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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

新型コロナで引退延期…50歳華吹はまだ輝き続ける

華吹

幕内優勝の行方が混沌(こんとん)とする中、記録を打ち立てた序二段力士がいる。現役最年長の50歳、西序二段68枚目の華吹(はなかぜ、立浪)が、14日目に今場所最後の相撲を取った。負けて2勝5敗で終え、2場所連続勝ち越しはならず。しかし、1906年(明39)1月場所の鬼ケ谷以来、114年ぶりに50代力士として本場所を皆勤した。

思いもよらぬ形で金字塔が打ち立たれた。師匠の立浪親方(元小結旭豊)によると「もうそろそろ、という話も正直ある」と引退の話も出ているという。しかし「コロナの影響で延期になってしまって」。新型コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、華吹が働く予定の職場の受け入れ態勢が整わず、引退時期が延びているという。結果的に快挙を達成。「できないことをできたのは本人も周りの人も喜んでいると思う。元気づけられた、という声も多いからね」と誇らしげだ。

現在はちゃんこ長として、立浪部屋の胃袋を支える。同親方は「こういう時に楽しみなのは食べることしかない。まだまだ若手の食育をして欲しい」と期待する。現役唯一の昭和入門の大ベテランは、新型コロナに負けずにまだ輝き続ける。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

新様式で売店グッズに新商品ゼロ、タオル需要は拡大

大相撲7月場所初日 観客動員された中で執り行われた幕内土俵入り(撮影・河田真司)  

相撲観戦も“新様式”が求められている。今場所は館内での飲食が奨励されていない。開場時間は普段より5時間遅い午後1時で、観客が昼食を終えた時間を見越している。横綱、大関の力士弁当は販売されず、食べ物は焼き鳥のみ。焼き鳥は通常1日あたり約6万本作るが、今場所は同3000~4000本と1割以下にとどまっている。アルコールの販売は禁止。観客同士で飲食しながら楽しむ今までの観戦スタイルは、当分できそうにない。

売店のグッズ巡りも寂しさが残る。今場所の新商品はゼロ。国技館内の販売を手がける「国技館サービス」の担当者も、10日目を終えた時点で来場所以降の課題として「グッズの少なさが一番」としている。観客を入れての今場所開催が決定したのは初日の6日前。在庫リスクを懸念して、新商品の販売を委託してくる外注先がなかったためだ。

一方で力士名が書かれたタオルが、オンラインでの販売を通じて売れ行き好調だ。「感覚的には普段の4、5割は多い。自宅のテレビ観戦でタオルを掲げる需要がある」。人気はぶっちぎりで新大関の朝乃山。お茶の間から新しいかたちで声援が送られている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

千代大龍、コロナ痩せで20キロ減「動けるデブ」に

妙義龍(左)を押し出しで破る千代大龍(撮影・鈴木正人)

春場所後からのコロナ禍での自粛生活は、力士にさまざまな影響を及ぼした。

多くの力士が、体重の変化を口にする。ほとんどが「コロナ痩せ」で、中でも千代大龍は「春場所から20キロは落としました」と明かす。春場所後は193キロあった体重を172キロまで落としたという。減量方法は「本とか携帯で調べて、野菜中心の食生活にしました」。5月の夏場所が中止となり、約4カ月続いた自粛生活を有効活用。「動けるデブと言ったら変だけど、体が軽くなっていいっすね」としゃべりも軽快だ。

体を休めてケガを治した力士が多い中、魁聖は「コロナのせいで病院に行けなかった」とポツリ。いくら休みがあるとはいえ、病院で治療を受けないと治せないケガもある。しかし、通院すれば感染リスクは高まる。魁聖は6月に結婚したばかりで「古傷とか、あちこち痛くなるよ。でも周りの人に迷惑かけられないから」と話す。角界には糖尿病持ちが多く、容易に通院できない事情もある。

約4カ月ぶりの開催となった本場所。稽古場以外でも努力や苦労を重ね、力士らは土俵に上がっている。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

琴勝峰(左)を下手出し投げで破る魁聖(撮影・中島郁夫)

「白鷺の姉御」来年の名古屋開催まで「辛抱と我慢」

15年7月、大相撲名古屋場所8日目を観戦する陸上・神野大地の祖母磯部安江さん(左)。中央は青学大陸上部の原晋監督

名古屋場所で着物に髪をばっちりセットし、西の花道近くの客席で15日間観戦する女性は大相撲ファンにおなじみだ。磯部安江さん(78)は、箱根駅伝で活躍した青学大の神野大地(セルソース)の祖母としても有名。7月場所が東京開催となったが「協会の判断が正解! 今は辛抱と我慢ね」と歯切れよく話した。

磯部さんは名古屋市内の鶏肉卸店の4代目おかみで「白鷺の姉御」が愛称。初めて大相撲を観戦したのは、20年ほど前になる。知人からチケットを譲り受けたのがきっかけだった。相撲の知識は皆無だったが、いざマス席から観戦すると、当時大関だった千代大海(現九重親方)の地割れのようにひび割れした足裏を見て「頭が下がる思いになったわ」。当時幕内だった若の里(現西岩親方)の美しい所作などにもほれ込み、大相撲特有の神秘的な雰囲気にのめり込んだ。

最初の5年は定着している西ではなく、東の花道近くで観戦していた。西の花道に変えたのは、行司や呼び出し、贈呈物が真横を通り過ぎ、より大相撲を身近に感じることができるから。「優勝杯が通り過ぎると興奮します。今の席はすごくいいわ」。コアな楽しみを持つ姉御は、来年の名古屋開催を待ち望んでいる。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

15年7月、大相撲名古屋場所8日目を観戦する陸上・神野大地の祖母磯部安江さん(右から3人目)。同2人目は青学大陸上部の原晋監督

場所あっても厳しい実情ちゃんこ鍋店も待ち望む日常

コロナ禍で客の出入りが減少した商業施設「-両国-江戸NOREN」

国技館から徒歩1分で大相撲ファンになじみの有名商業施設が、悲痛な叫びを訴えた。JR両国駅に隣接する「-両国-江戸NOREN」の三好昇副所長は「7月場所でお客さんを入れると決まった時の期待とは、大きくかけ離れている」と肩を落とす。緊急事態宣言が解除された6月から一部店舗を再開させたが、前年の同時期に比べて客入りは2、3割にとどまっている。7月場所が始まっても、打ち出し後に訪れる観客はめっきり減った。

館内にある12店の飲食店のうち、4店はまだ再開していない。陸奥親方(元大関霧島)が手がける「ちゃんこ霧島」は、同施設内の店舗を休業中。もともと夏場は客足が遠のく上に「大人数で鍋をつつくのは感染予防の観点でいうと厳しいものがある」と同副所長。ちゃんこ鍋店は特に厳しい実情がある。

一方で7月の名古屋場所、11月の九州場所が東京開催となった。例年にない売り上げが見込まれ、わずかな“追い風”となるが、吉田秀久所長は「名古屋と九州の方には申し訳ない。大相撲だけでなく、早く日常が戻ってほしい」と、複雑な表情を浮かべた。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

懸賞減った場所から応援の“新規参入”

くら寿司の懸賞旗(撮影・鈴木正人)

大手回転ずしチェーン「くら寿司」が、今場所から大相撲に懸賞を出している。貴景勝、朝乃山、炎鵬を指定するなど、15日間通じて出し続ける。同社の担当者は「食を通じて健康を提供していくくら寿司が、スポーツでも人々の健康を応援していきたい」と説明する。昨年11月には本社がある堺市の野球場のネーミングライツを取得するなど、スポーツを応援する熱が高まっているという。すしと相撲は日本を代表する文化で親和性も高い。昨年には米国子会社が現地で上場。海外進出を図る機会に、大相撲の力も借りる。

コロナ禍で企業の業績は打撃を受け、今場所は懸賞が大幅に減少した。場所前の芝田山広報部長によると、今場所の懸賞申し込みは約1300本。近年の東京場所は、申し込み時点で2000本を超えることも珍しくなかった。

観客を入れ始めた今場所だが、まだ国技館の定員の4分の1ほど。「正直なところ観客が減る部分に関しては悩む部分はあった。ただ世間で『できない』『やらない』がまん延する中、観客数を減らしても工夫して開催に挑戦することを応援したい」と担当者。かつてない開催方法に挑む大相撲をバックアップする。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

元中川部屋力士「みんな頑張ろうぜ」新天地で奮闘

転籍した元中川部屋の力士が、新天地で奮闘している。東序二段4枚目春光(34=宮城野)は一番相撲で押し出され、白星発進とはならなかったが「自分が頑張ることで一緒にいた中川部屋のみんなも頑張れると思う」と前向きに話した。

攻めに耐える春光(撮影・河田真司)

13年前の新横綱場所から白鵬の付け人を務めてきたため、移籍した宮城野部屋の力士は全員が顔見知りだった。「親方、横綱をはじめみんなが快く受け入れてくれました。横綱には『よく稽古してるね』と声をかけてもらったり、かわいがってもらっています」と感謝する。

移籍して元中川部屋の力士に「みんな頑張ろうぜ」とLINEを送って鼓舞した。幕下吉井には直接「大丈夫か? 落ちついているか?」と連絡した。元中学横綱の有望株といってもまだ16歳。新たな環境に身を置く弟弟子を、兄弟子なりに気遣った。

武玄大(左)を攻める吉井(撮影・河田真司) 

その吉井はこの日、一番相撲で左差しから一気に寄る快勝を収めた。「(移籍した時津風部屋は)みんな優しく受け入れてくれた。勝ち越しできるように1日1日集中してやっていく」。関取候補の幕下旭蒼天も「長い間一緒にいたから寂しさはあるけど頑張ります」と誓った。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

ボロボロになっても…元栃煌山不器用な分こだわった

リモート引退会見に出席した元栃煌山(2020年7月15日撮影)

清見潟(きよみがた)親方、つまり引退を発表した元関脇栃煌山(33=春日野)と最後に話をしたんは春場所前、大阪・交野市にある宿所の朝稽古後でした。

「あいつ、言うてたんですよ。ボロボロになってまでやりたくないって」

あいつ、は豪栄道(現武隈親方)で、初場所後に引退していた。同じ昭和61年度生まれの“花のロクイチ組”。子供の頃から影山(栃煌山)と沢井(豪栄道)でやり合ってきた。

昨年の初場所は、これもロクイチ組、稀勢の里(現荒磯親方)の最後の対戦相手になった。

ライバルが去った土俵で、栃煌山は頑張った。自分のために。そして、子として、父として。

18年5月30日。都内の春日野部屋で栃ノ心の大関昇進伝達式があった。部屋仲間の晴れ舞台に栃煌山も、栃煌山の父もいた。

夏場所後、後援会の行事で故郷・高知に出向き、前日に陸路、乗用車で半日かけて戻った。車中、運転する父に頼まれた。「“栃ノ心関の伝達式、ワシも現場で見てええかな?”って。まあめったにないことですから。でも“ああ、そういうのが見たいんやなあ”と思いました」

三役在位25場所、ずっと大関候補だった。幕内優勝は12年夏場所、優勝決定戦の末に逃した。当時31歳の身に大関の道は厳しくなりつつあったが、賜杯はまだまだ狙えた。父に晴れ姿を見せたかった。

17年9月11日。妻せりさんが長女稟(りん)ちゃんを出産した。

「口に含んだお茶を、顔に吹きかけられたんです。もうぶわ~って」。支度部屋では真顔でぼそぼそしゃべる記者泣かせの男が、ニコニコして声を弾ませた。年に3度は地方場所、合間には巡業もあり、都内の自宅に戻る機会は少ない。稟ちゃんは早くに「ママ」としゃべったが「パパ」は時間がかかった。

1年ほど前「嫁さんに聞いたら、テレビで俺を見たら、壁のカレンダーの俺の写真を指さすんですって。まだ、相撲はわからんでしょうけど」と少し悔しそうだった。

2度目の十両陥落で、引退を決めた。不器用な分、自分の型にこだわった。低く、速く、強く、差し身で前へ-。独特の長い仕切りも、腰をしっかり入れるため。朝稽古後は居残って、付け人相手にプラス30分、立ち合いを確認するのが常だった。

晩年は椎間板ヘルニアなど足腰の故障に苦しんだ。ここ1、2年「立ち合い? 高いです。踏み込み? 1歩目がよくても2歩目が出んかったり」が口癖だった。ボロボロになるまでやっても、どうしても前に出られなくなった。

努力、経験、心根、みんな持ってる。きっとええ親方になると思う。【元相撲担当・加藤裕一】

15年9月、秋場所で稀勢の里(手前)を寄り切り全勝対決を制した栃煌山

コロナ時代に向き合う裏方、難局乗り越え守る伝統

大相撲初場所の土俵祭りが執り行われる両国国技館(2020年1月11日撮影)

「久しぶりです、お元気ですか?」。その問い掛けに受話器の向こうで、その若者頭は語尾のトーンを落として笑った。「おお、元気だよ。元気だけど、元気ないよ」。その気持ち、痛いほど分かる。経済活動が徐々に解除されつつあるとはいえ、当たり前の日常を取り戻すには当分、時間を要する。

幸いにも新型コロナウイルスには感染していない。だから表面的には元気。ただ、動きようにも動けないから「覇気」は薄れる。そんな、もどかしい思いで、高砂部屋の若者頭・伊予桜さんは続けた。「電車の乗り方も忘れちゃったよ」。外出自粛を忠実に守り、自宅のある埼玉・草加市内から出ない。“遠出”といえば1カ月前、都内の高砂部屋で抗体検査を受けに出たぐらい。それも公共交通機関は使えないため、タクシー通いだったという。

そんなもんもんとする日々が続く中、ささやかな“朗報”も…。「新弟子検査が決まった(13日)から久々に国技館に行けるんだよ。週末には部屋の土俵づくりも始まるからね」。声のトーンは明らかに違っていた。当たり前の日常が、少しばかり戻りそう。仕事仲間との3カ月ぶりの再会の日も近い。「人のいない時間を見計らって朝と晩、1時間半ぐらいウオーキングはしてるよ」。仕事柄、体力勝負は身に染みている。本場所再開の日を粛々と待つ。

丹精込めた土俵づくり。「力士が土俵に足を踏み入れた時、足の裏で『ああ、本場所が始まるんだな』と感じてくれれば、僕らもうれしいですね」。やはり高砂部屋の幕内呼び出し・利樹之丞さんは願いを込めて言う。土俵づくりは呼び出しの重要な仕事の一つ。通常、東京場所前に行うが、今年夏場所は中止。初場所は昨年末に行ったため、今年はまだやっていない。その土俵づくりについて6月下旬、日本相撲協会が各一門に対し、師匠の判断で許可する通達を出した。高砂部屋では今週末に土俵を一度、壊して作り直し、週明けに土俵祭りを行う。「うちも師匠の判断で、いつもの場所のペース、リズムを作ろうということになりました。通常の番付発表の直前に土俵を作って、土俵祭りをやって稽古始め。力士が感覚を取り戻してくれればいいですね」。

もどかしさもある。本場所と本場所の間で呼び出しは、太鼓の稽古を行う。喉が命の商売柄、声出しも。だが、それもままならない。若手の呼び出しが太鼓をたたけない現状に「エアで練習してるのかな…。外での声出しも、飛沫が…となると出来ないし。こんなに声を出さない日が続くなんて初めてですよ。(場所直前の)触れ太鼓も回れないだろうし。ある意味、ワーワー騒ぎながら勢いでこなすのが僕らの仕事ですからね…」。それでも裏方としての誇りは忘れない。「いつもの日常には、すぐには戻れないけど(本場所は)やれば出来ます。マスクをしながらでも土俵を作ります」。

両国まで約50キロ。1時間少々の東京・八王子に住む幕下行司・木村悟志さんは抗体検査の際、高砂部屋までレンタカーで往復した。「協会からはタクシー代が支給されますが、八王子は遠くて2万円以上かかりますから…」。さすがに往復約5万円は気が引ける。経費削減の涙ぐましい話だ。もちろん、外出はそれだけ。行司会からは、各自で出来る仕事を探すように、という通達が出て、自宅では封筒書きや「これをいい機会だと思って始めました。気を紛らわすのにもいいかなと思いまして」と、横綱から序ノ口まで全力士の出身地も入った、大判の番付の筆書きの練習も始めた。後援者らに番付や部屋便りの新聞などを送る封筒の宛名書きも、向こう数場所分を書き終えたという。

「毎日、通っていた部屋に行けない。変な感じです。外で声出しをしようにも、飛沫が…とか言われそれが相撲関係者だと言われるといけないので…。完全自粛です。でも、今は我慢してます」。いつの日か朝乃山の大関昇進披露パーティーや、高砂親方の停年の宴の案内状を発送する日が必ず来る。そうなれば封筒の宛名書きにも力が入る。そう信じて、今は耐える。

華やかなスポットライトが当たる力士だけでは、屋台骨は支えられない。舞台裏で、誰に頼るでもなく自前で成り立ってきた伝統がある。コロナの時代に向き合う裏方たちも、見えない敵と闘いながら難局を乗り切ろうとしている。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

7月場所まで1カ月 企業に支えられ開催へ歩む

結びの一番で土俵上に回る懸賞旗(2020年3月15日撮影)

19日からプロ野球が開幕した。中継を見ていると、ソフトバンクとの第3戦で満塁弾を放ったロッテの井上晴哉内野手が、ベンチに戻って今季から取り入れたというパフォーマンスを披露。大相撲の力士が懸賞を受け取る際に行う、手刀を切るような所作だった。本物のおすもうさんが懸賞を受け取る姿も、待ち遠しく感じた。

3月に無観客で開催された大相撲春場所では、15日間の懸賞本数が前年の1938本から1068本と半減した。それまである幕内力士を指定して、15日間懸賞を出していた企業は「業界全体が厳しい状況にあるので、3月は取りやめました」と説明。春場所に続いて無観客で開催される見通しの、7月場所(19日初日、東京・両国国技館)の買い付けも取りやめる方針を明かした。3月の春場所まで人気力士の取組に懸けていた企業も「7月場所は検討中です」。無観客で懸賞の広告効果が薄れることに加え、新型コロナウイルス感染拡大の影響は3月以上に大きくなっているという。

逆に「こんなときだからこそ」と、懸賞をかけ続ける企業も。ドラッグストア大手のウエルシアは、春場所に続いて7月場所でも懸賞を出す方針だ。「日本の国技である大相撲を応援させていただきたい」と広報担当者。17年初場所から、店舗がない九州場所以外の5場所で、1本7万円の懸賞金を毎日4本出している。「日本を元気にしていただけるようなダイナミックな取組を期待しています」と、7月場所に向けて調整する力士らにエールを送った。

大相撲に懸賞を出して約20年という、お茶漬けなどで知られる永谷園も同じだ。7月場所も毎場所通り約200本の懸賞を出す予定。広報担当者は「大相撲を応援するスタンスは変わらない」と明かした。毎場所と同数の懸賞を出した春場所後には、大相撲ファンから好意的な意見も寄せられたという。「3月と状況は変わりつつありますが、力士の皆さんの力になれれば」と話した。

7月場所まで1カ月を切った。さまざまな企業にも支えられながら、角界は開催に向けて歩んでいく。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

夏場所中止を誰より寂しがった天国の「お父ちゃん」

昭和35年名古屋場所 小結の大鵬と大阪日刊スポーツ新聞社の岡本晴明記者(1960年7月)

大相撲夏場所がなかった5月。NHKのアーカイブ企画がおもしろく、興味深かった。昔懐かしい、といっても生では知らない時代がほとんどだったが、当時の角界の文化が伝わり、楽しめた。

その中で画面に出された1枚の写真に声が出た。「あっ、お父ちゃんや」。横綱大鵬と柏戸の「柏鵬時代」の特集。横綱柏戸の横に取材で張り付いていたのは、まぎれもなく若き日の「お父ちゃん」だった。

実の父親ではない。日刊スポーツの大・大先輩、近畿大相撲部出身で名物相撲記者だった岡本晴明さん。他社の記者からもだれからも「お父ちゃん」と親しまれた。自分が相撲記者として“ニッカン部屋”に入門した時は、すでにご意見番的存在だった。自分はといえば、何冊かの相撲関連の本を読んで知識をつけていったつもりだったが、相撲のことを何も知らないに等しい。「お父ちゃん」はまさに師匠だった。

相撲の記事を書く上で欠かせない「手さばき」がある。立ち合いから突っ張ったり、四つに組んだり、左を巻きかえてうんぬんなど取組の勝敗を決したポイントを説明する。とはいえ、ほとんどの勝負が数秒で決する。90年代はじめで、今のように簡単にVTRを見返せない時代。何も分からない新弟子記者を導いてくれたのが、お父ちゃんのアクション解説だった。

実際に四つに組むなどで、取組を再現してくれた。差した腕を上げて、相手の上手を切る「かいなを返す」。相手の差し手のひじを握って絞り上げる技など。それを実演してもらうことで勝敗を決める上でどれだけの効果を及ぼすのか、本当に分かりやすかった。分かってくると、相撲の魅力にはまる。打ち出し後、他社の記者と国技館の廊下で相撲をとり、何度も先輩記者にしかられた。

それもこれもいい思い出でしかない。お父ちゃんには感謝しかない。東京場所ではよく浅草橋の焼き鳥店に誘ってもらった。焼き鳥を数本、そして最後に釜飯が定番。「食わんと番付上がらんで」が口癖。食べながら相撲を語る。教えてもらったことは数え切れない。

1枚の写真からいろんな思い出がよみがえってきた。相撲がなかった5月。天国のお父ちゃんも寂しかっただろう、と思う。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲初場所11日目 20年ぶりに生観戦する明大ラグビー部・北島忠治監督(中央右=北島監督は明大学生時代初めは相撲部で活躍)と斎藤コーチ(中央左)、右端は日刊スポーツ岡本晴明記者(1982年1月20日撮影)

人命救助も納得 境川親方は人望あるおとこ気の塊

20年1月、豪栄道の引退会見であいさつする境川親方(元小結両国)

10年前に相撲担当に戻った時のこと。知った力士はもう数人で、親方衆に「何しにきたの?」とけげんな顔をされたり、「ひやかしは帰って」とひやかされた。そんな中で背後から声を掛けられた。「お元気そうで。だいぶお年を召されましたね」。境川親方(元小結両国)だった。

日大4年時から取材した。新入生にのちの久島海の久島がいた。末は横綱と言われた逸材。親方は当時主将としてボディーガード隊長のようで、いつもピリピリ。道場に行っても「取材はダメです」としばしば拒否された。

長崎の同郷の縁もあり、元横綱佐田の山の出羽海部屋に入門した。プロでも口数は少なく、接点は少なかった。それがほほ笑みながらあいさつされて、ちょっとびっくりした。学生時代から顔見知りの縁が、十数年ぶりの懐かしい再会になった。

こわもてで威圧感がある。若手記者にはつっけんどんで怖がられていた。こちらは部屋へ行けば「大したもんはありませんが」と言いつつ、ちゃんこを振る舞ってくれた。飲み屋で会うと、ボトルの差し入れ合いになってしまった。

テレビから力士が川に飛び込んだ女性を助けたというニュースが耳に入った。ピンと来た。画面に目をやると境川部屋とすぐに分かった。親方が助けを求める声を聞いたのが始まりにもうなずけた。

サイパンへの部屋旅行で、バンザイクリフにある慰霊碑が落書きされているのを見て激怒。日程を変えて洗剤とブラシを買い込み、弟子と一緒に汗だくで磨き上げた。

元前頭豊響を下関の自宅へ勧誘に行ったが母親に悪態をついた。「親にそんな口をきくヤツは、こっちから願い下げだ」と破談になった。職を転々とした後に豊響が頭を下げると「命を懸けて来い」と受け入れた。

6年前には豪栄道が部屋から初の大関誕生となった。昇進伝達式での口上は「大和魂を貫く」というもの。親方夫妻と考えたと言ったが、あの親方にして、この弟子ありと言える口上だった。

元久島海の田子ノ浦親方が12年に急死した。プロでも同じ部屋で過ごした。高校生初のアマ横綱も、最高位は東前頭筆頭に終わった。境川親方は「三役にも上げられなかったことが一番悔しい」と話したものだ。

角界で一大勢力の日大勢はいずれも元監督の田中理事長の教え子だ。18年のアメリカンフットボール部問題では理事長独裁のガバナンスなどが問題視された。境川親方は以前から一線を画し、部屋に日大出身力士は同郷の對馬洋だけ。一方で角界を離れた大先輩の元横綱輪島さんとは、最後までつながりを持っていた。

誰でも一長一短あるものだが、境川親方は人望もあり、悪口を聞いたことがない。人命救助にも女性を気遣って多くは語らなかったという。筋の通ったおとこ気の塊のような親方である。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

手負い稀勢の里V…敵役の照ノ富士が飲み込んだ言葉

17年3月、優勝決定戦で稀勢の里に敗れた照ノ富士は、土俵に座ったままぼうぜんとする

春場所が終わって、約2カ月半がたった。大阪から帰京後、猛威を振るう新型コロナウイルスの影響で在宅勤務が増え、夏場所が中止となり、そして今も在宅勤務がメインとなっている。稽古場に行き取材していたころと比べると時間に余裕がある。ふと、昔の取材ノートを整理した。すると記者にとって思い出深い1冊が出てきた。

17年春場所。この場所は稀勢の里の新横綱場所だった。稀勢の里は12日目まで全勝。久しぶりの日本人横綱による快進撃に、ファンは連日酔いしれていた。その稀勢の里を追いかけていたのが大関照ノ富士。12日目までに1敗を守り、賜杯を虎視眈々(たんたん)と狙っていた。

大きく動いたのは13日目だった。照ノ富士が横綱鶴竜を破った、次の結びの一番。横綱日馬富士の鋭い強烈な立ち合いを受け止めきれなかった稀勢の里は、一気に土俵下まで飛ばされた。土俵上に戻ろうとする稀勢の里だったが、右手で左胸を押さえながら苦悶(くもん)の表情。明らかに異常事態だった。それでも心配するファンをよそ目に、自力で歩いて支度部屋へと戻った。

翌14日目も波乱が起こった。稀勢の里に1敗で並んだ照ノ富士は、琴奨菊相手に立ち合い変化で白星。これまで四つに組んで力強い相撲を見せてきただけに、館内にはブーイングが飛び交った。この日は場所が始まって初めて、16年に手術した左膝のテーピングの上からサポーターを着用。治療のための病院も欠かせない状況で、1つの白星、そして悲願の賜杯を抱くために選んだ立ち合い変化だった。しかしファンにとっての主役は、この日までの声援の大きさから推測すると新横綱だった。稀勢の里の優勝を待ち望んでいるファンにとっては、照ノ富士の立ち合い変化での勝利が面白くなかったのだろう。

その稀勢の里は13日目の負傷の影響で本来の力を全く出せず、14日目も敗れて2敗に後退。そして千秋楽は、本割で稀勢の里と照ノ富士が組まれた。照ノ富士は勝てば優勝、稀勢の里は本割と優勝決定戦で勝てば優勝。これはさすがに照ノ富士が圧倒的に有利だろう-。相撲担当3場所目の若造記者の予想だった。

千秋楽、結び前の一番。取組前から異様な雰囲気だった。両者が花道に現れた時の、ファンの反応は極端だった。新横綱へは大歓声、優勝争い単独トップの大関には手厳しいヤジ。そして本割。待ったがかかった最初の立ち合いで、稀勢の里は右に変化気味に動いた。まともに当たっては勝てないか-。そう思ったが、次は正面から当たり、そして土俵際で突き落とし。新横綱の勝利に、会場が大いに沸いた。そして優勝決定戦。稀勢の里が小手投げを決めた瞬間、満員のファンによる大歓声でエディオンアリーナ大阪が揺れるのを感じた。手負いの新横綱の逆転優勝だった。

当時、記者は照ノ富士を担当していた。13日目に負傷した稀勢の里と並び、14日目に琴奨菊に立ち合い変化で勝って単独トップに立ってから、ファンから向けられる目がかなり厳しくなったと感じた。それは照ノ富士も少なからず感じていたはず。それでも表情に出すことはなかった。優勝決定戦後の西の支度部屋。肩を落とした照ノ富士は、報道陣に対して「目に見えるつらさと目に見えないつらさがあるんだよね」とつぶやいた。

照ノ富士が支度部屋を出た後、会場を出るまでついていき、目に見えるつらさと目に見えないつらさとは何か、聞いてみた。すると「みんなには分からないよ」。遠くを見つめる照ノ富士にそう言われると、何も言えずに見送った。ノートに書かれたこの場所の照ノ富士への取材コメントは、この言葉で終わっていた。

新横綱の劇的な逆転優勝は印象深い。一方で、敗者の言葉も同じぐらいしっかりと記者の心に刻まれた。本当は不満や鬱憤(うっぷん)など、言いたいことは山ほどたまっていたと思う。それでも言い訳せず、飲み込んだ姿は今でも忘れられない。新型コロナの影響で中止となった夏場所の番付で、幕内に復帰した照ノ富士。再び土俵を盛り上げてくれるのを期待している。【佐々木隆史】

初代貴ノ花命日に思う、諸行無常でも変わらない心

東京・中野新橋にあった旧二子山部屋跡地では現在、新築マンションの建設工事が進んでいる中

受話器の向こうから切なそうな声が聞こえてきた。

「今年も行きたかったんだけど、コロナでねぇ…。新幹線で移動するのも、はばかられるご時世だし。店も1カ月半ぐらい閉めてましたよ」

5月30日。東京・阿佐ケ谷にある天桂寺の門前で、私はスマホを握っていた。この日は15年前に亡くなった元二子山親方(元大関貴ノ花)の命日。故人が永眠する墓がここにある。所用があって墓参できない時を除いて、命日には私も足を運んでいる。ふと気になって、上京した際には墓参りに訪れる故人の弟子で、今は東京を離れて料理店を営む元力士に電話した。もし、これから墓参に来るなら久々の再会を楽しもう…。そんな願いは、前述のようにコロナ禍でかなわなかった。

足を運びたくても、墓参に来られなかった人は他にもいただろう。ただ、うれしいことに墓前には、持参した花が差し込めないぐらいの、あふれるほどの花が添えられていた。「15年たっても忘れられない存在の人だったんだな」とか「あの兄弟も、別々ではあっても来たんだろうな」とか雑念にかられながら…。

そんな下世話なことも考え、手を合わせて引き揚げる間際、年配女性と鉢合わせした。故人の現役時代からのファンで千葉・船橋から訪れたという。「『クンロク(9勝6敗)大関』とか言われたけど、小さい体で強かったもんね」。墓前でひとしきり話し込んだこの女性、自宅から一度、中野新橋にあった旧二子山部屋に寄って墓参りに来たという。「部屋はもう取り壊されてマンションの建築中でしたよ」。

そう聞いて、足は自然と中野新橋に向かった。街並みは変わっていない。ただ栄華を誇ったあの部屋は確かに跡形もなく、今年12月完了予定の4階建てマンションの建築工事中だった。もう一度、前述の元力士に電話してみた。「そうですか…。さら地になったのは聞いていたけど、もう他の建物が建つんですか…」。実は、部屋があった場所がさら地のうちに、OBの力士で集まって、酒を酌み交わしながら昔話に花を咲かそう、と夢を描いていたそうだ。

再び切なそうな声だったが、思い直したようにそのOB力士は言った。「来年は親方の17回忌ですか。またみんなで集まれればいいな。自分らが親方に育てられたことに変わりはないからね」。何となく、柄にもなく諸行無常を感じた新緑の一日。世の中のもの、移り変わっては生まれ変わり、また消えては…の繰り返しなのかもしれない。それでも、人それぞれ、心の中に大事にしまっているものは変わらない。とかく冷静さを失いがちな、コロナ禍にあるこのご時世でも…。墓前で会ったあの女性、OB力士に教えられた気がする。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

東京・中野新橋にあった旧二子山部屋跡地では現在、新築マンションの建設工事が進んでいる中

言葉発さずにうなずき…記者を救った鶴竜の懐の深さ

バスケットボールを片手に笑顔の鶴竜(2019年8月19日撮影)

日本相撲協会が7月場所(19日初日、東京・両国国技館)の開催を目指す中、プロ野球が開幕日を6月19日と決めた。他競技でも再開の足音は近づいており、スポーツ観戦を趣味に持つ方々の期待も高まっているのではないだろうか。

角界でスポーツ観戦好きといえば、横綱鶴竜(34=陸奥)がパッと頭に思い浮かぶ。NBAを筆頭にさまざまなスポーツに精通。鶴竜の囲み取材では、雑談の中で他のスポーツ界に関する質問が飛び交うことはしばしばある。昨年10月、デビュー直後のウィザーズ八村塁の話題に及ぶと「外からのシュートがそこまで決まっているわけではないのに、あれだけ点を決められる。シュートタッチがまだ向こうで慣れていないのか外している。あとは慣れでしょうね」と解説。囲んでいた記者はフンフンとうなずく。相撲記者は土俵上での活躍を取り上げるのが基本。本業と関係ないことを聞くのは、少し恐れ多い場面がある。ましてや横綱。しかし、鶴竜はいつも嫌な顔をせずに答えている。

そんな横綱の懐の深さに、昨年8月の夏巡業で救われたことがあった。土俵入り後の取組までの合間に、鶴竜が遊びで会場内のバスケットゴールを使いシュート練習を行っていたときのことだ。なぜか記者はたまたまゴール下にいたため、球拾いをした。その1週間後に行われたバスケットボール男子日本代表の強化試合の始球式でもその実力を示していたが、鶴竜の3点シュートはぽんぽん入る。7本連続で決める場面もあった。明後日の方向にいくことがほとんどない。リバウンドを拾うのもラクだ。華麗なシュートフォームに見とれるあまり、総シュート本数と成功本数を数えていなかった(デスクに怒られた)が、5、6割は成功していたのではないだろうか。

約15分間のシュート練習が終わると、取組の準備のため、鶴竜は支度部屋に戻った。記者はここで大失態に気づく。リバウンドを拾うことに集中していたため、練習中の写真を撮っていなかった。写真がある、なしでは全く違う。どうすれば…。もう時間はない。取組直前に、横綱本人に頼み込むしかなかった。

巡業の支度部屋でも、横綱は忙しい。関係者へのあいさつや写真撮影、髪結いや綱締め実演など取組以外の仕事がたくさんある。基本的に取材は土俵入りまでに済ます必要があり、多忙の横綱に時間を割いてもらうことは申し訳なかった。

でもいくしかない。たしか結びの4、5番前、花道に向かう途中で声をかけた。「すみません横綱、これ(ボール)持って、写真いいですか?」。本当に取組直前だ。断られるかも…と思ったが、鶴竜は言葉を発さずうなずき、ボールを右手に持って記者のカメラに向き直った。写真は笑顔。満面の笑みだった。横綱の懐の深さに、感謝してもしきれない。ちなみにその写真を掲載した記事は、WEBを通じてそこそこ読まれたらしい。サムネイルの笑顔に引きつけられたのだろうか。多彩な一面が伝わっていれば幸いだ。

NBAなど世界中のスポーツが再開したときには、また話を聞きにいくかもしれない。もちろんそれ以上に、土俵での活躍を取り上げていく所存です。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

コロナで注視も角界独特「集団生活」のプラス面とは

富山の食材を手に笑顔を見せる朝乃山(前列左)ら高砂部屋の力士(2020年2月7日撮影)

大相撲三段目力士の勝武士さんが新型コロナウイルスの影響で亡くなったのは本当に残念で、ショックだった。

その中で大相撲独特の文化である「集団生活」があらためて取りざたされた。関取になれば個室、または別に自宅を持つことができるが、以外の大多数は1カ所で、いわゆる大部屋で生活する。他のスポーツであれば練習、競技で集まり、解散だが、大相撲の世界は1日中をほぼ一年中、同じ空間をともにする。

記者が新弟子だった20数年前、「相撲道を知るにはとにかく入門しろ」の指令を受け、若松部屋(現在の高砂部屋)にお世話になった。当時はまだ若い部屋で関取もいない。元大関朝潮の師匠の下、自分がいち早く出世しようとする活気に満ちていた。そんな世界に素人が恐る恐る入門した。

黒まわしを借りて、稽古に参加させてもらった。最初はさすがに「なんじゃこいつは」という視線を感じたが、股割りでもん絶したあたりからとけ込む空気に変わった。10代の新弟子たちと申し合いを行い、最後はぶつかり稽古。取材で見ていると「簡単に押せそう」となめていたが、ビクとも動かない。しかし、体の使い方を指導されると何とか押せるようになる。「最も実になる」とされる稽古を肌で実感した。

ひと通り稽古を終えて、一緒に風呂に入った時にはもう「仲間」だった。雑談しながら和気あいあい。たった1日だったが、内部を知ることで自分の中でかなり変われた記憶がある。

新型コロナウイルス禍でクラスター化の怖さが言われ、その前は暴力事件の問題もあった。独特の文化である「集団生活」のマイナス面だが、それ以上にプラス面もあるということだ。年齢は関係ない番付社会。刺激し合い、励まし合い、笑い合ってピラミッドの頂上を目指す構図がある。

長年にわたって継がれ、今に生きる文化。その根底が揺らぐ厳しい状況下だが、大相撲の歴史は必ず乗り越えられると信じる。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

勝武士さん、出番前は真剣「初っ切り」へのプロ意識

17年2月、初っ切り相撲で高三郷(左)におどけた表情を見せる勝武士さん

新型コロナウイルスに感染し、入院していた勝武士(しょうぶし)さん(本名・末武清孝=すえたけきよたか)が13日に亡くなった。

勝武士さんといえば、「初っ切り」のイメージが強かった。私が相撲担当になったのが16年の九州場所から。その時にはすでに勝武士さんは、日々の巡業などで全国各地の相撲ファンに笑顔を届けていた。

私が担当になった当時、勝武士さんは元高三郷の和木勝義さんとコンビを組んで約2年たっていた。口に含んだ力水を互いの顔に吹きかけ合ったり、ラリアットの応戦があったり。組んでは土俵際で2人そろって観客席に向かってVサイン。最後は勝武士さんにハリセンで腹を切られ、頭をたたかれた和木さんが土俵上に大の字で倒れて終了。名漫才師のような、息の合った完成の高い約10分間の実演に観客同様、巡業取材中の私も何度も笑顔にさせられた。

ある日の巡業で、出番前の勝武士さんに声をかけたことがあった。調子を聞くような、何げない声かけだったと記憶する。しかし返事はなく、真剣な表情を浮かべたまま勝武士さんは土俵上へ。先ほどまでの表情とは打って変わり、いつものようにハツラツとした表情で、2人息の合った動きを見せて会場中から笑いを誘った。

実演終了後、勝武士さんから声をかけられた。「さっきはすいませんでした。出番前は少し集中したくて」。初っ切りに懸ける、高いプロ意識をかいま見た瞬間だった。

先日、勝武士さんと同期の琴恵光が「人を喜ばせるのが好きだった」と振り返るように、ムードメーカー的存在だったようだ。確かに、勝武士さんの周りにはいつも多くの人の笑顔があった。私も勝武士さんからエネルギーをもらったその1人として、今後の取材活動にまい進していきたい。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

17年2月、初っ切り相撲で取組中にVサインを見せる勝武士さん(右)

今こそ必要な力士の発信力、待たれる角界SNS解禁

夏場所中止が決まった両国国技館。後方の高層タワーは新型コロナウイルス軽症者等の宿泊療養施設となったホテル

用あって出社後の帰宅途中、ふと気になって両国に寄ってみた。当たり前のように通い慣れた、いつもの“職場”付近はどうなっているんだろう-。国技館の建物そのものは、いつもの威容を誇っているように見える。風も爽やかな晴天の昼下がり。だが、やはり何かが違う。

本場所の開催を告げる各種掲示物はなく、前売り状況を示す電光掲示はブランクのまま。周囲も閑散とし当然のこととはいえ、空虚感は否めない。本来なら8日に夏場所初日と2日目の取組が決まり、10日に初日を迎えるところ。その初日を2週間延ばして開催を目指したが、それも中止を余儀なくされた。

両国国技館の背後にそびえる高層タワー。完成したばかりのホテルは、5月1日から新型コロナウイルスの軽症・無症状感染者を受け入れる宿泊療養施設になった。このコロナ禍が終息を迎え本場所が通常開催できる日を迎えたあかつきには、このホテルが地方から観戦に訪れる宿泊客でにぎわうことを願わずにはいられない。

夏場所中止は4日に決まった。「今回ばかりはそうなるはず」とは思っていたが、実際に八角理事長(元横綱北勝海)のコメントが流れると、決断の重さに現実を突きつけられた思いだ。一方で、何事もネガティブにとらえていたら心がむしばまれるだけだ。少しずつでいい、気持ちを両国国技館開催の7月場所に向かわせればいい。ケガを抱える力士はその療養期間が出来たととらえればいいし、技術的向上を目指す者は本来はない本場所間の4カ月を「錬成期間」と考えればいいのではないか。

もう1つ。夏場所中止決定直後に、ふと考えたことがある。図らずも7日付の日刊スポーツ本紙に寄稿してもらった漫画家・やくみつる氏が望んだ、力士のSNSの解禁だ。スポーツ各紙やテレビのスポーツコーナーで、スポーツ各界からアスリートたちの近況がSNSで届けられている。いずれも中止や延期を余儀なくされた選手たちの、今の思いやファンに向けられたメッセージ性の高い言葉であったり、近況報告であったりする。

これが相撲界にも波及できないか。今から半年前、一部力士の悪ふざけの動画がアップされたことで、力士らの個人的なSNSは現状で禁止されている。その活用できない痛みは、当人のみならず協会員全員が分かち合ったはずだ。発信元になることの責任感、しかるべき社会的地位に立っている自覚を再認識する機会になるのではないか。

ファンや応援してくれる関係者への現状報告、子どもたちや力士も世話になっている医療関係社への励ましのメッセージ…。このご時世、発信内容もごく普通の常識的なものに限られるはずだ。それが力士たちに出来ないとは思えない。そうして本来、SNSが果たすべき役割を理解できる好機になるのではないか。解禁後、再び前述のようなことが繰り返されたら厳しい処分を下せばいいと思う。肖像権や個人情報など難題もあるだろうが、これほどの歴史的有事に際して、思い切りがあってもいい。

先日、滋賀県の三日月知事が、外出自粛要請の標語「ステイ・ホーム」を「ステイ・ホームタウン」へ変更することを提唱した。緊張の中にも緩和を織り交ぜたうまい言葉だと思う。角界の目標も、無観客開催ではあるが7月19日初日の7月場所に定まった。感染予防策には細心の注意を払いつつ、徐々に日常を取り戻す-。八角理事長が常々、口にする「相撲は単なるスポーツではない」という神事性は、無観客でシーンと静まりかえる中でも15日間を乗り切った春場所で、記者としても体感できた。その神事性を保ちつつ、ファンが求める情報解禁に少し、足を踏み込んでもいいのではないだろうか。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

夏場所中止が決まった両国国技館正面入口。左の高層タワーは新型コロナウイルス軽症者等の宿泊療養施設となったホテル

琴勝峰と琴ノ若 幼少時から縁ある2人の旋風に期待

琴勝峰(2019年11月24日撮影)

4月27日に大相撲夏場所(24日初日、東京・両国国技館)の新番付が発表され、20歳の若武者、琴勝峰(20=佐渡ケ嶽)が新入幕昇進を決めた。3月の春場所では12勝3敗で初の十両優勝を果たし、所要3場所で十両を通過した。191センチ、165キロの恵まれた体格にスケールの大きい相撲内容。師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)の長男でもある幕内の琴ノ若(22=佐渡ケ嶽)とともに部屋の成長株として注目を集める存在で、そのポテンシャルは同部屋の大関経験者、琴奨菊が「琴勝峰の力強さ、琴ノ若の柔らかさが欲しい」とうらやましがるほど。若い2人が名門部屋に新たな刺激を与えている。

埼玉栄高の2学年先輩でもある琴ノ若は、新入幕だった春場所で見事に勝ち越しを決めた。兄弟子の背中を追いかける琴勝峰は「すごく刺激になっている。どんどん先に進んでいくので、必死に追いかけたい」と、モチベーションを高めている。

琴勝峰にとって、琴ノ若は相撲を始めた頃から縁のある存在だった。幼少時代、2人はともに柏市の相撲少年団に所属。少年団に入り立ての琴勝峰に初めて“指導”した先輩が、当時小1の琴ノ若だったと琴勝峰の父、手計学さんが証言する。ある日の稽古後、まだ礼儀作法を知らない琴勝峰少年は、少年団の先輩に先んじて更衣室に戻ろうとした。「それで『お前がいちばん後輩なんだから、お前がいちばん最後に更衣室に入れ』と言ったのが、琴ノ若でした」。稽古のカテゴリーは幼稚園児と小学生などで分かれていたが、別のグループだった琴ノ若は目を光らせていたという。「僕も『すごいな、ここから先輩後輩があるんだ』と思って、感心して見ていた。そのときは鎌谷くん(琴ノ若の本名)が佐渡ケ嶽親方の子どもとは知らなくて、あの子すごいなと思っていた」と学さん。琴勝峰にとって、当時から琴ノ若の存在感は抜群だった。

新型コロナウイルス感染拡大の影響により、開催が危ぶまれている夏場所は琴ノ若にとって幕内2場所目、琴勝峰にとっては晴れの新入幕場所。縁のある2人が、旋風を巻き起こせるか。【佐藤礼征】

大相撲初場所 6日目 塵手水する琴ノ若=2020年1月17日

2度の手術に2度の長期離脱、苦難乗り越え宇良輝く

三段目優勝した宇良(2020年3月22日撮影)

史上初の無観客で行われた大相撲春場所。三段目は元幕内の宇良(27=木瀬)が7戦全勝の決定戦を制して優勝した。

新型コロナウイルス感染症の影響で開催が懸念されている夏場所では、幕下復帰が確実。ようやく関取の座が見えてきたところにコロナ禍と、本人の心中を思ってしまう。

早く十両、幕内の土俵で見たいと願う1人だ。関学大相撲部出身で、動画で披露したアクロバティックな動きで入門前から注目を集めた。15年春場所の前相撲からのスタートで、順調に出世を重ねた。最高位は17年名古屋場所の東前頭4枚目。そこから膝のケガで地獄を味わった。

17年秋場所を右膝の負傷で途中休場し18年秋場所、三段目で復帰するまで1年を要した。さらに19年初場所でも同じ箇所を負傷して手術、長期の休場。19年九州場所は序二段106枚目で復帰。力士にとっては致命傷に近い膝のケガ、2度の手術を乗り越えての土俵復帰は感動だった。

復帰の階段をのぼる宇良を取材する過程で、興味深かったのが取り口や、狙いについて「相手に知られるので、話したくない」。前頭上位まで番付を上げた立場が序二段、三段目でも同じ姿勢を貫いた。三段目で最も警戒したことも「対戦したデータがないことが怖い」。上からではなく、同じ目線で歩むことが、順調な結果につながっている。

ただ、三段目までは格の違いでも星を重ねられてきたとはいえ“関取予備軍”の幕下ではどうか。最も恐れているのが、右膝のケガの再発であり、春場所の時点でも通常のぶつかるけいこはできていない。春場所で三段目優勝を飾った後も「気遣いというより(ケガをしないよう)気をつけている感じ」と話していた。

土俵の上は過酷な世界。一瞬の不運から、力士生命を奪われる場面を少なからず見てきた。2度の手術、2度の長期離脱。心が折れそうな苦難を乗り越えて、再び関取の座を目指す宇良は自然と応援したくなる。その個性は、大相撲の活性化においても間違いなく必要だと思う。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。