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「北の湖魂」はかま写真と共に

 場所が変われど、魂は受け継がれる。4月下旬、山響部屋が東京・江東区内の清澄白河から東砂に引っ越した。同部屋は、15年九州場所中に北の湖前理事長(元横綱)が急逝してから、山響親方(元前頭巌雄)が継承。引っ越しするまでは、旧北の湖部屋の建物で稽古や生活をしていた。

 これで正真正銘の山響部屋が完成したが、北の湖魂は目に見える形で残った。稽古場に北の湖前理事長が、紋付きはかま姿で写っている写真が飾られた。清澄白河の写真館で保存してあったネガフィルムを掘り出したという。山響親方は「稽古場に入る時と出る時は必ずみんな一礼するようにしている。背筋が伸びる」と気合をもらっている。還暦土俵入りで締めた綱の切れ端も、忘れられない物の1つ。「今は大事にケースに入れてある。近いうちに玄関に飾ろうかな」とあやかるつもりだ。

 指導法も受け継いでいく。相撲の技術ももちろんだが、さらに大事なものがある。「先代には『人を育てないといけない』ってよく言われてね」。目に見えるものも、見えないものも含め、「北の湖イズム」を継承していく。【佐々木隆史】

不祥事ラッシュの相撲界も…今後は是々非々で堂々と


 相撲担当で1年。知人によく言われる。「オマエ、持っとるな~」。半笑いの問い掛けに、イラッとさせられ「相撲を取材してるんは山ほどおるがな」と思ったりする。しかし、この1年…いや半年は確かに異常な不祥事ラッシュやった。

 横綱の暴行事件が昨年11月の九州場所中に発覚し、1月には関取が無免許運転で捕まり、泥酔行司が後輩にキスして辞職に追い込まれ、3月春場所では、日本相撲協会を告発した親方の弟子が付け人をどついた。

 「相撲って話題豊富やね」と周りに言われ、何べんため息ついたことか。春場所も終わって、さすがに「もう打ち止めやろ」と思ったら、巡業の土俵で男性市長が倒れ、救命措置を行った女性に「土俵から下りてください」という場違いアナウンス。暴力、道交法違反、セクハラ、暴力の次は、土俵の女人禁制に絡む問題かい。貧すれば鈍すというか、地獄モードの負の連鎖というか。ここまで来たら、こっちもげんなりして、笑うしかない。

 そんなこんなの日本相撲協会。テレビのワイドショーのコメンテーター、MCに鬼の首をとったような態度でボロクソ言われ、その扱いたるや、ひどいもんです。曲がりなりにも現場で力士、親方らを取材している立場からすれば「どんだけお偉い方か知りませんが、そこまで言いいますか?」と思ったりもする。

 確かにカラオケのデンモクで人を殴ったらあかん、無免許運転はあかん、人命最優先ちゅう判断ができんのもあかん。当然や。だから、ペナルティーを受け入れ、反省して、同じミスを犯さん努力はせなあかん。それも当たり前です。

 しかし、そもそも相撲界って、力士がまげを結って、浴衣着て、東洋の神秘好きの外国人が「オーッ! スモウレスラー!」と喜ぶ世界ですがな。江戸時代を思わせる外見、慣習の特殊性が魅力なわけで、そこが伝統であり、もっと俗っぽく言えば売りなんでしょ?

 一般社会の物差しを当てはめて、ならしていったら、最終的にただの太った力持ちの集団になってまうんちゃうかな。そんなことも思ったりするわけです。

 ダメなことは続きました。この勢いやとまだ、何かあるかもしれん(ヒーッ)。でも、大事なんは今後ですわ。ええことはええ、悪いことは悪い。決して協会の肩持つわけやないけど、是々非々で、堂々といきましょうや。【加藤裕一】

「相撲協会=悪」? 襟を正すのは報道機関も同じ


 「お相撲さんは口べた」。世間の多くの人が抱いているイメージだろう。現役時代は「不器用だけど頑張っている」などと、ほほえましく見られ、好意的に受け取られることが多いと思う。ところが引退して親方になると、その延長線上にあるとは思われなくなる。無言や説明不足の親方は、世間から大きな批判を浴びることが多い。昨年11月に発覚した、元横綱日馬富士関による暴力問題から続く一連の不祥事も、言葉足らずな親方衆の言動から波紋が広がったように思う。

 「日本相撲協会=悪」。歴代の理事に、こわもてが多いことも手伝い、このイメージも根強いと思う。そのイメージが強く出たのが「女性は土俵から下りてください」と複数回アナウンスされた問題だ。今月4日に京都・舞鶴市で行われた巡業で、多々見良三市長が土俵であいさつ中に倒れ、救命処置を施していた女性に土俵から下りるよう場内放送で促された。もちろん人命にかかわる緊急事態であり、この場内放送は非常識で批判されて当然だ。ただ「日本相撲協会=悪」のイメージが強すぎるからか、世の中も冷静さを欠いていると感じていることがある。

 この問題が起きた時、巡業部長の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は当初、トイレに行っていたと説明した。その後、インターネット上に、騒然となる土俵の後方に立つ同親方の画像が出回った。同親方は後日、トイレを含めて、次の巡業先への移動準備など、その後に控える幕内の取組を見るために会場裏におり、後から市長が倒れているところを目撃したと言った。当初の説明を補足した格好。その場で取材した新聞、通信社計5社、民放テレビ局1社は、いずれも「ウソをついていた」とは報じていない。当初のコメントからの「補足」という報道だったが、イメージ先行で「ウソ」と変換されていった。

 不思議なことに、その場に来ておらず、1次情報を持たないテレビ局に限って、こぞって「ウソをついていた」と“断言”するようになっていた。情報番組ではウソをついていたことを前提に、出演者が「バカ」とまで発言している。相撲界に起きた暴力については声高に批判しているが、これも言葉の暴力ではないのかと思った。立場が弱まっている人には何を言ってもいいのだろうか-。

 事情を知らない視聴者は、まさか「ウソをついていた」という報道が「ウソ」とは思わないだろう。一連の不祥事で相撲協会は、随所でほめられたものではない対応を取っている。「口べた」では済まされない言動は目に余る。ただ、だからといって間違った情報を使って、特定の団体や個人をおとしめることが許されるわけもない。そういったことの積み重ねが少なからず影響しているのか、ついには相撲協会執行部や関係者への殺害予告まで出た。襟を正さなくてはならないのは、相撲協会だけではなく、我々、報道機関も同じだと思わずにはいられない。【高田文太】

女人禁制問題に塩問題…角界の盲点見直す機会に

塩かごとタン壺


 またぞろ出てきた。われわれスポーツ紙やテレビのワイドショーにとって格好のネタが…。暴力やセクハラ、無免許運転といった類と、今回は趣が異なる。ただ今回の件でも、一部に相撲界が誤解されていると思われるものがあった。

 4月4日に京都・舞鶴で行われた大相撲の春巡業。地元・舞鶴市の多々見良三市長(67)が土俵上であいさつしている際に突然、倒れた。その後、救命処置を施している女性に対し、若手の行司が土俵から下りるよう、場内放送でアナウンスした問題が波紋を広げた。それに対する論調は他に譲る。

 指摘したいのは、女人禁制何するものぞ…という世論の声に乗じるかのように、同列で論じられた「塩問題」だ。女性が土俵に上がったことでその後、大量の塩が土俵にまかれたという一部報道があった。それには首をひねるしかない。

 本場所にしても巡業にしても、また各部屋の稽古場にせよ、塩をまくには意味がある。これから始まる戦いの場を清めるためにまく塩。また、力士が稽古や取組でケガをしたり、血が飛び散ったりした際にも一度、塩をまいて呼び出しさんや若い衆がはいて、清める。同じようなことが起きませんように-。神聖な土俵を鎮める、そんな思いが込められている。

 問題が起きた翌5日、日本相撲協会の尾車事業部長(元大関琴風)も「人命より大事なものは、この世に存在しません。女性が土俵に上がってはいけない、という話とは次元が違います」と報道対応で話した。その上で、この「塩報道」については「女性蔑視のようなこと(考え)は日本相撲協会には全くない。本場所でも稽古場でもケガして運ばれたり、血しぶきが飛んだり、首を痛めてひっくり返ったり(そんな)アクシデントの連鎖を防ぐために塩をまくのがボクらの世界。女性が上がったから土俵を清めるために大量の塩をまいた、というのは(報道は)残念。全くない」と肩を落とした。

 「単なるスポーツではない」といわれる相撲界。なかなか分かりにくい世界ではある。だからだろうか。同じメディアでも専門業界の外で、誤解されるような報道も昨年末から多々あった。もちろん角界も、考え直さなければならない問題を抱えている。今は、不本意なものもあろうが、メディアに取り上げられることで盲点だった角界の常識を見直す良い機会、ととらえればいいのではないか。それも懐の深さ。もちろん、今回の「塩問題」は論をまたないと思うが。

意外かもしれませんが…貴乃花親方は人間味ある親方

厳しい表情で会見する貴乃花親方(撮影・岡本肇)


 「一兵卒として出直して精進します」と言った、貴乃花親方(元横綱)。弟子の十両貴公俊が春場所8日目の3月18日に、支度部屋で付け人へ暴行。元横綱日馬富士関の傷害事件の対応を巡って相撲協会と対立していた貴乃花親方は窮地に立たされる形となった。心をあらためたのか、初日から無断欠勤や早退が続いていたが、暴行が発覚してからは毎日まじめに“出勤”するようになった。そして13日目の23日、内閣府に提出していた告発状を取り下げる意向を明かした時に言った言葉が、冒頭の言葉だ。

 「一兵卒」という言葉は、私たちの普段の生活ではあまりなじみのない言葉のような気がする。疑問に思った報道陣から「あの言葉はどこから」と問われると「一兵卒という言葉が頭にあって。親父からも育てられてますので」と明かした。師匠でもあった父の元大関貴ノ花(故人)の教えだったという。だから何だ、と言われたらそうだが、何となく「へー」と思った。このやりとりは、千秋楽の25日の朝稽古後のことだった。

 実は朝稽古では、報道陣とざっくばらんに話すことが多かった。テレビや新聞で取り上げられるのは、どうしても協会との対立姿勢に関する言動ばかりになってしまう。ただ、その裏ではこんなやりとりもある。

 雨が降った日だった。貴乃花部屋の稽古場は、京都・宇治市の龍神総宮社の敷地内にあるのだが、雨宿りする所がない。とは言いながらも、稽古場の横に長ベンチが置かれた屋根付きのスペースがあるにはあるが、敷地内での写真撮影や力士への取材が規制されていたので、何となく記者の間では近寄りがたい雰囲気があった。傘をさして遠目から見ていると、貴乃花親方が話しかけてきた。「こちらへどうぞ」。優しく記者らに話しかけてきて、そのスペースに誘導してくれた。たまたま1番後ろにいた記者は、右手でそっと背中を押された。「平成の大横綱」のパワーを感じた、と言うのは大げさかもしれないが、「こんな一面があるのか」と思った。

 またある日は、報道陣に対して「朝早くから大変ですね」と気遣う時があった。「どこから来たんですか?」と、逆取材するほどだ。会場のある大阪市内の宿に泊まっている各社の記者は、6時過ぎには稽古場に着くように、大阪から始発の5時の電車に乗って通っていた。なぜなら、7時ごろには朝稽古が終わってしまうからだ。それを逐一真面目に説明すると「そうなんですか」「へー」「大変ですね」と驚きの表情で返してくる。生意気言わせてもらいますが、本当に大変でした。

 千秋楽の朝稽古後、いつもなら報道陣に対応する時間になっても、稽古場の周りをうろうろしていた。弟子が全員宿舎に戻り、稽古場の明かりが消えても1人でずっとうろうろ。1時間弱がたち、ようやく報道陣の前に来ると「落ち葉拾いです。若い衆は若い衆できれいにしていたけど、目が届かないところもあるので」と、稽古場周りをうろうろしていた理由を説明した。

 メディアで取り上げられるのは、無表情だったり、無言だったり、淡々と話したり…。人間味をあまり感じない、という読者もいたのではないだろうか。だが、決してそんなことはないというのが、朝稽古の取材で感じ取ることができた。記者は貴乃花親方を批判するつもりでも、擁護するつもりでもこのコラムを書いた訳ではない。ただ、1人でも多く「へー」と思ってくれる読者がいればいい、と思い執筆しただけです。【佐々木隆史】

貴乃花親方「弟子と一緒に育っていく」貴源治と稽古

祝勝会の途中で報道陣の質問に答える貴乃花親方(撮影・鈴木正人)


 珍しい光景だった。千秋楽の朝、稽古場にいた貴源治が大柄の男と四つに組み合っていた。稽古場に記者は入れないため、外から窓越しに様子をうかがう。目を凝らして見ると、大柄の男は貴乃花親方だった。

 この日、7番相撲で勝ち越しを決めた貴源治にとっても驚きだった。「手取り足取りこうした方がいいと初めて言ってもらった」。効果てきめんだった。

 貴源治の双子の兄・貴公俊が付け人に暴行したことを、貴乃花親方は自分の責任だとした。元横綱日馬富士関の傷害事件の対応を巡り、日本相撲協会と対立。ピリピリとした雰囲気が、弟子に悪い影響を与えたと後悔した。だからこそ「少しでも気分転換になれば」と場所後半からは、これまでよりも近い距離で身ぶり手ぶりでの指導が増えた。

 「何が何でも師匠は師匠。親方が代わったら相撲を続けられない。2度と同じことが起きないように、部屋全体でなくそうとやっていきたい」と貴源治。貴乃花親方は「弟子と一緒に(自分も)育っていくべきだと思う」と決意した。師匠と弟子、一心同体で苦難を乗り越えようとしている。【佐々木隆史】

関取最軽量94キロの課題、10敗の炎鵬に重さの壁

炎鵬(2018年3月6日撮影)


 現役関取最軽量94キロで新十両の西14枚目炎鵬(23=宮城野)が180キロの徳勝龍に押し倒された。左への変化は見きられた。突き押しで体を起こされ、潜れなかった。「(考えたことが)空振りでした」。負け越しは決定済みで幕下陥落は確実の中での10敗目。今場所の十両の平均体重は156・3キロ。重さの壁を痛感している。

 炎鵬の兄弟子、平幕の石浦が言う。「友哉(炎鵬の本名)にはいろんなアドバイスがあると思う。『今のままでいい』とか『もっと太れ』とか。僕は太る努力をして欲しい。きっと違う世界が見えるので」。自分も小兵。13年初場所の初土俵時は96キロで、116キロの今も幕内最軽量だ。かつて無理に120キロにし、前に落ちる負けが続いた。やって初めて分かること。そこを知ってほしいという。

 炎鵬は十両を肌で知り、思うことがある。あと何キロ必要か。「10キロ。110キロあればそれに越したことはない。でも(せめて)105キロあれば、もっと相撲になる」。100キロ未満力士の新十両は01年初場所の小緑(99キロ)以来だったが、きっと身も心も大きくなって、十両に戻ってくる。【加藤裕一】

関取と付け人は互いに高めあうもの

貴公俊(左)と貴乃花親方(2018年1月18日撮影)


 貴公俊が付け人を殴って問題になった。「付き人」でなく「付け人」。親方が部屋の若い衆(幕下以下の力士)を関取に付けるから「付け人」と言われる。一般的に十両以上は関取1人に対し、2、3人が付く。仕事は多い。支度部屋で着替えを手伝ったり、準備運動で対戦相手の代わりになったり、風呂場で背中を流したり、タクシーを手配したり。定期的に付け人を入れ代える部屋もあれば、10年以上にわたって代わらないこともある。師匠の考えが、そこに反映されるのだ。

 関取未経験の若い力士にとって、付け人を務めることは貴重な経験になる。十両や幕内のピリピリした雰囲気を肌で感じ、関取衆がいかにして取組に向けて集中力を高め、準備していくかを目の当たりにできる。

 関取にとっては、付け人の実力を心身ともに引き上げることも大事な仕事だ。相撲のいろはを教え、関取の立ち居振る舞いも学ばせる。横綱稀勢の里、大関高安らも、かつては若の里(現西岩親方)の付け人を経験して、関取として巣立っていった。

 付け人が関取の「戦力」になることもある。番付は下位でも、観察眼に優れ、作戦を練る上で付け人が頼りになる場合も多い。近年では、安美錦と扇富士(引退)、豊ノ島と豊光(引退)、北太樹(現小野川親方)と太田などはその典型だろう。名参謀として、関取の頭脳にもなっていた。

 実は今場所、役員選挙の感情のもつれがきっかけで、ある幕内上位力士の付け人が交代したと聞いた。これまで、ある部屋から借りていた付け人を、あえて借りなくなったという。生々しい人間らしさこそ大相撲の魅力の1つだが、そこはやはり力士が力を出せる環境作りを望みたい。

 関取が取組で勝った時、支度部屋に残ってモニターを見つめていた付け人が「よっしゃ!」と自分のことのように喜ぶ光景は、いつみても和む。旭天鵬(現友綱親方)が優勝した時、花道の奥で付け人たちが涙を流して迎えたシーンも有名だ。互いにいい関係でありたい。【佐々木一郎】

46番目の相撲部屋、西岩親方が語る将来

西岩親方(後列中央)と西岩部屋の力士(西岩親方提供)


 今場所から46番目の相撲部屋として、西岩部屋が始動した。師匠は元関脇若の里の西岩親方(41)。稀勢の里、高安らの兄弟子で、田子ノ浦部屋の部屋付き親方から独立した。弟子は序二段2人と、前相撲で初土俵を踏んだ3人。今場所は大阪市の田子ノ浦部屋の近く、東京では浅草に部屋を構えている。

 部屋付き親方もマネジャーら裏方も不在で、既存の部屋を継承したわけでもない。まったくのゼロからスタート。1年前に入門した19歳の若佐竹が最年長で、5人全員が未成年。西岩親方は「相撲の取り方も、ちゃんこの作り方も知らない。だから朝は一緒にまわしを着けて稽古し、ちゃんこも作る。夜も毎日、一緒にちゃんこを食べる。新弟子生活に戻ってます」と笑う。

 独立すれば後援者との付き合いも必要だが「皆さん部屋に来てもらって、一緒にちゃんこを食べます。弟子は本当の子どものようなもの。それを置いて自分だけ外で食べることなんてできない」。まっすぐな姿勢を理解してもらっている。

 今は稽古で胸を出しても「全員1ミリも押せない」という。だが「将来、自分が羽目板にぶつけられる日が来たら、こんなうれしいことはない。現役時代は屈辱的だったのにね」。部屋について語る時は終始、目が輝いていた。【高田文太】

3場所連続ゲットの離れ業、不戦勝に愛された力士

勝ち名乗りを受ける魁聖(撮影・渦原淳)


 東前頭6枚目魁聖(31=友綱)が労せず勝った。この日の対戦相手、貴景勝が休場。朝稽古中に“朗報”を受けた。相手を思えば手放しで喜べないが、心の中で「ばんざ~い! 休みだ~!」と叫んだ。思わぬ10勝目。疲れのたまる終盤戦で、しかも怪物・逸ノ城に初黒星を喫した翌日の不戦勝に「昨日で全部パワー使って筋肉痛だったんで」と笑った。

 不戦勝・不戦敗制度が始まった1928年3月以降、魁聖ほど不戦勝に愛された力士はいない。16年名古屋場所で史上21例目の「1場所2個」(初日=大砂嵐戦、7日目=琴奨菊戦)を経験し、今回は17年九州場所3日目の碧山戦、初場所6日目に安美錦戦に続き、3場所連続ゲットの“離れ業”となった。

 通算獲得数10個は出羽錦の11個に次ぎ、栃乃洋、魁皇に並ぶ史上2位。他の3人は全部幕内で手にし、幕内在位数は出羽錦77場所、栃乃洋81場所、魁皇107場所だが、魁聖は最初の1個を手にした十両の6場所を含めても、まだ46場所。驚異の“ごっちゃん率”なのだ。

 「みんな、オレの時に休んでくれて優しいね」と冗談が口を突く。鶴竜とは残り4日でまだ1差。強運が最高のフィナーレを呼ぶかもしれない。【加藤裕一】

白鵬の「すっきりしたか?」に豪風が出した答え

碧山を突き落としで破る豪風(左)(撮影・岡本肇)


 西十両1枚目の大ベテラン豪風(38=尾車)が10日目で勝ち越しを決め、再入幕に大きく前進した。相手は、幕内のV戦線に残る碧山。土俵は中入り後の幕内。当たり勝ち、突き落とした。「勝ち越しまで長期戦になるなと思っていたんですが…」と振り返った。

 決意の春だ。東前頭13枚目の初場所で5勝10敗、十両に落ちた。05年夏場所から77場所、12年半守った幕内から陥落した。「糸が切れた。引退ってこういうものか、と」。それでも悩んだ。約2週間、稽古場に下りず自問自答した。2月10日のNHK福祉大相撲で、白鵬に声を掛けられた。「すっきりしたか?」-。「僕がすっきりした顔をしていたのか…」。出ていた答えを、教えてもらった。

 心機一転の今場所は、すべてを変えた。マウスピース、テーピングバッグ、部屋の照明…。02年秋場所の新十両記念に尾車親方(元大関琴風)から贈られたまわしを引っ張り出し、締めて臨んだ。「十両の土俵も立派。でも、十何年も幕内で相撲を取った人間が、1つ下で…。その土俵に上がれたのは、今は誇りですね」。夏場所初日の5月13日には「38歳10カ月」。再入幕となれば、昨年九州場所で安美錦が記録した「39歳」に次ぐ、2番目の年長記録(昭和以降)になる。【加藤裕一】

背中で語る勘太夫 緑のこだわり

式守勘太夫の後ろ姿を採用した春場所のポスター(C)日本相撲協会


 今場所のポスターは、行司の後ろ姿の写真を使ったデザインだ。春を思わせる緑色の装束が話題となっているが、この後ろ姿は三役格行司の式守勘太夫(58=高田川)。立行司の式守伊之助がセクハラ行為で謹慎中で、初場所から結びの一番を合わせている。勘太夫は「背中で伝わるものがあったと、いいように解釈しています」と、少し恥ずかしそうに笑顔を見せた。

 一方で緑色へのこだわりが、今回のポスターにつながったことには喜ぶ。写真は昨年夏場所の装束だといい「緑や青は、力士のように大きな体を締まって見せる効果がある」と分析。緑色の装束を多く所有しているのは「幼少からミドリガメを飼うのが大好きだった影響。本能的に緑を好むようになった」という。

 ミドリガメ好きは物心ついたころから、現在まで続いている。生息していそうな池などへ出向いたり購入したり、地方場所にも連れて行く。今はちょうど不在だが、昨年9月までは継続的に飼っていた。「ミドリガメや緑色を見ると、子どものころの景色を思い出してリラックスできる」。判断力が求められる行司だからこそ、こだわりのをまとい、一瞬にかける。【高田文太】

木崎と木崎海、兄弟関取へ切磋琢磨

兄の木崎(左)と弟の木崎海(撮影・加藤裕一)


 三段目付け出し100枚目格の木崎海(22=木瀬)が加美豊を押し出し、4連勝を飾った。強豪・鳥取城北高を経て、名門・日大で昨年の全日本選手権3位。今場所の新弟子43人中1人だけ、前相撲を取らずにデビュー。ただ中身は…。この日は土俵を下りる場所を勘違いし、支度部屋への道も間違えかけた。「ずっと東の支度部屋で、西が初めてだったんで…」と初々しい。

 木崎海には2歳上の兄がいる。東幕下7枚目木崎。アマチュアのルートは同じで、ポーランド開催の10年世界ジュニアで重量級優勝。この日は負けて2勝2敗となった。

 兄弟関取の歴史は江戸時代に始まる。初関取場所が1770年11月の釈迦ケ獄と1774年10月の稲妻が第1号。兄弟横綱になった若貴兄弟は10組目、今場所「初の双子関取」となった貴源治、貴公俊が19組目。現在、20組目に最も近いのがいずれも幕下の若隆景、若元春、若隆元3兄弟だ。

 木崎は「弟に負けられないって思いです」と言いつつ、15日間の過ごし方などの助言を送る。今場所の目標を「7戦全勝」という木崎海は「2年で関取に」。兄弟でいてライバル。切磋琢磨(せっさたくま)するには、間違いなく最高の存在だ。【加藤裕一】

3度目の再出場 琴勇輝の相撲道

琴勇輝(17年8月3日撮影)


 平幕の琴勇輝が、相撲愛全開で土俵に戻ってきた。4日目に「右踵腓靱帯(しょうひじんたい)損傷により、1週間の休業・療養が必要である」との診断書を提出して途中休場したが、この日に再出場。再出場は今回が3度目で、幕内で3度の再出場は平成以降では最多となった。

 途中休場するとそのまま休場する力士が多い中、なぜ琴勇輝は再出場するのか。この日は鋭い出足で攻めたが、千代の国に押し出されてたまり席にまで転がり落ちた。支度部屋で、右足首に巻いてあるテーピングを外しながら言った。「どんな形でも相撲を取りたい。勝ち負けは関係なくて、土俵に上がりたい」。相撲を取りたい純粋な気持ちが、琴勇輝の背中を押す。

 今場所はいまだ白星がなく、さらに黒星が増えると来場所は十両陥落の危機だ。しかし、心強いデータがある。再出場した過去2場所(15年春、17年夏)は偶然、今場所と同じ西前頭12枚目で、再出場後も白星を重ねて翌場所は幕内にとどまっている。「知らなかった。いいですね、それ。そのジンクスに応えられるように頑張ります」。最後まで諦めなければ、土俵の神様がきっとほほ笑んでくれる。【佐々木隆史】

序の口Vへ、納谷が朝青龍おい豊昇龍撃破

豊昇龍(左)と激しい取組をする納谷(撮影・鈴木正人)


 元横綱大鵬の孫、東序ノ口18枚目納谷(18=大嶽)が元横綱朝青龍のおい、西同19枚目豊昇龍(18=立浪)を寄り倒しで破った。同学年のライバル対決で、高校、前相撲に続き3戦全勝。立ち合いから左を差し、前に出ながら、左四つで両まわしをつかみ、最後は170キロの体を預けた。泰然自若の取り口で、豊昇龍の激しさをのみ込んだ。

 「負けたくない相手です。絶対に勝つという気持ちでした」。それでも点数は「50点」-。「僕のベースは突き押し相撲。突き放していけなかったので」。2戦2勝同士の一番を制して3戦全勝。57年初場所で祖父が逃した序ノ口優勝が見えてきた。

 優勝なら、角界人生に弾みがつく。だが、横綱への道に序ノ口Vが必須かといえば、そうでもない。前相撲成績優秀者がその場所で本割に入る「新序」がなくなり「前相撲→翌場所序ノ口デビュー」の定着した56年初場所以降、同順序を経た横綱は北の湖(74年9月場所昇進)以降18人。その中で序ノ口優勝経験者は5人。要は“その先”が大事なのだ。納谷は今後の抱負を聞かれ「しっかり前に出る相撲を取っていきます」。角界の頂点へ、ブレずに進んでいく。【加藤裕一】

デビュー以来休まず 臥牙丸が連続出場900回

臥牙丸(17年5月撮影)


<大相撲春場所>◇4日目◇14日◇エディオンアリーナ大阪

 巨体を揺すり、東十両5枚目臥牙丸(31=木瀬)が剣翔を寄り切った。5場所ぶりの幕内復帰へ。3勝1敗とした白星は、通算連続出場900回の節目で奪った。現役6位の記録だ。

 公称体重198キロは武器だが、足腰の負担もすごい。なのに06年初場所の序ノ口デビュー以来休んでない。「動けるデブ」と笑った後で「休んでいい位置にいたことがないからね」。新十両の09年九州場所から50場所。12年春場所の小結をピークにずっと関取だ。同郷ジョージアの盟友で、先場所初優勝した栃ノ心は13年名古屋場所で右膝靱帯(じんたい)を断裂、4場所連続休場で幕下陥落も経験した。「彼は強いから。僕は1度落ちたら、戻る自信がない」と話した。

 秘訣(ひけつ)はある。「お相撲さんは太った方がいい。僕は元々でかいし、そのタイプ。自分のタイプを守るのが大事」。公称198キロなので非公式? だが、昨年9月から20キロ増量し、現在210キロ。「最高は218キロ。今がちょうどいいね。減量して動けても、圧力なくなったら意味ないからね」-。ちなみに幕内の連続出場最長記録は1231回。最重量時200キロ超だった高見山。超大型は“無事これ名馬”に通じるのかもしれない。【加藤裕一】

暴行事件の余波か…春日龍がぶっつけ本番の弓取り式

弓取り式をする春日龍。行司は式守勘太夫(撮影・鈴木正人)


 西三段目48枚目の春日龍(33=中川)が、今場所から結びの一番の後に行われる弓取り式を務めることになった。当初は前任で東序二段25枚目の聡ノ富士(40=伊勢ケ浜)が、今場所まで務める予定だったが、今月に入ってから急きょ前倒しで交代することが決まった。弓取り式は横綱の付け人が務めるのが慣例。関係者によると、聡ノ富士が付け人を務めた元横綱日馬富士関が引退したことも、少なからず影響したという。暴行事件の余波は多方面に及び、白鵬の付け人が後任を務めることになった。

 春日龍はこれまで部屋のある神奈川・川崎市で行われた巡業で2度、弓取り式を務めたことがある。だがそれ以外の経験はなく、ぶっつけ本番に近い状態。初日を終えた後には「頭が真っ白だった」と、極度の緊張状態に陥った。さらに2日目には、結びの一番の直前にトイレに行きたくなった。行くか我慢するか迷ったが、慣れない化粧まわしを着けていることもあって世話人に我慢するよう諭された。まだ日々のリズムをつかめず初々しさを残す。

 3日目を終えた後は「課題はせり上がり。でもいろんな人がアドバイスをくれるので、ありがたいこと」と笑顔も見せた。慣れない中にも向上心にあふれていた。【高田文太】

出身地だけじゃない「ジョージア」懸賞の理由

ジョージアコーヒーの懸賞が懸かった栃ノ心の取組(撮影・岡本肇)


 ジョージア出身の栃ノ心が、「ジョージア」から応援を受けている。毎場所、さまざまな企業が新規で懸賞を出している中、今場所は日本コカ・コーラの缶コーヒー「ジョージア」の懸賞が、栃ノ心指定で1日1本付くことになった。

 出身名と同じだからという単純な理由ではない。実は、栃ノ心が来日してから愛飲していたのが缶コーヒー「ジョージア」だった。15年に日本の呼称が「グルジア」から「ジョージア」に変更。当時「ジョージアから懸賞つかないかなぁ」とアピールしていたのを伝え聞いた同社が、初場所での初優勝を機に懸賞を出すことを決めた。

 同社の広報担当者は「会社でも盛り上がっていました。あらためて優勝おめでとうございますと、これからも応援しています、という意味を込めて」とエールを送る。懸賞旗は栃ノ心が好きな「エメラルドマウンテン ブレンド」のデザインとなっている。

 初日こそ懸賞を受け取ったが、この日は初黒星を喫し、取り逃した。「せっかく付けてもらったから頑張りたいです」と栃ノ心。本場所も懐事情も熱くしたい。【佐々木隆史】

郷土とつながり強い相撲、被災地出身力士の3・11

東日本大震災の黙とうをする八角理事長ら三役力士たち(撮影・岡本肇)


 東日本大震災が起きた3月11日が初日と重なり、初日恒例の八角理事長(元横綱北勝海)の協会あいさつ前に1分間、黙とうの時間が設けられた。八角理事長は代表して「この場をお借りし、被災された方々には心よりお見舞いを申し上げ、追悼の意を表します」とあいさつした。関係各所にも震災が起きた午後2時46分を目安に、同様に黙とうするよう通達されていた。

 それに先立ち、被害の大きかった福島・相馬市出身で序二段の森(25)、同県南相馬市出身で序ノ口の東山(23)という玉ノ井部屋の2人が土俵に立った。東山は敗れたが、今場所で東政馬から改名した森は、白星発進。もろ差しを許しながら左四つに巻き替え、最後は寄り切り「心機一転、改名初戦で勝ててホッとしたし、特別な日なのでうれしい」と笑顔を見せた。

 ともに震災当時は入門しており、家族と1週間以上連絡がつかず、不安な日を過ごした。だからこそ東山は「自分の相撲で地元が少しでも元気になれば」と、負けたもののこの日に懸けていた。取組前に出身地がアナウンスされるなど、相撲は他のスポーツ以上に郷土とのつながりが強い。八角理事長は「(震災を)忘れていないということ」。6年ぶりに3月11日が初日となった協会あいさつに込めた思いを振り返った。【高田文太】

若い力注目!サッカー馬場、空手神谷が大相撲へ転身

神谷元気(左)と馬場蒼


 春場所の新弟子検査を取材した。検査場は大阪警察病院。受検者は43人。他の5場所は10人前後だが、卒業シーズンにあたることもあって、飛び抜けて多い。ちなみに中学卒業見込みが25人もいた。

 他競技のトップアスリート2人が目を引いた。

 東関部屋の18歳、馬場蒼(ばんば・そう)は、サッカーからの転身。全国高校選手権で優勝経験のある強豪、滋賀・野洲高で正GKだったというから“本物”である。レギュラーだった3年の時こそ、全国出場を逃し県予選4強止まりだったが、1、2年時は控えGKで出場した。

 「高校に入る前から、卒業したら(角界入りを)決めてたんです。ラグビーやってた父に『相撲やらないか?』と勧められて、名古屋場所で東関部屋に1週間、お世話になって(相撲が)おもしろいな、と思ったので」

 4歳から京都サンガのスクールに通っていたサッカー少年が、掛け値なしの、男と男の1対1のぶつかり合いに魅了された。181センチ、84センチの体は見るからに筋肉質。「みんなに『男になってこい』と言われています。3年で関取になりたい」と決意を語った。

 陸奥部屋の15歳、神谷元気は空手からの転身だ。ありがちなパターンだが、実績がすごい。元祖フルコンタクト系の極真空手で、ジュニアの世界大会2位、全国大会優勝。「最初はサッカーしてたんです。で、空手で足腰強くしたら、シュート力が上がると思って始めたら、おもしろくて…」。

 相撲転身を決意したきっかけは「空手で相手がいなくなったから」という。宮崎県川南町の川南道場に所属していたが、道場生が自分と女子の2人だけ。“出稽古”で鍛え、のし上がったが、身近に競い合えるライバルがいなくなった。国光原中3年の昨年10月、担任の先生の紹介で、東関部屋の宮崎合宿に体験入門した。当たり前だが、かなわなかった。そこそこあった自信が粉砕され、格闘魂に火がついた。

 「悔しかったです。でも、倒れちゃいけない、蹴りが使えないというのがおもしろかった」。自慢の正拳突きを掌底に、そして突き押しに生かして、押し相撲の道を歩むつもりだ。

 春場所では、元横綱大鵬の孫、納谷と元横綱朝青龍のおい、豊翔龍が序ノ口デビューする。馬場、神谷ら新弟子は、まず3日目からの前相撲。関取衆だけでなく、若い力に注目するのも楽しそうだ。【加藤裕一】

パワースポット的存在「お相撲さん」が角界危機救う

栃ノ心(18年1月27日撮影)


 市民にとって、力士は動くパワースポットのような存在なのだろう。1月の初場所で初優勝した栃ノ心は、直後の2月3日、節分の豆まきに参加した際、約200人もの赤ちゃんを抱っこしたという。力士に抱っこされた赤ちゃんは丈夫に育つという、古くからの言い伝えにならい、多くのママさんから頼まれた。中でも優勝したばかりの力士となれば、最高に縁起がいいと思うのも当然。休みなく抱っこしては記念写真を撮影を繰り返す時間が続いたが、栃ノ心は「いいトレーニングになったよ」と、笑って振り返った。

 また横綱土俵入りには、地鎮と邪気を払う効果があると古くから言われている。11年6月に日本相撲協会として行った、東日本大震災の巡回慰問で被災地を回った際には、当時1人横綱だった白鵬が、連日2カ所の慰問先で土俵入りを披露した。岩手・山田町の関係者からは「土俵入りの後は、3月11日以降毎日続いていた余震がおさまった」との連絡が入った。当時の白鵬は「そう思ってもらえただけで慰問した意味があった」と喜んだ。神事の側面が強い競技だけに、古くからの言い伝えも多く残っており「ありがたい」と思われる機会が多い点は、他のスポーツと大きく異なるところだ。「お相撲さんは気は優しくて力持ち」という理想を求められる。

 だからこそ、元横綱日馬富士関による暴行事件から始まった一連の不祥事への世間の目は厳しい。パワースポットだと信じ、時間もお金もかけて休みの日に出向いたのに、後から「そんな効果はまったくありません」と言われたら-。裏切られた気持ちが強くなるはずだが、今の市民の感情は、それに近いような気がする。花道を入退場する際に、体に触れるだけで御利益があるように思われる存在であり続けてほしいからこそ、厳しい目を向けられる。

 2月に日本相撲協会が行った研修会に、講師として招かれた箱根駅伝4連覇を達成した青学大陸上部の原晋監督は「箱根駅伝も注目を浴びるがその代わり、逆に何かやらしかたらバッシングをされる。なぜなら多くの皆さんに愛されているから。皆さんも多くの皆さまに愛されているんです」といった内容を、親方衆や力士に向けて話した。注目度が高い分、自ら襟を正していく必要性を訴えた。

 本気で更生しようとする姿が見える人に、バッシングを浴びせるほど世間は冷たくないと思う。世間から見放され、バッシングも浴びないような状態になることこそ、本当の意味で相撲界の危機。本場所では満員御礼が続き、人気を維持しているようにも見えるが、表面上のものかもしれない。今が今後を左右する正念場と思って、本気で変わろうとする姿を見せなければ、親しみのこもった「お相撲さん」という呼び方さえも、将来は死語になってしまう可能性がある気がしてならない。【高田文太】

鶴竜、背水の陣だった初場所 師匠が語るV逸の原因

鶴竜(2018年1月26日撮影)


 12年夏場所の旭天鵬以来となる、栃ノ心の平幕優勝で幕を閉じた初場所。自慢の怪力を武器に初日から千秋楽まで好調を維持して、14勝1敗と大勝。安定感のある相撲に記者は連日、「もしかしたら」の思いが強まっていった。しかし1敗を喫した7日目。「もしかしたら」の対象は、栃ノ心に土を付けた横綱鶴竜(32=井筒)に変わった。

 4場所連続休場中の鶴竜は、初日から10日目まで白星を並べて単独首位に立っていた。横綱白鵬、稀勢の里が途中休場して、“1人横綱”で臨んでいた分、力も入っていた。そして何より、師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)が次に出場する場所で進退を懸けることを明言していたからこそ、さらにやる気に満ちあふれていた。しかし、11日目に初黒星を喫すると、ずるずると4連敗…。支度部屋でもネガティブな発言が目立った。

 敗因はどこにあったのか。2連敗を喫した翌日の13日目に、いつもは多くを語らない井筒親方が、こう分析した。

 「序盤はスピードもあったし反応も早かった。疲れのピークじゃないですかね。引いてね。下がった時はダメ。攻めてる時はいいんだけど。ちょっと疲れたり、負けたりすると悪いクセが出る。10連勝したことで余計なことを『もしかしたら』と考えたかもしれない。とりあえず2桁勝てて、背水の陣の場所でどこかで安心したかもしれない。安心感と優勝したい気持ちが矛盾したと思う。勝ち急いだと思う」。

 そしてぽつりと

「私自身も安心しましたね」。

 弟子の背水の陣の場所に、師匠も大きなプレッシャーを背負っていた。

 油断して負けた、気持ちが切れて負けたと言えばそうかもしれないが、実は左足首が限界を感じていた。昨年の1月ごろから疲労がたまると軟骨同士がぶつかって痛みが出ていたといい、毎場所後半は衝撃緩和のためにヒアルロン酸を打って土俵に上がっていたという。初場所も中盤からやはり痛みが出ていて、朝稽古を休み整体で治療を行うなどして、昨年春場所以来に15日間を完走した。

 そして場所後には、左足首の遊離軟骨を除去するために内視鏡手術を受けた。春場所(3月11日初日、エディオンアリーナ大阪)は出場できるのか、と思ったが「(春場所に)間に合わせるために早めにやった」と前向きだった。次こそは、賜杯を抱けるだろうか。【佐々木隆史】

外国出身力士の人数制限、門戸拡大にかじ切っても…

日本記者クラブで会見した栃ノ心(2018年2月14日撮影)


 初場所で初優勝を平幕で飾り祝福ムードに包まれる栃ノ心(30=春日野)。2月は巡業がないだけに、各種イベントに引っ張りだこ。もちろん稽古も欠かさないから忙しいこと、この上ない。それも優勝力士しか味わえない“特権”。嫌な顔一つ見せず取材やインタビューに応じている。

 そんな栃ノ心が少しばかり、もどかしそうに話したことがある。それはある意味、角界の懸案事項ともいえることだと感じた。

 2月14日、日本記者クラブで開かれた記者会見。スポーツ界に限らず、旬の人を招き広くメディアを通じて、人となりを発信していく場だ。その質疑応答で、開催中の平昌(ピョンチャン)五輪での選手の活躍について聞かれた時だ。自分が小さい時からサンボや柔道で汗を流したことに触れ、オリンピアンには「国のためにも自分のためにも頑張ってほしい」と話し、さらに続けた。

 栃ノ心 私の国には、相撲ではないけど柔道、サンボで体の大きい人はいっぱいいる。その中には、相撲界に入りたいという人もいるけど、協会の決まりで1部屋に外国人は1人しか入れない。今の状態は、ほとんどの部屋に(外国人力士が)入っている。だから(今の状態では入りたくても)入れないのかな。

 栃ノ心によれば3年ほど前に、母国ジョージアから角界入りを志願し2人が来日し、2カ月ほど滞在したが夢かなわず、やむなく帰国したという。

 栃ノ心 今も相撲界に入りたいという人がいる。でも、なかなか入れない。入っていない(=外国人が在籍していない)部屋があれば入れてあげたいけどね。

 現在、力士総数約650人のうち約5%を占める外国出身力士。初場所番付でみれば、関取衆は約27%の19人を占める。1934年に平賀(日系米国人)が角界初の外国人力士として初土俵を踏み、以来、曙と武蔵丸の両横綱らを輩出したハワイ出身の米国勢、前人未到の40度優勝の白鵬らモンゴル勢、さらに大関に君臨した琴欧洲、把瑠都ら欧州勢も角界隆盛の一翼を担ってきた。

 1部屋の人数制限は、92年から2人まで(全体で40人以内)、02年からは1人だけに限られた(10年からは日本国籍を取得した者も「外国出身力士」として1部屋1人までに制限)。その規約も、そろそろ門戸拡大にかじを切ってもいいのではないか。拙速ではない、緩やかな改革の1つとして。

 角界に“外国人アレルギー”があっても不思議ではない。取材を通じて、日本の美徳とは離れた立ち居振る舞いを感じることもあった。それは入門の際、相撲とはかくあるべきもの…と徹底的に教え込み、機を見て各師匠が言い聞かせればいいのではないか。前述した「日本の美徳とは離れた立ち居振る舞い」は一部の力士に感じたことで、むしろ高見山から始まり、栃ノ心にも感じる“日本人らしい外国人”の方が多かったような気もする。国際化せよ、などとはいわない。日本の伝統文化を発信する懐の深さも公益財団法人として、あってもいいのではないだろうか。【渡辺佳彦】

阿炎そこまで言ってええんかい、美徳と対極の語録

阿炎(2018年1月28日撮影)


 沈黙が尊ばれるのが角界です。北勝富士、千代大龍、松鳳山とか、よくしゃべる力士はおるけど、基本的に言葉数は少なく、声かて小さい。担当になりたての頃「でっかい体やねんし、もっと大きい声でしゃべれんか?」と、自分が“男のおしゃべり”を地で行くだけに、かなりイライラしたもんです。そんな美徳の対極にいるんが、阿炎(あび、23=錣山)です。

 初場所が新入幕やったちゅうのに、おもろい。言いたい放題ぶりは「…おいおい、そこまで言ってええんか?」と心配になるほど。その“語録”を少し並べてみましょか。

 「絶対勝ってたな~」「負けるたびに三賞の夢が遠のいていく」(初日、大栄翔に敗れて黒星発進)

 「3連勝したら、次はだいたい負ける。(十両の)先場所もそうだったし…」(5日目に3連勝)

 「よく“変わって負けたら悔いが残る”なんて言いますが、僕はないです。変わったのは勘を信じたから。悔いは残りません」「親方に怒られるかな…。でも、いい。怒られても、勝ちゃあ何でもいい」(中日、立ち合いで左に飛んで、巨漢の大奄美を押し出す)

 「体重は間食で増やしました。カップ麺いいですね。中でもシーフードが一番好き。毎日食べてます」(9日目)

 「20代前半の全員に負けたくない」(10日目、1学年上の豊山に負けて)

 …とまあ、しゃべること、しゃべること。

 何でそこまでしゃべるのか? 勝てば敢闘賞だった千秋楽を白星で終え、10勝5敗。見事に三賞を手にして、阿炎自身がビッグマウスのわけを明かした。

 「番付発表の時に“三賞独占”なんて言ったし、その後も三賞、三賞と言ってましたけど、正直勝ち越しで十分でした。盛ってました。盛り盛り。怖いぐらいの結果です。大きいことを言わないと燃えない。すぐ落ち込むタイプで、無理にでも気持ちを上げていかないとダメ。だから、でかいことを言う」

 自分で言って、自分をその気にさせる。

 「言霊ッスね」

 その言い方がまたチャラくて、どこまでも「ほんまかいな?」と思ってしまうけど、きっとそうなんでしょう。

 男は黙って勝負ってな武骨なタイプもええ。ただ、阿炎のような存在が、相撲をよりおもしろくするんやないか、なんて思う今日この頃です。【加藤裕一】

相撲技術の進歩を止めないか?張り手封印で思うこと

白鵬(2018年1月17日撮影)


 横綱白鵬(32=宮城野)の立ち合いの張り手、かち上げが話題となって久しいが、実は世間の多くの声と相撲界の認識は違うように感じる。昨年12月に横綱審議委員会(横審)の北村委員長が「美しくない」「見たくない」といった投書が多く届いているとして、白鵬の立ち合いの張り手、かち上げに注文を付けた。「横綱のものとは到底、言えないだろう」などと厳しかった。これを合図に、白鵬にとって立ち合いの張り手、かち上げは禁じ手のようになり、初場所では1度も出さなかったが、3日目から連敗して5日目以降は休場した。

 休場の直接的な要因は、両足親指のけがだった。それでも多くの現役力士や親方衆の目には、張り手、かち上げを出せずにリズムを崩しているように映ったようで、同情の声も多く聞こえた。中でも熱弁を振るっていたのは幕内の千代大龍だった。「まるで張り手、かち上げが、ものすごく悪いことのように言われているけど、土俵で戦う相手としては、あれだけ隙だらけの立ち合いをしてくれたら本当はラッキー。それでも勝ってしまう、その次の攻めへの速さ、引き出しの多さが横綱(白鵬)の強さ」と語った。同様に「張り手、かち上げ=チャンス」と、対戦相手ならとらえるという声は次々と聞こえてきた。

 いわゆる「横綱相撲」の理想は、史上最長69連勝の記録が今も破られていない、双葉山の「後の先」という声はよく耳にする。立ち合いで相手を真正面から受け止めつつ、先手を奪っているといった取り口こそ「横綱相撲」だとする好角家は多い。

 私が約6年間相撲担当を離れる以前の10、11年ごろ、白鵬も双葉山とその代名詞の「後の先」を目標に掲げていた。当時、1人横綱だった白鵬の強さは頭ひとつ抜けており、双葉山に迫る63連勝も記録。当時も時折、立ち合いで圧力のある相手には、張り手(張り差し)を見せる場面もあった。だが数少ない黒星は、立ち合いで張り手を出し、がら空きとなった脇を差されるケースがほとんど。白鵬自身も周囲も悪癖ととらえ、改善を誓っていたように記憶している。

 それが6年ぶりに担当に戻り、すっかり立ち合いの定番になっていた。少なからず当時よりも、立ち合いでパワーとパワーの真っ向勝負に応じては、分が悪いと感じる相手が増えたのかもしれない。相手の圧力を抑え、脇ががら空きとなるリスク覚悟の張り手、かち上げに活路を見いだし、頼らざるを得なくなったのかもしれない。

 プロレスのエルボースマッシュに近いかち上げは、下手をすれば対戦した力士生命を脅かす危険性があり、封印や改善の必要があると思う。一方で張り手は、そういった危険性は少ない上、繰り出す方には相応のリスクがあり、対戦相手にとってもチャンスとなる。純粋に観戦する側としては、両者の駆け引きや、張り手に動じずぶちかます相手力士の姿など、心を震わされる場面に遭遇する可能性が高まる。張り手まで封印すると、そんな観戦の楽しみが1つ減るような気がしてならない。

 大相撲に限らず、プロ野球などを含めてプロスポーツには、これまで数多くの「名勝負」と呼ばれる人気の対戦があった。張り手を繰り出すかどうか、駆け引きを含めて楽しむことができれば、新たな名勝負になるかもしれない。千代大龍は、こうも付け加えていた。「結局、あの張り手で勢いを止められている自分たちが弱い。もっと強くならないと」。あらゆるスポーツは、技術の進歩の連続。1つの技が生まれたら、その技を打ち破るための技を編み出すことで、競技の発展につながった。白鵬の張り手を打ち破る、革新的な技術、勇気と実力のある力士は生まれるのか。そんな未来を見てみたい気もする。【高田文太】

相撲協会、春場所で「赤ちゃん抱っこ撮影チケ」検討


 日本相撲協会による今年初の試みをいくつか紹介する。両国国技館には、2つの新しいスペースができた。1つは授乳室だ。これまでは相撲診療所に設けられたが、より観客席に近い場所にできた。入り口には女性スタッフが在駐している。もう1つは、無料写真撮影場所。相撲にちなんだフレーム付きの写真を撮ることができ、それを2次元コードで読み取れば携帯電話に保存できる。協会関係者は「家族や外国人、シニアの方など幅広い層の人が来てくれます。ほほ笑ましいです」と、ほおを緩める。

 3月の春場所でも、新しい試みをいくつか検討中だという。その1つが、赤ちゃん抱っこ撮影付きチケットの販売。東京やその他地方場所では、おなじみの大人気チケット。ただし春場所は、スペースが確保できずに断念してきた。しかし「大阪場所担当の親方衆とも話して、多くの子どもや家族の思い出に残って欲しいという話が出た」と、会場近くの建物を借りるなどして実施するという。

 昨年末から角界は、相次ぐ不祥事に揺れている。それでも本場所に足を運んでくれる観客のために、相撲協会なりの恩返しだ。【佐々木隆史】

朝赤龍「思い出残る引退相撲に」 長男と土俵入り

元関脇朝赤龍の錦島親方(2017年5月15日撮影)


 新たな船出の日-。そう思えば胸が躍る。ただ、同時にそれは長年の“相棒”との別れでもある。そうなると思いは複雑だ。「約18年か。寂しくなるんじゃないかな…。切った後、どんな髪形になるのかな?」。2月4日に引退相撲(両国国技館)を控える元関脇朝赤龍の錦島親方(36)は、断髪式ではさみを入れられるマゲに手を伸ばしながら静かに話した。

 引退相撲では十両、幕内取組のほか綱締め実演や初っ切り、髪結い、相撲甚句など通常の余興が行われるほか、取っておきの「ご披露」を用意している。同親方の最後の土俵入りだ。部屋の十両格行司・木村朝之助先導のもと、4歳になる長男と2人で務める。「来てくださる皆さんの思い出に残る引退相撲にしたい」と同親方。物心両面で支援してくれた関係者、ファン、何かと気にかけていた病気に苦しむ子供も観戦に来てくれる。さらに新たな思いも。「初めて相撲を見に来た人が『また相撲を見に行こう』『今度は本場所を見たい』と思ってくれたらうれしい」。真面目で実直な人柄そのままに、最後の土俵も立派に務める。【渡辺佳彦】

限定150部 時を忘れる相撲の歴史


 「大相撲錦絵 日本相撲協会 相撲博物館コレクション」が昨年末、徳間書店から発売された。相撲博物館所蔵の錦絵(カラーの浮世絵木版画)3000点超を劣化防止のためデジタル化、同館学芸員が選んだ249点をまとめた。

 雷電為右衛門ら江戸時代の伝説的力士、興行、巡業の模様などを東洲斎写楽、喜多川歌麿ら名だたる浮世絵師が描いた逸品が並ぶ。見ていて時間を忘れそうだ。化粧箱入りのオールカラー画集(324ページ、A3判、48ページのB5判解説書と別刷り錦絵2点付き)。シリアルナンバー入り、150部限定の豪華版。ただ当然、高い。税別18万5000円。売れるのか?

 それが、売れた。発売1カ月弱。「数部」(同担当者)というから、1部ではない。「文化的意義優先で、150部売り切って、収支はとんとんです。とはいえ…ドキドキしてました」と同担当者は喜んだ。

 好角家が買ったのか? 歴女なスー女か? 芝田山親方(元横綱大乃国)は発売イベントで愛用のステッキを手に、こう話していた。「これは2万5000円だけど、私は5万円でも買う。価値観の問題。相撲好きには、値打ちがあると思います」-。好きな人は、きっと一生楽しめる。唯一の取扱店、銀座 蔦屋書店で見本を手にとって見ることができる。【加藤裕一】

化粧まわしは兄弟子の借り物 豊昇龍「感謝」

新序出世披露で土俵に上がる豊昇龍(撮影・鈴木正人)


 元横綱朝青龍のおい、豊昇龍(18=立浪)も新序出世披露に臨んだ。三段目取組の合間、春場所から番付にしこ名が載る新弟子として、土俵で紹介された。「豊昇龍~!」と声も掛かった。「気持ちよかったです」と笑みを浮かべた。

 破格の扱い? だった。化粧まわしは兄弟子の新十両天空海(あくあ)に借りたが、実は新品。持ち主がこの日の十両土俵入りで初披露する前に、使わせてもらった。「びっくり。天空海関に本当に感謝です。うれしかった」と話した。

 不思議な縁もあった。色は元朝青龍が使ったこともある金。「叔父さんと一緒です。太陽の色。僕も関取になって化粧まわしを着ける時は金色にしたい。きっと天空海関を思い出します」。デザインはコイの滝登り。故事では昇って竜になる。しこ名と同じ“昇龍”だ。報道陣にそう説明されると「すごい!」と目をむいて驚いた。この日は兄バンザラクチさん、21歳の誕生日でもあった。

 関取へ、横綱へ。あらためて強くなった決意を、叔父にメールで伝えるつもりだ。「本当のお相撲さんになりました、と書きます」。金の化粧まわし姿の写真を添付して。【加藤裕一】

服部桜“双葉山超え”70連敗も「逃げるのが負け」

松岡に敗れ、70連敗を喫した服部桜(撮影・狩俣裕三)


 元横綱朝青龍のおいが出た、番付外の前相撲が終わった後、初場所6日目の最初の取組で“記録”が生まれた。西序ノ口24枚目服部桜(19=式秀)が負けた。両上手を引き粘ったが、寄り切られた。70連敗。「数字は頭にはありました。勝ちたくて、左上手を取りにいったけど…」。双葉山の不滅の69連勝を、序ノ口の連敗で超えてしまった。

 15年九州場所の序ノ口デビューから16年夏場所6日目に初白星を挙げたが、通算成績1勝92敗1休。引き技で負けたのは16年秋場所3日目の引き落とし1度だけ。ほぼ全部、体力負けだ。身長180センチだが、入門時の体重は65キロ。75キロだった昨年秋場所後、師匠の式秀親方(元前頭北桜)に「10キロ太れ!」と言われ、3度の食事、コンビニおにぎりの間食で現在83キロ。だが、まだまだだ。

 神奈川・茅ケ崎市立梅田中卒業後、7歳から憧れた角界へ。同親方は、親に黙ってやってきた少年を1度追い返し、母親連れの2度目の志願で折れた。「情熱を感じました。今は『2年前の自分より強くなってるぞ』と言い聞かせてね。逃げるのが一番の負けですから」。くしくも部屋には、先代式秀親方(元小結大潮)の師匠双葉山の写真が飾られてある。“最強の人”に見守られ、服部桜は2勝目を目指す。【加藤裕一】

大関→十両、照ノ富士へ経験者・元大関雅山が助言

照ノ富士(17年9月14日撮影)


 3日目から休場した元大関で東前頭10枚目の照ノ富士(26=伊勢ケ浜)に、かつての自身を重ねてエールを送る人がいる。元大関雅山の二子山親方(40)だ。照ノ富士は先場所までの3場所は左膝痛などが影響して休場し、今場所は「2型糖尿病で約1週間程度の療養を要す」との診断書を提出。再出場しなければ来場所の十両転落は確実な状況だ。二子山親方は「照ノ富士は若いのだから、もう1度はい上がってほしい。力はある。燃え尽きたら終わる」と気力の重要性を訴え、再浮上に期待した。

 22歳で大関となった二子山親方は在位8場所、24歳の時に陥落した。照ノ富士も23歳で昇進した大関を14場所務めたが、25歳の昨年11月九州場所で関脇、今場所から平幕へと番付を落とした。昭和以降、元大関で十両まで番付を落としたのは大受、雅山、把瑠都の3人しかいない。把瑠都は引退前は休場続きで、番付では十両に名を連ねたが、実際には出場していない。十両の土俵に立った最後の元大関は雅山となっている。

 二子山親方は大関陥落から約9年後、幕内に返り咲いた。その後も小結まで番付を戻すなど、大関陥落後に関脇以下を史上最長の68場所務めた。35歳で引退した13年春場所は十両として取り切り3勝12敗。千秋楽に3勝目を挙げるなど、最後まで目の前の一番に全力だった。「まだ燃え尽きていなかった。絶対にチャンスがくると信じていた。最終的には(幕内に)上がれなかったけど腐らず稽古を続けることが大事」。当時を振り返り、復活を期待していた。【高田文太】