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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

自身の取組ナニで見る!?アプリ、アベマ、テレビ?

納谷(2019年3月20日撮影)

日本相撲協会公式アプリ「大相撲」の“進化”が、ネット上で話題を呼んでいる。今場所から幕下上位5番と十両の取組ムービーを視聴できるようになったからだ。対象は有料会員だが、これまで視聴できる取組は幕内に限定されていた。日本相撲協会の広報部は「お客さんにより良いサービスを届けられれば」と説明。NHKがネットで幕内の取組を配信する中、特色を出す形となった。

しかし、協会公式アプリの動画拡大はまだあまり知られていない様子。今場所幕下上位5番以内の取組に入ることが多い元横綱大鵬の孫、東幕下7枚目納谷は、自身の取組が協会公式アプリに上がっていることに話題が及ぶと「そうなんですか?」と目を丸くした。

力士が自身の取組を振り返る手段はさまざま。十両若元春は「母親から送られた動画を見てます」という。最近はスマホが主流だが、NHKの大相撲中継を録画し、部屋宿舎に戻ってから見返す関取もまだまだ多い。十両水戸龍は「アベマの録画機能で見てます」と、ネット中継を駆使。ただ「帰りの車で見ると頭の中が一日中相撲になるので、帰ってから見ます。気が張り詰めちゃうので」。関取の戦いは15日間。帰路くらいは少し、気を休めたい。【佐藤礼征】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

鳴戸親方に戻った「いいひざ」遠くない関取1号誕生

へそ付近から脂肪細胞を採取される鳴戸親方

11月13日は「いいひざの日」。力士は一般的に膝に負担がかかるため、持病を抱えていることが多い。元大関琴欧洲の鳴戸親方もその1人。両膝とも靱帯を痛め、特に右膝蓋(しつがい)骨脱臼は、引退の一因になった。引退後も階段の昇降も苦労するほど膝に痛みが残り、さまざまな治療に取り組んできた。それでも痛みはおさまらず、引退から約5年半たった今年9月、最先端の再生医療「幹細胞治療」に踏み切った。

関係者に東京・千代田区の「お茶の水セルクリニック」を紹介され、治療を始めた。まずは、へそ付近の皮膚を5ミリ切開し、少量の脂肪細胞を採取。約1カ月かけて治療の必要な数まで幹細胞を培養した。その後、増やした幹細胞を膝の関節に注入してもらった。鳴戸親方は「以前より痛みがだいぶやわらいだ。おかげで弟子たちの稽古も順調。今場所もまわしを締めて土俵に上がっています。順調に回復すれば、現役復帰もできそうなくらい」と手応えを口にしている。幹細胞治療は、幹細胞独特の動きにより、人間が持っている正常の機能に再生させるよう促す治療法。自身の体内から取り出した幹細胞を使用するため、リスクも少ないという。

鳴戸親方は17年4月に独立して鳴戸部屋を興して以来、自ら胸を出して弟子を育ててきた。稽古をつける時に膝を亜脱臼することが多かったが、今はその苦しみから脱出しつつある。部屋頭の三段目元林は、九州場所5日目を終えた時点で3勝0敗。序ノ口デビューから17連勝中でもある。近大出身の逸材は、スピード出世の真っただ中だ。

師匠が「いいひざ」を取り戻せば、さらに効果的に稽古をつけることができる。関取1号が誕生するのも、そう遠くはないかもしれない。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

木崎海 首里城が焼けて悲しむ故郷のために

九州場所2日目、若元春(左)を押し出しで破る木崎海

変わり果てた故郷の象徴的存在に、ひたすら驚いた。首里城の火災から10日以上がたった。沖縄・うるま市出身で沖縄勢唯一の関取、西十両10枚目木崎海(24=木瀬)は、10月31日に首里城が燃えたことを知人から教えてもらい「びっくりして言葉も出なかった」とあぜん。それでも「地元を元気づけるためにも、今場所は頑張らないといけない」と、すぐに前を向いた。

大学時代、故郷に戻って首里城に足を運んだことが1度あった。「小学校の頃も歴史で首里城について勉強した。懐かしかったですね」。沖縄の数ある観光地でも「1番はやっぱり首里城」。存在が当たり前すぎるため、そのときは写真も撮り忘れてしまった。「できたらもう1度つくってほしいです」。

場所後の12月14、15日には地元うるま市で冬巡業が行われる。7月後の名古屋場所後には沖縄に戻り、PRイベントに参加した。自己最高位で迎えた今場所は連勝で発進。首里城の焼失に悲しむ人たちのためにも「何かで役に立てれば」。新入幕を目指して、沖縄を活気づける覚悟だ。(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

東京五輪まで4場所、地獄見た照ノ富士が描く復活道

時津風部屋での出稽古で言葉を交わす鶴竜(右)と照ノ富士

強引とも思える荒っぽさと、屈辱と引き換えに得た慎重さを兼ね備えて、あの男が関取復帰まで、あと1歩のところまで戻ってきた。大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)を、西幕下10枚目で迎える大関経験者の照ノ富士(27=伊勢ケ浜)だ。

相撲を取る稽古を見たのは、もう1年以上も前のことだった。初日を4日後に控えた6日の時津風部屋。部屋の宝富士、照強の関取衆とともに照ノ富士は出稽古にやってきた。この日も基礎運動や若い衆相手の稽古に終始するだろう、という読みはアッサリ外れた。開放感あふれる、柔らかな日差しが差し込む屋外の稽古場。熱気に誘われるように、照ノ富士は関取衆による申し合いの輪に加わった。

豊山、錦木、正代と前頭9~14枚目に名を連ねる幕内力士を相手に外四つ、もろ差し、肩越しに上手を取っての寄りと力強く攻めたてる。4番目には正代をつり寄りで土俵を割らせ、再び相まみえた押し相撲の豊山を逆に押し出した。さすがに息が切れたのか6連勝のまま、いったん休憩。数番置いて再び土俵に上がると豊山、正代、十両の東龍、最後に豊山と大型力士を次々とねじ伏せ、10連勝で締めくくった。

「逆に今日のオレ、どんな感じだった?」。稽古や本場所の相撲内容を振り返ってもらおうとする報道陣の問いかけに、こう返すのはいつものことだ。「(関取が稽古で締める)白まわしを(照ノ富士が)締めていなかったのが不思議な感じだったよ」。それほど、番付に開きがある幕下と関取衆の稽古とは思えないほどだった。そう返すと、ニコッと笑って「やることは、やってきたから。これが場所の結果として出たらいいかな」と言った。

この日の稽古内容は「上半身だけなら(関取衆に)負ける要素はないから、つかまえられればね」と振り返った。それは想定内として、この日、確かめたのは「当たって、そこからの足の出方とか。前に比べて、すり足もちょっとずつ出来るようになってきたんだ」と、両半身のバランスをチェック事項に挙げた。上半身のパワー任せの相撲では、手術までした両膝に負担がかかるだけ。下半身も「鍛えるだけ鍛えている」という。この日の関取衆との10戦全勝も、力の入れ具合など「もちろん、本場所とは違う。みんな調整している(段階)」と額面通りには受け取らない。両膝のケガ、内臓疾患で大関陥落から2年。4場所連続全休などで番付を序二段まで落とした。この間に味わった、引退の2文字さえ頭をよぎった暗闇の日々の中から、勢いに任せない慎重さも備わってきたように思える。

土俵復帰から7戦全勝、3場所連続6勝1敗で、関取復帰が見えてきた。今場所後の関取復帰には7戦全勝が求められる。大関経験があるとはいえ、そう簡単に幕下上位は勝たせてくれない。それでも照ノ富士なりに復活ロードの青写真を描いている。「来年の名古屋場所で幕内にいられればいいかなと思ってる。4場所で、きっちり戻れればということを意識して、それに向けて頑張ってるんだ」。

それ以上は言葉を続けなかったが、名古屋に何か思い入れでもあるのか、気になって帰り際に聞いてみた。「(東京)オリンピック前に幕内に上がりたいんだ」。大相撲がどう、東京五輪とかかわるのかは現段階では分からない。98年長野冬季五輪の開会式で横綱土俵入りなど幕内力士が参加した映像が、照ノ富士の頭にあるのか…。それも1つの夢、モチベーションとして持つのも悪くはない。今場所を含めた4場所で再十両、そして再入幕へ-。ハードルは低くないが、自分をそう鼓舞できるだけの精神的な強さを支えに“元大関”が復活ロードを歩む。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

申し合い稽古で豊山(背中)を、もろ差しに組み止める照ノ富士

炎鵬、新入幕負け越し後に気づいたベスト体重98キロ

炎鵬(右)は琴勇輝を寄り切りで下す(撮影・小沢裕)

炎鵬が25歳になった。誕生日の10月18日、京都巡業で話を聞くと、感慨深そうだった。

「自分にとって、こんなに濃い1年は経験がない。成長できたかな、と思いますね」

金沢学院東高3年で世界ジュニア軽量級に優勝。金沢学院大では世界選手権軽量級を2連覇。一般企業への就職を考えていた時、白鵬に誘われ、角界入りし、17年春場所で初土俵を踏んだ。そこからわずか2年半。体重100キロに満たない男は今や幕内に欠かせない人気力士になり、幕内上位との対戦もうかがえる番付まで上り詰めた。

覚醒の24歳だったかもしれない。新入幕だった5月の夏場所を7勝8敗と負け越した。その後、ある出来事があった。

6月中旬の滋賀・長浜合宿に体重102キロで入った。生涯で最も重い。細めの食に悩み、必死で食べ、少しでも体重を増やそうと苦労を重ねてきた。増えるほど、喜んだ。スーパーヘビー級の力士に力負けしないために-。それだけに期待感があった。ところが、裏目に出た。

「実際に動くと、めちゃめちゃ体にキレがなかった」。合宿4日目には右脚付け根の筋を違え、もん絶した。体重を落とした。それが現在の98キロ。すると体が動く、動く。「あの時“なんだ、そこじゃないのか”と思ったんです。体重を落としたら、すぐ動きが良くなった。そのへんからですね、こだわりがなくなったのは」。体重が勝手に増えるなら、それもよし。ただ、無理に増やそうと思わなくなった。

軽量力士の大先輩、元小結の舞の海秀平氏は31歳で土俵を去った。

炎鵬に聞いた。

何歳までやれると思う?

「う~ん…正直、長くはできないと思います」。舞の海氏の引退年齢を告げると、納得したようにうなずいた。

体重へのこだわりを捨てた後、7月の名古屋場所を9勝6敗で初三賞の技能賞を獲得。秋場所も9勝6敗だった。小よく大を制すを地で行く取り口で館内をヒートアップさせる。それを少しでも長く続けるなら、体に無駄な負担を強いるべきではない。100キロ未満こそ現状のベストという判断が炎鵬をさらに輝かせることになるなら、とてもおもしろい。【加藤裕一】

25歳の誕生日に、今後の抱負を語る炎鵬(撮影・加藤裕一)

元稀勢の里結い続けた床鳴、口数少ない2人に見た絆

9月29日、父・荻原貞彦氏にはさみを入れられ涙を拭く元横綱稀勢の里の荒磯親方(撮影・鈴木正人)

元横綱稀勢の里の荒磯親方(33=田子ノ浦)が、9月29日に東京・両国国技館で断髪式を行った。東幕下筆頭だった17歳の04年3月春場所4日目、初の十両土俵に際し、初めて結った大銀杏(おおいちょう)。その時も、約15年半後の断髪式も、結ったのは入門当時の鳴戸部屋時代から同部屋の兄弟子、床鳴(44)だった。

2人は断髪式当日、開場2時間前の午前9時ごろに対面。荒磯親方からの「お世話になりました」というあいさつで始まった。互いにこみ上げる思いを封印し、そこから最後の大銀杏(おおいちょう)を結い始めた。

最後の大銀杏を結い終えて間もなく、床鳴は「さびしさとホッとした気持ちの両方。どちらが大きいのか分かりません」と、今にも泣きそうな目でほほ笑んだ。大銀杏は基本的には関取衆が結うが、それ以前の02年春場所の初土俵のころから17年半。ざんばらのころから、髪を整えてきた。触れ続けてきたからこそ「髪にもコンディションがあるので」と、断髪式当日が、決してベストな髪質ではなかったことをほのめかしながらも「納得の仕上がりです」と、まとめ上げた。

床鳴は最後の大銀杏を結う前夜、寝付けなかったという。午後11時ごろにふとんに入っても眠れず、酒を飲んで無理やり眠りについた。それでも午前5時には目が覚め、気持ちを落ち着かせようと、早朝から身支度を整えたり、部屋を掃除したり。普段通りの行動を心がけたが、時間を持て余した。「先代(元鳴戸親方=元横綱隆の里)からの教えもあって、身だしなみには厳しい方でしたから」と、最高の大銀杏に仕上げるために、はやる気持ちを抑えた。断髪式後の整髪は、静岡県三島市の美容師・小針圭一氏(52)にバトンを託した。「向こうもプロですから、特にこちらが口出しやアドバイスすることなんてありません。大銀杏を結った段階で踏ん切りはつけていますから」。

断髪式後の荒磯親方は、まげについて「力士の象徴。今日で力士卒業です」と、さみしそうに話した。床鳴も「昔は髪の量が今の2倍ほどあった。激しい稽古ですり切れて、量も少なくなって、髪質も細くなった」と、さみしそうだった。

荒磯親方にとって床鳴は、入門してからほとんど毎日、接してきた兄弟子だ。初めて勝った日も負けた日も、関取に昇進した時も、初優勝の時も、引退を決めた最後の一番も-。あらゆる時に、しかも感情が高ぶる取組の前後で接してきた。最後の大銀杏を結う前、荒磯親方から「お世話になりました」とあいさつされた床鳴が返した。「勉強させていただきました」。

口数が多いとはいえない2人だが、口に出さなくても分かり合えている信頼関係がある。家族のような絆を感じられる瞬間も、大相撲の魅力だと再認識した1日だった。【高田文太】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

18年9月、稀勢の里(手前)と床鳴

将来性楽しみな琴勝峰ら「花の99世代」誕生なるか

新十両昇進会見で琴手計から改名したしこ名を披露する琴勝峰

また一人、生きのいい関取が誕生した。大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の番付編成会議で、新十両昇進を決めた琴手計改め琴勝峰(20=佐渡ケ嶽)だ。場所前に20歳を迎えた若武者は、西幕下4枚目で臨んだ秋場所で4勝3敗ながら、番付運にも恵まれて関取の座を射止めた。

190センチ、160キロの恵まれた体を武器に、初土俵から所要12場所のスピード昇進。突き、押しを基本に組んでも、右四つから馬力を生かして前に出る相撲が身上だ。番付に初めてしこ名が載った序ノ口で優勝決定戦に臨んだ際の取材ノートには、目指す力士像として「当たって攻めて崩して攻めて、と相撲に流れがあるから」と鶴竜と妙義龍の名前が記されていた。新十両昇進会見でのそれは、兄弟子の琴奨菊になっていたが、いずれにせよ先代佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜)のような猪突(ちょとつ)猛進の相撲で今後も上を目指す。改名したしこ名にも「勝ってテッペン(=横綱)を目指す」の意味が込められている。

角界でささやかれる世代交代の波は、ここ2、3年で一気に押し寄せてきた。関取のほぼ3人に2人が平成生まれとなり、横綱・大関の平均年齢が32・2歳(秋場所番付)と過渡期にあって、この琴勝峰らの新十両昇進は1つのターニングポイントになる可能性を秘める。

九州場所での新十両昇進を同時に決めたのが、あの元横綱朝青龍のおいにあたる豊昇龍(20=立浪)だ。高校こそ日体大柏で埼玉栄の琴勝峰とは異なるが同学年。この学年には、さらに九州場所では幕下1ケタに番付を上げるであろう、関取予備軍の元横綱大鵬の孫にあたる納谷(19=大嶽)、塚原(10月12日で20=春日野)、幕下入りを目指す光宗(20=阿武松)の「埼玉栄カルテット」らが名を連ねる。高校時代にしのぎを削ったライバルに先を越され、納谷らの尻に火がつくことは間違いない。

そんなライバルたちの動向について、琴勝峰は「(入門以降は)自分でやることをやるだけだった。ちゃんと稽古をしていれば番付は上がると思っていたから、意識はなかった」という。序ノ口から先場所までの11場所で負け越しは1場所だけ。54勝23敗とハイペースで白星を重ねてきたが、初土俵が1場所遅い豊昇龍と納谷も49勝21敗で負けじと出世街道をひた走ってきた。

同年代のライバルが何人もいるのは強みだ。ライバルとの出世争いに「意識しなかった」と無表情で語る本人の言葉をヨソに、師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は満面に笑みを浮かべながら、正直な胸の内を語っていた。「私は気にしていましたよ。必ず1番で(十両に)上げてやると。あの(世代の)中で絶対に1番でと。彼ら(ライバルたち)の相撲も見てました」。その気持ちは、単に自分の弟子1人の出世だけを考えてのことではない。「一番最初に上がったことで納谷や塚原も『早く追いつきたい』といいライバル心になるでしょう。その年代が(上位に)上がって相撲界を盛り上げてくれればうれしい」。角界全体の活性化を望む気持ちだった。

プロ野球で輝かしい光を放ったのが「松坂世代」。現在の女子ゴルフでは「黄金世代」、サッカー界でも「プラチナ世代」などの言葉が一時代を築いてきた。角界にもかつて「栃若」「柏鵬」「輪湖」などの○○時代、同期生で横綱、大関らを多数輩出した「花のニッパチ」「サンパチ」「ロクサン組」などの代名詞が時代を彩ってきた。果たして数年後、大横綱のDNAを受け継ぐ豊昇竜と納谷が頂点に立ち「○○時代」を築くのか、そこに負けじと琴勝峰らが割って入り「花の99世代」(1999年度生まれ)なる代名詞が誕生するのか-。いずれにせよ、今後の彼らの精進にかかってくる。(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

霧馬山、憧れ横綱が突然兄弟子に 手本身近に成長を

霧馬山

ブレークの予感が漂う若手の十両力士が、思わぬ形で“横綱の弟弟子”になった。西十両4枚目霧馬山(23=陸奥)は目を丸くする。

「最初聞いたときは『え?』って思った。本当に急だったから」

先月16日に元関脇逆鉾の井筒親方が死去したことにより、横綱鶴竜(34)ら井筒部屋の力士3人と床山が陸奥部屋へ移籍。同じ時津風一門で連合稽古、巡業などで声をかけてもらったことはあったが、あまりの“急接近”に「今でもあんまり信じられませんね」と笑った。

23歳の霧馬山は、鶴竜と同じモンゴル出身。まだモンゴルに住んでいた小学生の頃、テレビで放送される大相撲中継で当時前頭だった鶴竜が相撲を取っていたことを覚えている。

「(幕内で)戦ってみたかったけど、教えてもらって強くなれる方がいいかな」

184センチ、129キロと細身ながら四つ身で力を発揮し、春場所の新十両昇進から着実に番付を上げて幕内を射程圏にしていた。そんなホープの上に、若手力士への指導に定評のある鶴竜が兄弟子として君臨する。

鶴竜も言葉に熱を込めた。

「(陸奥)親方に厳しく指導しろと言われているんでね。(霧馬山は)まだ体重で十両の上の方に負けているところはあるけど、いいものは持っていると思う」

7日に富山・砺波市で行われた秋巡業、朝稽古で霧馬山はおもりを持ったスクワットをするように指示された。「最初は軽いと思ったんですけど」と楽々とこなしていくが、回数をこなしていくうちに太ももが悲鳴。「もうめちゃくちゃきつかった。横綱にちゃんとした(スクワットの)やり方を指示されて、すごく効くんです」。

常に体を動かすことが性分だ。場所中も朝は20~30番相撲を取る。その日の取組が終わっても、動き足りない。部屋に戻っても40~50分、四股やすり足などの基礎運動で汗を流す。

「動いていた方が、体が軽く感じるというか、体のクスリになる」

稽古熱心な23歳は、最高のお手本が近くにいる今後を見据えて言った。

「横綱に教えられたことは他の人に言いたくないな。みんな強くなったら困るから」

強くなることを確信するように、期待に胸を躍らせて、霧馬山はちゃめっ気たっぷりに笑った。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

隆の勝「僕も乗ってます」仲良し明生の活躍横目に

4日目に霧馬山(左)を破った隆の勝(撮影・河田真司)

幕内での活躍と同時につくばエクスプレスでの「電車通勤」に注目が集まる明生を横目に、十両隆の勝(24=千賀ノ浦)がつぶやいた。「僕も、たまに乗っているんですよ」。千葉・柏市出身。帰省の際には部屋の最寄り駅である南千住駅から、柏の葉キャンパス駅までつくばエクスプレスを利用している。昨年9月に発行されたつくばエクスプレスの広報誌「TXかわら版」でも地元力士として紹介された。明生とは巡業の支度部屋では隣同士で寝るなど仲もいいだけに「負けていられないですね」と意識していた。

自身も来場所の返り入幕は確実だ。右膝の負傷などでここ5場所は幕内から遠ざかっているが、今場所は東十両2枚目ですでに9勝。今場所前から敬遠していたウエートトレーニングをやり始め、細かい筋肉がついてきたとか。ライバルに負けない活躍を、虎視眈々(たんたん)と狙っている。【佐藤礼征】

大相撲中継で名実況「あ、行司が消えた」

豪栄道と朝乃山の取り組みで土俵下に落ちた行司の木村玉治郎(撮影・丹羽敏通)

秋場所6日目、NHK大相撲中継で名実況があった。朝乃山-豪栄道戦、取組中に行司の木村玉治郎が足をもつれさせて転倒し、土俵下に落ちていった。NHKの佐藤洋之アナウンサーは、こう実況した。

「張っていきました豪栄道、もろ差し狙いだ。巻き替えた朝乃山、右四つ。豪栄道が左の前まわしを引いている。あ、行司が消えた。上手投げ~、勝ったのは朝乃山。朝乃山が勝ったんですが、玉治郎が土俵の外に吹っ飛ばされてしまいました。朝乃山、これで連日の殊勲の星です」

文字通り、玉治郎は画面中央から左へ、サッと消えた。「転倒した」「つまずいた」ではなく「消えた」と表現した言葉選びのセンス、適度に驚く抑揚、ハプニングに固執せず朝乃山の白星をたたえてフォローするなど、アナウンスの技量が凝縮され、機転が利いていた。

NHKアナウンサーの話を総合すると、実況する時は、土俵を直接見るよりも、モニターを見る方が多いという。というのも、複数のカメラで撮影された映像が切り替わるため、適宜反応しなければならないからだ。土俵でなく、視聴者と同じ画面を見ていたからこその「消えた」なのかもしれない。

AbemaTVの大相撲LIVEで実況を務めるフリーアナウンサーの清野茂樹氏は「『行司が消えた』は名実況だと思う。巻き戻して何度も見てしまった」と指摘し「最初に聞いた時はびっくりしました。取組以外のことは言わないという選択肢もあり、取組後に言ってもよかったのかもしれません。でも、記憶に残るという時点で名実況。すごくよかったと思います。速い相撲の中でズバっと言った。条件反射で言ったと思いますね」と解説。佐藤アナは同業者もうならせた。

実況だけでなく、審判や呼び出しもプロだった。

この一番で、赤房下の審判を務めた竹縄親方(元関脇栃乃洋)は、目の前を横切って消えた玉治郎に目もくれず、土俵上の力士2人を凝視し続けた。これについて聞くと「相撲を見る方が仕事だから」ときっぱり。目の前に玉治郎が落ちてきながらも水おけを守った呼び出しの照矢は、こう締めくくった。「びっくりしましたが、みんな無事で良かったです」。

【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

歴代2位の11回目 不戦勝が魁聖の活力源

青狼の休場により不戦勝の勝ち名乗りを受ける魁聖(撮影・小沢裕)

東前頭4枚目の玉鷲(34=片男波)と東十両8枚目の魁聖(32=友綱)が、不戦勝で星を伸ばした。玉鷲は鶴竜、魁聖は青狼と取組予定だったが相手が休場。実はこの2人、不戦勝の回数が歴代1位と2位タイ。玉鷲は5日目の逸ノ城戦に続く今場所2回目で通算13回目、魁聖は11回目となった。

出羽錦と並ぶ1年半ぶり不戦勝に魁聖は「コツは他のことでツイてないことかな」と笑うが、すぐに真顔で「幕内上位で取ることが多かったから」と話した。結果も内容も問われる上位は途中休場も多く、その副産物だと分析する。玉鷲は「お客さんに相撲を見せられず残念」と話した。

この1年半の間に、玉鷲に追い越された魁聖は「名前を残したい。また幕内の上位に」と活力源となっている。魁聖は現在も継続中の横綱戦37連敗という、不名誉な1位記録も保持。「そっちは抜かれないと思うけど…」。【高田文太】

嘉風引退に角界ショック 影響力の強さ感じさせた

嘉風(19年3月撮影)

関取最年長で元関脇の十両嘉風(37=尾車)が秋場所5日目の12日に日本相撲協会へ引退届を提出し、角界にもショックが広がっている。

5日目の取組後、支度部屋で「嘉風引退」を知らされると、ほとんどの関取が目を丸くしていた。年齢の近い琴奨菊は「本当にいいアドバイスをくれるんだよね。『自分を貫き通せ。(周りの意見は)全部聞き流せ』とか、なかなか言ってくれる人いないよ」。大関復帰を目指す貴景勝も影響を受けた1人だ。「自分がベラベラしゃべるものじゃない。軽くなっちゃうから」と前置きした上で「30代で真っ向勝負。自分も嘉風関の押し方をまねしたこともある」と打ち明けた。初めて幕内上位に上がったときは「上位の先入観にとらわれるな」と言葉をもらったという。幅広い年代からの支持が、影響力の強さを感じさせた。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

天国に旅立ったムギのために活躍届ける荒汐部屋勢

「荒汐部屋のモルとムギ」発売記念イベントで、若い衆の大部屋でファンと交流するムギ(16年10月撮影)

荒汐部屋の看板猫「ムギ」が5日に死んだ。部屋の若い衆によると7月に容体を崩し、足に腫れが見られたという。最初に連れて行った病院では「肉離れ」と診断されたが、食欲が出ないなど体調が回復せず、他の病院での検査で悪性腫瘍と判明。部屋でムギと最も仲が良かったという福轟力は6日、ツイッターで「肺の腺癌でした」とつづった。ムギは同じ飼い猫の「モル」とともに荒汐部屋で暮らしていた。テレビやSNSで紹介され人気を博し、16年にはモルとムギ、部屋の力士が登場する写真集「荒汐部屋のモルとムギ」(リトル・モア社)が発売されるなど、一部でブームを巻き起こした。

突然の別れに部屋で一番の兄弟子、十両蒼国来(35)は「悲しいね。本当に何を言っていいのか分からなかった…」と肩を落としていた。涙を流す若い衆もいたという。その影響か、蒼国来によると「みんな気合が入っている。特に幕下が調子が良くて、期待大だね」と熱弁。部屋全体で4日目終了時点で15勝11敗と白星が先行。天国に旅立ったムギのためにも、活躍を届けたい荒汐部屋勢だ。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

台風余波 前泊力士はリラックス…しすぎて負けた

台風15号の影響で混乱するJR新木場駅=9日午前11時半(撮影・鹿野芳博)

9日の台風15号は、相撲界にも大きな影響を及ぼした。取組は30分遅らせて午前9時10分開始。それでも電車のダイヤが乱れた影響で、序ノ口から取組に間に合わない力士が続出した。序ノ口が4人、序二段が10人、三段目が1人。千葉・鎌ケ谷市の朝日山部屋、同松戸市の佐渡ケ嶽部屋など、墨田区の両国国技館から離れた地域の部屋の力士が多かった。計15人、13取組を後に回す特別措置を取り、不戦敗などにはしなかった。

茨城・つくばみらい市の立浪部屋は、序二段1人が遅れただけだった。部屋関係者は「つくばエクスプレスの終点、秋葉原から歩いた力士も何人かいた」と、約2キロを自力で移動していたと明かす。この日は普段見かけない街中にも、力士が出現したようだ。

前泊した部屋もあった。西武線沿線に唯一構える、埼玉・所沢市の二子山部屋は、東京・台東区のホテルに全9人の力士が宿泊した。9人中8人が2日目に取組があったため、全員がシングルルームに宿泊。相撲部屋は関取になるまで個室を与えられないことが多い。久々のプライベート空間を体験し、同部屋の若い衆の1人は「リラックスできたけど、リラックスし過ぎて負けました…」と頭をかいた。取組に遅れた力士は15人中11人が白星。準備万全だから勝てるものでもないようだ。【高田文太】

貴景勝の判断力、回転の速さは取材対応でもピカイチ

貴景勝(2019年9月3日撮影)

「ごめんね」。そんな気遣いの一言が、いくつ年齢を重ねても、うれしいものだと感じたことがあった。今月5日、千賀ノ浦部屋での稽古後だった。1場所での大関返り咲きを目指す関脇貴景勝(23=千賀ノ浦)が、テレビカメラも撮影する中で取材に応じた。新大関で迎えた5月の夏場所中に右膝を痛め、7月の名古屋場所は全休。わずか2場所で陥落した大関の座に、10勝以上で復帰できる秋場所(8日初日、東京・両国国技館)前の稽古を打ち上げた直後の取材対応。最後に発した自分の質問に答えなかったことに対し、申し訳なさそうに謝ってきた。

その日は、同部屋の十両貴ノ富士による、2度目の付け人への暴力が判明した2日後だった。前日4日の稽古後は、貴景勝は無言だった。それでも秋場所は注目の的であることを理解し、5日は約30人の報道陣を前に、取材に応じた。これまでの調整、現在の状態、秋場所への意気込みといった質問に次々と回答。そこで、貴ノ富士の暴力問題に話題が及んだ。現在の心境を問われると「自分はやるべきことをやるだけ。自分には全く影響はない」と言い切った。そして私が「何か貴ノ富士関とは話したか?」と聞いた。すると「もういいですか」と話し、取材を打ち切った。

テレビクルーが撮影をやめ、取材の輪が解けた時に貴景勝が話しかけてきた。「ごめんね。師匠(千賀ノ浦親方=元小結隆三杉)がこの件について話していないのに、一力士のオレが話すわけにはいかないから」。貴景勝自身の立場、師匠の立場も理解した上で、最後の質問に答えなかったのは最良の選択だった。貴ノ富士の暴力問題については、現在、コンプライアンス委員会が調査中。日本相撲協会は、調査結果をふまえて、どのような暴力が振るわれたかなど、詳細を発表するとしている。それだけに、千賀ノ浦親方は一貫して「その件は(相撲協会)広報部に任せている」と話している。

それでも、最後の質問を無視した形となったことを申し訳なさそうにした。貴ノ富士に関する質問をしなければならない、報道陣の仕事も理解している。テレビカメラが撮影を続け、毅然(きぜん)とした態度を取らなければならない状態とはいえ、非礼と思ったのだろう。そんな気遣いが、うれしくないわけはなかった。

質問された瞬間、さらには取材後のフォローと、23歳とは思えない対応の連続だ。取材中も、貴ノ富士に関する質問に一切答えないわけにもいかないと理解し、暴力問題を受けて、あくまでも自分の内面についてだけは語った。判断力や頭の回転の速さには驚かされる。土俵での瞬時の対応の速さもうなずける。大関返り咲きのかかる場所だが「(秋場所で)成績が良くなくても腐らず、3年、5年先を」と、将来を見据える。末恐ろしいと感じずにはいられなかった。【高田文太】

弓取り式も危機管理“2人目”将豊竜が選ばれた理由

将豊竜(2019年7月11日撮影)

打ち出し前の弓取り式。巡業部の花籠副部長(関脇太寿山)は緊張した面持ちで土俵上を見つめていた。「だいぶ良くなってきましたよ」。大相撲夏巡業が北海道・函館市で行われた16日、弓取り式を務めていたのは横綱鶴竜の付け人、幕下将豊竜(22=時津風)。横綱同士の結びの一番が終わって登場した将豊竜は、大歓声の中で堂々と儀式を全うした。

弓取り式も“危機管理”が問われているようだ。7月28日から始まった今巡業ではここまで20日間、弓取り式は横綱白鵬の付け人、三段目春日龍(35=中川)と将豊竜が半分ずつ務めた。昨年春場所から主に春日龍が担当していたが「もしものことがあったら、困るからね」と花籠副部長。伝統儀式の大役を務められる力士が1人では心もとない。巡業で見せ物として人気の初っ切りも、不測の事態に備えて「3人目」を常に準備させているが、弓取り式は用意していなかったため、4月の春巡業中に「できるか?」と将豊竜に打診したという。

その春巡業で3度、弓取りを務めた将豊竜は当時「もう全然ダメです…。動きが硬くなってしまった」と肩を落としていた。素人目には分からなかったが、ぎこちなさが抜けなかったという。今巡業でも、付け人業務の合間を縫って練習している様子で「まだまだ全然勉強の身。春日龍さんに教わりながらです」と謙虚に話していた一方、花籠副部長は「安定感が出てきましたね」と目を細めた。

なぜ将豊竜を選んだのか? ズバリ選考基準は「度胸があるかどうか」。フィーリングで決めたという。幕下ではあるが、将豊竜は170センチの小柄な体格でその番付まで上がっているだけに「それなりの度胸があるということ」と花籠副部長は評価する。てっきり手先の器用さなどを加味しているものかと思っていたが、それらを超越したものが大事らしい。

花籠副部長は「(25日の)KITTE場所でもできたら。まだ決まってはいないけど(秋)場所でも3日くらいやらせてみようかなと思っているよ」と話していた。本当にデビューするかどうかは分からないが、そのときは要注目だ。

【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

頑張ってほしい“おっさん”32歳栃煌山

栃煌山(2016年9月11日撮影)

年は取りたくない。名古屋場所が終わり、大阪に戻って家で朝起きたら、右肩が痛い。肘を曲げても、前後左右、どっちに腕を振っても脂汗をかくほど痛い。我慢できず病院に行った。「先生、これって、いわゆる50肩ですか?」。すると即答で「そうですよ。気をつけてくださいね」。…気をつけるも何も、寝てただけやのに…。54歳にもなると、若い頃には想像もせんかったことが起こるもんです。

そう言えば碧山がよく年のことを口にします。「僕もう、おっさんですよ、おっさん」。いやいや、まだ33歳やん。「そうですよ、もう33歳ですよ。おっさんですよ」。…相撲の世界では確かにそうか。

体重150キロ以上が当たり前の関取衆は、一般人には想像もつかん負担を体に掛け続けてます。毎日稽古して、年に6場所、計90日もガツンと相撲をとってるわけで程度の差こそあっても膝、腰、首と体中を痛めてします。おまけに場所の合間は巡業で全国行脚。バス移動がほとんどやけど、これがまたきつい。何せ、あの巨体です。長時間座ったままやと腰に来るしね。そうなると、ゆっくりけがを治す暇もない。

今、頑張ってほしい、心配に思う“年頃”のお相撲さんが何人かいますが、32歳の栃煌山もその1人です。

07年春場所の新入幕から幕内の座を74場所守ってきた。ちなみに現役では白鵬の91、琴奨菊の85、鶴竜の76に次ぐ4番目の記録やから、すごいことです。ところが、東前頭12枚目で迎えた名古屋場所は5勝10敗と負け越した。秋場所の幕内キープは微妙な状況です。

彼はすごく真面目です。朝稽古では全体メニューが終わった後、居残りで付け人相手に立ち合いの確認をするのがルーティン。最近は自分の“軽さ”が気になっているようで「踏み込み、立ち合いの低さ、強さ」を求めて、四股、てっぽう、すり足、股割りといった相撲の基礎稽古を見直す日々を送っています。186センチ、156キロの体は、大型化が進む角界ではむしろ小柄の部類に入りつつあるのも事実。名古屋場所では「1歩目はよくなってきたんですけど、まだ2歩目以降でなかなか力が(相手に)伝わらない」とこぼしてました。

もう2歳になる長女稟(りん)ちゃんがいます。「パパって呼んでくれるようになったんですけど、僕やなく、壁に貼ってる僕のカレンダーを指さして“パパ、パパ”言うんですよね」。稟ちゃんが物心ついて、はっきり「パパ」とわかるまで、三役の常連やった“強い栃煌山”であるために、あと一踏ん張りも二踏ん張りもせなあきません。

私たちマスコミはどうしても新鮮な若手、新顔に飛びつきがちです。でも、いわゆる“おっさん”つまりベテランが強くて初めて、若手も輝く。栃煌山のような踏ん張りどころのお相撲さんに注目して、ぼちぼち秋場所取材の準備を始めようかと思ってます。50肩を治してから。【加藤裕一】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

貴ノ富士「きつい時間が幸せ」暴行、謹慎を経た思い

大相撲夏巡業の稽古後、親方衆にアドバイスを受けた貴ノ富士(右端)(2019年8月8日撮影)

「今は、きつい時間が幸せです」。十両貴ノ富士(千賀ノ浦)が、つぶやいた言葉には、22歳にして重みと深みがあった。現在、夏巡業中。バスでの移動時間も長く、暑さは日を重ねるごとに体力を奪っていく。加えて7月の名古屋場所中に左足甲を痛めているが、連日、巡業の稽古土俵に上がっている。そんな、きつい時間への充実感を、素直に口に出せるようになったことが、何よりもうれしそうだった。

今年1月の初場所で改名するまでは、貴公俊のしこ名で土俵に立った。その名を最も有名にしたのは、貴乃花部屋時代の昨年3月、新十両として迎えた春場所8日目に支度部屋で起こした付け人への暴行騒動だった。翌9日目から謹慎となり、同場所は途中休場。続く夏場所も謹慎で休場した。本場所にも、関取として初めての巡業にも、出たくても出られない-。ちょうどそのころ、双子の弟の貴源治、同部屋の貴景勝は、番付を上げ、活躍していた。自分の未熟さを悔いても、時間は戻らないもどかしさと葛藤する日々だった。

そんな時に先代師匠の貴乃花親方(当時)から「どん底まで落ちて、はい上がるのが英雄だ」と、声を掛けられたという。貴ノ富士は「あの時は『英雄って何だよ』『どん底って何だよ』って、素直に声を聞くことができなかった。でも今は、少しは理解できる気がする」と振り返る。遠回りをしたからこそ、共感してくれる人や、応援してくれる人が増え、その支えに恩返ししたいという力がわいてくる。土俵に集中できる、当たり前と思っていたことにも感謝できるようになったという。

名古屋場所では初めて十両で勝ち越した。しかも優勝争いにも名を連ねる11勝4敗の好成績。なかなか暴行と切り離されない報道に、一時は嫌気も差したというが、今は乗り越えた。謹慎明けの昨年名古屋場所は西幕下49枚目。関取返り咲きは容易ではない位置まで番付を落とした。それでも、幕下で4場所連続で勝ち越し、今年春場所で再十両。負け越して再び幕下に陥落したが、夏場所では7戦全勝で初の幕下優勝を果たした。

「年6場所あると、けがも増える。けがが増えれば、番付が落ちる可能性もある。きっと、横綱まで上り詰めた人にとっては、地位を守らないといけないから、けがのリスクもあるし、年6場所も必要ないと感じるのだと思う。でも、上がっていく人にとっては、チャンスが年6回もある。今の僕もそう思えるようになった。休んでいる暇はない」。来場所は自己最高位が確実。はね返される度に、挫折を味わう度に、一回り強くなって帰ってくる。波瀾(はらん)万丈の力士人生も「もしも将来『貴ノ富士物語』ができたとしたら、この年齢で、これだけいろいろあるから、面白い内容になるかもしれませんね」と笑う。最後に「英雄」となる物語だとすれば、まだまだ序章にすぎないのかもしれない。【高田文太】

十両貴ノ富士

アキラさんお疲れ様…横綱と苦楽共にした仲間が定年

特等床山の床蜂氏(右)にまげを結ってもらう白鵬(撮影・河田真司)

「アキラさん、50年間お疲れさまでした!」。横綱白鵬(34=宮城野)が花束を手渡すと、アキラさんは照れ笑いを浮かべながら、周囲に一礼した。名古屋場所千秋楽、西の支度部屋。アキラさんとは、名古屋場所が定年前最後の場所となる特等床山の床蜂(64=宮城野、本名・加藤章)。04年の白鵬の新十両以来、15年間白鵬の大銀杏(おおいちょう)を結ってきた。角界には13歳で入門。これは床蜂いわく「少なくとも自分が入ってからは見たことない年齢」という。入門の経緯は父と先代宮城野親方(元横綱吉葉山)に共通の知人がいたため。以降、北の湖や千代の富士ら数々の横綱を担当してきた。最後に横綱のまげを結い終えると「いよいよ次の世代に譲るんだなあと、不思議な気分ですよ」と話し、目尻を下げた。

白鵬を「命の恩人」と呼んでいる。数年前の春場所のこと。起床時から体調が悪く、人生で初めて吐血するほどだった。朝稽古後、白鵬のまげを結っている最中には顔が真っ青になり、汗だくに。職人気質の床蜂は「場所に行く」と言い張っていたが、白鵬に「今日は(場所に)行かないで検査を受けた方がいい」と強く勧められて翻意。病院で検査を受けると胃と食道の間が5センチほど切れており、10日間の入院を強いられた。「医者には『あとちょっと病院に来るのが遅かったら命の保障はできない』と言われた」と床蜂。白鵬の一言が無ければ最悪の事態に陥る可能性もあったという。「長くやっているとそういう運命的な部分もあるのかな、と思う。あれがなければ最後までできなかったかな」。数々の記録の裏で、常にそばにいた存在。白鵬も床蜂のことを「仲間」と表現する。優勝こそ逃したものの「出られて良かった」とすがすがしい表情を見せた。

第2の人生を歩む床蜂。「趣味がないんだよね、見つけなきゃ」。8月の“夏休み”に向けて、妻との旅行計画を練っているという。【佐藤礼征】

初めて横綱のまげを直し「夢がかなった」床竣

47歳差の世代交代!? 11日目の打ち出し後、西の支度部屋。不戦勝の横綱白鵬のまげを直しているのは、17歳の五等床山、床竣(宮城野)だった。入門時から白鵬のまげを結ってきた特等床山の床蜂(64=宮城野)が、今場所限りで定年退職。床蜂から「経験した方がいい」と抜てきされた。部屋で横綱のまげを結ったことはあるが、本場所では初めて。「夢がかなった」と、目を輝かせた。

11日目、白鵬(手前)のまげを結う床竣

鳥取・湖東中を卒業して昨年5月から部屋に住み込み、今年の2月に協会から採用が認められた。幼い頃からテレビを通じて大相撲に興味を持ち、中2だった16年に鳥取市出身の石浦の新入幕パーティーで白鵬と出会った。当初は呼び出しを希望していたが、部屋から「いま床山が少ない」と言われ、宮城野部屋に体験入門。床蜂の洗練された仕事を見て、床山として入門することを決めた。

床蜂によると、白鵬の大銀杏(おおいちょう)を担当する“後継者”は未定。それでも、初めて本場所でまげを直すと横綱から「これからよろしくね」と声を掛けられ「身が引き締まりました」と床竣。偉大な大横綱に、少し認められた気がした。【佐藤礼征】

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。