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大相撲裏話

「与之吉さんは大丈夫ですか?」両陛下が驚きの質問

大相撲初場所8日目をご観戦に訪れ取組後に拍手をされる天皇、皇后両陛下。後方は八角理事長(撮影・小沢裕)

この日は平成では23回目にして最後の天覧相撲。ロイヤルシートに着席された天皇陛下は、説明役の八角理事長(元横綱北勝海)に「今日はありがとう」と切り出され、皇后陛下は「お元気でしたか」と声をかけられた。この言葉に同理事長は「頭の中が真っ白になりました」。昨年は不祥事もありご招待を取り下げ。2年の空白を皇后陛下の温かなお言葉が埋めてくれた。さらに両陛下の、関心の高さをうかがわせる質問に驚いた。「与之吉さんは大丈夫ですか?」。神経疾患のギラン・バレー症候群で5場所連続休場し、昨年11月の九州場所で復帰した幕内格行司の式守与之吉の病状さえも把握されていた。

御嶽海や鶴竜ら休場中の力士のケガを案じ、外国人力士の出身地も熟知され、一番一番に拍手を送られた両陛下。元横綱稀勢の里の荒磯親方についても「今後はどうするのですか」「お元気ですか」と興味を示され同理事長から「今年中に断髪式をして(将来的に)部屋を興すと思います」と説明された。結びのふれで立行司の式守伊之助が敬語を使う意味で「この相撲一番にて本日の結びにござります」と発した。藤島審判長(元大関武双山)は「感激しながらやらせていただいた」と感無量の様子。江戸時代に徳川将軍が観戦した上覧相撲が始まりとされ、昭和天皇は51回のご観覧があった天覧相撲。新元号になっても国技大相撲には、切っても切り離せない行事として存続するだろう。

式守与之吉 えっ! 陛下が気にしてくださったんですか? ありがたいです。びっくりですね。光栄で…、今日は眠れないですよ。

八角理事長(元横綱北勝海) (両陛下は)ひじょうに楽しまれていた感じを受けました。力士のケガ、健康面を心配してくださるのは本当にありがたい。来ていただいて本当に感謝しています。力士は緊張からか熱戦よりアッサリした相撲が多かった。

式守与之吉

震災の日に生まれた照強が希望 今年も被災地照らす

初場所6日目、照強は引き落としで徳勝龍(左)を下し、胸を張る(撮影・小沢裕)

東十両筆頭照強(24=伊勢ケ浜)が24歳の誕生日から一夜明け、ご機嫌だ。「昨日は鶴太郎さんにちょっと会いました」。俳優や芸術家としてマルチな活躍をする片岡鶴太郎(64)。6年前には、同じ伊勢ケ浜一門の横綱白鵬に化粧まわしを贈呈したことがある。そんな縁もある鶴太郎から、前夜はお酒をプレゼントされた。「『期待しているよ』と。やっぱり励みになりますね」。

阪神・淡路大震災の95年1月17日、震源に近い兵庫・洲本市の病院で生まれた。17日の朝は神棚の前で手を合わせ、本場所の土俵に臨み、関取としては初のバースデー白星を挙げた。場所前には震災で親族を亡くした人たちから、今も激励の手紙が届くという。「それで震災のことを実感できる。淡路島の多くの人が喜んでくれれば」。6日目を終え5勝1敗。勝ち越せば新入幕が大きく近づく。「あんまり意識していない。それこそ一番一番ですよ」。もう24歳だから、あれから24年がたつ。身長169センチの希望が、今年も淡路を、被災地を明るく照らす。【佐藤礼征】

売店も大忙し「稀勢の里弁当」は連日売り切れ

16日、引退会見で涙を拭う稀勢の里

稀勢の里の引退で国技館の売店も多忙を極めている。大関以上の力士の名前が冠してある弁当が置かれているが、中でも「稀勢の里弁当」は連日の売り切れ。引退が発表された16日は、普段より1時間ほど早い午前10時半には完売した。

2階席東方の女性店員(53)によると「稀勢関のお弁当を買い求めようと、今日はお客さんがバーって走ってきたので驚きました。他の売店も売り切れているみたいで『売れ残っていませんか?』とたくさん電話がかかってきます」と証言。5日目以降、一部売店では稀勢の里弁当の発注がなくなるという。この日が最後かもしれない。

その一方で、相撲錦絵師の木下大門氏が描いた錦絵は来場所以降も残るという。「今場所は錦木関、松鳳山関、新入幕の矢後関の錦絵も追加されました。ぜひお買い求め下さい」。稀勢の里ファンは一安心か。【佐藤礼征】

新成人の幕下2枚目竜虎、勝ち越して新十両の祝杯を

貴ノ富士(左)を攻める竜虎(撮影・河田真司)

「成人の日」の14日、角界の新成人は土俵の上で黙々と戦っていた。

新成人で番付最高位の西幕下2枚目竜虎(20=尾上)は「自分が最初に関取になりたい」と、同学年の関取一番乗りへ意欲を見せる。おじは師匠の尾上親方(元小結浜ノ嶋)。親戚だけに「(稽古では)みんなより厳しく指導してもらっている」と苦笑いを浮かべる。「上では四つ相撲は通じない」と、四股などの下半身強化で前に出る力を磨いている。

お酒はめったに口にしないが、今場所勝ち越せば「すごく酒が強い」という師匠と乾杯する予定。新十両の祝杯となれば、味わい深い一口となりそうだ。

序ノ口の服部桜(20=式秀)も大人の仲間入りを果たした。昨年の名古屋場所で、自身の連敗を89でストップ。昨年7月の20歳の誕生日に、師匠の式秀親方(元前頭北桜)からビールを勧められ「大人になったんだな」と実感した。

酒の強さは「まあまあ普通のはず」という。力士生活も4年目に突入し、日課は腕立て伏せ100回。「年間で2、3勝できれば」と19年の抱負を語った。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

モンゴル相撲協会25周年、次は音楽でも文化交流を

元旭鷲山のダワーギーン・バトバヤル氏

昨年12月、モンゴル相撲協会は創設から25周年を迎えた。会長を務めるのは、史上初のモンゴル出身力士、元小結旭鷲山のダバー・バトバヤル氏(45)。モンゴルでは英雄的な扱いを受けているという。

モンゴル相撲協会顧問でフリージャーナリストの宮田修氏は「日本とモンゴルの文化関係は相撲抜きには考えられない」と声を大にする。19年初場所時点でモンゴル出身の力士は24人。そのうち幕内力士は横綱白鵬(33=宮城野)、鶴竜(33=井筒)ら6人が在籍している。「彼らが日本で成功を収め、元旭鷲山関や元日馬富士関のように実業家として活躍する。モンゴルのこども達も大きな夢を見ることができる」と宮田氏。そんなモンゴル相撲協会が、相撲に続き日本に発信したい文化として音楽を挙げている。

モンゴル人歌手のオトゴンフー・ソロンゴさん(37)は、1人で2種類の音を発声する「ホーミー」というモンゴル独特の歌唱方法を扱う。「私の歌でモンゴル人の力士を勇気づけたいんです」。実際、ソロンゴさんは12歳だった93年8月、東京で開催された「世界こども音楽祭」にモンゴル代表として出場してグランプリを獲得。NHK「みんなのうた」に出演した経験もある。

97年には当時幕内だった元旭鷲山と応援歌「旭鷲山に捧げる歌」を共同製作。その後、日本人の外交官と結婚し、海外を転々とする時期が続いたが3年前に日本に帰ってきた。それを機に昨年12月、「風の贈りもの」と題するアルバムCDを発売。宮田氏は「相撲を通してモンゴルの音楽も知っていただければ」と話した。

元旭鷲山など6人のモンゴル出身の少年が初土俵を踏んだのは、92年の春場所。平成4年の出来事になる。平成も間もなく終わる中、日本とモンゴルの関係はどのように変化していくのか。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大関もっと頑張れ…土俵の話題に専念する1年に

連合稽古で栃ノ心(左)相手に6戦全勝と圧倒した豪栄道

年が明け、間もなく初場所が始まる。横綱稀勢の里は進退がかかり、関脇貴景勝は“場合によっては”大関とりになる。土俵外のトラブルもとりあえず落ち着いた。土俵の話題に専念する1年になってほしいと、心底思います。

昨年は土俵外の話題がてんこもりやったが、土俵も何かと荒れた。初場所の栃ノ心、名古屋場所の御嶽海、九州場所の貴景勝と初優勝力士が3人も飛び出した。年6場所制が定着した1958年(昭33)以降で見れば、00年(平12、初場所=関脇武双山、春場所=東前頭14枚目貴闘力、夏場所=小結魁皇)以来18年ぶり7度目のこと。

白鵬が3場所、鶴竜が2場所、稀勢の里に至っては5場所と、3横綱がこんだけ休場したら、そら新しい力も台頭しますわな。しかし、それではおもろない。下からの突き上げは土俵の活性化に不可欠やろうけど、それも「強い上位陣」を食ってこそと違いますか?

最高位の横綱はもちろんですが、個人的には、大関にもっと頑張ってほしい。大関27場所目を迎える豪栄道は昨年の九州場所前の巡業で言うてました。「ここ数場所はいい感じになってる。これを続けたい」。大関では最年長の32歳。体のあちこちが悲鳴を上げる中、場所前は毎度仕上がりの良さを見せながら、昨年は2桁白星が2場所だけではさみしいでしょ? 

同10場所目で、まだ優勝のない高安は昨年の巡業中に「優勝できると思ってます」と、自分に言い聞かせるように話してました。昨年は3場所で優勝次点なんやから、そらそうでしょう。九州場所なんか、勝てば優勝決定戦やった本割で御嶽海に負けた。そろそろ詰めの甘さを克服してくれんと…。

同4場所目の栃ノ心は昨年初場所の平幕優勝から、一気に駆け上がったけど、大関昇進した名古屋場所6日目の玉鷲戦で右足親指の付け根を痛めて、急ブレーキがかかった。秋、九州場所はかど番などの重圧と、本調子まで戻らん体調に苦しんで、勝ち越しで精いっぱいやった。初場所後は「負ける気がしないね」とうそぶいてたのに、秋場所以降は「勝ってたら、15日間は早いけど…長いね」いう嘆きを何度耳にしたか。

低く、鋭い立ち合いから前みつをとって、一気に押し出す豪栄道。豪快なかち上げに加え、四つになっても腰の重さを見せる高安。右四つでまわしをとれば、怪力無双の寄りを見せる栃ノ心。全員、キャラクターは立ってます。

横綱を脅かし、下からの突き上げには仁王立ちで立ちふさがる-。平成最後の年が盛り上がるかどうかは、ひとえに3大関が強い大関でいてくれるかどうかにかかってる、と思ってます。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

25年ぶり行橋巡業で貴ノ岩暴力事件が感動に水差す

行橋巡業で勧進元との記念撮影に納まる、左から栃ノ心、白鵬、1人おいて高安(2018年12月5日撮影)

元前頭貴ノ岩(28)が、付け人に暴力を振るって引退した。12月4日夜、翌朝から行われる福岡・行橋市に前泊した際の出来事だ。相撲ファンはもちろん、行橋市の人々も悲しませる出来事となった。

行橋。記者も含め、福岡県外出身だと、読み方さえ分からなかった人も多いかもしれないが、読み方は「ゆくはし」だ。博多から特急で約1時間。人口7万2283人(今年11月末現在)の、のどかな田園風景が広がる小さな町だ。

そんな町に大相撲の巡業がやってきたのは25年ぶり。前頭松鳳山の地元・築上町にほど近く、松鳳山も「行橋は自転車でよく来ていた」と懐かしみ、巡業当日は、ファンからサインを求められれば気さくに応じていた。

そんな中、朝稽古でひときわ大歓声を受けていたのが、地元の松鳳山ではなく、初場所で関脇に返り咲く玉鷲だった。玉鷲が土俵に上がると、2階席に陣取った地元の幼稚園児から「頑張れ~」の大合唱が起きた。玉鷲はモンゴル出身。何の縁もゆかりもないと思っていたが、稽古後の玉鷲に話を聞くと、実は「もう何年も前から、ここには来ているからね」と得意満面だった。

勧進元を務めた、一般社団法人行橋未来塾代表理事の江本満氏が、7年ほど前から片男波親方(元関脇玉春日)と交流があった縁で、その弟子の玉鷲も5年ほど前から毎年、行橋市の幼稚園などを訪れていた。江本氏は、25年前の巡業で力士らと交流した経験を、うれしそうに話す地元住民の話を聞くたびに「いつかまた、行橋で巡業を開きたい」と思い続けていた。

今年の開催に向けて、数年前から準備し、玉鷲らを招いて巡業招致への機運を高めた。そして、満を持して相撲協会に巡業を申し込んだ。今年の冬巡業は、同じ福岡県内だけでも直方市、久留米市、北九州市と3カ所も開催された。大企業や地方自治体が母体となって開催する多くのパターンとは異なり、地元企業や団体が中心。日本相撲協会の巡業部からは、集客などを心配されたが、江本氏は「家を売ってでも実現します」と成功を約束。当日は実際に満席で、札止めの大盛況だった。

近隣の市町から20軒を超える出店が並び、250人を超える親方衆や力士、行司、呼び出しら巡業参加者全員に、それぞれ500円分の食事券が配られた。江本氏は「食事券があることで、お相撲さんが出店に買いに来てくれたら、それだけ市民と触れ合う機会が増える。触れ合えば『またお相撲さんに会いたい』と思う子どもたちも増える。それが、次にまた行橋に巡業が来てほしいという思いにつながれば。自腹ですが、そのためなら食事券ぐらい安いものですよ」と笑った。

勧進元あいさつでも、江本氏は夢を実現させて、声を震わせていた。その姿を見て、多くのスタッフは涙を流して喜んだ。担当した先発の立田川親方(元小結豊真将)は「最初は『大丈夫かな』『お客さんは入るのかな』と思っていました。でも、思いの強さをひしひしと感じ、自分も引き込まれました。そして成功した。これこそが巡業のあるべき姿だと思いました。強い思いがあれば、多くの人が力になりたいと助けてくれる。感動しました」と話し、江本氏やスタッフらとがっちりと握手を交わしていた。玉鷲も「お客さんもいっぱい入って、みんな盛り上がってくれて本当によかった」と喜んだ。

そんな感動もつかの間、行橋市での巡業終了から約2時間30分後、貴ノ岩の暴力が相撲協会から発表された。さまざまな人に、後味の悪さを残すことになった。それを知るだけに、貴ノ岩が起こした問題は、一段と重いもののように感じている。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「日刊大相撲大賞」を今年も選出 受賞した力士は?

年の瀬も迫ってきました。今年も年末恒例企画、日刊スポーツの大相撲取材班が、さまざまなデータから独断と偏見? で選ぶ紙面企画「日刊大相撲大賞」が、間もなく始まります。野球のように、個人の公式記録が幾多も出るスポーツはありますが、相撲の場合は関取なら1場所15番の勝敗が出るぐらい。いかに多角的に、数字で力士の一面を紹介できるかは日々のデータの蓄積なくして出来ません! 今年1年、相撲担当記者が地道に調べたデータから、あの力士、この力士の横顔を5回にわたりお伝えする紙面企画を、どうぞお楽しみに。ここでは、十数種の候補から漏れた一部を紹介します。なお紙面企画同様、対象者は今年1年、全て幕内に在位した力士となります。

【皆勤МVP】

御嶽海(2018年9月12日撮影)

今年の年間最多勝は平幕から大関に駆け上がった栃ノ心(春日野)が獲得しましたが、休場もありました。ここでは90日間、休まず場所に来ての最多勝を「皆勤MVP」としました(つまり不戦勝も入れるということ)。本来なら横綱、大関が取ってほしいところですが、何せ休場者が続出。該当者17人の中でNO・1に輝いたのは、53勝の関脇御嶽海(出羽海)でした。続くのは49勝の逸ノ城(湊)なので、ただ一人の50勝台到達。ただし1場所平均で9勝に届かなかった。来年はぜひ、平均10勝ぐらいは挙げて年間最多勝争い、そして大関とりを期待したいものです。

【シルバーコレクター賞】

正代(2018年11月20日撮影)

平幕が横綱に勝ことを「金星」といいます。ここでは大関に勝った力士を“銀星”と勝手に名づけ、シルバーコレクター賞とします。対象は三役以下と幅を広げました。1位は5個で御嶽海、貴景勝(千賀ノ浦)、正代(時津風)が並びました。この1年、全て平幕だった正代には大関候補として名乗りを上げてほしいものです。3人に続くのが4個の逸ノ城と玉鷲(片男波)。遠藤(追手風)も3勝を挙げました。横綱の金星同様、大関も配給したくない“銀星”です。

【館内を沸かせたで賞】

遠藤(2018年7月12日撮影)

これは本場所の各日、日本相撲協会が十両と幕内で各上位3位まで、敢闘精神あふれる相撲を取った力士を発表するものです。来場者やネットによる投票で決まるもので、日刊スポーツでは本場所中、相撲面の端に縦長で掲載しています。本来は受けて立つ上位陣は避けられがちですが、それでも悲壮感あふれる相撲で稀勢の里(田子ノ浦)が連日、1位に登場することもしばしば。さあNO・1は…。人気力士の遠藤で14回、1位を獲得しました。2位は優勝した九州場所でポイントを稼いだ貴景勝の13回。3位は9回の御嶽海で、8回獲得で稀勢の里の名前も。栃ノ心、阿炎(錣山)も同数で並びました。

【小波賞】

逸ノ城(2018年11月23日撮影)

番付の昇降幅が激しかった「ビッグウエーブ賞」は紙面で紹介します。ここでは、そんな“大波”とは対照的に、番付がこの1年、安定していた力士を「小波賞」として紹介します。「まあ常に三役にいた、あの力士だろう」と、勘のいい方ならお分かりでしょう。この1年で番付の昇降幅が2枚しかなかった、御嶽海と逸ノ城がトップ。御嶽海は夏場所だけが小結で残り5場所は関脇。逸ノ城は前頭筆頭から始まり小結、そして残り4場所は連続関脇なので“右肩小幅上がり”の2枚と当然の結果です。ただ2人とも、九州場所で負け越し、来年初場所の関脇陥落は必至の状況。来年は三役キープ、いや大関を目指せ!

【相撲が大好きで賞】

稀勢の里(2018年9月22日撮影)

相撲が大好きだから、いつまでも土俵に立っていたいんです…。なんて本人は思っていなくても、1番当たりの取組時間が長いと、そう思ってしまいます。というわけで、取組時間の長い力士NO・1は…。最高位にありながら連続休場で苦しみ、もがき続けた1年を象徴するように、横綱稀勢の里でした。不戦敗は除き今年、土俵に上がったのは24番(11勝13敗)。総タイムは440・3秒で、1番平均18・3秒もかかりました。2位は竜電(高田川)の14・6秒。以下、逸ノ城、高安(田子ノ浦)、白鵬(宮城野)と四つ相撲の力士が続きます。では効率よく短時間で白星を稼いだNO・1は…。それは紙面掲載をお楽しみください。来年も相撲ファンの皆様にとって、良い一年でありますように。【大相撲取材班】

御嶽海の今年の1字「魅」を物語った九州場所千秋楽

九州場所の千秋楽で高安を下した御嶽海(右)(2018年11月25日撮影)

今年の漢字が「災」に決まった。関脇御嶽海(25=出羽海)に「今年の1字」を聞くと、10秒近く熟慮して「『魅』ですかね」と答えた。「今年は自分の魅力を存分に出せた年だったと思う。優勝も経験できたし、何も言うことないんじゃない。最後の一番とかもそうだしね」。

確かに、九州場所での千秋楽は「魅」を象徴していた。すでに負け越しが決まっている中、小結貴景勝(22=千賀ノ浦)を1差で追う大関高安(28=田子ノ浦)をすくい投げで破った。貴景勝の優勝が決まるか、優勝決定戦にもつれるか、そんな一番で1分近いせめぎ合いを制した。「最後の最後に、来年につながる相撲を取れて良かった」。満員の福岡国際センターを魅了させ、表情を和らげた。

今年は世間の厳しい目にさらされ、神経質になる部分があったかもしれない。名古屋場所では初日から11連勝と快進撃を続け、13勝で初優勝。周囲からは否応なく、秋場所での大関とりの期待が高まった。「(大関とり)は気にしていない」と繰り返したが、朝稽古では取材に応じず、付け人を通して記者にコメントを伝えることもあった。

取組では「御嶽海」と書かれたタオルが会場を埋め尽くす人気者。7月の七夕の短冊には「イケメンになりたい」と書くなど、土俵外でもファンを喜ばせる。九州場所の千秋楽を終え、支度部屋で見せた表情は気負いとは無縁だった。九州場所を制した貴景勝とは、初場所の番付で東西の関脇として肩を並べそうだ。18年の最後は話題をさらわれたが、19年はどちらが若手の筆頭と呼ばれるのだろうか。はたまた新鋭が出てくるのか。いずれにせよ、土俵外の暗い話題を拭い去る活躍に期待したい。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

非日常が日常にある相撲界「そんな簡単にはなあ…」

車で部屋に戻った貴ノ岩(2018年12月6日撮影)

1年前と違う平和な九州場所が終わったと思ったら、貴ノ岩が付け人を殴った。1年前に殴られた人が、殴った。たまげた。でも、驚きは結構早く冷めて「まあそんな簡単にはなあ…」と思った。

先日、大阪市立大大学院生ボクサー坂本真宏(27=六島)の世界戦発表会見を取材した。「陽極酸化チタン中空シートの水熱法によるチッ素ドープ」という、三十数年前、くしくも大阪市立大に落ちた(工学部でなく文学部でしたが…)私なんぞでは理解できん修士論文を手がける“理系男子”だ。そんな彼に半年ほど前、聞いたことがある。

「キミみたいな子が、何でボクシングなん?」

「う~ん…」としばらく考えて「非日常にひかれたって言うたらいいんですかね。人と人が殴り合うって、普通ないでしょ?」

原始的な欲求やなあ、と思った。同時にやっぱりそうか、とも思った。荒っぽく言えば、ケンカが強いか、弱いか。“雄の本能”と言うてもええでしょう。

さて、相撲の稽古を見たことあります? 四股、すり足、てっぽうにはじまり、相撲をとる申し合いをばんばんやって、締めが相手の胸にバシンと当たって、押し込むぶつかり稽古。部屋によって多少の違いはあるけど、まあえげつない、厳しい。序ノ口、序二段、三段目、幕下と番付を上げて、給料がもらえる十両、幕内の関取になるには、強くなるには耐え抜かんといかん。相手を力ずくで負かす力をつけんといかん。力で成り上がってなんぼの世界は、まさに非日常です。

一般社会ですら、暴力反対、体罰禁止の意識が定着するのには、長い時間を要しました。私が中学生やった40年程前なんか、まだ全盛期。野球部ではケツバットやビンタは日常の風景やった。担任の先生には、クラスの人数分、40枚以上を丸めた“ざらばん紙”で横っ面を張り飛ばされたこともある。ただ、格好つける訳やないですが「悪いことしてんから…」と思える時は納得してた。当たり前と思ってました。

相撲界なら、なおさらでしょう。肉体的痛み、苦痛に慣れきった人の集まりです。非日常が日常にある世界です。「手を出すまでのハードル」が世間より低いのは、ある意味で当然のように思います。誤解を恐れずに言えば、それが体罰であるなら「まああかんねんけど…」程度の行為やったはずです。

暴力、体罰って何なのか? 自分がされたら嫌なことを他人にしない。人の尊厳を傷つけない。協会も、力士も、とにかく1人1人がそこを心底理解して、心掛けんと、事件はきっとまた起こる。相撲界が暴力と決別する日が来ることを願いながらも、心底難しい問題やなあとも思う、今日この頃です。【加藤裕一】

偉ぶらずまじめでユニーク 19年波乱の男だ松鳳山

大相撲九州場所6日目 琴奨菊を上手ひねりで破る松鳳山

今、最も観客を沸かせる力士は、松鳳山(34=二所ノ関)だろう。11月の九州場所は西前頭7枚目で10勝5敗の好成績。中でも、個人的に最も印象に残ったのが6日目、東前頭9枚目の琴奨菊との一番だ。ともに福岡県出身のご当所。さらには、ともにあと2カ月ほどで35歳となる同級生で、初対決は19年前の高校1年時という関係だけに、気合が入るのも当然だ。立ち合いから攻勢に出たのは松鳳山だった。一気に土俵際まで押し込んだが、琴奨菊に粘られ、押し戻された。ならばと再び土俵際まで寄るが、まだまだ決着はつかず。逆に琴奨菊の反撃にあったが、今度は松鳳山がこらえる。休むことなく1分半近くも攻防が続いた熱戦を、最後は松鳳山が上手ひねりを決めて決着をつけた。

松鳳山にとって、九州場所での琴奨菊戦は5度目で初白星となった。通算では7勝14敗となった。幕内前半戦の最後の取組とあって、水をつけて支度部屋に戻るまでに時間は空いていた。それでも肩で息をしていた。風呂から出てきても、まだ呼吸は整わない。それほど力の入った一番。「本当にきつかった。3番ぐらい相撲を取ったような感じ。終わった後に座りたかった。でも、よく我慢して相撲を取れたと思う。負けてたら地獄の苦しみだった」と笑って振り返った。ベテランが無我夢中で取る姿はすがすがしい。観衆が拍手喝采、大盛り上がりだったのは言うまでもなかった。

ある相撲協会幹部は、この一番を振り返り「全盛期だったら、松鳳山が立ち合いから一気に持っていっていたかもしれない。それは琴奨菊にも言えること。全盛期だったら、残した後に寄り切るだけの力があったと思う。互いに1番よかった時よりも、力が少しずつ落ちていることで、結果的には名勝負が生まれた。相撲というのは分からんもんだね」と話していた。パワーだけに頼りがちな20代とは違い、技術や駆け引き、心理戦-。あらゆるものを駆使して、白星への道筋を探っていく。一方で、松鳳山は「余計なことを考えなかったのがよかった」と、琴奨菊戦の勝因を挙げてもいる。いざとなったら後先考えず、前に進み続ける相撲っぷりの良さも、観客を引きつけてやまない。

そんな相撲内容の良さに審判部も期待を込めて、千秋楽は結び前で大関栃ノ心戦を組まれた。その期待に応え、九州場所の優勝を左右する高安-御嶽海戦の直前に、またまた会場を沸かせた。怪力大関を相手に素早い動きで2度も背後を取って、まず歓声。それでも、強引に押しつぶされて敗れたかに見えたが、立ち合い直後に審判から「待った」がかかっていた。命拾いした格好で再び歓声。次は行司が「待った」をかけ、3度目の立ち合いの時には、大きく肩で息をしていた。その3度目も寄り切られたかに見えたが、物言いの末、その前に栃ノ心の右足が土俵を割っていた。2度も命拾いした格好の松鳳山を、最後は大歓声が包み込んだ。

現役力士では屈指のこわもてで、一見すると親しみやすさとはほど遠い。だが取組後の支度部屋では、勝っても負けても常に、松鳳山は多くの報道陣に囲まれる。ユニークな人柄は、多くの人を引きつける。何よりも、部屋では午前6時台には稽古を始め、巡業では申し合いのスタイルで稽古していた夏巡業までは必ず、錦木とともに幕内力士の中で最初に土俵に立つ、まじめな姿勢を貫いている。その錦木とは7歳も違い、自身は大卒、錦木は中卒で角界入りしたが「同期」と呼ぶ。常に偉ぶるようなこともない。来年1月の初場所では再び、上位総当たりとなる地位まで番付を上げると予想される。その中でも松鳳山が観衆を沸かせるようなことになれば-。ベテランが2019年最初の場所で、波乱を演出する可能性は十分だ。

【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲九州場所6日目  栃ノ心対松鳳山は取り直しとなる

幟(のぼり)は関取の勲章

福岡国際センター前に林立する幟(撮影・加藤裕一)

福岡国際センター周辺には「○○関江」などと書かれた多くの幟(のぼり)がはためく。安全面等を考慮、会場周辺に立てられるのは1人(1部屋)1本限りで、関取には“勲章”だ。

作るのは日本相撲協会が承認した業者で、その1つ、慶応2年(1866年)創業の太田旗店(本社・大分市)によると「相撲幟」は後援会、企業や個人から各部屋、関取、行司、床山、呼出らへの贈答品だ。担当者は「昔から決まった型があり、そこに注文を受けた名前を入れます」。幅90センチ×縦540センチの布地に、熟練の職人が約3週間、刷毛染(はけぞめ)という手作業で仕上げる。縁起物だから、1場所ごとに新品に替わる。

関取3場所目で連日場内を沸かせる十両炎鵬(24=宮城野)にも今場所、部屋の後援会による幟が立った。「そうなんですか? どなたからです? 初めてじゃないかな」と喜んだ。

お値段は-。実は意外とお手頃で、相場が1枚数万円らしい。しかも「個人で楽しむ分には、ひいきの関取名でお作りできると思います」(同社担当者)。熱心なファンならレプリカ感覚で…と思ったが、過去に“個人注文”はないとか。何せ5メートル以上だ。いかに酔狂な人でも、そこまではしないか。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「最重量力士」となった250キロ謙豊は愛嬌抜群

新最重量力士の序二段謙豊

角界で最も重い力士は? 歴代最重量は292・6キロの元大露羅のミハハノフ・アナトーリ・ワレリリエチェ氏(35)だが、引退して勢力図が変わった。新たに「最重量力士」の称号を手にしたのは、歴代4位の250キロ、西序二段60枚目謙豊(29=時津風)だ。「ついに1位になりましたか。わははっ。ちょっとうれしい」。その効果なのか、今場所は1番相撲から無傷の6連勝と絶好調だ。

ワレリリエチェ氏とはすれ違えば談笑する仲だった。同じようなシルエットに親近感がわいたのか、引退前には浴衣を譲ってくれた。「今まで同じサイズの人がいなかったので、お下がりは人生初でした」とうれしそうに話した。

今の体形は「不自由しかない」と爆笑する。移動は全てタクシー。好物のうどんは1日多くて3玉と、他の力士と比べて多いわけじゃない。太るコツは「動かないこと」だという。

7年前に210キロで入門。1年足らずで幕下まで昇進したが、重さに耐えかねたのか左膝前十字靱帯(じんたい)が切れた。その後は5場所に1回休場するペース。今年の7月は蜂窩(ほうか)織炎で3カ月入院し「死ぬ手前だったらしいです」と豪快に笑い飛ばした。綱渡りの力士人生を歩むが、口調はどこまでも明るかった。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

18日、琴真鍋(左)を激しく攻める謙豊

振分親方、予約忘れず無事に高砂一門会

振分親方(2018年11月15日撮影)

八角理事長(元横綱北勝海)らが所属する、高砂一門の一門会が9日目の打ち出し後、福岡市内で2年ぶりに開催された。振分親方(42=元小結高見盛)の謝罪で始まった会だったが、参加者は終始笑顔で、和やかに行われた。謝罪の理由は、2年ぶりの開催となったため。毎年の恒例行事だが、昨年は幹事の振分親方が店の予約を忘れていた。

一夜明けた20日、振分親方は「去年のことをわびましたよ。みんな笑ってました。私の不注意です。今後、2度とないようにしたい。本当に気を付けます」と頭をかいた。昨年は元横綱日馬富士による暴力事件発覚から1週間足らずで、世間を騒がせていた時期。さらに2年ごとの役員候補選挙も控え、一門の親方衆が集まる貴重な会合の場の予約を忘れるという、イメージ通りのおっちょこちょいぶりで消滅させていた。

それでも昨年も今年も、笑って許されてしまうのは振分親方ならではだ。九州場所9日目という日程も店も、ずっと変わっていないため、今年の予約は早々と9月には取っていた。それを説明すると、また爆笑。どちらに転んでも周囲を笑顔にする。その才能に関しては、横綱級であることは間違いない。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

尾上親方の長男・浜洲、病乗り越え親子2代関取へ

新序出世披露した浜洲(撮影・鈴木正人)

りりしい眉と柔和な笑顔が、現役時代の父と重なる。180センチに満たない体で観客を沸かせた尾上親方(元小結浜ノ嶋)の長男、浜洲(本名・浜洲泉啓、17=尾上)が今場所の新弟子検査に合格。18日の新序出世披露を経て、来場所は番付にしこ名が載る。

目標は「父超え」だ。元関取を父に持つ現役力士は、新弟子の浜洲と元幕内常の山の息子、下村(18=境川)が加わり9人。2代で関取になった親子は現役では平幕の佐田の海のみ。歴代でも9組と険しい道だ。

病気に悩まされた高校時代だった。埼玉栄高で相撲を始めたが、1年生の時に髄膜炎を発症。頭痛や首の硬直に伴う歩行困難で、3年間で稽古はまともにできなかった。公式戦出場は1回のみ。それでも「かっこいい父にあこがれているから」と、角界入りへ決意は固まっていた。

幼い頃から、部屋付き親方として若い衆を指導する父を見てきた。「間近で厳しい世界を見てきたはず」と尾上親方。だからこそ、角界入りを決意した息子に覚悟を感じた。「いつか『浜ノ嶋』を襲名したい」と語る浜洲に対して「厳しく指導して大きく育てたい」と父。

親子の挑戦が始まった。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

元貴乃花親方最後の弟子貴正樹「貴の字変えません」

貴正樹(18年10月3日撮影)

「この子は強くなります。信念がただ者ではない子です」。先月1日、日本相撲協会退職が決まった元貴乃花親方(元横綱)が、自身の応援会サイト内のブログを更新。最後の弟子となる東序ノ口16枚目貴正樹(19=千賀ノ浦)を褒めた。

ブログを見た貴正樹は、困惑しながらも「うれしかった」と回顧する。師匠の言葉で印象に残っているのは「よく食べてよく寝ること」と、部屋頭の小結貴景勝と同じ回答。規則正しい生活が、成長への最大の近道だと教わってきた。

千賀ノ浦部屋での初稽古で、初めて三番稽古(同じ相手と続けて相撲を取る)を行った。3月に初土俵を踏んでから、旧貴乃花部屋での稽古は四股やすり足など基礎運動だけ。新師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)は「相撲を取らずに場所に出ていたのか」と仰天した。体ができるまでは相撲を取らせないという前師匠の方針だったという。中学時代はソフトテニス部で昨年まで体重は約70キロ。師匠の教えを守り、白米をかき込んだ。数日前、体重計に乗るとメーターは120キロ近くまで揺れていた。

今場所は2勝1敗と白星が先行する。出世を続けても「貴の字は変えません」。「平成の大横綱」23人目の教え子は、力強く言い切った。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

琴奨菊、ソフトバンク内川から「日本一のバトン」

琴奨菊の勝利を喜ぶソフトバンク内川(2018年11月12日撮影)

福岡出身で地元場所の琴奨菊(34=佐渡ケ嶽)が、日本一になったプロ野球ソフトバンク内川聖一内野手(36)から刺激を受けた。2日目の12日。観戦に訪れた内川と、会場を去る前にがっちり握手を交わした。琴奨菊は「力をもらった」と感謝。内川から「日本一のバトンを渡したと思っている」と2度目の優勝を求められたという。

不定期ながら連絡を取り合う間柄だ。日本シリーズ開幕前日の10月26日。広島市内で平幕嘉風、ソフトバンク上林を交えて食事した。内川の「短期決戦は勝率5割以上が求められるけど、打率は3割で十分」という話にヒントをもらった。相撲は番付上昇に最低限勝ち越しが必要だが、野球はどんな好打者でも失敗が成功を上回る。そこから星勘定に頓着しすぎないことを学んだ。

さらに「会場の盛り上がりや演出は相撲も見習うところがある」とも言う。ヤフオクドームで行われた同月31日の日本シリーズ第4戦を一塁側で観戦し、スタメン発表の演出やイニングごとのMCは、取組ごとに間合いが空く大相撲でも参考になるという。「これからも長く付き合いたい仲だよね」。互いに刺激し合って、角界と球界を盛り上げていく。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

関取でも付け人 友風の思い

志摩ノ海(左)にはたき込みで勝利した友風(撮影・栗木一考)

連勝スタートを切った新十両の西十両14枚目友風(23=尾車)が、今場所も平幕の嘉風(36=尾車)の付け人を務めている。

関取昇進で付け人を卒業するケースがほとんど。4年前、新十両だった旭大星が同部屋の幕内力士の付け人を務めたが、当時の友綱部屋は関取5人を抱え若い衆が少ない事情もあった。

付け人継続は嘉風からの希望だった。友風が幕下で関取昇進を目前としている時から、十両昇進後も「できたら一緒にいてほしい」と打診されていた。日体大の先輩後輩の間柄。嘉風からは「(特別な意識は)今に始まったことじゃない」とかわいがられている。

憧れの兄弟子の誘いに友風は二つ返事で快諾した。付け人を長く務める中で、嘉風の立ち居振る舞いを間近で見て、尊敬の念は強まった。「人間的にも力士としても全てがかっこいい」と言う。今場所から嘉風と同じ薄い紫色の締め込みで、勝ち越しを目指している。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

豊ノ島、引退よぎった2年「達成感」求め高み目指す

目に涙を浮かべながらインタビューに答える豊ノ島

しこ名を呼び上げられ、本場所の土俵に上がった瞬間、その胸の高鳴りはいかばかりだろうか。耐え抜いた約2年にわたる雌伏の時を経て、豊ノ島(35=時津風)が東十両13枚目に戻ってきた。16年秋場所以来の関取復帰。11日に初日を迎える大相撲九州場所(福岡国際センター)の本土俵に、化粧まわしを締め本場所用の締め込みをまとった男が戻ってくる。35歳4カ月での再十両は、戦後6位の高齢昇進だ(1位は大潮の39歳5カ月)。

2年前の7月。名古屋場所前の稽古で悪夢が襲った。左アキレス腱(けん)皮下断裂。2場所連続全休し、本場所の土俵に戻ったのは2年前のここ博多。気がつけば番付は幕下に落ち、稽古用の黒まわし姿だった。「まあ2、3場所で関取に戻るだろう」という私の予想は外れた。あの幕下陥落の最初の相撲から、再十両を決めた先場所まで全12場所、計77番のほとんどを取材し、コメントを取ってきた身としても「ああ、もうダメかもしれない」と本人も悟った「引退」の2文字を感じざるを得なかった。

家族はじめ周囲の支えは不可欠だったろう。ただ何より、心が折れそうな時、このままでは終われないという本人の精神力が復帰への道を歩ませたはずだ。そんな豊ノ島を場所前の6日、時津風部屋で取材する機会があった。その様子をここで紹介したい。

Q場所に臨む心境は

豊ノ島 半々かな。楽しみなのと…。関取として復帰した状況だけど、常に引退とかも考えてしまう場所になるかもしれない。楽しみなのは楽しみだけど、不安もいっぱい。う~ん、でもどうかな…。楽しみの方が大きいかな。先場所、幕下で取って不安だったのに比べれば、全然ですね。

復活を果たしたことで、以前に増して慎重になる自分がいる。幕下陥落後も2度、見舞われたケガ。もがき苦しんだ2年という時間が、自分の少しだけ変えた。

豊ノ島 1つの達成感というのがあるんですよ。もしもの時があっても、もう悔いはないという。聞きようによっては弱気に受け取られるかもしれないけど、ここまで戻ったという達成感。頑張ってここまで戻ってきたという達成感がある。

何度も「達成感」の言葉を使った。仮にこの先、再び大けがをして現役生活を断たれるようなことがあっても、1つやり遂げたことでスッキリ割り切れる。それが今後の心の支えになるだろう。もちろんケガには慎重だ。

豊ノ島 勝負事だから何があるか分からない。ケガの怖さを経験して、絶対ということはあり得ない。ケガの怖さ、勝負の難しさ。(再十両まで)こんなに時間がかかるとは思わなかったからね。いざ、何か起こったときは、現実を受け止めないといけないこともある。

不安はある。だが、挫折を乗り切った自信の方が大きい。それは自身が歩んできた経験則からも言えるようだ。

豊ノ島 十両でやれるという自信はもちろんある。気持ちは絶対、大丈夫。これで終わる男じゃないと思ってる。これまでの人生も逆境を乗り越えてきたと思っているから。

もちろん目標は十両じゃない。何度も三役を経験し、優勝決定戦の舞台にも立ち、優勝次点も4度。三賞は10回、金星4個も誇れる実績だ。あの味わった幕内上位の舞台に再び戻りたい。

豊ノ島 もう1つ、上(幕内)に上がるという目標はボンヤリではなく、頭の中にしっかりありますよ。(ライバルであり仲のいい)琴奨菊とも幕内で対戦したいし、何なら横綱戦も(描いている)。稀勢の里関とは横綱になって対戦していないし、大関(高安)にも何かと気にかけてもらった。まだまだ対戦したい人が、上にはいっぱいいますよ。

一度、地獄を見た男に怖いものはない。復活劇は始まったばかりだ。

【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

積極的な動き 印象的だった旧貴乃花部屋の力士

千賀ノ浦親方(右)と握手を交わす貴景勝

元横綱日馬富士の傷害事件を巡って訴訟を起こした被害者の貴ノ岩が、訴訟を取り下げた10月30日は、千賀ノ浦部屋の稽古始めでもあった。10月1日付で元貴乃花親方(元横綱)の日本相撲協会の退職が決まり、旧貴乃花部屋の消滅と所属力士らの千賀ノ浦部屋への所属先変更も承認された。小結貴景勝は秋巡業参加のため、都内で行われた引っ越し作業には参加せず。千賀ノ浦部屋に合流したのは、秋巡業が終わり福岡入りした10月28日。九州場所(11月11日初日、福岡国際センター)の新番付発表が行われた10月29日は稽古は休みで、30日にようやく初めて、旧貴乃花部屋の力士と千賀ノ浦部屋の力士が全員そろっての稽古が行われた。

印象的だったのは、旧貴乃花部屋の力士らが、積極的にコミュニケーションを取っていたことだ。四股やストレッチで体を温め、すり足が始まった。さまざまな種類のすり足に、旧貴乃花部屋の力士らは、千賀ノ浦部屋の力士の動きを見よう見まねで行った。最初こそぎこちなかったが、慣れてくると余裕がでてきたのか、会話する場面が増え、笑顔が見えた。ぶつかり稽古、申し合い稽古が始まると、自然とアドバイスをする姿に千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)も安堵(あんど)の表情。新弟子に対して、身ぶり手ぶりで四股の踏み方を指導する姿も、すっかり千賀ノ浦部屋にとけ込んでいる印象だった。

“新”千賀ノ浦部屋の稽古始めは、約2時間で終わった。師匠の千賀ノ浦親方は、「これまでは関取が1人しかいなかったから助かります。活気も違う」と、旧貴乃花部屋の3人の関取が若い衆に指導する姿を喜んだ。小結貴景勝も「いい雰囲気で活気がある」と言えば、平幕の隆の勝は「これまで出稽古でやっていたことが毎日部屋でできるのでうれしい」と、こちらも笑顔。旧貴乃花部屋の力士が、千賀ノ浦部屋に所属先変更して1カ月たったが、部屋としては順調な滑り出しのように見えた。【佐々木隆史】

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。