上へ戻る

au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

決まり手係35年の大山親方「見ていて楽しかった」“希代の業師”舞の海

八艘(はっそう)跳びを披露した平成の牛若丸こと舞の海(後方)(1992年1月18日撮影)

場内に伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)の、行司軍配差し違えのアナウンスが流れる。勝ち名乗りが行司から発せられた8秒後、場内アナウンスが再び流れる。「ただいまの決まり手は一本背負い、一本背負いで豊昇龍の勝ち」。めったにお目にかかれない豪快な珍手に、館内のファンからマスク越しのどよめきが起きた。

5日目には大栄翔戦で宇良が、幕内では16年ぶりとなる「送りつり出し」でみせた。同じ日に英乃海は「後ろもたれ」で勝った。今年春場所では翔猿が「首ひねり」、霧馬山が「送り引き落とし」の珍手。照強も「小褄取り」「網打ち」など多彩な技で白星を収めてきた。上背のそれほどない、業師たちの面目躍如といえるだろう。

ただ最近の傾向としては、押し出しや寄り切り、突き落とし、はたき込みなど、直線的な動きの中で勝負が、あっけなく決まることが多い。この傾向に、寂しさを隠せない親方がいる。10月16日に69歳の誕生日を迎えた大山親方(元前頭大飛)だ。決まり手係として35年あまり。現在は十両を担当し、心血を注いできた人ならではの切なさだ。

大山親方 力士の体重が重くなって攻防が少なくなりましたね。行司の「残った、残った」の声にも残れない。自分の体重を支えられない力士が多くなったことが1つの原因でしょう。

そう言って「例えば」として挙げたのが、うっちゃりだ。「うっちゃる前に自分の体がつぶれてしまうんです」。さらに「取ったり」についても“物言い”がある。

大山親方 今でも取ったりの決まり手は出ますが、昔の取ったりと違うんです。本来の取ったりは2度、3度と、しつこくかけて決めるもの。それが今は1度か2度かける途中で相手が手をついてしまう。アッサリと決まってしまうんです。(元大関)旭国さん(元大島親方)なんか、しつこかった。栃赤城さんの逆取ったりなんかも見応えがありました。技を出された相手が辛抱して、踏ん張って、こらえた末に決まるのが醍醐味(だいごみ)なんですよ。

決まり手へのこだわり。それは今から30年ほど前にさかのぼる。決まり手係と並行して任務していた相撲教習所で、モンゴル出身の新弟子、後に小結まで昇進する旭鷲山を指導していた時のことだ。

大山親方 基本的に、丸い円(土俵)の外に相手を出せば勝つのが相撲。それが旭鷲山は、投げるわ、ひねるわ、反るわで内掛けも外掛けもする。それを見ながら、ふと思ったんです。これが本場所で決まったら何という決まり手になるのかな、と。その当時に制定されていた決まり手に、当てはまらないものがあったんです。たとえば後ろ向きのまま相手を土俵の外に出す。当時なら寄り切りです。でも、ラジオで聴いていた人が想像する寄り切りは、相手に正対して四つに組んで出すことでしょう。でも実際は違う。違う決まり手の名前があっても、いいんじゃないかなとね。

“決まり手魂”がうずく。すぐに実行したのが、江戸時代の決まり手本を、教習所の教官らの手助けを借りて探しまくること。そこで目にした本をひもとくと、何と決まり手が100以上もあった。わが意を得たり-。

大山親方 あの教習所で今まで見たこともなかった技に、決まり手を用意しなければいけないと思いました。あの後ろ向きの寄りは「後ろもたれ」だと。他にも考えれば、首をかしげるものもあって、これは付け加えなければ駄目だと思いました。

60年初場所から決まり手は70手のまま。周囲の親方衆にも賛同を求めたが、耳を貸してくれる人はいなかった。あの“旭鷲山の衝撃”から8年がたとうとしている。文献も調べ尽くした。もう自分が腰を上げるしかない。20世紀最後の年、機は熟した。

大山親方 それまで誰も話を聞いてくれなかったし、話をしてもイタチごっこ。ええい、行っちゃえと。もう直談判でした。時津風理事長(元大関豊山)の所に行って「これはこうですよ」と1つ1つ説明しました。まあ怒られて終わるだろうと思ったのに、理事長は私の説明を聞き入れてくれました。本当に懐の深い人で良かった。感謝しています。

決まり手名人は、それだけでは飽き足らない。

大山親方 本当は、あと2つ3つ、追加したいものがあったんです。肩透かしを上手や下手を取って引っ張り落とした場合、これは投げでもない、ひねりでもない。私からすれば「上手すかし」「下手すかし」なんです。それも追加してもらおうと思って説明したんですが「もう、そのへんにしておけ」と笑って却下されましたけどね(笑い)。

熱意が実ったのは翌01年1月。この初場所から、それまで70手だった決まり手が、約40年ぶりに82手に増やされた。それから1年半後。全身に電流が走るほど興奮する、思い出の一番が土俵で起きた。翌02年9月の秋場所3日目。大関朝青龍が小結貴ノ浪を「伝え反り」で勝った一番だ。もちろん、熱意が結実し追加された12手のうちの1つ。日本相撲協会の公式ホームページによれば、この決まり手が出る割合は0・01%という希少な技だ。当時を振り返る口調は、69歳の年齢を感じさせない熱っぽさだ。

大山親方 これだっ、出た! と興奮しながらドキドキしたことを覚えています。間違いない、伝え反りだと。ただ、確認も入念に行いました。(自分がいるビデオ室と電話でつながる)場内アナウンスの行司さんには『ちょっと待って』と言って時間をもらいました。確信を持ちたかったからです。決まり手を伝えた後、場内アナウンスが流れた時は『どうだ、出たろ!』と全国に言いたかったですね。高見盛が後ろもたれで勝った(04年名古屋場所と11年初場所)時も、新しい決まり手を作って本当に良かったな、と思いましたね。

そんな大山親方の頭を悩ませる、決まり手係泣かせの力士は、どんなタイプなのか-。それには、強いて言えば「速い動きの人ですかね」と短く答えた大山親方が「というより一番、見ていて楽しかったのが舞の海ですね」と希代の業師の名前を挙げた。土俵上の動きを、一瞬の隙も作らず、つぶさに目を凝らすプロならではの観察眼だ。

大山親方 私が見て、完璧な手順通りの相撲を取るんです。左が入って右の前みつを取ると、彼の左膝を見ます。舞の海は、その左膝で芸をするんです。下手投げ、切り返し、足取り、無双を切る-。そうやってイメージ通りに相撲を取れるのが舞の海のすごいところなんです。私たち決まり手係は、力士が次に何をするか予想するんです。舞の海の場合は、次に下手ひねりが出る。切り返す、というのが分かる。必ずそうなります。それを出来るのがすごいんです。

決まり手に、これほどの「こだわり」を持つ大山親方だが、相撲ファンには寛容な心で構えている。

大山親方 お客さんも一緒になって「今の決まり手は何だろう」と楽しみながら考えて観戦してもらえたら、うれしいです。たとえ、その決まり手が場内アナウンスと違ってもいいんです。「ああ、そうなんだ」でも「いや、アナウンスが違う」でもいいんです。決まり手を楽しんでもらえればいいんです。私たち決まり手係は、協会の公式記録として残さなければいけない立場なので1つに決めます。でも係の中でも見解が違うかもしれません。どちらも正解です。そう決めた解釈の説明を、しっかり持っていれば「こうでもあり、ああでもあり」でいいと思います。そうやって、ファンの皆さんにも楽しんでもらえたらと思います。

現役時代は千代の富士の横綱土俵入りで露払いを務めたこともある大山親方だが、引退後は陰に日なたに協会を支えてきた。決まり手係、相撲教習所以外にも、真面目な性格や角界屈指の知識人としての力量も買われ、相撲寺子屋の講師役、巡業先での相撲講座、相撲健康体操など普及活動に汗を流してきた。そうして歩んできた相撲人生だが「大山親方」として日本相撲協会に残れるのも、ちょうど残り1年。退職を1年後に控え、今の力士たちに伝えたいことを聞いてみた。相撲教習所時代に、新弟子たちに伝えていた言葉を今でも大切に、胸に刻んでいる。

大山親方 力士の「士」は、武士の「士」でもあるけど、紳士の「士」でもあります。身内だけでなく、一般の人に対しても紳士らしく礼儀正しく、人に親切にしなさいと。それを伝えたいですね。

【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

伝え反りで貴ノ浪を破った朝青龍(右)(2002年9月10日撮影)
大山親方(2011年2月1日撮影)

3ミリのズレに気づく元横綱白鵬 功績残した裏に抜群のバランス感覚

19年7月、名古屋場所で土俵入りする白鵬

大相撲の元横綱白鵬が、9月の秋場所後に、ついに引退した。通算1187勝、史上最多の45度の優勝、16度の全勝優勝…。20年間の土俵人生で数々の功績を残した。では一体、何が優れていたからこれだけの成績を残すことができたのか。記者は、抜群のバランス感覚が1つだと感じる。土俵際での柔らかさ、相手の当たりや技を受けてからの攻防。他の力士にはない、優れたバランス感覚が光った。

結果的に最後の本場所出場となった7月の名古屋場所前、7年以上にわたって白鵬の主治医を務めてきた整形外科医の杉本和隆氏(苑田会人工関節センター病院長)は、こう証言していた。

杉本氏 動作解析をしたら重心が右に3ミリずれてたんです。そしたら横綱が「やっぱりそうなんだ」って。普通は気付かないですよ。

3月に右膝を手術し、名古屋場所に向けて懸命にリハビリに励んでいた白鵬。全身を精密機械で検査した際に判明した、重心のズレに気付いていたという。杉本氏によると力士は長年の現役生活の中で、相撲の型や踏み込む足、まわしを締める方向などで、どうしても体の重心がずれてしまうという。しかし、それに気付かない力士がほとんどの中、白鵬は3ミリのズレに気が付いた。

杉本氏 だからリハビリで四股の踏み方を変えたんです。重心がズレたことで後ろ体重になっていました。リハビリで四股の踏み方をやるのもおかしな話。しかも、横綱に理学療法士が教えるのもおかしいかもしれないけど、横綱は素直に聞いていました。彼は科学的なものも取り入れました。

白鵬は病院のリハビリ室に、慣れ親しんでいる宮城野部屋の土俵の土を持参。約1カ月半かけて四股やすり足などの徹底した基礎運動で3ミリのズレを解消した。そして、進退を懸けて臨んだ名古屋場所。4場所全休を含む6場所連続休場明けで、相撲勘を不安視されながらも全勝優勝を果たした。

仕切り線から大きく下がってからの立ち合いや張り手など、物議を醸す取組があったものの、「今日はどんな取り口を見せてくれるのか」という期待も持たせてくれた。優れたバランス感覚が、さまざまな取り口を可能としていた。

稽古中やマッサージを受けている時など、体に異変があるとすぐに察知したという。「普通の人なら気付かない異変にすぐ気付く。しかも、かなり早く。病院に行かないといけないケガなのか、それともそのままでも大丈夫なのか。頭の先から足の先まで。自分の体がよく見えている。これほどのアスリートはいない」と杉本氏。自分の体をすみずみまで理解していたからこそ、数々の偉業を成し遂げられた。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

サービス精神が旺盛の元横綱白鵬、誰よりも精力的だったファン対応

引退会見を行う横綱白鵬(代表撮影)

横綱白鵬(36=宮城野)が、記録と記憶を残して土俵を去った。土俵上の実績以外だと、白鵬といえば「サービス精神が旺盛」というイメージが強かった。巡業や花相撲が顕著だった。

時間に限りがあるときは付け人が制止するが、ファンのサインや握手対応には誰よりも精力的だった印象がある。ひとつひとつの行事を無駄にしない。2年前の19年夏巡業。初代若乃花が生まれた青森・弘前市からほど近い板柳町の巡業で、初代若乃花の得意技だった「呼び戻し」を披露した。駆け付けた2000人ほどの観客も大喜びだった。

相撲史に対する勉強熱心な面と、持ち前のサービス精神がよく表れていた場面だったと思う。白鵬は当時「呼び戻しといえば青森。初代若乃花といえば呼び戻し。『地元にきた』と縁を感じられるからね」と意図を説明した。関取になって17年、横綱になって14年。看板力士として相撲界の行事は何回も、きっと何百回も参加してきたはずだが、何か“見せ場”をつくろうとする姿勢は際立っていた。

もう一つ、白鵬は家族という存在の重要性を、自ら説くことが多かったように感じる。モンゴル人として初のメダリストになるなどした、父ムンフバトさん(故人)が偉大だったことが大きく影響しているのかもしれない。相撲記者の中でも若手中の若手だったためか、取材の中で白鵬に人生の“助言”みたいなものを言われることもあった。印象に残っているのは「若者は早く独り立ちして、親孝行することが大事だ」という言葉。同じようなことを、部屋の力士にも言い聞かせているのかもしれない。かつて引退した弟弟子には「親の足を洗ってみなさい。自分を育ててくれた人が支える足に触れることで、その重さを実感できるから」と伝えたことがあるそう。15歳でモンゴルから来日。家族との結びつきが、白鵬の大きな力だった。

10月1日の引退会見には、紗代子夫人や子どもたちも駆け付け、「パパ」にねぎらいの花束を渡していた。会見で「奥さんと子どもたちが支えてくれたことで、ここまでこれたのは間違いありません。『強い男の裏には賢い女性がいる』。この場を借りて妻に感謝したい」と語っていた白鵬の表情は、とても柔らかいように感じた。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

編集に悪戦苦闘…立田川親方は“ユーチューバー”兼業

立田川親方

美しい所作と誠実な土俵態度で人気を博した立田川親方(元小結豊真将)が“ユーチューバー”を兼業している。今場所までに、日本相撲協会公式YouTubeチャンネルを通じて自身が撮影、編集した動画を2本投稿した。1本目は稽古まわしの作り方、2本目は国技館カレーのアレンジレシピ。計7万回以上も再生視聴されるなど注目されている。

「ユーチューバーの苦労が分かりますよ。撮影も編集もして…なかなか難しい。でも、これが意外と面白いんです」と楽しそうに話す。協会が公式YouTubeでさまざまな動画を発信していることに刺激を受け、今年1月ごろに挑戦してみようと決心した。「お相撲さんも動画に映れば喜ぶし、ファンの方にうちの部屋のことを知ってもらえる機会にもなる」。所属する錣山部屋の力士に協力してもらい、自身のスマホで動画を撮影。1万円ほどの動画編集ソフトを購入し、編集に慣れない1本目は完成まで2週間かかったが、2本目は1週間ほどで形になった。

普段の親方業務もある中で「コロナ禍で外に出られない時間を有意義に使えた」。秋場所後には、3本目の動画を撮影するプランを練っている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大関対決なし珍ケース発生か 白鵬休場で番付重み重視し、終盤まで割崩せず

貴景勝

大関戦の有無に注目が集まっている。慣例通り出場最高位の照ノ富士が14日目に貴景勝、千秋楽に正代と両大関との対戦が続けば、両大関同士の一番が組まれないことになる。2人以上の大関が千秋楽まで出場しながら大関戦が組まれなければ、19年夏場所以来2年ぶり。1場所15日制が定着した49年(昭24)夏場所以降では2例目と珍しいケースになる(大関陣が同部屋の場合や「一門別総当たり制」だった64年以前を除く)。

2年前の夏場所は、平幕の朝乃山が西前頭8枚目の地位で平幕優勝した場所。高安と豪栄道の両大関が9勝止まりで賜杯争いに絡むことができず、割を崩す大きな要因となった。

横綱と大関の人数に違いはあるが、昭和後期や平成初期では、8~10日目に大関戦を組むケースは頻繁に見られた。白鵬の休場により今場所は1横綱2大関の陣容。番付の重みを重視するためか、今場所は終盤まで割を崩せなかった。取組編成を担う審判部の伊勢ケ浜部長(元横綱旭富士)は「(大関戦が組まれない)可能性はある」と示唆。優勝争いの展開次第で、状況は変わっていきそうだ。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大成道→大成龍 恩師からもらった「雅」…力士が改名に込めた思い

大成龍(2017年7月17日撮影)

力士は皆、改名に思いを込める。東幕下57枚目の大成道改め大成龍(28=木瀬)は「何かを変えたかった。勝ち越してほっとした」と安堵(あんど)した。

19年春場所以来の再十両を目指すも遠く、名古屋場所後に師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)から改名の提案を受けた。「即答でした。『龍』は師匠が弟子によくつける字。昇り龍などの意味もありますから」。笹ノ山→大成道と改名し、大成道の時には下の名前を3度変えた。それも木瀬親方の提案だったが「成績が伸びなくて申し訳なかった。今回は『道』を『龍』に変えて勝ち越せた」。勝ち越しを決めて「大成龍~」の勝ち名乗りを受けた時に誇らしい気持ちだった。

元プロ野球巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏の遠縁にあたる序二段4枚目の松井改め豊雅将(18=時津風)は「お世話になっている方」の文字を使って改名した。「雅」は高校時代の恩師の新田雅史氏、「将」は小中学時代の恩師の粂田将和氏からもらった。それに時津風部屋伝統の「豊」をつけて「名前に恥じないように気合を入れたい」と意気込み、3場所連続の勝ち越し。共に恩師らに吉報を届けた。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

全ては力士になるため…イスラエル人のヤルデンさんはチャンス到来を待つ

角界入りを願って母国でトレーニングに励むイスラエル出身のヤルデン・ヤトコヴィスキーさん(本人提供)

力士になることを熱望するイスラエル人がいる。

秋場所8日目の19日に新序出世力士が発表された一方で、ヤルデン・ヤトコヴィスキーさん(23)はなかなか角界入りにこぎつけられない。「自分がどれだけ相撲が好きか(親方衆に)知ってほしい」。母国でトレーニングに励みながら機会を待つ。

イスラエルの小さな町「クファル・シルキン」で生まれ育った。祖父がスポーツ観戦を趣味にしており、テレビで相撲観戦にも興じていたためヤルデンさんも4歳の時に「相撲に恋をした」。近隣に相撲の指導者がいなかったため、相撲に近い柔術を始めると11年間の競技人生で国内大会の優勝も経験。さらに15歳で家族とともに引っ越した際に、知人の紹介でハンドボールを始めた。

「最初はハンドボールにそんなに興味がなかったのですが、柔術のコーチが退職したこともあり、柔術のトレーニングを少しの間休むことにし、ハンドボールをやってみることにしました。しばらくして、ハンドボールでいい成績がでるようになり、だんだん楽しめるようになってきました」。

イスラエルでは高校卒業のタイミングで兵役を義務づけられている中で、ヤルデンさんは同時にハンドボールのプロ選手になった。兵役義務と並行しながらの活動となるが、イスラエルではアスリートや音楽アーティストなどの分野で活躍する若者には一定の理解が示される。「ハンドボールは、軍隊の任務をいいコンディションでこなせるような体力を作ってくれました。軍隊の任務自体も、忙しく体を動かし続けることになりましたので、相撲に取り組むための準備になりました」。全ては力士になるための体づくりだった。

兵役義務を終えて資金の準備も整った昨年3月に、角界入りを目指して来日する予定だったが、コロナ禍による渡航制限で断念した。当時21歳。身動きが取れない状況の中で、入門への道を模索する。各相撲部屋のホームページなど「公開されている電話番号やメールフォームがあるすべての部屋に」連絡をした。自身がトレーニングに励んでいる動画も送って、勤勉さも印象づけた。返信があったのは5つの相撲部屋。「私が送ったメールや電話よりもはるかに少ない数だった」と肩を落とす。返信があった相撲部屋からは断られたか、返事を保留されているという。

状況が改善しないまま、今年の6月で23歳になった。25歳未満でも相撲や柔道、レスリングなどの格闘技で一定の成績を残した上で、入門部屋の師匠が提出した「年齢制限緩和」の申請が日本相撲協会の理事会で承認されれば、新弟子検査を受けられることは知っていた(協会員規則によると、各競技経験者は高等学校以上の全国大会への出場を原則とし、中学生以下の実績を除く)。

学生時代に柔術の大会で優勝したことはあったが「その実績だけでは不十分だと気がつきました」と、コロナ禍以降で柔道を始めたという。92年バルセロナ五輪の男子71キロ級で銅メダルを獲得した同国のオレン・スマジャの指導も受けて、「イスラエル柔道協会チャンピオンシップ」で準優勝、「イスラエル柔道協会カップ」で優勝を果たしたという。「これらの実績は、相撲協会の指す実績に該当すると思われますが、その意味で重要な実績であり、必要な実績を得ることができた」とアピールする。

ネットの動画を参考に四股、すり足、テッポウなどの相撲の基本運動も行っているという。力士の食生活を参考に、1日2食に変更して昼は自作のちゃんこ鍋を食べる。1日1万キロカロリーを目安に、この1年間で体重は30キロ増加して140キロ。「コーシャ」という宗教上の理由で豚肉などを食べられないルールもあったが、日本の食事に合わせるためにコーシャもやめた。週に1回の家庭教師も雇って日本語の勉強にも着手。ケガのリスクを避けるため、今年1月にハンドボールのプロ契約も終えた。

ヤルデンさんは受け入れ先の相撲部屋が現れることを期待するが、現時点で見通しは立っていない。返信があった5つの部屋のうち、木瀬部屋、鳴戸部屋の2部屋はすでに外国人力士を入門させている。電話取材に応じたある親方は「(ヤルデンさんから)連絡はあったけど、その前にモンゴル人で話をしている子がいた。砂浜で友達と相撲を取っている動画も送ってくれたけど、先約がいる以上は断らざるをえない」と申し訳なさそうに語った。

ヤルデンさんは「私が相撲と日本がどれだけ好きかを知ってもらいたい。相撲のために何でもする準備ができていることも知ってもらいたい」と力説した。SNSでも協力を呼びかけており、チャンスの到来を待っている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

角界入りを願って母国でトレーニングに励むイスラエル出身のヤルデン・ヤトコヴィスキーさん(右)(本人提供)
角界入りを願って母国でトレーニングに励むイスラエル出身のヤルデン・ヤトコヴィスキーさん。砂浜で相撲を取っている(本人提供)

口癖は「若いのに負けられない」26年間休場なし45歳「鉄人」翔傑

口癖のように「若いのにまだまだ負けられませんから」と語る表情は、充実感に満ちあふれている。西三段目40枚目翔傑(芝田山)は、場所前の9月5日に45歳の誕生日を迎えた。年6場所制が定着した58年以降、45歳以上の力士が本場所で相撲を取るのは4人目となる。特筆すべきは、4人の中で唯一初土俵から休場がない点。高齢力士といえば51歳で現役の序二段華吹(立浪)が話題を呼ぶが、翔傑の“鉄人”ぶりも際立っている。

12日、初日の取組で香富士(左)を攻める翔傑

元大関魁傑が師匠の放駒部屋に入門して、18歳の95年春場所に初土俵を踏んだ。4年後の99年に部屋付きの芝田山親方(元横綱大乃国)が部屋を興し、翔傑は13年に放駒親方が定年に伴い部屋を閉鎖したことをきっかけに転籍。同親方は「どこの部屋に出しても恥ずかしくない。稽古はしっかりやるし、後輩もしっかり叱る」と評価。部屋の最年長として全幅の信頼を寄せている。

最高位は西幕下4枚目で、ここ2年は三段目で奮闘。翔傑は「回復力はさすがに若手にかなわない」と加齢の影響を実感するが「諦めがつけば力は抜けるけど、それがまだないから」とニヤリ。モチベーションが落ちない理由。「相撲が好きなんで」という言葉に詰まっている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

44歳聡ノ富士 2人の弟弟子の横綱が現役の時に弓取り式「最後まで」

結びの一番を終えた後、懐かしい光景が飛び込んできた。大きな弓を巧みに操り、堂々と四股を踏む。弓取り式を行うのは、東序二段45枚目の聡ノ富士(44=伊勢ケ浜)だ。初日に弓取り式を行った西幕下22枚目将豊竜が初日の取組で肩を負傷。代役が回ってきた。「年も年なので見せられる体ではないけど、何とかやっています」と笑った。

弓取り式を行う聡ノ富士(撮影・河野匠)

18年初場所以来3年8カ月ぶりの弓取り式。自身の持つ弓取り力士の最高齢記録(戦後)を更新した。この日、自身の取組が終わったのは午前10時半過ぎごろ。コロナ禍の感染対策により自由な外出ができないため、弓取り式が行われる午後6時までは「支度部屋でぼーっとしてるだけ。それもつらいですよ」と苦笑。また、感染対策で歓声がなく「やっぱり『よいしょ』がないとね。拍手だけだと物足りないかな」と率直な胸の内を明かした。

とはいえ、今場所は弟弟子の照ノ富士の新横綱場所。「うれしいですね。近くで頑張っているのを見ていましたから」と感慨にふけった。かつては日馬富士の横綱時代にも行っていた。2人の弟弟子の横綱が現役の時に弓取り式を行うことになり「またできるとは思わなかった。代役でも任された限りは最後までやる」と言葉に力を込めた。【佐々木隆史】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

新生・荒磯部屋3人が白星「場所中一喜一憂しない」引き継がれる親方の意志

播州灘(左)を攻める西原(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇2日目◇13日◇東京・両国国技館

新生・荒磯部屋が第1歩を踏み出した。

13日の秋場所2日目。8月1日付で田子ノ浦部屋から独立した荒磯親方(元横綱稀勢の里)が創設した、荒磯部屋の全力士4人がそろって本場所デビューした。結果は3人が白星。国技館内で取組を見守った荒磯親方は「『荒磯部屋』って放送があった時はちょっとね。まぁ、いろいろ思うことがありますから」と感慨にふけった。

新部屋は出身の茨城・牛久市に近い、阿見町に建設中で、現在は仮住まいとして同県の筑波大内の稽古場を使用している。場所前には白まわしを締めて弟子らに胸を出した荒磯親方。白星を飾った西序二段36枚目西原(18)は、三番稽古をつけてもらったという。「教えは『場所中に一喜一憂しない』。師匠の現役時代の座右の銘だそうです」と元横綱稀勢の里の意志が引き継がれている。

荒磯親方の現役時代に付け人を務めていた、ベテランの東序二段38枚目足立(36)は「部屋のことは任されている。人数が少ない分、みんなで協力していきたい」と今はまとめ役を務める。弟子4人で出発した荒磯部屋。荒磯親方は「愛されるような強い力士を育てるのが目標。稽古場からしっかり教えていきたい」と抱負を語った。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

播州灘(左)を引き落としで破る西原(撮影・鈴木正人)
荒磯親方(2019年9月29日撮影)

花田虎上氏「相撲の神様に恩返し」評論家就任、横綱昇進時のエピ告白に衝撃

大相撲秋場所から本紙評論家に就任する元横綱若乃花の花田虎上氏。現役時代の得意技「押し」を披露してくれた(2021年9月1日)

12日に初日を迎える大相撲秋場所(両国国技館)から、日刊スポーツの相撲評論家として第66代横綱若乃花の花田虎上氏(50)がデビューする。日本相撲協会を退職した、前任の先代錦島親方(元大関朝潮)からのバトンタッチだ。

くしくも伯父の初代横綱若乃花の花田勝治さん(故人)も、日刊スポーツの評論家を30年ほど前まで務めていた。そんなこともあり「これも何かの縁と思い引き受けさせていただきます」の快諾してもらった。ただ「土俵の鬼」と恐れられた初代とは、小兵という体形は似ていても、相撲解説となると趣を異にすると思われる。「決して“横綱目線”でなく、評論する力士の地位に応じて、自分がその番付にいた時の目線で解説したいと思います」と花田氏は言う。上から目線は避け、かしこまることなく“お兄ちゃん”らしいソフトタッチの解説になるのでは、と予想している。

紙面で掲載されるコラムのカットには、相撲担当記者内でも頭を悩ませた。個人的には、あの代名詞を入れるのが、一番ふさわしいのでは…と思った。そう、やっぱり「お兄ちゃん」-。あの柔和な笑顔でテレビやSNSでもおなじみだ。弟貴乃花と二人三脚で頂点まで上り詰めた姿に、その後の紆余(うよ)曲折はあっても、往年の相撲ファンには、いつまでも「お兄ちゃん」のイメージが残っているのではないか。だから、たとえば「お兄ちゃんの技あり解説」とか「お兄ちゃんの熱視線」とか。ただ、そんな軽々な発想から抱いていた候補の代名詞は、花田氏本人の「もう『お兄ちゃん』って、そんな年でもないし」と、笑いながらの言葉で、やんわりご破算になった。

今年1月に50歳になった花田氏。そりゃあそうだろうな、いまさら「お兄ちゃん」も気恥ずかしいだろう…と思いつつ、私の中では「お兄ちゃん」のままで記憶が止まっている。あの若貴フィーバーの渦中を取材していた中、当時若ノ花で三役最後の場所となった93年名古屋場所が、私の最後の相撲担当だった。その場所、13勝2敗の優勝同点で大関昇進を決めたため、大関以降の花田氏は見ていない。だから、いつまでも「お兄ちゃん」のままだ。

とはいえ評論家就任にあたり、この約30年をいつまでも空白のままであってはいけない。そう思い、何度か花田氏と電話で話し込み、あの自分も若かった頃には、つゆほども感じられなかった苦悩ぶりなどを聞いた。そんな中でも「そこまで追い詰められていたのか」とショッキングに耳に入ったのが、横綱昇進時のエピソードだった。ちょうど秋場所展望で新横綱照ノ富士の心境を、花田氏自身の経験と照らし合わそうと話を振った時に返ってきた答えだった。

「横綱になったら引退していいよって、師匠も言ってくれていたから」。横綱昇進が正式決定すると、日本相撲協会から伝達の使者が部屋にやってくる。「謹んでお受けいたします」で始まる、あの晴れの、一世一代の口上。まさか、と思い記事検索したところ、花田氏は使者が来る前日、父であり師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)に「謹んでお断りします」と言ってもいいか、と問い掛けたという記事があった。昭和の大横綱・大鵬が横綱に上がった瞬間、いつ引退してもいい覚悟を持ったという話は生前に直接、ご本人から聞いたことがある。ただ、花田氏のこの告白は、それ以上の衝撃だった。

横綱に上がる前から体はボロボロで、小柄な体で巨漢力士全盛の時代に戦った代償は、今も変形し続け生涯、治らないという背骨にもあるという。「若い衆のころは、さすがに畳一畳分ぐらいしか自分のスペースがないから出来なかったけど、関取になってからは毎日だった」という本場所で対戦する相手力士のビデオは連日連夜、擦り切れるほどテープを回し研究したともいう。

自分の長所を伸ばしようにも、体の伸びしろは満身創痍(そうい)では限度がある。だから、それを補うべく相手の研究は「徹底的にやった」とビデオの映像を頭にたたきこんだ。「天性の相撲勘」ともよく称されたが、持って生まれたものに、たゆまぬ頭脳戦を重ねたことで、横綱の座をつかんだと思う。テレビでよく見る技術解説に定評があるのも、積み重ねのたまものだろう。評論家就任にあたり、その理由をこう語った。

「自分を育てていただいた相撲の神様に恩返しの気持ちで」

多角的な技術解説はもちろん、行間にそんな思いがにじむような評論を、読者の皆さまにもお届けできたら幸いだ。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

身長2m、体はすでに“横綱級”の北青鵬に期待していたが…またコロナか

北青鵬(2021年7月撮影)

またコロナかとため息をつきたくなる。大相撲秋場所は12日に東京・両国国技館で初日を迎える。しかし、力士の新型コロナウイルスの感染で、横綱白鵬をはじめ、宮城野部屋の力士全員が休場となった。

新横綱照ノ富士とともに場所をけん引するはずだった横綱白鵬はもちろん、土俵を盛り上げる有望力士を多く抱えるだけに残念でならない。中でも個人的に注目していたのが新十両の西十両12枚目・北青鵬(19)。自身がコロナに感染した。十分に対策を施してきた上でのことだけに、無念さは計り知れない。

とにかくスケールの大きさを感じる。序ノ口、序二段、三段目、幕下と各段を制して、関取の座に上がってきた。身長2メートル。ただでかいだけでなく、手足の長さを存分に生かした四つ相撲は、十両でも十分に通用するはず。さらに立ち合いの厳しさ、四つに組む流れで突き放すことも覚えていけば、トントンと番付の階段を駆け上がっていくと期待している。

モンゴル生まれだが、5歳で移った札幌で育った。しこ名も白鵬からもらい、将来を大きく期待されている。名古屋場所後の新十両会見では「やっとスタート地点にこられました。ここからなので」と話し、「夢は横綱。1年で関取(昇進)を果たせたんで、次は新入幕。横綱になれるよう、もっともっと稽古に励みたい」とあくまで通過点を強調した、意識の高さが印象的だった。

目指す相撲像も「横綱白鵬関のような左前まわしで前に出る相撲です。横綱からは『おめでとう。ここからだからね』と励ましていただきました」と具体的に掲げていた。体はすでに“横綱級”なだけに、身近なお手本にならっていけば、どこまで強くなれるか。

と、思っていただけに今場所の休場は残念でしかない。これも与えられた試練。場所に出られない時間をどう有効に使うかが、大器の行く末も左右しそうだ。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

照ノ富士が「I LOVE YOU」歌ってみた 力士の魅力発信に協会工夫

「現役力士が歌ってみた」企画に臨む新横綱の照ノ富士(日本相撲協会提供)

力士の歌声を久々に聞いたというファンも、多かったのではないだろうか。

日本相撲協会は8月11日から4日間、公式ユーチューブチャンネルに「現役力士が歌ってみた」と題した企画の動画を投稿。新横綱の照ノ富士(29=伊勢ケ浜)らが伸びやかな歌声を披露していた。場所は都内のスタジオで、撮影日は4月。編集作業などの調整で約4カ月温めることになったが、照ノ富士の横綱昇進と重なって好タイミングでの配信となった。

協会でユーチューブなどの企画を担当する職員によると、普段は視聴していない年齢層からも高い関心を集めたという。「いつもはそこまで多くはないけど、10代、20代の方に多く見ていただきました。60代の男性が多いのが特徴的だったんですが、この動画(歌企画)だと女性の方も多く見てもらっていますね」。歌った力士は照ノ富士のほかに美声で知られる平幕の阿武咲や、人気小兵力士の翔猿、十両炎鵬の4人。人選は、協会ファンクラブを担当する三保ケ関親方(元前頭栃栄)や、広報部の高崎親方(元前頭金開山)らと職員が相談して決めた。

動画の反響は大きく、3日時点で4人の「歌ってみた」動画は計28万回以上も再生されている。テレビでも取り上げられたが、力士=歌がうまいという認識は、全ての世代に浸透していないかもしれない。同職員は「テレビで若いアナウンサーの方が『力士って歌がうまいんですね』と、知らなかったという反応もあった。やっぱり年配の方だと昔の歌番組でやっていたのでご存じだと思うんですけど、なかなかそういう機会がない中で、誰でも見られる媒体で出せたのは良かったなと思います」と意義を口にする。

角界では19年11月から力士のSNS使用を禁止している。その直後、ある関取に聞くと「(SNSで)ファンとコミュニケーションを取ることで、励みになる部分があったので個人的にはショックです」と話していたことが印象に残っている。さらに新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ファンと力士と触れ合う機会がめっきり減った。さまざまなリスクを抑えながらファンとの距離感を縮めるためにも、協会公式ユーチューブの重要性はますます大きくなりそうだ。

場所中は15日間毎日、親方衆が取組を解説したりフリートークをする「親方ちゃんねる」が配信され、個々人でも高崎親方が得意の料理を生かした企画を持ち込むなど、動画配信に対して協会内でも士気が高まっているという。土俵の充実はもちろん、コロナ禍でいかに土俵外の力士の魅力を発信するか協会側も工夫を凝らしている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

なりふり構わず復活V白鵬 横綱900勝へ秋場所はどんな15日間に“する”か

白鵬(2021年7月16日撮影)

進退を懸けて臨んだ大相撲名古屋場所で、全勝優勝を果たした横綱白鵬(36=宮城野)。結びの一番を終え、オンラインによる取材に応じた際には「これで横綱として899勝。あと1勝目指して頑張りたい」と宣言。同場所前には崖っぷちに立たされていながらも、節目の横綱900勝を見据えるなど現役続行へのこだわりを見せた。

入門して20年以上がたった。45度の優勝を誇る白鵬も、さすがに衰えは隠しきれない。名古屋場所では、立ち合いで仕切り線から大きく下がって立ったり、張り手や肘打ち、四つに組まずに距離を取って攻めるなど、なりふり構わない姿が連日続いた。この姿に、横綱審議委員会(横審)も苦言を呈したが、裏を返せば勝ちへのこだわりが相当なものだったということだろう。

進退を懸けて土俵に上がり、6場所連続休場明けで臨んだ名古屋場所で全勝優勝。なりふり構わない気持ちだけでは当然果たせなかった。7年以上にわたって白鵬の主治医を務めてきた整形外科医の杉本和隆氏(苑田会人工関節センター病院長)は、名古屋場所前にこう証言していた。

杉本氏 横綱白鵬に「1日一番」という考えはない。常に15日間全部を見ている。一流のプロゴルファーもそう。1日目の18ホールの流れ。ゴルフの試合は4日間。初日、2日目はこういうゴルフをやって、3日目はこうやって、最終日はこうやる。それと同じで横綱も15日間が初日から見えている。15日間の彼の組み立てがちゃんとはまるのか。今は膝が100%のパワーが出せなくても「こういう相撲を取る」とシミュレーションを一生懸命やっている。彼はご存じのように低く踏み込んで、相手のまわしよりも頭が下なんじゃないか、というぐらいの相撲を取るのが1番いい時の相撲。多分今回はそれができないと思う。それが出来ない中でも相手に応じて取り口を作って自分の型に持っていく。それが今回の場所だと思います。

杉本氏が証言していたように、確かに白鵬は全盛期のような相撲は全くと言っていいほどに取れなかった。それでも全勝優勝。日に日にぎこちなさが取れていったように、15日間の組み立てがうまくいった、というところだろう。いたるところに古傷を抱えながらも、白鵬には他の力士が持ち得ていない経験の数が大きな武器になっていた。秋場所ではどんな15日間を見せてくれるのか、楽しみでならない。【佐々木隆史】

今も耳に残る「もう大関じゃない」再起目指す照ノ富士への邪な呼びかけに…

奉納土俵入りを披露する横綱照ノ富士。太刀持ち宝富士、露払い照強(代表撮影)

和紙にしたためられた横綱推挙状と、真っさらな横綱を八角理事長(元横綱北勝海)から授けられた。24日、明治神宮で執り行われた横綱推挙状授与式と奉納土俵入り。名古屋場所後の理事会や伝達式で、既に第73代横綱照ノ富士(29=伊勢ケ浜)は誕生していたが、事実上、これが新横綱としての初仕事だった。

玉串をささげる、紋付き羽織はかまをまとった新横綱の背中が、日本相撲協会が配信する公式ユーチューブで大きく見えた。あの時とは違って…。そしてあの時、その背中に向かって記者として投げかけた言葉に、今更ながら恥じ入っている。

コロナ禍で現場取材がままならない中、暇に任せて過去の取材ノートをめくることが多い。その中で「あの時」の言葉が目に留まった。「大関…」は私の問い掛けの言葉、その下段に「もう大関じゃない」の短い言葉が、取材対象者のそれとしてしるされている。

取材ノートの表題は「19年大相撲春場所」とある。その初日の大割(取組表)が貼ってあるページに、その文言はしるされていた。大関から陥落後、途中休場と全休を続け西序二段48枚目まで番付を落とした照ノ富士の、再起をかけた287日ぶりの土俵。若野口をはたき込みで破り354日ぶりの勝ち名乗りを受けた照ノ富士を、ひとしきり支度部屋で取材した後、何とか本音を引き出そうと、支度部屋を出る間際まで背後に付いて行った。

鉄扉を開け支度部屋の外に出ようとした直前。「大関…」と声をかけた。そう言えば、気分よくニヤリとしながらきびすを返し、用意していた問い掛けに対する“本音”を引き出せると思った。「大関経験者として序二段の土俵に上がることに抵抗はなかったのか」という問いに対するアンサーだ。支度部屋での取材では、同様の質問に「いや、そこは気にしない」とサラリ答えていたが、葛藤はあったはずだ。復帰にあたり、肝とも言うべきその本音が知りたかった。

支度部屋では周囲に若い衆しかいない番付社会の厳しさから「照関」とも「大関」と呼び掛けるのもはばかられていた。幸いにも取材対象と1対1の状況が作られていた。「こうして大勢の囲み取材でなければ『大関』と呼び掛けても問題ないだろう」「『大関』の言葉にプライドを少しでもくすぐられてくれたら本音も引き出せるかもしれない」…。

そんな邪(よこしま)な気持ちも込められた問い掛けは、いとも簡単に吹き飛ばされた。それが冒頭の「もう大関じゃない」という照ノ富士本人の言葉。支度部屋で時折、関西弁を交えながら浮かべていた笑みなどそこにはなく、キリッと引き締まった、どちらかと言えば怒気を含んだトーンの返事。低音ではあったがその声は、今でも耳に残っている。俺は覚悟を持って再起の土俵に上がっているんだ-。丸めた背中と、腹の底から絞り出すような声に、そんな胸の内を感じる以外なかった。

大関から落ち、関取の座を失ってまで相撲を取るのか…。周囲に温かく復帰を見守る目があるのと同時に、プライドを持っていたら現役を続けられるのか、大関という地位はそんなもんじゃない…という声も、確かに耳に入っていた。それも全て受け入れて、照ノ富士は再起の道を決めたのだった。「プライド」を盾にすれば口を開いてくれるのでは…という、実に安易な発想に、穴があったら入りたい気持ちにさせられた。

その後、十両に復帰するまでの、全ての取組を見て本人を取材しながらでも、その気持ちは手に取るように分かった。あのヤンチャな、年が一回りも二回りも上の記者に対し弟弟子に投げかけるような言葉のキャッチボールや態度は、影を潜めた。照ノ富士の生来の奔放な性格であって、それはそれで少し寂しい気持ちもあったが、敬語で丁寧に言葉を返す態度に、文字どおり裸一貫、腹をくくって土俵に上がっている男の姿が見えた。

先月27日の伝達式で照ノ富士は、口上の一部でこう語った。「不動心を心掛け、横綱の品格、力量の向上に努めます」。かみ砕くと「横綱がどんな地位か、どんな生き方をするべきか」と自分に課した。あの序二段で再スタートを切ってからの“生き様”に、何のブレもない。2年半前に自分が投げかけた、邪(よこしま)な気持ちが入った言葉をわびるとともに、これから歩む横綱照ノ富士の相撲道にも期待をしたい。【渡辺佳彦】

奉納土俵入りで不知火型を披露する横綱照ノ富士。太刀持ち宝富士(代表撮影)

相撲で培った30年を糧に 小兵力士の幕内磋牙司は第2の人生へ準備

磋牙司

角界を彩った小兵力士がまた1人、土俵を去った。幕内在位6場所、十両在位22場所の元磋牙司の磯部洋之氏(39=入間川)は11日に引退を発表。7番相撲まで三段目の優勝争いに絡んだ7月の名古屋場所が、現役最後の場所となった。このほど日刊スポーツの電話取材に応じ「(気持ちは)切り替わってますよ」と、心境を爽やかに語った。すでに故郷静岡に戻っており、第2の人生に向けて準備を進めている。

アマチュア時代は静岡・沼津学園高(現飛龍高)2年時に高校横綱に輝いた。東洋大に進学し、第2新弟子検査をへて04年春場所が初土俵。166センチと小柄ながら、気迫あふれる押し相撲で土俵を沸かせた。

関取として土俵に立ったのは、結果的に14年春場所が最後となった。引退の意思を固めたのは昨年1月の初場所後。西幕下14枚目で関取に復帰に向けて「ラストチャンス」と臨んだが、2勝5敗と負け越し、気持ちに区切りがついた。

次のステージに目を向けた直後に、新型コロナウイルス感染拡大により社会状況が不透明になった。「コロナの状況が分からず、いきなり相撲を辞めるわけにもいかなかった。それと好きな相撲ももう少し続けたいと、2つの理由で(今年の名古屋場所まで)続けた」。

引退の意思を固めながら、1年半と続けた現役生活は決して無駄な時間ではなかったという。「知らない自分を発見できた。いろんな人を見てきて『引退を決めてからもよく稽古できるな』と思っていたが、自分がその立場になっても相撲と向き合えていた。現役としての“死”が見えている状況でも努力できるんだと。ここまで(現役を)続けていたので相撲は好きだと思っていたが、気力の持続、自分の中での相撲に対する志が分かった」。

長い力士人生で真っ先に思い浮かぶのはプロ入り後よりも、アマチュア時代に歩んだ父明さんとの二人三脚だという。「小学校4年生から相撲を始めて、体重は30キロしかなかったが、父親が食事も稽古も協力してくれた。父親も相撲を知らない中で、テレビで必死に研究してくれたり力になってくれた」。明さんは昨年4月に71歳でこの世を去った。「すでに(引退の)意向は伝えていた。6場所しか幕内にいれなかった自分が悔しいけど、あのとき(父と歩んだ幼少期)があるからこそ、ここまで土俵に立てたと思う」と力強く語った。

断髪式は未定。「こんな状況なので(コロナの感染拡大が)落ち着いてから。けじめというか、皆さんにお世話になったので最後はやりたい」。アマチュア相撲の指導にも興味を示しつつ、今後は地元で仕事を探す。「現役生活に後悔はないわけじゃないが、それを次の人生に生かしていきたい。後悔も含めて相撲をやってきて良かったと思う。(今後の進路は)焦らずに探します」。プロとしては17年、相撲を始めて約30年。培ってきたものが、新たな人生の糧になる。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

白鵬が聖火ランナーの最終走者グループ候補? 相撲記者が見た東京五輪裏話

両国国技館で行われた東京五輪のボクシング競技(AP)

東京オリンピック(五輪)が閉幕した。相撲は五輪競技ではないが、今大会は相撲ファンにとって目に留まる場面がいくつかあった。

<ボクシング>

両国国技館は、ボクシング会場として利用された。いつもは土俵がある位置にリングが設置され、たまり席はなし。マス席の一部は、カメラマン席に使われた。優勝額はそのまま掲額されていたが、「毎日新聞社」の文字はマスキングされていた。

海外の記者には興味深く映ったようで、AP通信のフィリップ・クラウザー記者はツイッターで、優勝額やマス席の写真をアップし「国技館の素晴らしいエキゾチックな細部。下のセクションでは、靴を脱がないといけない」などとつぶやいていた。

ボクシングの競技前には、場内で幕内格呼び出しの利樹之丞(高砂)が寄せ太鼓をたたき、十両格呼び出しの啓輔(芝田山)が拍子木を打った。大会組織委員会からの要請に、日本相撲協会が応じて実現したという。高砂部屋関係者によると「テレビを見て初めて知りました。あとで聞いたら、事前には絶対に言ってはいけないと言われていたそうです」。利樹之丞も啓輔も事前にネタバレすることなく、任務をしっかりこなした。

<馬術>

馬術の障害飛越では、障害物の脇に力士のオブジェが置かれていた。ほかにもダルマや和太鼓も設置されるなど、日本らしさが演出されていた。

<レスリング>

相撲界と縁のある選手の活躍もあった。レスリング女子50キロ級金メダルの須崎優衣選手は、父が相撲好きで何度も相撲観戦に訪れているという。父との縁で須崎選手を幼少期から知る雷親方(元小結垣添)は「見ていて感動しました。部屋の若い衆の相撲を見ている時のようにドキドキしました。勝った時はうれしかったですね」と喜びを口にした。

<聖火リレー>

横綱白鵬はかねて開会式での土俵入りを期待していたが、これは実現しなかった。ただし、組織委関係者によると、国立競技場内を走る聖火ランナーの最終走者グループに含まれる可能性があったという。白鵬は7月の名古屋場所で復活優勝を果たしたが、それまでは6場所連続休場していた。力士は基本的に休場中は、イベント出演などはNG。そういう事情もあり、候補の1人ではあったものの、事前の計画に盛り込めなかったようだ。

<秋場所>

9月の秋場所(9月12日初日、両国国技館)のチケット一般販売は8月14日から始まった。ボクシング仕様になっていた国技館は今後、秋場所に向けた準備に入る。東京五輪期間にかぶらないように行われた7月の名古屋場所は、例年より前倒しで開催された。そのため、秋場所までは中55日と例年より長い。思うような出稽古はできず、新型コロナウイルスの影響はまだ残っている。力士たちは、所属する部屋でしっかり稽古できたかどうか。“長い8月”を辛抱できたかどうかが、秋場所の結果に表れてくるかもしれない。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

両国国技館で行われた東京五輪のボクシング競技(AP)

1年4カ月ぶり地方開催、名古屋場所のコロナ感染対策実績が福岡につながる

名古屋場所初日、協会あいさつする八角理事長(中央)(7月4日撮影)

昨年3月の春場所以来、1年4カ月ぶりの地方開催となった名古屋場所。コロナ禍での開催も、ここまで大きな混乱は見られず千秋楽を迎える。名古屋場所の出羽海担当部長(元前頭小城ノ花)も「場所前から感染対策を徹底してやってきた。感染症対策の先生の指導のもと、できる限りのことをやった」と胸を張る。

とはいえ、例年通りの地方場所とはいかない。例えば山響部屋。名古屋場所では例年、介護施設の一部を宿舎として使用してきた。しかし、もしも協会員や施設利用者から感染者が出てしまったら…。互いが互いのことを考慮した結果、名古屋市内のホテルを宿舎として利用することになった。当然、土俵はないが、協会は了承済み。出羽海担当部長は「安心、安全が第一ですから」と話す。

ホテル生活となった山響部屋。部屋の力士らによると、1室を2人までで使用。貸し切りの食事会場で、机の上にアクリル板を設置してホテルが用意した食事を食べる。運動が出来る部屋を貸し切り、四股や股割りなどの軽い運動をして場所入りするなど、慣れない環境ながらにできる限りのことをしている。協会員一丸となって開催した今場所の実績が、11月場所の福岡開催へとつながる。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

宇良勝ち越し、戦後最大のカムバック劇 苦難の時乗り越え三役目指す

宇良(右)は突き落としで栃ノ心を破る(撮影・小沢裕)

<大相撲名古屋場所>◇12日目◇15日◇ドルフィンズアリーナ

多くの力士に勇気を与えるカムバックだ。人気力士の宇良が、元大関の栃ノ心を突き落として勝ち越しを決めた。17年九州場所以来の幕内復帰で、勝ち越しは同年夏場所以来。苦難の時を乗り越え、最後は頭から土俵下に転落して1回転した宇良は、まるで子どものような笑みを浮かべた。

取組後は勝ち越しに「うれしいです」と話すも「まだ終わっていない気持ちが強い。残りの相撲があるんで、そっちに集中したい」と表情を緩めなかった。

今場所は序二段まで落ちながら、綱とりに挑む大関照ノ富士が主役の1人を担っている。陥落後、照ノ富士の番付最下位は西序二段48枚目。一方、宇良は西序二段106枚目で、幕内経験者の最大カムバックとして戦後1位を記録した。

その上での勝ち越しは尊い。宇良は今場所中、何度も「(幕内の)レベルの高さを痛感している」と話し「自分の体がもつか」と不安をもらしてきた。2度の両膝の大けが。今も再発の不安と闘う。復帰を決めたのも「1度でも関取に戻れたら」という思いだった。

最高位は17年名古屋場所の東前頭4枚目。空白と大けがを乗り越え、三役を目指す。「あきらめない」思いは強い。【実藤健一】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

綱とりの照ノ富士へ“化粧まわし”に込められた思い「ぜひ夢をかなえて」

「気」の大きな文字を中心としたデザインの化粧まわしで幕内土俵入りに臨む照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲名古屋場所>◇10日目◇13日◇ドルフィンズアリーナ

綱とりに向けて、周囲の“後押し”も心強い。

大関照ノ富士は10日目から、名古屋市に本社を置く自動車販売会社の「グッドスピード」から贈呈された化粧まわしで、土俵入りした。

赤色の化粧まわしは「気」の大きな文字を中心としたデザインで、縁起のいい富士山と鶴をあしらい、横綱昇進の願いを込めている。「気」の文字は、同社の経営理念である「気持ちに勝るものはない」から。加藤久統代表取締役社長がかねて照ノ富士と親交があり、製作が実現した。

偶然にも、綱とり場所と重なった。もともとは名古屋での開催が予定されていた昨年7月場所で贈呈するはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京開催に変更となり、1年遅れでの実現となった。同社の担当者は「たまたま大関にとっての大事な場所と重なり、巡り合わせを感じます。大関から落ちて苦しい時期を経験しているので、ぜひ横綱の夢をかなえてほしい」とエールを送った。社内でも従業員が照ノ富士の取組をテレビで観戦し、勝った瞬間は拍手が起きる。期待は日に日に高まっている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「気」の大きな文字を中心としたデザインの化粧まわしで幕内土俵入りに臨む照ノ富士(撮影・河田真司)
「気」の大きな文字を中心としたデザインの化粧まわしで幕内土俵入りに臨む照ノ富士(撮影・河田真司)

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。