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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

新生・荒磯部屋3人が白星「場所中一喜一憂しない」引き継がれる親方の意志

播州灘(左)を攻める西原(撮影・鈴木正人)

<大相撲秋場所>◇2日目◇13日◇東京・両国国技館

新生・荒磯部屋が第1歩を踏み出した。

13日の秋場所2日目。8月1日付で田子ノ浦部屋から独立した荒磯親方(元横綱稀勢の里)が創設した、荒磯部屋の全力士4人がそろって本場所デビューした。結果は3人が白星。国技館内で取組を見守った荒磯親方は「『荒磯部屋』って放送があった時はちょっとね。まぁ、いろいろ思うことがありますから」と感慨にふけった。

新部屋は出身の茨城・牛久市に近い、阿見町に建設中で、現在は仮住まいとして同県の筑波大内の稽古場を使用している。場所前には白まわしを締めて弟子らに胸を出した荒磯親方。白星を飾った西序二段36枚目西原(18)は、三番稽古をつけてもらったという。「教えは『場所中に一喜一憂しない』。師匠の現役時代の座右の銘だそうです」と元横綱稀勢の里の意志が引き継がれている。

荒磯親方の現役時代に付け人を務めていた、ベテランの東序二段38枚目足立(36)は「部屋のことは任されている。人数が少ない分、みんなで協力していきたい」と今はまとめ役を務める。弟子4人で出発した荒磯部屋。荒磯親方は「愛されるような強い力士を育てるのが目標。稽古場からしっかり教えていきたい」と抱負を語った。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

播州灘(左)を引き落としで破る西原(撮影・鈴木正人)
荒磯親方(2019年9月29日撮影)

花田虎上氏「相撲の神様に恩返し」評論家就任、横綱昇進時のエピ告白に衝撃

大相撲秋場所から本紙評論家に就任する元横綱若乃花の花田虎上氏。現役時代の得意技「押し」を披露してくれた(2021年9月1日)

12日に初日を迎える大相撲秋場所(両国国技館)から、日刊スポーツの相撲評論家として第66代横綱若乃花の花田虎上氏(50)がデビューする。日本相撲協会を退職した、前任の先代錦島親方(元大関朝潮)からのバトンタッチだ。

くしくも伯父の初代横綱若乃花の花田勝治さん(故人)も、日刊スポーツの評論家を30年ほど前まで務めていた。そんなこともあり「これも何かの縁と思い引き受けさせていただきます」の快諾してもらった。ただ「土俵の鬼」と恐れられた初代とは、小兵という体形は似ていても、相撲解説となると趣を異にすると思われる。「決して“横綱目線”でなく、評論する力士の地位に応じて、自分がその番付にいた時の目線で解説したいと思います」と花田氏は言う。上から目線は避け、かしこまることなく“お兄ちゃん”らしいソフトタッチの解説になるのでは、と予想している。

紙面で掲載されるコラムのカットには、相撲担当記者内でも頭を悩ませた。個人的には、あの代名詞を入れるのが、一番ふさわしいのでは…と思った。そう、やっぱり「お兄ちゃん」-。あの柔和な笑顔でテレビやSNSでもおなじみだ。弟貴乃花と二人三脚で頂点まで上り詰めた姿に、その後の紆余(うよ)曲折はあっても、往年の相撲ファンには、いつまでも「お兄ちゃん」のイメージが残っているのではないか。だから、たとえば「お兄ちゃんの技あり解説」とか「お兄ちゃんの熱視線」とか。ただ、そんな軽々な発想から抱いていた候補の代名詞は、花田氏本人の「もう『お兄ちゃん』って、そんな年でもないし」と、笑いながらの言葉で、やんわりご破算になった。

今年1月に50歳になった花田氏。そりゃあそうだろうな、いまさら「お兄ちゃん」も気恥ずかしいだろう…と思いつつ、私の中では「お兄ちゃん」のままで記憶が止まっている。あの若貴フィーバーの渦中を取材していた中、当時若ノ花で三役最後の場所となった93年名古屋場所が、私の最後の相撲担当だった。その場所、13勝2敗の優勝同点で大関昇進を決めたため、大関以降の花田氏は見ていない。だから、いつまでも「お兄ちゃん」のままだ。

とはいえ評論家就任にあたり、この約30年をいつまでも空白のままであってはいけない。そう思い、何度か花田氏と電話で話し込み、あの自分も若かった頃には、つゆほども感じられなかった苦悩ぶりなどを聞いた。そんな中でも「そこまで追い詰められていたのか」とショッキングに耳に入ったのが、横綱昇進時のエピソードだった。ちょうど秋場所展望で新横綱照ノ富士の心境を、花田氏自身の経験と照らし合わそうと話を振った時に返ってきた答えだった。

「横綱になったら引退していいよって、師匠も言ってくれていたから」。横綱昇進が正式決定すると、日本相撲協会から伝達の使者が部屋にやってくる。「謹んでお受けいたします」で始まる、あの晴れの、一世一代の口上。まさか、と思い記事検索したところ、花田氏は使者が来る前日、父であり師匠の二子山親方(元大関貴ノ花)に「謹んでお断りします」と言ってもいいか、と問い掛けたという記事があった。昭和の大横綱・大鵬が横綱に上がった瞬間、いつ引退してもいい覚悟を持ったという話は生前に直接、ご本人から聞いたことがある。ただ、花田氏のこの告白は、それ以上の衝撃だった。

横綱に上がる前から体はボロボロで、小柄な体で巨漢力士全盛の時代に戦った代償は、今も変形し続け生涯、治らないという背骨にもあるという。「若い衆のころは、さすがに畳一畳分ぐらいしか自分のスペースがないから出来なかったけど、関取になってからは毎日だった」という本場所で対戦する相手力士のビデオは連日連夜、擦り切れるほどテープを回し研究したともいう。

自分の長所を伸ばしようにも、体の伸びしろは満身創痍(そうい)では限度がある。だから、それを補うべく相手の研究は「徹底的にやった」とビデオの映像を頭にたたきこんだ。「天性の相撲勘」ともよく称されたが、持って生まれたものに、たゆまぬ頭脳戦を重ねたことで、横綱の座をつかんだと思う。テレビでよく見る技術解説に定評があるのも、積み重ねのたまものだろう。評論家就任にあたり、その理由をこう語った。

「自分を育てていただいた相撲の神様に恩返しの気持ちで」

多角的な技術解説はもちろん、行間にそんな思いがにじむような評論を、読者の皆さまにもお届けできたら幸いだ。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

身長2m、体はすでに“横綱級”の北青鵬に期待していたが…またコロナか

北青鵬(2021年7月撮影)

またコロナかとため息をつきたくなる。大相撲秋場所は12日に東京・両国国技館で初日を迎える。しかし、力士の新型コロナウイルスの感染で、横綱白鵬をはじめ、宮城野部屋の力士全員が休場となった。

新横綱照ノ富士とともに場所をけん引するはずだった横綱白鵬はもちろん、土俵を盛り上げる有望力士を多く抱えるだけに残念でならない。中でも個人的に注目していたのが新十両の西十両12枚目・北青鵬(19)。自身がコロナに感染した。十分に対策を施してきた上でのことだけに、無念さは計り知れない。

とにかくスケールの大きさを感じる。序ノ口、序二段、三段目、幕下と各段を制して、関取の座に上がってきた。身長2メートル。ただでかいだけでなく、手足の長さを存分に生かした四つ相撲は、十両でも十分に通用するはず。さらに立ち合いの厳しさ、四つに組む流れで突き放すことも覚えていけば、トントンと番付の階段を駆け上がっていくと期待している。

モンゴル生まれだが、5歳で移った札幌で育った。しこ名も白鵬からもらい、将来を大きく期待されている。名古屋場所後の新十両会見では「やっとスタート地点にこられました。ここからなので」と話し、「夢は横綱。1年で関取(昇進)を果たせたんで、次は新入幕。横綱になれるよう、もっともっと稽古に励みたい」とあくまで通過点を強調した、意識の高さが印象的だった。

目指す相撲像も「横綱白鵬関のような左前まわしで前に出る相撲です。横綱からは『おめでとう。ここからだからね』と励ましていただきました」と具体的に掲げていた。体はすでに“横綱級”なだけに、身近なお手本にならっていけば、どこまで強くなれるか。

と、思っていただけに今場所の休場は残念でしかない。これも与えられた試練。場所に出られない時間をどう有効に使うかが、大器の行く末も左右しそうだ。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

照ノ富士が「I LOVE YOU」歌ってみた 力士の魅力発信に協会工夫

「現役力士が歌ってみた」企画に臨む新横綱の照ノ富士(日本相撲協会提供)

力士の歌声を久々に聞いたというファンも、多かったのではないだろうか。

日本相撲協会は8月11日から4日間、公式ユーチューブチャンネルに「現役力士が歌ってみた」と題した企画の動画を投稿。新横綱の照ノ富士(29=伊勢ケ浜)らが伸びやかな歌声を披露していた。場所は都内のスタジオで、撮影日は4月。編集作業などの調整で約4カ月温めることになったが、照ノ富士の横綱昇進と重なって好タイミングでの配信となった。

協会でユーチューブなどの企画を担当する職員によると、普段は視聴していない年齢層からも高い関心を集めたという。「いつもはそこまで多くはないけど、10代、20代の方に多く見ていただきました。60代の男性が多いのが特徴的だったんですが、この動画(歌企画)だと女性の方も多く見てもらっていますね」。歌った力士は照ノ富士のほかに美声で知られる平幕の阿武咲や、人気小兵力士の翔猿、十両炎鵬の4人。人選は、協会ファンクラブを担当する三保ケ関親方(元前頭栃栄)や、広報部の高崎親方(元前頭金開山)らと職員が相談して決めた。

動画の反響は大きく、3日時点で4人の「歌ってみた」動画は計28万回以上も再生されている。テレビでも取り上げられたが、力士=歌がうまいという認識は、全ての世代に浸透していないかもしれない。同職員は「テレビで若いアナウンサーの方が『力士って歌がうまいんですね』と、知らなかったという反応もあった。やっぱり年配の方だと昔の歌番組でやっていたのでご存じだと思うんですけど、なかなかそういう機会がない中で、誰でも見られる媒体で出せたのは良かったなと思います」と意義を口にする。

角界では19年11月から力士のSNS使用を禁止している。その直後、ある関取に聞くと「(SNSで)ファンとコミュニケーションを取ることで、励みになる部分があったので個人的にはショックです」と話していたことが印象に残っている。さらに新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ファンと力士と触れ合う機会がめっきり減った。さまざまなリスクを抑えながらファンとの距離感を縮めるためにも、協会公式ユーチューブの重要性はますます大きくなりそうだ。

場所中は15日間毎日、親方衆が取組を解説したりフリートークをする「親方ちゃんねる」が配信され、個々人でも高崎親方が得意の料理を生かした企画を持ち込むなど、動画配信に対して協会内でも士気が高まっているという。土俵の充実はもちろん、コロナ禍でいかに土俵外の力士の魅力を発信するか協会側も工夫を凝らしている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

なりふり構わず復活V白鵬 横綱900勝へ秋場所はどんな15日間に“する”か

白鵬(2021年7月16日撮影)

進退を懸けて臨んだ大相撲名古屋場所で、全勝優勝を果たした横綱白鵬(36=宮城野)。結びの一番を終え、オンラインによる取材に応じた際には「これで横綱として899勝。あと1勝目指して頑張りたい」と宣言。同場所前には崖っぷちに立たされていながらも、節目の横綱900勝を見据えるなど現役続行へのこだわりを見せた。

入門して20年以上がたった。45度の優勝を誇る白鵬も、さすがに衰えは隠しきれない。名古屋場所では、立ち合いで仕切り線から大きく下がって立ったり、張り手や肘打ち、四つに組まずに距離を取って攻めるなど、なりふり構わない姿が連日続いた。この姿に、横綱審議委員会(横審)も苦言を呈したが、裏を返せば勝ちへのこだわりが相当なものだったということだろう。

進退を懸けて土俵に上がり、6場所連続休場明けで臨んだ名古屋場所で全勝優勝。なりふり構わない気持ちだけでは当然果たせなかった。7年以上にわたって白鵬の主治医を務めてきた整形外科医の杉本和隆氏(苑田会人工関節センター病院長)は、名古屋場所前にこう証言していた。

杉本氏 横綱白鵬に「1日一番」という考えはない。常に15日間全部を見ている。一流のプロゴルファーもそう。1日目の18ホールの流れ。ゴルフの試合は4日間。初日、2日目はこういうゴルフをやって、3日目はこうやって、最終日はこうやる。それと同じで横綱も15日間が初日から見えている。15日間の彼の組み立てがちゃんとはまるのか。今は膝が100%のパワーが出せなくても「こういう相撲を取る」とシミュレーションを一生懸命やっている。彼はご存じのように低く踏み込んで、相手のまわしよりも頭が下なんじゃないか、というぐらいの相撲を取るのが1番いい時の相撲。多分今回はそれができないと思う。それが出来ない中でも相手に応じて取り口を作って自分の型に持っていく。それが今回の場所だと思います。

杉本氏が証言していたように、確かに白鵬は全盛期のような相撲は全くと言っていいほどに取れなかった。それでも全勝優勝。日に日にぎこちなさが取れていったように、15日間の組み立てがうまくいった、というところだろう。いたるところに古傷を抱えながらも、白鵬には他の力士が持ち得ていない経験の数が大きな武器になっていた。秋場所ではどんな15日間を見せてくれるのか、楽しみでならない。【佐々木隆史】

今も耳に残る「もう大関じゃない」再起目指す照ノ富士への邪な呼びかけに…

奉納土俵入りを披露する横綱照ノ富士。太刀持ち宝富士、露払い照強(代表撮影)

和紙にしたためられた横綱推挙状と、真っさらな横綱を八角理事長(元横綱北勝海)から授けられた。24日、明治神宮で執り行われた横綱推挙状授与式と奉納土俵入り。名古屋場所後の理事会や伝達式で、既に第73代横綱照ノ富士(29=伊勢ケ浜)は誕生していたが、事実上、これが新横綱としての初仕事だった。

玉串をささげる、紋付き羽織はかまをまとった新横綱の背中が、日本相撲協会が配信する公式ユーチューブで大きく見えた。あの時とは違って…。そしてあの時、その背中に向かって記者として投げかけた言葉に、今更ながら恥じ入っている。

コロナ禍で現場取材がままならない中、暇に任せて過去の取材ノートをめくることが多い。その中で「あの時」の言葉が目に留まった。「大関…」は私の問い掛けの言葉、その下段に「もう大関じゃない」の短い言葉が、取材対象者のそれとしてしるされている。

取材ノートの表題は「19年大相撲春場所」とある。その初日の大割(取組表)が貼ってあるページに、その文言はしるされていた。大関から陥落後、途中休場と全休を続け西序二段48枚目まで番付を落とした照ノ富士の、再起をかけた287日ぶりの土俵。若野口をはたき込みで破り354日ぶりの勝ち名乗りを受けた照ノ富士を、ひとしきり支度部屋で取材した後、何とか本音を引き出そうと、支度部屋を出る間際まで背後に付いて行った。

鉄扉を開け支度部屋の外に出ようとした直前。「大関…」と声をかけた。そう言えば、気分よくニヤリとしながらきびすを返し、用意していた問い掛けに対する“本音”を引き出せると思った。「大関経験者として序二段の土俵に上がることに抵抗はなかったのか」という問いに対するアンサーだ。支度部屋での取材では、同様の質問に「いや、そこは気にしない」とサラリ答えていたが、葛藤はあったはずだ。復帰にあたり、肝とも言うべきその本音が知りたかった。

支度部屋では周囲に若い衆しかいない番付社会の厳しさから「照関」とも「大関」と呼び掛けるのもはばかられていた。幸いにも取材対象と1対1の状況が作られていた。「こうして大勢の囲み取材でなければ『大関』と呼び掛けても問題ないだろう」「『大関』の言葉にプライドを少しでもくすぐられてくれたら本音も引き出せるかもしれない」…。

そんな邪(よこしま)な気持ちも込められた問い掛けは、いとも簡単に吹き飛ばされた。それが冒頭の「もう大関じゃない」という照ノ富士本人の言葉。支度部屋で時折、関西弁を交えながら浮かべていた笑みなどそこにはなく、キリッと引き締まった、どちらかと言えば怒気を含んだトーンの返事。低音ではあったがその声は、今でも耳に残っている。俺は覚悟を持って再起の土俵に上がっているんだ-。丸めた背中と、腹の底から絞り出すような声に、そんな胸の内を感じる以外なかった。

大関から落ち、関取の座を失ってまで相撲を取るのか…。周囲に温かく復帰を見守る目があるのと同時に、プライドを持っていたら現役を続けられるのか、大関という地位はそんなもんじゃない…という声も、確かに耳に入っていた。それも全て受け入れて、照ノ富士は再起の道を決めたのだった。「プライド」を盾にすれば口を開いてくれるのでは…という、実に安易な発想に、穴があったら入りたい気持ちにさせられた。

その後、十両に復帰するまでの、全ての取組を見て本人を取材しながらでも、その気持ちは手に取るように分かった。あのヤンチャな、年が一回りも二回りも上の記者に対し弟弟子に投げかけるような言葉のキャッチボールや態度は、影を潜めた。照ノ富士の生来の奔放な性格であって、それはそれで少し寂しい気持ちもあったが、敬語で丁寧に言葉を返す態度に、文字どおり裸一貫、腹をくくって土俵に上がっている男の姿が見えた。

先月27日の伝達式で照ノ富士は、口上の一部でこう語った。「不動心を心掛け、横綱の品格、力量の向上に努めます」。かみ砕くと「横綱がどんな地位か、どんな生き方をするべきか」と自分に課した。あの序二段で再スタートを切ってからの“生き様”に、何のブレもない。2年半前に自分が投げかけた、邪(よこしま)な気持ちが入った言葉をわびるとともに、これから歩む横綱照ノ富士の相撲道にも期待をしたい。【渡辺佳彦】

奉納土俵入りで不知火型を披露する横綱照ノ富士。太刀持ち宝富士(代表撮影)

相撲で培った30年を糧に 小兵力士の幕内磋牙司は第2の人生へ準備

磋牙司

角界を彩った小兵力士がまた1人、土俵を去った。幕内在位6場所、十両在位22場所の元磋牙司の磯部洋之氏(39=入間川)は11日に引退を発表。7番相撲まで三段目の優勝争いに絡んだ7月の名古屋場所が、現役最後の場所となった。このほど日刊スポーツの電話取材に応じ「(気持ちは)切り替わってますよ」と、心境を爽やかに語った。すでに故郷静岡に戻っており、第2の人生に向けて準備を進めている。

アマチュア時代は静岡・沼津学園高(現飛龍高)2年時に高校横綱に輝いた。東洋大に進学し、第2新弟子検査をへて04年春場所が初土俵。166センチと小柄ながら、気迫あふれる押し相撲で土俵を沸かせた。

関取として土俵に立ったのは、結果的に14年春場所が最後となった。引退の意思を固めたのは昨年1月の初場所後。西幕下14枚目で関取に復帰に向けて「ラストチャンス」と臨んだが、2勝5敗と負け越し、気持ちに区切りがついた。

次のステージに目を向けた直後に、新型コロナウイルス感染拡大により社会状況が不透明になった。「コロナの状況が分からず、いきなり相撲を辞めるわけにもいかなかった。それと好きな相撲ももう少し続けたいと、2つの理由で(今年の名古屋場所まで)続けた」。

引退の意思を固めながら、1年半と続けた現役生活は決して無駄な時間ではなかったという。「知らない自分を発見できた。いろんな人を見てきて『引退を決めてからもよく稽古できるな』と思っていたが、自分がその立場になっても相撲と向き合えていた。現役としての“死”が見えている状況でも努力できるんだと。ここまで(現役を)続けていたので相撲は好きだと思っていたが、気力の持続、自分の中での相撲に対する志が分かった」。

長い力士人生で真っ先に思い浮かぶのはプロ入り後よりも、アマチュア時代に歩んだ父明さんとの二人三脚だという。「小学校4年生から相撲を始めて、体重は30キロしかなかったが、父親が食事も稽古も協力してくれた。父親も相撲を知らない中で、テレビで必死に研究してくれたり力になってくれた」。明さんは昨年4月に71歳でこの世を去った。「すでに(引退の)意向は伝えていた。6場所しか幕内にいれなかった自分が悔しいけど、あのとき(父と歩んだ幼少期)があるからこそ、ここまで土俵に立てたと思う」と力強く語った。

断髪式は未定。「こんな状況なので(コロナの感染拡大が)落ち着いてから。けじめというか、皆さんにお世話になったので最後はやりたい」。アマチュア相撲の指導にも興味を示しつつ、今後は地元で仕事を探す。「現役生活に後悔はないわけじゃないが、それを次の人生に生かしていきたい。後悔も含めて相撲をやってきて良かったと思う。(今後の進路は)焦らずに探します」。プロとしては17年、相撲を始めて約30年。培ってきたものが、新たな人生の糧になる。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

白鵬が聖火ランナーの最終走者グループ候補? 相撲記者が見た東京五輪裏話

両国国技館で行われた東京五輪のボクシング競技(AP)

東京オリンピック(五輪)が閉幕した。相撲は五輪競技ではないが、今大会は相撲ファンにとって目に留まる場面がいくつかあった。

<ボクシング>

両国国技館は、ボクシング会場として利用された。いつもは土俵がある位置にリングが設置され、たまり席はなし。マス席の一部は、カメラマン席に使われた。優勝額はそのまま掲額されていたが、「毎日新聞社」の文字はマスキングされていた。

海外の記者には興味深く映ったようで、AP通信のフィリップ・クラウザー記者はツイッターで、優勝額やマス席の写真をアップし「国技館の素晴らしいエキゾチックな細部。下のセクションでは、靴を脱がないといけない」などとつぶやいていた。

ボクシングの競技前には、場内で幕内格呼び出しの利樹之丞(高砂)が寄せ太鼓をたたき、十両格呼び出しの啓輔(芝田山)が拍子木を打った。大会組織委員会からの要請に、日本相撲協会が応じて実現したという。高砂部屋関係者によると「テレビを見て初めて知りました。あとで聞いたら、事前には絶対に言ってはいけないと言われていたそうです」。利樹之丞も啓輔も事前にネタバレすることなく、任務をしっかりこなした。

<馬術>

馬術の障害飛越では、障害物の脇に力士のオブジェが置かれていた。ほかにもダルマや和太鼓も設置されるなど、日本らしさが演出されていた。

<レスリング>

相撲界と縁のある選手の活躍もあった。レスリング女子50キロ級金メダルの須崎優衣選手は、父が相撲好きで何度も相撲観戦に訪れているという。父との縁で須崎選手を幼少期から知る雷親方(元小結垣添)は「見ていて感動しました。部屋の若い衆の相撲を見ている時のようにドキドキしました。勝った時はうれしかったですね」と喜びを口にした。

<聖火リレー>

横綱白鵬はかねて開会式での土俵入りを期待していたが、これは実現しなかった。ただし、組織委関係者によると、国立競技場内を走る聖火ランナーの最終走者グループに含まれる可能性があったという。白鵬は7月の名古屋場所で復活優勝を果たしたが、それまでは6場所連続休場していた。力士は基本的に休場中は、イベント出演などはNG。そういう事情もあり、候補の1人ではあったものの、事前の計画に盛り込めなかったようだ。

<秋場所>

9月の秋場所(9月12日初日、両国国技館)のチケット一般販売は8月14日から始まった。ボクシング仕様になっていた国技館は今後、秋場所に向けた準備に入る。東京五輪期間にかぶらないように行われた7月の名古屋場所は、例年より前倒しで開催された。そのため、秋場所までは中55日と例年より長い。思うような出稽古はできず、新型コロナウイルスの影響はまだ残っている。力士たちは、所属する部屋でしっかり稽古できたかどうか。“長い8月”を辛抱できたかどうかが、秋場所の結果に表れてくるかもしれない。【佐々木一郎】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

両国国技館で行われた東京五輪のボクシング競技(AP)

1年4カ月ぶり地方開催、名古屋場所のコロナ感染対策実績が福岡につながる

名古屋場所初日、協会あいさつする八角理事長(中央)(7月4日撮影)

昨年3月の春場所以来、1年4カ月ぶりの地方開催となった名古屋場所。コロナ禍での開催も、ここまで大きな混乱は見られず千秋楽を迎える。名古屋場所の出羽海担当部長(元前頭小城ノ花)も「場所前から感染対策を徹底してやってきた。感染症対策の先生の指導のもと、できる限りのことをやった」と胸を張る。

とはいえ、例年通りの地方場所とはいかない。例えば山響部屋。名古屋場所では例年、介護施設の一部を宿舎として使用してきた。しかし、もしも協会員や施設利用者から感染者が出てしまったら…。互いが互いのことを考慮した結果、名古屋市内のホテルを宿舎として利用することになった。当然、土俵はないが、協会は了承済み。出羽海担当部長は「安心、安全が第一ですから」と話す。

ホテル生活となった山響部屋。部屋の力士らによると、1室を2人までで使用。貸し切りの食事会場で、机の上にアクリル板を設置してホテルが用意した食事を食べる。運動が出来る部屋を貸し切り、四股や股割りなどの軽い運動をして場所入りするなど、慣れない環境ながらにできる限りのことをしている。協会員一丸となって開催した今場所の実績が、11月場所の福岡開催へとつながる。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

宇良勝ち越し、戦後最大のカムバック劇 苦難の時乗り越え三役目指す

宇良(右)は突き落としで栃ノ心を破る(撮影・小沢裕)

<大相撲名古屋場所>◇12日目◇15日◇ドルフィンズアリーナ

多くの力士に勇気を与えるカムバックだ。人気力士の宇良が、元大関の栃ノ心を突き落として勝ち越しを決めた。17年九州場所以来の幕内復帰で、勝ち越しは同年夏場所以来。苦難の時を乗り越え、最後は頭から土俵下に転落して1回転した宇良は、まるで子どものような笑みを浮かべた。

取組後は勝ち越しに「うれしいです」と話すも「まだ終わっていない気持ちが強い。残りの相撲があるんで、そっちに集中したい」と表情を緩めなかった。

今場所は序二段まで落ちながら、綱とりに挑む大関照ノ富士が主役の1人を担っている。陥落後、照ノ富士の番付最下位は西序二段48枚目。一方、宇良は西序二段106枚目で、幕内経験者の最大カムバックとして戦後1位を記録した。

その上での勝ち越しは尊い。宇良は今場所中、何度も「(幕内の)レベルの高さを痛感している」と話し「自分の体がもつか」と不安をもらしてきた。2度の両膝の大けが。今も再発の不安と闘う。復帰を決めたのも「1度でも関取に戻れたら」という思いだった。

最高位は17年名古屋場所の東前頭4枚目。空白と大けがを乗り越え、三役を目指す。「あきらめない」思いは強い。【実藤健一】

(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

綱とりの照ノ富士へ“化粧まわし”に込められた思い「ぜひ夢をかなえて」

「気」の大きな文字を中心としたデザインの化粧まわしで幕内土俵入りに臨む照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲名古屋場所>◇10日目◇13日◇ドルフィンズアリーナ

綱とりに向けて、周囲の“後押し”も心強い。

大関照ノ富士は10日目から、名古屋市に本社を置く自動車販売会社の「グッドスピード」から贈呈された化粧まわしで、土俵入りした。

赤色の化粧まわしは「気」の大きな文字を中心としたデザインで、縁起のいい富士山と鶴をあしらい、横綱昇進の願いを込めている。「気」の文字は、同社の経営理念である「気持ちに勝るものはない」から。加藤久統代表取締役社長がかねて照ノ富士と親交があり、製作が実現した。

偶然にも、綱とり場所と重なった。もともとは名古屋での開催が予定されていた昨年7月場所で贈呈するはずだったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で東京開催に変更となり、1年遅れでの実現となった。同社の担当者は「たまたま大関にとっての大事な場所と重なり、巡り合わせを感じます。大関から落ちて苦しい時期を経験しているので、ぜひ横綱の夢をかなえてほしい」とエールを送った。社内でも従業員が照ノ富士の取組をテレビで観戦し、勝った瞬間は拍手が起きる。期待は日に日に高まっている。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「気」の大きな文字を中心としたデザインの化粧まわしで幕内土俵入りに臨む照ノ富士(撮影・河田真司)
「気」の大きな文字を中心としたデザインの化粧まわしで幕内土俵入りに臨む照ノ富士(撮影・河田真司)

「咲かない花はない」100連敗の勝南桜を師匠はどう見ているのか

大相撲名古屋場所7日目 100連敗を喫し浮かない表情で土俵から引き揚げる勝南桜(2021年7月10日撮影)

<大相撲名古屋場所>7日目◇10日◇ドルフィンズアリーナ

西序ノ口24枚目・勝南桜(しょうなんざくら、22=式秀)が7日目の相撲で敗れ、今場所も3連敗で19年初場所の6番相撲からの連敗が「100」に達した。

長い、長いトンネル。本人は取組後の取材に応じていないためコメントはなく、師匠の式秀親方(元幕内北桜)に電話取材で話を聞いた。師匠は「100連敗というのはとても残念な記録だが、本人は悔しさを持って、しっかり努力して力をつけている」と話す。

現在は44歳のベテラン、同じ序ノ口の沢勇との三番稽古が常。師匠によると「最初は全く勝てなかったが、最近は右四つになると勝てるようになってきた。稽古場はいいが、本場所になると、緊張してしまう。稽古場での力を出せれば勝てるようになると思う」。

15年秋場所初土俵で、今月16日に23歳の誕生日を迎える。当初から不安のあった体力面は、自らの努力で克服。式秀親方は「最初は腕立て伏せを1回もできなかったんです。今は10回以上を10セットで100回以上、こなしている。スクワットも欠かさずやっている」。ただ、場所にいくと「負け続けている」トラウマに負けてしまうという。

師匠は「春のこない冬はない。咲かない花はない。必ず連敗は止まると激励している」。勝南桜の「春」は心にありそうだ。【実藤健一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

「大関陥落→綱取り」照ノ富士に元横綱三重ノ海も注目「今後出ない」

逸ノ城(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)

<大相撲名古屋場所>◇6日目◇9日◇ドルフィンズアリーナ

照ノ富士の綱とりが成就するか、元横綱三重ノ海で相撲博物館の館長を務める石山五郎氏(73)も、テレビ越しで注視している。

照ノ富士は中盤戦も白星スタート。大関陥落を経験して、横綱昇進を果たしたのは三重ノ海だけだが、石山氏は「私とは比較にならない」と言い切る。「落ちてここまで戻ってくる力士は今後出ないでしょう。まず大関から落ちて、序二段で取ることが考えられない」。不屈の精神に舌を巻いた。

新大関から在位わずか3場所で関脇に陥落し、特例での復帰に向けて2桁白星が求められた76年名古屋場所は、進退を懸けて土俵に上がったという。「カムバックできなかったら引退しようと決めていた」。結果は10勝5敗で返り咲きに成功。「大関という立場上、大変な思いはある」と、当時の苦労を懐かしそうに振り返った。

横綱誕生は17年初場所後の稀勢の里(現荒磯親方)が最後となっている。石山氏は「特に大関には頑張ってもらいたい。白鵬も体の具合が悪くなっているんだから、早く新しい横綱が誕生してほしい。今の大関は、みんな横綱になるチャンスなんだから」と、奮起を求めていた。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

石山五郎氏

熱海富士が覚悟の奮闘「誇れるような力士に」災害に見舞われた故郷思い

<大相撲名古屋場所>◇4日目◇7日◇ドルフィンズアリーナ

時乃平を寄り切りで破り土俵を引き揚げる熱海富士(撮影・鈴木正人)

18歳のホープが、災害に見舞われた故郷に思いをはせて奮闘している。静岡県熱海市出身の西幕下55枚目、熱海富士(18=伊勢ケ浜)が、初めての幕下挑戦で1番相撲から2連勝とした。高校相撲の強豪校、静岡・飛龍高を経て昨年11月場所初土俵。序ノ口、序二段で優勝するなど、順調に番付を上げている期待の若手は、3日に熱海市で起きた豪雨被害に胸を痛めた。

土石流被害があった伊豆山地区は、実家から車で10分ほどの距離にあるという。「稽古が終わって兄弟子から『熱海、大丈夫か?』と言われてすぐに携帯を見ました。自分の知り合いは無事だったけど、行方不明や身元の分からない人がいるので…」。

地元の知人には、すぐに安否確認も兼ねて連絡した。小学校時代の担任教師らが、逆に励ましのメッセージをくれたことがうれしかったという。しこ名に「熱海」が入っている現役力士は自身だけ。兄弟子の大関照ノ富士にあこがれる大器は「熱海の代表といったら“顔じゃない”けど、熱海の人が誇れるような力士になりたい」。人なつっこい笑顔が特徴的だが、覚悟を込めた言葉は力強かった。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

熱海富士(右)は時乃平を寄り切る(撮影・渦原淳)

進退懸ける横綱白鵬の姿に弟弟子石浦、炎鵬も奮起「成長した心持って臨む」

名古屋場所2日目、貴源治(左)の張り手を顔面に受ける炎鵬(撮影・鈴木正人)

土俵人生を懸ける横綱白鵬の姿に、弟弟子らが奮闘しないわけにはいかない。共に新弟子の頃は付け人を務めるなどし、関取に上がってからも土俵内外で刺激を受けてきた。横綱の背中を見続けてきた石浦と炎鵬は、今場所はより一層気合が入っている。

「いい成績を残してやろうという気持ちは、いつもよりかなり強くなっています」と話すのは石浦だ。先場所は負け越すも、7勝8敗と踏みとどまったことで幕内に残った。そのため、横綱土俵入りでは露払いを務めることになった。「幕尻だけども露払いを務めることができるのは光栄。引き締まる思いです」と言葉に力が入る。

先場所東十両筆頭ながらも、返り入幕を果たせなかった炎鵬。横綱土俵入りに参加できなかったことを悔やんでいる。だからこそ、通常は幕下以下の若い衆が務める付け人業務を買って出た。自身も関取のため付きっきりとはいかないが、初日は自身の取組後も会場に残り、白鵬の出番の際は同行した。「横綱に稽古をつけてもらう度に心が強くなった。成長した心を持って今場所に臨みたい」と話す。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

土俵入りする石浦(19年撮影)

名古屋で力士の足下支える「荒木田土」 季節や天候加味した熟練の水加減

土俵築を行う呼出し衆(09年9月)

大相撲名古屋場所(4日初日、ドルフィンズアリーナ)が目前に迫った。昨年春場所以来、1年4カ月ぶりとなる地方場所開催。本場所で使用される土俵の土は東京場所と同じ「荒木田土」だが、季節や天候などによって水分量の調整が必要になるという。6場所全てで土俵用の土を納入している初野建材工業(埼玉・川越市)特販部の内田英明さん(62)に話を聞いた。

同社が取り扱う荒木田土は川越市内で採取され、大相撲の他にもプロ野球のマウンド、テニスコートやゲートボールなどでも使用されている。荒木田土は粘性があり、ヒビ割れが起こりにくいなどの特徴がある。伝統的に荒川沿いで採取された荒木田土が、国技館の土俵に使われていた。同業務に携わること約30年という内田さん。「荒木田土は生物にも優しい。力士も裸で相撲を取っているわけだから、肌について荒れちゃったりしたら危ない。混入物がないので、自然にも優しいんですよ」と説明した。

17年の名古屋場所前に行われた力士会の際や同場所中に、力士から滑りやすいなどの指摘があり、日本相撲協会は同年九州場所から荒木田土を地方場所でも使うように統一した。巡業でも全体の3分の2で納入するなどの実績がある。

7月の名古屋は湿気が多く、厳密な比率に関しては公表できないというが、東京と比較して若干水分量を多くする。逆に乾燥する11月の九州場所や1月の初場所では、水分量を少なめに。土俵築(どひょうつき)を指揮する呼び出しの大吉らと対話を重ね、年々改良を図っているという。内田さん自らも毎場所前、土俵築の現場に参加。「あまり水を入れすぎてしまうと、軟らかくなって呼び出しさんが土俵を作りにくくなってしまう。長年の勘じゃないですけど、水加減を手で触って確認して分かることもある」と力を込めた。

巨体の力士が戦うため、土俵に掛かる負担は大きい。「200キロ近い人たちが四股を踏んだり、1日に何番も取組をする。それが15日間続いて、年6場所ある。すぐ壊れてしまってはいけないし、力士の方にケガをしてもらいたくないのが大前提。私どももそういうことを大事に納入させてもらっています」。周囲の支えが1年4カ月ぶりの地方場所開催を後押しする。【佐藤礼征】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

白鵬「進退」かけた名古屋場所 角界支えた誇り、気概を胸に、おとこ気を

白鵬(2020年7月22日撮影)

程なくして大相撲名古屋場所(ドルフィンズアリーナ)が始まる。4日が初日だ。コロナ禍にあって名古屋での本場所は2年ぶり、地方場所開催は昨年3月の春場所(大阪)以来となる。その春場所は無観客開催だったから、お客さんが入っての地方場所となると、一昨年11月の九州場所が最後だった。地方の好角家にとっては、待ちに待った本場所興行となる。

話題に事欠かず見どころはあまたあるが、照ノ富士(29=伊勢ケ浜)の綱とり以上に、個人的には横綱白鵬(36=宮城野)に注目している。史上初めて2度目の「一人横綱」として111日ぶりに臨む初日の土俵は、全国のファンが固唾(かたず)をのんで見守るだろう。言わずと知れた「進退」のかかる場所だからだ。

数々の最多記録を樹立し最強を示す一方で、横綱の「品格」を指摘され、何かと物議を醸す言動がここ数年ほどあった。その1つ1つを掘り下げるつもりはないが、問題提起してくれる力士としては得難い存在だと思う。絶対的な強さも備えているから、なおさらだ。大相撲史上に残る希有(けう)な存在とも言えるだろう。

状況は瀬戸際だ。休場しても「出れば優勝」で存在感を示していたが、それも昨年3月の春場所まで。以降の6場所(全90日)は出場が14日だけで全休が4場所。横綱審議委員会(横審)からは「注意」の決議が継続されたままだ。白鵬自身、土俵人生を本場所に例えて「もう10日目を過ぎている」と36歳の誕生日を迎えた3月11日に話している。とうに腹はくくっているのではないか-。

「進退」-。その2文字が初めて白鵬について回ったのは、昨年の11月場所前だった。出場が微妙だった横綱について、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)は「もし出られなかったら、あれですね。来場所に進退をかけて頑張るしかないですね」と踏み込んだ。前言撤回は、その翌日。休場が決まった日に師匠は「白鵬の進退にかかわる発言をしましたが、決して本心でなく軽率だったと深く反省しております。訂正して取り消させていただきます。たいへん申し訳ありませんでした」と書面で異例の謝罪をした。

そして3月の春場所。2連勝しながら3日目から休場したことで、再び進退問題が再燃。この時、やはり取材に応じた宮城野親方は、白鵬が手術後に5月の夏場所も休場し、名古屋場所で進退をかける意向であると説明している。ただし、白鵬自身が明言することはなく、初めて「進退」を口にしたのは今月12日の綱打ち後のことだった。「はじめは(進退の意味が)最後の場所という意味なのかと思っていたけど、その後、この進退という言葉の意味を理解できるようになりましたね。やっぱりこう、進むのか、退くのか止まるのか、というね。そういう意味があることがわかったので。とにかく今はやることをやって、頑張りたいと思います」。

個人的には、あまり「進退」という言葉は使ってほしくない。土俵に立てば相手があることだ。一切の情は排除しなければ戦えない。「相手は負ければ最後の土俵になるかもしれない…」などという感情が少しでも入れば、精神的な影響が出ないとも限らない。まあ「そんなに気が優しかったら土俵は務まらないだろ」と親方衆に一喝されるかもしれないが、同部屋対決や兄弟対決が本割で組まれないのは、そんな「情」の世界だからだと思う。対戦相手に変な邪念が入らなければいいが…。

幸い、白鵬自身は「名古屋場所、秋場所、その先も頑張るという気持ちで、やっぱり早い段階で体を治して頑張りたいという気持ちで」と、手術に踏み切った理由を話している。これは救いだ。土俵に立つ以上は威風堂々と、そしてどんな名選手、名力士にも訪れる散り際はすがすがしく-。たとえ身を引いても、大功労者であったことは異論の余地がない。角界を支えてきた誇り、気概を胸に、おとこ気をたっぷりみせてもらいたい。【渡辺佳彦】

「小よく大を制す」宇良が約4年ぶり幕内に帰ってくる 地獄を見た男は強い

宇良(21年5月23日撮影)

なんとなくどんよりした気分になる。大相撲名古屋場所はドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で7月4日に初日を迎える。昨年は新型コロナウイルスの影響で東京・両国国技館開催となり、2年ぶり。楽しみに待っていたファンも多いはずだが、看板の大関朝乃山がガイドライン違反で6場所の出場停止と場所前は暗い話題が覆った。

とはいえ、話題は満載の場所といえる。横綱白鵬が進退をかけて臨み、大関照ノ富士は綱とりに挑む。幕内下位にも目を向けると、夏場所で十両優勝を飾った宇良が17年九州場所以来となる再入幕を確実にしている。両膝の大けがで序二段まで落ちて、はい上がってきた。そのあきらめないストーリーは照ノ富士の軌跡と近い。

一時、大型化が加速していた角界だが、最近は体重100キロに満たない炎鵬を筆頭に、小兵力士の活躍が目立つ。「小よく大を制す」は大柄な外国人に比べて、体格差がある日本人が好むことわざだ。大きな相手にひるまず立ち向かい、勝つ。そこにはさまざまな工夫があり、リスクがある。宇良も一時は絶望的と思えた大けがを克服し、幕内の土俵に帰ってきた。

見ていて楽しい力士の1人だ。何をやってくれるのか、わくわく感を幕内の土俵に与えてくれる。先場所、優勝を決めた後に「(大けがで)半ばずっとあきらめていたが、すごく運がよくて一度、関取に戻れたらと思って復帰した。まさか幕内までとは思っていなかった」と話していた。照ノ富士も同じ。一度、地獄を見た男は強い。

膝が元通りになることはないという。再発の怖さにおびえながら、トレーニングを重ねてきた。本人は詳しく語らないが、血のにじむような努力は称賛でしかない。

「何をやってくるか分からない」。そんな魅力もプロとして必要な要素。約4年ぶりとなる幕内の土俵で名古屋のお客さんをどれだけ楽しませてくれるのか。ある意味、名古屋場所の“看板”の1人となりそうだ。【実藤健一】

白鵬(2021年3月15日撮影)
照ノ富士(2021年5月23日)

相撲部屋とは何なのか? 突然やってきた「朝潮」の引き際

元朝潮の錦島親方(左)と握手を交わす朝乃山(2019年5月27日撮影)

「その日」は突然、やってくる。あの日もそうだった。32年前の3月、春場所4日目。寺尾に敗れ初日から4連敗となった大関朝潮は、大阪市内の宿舎に戻ると「やめる、やめないではなく、とにかく5日目も取りたい」と私を含めた大勢の報道陣の前で語り、師匠の高砂親方(元小結富士錦)には「もう一番、精いっぱい取りたい」と伝え、翌5日目の出場を明言した。

だが、土俵上の相手に私情をあたえてはならない。本割で兄弟対決や同部屋対決がないのも、根源にはそんな理由がある。過去に「あと一番だけ取りたい」との願いを持ちながら、協会幹部からストップをかけられた大鵬の前例もある。案の定、それはご法度と本人か師匠か協会が判断したかは不明だが、翌5日目の朝、引退を表明した。

朝稽古もカラッとした表情で姿を見せ、宿舎から引退会見に向かう車に乗り込む際には、菅原洋一の名曲「今日でお別れ」を口ずさみ、100人近い報道陣を笑わせた。オチはまだある。その午前11時半から行うはずだった記者会見も、理事会の年寄山響襲名の承認が間に合わず、3時間半後に伸ばされた。周囲をハラハラドキドキさせる「大ちゃん劇場」も、いつもその後には笑いがあった。ただ、今回の引き際ばかりは、そうもいかなかった。

愛称は「大ちゃん」。年下の記者からそう呼ばれても、意に介することなく豪快に笑い合いながら、いつも和やかに会話が進んだ。10日付で日本相撲協会に退職願が受理された退職が決まった錦島親方、というよりやっぱり「朝潮」の方が相撲ファンにも愛着があっただろう。残念なことに、日本相撲協会が定めた新型コロナウイルスの感染対策ガイドラインに違反し、責任を取る形で退職となった。豪放磊落(らいらく)、細かいことは気にしない、嫌なことはあっても一晩寝たらコロッと忘れられる…。そんな性格がコロナ禍で災いしたのだろう。

ある意味、古き良き時代の生き残りだ。昨年の今ごろ、日本相撲協会で希望者全員に抗体検査を受けさせた。「希望者」というから錦島親方は「うちの部屋はいいです」と一度は断った。「そこを何とか…」という協会関係者の説得で受検すると「医療関係者の人は汗だくで検査してくれた。感謝しないとな」と、一度は拒否したことを忘れたように、ありがたそうに感謝していた。ある意味、行き当たりばったりの人-という関係者もいる。

日刊スポーツとの付き合いは、現役引退した89年からだから、足掛け33年になる。自分も現役最後の時代を取材し、評論家としての担当も6年前から始めた。歯に衣(きぬ)着せぬ物言い、それでいて情もあった語りに、パソコンのキーボードを打つ手もスムーズだった。「少しオーバーに表現してしまったかな」と思った時も「いや、俺が言ったままだ」と気にもしなかった親方が一度だけ「あれはないだろう」と言われたことがある。

ある、ふがいない現役大関を評論してもらった際、「過去にいた大関のイメージでは誰が当てはまりますか」と聞いたら「●●さんかな」と答えた。それを評論原稿にも書き、その歴代大関のしこ名が大きな見出しにも翌日の紙面で使われた。「なんか●●さんがダメな人だったみたいじゃないか、この見出しじゃ。そうじゃなく、この苦しみの様子が、俺が見た中では●●さんだったということなのにな」。基本的に年齢的な上下関係は大事にし、先輩後輩の関係も大切にする親方の、少しばかりの“お小言”だった。

基本的には、そんな情に厚い人柄だとは思う。今回、問題になった外食でも、定期的な40年以上の付き合いがあった先輩からのものが複数回あったと聞く。だが、それと自分の脇の甘さは別だ。十数年前の、まだ古き良き時代の相撲界なら黙認されたことも、今は時代が許してくれない。公益財団法人になり、ましてやこのコロナ禍である。統制や規律が厳しくなるのは当然で、そこは「枠にはまらない」性格の人にとっては窮屈であっても、そこはしばし、我慢しなければいけない時期なのだ。そこは百も承知のことで、ルール違反が指摘されると「俺がやめて丸く収まるなら」と、ためらいなく退職届に筆を走らせ、1日には提出した。受理されるまで10日以上の期間があったが、協会を去ることは、とうに腹をくくっていた。

退職届とともに錦島親方は、外出の際に付け人を同行させてしまったことの反省、部屋の円滑運営のために現高砂親方を部屋に住まわせ、部屋の3階にある自宅を引き払うことなども一筆、したためたそうだ。実は師匠交代の際、先代の住居がある場合は、師匠を譲り渡された親方が「通い」のまま部屋運営が続くケースが、これまでもあったと聞く。部屋としての実態がないのでは、ということも週刊誌報道などで見聞きする。師匠から若い弟子まで一つ屋根の下で寝食を共にするのが相撲部屋の根幹だろう。仮に、前述の実態が隠れているなら、今回の錦島親方の退職を、単なる一過性の事案にするのではなく、正常な姿にすることが協会に求められる。朝乃山の件を含め、相撲部屋とは何なのかが問われていると思う。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

勝南桜はあきらめない 式秀親方が挙げた連敗記録脱出へのポイント

勝南桜(2021年3月撮影)

勝ってナンボの相撲界で、連敗記録を更新し続けている力士がいる。序ノ口の勝南桜(22=式秀)だ。15年秋場所で初土俵を踏み、積み上げた白星はわずか3つ。19年初場所で3つ目の白星を挙げて以降は連敗が止まらず、5月の夏場所ではついに97連敗を喫してしまった。いまだ見えぬ、長い長いトンネルの出口。苦しむ弟子の現状をどう見ているのか。師匠の式秀親方(元前頭北桜)に聞いた。

話は入門時にさかのぼる。15年4月。勝南桜が突然、茨城・龍ケ崎市に構える式秀部屋を訪れてきたという。式秀親方は当時のことについて「本人が突然来て『力士になりたいです』と言ってきたんです。1人で。驚きました」と振り返る。いきなりの出来事に驚いた式秀親方はまず、両親の許可を得たのかを確認。「力士になりたいとは知っているけど、今日部屋に行くとは…」。その言葉を聞き、すぐに両親に電話連絡。驚く両親の様子から、その日はすぐに帰宅させた。滞在時間は30分少々だった。

同年の名古屋場所を終えて、茨城の部屋に戻ってきた8月、母と一緒に稽古見学に来た少年がいた。母が「この子がどうしても力士になりたいと言うんです」。よく見ると、4カ月前に1人で部屋を訪れてきた勝南桜だった。「会話をしているうちに思い出しました。まさかまた来るとは、という感じだった」。

弟子が増えるのはうれしいことだったが、気がかりがあった。当時の勝南桜は身長こそ180センチ近くあったが、体重は70キロ程度。体の線が細く、相撲未経験。「正直、無理かなと思った」というが「稽古もきついし大きい力士にぶっ飛ばされるぞ。それでもいいのか」と問うと「頑張ります」。覚悟を聞いて入門を許した。

しかし、厳しい現実が待っていた。序ノ口デビューの15年九州場所から3場所連続で白星が出ず。16年夏場所でようやく初白星を挙げたが、そこから連敗が続いた。18年名古屋場所で自身2個目の白星を挙げるまで続いた連敗は89。当時の歴代最多連敗記録となってしまった。その3場所後の19年初場所で3個目の白星を挙げたが、再び連敗が続いた。自身が持っていた歴代記録を更新し、5月の夏場所ではついに、大台目前となる97連敗を喫してしまった。

決して、勝南桜にやる気がないわけではない。式秀親方は「確かにこんなに連敗して弱い力士ではある」と実力不足を認めつつも、成長を感じている。「例えばですけど、入門した時は腕立て伏せを1回もできなかった。それが今では20回を1セットにしたものを5セットはできる。四股も踏めなかったのが、20キロの重りを持って踏めるようになった。少しずつだけで成長してはいます」。

部屋での申し合い稽古では、“白星”を挙げているという。「これも弱い力士だけど、うちには沢勇という力士がいるのだけど、これには5割から8割ぐらいで勝てている」という。沢勇は92年名古屋場所初土俵で44歳の大ベテラン。最高位は序二段で通算成績は375勝722敗24休。直近では、春場所と夏場所で2勝ずつ挙げている。勝南桜から見れば、格上の兄弟子。その兄弟子に稽古場で勝っている。

では、なぜ本場所で勝てないのか。式秀親方は「入門当初に立ち合い頭から当たって首を痛めた。それから立ち合いで頭からつっこめなくなってしまった」と話す。また「それと連敗記録がトラウマになってしまっている。本来の力が出れば、本場所でも1、2勝はできる。右四つの形を持っている。右を差して左上手を取れば寄り切っていけると思う。ただ、立ち合いだけが今はまだ…」と弟子の気持ちを代弁した。

これだけ連敗が続いても、師弟ともに下を向いてはいない。ここ最近も「ここでやめたら負けだぞ。諦めずにやればきっといつか白星はついてくる。それを信じてやっていこう」と声を掛け、それに勝南桜も応えたという。稽古場には一番最初に姿を現し、ちゃんこは最後まで残って食べているという。体重も入門当初から約20キロ増の90キロ。式秀親方は「本人はしっかりやる気を持っている。いつかその日が来ることを私も信じている。名古屋場所でもダメだったら秋場所でこそ、という気持ち。絶対に諦めさせたくない」と切に願っている。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

 取組を見るだけじゃ分からない、日刊スポーツの大相撲担当記者が土俵周辺から集めてきた「とっておきネタ」をお届けします。