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au版ニッカン★バトル

大相撲裏話

日馬富士、満身創痍の体支える「秘密兵器」とは?

愛用してい治療機器を紹介する日馬富士

 4月2日の三重・伊勢神宮奉納大相撲を皮切りに始まった春巡業も残りわずか。朝8時から稽古が始まり、子どもとの稽古、相撲甚句、初っ切り、横綱の綱締め実演に取組…。巡業に参加してる全力士が、打ち出しの午後3時までフル稼働している。ふぅー、っと一息つきたいところだが、すぐに次の日の巡業先までバス移動。2、3時間の長旅は当たり前で、日もすっかり沈んだ頃に宿舎に到着するハード日程だ。

 そんな中、けがを抱えながら参加する力士も少なくない。春場所後に右膝に水がたまり「急にあちこちに痛みが出てきた」と話すのは横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)。古傷の左肘にも痛みが出るなど満身創痍(そうい)だが、気力を振り絞り巡業に参加している。

 故障した体を支えているのが、日本電気治療協会が推奨している低周波治療機器による「ハイボルト療法」と呼ばれる治療法だ。巡業に駆けつけて治療を行った杉浦直行理事によると「従来の電気治療機器が家庭用ホースの水だとすれば、このハイボルト療法は消防車のホース」と説明。神経の興奮を下げるのと、インナーマッスルの腫れ、炎症をなくす効果があるという。さらに「ミトコンドリアが活性して眠っている力が出てくるんです」と力説した。

 電気治療が苦手な力士も多いが、1度効果を実感するとクセになるという。日馬富士も最初は苦手としていたが、あまりの効果にとりことなり、1日1時間半はハイボルト療法を行っているという。「早く治る。これは本当にすごい」と数百万円する治療機器を自腹で購入したほどだ。

 「けがは稽古しながら治すもの」と話すのは某親方。根性論も必要だが、時代の流れとともに少しずつ環境も変化している。ジムに通ったり、個人的にトレーナーを雇ったり、電気治療やサプリメントを使ったり、科学の進歩をうまく利用する力士は多い。本場所、巡業と1年中働きっぱなしなだけに「我々は治療してすぐに相撲を取れないといけない」と日馬富士。最高のパフォーマンスをするためには時間も、お金も惜しまない。【佐々木隆史】

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高安の大関昇進たぐり寄せた 嘉風の問いかけ

夏場所13日目、高安(右)ははたき込みで日馬富士を破る

 1つの問いかけが、運命のルーレットを回した。そして…。

 そのとき、高安は幕内土俵入りに備えて西の花道にいた。大相撲夏場所13日目。前日の宝富士戦で、大関昇進の目安となる直近3場所での33勝目を挙げた。いやが上にも昇進ムードは高まった。ただ、昇進を預かる審判部の二所ノ関部長(元大関若嶋津)からは「数字は目安にすぎない。横綱を1人は倒してほしい」という声があった。決して予断を許さない中で組まれた相手は、最後の横綱戦となる日馬富士。まさに、勝負の日だった。

 とはいえ、まだ過分な緊張もない土俵入り前。高安もリラックスして時間を待っていた。そのとき、後ろから声が聞こえた。

 「なあ、今日、どうやっていくの?」

 声の主は、同じ二所ノ関一門の先輩でもある嘉風だった。立ち合いの形を尋ねてきた。その問いかけに、なぜだろう。高安は思いのほか、素直に考えを打ち明けた。

 「かち上げか、突っ張っていこうかと思っています」

 腕を内側に抱え込むようにして思い切りぶつかり、相手の上体を起こすのが、かち上げ。この武器は、もはやこの場所の高安の代名詞にもなっていた。それとも、突っ張っていくか-。いずれにせよ、日馬富士の低い上体を起こすことを考えていた。すると、返ってきた言葉は意外だった。

 「おれのとは違うな~」

 えっ…と思考が立ち止まった。ほかに何か策があるだろうか。尋ねざるを得なかった。「どうやっていくんですか?」。嘉風は答えた。

 「右上手を取りにいく」

 その理由も付け加えられた。

 「お前は、胸を合わせて上手を取れば、強い」

 この答えは、嘉風が日馬富士に挑むときの取り口ではなかった。高安が日馬富士に挑むための最高の立ち合いを、嘉風なりに導いたものだった。表情が変わった高安に、嘉風は慌てて言った。「あくまで、おれの考えだからな!」。だが、高安の胸には、すとんと落ちるものがあった。

 「そうか。そういうのも、あるな」

 土俵入りを終えて、支度部屋に戻った。取組は結び前。時間はまだある。目を閉じて、頭の中で何度も思い描いた。幾度となく、日馬富士と戦った。方向転換には勇気がいる。立ち合いで右上手を取りにいく形は、今場所1度もしていない。だが、もう覚悟は決まっていた。そして、土俵に向かった。

 あとの結果は知っての通り。右上手をつかんだことで、速さのある日馬富士を止めた。横綱の下手投げで上手を切られても、1度止めたことで頭は冷静だった。体を反転して俵で残し、はたき込み。この白星で、全てが決まった。右の上手が、全てだった。

 それは、嘉風に姿を借りていたのだろうか。勝負の前に、運命の女神は突然、ささやいた。その後ろ髪を離さなかったのは、高安の直感と、柔軟な対応力にほかならない。【今村健人】

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かなり珍しいサルのしこ名“翔猿”俊敏な動き楽しみ

部屋の前でガッツポーズをする岩崎改め翔猿(写真は2017年5月31日)

 また1人、角界のキラキラネームになりそうな、しこ名を持つ関取が誕生した。大相撲夏場所で6勝1敗の成績を収め、西幕下2枚目から名古屋場所(7月9日初日、愛知県体育館)での新十両昇進を決めた岩崎改め翔猿(とびざる)だ。

 関取になると、敬称としてしこ名の下に「関」を付けて呼ばれる。翔猿の場合は「とびざるぜき(翔猿関)」と濁音が3文字も入り、かんでしまうこと必至。付け人も大変だろうな、と余計なおせっかいを考えていると、当の本人が「予想としては『さるぜき(猿関)』じゃないですかね」と屈託のない笑いで返してくれた。翔猿が幕下時代の昨年末あたりから「関取になったら」と温めていたしこ名で、師匠の追手風親方(元前頭大翔山)は「最初に聞いた時に『猿翔(さるとび)』でもいいかな、と思ったけど、本人のたっての希望だったので」と受け入れたという。

 師匠の現役時代のしこ名から、同部屋の力士のほとんどに「翔」の1文字が入っている(例外は夏場所番付で幕内遠藤、十両大奄美、幕下岩崎の3人)。「猿」は想像通り、本人の相撲スタイル、取り口に由来。「動きがサルっぽいところと、申(さる)年生まれ。じゃあ、翔猿でいいんじゃないかと、親方と相談して決めました。覚えてもらいやすいかな、と思いますし」と笑みを浮かべた。

 動物の名前が入るしこ名としては「三毛猫」「大虎寅吉」「野狐」「月ノ輪熊之介」などの“珍名”が、過去にある。鳥類など生物に広げれば「鳳」「鳥」「鳩」「竜」「麒麟(きりん)」なども。だが「猿」を探しても、いまのところ力及ばず発見できない。173センチ、120キロの小兵力士。猿のように土俵狭しと動き回り、上に上にと番付を翔(か)け上がるようになれば、翔猿に追随する力士が出てくるかもしれない。

 3学年上の兄は十両英乃海(木瀬)で史上18組目(同時なら13組目)の兄弟関取。埼玉栄高では北勝富士(八角)と同期で1学年下に大栄翔、日大では大奄美と同期で2学年上に遠藤、1学年上に大翔丸。剣翔は埼玉栄高-日大で1学年上と、刺激にする力士は事欠かない。目指す相撲は「立ち合いで1つ当たって好きなように動き回って、基本は押しだけど、はたいたり」と「前に前に」にはこだわらない。同じ小兵の石浦を「いちばん取りたい力士」と目標に掲げる一方で、宇良については「居反られて新聞に載るのは嫌だから宇良関とはやりたくない」と取り口同様、自由奔放に口にする。

 ちなみに、新十両昇進会見の席に用意した色紙に、しこ名を書いてくれた部屋の行司が式守鬼一郎で、兄弟子に剣翔桃太郎がいる。そして翔猿の誕生。この後、しこ名に「雉(きじ)」「犬」が付く追手風部屋の力士が出れば、おとぎ話「桃太郎」の完成…と遊び心をもって相撲を楽しむのも悪くはない。名古屋場所で伊勢ケ浜、九重と並び6人の最多関取衆を抱えることになる追手風部屋。その期待のホープが見せる、俊敏な動きが楽しみだ。

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「豊山」しこ名背負い十両陥落…巻き返し誓う3代目

豊山

 横綱白鵬の38度目の優勝で幕を閉じた夏場所。1年ぶりの美酒に酔いしれる一方で、悔しさで歯を食いしばった力士もいた。

 5月1日。小柳改め豊山(23=時津風)は、東京墨田区の所属部屋で行われた新入幕会見で、満面の笑みを浮かべた。16年春場所で三段目最下位格付け出しでデビューしてから、身長185センチ、体重183キロの恵まれた体格を生かした押し相撲を武器に、同年九州場所で新十両昇進。負け越し知らずで新入幕まで駆け上がってきた。そして待望の「豊山」のしこ名を背負った。先代、先々代と同じ「新潟県出身」「東農大」「時津風部屋」の宿命。時津風部屋3代目の「豊山」が誕生となり「自分なりの豊山像を作っていきたい」と意気込んだ。

 新入幕を祝福するかのように連日、横綱白鵬、鶴竜、大関照ノ富士、関脇高安らが時津風部屋に出稽古に来て、胸を借りた。相撲を取っては投げられ、ぶつかり稽古では何度も土俵に転がされた。毎日、全身泥だらけになった。1週間で183キロあった体重が177キロまで落ちた。「これだけ(番付が)上の方に胸を出されたことはない。横綱にも胸を出してもらって、三賞取れなかったなら申し訳ない」と日に日に、夏場所へのモチベーションは高まっていった。

 5月14日。いよいよ始まった夏場所。巨漢の魁聖を得意の右のおっつけで押し出して、新入幕1勝を挙げた。またも始まる勝ち越し街道-。そう思われたが、試練が待っていた。2日目妙義龍戦で初黒星を喫すると、一気に8連敗で初の負け越しを味わった。得意の押し相撲が鳴りをひそめ、苦手な四つ相撲に苦戦。「自分でもどうしていいか分からない。苦しい場所ですね」と下を向いた。

 5月28日。千秋楽を白星で飾り、4勝11敗で夏場所を終えた。「あと1つ2つかみ合えばという感じだった。精神的にきつかった。こんなに長くて苦しい15日間は経験したことなかった。あらためて相撲の厳しさを知った。今までのままではダメだと。また一からやり直します」と振り返った。名古屋場所(7月9日初日、愛知県体育館)では、十両陥落が決定的。「1場所で戻ってきます」。3代目として、こんなところでは終われない。

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貴景勝と阿武咲、切磋琢磨誓う仲良し20歳

 今場所の幕内最年少力士たちが、千秋楽の土俵を盛り上げた。20歳で同い年の平幕貴景勝-阿武咲の一番。貴景勝が気合の押し相撲で、初顔合わせを制した。

 平成以降、取組を行った2人の合計年齢が一番若かったのは、04年九州場所、05年春場所での稀勢の里(18)-安馬(20)の一番だ。2番目は92年初場所の貴花田(19)-武蔵丸(20)で、今回の取組は3番目に若い対決。20歳同士の対決は、07年夏場所での栃煌山-稀勢の里以来10年ぶり2度目となった。

 貴景勝は埼玉栄を卒業後の14年秋場所で、阿武咲は三本木農(青森)を中退して13年初場所で初土俵を踏んだ。角界入りの時期は違えど仲はいい。巡業では昼休憩になると2人仲良く過ごしていた。裸になって一緒に寝そべって、携帯電話で遊んでいる姿はまさに親友。しかし土俵の上では良きライバルだ。

 貴景勝は「同じ年で幕内唯一の同級生。最高の舞台でできるのがうれしい」と笑顔。阿武咲は負けて下を向いたが「互いに高めあっていければいい」と話した。共に2桁勝利を挙げた若獅子が、名古屋場所でも暴れ回る。【佐々木隆史】

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「2人で優勝」有言実行に付け人炎鵬「すごい」

序の口優勝した付け人の炎鵬(左)とVサインを重ね、ダブル優勝を喜ぶ白鵬(撮影・狩俣裕三)

 今場所から新しく付け人になった炎鵬も、白鵬の自己最多更新となる38度目の優勝を喜んだ。金沢学院大出身で、春場所前に白鵬の3人目の内弟子として入門し、今場所で序ノ口デビューした。大学時代は世界選手権の軽量級で、2連覇するなど実力は折り紙付き。場所前には二人三脚で、稽古を積んできた。

 春巡業を終え、本格的に稽古が始まった時だった。白鵬から指名を受け、モンゴル相撲を取ることになった。本場所が始まるまで毎日。朝稽古を終えて約1時間、2人っきりで汗を流した。10日目に高安を下した時に、白鵬はその効果を実感。支度部屋で髪を結っている間、炎鵬が目の前に立ってうちわであおいでいると「炎鵬とモンゴル相撲をやった成果が出た」と話した。炎鵬は照れ笑いしてうなずいた。

 この日、帰り際に2人でダブルピースを作って記念写真を撮った。場所前に白鵬から「2人で優勝するぞ」と言われ、炎鵬は13日目に序ノ口で全勝優勝。その翌日に白鵬も“全勝”で優勝した。実はあと2人の内弟子の、山口と石浦のしこ名が番付に載った12年春場所、13年春場所も優勝している。「本当にすごい」。背中で語る横綱に目を輝かせた。【佐々木隆史】

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早く“兄弟”で関取対決を

幕下優勝決定戦の岩崎(右)-大岩戸の立ち合い

 西幕下2枚目の岩崎(25=追手風)は、全勝同士だった大岩戸との幕下優勝決定戦に敗れた。優勝なら新十両が決定的となり、兄で木瀬部屋の十両英乃海(27)との兄弟関取が見えていた。兄弟関取なら13年秋場所での千代丸-千代鳳以来、史上18組目。同じ場所での同時関取なら史上13組目…。まだ来場所、十両に昇進できないと決まったわけではないが、支度部屋に戻る時には何度も天を仰ぎ、悔しそうにうめいた。

 番付は勝ち越しまたは、負け越した数に応じて上下する。一般的に6勝1敗の岩崎なら5枚上がると見込める。しかし“番付は生き物”。上位力士の負け越した数などによっては岩崎は十両に昇進できない可能性がある。ただ、幕下15枚目以内での全勝優勝なら十両昇進は決定的といわれる。岩崎が悔しがったのは、その好機を逃したからだ。

 岩崎の“兄”は他にもいる。日大時に3学年上だった平幕石浦と十両山口だ。2人が角界入りした後も、多い時には週5回食事をし、思うような相撲が取れない時には相談に乗ってもらった。それだけに「やりたいですね」と対戦を望んでいる。その背中を夢中で追いかける。【佐々木隆史】

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友綱親方、白鵬を変えた深みと優しさ

定年による引退会見に臨む友綱親方(撮影・小沢裕)

 1年前の夏場所を境に、見なくなった光景がある。横綱白鵬の「駄目押し」。

 一時はかなり騒動になった。14年九州に始まり、15年名古屋も。16年春には当時の井筒審判長(元関脇逆鉾)の大けがにもつながった。師匠を通じて厳しく注意されたが、翌場所でも宝富士、正代、そして魁聖に見舞った。その翌朝だった。審判部で副部長だった友綱親方(元関脇魁輝)が、部屋で白鵬と話したのは。

 親方は静かに切り出した。「自分はいいかもしれない。でも、子どもたちが学校に行ったときに『あなたのパパは…』となるんだよ。家族や自分以外の人たちに、胸を張れるかい?」。

 頭ごなしではない。「せっかくボランティアもする立派な横綱なのに、こういうことをしたら子どもにつらい思いをさせるんじゃないかと思った」。思いは伝わり、白鵬も変わった。

 親方生活30年。力士らを見る目も口も、指導も厳しいが、げんこつ主流の時代で手を上げたことはほとんどない。「横綱が少しでも聞いてくれれば先々、相撲協会のためになるから」。横綱に面と向かって諭せる姿を持つ。審判部時代は場内説明こそ苦戦したが、その言葉には深みと優しさがあった。【今村健人】

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関取ごと 座布団に込めた言葉

歌手平原綾香から贈られた勢の座布団

 大相撲で座布団と言えば? 横綱が敗れた際に館内を舞う光景がまず思い浮かび、次いで幕内力士らが土俵下で座る物だろうか。実は支度部屋にも、各関取ごとにある。150センチほどを3つ折りにし、厚みを出して座る。たいていはしこ名が書かれているだけ。だが、中には乙なものもある。

 勢は今場所からカバーを新しく紺色にした。贈り主の名は、折り返した中に「歌手 平原綾香与利」とさりげなく書かれてあった。「昔からファンでしたが以前、知人の紹介で知り合いまして。ちょうどカバーがボロボロで、その機会にいただきました」。昨年ゲストに呼ばれた東京・増上寺の節分で久しぶりに再会。座り心地の良さも手伝ってか、星が上がっている。

 石浦の黒色の座布団カバーには珍しく言葉が並ぶ。「栄光に近道なし」。昨年九州場所の新入幕の際、付け人2人に贈られた。言葉は、学生時代につくった野球のグラブに入れていた文字。それを見た付け人が引用した。「好きなアーティストの歌で、好きな言葉。うれしかったです」。

 これも折り返した中にあり、普段は目につかない。それでも、かみしめて座る。見えないところに、力がある。【今村健人】

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琴勇輝に史上初の珍事!不戦敗翌日に再出場を2回

夏場所9日目、琴勇輝が休場となり魁聖が不戦勝となった(撮影・河野匠)

 平幕琴勇輝に、また珍事が起こった。9日目に左膝関節水腫で休場して不戦敗となったが、翌10日目のこの日から再出場した。15年春場所でも同じように、8日目に休場して不戦敗となり、翌9日目から再出場しており、自身2回目の経験となった。

 不戦勝不戦敗制度の歴史は深い。初日から全力士に適用されたのは昭和3年3月から。この制度ができるまでは、相手が休むと自分も休みになった。つまり不戦敗扱いにはならないので、優勝争いなどの場合に故意に休む力士がいたという。それを防ぐためにできた制度だ。その制度ができてから、過去に不戦敗した翌日に再出場したのは7人いる。1人で2回経験したのは初めてとなった。

 なぜ休んで再出場したのか。力強さが戻らなかったのか、千代大龍にあっさり押し出された琴勇輝は「今日なんとしてでも出るために、1日時間を取りたかった。無理に出てその後を棒に振りたくなかった」と説明した。西12枚目は、十両陥落も気になる番付。不戦敗は1つ星を落とすことになるが、15日間という長い目で見た判断だった。後はそれを、生かすだけだ。【佐々木隆史】

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活況…不動のような「スー女」いてこそ

大相撲夏場所9日目を観戦する不動裕理(撮影・神戸崇利)

 女子プロゴルファー不動裕理(40)が9日目の22日、また両国国技館にやって来た。「私、けっこうひいきが激しいんです。(同郷の)熊本出身と聞くと『応援しなきゃ』と思っちゃいます」。升席に座り、土俵を見つめる。その姿はツアー通算50勝の永久シード選手ではなく、一ファンにしか見えない。

 最初は08年初場所。知人の紹介がきっかけだったが、すぐにハマッた。「まわしをつけただけのぶつかり合い。真剣勝負です」。相撲が持つ様式美も、素朴な性格に響いた。以来約10年間、1、5、9月の東京場所9日目の月曜日は決まって国技館に足を運んでいる。

 角界が一連の不祥事に揺れた10~11年も、相撲愛は変わらなかった。「こんな時こそ応援しないでどうするんですか?」。空席が目立つ名古屋場所に、1人でチケットを買って見に行った。トーナメントでは、日本相撲協会が販売する「ひよの山」「赤鷲」のヘッドカバーをドライバー、フェアウエーウッドにつけて、プレーした。

 連日の満員御礼。この日も升席に座り、焼き鳥をパクついて、観戦を楽しんだ。「スー女」が増え、活況に沸く大相撲が今あるのは、不動のようなファンがいてこそだ。【加藤裕一】

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強豪 鳥取城北から現役13人目力士

出身高校別現役力士10傑

 鳥取城北高から、また1人の力士が角界の門をたたいた。新序出世披露に、斗城丸(ときまる、19=宮城野)が、兄弟子白鵬の化粧まわしで参加した。鳥取県琴浦町出身で小4の時に両親の勧めで、地元の相撲クラブに入った。東伯中2、3年で全中に出場。鳥取城北高からスカウトされると、15年の和歌山国体で副主将を務めて、8強入りに導いた。高校を卒業したこの春、宮城野部屋に入門した。

 高校を卒業して角界入りする力士は少なくない。出身高校別で、最も現役力士が多かった高校は埼玉栄。豪栄道、妙義龍ら数多くの実力力士を輩出。次に多かったのが鳥取城北で照ノ富士や逸ノ城ら、モンゴル出身力士が代表的存在だ。

 斗城丸が入った宮城野部屋には鳥取城北の先輩、石浦と山口がいる。学年は離れているが「やっぱり安心できますね」とOBの存在は大きい様子。上京前に地元で石浦と会ったという。「入るんだろ? 頑張れよ、って言われました。先輩の名に恥じないように頑張りたい」。同じ学校ならではの絆も、相撲界を生きていく励みになっている。【佐々木隆史】

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振分親方のフラフープの理由は

 大相撲観戦時、観客に取組表が配られる。裏面の一部にQRコードがあり、ロボコップでおなじみ振分親方(元小結高見盛)の笑顔が載っている。その下には「本気でガンバる爆笑動画、公開中!」とある。携帯電話をかざしてみた。すると、動画サイトYouTubeにつながった。振分親方が出演した永谷園「かにのちから みそ汁」の音楽に合わせて、東京・墨田区の東関部屋の前で縄跳びをする動画が流れた。

 同CMの関連企画として、16年5月から始まったもの。こちらの動画では、15秒のCMでは見られない映像が楽しめる。親方は縄跳びだけでなく、フラフープやけん玉にも挑戦。どれも、不器用ながらに一生懸命挑戦する姿に、自然と笑みがこぼれた。

 視聴者に元気を与える企画だが、本人には別の狙いもあった。「新弟子が欲しい。これがきっかけで力士に憧れてたくさん入って欲しい」と期待する。新横綱誕生などで、相撲への注目度は高い。しかし、新弟子検査の受検者は10年前の年間113人を最後に、100人を下回り続けている。きっかけは何であれ、角界の門をたたく人が1人でも増えれば、と切に思う。【佐々木隆史】

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「石浦デザイン」ガムが23日発売

パッケージのデザインをしたキシリトールガムを手にする石浦

 イケメン小兵力士の平幕石浦がこの春、ロッテ「キシリトールガム」20周年プロジェクトに参加した。自らが手がけた記念の限定パッケージの同商品が、23日から全国発売されるという。

 同商品の発売20周年にちなみ、各界から20代を代表する20組がデザイナーとして選ばれた。フィギュアスケートの羽生結弦や女優の土屋太鳳ら、豪華メンバーに石浦も名を連ねた。起用理由についてロッテの広報担当者は「国技の相撲で活躍する若者に着目しました。そこでファッションや他ジャンルに興味を持ち、発信力もあると思ったからです」と説明。趣味は野球、自転車、音楽、絵画など幅広い。加えて、相撲の実力も十分で適役と言える。

 大銀杏(おおいちょう)を結う時には必ずガムをかむという。パッケージの色はその時に「テンションを上げられるように」と、大好きなレゲエをイメージして黄、赤、緑を採用。さらに柄には「相撲と分かるように」と桜や綱、軍配うちわなどをちりばめた。この日朝、完成品を手にすると「かっこいいっすねー」と気持ちが上がり、その効果からか3連勝。支度部屋では笑顔を見せ、相撲も気持ちもスッキリだった。【佐々木隆史】

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「北の湖魂」はかま写真と共に

 場所が変われど、魂は受け継がれる。4月下旬、山響部屋が東京・江東区内の清澄白河から東砂に引っ越した。同部屋は、15年九州場所中に北の湖前理事長(元横綱)が急逝してから、山響親方(元前頭巌雄)が継承。引っ越しするまでは、旧北の湖部屋の建物で稽古や生活をしていた。

 これで正真正銘の山響部屋が完成したが、北の湖魂は目に見える形で残った。稽古場に北の湖前理事長が、紋付きはかま姿で写っている写真が飾られた。清澄白河の写真館で保存してあったネガフィルムを掘り出したという。山響親方は「稽古場に入る時と出る時は必ずみんな一礼するようにしている。背筋が伸びる」と気合をもらっている。還暦土俵入りで締めた綱の切れ端も、忘れられない物の1つ。「今は大事にケースに入れてある。近いうちに玄関に飾ろうかな」とあやかるつもりだ。

 指導法も受け継いでいく。相撲の技術ももちろんだが、さらに大事なものがある。「先代には『人を育てないといけない』ってよく言われてね」。目に見えるものも、見えないものも含め、「北の湖イズム」を継承していく。【佐々木隆史】

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モンゴルとのかけ橋となる土俵

 モンゴル・ウランバートルに、初めて本物の土俵が完成する。ウランバートル市は宮崎・都城市と99年に友好交流都市を締結して以来、さまざまな国際交流を行ってきた。今月下旬に都城市の池田宜永市長がウランバートル市を表敬訪問する時期に合わせ「ウランバートルに土俵を贈る会」が発足。白鵬が会長を務めるモンゴル相撲連盟に贈られることになった。

 同会の杉村秀之会長は「横綱の名に恥じないように作りたい」と胸を張るが、簡単にはいかなそうだ。年平均降水量が東京の4分の1以下で、1年を通して乾燥しているため土に粘り気がなく、土俵の形を作るのが難しい。建設会社の取締役代表も務める杉村会長は「セメントを混ぜてやっていく」と対策を練っている。やぐらもヒノキを使用したいが、乾燥で縮む可能性があるため代用品も検討中。モンゴルに適した土俵を考えている。

 7月の下旬に完成予定で白鵬は「白鵬杯の予選とか、レスリングのマットの上でやっているわんぱく相撲がそこでやれたらいいね」と胸を躍らせた。日本とモンゴルに、また1つ新しいかけ橋ができた。【佐々木隆史】

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よみがえる相撲の町のにぎわい

 横綱稀勢の里の誕生と2連覇による熱気は、両国国技館だけではない。かつての「相撲の町」にもにぎわいをもたらしている。

 田子ノ浦部屋が居を構える東京都江戸川区の小岩。第44代栃錦の出生地でもある土地に移ったのは14年末だった。JR小岩駅には栃錦の銅像があり、菩提(ぼだい)寺もある。まさに相撲の町。ただ、当初は相撲部屋が移ってきたことすら、知らない人が多かった。

 それから2年半。初日前日に呼び出しが各商店などを回って取組を呼び上げる「触れ太鼓」の数は一気に増えた。最初の数軒から、初場所は14軒。今場所前は17軒に。当初から商店を回って頼み、活気を取り戻そうとしてきた地元の富田勝之さん(57)は「横綱の人気はすごい。もう、秋場所前の予約も来ています」。

 夕方から3時間近く巡る田子ノ浦部屋の呼び出し光昭は「ここに相撲部屋があると分かってくれたんでしょうね。相撲好きが多い町だと感じます」。部屋を探し歩き、看板の写真を撮って帰る地元の人も増えた。店には優勝を祝うポスターが張られ、相撲にちなんだ音楽も駅前から流れる。

 「触れ太鼓」の基礎は1700年代前半の徳川吉宗の享保にさかのぼる。1人の横綱が、小岩に相撲の色香を再び送り込んでいる。【今村健人】

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留学経由角界入りのはしり 錦島親方

引退会見を行った朝赤龍(右)。左は高砂親方(撮影・神戸崇利)

 元関脇朝赤龍で夏場所前に年寄を襲名した錦島親方(35)が15日、両国国技館内で師匠の高砂親方(元大関朝潮)同席で記者会見し「17年間、支えていただいた方々に心から感謝します」と語った。思い出の相撲は初日から12連勝した04年春場所。ストレート給金と、全勝対決で13日目に大関千代大海に敗れた2番を挙げた。今年初場所、88場所ぶりに幕下陥落。「(関取輩出の)139年間の部屋の歴史を切りたくなかった」という思いで引退も考えたが国籍取得を待った。

 日本相撲協会によれば、外国出身力士で年寄襲名の第1号は元関脇高見山(渡辺大五郎)。以降も大関小錦(塩田八十吉)、横綱曙(曙太郎)、武蔵丸(武蔵丸)らが日本名を本名として在籍も、現行制度では継続可能なため錦島親方は日本名=本名も「バダルチ・ダシニャム」のまま通す初めての親方になる。

 先駆けと言えば「モンゴル→留学経由角界入り」のはしりでもある。00年9月に元横綱朝青龍と来日し、明徳義塾高に相撲留学。日本の生活に順応しての入門で現役では照ノ富士、貴ノ岩、逸ノ城らの道しるべになった。断髪式は来年初場所後を予定。「真面目で実直」(高砂親方)な性格そのままに部屋付きで後進の指導にあたる。【渡辺佳彦】

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待ったなし!台覧相撲 皇太子さま約10年ぶり

大相撲夏場所初日を観戦される皇太子さまと雅子さま(撮影・小沢裕)

 夏場所初日の14日、幕内後半戦の相撲を皇太子ご夫妻が観覧された。皇族方がご覧になる「台覧相撲」だ。平成以降、天皇陛下が観戦される「天覧相撲」は今年初場所で3年連続22回を数えるが、現在の皇太子殿下の観覧は約10年ぶり9回目。前回は07年秋場所14日目で、愛子さまも来館されご一家での観戦だった。

 皇太子として初めてのご観覧は、殿下が30歳だった90年秋場所8日目。結びの一番は横綱北勝海が前頭陣岳を押し出して7勝目を挙げた。そのまま連勝を続け7度目の優勝を果たした、その八角理事長(53)はこの日、両殿下の説明役。満員の館内に「いっぱいですね」の言葉をかけられ、稀勢の里らケガの力士を心配されていたという。「良い取組、いい相撲をありがとうございました」の声と、次回は愛子さまも一緒に来館したいお気持ちを告げられ「こればかり(説明役)は慣れない。緊張した」と胸をなで下ろした。

 力士も緊張感を持って臨んだのか、待ったは1度もなし。宝富士は天覧相撲と合わせ「5、6回目で初めて勝って良かった」と喜び、10年前の台覧相撲も横綱で前頭豪栄道を破っている白鵬も「自然と力が出ます」と胸中を明かした。【渡辺佳彦】

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朝稽古が教えてくれる“非日常”で生き抜く厳しさ

稽古を行った照ノ富士(左)(撮影・加藤裕一)

 朝稽古に行った。何を今更と思う方は多いでしょうが、なんせ新米担当、言わば“新弟子”なんで。行く先々、初めてのことばかりで戸惑う反面、新鮮なことこの上ない。

 「記者さん、初めてだろ? ごめんね荒っぽくて。『僕』なんて言って強くなったら、世話ないんだけどさ」。部屋の隅に座る記者に声を掛けてくれたのは、境川親方(元小結両国)だった。

 荒い息づかいと、砂がすれる音。何より100キロを優に超える者同士がぶつかる衝撃。「バシッ」と言うか「ゴンッ」と言うか「ガツッ」と言うか。うまく表現できないが、硬くて、重くて、鈍い音が朝の静かな空気を奮わせる。

 そこに「てめえ!」「バカ野郎!」「何してんだ!」てな罵声が飛ぶ。時代劇に出てくる、けんかっ早い江戸っ子みたいな。…境川親方は長崎出身やけど。

 時津風部屋では、出稽古に来た関脇高安が、新入幕の前頭、小柳改め豊山を三番稽古でくしゃくしゃにした。すっかり息が上がって、まだ髷(まげ)を結っていない髪がザンバラに乱れた豊山を、これまた出稽古に来ていた大関照ノ富士が叱責(しっせき)する。「気持ちが途中で切れてるじゃん」「ほら、もっとあご引かなきゃ」-。冷ややかにも聞こえる、平然とした口調が逆に怖い。

 ぶつかり稽古で、胸を出す先輩が必要以上? にこらえて、若手に押させない、終わらせない。別の部屋では、へたりこんだ若手の背中を、先輩がペシペシ蹴る光景も見た。

 「これに耐えんと、上に行けんのやなあ」。素直にそう思う。

 かつて「かわいがり」が問題になった。「しごき」は「悪」そのものみたいに…。でも、ほんまにそやろか? 強くなるのは難しい。今の自分を超えんといかん。非日常の世界で生き抜くには、非日常の厳しさ、理不尽さに耐えて、打ち勝たんとあかん。

 朝稽古は、いろんな意味で「必要な厳しさ」を教えてくれる。【加藤裕一】

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「一口復興城主」になった天風、熊本城にかける想い

天風

 先月は熊本地震から1年の節目だった。いや、「区切り目」を意味する節目という言葉は、適切ではない。被災し、いまだ立ち直れていない人はまだ、数多くいる。復旧、復興できていない地域も多い。現場に節目はない。そもそも、被災者であろうとなかろうと、節目なんて誰にも、いつになっても、訪れるものではないのかもしれない。

 だから、十両天風(25=尾車)が2月に熊本城の「復興城主」に一口、加入したと聞いたとき、いいなと思った。そして彼は、3月の春場所後にプライベートで熊本を観光に訪れた。

 「熊本が好きで、城をめぐるのも好き。でも、熊本城には行ったことがなかった。みんなが復興に向けて一生懸命、寄付している状況の城を目に焼き付けておかないとと思った。せっかく城主になったので、見ておかないと申し訳ないですしね。観光と、反省を込めて行きました」

 思えば1年前。日本相撲協会や力士は各巡業地や両国国技館で、募金活動を行ってきた。九州出身の力士が中心となって実施したが、その中で持ち前の明るさで先頭に立って募金箱を持ち、声を張っていたのは香川県出身の天風だった。

 「地元ではないですけど、自分の地元がこうなったらと考えると…。だから、助け合うことは当たり前だと思っている。見に行って良かったですよ。まだガタガタで全然、撤去できていない道もあった。お城もだいぶ崩れていた。ひどい部分がいっぱいあった。でも、それに負けない皆さんの頑張りやぬくもりがあった。その力は全然、落ちていない。そんな雰囲気を感じました」

 日頃からおしゃべり好きで、並外れて明るい性格。そして、関取最重量の208キロの体形から、ゆるキャラのような扱いを受ける天風だが、そんな一面も持っている。

 あ、もちろん、熊本旅行の楽しみは「馬刺しと、あか牛がかなりおいしかった」と、食べ物だったことは言うまでもない。【今村健人】

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満身創痍の朝赤龍を支えた「日本人の心」  

日本国籍取得から一夜明けた4月22日、朝稽古後に笑顔でちゃんこに舌鼓を打つ朝赤龍

 左記の者の申請に係る日本国に帰化の件は、これを許可する。 平成二十九年四月二十一日 法務大臣 金田 勝年

 バダルチ・ダシニャム 昭和56年8月7日生

 独立行政法人国立印刷局が発刊する、いわば国の機関紙である官報。その4月21日付の告示を待ちわびていた力士がいた。元関脇で、春場所は陥落した幕下で2場所目の相撲を取っていた朝赤龍(35=高砂、本名バダルチ・ダシニャム)だ。晴れて日本国籍を取得した記念日となった。

 18歳で入門し、17年間の“勤続疲労”で体は満身創痍(そうい)。それでも、相撲をやめるにやめられぬ理由が国籍取得にあった。引退し日本相撲協会に残るには、年寄名跡を取得し親方になる必要がある。その絶対条件が、日本国籍を有する者であること。昨年7月に法務省へ申請し約9カ月。翌22日に、東京・墨田区内にある高砂部屋で朝稽古後、朝赤龍は「いろいろな人に聞くと1年ぐらいかかる、と言われていたから早い方じゃないかな」と、肩の荷を下ろしたような安堵(あんど)の笑みを浮かべながら話してくれた。

 外国出身力士が、親方になるために避けて通れない国籍取得の壁。現に、モンゴル籍のまま年寄になることを切望しているとされる、史上最多優勝を誇る横綱白鵬でさえ、現状の角界の答えは「NO」だ。連綿と受け継がれる角界の伝統を守るべき姿勢は、当然ともいえる。

 朝赤龍は、生まれ育った国の国籍を変えることは「とても勇気がいることだった」と振り返った上で「でも、このまま相撲界に残りたかった。引退後も残るためには親方になる必要がある。そのためには、国籍を変えなければならない。だから迷いはなかった。親の反対もなかったし」と話す。

 だから協会の姿勢も納得できる。それは理解した上で、官報に告示される以前から「心は日本人だった」と言う。「20代とか30代になって日本に来たわけじゃない。10代で外国に来て、右も左も分からない世界に入り、ここまで来たんですよ。それはもう日本人ですよ」。籍は違えど、日本人の心を持たなければ、ここまで順応し、出世も出来なかった-ということだろう。

 これで心置きなく、相撲を取れる。もちろん引退も選択肢の1つだろう。今後、戸籍を取るなど諸手続きを経た上で、去就については師匠の高砂親方(元大関朝潮)と相談した上で決めるという。どんな決断を下そうとも後悔はない。名実ともに「1人の日本人」となった朝赤龍の動向を見守りたい。【渡辺佳彦】

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女子ゴルフ界に急増「スージョ」相撲との意外な接点

不動裕理(左)に激励される白鵬(2013年5月撮影)

 相撲担当になった。しかし、まだ取材してへんし…。そこでファンの方には大変失礼ですが、今回は外から相撲を見た話を書かせてもらいます。

 女子ゴルフです。ゴルフを足かけ15年ほど担当してきたけど、ここ数年でものすごく“スージョ”が増えた。相撲とゴルフの両方に詳しい人は知ってると思いますが、その一端を紹介すると…。

 先駆者はツアー通算50勝の永久シード選手・不動裕理プロ(40)ですわ。08年頃からハマり始めて、最近は東京場所なら必ず1日は観戦に行く。八角理事長、時津風親方や先代の九重親方(元横綱千代の富士)たちと随分親しくつき合ってるらしい。「相撲担当になるんですか? 楽しいですよ、相撲。場所中に会えるじゃないですか」。担当替えを伝えたとき、そんな風にニコニコ言うとった。でもね、不動ちゃん、そら君は楽しいやろうが、こっちはプレッシャーでいっぱいなんやけど。

 相撲、力士に関する知識で1番なんは、比嘉真美子プロ(23)かな。ツアー通算2勝で、誕生日(年は違う)が同じ勢関と仲良しらしい。もちろん場所は積極的に見に行ってる。「比嘉さん、角界で男前って誰なん?」と、超初心者的な質問をすると「う~ん、一般的な見方をしたら、やっぱり遠藤関かなあ。でも、親方を含めたら、間違いない! 陸奥親方です!」。力強く断言できるほど、よく見てるっちゅうことです。

 他にも比嘉と同学年の飛ばし屋・渡辺彩香プロ(23)も今年の初場所で観戦デビューした。13年賞金女王の森田理香子プロ(27)も東京場所だけでなく、こないだの大阪場所にも行った。米ツアー選手の宮里美香プロ(27)は白鵬関と親交があって、賞金女王に3回なったアン・ソンジュプロ(29)。原江里菜プロ(29)と青山加織プロ(31)は観戦こそまだしてないけど、立浪親方、おかみさんと仲が良くて、部屋近くで大会があるときは、ちゃんこをごちそうになりに行く。

 そんな彼女たちの多くは、私が担当替えを報告すると「えーっ! 相撲~?」と判を押したように笑い、少しも寂しそうな顔をせず「盛り上がってるし、いいじゃないですか。取材も楽しいって」-。

 正直言うて、相撲はほとんどわかりません。ただ、こんだけ多くの女子プロを引きつける理由はなんなんか? これからの取材で確かめようと思います。【加藤裕一】

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稀勢の里V支えた 40歳兄弟子が付け人“転身”

翔傑

 新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた大相撲春場所。その瞬間を最も近くで固唾(かたず)をのんで見守り、思わず声を張り上げて興奮した“同志”がいた。7人の付け人たちだった。その中の1人、40歳の三段目翔傑(芝田山)だけは、稀勢の里の兄弟子という立場で新横綱を支えた。

 芝田山部屋の若者頭、花ノ国の推薦もあって横綱の付け人に就くことが決まったのは、昇進伝達式翌日の1月26日の綱打ちの日。ただ、当人には突然の知らせだった。田子ノ浦部屋付きの西岩親方(元関脇若の里)から「まだ、やめないよな!?」と念を押されても、最初は何のことだか分からなかった。「横綱の付け人がころころ代わっては困るから」と言われて、初めて大役に就くことを知った。

 「10歳も離れた年上の自分がいたら、やりづらくないだろうか」。そう思いながら横綱のもとへ行くと「よろしくお願いします」と握手をされた。ならばと心を決めた。「自分の相撲は3。横綱の仕事が7。自分なりの気遣いでやろうと思いました」。不惑にして初体験の場所が始まった。

 3日目の取組後、支度部屋で珍しく…いや、千秋楽を除けば初めて、笑顔を見せる稀勢の里がいた。談笑の相手は翔傑だった。「懐かしかったですね」と、横綱から話しかけた。

 この日のNHK大相撲中継では稀勢の里特集が組まれていた。04年初場所13日目で幕下優勝を飾った決定戦の、懐かしい場面も放映された。その決定戦の相手こそ、実は当時「駒乃富士」の翔傑だった。

 「テレビで流れたときは、お互い見合ったんです。そして取組後に『13年前ですね』と、横綱から。実は当時は国会中継のために放送されなくて、おそらくお互いに映像を見れていない。そのことを話すと『あっ、そうだった!』と」。

 稀勢の里を名乗る前の当時17歳の「萩原」と、27歳と脂ののっていた翔傑。番付こそ全く違うが、同じように真摯(しんし)に相撲と向き合う2人が、かつて1度だけ交えた肌。だからこそ、優勝を懸けた一番の思い出は余計に深く残り、だからこそ、翔傑は横綱のためにと考えた。だからこそ、稀勢の里にとっても“必要な兄弟子”だったのだろう。

 逆転優勝が起こった千秋楽の2番を見終えたとき「すごい。本当にすごい」と感動していた翔傑は、春場所最後の一番で勝ち越した自分を「横綱の力です」と笑い、感謝していた。【今村健人】

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“同じ変化”だったが…稀勢の里、照ノ富士の明暗

立ち合いに右へ変化した照ノ富士は、琴奨菊をはたき込みで破り13勝目を挙げる(撮影・岡本肇)

 大相撲春場所は、新横綱稀勢の里(30=田子ノ浦)の劇的な逆転優勝で幕を閉じた。左肩付近にテーピングを施した手負いの横綱が、本割、優勝決定戦とも逆転の相撲で大関照ノ富士(25=伊勢ケ浜)を連破。貴乃花以来の新横綱優勝を果たし、君が代斉唱で涙した姿に、列島が興奮のるつぼと化した。

 柔道の山下泰裕しかり、骨折した反対の右手だけで痛打した阪神金本知憲しかり、そして鬼の形相で武蔵丸を投げ飛ばした貴乃花も。手負いのアスリートが、骨身を削って全霊を傾け勝負に挑む姿は、どんな時代でも人の心を打って止まない。

 その稀勢の里の不屈の姿勢に、何ら異論を挟む余地はない。傷を負った姿で戦うのは相手に失礼、その後の土俵人生を棒に振ったとされる貴乃花の例を出すまでもなく代償を考えた時、出場にストップをかける関係者はいなかったのか、という声も確かにある。

 ただ今回は、誰あろう横綱が判断したこと。周囲が思うほど重傷ではなかったのかもしれないし、本人がこれで現役生活を断たれようとも土俵を全うするのが横綱の務め、と決断したのなら周囲は尊重し見守るしかないだろう。貴乃花親方(元横綱)も千秋楽の取組前に「出場を決めた稀勢の里の意思を尊重して、私たちは見守るしかない」と話していた。

 そんな状況で勝負はついたが、どこかふに落ちない一抹のモヤモヤが正直、残った。そんな時、旧知の知人から電話があった。陸上競技に長く携わった相撲ファン。短い問いかけにハッとさせられた。「あのさぁ、稀勢の里すごかったけど、同じ変化でも稀勢の里は何ら問題にされないのに、照ノ富士は気の毒だよな。同じようにケガしてたっていうじゃない。同じように格下相手なのに、ちょっと気の毒っていうかなぁ…」。

 稀勢の里が選択した千秋楽本割の照ノ富士戦での、立ち合い変化。左の上半身は使えない。ならばと「上(左の上半身)がダメなら下(足)がある」と飛んで打開しようとした。どんな時も愚直なまでに真っ向勝負を挑んできた横綱が、窮余の策に選んだ変化。その2日前、もんどり打って倒れ、苦痛に顔を歪ます姿をファンも、取材する我々も見ている。白日の下にさらされたことで、誰もが変化を「容認」した。批判するつもりは毛頭ない。当然の選択だと思う。

 一方の照ノ富士。前日14日目の琴奨菊戦は、注文相撲で13勝目を挙げ単独トップに立った。館内からは中傷まじりのブーイングの嵐。千秋楽を終え、いみじくも照ノ富士が「目に見えない傷がある」と吐露した心の傷を抱えての2番だったろう。相手が、あと2勝で大関復帰となる琴奨菊だったことも非難ごうごうに拍車をかけた。

 この時、照ノ富士の左膝は悲鳴を上げていた。12日目の朝稽古後、明らかに照ノ富士の表情が、抱えた痛みでくもったのを日刊スポーツの担当記者が報告してきた。翌13日目の鶴竜戦で足を引きずるまで悪化。14日目の朝稽古後は病院にも行ったという。

 膝など下半身のケガは、上半身のそれより力士生命を縮めかねない致命傷になる。八角理事長(元横綱北勝海)も稀勢の里が負傷した際に、程度の差はあるが「ケガをしたのが脚でなかったのが、せめてもの救いじゃないかな」と話していた。ただ、大関の負傷状況は本人も詳細を明かさないことから、さほど報道されず「目の前の白星を安易に拾いに行った」という印象を与えてしまった。一方の稀勢の里は取組直後の、衆人環視の元でのケガ。同じ番付下位の相手に見せた「変化」だが、照ノ富士を知人が指摘する「気の毒」な状況にさせたのは、そんな背景もあったと思う。

 稀勢の里の存在は間違いなく、現状の相撲人気を支える柱になっている。それには、スポーツメディアも乗るところは乗って、盛り上げたいと思う。一方で、熱狂の裏側に当てるべき視点、逃してはならない冷静な目を失ってはいけない。余韻が覚めやらぬ、いまだからこそ思う。【渡辺佳彦】

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稀勢の里、よく頑張った 両親も号泣

稀勢の里の表彰式で、顔を覆う母裕美子さん(後方中央)と父貞彦さん(同右)(撮影・岡本肇)

 向正面の升席で稀勢の里の父萩原貞彦さん(71)と母裕美子さん(62)は、息子の勇姿を見届けた。

 茨城の実家から約9時間かけて、自らの車の運転で駆けつけた貞彦さんは「2つとも取れる予感がありました」と話し、14日目の鶴竜戦の黒星に「いい演出になったんじゃないですかね」と冗談交じりに言った。左肩付近を負傷しても出場した姿に「横綱でなかったら出場しなかったと思う。稀勢の里を見たくて大勢の人が来てるからね。ファンがいなければ相撲は成り立たない」と息子の気持ちを代弁するように話した。

 裕美子さんは息子の強行出場に「絶句です。あんなに痛がるの初めて見ました。休場でもいいと思いました。親としては心配だった」と親心をのぞかせた。君が代斉唱で泣く息子の姿に「子供の時から泣き虫だった。ああいうの見て泣けました」ともらい泣きした。

 支度部屋近くの売店にいた時に、場所入りした息子と遭遇した。知らないふりをしたが、一瞬見ると目が合ったという。「横綱になってから近寄りがたい」と裕美子さん。だがアイコンタクトで、家族の力は確実に伝わっていた。【佐々木隆史】

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「しんどいけど楽しみ」「休んでほしい」稀勢の里

 ファンも親方も力士も、負傷を負いながらも土俵に立った新横綱稀勢の里を、さまざまな思いを胸に見届けた。

 相撲ファン歴30年で稀勢の里の場所入りを見届けた50代男性は「これで優勝したら貴乃花の再来や。しんどいと思うけど楽しみやわ」と期待した。一方で30代女性は「休んでほしい。だけど見られるのはうれしい。でも来場所休場になったら寂しい」と複雑な思いだった。

 土俵下に落ちた稀勢の里の至近距離にいた片男波審判員(元関脇玉春日)は「昨日はかなり痛そうにしていた」とその時の状況を話した。だからこそ出場について「覚悟があるから土俵の上に立つんじゃないですかね」と横綱として責任を果たす姿勢に感心した。

 この日胸を合わせた鶴竜は、横綱同士だからこそ分かる葛藤を明かした。「まぁ同じ立場だったら、出るかもしれない。諦められないよね。優勝の可能性があるからね。悪くなるかもしれないけど」と自分のことのように話した。

 本来の力とはほど遠い相撲で2敗目を喫した稀勢の里。読者のみなさんは、どのように感じただろうか。【佐々木隆史】

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角界は堂々「ゆとり世代」 昭和生まれ関取を上回る

 春場所では平成生まれの関取が36人となり、昭和生まれ関取(34人)の人数を初めて上回った。世間では「ゆとり世代」などと呼ばれ、打たれ弱さなどがしばしば指摘されるが、角界の平成生まれはひと味違う。

 関取最年少で20歳の貴景勝は敗れても堂々としている。10日目には自分より55キロ軽い、114キロの石浦に押し出されて土俵下まで転げ落ちた。支度部屋で「なんですかね。うまいこと肩口を…」と言いかけてから吹っ切れたように言った。「まあ弱かったから。ただ単に実力がなかった。横綱に勝っても1勝。序ノ口に負けても1敗」と、潔く独特の言い回しで反省した。

 24歳の北勝富士は、右ふくらはぎの肉離れを抱えながら土俵に立っている。ここまで6勝7敗。6割程度の力しか出せていないというが、「最初は3割ぐらいの力だった。でも師匠(八角親方)から『やりながら治すんだ』と言われた。どうやって治すんだと思ったけど、今は実行できているかな」。困難な状況に直面しても気持ちは前向きだ。

 もちろん、ほかの平成生まれの力士も負けていない。平成2年生まれの大相撲担当1年目の記者には見習うところばかりだ。【佐々木隆史】

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意外と多いスケート力士

相撲観戦に訪れた本田きょうだい。左から太一、真凛、望結、紗来(撮影・鈴木正人)

 氷上のプリンセスに、力士たちも色めいた。フィギュアスケート本田真凜の来場を知って、まずは幕内最年少の20歳貴景勝が心を弾ませた。「めっちゃ好きっす。結婚したいっす」と、ややフライング気味にラブコール。大阪出身の勢も「彼女は京都出身ですか? 近いですね。僕も違う競技は勉強になると思ってるし、同じ関西出身だし機会があれば話をしたい」と“異業種交流”を熱望した。

 砂まみれになって番付を上がってきた関取衆の中には、さすがにフィギュア経験者はいないが、アイススケートに親しんできた北国育ちは多い。岩手・盛岡市生まれの錦木は「ある程度は滑れる。体重の掛け方で曲がれるから面白い」。モンゴル出身の千代翔馬は「冬はスケートが遊びだった。後ろ向きで滑れますよ」と意外な事実を明かした。

 八角理事長(元横綱北勝海)も、長野五輪スピードスケート金メダルの清水宏保らを輩出した北海道・十勝地方出身。「スケートが盛んだった。膝を強くするには一番いい」と懐かしがる。その上で、将来が楽しみな本田へ「違う競技を見るのも勉強になるんじゃないかな。楽しんで帰ってもらえれば」と優しい言葉を贈っていた。【木村有三】

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快進撃の照ノ富士 不思議な力が後押ししてる?

 快進撃を続ける照ノ富士には、何かがついているのかもしれない。

 伊勢ケ浜部屋の稽古場は、大阪市内の公園内にある。稽古後は全員でそんきょ姿勢を作り、公園の守り神として地蔵が設置している東方向を向いて、勝利祈願を込めて黙とうを行う。だが照ノ富士だけは南西を向く。本人は理由を口にしないが「土俵祭りが終わると神様がいるから」と、ある関取。土俵祭りは会場の本土俵で行われる、安全と興行の成功を祈念する行事。その縁起にあやかり、土俵祭りが行われた11日から会場方向を向いて黙とうをしている。

 そして自身4度目のかど番から自己最速の9日目に脱出。1敗を守り、15年夏場所以来2度目の優勝も狙える快進撃。それにあやかろうと、その他の力士も今では南西を向いて黙とうを行っている。

 昨年初場所を途中休場の原因となった左膝半月板損傷の手術から1年。ケガに苦しんだが、復活の兆しが見えてきた。本人の血のにじむ努力はもちろんだが、加えて不思議な力が後押ししているのかもしれない。【佐々木隆史】

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日刊スポーツ新聞社大相撲取材班

日刊スポーツの大相撲担当記者が紙面では読めない「いい話」をお届けします。