上へ戻る

au版ニッカン★バトル

トップ

日馬富士、満身創痍の体支える「秘密兵器」とは?

愛用してい治療機器を紹介する日馬富士

 4月2日の三重・伊勢神宮奉納大相撲を皮切りに始まった春巡業も残りわずか。朝8時から稽古が始まり、子どもとの稽古、相撲甚句、初っ切り、横綱の綱締め実演に取組…。巡業に参加してる全力士が、打ち出しの午後3時までフル稼働している。ふぅー、っと一息つきたいところだが、すぐに次の日の巡業先までバス移動。2、3時間の長旅は当たり前で、日もすっかり沈んだ頃に宿舎に到着するハード日程だ。

 そんな中、けがを抱えながら参加する力士も少なくない。春場所後に右膝に水がたまり「急にあちこちに痛みが出てきた」と話すのは横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)。古傷の左肘にも痛みが出るなど満身創痍(そうい)だが、気力を振り絞り巡業に参加している。

 故障した体を支えているのが、日本電気治療協会が推奨している低周波治療機器による「ハイボルト療法」と呼ばれる治療法だ。巡業に駆けつけて治療を行った杉浦直行理事によると「従来の電気治療機器が家庭用ホースの水だとすれば、このハイボルト療法は消防車のホース」と説明。神経の興奮を下げるのと、インナーマッスルの腫れ、炎症をなくす効果があるという。さらに「ミトコンドリアが活性して眠っている力が出てくるんです」と力説した。

 電気治療が苦手な力士も多いが、1度効果を実感するとクセになるという。日馬富士も最初は苦手としていたが、あまりの効果にとりことなり、1日1時間半はハイボルト療法を行っているという。「早く治る。これは本当にすごい」と数百万円する治療機器を自腹で購入したほどだ。

 「けがは稽古しながら治すもの」と話すのは某親方。根性論も必要だが、時代の流れとともに少しずつ環境も変化している。ジムに通ったり、個人的にトレーナーを雇ったり、電気治療やサプリメントを使ったり、科学の進歩をうまく利用する力士は多い。本場所、巡業と1年中働きっぱなしなだけに「我々は治療してすぐに相撲を取れないといけない」と日馬富士。最高のパフォーマンスをするためには時間も、お金も惜しまない。【佐々木隆史】

鶴竜、背水の陣だった初場所 師匠が語るV逸の原因

鶴竜(2018年1月26日撮影)


 12年夏場所の旭天鵬以来となる、栃ノ心の平幕優勝で幕を閉じた初場所。自慢の怪力を武器に初日から千秋楽まで好調を維持して、14勝1敗と大勝。安定感のある相撲に記者は連日、「もしかしたら」の思いが強まっていった。しかし1敗を喫した7日目。「もしかしたら」の対象は、栃ノ心に土を付けた横綱鶴竜(32=井筒)に変わった。

 4場所連続休場中の鶴竜は、初日から10日目まで白星を並べて単独首位に立っていた。横綱白鵬、稀勢の里が途中休場して、“1人横綱”で臨んでいた分、力も入っていた。そして何より、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)が次に出場する場所で進退を懸けることを明言していたからこそ、さらにやる気に満ちあふれていた。しかし、11日目に初黒星を喫すると、ずるずると4連敗…。支度部屋でもネガティブな発言が目立った。

 敗因はどこにあったのか。2連敗を喫した翌日の13日目に、いつもは多くを語らない井筒親方が、こう分析した。

 「序盤はスピードもあったし反応も早かった。疲れのピークじゃないですかね。引いてね。下がった時はダメ。攻めてる時はいいんだけど。ちょっと疲れたり、負けたりすると悪いクセが出る。10連勝したことで余計なことを『もしかしたら』と考えたかもしれない。とりあえず2桁勝てて、背水の陣の場所でどこかで安心したかもしれない。安心感と優勝したい気持ちが矛盾したと思う。勝ち急いだと思う」。

 そしてぽつりと

「私自身も安心しましたね」。

 弟子の背水の陣の場所に、師匠も大きなプレッシャーを背負っていた。

 油断して負けた、気持ちが切れて負けたと言えばそうかもしれないが、実は左足首が限界を感じていた。昨年の1月ごろから疲労がたまると軟骨同士がぶつかって痛みが出ていたといい、毎場所後半は衝撃緩和のためにヒアルロン酸を打って土俵に上がっていたという。初場所も中盤からやはり痛みが出ていて、朝稽古を休み整体で治療を行うなどして、昨年春場所以来に15日間を完走した。

 そして場所後には、左足首の遊離軟骨を除去するために内視鏡手術を受けた。春場所(3月11日初日、エディオンアリーナ大阪)は出場できるのか、と思ったが「(春場所に)間に合わせるために早めにやった」と前向きだった。次こそは、賜杯を抱けるだろうか。【佐々木隆史】

外国出身力士の人数制限、門戸拡大にかじ切っても…

日本記者クラブで会見した栃ノ心(2018年2月14日撮影)


 初場所で初優勝を平幕で飾り祝福ムードに包まれる栃ノ心(30=春日野)。2月は巡業がないだけに、各種イベントに引っ張りだこ。もちろん稽古も欠かさないから忙しいこと、この上ない。それも優勝力士しか味わえない“特権”。嫌な顔一つ見せず取材やインタビューに応じている。

 そんな栃ノ心が少しばかり、もどかしそうに話したことがある。それはある意味、角界の懸案事項ともいえることだと感じた。

 2月14日、日本記者クラブで開かれた記者会見。スポーツ界に限らず、旬の人を招き広くメディアを通じて、人となりを発信していく場だ。その質疑応答で、開催中の平昌(ピョンチャン)五輪での選手の活躍について聞かれた時だ。自分が小さい時からサンボや柔道で汗を流したことに触れ、オリンピアンには「国のためにも自分のためにも頑張ってほしい」と話し、さらに続けた。

 栃ノ心 私の国には、相撲ではないけど柔道、サンボで体の大きい人はいっぱいいる。その中には、相撲界に入りたいという人もいるけど、協会の決まりで1部屋に外国人は1人しか入れない。今の状態は、ほとんどの部屋に(外国人力士が)入っている。だから(今の状態では入りたくても)入れないのかな。

 栃ノ心によれば3年ほど前に、母国ジョージアから角界入りを志願し2人が来日し、2カ月ほど滞在したが夢かなわず、やむなく帰国したという。

 栃ノ心 今も相撲界に入りたいという人がいる。でも、なかなか入れない。入っていない(=外国人が在籍していない)部屋があれば入れてあげたいけどね。

 現在、力士総数約650人のうち約5%を占める外国出身力士。初場所番付でみれば、関取衆は約27%の19人を占める。1934年に平賀(日系米国人)が角界初の外国人力士として初土俵を踏み、以来、曙と武蔵丸の両横綱らを輩出したハワイ出身の米国勢、前人未到の40度優勝の白鵬らモンゴル勢、さらに大関に君臨した琴欧洲、把瑠都ら欧州勢も角界隆盛の一翼を担ってきた。

 1部屋の人数制限は、92年から2人まで(全体で40人以内)、02年からは1人だけに限られた(10年からは日本国籍を取得した者も「外国出身力士」として1部屋1人までに制限)。その規約も、そろそろ門戸拡大にかじを切ってもいいのではないか。拙速ではない、緩やかな改革の1つとして。

 角界に“外国人アレルギー”があっても不思議ではない。取材を通じて、日本の美徳とは離れた立ち居振る舞いを感じることもあった。それは入門の際、相撲とはかくあるべきもの…と徹底的に教え込み、機を見て各師匠が言い聞かせればいいのではないか。前述した「日本の美徳とは離れた立ち居振る舞い」は一部の力士に感じたことで、むしろ高見山から始まり、栃ノ心にも感じる“日本人らしい外国人”の方が多かったような気もする。国際化せよ、などとはいわない。日本の伝統文化を発信する懐の深さも公益財団法人として、あってもいいのではないだろうか。【渡辺佳彦】

阿炎そこまで言ってええんかい、美徳と対極の語録

阿炎(2018年1月28日撮影)


 沈黙が尊ばれるのが角界です。北勝富士、千代大龍、松鳳山とか、よくしゃべる力士はおるけど、基本的に言葉数は少なく、声かて小さい。担当になりたての頃「でっかい体やねんし、もっと大きい声でしゃべれんか?」と、自分が“男のおしゃべり”を地で行くだけに、かなりイライラしたもんです。そんな美徳の対極にいるんが、阿炎(あび、23=錣山)です。

 初場所が新入幕やったちゅうのに、おもろい。言いたい放題ぶりは「…おいおい、そこまで言ってええんか?」と心配になるほど。その“語録”を少し並べてみましょか。

 「絶対勝ってたな~」「負けるたびに三賞の夢が遠のいていく」(初日、大栄翔に敗れて黒星発進)

 「3連勝したら、次はだいたい負ける。(十両の)先場所もそうだったし…」(5日目に3連勝)

 「よく“変わって負けたら悔いが残る”なんて言いますが、僕はないです。変わったのは勘を信じたから。悔いは残りません」「親方に怒られるかな…。でも、いい。怒られても、勝ちゃあ何でもいい」(中日、立ち合いで左に飛んで、巨漢の大奄美を押し出す)

 「体重は間食で増やしました。カップ麺いいですね。中でもシーフードが一番好き。毎日食べてます」(9日目)

 「20代前半の全員に負けたくない」(10日目、1学年上の豊山に負けて)

 …とまあ、しゃべること、しゃべること。

 何でそこまでしゃべるのか? 勝てば敢闘賞だった千秋楽を白星で終え、10勝5敗。見事に三賞を手にして、阿炎自身がビッグマウスのわけを明かした。

 「番付発表の時に“三賞独占”なんて言ったし、その後も三賞、三賞と言ってましたけど、正直勝ち越しで十分でした。盛ってました。盛り盛り。怖いぐらいの結果です。大きいことを言わないと燃えない。すぐ落ち込むタイプで、無理にでも気持ちを上げていかないとダメ。だから、でかいことを言う」

 自分で言って、自分をその気にさせる。

 「言霊ッスね」

 その言い方がまたチャラくて、どこまでも「ほんまかいな?」と思ってしまうけど、きっとそうなんでしょう。

 男は黙って勝負ってな武骨なタイプもええ。ただ、阿炎のような存在が、相撲をよりおもしろくするんやないか、なんて思う今日この頃です。【加藤裕一】

相撲技術の進歩を止めないか?張り手封印で思うこと

白鵬(2018年1月17日撮影)


 横綱白鵬(32=宮城野)の立ち合いの張り手、かち上げが話題となって久しいが、実は世間の多くの声と相撲界の認識は違うように感じる。昨年12月に横綱審議委員会(横審)の北村委員長が「美しくない」「見たくない」といった投書が多く届いているとして、白鵬の立ち合いの張り手、かち上げに注文を付けた。「横綱のものとは到底、言えないだろう」などと厳しかった。これを合図に、白鵬にとって立ち合いの張り手、かち上げは禁じ手のようになり、初場所では1度も出さなかったが、3日目から連敗して5日目以降は休場した。

 休場の直接的な要因は、両足親指のけがだった。それでも多くの現役力士や親方衆の目には、張り手、かち上げを出せずにリズムを崩しているように映ったようで、同情の声も多く聞こえた。中でも熱弁を振るっていたのは幕内の千代大龍だった。「まるで張り手、かち上げが、ものすごく悪いことのように言われているけど、土俵で戦う相手としては、あれだけ隙だらけの立ち合いをしてくれたら本当はラッキー。それでも勝ってしまう、その次の攻めへの速さ、引き出しの多さが横綱(白鵬)の強さ」と語った。同様に「張り手、かち上げ=チャンス」と、対戦相手ならとらえるという声は次々と聞こえてきた。

 いわゆる「横綱相撲」の理想は、史上最長69連勝の記録が今も破られていない、双葉山の「後の先」という声はよく耳にする。立ち合いで相手を真正面から受け止めつつ、先手を奪っているといった取り口こそ「横綱相撲」だとする好角家は多い。

 私が約6年間相撲担当を離れる以前の10、11年ごろ、白鵬も双葉山とその代名詞の「後の先」を目標に掲げていた。当時、1人横綱だった白鵬の強さは頭ひとつ抜けており、双葉山に迫る63連勝も記録。当時も時折、立ち合いで圧力のある相手には、張り手(張り差し)を見せる場面もあった。だが数少ない黒星は、立ち合いで張り手を出し、がら空きとなった脇を差されるケースがほとんど。白鵬自身も周囲も悪癖ととらえ、改善を誓っていたように記憶している。

 それが6年ぶりに担当に戻り、すっかり立ち合いの定番になっていた。少なからず当時よりも、立ち合いでパワーとパワーの真っ向勝負に応じては、分が悪いと感じる相手が増えたのかもしれない。相手の圧力を抑え、脇ががら空きとなるリスク覚悟の張り手、かち上げに活路を見いだし、頼らざるを得なくなったのかもしれない。

 プロレスのエルボースマッシュに近いかち上げは、下手をすれば対戦した力士生命を脅かす危険性があり、封印や改善の必要があると思う。一方で張り手は、そういった危険性は少ない上、繰り出す方には相応のリスクがあり、対戦相手にとってもチャンスとなる。純粋に観戦する側としては、両者の駆け引きや、張り手に動じずぶちかます相手力士の姿など、心を震わされる場面に遭遇する可能性が高まる。張り手まで封印すると、そんな観戦の楽しみが1つ減るような気がしてならない。

 大相撲に限らず、プロ野球などを含めてプロスポーツには、これまで数多くの「名勝負」と呼ばれる人気の対戦があった。張り手を繰り出すかどうか、駆け引きを含めて楽しむことができれば、新たな名勝負になるかもしれない。千代大龍は、こうも付け加えていた。「結局、あの張り手で勢いを止められている自分たちが弱い。もっと強くならないと」。あらゆるスポーツは、技術の進歩の連続。1つの技が生まれたら、その技を打ち破るための技を編み出すことで、競技の発展につながった。白鵬の張り手を打ち破る、革新的な技術、勇気と実力のある力士は生まれるのか。そんな未来を見てみたい気もする。【高田文太】

相撲協会、春場所で「赤ちゃん抱っこ撮影チケ」検討


 日本相撲協会による今年初の試みをいくつか紹介する。両国国技館には、2つの新しいスペースができた。1つは授乳室だ。これまでは相撲診療所に設けられたが、より観客席に近い場所にできた。入り口には女性スタッフが在駐している。もう1つは、無料写真撮影場所。相撲にちなんだフレーム付きの写真を撮ることができ、それを2次元コードで読み取れば携帯電話に保存できる。協会関係者は「家族や外国人、シニアの方など幅広い層の人が来てくれます。ほほ笑ましいです」と、ほおを緩める。

 3月の春場所でも、新しい試みをいくつか検討中だという。その1つが、赤ちゃん抱っこ撮影付きチケットの販売。東京やその他地方場所では、おなじみの大人気チケット。ただし春場所は、スペースが確保できずに断念してきた。しかし「大阪場所担当の親方衆とも話して、多くの子どもや家族の思い出に残って欲しいという話が出た」と、会場近くの建物を借りるなどして実施するという。

 昨年末から角界は、相次ぐ不祥事に揺れている。それでも本場所に足を運んでくれる観客のために、相撲協会なりの恩返しだ。【佐々木隆史】

朝赤龍「思い出残る引退相撲に」 長男と土俵入り

元関脇朝赤龍の錦島親方(2017年5月15日撮影)


 新たな船出の日-。そう思えば胸が躍る。ただ、同時にそれは長年の“相棒”との別れでもある。そうなると思いは複雑だ。「約18年か。寂しくなるんじゃないかな…。切った後、どんな髪形になるのかな?」。2月4日に引退相撲(両国国技館)を控える元関脇朝赤龍の錦島親方(36)は、断髪式ではさみを入れられるマゲに手を伸ばしながら静かに話した。

 引退相撲では十両、幕内取組のほか綱締め実演や初っ切り、髪結い、相撲甚句など通常の余興が行われるほか、取っておきの「ご披露」を用意している。同親方の最後の土俵入りだ。部屋の十両格行司・木村朝之助先導のもと、4歳になる長男と2人で務める。「来てくださる皆さんの思い出に残る引退相撲にしたい」と同親方。物心両面で支援してくれた関係者、ファン、何かと気にかけていた病気に苦しむ子供も観戦に来てくれる。さらに新たな思いも。「初めて相撲を見に来た人が『また相撲を見に行こう』『今度は本場所を見たい』と思ってくれたらうれしい」。真面目で実直な人柄そのままに、最後の土俵も立派に務める。【渡辺佳彦】

限定150部 時を忘れる相撲の歴史


 「大相撲錦絵 日本相撲協会 相撲博物館コレクション」が昨年末、徳間書店から発売された。相撲博物館所蔵の錦絵(カラーの浮世絵木版画)3000点超を劣化防止のためデジタル化、同館学芸員が選んだ249点をまとめた。

 雷電為右衛門ら江戸時代の伝説的力士、興行、巡業の模様などを東洲斎写楽、喜多川歌麿ら名だたる浮世絵師が描いた逸品が並ぶ。見ていて時間を忘れそうだ。化粧箱入りのオールカラー画集(324ページ、A3判、48ページのB5判解説書と別刷り錦絵2点付き)。シリアルナンバー入り、150部限定の豪華版。ただ当然、高い。税別18万5000円。売れるのか?

 それが、売れた。発売1カ月弱。「数部」(同担当者)というから、1部ではない。「文化的意義優先で、150部売り切って、収支はとんとんです。とはいえ…ドキドキしてました」と同担当者は喜んだ。

 好角家が買ったのか? 歴女なスー女か? 芝田山親方(元横綱大乃国)は発売イベントで愛用のステッキを手に、こう話していた。「これは2万5000円だけど、私は5万円でも買う。価値観の問題。相撲好きには、値打ちがあると思います」-。好きな人は、きっと一生楽しめる。唯一の取扱店、銀座 蔦屋書店で見本を手にとって見ることができる。【加藤裕一】

化粧まわしは兄弟子の借り物 豊昇龍「感謝」

新序出世披露で土俵に上がる豊昇龍(撮影・鈴木正人)


 元横綱朝青龍のおい、豊昇龍(18=立浪)も新序出世披露に臨んだ。三段目取組の合間、春場所から番付にしこ名が載る新弟子として、土俵で紹介された。「豊昇龍~!」と声も掛かった。「気持ちよかったです」と笑みを浮かべた。

 破格の扱い? だった。化粧まわしは兄弟子の新十両天空海(あくあ)に借りたが、実は新品。持ち主がこの日の十両土俵入りで初披露する前に、使わせてもらった。「びっくり。天空海関に本当に感謝です。うれしかった」と話した。

 不思議な縁もあった。色は元朝青龍が使ったこともある金。「叔父さんと一緒です。太陽の色。僕も関取になって化粧まわしを着ける時は金色にしたい。きっと天空海関を思い出します」。デザインはコイの滝登り。故事では昇って竜になる。しこ名と同じ“昇龍”だ。報道陣にそう説明されると「すごい!」と目をむいて驚いた。この日は兄バンザラクチさん、21歳の誕生日でもあった。

 関取へ、横綱へ。あらためて強くなった決意を、叔父にメールで伝えるつもりだ。「本当のお相撲さんになりました、と書きます」。金の化粧まわし姿の写真を添付して。【加藤裕一】

服部桜“双葉山超え”70連敗も「逃げるのが負け」

松岡に敗れ、70連敗を喫した服部桜(撮影・狩俣裕三)


 元横綱朝青龍のおいが出た、番付外の前相撲が終わった後、初場所6日目の最初の取組で“記録”が生まれた。西序ノ口24枚目服部桜(19=式秀)が負けた。両上手を引き粘ったが、寄り切られた。70連敗。「数字は頭にはありました。勝ちたくて、左上手を取りにいったけど…」。双葉山の不滅の69連勝を、序ノ口の連敗で超えてしまった。

 15年九州場所の序ノ口デビューから16年夏場所6日目に初白星を挙げたが、通算成績1勝92敗1休。引き技で負けたのは16年秋場所3日目の引き落とし1度だけ。ほぼ全部、体力負けだ。身長180センチだが、入門時の体重は65キロ。75キロだった昨年秋場所後、師匠の式秀親方(元前頭北桜)に「10キロ太れ!」と言われ、3度の食事、コンビニおにぎりの間食で現在83キロ。だが、まだまだだ。

 神奈川・茅ケ崎市立梅田中卒業後、7歳から憧れた角界へ。同親方は、親に黙ってやってきた少年を1度追い返し、母親連れの2度目の志願で折れた。「情熱を感じました。今は『2年前の自分より強くなってるぞ』と言い聞かせてね。逃げるのが一番の負けですから」。くしくも部屋には、先代式秀親方(元小結大潮)の師匠双葉山の写真が飾られてある。“最強の人”に見守られ、服部桜は2勝目を目指す。【加藤裕一】

大関→十両、照ノ富士へ経験者・元大関雅山が助言

照ノ富士(17年9月14日撮影)


 3日目から休場した元大関で東前頭10枚目の照ノ富士(26=伊勢ケ浜)に、かつての自身を重ねてエールを送る人がいる。元大関雅山の二子山親方(40)だ。照ノ富士は先場所までの3場所は左膝痛などが影響して休場し、今場所は「2型糖尿病で約1週間程度の療養を要す」との診断書を提出。再出場しなければ来場所の十両転落は確実な状況だ。二子山親方は「照ノ富士は若いのだから、もう1度はい上がってほしい。力はある。燃え尽きたら終わる」と気力の重要性を訴え、再浮上に期待した。

 22歳で大関となった二子山親方は在位8場所、24歳の時に陥落した。照ノ富士も23歳で昇進した大関を14場所務めたが、25歳の昨年11月九州場所で関脇、今場所から平幕へと番付を落とした。昭和以降、元大関で十両まで番付を落としたのは大受、雅山、把瑠都の3人しかいない。把瑠都は引退前は休場続きで、番付では十両に名を連ねたが、実際には出場していない。十両の土俵に立った最後の元大関は雅山となっている。

 二子山親方は大関陥落から約9年後、幕内に返り咲いた。その後も小結まで番付を戻すなど、大関陥落後に関脇以下を史上最長の68場所務めた。35歳で引退した13年春場所は十両として取り切り3勝12敗。千秋楽に3勝目を挙げるなど、最後まで目の前の一番に全力だった。「まだ燃え尽きていなかった。絶対にチャンスがくると信じていた。最終的には(幕内に)上がれなかったけど腐らず稽古を続けることが大事」。当時を振り返り、復活を期待していた。【高田文太】

引退の北太樹「子どもの記憶に」父として残る悔い

17年4月、東京・町田市巡業 長男英慶君を抱いて土俵入りをする北太樹


 20年の現役生活に幕を閉じ、親方として新しい道を歩む。今場所前に現役引退した元前頭北太樹の小野川親方(35=山響)が、両国国技館で引退会見を行った。「振り返ると短く感じる」とやり切った表情を浮かべたが、心残りはあった。

 昨年4月、春巡業が地元の東京・町田市で行われた。当時十両の北太樹は、1歳半だった長男英慶(えいけい)君を抱いて土俵入り。自分が締めた化粧まわしと同じデザインのミニ化粧まわしを締めさせた。途中で泣かれながらも「記憶に残ってくれたかな」と笑みを浮かべた。

 「子どもの記憶の残る3、4歳まではやりたい」と希望していた。度重なるケガで「体力の限界を感じた」と引退を決意。力士としての相撲人生に悔いはない。それでも「もう1年ぐらいは相撲を取って(息子に)土俵での記憶が残るぐらいは。残念です」と父親としての悔いは残った。

 次は親方として土俵に上がる力士を育てる。「自分が教わった大切なことを伝えたい」。第2の人生で息子の記憶に残る力士を育てる。【佐々木隆史】

「小岩小相撲道場」で区と田子ノ浦が合体し理想の姿

小岩小相撲道場での初稽古ですり足をする稀勢の里(2018年1月7日撮影)


 大相撲初場所(両国国技館)の初日を1週間後に控えた今月7日。地域に根ざす相撲部屋の、理想となるありようを垣間見た一日になった。

 再起をかける横綱稀勢の里(31)の調整を取材しようと足を運んだ東京・小岩の田子ノ浦部屋。だが、稽古は徒歩で10分ほどの小岩小学校で行っていると聞き方向転換。校庭に即席の土俵でも作り、小学生に教える交流会でもやっているのか…などと頭を巡らしながら学校に到着。ほどなくして敷地の隅にある建物の外に、黒まわしが置かれているのを発見。中では力士たちの稽古が行われ稀勢の里も、大関高安も汗を流していた。

 そばにいた江戸川区役所の腕章を巻いた関係者に話を聞くと、昨年12月24日に完成し、お披露目式が行われた「小岩小相撲道場」だった。この日は、そのこけら落としとして、田子ノ浦部屋の力士を招いた初稽古。連休を利用し出稽古に来ていた静岡・飛龍高校の相撲部員もプロの力士にぶつかり、活気にみちあふれていた。

 話は昨年1月28日にさかのぼる。直前の初場所で初優勝した稀勢の里の「初優勝 横綱昇進報告会」が、この小岩小で開催され約4500人の地元ファンが祝福した。その際、控室となった校長室で江戸川区の多田正見区長、稀勢の里らが集った席で、田子ノ浦親方から切り出されたという。「部屋の近くに土俵があるといいですね。倉庫でもいいんです。そうすれば子供に相撲を教えることで地元に貢献できますから。喜んでお役に立ちたい」。その言葉で区が動く。小学校と同じ敷地内にあった小岩第一幼稚園の園庭が、ちょうど空いていた。早速、夏には着工。更衣室、トイレ、シャワールームも完備した広さ約180平方メートルの道場が完成した。

 土の稽古場だけでも150平米近くはあろうかという広さはもちろん、天井も高く自然光も入るため、開放感もたっぷり。もちろん、相撲部屋の稽古場にある神棚、大鏡、しこ名がしるされた木札などはないが、プロの相撲部屋と見まがうばかりの作りだった。

 地域密着を図りたい部屋の要望と、それに呼応した自治体の全面協力で実現した相撲道場。「わんぱく相撲をやる子が、江戸川区だけで700人もいるそうです。これはもったいない。(小岩出身の第44代横綱)栃錦関の銅像も(JR小岩駅に)あるし、両国にも近いですから」と同親方。将来的には「稽古を見せるなどして相撲クラブが作られるようになれば」と地域貢献、相撲の普及を見据える。今後の活用法は未定ながら、多田区長も「ここを中心にわんぱく相撲など、いろいろな形で相撲を教えていただければ。相撲を通して人間教育の場になればいいですね」と熱望する。人間教育-。揺れる角界だが、国技に期待するそんな声があることを忘れてはならない。【渡辺佳彦】

プライバシーの境界線は?暴行事件取材で感じたこと

貴乃花理事の処分について話す池坊議長(左)と小西評議員(2018年1月4日撮影)


 1月4日に、元横綱日馬富士関の暴行事件の被害者で十両貴ノ岩の師匠の貴乃花親方(元横綱)が、理事解任の処分を受けることが正式決定した。

 ようやく事件の当事者、関係者の処分は終結。17年11月14日の九州場所3日目に、一部報道で元横綱日馬富士関の暴行問題が発覚してから51日。この間、連日のように各メディアが事件関連の報道をし、事件の当事者、関係者は1日も気が休まることはなかっただろう。各メディアの報道に登場するのは、当然事件の関係者。しかしその裏では、事件とは関係のない力士らも気が休むことがなかった。

 暴行問題の全容、解決がまだ不透明だった17年12月3日、長崎・大村市を皮切りに冬巡業がスタートした。冬巡業は基本的に、前日夜には開催地へ移動する。そのため2日夜には、冬巡業に参加する親方衆、力士らは大村市入りした。問題はその日の夜に起きた。

 巡業は普段、本場所に足を運べないファンのために親方衆や力士らが各地方をまわり、朝稽古や初っ切り、相撲甚句などを披露して、相撲の良さを目や耳で感じ取ってもらう狙いがある。地元ファンにとっては年に1度の楽しみ。それは力士とて同じ。巡業会場でのファンとの触れ合いもそうだが前日入りした夜に、各地方の絶品料理やお酒に舌鼓を打つのも楽しみのうちの1つだ。

 当然、大村市入りした2日夜も、飲み屋街に力士らの姿があった。こぢんまりとした飲み屋街だが、その割には力士の姿は少ないように見えた。後日、力士らに話を聞くと「自粛しています」という声が多くあった。暴行問題が巡業中の酒席で起こっただけあって、事件には関係ない親方衆や力士らも敏感になっていた。

 飲み屋街に力士が少ないのが問題、という訳ではない。問題は過熱する取材のあり方だった。巡業の夜は早々と仕事を終わらせて各土地の料理に舌鼓を打つ記者は、2日夜も飲み屋街に繰り出した。携帯電話を握りしめて店を探している時だった。

 ある店の前に、ダウンコートを着た女性が1人で立っていた。誰かを待っているのか-。少しそわそわしたように感じたった。何げなくふと目を下にそらすと、手に光るものがあった。ダウンコートの袖で少し隠すように、ハンディカメラが忍ばせてあったのだ。

 決めつけるわけではない。腕章もパスもぶら下げていない。何も関係のない一般人かもしれない。しかし、その店の中には力士の姿が見えた。おそらくテレビ局か週刊誌か…。時計の針は午後9時を回っていた。「こんな時間までご苦労さんですなぁ」と仕事熱心ぶりに脱帽しつつ、事件とは関係のない力士らを少しふびんに思った。

 2日夜は玄界灘でとれた魚を堪能し、翌日の大村巡業を終えて3日夜には、長崎・五島市に入った。もちろん仕事を早々と済ませ、ある一軒の地元の居酒屋に入った。そこでも地元の魚や肉を堪能している時だった。突然、店の入り口から大きな声が聞こえてきた。

 「すみませーん。○○(某テレビ局)ですけど、誰か力士の方とかって店に来てませんかねぇ?」

 店のおかみさんが対応したとみられ、声の主は店の中には入って来なかった。その後、おかみさんに話を聞くと怒りの表情を浮かべながら話してくれた。

 「突然、テレビ局の人が来て『力士いませんか』って。名刺も何も見せないで、でっかいカメラ持っていきなり押しかけてくるんだから。非常識でしょ」

 おかみさんによれば、他のいくつかの店にも押しかけて手当たり次第に力士を探していたという。

 暴行問題が巡業中の酒席で起きただけに、力士が夜の街にいるところを撮りたい気持ちは、同じマスコミで働く身として痛いほど分かる。当然、上の立場の人から言われれば拒否することもできず、言われるがままにやらざるを得ないのも重々承知している。しかし、取材される側の気持ちを考えることも必要だと思う。暴行事件とは関係のない協会関係者は、自分が宿泊しているホテルの入り口前や、関取衆の付け人が洗濯するコインランドリーに、ハンディカメラを持った報道陣がいたことに対して激怒していた。

 「報道なら何やってもいいのか。俺たちのプライバシー侵しすぎでしょ。何の権利があってここまでやってるんだよ」

 報道の自由という言葉がある通り、各メディアが連日報道している。もちろん弊社もそうだ。しかし報道するためには取材が必要不可欠で、その取材が今回のように過熱し過ぎて、取材対象者に迷惑をかけるのはいかがなものかとは思う。カメラやマイク、名刺を出してノートを広げれば取材はできる。ただ勘違いしてはいけないのは、こちらはあくまで「取材をさせていただいている」ということだと思う。

 カメラ、マイク、名刺、ノートには取材を強制する権利は何もない。この事なら、この人なら話すか、という相手側の思いがあって初めて取材はできると思う。それを無視して一方的に押しかけては、不快感だけを与えて聞ける話も聞けないのではないだろうか。

 記者2年目の新米記者ながら、元横綱日馬富士関の暴行事件の一連の取材でそう感じた。【佐々木隆史】

竜電次は三役!狙うは角界史上最大のカムバックだ

序ノ口デビュー12年目で待望の新入幕を決めた竜電。左は師匠の高田川親方(2017年12月26日撮影)


 竜電(27=高田川)が06年夏場所の序ノ口デビューから12年目で念願の新入幕を果たした。初場所(1月14日初日、東京・両国国技館)の番付は東前頭16枚目。「番付表を見て知りました。(九州場所の白星が)8番だったんで…。(負けた14日目、千秋楽に)9、10番勝っとけば確定の勢いだったんですが。心の弱い面が出た。稽古でもっと強くしないと」。26日の番付発表で、苦笑いまじりに喜びを語った。

 嫌な音を3度も聞いた。待望の新十両で迎えた12年九州場所8日目に右股関節を骨折した。「折れた瞬間“ボコン”と音がした」。その後、同じ音を2度。場所が場所だ。「的確な治療法がない。骨がくっつくのを待つしかない」と師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)が説明する“大けが”だった。2年間は相撲が取れず、治っても最初はおっかなびっくりだった。竜電は「周りの方の支えのおかげです。励ましの言葉を心に刻んで。それと、このままじゃ終われないという思いだけです」と話した。

 周囲の支えはなくてはならないものだったろうが、それに匹敵するほど大きかったのは、師匠の“厳しい優しさ”ではなかったか。高田川親方は言う。「私が言い続けたのは『弱いからケガをするんだ』ということ。ケガをしたことは相撲の神様の『もっと鍛えなさい』というメッセージなんだ。それを克服したら、本当の力士になれるんだ、ということです」-。

 関取経験者が序ノ口まで陥落し、その後に新入幕したのは92年九州場所の琴別府以来2人目。琴別府の新入幕も竜電と同じ27歳で、序ノ口デビューから12年目のことだ。琴別府の最高位は95年春場所の東前頭筆頭で、三役にあと1歩届かなかった。

 高田川親方の厳しい優しさは、続く。「今からが竜電の本当の相撲人生。苦労した分、来年の早いうちに、一気に三役に上がってほしい。三役じゃないと、名前を覚えてもらえない。それだけのものはあるんだから」-。序ノ口からはい上がった関取経験者の新三役。角界史上最大のカムバックが実現すれば、それは角界の語り草になる。【加藤裕一】

暴行問題で乱立 無責任コメンテーターたちに物申す

貴乃花親方


 今や日本中が相撲コメンテーターだ。元横綱日馬富士関(33)による、平幕貴ノ岩(27=貴乃花)への暴行問題が発覚した11月14日以降、街ではこの話題を論じている人をよく見かける。漫才のネタになれば大きな笑いが起きるほど、今回の経緯は日本中に浸透。テレビでこの話題を扱っていない日はない。

 動きのない日でも、前日までの流れをおさらいする形でワイドショーなどは報じている。そんな時は、スタジオにゲストで呼ばれている芸能人や文化人のコメントを中心に、番組が進行するケースが多い。相撲とはまったく関係のない肩書の人も、暴行問題についてトークを展開している。

 それぞれの事情は痛いほど分かる。きっと「本当は相撲は詳しくないけど…」と思いながら出演している人も多いはず。それでも、せっかくの出演機会をキャンセルするのはもったいない、誰かに物申すキャラクターで定着しているから、と心の中で何とか折り合いをつけて出演しているのだろう。制作者サイドも、今はこの話題が旬だから何とかこれで押し通そう、いや押し通さざるを得ない、という状況で放送していることもよく分かる。それでも、土足で人の家に乗り込むような言動は控えるべきだろう。

 最低限の下調べ、その世界の事情を放送前に知ろうとする努力は必要だろう。例えば今回の問題で、日本相撲協会危機管理委員会の鏡山部長(元関脇多賀竜)が、貴乃花部屋へ文書を届けに行く姿が度々生中継された。芸能人らから「これはパフォーマンス」「自分たちはやっているとアピールするため、わざとワイドショーで生中継される時間に訪問している」といった声をよく耳にした。

 どんな職種の仕事でも、平日の日中、常識的な訪問時間には、常にワイドショーが放送されているため、避けようもない。計5度の訪問が正午以降、午後3時までに集中していたのも、相撲界では午前中は稽古があり、執行部の親方衆はその後、両国国技館内にある協会に出勤。そこから打ち合わせして出かけるとなれば、必然的にそのぐらいの時間になる。

 また、各部屋とも同様に朝稽古をして、午後3時以降は力士が体を休めたり、夕食の準備をしていたりということが多いため、訪れるならその時間帯が最適だ。相手が電話に出ず、郵便で届けようとすれば余計に1日遅れるが、20分ほどの距離だから届けるのは、時間が迫る中では普通の選択。そもそも、生中継するかどうかはテレビ局が勝手に判断することであり、生中継でなくても結局はその様子が繰り返し放送される。

 相撲界にはたしかに独特な文化がある。例えば、通称「相撲時間」と呼ばれ、約束の時間よりも何事も早く始まる。親方や現役力士、行司、呼び出しらは皆、番付や地位が下の人から先に集まるように心がけている。最後に到着する人でも、予定の30分~1時間前ということも多く、そろった段階で物事が始まってしまう。新弟子検査など、新弟子の人数が少ない時には、検査する側の最後の親方が入った時間に始まり、当初の予定開始時刻には検査どころか、片付けまで終わって全員引き揚げていることもある。協会に呼ばれたある親方が、当初予定の8時間以上前から待機していた姿を見たこともあった。

 そんな独特な世界だからこそ、どういう概念、しきたりが根底にあるのか、発信する立場であれば特に事前に知ろうとする努力が必要なように感じる。出演者も制作者も、この問題を扱っている間の一時的なものかもしれないが、それで飯を食っているプロなのだから。

 最近、この問題に関してテレビに出演する機会が増えたという関係者は「実は上手な司会者は『この人にこのことを聞いたら、本職で立場がなくなってしまう』という話は振らない」と話していた。今後の関係に気を使うこともなく、無責任に何でもかんでも批判することほど簡単なことはない。暴行問題も佳境に入った。これまで自由に発言していた人が、どうやってこの問題を結ぶのか。年末年始のどさくさに紛れてうやむやにするのか。コメンテーターの力量も問われるのではないかと、勝手に注目している。【高田文太】

大鵬の孫納谷幸之介が角界の重苦しい空気を切り裂く

納谷幸之介


 元横綱の暴行問題で揺れる角界だが、そんな重苦しい空気を切り裂いて、大相撲の世界に飛び込もうとする若者がいる。昭和の大横綱、大鵬の孫で埼玉栄高の納谷幸之介(3年)だ。

 プロデビューの舞台にもなる東京・両国国技館で3日に行われた、天皇杯第66回全日本相撲選手権大会に、今年は2人しか出場資格がなかった高校生の1人として出場。大学生相手に1勝1敗で迎えた3戦目で社会人に敗れ、予選敗退で終わった。「負けてもともとという挑戦者の気持ちで臨みました。とりあえず予選突破が目標でした」。淡々と表情一つ変えずに話す姿からは、多弁を良しとしなかった亡き祖父の一面をかいま見た気がした。

 折しも角界は土俵外の騒動で揺れ動いている。それについての考えも、短い言葉の中にもブレのなさを感じさせた。「自分には関係ありません。(身分的に入門しても)下なんで気にすることはないと思います」。大横綱の血を引く者として当然、注目度は高くなる。それも「注目してもらえるのはありがたい。(プレッシャーは)あまり感じません」と腹も据わっている。

 元大鵬のおかみさんの芳子夫人(70)も、手に汗握りながら納谷の母美絵子さん(43)と観戦していた。その2カ月半前の9月14日、納谷の兄幸男(23)がプロレスデビューした際は会場で、大鵬さんと、同8日に亡くなった日本相撲協会の世話人、友鵬さんの遺影を手にしての観戦だった。この日、その遺影は手にしていなかったが、祈るような気持ちは同じ。「幸之介君に大鵬さんの面影はありますか」と聞くと芳子夫人は「面影と言っても…。まだ(私の心の中で大鵬は生きて)いますから」と言って目を細めた。「大きくなって、このまま強くなったらうれしい。入門して頑張ってくれればね」と、亡き夫を、躍動する孫の姿に重ねた。

 年内には会見を開き、父の大鵬部屋を継いだ大嶽部屋へ入門する。新弟子検査を受検した上で、来年1月の初場所で初土俵を踏む。ある意味“持っている”男かもしれない。納谷は当初、九州場所で初土俵の予定だったが、愛媛国体で優勝し全日本の出場権を得たため、入門が1場所遅れた。仮に全日本への出場資格がなく、予定通り九州場所で初土俵だったら…。前相撲は3日目に始まり、メディアの注目を一身に浴びることになる。だが、その3日目の11月14日は元横綱の暴行問題が表面化した日。われわれメディアも、土俵どころの騒ぎではなかった。注目されなかった方が良かったのか、早いうちにメディアのプレッシャーに慣れていた方がいいのか…。190センチ、160キロの堂々たる体で、その答えを出す。【渡辺佳彦】

「どうしても1面載りたい」日馬富士が仕込んだネタ

日馬富士(2017年12月2日撮影)


 あれは4月の春巡業だった。当時から左肘や膝などを負傷していた元横綱日馬富士関は、連日支度部屋で電気治療を行っていた。肘や膝や背中など、電気治療で使用する吸盤の跡が、全身に赤くついていた。遠ざかっていた賜杯を奪取するために奮起する元横綱からネタを聞きたい、そう思った記者らが話を聞きに行った時だった。

 記者 最近、何か良いことありましたか?

 日馬富士 新しい奥さん見つけました。

 記者 いやいや…。

 日馬富士 どうやったら1面載れるの? どうしても1面載りたいんだよ。

 その後も続く、記事には出来ない話。政治の話や、某大統領らの賛否など。話す度に「これなら1面載れるでしょ?」と聞いてくる。もちろん全て冗談で、面白おかしく話してくる。優勝からも遠ざかり、体が思うように動かないなど歯がゆい思いをしていたからこそなのか、記者たちと話す時は明るく努めた。ただ「どうしても1面に載りたい」。これだけは真面目で力を込めて言っているように聞こえた。

 そんなやりとりから7カ月たった11月。思わぬ形でその時を迎えた。

--平幕の貴ノ岩への暴行

 以降、連日スポーツ紙の1面に載り、情報番組でも“トップ”扱いとなった。そして引退。決して華々しいものではなかった。春巡業の時の「1面に載りたい」は、復活を果たして横綱の威厳を取り戻したい、そういう意味だったはず。なんとも皮肉な幕引きとなってしまった。【佐々木隆史】

小兵も異彩放った日馬富士、暴行で引退もったいない

引退会見で目を潤ませ、唇をかみしめ下を向く日馬富士


 横綱日馬富士が引退した。貴ノ岩の頭をカラオケのリモコンで殴って、裂傷を負わせた。そらあかんわな。横綱やしなあ…。しかし、もったいない。そう思いませんか?

 白鵬、稀勢の里、鶴竜の3横綱が全休した秋場所で、優勝した。5日目を終わって2勝3敗、10日目を終わって6勝4敗。金星4個も与え、いつ途中休場してもおかしくない状況やったのに、1人横綱の責任を全うすべく土俵に上がり続けて、終盤は5連勝。すごかったのは、千秋楽でしょう。本割、優勝決定戦で豪栄道を連続で退けた。突き刺すような立ち合い、気迫みなぎる取り口。豪栄道は「完敗です」としか言えなんだ。途中までのもたつきは何やってん? 誰もがそう思うほど“横綱のすごみ”はえげつなかった。

 体調はいつも万全やなかったようです。

 7月の名古屋場所前やった。宿舎で朝稽古を見て、話を聞いた。相撲担当歴2カ月の素人が「体調はどうです?」と聞くと、ため息交じりに答えてくれた。

 「う~ん、良くないね」

 -やっぱり両肘ですか?

 「そうだね」

 -思い切って2場所ぐらい休んで治すっちゅう選択はないんですか?

 「2場所とか、半年じゃ無理。1年以上とかじゃないとね」

 -そんな長くは休めませんわなあ

 「本当に治したいなら、辞めないと。辞めた後じゃないとね」-。

 体重137キロ。九州場所の番付で、幕内力士42人のうち、宇良と荒鷲の135キロ、千代翔馬の136キロに次いで軽かった。力強さを備えたスピードで最高位を必死に守り抜いていた。力士の大型化が進む時代に、異彩を放っていた。

 答えに困ったら、決まって「一番一番、全身全霊で…」と言うてはった。その時は「またかいな」と思ったけど。そのセリフがもう聞けん。ほんまに寂しい。そう思いませんか? 【加藤裕一】

遠藤も困惑の珍現象…結びの一番翌日に最初の一番


 結びの一番から翌日は、中入り後最初の一番に-。東前頭9枚目遠藤がそうだった。前日14日目は横綱白鵬に負け、この日は輝に負けた。「14日目を結びで取って、千秋楽は初っ口(中入り後最初の一番)で…。なかなかないでしょ? 誰かいるんですかね? いい経験です」。

 ジェットコースターのような珍現象は、07年秋場所の西前頭14枚目豪栄道以来。取組は前々日までの成績を受け、前日の取組前に決まる。豪栄道は14日目の結びで白鵬、千秋楽の初っ口で西前頭15枚目嘉風と対戦した。白鵬の14日目は琴欧洲、千代大海の2大関どちらかが適当だったが、2人は8勝4敗、新入幕ながら白鵬と10勝2敗で並んでいた豪栄道に白羽の矢が立った。結局、千代大海は千秋楽で白鵬と当たったが、琴欧洲はなし。番付の序列で取組を決める“割を崩した”格好だ。

 今場所は違う。白鵬は千秋楽で豪栄道と対戦し、対戦可能な三役以上全員と当たった。白鵬と1差の2敗の東前頭12枚目隠岐の海もいたが、番付が上で3敗だった遠藤が抜てきされた。最大の理由は日馬富士、鶴竜、稀勢の里の3横綱、大関高安、関脇照ノ富士らの大量休場だ。やはり上位陣の存在は、いろんな意味で大きい。【加藤裕一】

9人休場…平幕Vのチャンスだったのに

妙義龍(17年9月29日撮影)


 日馬富士の暴行問題などで世間を騒がしている角界に、またも悲しい記録が生まれた。平幕の妙義龍が、14日目の25日から休場。これで幕内の休場数は9人(再出場の碧山を含む)となり、11人が休場した02年名古屋場所以来の多さとなった。

 十両も含めると、今場所は10人の休場者が出た。戦後以降、十両以上の力士の合計休場数が10人以上となったのは28場所目。引退、廃業を除けば22場所目となった。3横綱、1大関の上位陣が休むなど、ファンにとって寂しい事態となった。そんな中、横綱白鵬と平幕の北勝富士、隠岐の海の3人が、この日まで優勝争いを演じた。

 過去、十両以上の力士が10人以上休んだ27場所中、4場所で平幕力士が優勝している。53年夏場所の時津山、57年九州場所の玉乃海、91年秋場所の琴錦、00年春場所の貴闘力だ。今場所は上位陣の休場者数が多かっただけに、平幕に優勝のチャンスが広がった。北勝富士と隠岐の海にとっては、悔やまれる結果となった。

 白鵬は「年1回の九州で達成できてうれしい」とご満悦。荒れた九州場所を横綱が締めくくった。【佐々木隆史】

玉鷲が守った被災者との約束「勝ち越し」

玉鷲(17年11月12日撮影)


 モンゴル人力士のいさかいに揺れる九州場所で、モンゴル人力士の涙を見た。11日目、東前頭筆頭の玉鷲(33=片男波)が荒鷲を下し、勝ち越しを決めた。「鷲鷲対決」を制し、支度部屋で「僕が本物」と笑っていた男が、福岡・朝倉市について聞かれ、真顔になった。「約束守れて良かったです」。目は赤かった。

 7月5日に発生した九州北部豪雨。朝倉市では、12時間で約900ミリという観測史上最大級の雨量を計測、31人もの犠牲者が出た。その被災地に、玉鷲のいる片男波部屋は8年前から宿舎を構える。場所前に小学校や施設を訪れ、地域イベントにも出席した。「部屋の横に山から落ちてきた木がまだあって、そこから骨が出た」と玉鷲は言う。いまだ残るがれきの山。被災者を勇気づけるどころか、悲しみと闘い、復興に燃える姿に力をもらった。行く先々で交わした約束が「勝ち越し」だった。

 貴ノ岩暴行事件が起こった夜、宿舎で綾瀬はるか主演ドラマ「奥様は、取り扱い注意」を見ていた。勝ち越しを決めた日、まわしから着替えたパンツはクスッとさせるハート柄。一方、10月30日の番付発表時、日馬富士に気になる力士として「最近強くなっちゃって」と名指しされた。気は優しくて力持ち。モンゴル人力士玉鷲は、そんな人だ。【加藤裕一】

名ばかりの4横綱時代 直接対決2場所連続なし

大相撲九州場所、日馬富士などの休場を知らせる貼り紙(17年11月19日撮影)


 白鵬が10日目まで全勝で後続に2差をつけ、独走Vを決めるかに思われたが、前日11日目に敗れて1差に接近。土俵外の話題が先行した場所が、ようやく熱気を取り戻した。ただ、横綱対決は2場所連続で実現しない。1場所で6番あってもいい4横綱時代なのに、だ。

 年6場所制が定着した58年以降、番付に3人以上横綱が名を連ねながら、2場所続けて対戦がなかった例は過去2度しかない。3横綱だった58年秋と九州場所。秋は初代若乃花が14勝1敗で優勝したが、千代ノ山と栃錦が途中休場。九州も初代若乃花は準優勝だったが、2人が全休した。

 次は貴乃花、3代目若乃花、曙の99年春と夏場所。春は曙が全休し、2人が途中休場、夏は曙は皆勤したが、貴乃花が全休、若乃花が途中休場した。この2場所とも大関武蔵丸が優勝し、翌名古屋場所から4横綱となるが、5場所続けて全員皆勤はなかった。

 今場所の千秋楽結びの一番は白鵬-豪栄道戦になりそうだ。白鵬か他の力士の優勝がかかっていれば、緊張感はあるだろうが…。相撲の華の1つ、横綱対決がないのは、やはり味気ない。【加藤裕一】

うっかり振分親方の予約忘れにファインプレーの声も

振分親方


 日馬富士の暴行問題に揺れる九州場所9日目に、さらなる“激震”が走ったのは打ち出し後だった。高砂一門の一門会中止-。八角理事長(元横綱北勝海)らが所属する一門が、日本相撲協会の2年に1度の理事候補選挙に向けて話し合う大事な会合が、急きょ取りやめとなった。新たな問題勃発かと騒然となったが、実は会場となる福岡市内の料亭の予約を、幹事役の振分親方(元小結高見盛)が忘れたことが原因だった。

 毎年9日目に同じ会場で実施するだけに、親方衆が続々と集まったが、料亭からは「高砂一門でご予約は入っていませんが…」との回答。すでに満席だったため、そのまま解散、中止となった。「どうなってるんだ」との電話を次々と受けて「めちゃくちゃ焦った」(振分親方)。翌10日目は通常よりも2時間以上早く場所入りし、一門の親方衆へおわび行脚を行った。

 一日中、肩をすぼめてシュンとしていた振分親方は「自分に腹が立った。毎年のことだから予約が入っていると思っていたけど…」などと、一言話すごとにため息をもらした。幹事役の会計担当を今年、谷川親方(元関脇北勝力)から引き継いだばかりということもあり「こんな時に酒席の写真が雑誌に載ったら誤解される。ファインプレー」との声も上がった。多くの一門親方衆も「日にちも会場も同じだから、もう来年の予約を入れるべきだな」などと心配しつつ、笑うしかなかった。天性の愛されるキャラクターで、翌日の角界は話題持ちきりだった。【高田文太】

3横綱にファン厳しい声も「僕が横審なら引退勧告」

土俵入りする横綱稀勢の里(2017年10月4日撮影)


 4横綱のうち3人が、またいなくなった。全休の鶴竜、3日目からの日馬富士に続き、稀勢の里。3横綱休場は2場所連続だ。最初に4横綱がそろったのは1917年(大6)夏場所で太刀山、鳳、2代目西ノ海、初代大錦。以降、今場所まで計78場所あるが、4人皆勤は12場所だけで、最近では90年九州場所(千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士)までさかのぼる。一方、3人休場も9場所だけ。4人皆勤も3人休場も珍しい。ともに2場所連続となれば、異例といえる。

 昭和以降初の2場所連続の3人休場が、場所を観戦したファンの目にどう映るのか。熊本・上益城町在住の56歳の男性会社員は「日馬富士、鶴竜に加え、稀勢の里も、僕が横審にいたら、引退勧告ですね。負傷を押しての春場所優勝を加味したとしても、です」と手厳しい。福岡市在住の70代女性は「稀勢の里は久々の日本人横綱だし頑張ってほしい。来年春ぐらいまで休んで、それでダメなら辞めないと仕方ないけど」。初観戦の福岡市在住の44歳男性会社員は「すごく残念ですが、場所を見て考えが変わりました。どの力士もまじめで、ピリッとしている。横綱も元気に戻ってきてほしい」と話した。

 横綱なのにふがいない、横綱だから大変だ…。見方はそれぞれあるが、相撲ファンは厳しく温かい目で見守っている。【加藤裕一】

懸賞金はひょんなつながり、安美錦と高須クリニック

高須クリニックの懸賞幕(17年9月11日、撮影・小沢裕)


 今年の大相撲を象徴する1つに「懸賞」がある。何と言っても数の多さ。とうとう、9日目で初めて年間の懸賞総本数が1万本を超えた。土俵上で直接手渡される手取りだけでも3億円超え。記念すべき1万本目を手にしたのは高安で「すごいですね。何かもらえないかな」と驚いていた。

 年間で初めて5000本を超えたのは06年。以降、1場所中止となった11年を除いてほとんど変動のなかった総本数は14年に7000本を超えて、15年は9842本、16年は9888本と、大台に迫っていた。

 今年は永谷園といった“定番”に加え、稀勢の里の化粧まわしにある「北斗の拳」や、好角家で知られる「デーモン閣下」などが登場。種類が豊富で、ユニークな懸賞旗に目も留まる。

 そんな中、ひょんなつながりでついた懸賞もある。再入幕の安美錦には今場所、これも定番の高須クリニックが懸かった。秋場所で「高須院長が来たときはわりと勝ってる」との言葉が伝わり、幕内に戻ったら懸けると院長が約束して実現された。直接の面識はない2人。安美錦は自身のブログで礼を言った。「十両にいたら懸賞のありがたみが分かるよ」。懸賞も、相撲の彩りの1つ。【今村健人】

初めて地方に両国の土


 九州場所の土が、今場所から変わった。地方場所ではそれぞれの地域で取れる土を使用しているのだが、これまで数多くの力士から滑るという指摘が多くあった。それを受けて日本相撲協会が動き、東京・両国国技館の土俵の盛り土に使用している「荒木田」が地方場所で初めて使われることになった。

 「荒木田」は粘りがあり、速乾性もあることから盛り土に適し、現在は埼玉県内で取れるものを使用。場所前にはトラック5台で約60トンが運ばれて、土俵が作られた。

 では、力士らの反応はいかに。38歳ベテランの平幕の豪風は「明らかに違う。踏んだ瞬間に分かりましたよ。今までより確実に良い」と好感触。一方、足を滑らせるような内容が目立つ新小結阿武咲は「変わらないです」と言うも、他の力士の取組を見て「滑るねぇ」とつぶやいた。

 誰も土を言い訳にしたくない。しかし、力士は足の指で「土俵の砂をかむ」といわれるほど、土とは切っても切り離せない関係にあるが、稀勢の里は「弱い人が言ってるだけ」と一刀両断。土に惑わされずにいつもと変わらない、白熱した取組に期待したい。【佐々木隆史】

史上4位、合計「77歳6カ月」の対決

豪風をはたき込みで破った安美錦(撮影・岡本肇)


 39歳1カ月15日の安美錦と38歳4カ月27日の豪風。関取最年長と2番目の2人が昨年春以来1年半ぶりに幕内の土俵で相まみえた。計77歳6カ月は昭和以降4番目の幕内高齢対決だった。

 豪風は意識していた。過去15勝16敗の安美錦に勝ち逃げは許さないと、ずっと対戦を願い続けていて「すごくワクワクしていた」。

 安美錦はうれしがった。「オレが上がるのを待っていると聞いていた。だから、今日はしっかり当たった」。変化など巧みな技を持つ2人が、小細工なしに立ち合った。結果は長幼の序。年長者がはたき込んだ。

 ここ7場所、幕内最年長の称号は豪風が持っていた。返してもらった安美錦は「向こうも一生懸命、頑張っている。互いに高め合って、いい刺激になればいい。何回でもやってやる。こんなオレを励みにしてもらえればうれしいよ」。豪風は「今まではこわごわと行っていた。負けたけど、怖がらずに立ち向かえた。すごくうれしかった。またすぐにやりたい」と言った。

 亀の甲より年の功-。世代交代の言葉が北風のように迫ろうと、はねのける熱意がある。【今村健人】

振分親方本当はサインしたいけど…

振分親方(17年3月20日撮影)


 角界の人気者、振分親方(41=元小結高見盛)が、もどかしい思いで日々を過ごしている。日馬富士の暴行が発覚し、土俵外が注目される。そんな中、取組中に2階席の通路脇で館内警備を担当している振分親方は、業務中もファンからサインや写真撮影を求められる。だが「全部断っています。1人に応じてしまうと人が殺到し、混乱を招いてしまうので。でも、こんな時だからこそ、本当は全部丁寧に応じたい」と、いつもの笑顔を封印して話した。

 野球賭博や八百長問題などの不祥事が相次ぎ、空席が目立っていた時期を知っている。だからこそ同親方は、警備の合間に「現役の時は下から見上げてましたが、こうして上から見るのも面白いですよ。会場の盛り上がりを感じる」と、満員の客席を見渡しながら感慨深い表情で話した。

 一時の低迷から人気を回復した角界は、今回の暴行で再び厳しい目を向けられている。振分親方は、警備中に握手を求められると「すみません、通行の妨げになるので、それはできません」と、むしろ握手よりも距離を縮め、目の前で手を合わせて謝る。自分の形になると抜群に強かった現役時代同様、不器用な性格だけに警備に一生懸命向き合う。とまどいながらも、いつもと変わらない対応に努めている。【高田文太】

照ノ富士も…03年以来の年間のべ30人以上休場

松鳳山(右)を突き落としで破り3勝目を挙げた稀勢の里(撮影・岡本肇)


 関脇照ノ富士が休場した。4日目に琴奨菊に寄り切られ「力が入ってないな。しょうがないっす」と話していた。今場所10勝すれば、大関に復帰できたが、4連敗では…。幕内の休場者は今場所6人目、今年の総数で延べ30人となった。03年の同31人以来の多さで、平成以降で年間30人を超えたのは、02年の39人を含めて3年しかない。

 当時は世代交代が一気に進んだ。横綱貴乃花が01年名古屋場所から7場所連続で全休、02年九州場所も全休、03年初場所途中に引退した。横綱武蔵丸、大関の栃東、千代大海、魁皇らも休場が目立った。一方で、大関朝青龍が02年九州場所で初優勝、03年初場所で連続優勝して横綱昇進を決め、時代をたぐり寄せた。

 休場者が多いから世代交代が進む理屈はない。しかし、今場所の横綱、大関は白鵬が5戦全勝を守っているが、鶴竜が4場所連続で、日馬富士も3日目から肘の負傷で休場。3場所連続休場明けの稀勢の里はこの日、松鳳山に土俵際で逆転の突き落としを決め、ヒヤヒヤながら3勝2敗で白星を先行させた。「今日の(白星)はだいぶでかいんじゃないかと思います」。御嶽海、阿武咲、貴景勝…。新星の勢いを感じながら、横綱、大関の苦闘が続いている。【加藤裕一】

600回連続出場錦木、休まない秘訣

錦木


 平幕の錦木が九州場所4日目に通算連続出場600回を記録した。06年春場所で初土俵を踏んでから、1度も休場することなく到達。今場所の幕内力士では、1035回の玉鷲、810回の勢に続く記録となった。

 本土俵に立ち続ける錦木は、稽古土俵にも立ち続けている。連日バス移動する巡業中は朝稽古の量を調整する力士もいるが、錦木は休むことなく真っ先に土俵に上がる。関取衆らによる申し合い稽古のため番数は限られるが、タフさは人一倍際だっている。

 なぜこんなにタフなのか。「無理をしない」。もうひとつは「ストレス発散を見つけること。お酒ですかね」とニヤリ。巡業中は1人でもふらりと、地元の居酒屋に入って地元のお酒を飲むほどの酒好きだ。場所中も晩酌を1日たりとも欠かすことはなく「稽古頑張ったら、取組が終わったら飲むぞ、という感じ」。体と心にゆとりを持つことが、錦木流のタフさの秘策だ。

 4横綱時代だが、1度も皆勤がない。一方、今場所の幕内力士43人中13人が、それぞれ初土俵から休場なしで走っている。いずれも三役以下の力士だ。元気のない上位陣を尻目に、平幕力士が土俵上を走り回る。【佐々木隆史】