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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

逸ノ城の常識覆る縦の動き226キロ“押しつぶし”

大相撲春場所 14日目 ははたき込みで貴景勝を破り1敗を死守した逸ノ城(2019年3月23日撮影)

相撲の常識が覆るかもしれない。来場所で三役返り咲きが確実視される前頭逸ノ城(26=湊)が、14勝を挙げて優勝次点となった3月の春場所で、異次元ともいえる取り口を何度も見せた。従来、相撲で勝つには、前に出ての寄り切りや押し出し、後ろに下がっての引き落としやはたき込みが決まり手の大部分を占めている。いずれも「横」の動きだ。だが春場所の逸ノ城は「縦」の動きで、白星を量産した。

193センチの長身で、しかも関取衆最重量226キロの逸ノ城が、どっしりと構えて受けて立つ。中途半端な力で押し込めないことは一目瞭然。上体が伸び上がっては、びくともしないだけに、相手は低い姿勢で下から押し込もうとする。だが懐の深い逸ノ城は、これを組み止め、下に潜り込ませず上からズドン。春場所の14勝のうち、はたき込みで6勝、突き落としで3勝と、このパターンで勝ったのが大部分だ。

はたき込みは引き技、突き落としは土俵際などでの逆転技の印象が強いが、春場所の逸ノ城は違った。余裕を持って、狙い通りに仕留めていた。他に適当なものがないため、決まり手は、はたき込みや突き落としになっているが、実際のところは「押しつぶし」ともいえる内容だ。従来の決まり手では表現しきれない、枠に収まらない「縦」の動き。何より相撲界にはまだ、突然上から降ってくる200キロ超の重さを、背中で受け止めることを想定した稽古が確立しているとはいえない。対策のしようがないのかもしれない。

実は逸ノ城自身が、この取り口の異次元ぶりに気付いていないようだ。はたき込みは、内容が良くないとされ、現在行われている巡業中も「もっと前に押し出す、寄り切るような相撲を出していきたい」と、反省気味に語っていた。目標とする大関昇進のためには、相撲内容も求められており、はたき込みが多いことを課題として挙げていた。だが報道陣から、新しい取り口だと指摘されると「本当ですか!?」と、少しは自信を持った様子をのぞかせていた。

ただ、相撲の長い歴史の中で、ずっと追い求められている、前に出る姿勢は今後も理想型として必要不可欠だろう。その基本が強いからこそ、上から下への押しも効いてくる。「横」でも「縦」でも、自在に力を発揮できるようになれば、大関昇進も初優勝も遠くない。私生活では「まだ、しばらくは部屋に住む予定。地方場所とかで、みんな(若い衆)が先に移動していていない時とか、洗濯物とか洗い物とかがあって大変。自分でもできるけど、こんなに違うんだと感じるから」と、独り立ちは遠そうだ。だが土俵では、14年秋場所の新入幕から優勝争いに絡んで「怪物」の異名を取った逸材。相撲の常識さえも変える、本物の怪物になる日も遠くはないかもしれない。

【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大大相撲春場所 13日目 ははたき込みで御嶽海を破る逸ノ城(2019年3月22日撮影)

「令和」最初の場所、土俵は新たなチカラビトを待つ

【左の写真】1984年1月22日の初場所千秋楽で、三賞受賞でライバルの健闘をたたえ合う殊勲賞大ノ国(左=のち62代横綱大乃国)と敢闘賞保志(右=のち61代横綱北勝海)【右の写真】2018年10月1日、会見する八角理事長(右=元横綱北勝海)と芝田山親方(元横綱大乃国)

「横綱、天皇陛下が亡くなられた。初日は1日遅れて月曜日になった」。文言の一言一句は正確ではないかもしれない。何せ30年と3カ月前の話だ。ただ、天皇陛下が亡くなられたこと、喪に服す意味で翌日の予定だった初場所初日が1日遅れることが伝えられたのはハッキリと覚えている。場所直前で朝稽古も早めに終わったこともあり、熱気は冷気に変わっていた。底冷えする上がり座敷で、私は時代が変わる節目の一報を耳にした。

昭和64年1月7日の土曜日。初場所初日の前日にあたるはずだったこの日、前年12月から相撲担当になった私は、横綱大乃国が所属する放駒部屋(東京・杉並区)の朝稽古に足を運んだ。結果的に昭和最後の一番となった同63年11月の九州場所千秋楽結びの一番で、横綱千代の富士(先代九重)の連勝を「53」で止めた大乃国を取材するためだ。取材に来ていたのは、私1人だったと記憶している。稽古が終わり、横綱と話をしていた時、師匠だった放駒親方(元大関魁傑)が横綱に発した前述の言葉が耳に飛び込んできた。すぐには事実をのみ込めず、事の重大さが分かった時には横綱に切り出す言葉も見つからず、取材はそれで打ち切られた。

それから5年間、相撲担当を務め、その後は他のスポーツ担当を転々とした。そして4年前の1月に約22年ぶりに復帰。この間、老若男女が熱狂した若貴フィーバーが幕を下ろし、モンゴル勢による新たな時代が始まり、白鵬1強時代、そしてさまざまな不祥事による冬の時代を経て、再び人気安定の時を迎えている。

浦島太郎状態で20年ぶりに戻った相撲の現場は、その間、全く顔を合わせたことのなかった親方衆や裏方さんに「久しぶりだね」と声をかけられることも多く、義理人情の厚さに懐かしさを感じたものだ。SNSによる情報発信、データ提供の広報体制など二十数年前と比べるべくもなく、時の流れで当然とはいえ「時代も変わったもんだ」と思わされもした。

昨今のパワハラ問題が影を落としているのか、力士風情には「昔はもっと上下関係が厳しかったのでは」と思うこともある。平成の初期は、昭和の名残があったが、今は様変わりしたと感じる。指導するにも何かと制約がかかり、肩身の狭い思いをしている関係者も多いのでは。型破りで個性的な力士や親方衆が、そこかしこにいた昔のバンカラな時代に、今を重ねようとしても無理な話だろう。

そうはいっても、大相撲は大衆の支持を受け、生き続けてきた。場所が中止になる問題があろうと内紛劇が起ころうと、紆余(うよ)曲折を経ながらも興行は続いている。今の両国国技館建設の際、借金なしで建設した上に、当時の春日野理事長(元横綱栃錦)とともに「相撲取りの仕事は相手を負かすもの。中卒の我々が(大手建設会社の)大学出のエリートを負かしたんだ」と建設費を十数億円も負けさせた自慢話も、今は亡き初代横綱若乃花の花田勝治さんから酒を酌み交わしながら聞いた。裸一貫で相撲道を歩いてきた気骨のようなものは、脈々と受け継がれているはずだ。

担当になった平成最初の場所で、3場所連続休場明けから復活優勝した横綱北勝海は、八角理事長として角界をけん引。「休場明けでとにかく必死だったよ。(節目の場所と)考える余裕はなかった。30年? 早いね」と述懐する。昭和最後の日の取材相手だった大乃国は、芝田山広報部長として情報発信している。千代の富士は鬼籍に入り、貴乃花はよもやの協会退職。30年もあれば、いろいろなことが起きて当然だ。それでも大相撲の火は、一時的に風前のともしびにはなっても消えることはなかった。

そんな平成も終わり、間もなく「令和」が始まる。昭和から平成になって相撲取材を始めた約30年前のあのころ、3横綱が4横綱になり、それも長くは続かず「千代の富士時代」は終わりを告げ、若貴を中心とした新たな息吹があった。平成3年名古屋場所から平成5年夏場所までの丸2年間の12場所で、何と横綱の優勝はなく、平幕優勝4人という摩訶(まか)不思議な時代もあった(うち4場所は番付上に横綱不在ということもあるが)。そんな新旧交代、群雄割拠の時を経て「曙貴時代」を迎えた。元号が変わる今、単なる偶然の一致だろうが、あのころと時代背景が重なる。貴景勝という新大関を迎える「令和最初」の夏場所。新星の台頭は雨後のたけのこのごとく、何人いてもいい。それが間違いなく活性化につながる。土俵は新たなチカラビトを待っている。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

後輩貴景勝からもいじられる“愛されキャラ”大栄翔

大栄翔(左)と談笑する貴景勝

平成最後の場所となった春場所で22歳の新大関が誕生し、世代交代の波が一気に押し寄せた。その気鋭な若手の波に、25歳の大栄翔(追手風)も乗っている。

自己最高位の東前頭2枚目で迎えた春場所では、幕内上位で7勝8敗と奮闘。高安、豪栄道の2大関を撃破し、白鵬、鶴竜の2横綱にも善戦した。しかし、勝ち越しを懸けた14日目、千秋楽で連敗。勝てば新三役が有力だっただけに「すごいチャンスを生かせなかった。15日間続けての集中力を維持できていない。本当にもったいなかった」と、飛躍の中でも悔しさをにじませた。

高校相撲の名門校、埼玉栄高を経て角界に飛び込んだ。春場所は前頭2枚目以上に埼玉栄高のOBが5人。大栄翔も「(OBが)たくさんいるので刺激を受けた」と、発奮材料にした。持ち味は突き、押し。「(春場所は)前に出られた分、相手に圧力が伝わった」。時間を見つけて母校の相撲部へ足を運び、専任トレーナーの指導を仰いでフィジカルの向上に努め、タイヤを引くトレーニングなどで出足を強化した。

“愛されキャラ”としても存在感を放っている。3学年下の後輩、貴景勝とは高校在籍こそかぶっていないものの、兄のように慕われている。プロ入り後も母校に顔を出していたため面識があり、貴景勝(当時のしこ名は佐藤)が新十両を果たした16年夏場所あたりから仲が深まってきたという。先輩後輩の間柄だが、貴景勝にいじられることもしばしば。上下関係なく接するようになったのは「気づいたら、そうなっていました」。春場所前半には毎日のように、これまた高校の1学年後輩、平幕矢後(24=尾車)と宿舎近くの銭湯に通い詰めた。追手風部屋と尾車部屋の宿舎がともに大阪・堺市内で、自転車で約10分圏内ということもあり、仲のいい後輩と湯船につかって心身の疲労を癒やした。しかし、その矢後にいじられることも増えてきたという。大栄翔は「矢後は、幕内に上がってから調子に乗っているんですよ!」と、愛嬌(あいきょう)たっぷりの笑顔を見せながら訴えていた。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

笑顔の大栄翔(右)と貴景勝(2018年12月3日撮影)

北勝富士の話術は横綱級?つい引き込まれるトーク力

トークショーで歓声に手を振って応える大相撲の北勝富士(2019年3月1日撮影)

無口が美徳とされる角界だから、相撲中継のインタビューなどは正直おもしろくない。だが、普段の会話は別で、いろんな意味でトークがさえる力士はいる。

白鵬、鶴竜の両横綱は、さすがだ。白鵬の探求心は半端じゃない。初場所の朝稽古取材ではチベット仏教の「チャクラ」などに話題が及んだ。「人類の起源に興味があるんだよね」と、話がどんどんオカルト=神秘主義に偏ったりする。42回も優勝しとったら、常識、既成概念では満足できんのかもしれん。

鶴竜は日本語が抜群にうまい。発音、滑舌、リズム、豊富な語彙(ごい)。話題もサッカー、NBA、NFL、UFC…ととどまるところがなく「何でそんなに知ってんの?」と驚く。「日本人以上に日本語のうまい力士」と思う。

時の人の貴景勝、平幕の阿炎らのオフレコトークは切れ味抜群(オフレコなんが痛いけど)やし、御嶽海は間の取り方が上手やし…。そうこう書いている内に思ったけど、相撲のうまい人は話もうまいかもしれませんな。

最近のイチオシは、北勝富士だ。基本的にしゃべり好きなんやろうが、話し出したら止まらん。その内容も感心させたり、笑いを誘ったりと多種多様なのだ。

新三役での春場所初日、白鵬戦でもあり、朝稽古を取材した。全体の稽古を終え、座敷でストレッチポールの上で背筋を伸ばしながら、いきなり切り出した。

「…う、う~ん…俺“劇団四季力士”でいこうと思うんですけど」

は?

「舞台なんか全然興味なかったんだけど、知り合いに“チケットあるから行かない?”って誘われて渋々行ったら…。やっぱり生ってすごいんですよ。もうめっちゃ感動しちゃって」

ライオンキングを2回見た。リトルマーメイド、アラジン、ノートルダムの鐘も見た。

「大阪でも場所前に行きたかったんですよ。でも、チケット取れなくて」

生のすごさに引かれて、ジャンルは全然違うが、吉本新喜劇も2度、見に行ったらしい。

…と、まあ、こんな感じで唐突にネタを切り出してくる。その話しぶり、リズム、内容がとにかく楽しくて、ついつい聞き入ってしまうのだ。

土俵外の話題だけでなく、北勝富士は土俵の話も楽しい。8敗で負け越しが決まった翌日の春場所12日目。錦木に勝った。鮮やかな踏み込み、押し込みで腰の重さに定評のある男を押し出した。

直後の支度部屋。また自分から切り出した。

「遅いんですよね~。いっつもそうなんだよな~俺。結局、気持ちが楽になったら、こういう相撲が取れる。おこちゃまッス。今朝は5時半から6時の間に腹痛くなって、起きなかったもん。初日から毎日起きてたのに」

確かに取材が楽、というのもある。ほとんど勝手に話して、ネタを提供してくれるのだから。だが、しかし、こういうお相撲さんが強くなると、楽しい。新たなキャラクターやないですか。横綱、大関との上位戦や、話題の力士の印象を語るとか。土俵の話題が増えるでしょ?

だから、もっと頑張れ北勝富士です。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

春場所12日目に錦木(左)を押し出しで下す北勝富士(2019年3月21日撮影)

最年長40歳の安美錦900勝と勝ち越しかけ千秋楽

安美錦

<大相撲春場所>◇14日目◇23日◇エディオンアリーナ大阪

関取衆最年長の40歳、西十両11枚目安美錦(伊勢ケ浜)が、史上8人目の通算900勝に王手をかけて千秋楽に臨む。

この日は徳勝龍に押し出されて7勝7敗となったが「あと1日。勝ってきたような相撲で集中できれば」と、落ち着いて話した。4場所ぶりの勝ち越しがかかる節目の900勝には「来場所に持ち越しかな」と冗談っぽく話しつつ、まだ現役生活を続けたい心の内をかいま見せた。

今場所の安美錦は特に、取組後に大勢の報道陣に囲まれる。横綱貴乃花の最後の対戦相手で、自身も兄弟で幕内を務め、師匠で元横綱旭富士の伊勢ケ浜親方は父のいとこ。今場所6勝未満なら幕下陥落が濃厚、引退も-。そんな中で初日から4連敗したが、5連勝と立て直し「前半を考えれば引退発表していてもおかしくない」と笑っていた。

一方で東日本大震災から8年の2日目には「みんな一生懸命頑張っている。星があがらないぐらいで落ち込んでいる場合じゃない」と、故郷青森と同じ東北地方の仲間を思った。十両残留が濃厚な6勝目を挙げた11日目には「40歳にもなって、まだ緊張する」と、胸中を明かした。力士という特殊な環境にいながら、一般に近い感覚を持つ。40歳でなお、存在感は増している。【高田文太】

母校勝山高は実質部員ゼロ、若佐竹奮闘

記者の質問に答える若佐竹(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇12日目◇21日◇エディオンアリーナ大阪

大関とりに挑む貴景勝の千賀ノ浦部屋が場所前稽古を行った勝山高。その相撲部OBでただ1人の大相撲力士が、大阪市平野区出身、東序二段16枚目若佐竹(20=西岩)だ。この日は敗れ1勝5敗となったが「学校も応援してくれているし、期待に応えたいです」。表情は明るかった。

高校相撲は埼玉栄、鳥取城北などが有名だが、競技人口は少ない。全国で相撲部がある高校は154校で総部員数は917人。ちなみに男子サッカー部は4058校、16万5351人(いずれも日本高体連HPから、昨年8月現在)。同相撲専門部の川村久夫事務局長は「小中学生らが相撲をとる各地域の道場などが頑張ってくれて、この10年間ほどは横ばい」という。大阪の公立高で唯一相撲部がある勝山高は今春、部員2人が卒業してマネジャー1人となり、実質0に。大谷登部長らが毎週土曜日、地域の子どもたちに土俵を開放して競技普及に励む。

若佐竹は高卒以上の新弟子入門基準ギリギリの身長167センチで角界入り。「これといってやりたいことがなく、でも相撲なら“やりきれるかな”と思って」。大きなことは言わないが、昨年2月にできた若い西岩部屋で、部屋頭として黙々と頑張る。その姿が母校に入部希望者を呼び込むかもしれない。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

母校、実質部員ゼロ若佐竹が奮闘 入部者呼び込む 

記者の質問に答える若佐竹(撮影・河田真司)

大関とりに挑む貴景勝の千賀ノ浦部屋が場所前稽古を行った勝山高。その相撲部OBでただ1人の大相撲力士が、大阪市平野区出身、東序二段16枚目若佐竹(20=西岩)だ。この日は敗れ1勝5敗となったが「学校も応援してくれているし、期待に応えたいです」。表情は明るかった。

高校相撲は埼玉栄、鳥取城北などが有名だが、競技人口は少ない。全国で相撲部がある高校は154校で総部員数は917人。ちなみに男子サッカー部は4058校、16万5351人(いずれも日本高体連HPから、昨年8月現在)。同相撲専門部の川村久夫事務局長は「小中学生らが相撲をとる各地域の道場などが頑張ってくれて、この10年間ほどは横ばい」という。大阪の公立高で唯一相撲部がある勝山高は今春、部員2人が卒業してマネジャー1人となり、実質0に。大谷登部長らが毎週土曜日、地域の子どもたちに土俵を開放して競技普及に励む。

若佐竹は高卒以上の新弟子入門基準ギリギリの身長167センチで角界入り。「これといってやりたいことがなく、でも相撲なら“やりきれるかな”と思って」。大きなことは言わないが、昨年2月にできた若い西岩部屋で、一番弟子として黙々と頑張る。その姿が母校に入部希望者を呼び込むかもしれない。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

土俵に上がり四股を踏む若佐竹(撮影・河田真司)

貴景勝人気うなぎ上りグッズ売り上げも懸賞もトップ

貴景勝タオルを掲げて応援するファン(2019年3月10日撮影)

土俵に上がると、会場内は「貴景勝」の名前が書かれた薄いブルーのタオルで染まる。準ご当地場所で大関とりの貴景勝。実力はもちろんのこと、人気もうなぎ上りだ。エディオンアリーナ大阪では相撲グッズの売店が全部で7店。しこ名が書かれたタオル、ボールペン、キーホルダーなど…全ての売店で貴景勝関連のグッズが売れ行き1位だ。

特にタオルは応援グッズの中でも花形になる。最も規模の大きい2階の売店では、1日200枚以上を入荷して、そのうち半数以上が貴景勝のタオルだという。女性販売員は「新しく届いたなと思ったらすぐになくなる。圧倒的1番人気です」と明かした。

広告塔としても台頭しつつある。力士を指定する懸賞も初場所前の58本から約4倍の約250本で全体トップ。「甲子園記念館」で貴景勝に懸賞を出した阪神電鉄では、大相撲に懸賞を出すのは初めての試みという。同社広報部は「プロモーションの一環として出しました。貴景勝関は阪神地域に位置する芦屋市出身。甲子園と大相撲は長い歴史という意味でもつながりがあるので」と説明した。ちなみに春のセンバツ甲子園は春場所14日目の13日に開幕する。球春到来が先か、昇進当確が先か。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

ファンにサインする貴景勝(撮影・清水貴仁)

元貴公俊の貴ノ富士、同じ過ちはしない精神面が成長

春場所8日目、水戸龍を寄り倒しで破る貴ノ富士(撮影・上田博志)

「付け人とのコミュニケーションで、去年と同じ間違いはしたくなかった」。今場所の初日を出した3日目の支度部屋。西十両13枚目貴ノ富士(21=千賀ノ浦)は、間を置きながら、淡々と決意を語った。付け人は、もともと千賀ノ浦部屋に在籍していた幕下舛東欧、1年前に入門した序二段貴正樹らがつき、サポートに徹している。貴ノ富士は「初めてついてくれたけど、ちゃんとついてくれている」と感謝した。

あれから1年がたった。昨年初場所で新十両を決めながら、この日と同じ春場所8日目の同年3月18日に付け人を暴行。謹慎処分を受け、幕下に陥落した。貴公俊(たかよしとし)から改名した1月の初場所で再十両を決めた。1年ぶりとなる十両の舞台は、ここまで3勝5敗。「全ての力を使ってもいいくらい、相撲だけに集中したい」と意気込んでいる。

場所前の2月23日には双子の弟、十両貴源治との「貴源治・貴ノ富士双子後援会」の発起会が行われるなど、背負うものが増えた。「自分のことよりも、応援してくれるいろんな人の思いも背負っている」。21歳。1年前より、精神面の成長を実感している。【佐藤礼征】

双子の弟・貴源治(左)と貴公俊時代の貴ノ富士(2017年4月30日撮影)

全中V吉井と準V大辻、中卒たたき上げで横綱目指す

新序一番出世として土俵に上がった中学横綱の吉井(2019年3月14日撮影)

5日目の14日、春場所の新序一番出世16人が披露された。合格者40人は直近5年で最も少ないが、バラエティー豊かな人材が集まった。全国中学校大会決勝で戦った15歳2人は“中卒たたき上げ”での出世を目指す。

中学横綱の吉井虹(15=中川)は、新序一番出世で師匠の中川親方(元前頭旭里)の化粧まわしをつけ「いろんな意味で重い」と感慨深そうに話した。その日が47歳の誕生日だった父昌人さんは、会場で息子の晴れ姿を見守り「最高の誕生日プレゼントです」と笑顔。吉井も「親孝行して、いつかは横綱になりたい」と力を込めた。

その吉井に決勝で敗れた大辻理紀(15)は猛稽古で知られる高田川部屋への入門を選んだ。「厳しい環境で成長して、3年以内に関取になりたい」。師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)と、母真理子さんの共通の知人に紹介されたことがきっかけ。兵庫・加古川市出身で2月中旬には加古川市役所を訪問し、岡田康裕市長から「横綱になって」と激励された。昭和以降の同市出身力士では元関脇闘竜が最高位。179センチ、130キロの大器は「地元の人のためにも活躍したい」と意気込んだ。【佐藤礼征】 (ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

新序一番出世披露を終え、握手を交わす昨年の中学横綱の吉井(左)と全中準優勝の大辻(2019年3月14日撮影)

照ノ富士が一緒にゲームなどした天風と序二段で対戦

序二段の取組で土俵に上がった照ノ富士(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇4日目◇13日◇エディオンアリーナ大阪

最高位が大関の照ノ富士(伊勢ケ浜)と前頭13枚目の天風(ともに27=尾車)が、序二段で対戦した。昭和以降、幕内経験者同士が序二段で対戦するのは初。幕内から序二段以下に番付を落とした力士は9人いるが、これまで対戦はなかった。結果は照ノ富士に軍配。左四つから右を抱えた照ノ富士が、最後は小手投げで2連勝とした。

観衆もまばらな午前10時半ごろの取組だったが、取組前から大きな拍手と歓声が起きた。西序二段48枚目の照ノ富士は両膝の手術や内臓疾患で5場所連続、同50枚目の天風は右膝の手術で4場所連続で休場していた。4度目の対戦で1勝3敗とされた天風は「パワーがある」と完敗を認めた。

実は2人は15歳から知り合いだった。鳥取城北高入学前の照ノ富士が、モンゴルから初来日した際に1週間、相撲部屋体験として尾車部屋で寝泊まりし、一緒にゲームなどもした間柄。照ノ富士は「相撲部屋はこういうものと教えてくれた友だち。そういうのを当たるたびに思い出す」と、しみじみ語った。天風も「楽しかった。思い出の一番になった」と笑顔だった。

2人を超える序ノ口まで番付を落とした元幕内の舛乃山は今場所、幕下まで戻っている。「お互いケガなく、一緒に上がっていきたい」。照ノ富士は、土俵下まで落ちた天風に手を差し伸べていた。【高田文太】

天風(手前)を小手投げで破る照ノ富士(撮影・鈴木正人)

忘れない8年前の津波被害、故郷に恩返し誓う天空海

午後2時46分に1分間、親方衆が各担当部署で黙とうを行った。八角理事長(元横綱北勝海)は「いい相撲で被災されている方々に喜んで頂ければ」と言った。相撲協会は大震災から約3カ月後に被災地を慰問。その後も復興祈願の横綱土俵入りを8年連続で行うなど支援活動を続けている。

東幕下11枚目天空海(あくあ、28=立浪)は、8年前に高台から見た渦巻きを鮮明に覚えている。「海が大変だ、と思いました。幸い亡くなった方はいませんでしたが、危ないなって」。茨城・大洗町出身。11年3月に本格的な部屋入りを予定していたが、専門学校の期末テストのため一時帰宅した際に東日本大震災が発生。高台の実家は無事だったが、海沿いの親戚の家は津波で被害に遭い、自身の上京も1カ月以上遅れた。

昨年故郷に顔を出したが「まだまだ戻っていない。アウトレットも人が少なくて…」と神妙な面持ちで話した。「自分たちみたいな人が活躍することで元気を与えたい」。最高位は東十両14枚目。現在は関取復帰を目指す日々が続く。所属の立浪部屋は、4月の両国にぎわい祭りなどで特製ちゃんこを振る舞っているが、大洗では実施したことがない。「いつかは大洗でもちゃんこをふるまってみたい」。大洗駅や町役場には「頑張れ天空海」の垂れ幕が下がっている。いつか地元に恩返しする。【佐藤礼征】 (ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

芝(下)を上手投げで破る天空海(撮影・鈴木正人)

現実離れした刺激的な相撲界 生観戦に一見の価値

朝稽古で若い衆に胸を出す玉鷲(右)

会場に足を運んで観戦するなら、どのスポーツがオススメ?

時々、知人、友人らに聞かれる質問だ。その人の性別や年齢などによって、好みもバラバラだろうし、複数の競技を答えることもある。ただ、回答する時、必ず相撲は入れている。理由の1つとして、日本人ならほとんど、土俵外に出されたり、土俵内でも手をついたり倒されたりしたら負けというルールを知っていること。そして何より、相撲は数少ない五感を刺激されるスポーツだからだ。

これまで、さまざまなスポーツを取材してきたが、そのほとんどは、実は視覚と聴覚で得た情報を伝えていたことに、いまさらながら気付かされた。

気付かされたきっかけは、1月の初場所で優勝した関脇玉鷲(34=片男波)を取材していた時のことだった。春場所(10日初日、エディオンアリーナ大阪)に向けた稽古後、技術的なことを質問した。すると、土俵脇で座って話していた玉鷲は立ち上がり、稽古場を出て「こっちに来て」と、広い道路脇まで出て実践しながら、技術解説を始めた。

先場所優勝力士に、得意の突き、押しを受ける、まさかの展開-。玉鷲は最小限の力しか出していないはずだが、自分の体が驚くほど吹っ飛び、ひっくり返りそうになった。一瞬で意識まで飛びそうになったと同時に「このままだと倒れる。踏ん張らないと」と考えている自分が、どこか別の場所にいるような感覚もあった。一瞬の出来事とは思えないほど、時間がゆっくりと流れたように感じた。

おそらくプロゴルファーなら、記者にクラブを握らせて、手首やひじの位置を軽く矯正しながらレッスンしているようなものだろう。事実、まったく痛みなどもなく、玉鷲からすれば“触れただけ”ぐらいの感覚だと思う。それがかえって、玉鷲の「押す力」のすごさを実感することになった。

突き、押しを得意とする力士は、勝っても負けても、わずか数秒で勝負が決まることも多い。だが、もしかしたら自分が一瞬、味わった(と錯覚した)ような、時間が長く感じる中で取組を行っているのかもしれない。ルールが明快だからこその、奥の深さを垣間見たような気がした。

玉鷲は技術解説後に「ほらね、力が伝わるでしょ」と笑っていた。即座に「そうですね」と答えた。すごいな、もう十分、結局違いが分からん-。さまざまな感情が同時に起き、考えがまとまらないまま、おそらく生涯で最も心のこもっていない「そうですね」という生返事をしてしまった…。ただ、取組を見て、話を聞くだけでは得られない“何か”を感じ取ったのは事実だ。

もちろん、住んでいる地域などの関係もあり、誰もが相撲を観戦できるわけではない。ただ、視覚と聴覚で得られる情報にしても、力士の体の大きさは一見の価値があり、人間が頭と頭、体と体をぶつけ合うと、こんなにもすごい音がするのだと驚くだろう。いくら映像が高画質になっても、体の大きな力士同士が並んでいると、その大きさには気付きにくい。両国国技館の最上段の席にいても響く、頭をぶつけ合う「ゴンッ」という鈍い音は、一般社会では聞いたことがない。

それに加えて、力士がまげに付けるびんづけ油は、他に例えようのない香りを漂わせる。関脇以下の力士は歩いて本場所に入り、握手などに応じてくれることは多い。真剣勝負の場だけに、験担ぎなどでどうしても対応しきれないこともあるが、総じて力士は気さくだ。

最近は本場所の会場で、相撲部屋のちゃんこ鍋と同じ味を楽しめる。嗅覚も触覚も味覚も刺激される。あらためて気付かされたのは、玉鷲の「押す力」を体感したことがきっかけ。ただ、取材する人にとっても、観戦する人にとっても、現実離れした刺激的な世界であることは間違いない。【高田文太】

内閣総理大臣杯が手渡される玉鷲(2019年1月27日撮影)

「引退ライン」乗り越えた幕内豊ノ島に怖いものなし

16場所ぶりの幕内復帰を果たし新番付の自分のしこ名を指さす豊ノ島

退路を断ち、腹をくくった男は強い。大相撲春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)で16場所ぶりに幕内へ復帰した西前頭14枚目の豊ノ島(35=時津風)は、そう感じさせる力士の1人だ。

16年名古屋場所前の稽古で左アキレス腱(けん)を断裂。2場所後に関取の座を追われ、約2年の幕下生活が続いた。引退の2文字を口にする本人の言葉を、これまでの取材でも何度か耳にした。「頭をよぎる時がある」「いつなっても、おかしくない」という言葉とともに口を突いて出ていた。ただ、具体的にどんな状況で腹をくくったのか、デッドラインはあったのか-。番付発表のあった先月25日、取材に応じてくれた本人が明かしてくれた。

くしくも、ちょうど1年前。春場所を前に1つの覚悟を決めたという。その前の初場所で、幕下陥落後2度目の肉離れ。不戦敗を含む3敗4休で、番付は幕下陥落後で最も低い西35枚目まで落ちていた。「ここまで下がったら、一気に(関取に)戻るには全勝(を2度)するしかない。そのプレッシャーはしんどかったな」。同時に、その初場所では膝を大けがし幕下まで落ちたことのある栃ノ心が平幕優勝。「自分はもうダメだ、と思って嫁とも話しつつ、栃ノ心の優勝で“もう1度、頑張ろう”と決めたのが去年の大阪でした」。

そう決意する一方で「こうなったら引退」という、一線も引いた。今後、ケガもしないのに負け越すことになったら引退する-。ケガという理由もなく負け越すというのは、明らかな力の衰え。それ以上に気力がなえたまま土俵に上がる自分を許せなかった。この覚悟だけは譲れない。「嫁にはさんざん(それまで引退と口にしても)止めてもらったけど、やる以上は覚悟が必要。ダラダラやるわけにはいかない。負け越したら潔く引退しよう。そう伝えました」。

退路を断って臨んだ春場所。1番相撲で敗れ「引退」の2文字が忍び寄ったが、再び気力を奮い立たせて2番相撲から6連勝。1つの大きなヤマを6勝1敗で乗り越えた後は5勝、5勝、6勝と白星を重ね再十両で関取復帰。「2場所で十両は通過したい」の言葉通り、十両も11勝、10勝で通過し幕内復帰を果たした。

あれから1年。「あの覚悟があったから上がれた」と言う。苦節の幕下時代、何度か口にしていた僚友の琴奨菊や、横綱との対戦も夢ではない。ケガの前、最後に幕内力士として番付に載った16年名古屋場所では安美錦、豪風、嘉風と自分より年上は3人いた。豪風が引退し、安美錦は十両で苦闘し「一緒に頑張ってきた仲間の引退もあるし」と話すように、今場所は嘉風に続く年長2番目の幕内力士として臨む。「顔ぶれはだいぶ変わってきたようだけど、意外と初顔は少ないんじゃないかな。世代交代の波は来ているけど、オジさんチームも頑張らないとね」。絶望のふちからはい上がった男に、もう怖いものはない。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

貴源治(左)を送り出しで破る豊ノ島(2019年1月23日撮影)

春場所前相撲デビュー大辻、視力低下の母に勇姿を

大辻理紀(2019年2月11日)

春場所(3月10日初日、エディオンアリーナ大阪)が近づくにつれ、アマチュア相撲で実績を残した有望力士が続々と大相撲入りを表明している。

高校横綱の齋藤大輔が八角部屋、中学横綱の吉井虹が中川部屋…。その吉井に全国中学校体育大会(全中)の決勝で敗れ、準優勝だった大辻理紀(15)は高田川部屋に入門する。

177センチ、130キロの堂々とした体格は、中学生の中でも目を見張る。2月11日に東京・両国国技館で行われた白鵬杯。中学生の部で準決勝で敗れた大辻は「今回は悔しかったけど、今度はプロで頑張ります」と前向きに話した。

報徳学園中で大辻を指導した小寺貴之監督(34)は「教えたことをすぐ自分のものにできる。相撲のセンスがある」と話す。関脇貴景勝(22=千賀ノ浦)の母校で、同校相撲部の稽古では伝統的に「押せ」ではなく「起こせ」と指導するという。小寺監督は「最初に指導してから、すぐに起こすような押しができていた。プロでも活躍してほしい」。吸収力の高さに太鼓判を押し、大相撲での活躍へエールを送った。

母の真理子さんは病気で視力が低下しており、大辻も「早く家族に活躍を見せたい」と意気込む。新弟子検査は3月2日で、春場所で前相撲デビューする。「将来的には横綱を目指したい」と、早々に出世して、家族に勇姿を届ける。【佐藤礼征】 (ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

平成の終わりと白鵬時代の潮目、若手台頭で変革の時

大相撲初場所13日日、貴景勝に突き落としで敗れた白鵬(2019年1月25日撮影)

「平成」の元号が終わりを告げる年、初場所で時代の潮目を感じた。担当歴2年弱の新米で、相撲のなんたるかもまだ分からんのですが、確かに感じるものはありました。

数年後に「あれが引き潮やったんか」と思うかもしれん出来事は、14日目に起こった。横綱白鵬の休場。驚いた。初日からの10連勝後、御嶽海、玉鷲、貴景勝に3連敗した翌朝、白鵬の朝稽古を見ようと訪れた宮城野部屋前で一報が入った。確かに玉鷲に1差リードを許したが、残り2日で逆転Vの可能性はあった。なのに休んだ。それまで途中休場は5場所あったけど、場所が最も押し迫ったタイミングは関脇やった05年名古屋場所の9日目。優勝争い最中の14日目の休場なんて初めてのことでした。

診断内容は「右膝血腫、左足関節炎で約1週間の加療を要する」。額面通りに受け取れば重症ではない。ただ、右膝は昨秋に骨片除去手術をして、昨年九州場所全休の要因になった箇所でもある。13日目の取組後、左膝の違和感を問われて「(初日から)ずっとだからね」とこぼしていた。

残り2日、無理を押して相撲をとって、症状が悪化する怖さがあったのかもしれない。白鵬も33歳。11年以上も横綱を張った者にしかわからない疲労や、体への不安もあるんでしょう。41度も賜杯を手にした、絶対的な強さは揺らいでいるのかもしれません。

逆に「あれが上げ潮やったんか」と思う現象は、やはり若手の台頭です。優勝は34歳の関脇玉鷲が手にしたものの、26歳の小結御嶽海が3横綱1大関を破り、途中4日も休みながら殊勲賞に輝いた。22歳の関脇貴景勝が、昨年九州場所初優勝の勢いを持続させ、千秋楽まで2場所連続優勝の可能性を残した。平幕で2桁白星を残したのは3人いたが、32歳の魁聖を除いて、残る2人は28歳遠藤と24歳阿炎でした。また9勝に終わったものの、26歳北勝富士が西前頭2枚目で9勝し、春場所の新三役を濃厚にした。

千秋楽に御嶽海はこう言いました。「時代が動いてるな、と感じますか?」と聞くと「時代は動いてますよね」。おうむ返しのようなやりとりですが、かみしめるような口調は印象的でした。

春場所は3月10日から始まります。貴景勝は自他ともに認める大関とり。御嶽海も自信を深め、体調を整えてくるはず。貴景勝の躍進に燃える同世代の阿武咲、阿炎もいれば、御嶽海をライバル視する同学年の北勝富士もいる。そんな20代の勢いを、白鵬が受け止められるのか。

平成最後の本場所は、まさに待ったなしです。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大相撲初場所で殊勲賞と敢闘賞を受賞した玉鷲(中央)左は殊勲賞の御嶽海、右は技能賞の貴景勝(2019年1月27日撮影)

「稀勢の里」過去記事に懐かしさ 親方での今後期待

引退後にはじめてスーツ姿で年寄総会に出席し国技館を後にする荒磯親方(元横綱稀勢の里)(2019年1月31日撮影)

初場所4日目に横綱稀勢の里(32=田子ノ浦)が引退した。「平成」のうちに行われる本場所は残り1場所。3月の春場所だけだ。平成に誕生した最後の横綱であり、おそらく平成のうちに引退する最後の横綱となるだろう。現在は年寄荒磯を襲名。本来は「荒磯親方」と表記しなければならないが、主に現役時代の話に触れるので、あえて「稀勢の里」と書かせてもらう。

初めて取材したのは2010年春場所だった。途中、6年も相撲担当を離れていたが、それでも自分が書いてきた稀勢の里の記事を調べてみると、大小合わせて500本近くにものぼっていた。以前書いていた記事を読み返すと、自分で書いたものにもかかわらず驚かされる。例えば10年8月8日、福島市での夏巡業の関取衆による申し合いの際には「驚異の17人抜きを達成した。18人目で大関把瑠都に敗れたが-」と表記していた。当時は大関昇進の1年以上前となる24歳。こんなワクワクする若手と接していたのかと、懐かしいような、どこか新鮮な気持ちにもなった。

同日の取材では、稽古や本場所などを通じて感じた反省点を、不定期ながら、その半年ほど前からノートに記していることも明かしている。土俵の上ではもちろん、土俵外でのまじめさ、熱心さを今さらながら感じた。

また11年1月7日に書いた記事を読み返すと、初場所初日の2日前にもかかわらず、当時の鳴戸部屋で計45番も相撲を取っていた。本場所初日の2日前は、基礎運動などで軽く汗を流したり、まったく稽古を行わずに休養に充てたりといった力士が多い現在では、信じられないような番数をこなしている。しかも若の里、高安、隆の山ら関取衆相手の申し合いが大部分を占める中、45番で43勝2敗と驚異的な勝率。当時の師匠で、故人の元鳴戸親方(元横綱隆の里)から「土俵際はがけっぷちだと思え」と、ゲキを飛ばされながらの熱のこもった稽古だった。

11年8月には、20日間にも及ぶ青森合宿に初めて最初から最後まで参加した。例年は巡業のため、途中で離れていたが、八百長問題の影響で、その年の夏巡業は中止となっていた。連日の50番にも及ぶ猛稽古と、夜には初めてねぶた祭を見物し「一番前で見せてもらった。迫力があった」と語っている。さらに中学生の時以来10年以上遠ざかっていた、絵描きにも挑戦。観光施設で、筆で色付けしながら「ねぶた」を1時間以上描き続けた経験を、初々しく話していた。心身共に成長したこの夏合宿の蓄積が、同年11月の九州場所後の大関昇進につながったと見る部屋関係者は多い。

そんな稽古熱心で、好奇心旺盛な稀勢の里の復活を、小学生時代から知る地元茨城・牛久市で市議会議員を務める池辺己実夫氏は、最後まで信じていた1人だ。17年にパレードを行ったJR牛久駅から伸びる「けやき通り」を、通称「横綱通り」または「ごっつぁん通り」と命名したいと考え「早ければ3月の議会で提案します」と宣言していた。牛久市役所も、初場所で優勝争いをしていた際には、土、日曜日ながら14日目や千秋楽に市役所でパブリックビューイングを行う準備をしていた。市役所の玄関には、稀勢の里が締めた綱を飾り、外にはのぼりを立てて盛り上げていた。19年ぶりに誕生した日本出身横綱は、郷土の英雄だった。

「平成最後の横綱」ながら、悔しくてもグッとこらえ、言い訳もせず、黙々と稽古に打ち込む。難病に苦しむ相撲好きの子どもがいると知れば、人知れず見舞いに行って励ます。昭和の香りを残す稀勢の里だからこそ、今度は親方として、自分以上に老若男女から愛される弟子を育てることに期待したい。【高田文太】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

新十両霧馬山が師匠の約束守り関取でモンゴル里帰り

新十両を決め部屋の前でポーズを取る霧馬山

関脇玉鷲(34=片男波)の初優勝で大相撲初場所の幕を閉じた角界に、また1人、モンゴル出身の関取が誕生した。1月30日の大相撲春場所(3月10日初日・エディオンアリーナ大阪)番付編成会議で、新十両に霧馬山(22=陸奥、本名ビャンブチュルン・ハグワスレン)が昇進した。95年初場所の旭鷲山(元小結)に始まり、これでモンゴル出身の関取は、約24年で34人目。1年に1人以上、関取を輩出していることになる。

現役関取最重量の逸ノ城(25=湊)、突き押し相撲を貫く玉鷲らを除けば、柔軟性を身上に軽量でしなやかな身のこなし、多彩な技、俊敏性を生かしたスピード、四つ相撲など、モンゴル出身力士は似通った武器を身につけている。霧馬山も入門時94キロの体重(身長は184センチ)を、無理なく増やし130キロで新十両昇進を果たした。124キロで大関昇進を果たした師匠の陸奥親方(元大関霧島)も「稽古やトレーニングをやりながら自然と大きくなっていくのがベスト。寝てばかりで体重を上げても意味がない。自分に合った体重があればいい」と、ここまでの体の成長ぶりには合格点をつけた。

巨漢の小錦を力相撲でねじ伏せた師匠のように、鋼のような筋肉質の体で、まわしを引きつけて力を発揮する。霧馬山は目標とする力士に、同郷の先輩横綱の日馬富士、白鵬、鶴竜のほかに「まわしを取って力を出す、千代の富士関(元横綱=故先代九重親方)も自分のタイプ」と言う。闘争心やスピードは日馬富士、反射神経に裏付けされた抜群の相撲勘の良さは白鵬、強靱(きょうじん)な足腰と無類のかいな力は千代の富士…。そんな究極の力士像を目指す。

性格は「優しい」と陸奥親方。ヒジのケガで低迷した時は、人知れず涙を流すこともあった。入門時には師匠から「関取になるまでモンゴルに帰るな」と約束され「ハイ」と即答したものの「なんで返事をしちゃったんだろう」と、郷愁に駆られ悔やむ日もあった。昨年11月の九州場所前のこと。そんな愛息の胸中を察してか、モンゴルから両親と兄、妹が来日した。約4年ぶりの再会を果たし「ボクのちょんまげ姿を見てビックリしてました。“えーっ”て。一緒に食事とかしてリラックスできました。だから、あの九州から(成績が)いいんです」と霧馬山。西幕下12枚目の九州場所で6勝1敗。そして西幕下筆頭に番付を上げた初場所で4勝3敗と勝ち越し、念願の関取の座を射止めた。

陸奥部屋にとっても、08年初場所の霧の若以来、11年ぶりの新十両。部屋の関取衆も、八百長問題で2人が引退勧告処分を受けたため、11年5月の技量審査場所の番付を最後に、関取衆が途絶えていたが、そのブランクも埋めた。師匠にとっては、さぞや感慨深いものがあろうと思いきや「いや、それも一瞬(の喜び)ですよ。もう頭は次の場所にいってます。自分が現役の時も、勝って喜ぶのは花道を過ぎるぐらいで、うれしいのはそこまで。支度部屋に戻ったら明日のことを考えていましたから」と、すでに春場所を見据えている。霧馬山本人も喜ぶひまはない。

ただ、1つだけ自分へのご褒美として、喜びを実行に移す。入門時の師匠との約束を果たし、2月13日にモンゴルへ里帰りすることだ。17日には再来日する慌ただしいスケジュールだが、新十両昇進の報告を電話でした時、泣いていた母エンフゲルさん(47=内科医)とも再会できる。「日本から何かお土産を買って帰る?」の問いかけに「この自分が(何にも代え難い)土産です」と即答した孝行息子。氷点下20度の故郷で、温かな家族のぬくもりを感じて再び精進の日々が始まる。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

大成道が兄・笹山の引退に花道 関取復帰を手中に

前日の取組後に引退した兄の笹山(右)と記念撮影する大成道(撮影・小沢裕)

今場所の幕下上位は、兄弟力士に注目が集まった。十両貴源治の双子の兄で、東3枚目貴ノ富士(21=千賀ノ浦)は貴公俊のしこ名を改名。すでに勝ち越しを決め、再十両も視野に入ってきた。7戦全勝で幕下優勝を果たした西3枚目若元春(25)は、荒汐部屋「大波3兄弟」の次男。新十両は確実で、来場所は三男の弟、十両若隆景との兄弟関取が誕生しそうだ。

その中でも大成道(26=木瀬)は、特別な思いを抱いて今場所に臨んだ。東の筆頭で勝ち越しを決めて、来場所の関取復帰は濃厚。「兄が最後だったので…。花道を添えてあげたかった」。3学年上の兄、笹山(29)は今場所限りで引退。兄は3年前に幕下の中腹まで番付を上げたが、関取の夢はかなわなかった。「相撲を始めた時も、相撲界に入った時も、常に兄の背中を追っていました。入門した時も、仕事を丁寧に教えてくれて…」。小学校1年生の時、相撲道場に誘ってくれたのは兄。高校も入門部屋も兄を追った。だからこそ、半年前に引退の意向を聞いて「関取として送り出したい」と、結果で感謝を示したかった。兄は今後、都内で地元、青森の郷土料理を扱う飲食店で働く。「これからも兄と地元を盛り上げたい」。角界を離れても、兄弟の絆はつながっている。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

41代式守伊之助59歳 日課はスクワット100回

17日、初場所5日目の取り直しの一番で錦木(右)から土俵際に追い込まれた白鵬(中央)をよける行司の式守伊之助

波乱の多かった序盤戦も、心穏やかだった。立行司の41代式守伊之助(高田川)のことだ。3日目から3日連続で裁いた取組に物言いがついた。取り直しとなった5日目の結びの一番では、土俵外に落ちながら軍配を上げるドタバタ劇。それでも「見た目は必死でも中身は冷静です」と、心の平静を強調した。

今場所から行司の最高位、立行司に昇進した。40代式守伊之助が17年12月の巡業中、若手行司にセクハラ行為をした責任を取って退職。昨年12月25日付で式守勘太夫が41代として昇進することが、同9月の理事会で決まった。先代について「あの人は研究熱心で、今まで何度も行司としての教えを請いました」と振り返った。

59歳。「人間のバランスは体の中にある」と、日々の鍛錬で年齢を補う。朝1時間のウオーキングとスクワット100回が日課。土俵上の攻防に巻き込まれず、取組の細部を見渡せる好位置へ、最短距離で移動することが重要だ。「若くはないからこそ最低限のスピードが必要」と自覚している。力士でいえば、新横綱の地位。年齢を言い訳にせず、最高位として精進している。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。