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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

日馬富士、満身創痍の体支える「秘密兵器」とは?

愛用してい治療機器を紹介する日馬富士

 4月2日の三重・伊勢神宮奉納大相撲を皮切りに始まった春巡業も残りわずか。朝8時から稽古が始まり、子どもとの稽古、相撲甚句、初っ切り、横綱の綱締め実演に取組…。巡業に参加してる全力士が、打ち出しの午後3時までフル稼働している。ふぅー、っと一息つきたいところだが、すぐに次の日の巡業先までバス移動。2、3時間の長旅は当たり前で、日もすっかり沈んだ頃に宿舎に到着するハード日程だ。

 そんな中、けがを抱えながら参加する力士も少なくない。春場所後に右膝に水がたまり「急にあちこちに痛みが出てきた」と話すのは横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)。古傷の左肘にも痛みが出るなど満身創痍(そうい)だが、気力を振り絞り巡業に参加している。

 故障した体を支えているのが、日本電気治療協会が推奨している低周波治療機器による「ハイボルト療法」と呼ばれる治療法だ。巡業に駆けつけて治療を行った杉浦直行理事によると「従来の電気治療機器が家庭用ホースの水だとすれば、このハイボルト療法は消防車のホース」と説明。神経の興奮を下げるのと、インナーマッスルの腫れ、炎症をなくす効果があるという。さらに「ミトコンドリアが活性して眠っている力が出てくるんです」と力説した。

 電気治療が苦手な力士も多いが、1度効果を実感するとクセになるという。日馬富士も最初は苦手としていたが、あまりの効果にとりことなり、1日1時間半はハイボルト療法を行っているという。「早く治る。これは本当にすごい」と数百万円する治療機器を自腹で購入したほどだ。

 「けがは稽古しながら治すもの」と話すのは某親方。根性論も必要だが、時代の流れとともに少しずつ環境も変化している。ジムに通ったり、個人的にトレーナーを雇ったり、電気治療やサプリメントを使ったり、科学の進歩をうまく利用する力士は多い。本場所、巡業と1年中働きっぱなしなだけに「我々は治療してすぐに相撲を取れないといけない」と日馬富士。最高のパフォーマンスをするためには時間も、お金も惜しまない。【佐々木隆史】

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女子ゴルフ界に急増「スージョ」相撲との意外な接点

不動裕理(左)に激励される白鵬(2013年5月撮影)

 相撲担当になった。しかし、まだ取材してへんし…。そこでファンの方には大変失礼ですが、今回は外から相撲を見た話を書かせてもらいます。

 女子ゴルフです。ゴルフを足かけ15年ほど担当してきたけど、ここ数年でものすごく“スージョ”が増えた。相撲とゴルフの両方に詳しい人は知ってると思いますが、その一端を紹介すると…。

 先駆者はツアー通算50勝の永久シード選手・不動裕理プロ(40)ですわ。08年頃からハマり始めて、最近は東京場所なら必ず1日は観戦に行く。八角理事長、時津風親方や先代の九重親方(元横綱千代の富士)たちと随分親しくつき合ってるらしい。「相撲担当になるんですか? 楽しいですよ、相撲。場所中に会えるじゃないですか」。担当替えを伝えたとき、そんな風にニコニコ言うとった。でもね、不動ちゃん、そら君は楽しいやろうが、こっちはプレッシャーでいっぱいなんやけど。

 相撲、力士に関する知識で1番なんは、比嘉真美子プロ(23)かな。ツアー通算2勝で、誕生日(年は違う)が同じ勢関と仲良しらしい。もちろん場所は積極的に見に行ってる。「比嘉さん、角界で男前って誰なん?」と、超初心者的な質問をすると「う~ん、一般的な見方をしたら、やっぱり遠藤関かなあ。でも、親方を含めたら、間違いない! 陸奥親方です!」。力強く断言できるほど、よく見てるっちゅうことです。

 他にも比嘉と同学年の飛ばし屋・渡辺彩香プロ(23)も今年の初場所で観戦デビューした。13年賞金女王の森田理香子プロ(27)も東京場所だけでなく、こないだの大阪場所にも行った。米ツアー選手の宮里美香プロ(27)は白鵬関と親交があって、賞金女王に3回なったアン・ソンジュプロ(29)。原江里菜プロ(29)と青山加織プロ(31)は観戦こそまだしてないけど、立浪親方、おかみさんと仲が良くて、部屋近くで大会があるときは、ちゃんこをごちそうになりに行く。

 そんな彼女たちの多くは、私が担当替えを報告すると「えーっ! 相撲~?」と判を押したように笑い、少しも寂しそうな顔をせず「盛り上がってるし、いいじゃないですか。取材も楽しいって」-。

 正直言うて、相撲はほとんどわかりません。ただ、こんだけ多くの女子プロを引きつける理由はなんなんか? これからの取材で確かめようと思います。【加藤裕一】

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稀勢の里V支えた 40歳兄弟子が付け人“転身”

翔傑

 新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた大相撲春場所。その瞬間を最も近くで固唾(かたず)をのんで見守り、思わず声を張り上げて興奮した“同志”がいた。7人の付け人たちだった。その中の1人、40歳の三段目翔傑(芝田山)だけは、稀勢の里の兄弟子という立場で新横綱を支えた。

 芝田山部屋の若者頭、花ノ国の推薦もあって横綱の付け人に就くことが決まったのは、昇進伝達式翌日の1月26日の綱打ちの日。ただ、当人には突然の知らせだった。田子ノ浦部屋付きの西岩親方(元関脇若の里)から「まだ、やめないよな!?」と念を押されても、最初は何のことだか分からなかった。「横綱の付け人がころころ代わっては困るから」と言われて、初めて大役に就くことを知った。

 「10歳も離れた年上の自分がいたら、やりづらくないだろうか」。そう思いながら横綱のもとへ行くと「よろしくお願いします」と握手をされた。ならばと心を決めた。「自分の相撲は3。横綱の仕事が7。自分なりの気遣いでやろうと思いました」。不惑にして初体験の場所が始まった。

 3日目の取組後、支度部屋で珍しく…いや、千秋楽を除けば初めて、笑顔を見せる稀勢の里がいた。談笑の相手は翔傑だった。「懐かしかったですね」と、横綱から話しかけた。

 この日のNHK大相撲中継では稀勢の里特集が組まれていた。04年初場所13日目で幕下優勝を飾った決定戦の、懐かしい場面も放映された。その決定戦の相手こそ、実は当時「駒乃富士」の翔傑だった。

 「テレビで流れたときは、お互い見合ったんです。そして取組後に『13年前ですね』と、横綱から。実は当時は国会中継のために放送されなくて、おそらくお互いに映像を見れていない。そのことを話すと『あっ、そうだった!』と」。

 稀勢の里を名乗る前の当時17歳の「萩原」と、27歳と脂ののっていた翔傑。番付こそ全く違うが、同じように真摯(しんし)に相撲と向き合う2人が、かつて1度だけ交えた肌。だからこそ、優勝を懸けた一番の思い出は余計に深く残り、だからこそ、翔傑は横綱のためにと考えた。だからこそ、稀勢の里にとっても“必要な兄弟子”だったのだろう。

 逆転優勝が起こった千秋楽の2番を見終えたとき「すごい。本当にすごい」と感動していた翔傑は、春場所最後の一番で勝ち越した自分を「横綱の力です」と笑い、感謝していた。【今村健人】

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“同じ変化”だったが…稀勢の里、照ノ富士の明暗

立ち合いに右へ変化した照ノ富士は、琴奨菊をはたき込みで破り13勝目を挙げる(撮影・岡本肇)

 大相撲春場所は、新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた。左肩付近にテーピングを施した手負いの横綱が、本割、優勝決定戦とも逆転の相撲で大関照ノ富士(25=伊勢ケ浜)を連破。貴乃花以来の新横綱優勝を果たし、君が代斉唱で涙した姿に、列島が興奮のるつぼと化した。

 柔道の山下泰裕しかり、骨折した反対の右手だけで痛打した阪神金本知憲しかり、そして鬼の形相で武蔵丸を投げ飛ばした貴乃花も。手負いのアスリートが、骨身を削って全霊を傾け勝負に挑む姿は、どんな時代でも人の心を打って止まない。

 その稀勢の里の不屈の姿勢に、何ら異論を挟む余地はない。傷を負った姿で戦うのは相手に失礼、その後の土俵人生を棒に振ったとされる貴乃花の例を出すまでもなく代償を考えた時、出場にストップをかける関係者はいなかったのか、という声も確かにある。

 ただ今回は、誰あろう横綱が判断したこと。周囲が思うほど重傷ではなかったのかもしれないし、本人がこれで現役生活を断たれようとも土俵を全うするのが横綱の務め、と決断したのなら周囲は尊重し見守るしかないだろう。貴乃花親方(元横綱)も千秋楽の取組前に「出場を決めた稀勢の里の意思を尊重して、私たちは見守るしかない」と話していた。

 そんな状況で勝負はついたが、どこかふに落ちない一抹のモヤモヤが正直、残った。そんな時、旧知の知人から電話があった。陸上競技に長く携わった相撲ファン。短い問いかけにハッとさせられた。「あのさぁ、稀勢の里すごかったけど、同じ変化でも稀勢の里は何ら問題にされないのに、照ノ富士は気の毒だよな。同じようにケガしてたっていうじゃない。同じように格下相手なのに、ちょっと気の毒っていうかなぁ…」。

 稀勢の里が選択した千秋楽本割の照ノ富士戦での、立ち合い変化。左の上半身は使えない。ならばと「上(左の上半身)がダメなら下(足)がある」と飛んで打開しようとした。どんな時も愚直なまでに真っ向勝負を挑んできた横綱が、窮余の策に選んだ変化。その2日前、もんどり打って倒れ、苦痛に顔を歪ます姿をファンも、取材する我々も見ている。白日の下にさらされたことで、誰もが変化を「容認」した。批判するつもりは毛頭ない。当然の選択だと思う。

 一方の照ノ富士。前日14日目の琴奨菊戦は、注文相撲で13勝目を挙げ単独トップに立った。館内からは中傷まじりのブーイングの嵐。千秋楽を終え、いみじくも照ノ富士が「目に見えない傷がある」と吐露した心の傷を抱えての2番だったろう。相手が、あと2勝で大関復帰となる琴奨菊だったことも非難ごうごうに拍車をかけた。

 この時、照ノ富士の左膝は悲鳴を上げていた。12日目の朝稽古後、明らかに照ノ富士の表情が、抱えた痛みでくもったのを日刊スポーツの担当記者が報告してきた。翌13日目の鶴竜戦で足を引きずるまで悪化。14日目の朝稽古後は病院にも行ったという。

 膝など下半身のケガは、上半身のそれより力士生命を縮めかねない致命傷になる。八角理事長(元横綱北勝海)も稀勢の里が負傷した際に、程度の差はあるが「ケガをしたのが脚でなかったのが、せめてもの救いじゃないかな」と話していた。ただ、大関の負傷状況は本人も詳細を明かさないことから、さほど報道されず「目の前の白星を安易に拾いに行った」という印象を与えてしまった。一方の稀勢の里は取組直後の、衆人環視の元でのケガ。同じ番付下位の相手に見せた「変化」だが、照ノ富士を知人が指摘する「気の毒」な状況にさせたのは、そんな背景もあったと思う。

 稀勢の里の存在は間違いなく、現状の相撲人気を支える柱になっている。それには、スポーツメディアも乗るところは乗って、盛り上げたいと思う。一方で、熱狂の裏側に当てるべき視点、逃してはならない冷静な目を失ってはいけない。余韻が覚めやらぬ、いまだからこそ思う。【渡辺佳彦】

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稀勢の里、よく頑張った 両親も号泣

稀勢の里の表彰式で、顔を覆う母裕美子さん(後方中央)と父貞彦さん(同右)(撮影・岡本肇)

 向正面の升席で稀勢の里の父萩原貞彦さん(71)と母裕美子さん(62)は、息子の勇姿を見届けた。

 茨城の実家から約9時間かけて、自らの車の運転で駆けつけた貞彦さんは「2つとも取れる予感がありました」と話し、14日目の鶴竜戦の黒星に「いい演出になったんじゃないですかね」と冗談交じりに言った。左肩付近を負傷しても出場した姿に「横綱でなかったら出場しなかったと思う。稀勢の里を見たくて大勢の人が来てるからね。ファンがいなければ相撲は成り立たない」と息子の気持ちを代弁するように話した。

 裕美子さんは息子の強行出場に「絶句です。あんなに痛がるの初めて見ました。休場でもいいと思いました。親としては心配だった」と親心をのぞかせた。君が代斉唱で泣く息子の姿に「子供の時から泣き虫だった。ああいうの見て泣けました」ともらい泣きした。

 支度部屋近くの売店にいた時に、場所入りした息子と遭遇した。知らないふりをしたが、一瞬見ると目が合ったという。「横綱になってから近寄りがたい」と裕美子さん。だがアイコンタクトで、家族の力は確実に伝わっていた。【佐々木隆史】

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「しんどいけど楽しみ」「休んでほしい」稀勢の里

 ファンも親方も力士も、負傷を負いながらも土俵に立った新横綱稀勢の里を、さまざまな思いを胸に見届けた。

 相撲ファン歴30年で稀勢の里の場所入りを見届けた50代男性は「これで優勝したら貴乃花の再来や。しんどいと思うけど楽しみやわ」と期待した。一方で30代女性は「休んでほしい。だけど見られるのはうれしい。でも来場所休場になったら寂しい」と複雑な思いだった。

 土俵下に落ちた稀勢の里の至近距離にいた片男波審判員(元関脇玉春日)は「昨日はかなり痛そうにしていた」とその時の状況を話した。だからこそ出場について「覚悟があるから土俵の上に立つんじゃないですかね」と横綱として責任を果たす姿勢に感心した。

 この日胸を合わせた鶴竜は、横綱同士だからこそ分かる葛藤を明かした。「まぁ同じ立場だったら、出るかもしれない。諦められないよね。優勝の可能性があるからね。悪くなるかもしれないけど」と自分のことのように話した。

 本来の力とはほど遠い相撲で2敗目を喫した稀勢の里。読者のみなさんは、どのように感じただろうか。【佐々木隆史】

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角界は堂々「ゆとり世代」 昭和生まれ関取を上回る

 春場所では平成生まれの関取が36人となり、昭和生まれ関取(34人)の人数を初めて上回った。世間では「ゆとり世代」などと呼ばれ、打たれ弱さなどがしばしば指摘されるが、角界の平成生まれはひと味違う。

 関取最年少で20歳の貴景勝は敗れても堂々としている。10日目には自分より55キロ軽い、114キロの石浦に押し出されて土俵下まで転げ落ちた。支度部屋で「なんですかね。うまいこと肩口を…」と言いかけてから吹っ切れたように言った。「まあ弱かったから。ただ単に実力がなかった。横綱に勝っても1勝。序ノ口に負けても1敗」と、潔く独特の言い回しで反省した。

 24歳の北勝富士は、右ふくらはぎの肉離れを抱えながら土俵に立っている。ここまで6勝7敗。6割程度の力しか出せていないというが、「最初は3割ぐらいの力だった。でも師匠(八角親方)から『やりながら治すんだ』と言われた。どうやって治すんだと思ったけど、今は実行できているかな」。困難な状況に直面しても気持ちは前向きだ。

 もちろん、ほかの平成生まれの力士も負けていない。平成2年生まれの大相撲担当1年目の記者には見習うところばかりだ。【佐々木隆史】

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意外と多いスケート力士

相撲観戦に訪れた本田きょうだい。左から太一、真凛、望結、紗来(撮影・鈴木正人)

 氷上のプリンセスに、力士たちも色めいた。フィギュアスケート本田真凜の来場を知って、まずは幕内最年少の20歳貴景勝が心を弾ませた。「めっちゃ好きっす。結婚したいっす」と、ややフライング気味にラブコール。大阪出身の勢も「彼女は京都出身ですか? 近いですね。僕も違う競技は勉強になると思ってるし、同じ関西出身だし機会があれば話をしたい」と“異業種交流”を熱望した。

 砂まみれになって番付を上がってきた関取衆の中には、さすがにフィギュア経験者はいないが、アイススケートに親しんできた北国育ちは多い。岩手・盛岡市生まれの錦木は「ある程度は滑れる。体重の掛け方で曲がれるから面白い」。モンゴル出身の千代翔馬は「冬はスケートが遊びだった。後ろ向きで滑れますよ」と意外な事実を明かした。

 八角理事長(元横綱北勝海)も、長野五輪スピードスケート金メダルの清水宏保らを輩出した北海道・十勝地方出身。「スケートが盛んだった。膝を強くするには一番いい」と懐かしがる。その上で、将来が楽しみな本田へ「違う競技を見るのも勉強になるんじゃないかな。楽しんで帰ってもらえれば」と優しい言葉を贈っていた。【木村有三】

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快進撃の照ノ富士 不思議な力が後押ししてる?

 快進撃を続ける照ノ富士には、何かがついているのかもしれない。

 伊勢ケ浜部屋の稽古場は、大阪市内の公園内にある。稽古後は全員でそんきょ姿勢を作り、公園の守り神として地蔵が設置している東方向を向いて、勝利祈願を込めて黙とうを行う。だが照ノ富士だけは南西を向く。本人は理由を口にしないが「土俵祭りが終わると神様がいるから」と、ある関取。土俵祭りは会場の本土俵で行われる、安全と興行の成功を祈念する行事。その縁起にあやかり、土俵祭りが行われた11日から会場方向を向いて黙とうをしている。

 そして自身4度目のかど番から自己最速の9日目に脱出。1敗を守り、15年夏場所以来2度目の優勝も狙える快進撃。それにあやかろうと、その他の力士も今では南西を向いて黙とうを行っている。

 昨年初場所を途中休場の原因となった左膝半月板損傷の手術から1年。ケガに苦しんだが、復活の兆しが見えてきた。本人の血のにじむ努力はもちろんだが、加えて不思議な力が後押ししているのかもしれない。【佐々木隆史】

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白星比例 稀勢の里グッズも売り上げ伸びてます

 稀勢の里は、土俵の外でも輝いている。会場内の松本売店の松本啓一店長は「熱気が違う」と去年までとの違いに興奮した。

 販売されている稀勢の里関連グッズは約30個。連日、欠品になる商品が出て1、2日の入荷待ちは当たり前。中でも1番の売れ行き商品は「稀勢の里」と書かれた応援タオル。1日10個売れれば御の字のところ、平均で20個以上売れており合計で200枚以上売れている。早めに再入荷し「欠品しそうだった」とうれしい悲鳴を上げた。

 大阪独自の商品で盛り上げたいと、今場所限定商品も販売されている。大阪出身関取の名前をローマ字で並べて「OSAKA」と書かれたタオルも売れ行き好調。大相撲大阪売店組合の小林久爾夫会長も「稀勢の里効果と相まって2、3割は売り上げが伸びている」と喜んだ。

 一般的に、成績不振の横綱、大関陣が多いと、商品全体の売り上げも落ちるという。白鵬、豪栄道が休場し、2横綱が3敗と元気がない。それでも売れ行きは「稀勢の里のおかげで全然落ちていない。このまま勝ち続けてもらいたい」と松本店長。星と売れ行きの伸びに期待いっぱいだった。【佐々木隆史】

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沸いた!! 代役審判振分親方の場内説明

物言いがついた取組を説明する振分親方(撮影・鈴木正人)

 昼下がりの場内が沸いた。二番出世披露後、十両土俵入りまでの31番のうち3番が物言いに。際どい勝負のたびに観客に協議の説明をしたのは、今場所2度目の審判長を務めた振分親方(元小結高見盛)だった。

 最初の2番は何とか説明をこなしたが、3番目の幕下琴太豪-千代嵐戦で混乱した。「両者の体(たい)が…」と言った後に詰まる。通常なら「落ちるのが同時と見て取り直しにします」と続けるところだが「が…と…ど……」と次の言葉が出てこない。向正面の錣山親方(元関脇寺尾)が「落ち着け」と言わんばかりに、両手を下げるポーズを取り、ようやく「土俵の外に出ており取り直しにします」という表現で終えた。

 休場の陣幕親方(元前頭富士乃真)の代役として、今場所は同じ高砂一門から急きょ審判を任された振分親方。場内は「しっかりしゃべれ~」とヤジも飛ぶ中、必死に説明しようとする姿勢に生真面目な人柄がにじみ「高見盛~」という励ましもあって笑いが生まれ、和んだムードに。本人は「先輩方に話し方を教えてもらってるけど、今日は50点。細かく話せなかった」。花形の審判は責任も大きいだけに素直に反省したが、何をしても注目される独特の存在感は親方になっても健在だ。【木村有三】

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横綱の取組まで?いいえ、弓取り式までが大相撲です

 結びの一番を終えた後に行われる弓取り式。大銀杏(おおいちょう)を特別に結った序二段聡ノ富士(39=伊勢ケ浜)が土俵に上がるが、締める化粧まわしが6場所中、大阪だけ違う。いつもは日本相撲協会の物だが、春場所だけは関西の維持員で構成する「東西会」から贈られた物を使う。

 茶色の陣羽織を着て東と西のたまり席に座ることから東西会という。32年1月に、62人の関取のうち、待遇を不服とした48人が協会を脱退し、主に関西で興行を始めた「春秋園事件」で、戻るように説得したのが東西会の前身の十日会。それが実らなければ一時廃止となった大阪場所は、どうなっていたか分からない。

 37年に「大日本相撲協会 東西会」となって80周年の今場所、化粧まわしは20年ぶりに新しくなった。

 会には「カメラ、ビデオ、携帯の持ち込み禁止」など数項目の「観覧規定」があり、最後に「弓取り式が終了するまで絶対に座を立たぬ事」とある。一般客にもお願いしているという。川井敏彦副会長は「弓取り式までが大相撲ですから」。新横綱に沸く浪速の春だが、横綱の取組までが相撲、ではない。【今村健人】

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中学時代の“芸名”スマイリー宇良

 たくましくなった教え子を、熱いまなざしで見つめていた。宇良の大阪・寝屋川五中時代の担任だった竹下智子先生(45)が、大相撲を初観戦。貴景勝に敗れたが「感動しました。場所前に稽古見学した時に『一生懸命やります』と言ってくれたんで、そういう相撲を取ってくれてうれしかった」と、声を上ずらせた。

 中学時代の宇良少年を、恩師は「のんびりした子。クラスでは癒やし系でした」と振り返る。驚いた出来事もあった。2年時の文化祭。有志で出し物をすることになり、宇良も友人と2人組で登場。相棒がジャグリングを披露した後、マットの上でバック転、前転宙返りと、アクロバットショーを独演した。「スマイリー宇良」という“芸名”を自ら名乗り、会場は大盛況に。当時150センチ、50キロほどで小柄なぽっちゃり体形だった宇良が、体操選手のような機敏な動きを見せたことに、竹下先生も「こんなんできるの!」と目を奪われたという。

 あれから約10年。173センチ、132キロまで成長し、さらに大きな相手と戦う教え子に、恩師は「勝ち負けより思い切ってやると宇良も言ってるので、そういう自分の相撲を取っていってほしい」と願った。【木村有三】

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Yes資金援助!!大阪大で土俵開き

大阪大相撲部員と勢ら。前列左から3人目が高須克弥院長。2列目左から4人目が中山皓太郎前主将(撮影・木村有三)

 高まる相撲人気の波及効果は、角界以外にも表れ始めている。春場所前、大阪大で土俵開きが行われた。創部6年目の相撲部はコンクリート上にマットを敷いて稽古していたが、頭を強打する部員が出るなど、ケガ人の多さが悩みだった。

 そこで前主将の中山皓太郎(3年)は考えた。高須クリニックの高須克弥院長が、リオ五輪男子サッカーのナイジェリア代表に資金援助したニュースを見て「相撲部の援助もお願いしよう」と決意。マットがよれて足が引っかかり、すり足もできない状況を説明し、土の土俵で稽古したい思いを手紙に書いた。好角家の同院長は、その熱意を感じとり「転んでバカになったら国家の損失」と500万円の援助を決め、立派な土俵が造られた。相撲への理解が深い経営者の登場も、人気の高まりがあってこそだろう。

 4月から4年生の中山は、経済学部で金融工学を学ぶ。身長183センチで相撲の実力も十分。昨年の西日本学生85キロ未満級で優勝し、全国3位。「学生最後の1年はすべて相撲にささげたい」。念願の土俵で稽古を積めば、琉球大の一ノ矢、名古屋大の舛名大(ともに元三段目)に続く国公立大を経ての角界入り、という夢も膨らむ。【木村有三】

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今回もなのか 衰え目立たせる「4横綱時代」

 やはり、これが「4横綱時代」の厳しさなのか。曙、貴乃花、若乃花、武蔵丸以来17年ぶりに華々しく幕が開いた4横綱時代は、白鵬の休場によって1場所目から頓挫した。まるで過去の時代の例に倣うように。

 過去15度、計73場所あった4横綱時代は10例が1年と持たなかった。1場所15日制となった49年夏以降、全員が2桁白星を挙げたのは60場所中たった4場所しかなく、全員の皆勤出場すら9場所しかなかった。2日目に27年ぶりに4横綱全員勝ったが、今場所、安泰はこの1度だけだった。

 やはり、先輩横綱の衰えによって新しい力士が台頭し、誕生するのが4横綱時代なのか。加えて「金星のチャンスが4度ある」と言う関取がいるように、下克上を狙う三役以下の目の色が変わってきたのも事実。増えた分だけ、衰えもより目立つようになる。4横綱の難しさを尋ねられた日馬富士は「分からない。初めてだから」と戸惑った。

 八角理事長(元横綱北勝海)は「けがだから仕方ない。治せばいつも通りの白鵬が戻ってくる」と衰えではないとみる。その答えが分かるのはこれから。ただ「自分の責任を果たさないとという気持ちがある」と鶴竜。1人の横綱の休場が、残る横綱に緊張感をもたらしている。【今村健人】

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大波3兄弟揃って本土俵

 荒汐部屋の大波3兄弟が、そろって本土俵に上がった。先陣を切ったのは、今場所が初土俵で三男の三段目若隆景(わかたかかげ、22)。白星で弾みをつけたが、続く長男の幕下大波(25)が黒星。3人の取組があることには「昨日、気付いてました。これで(次男の)剛士が勝ったら立場がない」と苦笑い。それを聞いていたかのように幕下剛士(23)が、元十両の朝弁慶を破って白星で締めた。

 3兄弟力士は過去に6組いる。中でも元十両鶴嶺山、元関脇逆鉾(現井筒親方)、元関脇寺尾(現錣山親方)は唯一の関取3兄弟として有名だ。最初の3兄弟は幕下小林、関脇輝昇、序二段輝櫻で、1944年までさかのぼる。現役では佐渡ケ嶽部屋の三段目琴大龍、序二段の琴虎と琴大村に続いて2組目になる。

 大波は「三男とはよく飯に行きますね。話も相撲の話で盛り上がる。次男は変わり者」と言い、剛士は「三男には負けられない」。若隆景は「3兄弟で関取になれたらいい」と話をまとめた。師匠の荒汐親方(元小結大豊)からは、最初の関取に他の2人が付け人を務める案が浮上中。「それだけは嫌」と3人仲良く口をそろえた。【佐々木隆史】

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初逆転 平成生まれ36人、昭和生まれ34人

昭和と平成生まれの関取数

 新横綱の登場で沸く春場所。人気沸騰の角界には、徐々に世代交代の波も押し寄せている。その指標になる数値が出た。平成生まれの関取数が36人になり、34人の昭和生まれを初めて逆転した。昨年の春場所は平成27人、昭和43人で16人の差があったが、今年初場所でともに35人で並び、今場所は平成6年生まれの朝乃山が新十両に昇進したことで追い抜いた。

 平成生まれで初めて関取になったのは高安と舛ノ山で10年九州場所だった。それから7年弱、平成元年生まれが28歳になる年での“昭和超え”に、昭和最後の白星を残している芝田山親方(54=元横綱大乃国)は「遅かったんじゃないの」と苦笑交じりに注文をつけた。

 19歳で関取になり、25歳で新横綱場所を迎えた同親方は、28歳で引退しているだけに、若い世代のさらなる奮起を期待する。

 「特に平成5、6年生まれの力士はもっと稽古をガンガンやって、攻防のある相撲を取ってほしいね。御嶽海のような元気のいい若手が、どんどん出てきてほしい」。経験豊富な昭和生まれと、勢いに乗り台頭する平成生まれの激しいせめぎ合い。そんな相撲が増えれば、角界はさらに盛り上がる。【木村有三】

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高校アームレスリング王者臼井、頑張ります

町田(左)と激しい取組をする臼井(撮影・鈴木正人)

 異色な経歴を持つ力士がまた1人、前相撲で土俵に上がった。身長168センチ、体重68キロで筋肉質な上半身を誇る臼井(18=錦戸)は、昨年の全国高校アームレスリング選手権ライト70キロ級のチャンピオン。経験のなかった相撲では負けてしまい「難しいですね」と苦笑いした。

 引退後にアームレスリングに挑戦し、大会で優勝の経験もある谷川親方(元関脇北勝力)は「相撲とはまったく別」と指摘する。「目指すは無差別級日本一」と宣言し、アームレスリングの道場に通うほど熱を入れているからこそ、相撲との違いが分かる。強い腕力はまわしを単につかむ動きには生かされるが、手首の使い方が違うという。アームレスリングは手首を固めるが「まわしはそうはいかない。上からも下からもつかむし、動きもある」と力説。「これからは相撲の筋肉も付けないとね」とアドバイスを送った。

 臼井が角界の門をたたいたのは、女手一つで育ててくれた母のためだ。2年前に病気を患い車いす生活を送っている。「経済面で助けたい」。腕相撲の力を相撲の力に変えて、頂点を目指していく。【佐々木隆史】

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「土俵の鬼」から隆の里の“血”受け継ぐ稀勢の里

 稀勢の里の横綱の道が始まった。待ち望んだその晴れ姿を、在りし日の2人の親方に重ねる人がいた。

 大阪で田子ノ浦部屋を応援する総合物流企業「間口グループ」の前田克巳会長(69)は「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花が、二子山部屋を興した1年後の63年に入門した。「大二子」「剛勇」のしこ名で親方の付け人頭を務め、入門から5年後に稀勢の里の先代師匠、隆の里が入ってきた。

 「若乃花師匠は『力士たるもの、土俵の中で汗と涙と血を流せ。相撲道のみ追求しろ』という教えでした。『土俵の中に人生の宝が埋まっている。それを自分で掘り起こせ。人の力を借りず、砂にまみれてやるんだ』と。その師匠を一番尊敬し、真に精神を受け継いだのが隆の里でした。その愛弟子の稀勢の里には、間違いなく若乃花師匠の『血』が受け継がれている。それがすごくうれしい」。

 2日に行われた部屋の激励会で、前田会長は「2人に見せたい」と、夫人から譲り受けた若乃花の二子山理事長時代の紋付き羽織はかまと、隆の里の羽織ひもを身につけた。「横綱になった以上、名横綱と言われるようになってほしい。相撲道の道をたがえることなく、誰の目から見ても立派な横綱に」。そう願った。【今村健人】

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宇良託された木瀬親方の“夢”技能賞で師匠に応える

宇良

 大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付が発表され、注目の宇良(24=木瀬)が史上7位の所要12場所でスピード新入幕を果たした。関学大から初の角界入りを決めた2年前の会見では「2年で関取になりたい」と語っていたが、その目標は1年で成し遂げ、2年で幕内まで駆け上がった。

 入門前の会見を振り返り、宇良は言った。

 「とにかく高い目標をと思って、2年と言ったんです。最初は3年で、と思ってたんですけど、関学大の相撲部OBの方にそういう話をしたら『それじゃあ遅いんじゃないか』ということで、2年と大きく言ってしまいました」。

 謙虚に打ち明けたが、実は史上7位どころか、史上最速入幕をひそかに狙っていた時期があった。それは、十両2場所目の昨年名古屋場所だった。宇良は西十両8枚目で11勝を挙げ、番付上の幸運があれば一気に新入幕を果たせたのだが、残念ながら1枚足りず翌場所は東十両筆頭止まり。史上1位の所要9場所での最速出世を逃し「1位というのは違いますから…」と、悔しがっていた。

 その後もすぐに入幕するかと思いきやその名古屋場所では右足首の腱(けん)を痛め、続く秋場所でも左手首を骨折とけがに悩まされ、番付は足踏み状態に。「3年で上がれればいいですよ」と慎重になっていた時もあったが、待ちわびる地元大阪のファンに合わせるように、春場所での昇進となった。

 師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)は「稽古は真面目に取り組んでくれてますので、その結果ですよね。どういう稽古すればいいのか分かってますから。その結果、こういう早い出世になったと思いますよ」と目を細める。そして「三賞も何も取ったことない親方だから。取ってほしいですよ」と、自身が53場所務めた幕内で1度もつかめなかった“夢”を弟子に託した。宇良の夢の1つが、技能賞だ。気持ちで負けず、諦めない心で繰り出す技で勝利をつかみ、夢をかなえる瞬間を楽しみにしたい。【木村有三】

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「気は長く、腹は立てず」土俵の鬼の教えが染みる

「土俵の鬼」の初代若乃花の花田勝治さんが記した字

 残念ながら、お目にかかったことも、話を聞いたこともない。「土俵の鬼」と呼ばれた初代横綱若乃花であり、元二子山理事長の花田勝治さんに。

 周りの人からは「厳しかった」ということを聞く。弟子にも、自分自身にも。そして豪快な伝説も、いくつも耳にした。若かりしころ、兄弟子だったあの力道山と、田んぼに落ちたスポーツカーを2人だけで持ち上げたほどの怪力だったとか…。聞けば聞くほど、すごい方だと感じていた。

 孫弟子に当たる稀勢の里(30=田子ノ浦)が「土俵の鬼」の化粧まわしを着けて横綱土俵入りをこなしたことで、そのいでたちが再び思い起こされたのが、ここ1カ月だった。先述したように、ご本人に直接お会いしたことはないが、印象に残る出来事が1つあった。数年前、親族の方にお会いした際に、飾られていた「字」が目に留まった。それは花田さんが好んでよく書いたという、不思議な字体だった。

 花田さんは「氣」という字が好きだった。書かれていたその字は確かに「氣」。ただ、4画目の“はらい”と言えばいいだろうか、それが長かった。さらに、その上に「腹」という字を左に90度倒して書いていた。何と読むのだろう-。そう思って眺めていたら、意味を解説してくれた。

 「気はなが~く、腹は立てず」。

 土俵の鬼と呼ばれた花田さんがいつから、この心構えを持っていたのかは分からない。ただ、稀勢の里の先代師匠であり、花田さんの弟子だった鳴戸親方(元横綱隆の里)は糖尿病に苦しみながら克服し、30歳で横綱に昇進した。この言葉通り、辛抱強く待ったかいがあったことだろう。

 ただ、ときは流れて今に至る。あらためて振り返れば、これはまるで稀勢の里のファンら、見守る人たち全員に向けられていた言葉のようにも感じられてしまう。

 「気は長く、腹は立てず」。土俵の鬼の教えが、心に染みてきた。【今村健人】

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稀勢の里横綱昇進がもたらす化学反応、高安ら刺激に

日本大相撲トーナメントで横綱土俵入りを披露する稀勢の里。太刀持ち高安(写真は2017年2月5日)

 地位が人をつくる-。古くから角界で伝えられてきた言葉だ。地位相応の立ち居振る舞いが求められ、とりわけ横綱ともなれば、全力士の範となることが要求される。前記の言葉は、求められる素養が、その地位に立てば自然と備わるという意味で使われる。新横綱の場合、既に自覚という部分では備わっている。

 横綱昇進が決まった先月25日、稀勢の里(30=田子ノ浦)は、求められる横綱の品格について「自分の中では見本、手本となる力士が、そう」と発し、さらに「これから伸びてくる若い力士も引っ張り上げないといけない」と続けた。角界の頂点を目指し公私の「私」だけを考えればよかった地位から、全体のことも考える「公」も求められる。“横綱初日”にして品格という部分では、まずは合格点といえよう。

 稀勢の里の横綱昇進で、さまざまな“化学反応”が期待される。横綱が述べた前述の「若い力士も引っ張り上げないと」の言葉の意味に、まずは弟弟子の高安(26)を大関に上げるという気持ちが込められていると思う。その高安の心中やいかに-。13日に、田子ノ浦部屋の稽古取材に訪れた際、胸の内を聞くことが出来た。「自分が上(大関)に上がることが、いろいろなことにつながる。自分が上がることで、どんな影響があるのかが分かりました。だから責任感を持ってやりたい。期待に応えたいです」。

 折しも当日は、初場所優勝の福島県知事賞の贈呈式が行われ、目の前の上がり座敷で稀勢の里が表彰される姿を目の当たりにした。茨城の同郷として、新横綱が故郷に凱旋(がいせん)する姿も、メディアを通して目にしただろう。もちろん稽古場で見せる横綱の風格も、目に焼き付けたであろう。初場所で2横綱3大関を破り11勝。大関取りの再スタートを切った高安が刺激を受けないわけがない。新横綱誕生は、1人の力士の闘志に火を付ける化学反応となって、確実に表れた。

 刺激を受ける力士は、いっぱいいる。17年ぶりの4横綱時代。4人が総当たりになる異なる4部屋での「横綱カルテット」となると80年九州場所以来、約37年ぶりとなる。だが4横綱時代は、過去の例では長くは続かない。年齢的な衰えやケガが原因で自然淘汰(とうた)され、ほどなくして引退に追い込まれるケースが多々、あった。モンゴル出身の先輩3横綱も指をくわえて見ているわけにはいかない。

 “眠れる大器”に火を付けた上位陣にも「オレも続く」という気持ちが芽生えておかしくない。そもそもは昨年初場所、琴奨菊(33=佐渡ケ嶽)が初優勝したことが稀勢の里の導火線に火を付けたと言っても過言ではないだろう。同秋場所の豪栄道(30=境川)の全勝優勝もしかり。30歳6カ月で頂点に立った大器晩成の新横綱に、平幕のベテラン勢も勇気づけられたであろう。大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)は稀勢の里の動向とともに、そんな周囲の化学反応にも期待したい。【渡辺佳彦】

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白鵬が新横綱稀勢の里に見せる強気と優しさ

握手を交わす白鵬(左)と稀勢の里の両横綱

 新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の誕生に、日本中が沸いている。角界も例外ではなく「おめでたいこと」「いい刺激になりますね」と、話す力士も多い。横綱鶴竜(31=井筒)も「気合が入る。いい存在になる」と、歓迎ムードだ。

 そんな中、横綱白鵬(31=宮城野)には、並々ならぬ思いがあった。初場所では最後まで優勝を争った相手。これまで何度も稀勢の里の壁になったが、ついに超えられた。横綱10年目の大先輩として、思うこともいろいろある。初場所後からの、稀勢の里への言動を振り返ってみた。

 稀勢の里の明治神宮奉納土俵入りをテレビで見た白鵬は「顔が緊張してたね。夢の明治神宮だもんね。横綱にしか出来ないからね」と余裕の表情を見せ、このフィーバーぶりも「時間の問題でしょう。春場所は見せてやりますよ」と、ニヤリと顔を作って話したことがあった。時には「今度は自分らしい取組で先輩横綱の意地を見せたいと思う」と、ライバル心をのぞかせたこともあった。

 一方でこんな一幕もあった。稀勢の里の横綱昇進に「(横綱になるのは)時間の問題だったんでしょうね。大関は5年間? 立派に務めた力士だからね」と、褒めたたえたり「右も左も分からないでしょ。1場所経験してあらためて実感沸くと思うよ」と、経験談からアドバイスを送ったこともおあった。さらに「今はうれしさと勢いを大いに感じている。これからが大変だね」と、案じたこともあった。

 振り返ってみると、稀勢の里に対して強気を見せる一面と優しさを見せる一面が、ほぼ半分ずつだった。もちろん土俵の上では、ガツン! と行きたいところ、だが「五分で戦っていきたい。控えめに」。顔は笑っていたが、目の奥には燃える何かがあった。【佐々木隆史】

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寒さに強い逸ノ城、荒れる春場所での取組に期待

逸ノ城

 今年の初場所は、雪の被害こそなかったが、寒波に見舞われ寒い日が多かった。寒さ対策は人それぞれ。千代の国は「夏でも着けてるんですが、おなかが冷えると下痢になるので」と、取組が終わって風呂から上がると支度部屋では、まず腹巻きを着けていた。

 そんな中、厳しい寒さにも「大丈夫です」と力強く答えていたのが、逸ノ城だ。祖国モンゴルの冬は「マイナス15度とか、それが普通でした」と言うだけに、寒さには慣れたものだ。しかも、逸ノ城は元遊牧民。凍える寒さの中でも、ゲルの中より外にいる時間が長かったと言うだけに、寒さに対する“免疫”は相当なものだ。

 「冬でも仕事をするんですよ。動物の世話です。犬とか動物のうんちとか拾ったりしてました。牛のうんちは乾かして、ストーブに入れる。燃料にするんですよ。仕事をやってる時は、寒くても汗びっしょり。逆に暑かったです」。

 逸ノ城の家族が飼っていた家畜は、牛が約50頭、羊は約400頭。冬場でも放牧し、逃げないように外で監視していたという。川まで水をくみに行くのも、逸ノ城の仕事だった。

 腰を痛めて昨年秋場所は初めて全休し、同九州場所でも精彩を欠いたが、寒さの中の初場所では11勝を挙げて、優勝争いを盛り上げた。西前頭13枚目から、春場所は前頭中位まで浮上するのは確実。荒れる春の主役候補に、名乗りをあげそうだ。【木村有三】

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横綱稀勢の里誕生で「二所ノ関一門」の絆より強固に

田子ノ浦部屋で麻もみする若手力士たち

 ついに。とうとう。やっと。ようやく。まさか本当に。そんな気持ちがいっぱいある。稀勢の里(30=田子ノ浦)の初優勝、そして第72代横綱昇進は。

 新横綱については連日、多くの報道がなされている。ご多分に漏れず、弊社も。なので、ここでは別の話を。といっても、稀勢の里関連に違いはないが。

 昇進伝達式の翌26日、東京都江戸川区の田子ノ浦部屋に、続々と人が集まってきた。芝田山親方(元横綱大乃国)が1番手。その手には、土俵に下りるための足袋があった。続いて豪風、嘉風、天風の尾車トリオ。荒磯親方(元前頭玉飛鳥)の後には高田川親方(元関脇安芸乃島)とその弟子の輝、竜電が続いた。その後も続々と…。

 いずれも二所ノ関一門。そう、新横綱の新しい綱をつくる「綱打ち」に一門の親方衆、関取衆が集結した。親方16人はほとんど。12人の関取は全員だった。部屋の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)と西岩親方(元関脇若の里)、高安も加わる。部屋は大いににぎわった。この姿に、二所ノ関一門の団結力を見た気がした。

 初場所でかど番大関として負け越し、関脇に陥落する琴奨菊の心境を、周囲は少し推し量ったかもしれない。それでも紅白のはちまきを頭に、笑顔を見せながら綱をよった。「すごいね。縁起物だからね。しっかり務めさせてもらいました。横綱はすごいこと。自分も来場所頑張る」。

 豪風は、37歳の幕内最年長ながら初めての体験だった。「この世界に入って、綱打ちを経験しないで終わった人もいる。やっとつかんだこの経験ですよね」。太鼓をたたいて「ひい、ふの、み」の掛け声を呼んだ。

 露払いを務める松鳳山は「横綱から直接『よろしくお願いします』と電話がありました。ありがたい、光栄なことです。これからその役割を外されないように頑張らないと」と笑った。

 初優勝からこれまで、稀勢の里は事あるごとに「自分にできることは、そういう人たちを引っ張り上げること。感謝の気持ちを込めて稽古したい」と言ってきた。そして「やっぱり、高安を大関に引き上げるのも、自分の使命」だと。

 伝え聞いた高安は「最高のお言葉ですね」と感激し「体を追い込むしかない」と決意を新たにしていた。

 現在の相撲界の一門は6つ。場所前、必ずと言っていいほど連合稽古を開くのは今、二所ノ関一門だけしかない。“身近”な稀勢の里の横綱昇進によって、新たな刺激を受ける力士ばかり。その刺激を吸収して力に変えようとする力士ばかりだった。

 思えば初場所の幕内42人を一門別に分けると、時津風と出羽海の各8人を抑えて、二所ノ関一門の10人が一番多い。三役で勝ち越した玉鷲、高安もいる。新横綱の誕生によって今後ますます、つわものどもが生まれ育っていく予感がする。【今村健人】

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異論ある中で魁皇文句なし「さらに強く」

 ある親方は「これは私が言ったとは書かないでね」と匿名を前提に声をひそめて話し始めた。

 「稀勢の里の横綱昇進は、白鵬とやる前に決まったでしょう? 今場所の大関戦は1勝1敗で、休場した横綱2人と対戦していない。昇進が決まった段階で、格上に勝っていない。連続優勝でもない。『綱とり場所』とも言われていなかった。プレッシャーを乗り越えて横綱になった人とは違う。これは不平等だよ」

 審判部は総意として昇進を推す一方、内部にはこんな意見もある。昇進に賛同しない相撲ファンもいる。

 5度も優勝しながら、横綱になれなかった元大関魁皇の浅香山親方はどう思うか。「俺は優勝して休場しての繰り返し。稀勢の里は安定しているし、年間最多勝もある。横綱より成績がいい。文句はないでしょう」と指摘した。この昇進は、稀勢の里にとって重圧になりえないだろうか。「それは本人しか分からない。横綱になったら、さらに強くなって、もっと優勝しそうな感じがする。これまでもすごいプレッシャーがあった。耐えられる力は十分ある」。

 私も、横綱稀勢の里には異論をはね返す力があると思っている。【佐々木一郎】

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兄弟子元若の里「強くなると思ったらあっという間に」

 悲願をかなえた弟弟子の涙を見て、かつて一緒に汗を流した部屋付きの西岩親方(40=元関脇若の里)も胸がいっぱいだった。

 「まだ実感が湧かない。信じられない。一番の要因は、他の3人の大関が先に優勝して、自分だけ優勝していない状況で、その悔しさ。そのことが稀勢の里に火を付けた」

 稀勢の里が15歳で初土俵を踏んだ02年春、25歳だった若の里は既に小結だった。「僕が一番元気なころに入ってきた新弟子。毎日のように、稽古つけましたから」。ぶつかり稽古で倒れると、気合の蹴りも浴びていた弟弟子。それでも、くじけず立ち上がってきた。

 「ついてきましたからね。毎日泥だらけ、血だらけでになってやってました」

 入門から6年、08年初場所で初めて番付で追い越された。「これは強くなるなと思ったら、あっという間に強くなった」。うらやましかったのは、ずぶとさだ。「(血液型が)バリバリのB型。普段の生活からずぶとい。スポーツ選手はB型で大成する人が多い。僕はO型、だから関脇止まり。B型だったら、もう1つ上に行けたかもしれないな。ハハハ」。元兄弟子は目を細めつつ、注文も忘れない。「これで終わりじゃない。これからが大事だ」。【木村有三】

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今年も“売れる春場所”期待

 初場所も終盤を迎え、気が引き締まってくるのが、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の担当親方だろう。12日目から富士ケ根(元小結大善)中立(元小結小城錦)中川(元前頭旭里)親方らが、大阪へと出張した。

 春場所新担当部長の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は青森出身だが、近大に通っていただけに関西との縁は深い。現役時代は81年に序ノ口優勝、82年の新十両、83年の新入幕とも春場所。「大阪ではよく応援してもらいましたよ」と懐かしがった。食い倒れの街と言われるだけに「ふぐはよく食べたね。てっさ、てっちりもね。あとは、鶴橋の焼き肉。何せ食べ物がおいしい」と「食」の思い出も焼きついている。

 昨年は15日間入場券が完売する満員札止めの盛況だった。伊勢ケ浜親方は「今年も全部売れてくれれば」と期待する。幸い地元関西の関取衆の顔ぶれも多士多彩。大阪勢は休場した豪栄道が心配だが、勢、大翔丸に宇良が加わり、兵庫勢は妙義龍と貴景勝に再十両確実の北はり磨。奈良出身の徳勝龍もいる。同親方の弟子で淡路島出身の照強は13日目に8敗目を喫したが、まだ十両残留の可能性はある。故郷に錦を飾るためにも、千秋楽が勝負だ。【木村有三】

※北はり磨のはりは石ヘンに番

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宇良跡継ぎ「居反りの一木」

竜勢(左)に居反りを決める一木(撮影・中島郁夫)

 まだ観客の少ない館内がざわついた。西幕下24枚目一木(いちき、23=玉ノ井)と同幕下25枚目竜勢の一番。一木の決まり手は「居反り」だった。一木は「初めてです」と興奮気味に振り返った。幕下の中でも実力が拮抗(きっこう)する、30枚目以上同士の対戦では、95年夏場所の千代の翔以来となる、22年ぶりの珍手だった。

 一木は身長172センチ、体重105キロの小兵タイプ。対する竜勢は181センチ、120キロ。一木の左肩越しから、半身になりながら左上手を取る相手を左肩に乗せて「必死にくらいつきました。(居反りは)流れでした」と、腰を深く落として、万歳するように後方に投げた。

 居反りは幕内では64年夏場所の岩風、十両では93年初場所の智ノ花以降、出ていない。だが、それよりも勝ったことがうれしかった。「とりあえず勝ち越せた」と16年初場所の前相撲での初土俵から6場所連続で勝ち越したことを喜んだ。

 居反りの代名詞とも言える十両宇良は「自分は関係ないです」と言いつつ「居反りキャラはどうぞ。跡継ぎで」と譲った。角界入りしてまだ2年目の一木。「相撲の型はまだ決まってないんです」。居反りの一木と呼ばれる日はくるだろうか。【佐々木隆史】

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苦労人荒鷲見守る花籠親方

荒鷲(左)と花籠親方

 日馬富士に続き鶴竜も休場となり、大荒れの初場所。その一翼を担うのが、西前頭2枚目の荒鷲だ。6日目の鶴竜に加え、8日目は白鵬も撃破。鶴竜戦の初金星は、外国出身では最も遅い(昭和以降)初土俵から85場所目での獲得だった。

 ようやく注目を浴びたモンゴル出身の30歳は、2度の部屋移籍を経験した苦労人。ということは、師匠も3人いる。入門時の荒磯親方(元小結二子岳)、現在の峰崎親方(元前頭三杉磯)。そして、荒磯親方が定年を控えた08年秋場所後に、荒鷲を引き受けた花籠親方(元関脇太寿山)だ。元弟子の活躍に、現役時「ムーミン」の愛称で親しまれた花籠親方は「20件以上おめでとうメールが来た。うれしいね」と目を細めた。

 移籍当時、幕下中位だった荒鷲を見た花籠親方は「腕っぷしが弱い」と、てっぽうをさせ続けた。後方で腰を押さえて負担をかけ、全身の筋力も強化した。そのかいあり11年名古屋で新十両昇進。だが、翌12年夏場所後に、花籠親方は経営上の理由で部屋を閉じた。

 ただ、現在も峰崎部屋付きとして荒鷲を見守る。「しぶとくなった」と成長を喜び「ケガなくやって三役に1度でもなってくれれば」。前師匠は、優しい目でそう願った。【木村有三】

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日刊スポーツ新聞社大相撲取材班

日刊スポーツの大相撲担当記者が紙面では読めない「いい話」をお届けします。