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大相撲裏話

賛否渦巻く九州場所PRイベント「腹タッチ会」誕生のきっかけはアーティストのハイタッチ会!?

日本相撲協会のホームページから

こっ、こっ、これは一体(汗)-。大相撲夏場所中に発表された九州場所PRイベント「人気力士が集結!みんなで触ろう!腹タッチ会!」について、あまりの斬新な企画に目が点になった。6月11日、福岡市内で幕内力士5人が参加し「握手会ならぬ力士参加イベント、その名も『腹タッチ会』!」が行われ、当日はお笑い芸人の蛍原徹がイベントMCを務めるそうだ。

日本相撲協会のイベント発表直後からツイッター上では話題になり、たちまちトレンド入りした。「ユニークなイベントですね」「国技館でも、お願い致します」「めっちゃ面白そう」「ぶっ飛んだ企画だな笑」と賛同する声がある一方で、「握手会やサイン会でも、人は集まると思うのですが」「力士の身体をなんだと思ってるんでしょう」「お相撲さんって神聖な存在だと思ってたんだけど。腹タッチ会って…」「力士の安全は本当に確保されるのかな?」など反対意見も根強い。

賛否両論が渦巻くイベントについて、九州場所担当の親方に聞いてみた。不知火親方(元小結若荒雄)は、「11月の九州場所が終わった後も、大相撲の盛り上がりを持続するためにどうすればよいか考えてきました。今回のPRイベントはその一環です」と説明。名古屋、大阪といった他の地方場所のように地元の人たちが大相撲を継続的に親しむ土台を作ろうと躍起だが、一体なぜ腹タッチ会なのかという問いには「詳しいことは秘密です」と明言を避けた。そして、「当日ぜひ会場にお越し下さい」とけむに巻かれてしまった。

協会関係者によると、腹タッチ会の企画のきっかけは、福岡で行われたアーティストのハイタッチ会を知ったことだという。推しのアーティストとハイタッチするために会場へ足を運ぶファンの心理を、力士たちのイベントでも応用できないかと考え、ハイタッチ会ならぬ腹タッチ会が生まれたようだ。「SNSで賛否両論があることは承知してますが、まずはやってみて」と実施に向けて着々と準備を進めている。

幕内力士にも聞いてみた。いずれも初めて知った様子で、「腹を触られるためだけに福岡に行くんですか!?」と逆質問されたり、「巡業でも勝手に触ってくるファンの方がいて…」と驚きと同時に戸惑う力士もいた。ある九州出身の力士は「良いと思うんですが、地元なのにお呼びがかからなかったらどうしよう」と別の心配も。多くがイベントについて「ファンが喜ぶなら」と賛同していたが、ある力士は「このイベントに品格はないですよね」という意見もあった。

イベントでは他に「僕らの九州場所」「九州場所差し入れ争奪!歌いっぷり歌謡ショー!」「この際、言わせていただきます!関取!良いとこじゃいけん!?」が実施予定。近く、当日参加する幕内力士5人が発表される。【高田文太、平山連】

照ノ富士と親交深いAK-69絶賛「共演直後に優勝。"持ってる"」“ガナ”として歌詞にも登場

横綱照ノ富士(左)とヒップホップ歌手のAK-69(写真提供・Flying B Entertainment)

<大相撲夏場所>◇14日目◇27日◇東京・両国国技館

ヒップホップ歌手のAK-69(44)の約1年ぶりの新曲「Ride Wit Us」が、今場所からABEMAの番組「大相撲LIVE」の公式テーマソングとして採用されている。目標に向かって挑戦を続ける人たちの心を震わせる楽曲に仕上げた。親交の深い横綱照ノ富士が愛称である“ガナ”として歌詞に登場したり、ミュージックビデオにも出演している。

「7回転びゃ8回起きるぞ ガナならマイメン♪」という歌詞には、大関から序二段まで落ちながら復活し、横綱に上り詰めた男の生きざまを感じさせる。ミュージックビデオには露払いの錦富士と太刀持ちの翠富士を従えて、堂々と横綱土俵入りを披露する姿も収録した。

作曲に当たってAK-69は実際に伊勢ケ浜部屋を訪れ、稽古の様子を見学した。間近で感じ取った力士たちの気迫、稽古場の空気感を体感した上で制作に臨んだという。

千秋楽を待たずに8度目の優勝を飾った友へ。AK-69は「横綱ということで、皆から優勝して当たり前と思われる立場だと思います。その中で度重なるケガをおしてでも出場して、横綱としての責務を全うするという不屈の精神力が、今場所は表情にも出ていたし、本当に気合ほとばしる場所だったなと感じましたね。楽曲やMVでの共演直後に優勝という結果をもたらすっていうのは”持ってる”とともに、本当にものすごい努力が生んだ結果なんだろうなって、近くで見てても思わせて貰えた良い場所だったんじゃないかなと思います。本当におめでとうございます」とたたえた。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

霧馬山(左)を寄り切りで破り優勝を決めた照ノ富士(撮影・中島郁夫)
霧馬山(左)を寄り切りで破り優勝を決めた照ノ富士(撮影・中島郁夫)
霧馬山(下)を寄り切りで破り優勝を決めた照ノ富士(撮影・中島郁夫)
霧馬山(下)を寄り切りで破り優勝を決めた照ノ富士(撮影・中島郁夫)
照ノ富士は霧馬山(左)を寄り切りで破り幕内優勝を決める(撮影・小沢裕)
拍手を浴びながら花道を引き揚げる照ノ富士(撮影・中島郁夫)
幕内優勝を決めた横綱照ノ富士は支度部屋の囲み取材で顔の汗をぬぐう

やくみつるさん書き下ろし絵馬が相撲博物館で限定授与中 相撲みくじと並ぶ上々の人気ぶり

やくみつるさんの書き下ろした絵馬(撮影・平山連)

好角家で漫画家のやくみつるさん(64)の書き下ろした絵馬(各1000円)が、夏場所開催期間中に相撲博物館で限定200枚授与されている。

相撲の神様「野見宿禰(のみのすくね)」を祭る野見宿禰神社とのコラボ企画。雲竜型の綱を締めた横綱が神社に向けて土俵入りを披露する様子が描かれており、「絵馬を通じて、地元にある神社へのありがたみを感じてもらえるきっかけになれば」と願っている。

やくさんは過去に絵馬の絵図を手がけた経験を生かしながら、使用されている木材に自分の指定した色がくっきり出るようこだわった。下書き、ペン入れなどを繰り返し3種類のデザイン案を入稿。専門会社が担当した出来栄えはまるで版画のように思い描いた色合いになっていたと仕上がりにも満足。「相撲の歴史を感じられる古風なグッズの制作に携われたことはうれしい。国技館に来たお客さんが記念にと手に取ってくれたら」と期待する。

気になる反応は、というと、相撲協会の担当者は「限定品ですので、千秋楽まで残るように調整しています」と上々の人気ぶり。今年の初場所から始まった相撲みくじ(1回400円)と並んで注目されているという。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

漫画家のやくみつるさんの書き下ろした絵馬などが並ぶ相撲博物館内にある野見宿禰神社の授与所(撮影・平山連)
愛くるしい相撲みくじも授与されている(撮影・平山連)
相撲みくじを引いてみると、「平幕」だった(撮影・平山連)

珍名力士そろう式秀部屋に新たな珍名誕生「阪神ファンかと間違えられる」と本人苦笑いのしこ名は

二本松時代の爆虎神千将(2022年11月撮影)

ユニークなしこ名の力士が多く所属する式秀部屋に、今場所から新たな珍名が加わった。

西序二段90枚目の爆虎神千将(23、ばくこしん・せんすけ)。17年春場所で初土俵を踏み、「佐藤桜」→「二本松」としこ名を変えてきた。今回について「阪神ファンなのかと間違えられるんですが…」と苦笑いしつつ、中国の春秋戦国時代を舞台とした人気漫画「キングダム」に登場する好きなキャラクターが由来と説明した。

この作品が好きだという爆虎神は「先陣を切って敵軍に攻め入る姿がかっこよかった」と武将の縛虎申(ばくこしん)の生きざまに感化された。先場所中に師匠の式秀親方(元前頭北桜)に相談し、改名の了承を得た。「やるか、やられるかの戦いは、土俵の上でも同じ。自分から前に出て果敢に攻め込んで、白星をつかみたい」。その効果か、2連敗後に2連勝で星を五分に戻してきた。

同部屋にはほかに、爆羅騎(ばらき)、大当利(おおあたり)、宇瑠寅(うるとら)、我妻桜(あがづまざくら)などの珍名力士がいる。式秀親方は「しこ名は力士にとっての看板。本人たちの意欲や頑張る起爆剤につながったら」と期待した。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

床山から華麗なる転身「ちょんまげも結える美容師」目指し勉強中 角界7年在籍した志賀龍さん

床山の床玉として、かつて日本相撲協会に所属した志賀龍さん。現在は美容師を目指している(撮影・平山連)

20年9月まで日本相撲協会に所属した床山の床玉こと志賀龍さん(25)が、新天地で奮闘している。同じ髪を扱う仕事でも、今度はちょんまげも結える美容師を目指して一念発起。通信制の専門学校に通いながら、千葉県内の美容院でアシスタントを務める。将来は「床山と美容師という自分にしかない2つの経験を生かして、海外で活躍したい」と夢を膨らませている。

祖父は元関脇の初代栃東で、おじは元大関栃東の玉ノ井親方。物心がつく頃から相撲は身近な存在だったが、力士になるには体が小さかった。図工や美術が得意で手先が器用だったため、中学卒業と同時に床山を目指して玉ノ井部屋に入門。その後、床山の空きがでて15年10月に協会に採用された。稽古や本場所の取組後にまげを整えたり、巡業に帯同して大銀杏(おおいちょう)を結う機会にも恵まれた。角界には約7年在籍。力士たちの髪を結う自分が夢に出てくるほど色濃い日々だった。

現在はスタイリストと協力しながら、時間内にお客さんの要望に合わせて繊細な髪を手入れする。床山としての経験が「(新天地に)生かされています」と胸を張った。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

2020年9月まで床山の床玉として日本相撲協会に所属した志賀龍さん。現在は美容師を目指している(撮影・平山連)
2020年9月まで床山の床玉として日本相撲協会に所属した志賀龍さん(中央)。現在は美容師を目指している(志賀さん提供)
2020年9月まで床山の床玉として日本相撲協会に所属した志賀龍さん(中央)。現在は美容師を目指している(志賀さん提供)
2020年9月まで床山の床玉として日本相撲協会に所属した志賀龍さん(中央)。現在は美容師を目指している(志賀さん提供)

安治川親方、独立から「ずっと走り続けています」多忙極めるも表情は充実感でいっぱい

「人と人との縁を大切にしてきたい」と語る元関脇安美錦の安治川親方(撮影・平山連)

部屋の運営、仮住まい先から移転作業、新弟子のスカウト、弟子たちの指導、巡業の先発親方、場所中の勝負審判…。昨年12月に伊勢ケ浜部屋から独立した安治川親方(元関脇安美錦)の仕事を挙げると、一体いつ寝ているのか心配になるほど多忙だ。「独立してから、ずっと走り続けています。明日のことは考えられないですよ」と笑う表情は充実感でいっぱいだ。

新弟子獲得のために4月には沖縄や北海道に行ったり、6月中旬に東京・江東区石島に創設する安治川部屋での部屋開きに向けて準備する。部屋付き親方やマネジャーはいないため、おかみの力を借りながら一手に請け負う。明るい雰囲気にしようと稽古場の壁の色にこだわるなど細部まで突き詰めることは大変だが、一から作り上げるやりがいが勝る。

早大大学院スポーツ科学研究科時代を通じて得た俯瞰(ふかん)的な視座を今後生かしていく考えだが、「相撲部屋は力士が主役。私たちはサポート」というスタンスは変わらない。「弟子たちが相撲に集中できる環境を整えながら、お祭りなど地元行事に積極的に参加して地域の活性化につなげたい」と意気込んだ。【平山連】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「これで成績悪ければ何を言われるか分からない」元兄弟子からの暴力といじめ告発した安西の決意

1月14日、取組に臨む安西

陸奥部屋で元兄弟子(4月に引退)からの暴力を受けたと告発した西三段目90枚目の安西(やすにし、21)が、新屋敷を寄り倒して白星発進した。

「一番緊張しました。とりあえず勝ってホッとしました」と喜び、心機一転して土俵に向かう決意を見せた。

初土俵を踏んだ2020年7月場所の数場所たった頃から元兄弟子の暴力や暴言に悩まされた。限界が来て、今年1月に師匠の陸奥親方(元大関霧島)に報告。相撲協会にも事態を訴えた。ただ、いつまで待っても事実が公にされなかった対応に疑問が湧き、週刊誌を通じて告発した。実名で語ったのは「なぜ隠すのか疑問に思った」から。憧れて入った大相撲の世界。2度と同じようなことが起きてほしくない一心だった。騒動を受け、師匠からも「俺は処分が決まったら受け入れる」と言われた。

母子家庭の1人息子として育ち、福岡県内に暮らす母からは気遣う言葉もあった。心配をかけまいと、母の日から1日遅れで白星をプレゼント。「これで成績が悪ければ、何を言われるか分からない。勝ち越しは当たり前。1日一番しっかり頑張る」。現役を続行する21歳は決意を語った。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

春場所横綱不在でも、大阪には「道頓関」がいる!? 日本文化紹介にも効果絶大

大阪グルメを堪能し、ほろ酔い気分で帰っていた道すがら。目に飛び込んできた力士像にくぎ付けになった。道頓堀川に面した商業施設「DOTON PLAZA大阪」(道頓プラザ)の一角に置かれた、高さ2メートル以上ある「道頓関」だ。後ろに回ってみると、結び目の輪が1つの雲竜型の綱を締めている。これは横綱なのか。色めきだって写真を撮っているうちに、なぜここにあるのかと疑問が湧き同施設に聞いてみた。

道頓プラザの一角に置かれた「道頓関」(撮影・平山連)

道頓プラザの一角に置かれた「道頓関」。結び目の輪が一つの雲竜型の綱を締めている(撮影・平山連)

「まさか注目していただけるとは」と恐縮する道頓プラザの担当者によると、外国人観光客に日本文化に親しんでもらう狙いで開業(2016年4月)した約3カ月後に設置した。縦2メートル、横2・3メートル、奥行き2メートル、総重量は約350キロの巨大モニュメント。気になるお値段は「企業秘密です」。横綱の力士像を制作したのは「大相撲の最高位である横綱。その力強さを感じてほしかった」からと言い、道頓堀にちなんで道頓関と名付けた。

道頓プラザの一角に置かれた「道頓関」(撮影・平山連)

「道頓関」が置かれた道頓プラザ近くを流れる道頓堀川(撮影・平山連)

勇ましい顔立ちは第55代横綱の北の湖、筋肉質な体つきは第58代横綱の千代の富士にどことなく似ているが、「モデルはいないようです」。それでも「記念写真を撮って楽しんでいるお客様も多いです」と効果は絶大なようだ。道ばたで遭遇した横綱の力士像を眺めながら、次の横綱は一体誰になるか。そんな考えを巡らせた。【平山連】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

50年語り継がれる倉吉の英雄、第53代横綱琴桜の記念館に16万人超

元横綱琴桜の墓。土俵入りの像と「忍」の文字がある

鳥取・倉吉市内にある第53代横綱の琴桜の記念館(撮影・平山連)

横綱昇進から50年。その功績は決して色あせることはない。鳥取・倉吉市にある第53代横綱琴桜の足跡を紹介する記念館。化粧まわし、明け荷、活躍を伝える当時の新聞記事や写真などがところ狭しと飾られている。その中に、先月から横綱誕生50年を振り返る展示が加わった。鳥取県一帯を巻き込んで行われた昇進パレードの様子、故郷・倉吉に戻ってきた時の盛り上がりを伝えている。

鳥取・倉吉市役所近くにある第53代横綱琴桜の記念碑(撮影・平山連)

鳥取・倉吉市内にある第53代横綱の琴桜の記念館(撮影・平山連)

鳥取・倉吉市内にある第53代横綱の琴桜の記念館にある巨像(撮影・平山連)

1973年(昭48)初場所を14勝1敗で優勝して綱とりに成功した琴桜は、年6場所制が定着した58年以降、最年長の32歳1カ月で横綱昇進。横綱在位はわずか8場所だったが、今も語り継がれる郷土の英雄だ。2011年(平23)開館の同館は延べ16万3000人超が訪れる人気ぶり。担当者は「今年中に17万人を目指します」と意気込む。

第53代横綱琴桜の記念館にはゆかりの品がところ狭しと飾られている(撮影・平山連)

第53代横綱琴桜の記念館に飾られた写真。左から第53代横綱琴桜の先代佐渡ケ嶽親方、小結琴ノ若、佐渡ケ嶽親方(撮影・平山連)

第53代横綱琴桜の記念館には、横綱昇進から50年を振り返る展示も並ぶ(撮影・平山連)

第53代横綱琴桜の記念館に飾られている横綱推挙状(撮影・平山連)

春場所中は小結琴ノ若ら佐渡ケ嶽部屋の力士たちと地元出身の新十両、落合の星取表が並び、館内をさらに活気づける。倉吉ゆかりの力士の中から、次の横綱が現れる日は果たしていつになるか-。天国から見守っている琴桜も同じく気にしているだろう。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

貴景勝も絶賛、常盤山部屋の味 元太一山・矢ケ部克将さんのちゃんこ店が大人気

「ちゃんこ居酒屋太一山」を切り盛りする元幕下太一山の矢ケ部克将さん(撮影・平山連)

常盤山部屋に所属した元幕下太一山の矢ケ部克将さん(25)が切り盛りする「ちゃんこ居酒屋太一山」が活気に満ちている。昨年5月の夏場所を最後に現役引退し、大阪のJR北新地駅ほど近くの雑居ビルの一角にオープンして初めて迎える春場所。開催中は既に予約客でほぼ満席だ。

お客さんのお目当ては、大関貴景勝も絶賛した「とりしおちゃんこ」(1人用1500円)。常盤山部屋に伝わる味をベースにし、独自のアレンジも加えた逸品だ。濃厚なスープに浸された野菜、鶏肉、鶏団子は食欲をそそり、鍋のしめにラーメンやご飯を注文する人も少なくない。

「料理はセンス」と豪語する矢ケ部さん。現役時代は貴景勝や隆の勝らの付け人として、休みの日には自ら調理場に立って料理に腕を振るうこともしばしばあった。本人いわく“付け人もこなせるちゃんこ番”。開業してからまだ半年ほどだが、うわさを聞きつけて著名人も多数来店している。10席の手狭な店だが、今後さらに拡大も視野に入れる。「もっとちゃんこ鍋を身近に食べてもらえるようにしたい」と意欲満々だった。【平山連】

「ちゃんこ居酒屋太一山」名物のとりしおちゃんこ(撮影・平山連)
厨房に立つ元幕下太一山の矢ケ部克将さん(撮影・平山連)

琴恵光、入門16年かけ通算500勝「コツコツとやる勤勉さがある」父 祖父は元十両松恵山

金峰山(下)をすくい投げで破った琴恵光(撮影・鈴木正人)

入門から16年にして、通算500勝を達成した。

平幕の琴恵光(31=佐渡ケ嶽)が、カザフスタン出身の新入幕、金峰山をすくい投げで5勝目を挙げた。「しっかり先手を取り、自分らしい動きのある相撲ができた」と納得の表情。節目の白星に「今までやってきたことがつながっているのかな」としみじみと話した。

宮崎・延岡市の実家はちゃんこ店を営み、祖父は元十両松恵山。亡き祖父を追いかけるように、中学卒業と同時に佐渡ケ嶽部屋へ。上京する際に最寄り駅は見送る級友でごった返した。学校を早退して駆けつけた高校生の姉は人知れず泣いた。母の柏谷多美さん(59)は厳しい相撲界に送り込むことを心配していたが、最後は背中を押すしかなかった。「何をするにも迷うタイプのあの子が、相撲界でチャレンジしたいと言って揺るがなかったの」。

14年九州場所で新十両。その後幕下陥落と苦渋を何度も味わってきたが、愚直に稽古を続けた。18年名古屋場所で新入幕。浮き沈みの激しい相撲界で、休場は新型コロナ関連による昨年の名古屋場所での途中休場のみ。父の正倫さん(59)は「コツコツとやる勤勉さがあるから幕内で戦えてるんだろう」。176センチ、129キロと決して体は大きくないが、心は静かに燃えている。琴恵光は「明日も先手を取って自分から攻める相撲で」と信じた道を突き進む。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

琴恵光の父、柏谷正倫さんと母の多美さん(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。父の柏谷正倫さん(左)と母の多美さん(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」には、最寄り駅から佐渡ケ嶽部屋に向けて出発した日の写真も飾られている(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」では、本場所開催中になると、店内の星取表が関取の活躍を伝えている(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」に置かれた琴恵光のパネル(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。店内には我が子の多数の写真が並ぶ(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。開店に向けて準備する父の柏谷正倫さん(撮影・平山連)
店内には多数の琴恵光の写真やパネルが並ぶ(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」。店内には明け荷を模したテッィシュ箱もある(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」(撮影・平山連)
宮崎名物のチキン南蛮も食べられる(撮影・平山連)
ソップ味のちゃんこ鍋も味わえる(撮影・平山連)
人気メニューの地とりもも焼き(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」で人気メニューのえび南蛮(撮影・平山連)
琴恵光の両親が営む宮崎・延岡市の「ちゃんこ松恵」に飾られてている琴恵光の写真(撮影・平山連)
「ちゃんこ松恵」で親しまれてているみそ味のもつ鍋(撮影・平山連)
金峰山(左)をすくい投げで破る琴恵光(撮影・和賀正仁)
金峰山(左)を攻める琴恵光(撮影・鈴木正人)
金峰山(左)をすくい投げで破る琴恵光(撮影・和賀正仁)
金峰山(右)をすくい投げで破る琴恵光(撮影・鈴木正人)

新十両の落合が幼い頃から利用する鳥取・倉吉市の扇雀食堂に“令和の怪物”セット誕生

新十両の落合が幼い頃から利用している鳥取・倉吉市にある扇雀(せんじゃく)食堂(撮影・平山連)

“令和の怪物”セットができる。昭和以降最速の所要1場所で新十両に昇進した落合(19=宮城野)が幼い頃から利用している鳥取・倉吉市の扇雀(せんじゃく)食堂は、落合が好きな食べ物を並んだ新メニューを作ることを検討している。小学校の頃から決まって注文していた唐揚げ、ギョーザ、明石焼きとともに、最近好んで食べているという豚汁も加えるアイデア。地元から羽ばたく関取の人気にあやかり、県産食材をふんだんに使った料理をPRしようと躍起だ。

店員の古瀬聖子さん(41)は「小学校の頃から家族でよくテイクアウトしてもらっていました」と懐かしむ。落合が相撲に打ち込むため鳥取西中に進学してからも、地元に戻った際にはよく立ち寄ってくれたという。店内には入門前に落合からもらったサイン色紙も並ぶ。「以前はお客さんから『落合って、あの野球の?』と言われることもありましたけど、最近は相撲ファンの方が来てくれることもあります」と早くもその恩恵を実感する。

連日、地元メディアを中心に盛んに報じられるが、小学生の頃から知っている古瀬さんにとって今も心優しい「哲ちゃん(本名の落合哲也から)」。幕内優勝経験者の徳勝龍を破って3勝目を挙げた19歳に、「とにかく、けがなく場所を終わって、また店に寄って」と話していた。【平山連】

新十両の落合が幼い頃から利用している鳥取・倉吉市にある扇雀(せんじゃく)食堂。中央で落合からもらったサイン色紙を持つ古瀬さん(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、唐揚げ。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、明石焼き。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、ギョーザ。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の名物、豚汁。新十両の落合が決まって注文する一品(撮影・平山連)
新十両の落合が扇雀(せんじゃく)食堂で注文するという明石焼き、豚汁、ギョーザ、唐揚げ。“令和の怪物”セットになるかもしれない(撮影・平山連)
扇雀(せんじゃく)食堂の店員古瀬さんの赤ちゃんを抱っこする新十両の落合(撮影・平山連)

須山の東大卒業確定に後輩・小山大貴さん「自分も頑張らないと」4月から日本史の研究者を目指す

須山(左)と相撲部現主将の小山大貴さん(相撲部提供)

13日に22歳を迎えた東大4年の小山大貴さんが、祝福した。記者から、相撲部時代の先輩、須山(25=木瀬)が大学卒業を確定させたとの知らせを受け、「4万字の卒業論文を執筆しながら、稽古や場所に備えるなんてすごく大変。卒業したいと言っていたんで良かったです」と喜んだ。

「赤門」で知られる東大から初めて角界入りして以降、その活躍を見守ってきた。リアルタイムでみられなくても、どんな一番だったのかをチェックすることを欠かさない。思い入れがあるのは、部の先輩、後輩の間柄だけではない。「僕が相撲部を続けていく上で、大きな存在でした。もらった言葉に励まされたこともありました。忘れることはないです」と感謝した。

異例の道を選んだ先輩の姿は、現役生たちにとっても語り草だ。小山さんは「稽古のやり方、当時頑張っている稽古に打ち込む姿は現役生にも受け継がれてます。奥底で刺激となっていると思います」。自身もこの春に卒業し、来月から日本史の研究者を目指して東大の大学院に進学する。須山とは歩む道は異なるが、「自分も頑張らないと」と奮起した。【平山連】

所要1場所での十両昇進見送られた悲運の元力士、“令和の怪物”新十両の落合の活躍で再脚光(1)

悲運の元力士が、“令和の怪物”の活躍で再び脚光を浴びている。12日初日を迎える春場所(エディオンアリーナ大阪)で新十両の落合(19=宮城野)と同じく、2006年5月の夏場所で幕下15枚目格付け出しとして7戦全勝優勝した元幕下・下田の下田圭将さん(39)。下田さんは番付運に恵まれず十両昇進はかなわなかった。あれから17年。下田さんを訪ね、当時のことや落合のことについて聞いた。【取材・構成=平山連】

   ◇   ◇   ◇

元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●「こうして取材が来るのを待っていました」

待ち合わせ場所に現れた下田さんは、うれしそうに笑みを浮かべながら静かにそう言った。

現在は都内の職場で勤務している。スーツの上からも分かるほどの筋肉質な体つきが目を引く。16年春場所を最後に現役を退いたが、引退してからもトレーニングを欠かしていないことがうかがえた。

柔道選手にありがちな“ギョーザ耳”から学生時代に武道に打ち込んでいたと言われることはあっても、力士として本土俵で活躍した姿を知る人は多くない。まして、幕下15枚目格付け出しとして臨んだデビュー場所で、7戦全勝優勝を果たしたことを知る人は皆無だった。ただし、落合が登場するまでは。

師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●初場所で白星積み重ねる落合に、下田さん「19歳で付け出し資格を取ったのはすごいです」

今年1月の初場所。19歳の大器が白星を積み重ねるにつれて、下田さんの名が改めて注目された。

幕下15枚目格付け出しでの優勝となれば、2006年5月の夏場所の同氏に次ぐ快挙だったからだ。落合の活躍をどんな思いで見守っていたのか。

下田さん 「私は日大出身です。(落合の母校の)鳥取城北からも日大に進学する人がいますから気になって見ていました」

ともに幕下15枚目格付け出しを得て角界入り。落合は19歳の若さでそれをつかんだ。

下田さん 「19歳で幕下付け出し資格を得たのはすごいですよね。私が付け出し資格を取ったのは、大学4年生。国体とインカレを優勝した22歳ですから。“令和の怪物”と言われている通りですよね」

06年大相撲夏場所2日目 幕下付け出しの下田(手前)は古市を押し出しで下し、デビュー戦を飾った=06年5月8日

●デビュー戦の不戦勝「その場の雰囲気を味わえたのは良かった」

落合の初土俵は対戦相手の王輝(錣山)が休場し、デビュー戦がよもやの不戦勝となった。これが破竹の7連勝につながったと、実体験を交えながら下田さんは説明した。

「(落合は)相撲は取らなかったけど、土俵の上に上がって勝ち名乗りを受けた。その場の雰囲気を味わえたことは、彼にとってものすごく貴重な体験だったと思います」。そう分析した上で、自分のデビュー戦を振り返りながら続けた。

下田さん 「相手は古市さんという元十両で、自分よりも小さい方でした。プロとして初めて土俵に上がり、めちゃくちゃ緊張していました。それが一気に解けたのは、立ち合いで古市さんが勝ち気に突っかけてくると分かった時でした。どうしようか一瞬迷いましたが、自分からいかないとやられる-。そう思って、前に出たら勝ったんです。思えばデビュー場所で迷ったのはこの時だけでしたね」

下田さんと落合。2人を取材した記者は、デビュー場所でのある共通点に気がついた。(第2回へ続く)【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。

幕下15枚目格で全勝Vも十両逃した悲運の力士に聞く 落合との共通点と明暗分かれた結果(2)

12日初日を迎える大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)で新十両の落合(19=宮城野)は、所要1場所という昭和以降初となる快挙で関取昇進を果たした令和の怪物だ。その大器が初土俵を踏むおよそ17年前、同じ幕下15枚目格でデビューして7戦全勝優勝した男がいた。元幕下・下田の下田圭将さん(39)を訪ねて話を聞いた第2回は、「2人の共通点と明暗の分かれた結果」。【取材・構成=平山連】

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師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●対戦相手を徹底的に研究を欠かさなかった下田さんと落合の共通点。

共に幕下15枚目格付け出しでデビューした場所を7戦全勝優勝した下田さんと落合。そんな2人には好成績につながった共通点があった。それは対戦相手の研究を徹底したことだ。

場所中に落合は「対戦相手が発表された時に、研究して動きをしっかり見ていた」(4日目瀬戸の海戦)「どういう形になっても自分が勝つイメージでシミュレーションしてきた」(6日目の明瀬山戦)などと語り、土俵に上がる前から目の前の相手に惜しみない準備をしてきたことを常々言っていた。こういった言葉の数々に、17年前の06年夏場所で無傷の7連勝を飾った下田さんが重なる。

下田さん 「付け出し資格を得てから私は大相撲中継を録画して、幕下上位にいる力士たちを追っていたんです。彼らはおそらくアマチュアの相撲を見てない。なので私の癖や相撲を知らないと思って、逆にこっちが研究しよう。万全の準備をすれば、勝つ確率が高まると思ったんです」

●学生時代から研究の虫

「デビュー場所は相手が決まると、その映像を集中的に見返しました」

学生時代から、研究の虫。ライバルたちに勝つためと思って、稽古場を離れても相撲のことを考える日々は苦ではなかった。

下田さん 「アマチュアの上位にいくと、強い相手と絶対当たるんです。そうなった時に備えて、相手の癖を研究していました。例えば相手が下がるときには右上手を取りにくるとか、逆に前に出てきたときにははたきがあるとか。必ず相手の癖をインプットして臨む。研究通りに攻めてこなくても、自然と体が反応してくれるんです。(デビュー場所は)実際に対戦相手が決まると、その相手の映像を集中的に見返しました。自分が納得するまで研究して挑んだら、それがばっちりとハマったんです」

06年大相撲夏場所13日目 宮本を押し出しで破り全勝で幕下優勝を決めた下田(2006年5月19日)

●7戦全勝優勝に「やれることをやり切れば、プロでも全然通用する」

七番相撲で宮本を下して7戦全勝しても、下田さんにとっては決して驚く結果ではなかった。元関取などの実力者や勢いのある若手がひしめく幕下上位を相手にも、実力差を感じることはなかった。むしろ「自分の中でやれることをやり切れば、プロでも全然通用する」と大きな自信を得た。

優勝後の帰り道。会場の両国国技館から両国駅までファンに囲まれ、まるでもう関取昇進が決まったかのような歓待ぶりだった。激励や写真攻めに気持ちが高揚した。「お客さんに囲まれたのはあれが最後でしたね」と懐かしむ。

関取昇進を想定し、故郷の長崎・島原では化粧まわしの用意も着々と進んでいたという。

下田さん 「地元もめちゃくちゃ盛り上がっていました。化粧まわしの絵柄も決まって、あとは発注するだけでした。後援会はまだできていませんでしたが、熱心に応援してくれてくれる方が『締め込みの色は何がいい』とか聞いてくれて、すごく準備してくれてました」

前のめりな関係者をよそに、場所後の番付編成会議では十両が見送られた。日本相撲協会には「幕下15枚目以内の全勝力士は十両昇進の対象とする。ただし番付編成の都合による」との内規があるが、当時の審判部は幕下の東西筆頭の勝ち越し力士2人(東で5勝の上林、西で4勝の龍皇)を優先した。

元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●十両陥落者があと1人いれば…。「次の場所へ気持ち切り替えた」

幕下15枚目以内の7戦全勝力士はそれまで例外なく十両に昇進していたが、同場所は十両から幕下への転落者が少なかった。もしも十両からの陥落者が2人ではなく、あと1人いれば…。下田の悲運は起きてなかっただろう。

下田さん 「当時ある解説者の方が『15枚目格で全勝優勝したら(十両に)上げるという規定があるなら、上げないと駄目でしょ』というような言い方をしていました。それが今でも記憶に残ってます。兄弟子たちが『下田、十両昇進ならず』というネットニュースを見つけて、十両に上がれないんだと知りましたが気落ちすることはなかったです。今回みたいに自分の実力を出せばいけるから、次の場所で上がればいいという気持ちに切り替わっていました」

結果として約10年間にわたって角界にいながら、下田さんは十両昇進をつかむことはなかった。くしくも、デビュー場所が最もその夢に近づいた瞬間だった。(第3回へ続く)【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。

悲運の力士・元幕下の下田さん、やり切れなかった現役生活と落合への期待(3)

所要1場所での十両昇進を見送られた悲運の元力士は、12日初日を迎える春場所(エディオンアリーナ大阪)に臨む新十両の落合(19=宮城野)の活躍を心待ちにしている。およそ17年前の06年夏場所で、落合と同じく幕下15枚目格でデビューして7戦全勝優勝した元幕下・下田の下田圭将さん(39)を訪ねて話を聞いた最終回は、「度重なるけがと戦った下田さんの現役生活と“令和の怪物”落合への期待」。【取材・構成=平山連】

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元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●下田さん「デビュー場所がピークでした」

「デビュー場所がピークでした」

そう述懐する下田さんの相撲人生は、下降線の一途をたどった。デビュー2場所目となる06年名古屋場所は西幕下筆頭に座ったが、2勝5敗と負け越した。影山(後の元栃煌山)との一番相撲で場所前から悩まされた膝の異変に気づきながら、痛みを押し殺して強行出場した。これがいけなかった。

下田さん 「初日に思いっきり踏み込んだら、左膝が“ババン!”とロックかかったように動かなくなった。何かあったなと感じましたが、4番勝てば十両に上がれる位置だったので強行出場したんです。デビュー場所で7戦全勝して期待されているのを感じていたから、上がらないといけないと勝手に思っていた。けがをしてでも勝ってやろうという焦りが駄目だった。当時の自分にもしアドバイスできるなら、『初日にけがしたのであれば、全休しろ』と声をかけます」

現役時代の元幕下の下田圭将さん(左)と同期で十両の千代の国(下田さん提供)

●「あの時が悪夢の始まりでした」。その後は膝をかばうような相撲が続く

まさかこの名古屋場所が最高位となるとは、一体誰が想像しただろうか。下田さん自身も「あの時が悪夢の始まりでした」と言うように、そこからは膝をかばうような相撲が続いた。

「下から相手を起こして、まわしを取ったり、おっつけたり」と持ち味は影を潜めた。自分の相撲を見失い、なぜ勝てなくなったのか、どうやったら勝てるのか。答えを求めても、分からない。ついには「土俵に上がるのが怖くなった」と思うまでになった。

松鳳山ら同世代が次々と関取に上がった。同部屋の黒海の付け人として巡業に帯同して雑務に追われる中で、アマチュア時代にしのぎを削ったライバルたちが会場でファンと親しげにする姿がまぶしかった。同時に苦虫をかみつぶしたような気持ちにもなった。「自分の相撲を取れれば十両、幕内でも通用する」。いつか自分も-という思いを強くしたが、一向に膝はよくならなかった。

師匠の宮城野親方と新十両会見に臨んだ落合の記事を眺める、元幕下・下田の下田圭将さん(撮影・平山連)

●「後縦靱帯(じんたい)骨化症」 

引退を決めたのも、けがだった。靱帯(じんたい)が骨化する難病の「後縦靱帯(じんたい)骨化症」。背骨を縦に通る後縦靱帯(じんたい)が硬くなって神経が圧迫され、痛みやしびれなどを起こすといわれている。

下田さん 「稽古をしていて右手に力が入らない。まわしをとっても全く握れなかった。風呂でもタオルすら持てないんです」

異変に気がついたのは、現役最後の出場となった15年秋場所の前日。当時西三段目95枚目に座り、いち早く幕下に返り咲くべく出場を決めた。右手に力が入らない代わりに、左だけで相撲を取ると6番勝った。場所を終えて首の治療で大学病院を転々としたが、いずれも即引退を迫られた。16年3月の春場所を最後に現役引退を決断した。今はもう土俵を離れたことで気持ちは吹っ切れているが、プロとしては「やり残したことはあります。やり切ってはいません」と悔しさは残ったままだ。

●落合の7戦全勝優勝に「自分のようになってほしくない」と祈って

下田さんのデビュー場所から約17年後。今年の初場所で、下田さんに続いて落合が7戦全勝優勝を飾った。十両昇進か、幕下に据え置きか。番付編成会議の結果を下田さんは「自分のようになってほしくない」と祈るような思いで見守った。

下田さん 「全勝優勝した時に上がってほしいというのは、本音なんですよ。もう誰にも私みたいな思いはしてもらいたくないんです」

落合は晴れて十両昇進を決めた。もしも記者が下田さんの立場だったら、多少は嫉妬心を覚えるだろう。そんなぶしつけな問いにも、「もう17年たっているし、私は現役を離れてる。今は本当に上がってよかった。それだけです」ときっぱり言った。

何より落合のおかげで、自身の名が何度もメディアに登場したことは「正直うれしかったですね。(落合と)セットみたいなかんじに出てくるので」。自分のことのように喜んでいた。

同期で十両の千代の国(左)と写真に収まる元幕下・下田の下田圭将さん(下田さん提供)

●「もう既に幕下付け出しで全勝優勝すれば1場所で十両に上がれると後輩たちを勇気づけた」

師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)と新十両会見に同席した落合は「相撲を始めたときから横綱になるという夢を持ち続けてきたので、いつかその夢をかなえたい」と高々と目標を口にした。今後が楽しみな19歳にかかる期待は大きいが、下田さんは「もう既に幕下付け出しで全勝優勝すれば1場所で十両に上がれるんだと、後輩たちを勇気付けてますよ」と手放しで称賛した。

下田さん 「サッカーでいったら久保建英選手、野球でいったら佐々木朗希選手というように、他のスポーツ界には10代、20代前半で顔になる人がいる。ニュースター候補がやっと相撲界にも出てきた。今相撲をやっているちびっ子たちに大きな夢を与えられるような、横綱を目指してほしいです」

ため込んでいた思いを全て吐き出したかのように、取材を終えた下田さんの表情は晴れ晴れとしていた。12日に初日を迎える春場所。関取デビューを飾る落合。果たして、どんな活躍を見せてくれるか。19歳の大器がけがなく場所を終えること願って応援する。(おわり)(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

◆落合哲也(おちあい・てつや)2003年(平15)8月22日、鳥取・倉吉市生まれ。小学生の時にサッカーに打ち込み、ポジションはFWとGK。父勝也さんに勧められ、鳥取・成徳小学4年から相撲一本に絞る。鳥取城北高2、3年時に高校横綱。高校卒業後、肩の治療のために角界入りを遅らせ、22年9月に全日本実業団選手権を制し、幕下15枚目格付け出しの資格を得た。181センチ、153キロ。得意は突き、押し、左四つ、寄り。

◆下田圭将(しもだ・けいしょう)1984年(昭59)1月28日、長崎県島原市出身。島原市立第三小4年から相撲を始め、同市立第二中-諫早農高-日大と進み、日大では05年国体成年Aを制するなど16冠を獲得して学生横綱にもなった。幕下15枚目格付け出しで初土俵を踏んだ06年夏場所は7戦全勝優勝。当時史上初の1場所での十両昇進が確実視されたが、幕下筆頭で勝ち越した力士が優先されて見送られた。その後は度重なるけがに泣き、16年3月の春場所で引退。最高位は西幕下筆頭(06年名古屋場所)。

元隠岐の海の君ケ浜親方と元豪風の押尾川親方 「秋田」つながりの2人が今後の相撲界引っ張る

押尾川部屋“広報部員”のブッチをだっこする押尾川親方(23年1月撮影)

2人にしか分からない絆がある。大相撲初場所の7日目に引退を発表した元関脇隠岐の海改め君ケ浜親方と、元関脇豪風の押尾川親方。押尾川親方の方が6歳上だが、巡業先などで見せた仲むつまじい姿は全く年齢の差を感じさせなかった。相撲ファンの間でもよく知られる存在だった2人の仲について、当人たちから聞いた。

出会いについて、君ケ浜親方の心に深く印象に残っている。若い衆の頃に参加した飲み会。偶然そこに居合わせたのが、当時既に関取だった豪風。父親が同じ秋田出身と伝えると、ひときわうれしそうにしていた。「その場でおやじに連絡したら、電話に代わって話してくれて」。粋な計らいもうれしかった。

押尾川親方は「別にみなさんが思うほど仲良くないですよ」と気恥ずかしそうにしながら、「トレーニングを見たいと言われて、一緒にしたこともありましたね。少しずつ力をつけていった姿を目の当たりにして、こうやって強くなるんだと意識する存在でしたね」。一緒に秋田へ訪れたり、場所後に飲みに行ったりと思い出が絶えない。かわいい後輩の引退会見にもこっそり姿を見せていた。

現役を退いた今、ともに親方として後進の指導に当たる。君ケ浜親方は「どんな稽古をしているのか見てみたいですね」。押尾川親方は「親方として一緒に盛り上げたい」。若い2人の親方が、今後の相撲界を引っ張る。【平山連】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

引退会見で花束を受け取る隠岐の海(1月14日撮影)

元横綱大鵬の三女納谷美絵子さん、亡くなって知る父の偉大さ 海外の人々や若者にも名前浸透

「昭和の大横綱」大鵬の納谷幸喜さん(享年72)が、2013年に亡くなって、命日の19日で10年の節目を迎えた。

第48代横綱大鵬土俵入り

元横綱大鵬の没後10年を前に取材に応じた三女の納谷美絵子さんは「あっという間でした。10年と聞いて、本当に早かったなあと感じます」と振り返った。亡くなってから、父の偉大さを感じることがしばしばあるという。「海外の人たちや、若い方々にも『大鵬』という名を知ってもらっている。うれしいことです」と喜んだ。

生前の父について思い出すのは「子どもの頃にけがをすると、包帯や薬を取り出して何でも治してくれる」という心優しい姿だ。礼儀作法には厳しかったが、「私は末っ子だったので、姉たちと話していると大分甘かったようです」と笑う。長男(プロレスラーの納谷幸男)をのぞく3人(次男・三段目納谷、三男・平幕王鵬、四男・幕下夢道鵬)が角界入り。「大鵬の孫」として注目されながらも、土俵の上で期待に応えようと奮闘している。

大鵬家家系図(敬称略)

本場所の前後で納谷さんは、都内にある父の墓を訪れる。場所前に子どもたちの15日間の活躍を見守ってほしいと伝え、場所後に結果報告を欠かさない。命日の1月19日は初場所と重なるため家族一同で集まることはないが、在りし日の思い出を振り返る機会にしてほしいと願っていた。【平山連】

新十両の湘南乃海を奮い立たせる原動力は「おやじに認められたい」厳しい父へ白星で恩返し

父に認めてもらうことが、何よりの原動力だ。10日目に狼雅を破り勝ち越しを決めた新十両の湘南乃海(24=高田川)は場所前の取材で「おやじに認められたいから、頑張っているところがあります。十両に上がった時も『俺はおめでとうとは言わない。遅いくらいだ。遅い分を取り返せ』と言われたんですよね」とうれしそうに笑った。

狼雅(左)を引き落としで破る湘南乃海(撮影・河田真司)

野球少年で相撲未経験ながら、神奈川・大磯中時代に高田川部屋を見学したことで入門を決めた。卒業後の進路が決まると、幸先よくスタートを切るために父との猛特訓が始まった。学校から帰ってくると一緒に公園に向かい、1時間の四股踏み、腕立て伏せ300回、電柱めがけたテッポウ、すり足…。冬場でもびっしょりと汗をかくほどのメニューを毎日こなした。「体を動かしているうちに暑くなって、パンツ一丁でやっていました。大人同士がけんかしてるんじゃないかと間違えられて、警察を呼ばれたこともありましたね」という笑い話もあるほど。鍛え上げた足腰は今も自慢だ。

狼雅(右)を攻める湘南乃海(撮影・菅敏)

14年春場所で初土俵を踏んだ“中卒たたき上げ”は、約9年かけて関取の地位をつかんだ。新十両場所で勝ち越しを決めても、浮かれることはない。「明日があるんで。1日一番集中して、全力を出し切ります」と白星を積み重ねる。厳しい父への恩返しになると信じて。【平山連】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

押尾川部屋“広報部員”オスのパグ「ブッチ」にメロメロ 親方が飼うことを決めた理由とは

押尾川親方とブッチ(撮影・平山連)

愛くるしい顔立ちとつぶらな瞳に、うっとりが止まらない。22年2月に新設された押尾川部屋にいるオスのパグ「ブッチ」が、稽古に励む力士たちを和ませている。

師匠の押尾川親方(元関脇豪風)から部屋の“広報部員”に抜てきされ、同部屋のSNSにもたびたび登場する。生後10カ月ほどとまだ小柄だが、その存在は既に部屋に欠かせないものとなっている。

同親方は「ペットを飼うことを決めたのは、息子と娘の教育のためなんです。生き物を飼うことを通して、命の尊さを学んでほしいなと思っていました」。名前の由来は長女が以前大切にしていたぬいぐるみからで、それになぞって同じ名のブッチと付けた。普段は部屋の上階にある押尾川親方の自宅で飼っているが、稽古終わりの食事時になると下に降りて力士たちと触れ合うことも少なくない。部屋頭で幕下の矢後(28)も「僕らも戯れて、安らいでます」とメロメロだ。

ブッチの存在について、押尾川親方は「部屋のマスコット犬として、地域の人たちに相撲部屋を親しんでもらえることにつながる」と期待を寄せる。ペットは飼い主に似るというが、ブッチの顔もどことなく笑った親方に似ている気がする。愛くるしいマスコットの存在で、部屋の雰囲気が一層明るくなっていた。【平山連】

押尾川部屋のブッチ(中央)とたわむれる飛燕力(左)と風賢央(撮影・平山連)
押尾川部屋の“広報部員”のブッチ(左)をしつける、師匠の押尾川親方(撮影・平山連)
押尾川親方と同部屋の“広報部員”のブッチ(撮影・平山連)
押尾川親方と同部屋の“広報部員”のブッチ(撮影・平山連)
押尾川親方と同部屋の“広報部員”のブッチ(撮影・平山連)
押尾川部屋の“広報部員”のブッチを見守る風の湖(左)と風賢央(撮影・平山連)
食卓に並んだ果物を見つめる押尾川部屋の“広報部員”のブッチ(撮影・平山連)

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。