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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

関取でも付け人 友風の思い

志摩ノ海(左)にはたき込みで勝利した友風(撮影・栗木一考)

連勝スタートを切った新十両の西十両14枚目友風(23=尾車)が、今場所も平幕の嘉風(36=尾車)の付け人を務めている。

関取昇進で付け人を卒業するケースがほとんど。4年前、新十両だった旭大星が同部屋の幕内力士の付け人を務めたが、当時の友綱部屋は関取5人を抱え若い衆が少ない事情もあった。

付け人継続は嘉風からの希望だった。友風が幕下で関取昇進を目前としている時から、十両昇進後も「できたら一緒にいてほしい」と打診されていた。日体大の先輩後輩の間柄。嘉風からは「(特別な意識は)今に始まったことじゃない」とかわいがられている。

憧れの兄弟子の誘いに友風は二つ返事で快諾した。付け人を長く務める中で、嘉風の立ち居振る舞いを間近で見て、尊敬の念は強まった。「人間的にも力士としても全てがかっこいい」と言う。今場所から嘉風と同じ薄い紫色の締め込みで、勝ち越しを目指している。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

豊ノ島、引退よぎった2年「達成感」求め高み目指す

目に涙を浮かべながらインタビューに答える豊ノ島

しこ名を呼び上げられ、本場所の土俵に上がった瞬間、その胸の高鳴りはいかばかりだろうか。耐え抜いた約2年にわたる雌伏の時を経て、豊ノ島(35=時津風)が東十両13枚目に戻ってきた。16年秋場所以来の関取復帰。11日に初日を迎える大相撲九州場所(福岡国際センター)の本土俵に、化粧まわしを締め本場所用の締め込みをまとった男が戻ってくる。35歳4カ月での再十両は、戦後6位の高齢昇進だ(1位は大潮の39歳5カ月)。

2年前の7月。名古屋場所前の稽古で悪夢が襲った。左アキレス腱(けん)皮下断裂。2場所連続全休し、本場所の土俵に戻ったのは2年前のここ博多。気がつけば番付は幕下に落ち、稽古用の黒まわし姿だった。「まあ2、3場所で関取に戻るだろう」という私の予想は外れた。あの幕下陥落の最初の相撲から、再十両を決めた先場所まで全12場所、計77番のほとんどを取材し、コメントを取ってきた身としても「ああ、もうダメかもしれない」と本人も悟った「引退」の2文字を感じざるを得なかった。

家族はじめ周囲の支えは不可欠だったろう。ただ何より、心が折れそうな時、このままでは終われないという本人の精神力が復帰への道を歩ませたはずだ。そんな豊ノ島を場所前の6日、時津風部屋で取材する機会があった。その様子をここで紹介したい。

Q場所に臨む心境は

豊ノ島 半々かな。楽しみなのと…。関取として復帰した状況だけど、常に引退とかも考えてしまう場所になるかもしれない。楽しみなのは楽しみだけど、不安もいっぱい。う~ん、でもどうかな…。楽しみの方が大きいかな。先場所、幕下で取って不安だったのに比べれば、全然ですね。

復活を果たしたことで、以前に増して慎重になる自分がいる。幕下陥落後も2度、見舞われたケガ。もがき苦しんだ2年という時間が、自分の少しだけ変えた。

豊ノ島 1つの達成感というのがあるんですよ。もしもの時があっても、もう悔いはないという。聞きようによっては弱気に受け取られるかもしれないけど、ここまで戻ったという達成感。頑張ってここまで戻ってきたという達成感がある。

何度も「達成感」の言葉を使った。仮にこの先、再び大けがをして現役生活を断たれるようなことがあっても、1つやり遂げたことでスッキリ割り切れる。それが今後の心の支えになるだろう。もちろんケガには慎重だ。

豊ノ島 勝負事だから何があるか分からない。ケガの怖さを経験して、絶対ということはあり得ない。ケガの怖さ、勝負の難しさ。(再十両まで)こんなに時間がかかるとは思わなかったからね。いざ、何か起こったときは、現実を受け止めないといけないこともある。

不安はある。だが、挫折を乗り切った自信の方が大きい。それは自身が歩んできた経験則からも言えるようだ。

豊ノ島 十両でやれるという自信はもちろんある。気持ちは絶対、大丈夫。これで終わる男じゃないと思ってる。これまでの人生も逆境を乗り越えてきたと思っているから。

もちろん目標は十両じゃない。何度も三役を経験し、優勝決定戦の舞台にも立ち、優勝次点も4度。三賞は10回、金星4個も誇れる実績だ。あの味わった幕内上位の舞台に再び戻りたい。

豊ノ島 もう1つ、上(幕内)に上がるという目標はボンヤリではなく、頭の中にしっかりありますよ。(ライバルであり仲のいい)琴奨菊とも幕内で対戦したいし、何なら横綱戦も(描いている)。稀勢の里関とは横綱になって対戦していないし、大関(高安)にも何かと気にかけてもらった。まだまだ対戦したい人が、上にはいっぱいいますよ。

一度、地獄を見た男に怖いものはない。復活劇は始まったばかりだ。

【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

積極的な動き 印象的だった旧貴乃花部屋の力士

千賀ノ浦親方(右)と握手を交わす貴景勝

元横綱日馬富士の傷害事件を巡って訴訟を起こした被害者の貴ノ岩が、訴訟を取り下げた10月30日は、千賀ノ浦部屋の稽古始めでもあった。10月1日付で元貴乃花親方(元横綱)の日本相撲協会の退職が決まり、旧貴乃花部屋の消滅と所属力士らの千賀ノ浦部屋への所属先変更も承認された。小結貴景勝は秋巡業参加のため、都内で行われた引っ越し作業には参加せず。千賀ノ浦部屋に合流したのは、秋巡業が終わり福岡入りした10月28日。九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)の新番付発表が行われた10月29日は稽古は休みで、30日にようやく初めて、旧貴乃花部屋の力士と千賀ノ浦部屋の力士が全員そろっての稽古が行われた。

印象的だったのは、旧貴乃花部屋の力士らが、積極的にコミュニケーションを取っていたことだ。四股やストレッチで体を温め、すり足が始まった。さまざまな種類のすり足に、旧貴乃花部屋の力士らは、千賀ノ浦部屋の力士の動きを見よう見まねで行った。最初こそぎこちなかったが、慣れてくると余裕がでてきたのか、会話する場面が増え、笑顔が見えた。ぶつかり稽古、申し合い稽古が始まると、自然とアドバイスをする姿に千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)も安堵(あんど)の表情。新弟子に対して、身ぶり手ぶりで四股の踏み方を指導する姿も、すっかり千賀ノ浦部屋にとけ込んでいる印象だった。

“新”千賀ノ浦部屋の稽古始めは、約2時間で終わった。師匠の千賀ノ浦親方は、「これまでは関取が1人しかいなかったから助かります。活気も違う」と、旧貴乃花部屋の3人の関取が若い衆に指導する姿を喜んだ。小結貴景勝も「いい雰囲気で活気がある」と言えば、平幕の隆の勝は「これまで出稽古でやっていたことが毎日部屋でできるのでうれしい」と、こちらも笑顔。旧貴乃花部屋の力士が、千賀ノ浦部屋に所属先変更して1カ月たったが、部屋としては順調な滑り出しのように見えた。【佐々木隆史】

見てみたい…御嶽海が場所相撲で大関昇進するところ

稽古はうそをつかない。よく聞く言葉だ。その手のことで最近耳にしたのは、春日野親方(元関脇栃乃和歌)が大関栃ノ心を「稽古でここまできた力士」と表現した時か。横綱稀勢の里がその昔、朝から軽く正午すぎまで猛稽古を積んでいた、なんて逸話を聞いたりもする。

ジャンルが違っても「稽古」を「練習」に置き換えるだけ、格言に変わりはない。以前担当したゴルフは、暗くなるまでショット、パットの練習をしている一部の選手がいた。女子では少し古めで不動裕理、福嶋晃子、最近では鈴木愛に韓国勢。男子では松山英樹、石川遼ら。だいたい顔ぶれは決まっている。強い選手ほどよく練習する。彼女、彼らを抜かないといけない立場の者より、やる。

さて。相撲で今、稽古という言葉で連想するのは、関脇御嶽海だ。ただし、逆の意味だが。

18日の大阪・池田市巡業でのこと。御嶽海は稀勢の里に指名され、三番稽古で相手を務めた。巡業ではあまり土俵に上がらない、とされていた男。だから、ある記者が聞いた。

以前より稽古に熱が入ってませんか?

御嶽海 はい、それ! ダマされてます。記者さんたちが来てる時だけですよ。だいたい取材に来る時はわかるしね。

でも、以前よりは…。

御嶽海 変わらないっすよ。

しかし、秋場所は大関とりのプレッシャーもあったでしょうし、九州場所はそれもないし…。

御嶽海 いや、秋場所も特に重圧はなかったし。今まで通りですよ。

こっちが求める答えなんか、わかってると言わんばかりにニヤニヤして、おかしそうに答えていた。

親方、力士仲間が彼を語る時、決まって「場所相撲」という言葉を使う。稽古は全力を出さず、抜く部分は抜く。横綱鶴竜など「う~ん、もっと力入れてやった方がいいと思うけどなあ…。僕なんかは、そうだったし」と期待の裏返しのように、はっきり言う。

そういう声をぶつけられる時、御嶽海はハイそうですね、とは言わない。決まって、自分には自分のやり方がある、といった旨のことを強調する。そこはずっとブレない。

大関とりは秋場所こそ失敗したが、まだ終わった訳ではない。「ゆっくりでいい。ゆっくりいきます。1年前よりは、確実にベースは上がってますからね」。

きっと彼には彼なりの工夫がある。裏で、人目につかない場所で培っているものがある。ないわけがない。照れ隠し、彼なりの格好良さ。ただ、そんなことを聞いても、きっと「そんなのないですよ」と否定するだろう。

こっちも人間だから、見た目頑張っている人間を応援したくなるが、心のどこかで「そればっかりでもなあ…」と思う部分はある。多士済々の方が、楽しい。御嶽海が彼の流儀を貫き、大関を射止めれば…それはそれで、おもしろい。ぜひ見てみたい。【加藤裕一】

女子プロボウラーの右から名和秋、渡辺けあきが見守る中、ボウリングのフォームを披露した御嶽海

稽古が楽しそう 秋巡業に見た稀勢の里の余裕

稀勢の里(2018年10月5日撮影)

9月の秋場所を10勝5敗で9場所ぶりに皆勤した、横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が、現在行われている秋巡業で精力的に稽古を重ねている。

秋巡業は10月3日に開始。栃木・足利市で行われた5日に、前頭隆の勝にぶつかり稽古で胸を出し、秋巡業で初めて稽古土俵に上がった。甲府市で行われた10日には、前頭佐田の海を相手に三番稽古を行い、相撲を取る稽古も再開。佐田の海には10番取って全勝だったが、付け入る隙を与えない完勝ばかりだった。

佐田の海とは、秋場所前の夏巡業中にも何日も胸を合わせ、勝敗では常に圧倒していた。だが内容では、必ずといっていいほど、何番かは一方的に敗れることもあった。勝敗で圧倒していたのも、稀勢の里の方が34キロ重い体格差を生かした「体力勝ち」の部分が大きかった。だが甲府市では、低く鋭い立ち合いから左を差し、腰が高くなる悪癖ものぞかせず、相手に何もさせずに寄り切る相撲が目立った。

横綱相撲の理想とも言われる、相手を受け止めつつ先手を奪っている「後の先」の域に達するまでには至っていないかもしれない。それでも、私が以前担当していた7、8年前、主に三役として大関を目指していたころのように、ガムシャラに強さを求めていたころと同じように映った。相撲好きの少年がそのまま大人になったような、若々しさ、いきいきとした雰囲気が全身から出ていた。

8場所連続休場から進退を懸けて臨んだ秋場所、さらにその前の夏巡業では、明らかにピリピリと張り詰めた空気をかもし出していた。それが今回の巡業では、自ら明るい雰囲気をつくって報道陣と談笑することまである。足利市での巡業では、隆の勝に約8分間もぶつかり稽古で胸を出した後に「新聞だと『軽めの調整』って書かれちゃうのかな。よく『軽めの調整』『軽めの稽古』って書かれるけど、四股やすり足だけでも軽くないんだから。1度やってみる? そうしたら軽くないんだなって分かるでしょ」と、笑って話していた。何度も隆の勝にぶつかられ、胸を真っ赤に腫らしながらも冗談っぽく話せるほど、心身ともに余裕が出てきた。

秋場所千秋楽後に行われたパーティーでは、後援者らに向けて「優勝争いはかなわなかったですが、また来場所、もっともっと強くなって優勝争いに絡み、また、いい報告をできるように一生懸命頑張ります」と宣言した。懸念された相撲勘が戻りきらない中で、秋場所は2ケタ勝った。そこに上積みする形で、秋巡業ではその後、関脇御嶽海らとも稽古を重ねている。何より、稽古が楽しそうだ。同じ相手と立て続けに何番も取る、本来は体力的にきつい三番稽古でさえ“軽めの調整”に見えてしまうほどの余裕が見える。表情にも明らかに自信が戻ってきた。稀勢の里が、再び優勝争いの中心に戻ってくる日は、遠くないかもしれない。

【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

固定観念とらわれない元貴乃花親方の今後の動向注目

都内の部屋の前で報道陣の取材に対応する貴乃花親方(2018年9月27日撮影)

相撲界のネタで、テレビの情報番組も話題に事欠かない。昨年11月から続いた元横綱日馬富士関の傷害事件に端を発した一連の内紛劇は、半年でようやくピリオドを打った、ようやく…。と思いきや貴乃花親方の突然の退職劇、直後には水面下で進んでいた元日馬富士関への訴訟問題が表面化し、そして元横綱輪島さんの訃報。何だかんだ言っても、さまざまな人間模様を映し出す相撲への世間の関心、興味は高いのだなと、あらためて感じさせる。

その話題の1つに、元貴乃花親方の政界進出話がある。正式退職が決まってから3日後のさる4日、馳浩元文部科学相の東京都千代田区にある事務所を訪問したことで、にわかに来夏の参院選出馬の可能性が取りざたされることになった。

訪問の目的を、日ごろから世話になっている同元文相への退職のあいさつとした元親方は「次、何をしようとするかとか、その余裕はなくしております」と打診の話はなかったことを明言した。政界進出を本当に考えているなら、水面下で人知れず動くのが普通だ。わざわざ報道陣監視の元で永田町を闊歩(かっぽ)する姿から、その信ぴょう性は薄いのでは、とみる向きは多い。

人様の第2の人生に口を挟むのは、余計なおせっかいだろうが個人的にも、そう思う。脇目も振らず一心不乱に、こうと思えば一直線…という性格からすれば、多方面に目配りし、器用に立ち居振る舞うことが求められる異分野への転身は考えにくい。

確かに、裸一貫で生き抜く角界にあって現役時代から退職するまで、相撲界を離れた世相への関心は高く文化人、財界人から知見を吸収しようとする姿勢はかいま見えた。今、ブログなどを見ても、元親方がつづる文章は角界人からすれば難解で分かりづらい文言が多い。悲しいかな、そんな一面も他の親方衆から、一線を画す垣根を作られる要因になったと思う。懐に飛び込めればフランクな性格が分かるが、そうでなければバリアーを張られているような。

つづってきた文章には、哲学的なものを想起させるが、政治は分かりやすさとのバランスが求められるだろう。その器用さは、持ち合わせていないと思う。相撲一筋で生きてきたのだから、それは当然だ。人気に当て込むのは選挙の常かもしれないが、公示板にポスターが貼られる姿は想像しにくい。

ただ一方で、これも個人的な淡い願望として「政治家・花田光司」も見てみたい気がする。数年前、元親方とお茶をしながら世間話をしていると突然、こんな話を切り出してきた。「織田信長って本能寺で死んだことになっているけど、俺はそうは思わないよ」と。家臣だった明智光秀の謀反にあい、49歳の生涯を本能寺で閉じた織田信長。歴史の面白さは、その史実を読み解くとともに、仮説を立てて脈略をつなぐことにもあると思う。確かに、本能寺では遺体がみつからなかった、他の場所で自害した、生き延びて後世を見守った…など識者による諸説はさまざまある。

元親方はその後も、お市の方やねねなど、深くかかわった人物の名前を挙げた上で、信長は生き続け、陰で人をうまく動かし、戦国の世が平静になるのを見届けたのでは…という自分なりの“仮説”を語っていた。そう思うに至ったのは、識者の仮説を見聞きしたり、書物を読んだのが発端かもしれない。いつのころからか日本史に興味を示し、弟子のしこ名に戦国武将の名前を入れたぐらいだ。それはどうであれ既成事実、固定観念にとらわれず物事を見ようという考えが根底にあるのだろう。それを「改革」ととられてしまったのは不本意だったのかもしれないが…。

相撲協会での人生は、本能寺の変の織田信長のように、風雲急を告げるように急転直下、幕を閉じた。ただ、この先もどんな形であれ相撲との縁は切れないはず。育てた弟子の出世も見届けなければならない。「大相撲は不滅です」と公式サイトにつづったように、その繁栄にどう携わるのか注目してみたい。【渡辺佳彦】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

稽古は嘘つかない、貴景勝は貴乃花親方の教え胸に

貴景勝と貴乃花親方(2018年5月20日撮影)

旧貴乃花部屋の小結貴景勝(22=千賀ノ浦)に、悲愴(ひそう)感はなかった。「力士とはどういう姿勢であるべきか。それを常に指導してもらった。相撲はもちろん、生活面とかも。貴乃花親方の弟子で角界に入ったので、教えてもらったことをそのままやっていくのが自分ができること」。はっきりとした口調で堂々と話した。

厳しい稽古で知られていた旧貴乃花部屋。トレーニングジムに通う関取が増えてきた昨今、「関取はジムに通わないのか?」と聞くと「僕は無理。部屋の稽古だけでオーバーワークです」と言う程だった。それは巡業先でも変わらなかった。貴景勝が新十両昇進を果たした16年から、元貴乃花親方(元横綱)が巡業部長になり、巡業では常に土俵下で目を光らせていた。全力士に平等に見ていたつもりだろうが、ついつい弟子に厳しくなってしまうのは親の性。幕内に番付を上げても、常に貴景勝は十両の申し合い稽古から参加。幕内と合わせれば、連日30番以上相撲を取っていた。おかげで力をめきめきとつけていった。

だが実は、1度だけ抜いたことがあった。それが旧貴乃花親方が、巡業を休んだ昨年の九州巡業だった。申し合い稽古に参加しても10番取るか取らないか。もちろん本場所で疲れ切った体を休めるのも大事な仕事で、負傷した箇所があれば満足に稽古もできない。ただ、これまでの巡業に比べると少なかった。新小結で臨んだ今年の初場所は5勝10敗。「稽古はしっかりやってきたつもりですけど…」と支度部屋で少しばつが悪そうに言ったのは印象的だった。

稽古はうそをつかない、というのを身をもって知った貴景勝。その後の春巡業、夏巡業では精力的に稽古土俵に上がった。夏場所10勝、名古屋場所10勝、秋場所9勝と結果も出した。「教えてもらったことをそのままやって-」。元貴乃花親方の教えを、これからもずっと胸に土俵に上がる。【佐々木隆史】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

巡業の朝稽古中に、弟子の貴景勝(右)の背後について四股の踏み方を熱心に指導する貴乃花親方(2018年8月5日撮影)

栃ノ心かど番脱出を後押しした師匠春日野親方の叱責

秋場所14日目、栃ノ心(左)は下手投げで阿炎を下す

稀勢の里に沸き、白鵬が全勝優勝で締め、大団円と思ったら、貴乃花親方の年寄引退騒動…。いい悪いはさておき、これだけ話題が続く業界も珍しい。そんな中、ひっそり窮地を脱した男がいる。

大関栃ノ心である。

夏場所に昇進を決め、新大関場所の名古屋も5連勝。こりゃ優勝か? 今度は綱取りか? てな空気が漂い始めた6日目、玉鷲戦で右足親指付け根の靱帯(じんたい)を損傷し、急転、休場に追い込まれた。で、いきなりかど番で秋場所を迎えることになった。

天国から地獄ですな。相撲は取れても完治はしていない患部、療養優先による稽古不足の影響で思うように動けない。星が伸びず、気持ちがへこむ。場所中に「どうしても“負けたら、落ちちゃう”と考えちゃうね」とボソボソしゃべる姿は、優勝後の春場所で「負けるイメージが全然ないんだよ」と、ごく普通に話していた人間と同一人物とはとても思えんかった。

怪力自慢の大男がしょぼくれてると、おせっかいとわかっていても声を掛けたくなる。5勝3敗で稀勢の里戦を迎える9日目の朝。失礼を承知で聞いてみた。

万が一でっせ、今場所がダメで関脇に落ちても“ふん、来場所10勝したる”ぐらいに考えるとか…。できませんか?

「今場所8勝できないヤツが、来場所10勝できるわけないでしょ」

ま、まあ、そらそうかもしれませんが、気持ちの持ち方っちゅうかね…。

「今場所8勝の方が近いでしょ。簡単でしょ」

あかん、逆効果や…。

栃ノ心は最終的に14日目の阿炎戦で8勝目を挙げ、かど番脱出を決めた。そこは本人の踏ん張りが1番だったことは間違いない。ただ、最後に背中を押したものがあったとすれば、何だったのか?

13日目は正代に負けて、7勝6敗。あと2番で1勝すればいい状況にもかかわらず「もうダメですね」と禁句を口走った。心は折れる寸前だった。

14日目の朝稽古。土俵の栃ノ心に、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が怒鳴った。

「なにをデレ~っとやってんだ! 落ちたら(大関を)クビなんだぞ! わかってんのか?」

「はい」「はい」と答えた栃ノ心の表情がピリッとしたように見えたのは、気のせいか。知る限り、秋場所中の朝稽古で、親方が激しく叱責(しっせき)したのは、この1度だけ。

師弟や。恐れ入りました。

【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

悩める納谷 幕下の壁

花道を引き揚げる納谷(2018年9月21日撮影)

元横綱大鵬の孫、東幕下60枚目納谷(18=大嶽)が幕下の壁にはね返された。3勝4敗と初土俵以来、初めての負け越しを経験。来場所は再び三段目に陥落することが濃厚だ。

今場所の六番相撲で3勝目を挙げ、星を五分に戻しても「今場所はずっとモヤモヤした気持ちがある」。四つにならず立ち合いで突き放して前に出る相撲。三段目までは通過できたが、幕下力士の踏み込みには圧力があった。勢いを止められ、今場所は勝ち負けにかかわらず「2歩目、3歩目が出なかった」と何度も反省を口にした。

師匠の大嶽親方(元十両大竜)は、悩める弟子を場所前から不安視していた。「何か変だったんだよね。迷いなのかな。本人は『全然大丈夫です』と言うんだけど」。稽古でもあっさり負けてしまう場面が目立っていたという。ただ「こっちからガミガミ言っても仕方ないから」と、求めるのは自主性。小手先の技術もいつか必要になるが「今はガムシャラに前へ出続けて欲しい」と多くは求めず、温かく見守る姿勢だ。

「元横綱の孫」という代名詞がのし掛かるが「気負うことなく頑張りたい」と納谷。大器はゆっくりと階段を上るつもりだ。【佐藤礼征】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

小結→三段目→十両、静かに常幸龍を支えた妻の思い

豪風(下)をはたき込みで破った常幸龍(撮影・河田真司)

東十両14枚目常幸龍(30=木瀬)が再び関取定着へ奮闘している。秋場所13日目のこの日、西十両6枚目豪風(39=尾車)を破り8勝5敗。2015年九州場所以来の十両勝ち越しを決めた。

14場所ぶりの十両復帰でも気負う様子はない。「けがする以前との変化は特にない。普通ですよ」。11年夏場所の初土俵から、5場所で十両昇進。4年前の秋場所で小結まで昇進したが、右膝のけがの影響で三段目まで番付を落とした。三役経験者が三段目陥落後に十両へ返り咲くのは明治以降では初となる。

無給の幕下では生活費だけでなく、リハビリのための治療費も負担となった。ただ、貯金を切り崩す生活に、真美夫人(32)は文句も励ましの一言も発しなかったという。「僕たちは土俵の上で結果を残すしかない、と分かってくれていた」。相撲に口を出さない妻がありがたかった。

長男心絆(しんば)ちゃんは4歳、2月に生まれた次男日彩(ひいろ)ちゃんはハイハイができるようになった。心絆君は相撲が分かるようになったが「テレビで見た方がきれいなので」と照れ隠し。十両定着、さらに幕内復帰へ。今は十両の中で番付最下位。幕下の足音が聞こえなくなったときに、自信を持って家族を招待したい。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「九死に一生」式守与之吉 土俵に戻る

九州場所で土俵に復帰する式守与之吉

幕内格行司の式守与之吉(49=宮城野)が、ギラン・バレー症候群を克服して土俵に戻ってくる。今年の初場所から5場所連続で休場中。秋場所の土俵には上がっていないが、事務方として国技館に出勤できるまでに回復した。「九死に一生を得ました。本場所は、九州場所から土俵に上がります」と声をはずませた。

発症したのは、昨年12月8日の宮崎市巡業の朝。前夜から肩が上がらず「疲れかな?」と思って一夜明けると、症状が重くなっていた。顔を洗うことも、着替えることもできない。現地で診察を受けると、そのまま入院を勧められた。四肢に力が入らなくなる難病「ギラン・バレー症候群」だった。巡業で滞在していたため荷物は十分でなく、まずは緊急帰京。空港では自力で歩けず、車いすでの移動を強いられるほどに病状が進行した。

東京に戻って入院。5日間点滴を受け、回復を待った。病気になった明確な原因は分からなかった。その後、リハビリを開始。「今年の3月までは、自分で起き上がることもできませんでした。寝たきりの時はこたえました。復帰できないと、半分以上はあきらめていました」。

一時は体重が10キロ以上も減った。「リハビリの先生の献身が、折れた心を救ってくれました。『治る病気なんです』と言って、手や足を持ち上げてくれました」。歩けるようになったのは、4月から。それでも、大相撲中継は見る気になれなかった。「自分が土俵に立つ時間は心苦しくて、気の焦りもありました。その時間はあえて院内を歩いたりしていました。ニュースや結果は耳に入りましたが、1~7月は見ていないんです」と振り返った。

6月14日に退院。再発の恐れはなくなり、本格復帰への準備を進めている。9月の秋場所からは国技館に出勤し、行司仲間から「おめでとう!」との声を掛けられた。ファンも多く、館内で気づいた人たちに驚かれる毎日だ。

休場中は、日本相撲協会の配慮で病名は伏せられていた。だが回復した今、与之吉は「公表してもらってかまいません。なってしまったものは、仕方ないですし」と前を向く。

30日の日馬富士引退相撲から土俵に立ち、本場所後の秋巡業に参加しつつ、九州に入る。「こんなに長い間空けたことはなかったので、楽しみも不安も半々です。初心に戻る感じですね」。今や表情は明るく、血色もいい。もう間もなく、あのはつらつとした「ハッキヨイ」の声が土俵に戻ってくる。【佐々木一郎】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

故武蔵川親方の言葉浮かび「描いて残す」錦絵の意義

大露羅の錦絵が描かれたポストカード

「あの言葉が浮かんで、ようやく描けました」。相撲錦絵師の木下大門氏は、国技館の売店でしみじみと話した。

85年初場所に現在の国技館が会場になってから、木下氏の錦絵が館内で販売されている。販売するきっかけは、過去に理事長や相撲博物館館長を務めた元前頭出羽ノ花の故武蔵川親方(本名・市川国一)の勧めだった。その時に「関取うんぬんは関係ない。大童山とか巨人力士も錦絵になっているから、そういうのも描け」と言われたという。

しかしその後、幕下以下で巨漢の注目力士はなかなか現れず。月日は流れて昨年8月。当時三段目の大露羅が元大関小錦を上回る288キロを計測して、歴代最重量になったことが耳に入った。そして今年の名古屋場所で、土俵に上がるのも一苦労の姿を見て「市川さんの言葉を思い出した。これはもう記録に残さないといけないと思った」と序二段大露羅の錦絵を描いた。

今場所初日から錦絵が販売されていたが、相撲協会による幕下以下の力士の商品は販売してはいけないという規則から今は販売されていない。それでも「描くのは問題ない。次は300キロを超えたら描きたい」と夢を膨らませた。【佐々木隆史】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

2人の十両力士が締め込みに込める思い

白鷹山(右)を寄り切りで破った天空海(撮影・狩俣裕三)

明日の幕内入りを目指して、しのぎを削る十両力士。いろいろな思いを胸に1日一番に集中する中、2人の力士が締め込みに特別な思いを込めて本場所に臨んでいる。

新十両の初場所以来の十両返り咲きとなった天空海(立浪)は、ライムグリーンの締め込みを締めている。初場所は青色だったが心機一転。実は、度重なるケガなどで道半ばで引退した、弟弟子の元十両力真から譲り受けたもの。「十両に上がったら締めて下さい」と言われたという。しかも力真が締めることなく引退したため、新品のままだった。「力真の気持ちも引き継いで勝ち越して恩返しをしたい」と誓った。

翔猿(追手風)は、銀色から金色に変えた。本来は名古屋場所で使う予定だったが、間に合わずに今場所から使用。春、夏場所で2場所連続7勝8敗だったため験直しで替えた。「銀の上は金。いつかは金星を取るぞ、という気持ちも入っています」と話した。兄弟子の遠藤も金色の締め込み。2人の“ゴールデンコンビ”が、そろって金星を挙げる日が待ち遠しい。唯一、身に着ける物だけに、関取のこだわりが詰まっている。【佐々木隆史】

一山本が燃え尽きてない若者へ勇気

一山本(18年9月9日撮影)

2年前の制度改革が、将来の関取を発掘しつつある。西幕下5枚目の一山本(24=二所ノ関)が、初土俵から11場所目にして十両昇進を目前にしている。

中大時代に全国学生選手権16強など実績を残し、卒業後は地元北海道の福島町役場に就職。半年後、転機が訪れた。一定の実績がある経験者を対象に、新弟子検査の年齢制限が23歳未満から25歳未満へ緩和された。当時23歳で「俺に流れがきたな」。同年秋の国体で喫した初戦敗退が、相撲への情熱を再び燃やした。公務員を辞して二所ノ関部屋に入門。翌年1月の新弟子検査に合格し、年齢制限緩和第1号の力士となった。

十両昇進を果たせば、この制度を利用して入門した力士では初めての関取になる。大学で相撲に区切りをつけながら、気持ちを捨てきれない若者に勇気を与えられる。「そういう存在になれればいいですね」。

北海道地震から1週間。実家や知人は無事だが、道内ではいまだ余震が続き、1500人以上が避難生活を余儀なくされる。今場所は0勝2敗と苦戦しているが、残りの取組次第では十両昇進もあり得る。故郷を勇気づけるためにも「いい報告をしたい」と活躍を誓った。【佐藤礼征】

公式売店で“実践”女子大生 相撲協会と産学連携

秋場所初日、国技館内にある相撲協会公式グッズの売店に親方衆に交じって3人の若い女性が接客していた。聞けば実践女子大の学生だという。

昨年12月25日に相撲協会と同大学が産学連携を結んだ。グッズのアイデアを考えていた社会貢献部の三保ケ関親方(元前頭栃栄)が、産学連携の経験が豊富な同大学に提携を依頼。当時は元横綱日馬富士関による傷害事件発覚などで揺れていたが、同大学の秦英貴学長顧問は「学長も理解があり、学生に経験して良いことならやろう、とおっしゃった」と快諾した。

提携後、社会貢献部の親方衆と学生たちが定期的に意見交換をして新商品の開発に努めた。夏場所では、第1弾となるコンパクトミラーが売店に並んだ。そして今場所からは同大学の生活環境学科の3年生3人が、インターンシップとして売店で接客をしている。

学生にとってはこれ以上ない社会経験になり、親方衆にとっても有益だった。社会貢献部の岩友親方(元前頭木村山)は「女性ならではの視点でのアドバイスはすごく参考になる」と感謝していた。【佐々木隆史】

口数少なく態度で示す 退路断った稀勢の里の挑戦

大相撲秋場所の土俵祭りに臨む稀勢の里(撮影・河田真司)

ファンはもちろん、多くの相撲関係者も、やめてほしいなどと思っていない。何よりも本人が、復活を信じ、現役を続けたいと稽古している。それでも結果が伴わなければ、やめなければならない状況だと腹をくくっている。そんな力士生命をかける思いで秋場所(9日初日、東京・両国国技館)に臨むのが、横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)だ。7月の名古屋場所の休場を表明した際に「来場所、すべてをかけて頑張っていきたい」と、決意を語っていた。

稀勢の里は第72代横綱。江戸時代前期の初代明石志賀之助から数えて、横綱はわずか72人しかいない。師弟ともに横綱というケースは少ないが、稀勢の里の師匠も元横綱隆の里の故先代鳴戸親方。現役時代は口数も少なく、師匠としては「朝稽古」が午後まで続くことも当たり前という、厳しい指導で知られる。その隆の里の師匠も「土俵の鬼」と呼ばれた元横綱の初代若乃花。口数の少なさ、厳しい稽古は、その初代若乃花を引き継いだ。極めて少ない、3代続く横綱の系譜を継いだ稀勢の里が、口数が多いわけもない。言い訳はせず、土俵で結果を示してきた。

口数の少ないことで、誤解されかねないこともある。秋場所初日のちょうど1カ月前となる8月9日。地元茨城県の龍ケ崎市で行われた巡業で、稀勢の里は朝稽古の土俵に立たなかった。その3日前の8月6日から、関取衆相手に本格的な稽古を再開し、翌7日まで2日連続で相撲を取っていた。同8日は稽古土俵に立っていなかったが、幼少期を過ごした龍ケ崎市で目いっぱい稽古するための休養だと、報道陣は勝手に思い込んでいた中で、肩すかしを食った格好となった。「9月場所で活躍できるよう、しっかり頑張りたい」などと、稽古を休んだ理由について、多くは語らなかった。

だが龍ケ崎市での巡業の取組を終えて、花道を引き揚げる際に、明らかに異変があった。地元ファンの盛大な拍手と声援に笑顔をつくることもできず、険しい表情で歩いていた。後日、実は左足裏に傷ができていて「龍ケ崎の時が一番ひどかった」と話している。多くを語らないことで、その日は、地元ファンに稽古も見せず、交流も少なめと、冷たい態度を取ったようにも見られたはず。だが立っているだけでも痛みを感じる中で、稽古場には姿を見せて四股を踏み、横綱土俵入りも取組も行った。龍ケ崎市の巡業の翌日、福島・白河市での巡業では稽古場にも来ることができず、土俵入りも回避したことを考えれば、その時点での目いっぱいのファンサービスだった。

秋場所の出場意思を表明した9月6日も「やるべきことは、やってきた」と、短い言葉に決意を込めた。それまでの稽古を振り返り「良かったり悪かったりというのが、逆に良かったと思う」と、けっして順調ではなかったことも自覚している。それでも「しっかりと準備はできた」と言い切った。8場所連続休場で、相撲勘が鈍くなるのも当たり前。言い訳したくなる状況でも、出場する以上は「準備はできた」と断言し、退路を断って臨む秋場所。横綱として歴代最長の連続休場明けの、誰も経験したことのない挑戦が、いよいよ幕を開ける。

【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

初土俵から8年半の隆の勝、挫折乗り越え幕内世界へ

番付表を手に笑顔を見せる新入幕の隆の勝(2018年8月27日撮影)

苦労したのが報われて、年齢を重ねてはい上がってくるのも味があっていい。一方で、活性化のためには若手の台頭が不可欠だ。9月9日に初日を迎える大相撲秋場所(両国国技館)でまた一人、生きの良い新入幕力士が出てきた。初土俵から8年半で幕内の座を射止めた23歳の隆の勝(千賀ノ浦)だ。

両国国技館内で行われた8月27日の番付発表会見では、喜びのコメントがあふれていた。師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)を隣に着席しても終始、笑みを満面にたたえ「めちゃめちゃ、うれしいっす。幕内はテレビで見る世界。番付の一番上に名前が出るのは本当にうれしいっす」。大勢の報道陣を前に、現役時代は、その柔和な笑顔から「ドラえもん」の愛称があった師匠も、汗をかきかき笑みを浮かべていた。先代(元関脇舛田山)から16年4月に部屋を継承して初めての幕内力士。関取としても隆の勝が第1号で、喜びもひとしおだろう。

その隆の勝にも挫折の時はあった。初土俵から幕下までは約2年で通過。群雄割拠の険しい幕下で10場所務めた後、1度だけ三段目に落ちた。すぐに幕下に戻った後、5場所後に再び三段目へ。この滞留も1場所だけにとどめたが、この時期が「壁にぶち当たって(十両に)上がれないかも、と思い心が折れかけた」という挫折の時だった。それも「親方や身内、回りのいろいろな人たちから応援の声をもらった。それが支えだった」と奮起。稽古量は増え、また師匠の「稽古場の相撲を取ればいい、というアドバイスで気持ちをうまく切り替えられるようになった」と精神的な安定もプラスになった。

昨年九州場所で晴れて、新十両に昇進。しこ名を先代の現役時代から1文字もらった「舛の勝」から、現師匠の1字をもらった「隆の勝」に改名し十両を5場所で通過。自信をもって「実りの秋」を迎える。

先場所は東十両4枚目で13勝2敗。これが自信になってか、秋場所の抱負を「勝ち越しはもちろん、三賞を狙いたい」と意気込む。年齢が近く、出稽古を積みライバル視する阿武咲(22=阿武松)、阿炎(24=錣山)も、新入幕で三賞を受賞し、その後のジャンプアップへとつなげた。そんなことも意識しての目標設定。押し相撲に磨きをかけ、怖いもの知らずで幕内の世界に飛び込む。

【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

金足農OB豪風「私立倒す、これ以上の快感ない」

母校・金足農高の化粧まわしを締めて土俵入りした豪風(2018年8月19日撮影)

記念すべき第100回夏の甲子園は、大阪桐蔭の史上初となる2度目の春夏連覇で幕を閉じた。今年も数々の名勝負が生まれたが、特に公立の星と言われた金足農(秋田)の活躍には、多くの大相撲ファンもくぎ付けになったのではないか。と同時に「あの人も金足農だよね」と思った方も多いはず。そうです。ベテランの十両豪風(39=尾車)の母校です。

金足農が準決勝進出を果たした翌日の19日、札幌市で行われた夏巡業で報道陣から囲まれた豪風は、目を輝かせながら母校への思いを爆発させた。

「今まで眠っていた感情、細胞が後輩たちに覚まさせてもらった。長くやっていると忘れていくものがあるけど、それを覚まさせてもらった。ベスト8になるだけでもすごいことなのに。言い方は悪いけど、地方の公立校が強化選手を集めた私立の高校を倒す、これ以上の快感はないですよね。秋田には秋田商とか大曲工とかあるけど、金足農というのがもうね」

話し出すと止まらなかった。他にも近江戦でのサヨナラ2ランスクイズや、エース吉田輝星について熱弁したり。最後には「球児は何食べてるんでしょうね。やっぱりニンニクとかビタミンB1たっぷりの豚肉とか食べてもらいたいね。お米もあきたこまちを食べてね」と、もはやOBというよりは親目線だった。

それもそのはず。長男海知君は現在10歳で「自分の息子より6、7歳上ぐらいだから子どものような感覚だよね。何度も涙が流れそうになったから、人前では試合を見られなかった」とこっそり見ていたとか。さらに「途中からは最初の整列だけで泣けてました」と涙なしでは見られなかったという。

優勝こそ逃したが、後輩たちの勇姿は豪風の心を動かした。「北海道にいた時にベスト8、準々決勝進出とかがあって、決勝の日の秋田巡業も盛り上がっていたけど、関東でもかなり盛り上がっていたのにびっくりした。会場でも『金足農業』って言ってくれるファンが多かった」と感動。だからこそ「次は自分の番ですよ」とモチベーションが高まった。

名古屋場所では東十両筆頭の位置で4勝11敗。秋場所(9月9日、東京・両国国技館)では、十両中位から下位が濃厚だ。大きく負け越してしまえば最悪、幕下への陥落もあり得る状況。ただ悲愴(ひそう)感は当然ない。「とてつもない力になりましたから。これも何かの縁だなと。ここで先輩の背中、意地を見せないといけない。見せてやりますよ」と鼻息を荒くした。狙うはもちろん、後輩たちが果たせなかった“優勝”の二文字だ。【佐々木隆史】

軽い体重も理想求めた石浦、秋場所の取り組みに期待

石浦

 腰痛で巡業を休んでいた関脇逸ノ城が復帰した。名古屋場所に10キロ増の体重230キロで臨んだことで、腰が悲鳴を上げたとか。「220キロまでにしないと…」と話しているらしい。そりゃあ、身長が193センチあるとはいえ、230キロはなあ…。重さは強力な武器とはいえ、やり過ぎは考えものですわな。

 重い人にも悩みはある。しかし、角界の場合、軽い人の悩みはもっと深い。名古屋場所千秋楽の7月22日、石浦がこぼしていた。

 「場所前は悪くなかった。地に足が着いてるし、柔軟性もあった。でも、場所が始まると力感がない、立ち合いとかの感覚も1歩ずれているというか、遅くて。いろいろ工夫したけど、うまくいきませんでした」

 東前頭15枚目。千秋楽を白星で締め、何とか7勝8敗にまとめたが、表情がさえない。本当の悩みはもっと深いところにあった。

 「僕の目標は“押して、押して”なんだけど、今の取り口はそれとかけ離れてしまっている。勝っても、変化によるところが多くて…。今年に入って、ずっとそう。情けないですよ」

 173センチ、116キロ。新入幕の16年九州場所で10勝5敗とブレークし、生きのいい小兵力士として注目を集めた。最高位は昨年春場所の東前頭12枚目。同年九州場所で十両に陥落したが、1場所で幕内に返り咲いた。巨大化が進む角界にあって、サイズを考えれば、健闘している。ところが、本人はまるで納得していない。

 昔から、理想の力士がいる。元関脇鷲羽山。70年代から80年代にかけ「ちびっ子ギャング」の異名をとり、土俵を沸かせた。多彩な技を駆使したが、人気を集めた最大の要因は“小兵なのに正攻法”な取り口にあったとされる。石浦は、そこに敬意と憧れを持つ。

 「やっぱり鷲羽山さんのような相撲がとりたい。うちの父(鳥取城北高相撲部総監督・石浦外喜義氏)には“あの相撲は(幕内力士の)平均体重が140キロの時代だからできたんだ”と言われます。でも、今の時代にそれができたら…と思うんです」

 鷲羽山の現役時175センチ、112キロのサイズは、確かに石浦に近い。近いが、時代が、状況が悪い。

 「自分の好きな相撲を、人に言われて曲げたらダメ。理想を求めたい。もう1回、考え直さないといけないと思っています」

 夏巡業もそろそろ終わり、9月8日から秋場所が始まる。石浦が悩んだ末にどんな準備をして、どんな相撲をとるのか。楽しみに待ちたい。【加藤裕一】

新たな活力 地方巡業で復活した民泊にほっこり

長野・下諏訪町で行われた巡業は、テントを張った屋外で行われた。手前はファンに気さくにサインに応じる安美錦

 今月6日に長野県下諏訪町で行われた夏巡業に際し、前日5日に鶴竜、白鵬の2横綱をはじめ、多くの力士が「民泊」を行った。長野県の諏訪湖周辺の一般家庭に、基本的には関取と付け人の2人1組ずつ、鶴竜は総勢8人、白鵬は4人で同じ家に泊まった。親方衆や巡業に参加している力士の多くは、ホテルでの宿泊だったが、約20軒にもわたる家庭に一斉に力士が宿泊。一風変わった日となった。

 民泊はかつて、地方巡業で多くあったというが、近年はまったく行われていなかった。7月の名古屋場所では、長野県出身力士として初優勝した関脇御嶽海の活躍で、近年、相撲熱の高まっていた地域ということもあり、快く迎えられたという。民泊初体験の前頭大栄翔は「泊まった家の子どもたちと、夜はババ抜きとか、トランプをして一緒に遊びました。楽しい思い出になりました」と、うれしそうに話した。きっと、交流を持った家庭、特に一緒にトランプをした子どもたちは、ずっと大栄翔を応援するだろう。他のプロスポーツにはない、相撲ならでは交流は、ファンの裾野を広げることにもつながる。

 鶴竜は、一般家庭ではないが、約160年前から残っている、古い屋敷に宿泊した。8人という最も大所帯で宿泊したこともあって「ものすごい食べると思われていたみたいで、食べきれない量の食事が用意されてビックリした」(鶴竜)。コイなど、普段は目にすることもなかった食材もあり、印象に残ったという。食後は、ご飯を用意してくれた地域の人たちと、諏訪湖で毎日上がる花火4万発を、一緒に見て楽しんだ。「庭に250年前の松の木があって歴史を感じた。いい経験になった」と、民泊初体験を振り返っていた。

 下諏訪町での巡業は、これも現在では少なくなっている屋外で行われた。当日は気温37度ほどまで上がる猛暑。もともと避暑地で、多くの家庭にはクーラーがなく、鶴竜の宿泊先にもなかった。前頭魁聖は「自分だけ、その家で唯一、クーラーがある部屋に泊まらせてもらった。ありがたいですね」と、家主の心遣いに感謝した。

 今回の民泊を受け入れた各家庭も、準備に余念がなかった。ボリューム満点の夕食や朝食、さらにはトイレの便座を補強する家庭が多かったという。一般家庭の便座は、200キロ超の魁聖をはじめ、150キロ超が当たり前の力士が座ることを想定してつくられたものではない。重さに耐えられず、便座が割れてしまうのだ。この日のためだけに便座を取り換えるなど、数々のおもてなしに、民泊した力士はこぞって感謝の思いを口にする。前頭勢は「地方のおじいちゃん、おばあちゃんとか、普段お相撲さんを目にすることのない方は、こっちが歩いているだけで拝んでありがたがってくれる。こんな職業ないですよ。ありがたがってくださる方々のためにも、僕らも頑張らないといけない」と話す。地方巡業、さらには民泊という相撲ならではの交流は、ファンのためだけではなく、力士にとっても新たな活力を生む場となっている。【高田文太】

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。