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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

日馬富士、満身創痍の体支える「秘密兵器」とは?

愛用してい治療機器を紹介する日馬富士

 4月2日の三重・伊勢神宮奉納大相撲を皮切りに始まった春巡業も残りわずか。朝8時から稽古が始まり、子どもとの稽古、相撲甚句、初っ切り、横綱の綱締め実演に取組…。巡業に参加してる全力士が、打ち出しの午後3時までフル稼働している。ふぅー、っと一息つきたいところだが、すぐに次の日の巡業先までバス移動。2、3時間の長旅は当たり前で、日もすっかり沈んだ頃に宿舎に到着するハード日程だ。

 そんな中、けがを抱えながら参加する力士も少なくない。春場所後に右膝に水がたまり「急にあちこちに痛みが出てきた」と話すのは横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)。古傷の左肘にも痛みが出るなど満身創痍(そうい)だが、気力を振り絞り巡業に参加している。

 故障した体を支えているのが、日本電気治療協会が推奨している低周波治療機器による「ハイボルト療法」と呼ばれる治療法だ。巡業に駆けつけて治療を行った杉浦直行理事によると「従来の電気治療機器が家庭用ホースの水だとすれば、このハイボルト療法は消防車のホース」と説明。神経の興奮を下げるのと、インナーマッスルの腫れ、炎症をなくす効果があるという。さらに「ミトコンドリアが活性して眠っている力が出てくるんです」と力説した。

 電気治療が苦手な力士も多いが、1度効果を実感するとクセになるという。日馬富士も最初は苦手としていたが、あまりの効果にとりことなり、1日1時間半はハイボルト療法を行っているという。「早く治る。これは本当にすごい」と数百万円する治療機器を自腹で購入したほどだ。

 「けがは稽古しながら治すもの」と話すのは某親方。根性論も必要だが、時代の流れとともに少しずつ環境も変化している。ジムに通ったり、個人的にトレーナーを雇ったり、電気治療やサプリメントを使ったり、科学の進歩をうまく利用する力士は多い。本場所、巡業と1年中働きっぱなしなだけに「我々は治療してすぐに相撲を取れないといけない」と日馬富士。最高のパフォーマンスをするためには時間も、お金も惜しまない。【佐々木隆史】

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活況…不動のような「スー女」いてこそ

大相撲夏場所9日目を観戦する不動裕理(撮影・神戸崇利)

 女子プロゴルファー不動裕理(40)が9日目の22日、また両国国技館にやって来た。「私、けっこうひいきが激しいんです。(同郷の)熊本出身と聞くと『応援しなきゃ』と思っちゃいます」。升席に座り、土俵を見つめる。その姿はツアー通算50勝の永久シード選手ではなく、一ファンにしか見えない。

 最初は08年初場所。知人の紹介がきっかけだったが、すぐにハマッた。「まわしをつけただけのぶつかり合い。真剣勝負です」。相撲が持つ様式美も、素朴な性格に響いた。以来約10年間、1、5、9月の東京場所9日目の月曜日は決まって国技館に足を運んでいる。

 角界が一連の不祥事に揺れた10~11年も、相撲愛は変わらなかった。「こんな時こそ応援しないでどうするんですか?」。空席が目立つ名古屋場所に、1人でチケットを買って見に行った。トーナメントでは、日本相撲協会が販売する「ひよの山」「赤鷲」のヘッドカバーをドライバー、フェアウエーウッドにつけて、プレーした。

 連日の満員御礼。この日も升席に座り、焼き鳥をパクついて、観戦を楽しんだ。「スー女」が増え、活況に沸く大相撲が今あるのは、不動のようなファンがいてこそだ。【加藤裕一】

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強豪 鳥取城北から現役13人目力士

出身高校別現役力士10傑

 鳥取城北高から、また1人の力士が角界の門をたたいた。新序出世披露に、斗城丸(ときまる、19=宮城野)が、兄弟子白鵬の化粧まわしで参加した。鳥取県琴浦町出身で小4の時に両親の勧めで、地元の相撲クラブに入った。東伯中2、3年で全中に出場。鳥取城北高からスカウトされると、15年の和歌山国体で副主将を務めて、8強入りに導いた。高校を卒業したこの春、宮城野部屋に入門した。

 高校を卒業して角界入りする力士は少なくない。出身高校別で、最も現役力士が多かった高校は埼玉栄。豪栄道、妙義龍ら数多くの実力力士を輩出。次に多かったのが鳥取城北で照ノ富士や逸ノ城ら、モンゴル出身力士が代表的存在だ。

 斗城丸が入った宮城野部屋には鳥取城北の先輩、石浦と山口がいる。学年は離れているが「やっぱり安心できますね」とOBの存在は大きい様子。上京前に地元で石浦と会ったという。「入るんだろ? 頑張れよ、って言われました。先輩の名に恥じないように頑張りたい」。同じ学校ならではの絆も、相撲界を生きていく励みになっている。【佐々木隆史】

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振分親方のフラフープの理由は

 大相撲観戦時、観客に取組表が配られる。裏面の一部にQRコードがあり、ロボコップでおなじみ振分親方(元小結高見盛)の笑顔が載っている。その下には「本気でガンバる爆笑動画、公開中!」とある。携帯電話をかざしてみた。すると、動画サイトYouTubeにつながった。振分親方が出演した永谷園「かにのちから みそ汁」の音楽に合わせて、東京・墨田区の東関部屋の前で縄跳びをする動画が流れた。

 同CMの関連企画として、16年5月から始まったもの。こちらの動画では、15秒のCMでは見られない映像が楽しめる。親方は縄跳びだけでなく、フラフープやけん玉にも挑戦。どれも、不器用ながらに一生懸命挑戦する姿に、自然と笑みがこぼれた。

 視聴者に元気を与える企画だが、本人には別の狙いもあった。「新弟子が欲しい。これがきっかけで力士に憧れてたくさん入って欲しい」と期待する。新横綱誕生などで、相撲への注目度は高い。しかし、新弟子検査の受検者は10年前の年間113人を最後に、100人を下回り続けている。きっかけは何であれ、角界の門をたたく人が1人でも増えれば、と切に思う。【佐々木隆史】

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「石浦デザイン」ガムが23日発売

パッケージのデザインをしたキシリトールガムを手にする石浦

 イケメン小兵力士の平幕石浦がこの春、ロッテ「キシリトールガム」20周年プロジェクトに参加した。自らが手がけた記念の限定パッケージの同商品が、23日から全国発売されるという。

 同商品の発売20周年にちなみ、各界から20代を代表する20組がデザイナーとして選ばれた。フィギュアスケートの羽生結弦や女優の土屋太鳳ら、豪華メンバーに石浦も名を連ねた。起用理由についてロッテの広報担当者は「国技の相撲で活躍する若者に着目しました。そこでファッションや他ジャンルに興味を持ち、発信力もあると思ったからです」と説明。趣味は野球、自転車、音楽、絵画など幅広い。加えて、相撲の実力も十分で適役と言える。

 大銀杏(おおいちょう)を結う時には必ずガムをかむという。パッケージの色はその時に「テンションを上げられるように」と、大好きなレゲエをイメージして黄、赤、緑を採用。さらに柄には「相撲と分かるように」と桜や綱、軍配うちわなどをちりばめた。この日朝、完成品を手にすると「かっこいいっすねー」と気持ちが上がり、その効果からか3連勝。支度部屋では笑顔を見せ、相撲も気持ちもスッキリだった。【佐々木隆史】

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「北の湖魂」はかま写真と共に

 場所が変われど、魂は受け継がれる。4月下旬、山響部屋が東京・江東区内の清澄白河から東砂に引っ越した。同部屋は、15年九州場所中に北の湖前理事長(元横綱)が急逝してから、山響親方(元前頭巌雄)が継承。引っ越しするまでは、旧北の湖部屋の建物で稽古や生活をしていた。

 これで正真正銘の山響部屋が完成したが、北の湖魂は目に見える形で残った。稽古場に北の湖前理事長が、紋付きはかま姿で写っている写真が飾られた。清澄白河の写真館で保存してあったネガフィルムを掘り出したという。山響親方は「稽古場に入る時と出る時は必ずみんな一礼するようにしている。背筋が伸びる」と気合をもらっている。還暦土俵入りで締めた綱の切れ端も、忘れられない物の1つ。「今は大事にケースに入れてある。近いうちに玄関に飾ろうかな」とあやかるつもりだ。

 指導法も受け継いでいく。相撲の技術ももちろんだが、さらに大事なものがある。「先代には『人を育てないといけない』ってよく言われてね」。目に見えるものも、見えないものも含め、「北の湖イズム」を継承していく。【佐々木隆史】

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モンゴルとのかけ橋となる土俵

 モンゴル・ウランバートルに、初めて本物の土俵が完成する。ウランバートル市は宮崎・都城市と99年に友好交流都市を締結して以来、さまざまな国際交流を行ってきた。今月下旬に都城市の池田宜永市長がウランバートル市を表敬訪問する時期に合わせ「ウランバートルに土俵を贈る会」が発足。白鵬が会長を務めるモンゴル相撲連盟に贈られることになった。

 同会の杉村秀之会長は「横綱の名に恥じないように作りたい」と胸を張るが、簡単にはいかなそうだ。年平均降水量が東京の4分の1以下で、1年を通して乾燥しているため土に粘り気がなく、土俵の形を作るのが難しい。建設会社の取締役代表も務める杉村会長は「セメントを混ぜてやっていく」と対策を練っている。やぐらもヒノキを使用したいが、乾燥で縮む可能性があるため代用品も検討中。モンゴルに適した土俵を考えている。

 7月の下旬に完成予定で白鵬は「白鵬杯の予選とか、レスリングのマットの上でやっているわんぱく相撲がそこでやれたらいいね」と胸を躍らせた。日本とモンゴルに、また1つ新しいかけ橋ができた。【佐々木隆史】

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よみがえる相撲の町のにぎわい

 横綱稀勢の里の誕生と2連覇による熱気は、両国国技館だけではない。かつての「相撲の町」にもにぎわいをもたらしている。

 田子ノ浦部屋が居を構える東京都江戸川区の小岩。第44代栃錦の出生地でもある土地に移ったのは14年末だった。JR小岩駅には栃錦の銅像があり、菩提(ぼだい)寺もある。まさに相撲の町。ただ、当初は相撲部屋が移ってきたことすら、知らない人が多かった。

 それから2年半。初日前日に呼び出しが各商店などを回って取組を呼び上げる「触れ太鼓」の数は一気に増えた。最初の数軒から、初場所は14軒。今場所前は17軒に。当初から商店を回って頼み、活気を取り戻そうとしてきた地元の富田勝之さん(57)は「横綱の人気はすごい。もう、秋場所前の予約も来ています」。

 夕方から3時間近く巡る田子ノ浦部屋の呼び出し光昭は「ここに相撲部屋があると分かってくれたんでしょうね。相撲好きが多い町だと感じます」。部屋を探し歩き、看板の写真を撮って帰る地元の人も増えた。店には優勝を祝うポスターが張られ、相撲にちなんだ音楽も駅前から流れる。

 「触れ太鼓」の基礎は1700年代前半の徳川吉宗の享保にさかのぼる。1人の横綱が、小岩に相撲の色香を再び送り込んでいる。【今村健人】

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留学経由角界入りのはしり 錦島親方

引退会見を行った朝赤龍(右)。左は高砂親方(撮影・神戸崇利)

 元関脇朝赤龍で夏場所前に年寄を襲名した錦島親方(35)が15日、両国国技館内で師匠の高砂親方(元大関朝潮)同席で記者会見し「17年間、支えていただいた方々に心から感謝します」と語った。思い出の相撲は初日から12連勝した04年春場所。ストレート給金と、全勝対決で13日目に大関千代大海に敗れた2番を挙げた。今年初場所、88場所ぶりに幕下陥落。「(関取輩出の)139年間の部屋の歴史を切りたくなかった」という思いで引退も考えたが国籍取得を待った。

 日本相撲協会によれば、外国出身力士で年寄襲名の第1号は元関脇高見山(渡辺大五郎)。以降も大関小錦(塩田八十吉)、横綱曙(曙太郎)、武蔵丸(武蔵丸)らが日本名を本名として在籍も、現行制度では継続可能なため錦島親方は日本名=本名も「バダルチ・ダシニャム」のまま通す初めての親方になる。

 先駆けと言えば「モンゴル→留学経由角界入り」のはしりでもある。00年9月に元横綱朝青龍と来日し、明徳義塾高に相撲留学。日本の生活に順応しての入門で現役では照ノ富士、貴ノ岩、逸ノ城らの道しるべになった。断髪式は来年初場所後を予定。「真面目で実直」(高砂親方)な性格そのままに部屋付きで後進の指導にあたる。【渡辺佳彦】

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待ったなし!台覧相撲 皇太子さま約10年ぶり

大相撲夏場所初日を観戦される皇太子さまと雅子さま(撮影・小沢裕)

 夏場所初日の14日、幕内後半戦の相撲を皇太子ご夫妻が観覧された。皇族方がご覧になる「台覧相撲」だ。平成以降、天皇陛下が観戦される「天覧相撲」は今年初場所で3年連続22回を数えるが、現在の皇太子殿下の観覧は約10年ぶり9回目。前回は07年秋場所14日目で、愛子さまも来館されご一家での観戦だった。

 皇太子として初めてのご観覧は、殿下が30歳だった90年秋場所8日目。結びの一番は横綱北勝海が前頭陣岳を押し出して7勝目を挙げた。そのまま連勝を続け7度目の優勝を果たした、その八角理事長(53)はこの日、両殿下の説明役。満員の館内に「いっぱいですね」の言葉をかけられ、稀勢の里らケガの力士を心配されていたという。「良い取組、いい相撲をありがとうございました」の声と、次回は愛子さまも一緒に来館したいお気持ちを告げられ「こればかり(説明役)は慣れない。緊張した」と胸をなで下ろした。

 力士も緊張感を持って臨んだのか、待ったは1度もなし。宝富士は天覧相撲と合わせ「5、6回目で初めて勝って良かった」と喜び、10年前の台覧相撲も横綱で前頭豪栄道を破っている白鵬も「自然と力が出ます」と胸中を明かした。【渡辺佳彦】

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朝稽古が教えてくれる“非日常”で生き抜く厳しさ

稽古を行った照ノ富士(左)(撮影・加藤裕一)

 朝稽古に行った。何を今更と思う方は多いでしょうが、なんせ新米担当、言わば“新弟子”なんで。行く先々、初めてのことばかりで戸惑う反面、新鮮なことこの上ない。

 「記者さん、初めてだろ? ごめんね荒っぽくて。『僕』なんて言って強くなったら、世話ないんだけどさ」。部屋の隅に座る記者に声を掛けてくれたのは、境川親方(元小結両国)だった。

 荒い息づかいと、砂がすれる音。何より100キロを優に超える者同士がぶつかる衝撃。「バシッ」と言うか「ゴンッ」と言うか「ガツッ」と言うか。うまく表現できないが、硬くて、重くて、鈍い音が朝の静かな空気を奮わせる。

 そこに「てめえ!」「バカ野郎!」「何してんだ!」てな罵声が飛ぶ。時代劇に出てくる、けんかっ早い江戸っ子みたいな。…境川親方は長崎出身やけど。

 時津風部屋では、出稽古に来た関脇高安が、新入幕の前頭、小柳改め豊山を三番稽古でくしゃくしゃにした。すっかり息が上がって、まだ髷(まげ)を結っていない髪がザンバラに乱れた豊山を、これまた出稽古に来ていた大関照ノ富士が叱責(しっせき)する。「気持ちが途中で切れてるじゃん」「ほら、もっとあご引かなきゃ」-。冷ややかにも聞こえる、平然とした口調が逆に怖い。

 ぶつかり稽古で、胸を出す先輩が必要以上? にこらえて、若手に押させない、終わらせない。別の部屋では、へたりこんだ若手の背中を、先輩がペシペシ蹴る光景も見た。

 「これに耐えんと、上に行けんのやなあ」。素直にそう思う。

 かつて「かわいがり」が問題になった。「しごき」は「悪」そのものみたいに…。でも、ほんまにそやろか? 強くなるのは難しい。今の自分を超えんといかん。非日常の世界で生き抜くには、非日常の厳しさ、理不尽さに耐えて、打ち勝たんとあかん。

 朝稽古は、いろんな意味で「必要な厳しさ」を教えてくれる。【加藤裕一】

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「一口復興城主」になった天風、熊本城にかける想い

天風

 先月は熊本地震から1年の節目だった。いや、「区切り目」を意味する節目という言葉は、適切ではない。被災し、いまだ立ち直れていない人はまだ、数多くいる。復旧、復興できていない地域も多い。現場に節目はない。そもそも、被災者であろうとなかろうと、節目なんて誰にも、いつになっても、訪れるものではないのかもしれない。

 だから、十両天風(25=尾車)が2月に熊本城の「復興城主」に一口、加入したと聞いたとき、いいなと思った。そして彼は、3月の春場所後にプライベートで熊本を観光に訪れた。

 「熊本が好きで、城をめぐるのも好き。でも、熊本城には行ったことがなかった。みんなが復興に向けて一生懸命、寄付している状況の城を目に焼き付けておかないとと思った。せっかく城主になったので、見ておかないと申し訳ないですしね。観光と、反省を込めて行きました」

 思えば1年前。日本相撲協会や力士は各巡業地や両国国技館で、募金活動を行ってきた。九州出身の力士が中心となって実施したが、その中で持ち前の明るさで先頭に立って募金箱を持ち、声を張っていたのは香川県出身の天風だった。

 「地元ではないですけど、自分の地元がこうなったらと考えると…。だから、助け合うことは当たり前だと思っている。見に行って良かったですよ。まだガタガタで全然、撤去できていない道もあった。お城もだいぶ崩れていた。ひどい部分がいっぱいあった。でも、それに負けない皆さんの頑張りやぬくもりがあった。その力は全然、落ちていない。そんな雰囲気を感じました」

 日頃からおしゃべり好きで、並外れて明るい性格。そして、関取最重量の208キロの体形から、ゆるキャラのような扱いを受ける天風だが、そんな一面も持っている。

 あ、もちろん、熊本旅行の楽しみは「馬刺しと、あか牛がかなりおいしかった」と、食べ物だったことは言うまでもない。【今村健人】

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満身創痍の朝赤龍を支えた「日本人の心」  

日本国籍取得から一夜明けた4月22日、朝稽古後に笑顔でちゃんこに舌鼓を打つ朝赤龍

 左記の者の申請に係る日本国に帰化の件は、これを許可する。 平成二十九年四月二十一日 法務大臣 金田 勝年

 バダルチ・ダシニャム 昭和56年8月7日生

 独立行政法人国立印刷局が発刊する、いわば国の機関紙である官報。その4月21日付の告示を待ちわびていた力士がいた。元関脇で、春場所は陥落した幕下で2場所目の相撲を取っていた朝赤龍(35=高砂、本名バダルチ・ダシニャム)だ。晴れて日本国籍を取得した記念日となった。

 18歳で入門し、17年間の“勤続疲労”で体は満身創痍(そうい)。それでも、相撲をやめるにやめられぬ理由が国籍取得にあった。引退し日本相撲協会に残るには、年寄名跡を取得し親方になる必要がある。その絶対条件が、日本国籍を有する者であること。昨年7月に法務省へ申請し約9カ月。翌22日に、東京・墨田区内にある高砂部屋で朝稽古後、朝赤龍は「いろいろな人に聞くと1年ぐらいかかる、と言われていたから早い方じゃないかな」と、肩の荷を下ろしたような安堵(あんど)の笑みを浮かべながら話してくれた。

 外国出身力士が、親方になるために避けて通れない国籍取得の壁。現に、モンゴル籍のまま年寄になることを切望しているとされる、史上最多優勝を誇る横綱白鵬でさえ、現状の角界の答えは「NO」だ。連綿と受け継がれる角界の伝統を守るべき姿勢は、当然ともいえる。

 朝赤龍は、生まれ育った国の国籍を変えることは「とても勇気がいることだった」と振り返った上で「でも、このまま相撲界に残りたかった。引退後も残るためには親方になる必要がある。そのためには、国籍を変えなければならない。だから迷いはなかった。親の反対もなかったし」と話す。

 だから協会の姿勢も納得できる。それは理解した上で、官報に告示される以前から「心は日本人だった」と言う。「20代とか30代になって日本に来たわけじゃない。10代で外国に来て、右も左も分からない世界に入り、ここまで来たんですよ。それはもう日本人ですよ」。籍は違えど、日本人の心を持たなければ、ここまで順応し、出世も出来なかった-ということだろう。

 これで心置きなく、相撲を取れる。もちろん引退も選択肢の1つだろう。今後、戸籍を取るなど諸手続きを経た上で、去就については師匠の高砂親方(元大関朝潮)と相談した上で決めるという。どんな決断を下そうとも後悔はない。名実ともに「1人の日本人」となった朝赤龍の動向を見守りたい。【渡辺佳彦】

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女子ゴルフ界に急増「スージョ」相撲との意外な接点

不動裕理(左)に激励される白鵬(2013年5月撮影)

 相撲担当になった。しかし、まだ取材してへんし…。そこでファンの方には大変失礼ですが、今回は外から相撲を見た話を書かせてもらいます。

 女子ゴルフです。ゴルフを足かけ15年ほど担当してきたけど、ここ数年でものすごく“スージョ”が増えた。相撲とゴルフの両方に詳しい人は知ってると思いますが、その一端を紹介すると…。

 先駆者はツアー通算50勝の永久シード選手・不動裕理プロ(40)ですわ。08年頃からハマり始めて、最近は東京場所なら必ず1日は観戦に行く。八角理事長、時津風親方や先代の九重親方(元横綱千代の富士)たちと随分親しくつき合ってるらしい。「相撲担当になるんですか? 楽しいですよ、相撲。場所中に会えるじゃないですか」。担当替えを伝えたとき、そんな風にニコニコ言うとった。でもね、不動ちゃん、そら君は楽しいやろうが、こっちはプレッシャーでいっぱいなんやけど。

 相撲、力士に関する知識で1番なんは、比嘉真美子プロ(23)かな。ツアー通算2勝で、誕生日(年は違う)が同じ勢関と仲良しらしい。もちろん場所は積極的に見に行ってる。「比嘉さん、角界で男前って誰なん?」と、超初心者的な質問をすると「う~ん、一般的な見方をしたら、やっぱり遠藤関かなあ。でも、親方を含めたら、間違いない! 陸奥親方です!」。力強く断言できるほど、よく見てるっちゅうことです。

 他にも比嘉と同学年の飛ばし屋・渡辺彩香プロ(23)も今年の初場所で観戦デビューした。13年賞金女王の森田理香子プロ(27)も東京場所だけでなく、こないだの大阪場所にも行った。米ツアー選手の宮里美香プロ(27)は白鵬関と親交があって、賞金女王に3回なったアン・ソンジュプロ(29)。原江里菜プロ(29)と青山加織プロ(31)は観戦こそまだしてないけど、立浪親方、おかみさんと仲が良くて、部屋近くで大会があるときは、ちゃんこをごちそうになりに行く。

 そんな彼女たちの多くは、私が担当替えを報告すると「えーっ! 相撲~?」と判を押したように笑い、少しも寂しそうな顔をせず「盛り上がってるし、いいじゃないですか。取材も楽しいって」-。

 正直言うて、相撲はほとんどわかりません。ただ、こんだけ多くの女子プロを引きつける理由はなんなんか? これからの取材で確かめようと思います。【加藤裕一】

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稀勢の里V支えた 40歳兄弟子が付け人“転身”

翔傑

 新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた大相撲春場所。その瞬間を最も近くで固唾(かたず)をのんで見守り、思わず声を張り上げて興奮した“同志”がいた。7人の付け人たちだった。その中の1人、40歳の三段目翔傑(芝田山)だけは、稀勢の里の兄弟子という立場で新横綱を支えた。

 芝田山部屋の若者頭、花ノ国の推薦もあって横綱の付け人に就くことが決まったのは、昇進伝達式翌日の1月26日の綱打ちの日。ただ、当人には突然の知らせだった。田子ノ浦部屋付きの西岩親方(元関脇若の里)から「まだ、やめないよな!?」と念を押されても、最初は何のことだか分からなかった。「横綱の付け人がころころ代わっては困るから」と言われて、初めて大役に就くことを知った。

 「10歳も離れた年上の自分がいたら、やりづらくないだろうか」。そう思いながら横綱のもとへ行くと「よろしくお願いします」と握手をされた。ならばと心を決めた。「自分の相撲は3。横綱の仕事が7。自分なりの気遣いでやろうと思いました」。不惑にして初体験の場所が始まった。

 3日目の取組後、支度部屋で珍しく…いや、千秋楽を除けば初めて、笑顔を見せる稀勢の里がいた。談笑の相手は翔傑だった。「懐かしかったですね」と、横綱から話しかけた。

 この日のNHK大相撲中継では稀勢の里特集が組まれていた。04年初場所13日目で幕下優勝を飾った決定戦の、懐かしい場面も放映された。その決定戦の相手こそ、実は当時「駒乃富士」の翔傑だった。

 「テレビで流れたときは、お互い見合ったんです。そして取組後に『13年前ですね』と、横綱から。実は当時は国会中継のために放送されなくて、おそらくお互いに映像を見れていない。そのことを話すと『あっ、そうだった!』と」。

 稀勢の里を名乗る前の当時17歳の「萩原」と、27歳と脂ののっていた翔傑。番付こそ全く違うが、同じように真摯(しんし)に相撲と向き合う2人が、かつて1度だけ交えた肌。だからこそ、優勝を懸けた一番の思い出は余計に深く残り、だからこそ、翔傑は横綱のためにと考えた。だからこそ、稀勢の里にとっても“必要な兄弟子”だったのだろう。

 逆転優勝が起こった千秋楽の2番を見終えたとき「すごい。本当にすごい」と感動していた翔傑は、春場所最後の一番で勝ち越した自分を「横綱の力です」と笑い、感謝していた。【今村健人】

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“同じ変化”だったが…稀勢の里、照ノ富士の明暗

立ち合いに右へ変化した照ノ富士は、琴奨菊をはたき込みで破り13勝目を挙げる(撮影・岡本肇)

 大相撲春場所は、新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた。左肩付近にテーピングを施した手負いの横綱が、本割、優勝決定戦とも逆転の相撲で大関照ノ富士(25=伊勢ケ浜)を連破。貴乃花以来の新横綱優勝を果たし、君が代斉唱で涙した姿に、列島が興奮のるつぼと化した。

 柔道の山下泰裕しかり、骨折した反対の右手だけで痛打した阪神金本知憲しかり、そして鬼の形相で武蔵丸を投げ飛ばした貴乃花も。手負いのアスリートが、骨身を削って全霊を傾け勝負に挑む姿は、どんな時代でも人の心を打って止まない。

 その稀勢の里の不屈の姿勢に、何ら異論を挟む余地はない。傷を負った姿で戦うのは相手に失礼、その後の土俵人生を棒に振ったとされる貴乃花の例を出すまでもなく代償を考えた時、出場にストップをかける関係者はいなかったのか、という声も確かにある。

 ただ今回は、誰あろう横綱が判断したこと。周囲が思うほど重傷ではなかったのかもしれないし、本人がこれで現役生活を断たれようとも土俵を全うするのが横綱の務め、と決断したのなら周囲は尊重し見守るしかないだろう。貴乃花親方(元横綱)も千秋楽の取組前に「出場を決めた稀勢の里の意思を尊重して、私たちは見守るしかない」と話していた。

 そんな状況で勝負はついたが、どこかふに落ちない一抹のモヤモヤが正直、残った。そんな時、旧知の知人から電話があった。陸上競技に長く携わった相撲ファン。短い問いかけにハッとさせられた。「あのさぁ、稀勢の里すごかったけど、同じ変化でも稀勢の里は何ら問題にされないのに、照ノ富士は気の毒だよな。同じようにケガしてたっていうじゃない。同じように格下相手なのに、ちょっと気の毒っていうかなぁ…」。

 稀勢の里が選択した千秋楽本割の照ノ富士戦での、立ち合い変化。左の上半身は使えない。ならばと「上(左の上半身)がダメなら下(足)がある」と飛んで打開しようとした。どんな時も愚直なまでに真っ向勝負を挑んできた横綱が、窮余の策に選んだ変化。その2日前、もんどり打って倒れ、苦痛に顔を歪ます姿をファンも、取材する我々も見ている。白日の下にさらされたことで、誰もが変化を「容認」した。批判するつもりは毛頭ない。当然の選択だと思う。

 一方の照ノ富士。前日14日目の琴奨菊戦は、注文相撲で13勝目を挙げ単独トップに立った。館内からは中傷まじりのブーイングの嵐。千秋楽を終え、いみじくも照ノ富士が「目に見えない傷がある」と吐露した心の傷を抱えての2番だったろう。相手が、あと2勝で大関復帰となる琴奨菊だったことも非難ごうごうに拍車をかけた。

 この時、照ノ富士の左膝は悲鳴を上げていた。12日目の朝稽古後、明らかに照ノ富士の表情が、抱えた痛みでくもったのを日刊スポーツの担当記者が報告してきた。翌13日目の鶴竜戦で足を引きずるまで悪化。14日目の朝稽古後は病院にも行ったという。

 膝など下半身のケガは、上半身のそれより力士生命を縮めかねない致命傷になる。八角理事長(元横綱北勝海)も稀勢の里が負傷した際に、程度の差はあるが「ケガをしたのが脚でなかったのが、せめてもの救いじゃないかな」と話していた。ただ、大関の負傷状況は本人も詳細を明かさないことから、さほど報道されず「目の前の白星を安易に拾いに行った」という印象を与えてしまった。一方の稀勢の里は取組直後の、衆人環視の元でのケガ。同じ番付下位の相手に見せた「変化」だが、照ノ富士を知人が指摘する「気の毒」な状況にさせたのは、そんな背景もあったと思う。

 稀勢の里の存在は間違いなく、現状の相撲人気を支える柱になっている。それには、スポーツメディアも乗るところは乗って、盛り上げたいと思う。一方で、熱狂の裏側に当てるべき視点、逃してはならない冷静な目を失ってはいけない。余韻が覚めやらぬ、いまだからこそ思う。【渡辺佳彦】

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稀勢の里、よく頑張った 両親も号泣

稀勢の里の表彰式で、顔を覆う母裕美子さん(後方中央)と父貞彦さん(同右)(撮影・岡本肇)

 向正面の升席で稀勢の里の父萩原貞彦さん(71)と母裕美子さん(62)は、息子の勇姿を見届けた。

 茨城の実家から約9時間かけて、自らの車の運転で駆けつけた貞彦さんは「2つとも取れる予感がありました」と話し、14日目の鶴竜戦の黒星に「いい演出になったんじゃないですかね」と冗談交じりに言った。左肩付近を負傷しても出場した姿に「横綱でなかったら出場しなかったと思う。稀勢の里を見たくて大勢の人が来てるからね。ファンがいなければ相撲は成り立たない」と息子の気持ちを代弁するように話した。

 裕美子さんは息子の強行出場に「絶句です。あんなに痛がるの初めて見ました。休場でもいいと思いました。親としては心配だった」と親心をのぞかせた。君が代斉唱で泣く息子の姿に「子供の時から泣き虫だった。ああいうの見て泣けました」ともらい泣きした。

 支度部屋近くの売店にいた時に、場所入りした息子と遭遇した。知らないふりをしたが、一瞬見ると目が合ったという。「横綱になってから近寄りがたい」と裕美子さん。だがアイコンタクトで、家族の力は確実に伝わっていた。【佐々木隆史】

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「しんどいけど楽しみ」「休んでほしい」稀勢の里

 ファンも親方も力士も、負傷を負いながらも土俵に立った新横綱稀勢の里を、さまざまな思いを胸に見届けた。

 相撲ファン歴30年で稀勢の里の場所入りを見届けた50代男性は「これで優勝したら貴乃花の再来や。しんどいと思うけど楽しみやわ」と期待した。一方で30代女性は「休んでほしい。だけど見られるのはうれしい。でも来場所休場になったら寂しい」と複雑な思いだった。

 土俵下に落ちた稀勢の里の至近距離にいた片男波審判員(元関脇玉春日)は「昨日はかなり痛そうにしていた」とその時の状況を話した。だからこそ出場について「覚悟があるから土俵の上に立つんじゃないですかね」と横綱として責任を果たす姿勢に感心した。

 この日胸を合わせた鶴竜は、横綱同士だからこそ分かる葛藤を明かした。「まぁ同じ立場だったら、出るかもしれない。諦められないよね。優勝の可能性があるからね。悪くなるかもしれないけど」と自分のことのように話した。

 本来の力とはほど遠い相撲で2敗目を喫した稀勢の里。読者のみなさんは、どのように感じただろうか。【佐々木隆史】

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角界は堂々「ゆとり世代」 昭和生まれ関取を上回る

 春場所では平成生まれの関取が36人となり、昭和生まれ関取(34人)の人数を初めて上回った。世間では「ゆとり世代」などと呼ばれ、打たれ弱さなどがしばしば指摘されるが、角界の平成生まれはひと味違う。

 関取最年少で20歳の貴景勝は敗れても堂々としている。10日目には自分より55キロ軽い、114キロの石浦に押し出されて土俵下まで転げ落ちた。支度部屋で「なんですかね。うまいこと肩口を…」と言いかけてから吹っ切れたように言った。「まあ弱かったから。ただ単に実力がなかった。横綱に勝っても1勝。序ノ口に負けても1敗」と、潔く独特の言い回しで反省した。

 24歳の北勝富士は、右ふくらはぎの肉離れを抱えながら土俵に立っている。ここまで6勝7敗。6割程度の力しか出せていないというが、「最初は3割ぐらいの力だった。でも師匠(八角親方)から『やりながら治すんだ』と言われた。どうやって治すんだと思ったけど、今は実行できているかな」。困難な状況に直面しても気持ちは前向きだ。

 もちろん、ほかの平成生まれの力士も負けていない。平成2年生まれの大相撲担当1年目の記者には見習うところばかりだ。【佐々木隆史】

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意外と多いスケート力士

相撲観戦に訪れた本田きょうだい。左から太一、真凛、望結、紗来(撮影・鈴木正人)

 氷上のプリンセスに、力士たちも色めいた。フィギュアスケート本田真凜の来場を知って、まずは幕内最年少の20歳貴景勝が心を弾ませた。「めっちゃ好きっす。結婚したいっす」と、ややフライング気味にラブコール。大阪出身の勢も「彼女は京都出身ですか? 近いですね。僕も違う競技は勉強になると思ってるし、同じ関西出身だし機会があれば話をしたい」と“異業種交流”を熱望した。

 砂まみれになって番付を上がってきた関取衆の中には、さすがにフィギュア経験者はいないが、アイススケートに親しんできた北国育ちは多い。岩手・盛岡市生まれの錦木は「ある程度は滑れる。体重の掛け方で曲がれるから面白い」。モンゴル出身の千代翔馬は「冬はスケートが遊びだった。後ろ向きで滑れますよ」と意外な事実を明かした。

 八角理事長(元横綱北勝海)も、長野五輪スピードスケート金メダルの清水宏保らを輩出した北海道・十勝地方出身。「スケートが盛んだった。膝を強くするには一番いい」と懐かしがる。その上で、将来が楽しみな本田へ「違う競技を見るのも勉強になるんじゃないかな。楽しんで帰ってもらえれば」と優しい言葉を贈っていた。【木村有三】

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快進撃の照ノ富士 不思議な力が後押ししてる?

 快進撃を続ける照ノ富士には、何かがついているのかもしれない。

 伊勢ケ浜部屋の稽古場は、大阪市内の公園内にある。稽古後は全員でそんきょ姿勢を作り、公園の守り神として地蔵が設置している東方向を向いて、勝利祈願を込めて黙とうを行う。だが照ノ富士だけは南西を向く。本人は理由を口にしないが「土俵祭りが終わると神様がいるから」と、ある関取。土俵祭りは会場の本土俵で行われる、安全と興行の成功を祈念する行事。その縁起にあやかり、土俵祭りが行われた11日から会場方向を向いて黙とうをしている。

 そして自身4度目のかど番から自己最速の9日目に脱出。1敗を守り、15年夏場所以来2度目の優勝も狙える快進撃。それにあやかろうと、その他の力士も今では南西を向いて黙とうを行っている。

 昨年初場所を途中休場の原因となった左膝半月板損傷の手術から1年。ケガに苦しんだが、復活の兆しが見えてきた。本人の血のにじむ努力はもちろんだが、加えて不思議な力が後押ししているのかもしれない。【佐々木隆史】

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白星比例 稀勢の里グッズも売り上げ伸びてます

 稀勢の里は、土俵の外でも輝いている。会場内の松本売店の松本啓一店長は「熱気が違う」と去年までとの違いに興奮した。

 販売されている稀勢の里関連グッズは約30個。連日、欠品になる商品が出て1、2日の入荷待ちは当たり前。中でも1番の売れ行き商品は「稀勢の里」と書かれた応援タオル。1日10個売れれば御の字のところ、平均で20個以上売れており合計で200枚以上売れている。早めに再入荷し「欠品しそうだった」とうれしい悲鳴を上げた。

 大阪独自の商品で盛り上げたいと、今場所限定商品も販売されている。大阪出身関取の名前をローマ字で並べて「OSAKA」と書かれたタオルも売れ行き好調。大相撲大阪売店組合の小林久爾夫会長も「稀勢の里効果と相まって2、3割は売り上げが伸びている」と喜んだ。

 一般的に、成績不振の横綱、大関陣が多いと、商品全体の売り上げも落ちるという。白鵬、豪栄道が休場し、2横綱が3敗と元気がない。それでも売れ行きは「稀勢の里のおかげで全然落ちていない。このまま勝ち続けてもらいたい」と松本店長。星と売れ行きの伸びに期待いっぱいだった。【佐々木隆史】

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沸いた!! 代役審判振分親方の場内説明

物言いがついた取組を説明する振分親方(撮影・鈴木正人)

 昼下がりの場内が沸いた。二番出世披露後、十両土俵入りまでの31番のうち3番が物言いに。際どい勝負のたびに観客に協議の説明をしたのは、今場所2度目の審判長を務めた振分親方(元小結高見盛)だった。

 最初の2番は何とか説明をこなしたが、3番目の幕下琴太豪-千代嵐戦で混乱した。「両者の体(たい)が…」と言った後に詰まる。通常なら「落ちるのが同時と見て取り直しにします」と続けるところだが「が…と…ど……」と次の言葉が出てこない。向正面の錣山親方(元関脇寺尾)が「落ち着け」と言わんばかりに、両手を下げるポーズを取り、ようやく「土俵の外に出ており取り直しにします」という表現で終えた。

 休場の陣幕親方(元前頭富士乃真)の代役として、今場所は同じ高砂一門から急きょ審判を任された振分親方。場内は「しっかりしゃべれ~」とヤジも飛ぶ中、必死に説明しようとする姿勢に生真面目な人柄がにじみ「高見盛~」という励ましもあって笑いが生まれ、和んだムードに。本人は「先輩方に話し方を教えてもらってるけど、今日は50点。細かく話せなかった」。花形の審判は責任も大きいだけに素直に反省したが、何をしても注目される独特の存在感は親方になっても健在だ。【木村有三】

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横綱の取組まで?いいえ、弓取り式までが大相撲です

 結びの一番を終えた後に行われる弓取り式。大銀杏(おおいちょう)を特別に結った序二段聡ノ富士(39=伊勢ケ浜)が土俵に上がるが、締める化粧まわしが6場所中、大阪だけ違う。いつもは日本相撲協会の物だが、春場所だけは関西の維持員で構成する「東西会」から贈られた物を使う。

 茶色の陣羽織を着て東と西のたまり席に座ることから東西会という。32年1月に、62人の関取のうち、待遇を不服とした48人が協会を脱退し、主に関西で興行を始めた「春秋園事件」で、戻るように説得したのが東西会の前身の十日会。それが実らなければ一時廃止となった大阪場所は、どうなっていたか分からない。

 37年に「大日本相撲協会 東西会」となって80周年の今場所、化粧まわしは20年ぶりに新しくなった。

 会には「カメラ、ビデオ、携帯の持ち込み禁止」など数項目の「観覧規定」があり、最後に「弓取り式が終了するまで絶対に座を立たぬ事」とある。一般客にもお願いしているという。川井敏彦副会長は「弓取り式までが大相撲ですから」。新横綱に沸く浪速の春だが、横綱の取組までが相撲、ではない。【今村健人】

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中学時代の“芸名”スマイリー宇良

 たくましくなった教え子を、熱いまなざしで見つめていた。宇良の大阪・寝屋川五中時代の担任だった竹下智子先生(45)が、大相撲を初観戦。貴景勝に敗れたが「感動しました。場所前に稽古見学した時に『一生懸命やります』と言ってくれたんで、そういう相撲を取ってくれてうれしかった」と、声を上ずらせた。

 中学時代の宇良少年を、恩師は「のんびりした子。クラスでは癒やし系でした」と振り返る。驚いた出来事もあった。2年時の文化祭。有志で出し物をすることになり、宇良も友人と2人組で登場。相棒がジャグリングを披露した後、マットの上でバック転、前転宙返りと、アクロバットショーを独演した。「スマイリー宇良」という“芸名”を自ら名乗り、会場は大盛況に。当時150センチ、50キロほどで小柄なぽっちゃり体形だった宇良が、体操選手のような機敏な動きを見せたことに、竹下先生も「こんなんできるの!」と目を奪われたという。

 あれから約10年。173センチ、132キロまで成長し、さらに大きな相手と戦う教え子に、恩師は「勝ち負けより思い切ってやると宇良も言ってるので、そういう自分の相撲を取っていってほしい」と願った。【木村有三】

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Yes資金援助!!大阪大で土俵開き

大阪大相撲部員と勢ら。前列左から3人目が高須克弥院長。2列目左から4人目が中山皓太郎前主将(撮影・木村有三)

 高まる相撲人気の波及効果は、角界以外にも表れ始めている。春場所前、大阪大で土俵開きが行われた。創部6年目の相撲部はコンクリート上にマットを敷いて稽古していたが、頭を強打する部員が出るなど、ケガ人の多さが悩みだった。

 そこで前主将の中山皓太郎(3年)は考えた。高須クリニックの高須克弥院長が、リオ五輪男子サッカーのナイジェリア代表に資金援助したニュースを見て「相撲部の援助もお願いしよう」と決意。マットがよれて足が引っかかり、すり足もできない状況を説明し、土の土俵で稽古したい思いを手紙に書いた。好角家の同院長は、その熱意を感じとり「転んでバカになったら国家の損失」と500万円の援助を決め、立派な土俵が造られた。相撲への理解が深い経営者の登場も、人気の高まりがあってこそだろう。

 4月から4年生の中山は、経済学部で金融工学を学ぶ。身長183センチで相撲の実力も十分。昨年の西日本学生85キロ未満級で優勝し、全国3位。「学生最後の1年はすべて相撲にささげたい」。念願の土俵で稽古を積めば、琉球大の一ノ矢、名古屋大の舛名大(ともに元三段目)に続く国公立大を経ての角界入り、という夢も膨らむ。【木村有三】

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今回もなのか 衰え目立たせる「4横綱時代」

 やはり、これが「4横綱時代」の厳しさなのか。曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸以来17年ぶりに華々しく幕が開いた4横綱時代は、白鵬の休場によって1場所目から頓挫した。まるで過去の時代の例に倣うように。

 過去15度、計73場所あった4横綱時代は10例が1年と持たなかった。1場所15日制となった49年夏以降、全員が2桁白星を挙げたのは60場所中たった4場所しかなく、全員の皆勤出場すら9場所しかなかった。2日目に27年ぶりに4横綱全員勝ったが、今場所、安泰はこの1度だけだった。

 やはり、先輩横綱の衰えによって新しい力士が台頭し、誕生するのが4横綱時代なのか。加えて「金星のチャンスが4度ある」と言う関取がいるように、下克上を狙う三役以下の目の色が変わってきたのも事実。増えた分だけ、衰えもより目立つようになる。4横綱の難しさを尋ねられた日馬富士は「分からない。初めてだから」と戸惑った。

 八角理事長(元横綱北勝海)は「けがだから仕方ない。治せばいつも通りの白鵬が戻ってくる」と衰えではないとみる。その答えが分かるのはこれから。ただ「自分の責任を果たさないとという気持ちがある」と鶴竜。1人の横綱の休場が、残る横綱に緊張感をもたらしている。【今村健人】

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大波3兄弟揃って本土俵

 荒汐部屋の大波3兄弟が、そろって本土俵に上がった。先陣を切ったのは、今場所が初土俵で三男の三段目若隆景(わかたかかげ、22)。白星で弾みをつけたが、続く長男の幕下大波(25)が黒星。3人の取組があることには「昨日、気付いてました。これで(次男の)剛士が勝ったら立場がない」と苦笑い。それを聞いていたかのように幕下剛士(23)が、元十両の朝弁慶を破って白星で締めた。

 3兄弟力士は過去に6組いる。中でも元十両鶴嶺山、元関脇逆鉾(現井筒親方)、元関脇寺尾(現錣山親方)は唯一の関取3兄弟として有名だ。最初の3兄弟は幕下小林、関脇輝昇、序二段輝櫻で、1944年までさかのぼる。現役では佐渡ケ嶽部屋の三段目琴大龍、序二段の琴虎と琴大村に続いて2組目になる。

 大波は「三男とはよく飯に行きますね。話も相撲の話で盛り上がる。次男は変わり者」と言い、剛士は「三男には負けられない」。若隆景は「3兄弟で関取になれたらいい」と話をまとめた。師匠の荒汐親方(元小結大豊)からは、最初の関取に他の2人が付け人を務める案が浮上中。「それだけは嫌」と3人仲良く口をそろえた。【佐々木隆史】

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初逆転 平成生まれ36人、昭和生まれ34人

昭和と平成生まれの関取数

 新横綱の登場で沸く春場所。人気沸騰の角界には、徐々に世代交代の波も押し寄せている。その指標になる数値が出た。平成生まれの関取数が36人になり、34人の昭和生まれを初めて逆転した。昨年の春場所は平成27人、昭和43人で16人の差があったが、今年初場所でともに35人で並び、今場所は平成6年生まれの朝乃山が新十両に昇進したことで追い抜いた。

 平成生まれで初めて関取になったのは高安と舛ノ山で10年九州場所だった。それから7年弱、平成元年生まれが28歳になる年での“昭和超え”に、昭和最後の白星を残している芝田山親方(54=元横綱大乃国)は「遅かったんじゃないの」と苦笑交じりに注文をつけた。

 19歳で関取になり、25歳で新横綱場所を迎えた同親方は、28歳で引退しているだけに、若い世代のさらなる奮起を期待する。

 「特に平成5、6年生まれの力士はもっと稽古をガンガンやって、攻防のある相撲を取ってほしいね。御嶽海のような元気のいい若手が、どんどん出てきてほしい」。経験豊富な昭和生まれと、勢いに乗り台頭する平成生まれの激しいせめぎ合い。そんな相撲が増えれば、角界はさらに盛り上がる。【木村有三】

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高校アームレスリング王者臼井、頑張ります

町田(左)と激しい取組をする臼井(撮影・鈴木正人)

 異色な経歴を持つ力士がまた1人、前相撲で土俵に上がった。身長168センチ、体重68キロで筋肉質な上半身を誇る臼井(18=錦戸)は、昨年の全国高校アームレスリング選手権ライト70キロ級のチャンピオン。経験のなかった相撲では負けてしまい「難しいですね」と苦笑いした。

 引退後にアームレスリングに挑戦し、大会で優勝の経験もある谷川親方(元関脇北勝力)は「相撲とはまったく別」と指摘する。「目指すは無差別級日本一」と宣言し、アームレスリングの道場に通うほど熱を入れているからこそ、相撲との違いが分かる。強い腕力はまわしを単につかむ動きには生かされるが、手首の使い方が違うという。アームレスリングは手首を固めるが「まわしはそうはいかない。上からも下からもつかむし、動きもある」と力説。「これからは相撲の筋肉も付けないとね」とアドバイスを送った。

 臼井が角界の門をたたいたのは、女手一つで育ててくれた母のためだ。2年前に病気を患い車いす生活を送っている。「経済面で助けたい」。腕相撲の力を相撲の力に変えて、頂点を目指していく。【佐々木隆史】

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日刊スポーツ新聞社大相撲取材班

日刊スポーツの大相撲担当記者が紙面では読めない「いい話」をお届けします。