していただけるとは」と恐縮する道頓プラザの担当者によると、外国人観光客に日本文化に親しんでもらう狙いで開業(2016年4月)した約3カ月後に設置した。縦2メートル、横2・3メートル、奥行き2メートル、総重量は約350キロの巨大モニュメント。気になるお値段は「企業秘密です」。横綱の力士像を制作したのは「大相撲の最高位である横綱。その力強さを感じてほしかった」からと言い、道頓堀にちなんで道頓関と名付けた。

道頓プラザの一角に置かれた「道頓関」(撮影・平山連)

「道頓関」が置かれた道頓プラザ近くを流れる道頓堀川(撮影・平山連)

勇ましい顔立ちは第55代横綱の北の湖、筋肉質な体つきは第58代横綱の千代の富士にどことなく似ているが、「モデルはいないようです」。それでも「記念写真を撮って楽しんでいるお客様も多いです」と効果は絶大なようだ。道ばたで遭遇した横綱の力士像を眺めながら、次の横綱は一体誰になるか。そんな考えを巡らせた。【平山連】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲裏話

50年語り継がれる倉吉の英雄、第53代横綱琴桜の記念館に16万人超

元横綱琴桜の墓。土俵入りの像と「忍」の文字がある

鳥取・倉吉市内にある第53代横綱の琴桜の記念館(撮影・平山連)

横綱昇進から50年。その功績は決して色あせることはない。鳥取・倉吉市にある第53代横綱琴桜の足跡を紹介する記念館。化粧まわし、明け荷、活躍を伝える当時の新聞記事や写真などがところ狭しと飾られている。その中に、先月から横綱誕生50年を振り返る展示が加わった。鳥取県一帯を巻き込んで行われた昇進パレードの様子、故郷・倉吉に戻ってきた時の盛り上がりを伝えている。

鳥取・倉吉市役所近くにある第53代横綱琴桜の記念碑(撮影・平山連)

鳥取・倉吉市内にある第53代横綱の琴桜の記念館(撮影・平山連)

鳥取・倉吉市内にある第53代横綱の琴桜の記念館にある巨像(撮影・平山連)

1973年(昭48)初場所を14勝1敗で優勝して綱とりに成功した琴桜は、年6場所制が定着した58年以降、最年長の32歳1カ月で横綱昇進。横綱在位はわずか8場所だったが、今も語り継がれる郷土の英雄だ。2011年(平23)開館の同館は延べ16万3000人超が訪れる人気ぶり。担当者は「今年中に17万人を目指します」と意気込む。

第53代横綱琴桜の記念館にはゆかりの品がところ狭しと飾られている(撮影・平山連)

第53代横綱琴桜の記念館に飾られた写真。左から第53代横綱琴桜の先代佐渡ケ嶽親方、小結琴ノ若、佐渡ケ嶽親方(撮影・平山連)

第53代横綱琴桜の記念館には、横綱昇進から50年を振り返る展示も並ぶ(撮影・平山連)

第53代横綱琴桜の記念館に飾られている横綱推挙状(撮影・平山連)

春場所中は小結琴ノ若ら佐渡ケ嶽部屋の力士たちと地元出身の新十両、落合の星取表が並び、館内をさらに活気づける。倉吉ゆかりの力士の中から、次の横綱が現れる日は果たしていつになるか-。天国から見守っている琴桜も同じく気にしているだろう。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

原功「BOX!」

五輪2大会連続金メダルの逸材ロベイシー・ラミレス、13戦目で世界王座獲得なるか

オリンピックで2大会連続金メダルを獲得したキューバ出身の逸材、ロベイシー・ラミレス(29)が4月1日(日本時間2日)、アメリカのオクラホマ州タルサでWBO世界フェザー級王座決定戦に出場する。空位の王座を争う相手は元WBO世界スーパーバンタム級王者のアイザック・ドグボエ(28=ガーナ/イギリス)。4年前にプロ転向したラミレスは13戦目で世界王座を獲得することができるのか。

アマチュア時代、ラミレスは18歳で出場した2012年ロンドン五輪フライ級で金メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロ五輪にはバンタム級で出場し、準決勝でムロジョン・アフマダリエフ(ウズベキスタン=現WBA、IBF世界スーパーバンタム級王者)、決勝でシャクール・スティーブンソン(アメリカ=元世界2階級制覇王者 ※4月8日に吉野修一郎と対戦)を下して再び表彰台の最上段に上がった。

その後、ラミレスはさらにアマチュアで2年活動してから2019年8月にトップランク社と契約してプロに転向した。同じ五輪連覇の実績を持ち、プロで3階級制覇を果たしたワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)とも契約していたトップランク社は「ロマチェンコのようなスター選手になる男」としてラミレスに大きな期待を寄せていた。ところが、ラミレスはプロデビュー戦でまさかの4回判定負けを喫してしまう。開始から20秒ほどでダウンを喫し、慌てて反撃に出たもののラフになり失点を挽回できないまま試合は終了。ラミレスもトップランク社も落胆したことはいうまでもない。

3カ月後に再起して初勝利をあげると徐々にプロの水に慣れていき、昨年は全勝の世界ランカーや元ランカーを下してWBO2位まで上昇してきた。戦績は12戦11勝(7KO)1敗。

一方のドグボエもアマチュア時代に2012年ロンドン五輪に出場した経験を持っているが、こちらはバンタム級1回戦で清水聡(現WBC世界フェザー級9位=大橋)にポイント負けを喫している。1年後にプロデビューし、2018年にWBO世界スーパーバンタム級王座を獲得。2度目の防衛戦では大竹秀典(金子)を138秒TKOで退けた。この時点の戦績は20戦全勝(14KO)で、軽量級に新しいスターが誕生かと注目を集めたものだ。

ところが、3度目の防衛戦でエマヌエル・ナバレッテ(メキシコ)に12回判定で敗れ、再戦では12回TKO負けを喫すると期待は萎んだ。無冠になったのを機にフェザー級に転向し、以後は4連勝を収めている。戦績は26戦24勝(15KO)2敗。現在はWBO1位にランクされている。

身長165センチ、リーチ173センチのラミレスはサウスポーのボクサーファイター型で、圧力をかけながら左を狙い撃ちすることが多い。この左はインサイドから打ち抜くものと外側から巻き込むものがあり、相手にとっては軌道が読みにくいパンチといえる。このところ3連続KO(TKO)勝ちと勢いづいている。

ドグボエは身長とリーチが163センチとさらに小柄で、フェザー級転向後は4連勝しているものの直近の3試合はいずれも僅少差の判定勝ちに留まっている。

そんな近況が反映されてか、オッズは9対2でラミレス有利と出ている。五輪で下したアフマダリエフやスティーブンソンにプロでは先行を許しているラミレスが、ライバルたちに追いつくのか。それともドグボエが2階級制覇を果たすのか。興味深いカードだ。

リングにかける

ボクシング前アジア3冠王者岩田翔吉、KID魂胸に秘め再起リングへ

昨年11月のWBO世界初挑戦で判定負けして以来、約5カ月ぶりの再起戦に臨む岩田翔吉

3月15日、都内でプロボクシング・ライトフライ級の前アジア3冠(日本王座、東洋太平洋王座、WBOアジア・パシフィック王座)王者岩田翔吉(27=帝拳)を取材した時だった。4月1日、東京・後楽園ホールでWBOアジア・パシフィック同級15位ジェローム・バロロ(23=フィリピン)との同級10回戦を控え、最終調整中。昨年11月、WBO世界同級王者ジョナサン・ゴンサレス(プエルトリコ)に挑戦し、判定負けして以来約4カ月ぶりの再起戦を控える岩田は「今日、KIDさんの誕生日なんですよね」とさみしげな表情を浮かべた。

18年9月、多臓器不全で亡くなった総合格闘家・山本“KID”徳郁さんの存在が岩田にとってファイターの「原点」だ。9歳の時、KIDさんのジム「KILLER BEE」に入門。中学2年時からボクシングに専念した後もKIDさんや家族、弟子となるファイターたちの交流は続いていた。世界再挑戦を見据え、再びボクシングのリングに戻る岩田は「やはりKIDさんのことを考えたりします」とぽつりと口にした。

世界初挑戦だったゴンサレス戦は王者のディフェンス重視の「負けないボクシング」に手を焼き、最後まで崩しきれなかった。「相手のうまさ、強さは分かるけれど、不完全燃焼でしたね。表現するなら、ボクシングというものの『概念』を崩されたという感じ」と悔しさを押し殺すように話した。

一方でポジティブに気持ちの切り替えもできている。岩田は「さいたまスーパーアリーナの大舞台で世界戦ができました。世界初挑戦で難しい相手と当たったという経験。これを次に生かせるようにやっていきたい」と納得するような態度でうなずくと、最後に「面白い試合をしたかったですね」と強調した。

面白い試合とは-。それは「神の子」KIDさんの現役時代を意識したものだ。04年大みそか、K-1ルールで魔裟斗と激突し、05年には格闘技イベントHERO,Sのミドル級世界最強王者決定トーナメントでホイラー・グレイシー、宇野薫、須藤元気と強豪を下して優勝を飾った。さらに06年HERO,Sの宮田和幸戦で開始4秒KO勝利をマーク。ファンを熱狂させる試合をみせてきたKIDさんをファイトが脳裏に焼きついている。

再起戦の対戦相手バロロはランカー上位とも互角な試合を展開できる「隠れた強豪」となる。岩田は「(世界戦で)負けたということ、自分が面白い試合をしていないという、その2つがすごく悔しかった。今回はジムがすごく好戦的な人を選んでくれたのでうれしい。面白いと思ってもられる試合がしたい」と声をはずませる。

世界初挑戦で負けた後も世界ランキングではWBC2位、WBA3位、WBO7位と世界再挑戦を狙える位置にいる。KIDさんが他界した時に「魂を受け継ぐ」と誓い、プロボクシングの世界に飛び込んだ岩田は「再起戦ですが、また、すごいチャンスをもらえるような試合にしたい。大事な試合になる」と気合を入れ直した。KIDさんの魂を胸に秘め、ファンを楽しませる試合内容を意識し、再起戦のリングに立つ。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)

大相撲裏話

貴景勝も絶賛、常盤山部屋の味 元太一山・矢ケ部克将さんのちゃんこ店が大人気

「ちゃんこ居酒屋太一山」を切り盛りする元幕下太一山の矢ケ部克将さん(撮影・平山連)

常盤山部屋に所属した元幕下太一山の矢ケ部克将さん(25)が切り盛りする「ちゃんこ居酒屋太一山」が活気に満ちている。昨年5月の夏場所を最後に現役引退し、大阪のJR北新地駅ほど近くの雑居ビルの一角にオープンして初めて迎える春場所。開催中は既に予約客でほぼ満席だ。

お客さんのお目当ては、大関貴景勝も絶賛した「とりしおちゃんこ」(1人用1500円)。常盤山部屋に伝わる味をベースにし、独自のアレンジも加えた逸品だ。濃厚なスープに浸された野菜、鶏肉、鶏団子は食欲をそそり、鍋のしめにラーメンやご飯を注文する人も少なくない。

「料理はセンス」と豪語する矢ケ部さん。現役時代は貴景勝や隆の勝らの付け人として、休みの日には自ら調理場に立って料理に腕を振るうこともしばしばあった。本人いわく“付け人もこなせるちゃんこ番”。開業してからまだ半年ほどだが、うわさを聞きつけて著名人も多数来店している。10席の手狭な店だが、今後さらに拡大も視野に入れる。「もっとちゃんこ鍋を身近に食べてもらえるようにしたい」と意欲満々だった。【平山連】

「ちゃんこ居酒屋太一山」名物のとりしおちゃんこ(撮影・平山連)
厨房に立つ元幕下太一山の矢ケ部克将さん(撮影・平山連)
大相撲裏話

琴恵光、入門16年かけ通算500勝「コツコツとやる勤勉さがある」父 祖父は元十両松恵山

金峰山(下)をすくい投げで破った琴恵光(撮影・鈴木正人)

入門から16年にして、通算500勝を達成した。

平幕の琴恵光(31=佐渡ケ嶽)が、カザフスタン出身の新入幕、金峰山をすくい投げで5勝目を挙げた。「しっかり先手を取り、自分らしい動きのある相撲ができた」と納得の表情。節目の白星に「今までやってきたことがつながっているのかな」としみじみと話した。

宮崎・延岡市の実家はちゃんこ店を営み、祖父は元十両松恵山。亡き祖父を追いかけるように、中学卒業と同時に佐渡ケ嶽部屋へ。上京する際に最寄り駅は見送る級友でごった返した。学校を早退して駆けつけた高校生の姉は人知れず泣いた。母の柏谷多美さん(59)は厳しい相撲界に送り込むことを心配していたが、最後は背中を押すしかなかった。「何をするにも迷うタイプのあの子が、相撲界でチャレンジしたいと言って揺るがなかったの」。

14年九州場所で新十両。その後幕下陥落と苦渋を何度も味わってきたが、愚直に稽古を続けた。18年名古屋場所で新入幕。浮き沈みの激しい相撲界で、休場は新型コロナ関連による昨年の名古屋場所での途中休場のみ。父の正倫さん(59)は「コツコツとやる勤勉さがあるから幕内で戦えてるんだろう」。176センチ、129キロと決して体は大きくないが、心は静かに燃えている。琴恵光は「明日も先手を取って自分から攻める相撲で」と信じた道を突き進む。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

琴恵光の父、柏谷正倫さんと母の多美さん(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。父の柏谷正倫さん(左)と母の多美さん(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」には、最寄り駅から佐渡ケ嶽部屋に向けて出発した日の写真も飾られている(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」では、本場所開催中になると、店内の星取表が関取の活躍を伝えている(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」に置かれた琴恵光のパネル(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。店内には我が子の多数の写真が並ぶ(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。開店に向けて準備する父の柏谷正倫さん(撮影・平山連)
店内には多数の琴恵光の写真やパネルが並ぶ(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。店内には明け荷を模したテッィシュ箱もある(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」(撮影・平山連)
宮崎名物のチキン南蛮も食べられる(撮影・平山連)
ソップ味のちゃんこ鍋も味わえる(撮影・平山連)
人気メニューの地とりもも焼き(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」で人気メニューのえび南蛮(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」に飾られてている琴恵光の写真(撮影・平山連)
「ちゃんこ松恵」で親しまれてているみそ味のもつ鍋(撮影・平山連)
金峰山(左)をすくい投げで破る琴恵光(撮影・和賀正仁)
金峰山(左)を攻める琴恵光(撮影・鈴木正人)
金峰山(左)をすくい投げで破る琴恵光(撮影・和賀正仁)
金峰山(右)をすくい投げで破る琴恵光(撮影・鈴木正人)
大相撲裏話

新十両の落合が幼い頃から利用する鳥取・倉吉市の扇雀食堂に“令和の怪物”セット誕生

新十両の落合が幼い頃から利用している鳥取・倉吉市にある扇雀(せんじゃく)食堂(撮影・平山連)

“令和の怪物”セットができる。昭和以降最速の所要1場所で新十両に昇進した落合(19=宮城野)が幼い頃から利用している鳥取・倉吉市の扇雀(せんじゃく)食堂は、落合が好きな食べ物を並んだ新メニューを作ることを検討している。小学校の頃から決まって注文していた唐揚げ、ギョーザ、明石焼きとともに、最近好んで食べているという豚汁も加えるアイデア。地元から羽ばたく関取の人気にあやかり、県産食材をふんだんに使った料理をPRしようと躍起だ。

店員の古瀬聖子さん(41)は「小学校の頃から家族でよくテイクアウトしてもらっていました」と懐かしむ。落合が相撲に打ち込むため鳥取西中に進学してからも、地元に戻った際にはよく立ち寄ってくれたという。店内には入門前に落合からもらったサイン色紙も並ぶ。「以前はお客さんから『落合って、あの野球の?』と言われることもありましたけど、最近は相撲ファンの方が来てくれることもあります」と早くもその恩恵を実感する。

連日、地元メディアを中心に盛んに報じられるが、小学生の頃から知っている古瀬さんにとって今も心優しい「哲ちゃん(本名の落合哲也から)」。幕内優勝経験者の徳勝龍を破って3勝目を挙げた19歳に、「とにかく、けがなく場所を終わって、また店に寄って」と話していた。【平山連】

新十両の落合が幼い頃から利用している鳥取・倉吉市にある扇雀(せんじゃく)食堂。中央で落合からもらったサイン色紙を持つ古瀬さん(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、唐揚げ。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、明石焼き。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、ギョーザ。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、豚汁。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
新十両の落合が扇雀(せんじゃく)食堂で注文するという明石焼き、豚汁、ギョーザ、唐揚げ。“令和の怪物”セットになるかもしれない(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の店員古瀬さんの赤ちゃんを抱っこする新十両の落合(撮影・平山連)
リングにかける

東京女子・瑞希、苦楽ともにした対戦相手・坂崎ユカに「王者のベルト巻く姿見てもらいたい」

初のシングルベルト獲得へ意気込む東京女子プロレスの瑞希(撮影・松熊洋介)

悲願のシングルベルトは、大好きな相棒から奪いたい-。東京女子プロレスの瑞希(28)が、18日に行われる「GRAND PRINCESS'23」大会(東京・有明コロシアム)で「プリンセス・オブ・プリンセス」のベルトに挑戦する。16日に28歳を迎え、最初の試合がプロレス人生を大きく変えるかもしれない大一番となった。

最高峰のベルトを巻く姿をどうしても見せたい人がいる。それは対戦相手の坂崎ユカ。これまで「マジカルシュガーラビッツ」のタッグパートナーとして何度も一緒にリングに上がり、苦楽をともにしてきた。そんな仲間であり、あこがれでもある坂崎から「ベルトを奪って、頂点に立ちたい」という。本当なら戦いたくない「複雑な気持ち」があったものの、1月4日に次期挑戦者を決めるバトルロイヤルで勝利。その後の試合で王者だった坂崎が防衛に成功し、対戦が決定した。

シングルベルトへの思いは人一倍強い。17年4月から本格参戦。18年8月から坂崎と組み「東京女子を背負っていきたい」思いが次第に大きくなった。それでも最高峰の壁は高く、これまで4度挑戦も届かず。心折れそうになった時もあったが、坂崎の支えもあって「簡単に手に入らないものだから、絶対にあきらめたくない」と前を向いた。

大好きなファンの声援も瑞希の挑戦を後押しする。毎試合後に行われるサイン会での行列の長さは、東京女子内でもトップクラス。数回会っただけで名前を覚えることもあるという。「応援してくれるファンの方々のおかげ」。アイドルレスラー出身の瑞希は、この言葉をことあるごとに口にする。

近くにいたパートナーの背中を追い続け、ファンの声を力に変えて、強くなったことが対決を生んだ。「自分の成長した姿、王者になってベルトを巻く姿をユカに見てもらいたい」。シングルマッチで1度も勝てなかった大好きな坂崎から初めての3カウントを奪い、大好きなファンの前で、堂々と頂点に立つ。【松熊洋介】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)

◆瑞希(みずき) 1995年(平7)3月16日、兵庫県神戸市生まれ。井上貴子プロデュースのアイドルレスラープロジェクト「VoLume2」の2期生として、12年12月にデビュー。その後SAKIと組み、さまざまな団体の大会に出場。17年から東京女子に参戦し、坂崎とのコンビで18年8月にプリンセスタッグ王者に輝いた。必殺技はアクアマリン、キューティースペシャル、渦飴など。157センチ、A型。

初のシングルベルト獲得へ意気込む東京女子プロレスの瑞希(撮影・松熊洋介)

試合会場の有明コロシアムで元気よくポーズを決める東京女子プロレスの選手たち(撮影・松熊洋介)

原功「BOX!」

バンタム級各団体の後継王者決定カード絞り込まれる あらためて井上尚弥の偉大さ浮き彫り

井上尚弥(29=大橋)の王座返上にともなうバンタム級の各団体の後継王者を決めるカードが絞り込まれてきた。すでにWBA王座決定戦は4月8日、尚弥の弟・井上拓真(27=大橋)対リボリオ・ソリス(41=ベネズエラ)が東京で行われることが決定。このほか尚弥に敗れたノニト・ドネア(40=フィリピン/アメリカ)ら3選手がそれぞれ別の団体の王座決定戦に臨む予定だ。

スーパーバンタム級に転向した井上尚弥は5月7日、横浜アリーナでWBC、WBO同級王者のスティーブン・フルトン(28=アメリカ)に挑むことが発表されている。24戦全勝(21KO)の井上が「ここからが本当の挑戦」と位置づけているだけに、21戦全勝(8KO)の技巧派、フルトンとの試合は緊張感溢れる戦いになることは間違いないだろう。ちなみにオンラインカジノOddschecker.comの単純勝敗オッズは5対2で井上有利と出ている。9対1だった井上対ドネア初戦、9対2だった第2戦(ともに井上有利)と比較しても今回のフルトン戦が接近したオッズであることが分かる。

 それはさておき、その井上尚弥の後継王者争いも組み合わせが以下のように決定、あるいは内定してきている。

※選手名の前の数字は統括団体の最新ランキング

<WBA王座決定戦> 4月8日@東京・有明アリーナ

(2)井上拓真(27=大橋)18戦17勝(4KO)1敗 vs (3)リボリオ・ソリス(41=ベネズエラ)43戦35勝(16KO)6敗1分1無効試合

<WBC王座決定戦> 日程・開催地未定

(1)ノニト・ドネア(40=フィリピン/アメリカ)49戦42勝(28KO)7敗 vs (4)アレクサンドロ・サンティアゴ(27=メキシコ)35戦27勝(14KO)3敗5分

<IBF王座決定戦> 日程・開催地未定

(2)エマヌエル・ロドリゲス(30=プエルトリコ)24戦21勝(13KO)2敗1無効試合 vs (3)メルビン・ロペス(25=ニカラグア)30戦29勝(19KO)1敗

<WBO王座決定戦> 日程・開催地未定

(1)ジェイソン・マロニー(32=オーストラリア)27戦25勝(19KO)2敗 vs (2)ビンセント・アストロラビオ(25=フィリピン)21戦18勝(13KO)3敗

当初、WBCはドネアとマロニーに王座決定戦の指示を出し、IBFはロドリゲスとアストロラビオに対戦指令を出した。しかし、プロモーター間のビジネス上の摩擦もあって、それぞれのカードが決まることはなく別の組み合わせが内定するに至った。ただし、いまなおWBAを除く3カードは決定というわけではない。

興味深いのは、井上尚弥と世界戦で拳を交えたドネア、ロドリゲス、マロニーの3選手が後継王者争いに加わっている点だ。あらためていかに井上尚弥が傑出した力の持ち主であったかがうかがい知れる。

井上拓真がWBA王座、ドネアがWBC王座、ロドリゲスがIBF王座、マロニーがWBO王座を獲得し、そのうえで4団体王座統一戦という運びになれば再びバンタム級が大きな注目を集めることは間違いないだろう。

リングにかける

WBC大谷翔平先発の3・9、水道橋でプロレスラーの思い痛感 ノア原田大輔引退試合も熱かった

9日、首の負傷で医師立ち会いのもと、1分間のエキシビションマッチを終えた現役引退する原田大輔

JR水道橋駅は、人でごった返していた。3月9日。みな、そろって同じ方向へ歩みを進めた。西口から後楽橋を渡ると、目的地は見えてきた。東京ドーム。WBCの日本の初戦(対中国)ということもあり、人の数は異常だった。まして大谷翔平(28=エンゼルス)が先発するということもあり、球場周辺には「OHTANI」のユニホームを着た子どもたち、仕事終わりのサラリーマンであふれていた。

そこから約50メートル手前だろうか。球場に吸い込まれる笑顔の人々とは相反し、どこか神妙な面持ちで6階建てのビルに入って行く人たちがいた。多くの人々は「原田大輔」のグッズを持参している。目的地は5階の後楽園ホールだった。日本中がWBCに熱視線を送る中で、プロレスリング・ノアの原田大輔の引退試合がひっそりと行われた。

36歳。現役引退には、まだ早いとも思える年頃。それは突然だったという。昨夏。ノアが定期的に行っている健康診断で、MRI検査を行ったところ頸椎(けいつい)環軸椎亜脱臼が見つかった。患部が首ということもあり、昨年8月27日から試合を欠場。以降、精密検査、治療を続けてきたが、回復の兆しが見られなかった。

「これ以上試合によるダメージを受けた場合、最悪命にも関わる」

無念のドクターストップ。ノア、原田との話し合いのもと、引退が決まった。本人に自覚症状はなかった。痛みなんて、プロレスラーであれば日常のもの。ただ、首の痛みはなかった。だからこそ原田は悔いた。「本当に引退するの?って自分が思うくらいで」。大好きなプロレスが出来ないもどかしさ。「プロレスをやる場所はノア」。そんな男にとって、無念という言葉では片付けられない現実だった。

午後6時30分から始まった後楽園大会。第3試合に、原田の引退試合が行われた。とはいえ、医師立ち会いの、1分間のエキシビションマッチ。1分という時間が限界だった。入場の際に、既に涙するファンの姿もあった。リングで待ち受けたラストマッチの相手は小峠篤司(37)。原田が大阪プロレスでデビューした時の対戦相手であり、ノアに加入した時の初試合の相手も小峠だった。試合開始のゴングとともに、強烈なラリアットをくらわせた原田だが、投げられない。チャンスがあっても、投げることはかなわなかった。

試合は時間切れの引き分け。原田のプロレス人生に終わりを告げるゴングが鳴ると、小峠は涙した。人目もはばからず、大粒の涙を流した。ファンも涙交じりの原田コール。原田はかみしめた。バックステージで「すみません、今日の1分が僕の限界です」と言った。小峠は「神様なんちゅー、ひどいことするんやな。なんで、原田? 俺にすればいいのにって」。苦楽をともにしてきた2人だからこその時間、リングだった。

格闘技担当になって約1カ月が経過した。これまで担当した野球、サッカーでも故障により、無念の引退を選択せざるを得ないアスリートの姿を多く見てきた。ただ、これほどまでに命の危険と隣り合わせの現場は記者人生でも初。原田は言った。

「これから医療チームの先生とかプロレスリング・ノアのみなさんに残してくれたこの命を大事に生きていきます」

ファンを笑顔にするため、自身の価値を高めるため、プロレスラーは並々ならぬ思いで、リングに上がっていることを痛感した。

「3・9」。水道橋は、確かに熱かった。【栗田尚樹】

9日、首の負傷で医師立ち会いのもと、1分間のエキシビションマッチを終えた現役引退する原田大輔、手前は対戦相手の小峠篤司
大相撲裏話

須山の東大卒業確定に後輩・小山大貴さん「自分も頑張らないと」4月から日本史の研究者を目指す

須山(左)と相撲部現主将の小山大貴さん(相撲部提供)

13日に22歳を迎えた東大4年の小山大貴さんが、祝福した。記者から、相撲部時代の先輩、須山(25=木瀬)が大学卒業を確定させたとの知らせを受け、「4万字の卒業論文を執筆しながら、稽古や場所に備えるなんてすごく大変。卒業したいと言っていたんで良かったです」と喜んだ。

「赤門」で知られる東大から初めて角界入りして以降、その活躍を見守ってきた。リアルタイムでみられなくても、どんな一番だったのかをチェックすることを欠かさない。思い入れがあるのは、部の先輩、後輩の間柄だけではない。「僕が相撲部を続けていく上で、大きな存在でした。もらった言葉に励まされたこともありました。忘れることはないです」と感謝した。

異例の道を選んだ先輩の姿は、現役生たちにとっても語り草だ。小山さんは「稽古のやり方、当時頑張っている稽古に打ち込む姿は現役生にも受け継がれてます。奥底で刺激となっていると思います」。自身もこの春に卒業し、来月から日本史の研究者を目指して東大の大学院に進学する。須山とは歩む道は異なるが、「自分も頑張らないと」と奮起した。【平山連】

大相撲裏話

所要1場所での十両昇進見送られた悲運の元力士、“令和の怪物”新十両の落合の活躍で再脚光(1)

悲運の元力士が、“令和の怪物”の活躍で再び脚光を浴びている。12日初日を迎える春場所(エディオンアリーナ大阪)で新十両の落合(19=宮城野)と同じく、2006年5月の夏場所で幕下15枚目格付け出しとして7戦全勝優勝した元幕下・下田の下田圭将さん(39)。下田さんは番付運に恵まれず十両昇進はかなわなかった。あれから17年。下田さんを訪ね、当時のことや落合のことについて聞いた。【取材・構成=平山連】

   ◇   ◇   ◇

元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●「こうして取材が来るのを待っていました」

待ち合わせ場所に現れた下田さんは、うれしそうに笑みを浮かべながら静かにそう言った。

現在は都内の職場で勤務している。スーツの上からも分かるほどの筋肉質な体つきが目を引く。16年春場所を最後に現役を退いたが、引退してからもトレーニングを欠かしていないことがうかがえた。

柔道選手にありがちな“ギョーザ耳”から学生時代に武道に打ち込んでいたと言われることはあっても、力士として本土俵で活躍した姿を知る人は多くない。まして、幕下15枚目格付け出しとして臨んだデビュー場所で、7戦全勝優勝を果たしたことを知る人は皆無だった。ただし、落合が登場するまでは。

師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●初場所で白星積み重ねる落合に、下田さん「19歳で付け出し資格を取ったのはすごいです」

今年1月の初場所。19歳の大器が白星を積み重ねるにつれて、下田さんの名が改めて注目された。

幕下15枚目格付け出しでの優勝となれば、2006年5月の夏場所の同氏に次ぐ快挙だったからだ。落合の活躍をどんな思いで見守っていたのか。

下田さん 「私は日大出身です。(落合の母校の)鳥取城北からも日大に進学する人がいますから気になって見ていました」

ともに幕下15枚目格付け出しを得て角界入り。落合は19歳の若さでそれをつかんだ。

下田さん 「19歳で幕下付け出し資格を得たのはすごいですよね。私が付け出し資格を取ったのは、大学4年生。国体とインカレを優勝した22歳ですから。“令和の怪物”と言われている通りですよね」

06年大相撲夏場所2日目 幕下付け出しの下田(手前)は古市を押し出しで下し、デビュー戦を飾った=06年5月8日

●デビュー戦の不戦勝「その場の雰囲気を味わえたのは良かった」

落合の初土俵は対戦相手の王輝(錣山)が休場し、デビュー戦がよもやの不戦勝となった。これが破竹の7連勝につながったと、実体験を交えながら下田さんは説明した。

「(落合は)相撲は取らなかったけど、土俵の上に上がって勝ち名乗りを受けた。その場の雰囲気を味わえたことは、彼にとってものすごく貴重な体験だったと思います」。そう分析した上で、自分のデビュー戦を振り返りながら続けた。

下田さん 「相手は古市さんという元十両で、自分よりも小さい方でした。プロとして初めて土俵に上がり、めちゃくちゃ緊張していました。それが一気に解けたのは、立ち合いで古市さんが勝ち気に突っかけてくると分かった時でした。どうしようか一瞬迷いましたが、自分からいかないとやられる-。そう思って、前に出たら勝ったんです。思えばデビュー場所で迷ったのはこの時だけでしたね」

下田さんと落合。2人を取材した記者は、デビュー場所でのある共通点に気がついた。(第2回へ続く)【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。

大相撲裏話

幕下15枚目格で全勝Vも十両逃した悲運の力士に聞く 落合との共通点と明暗分かれた結果(2)

12日初日を迎える大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)で新十両の落合(19=宮城野)は、所要1場所という昭和以降初となる快挙で関取昇進を果たした令和の怪物だ。その大器が初土俵を踏むおよそ17年前、同じ幕下15枚目格でデビューして7戦全勝優勝した男がいた。元幕下・下田の下田圭将さん(39)を訪ねて話を聞いた第2回は、「2人の共通点と明暗の分かれた結果」。【取材・構成=平山連】

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師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●対戦相手を徹底的に研究を欠かさなかった下田さんと落合の共通点。

共に幕下15枚目格付け出しでデビューした場所を7戦全勝優勝した下田さんと落合。そんな2人には好成績につながった共通点があった。それは対戦相手の研究を徹底したことだ。

場所中に落合は「対戦相手が発表された時に、研究して動きをしっかり見ていた」(4日目瀬戸の海戦)「どういう形になっても自分が勝つイメージでシミュレーションしてきた」(6日目の明瀬山戦)などと語り、土俵に上がる前から目の前の相手に惜しみない準備をしてきたことを常々言っていた。こういった言葉の数々に、17年前の06年夏場所で無傷の7連勝を飾った下田さんが重なる。

下田さん 「付け出し資格を得てから私は大相撲中継を録画して、幕下上位にいる力士たちを追っていたんです。彼らはおそらくアマチュアの相撲を見てない。なので私の癖や相撲を知らないと思って、逆にこっちが研究しよう。万全の準備をすれば、勝つ確率が高まると思ったんです」

●学生時代から研究の虫

「デビュー場所は相手が決まると、その映像を集中的に見返しました」

学生時代から、研究の虫。ライバルたちに勝つためと思って、稽古場を離れても相撲のことを考える日々は苦ではなかった。

下田さん 「アマチュアの上位にいくと、強い相手と絶対当たるんです。そうなった時に備えて、相手の癖を研究していました。例えば相手が下がるときには右上手を取りにくるとか、逆に前に出てきたときにははたきがあるとか。必ず相手の癖をインプットして臨む。研究通りに攻めてこなくても、自然と体が反応してくれるんです。(デビュー場所は)実際に対戦相手が決まると、その相手の映像を集中的に見返しました。自分が納得するまで研究して挑んだら、それがばっちりとハマったんです」

06年大相撲夏場所13日目 宮本を押し出しで破り全勝で幕下優勝を決めた下田(2006年5月19日)

●7戦全勝優勝に「やれることをやり切れば、プロでも全然通用する」

七番相撲で宮本を下して7戦全勝しても、下田さんにとっては決して驚く結果ではなかった。元関取などの実力者や勢いのある若手がひしめく幕下上位を相手にも、実力差を感じることはなかった。むしろ「自分の中でやれることをやり切れば、プロでも全然通用する」と大きな自信を得た。

優勝後の帰り道。会場の両国国技館から両国駅までファンに囲まれ、まるでもう関取昇進が決まったかのような歓待ぶりだった。激励や写真攻めに気持ちが高揚した。「お客さんに囲まれたのはあれが最後でしたね」と懐かしむ。

関取昇進を想定し、故郷の長崎・島原では化粧まわしの用意も着々と進んでいたという。

下田さん 「地元もめちゃくちゃ盛り上がっていました。化粧まわしの絵柄も決まって、あとは発注するだけでした。後援会はまだできていませんでしたが、熱心に応援してくれてくれる方が『締め込みの色は何がいい』とか聞いてくれて、すごく準備してくれてました」

前のめりな関係者をよそに、場所後の番付編成会議では十両が見送られた。日本相撲協会には「幕下15枚目以内の全勝力士は十両昇進の対象とする。ただし番付編成の都合による」との内規があるが、当時の審判部は幕下の東西筆頭の勝ち越し力士2人(東で5勝の上林、西で4勝の龍皇)を優先した。

元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●十両陥落者があと1人いれば…。「次の場所へ気持ち切り替えた」

幕下15枚目以内の7戦全勝力士はそれまで例外なく十両に昇進していたが、同場所は十両から幕下への転落者が少なかった。もしも十両からの陥落者が2人ではなく、あと1人いれば…。下田の悲運は起きてなかっただろう。

下田さん 「当時ある解説者の方が『15枚目格で全勝優勝したら(十両に)上げるという規定があるなら、上げないと駄目でしょ』というような言い方をしていました。それが今でも記憶に残ってます。兄弟子たちが『下田、十両昇進ならず』というネットニュースを見つけて、十両に上がれないんだと知りましたが気落ちすることはなかったです。今回みたいに自分の実力を出せばいけるから、次の場所で上がればいいという気持ちに切り替わっていました」

結果として約10年間にわたって角界にいながら、下田さんは十両昇進をつかむことはなかった。くしくも、デビュー場所が最もその夢に近づいた瞬間だった。(第3回へ続く)【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。

大相撲裏話

悲運の力士・元幕下の下田さん、やり切れなかった現役生活と落合への期待(3)

所要1場所での十両昇進を見送られた悲運の元力士は、12日初日を迎える春場所(エディオンアリーナ大阪)に臨む新十両の落合(19=宮城野)の活躍を心待ちにしている。およそ17年前の06年夏場所で、落合と同じく幕下15枚目格でデビューして7戦全勝優勝した元幕下・下田の下田圭将さん(39)を訪ねて話を聞いた最終回は、「度重なるけがと戦った下田さんの現役生活と“令和の怪物”落合への期待」。【取材・構成=平山連】

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元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●下田さん「デビュー場所がピークでした」

「デビュー場所がピークでした」

そう述懐する下田さんの相撲人生は、下降線の一途をたどった。デビュー2場所目となる06年名古屋場所は西幕下筆頭に座ったが、2勝5敗と負け越した。影山(後の元栃煌山)との一番相撲で場所前から悩まされた膝の異変に気づきながら、痛みを押し殺して強行出場した。これがいけなかった。

下田さん 「初日に思いっきり踏み込んだら、左膝が“ババン!”とロックかかったように動かなくなった。何かあったなと感じましたが、4番勝てば十両に上がれる位置だったので強行出場したんです。デビュー場所で7戦全勝して期待されているのを感じていたから、上がらないといけないと勝手に思っていた。けがをしてでも勝ってやろうという焦りが駄目だった。当時の自分にもしアドバイスできるなら、『初日にけがしたのであれば、全休しろ』と声をかけます」

現役時代の元幕下の下田圭将さん(左)と同期で十両の千代の国(下田さん提供)

●「あの時が悪夢の始まりでした」。その後は膝をかばうような相撲が続く

まさかこの名古屋場所が最高位となるとは、一体誰が想像しただろうか。下田さん自身も「あの時が悪夢の始まりでした」と言うように、そこからは膝をかばうような相撲が続いた。

「下から相手を起こして、まわしを取ったり、おっつけたり」と持ち味は影を潜めた。自分の相撲を見失い、なぜ勝てなくなったのか、どうやったら勝てるのか。答えを求めても、分からない。ついには「土俵に上がるのが怖くなった」と思うまでになった。

松鳳山ら同世代が次々と関取に上がった。同部屋の黒海の付け人として巡業に帯同して雑務に追われる中で、アマチュア時代にしのぎを削ったライバルたちが会場でファンと親しげにする姿がまぶしかった。同時に苦虫をかみつぶしたような気持ちにもなった。「自分の相撲を取れれば十両、幕内でも通用する」。いつか自分も-という思いを強くしたが、一向に膝はよくならなかった。

師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●「後縦靱帯(じんたい)骨化症」 

引退を決めたのも、けがだった。靱帯(じんたい)が骨化する難病の「後縦靱帯(じんたい)骨化症」。背骨を縦に通る後縦靱帯(じんたい)が硬くなって神経が圧迫され、痛みやしびれなどを起こすといわれている。

下田さん 「稽古をしていて右手に力が入らない。まわしをとっても全く握れなかった。風呂でもタオルすら持てないんです」

異変に気がついたのは、現役最後の出場となった15年秋場所の前日。当時西三段目95枚目に座り、いち早く幕下に返り咲くべく出場を決めた。右手に力が入らない代わりに、左だけで相撲を取ると6番勝った。場所を終えて首の治療で大学病院を転々としたが、いずれも即引退を迫られた。16年3月の春場所を最後に現役引退を決断した。今はもう土俵を離れたことで気持ちは吹っ切れているが、プロとしては「やり残したことはあります。やり切ってはいません」と悔しさは残ったままだ。

●落合の7戦全勝優勝に「自分のようになってほしくない」と祈って

下田さんのデビュー場所から約17年後。今年の初場所で、下田さんに続いて落合が7戦全勝優勝を飾った。十両昇進か、幕下に据え置きか。番付編成会議の結果を下田さんは「自分のようになってほしくない」と祈るような思いで見守った。

下田さん 「全勝優勝した時に上がってほしいというのは、本音なんですよ。もう誰にも私みたいな思いはしてもらいたくないんです」

落合は晴れて十両昇進を決めた。もしも記者が下田さんの立場だったら、多少は嫉妬心を覚えるだろう。そんなぶしつけな問いにも、「もう17年たっているし、私は現役を離れてる。今は本当に上がってよかった。それだけです」ときっぱり言った。

何より落合のおかげで、自身の名が何度もメディアに登場したことは「正直うれしかったですね。(落合と)セットみたいなかんじに出てくるので」。自分のことのように喜んでいた。

同期で十両の千代の国(左)と写真に収まる元幕下・下田の下田圭将さん(下田さん提供)

●「もう既に幕下付け出しで全勝優勝すれば1場所で十両に上がれると後輩たちを勇気づけた」

師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)と新十両会見に同席した落合は「相撲を始めたときから横綱になるという夢を持ち続けてきたので、いつかその夢をかなえたい」と高々と目標を口にした。今後が楽しみな19歳にかかる期待は大きいが、下田さんは「もう既に幕下付け出しで全勝優勝すれば1場所で十両に上がれるんだと、後輩たちを勇気付けてますよ」と手放しで称賛した。

下田さん 「サッカーでいったら久保建英選手、野球でいったら佐々木朗希選手というように、他のスポーツ界には10代、20代前半で顔になる人がいる。ニュースター候補がやっと相撲界にも出てきた。今相撲をやっているちびっ子たちに大きな夢を与えられるような、横綱を目指してほしいです」

ため込んでいた思いを全て吐き出したかのように、取材を終えた下田さんの表情は晴れ晴れとしていた。12日に初日を迎える春場所。関取デビューを飾る落合。果たして、どんな活躍を見せてくれるか。19歳の大器がけがなく場所を終えること願って応援する。(おわり)(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。

原功「BOX!」

近年目に見えて増加してきたスイッチヒッター 現役世界王者の10パーセント超

試合によって、あるいは戦いの最中に構えを左右に変えて戦うスイッチヒッターが近年、目に見えて増加してきた。WBC世界ヘビー級王者のタイソン・フューリー(34=イギリス)、3階級を制覇したWBO世界ウェルター級王者のテレンス・クロフォード(35=アメリカ)らトップ選手に多いのも特徴のひとつだ。

中高年のボクシングファンにとってスイッチヒッターといえば、1980年代に圧倒的な存在感を示した世界ミドル級王者のマービン・ハグラー(アメリカ)や1990年代を席巻したナジーム・ハメド(イギリス)が馴染み深いのではないだろうか。

その後も世界王者級のスイッチヒッターは何人も登場したが、いまほど多くはなかった。ざっと現役の世界王者、または世界王者経験者らトップ選手のスイッチヒッターを数えてみると-フューリー、クロフォード、エマヌエル・ナバレッテ(28=メキシコ)、フリオ・セサール・マルチネス(28=メキシコ)、サニー・エドワーズ(27=イギリス)、ブランドン・フィゲロア(26=アメリカ)、ジャロン・エニス(25=アメリカ)、オシャキー・フォスター(29=アメリカ)、デビッド・ベナビデス(26=アメリカ)、アンソニー・ディレル(38=アメリカ)、ホセ・ペドラサ(33=プエルトリコ)、クリス・コルバート(26=アメリカ)-あっという間に10人を超えた。現役世界王者に限ってみれば王者全体に占める割合は10パーセントを超すほどだ。

そういえば、ほんの数十秒ではあったものの井上尚弥(29=大橋)もWBO世界スーパーフライ級王座の防衛戦で左構えにスイッチしたことがあった。その井上と2度対戦した元世界5階級制覇王者のノニト・ドネア(40=フィリピン/アメリカ)も基本は右構えだが、かつて左構えで戦ったことがある。「本来は右利きなのか左利きなのか」と尋ねたところ、日本の歴史や文化に造詣の深いドネアは「小さいころから右手も左手も同じようにつかえた。だから僕は宮本武蔵みたいに二刀流なんだ」と答えたものだ。

同じスイッチヒッターでも、多くの選手が長い時間、どちらかの構えで戦うのに対し、マルチネスやフィゲロア、エニスは同じラウンド内で何度も器用に構えを右から左、左から右とチェンジする。たとえば右を打ち込んだ際に勢いで右足が前に出れば、その構えを元に戻すことなく今度は左を打ち込むのだ。それによって接近戦を得意とするマルチネスやフィゲロアは連打の回転力を上げているといえる。これに対しエニスは恵まれたリーチを生かして遠い距離から左ジャブで相手を突き放したかと思うと、次の瞬間には構えを変えて右ジャブを打ち込んでいることもある。相手にとって厄介なのはどちらのジャブも速くて正確で、さらに後続のパンチが右も左も滅法強いという点だ。31戦30勝(27KO)1無効試合という戦績が示すとおりの強打者で、相手はタイミングを計っているうちに倒されていることが多い。スイッチヒッターの理想形といっていいかもしれない。

こうした現象について、WOWOW「エキサイトマッチ」で30年以上も海外のトップ選手たちの試合を解説してきた浜田剛史氏(元WBC世界スーパーライト級王者)は、「普通の能力の人がやっても危険が増すだけでメリットは少ない。自在にスイッチするのはバランスのいい能力の高い選手に多い」と分析。そして「タイミングを計るタイプの選手にとってスイッチヒッターは戦いにくいもの。ただ、スイッチヒッターは相手に与える怖さが半減するというリスクがあるので利点ばかりではない」と加える。近年の増加現象については「昔と比べて選手が入手できる情報量が格段に増えたことが影響しているのだと思う。映像を見て試してみて実際に採り入れる選手が多いのでは」と話す。

以前はボクサーのプロフィールを記す際に「右(オーソドックス)」、「左(サウスポー)」の2種しかなかったが、今後は「スイッチヒッター」の欄を用意する必要がありそうだ。

リングにかける

ロリト麻理菜、トレーナーの夫と「今時」SNSでの出会いから3カ月で結婚 夫婦で目指す世界

4・9興行で日本王座に挑むロリト麻理菜(左)と夫でトレーナーのレイ・ロリト氏

「今どきだなぁ」とほほえましい空気が流れた。

ボクシングのエスペランサジムが今月1日に兵庫県伊丹市のジムで4月9日に大阪の豊中176BOXで行う興行について会見した。メインは日本女子ミニマム王座決定戦(6回戦)で同ジムの同級1位ロリト麻理菜(29)と同級5位の一村更紗(27=ミツキ)が対戦する。

会見で隣に寄り添っていたのがトレーナーで夫のレイ・ロリト氏(32)。フィリピン出身で日本非公認のIBOライトフライ級王座を獲得、来日して大成ジムに所属した。「ボクシング」の共通項はあるが、夫婦となるまで2人をつなげたきっかけは「SNS」だったという。

麻理菜選手はプロデビューしてからSNSのフェイスブックを始めた。そこにレイ氏がDM(ダイレクトメッセージ)を送ってきたという。「『男ですか?』ときたんです。普通は無視するんですが、さすがに『いえ、女性です』と返して。それから『自分にトレーナーをやらせてほしい』ときてやりとりしました」。

今になって明かされたのは「男ですか?」は興味を抱かせるための作戦だったという。麻理菜選手は当然、警戒をしたが、同じフィリピン選手の仲介もあり、20年11月に初めて会ってからがスピードだった。「出会って1週間で交際し、3カ月で結婚しました」。ボクサーとして尊敬する実績に加え、人柄にひかれて電撃婚にいたったという。

「ボクシング」の共通ワードがあって、おたがいに支え合える。麻理菜選手はボクサー、理学療法士、主婦と「三刀流」をこなし、その多忙な生活をレイ氏が支える。

初めて挑む日本タイトルも通過点に位置づける。「目標はもっと上に向いている。その夢への第1歩として、日本のベルトを必ずとります。ジムに初めてのベルトを持ち帰って、次につなげたい」。自身を「スポーツも何でも負けず嫌い」と分析する。数年前は「格闘技は見るのも怖かった」という主婦が、夢の世界王者へ歩みを進める。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける」)

◆ロリト麻理菜(まりな) 旧姓・浜田。1994年(平6)2月4日、神戸市生まれ。中学からバスケットボールを始め、須磨学園へ。森ノ宮医療大学へ進み理学療法士の資格を取得。23歳時に「ダイエット目的で」ボクシングを始める。19年12月プロデビュー。戦績は5勝1分け。身長157センチの右ボクサー。