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日馬富士、満身創痍の体支える「秘密兵器」とは?

愛用してい治療機器を紹介する日馬富士

 4月2日の三重・伊勢神宮奉納大相撲を皮切りに始まった春巡業も残りわずか。朝8時から稽古が始まり、子どもとの稽古、相撲甚句、初っ切り、横綱の綱締め実演に取組…。巡業に参加してる全力士が、打ち出しの午後3時までフル稼働している。ふぅー、っと一息つきたいところだが、すぐに次の日の巡業先までバス移動。2、3時間の長旅は当たり前で、日もすっかり沈んだ頃に宿舎に到着するハード日程だ。

 そんな中、けがを抱えながら参加する力士も少なくない。春場所後に右膝に水がたまり「急にあちこちに痛みが出てきた」と話すのは横綱日馬富士(33=伊勢ケ浜)。古傷の左肘にも痛みが出るなど満身創痍(そうい)だが、気力を振り絞り巡業に参加している。

 故障した体を支えているのが、日本電気治療協会が推奨している低周波治療機器による「ハイボルト療法」と呼ばれる治療法だ。巡業に駆けつけて治療を行った杉浦直行理事によると「従来の電気治療機器が家庭用ホースの水だとすれば、このハイボルト療法は消防車のホース」と説明。神経の興奮を下げるのと、インナーマッスルの腫れ、炎症をなくす効果があるという。さらに「ミトコンドリアが活性して眠っている力が出てくるんです」と力説した。

 電気治療が苦手な力士も多いが、1度効果を実感するとクセになるという。日馬富士も最初は苦手としていたが、あまりの効果にとりことなり、1日1時間半はハイボルト療法を行っているという。「早く治る。これは本当にすごい」と数百万円する治療機器を自腹で購入したほどだ。

 「けがは稽古しながら治すもの」と話すのは某親方。根性論も必要だが、時代の流れとともに少しずつ環境も変化している。ジムに通ったり、個人的にトレーナーを雇ったり、電気治療やサプリメントを使ったり、科学の進歩をうまく利用する力士は多い。本場所、巡業と1年中働きっぱなしなだけに「我々は治療してすぐに相撲を取れないといけない」と日馬富士。最高のパフォーマンスをするためには時間も、お金も惜しまない。【佐々木隆史】

「どうしても1面載りたい」日馬富士が仕込んだネタ

日馬富士(2017年12月2日撮影)


 あれは4月の春巡業だった。当時から左肘や膝などを負傷していた元横綱日馬富士関は、連日支度部屋で電気治療を行っていた。肘や膝や背中など、電気治療で使用する吸盤の跡が、全身に赤くついていた。遠ざかっていた賜杯を奪取するために奮起する元横綱からネタを聞きたい、そう思った記者らが話を聞きに行った時だった。

 記者 最近、何か良いことありましたか?

 日馬富士 新しい奥さん見つけました。

 記者 いやいや…。

 日馬富士 どうやったら1面載れるの? どうしても1面載りたいんだよ。

 その後も続く、記事には出来ない話。政治の話や、某大統領らの賛否など。話す度に「これなら1面載れるでしょ?」と聞いてくる。もちろん全て冗談で、面白おかしく話してくる。優勝からも遠ざかり、体が思うように動かないなど歯がゆい思いをしていたからこそなのか、記者たちと話す時は明るく努めた。ただ「どうしても1面に載りたい」。これだけは真面目で力を込めて言っているように聞こえた。

 そんなやりとりから7カ月たった11月。思わぬ形でその時を迎えた。

--平幕の貴ノ岩への暴行

 以降、連日スポーツ紙の1面に載り、情報番組でも“トップ”扱いとなった。そして引退。決して華々しいものではなかった。春巡業の時の「1面に載りたい」は、復活を果たして横綱の威厳を取り戻したい、そういう意味だったはず。なんとも皮肉な幕引きとなってしまった。【佐々木隆史】

小兵も異彩放った日馬富士、暴行で引退もったいない

引退会見で目を潤ませ、唇をかみしめ下を向く日馬富士


 横綱日馬富士が引退した。貴ノ岩の頭をカラオケのリモコンで殴って、裂傷を負わせた。そらあかんわな。横綱やしなあ…。しかし、もったいない。そう思いませんか?

 白鵬、稀勢の里、鶴竜の3横綱が全休した秋場所で、優勝した。5日目を終わって2勝3敗、10日目を終わって6勝4敗。金星4個も与え、いつ途中休場してもおかしくない状況やったのに、1人横綱の責任を全うすべく土俵に上がり続けて、終盤は5連勝。すごかったのは、千秋楽でしょう。本割、優勝決定戦で豪栄道を連続で退けた。突き刺すような立ち合い、気迫みなぎる取り口。豪栄道は「完敗です」としか言えなんだ。途中までのもたつきは何やってん? 誰もがそう思うほど“横綱のすごみ”はえげつなかった。

 体調はいつも万全やなかったようです。

 7月の名古屋場所前やった。宿舎で朝稽古を見て、話を聞いた。相撲担当歴2カ月の素人が「体調はどうです?」と聞くと、ため息交じりに答えてくれた。

 「う~ん、良くないね」

 -やっぱり両肘ですか?

 「そうだね」

 -思い切って2場所ぐらい休んで治すっちゅう選択はないんですか?

 「2場所とか、半年じゃ無理。1年以上とかじゃないとね」

 -そんな長くは休めませんわなあ

 「本当に治したいなら、辞めないと。辞めた後じゃないとね」-。

 体重137キロ。九州場所の番付で、幕内力士42人のうち、宇良と荒鷲の135キロ、千代翔馬の136キロに次いで軽かった。力強さを備えたスピードで最高位を必死に守り抜いていた。力士の大型化が進む時代に、異彩を放っていた。

 答えに困ったら、決まって「一番一番、全身全霊で…」と言うてはった。その時は「またかいな」と思ったけど。そのセリフがもう聞けん。ほんまに寂しい。そう思いませんか? 【加藤裕一】

遠藤も困惑の珍現象…結びの一番翌日に最初の一番


 結びの一番から翌日は、中入り後最初の一番に-。東前頭9枚目遠藤がそうだった。前日14日目は横綱白鵬に負け、この日は輝に負けた。「14日目を結びで取って、千秋楽は初っ口(中入り後最初の一番)で…。なかなかないでしょ? 誰かいるんですかね? いい経験です」。

 ジェットコースターのような珍現象は、07年秋場所の西前頭14枚目豪栄道以来。取組は前々日までの成績を受け、前日の取組前に決まる。豪栄道は14日目の結びで白鵬、千秋楽の初っ口で西前頭15枚目嘉風と対戦した。白鵬の14日目は琴欧洲、千代大海の2大関どちらかが適当だったが、2人は8勝4敗、新入幕ながら白鵬と10勝2敗で並んでいた豪栄道に白羽の矢が立った。結局、千代大海は千秋楽で白鵬と当たったが、琴欧洲はなし。番付の序列で取組を決める“割を崩した”格好だ。

 今場所は違う。白鵬は千秋楽で豪栄道と対戦し、対戦可能な三役以上全員と当たった。白鵬と1差の2敗の東前頭12枚目隠岐の海もいたが、番付が上で3敗だった遠藤が抜てきされた。最大の理由は日馬富士、鶴竜、稀勢の里の3横綱、大関高安、関脇照ノ富士らの大量休場だ。やはり上位陣の存在は、いろんな意味で大きい。【加藤裕一】

9人休場…平幕Vのチャンスだったのに

妙義龍(17年9月29日撮影)


 日馬富士の暴行問題などで世間を騒がしている角界に、またも悲しい記録が生まれた。平幕の妙義龍が、14日目の25日から休場。これで幕内の休場数は9人(再出場の碧山を含む)となり、11人が休場した02年名古屋場所以来の多さとなった。

 十両も含めると、今場所は10人の休場者が出た。戦後以降、十両以上の力士の合計休場数が10人以上となったのは28場所目。引退、廃業を除けば22場所目となった。3横綱、1大関の上位陣が休むなど、ファンにとって寂しい事態となった。そんな中、横綱白鵬と平幕の北勝富士、隠岐の海の3人が、この日まで優勝争いを演じた。

 過去、十両以上の力士が10人以上休んだ27場所中、4場所で平幕力士が優勝している。53年夏場所の時津山、57年九州場所の玉乃海、91年秋場所の琴錦、00年春場所の貴闘力だ。今場所は上位陣の休場者数が多かっただけに、平幕に優勝のチャンスが広がった。北勝富士と隠岐の海にとっては、悔やまれる結果となった。

 白鵬は「年1回の九州で達成できてうれしい」とご満悦。荒れた九州場所を横綱が締めくくった。【佐々木隆史】

玉鷲が守った被災者との約束「勝ち越し」

玉鷲(17年11月12日撮影)


 モンゴル人力士のいさかいに揺れる九州場所で、モンゴル人力士の涙を見た。11日目、東前頭筆頭の玉鷲(33=片男波)が荒鷲を下し、勝ち越しを決めた。「鷲鷲対決」を制し、支度部屋で「僕が本物」と笑っていた男が、福岡・朝倉市について聞かれ、真顔になった。「約束守れて良かったです」。目は赤かった。

 7月5日に発生した九州北部豪雨。朝倉市では、12時間で約900ミリという観測史上最大級の雨量を計測、31人もの犠牲者が出た。その被災地に、玉鷲のいる片男波部屋は8年前から宿舎を構える。場所前に小学校や施設を訪れ、地域イベントにも出席した。「部屋の横に山から落ちてきた木がまだあって、そこから骨が出た」と玉鷲は言う。いまだ残るがれきの山。被災者を勇気づけるどころか、悲しみと闘い、復興に燃える姿に力をもらった。行く先々で交わした約束が「勝ち越し」だった。

 貴ノ岩暴行事件が起こった夜、宿舎で綾瀬はるか主演ドラマ「奥様は、取り扱い注意」を見ていた。勝ち越しを決めた日、まわしから着替えたパンツはクスッとさせるハート柄。一方、10月30日の番付発表時、日馬富士に気になる力士として「最近強くなっちゃって」と名指しされた。気は優しくて力持ち。モンゴル人力士玉鷲は、そんな人だ。【加藤裕一】

名ばかりの4横綱時代 直接対決2場所連続なし

大相撲九州場所、日馬富士などの休場を知らせる貼り紙(17年11月19日撮影)


 白鵬が10日目まで全勝で後続に2差をつけ、独走Vを決めるかに思われたが、前日11日目に敗れて1差に接近。土俵外の話題が先行した場所が、ようやく熱気を取り戻した。ただ、横綱対決は2場所連続で実現しない。1場所で6番あってもいい4横綱時代なのに、だ。

 年6場所制が定着した58年以降、番付に3人以上横綱が名を連ねながら、2場所続けて対戦がなかった例は過去2度しかない。3横綱だった58年秋と九州場所。秋は初代若乃花が14勝1敗で優勝したが、千代ノ山と栃錦が途中休場。九州も初代若乃花は準優勝だったが、2人が全休した。

 次は貴乃花、3代目若乃花、曙の99年春と夏場所。春は曙が全休し、2人が途中休場、夏は曙は皆勤したが、貴乃花が全休、若乃花が途中休場した。この2場所とも大関武蔵丸が優勝し、翌名古屋場所から4横綱となるが、5場所続けて全員皆勤はなかった。

 今場所の千秋楽結びの一番は白鵬-豪栄道戦になりそうだ。白鵬か他の力士の優勝がかかっていれば、緊張感はあるだろうが…。相撲の華の1つ、横綱対決がないのは、やはり味気ない。【加藤裕一】

うっかり振分親方の予約忘れにファインプレーの声も

振分親方


 日馬富士の暴行問題に揺れる九州場所9日目に、さらなる“激震”が走ったのは打ち出し後だった。高砂一門の一門会中止-。八角理事長(元横綱北勝海)らが所属する一門が、日本相撲協会の2年に1度の理事候補選挙に向けて話し合う大事な会合が、急きょ取りやめとなった。新たな問題勃発かと騒然となったが、実は会場となる福岡市内の料亭の予約を、幹事役の振分親方(元小結高見盛)が忘れたことが原因だった。

 毎年9日目に同じ会場で実施するだけに、親方衆が続々と集まったが、料亭からは「高砂一門でご予約は入っていませんが…」との回答。すでに満席だったため、そのまま解散、中止となった。「どうなってるんだ」との電話を次々と受けて「めちゃくちゃ焦った」(振分親方)。翌10日目は通常よりも2時間以上早く場所入りし、一門の親方衆へおわび行脚を行った。

 一日中、肩をすぼめてシュンとしていた振分親方は「自分に腹が立った。毎年のことだから予約が入っていると思っていたけど…」などと、一言話すごとにため息をもらした。幹事役の会計担当を今年、谷川親方(元関脇北勝力)から引き継いだばかりということもあり「こんな時に酒席の写真が雑誌に載ったら誤解される。ファインプレー」との声も上がった。多くの一門親方衆も「日にちも会場も同じだから、もう来年の予約を入れるべきだな」などと心配しつつ、笑うしかなかった。天性の愛されるキャラクターで、翌日の角界は話題持ちきりだった。【高田文太】

3横綱にファン厳しい声も「僕が横審なら引退勧告」

土俵入りする横綱稀勢の里(2017年10月4日撮影)


 4横綱のうち3人が、またいなくなった。全休の鶴竜、3日目からの日馬富士に続き、稀勢の里。3横綱休場は2場所連続だ。最初に4横綱がそろったのは1917年(大6)夏場所で太刀山、鳳、2代目西ノ海、初代大錦。以降、今場所まで計78場所あるが、4人皆勤は12場所だけで、最近では90年九州場所(千代の富士、北勝海、大乃国、旭富士)までさかのぼる。一方、3人休場も9場所だけ。4人皆勤も3人休場も珍しい。ともに2場所連続となれば、異例といえる。

 昭和以降初の2場所連続の3人休場が、場所を観戦したファンの目にどう映るのか。熊本・上益城町在住の56歳の男性会社員は「日馬富士、鶴竜に加え、稀勢の里も、僕が横審にいたら、引退勧告ですね。負傷を押しての春場所優勝を加味したとしても、です」と手厳しい。福岡市在住の70代女性は「稀勢の里は久々の日本人横綱だし頑張ってほしい。来年春ぐらいまで休んで、それでダメなら辞めないと仕方ないけど」。初観戦の福岡市在住の44歳男性会社員は「すごく残念ですが、場所を見て考えが変わりました。どの力士もまじめで、ピリッとしている。横綱も元気に戻ってきてほしい」と話した。

 横綱なのにふがいない、横綱だから大変だ…。見方はそれぞれあるが、相撲ファンは厳しく温かい目で見守っている。【加藤裕一】

懸賞金はひょんなつながり、安美錦と高須クリニック

高須クリニックの懸賞幕(17年9月11日、撮影・小沢裕)


 今年の大相撲を象徴する1つに「懸賞」がある。何と言っても数の多さ。とうとう、9日目で初めて年間の懸賞総本数が1万本を超えた。土俵上で直接手渡される手取りだけでも3億円超え。記念すべき1万本目を手にしたのは高安で「すごいですね。何かもらえないかな」と驚いていた。

 年間で初めて5000本を超えたのは06年。以降、1場所中止となった11年を除いてほとんど変動のなかった総本数は14年に7000本を超えて、15年は9842本、16年は9888本と、大台に迫っていた。

 今年は永谷園といった“定番”に加え、稀勢の里の化粧まわしにある「北斗の拳」や、好角家で知られる「デーモン閣下」などが登場。種類が豊富で、ユニークな懸賞旗に目も留まる。

 そんな中、ひょんなつながりでついた懸賞もある。再入幕の安美錦には今場所、これも定番の高須クリニックが懸かった。秋場所で「高須院長が来たときはわりと勝ってる」との言葉が伝わり、幕内に戻ったら懸けると院長が約束して実現された。直接の面識はない2人。安美錦は自身のブログで礼を言った。「十両にいたら懸賞のありがたみが分かるよ」。懸賞も、相撲の彩りの1つ。【今村健人】

初めて地方に両国の土


 九州場所の土が、今場所から変わった。地方場所ではそれぞれの地域で取れる土を使用しているのだが、これまで数多くの力士から滑るという指摘が多くあった。それを受けて日本相撲協会が動き、東京・両国国技館の土俵の盛り土に使用している「荒木田」が地方場所で初めて使われることになった。

 「荒木田」は粘りがあり、速乾性もあることから盛り土に適し、現在は埼玉県内で取れるものを使用。場所前にはトラック5台で約60トンが運ばれて、土俵が作られた。

 では、力士らの反応はいかに。38歳ベテランの平幕の豪風は「明らかに違う。踏んだ瞬間に分かりましたよ。今までより確実に良い」と好感触。一方、足を滑らせるような内容が目立つ新小結阿武咲は「変わらないです」と言うも、他の力士の取組を見て「滑るねぇ」とつぶやいた。

 誰も土を言い訳にしたくない。しかし、力士は足の指で「土俵の砂をかむ」といわれるほど、土とは切っても切り離せない関係にあるが、稀勢の里は「弱い人が言ってるだけ」と一刀両断。土に惑わされずにいつもと変わらない、白熱した取組に期待したい。【佐々木隆史】

史上4位、合計「77歳6カ月」の対決

豪風をはたき込みで破った安美錦(撮影・岡本肇)


 39歳1カ月15日の安美錦と38歳4カ月27日の豪風。関取最年長と2番目の2人が昨年春以来1年半ぶりに幕内の土俵で相まみえた。計77歳6カ月は昭和以降4番目の幕内高齢対決だった。

 豪風は意識していた。過去15勝16敗の安美錦に勝ち逃げは許さないと、ずっと対戦を願い続けていて「すごくワクワクしていた」。

 安美錦はうれしがった。「オレが上がるのを待っていると聞いていた。だから、今日はしっかり当たった」。変化など巧みな技を持つ2人が、小細工なしに立ち合った。結果は長幼の序。年長者がはたき込んだ。

 ここ7場所、幕内最年長の称号は豪風が持っていた。返してもらった安美錦は「向こうも一生懸命、頑張っている。互いに高め合って、いい刺激になればいい。何回でもやってやる。こんなオレを励みにしてもらえればうれしいよ」。豪風は「今まではこわごわと行っていた。負けたけど、怖がらずに立ち向かえた。すごくうれしかった。またすぐにやりたい」と言った。

 亀の甲より年の功-。世代交代の言葉が北風のように迫ろうと、はねのける熱意がある。【今村健人】

振分親方本当はサインしたいけど…

振分親方(17年3月20日撮影)


 角界の人気者、振分親方(41=元小結高見盛)が、もどかしい思いで日々を過ごしている。日馬富士の暴行が発覚し、土俵外が注目される。そんな中、取組中に2階席の通路脇で館内警備を担当している振分親方は、業務中もファンからサインや写真撮影を求められる。だが「全部断っています。1人に応じてしまうと人が殺到し、混乱を招いてしまうので。でも、こんな時だからこそ、本当は全部丁寧に応じたい」と、いつもの笑顔を封印して話した。

 野球賭博や八百長問題などの不祥事が相次ぎ、空席が目立っていた時期を知っている。だからこそ同親方は、警備の合間に「現役の時は下から見上げてましたが、こうして上から見るのも面白いですよ。会場の盛り上がりを感じる」と、満員の客席を見渡しながら感慨深い表情で話した。

 一時の低迷から人気を回復した角界は、今回の暴行で再び厳しい目を向けられている。振分親方は、警備中に握手を求められると「すみません、通行の妨げになるので、それはできません」と、むしろ握手よりも距離を縮め、目の前で手を合わせて謝る。自分の形になると抜群に強かった現役時代同様、不器用な性格だけに警備に一生懸命向き合う。とまどいながらも、いつもと変わらない対応に努めている。【高田文太】

照ノ富士も…03年以来の年間のべ30人以上休場

松鳳山(右)を突き落としで破り3勝目を挙げた稀勢の里(撮影・岡本肇)


 関脇照ノ富士が休場した。4日目に琴奨菊に寄り切られ「力が入ってないな。しょうがないっす」と話していた。今場所10勝すれば、大関に復帰できたが、4連敗では…。幕内の休場者は今場所6人目、今年の総数で延べ30人となった。03年の同31人以来の多さで、平成以降で年間30人を超えたのは、02年の39人を含めて3年しかない。

 当時は世代交代が一気に進んだ。横綱貴乃花が01年名古屋場所から7場所連続で全休、02年九州場所も全休、03年初場所途中に引退した。横綱武蔵丸、大関の栃東、千代大海、魁皇らも休場が目立った。一方で、大関朝青龍が02年九州場所で初優勝、03年初場所で連続優勝して横綱昇進を決め、時代をたぐり寄せた。

 休場者が多いから世代交代が進む理屈はない。しかし、今場所の横綱、大関は白鵬が5戦全勝を守っているが、鶴竜が4場所連続で、日馬富士も3日目から肘の負傷で休場。3場所連続休場明けの稀勢の里はこの日、松鳳山に土俵際で逆転の突き落としを決め、ヒヤヒヤながら3勝2敗で白星を先行させた。「今日の(白星)はだいぶでかいんじゃないかと思います」。御嶽海、阿武咲、貴景勝…。新星の勢いを感じながら、横綱、大関の苦闘が続いている。【加藤裕一】

600回連続出場錦木、休まない秘訣

錦木


 平幕の錦木が九州場所4日目に通算連続出場600回を記録した。06年春場所で初土俵を踏んでから、1度も休場することなく到達。今場所の幕内力士では、1035回の玉鷲、810回の勢に続く記録となった。

 本土俵に立ち続ける錦木は、稽古土俵にも立ち続けている。連日バス移動する巡業中は朝稽古の量を調整する力士もいるが、錦木は休むことなく真っ先に土俵に上がる。関取衆らによる申し合い稽古のため番数は限られるが、タフさは人一倍際だっている。

 なぜこんなにタフなのか。「無理をしない」。もうひとつは「ストレス発散を見つけること。お酒ですかね」とニヤリ。巡業中は1人でもふらりと、地元の居酒屋に入って地元のお酒を飲むほどの酒好きだ。場所中も晩酌を1日たりとも欠かすことはなく「稽古頑張ったら、取組が終わったら飲むぞ、という感じ」。体と心にゆとりを持つことが、錦木流のタフさの秘策だ。

 4横綱時代だが、1度も皆勤がない。一方、今場所の幕内力士43人中13人が、それぞれ初土俵から休場なしで走っている。いずれも三役以下の力士だ。元気のない上位陣を尻目に、平幕力士が土俵上を走り回る。【佐々木隆史】

記録保持者の常幸龍が炎鵬止めた


 東幕下14枚目常幸龍(29=木瀬)が、西幕下14枚目炎鵬を止めた。炎鵬は序ノ口デビューから21連勝中で、169センチの体で番付を駆け上がってきた白鵬の内弟子。力で圧倒し、押しつぶすように土俵に沈めた。「記録保持者としては、負けられません」。会心の笑みに先駆者の意地が漂った。

 前相撲を含む初土俵からの連勝記録は板井の「29」だが、序ノ口デビューからの連勝記録「27」は常幸龍が持つ。だから「自分で止めてやろう」と思った。「ちっちゃかった。ああいうタイプはいないから、いろいろ研究しようと思ったけど(炎鵬が)負ける相撲(の映像)がなくて」と苦笑いした。

 学生横綱の肩書を手に、日大から角界入り。11年名古屋場所から連勝記録を作り、14年秋場所には小結。15年初場所で日馬富士から金星奪取。ところが、16年6月に右膝手術を受け、同年九州場所で三段目まで落ちた。

 今は復活途上にある。「下半身に重点を置いて稽古をしたら、自分でも驚くほど体重が増えたんです。でも、それで動けますからね」。体重は1年前から18キロ増の170キロになった。「まわしが短くなった。新しいのを…」。望むのは当然、関取の証しの白まわし。先輩が、後輩の壁になった。【加藤裕一】

39歳安美錦553日ぶり幕内○ ケガ乗り越えまだ進化

琴勇輝(左)を上投手げで破り再入幕を白星で飾った安美錦(撮影・岡本肇)


 業師安美錦の目に、光るものがあった。昨年夏場所初日以来553日ぶりに味わう、幕内力士としての勝ち名乗り。押し相撲の琴勇輝を押し込み、素早い反応からの鮮やかな左上手投げに「稽古場でもしたことない」とおどけて「やっとここに戻ってきたなという思いと、しっかりここで相撲を取るんだという気持ちで臨めた」と感慨に浸った。

 同場所2日目で左アキレス腱(けん)を断裂した際「引退危機」と騒がれた。「見る人が見たら、そう思う。でも、やめる選択肢はなかった。もう1回出てからだと」。周囲への反骨心と、支えてくれる絵莉夫人への恩返し。その思いだけでここまでたどり着いた。

 秋巡業中、そばに1冊の本があった。「老舗の流儀-虎屋とエルメス」(新潮社)。500年の虎屋と180年のエルメス、2つの老舗企業が長続きする秘密に迫っていた。「業種が違うように見えて似ている。相撲協会も『老舗』。変わって良いところ、変わらなきゃいけないところがある。参考になるかなって」。

 昭和以降、最年長39歳で再入幕を果たした安美錦もまた、1つの“老舗”。だが、幕内664勝目は「力でなく、体の動きだけで取れた」。まだ“進化”の途上。止まらない。それが安美錦の流儀。【今村健人】

無念休場の鶴竜からにじみ出た「復活」に懸ける思い

住吉神社で土俵入りを行った鶴竜(2017年11月2日撮影)


 横綱鶴竜(32=井筒)の九州場所(12日初日、福岡国際センター)休場が決まった。4場所連続の休場で、4横綱となって5場所目で、またも全員皆勤はならなかった。相撲ファンにとっては残念なニュースとなったが、何よりも鶴竜本人の無念の思いは想像に難くない。

 九州場所にかける思いの一端を、かいま見た場面があった。2日、福岡市の住吉神社で4横綱が土俵入りを披露した後だった。着替えて引き揚げ、車に乗り込む直前に声を掛けた。今場所から6年ぶりに相撲担当に戻ったことを報告すると「おおっ、復活したんだ」との第一声。その時、何ともいえない違和感を覚えたのは「復活」という言葉を選んだことだった。

 モンゴル出身とはいえ、稽古後には一般紙の政治や経済の記事を隅々まで熟読する姿を何度も見てきた。日本人以上にきれいな日本語を使う鶴竜を思い返すと、記者の担当替えは「復活」などという大それたものではなく「戻った」や、せいぜい「復帰」というもの。第一声の後にも、再度「復活」と使った。不意に口をついて出てきた言葉に「復活」にかける思いがにじみ出ていたように感じた。

 そもそも、どうやって角界入りすれば良いか分からず、15歳の時に相撲雑誌の編集部と相撲愛好会に計2通の手紙を送り、思いの丈を日本語で書き連ね、入門に至ったあこがれの世界。その中でも頂点の横綱にまで上り詰めながら、思うような相撲が取れない、ファンの期待を裏切っていることへの無念の思いは、容易に察することができる。

 前回の担当時代に私が最後に取材したのは、鶴竜が初の大関とりに挑んだ11年秋場所だった。その年に起きた東日本大震災の被災地を回った際には、横綱、大関を立てながらも、誰よりも積極的に子どもや高齢者とふれ合っていた姿は忘れられない。来年、満を持して「鶴竜復活」という見出しが躍る日が来ると、期待しているファンは少なくないはずだ。【高田文太】

やんちゃ照ノ富士かニュー照ノ富士か 注目九州場所

巡業に合流し、笑顔の照ノ富士


 1年納めの九州場所(11月12日初日、福岡国際センター)が迫ってきた。秋場所は初日から3横綱が休場する異例の事態だっただけに、今度こそ4横綱がそろって皆勤するか、期待したいところ。やはり途中休場した宇良(木瀬)の復活や、三役昇進が濃厚な阿武咲(阿武松)の暴れっぷり、かど番で迎える大関高安(田子ノ浦)の復調など、相変わらず角界は話題に事欠かない。

 そんな注目力士の1人が照ノ富士(伊勢ケ浜)だ。かど番で迎えた秋場所は、左膝半月板損傷のため6日目から休場(1勝5敗9休)。九州場所は大関から陥落する。規定により10勝を挙げれば、1場所で大関に返り咲くだけに、その星取から目が離せない。

 この秋巡業は治療とリハビリを経て、19日の奈良・香芝市巡業から合流した。大事を取って、当初は回避するかと思われた割(取組)にも加わり、朝稽古も翌日から土俵に上がり、平幕の正代らと10番も取った。膝の状態を試しながらの、文字通り試運転の稽古だった。それでも、いきなり割に入ったことには「それぐらい誰だって出来るよ。出来るのに(他の力士は)やらないだけ」と、気丈な言葉を発し、大関から陥落することにも「別に。(ケガが)治れば(大関に)いつでも上がれる。番付が落ちることは何とも思っていないよ。自信がなければ相撲は取れない。(陥落する)下から向かっていく立場の方がやりやすい」と、あの持ち前の負けん気の強さをのぞかせていた。

 一方で、怖いもの知らずを感じさせた25歳に、慎重さも備わったことを感じることもある。気丈な言葉を口にした後で「ちょっと弱気になってるなぁ」と話したコメントからだ。「以前は(自分に)荒々しさがあったけど、それが今はないんだ。何でだろう。それ(膝)と気持ちやろな。怒ることも最近、ないんだ。何でもかんでも最近は楽しく感じる。これはアカン」。自戒を込めた口調だった。

 ケガをして大関という看板が外れ、いろいろ思うところもあるのだろう。体を生かした強引に相手を抱え込む相撲が膝のケガを誘発したという、親方衆の声もある。自分の相撲を見つめ直す機会であれば、それも良し。あくまでも横綱という頂点を見据える照ノ富士にとっては、大関陥落は一過性の屈辱にすぎず、いい経験になったと、後になれば思えるはずだ。あの奔放でヤンチャな照ノ富士が戻るのも楽しみだし、リニューアルされた姿も見てみたい。そんな期待の目で、九州場所の土俵を見ることにしよう。【渡辺佳彦】

白鵬の内弟子炎鵬、背中追い連勝&連続Vへ奮闘中

ぶつかり稽古で安美錦(右)に胸を借りる白鵬の内弟子の炎鵬


 大相撲九州場所(11月12日初日、福岡国際センター)で楽しみな記録がある。初土俵からの連勝記録と、序ノ口からの連続優勝記録だ。この記録に挑むのは、九州場所で幕下昇進が確実な三段目炎鵬(23=宮城野)。横綱白鵬の内弟子として春場所で初土俵を踏み、序ノ口の夏場所、序二段の名古屋場所、三段目の秋場所で全勝優勝して、昭和以降7人目となる序ノ口からの3場所連続優勝を果たした。さらに、初土俵からの連勝を歴代5位となる「21」に伸ばした。

 初土俵からの連勝記録の1位は元小結板井の「29」だ。九州場所で全勝しても届かないが、まずは2位の佐久間山(現常幸龍)の「27」を追いかける。抜くのには全勝が条件。そうなれば優勝の可能性も大きい。序ノ口からの4場所連続優勝となれば昭和以降では、元横綱羽黒山以来2人目の快挙となる。

 169センチ、94キロと小兵ながらに快進撃を続ける一因には、やはり白鵬の存在があるからだ。「一番一番にかける思い、集中力がすごい。私生活も徹底しているから普段の力が出せていると思う」。白鵬の付け人を務めているからこそ、肌身で感じるものがあった。さらに秋場所中盤に休場していた白鵬から直接、部屋で声をかけられたという。「見てるぞ、って言われました。まさか見てくれてるとは思わなかった。一気に気持ちが引き締まりました」と気合が入っていた。そして、三段目優勝決定戦を制した千秋楽で「横綱からも『来場所はこんなものじゃないぞ』と言われました。今は休みたいけど、休んでる暇もない。明日からでも稽古をやりたい」と浮かれる気持ちを抑えて、先を見据えていた。

 角界入り後に入所した相撲教習所を秋場所後に卒業したため、白鵬の付け人として秋巡業に参加している。初めての巡業参加となった15日の金沢巡業で早速、幕下の申し合い稽古に入ると、幕下上位でしのぎを削る先輩力士らから強烈な張り手やかち上げで“歓迎”を受けた。手荒い歓迎ぶりに苦笑いを浮かべたが「重さは感じたけど、感覚はつかめた」と手応えを口にした。残り約3週間でさらに稽古を積んで、1年の納めの場所で有終を飾る。【佐々木隆史】

木崎の「技術は絶対に負けてない」の言葉に「へ~」

木崎(2017年9月16日)


 競技者がひんぱんに使う言葉がある。野球なら「1試合1試合を大事に…」。ゴルフなら「目の前の1打に集中して…」。相撲なら「今日の1番に集中して…」。ごもっとも。その通り。しかし、その競技者がプロなら、誰もが使う決まり文句でなく、自分なりの言葉を使ってほしい。そう思ったりもする。

 秋場所の千秋楽で、久々に「へ~」と思う言葉を聞いた。「技術は絶対に負けてない」-。若い力士。西幕下3枚目木崎(24=木瀬)だ。

 西十両13枚目矢後に負けた。3勝3敗で勝ち越しがかかる一番だった。矢後は中大出身の元アマチュア横綱で187センチ、172キロの大型。木崎も名門日大相撲部で主将を務めたキャリアを持つが、現在の注目度では1学年下の矢後に一歩譲る。番付も劣るし、サイズも176センチ、138キロと及ばない。アマチュアでの対戦は「多分3戦全敗」(木崎)、プロでも2戦2敗となった。それでも「技術は負けてない」と言う姿がたのもしかった。

 論理的、具体的に説明できるタイプだ。「課題は多いやろうけど、来場所に向けて、特にコレっちゅうのは?」という、抽象的で荒っぽい質問に「…う~ん、足りない部分が多すぎてわからないです」と前置きして、こう答えた。

 「来場所どうこうじゃないですけど、体重を増やさないとダメですよね。(入門時は115キロで)今は138キロですけど、場所中にどうしても落ちる。最終的に145キロまで、と思うけど、スピードが落ちたらダメです。小さいですからね。時間はかかると思うけど」。ずっと昔から自分を省みて、自己分析を重ねたのだろう。だから、負け惜しみと取られかねない状況で口にした強気な言葉にも納得してしまう。

 昨年夏場所のデビューから9場所目で初の負け越しだった。目前まで迫っていた関取の座は一歩遠のいたが、十両目前で足踏みした先輩力士は多い。「負け越しですか。家に帰ったら、じわっと来るんでしょうね」。木瀬部屋の先輩、宇良のように土俵を沸かせる日が、きっと来る。そんな期待を抱かせる言葉だった。【加藤裕一】

3横綱2大関休場の秋場所…地殻変動の起点となるか

大相撲秋場所 千秋楽 優勝賜杯を受け取る日馬富士(2017年9月24日撮影)


 99年ぶりに3横綱2大関が休場し、日本相撲協会にはチケットの返金を求める抗議の電話もあったという秋場所。終わってみて実際にファンは、世間はどう感じたのだろう。面白かったのか、つまらなかったのか。盛り上がったのか、興ざめだったのか。観戦に訪れた友人に聞けば「熱戦が多かった」「これはこれで打ち上げに花が咲いた」などと好意的な声が多かった。

 “中”で取材をしていると、実際の体感温度はよく分からなくなる。優勝成績は11勝4敗と、低レベルと言えば低レベル。そこだけを切り取れば情けなくも見える。ただ、周囲は「誰が優勝するか分からないから面白かった」とも言う。

 終盤に10人以上もの力士に優勝の可能性が残っていたのは、取材する側からすれば実に「ドキドキ」だった。見ている人たちには「ワクワク」だったろうか。豪栄道には申し訳ないが、13日目で優勝が決まっていたら、14日目、千秋楽の話題に困ったかもしれない。本命不在だったからこそ、誰が勝つのか、どちらが勝つのか、ワクワクやドキドキが最後まで続いた。こんな感覚は昨今の大相撲では、なかなかない。

 こんな場所だからこそ、よく「世代交代」という言葉が出た。実際に阿武咲や貴景勝、朝乃山といった20代前半の力士の活躍が場所を盛り上げてくれた。

 ただ、秋場所はまだ、若手の活躍が目立っただけ。「世代交代」という言葉が当てはまる場所ではない。世代交代とは、加齢によって自然と起こることもあるが、我々が求めている形はおそらく、違うからだ。

 かつて「角界のプリンス」と呼ばれた大関貴ノ花を一方的に破って引退を決意させたのが千代の富士。その横綱千代の富士を倒して引退に追い込んだのが、プリンスの息子の貴乃花だった。ここまでドラマチックにはならずとも、若い世代がベテランの上位と実際に対戦して、倒し、引導を渡す-。それがあって初めて、望みの「世代交代」は生まれる。

 上位陣の休場という不可抗力な未対戦はもちろん、仕方がない。ならば、おそらく上位陣が出てくる次の九州場所は、今場所の物語の続き。若手は、上位を倒す力を養えたのか。それとも、両者にまだまだ差はあるのか。地殻変動、世代交代は面白いが、そう簡単に許さないベテランの意地と迫力にも見応えはある。

 99年ぶりの事態が起きた秋場所。どうせ取り返しがつかないなら、ここから「あの物語が始まった」と後々、振り返ってみたい。【今村健人】

松沢亮英、入門して初めて分かった父朝日山の偉大さ

卒業証書を手にする松沢亮英


 やっぱりオヤジは偉大だった-。卒業証書を手に、あらためて実感した。

 角界入りした新弟子は必ず、相撲教習所に入所し6カ月間、実技や相撲史、一般常識、書道などを学ぶ。東京場所終了後、入所及び卒業式が行われ、今回も29日に新弟子が通い慣れた両国国技館内の相撲教習所で行われた。

 今年3月の春場所新弟子検査に合格し、晴れて角界入りした松沢亮英(19=朝日山)も、この卒業式に出席した。千葉・八千代松陰高時代はラグビー部でプロップ、フッカーとして活躍。調理師を目指し専門学校の合格通知も受けたが「やっぱり自分にはスポーツが合っている。挑戦してみたい」と角界の門をたたいた。入門したのは自分の父が興した部屋。父は史上ただ一人、平幕優勝2回を成し遂げ「F1相撲」の異名を取った、元関脇琴錦の朝日山親方(49)だ。

 もちろん親の七光など通用しない、文字通り裸一貫の実力だけの世界。それは百も承知で、決して甘く見たわけではなかった。ただ何せ相撲は初体験。壁には当然、ぶち当たった。番付に初めてしこ名が載った5月の夏場所こそ、5勝2敗と上々のスタートを切ったが、序二段に上がった7月の名古屋場所は1勝6敗。再び序ノ口に番付を下げたこの秋場所も3勝4敗と負け越した。

 「もちろん相撲はまだまだなんですが、一番悪いのはメンタル面。1回負けちゃうと『負け越してしまう』と焦って、尾を引いちゃうんです」。あどけない笑みを浮かべながら松沢は、自分の弱点を分析した。相撲についても「脇が甘い。ラグビーでは甘くても良かったけど、相撲では駄目。なかなか直らないんです」。入門して半年。道半ばどころか、まだ1歩目を踏み出したばかりなのだから、直面して当然の壁だ。

 ただ、悪いようには考えない。名古屋場所は1勝2敗から4連敗したが、秋場所は負け越し決定から、精神面で立て直し連勝で締め「だんだんとメンタル面も良くなっていると思います」と精神的にも落ち着いてきた。168センチ、76キロで新弟子検査をパスした体重も、20キロ増。「石浦関の、あのスピード感のある相撲が好きなので、120キロぐらいまでは増やしたい」と言う。

 入門前の今年2月までは「(父の)言うことは聞いてないこともあった」と、どこにでもいる長男坊だった。入門を境に、それは師弟関係になり「厳しく怒られることが多くなった。今は素直に受け入れてます」と話す。さらに肌で感じた父へのリスペクトも。「入門して序ノ口で1場所取っただけで分かりました。父は偉大すぎます」と脱帽した。

 入門時に挙げた「幕内力士」の第1目標は「厳しい世界と分かりました。関取になることです」と、新十両昇進に“下方修正”した。その父であり師匠の朝日山親方は、相撲教習所の卒業を機に、10月から稽古まわしを締め愛弟子を鍛えるという。「まだまだ勝ち方を知らない。これからですよ」。親子鷹に期待したい。【渡辺佳彦】

稀勢締める 友鵬さん最後の綱


 横綱が締める「綱」は年3回の東京場所前に作られる。「綱打ち」と呼ばれる行事で、一門の力士らが掛け声に合わせ綱をよる。今場所、稀勢の里は休場したため、この時作った綱が使われるのは九州場所だけ。実はこの綱、8日急逝した相撲協会の世話人、友鵬さん(享年60)が携わった最後の綱だ。

 綱打ちは3本の綱をテッポウ柱にくくり、引っ張りながら1本によっていく。柱に近い、より合わせる部分を作る者が重要な役割を担う。ここにいたのが友鵬さんだった。

 当初「肩も腰も痛いから今回はやめておくわ」と言っていたという。稀勢の里の兄弟子、西岩親方(元関脇若の里)は振り返る。「綱打ちは亡くなる2日前でした。友鵬さんがいないときれいな綱ができない。『見てるだけでもいいから来て下さい』とお願いしました。これが最後と言ってましたが、本当に最後になってしまいました」。

 稀勢の里が手形にサインをする際、痛む左腕で紙を押さえられないと、友鵬さんがそっと手助けしてくれたこともあったという。

 九州でこの綱を締める時、いつもと違う思いが込み上げるかもしれない。【佐々木一郎】

優勝争い混沌の今場所…幕内全取組に懸賞という皮肉


 今場所、実に3度目だった。中入り後の幕内の全取組で懸賞旗が回ったのは。

 初めて幕内全取組に懸賞を懸けたのは、62年秋場所初日の「岡村製作所」。以来、幾度となくあったが、最近では珍しい。12年夏場所の初日と、翌名古屋場所千秋楽に、タマホーム1社が「大相撲を応援する」という形で全取組に懸けた2例があり、それ以来だ。ただ、複数社を伴う形では、92年名古屋場所以降なかった。

 皮肉にも、休場者が多く出て幕内の取組数が減ったことが要因の1つ。ただ、3横綱と2大関、そして人気者の宇良が休場しても、取りやめる企業は多くなかった。朝乃山には、師匠の高砂親方(元大関朝潮)の現役時代から親交がある東京バスが懸賞を復活させた。九重部屋の4力士にそれぞれ、15日間通して別々の企業から懸賞が懸かる形も例がない。色とりどりの懸賞旗は、上位陣の休場で寂しかった土俵の、にぎやかしになっている。

 そして、優勝争いが混沌(こんとん)とし、14日目の取組前まで5敗までの16人に優勝の可能性があったことを考えれば、懸賞が広く懸かることは良かったともいえる。それもまた、皮肉な話だが。【今村健人】

余興で不覚…横綱双葉山が若武者の外掛けに倒される


 10月4日に両国国技館で開かれる「大相撲beyond2020場所」で「横綱五人掛かり」が行われる。国技館では01年のNHK福祉大相撲で披露されて以来16年ぶりの“余興”だ。

 1人の横綱が下位力士5人と次々に勝負するのが五人掛かり。5人は横綱の向かいと四方の房の下に散らばり、同時にちりを切り、四股を踏み、仕切る。いざ勝負ではその場から1人ずつ、間髪を入れず横綱に飛びかかる。あくまでも余興。

 だが下位力士が勝っていけないわけでもない。横綱が敗れたこともある。誰あろう、双葉山だ。

 38年6月開催の帝都日日新聞大相撲。大日本相撲協会が発行した雑誌「相撲」には「2人目に出た元気いっぱいの鹿島洋が、鋭気に外掛けを強襲して双葉山を倒す」と記されている。前月の夏場所で双葉山は前人未到の66連勝。鹿島洋は新入幕ながら優勝次点の若武者だ。無敵の横綱の“黒星”に「満場の観衆は一時にわっと歓声をあげ、さながら館も揺るがんばかりであった」とある。

 次場所の39年春場所4日目、双葉山は安芸ノ海に敗れ連勝が69で止まった。その決まり手も外掛けだったのは、何の奇縁か。“余興”もまた、ドラマになりうる。【今村健人】

下から刺激 木瀬部屋願う「関取10人」


 93年春場所、二子山部屋勢が10人も幕内に名を連ねた。優勝は小結若花田、準優勝は大関貴ノ花。史上最多の「同一部屋幕内10人」は翌夏場所まで続いた。

 その伝説には及ばないが、木瀬部屋が「関取10人」を視野に入れている。力士数37人は、佐渡ケ嶽部屋の41人に次ぎ2番目。関取数は幕内に宇良、徳勝龍の2人、十両に英乃海ら4人と現在6人。幕下には関取予備軍の上位15枚目までの5人を含め、15人もいる。

 元十両の28歳、西幕下5枚目志摩ノ海は「ウチは下からガンガン来るから厳しい。宇良の時のように、もう下に抜かれるのはごめんです」。すでに4勝2敗と勝ち越した。自己最高位西幕下3枚目の24歳、木崎は「部屋内の競争は感じます。僕は次勝って、来場所が(十両昇進の)勝負です」。3勝3敗。残る一番は絶対落とせない。

 元小結の29歳、東幕下9枚目常幸龍は、この日敗れて3勝3敗となった。小結の時「木瀬部屋がかつての二子山部屋のように…」と口にした男は「十両も大事ですが、やはり幕内で相撲をとってなんぼですよ」。お互いが刺激し合って、部屋全体がレベルアップすることを願っている。【加藤裕一】

前相撲含まぬ新連勝記録なるか


 白鵬の内弟子、西三段目18枚目炎鵬(18=宮城野)が、同20枚目本多を下して、初土俵から20連勝を飾った。史上6位タイの記録だが、協会関係者は頭を悩ませていた。1位は元小結板井の29連勝で、前相撲の3勝が含まれている。炎鵬には前相撲の2勝が含まれていない。初土俵からの連勝記録者が出る度に「なぜか?」と問い合わせがあるという。答えはこうだ。

 前相撲は新弟子検査に合格した力士が、本場所で相撲を取ること。現在は、中日に行われる新序出世披露の順番決めの役割があり、1人が1日に2番取ることもある“非公式戦”だ。

 しかし、73~86年は特定の場所を除き、今と違って取組表に前相撲が載り、1人1日1番。成績を伸ばした力士は中日以降に、序ノ口力士と相撲を取っていたこともあり、“公式戦”扱い。板井は、この時期に前相撲を取っていたので3勝が含まれる。炎鵬は29連勝について「無理ですよ」と苦笑い。協会関係者は「すぱっと記録を抜いてもらいたい」と期待する。3勝の差は大きいが、それに負けじと炎鵬は突き進む。【佐々木隆史】

飲んで食って勝つは昔の話


 酒を浴びるように飲み、これでもかというぐらいご飯を食べる。そんな、お相撲さん像は古いのかもしれない。食生活に気を使う力士が多くなったと感じる。

 174センチと小柄ながら175キロと重量級の平幕貴景勝(21)は栄養学を学んでいる。「亜鉛とかアルギニンとかは筋肉に影響する。あと植物性タンパク質は女性ホルモンが出るので注意してます。納豆は食べ過ぎると女性ホルモンが出るので食べ過ぎないようにしています」と言う。夏巡業中には、2つの炭酸飲料の成分表示を見比べて「こっちには砂糖が20個分入っているけど、こっちは60個も入っている」と力説していた。口に入れる物に並々ならぬこだわりを持っている。

 酒量をコントロールする力士も少なくない。平幕の北勝富士(25)は、番付発表後から千秋楽まで約1カ月は酒を1滴も飲まない。睡眠時間を含めて生活のリズムを崩したくないといい、「後援会関係者との食事であっても、絶対に飲みません」と摂生している。平幕の石浦(27)に至っては「個人差はあると思うけど、お酒は筋肉に悪い影響がある。極力飲みません」とまで言う。体が資本。自己管理の大切さは浸透している。【佐々木隆史】

力士直撃禍 なぜか多い陣幕親方「あきらめてます」

13日、土俵下に落ちる貴景勝(右)。左は陣幕親方(撮影・鈴木正人)


 休場者が多い今場所。ケガが怖いのは力士だけでない。土俵下に座る審判の親方衆も危険と背中合わせだ。

 陣幕親方(元幕内富士乃真)は、特に多くの力士が落ちてくることで知られる。今場所は4日目に貴景勝が飛んできた。受難の連続だが「これはもう、あきらめてます。たまに、磁石のように引き寄せてるんじゃないかと思うことがありますね」と苦笑いする。

 現役時代の89年秋場所12日目、控えに座っていると三杉里が落ちてきて左足首の関節を骨折。土俵に上がれず、不戦敗になった。このケガがきっかけで番付を落とし、1年後に引退した。親方になった後の01年夏場所7日目には須佐の湖が落ちてきて右スネを骨折した。10年初場所10日目には、三段目の力士に左足首を踏まれて休場した。

 「これは運に任せるしかないんです。現役中はあのケガに苦しみましたが、ある時点から運命だと思うようになりました。それでも、勝負はしっかり見ようと思っています。そういえば、錦戸親方のところも何回も落ちてきますね」。今では酒席での笑い話として、ネタにしているという。残り6日間、土俵の無事を祈りたい。【佐々木一郎】

休場明け碧山いきなり横綱戦 56年ぶり

結びの一番、日馬富士の攻めを懸命にこらえる碧山(右)(撮影・丹羽敏通)


 左膝骨挫傷で初日から休場していた平幕の碧山が、中日の17日から出場した。休場明けとはいえ、土俵の上に立つ以上は弱音は吐けない。いきなり結びの一番で横綱戦が組まれた。

 休場明け最初の取組が横綱戦となったのは、61年名古屋場所の東前頭5枚目北の洋以来56年ぶり。昭和以降では、今回が8例目となる。いきなり横綱を倒すのは至難の業だが、過去に1度だけある。51年秋場所で5日目から休場していた西張出小結の備州山が、再出場の8日目に張出横綱の千代の山を破った。今回を除く6例は、全て平幕力士によるものだったが金星は1度もなかった。

 昭和以降初の休場明け金星へ臨んだ碧山だったが、達成はならなかった。横綱戦と知った前夜は「びっくりでした。普通はないですよね」と驚いたという。ただ「番付見たらね。横綱、大関休みですからね」と覚悟はあった。さらに「家で見てたら悔しかった。僕も(相撲を)取りたかった。今日は出られてうれしかった」と土俵に上がれる幸せをかみしめていた。【佐々木隆史】