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力士も御朱印集め

 寺や神社を参拝して「御朱印」を集める人が増えている。全国各地を回る力士もご多分に漏れず。小結嘉風は3月の春場所後から、京都を皮切りに回り始めた。ただ集めに回るだけではない。歴史や由緒などを調べてから行く。

 「(長野県の)松本城の近くにある『四柱神社』は願い事がかなうと言われているんです」。嘉風にとって、願い事は1つ。「家族が幸せであることだけ。家族が幸せ=自分の仕事も充実しているってことですから」。その効果がここ2場所、出ているのだろうか。 十両天風も「心が洗われる」と回る。2月には復興城主になった熊本城を訪れて、城を築いた武将・加藤清正をまつる「加藤神社」を参拝。その加藤清正の生誕の地の寺が名古屋市内にあると知ると「行ってみたい」と興味津々だった。

 8月23、24日に東京・お台場で行われる夏巡業ではそうした盛り上がりに応えてか、限定の“御朱印帳”を販売してサイン帳代わりに使ってもらうほか、行司が相撲字で記す“御朱印所”も設けられるという。

 地方場所では寺社を宿舎にする部屋も多い。まして、大相撲は神事。力士や行司のサインも、御朱印のようなものか。【今村健人】

初めて地方に両国の土


 九州場所の土が、今場所から変わった。地方場所ではそれぞれの地域で取れる土を使用しているのだが、これまで数多くの力士から滑るという指摘が多くあった。それを受けて日本相撲協会が動き、東京・両国国技館の土俵の盛り土に使用している「荒木田」が地方場所で初めて使われることになった。

 「荒木田」は粘りがあり、速乾性もあることから盛り土に適し、現在は埼玉県内で取れるものを使用。場所前にはトラック5台で約60トンが運ばれて、土俵が作られた。

 では、力士らの反応はいかに。38歳ベテランの平幕の豪風は「明らかに違う。踏んだ瞬間に分かりましたよ。今までより確実に良い」と好感触。一方、足を滑らせるような内容が目立つ新小結阿武咲は「変わらないです」と言うも、他の力士の取組を見て「滑るねぇ」とつぶやいた。

 誰も土を言い訳にしたくない。しかし、力士は足の指で「土俵の砂をかむ」といわれるほど、土とは切っても切り離せない関係にあるが、稀勢の里は「弱い人が言ってるだけ」と一刀両断。土に惑わされずにいつもと変わらない、白熱した取組に期待したい。【佐々木隆史】

史上4位、合計「77歳6カ月」の対決

豪風をはたき込みで破った安美錦(撮影・岡本肇)


 39歳1カ月15日の安美錦と38歳4カ月27日の豪風。関取最年長と2番目の2人が昨年春以来1年半ぶりに幕内の土俵で相まみえた。計77歳6カ月は昭和以降4番目の幕内高齢対決だった。

 豪風は意識していた。過去15勝16敗の安美錦に勝ち逃げは許さないと、ずっと対戦を願い続けていて「すごくワクワクしていた」。

 安美錦はうれしがった。「オレが上がるのを待っていると聞いていた。だから、今日はしっかり当たった」。変化など巧みな技を持つ2人が、小細工なしに立ち合った。結果は長幼の序。年長者がはたき込んだ。

 ここ7場所、幕内最年長の称号は豪風が持っていた。返してもらった安美錦は「向こうも一生懸命、頑張っている。互いに高め合って、いい刺激になればいい。何回でもやってやる。こんなオレを励みにしてもらえればうれしいよ」。豪風は「今まではこわごわと行っていた。負けたけど、怖がらずに立ち向かえた。すごくうれしかった。またすぐにやりたい」と言った。

 亀の甲より年の功-。世代交代の言葉が北風のように迫ろうと、はねのける熱意がある。【今村健人】

振分親方本当はサインしたいけど…

振分親方(17年3月20日撮影)


 角界の人気者、振分親方(41=元小結高見盛)が、もどかしい思いで日々を過ごしている。日馬富士の暴行が発覚し、土俵外が注目される。そんな中、取組中に2階席の通路脇で館内警備を担当している振分親方は、業務中もファンからサインや写真撮影を求められる。だが「全部断っています。1人に応じてしまうと人が殺到し、混乱を招いてしまうので。でも、こんな時だからこそ、本当は全部丁寧に応じたい」と、いつもの笑顔を封印して話した。

 野球賭博や八百長問題などの不祥事が相次ぎ、空席が目立っていた時期を知っている。だからこそ同親方は、警備の合間に「現役の時は下から見上げてましたが、こうして上から見るのも面白いですよ。会場の盛り上がりを感じる」と、満員の客席を見渡しながら感慨深い表情で話した。

 一時の低迷から人気を回復した角界は、今回の暴行で再び厳しい目を向けられている。振分親方は、警備中に握手を求められると「すみません、通行の妨げになるので、それはできません」と、むしろ握手よりも距離を縮め、目の前で手を合わせて謝る。自分の形になると抜群に強かった現役時代同様、不器用な性格だけに警備に一生懸命向き合う。とまどいながらも、いつもと変わらない対応に努めている。【高田文太】

照ノ富士も…03年以来の年間のべ30人以上休場

松鳳山(右)を突き落としで破り3勝目を挙げた稀勢の里(撮影・岡本肇)


 関脇照ノ富士が休場した。4日目に琴奨菊に寄り切られ「力が入ってないな。しょうがないっす」と話していた。今場所10勝すれば、大関に復帰できたが、4連敗では…。幕内の休場者は今場所6人目、今年の総数で延べ30人となった。03年の同31人以来の多さで、平成以降で年間30人を超えたのは、02年の39人を含めて3年しかない。

 当時は世代交代が一気に進んだ。横綱貴乃花が01年名古屋場所から7場所連続で全休、02年九州場所も全休、03年初場所途中に引退した。横綱武蔵丸、大関の栃東、千代大海、魁皇らも休場が目立った。一方で、大関朝青龍が02年九州場所で初優勝、03年初場所で連続優勝して横綱昇進を決め、時代をたぐり寄せた。

 休場者が多いから世代交代が進む理屈はない。しかし、今場所の横綱、大関は白鵬が5戦全勝を守っているが、鶴竜が4場所連続で、日馬富士も3日目から肘の負傷で休場。3場所連続休場明けの稀勢の里はこの日、松鳳山に土俵際で逆転の突き落としを決め、ヒヤヒヤながら3勝2敗で白星を先行させた。「今日の(白星)はだいぶでかいんじゃないかと思います」。御嶽海、阿武咲、貴景勝…。新星の勢いを感じながら、横綱、大関の苦闘が続いている。【加藤裕一】

600回連続出場錦木、休まない秘訣

錦木


 平幕の錦木が九州場所4日目に通算連続出場600回を記録した。06年春場所で初土俵を踏んでから、1度も休場することなく到達。今場所の幕内力士では、1035回の玉鷲、810回の勢に続く記録となった。

 本土俵に立ち続ける錦木は、稽古土俵にも立ち続けている。連日バス移動する巡業中は朝稽古の量を調整する力士もいるが、錦木は休むことなく真っ先に土俵に上がる。関取衆らによる申し合い稽古のため番数は限られるが、タフさは人一倍際だっている。

 なぜこんなにタフなのか。「無理をしない」。もうひとつは「ストレス発散を見つけること。お酒ですかね」とニヤリ。巡業中は1人でもふらりと、地元の居酒屋に入って地元のお酒を飲むほどの酒好きだ。場所中も晩酌を1日たりとも欠かすことはなく「稽古頑張ったら、取組が終わったら飲むぞ、という感じ」。体と心にゆとりを持つことが、錦木流のタフさの秘策だ。

 4横綱時代だが、1度も皆勤がない。一方、今場所の幕内力士43人中13人が、それぞれ初土俵から休場なしで走っている。いずれも三役以下の力士だ。元気のない上位陣を尻目に、平幕力士が土俵上を走り回る。【佐々木隆史】

記録保持者の常幸龍が炎鵬止めた


 東幕下14枚目常幸龍(29=木瀬)が、西幕下14枚目炎鵬を止めた。炎鵬は序ノ口デビューから21連勝中で、169センチの体で番付を駆け上がってきた白鵬の内弟子。力で圧倒し、押しつぶすように土俵に沈めた。「記録保持者としては、負けられません」。会心の笑みに先駆者の意地が漂った。

 前相撲を含む初土俵からの連勝記録は板井の「29」だが、序ノ口デビューからの連勝記録「27」は常幸龍が持つ。だから「自分で止めてやろう」と思った。「ちっちゃかった。ああいうタイプはいないから、いろいろ研究しようと思ったけど(炎鵬が)負ける相撲(の映像)がなくて」と苦笑いした。

 学生横綱の肩書を手に、日大から角界入り。11年名古屋場所から連勝記録を作り、14年秋場所には小結。15年初場所で日馬富士から金星奪取。ところが、16年6月に右膝手術を受け、同年九州場所で三段目まで落ちた。

 今は復活途上にある。「下半身に重点を置いて稽古をしたら、自分でも驚くほど体重が増えたんです。でも、それで動けますからね」。体重は1年前から18キロ増の170キロになった。「まわしが短くなった。新しいのを…」。望むのは当然、関取の証しの白まわし。先輩が、後輩の壁になった。【加藤裕一】

39歳安美錦553日ぶり幕内○ ケガ乗り越えまだ進化

琴勇輝(左)を上投手げで破り再入幕を白星で飾った安美錦(撮影・岡本肇)


 業師安美錦の目に、光るものがあった。昨年夏場所初日以来553日ぶりに味わう、幕内力士としての勝ち名乗り。押し相撲の琴勇輝を押し込み、素早い反応からの鮮やかな左上手投げに「稽古場でもしたことない」とおどけて「やっとここに戻ってきたなという思いと、しっかりここで相撲を取るんだという気持ちで臨めた」と感慨に浸った。

 同場所2日目で左アキレス腱(けん)を断裂した際「引退危機」と騒がれた。「見る人が見たら、そう思う。でも、やめる選択肢はなかった。もう1回出てからだと」。周囲への反骨心と、支えてくれる絵莉夫人への恩返し。その思いだけでここまでたどり着いた。

 秋巡業中、そばに1冊の本があった。「老舗の流儀-虎屋とエルメス」(新潮社)。500年の虎屋と180年のエルメス、2つの老舗企業が長続きする秘密に迫っていた。「業種が違うように見えて似ている。相撲協会も『老舗』。変わって良いところ、変わらなきゃいけないところがある。参考になるかなって」。

 昭和以降、最年長39歳で再入幕を果たした安美錦もまた、1つの“老舗”。だが、幕内664勝目は「力でなく、体の動きだけで取れた」。まだ“進化”の途上。止まらない。それが安美錦の流儀。【今村健人】

無念休場の鶴竜からにじみ出た「復活」に懸ける思い

住吉神社で土俵入りを行った鶴竜(2017年11月2日撮影)


 横綱鶴竜(32=井筒)の九州場所(12日初日、福岡国際センター)休場が決まった。4場所連続の休場で、4横綱となって5場所目で、またも全員皆勤はならなかった。相撲ファンにとっては残念なニュースとなったが、何よりも鶴竜本人の無念の思いは想像に難くない。

 九州場所にかける思いの一端を、かいま見た場面があった。2日、福岡市の住吉神社で4横綱が土俵入りを披露した後だった。着替えて引き揚げ、車に乗り込む直前に声を掛けた。今場所から6年ぶりに相撲担当に戻ったことを報告すると「おおっ、復活したんだ」との第一声。その時、何ともいえない違和感を覚えたのは「復活」という言葉を選んだことだった。

 モンゴル出身とはいえ、稽古後には一般紙の政治や経済の記事を隅々まで熟読する姿を何度も見てきた。日本人以上にきれいな日本語を使う鶴竜を思い返すと、記者の担当替えは「復活」などという大それたものではなく「戻った」や、せいぜい「復帰」というもの。第一声の後にも、再度「復活」と使った。不意に口をついて出てきた言葉に「復活」にかける思いがにじみ出ていたように感じた。

 そもそも、どうやって角界入りすれば良いか分からず、15歳の時に相撲雑誌の編集部と相撲愛好会に計2通の手紙を送り、思いの丈を日本語で書き連ね、入門に至ったあこがれの世界。その中でも頂点の横綱にまで上り詰めながら、思うような相撲が取れない、ファンの期待を裏切っていることへの無念の思いは、容易に察することができる。

 前回の担当時代に私が最後に取材したのは、鶴竜が初の大関とりに挑んだ11年秋場所だった。その年に起きた東日本大震災の被災地を回った際には、横綱、大関を立てながらも、誰よりも積極的に子どもや高齢者とふれ合っていた姿は忘れられない。来年、満を持して「鶴竜復活」という見出しが躍る日が来ると、期待しているファンは少なくないはずだ。【高田文太】

やんちゃ照ノ富士かニュー照ノ富士か 注目九州場所

巡業に合流し、笑顔の照ノ富士


 1年納めの九州場所(11月12日初日、福岡国際センター)が迫ってきた。秋場所は初日から3横綱が休場する異例の事態だっただけに、今度こそ4横綱がそろって皆勤するか、期待したいところ。やはり途中休場した宇良(木瀬)の復活や、三役昇進が濃厚な阿武咲(阿武松)の暴れっぷり、かど番で迎える大関高安(田子ノ浦)の復調など、相変わらず角界は話題に事欠かない。

 そんな注目力士の1人が照ノ富士(伊勢ケ浜)だ。かど番で迎えた秋場所は、左膝半月板損傷のため6日目から休場(1勝5敗9休)。九州場所は大関から陥落する。規定により10勝を挙げれば、1場所で大関に返り咲くだけに、その星取から目が離せない。

 この秋巡業は治療とリハビリを経て、19日の奈良・香芝市巡業から合流した。大事を取って、当初は回避するかと思われた割(取組)にも加わり、朝稽古も翌日から土俵に上がり、平幕の正代らと10番も取った。膝の状態を試しながらの、文字通り試運転の稽古だった。それでも、いきなり割に入ったことには「それぐらい誰だって出来るよ。出来るのに(他の力士は)やらないだけ」と、気丈な言葉を発し、大関から陥落することにも「別に。(ケガが)治れば(大関に)いつでも上がれる。番付が落ちることは何とも思っていないよ。自信がなければ相撲は取れない。(陥落する)下から向かっていく立場の方がやりやすい」と、あの持ち前の負けん気の強さをのぞかせていた。

 一方で、怖いもの知らずを感じさせた25歳に、慎重さも備わったことを感じることもある。気丈な言葉を口にした後で「ちょっと弱気になってるなぁ」と話したコメントからだ。「以前は(自分に)荒々しさがあったけど、それが今はないんだ。何でだろう。それ(膝)と気持ちやろな。怒ることも最近、ないんだ。何でもかんでも最近は楽しく感じる。これはアカン」。自戒を込めた口調だった。

 ケガをして大関という看板が外れ、いろいろ思うところもあるのだろう。体を生かした強引に相手を抱え込む相撲が膝のケガを誘発したという、親方衆の声もある。自分の相撲を見つめ直す機会であれば、それも良し。あくまでも横綱という頂点を見据える照ノ富士にとっては、大関陥落は一過性の屈辱にすぎず、いい経験になったと、後になれば思えるはずだ。あの奔放でヤンチャな照ノ富士が戻るのも楽しみだし、リニューアルされた姿も見てみたい。そんな期待の目で、九州場所の土俵を見ることにしよう。【渡辺佳彦】

白鵬の内弟子炎鵬、背中追い連勝&連続Vへ奮闘中

ぶつかり稽古で安美錦(右)に胸を借りる白鵬の内弟子の炎鵬


 大相撲九州場所(11月12日初日、福岡国際センター)で楽しみな記録がある。初土俵からの連勝記録と、序ノ口からの連続優勝記録だ。この記録に挑むのは、九州場所で幕下昇進が確実な三段目炎鵬(23=宮城野)。横綱白鵬の内弟子として春場所で初土俵を踏み、序ノ口の夏場所、序二段の名古屋場所、三段目の秋場所で全勝優勝して、昭和以降7人目となる序ノ口からの3場所連続優勝を果たした。さらに、初土俵からの連勝を歴代5位となる「21」に伸ばした。

 初土俵からの連勝記録の1位は元小結板井の「29」だ。九州場所で全勝しても届かないが、まずは2位の佐久間山(現常幸龍)の「27」を追いかける。抜くのには全勝が条件。そうなれば優勝の可能性も大きい。序ノ口からの4場所連続優勝となれば昭和以降では、元横綱羽黒山以来2人目の快挙となる。

 169センチ、94キロと小兵ながらに快進撃を続ける一因には、やはり白鵬の存在があるからだ。「一番一番にかける思い、集中力がすごい。私生活も徹底しているから普段の力が出せていると思う」。白鵬の付け人を務めているからこそ、肌身で感じるものがあった。さらに秋場所中盤に休場していた白鵬から直接、部屋で声をかけられたという。「見てるぞ、って言われました。まさか見てくれてるとは思わなかった。一気に気持ちが引き締まりました」と気合が入っていた。そして、三段目優勝決定戦を制した千秋楽で「横綱からも『来場所はこんなものじゃないぞ』と言われました。今は休みたいけど、休んでる暇もない。明日からでも稽古をやりたい」と浮かれる気持ちを抑えて、先を見据えていた。

 角界入り後に入所した相撲教習所を秋場所後に卒業したため、白鵬の付け人として秋巡業に参加している。初めての巡業参加となった15日の金沢巡業で早速、幕下の申し合い稽古に入ると、幕下上位でしのぎを削る先輩力士らから強烈な張り手やかち上げで“歓迎”を受けた。手荒い歓迎ぶりに苦笑いを浮かべたが「重さは感じたけど、感覚はつかめた」と手応えを口にした。残り約3週間でさらに稽古を積んで、1年の納めの場所で有終を飾る。【佐々木隆史】

木崎の「技術は絶対に負けてない」の言葉に「へ~」

木崎(2017年9月16日)


 競技者がひんぱんに使う言葉がある。野球なら「1試合1試合を大事に…」。ゴルフなら「目の前の1打に集中して…」。相撲なら「今日の1番に集中して…」。ごもっとも。その通り。しかし、その競技者がプロなら、誰もが使う決まり文句でなく、自分なりの言葉を使ってほしい。そう思ったりもする。

 秋場所の千秋楽で、久々に「へ~」と思う言葉を聞いた。「技術は絶対に負けてない」-。若い力士。西幕下3枚目木崎(24=木瀬)だ。

 西十両13枚目矢後に負けた。3勝3敗で勝ち越しがかかる一番だった。矢後は中大出身の元アマチュア横綱で187センチ、172キロの大型。木崎も名門日大相撲部で主将を務めたキャリアを持つが、現在の注目度では1学年下の矢後に一歩譲る。番付も劣るし、サイズも176センチ、138キロと及ばない。アマチュアでの対戦は「多分3戦全敗」(木崎)、プロでも2戦2敗となった。それでも「技術は負けてない」と言う姿がたのもしかった。

 論理的、具体的に説明できるタイプだ。「課題は多いやろうけど、来場所に向けて、特にコレっちゅうのは?」という、抽象的で荒っぽい質問に「…う~ん、足りない部分が多すぎてわからないです」と前置きして、こう答えた。

 「来場所どうこうじゃないですけど、体重を増やさないとダメですよね。(入門時は115キロで)今は138キロですけど、場所中にどうしても落ちる。最終的に145キロまで、と思うけど、スピードが落ちたらダメです。小さいですからね。時間はかかると思うけど」。ずっと昔から自分を省みて、自己分析を重ねたのだろう。だから、負け惜しみと取られかねない状況で口にした強気な言葉にも納得してしまう。

 昨年夏場所のデビューから9場所目で初の負け越しだった。目前まで迫っていた関取の座は一歩遠のいたが、十両目前で足踏みした先輩力士は多い。「負け越しですか。家に帰ったら、じわっと来るんでしょうね」。木瀬部屋の先輩、宇良のように土俵を沸かせる日が、きっと来る。そんな期待を抱かせる言葉だった。【加藤裕一】

3横綱2大関休場の秋場所…地殻変動の起点となるか

大相撲秋場所 千秋楽 優勝賜杯を受け取る日馬富士(2017年9月24日撮影)


 99年ぶりに3横綱2大関が休場し、日本相撲協会にはチケットの返金を求める抗議の電話もあったという秋場所。終わってみて実際にファンは、世間はどう感じたのだろう。面白かったのか、つまらなかったのか。盛り上がったのか、興ざめだったのか。観戦に訪れた友人に聞けば「熱戦が多かった」「これはこれで打ち上げに花が咲いた」などと好意的な声が多かった。

 “中”で取材をしていると、実際の体感温度はよく分からなくなる。優勝成績は11勝4敗と、低レベルと言えば低レベル。そこだけを切り取れば情けなくも見える。ただ、周囲は「誰が優勝するか分からないから面白かった」とも言う。

 終盤に10人以上もの力士に優勝の可能性が残っていたのは、取材する側からすれば実に「ドキドキ」だった。見ている人たちには「ワクワク」だったろうか。豪栄道には申し訳ないが、13日目で優勝が決まっていたら、14日目、千秋楽の話題に困ったかもしれない。本命不在だったからこそ、誰が勝つのか、どちらが勝つのか、ワクワクやドキドキが最後まで続いた。こんな感覚は昨今の大相撲では、なかなかない。

 こんな場所だからこそ、よく「世代交代」という言葉が出た。実際に阿武咲や貴景勝、朝乃山といった20代前半の力士の活躍が場所を盛り上げてくれた。

 ただ、秋場所はまだ、若手の活躍が目立っただけ。「世代交代」という言葉が当てはまる場所ではない。世代交代とは、加齢によって自然と起こることもあるが、我々が求めている形はおそらく、違うからだ。

 かつて「角界のプリンス」と呼ばれた大関貴ノ花を一方的に破って引退を決意させたのが千代の富士。その横綱千代の富士を倒して引退に追い込んだのが、プリンスの息子の貴乃花だった。ここまでドラマチックにはならずとも、若い世代がベテランの上位と実際に対戦して、倒し、引導を渡す-。それがあって初めて、望みの「世代交代」は生まれる。

 上位陣の休場という不可抗力な未対戦はもちろん、仕方がない。ならば、おそらく上位陣が出てくる次の九州場所は、今場所の物語の続き。若手は、上位を倒す力を養えたのか。それとも、両者にまだまだ差はあるのか。地殻変動、世代交代は面白いが、そう簡単に許さないベテランの意地と迫力にも見応えはある。

 99年ぶりの事態が起きた秋場所。どうせ取り返しがつかないなら、ここから「あの物語が始まった」と後々、振り返ってみたい。【今村健人】

松沢亮英、入門して初めて分かった父朝日山の偉大さ

卒業証書を手にする松沢亮英


 やっぱりオヤジは偉大だった-。卒業証書を手に、あらためて実感した。

 角界入りした新弟子は必ず、相撲教習所に入所し6カ月間、実技や相撲史、一般常識、書道などを学ぶ。東京場所終了後、入所及び卒業式が行われ、今回も29日に新弟子が通い慣れた両国国技館内の相撲教習所で行われた。

 今年3月の春場所新弟子検査に合格し、晴れて角界入りした松沢亮英(19=朝日山)も、この卒業式に出席した。千葉・八千代松陰高時代はラグビー部でプロップ、フッカーとして活躍。調理師を目指し専門学校の合格通知も受けたが「やっぱり自分にはスポーツが合っている。挑戦してみたい」と角界の門をたたいた。入門したのは自分の父が興した部屋。父は史上ただ一人、平幕優勝2回を成し遂げ「F1相撲」の異名を取った、元関脇琴錦の朝日山親方(49)だ。

 もちろん親の七光など通用しない、文字通り裸一貫の実力だけの世界。それは百も承知で、決して甘く見たわけではなかった。ただ何せ相撲は初体験。壁には当然、ぶち当たった。番付に初めてしこ名が載った5月の夏場所こそ、5勝2敗と上々のスタートを切ったが、序二段に上がった7月の名古屋場所は1勝6敗。再び序ノ口に番付を下げたこの秋場所も3勝4敗と負け越した。

 「もちろん相撲はまだまだなんですが、一番悪いのはメンタル面。1回負けちゃうと『負け越してしまう』と焦って、尾を引いちゃうんです」。あどけない笑みを浮かべながら松沢は、自分の弱点を分析した。相撲についても「脇が甘い。ラグビーでは甘くても良かったけど、相撲では駄目。なかなか直らないんです」。入門して半年。道半ばどころか、まだ1歩目を踏み出したばかりなのだから、直面して当然の壁だ。

 ただ、悪いようには考えない。名古屋場所は1勝2敗から4連敗したが、秋場所は負け越し決定から、精神面で立て直し連勝で締め「だんだんとメンタル面も良くなっていると思います」と精神的にも落ち着いてきた。168センチ、76キロで新弟子検査をパスした体重も、20キロ増。「石浦関の、あのスピード感のある相撲が好きなので、120キロぐらいまでは増やしたい」と言う。

 入門前の今年2月までは「(父の)言うことは聞いてないこともあった」と、どこにでもいる長男坊だった。入門を境に、それは師弟関係になり「厳しく怒られることが多くなった。今は素直に受け入れてます」と話す。さらに肌で感じた父へのリスペクトも。「入門して序ノ口で1場所取っただけで分かりました。父は偉大すぎます」と脱帽した。

 入門時に挙げた「幕内力士」の第1目標は「厳しい世界と分かりました。関取になることです」と、新十両昇進に“下方修正”した。その父であり師匠の朝日山親方は、相撲教習所の卒業を機に、10月から稽古まわしを締め愛弟子を鍛えるという。「まだまだ勝ち方を知らない。これからですよ」。親子鷹に期待したい。【渡辺佳彦】

稀勢締める 友鵬さん最後の綱


 横綱が締める「綱」は年3回の東京場所前に作られる。「綱打ち」と呼ばれる行事で、一門の力士らが掛け声に合わせ綱をよる。今場所、稀勢の里は休場したため、この時作った綱が使われるのは九州場所だけ。実はこの綱、8日急逝した相撲協会の世話人、友鵬さん(享年60)が携わった最後の綱だ。

 綱打ちは3本の綱をテッポウ柱にくくり、引っ張りながら1本によっていく。柱に近い、より合わせる部分を作る者が重要な役割を担う。ここにいたのが友鵬さんだった。

 当初「肩も腰も痛いから今回はやめておくわ」と言っていたという。稀勢の里の兄弟子、西岩親方(元関脇若の里)は振り返る。「綱打ちは亡くなる2日前でした。友鵬さんがいないときれいな綱ができない。『見てるだけでもいいから来て下さい』とお願いしました。これが最後と言ってましたが、本当に最後になってしまいました」。

 稀勢の里が手形にサインをする際、痛む左腕で紙を押さえられないと、友鵬さんがそっと手助けしてくれたこともあったという。

 九州でこの綱を締める時、いつもと違う思いが込み上げるかもしれない。【佐々木一郎】

優勝争い混沌の今場所…幕内全取組に懸賞という皮肉


 今場所、実に3度目だった。中入り後の幕内の全取組で懸賞旗が回ったのは。

 初めて幕内全取組に懸賞を懸けたのは、62年秋場所初日の「岡村製作所」。以来、幾度となくあったが、最近では珍しい。12年夏場所の初日と、翌名古屋場所千秋楽に、タマホーム1社が「大相撲を応援する」という形で全取組に懸けた2例があり、それ以来だ。ただ、複数社を伴う形では、92年名古屋場所以降なかった。

 皮肉にも、休場者が多く出て幕内の取組数が減ったことが要因の1つ。ただ、3横綱と2大関、そして人気者の宇良が休場しても、取りやめる企業は多くなかった。朝乃山には、師匠の高砂親方(元大関朝潮)の現役時代から親交がある東京バスが懸賞を復活させた。九重部屋の4力士にそれぞれ、15日間通して別々の企業から懸賞が懸かる形も例がない。色とりどりの懸賞旗は、上位陣の休場で寂しかった土俵の、にぎやかしになっている。

 そして、優勝争いが混沌(こんとん)とし、14日目の取組前まで5敗までの16人に優勝の可能性があったことを考えれば、懸賞が広く懸かることは良かったともいえる。それもまた、皮肉な話だが。【今村健人】

余興で不覚…横綱双葉山が若武者の外掛けに倒される


 10月4日に両国国技館で開かれる「大相撲beyond2020場所」で「横綱五人掛かり」が行われる。国技館では01年のNHK福祉大相撲で披露されて以来16年ぶりの“余興”だ。

 1人の横綱が下位力士5人と次々に勝負するのが五人掛かり。5人は横綱の向かいと四方の房の下に散らばり、同時にちりを切り、四股を踏み、仕切る。いざ勝負ではその場から1人ずつ、間髪を入れず横綱に飛びかかる。あくまでも余興。

 だが下位力士が勝っていけないわけでもない。横綱が敗れたこともある。誰あろう、双葉山だ。

 38年6月開催の帝都日日新聞大相撲。大日本相撲協会が発行した雑誌「相撲」には「2人目に出た元気いっぱいの鹿島洋が、鋭気に外掛けを強襲して双葉山を倒す」と記されている。前月の夏場所で双葉山は前人未到の66連勝。鹿島洋は新入幕ながら優勝次点の若武者だ。無敵の横綱の“黒星”に「満場の観衆は一時にわっと歓声をあげ、さながら館も揺るがんばかりであった」とある。

 次場所の39年春場所4日目、双葉山は安芸ノ海に敗れ連勝が69で止まった。その決まり手も外掛けだったのは、何の奇縁か。“余興”もまた、ドラマになりうる。【今村健人】

下から刺激 木瀬部屋願う「関取10人」


 93年春場所、二子山部屋勢が10人も幕内に名を連ねた。優勝は小結若花田、準優勝は大関貴ノ花。史上最多の「同一部屋幕内10人」は翌夏場所まで続いた。

 その伝説には及ばないが、木瀬部屋が「関取10人」を視野に入れている。力士数37人は、佐渡ケ嶽部屋の41人に次ぎ2番目。関取数は幕内に宇良、徳勝龍の2人、十両に英乃海ら4人と現在6人。幕下には関取予備軍の上位15枚目までの5人を含め、15人もいる。

 元十両の28歳、西幕下5枚目志摩ノ海は「ウチは下からガンガン来るから厳しい。宇良の時のように、もう下に抜かれるのはごめんです」。すでに4勝2敗と勝ち越した。自己最高位西幕下3枚目の24歳、木崎は「部屋内の競争は感じます。僕は次勝って、来場所が(十両昇進の)勝負です」。3勝3敗。残る一番は絶対落とせない。

 元小結の29歳、東幕下9枚目常幸龍は、この日敗れて3勝3敗となった。小結の時「木瀬部屋がかつての二子山部屋のように…」と口にした男は「十両も大事ですが、やはり幕内で相撲をとってなんぼですよ」。お互いが刺激し合って、部屋全体がレベルアップすることを願っている。【加藤裕一】

前相撲含まぬ新連勝記録なるか


 白鵬の内弟子、西三段目18枚目炎鵬(18=宮城野)が、同20枚目本多を下して、初土俵から20連勝を飾った。史上6位タイの記録だが、協会関係者は頭を悩ませていた。1位は元小結板井の29連勝で、前相撲の3勝が含まれている。炎鵬には前相撲の2勝が含まれていない。初土俵からの連勝記録者が出る度に「なぜか?」と問い合わせがあるという。答えはこうだ。

 前相撲は新弟子検査に合格した力士が、本場所で相撲を取ること。現在は、中日に行われる新序出世披露の順番決めの役割があり、1人が1日に2番取ることもある“非公式戦”だ。

 しかし、73~86年は特定の場所を除き、今と違って取組表に前相撲が載り、1人1日1番。成績を伸ばした力士は中日以降に、序ノ口力士と相撲を取っていたこともあり、“公式戦”扱い。板井は、この時期に前相撲を取っていたので3勝が含まれる。炎鵬は29連勝について「無理ですよ」と苦笑い。協会関係者は「すぱっと記録を抜いてもらいたい」と期待する。3勝の差は大きいが、それに負けじと炎鵬は突き進む。【佐々木隆史】

飲んで食って勝つは昔の話


 酒を浴びるように飲み、これでもかというぐらいご飯を食べる。そんな、お相撲さん像は古いのかもしれない。食生活に気を使う力士が多くなったと感じる。

 174センチと小柄ながら175キロと重量級の平幕貴景勝(21)は栄養学を学んでいる。「亜鉛とかアルギニンとかは筋肉に影響する。あと植物性タンパク質は女性ホルモンが出るので注意してます。納豆は食べ過ぎると女性ホルモンが出るので食べ過ぎないようにしています」と言う。夏巡業中には、2つの炭酸飲料の成分表示を見比べて「こっちには砂糖が20個分入っているけど、こっちは60個も入っている」と力説していた。口に入れる物に並々ならぬこだわりを持っている。

 酒量をコントロールする力士も少なくない。平幕の北勝富士(25)は、番付発表後から千秋楽まで約1カ月は酒を1滴も飲まない。睡眠時間を含めて生活のリズムを崩したくないといい、「後援会関係者との食事であっても、絶対に飲みません」と摂生している。平幕の石浦(27)に至っては「個人差はあると思うけど、お酒は筋肉に悪い影響がある。極力飲みません」とまで言う。体が資本。自己管理の大切さは浸透している。【佐々木隆史】

力士直撃禍 なぜか多い陣幕親方「あきらめてます」

13日、土俵下に落ちる貴景勝(右)。左は陣幕親方(撮影・鈴木正人)


 休場者が多い今場所。ケガが怖いのは力士だけでない。土俵下に座る審判の親方衆も危険と背中合わせだ。

 陣幕親方(元幕内富士乃真)は、特に多くの力士が落ちてくることで知られる。今場所は4日目に貴景勝が飛んできた。受難の連続だが「これはもう、あきらめてます。たまに、磁石のように引き寄せてるんじゃないかと思うことがありますね」と苦笑いする。

 現役時代の89年秋場所12日目、控えに座っていると三杉里が落ちてきて左足首の関節を骨折。土俵に上がれず、不戦敗になった。このケガがきっかけで番付を落とし、1年後に引退した。親方になった後の01年夏場所7日目には須佐の湖が落ちてきて右スネを骨折した。10年初場所10日目には、三段目の力士に左足首を踏まれて休場した。

 「これは運に任せるしかないんです。現役中はあのケガに苦しみましたが、ある時点から運命だと思うようになりました。それでも、勝負はしっかり見ようと思っています。そういえば、錦戸親方のところも何回も落ちてきますね」。今では酒席での笑い話として、ネタにしているという。残り6日間、土俵の無事を祈りたい。【佐々木一郎】

休場明け碧山いきなり横綱戦 56年ぶり

結びの一番、日馬富士の攻めを懸命にこらえる碧山(右)(撮影・丹羽敏通)


 左膝骨挫傷で初日から休場していた平幕の碧山が、中日の17日から出場した。休場明けとはいえ、土俵の上に立つ以上は弱音は吐けない。いきなり結びの一番で横綱戦が組まれた。

 休場明け最初の取組が横綱戦となったのは、61年名古屋場所の東前頭5枚目北の洋以来56年ぶり。昭和以降では、今回が8例目となる。いきなり横綱を倒すのは至難の業だが、過去に1度だけある。51年秋場所で5日目から休場していた西張出小結の備州山が、再出場の8日目に張出横綱の千代の山を破った。今回を除く6例は、全て平幕力士によるものだったが金星は1度もなかった。

 昭和以降初の休場明け金星へ臨んだ碧山だったが、達成はならなかった。横綱戦と知った前夜は「びっくりでした。普通はないですよね」と驚いたという。ただ「番付見たらね。横綱、大関休みですからね」と覚悟はあった。さらに「家で見てたら悔しかった。僕も(相撲を)取りたかった。今日は出られてうれしかった」と土俵に上がれる幸せをかみしめていた。【佐々木隆史】

場所中に緊急発売!阿武咲錦絵に反響「一種の事件」

急きょ完成した阿武咲の錦絵


 7日目から国技館の売店に新たな商品が加わった。阿武咲の錦絵。99年ぶりに3横綱2大関が休場する異常事態の今場所を盛り上げている若武者とあって「あまりにも多くのお客さんから聞かれるので」。相撲錦絵師の木下大門氏が急きょ、5時間かけて製作した。

 30年以上も錦絵をつくる木下氏が、場所中に急きょ製作したのは3度目のこと。「ざんばら髪の遠藤と、同じくざんばら髪の逸ノ城のとき以来です。今回はあまり相撲観戦に不慣れなご婦人まで求められてきたので一種の事件ですね」。

 今年4月の神奈川・藤沢市巡業で阿武咲の写真を撮った際には若き日の大横綱を思い出したという。「北の湖さんが上がってきたときとすごくダブる。決して表情に出さず、ふてぶてしい雰囲気がとても似ている。目つきも普通の人ではない怖さを感じる。ただものじゃないと思いました」。

 北の湖と体格こそ違えど、大物の雰囲気を醸し出す阿武咲。稀勢の里にも似る武骨な21歳が、相撲ファンの興味を引きつけている。【今村健人】

安美錦“とっくり”でご機嫌「一杯やりたいね」


<大相撲秋場所>◇6日目◇15日◇両国国技館

 初土俵から21年目の初体験。東十両2枚目安美錦(38=伊勢ケ浜)が琴勇輝にとっくり投げを見舞った。通算43手目の決まり手だ。

 「技のデパート」と称された元小結舞の海は33手。多彩な取り口で知られた元小結旭鷲山は46手。前人未到の優勝39回の横綱白鵬は41手。そんな名手たちも未経験の珍技だ。相手の首、頭をとっくりに見立て、両手で挟み左右にひねって倒す。01年初場所で新設された12の決まり手の1つで、いまだ幕内では1度も出ていない。安美錦は「当たって右を張って。差そうと思ったら(相手が)前に出てきたからこう…」。ジェスチャー付きで、いかにも説明しづらそうに解説した。

 今場所3日目、新十両の大成道も照強に決めた。十両で約2年ぶりの珍事がわずか3日後に飛び出した。くしくも大成道は同郷の青森出身。「そうなんだ。巡業中にとっくりで一杯やりたいね」。星も4勝2敗。再入幕を目指す大ベテランはご機嫌だった。【加藤裕一】

琴奨菊、殊勲白星でもインタビュー断る理由

秋場所3日目、日馬富士を破った琴奨菊(右)(17年9月12日撮影)


 横綱や大関に勝った下位の力士は、NHKのインタビュールームに呼ばれる。ほとんどの力士はこれに応じるが、断る場合もある。

 元大関の琴奨菊は初日から1横綱2大関を破ったが、1度もインタビューを受けなかった。なぜか?

 「その方がいいかなと思った。今後においても、今においても…」。今年初場所まで大関を務めていた自負もあるだろう。日馬富士に勝って初金星を挙げたが「ああいう内容だったからね」と、テレビで喜びを語ることは控えた。

 元大関の初金星は、雅山(現二子山親方)以来10年半ぶりだった。雅山は、大関から陥落して33場所目に横綱朝青龍に勝ち、インタビューを受けた。二子山親方は「僕は強い横綱に勝ってうれしかったので行きました。でも、大関戦に勝っても一切行きませんでした」と振り返る。大関に勝つたび、断り続けた。「現役中は元大関と言われるのが嫌でした。大関に戻るつもりでいましたから」。

 勝ってテレビカメラの前に立つかどうかは、本人次第。放送時間の関係もあるが、殊勲の白星の後にインタビューがなかった場合、そこには力士の生きざまが反映されている。【佐々木一郎】

「なんかかわいい」千代丸のCM出演

千代丸(17年8月9日撮影)


 2日目の11日から放送されている東洋水産のカップ麺「QTTA(クッタ)」のCMに、九重部屋の力士が出演している。芸人松本人志が差し入れに訪れ、力士がむしゃぶりつく。その中心にいるのが幕内千代丸。松本に「なんかかわいいな、あいつ」と言われる。

 部屋総出で出演するが、1番の狙いは千代丸だった。「自分に連絡がきたんです。スポーツ編を撮りたくて、相撲なら自分だと。最初で最後のCMっすね」。

 美声で知られる幕内勢も、ウェブ限定でパナソニックのCMに出演。その中でオリジナルの歌「二人で生きよう」を披露している。

 広告代理店関係者は「今まで白鵬関への依頼が多かったですが、最近はいろいろな力士に話が来ます。面白い力士が増えていることもあるでしょう」と言う。白鵬や遠藤、照ノ富士らが出演中で、最近では宇良にも白羽の矢が立っている。

 かつては大鵬、そして高見山や千代の富士が隆盛を極めたCMも、85年7月の理事会で1度は“禁止”された。それが95年から徐々に解禁されて今に至る。3横綱1大関が不在で三役以上の全勝も皆無とまるで底冷えする秋場所の相撲人気を、広く伝わるようになった多くの力士の“個性”で支えている。【今村健人】

伏兵現れる楽しみも


 3横綱と平幕の2人が休場して始まった秋場所。3日目の12日に高安と宇良の休場も決まり、幕内で7人が休場となった。肩を落とすファンも多いと思うが、裏を返せば、誰が賜杯を抱くか分からない、手に汗握る展開になったとも言える。

 休場者数が多い場所は、大関に優勝のチャンスがあるようだ。戦後、引退・廃業を除き幕内力士の同時休場数が最多だったのは、02年名古屋場所の9人。横綱貴乃花、大関魁皇、栃東、武双山らが休場した中で、大関千代大海が優勝した。今場所と同じ3横綱1大関が休場した99年春場所は、大関武蔵丸が優勝している。

 しかし、今場所残された2人の大関は、万全の状態とは言い難い。三役力士も序盤ながら星を落としている。この日を終えて全勝は琴奨菊、阿武咲らの平幕勢6人となった。まさに戦国場所。12年夏場所の旭天鵬以来の平幕優勝か。横綱で唯一出場している日馬富士や、大関陣が盛り返すのか。はたまた、予想もしていない伏兵が現れるのか。荒れているからこその、楽しみもある。【佐々木隆史】

びんつけ油の香水大人気も北勝富士「ちょっと違う」


 力士がまげを結うときに使用するびんつけ油の、甘~い香り。力士の代名詞ともいえる香りを、フレグランスメーカー「LUZ」が香水にして発売している。同社が今年に立ち上げたブランド「J-Scent」から7月に発売され、当初用意した500個がすぐに完売するなど、大人気商品になっているという。

 担当者によると「びんつけ油の香りだけだと淡泊になるので、力士の体から漂うパウダリーの香りなども表現したかった」と開発期間に1年半要したという。香りだけでなく、商品名にもこだわった。「びんつけ油」「お相撲さん」「関取」などが候補に挙がったが「強さとたくましさがテーマ」として「力士」に決めた。本格的な香りと商品名が話題になり「こんなに人気が出るとは思わなかった」と担当者も驚いている。

 実際に、においを嗅いだことのある北勝富士は「ん~ちょっと違うかな」とピンとこない様子。しかし、担当者の元には「びんつけ油のにおいでいいにおい」という購買者からの声が多数届いてるという。この1本で、力士気分を味わってみてはどうだろうか。【佐々木隆史】

大砂嵐、友鵬さんに捧げる勝利


 JR両国駅に最も近い国技館の南門は、力士らが出入りする。入ってすぐの詰め所に、世話人の友鵬さん(享年60=大嶽)はいつもいた。亡くなって2日後の秋場所初日。不在の友鵬さんに代わって、似顔絵、遺影、花が飾られていた。

 「世話人になくてはならない存在だよ」と、40年以上の付き合いになる世話人、白法山(61)は言う。世話人は雑務全般をこなす裏方中の裏方。友鵬さんは多くの力士から慕われ、内外の関係者や好角家に知られた名物的存在でもあった。

 大鵬部屋でともに育った大嶽親方(元十両大竜)は初日の前日、力士を集めて言った。「弔いの場所になる。みんな死ぬ気でやろう。忙しいのを言い訳にしちゃだめだ」。稽古場に祭壇が作られ、棺(ひつぎ)とともに愛用していた帽子が置かれた。

 部屋唯一の関取、大砂嵐は白星発進した。8月の所沢巡業後、タクシーに友鵬さんと同乗した時の話が忘れられない。65歳の定年後のことを聞くと「宮古島に帰って、海の前でゆっくりする。そうなっても俺のこと、忘れるなよ」と言われた。エジプトから来日し、すべてを教えてくれた恩人を忘れるわけがない。

 通夜は今日11日、午後6時から大嶽部屋で営まれる。【佐々木一郎】

白鵬2年連続の秋休場…昨年断食、今年はどう過ごす

部屋で体を動かす横綱白鵬(2017年9月6日)

 春場所で稀勢の里が横綱に昇進して4横綱となり、豪華番付となった大相撲。しかし、4横綱が皆勤した場所はいまだなく、秋場所では昭和以降初となる3横綱が初日から休場する緊急事態となってしまった。

 名古屋場所前から違和感があった左膝痛が原因で休場した横綱白鵬(32=宮城野)は、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)によれば「『もう少し時間があれば』と話していた。出たい気持ちはあった」と苦渋の決断だったようだ。

 8月25日。神奈川・小田原市で巡業が行われた。この日まで1度も土俵の上で稽古を行っていなかった白鵬は、稽古場にすら姿を現さなかった。支度部屋で治療もしくは、休養しているのだろうか、と思いながら朝稽古の取材を終えて、力士の取材のために支度部屋に移動している時だった。歩きながらふと、扉の開いている関係者入り口を見ると、けいこまわしを着けた白鵬が、1人黙々と体を動かしていた。太陽の光を浴びながら深呼吸をして、腰を落とし、ゴムチューブを使って上半身のトレーニング。どれぐらいの時間動いていたのだろうか。額には大粒の汗を流していた。

 8月28日に番付発表が行われた。3場所連続優勝と大台となる40回目の優勝を狙う白鵬も、ここからエンジンをかけるはずだったが、休場を決断する9月8日まで出稽古はおろか、関取衆と相撲を取ることすらなかった。しかし、やれることはやっていた。稽古後に、若い衆を相手にモンゴル相撲を行い、少しでも相撲の感覚が鈍らないようにしていた。宮城野親方は「若い衆がいなくなった後も、毎日1時間は四股を踏んでいた」とその努力を見ていた。何としてでも出場したいという気持ちは、所々に現れていた。

 2年連続で秋場所を休場することになった。昨年はこの時期に、今の活躍につながる断食を行った。休むことは相撲勘が鈍ることにつながるかもしれないが、この時にしか出来ないこともある。休むもよし、鍛えるもよし、新たな治療をするもよし。納めの九州場所に向けて、白鵬はどんな時間の使い方をするのだろうか。【佐々木隆史】

笑顔が抜群…忘れられない友鵬飯/元担当記者が悼む

友鵬さん(右)と大砂嵐

 大相撲の世話人、友鵬さん(享年60)のあまりに急な訃報に接し、悲しみが止まらない。運営のほとんどを「協会員」が担う特殊な大相撲の組織にあって、世話人の存在は貴重で、その仕事は多岐にわたっていた。あらゆる雑用をこなす縁の下の力持ち。中でも友鵬さんの“笑顔”はずばぬけていた。ちょっとしたトラブルがあっても、その人懐っこい、何ともいえない柔和な笑顔が解決した。

 相撲担当時代を思い出す。両国国技館の南門が関係者出入り口で、そこに設置された小屋に世話人たちが常駐する。記者は朝稽古を取材し、昼ごろに場所入りするのだが、個人的にそこはまさに“関所”だった。

 いつからか身を隠すようにこそっと通過するようになった。それは…。「おー、飯食って行けよ」。見つかると、小屋の友鵬さんから声がかかる。ありがたいこと、だがしかし…。「相撲飯」は半端ない。

 例えばどんぶりなど、店側も気を利かせた通常の2倍以上の特盛り。残せば「えびすこ弱し」のレッテルを貼られ、完食すれば「えびすこ、つええな」の喝采。頑張るしかない。さらに後押しは友鵬さんの笑顔だ。たとえ場所入り前に昼飯を済ませていようとも「友鵬飯」は必ず完食し、死にそうになった。

 もちろん、飯を食うだけではなく、いろんなことを教わった。角界のしきたり、ある力士の特徴、裏話…。お世話になったことばかりで、恩返しもできぬまま、訃報に触れることになってしまった。相撲人気が盛況を取り戻した今、友鵬さんが活躍する舞台はここからだった。ご冥福をお祈りします。本当にお世話になりました。安らかにお眠りください。【元相撲担当・実藤健一】