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力士も御朱印集め

 寺や神社を参拝して「御朱印」を集める人が増えている。全国各地を回る力士もご多分に漏れず。小結嘉風は3月の春場所後から、京都を皮切りに回り始めた。ただ集めに回るだけではない。歴史や由緒などを調べてから行く。

 「(長野県の)松本城の近くにある『四柱神社』は願い事がかなうと言われているんです」。嘉風にとって、願い事は1つ。「家族が幸せであることだけ。家族が幸せ=自分の仕事も充実しているってことですから」。その効果がここ2場所、出ているのだろうか。 十両天風も「心が洗われる」と回る。2月には復興城主になった熊本城を訪れて、城を築いた武将・加藤清正をまつる「加藤神社」を参拝。その加藤清正の生誕の地の寺が名古屋市内にあると知ると「行ってみたい」と興味津々だった。

 8月23、24日に東京・お台場で行われる夏巡業ではそうした盛り上がりに応えてか、限定の“御朱印帳”を販売してサイン帳代わりに使ってもらうほか、行司が相撲字で記す“御朱印所”も設けられるという。

 地方場所では寺社を宿舎にする部屋も多い。まして、大相撲は神事。力士や行司のサインも、御朱印のようなものか。【今村健人】

休場中も稽古場「ずっと努力」親方認める白鵬の強さ

白鵬


 3月。春場所真っただ中のエディオンアリーナ大阪1階。観客に混じって会場内に設置してあるテレビで、十両の取組を何げなく立ち見していた。会場隣のコンビニで買ったおにぎりを手にしながらだが、決してサボっていたわけではない。

 「今のいい相撲だったね」

 背後から男性の声が聞こえた。声の主は、木戸(正面入り口でチケットのもぎりを行う仕事)前の宮城野親方(元前頭竹葉山)だった。その後も数番、一緒に取組を見ながら、今のはああでもないこうでもないと話した。その話の流れの中で、弟子の横綱白鵬の体調を伺った。場所前に両足親指の負傷により休場を余儀なくされていたからだ。

 「今日も昼すぎに稽古場来てたよ」

 休場中なのに稽古場? と疑問に思ったが、聞けばリハビリや負傷した箇所に負荷がかからないトレーニングで汗を流していたという。ただ親方にとっては、珍しい光景ではなくいつものことだという。「あんなに努力している力士は他にいない。横綱になってもずっと努力しているし、今もいろいろ悩みながらやっている。だから強いんだよね」。それだけ言って、木戸の仕事へと向かって行った。

 5月。初場所、春場所と2場所連続休場明けから、夏場所出場に踏み切った白鵬。2場所連続休場は自身初。横綱とは言え、土俵勘に不安がないとは言い切れないはず。ただ「現役力士で1番稽古しているのは自分だと思っている」という自負が、白鵬の背中を押した。自他共に認める努力家。しかし復活優勝は逃し、千秋楽で「2場所(連続休場)というのがね。いい勉強になりました」と振り返った。まだまだ進化は止まらない。【佐々木隆史】

栃ノ心を採寸 右太もも91cm、尻回りにビビった

栃ノ心(左)との一番で待ったを掛ける白鵬(2018年5月24日撮影)


 20年以上前のことだが、師と仰ぐ先輩に言われたことがある。

 「ええか、記事で大事なんは事実の積み重ねや。下手な形容詞、副詞を極力使うな。オマエがいくら『すごい、すごい』って書いても、読者には何も伝わらん。そんなもん使う前に、数字とか具体的なもんを取材して書け」。そういうもんか、と思って、教えを守ってきたつもりです。

 慣れてくれると、気になることが増える。ゴルフ担当やった時、とても気になったんは、女子プロのスカートの丈。まあ男ですし、弊紙読者も男性が多いし、みんな知りたいところでしょう。例えば、イ・ボミちゃんや、キム・ハヌルちゃん。「膝上何センチやろ?」。知りたい。しかし、よう聞かん。測りたい。けど、もちろん無理。泣く泣く「推定膝上10センチ」とかでごまかしたもんです。

 さてここから、相撲の話。実は初場所から猛烈に気になることがありました。

 栃ノ心の太もも。

 何じゃ、あの太さ。よくたくましい太ももを「女性のウエスト並」てな言葉で表現しますけど、そんな生やさしいもんやないことは、一目瞭然。これはもう実際に測るしかない。女子プロゴルファーの膝上はあかんけど、そこは男同士。夏場所中、ドン・キホーテでメジャーを400円で買って、朝稽古の後にお願いした。

 関取、太もも測ってええですか?

 「いいよ」

 では、まず右。メジャーをくるりと回すと…91センチ! 女性のウエストどころか、バスト、それも巨乳並やないか。

 「あれ? 前測った時、85センチだったけどな。太くなったかな?」

 左…87センチ!

 (ちなみに身長168センチ、小太り、53歳の私は左右とも55センチでした)

 ものは次いで、首回り、上腕回りといろいろ測らせてもらいました。もう1つ驚いたというか、ちょっと焦ったのは尻回りを測った時のこと。144センチもあって、その時初めて、買ったメジャーの長さが150センチと自覚した。残り6センチ。あわや計測不能になるとこでした。

 「これだけ測ったんだから、服作ってくれるんでしょ?」

 無理です。私、テーラーやないし、メジャーで人の体測ったのは初めて、きっとそんな正確やないんで。何より、こんなでかいサイズの服をオーダーメードで作ったら、ナンボするか…。それはタニマチさんにお願いしてください。

 うっとうしいお願いを聞いてくださった栃ノ心関、ありがとうございました。これでアナタの原稿を書く時、もうちょっとマシなもんを書けると思います…多分。【加藤裕一】

結び5番前に「菊川茶」懸賞旗


 相撲人気に比例して懸賞の本数が増加している。永谷園などのおなじみがあれば、その場所ごとに新規で出す企業もある。今場所、新規で懸賞を出した企業は7社。静岡・菊川市役所と菊川市茶業協会は合同で、初めて出した。

 緑色ベースの旗に白文字で「深蒸し 菊川茶」と書かれた懸賞旗が、結びから数えて5番前の取組に毎日1本懸かっている。指定力士に懸けたり、結びの一番に懸ける企業がほとんどの中、なぜなのか。同市役所の担当者は「その時が一番視聴率もいいと思うし、結びとかだと懸賞が多くて埋もれてしまうので。売り上げはまだこれからだけど、問い合わせは相当増えました。狙い通りです」と、PR効果は抜群だった。

 新茶の季節であり、懸賞を出すのは夏場所だけ。来年も予定している。「本当は静岡出身の力士に懸けたいんですけどね」と本音もポツリ。13年春場所の磋牙司(現幕下)を最後に、同県出身の幕内力士はいない。「来年はそれも楽しみです」と声を弾ませた。【佐々木隆史】

「捨てたもんじゃない」現場の熱伝える手作り懸賞

感謝状を手に記念撮影に臨む森永製菓株式会社の森永剛太代表取締役会長(左)と八角理事長


 日本相撲協会が24日、「森永賞」を続ける森永製菓に感謝状を授与した。森永賞は初、夏、秋の東京場所限定の“ファン投票懸賞”で、その日1番の好取組に選ばれたものに懸けられる。1951年(昭26)初場所で始まり、67年にも及ぶ最古の懸賞でもある。

 投票方法は気持ちいいほどアナログだ。投票用紙がない。チョコ、キャラメルなどの森永製品の空箱に「今日1番」と思う取組と住所、氏名を書いて、午後3時半までに国技館内の投票箱へ。普段は100~200票、多くて約500票を担当者が紙袋で2、3度に分けて回収、記者クラブ内のテーブルで集計を行う。

 用紙のバラバラさが、また手作り感を醸す。ふぞろいな“ファンの声”を、この道12年の男性担当者は「私が言うのも何ですが、捨てたもんじゃないと思いますよ」という。人気力士の取組が多いかと思えば、そうでもない。遠藤絡みの取組は新三役の今場所こそ5度あるが、今まではほぼ圏外だった。場所の行方を左右する一番に票が集まる。白鵬全盛時は白鵬絡みの取組ばかりでマンネリともいえたが、それこそが“清き1票”だ。この日の森永賞は文句なしで「白鵬-栃ノ心」。SNS全盛の時代に、現場の熱を伝える懸賞が輝いている。【加藤裕一】

白鵬の強さは外国人も感じ取れる

アンケートで白鵬を選んだノルウェー人のマーレンさん(右)と遠藤を選んだスイス人のデリアさん


 連日、満員御礼の両国国技館には、多くの外国人観光客が訪れている。欧米やアジアなど、さまざまな地域から、大相撲に詳しい人も、そうでない人も観戦。そこで日刊スポーツでは、初日から休場した横綱稀勢の里、大関高安を除く三役以上の7人(鶴竜、白鵬、豪栄道、栃ノ心、逸ノ城、御嶽海、遠藤)を対象に、夏場所を観戦した外国人女性50人にアンケート。顔が分かる写真を見て、好みの力士を回答してもらった。

 1位は18票を獲得した白鵬だった。ノルウェー人のマーレンさんは「チャンピオンっぽくてカッコイイ」と、見た目だけでなく実績を加味して選んだ。他に白鵬を選んだ理由は「真剣な目つきがいい」(オーストラリア人のエミリーさん)や「初めての日本で全然分からないけど、ディス イズ スモーって感じ」(ブラジル人のキャロラインさん)などと、いずれも直感的に強さを感じていた。

 これには白鵬も「海外の人は分かってるね。NHKは海外でも放送しているからかな」と、うれしそうに話した。白鵬に続くのが遠藤(11票)御嶽海(7票)鶴竜&栃ノ心(ともに5票)豪栄道(3票)逸ノ城(1票)。「かわいい」という意見が多かった。女性ファンの増加は、国内だけではなく外国人も同じだったと判明した。【高田文太】

ネット情報発信量が多いから「鳴戸部屋」


 鳴戸親方(元大関琴欧洲)が新序出世披露にほくそ笑んだ。鳴戸部屋には今場所、3人の新弟子が入ったが、そのうち1人が狙い通りの入り方だったからだ。相撲未経験で角界の門をたたいた欧樹は「ネットで調べたら一番情報量が多かったから」と鳴戸部屋を選んだ理由を話した。ツイッターやユーチューブで相撲界のことを調べると、鳴戸部屋が浮上。そこから関連して部屋の公式HPにつながり、新弟子募集欄から稽古見学のメールを送ったという。すると返信メールで、1日入門体験を勧められ、そこで「これならやれる」と角界入りを決意した。

 鳴戸親方いわく、昨年4月に創設した鳴戸部屋は「地元がない」状態だという。だから「うちの部屋はこんな感じ、というのを知らせている。今はネット社会だから。そこから縁がつながればいい」ともくろむ。部屋のHPの他に、部屋のツイッターと親方の個人ブログがあり、ほぼ毎日更新されている。そのかいあってか「ネットがきっかけで入門したのは初めて」と新たな道筋をつけた。さらなる部屋の拡大に向けて、今日もネットの更新にいそしむ。【佐々木隆史】

豊響 生命の危機乗り越え関取復帰目指す

豊響


 元幕内で東幕下20枚目の豊響(33=境川)が生命の危機を乗り越え、関取復帰を目指している。現在3戦全勝と、3場所ぶり勝ち越しに王手。3勝目を挙げた5日目は「久しぶりに自分らしい相撲を取れた」と立ち合いでぶちかまし、前に出る快勝に笑顔を見せた。

 1月4日の稽古中、急に発病した。師匠の境川親方(元小結両国)は「少しのことでは痛がらないのに、うずくまって動けなくなったので、ただごとではないと思った」と、すぐに救急車を呼んだ。「心室頻拍、心房細動」いわゆる不整脈だった。1週間後に退院し、一命は取り留めたが、医師から心臓にペースメーカーを埋め込むことを勧められた。それを受け入れれば引退-。1月初場所を全休して様子を見ると快方に向かい、3月春場所はぶっつけ本番で臨んで2勝5敗。稽古再開は4月中旬だった。

 実は倒れた5日後に第1子の長男太綱(たづな)くんが誕生した。里由貴夫人が帰省中の2月上旬まで、再発を懸念して部屋で集団生活。下積み時代を思い出すと同時に「名前に『太』という字があるのにガリガリってわけにはいかない」と、愛息を不自由なく食べさせる決意が芽生えた。同じく関取復帰を目指して幕下で3連勝中の豊ノ島とは「全勝同士で対決」と約束を交わした。周囲の支えに感謝し「もう1度幕内で」と誓った。【高田文太】

角界変化…エレベーターも開放

これまで国賓級の要人のみ使用されていたエレベーターを、一般にも開放したことをPRする芝田山総合企画部長(左)


 国技館の正面入り口を入り、広いエントランスを抜けたすぐ右にエレベーターが1台設置してある。これまで一般開放はされていなかった。天覧相撲時の天皇、皇后両陛下や、過去には86年に初来日した際に本場所を観覧したチャールズ皇太子ダイアナ妃夫妻らが館内を移動する時に使われてきた。協会職員によれば「国賓級の方が使える」というエレベーターが、今場所から一般開放された。

 館内には1階と2階を結ぶ階段が数カ所あるが、エスカレーターは正面入り口から入った所に上り用と下り用が1台ずつあるだけ。そのエスカレーターの幅は大人1人分と狭く、動くスピードも速いためベビーカーを押す人や年配者などから、改善を求める声が寄せられていたという。

 そこで芝田山総合企画部長(元横綱大乃国)が「時代も変わってきた。なによりも安全性が大切」と、エレベーターの一般開放に踏み切った。ただし原則的には、ベビーカーを押す人や車いすに乗っている人など補助が必要な人に限って使用が認められる。時代の流れとともに、角界も少しずつ変化しようとしている。【佐々木隆史】

貴乃花親方も振分親方も 豪華すぎる審判部

序の口、序二段の審判をする貴乃花親方(撮影・鈴木正人)

<大相撲夏場所>◇2日目◇14日◇東京・両国国技館


 今場所から阿武松審判部長(元関脇益荒雄)をはじめ、新たに8人の親方衆が審判部として、土俵下から取組に目を光らせている。年寄へと計5階級降格し、自らを「一兵卒」と呼ぶ注目の貴乃花親方(元横綱)のほか、副部長の錦戸(元関脇水戸泉)、玉ノ井(元大関栃東)、友綱(元関脇旭天鵬)の各親方といった優勝経験者、さらに二子山(元大関雅山)、西岩(元関脇若の里)、振分(元小結高見盛)という人気者の各親方が新たな顔ぶれだ。

 八角理事長(元横綱北勝海)は「審判部はもとから出島、千代大海、魁皇がいて、栃東、雅山も入った。元大関が多くて、どこの審判でも『オーッ』となる。お客さんを喜ばせることができる。そこに貴乃花がいる。今回(の人事)はだいぶ、そういうのも気を使った。充実している」とメンバー構成に自信を持つ。

 夏場所2日目の14日、最も早い午前8時半から序ノ口、序二段を土俵下で見た貴乃花親方は「新鮮ですよ。将来ある子が多くて気持ちいい」と入門当時を思い出して笑顔。代役で昨年春場所で1場所務めて以来、初の審判部配属となった振分親方は「期待に応えられるよう頑張りたい。マイクも…。苦手ですが頑張ります」とファンを意識。親方衆も歓声を意気に感じる相乗効果が生まれている。【高田文太】

皆が復活願う稀勢の里の危機に慣例よりも一致団結を

横綱稀勢の里(2018年2月4日撮影)


 横綱稀勢の里(31=田子ノ浦)の夏場所休場が決まった。横綱の途中出場は考えられず、初の2場所連続全休が確実。何よりも1958年(昭33)の年6場所制以降の横綱では、貴乃花と並ぶ最長の7場所連続休場という不名誉な記録となった。休場を発表した師匠の田子ノ浦親方(元前頭隆の鶴)は「次は大事な場所になる」と、涙ながらに語った。次に出場する本場所では、少なからず進退を問う声が出てくる見通しだ。

 これ以上の休場も難しい雰囲気が漂い始めた。次の名古屋場所に照準を定めるとなると、7月8日の初日までは、すでに2カ月を切っている。夏場所後から始動したのでは、名古屋場所に向けて稽古が本格化する新番付発表まで、すでに1カ月を切った状態。夏場所休場の際の診断書には、左大胸筋痛で「約1カ月激しい運動を制限する」と記載されていた。だからといって、1カ月間何もしなければ、確実に名古屋場所も間に合わないだろう。その間、本場所の緊張感の中で、心身ともに研ぎ澄まされていくライバルとの差を縮めるには、今すぐにでも「激しい運動」こそ避けつつ、衰えた筋力の回復に努めるなど、できることから始めなければ、同じことを繰り返す。

 稀勢の里ほど大相撲ファンはもちろん、現役力士からも親方衆からも、復活を期待されている力士はいないだろう。猛稽古で知られた先代の故鳴戸親方(元横綱隆の里)に指導を受けていたころは「朝稽古」といいつつ、そのまま午後まで突入することもあった。ちゃんこ番では、麺類は麺を作るところから始まる。私生活も厳しく指導され、新聞に冗談として、ふざけているように受け取られるコメントが掲載されると、師匠の前で何時間も正座させられた。本人の口からそういうことを知らされることはなく、部屋の別の力士から聞き、申し訳ないことをしてしまったと猛省した記憶がある。中学卒業後すぐに入門し、どんなに厳しい環境でも不平不満を一切口にせず、耐えて忍んで謙虚に振る舞う。それでいて気は優しくて力持ち。そんな誰からも愛される要素を持つ稀勢の里が窮地に立たされ、力を貸したいと思っている関係者は多いはずだ。

 もはや後がなくなったのだから、慣例などにとらわれず、あらゆることを試してもいいと思う。例えば夏場所中であっても白鵬に胸を借りたり、同じ7場所連続休場の貴乃花親方に当時の心境など助言を求めたり、他競技のアスリートと合同トレーニングをしたり。稀勢の里の頼みなら、誰も迷惑がらず歓迎するだろう。それだけ努力の実績は認知されているのだから。横綱同士だから、場所中だから、一門が違うから、前例がないからと、これまでのしきたりに従えば、一歩を踏み出せない理由はいくらでもある。それでも今、何かをやり始めなければ、復活できないまま引退に追い込まれ、後悔するような気がしてならない。人一倍苦労してきただけに、そんな思いを抱えたまま現役生活を終えてほしくない。

 親方衆も、一門の枠を超えて助言してもいいと思う。もちろん、さまざまな意見は混乱を招きかねないが、横綱まで上り詰めたのだから、取捨選択しながら、自分に合うものを取り入れればいい。ただ、やみくもにこれまでと同じ稽古をするよりも、助言などによって新たな選択肢や刺激が加わるだけでも、浮上のきっかけになるかもしれない。現在の大相撲の大看板が危機に直面している今こそ、風通し良く、一致団結して手を差し伸べればいいと思う。普段は敵でも、巡業などでは一緒に過ごす時間も長く、大家族のようなところが大相撲の強み。その強みを最大限に生かすべき時が来たように思う。【高田文太】

白鵬の人間力注目、父の死乗り越え夏場所母へ元気を

白鵬


 数々の記録を樹立してきた大横綱にとって、出場を目指す大相撲夏場所(13日初日、東京・両国国技館)は、その「人間力」が問われる場所になりそうだ。

 すでに前人未到の40度の優勝を打ち立てた横綱白鵬(32=宮城野)に“逆風”が吹いたのは、昨年11月の九州場所後。節目の40度目Vを決めたが、かち上げや張り手といった立ち合いの乱れや、土俵態度を横綱審議委員会から苦言を呈され、改善を余儀なくされた。すぐに直せるものではない。試行錯誤の翌初場所は、やはりリズムを乱したのか3日目からの連敗で5日目から休場。ケガの影響で春場所は初日から休んだ。

 土俵上での立ち居振る舞いは、土俵で直し、名誉挽回すればいい。だが、どうにもならない失意にこの4月、見舞われた。故郷のモンゴルでは英雄的存在だった父ジジド・ムンフバトさんの死だ。葬儀のためモンゴルに帰国する先月11日、それを済ませ再来日した15日と、いずれも成田空港で白鵬を取材したが、さすがに憔悴(しょうすい)の色は隠せなかった。

 さらに再合流した19日の千葉・柏巡業の支度部屋で話を聞いた際も、本場所で見せる勝ち気な姿は影もなく、生気は失われていた。父のことに思いをはせ、酒を2人で酌み交わしたことを思い出して、ぽつぽつと語ったものだった。「酒って、いいもんだよね。優勝した時に飲む酒とは、また違うもんだったな。(なき父が)『もう、このへんで(飲むのを)やめよう』と言った時、初めて『ああ(父に)勝ったな』と思ったね。5、6年前だったかな。若かったら、もっと飲んでいたんだろうけどね」。さらに形見について聞いた時にも、しんみりした口調で「う~ん…。いっぱいあるけど、いただいた、この自分の体だよ。この体を大事にして、横綱としていちばん長生きしたいね」。モンゴルにいる母親のタミルさん(70)にも思いをはせ「みんなで支え合って、自分も心配させないようにしないとね」と言って、視線を足元に落とした。

 肉親を亡くした心中は、いかばかりか。天国で見守る父を安心させ、故郷で暮らす母を元気づける活躍は、夏場所で見せるしかない。

 データの後押しはある。夏場所優勝8回は、年6場所の中で九州場所と並ぶ最多。そのうち全勝5回も最多だ。史上最多の通算1066勝のうち、夏場所の195勝も6場所で最多、勝率8割4分4厘は秋場所(9割2分)に次ぐ。新入幕の04年、新大関の06年、3回目の優勝を初の全勝で飾り横綱昇進を決めた07年と、いずれも夏場所の思い出だ。そして6場所で唯一、休場がないのも夏場所。そんな相性の良い場所で、再浮上のきっかけをつかめるか。失意からはい上がる、白鵬の「人間力」にも注目してみたい。【渡辺佳彦】

人気者の朝乃山 豊山とのライバル物語に注目

朝乃山


 5月13日に初日を迎える夏場所まで、1カ月を切っている。4月1日から始まった春巡業も、きょう27日で終了。4月30日には夏場所の新番付発表も行われ、いよいよ本場所へのムードも高まってくる。だが、今巡業中も「女性は土俵から下りて下さい」問題や、力士が子どもに稽古をつけるちびっ子相撲に「女の子上げない」問題など、またも土俵外での話題で角界が揺れた。昨年11月に元横綱日馬富士関による傷害事件が発覚以降、止まらない不祥事ラッシュ。以降、このネットコラムでも各相撲担当記者がその時々の“不祥事ネタ”を扱ってきた。ただ、そろそろ純粋に本土俵に集中したい、楽しみたいと思う今日この頃。今回は不祥事ネタを回避しようと思う。

 巡業中の支度部屋でぼやいていたのは、平幕の朝乃山(24=高砂)だった。近畿大出身のいわゆる学生出身力士で、16年春場所に三段目最下位格付け出しデビューした。あれよあれよと、9場所連続勝ち越しで昨年秋場所で新入幕に昇進。実力に加えて、かわいらしい顔ということもあり人気もある。ファンと密接になる巡業では、ひとたび外に出れば大勢のファンから写真撮影やサインをねだられる。この日も、昼食を会場外の売店に買いに行き、支度部屋に戻ってくるまでに多くのファンと触れ合った。喜ばしいようにも思えるが、浮かない顔でため息をついて言った。

 「また豊山に間違えられました」

 朝乃山にとって豊山は、同期の中でも特別な存在だ。豊山も東農大出身の学生出身力士で、同じく三段目最下位格付け出しで16年春場所でデビューした。富山出身の朝乃山と新潟出身の豊山は、高校時代も一緒に稽古をしたことがある仲。そんな2人が同期で、しかも同じ場所で同じ番付でデビューした。そして記念すべきデビュー戦が、朝乃山-豊山だったのだ。軍配が上がった豊山は、デビュー場所で全勝優勝。翌夏場所も幕下全勝優勝して、朝乃山よりも2場所早く、昨年夏場所で新入幕に昇進した。

 たかが一番、されど一番。朝乃山の豊山への嫉妬心というか、執着心というか、ライバル意識はかなり高い。一方、豊山はさらっとしている。その2人の“すれ違い”が、またも朝乃山の闘志を燃やす。2人の取組が分かると、朝乃山は「絶対に負けられない」などと意気込めば、豊山は「向こうが意識してるだけですから~」と1歩引いた、どこか余裕が感じられるような言い回しでいなす。「今日どうでしたか?」「懸賞何本ですか?」と相手の勝敗、懸賞を気にするのはいつも朝乃山。そしてなぜか、それだけ意識している同期にファンから間違われることが多いという。

 という訳で、豊山に間違われるのはショックというか、歯がゆいというか。ただ、2人の仲は決して悪くない。本場所中でも支度部屋で一緒になれば、取組後に2人で話す場面をよく見るし、巡業中も談笑する場面もよく見る。まさに良きライバル、と言ったところか。

 春場所を西前頭13枚目で8勝した朝乃山と、西前頭11枚目で10勝した豊山。夏場所の番付では、それなりの開きが出てくると思われる。それがまた朝乃山の闘志に火をつける。間違われたことに肩を落としたのもつかのま、「絶対に抜いてやりますよ」と、近くにいる豊山に聞こえるか聞こえないかぐらいの声の大きさで、ニヤリとしながら言った。若手の台頭が目立つ昨今。こんな2人のライバル物語に目が離せない。【佐々木隆史】

豊山

不祥事ラッシュの相撲界も…今後は是々非々で堂々と


 相撲担当で1年。知人によく言われる。「オマエ、持っとるな~」。半笑いの問い掛けに、イラッとさせられ「相撲を取材してるんは山ほどおるがな」と思ったりする。しかし、この1年…いや半年は確かに異常な不祥事ラッシュやった。

 横綱の暴行事件が昨年11月の九州場所中に発覚し、1月には関取が無免許運転で捕まり、泥酔行司が後輩にキスして辞職に追い込まれ、3月春場所では、日本相撲協会を告発した親方の弟子が付け人をどついた。

 「相撲って話題豊富やね」と周りに言われ、何べんため息ついたことか。春場所も終わって、さすがに「もう打ち止めやろ」と思ったら、巡業の土俵で男性市長が倒れ、救命措置を行った女性に「土俵から下りてください」という場違いアナウンス。暴力、道交法違反、セクハラ、暴力の次は、土俵の女人禁制に絡む問題かい。貧すれば鈍すというか、地獄モードの負の連鎖というか。ここまで来たら、こっちもげんなりして、笑うしかない。

 そんなこんなの日本相撲協会。テレビのワイドショーのコメンテーター、MCに鬼の首をとったような態度でボロクソ言われ、その扱いたるや、ひどいもんです。曲がりなりにも現場で力士、親方らを取材している立場からすれば「どんだけお偉い方か知りませんが、そこまで言いますか?」と思ったりもする。

 確かにカラオケのデンモクで人を殴ったらあかん、無免許運転はあかん、人命最優先ちゅう判断ができんのもあかん。当然や。だから、ペナルティーを受け入れ、反省して、同じミスを犯さん努力はせなあかん。それも当たり前です。

 しかし、そもそも相撲界って、力士がまげを結って、浴衣着て、東洋の神秘好きの外国人が「オーッ! スモウレスラー!」と喜ぶ世界ですがな。江戸時代を思わせる外見、慣習の特殊性が魅力なわけで、そこが伝統であり、もっと俗っぽく言えば売りなんでしょ?

 一般社会の物差しを当てはめて、ならしていったら、最終的にただの太った力持ちの集団になってまうんちゃうかな。そんなことも思ったりするわけです。

 ダメなことは続きました。この勢いやとまだ、何かあるかもしれん(ヒーッ)。でも、大事なんは今後ですわ。ええことはええ、悪いことは悪い。決して協会の肩持つわけやないけど、是々非々で、堂々といきましょうや。【加藤裕一】

「相撲協会=悪」? 襟を正すのは報道機関も同じ


 「お相撲さんは口べた」。世間の多くの人が抱いているイメージだろう。現役時代は「不器用だけど頑張っている」などと、ほほえましく見られ、好意的に受け取られることが多いと思う。ところが引退して親方になると、その延長線上にあるとは思われなくなる。無言や説明不足の親方は、世間から大きな批判を浴びることが多い。昨年11月に発覚した、元横綱日馬富士関による暴力問題から続く一連の不祥事も、言葉足らずな親方衆の言動から波紋が広がったように思う。

 「日本相撲協会=悪」。歴代の理事に、こわもてが多いことも手伝い、このイメージも根強いと思う。そのイメージが強く出たのが「女性は土俵から下りてください」と複数回アナウンスされた問題だ。今月4日に京都・舞鶴市で行われた巡業で、多々見良三市長が土俵であいさつ中に倒れ、救命処置を施していた女性に土俵から下りるよう場内放送で促された。もちろん人命にかかわる緊急事態であり、この場内放送は非常識で批判されて当然だ。ただ「日本相撲協会=悪」のイメージが強すぎるからか、世の中も冷静さを欠いていると感じていることがある。

 この問題が起きた時、巡業部長の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は当初、トイレに行っていたと説明した。その後、インターネット上に、騒然となる土俵の後方に立つ同親方の画像が出回った。同親方は後日、トイレを含めて、次の巡業先への移動準備など、その後に控える幕内の取組を見るために会場裏におり、後から市長が倒れているところを目撃したと言った。当初の説明を補足した格好。その場で取材した新聞、通信社計5社、民放テレビ局1社は、いずれも「ウソをついていた」とは報じていない。当初のコメントからの「補足」という報道だったが、イメージ先行で「ウソ」と変換されていった。

 不思議なことに、その場に来ておらず、1次情報を持たないテレビ局に限って、こぞって「ウソをついていた」と“断言”するようになっていた。情報番組ではウソをついていたことを前提に、出演者が「バカ」とまで発言している。相撲界に起きた暴力については声高に批判しているが、これも言葉の暴力ではないのかと思った。立場が弱まっている人には何を言ってもいいのだろうか-。

 事情を知らない視聴者は、まさか「ウソをついていた」という報道が「ウソ」とは思わないだろう。一連の不祥事で相撲協会は、随所でほめられたものではない対応を取っている。「口べた」では済まされない言動は目に余る。ただ、だからといって間違った情報を使って、特定の団体や個人をおとしめることが許されるわけもない。そういったことの積み重ねが少なからず影響しているのか、ついには相撲協会執行部や関係者への殺害予告まで出た。襟を正さなくてはならないのは、相撲協会だけではなく、我々、報道機関も同じだと思わずにはいられない。【高田文太】

女人禁制問題に塩問題…角界の盲点見直す機会に

塩かごとタン壺


 またぞろ出てきた。われわれスポーツ紙やテレビのワイドショーにとって格好のネタが…。暴力やセクハラ、無免許運転といった類と、今回は趣が異なる。ただ今回の件でも、一部に相撲界が誤解されていると思われるものがあった。

 4月4日に京都・舞鶴で行われた大相撲の春巡業。地元・舞鶴市の多々見良三市長(67)が土俵上であいさつしている際に突然、倒れた。その後、救命処置を施している女性に対し、若手の行司が土俵から下りるよう、場内放送でアナウンスした問題が波紋を広げた。それに対する論調は他に譲る。

 指摘したいのは、女人禁制何するものぞ…という世論の声に乗じるかのように、同列で論じられた「塩問題」だ。女性が土俵に上がったことでその後、大量の塩が土俵にまかれたという一部報道があった。それには首をひねるしかない。

 本場所にしても巡業にしても、また各部屋の稽古場にせよ、塩をまくには意味がある。これから始まる戦いの場を清めるためにまく塩。また、力士が稽古や取組でケガをしたり、血が飛び散ったりした際にも一度、塩をまいて呼び出しさんや若い衆がはいて、清める。同じようなことが起きませんように-。神聖な土俵を鎮める、そんな思いが込められている。

 問題が起きた翌5日、日本相撲協会の尾車事業部長(元大関琴風)も「人命より大事なものは、この世に存在しません。女性が土俵に上がってはいけない、という話とは次元が違います」と報道対応で話した。その上で、この「塩報道」については「女性蔑視のようなこと(考え)は日本相撲協会には全くない。本場所でも稽古場でもケガして運ばれたり、血しぶきが飛んだり、首を痛めてひっくり返ったり(そんな)アクシデントの連鎖を防ぐために塩をまくのがボクらの世界。女性が上がったから土俵を清めるために大量の塩をまいた、というのは(報道は)残念。全くない」と肩を落とした。

 「単なるスポーツではない」といわれる相撲界。なかなか分かりにくい世界ではある。だからだろうか。同じメディアでも専門業界の外で、誤解されるような報道も昨年末から多々あった。もちろん角界も、考え直さなければならない問題を抱えている。今は、不本意なものもあろうが、メディアに取り上げられることで盲点だった角界の常識を見直す良い機会、ととらえればいいのではないか。それも懐の深さ。もちろん、今回の「塩問題」は論をまたないと思うが。

意外かもしれませんが…貴乃花親方は人間味ある親方

厳しい表情で会見する貴乃花親方(撮影・岡本肇)


 「一兵卒として出直して精進します」と言った、貴乃花親方(元横綱)。弟子の十両貴公俊が春場所8日目の3月18日に、支度部屋で付け人へ暴行。元横綱日馬富士関の傷害事件の対応を巡って相撲協会と対立していた貴乃花親方は窮地に立たされる形となった。心をあらためたのか、初日から無断欠勤や早退が続いていたが、暴行が発覚してからは毎日まじめに“出勤”するようになった。そして13日目の23日、内閣府に提出していた告発状を取り下げる意向を明かした時に言った言葉が、冒頭の言葉だ。

 「一兵卒」という言葉は、私たちの普段の生活ではあまりなじみのない言葉のような気がする。疑問に思った報道陣から「あの言葉はどこから」と問われると「一兵卒という言葉が頭にあって。親父からも育てられてますので」と明かした。師匠でもあった父の元大関貴ノ花(故人)の教えだったという。だから何だ、と言われたらそうだが、何となく「へー」と思った。このやりとりは、千秋楽の25日の朝稽古後のことだった。

 実は朝稽古では、報道陣とざっくばらんに話すことが多かった。テレビや新聞で取り上げられるのは、どうしても協会との対立姿勢に関する言動ばかりになってしまう。ただ、その裏ではこんなやりとりもある。

 雨が降った日だった。貴乃花部屋の稽古場は、京都・宇治市の龍神総宮社の敷地内にあるのだが、雨宿りする所がない。とは言いながらも、稽古場の横に長ベンチが置かれた屋根付きのスペースがあるにはあるが、敷地内での写真撮影や力士への取材が規制されていたので、何となく記者の間では近寄りがたい雰囲気があった。傘をさして遠目から見ていると、貴乃花親方が話しかけてきた。「こちらへどうぞ」。優しく記者らに話しかけてきて、そのスペースに誘導してくれた。たまたま1番後ろにいた記者は、右手でそっと背中を押された。「平成の大横綱」のパワーを感じた、と言うのは大げさかもしれないが、「こんな一面があるのか」と思った。

 またある日は、報道陣に対して「朝早くから大変ですね」と気遣う時があった。「どこから来たんですか?」と、逆取材するほどだ。会場のある大阪市内の宿に泊まっている各社の記者は、6時過ぎには稽古場に着くように、大阪から始発の5時の電車に乗って通っていた。なぜなら、7時ごろには朝稽古が終わってしまうからだ。それを逐一真面目に説明すると「そうなんですか」「へー」「大変ですね」と驚きの表情で返してくる。生意気言わせてもらいますが、本当に大変でした。

 千秋楽の朝稽古後、いつもなら報道陣に対応する時間になっても、稽古場の周りをうろうろしていた。弟子が全員宿舎に戻り、稽古場の明かりが消えても1人でずっとうろうろ。1時間弱がたち、ようやく報道陣の前に来ると「落ち葉拾いです。若い衆は若い衆できれいにしていたけど、目が届かないところもあるので」と、稽古場周りをうろうろしていた理由を説明した。

 メディアで取り上げられるのは、無表情だったり、無言だったり、淡々と話したり…。人間味をあまり感じない、という読者もいたのではないだろうか。だが、決してそんなことはないというのが、朝稽古の取材で感じ取ることができた。記者は貴乃花親方を批判するつもりでも、擁護するつもりでもこのコラムを書いた訳ではない。ただ、1人でも多く「へー」と思ってくれる読者がいればいい、と思い執筆しただけです。【佐々木隆史】

貴乃花親方「弟子と一緒に育っていく」貴源治と稽古

祝勝会の途中で報道陣の質問に答える貴乃花親方(撮影・鈴木正人)


 珍しい光景だった。千秋楽の朝、稽古場にいた貴源治が大柄の男と四つに組み合っていた。稽古場に記者は入れないため、外から窓越しに様子をうかがう。目を凝らして見ると、大柄の男は貴乃花親方だった。

 この日、7番相撲で勝ち越しを決めた貴源治にとっても驚きだった。「手取り足取りこうした方がいいと初めて言ってもらった」。効果てきめんだった。

 貴源治の双子の兄・貴公俊が付け人に暴行したことを、貴乃花親方は自分の責任だとした。元横綱日馬富士関の傷害事件の対応を巡り、日本相撲協会と対立。ピリピリとした雰囲気が、弟子に悪い影響を与えたと後悔した。だからこそ「少しでも気分転換になれば」と場所後半からは、これまでよりも近い距離で身ぶり手ぶりでの指導が増えた。

 「何が何でも師匠は師匠。親方が代わったら相撲を続けられない。2度と同じことが起きないように、部屋全体でなくそうとやっていきたい」と貴源治。貴乃花親方は「弟子と一緒に(自分も)育っていくべきだと思う」と決意した。師匠と弟子、一心同体で苦難を乗り越えようとしている。【佐々木隆史】

関取最軽量94キロの課題、10敗の炎鵬に重さの壁

炎鵬(2018年3月6日撮影)


 現役関取最軽量94キロで新十両の西14枚目炎鵬(23=宮城野)が180キロの徳勝龍に押し倒された。左への変化は見きられた。突き押しで体を起こされ、潜れなかった。「(考えたことが)空振りでした」。負け越しは決定済みで幕下陥落は確実の中での10敗目。今場所の十両の平均体重は156・3キロ。重さの壁を痛感している。

 炎鵬の兄弟子、平幕の石浦が言う。「友哉(炎鵬の本名)にはいろんなアドバイスがあると思う。『今のままでいい』とか『もっと太れ』とか。僕は太る努力をして欲しい。きっと違う世界が見えるので」。自分も小兵。13年初場所の初土俵時は96キロで、116キロの今も幕内最軽量だ。かつて無理に120キロにし、前に落ちる負けが続いた。やって初めて分かること。そこを知ってほしいという。

 炎鵬は十両を肌で知り、思うことがある。あと何キロ必要か。「10キロ。110キロあればそれに越したことはない。でも(せめて)105キロあれば、もっと相撲になる」。100キロ未満力士の新十両は01年初場所の小緑(99キロ)以来だったが、きっと身も心も大きくなって、十両に戻ってくる。【加藤裕一】

関取と付け人は互いに高めあうもの

貴公俊(左)と貴乃花親方(2018年1月18日撮影)


 貴公俊が付け人を殴って問題になった。「付き人」でなく「付け人」。親方が部屋の若い衆(幕下以下の力士)を関取に付けるから「付け人」と言われる。一般的に十両以上は関取1人に対し、2、3人が付く。仕事は多い。支度部屋で着替えを手伝ったり、準備運動で対戦相手の代わりになったり、風呂場で背中を流したり、タクシーを手配したり。定期的に付け人を入れ代える部屋もあれば、10年以上にわたって代わらないこともある。師匠の考えが、そこに反映されるのだ。

 関取未経験の若い力士にとって、付け人を務めることは貴重な経験になる。十両や幕内のピリピリした雰囲気を肌で感じ、関取衆がいかにして取組に向けて集中力を高め、準備していくかを目の当たりにできる。

 関取にとっては、付け人の実力を心身ともに引き上げることも大事な仕事だ。相撲のいろはを教え、関取の立ち居振る舞いも学ばせる。横綱稀勢の里、大関高安らも、かつては若の里(現西岩親方)の付け人を経験して、関取として巣立っていった。

 付け人が関取の「戦力」になることもある。番付は下位でも、観察眼に優れ、作戦を練る上で付け人が頼りになる場合も多い。近年では、安美錦と扇富士(引退)、豊ノ島と豊光(引退)、北太樹(現小野川親方)と太田などはその典型だろう。名参謀として、関取の頭脳にもなっていた。

 実は今場所、役員選挙の感情のもつれがきっかけで、ある幕内上位力士の付け人が交代したと聞いた。これまで、ある部屋から借りていた付け人を、あえて借りなくなったという。生々しい人間らしさこそ大相撲の魅力の1つだが、そこはやはり力士が力を出せる環境作りを望みたい。

 関取が取組で勝った時、支度部屋に残ってモニターを見つめていた付け人が「よっしゃ!」と自分のことのように喜ぶ光景は、いつみても和む。旭天鵬(現友綱親方)が優勝した時、花道の奥で付け人たちが涙を流して迎えたシーンも有名だ。互いにいい関係でありたい。【佐々木一郎】

46番目の相撲部屋、西岩親方が語る将来

西岩親方(後列中央)と西岩部屋の力士(西岩親方提供)


 今場所から46番目の相撲部屋として、西岩部屋が始動した。師匠は元関脇若の里の西岩親方(41)。稀勢の里、高安らの兄弟子で、田子ノ浦部屋の部屋付き親方から独立した。弟子は序二段2人と、前相撲で初土俵を踏んだ3人。今場所は大阪市の田子ノ浦部屋の近く、東京では浅草に部屋を構えている。

 部屋付き親方もマネジャーら裏方も不在で、既存の部屋を継承したわけでもない。まったくのゼロからスタート。1年前に入門した19歳の若佐竹が最年長で、5人全員が未成年。西岩親方は「相撲の取り方も、ちゃんこの作り方も知らない。だから朝は一緒にまわしを着けて稽古し、ちゃんこも作る。夜も毎日、一緒にちゃんこを食べる。新弟子生活に戻ってます」と笑う。

 独立すれば後援者との付き合いも必要だが「皆さん部屋に来てもらって、一緒にちゃんこを食べます。弟子は本当の子どものようなもの。それを置いて自分だけ外で食べることなんてできない」。まっすぐな姿勢を理解してもらっている。

 今は稽古で胸を出しても「全員1ミリも押せない」という。だが「将来、自分が羽目板にぶつけられる日が来たら、こんなうれしいことはない。現役時代は屈辱的だったのにね」。部屋について語る時は終始、目が輝いていた。【高田文太】

3場所連続ゲットの離れ業、不戦勝に愛された力士

勝ち名乗りを受ける魁聖(撮影・渦原淳)


 東前頭6枚目魁聖(31=友綱)が労せず勝った。この日の対戦相手、貴景勝が休場。朝稽古中に“朗報”を受けた。相手を思えば手放しで喜べないが、心の中で「ばんざ~い! 休みだ~!」と叫んだ。思わぬ10勝目。疲れのたまる終盤戦で、しかも怪物・逸ノ城に初黒星を喫した翌日の不戦勝に「昨日で全部パワー使って筋肉痛だったんで」と笑った。

 不戦勝・不戦敗制度が始まった1928年3月以降、魁聖ほど不戦勝に愛された力士はいない。16年名古屋場所で史上21例目の「1場所2個」(初日=大砂嵐戦、7日目=琴奨菊戦)を経験し、今回は17年九州場所3日目の碧山戦、初場所6日目に安美錦戦に続き、3場所連続ゲットの“離れ業”となった。

 通算獲得数10個は出羽錦の11個に次ぎ、栃乃洋、魁皇に並ぶ史上2位。他の3人は全部幕内で手にし、幕内在位数は出羽錦77場所、栃乃洋81場所、魁皇107場所だが、魁聖は最初の1個を手にした十両の6場所を含めても、まだ46場所。驚異の“ごっちゃん率”なのだ。

 「みんな、オレの時に休んでくれて優しいね」と冗談が口を突く。鶴竜とは残り4日でまだ1差。強運が最高のフィナーレを呼ぶかもしれない。【加藤裕一】

白鵬の「すっきりしたか?」に豪風が出した答え

碧山を突き落としで破る豪風(左)(撮影・岡本肇)


 西十両1枚目の大ベテラン豪風(38=尾車)が10日目で勝ち越しを決め、再入幕に大きく前進した。相手は、幕内のV戦線に残る碧山。土俵は中入り後の幕内。当たり勝ち、突き落とした。「勝ち越しまで長期戦になるなと思っていたんですが…」と振り返った。

 決意の春だ。東前頭13枚目の初場所で5勝10敗、十両に落ちた。05年夏場所から77場所、12年半守った幕内から陥落した。「糸が切れた。引退ってこういうものか、と」。それでも悩んだ。約2週間、稽古場に下りず自問自答した。2月10日のNHK福祉大相撲で、白鵬に声を掛けられた。「すっきりしたか?」-。「僕がすっきりした顔をしていたのか…」。出ていた答えを、教えてもらった。

 心機一転の今場所は、すべてを変えた。マウスピース、テーピングバッグ、部屋の照明…。02年秋場所の新十両記念に尾車親方(元大関琴風)から贈られたまわしを引っ張り出し、締めて臨んだ。「十両の土俵も立派。でも、十何年も幕内で相撲を取った人間が、1つ下で…。その土俵に上がれたのは、今は誇りですね」。夏場所初日の5月13日には「38歳10カ月」。再入幕となれば、昨年九州場所で安美錦が記録した「39歳」に次ぐ、2番目の年長記録(昭和以降)になる。【加藤裕一】

背中で語る勘太夫 緑のこだわり

式守勘太夫の後ろ姿を採用した春場所のポスター(C)日本相撲協会


 今場所のポスターは、行司の後ろ姿の写真を使ったデザインだ。春を思わせる緑色の装束が話題となっているが、この後ろ姿は三役格行司の式守勘太夫(58=高田川)。立行司の式守伊之助がセクハラ行為で謹慎中で、初場所から結びの一番を合わせている。勘太夫は「背中で伝わるものがあったと、いいように解釈しています」と、少し恥ずかしそうに笑顔を見せた。

 一方で緑色へのこだわりが、今回のポスターにつながったことには喜ぶ。写真は昨年夏場所の装束だといい「緑や青は、力士のように大きな体を締まって見せる効果がある」と分析。緑色の装束を多く所有しているのは「幼少からミドリガメを飼うのが大好きだった影響。本能的に緑を好むようになった」という。

 ミドリガメ好きは物心ついたころから、現在まで続いている。生息していそうな池などへ出向いたり購入したり、地方場所にも連れて行く。今はちょうど不在だが、昨年9月までは継続的に飼っていた。「ミドリガメや緑色を見ると、子どものころの景色を思い出してリラックスできる」。判断力が求められる行司だからこそ、こだわりのをまとい、一瞬にかける。【高田文太】

木崎と木崎海、兄弟関取へ切磋琢磨

兄の木崎(左)と弟の木崎海(撮影・加藤裕一)


 三段目付け出し100枚目格の木崎海(22=木瀬)が加美豊を押し出し、4連勝を飾った。強豪・鳥取城北高を経て、名門・日大で昨年の全日本選手権3位。今場所の新弟子43人中1人だけ、前相撲を取らずにデビュー。ただ中身は…。この日は土俵を下りる場所を勘違いし、支度部屋への道も間違えかけた。「ずっと東の支度部屋で、西が初めてだったんで…」と初々しい。

 木崎海には2歳上の兄がいる。東幕下7枚目木崎。アマチュアのルートは同じで、ポーランド開催の10年世界ジュニアで重量級優勝。この日は負けて2勝2敗となった。

 兄弟関取の歴史は江戸時代に始まる。初関取場所が1770年11月の釈迦ケ獄と1774年10月の稲妻が第1号。兄弟横綱になった若貴兄弟は10組目、今場所「初の双子関取」となった貴源治、貴公俊が19組目。現在、20組目に最も近いのがいずれも幕下の若隆景、若元春、若隆元3兄弟だ。

 木崎は「弟に負けられないって思いです」と言いつつ、15日間の過ごし方などの助言を送る。今場所の目標を「7戦全勝」という木崎海は「2年で関取に」。兄弟でいてライバル。切磋琢磨(せっさたくま)するには、間違いなく最高の存在だ。【加藤裕一】

3度目の再出場 琴勇輝の相撲道

琴勇輝(17年8月3日撮影)


 平幕の琴勇輝が、相撲愛全開で土俵に戻ってきた。4日目に「右踵腓靱帯(しょうひじんたい)損傷により、1週間の休業・療養が必要である」との診断書を提出して途中休場したが、この日に再出場。再出場は今回が3度目で、幕内で3度の再出場は平成以降では最多となった。

 途中休場するとそのまま休場する力士が多い中、なぜ琴勇輝は再出場するのか。この日は鋭い出足で攻めたが、千代の国に押し出されてたまり席にまで転がり落ちた。支度部屋で、右足首に巻いてあるテーピングを外しながら言った。「どんな形でも相撲を取りたい。勝ち負けは関係なくて、土俵に上がりたい」。相撲を取りたい純粋な気持ちが、琴勇輝の背中を押す。

 今場所はいまだ白星がなく、さらに黒星が増えると来場所は十両陥落の危機だ。しかし、心強いデータがある。再出場した過去2場所(15年春、17年夏)は偶然、今場所と同じ西前頭12枚目で、再出場後も白星を重ねて翌場所は幕内にとどまっている。「知らなかった。いいですね、それ。そのジンクスに応えられるように頑張ります」。最後まで諦めなければ、土俵の神様がきっとほほ笑んでくれる。【佐々木隆史】

序の口Vへ、納谷が朝青龍おい豊昇龍撃破

豊昇龍(左)と激しい取組をする納谷(撮影・鈴木正人)


 元横綱大鵬の孫、東序ノ口18枚目納谷(18=大嶽)が元横綱朝青龍のおい、西同19枚目豊昇龍(18=立浪)を寄り倒しで破った。同学年のライバル対決で、高校、前相撲に続き3戦全勝。立ち合いから左を差し、前に出ながら、左四つで両まわしをつかみ、最後は170キロの体を預けた。泰然自若の取り口で、豊昇龍の激しさをのみ込んだ。

 「負けたくない相手です。絶対に勝つという気持ちでした」。それでも点数は「50点」-。「僕のベースは突き押し相撲。突き放していけなかったので」。2戦2勝同士の一番を制して3戦全勝。57年初場所で祖父が逃した序ノ口優勝が見えてきた。

 優勝なら、角界人生に弾みがつく。だが、横綱への道に序ノ口Vが必須かといえば、そうでもない。前相撲成績優秀者がその場所で本割に入る「新序」がなくなり「前相撲→翌場所序ノ口デビュー」の定着した56年初場所以降、同順序を経た横綱は北の湖(74年9月場所昇進)以降18人。その中で序ノ口優勝経験者は5人。要は“その先”が大事なのだ。納谷は今後の抱負を聞かれ「しっかり前に出る相撲を取っていきます」。角界の頂点へ、ブレずに進んでいく。【加藤裕一】

デビュー以来休まず 臥牙丸が連続出場900回

臥牙丸(17年5月撮影)


<大相撲春場所>◇4日目◇14日◇エディオンアリーナ大阪

 巨体を揺すり、東十両5枚目臥牙丸(31=木瀬)が剣翔を寄り切った。5場所ぶりの幕内復帰へ。3勝1敗とした白星は、通算連続出場900回の節目で奪った。現役6位の記録だ。

 公称体重198キロは武器だが、足腰の負担もすごい。なのに06年初場所の序ノ口デビュー以来休んでない。「動けるデブ」と笑った後で「休んでいい位置にいたことがないからね」。新十両の09年九州場所から50場所。12年春場所の小結をピークにずっと関取だ。同郷ジョージアの盟友で、先場所初優勝した栃ノ心は13年名古屋場所で右膝靱帯(じんたい)を断裂、4場所連続休場で幕下陥落も経験した。「彼は強いから。僕は1度落ちたら、戻る自信がない」と話した。

 秘訣(ひけつ)はある。「お相撲さんは太った方がいい。僕は元々でかいし、そのタイプ。自分のタイプを守るのが大事」。公称198キロなので非公式? だが、昨年9月から20キロ増量し、現在210キロ。「最高は218キロ。今がちょうどいいね。減量して動けても、圧力なくなったら意味ないからね」-。ちなみに幕内の連続出場最長記録は1231回。最重量時200キロ超だった高見山。超大型は“無事これ名馬”に通じるのかもしれない。【加藤裕一】

暴行事件の余波か…春日龍がぶっつけ本番の弓取り式

弓取り式をする春日龍。行司は式守勘太夫(撮影・鈴木正人)


 西三段目48枚目の春日龍(33=中川)が、今場所から結びの一番の後に行われる弓取り式を務めることになった。当初は前任で東序二段25枚目の聡ノ富士(40=伊勢ケ浜)が、今場所まで務める予定だったが、今月に入ってから急きょ前倒しで交代することが決まった。弓取り式は横綱の付け人が務めるのが慣例。関係者によると、聡ノ富士が付け人を務めた元横綱日馬富士関が引退したことも、少なからず影響したという。暴行事件の余波は多方面に及び、白鵬の付け人が後任を務めることになった。

 春日龍はこれまで部屋のある神奈川・川崎市で行われた巡業で2度、弓取り式を務めたことがある。だがそれ以外の経験はなく、ぶっつけ本番に近い状態。初日を終えた後には「頭が真っ白だった」と、極度の緊張状態に陥った。さらに2日目には、結びの一番の直前にトイレに行きたくなった。行くか我慢するか迷ったが、慣れない化粧まわしを着けていることもあって世話人に我慢するよう諭された。まだ日々のリズムをつかめず初々しさを残す。

 3日目を終えた後は「課題はせり上がり。でもいろんな人がアドバイスをくれるので、ありがたいこと」と笑顔も見せた。慣れない中にも向上心にあふれていた。【高田文太】

出身地だけじゃない「ジョージア」懸賞の理由

ジョージアコーヒーの懸賞が懸かった栃ノ心の取組(撮影・岡本肇)


 ジョージア出身の栃ノ心が、「ジョージア」から応援を受けている。毎場所、さまざまな企業が新規で懸賞を出している中、今場所は日本コカ・コーラの缶コーヒー「ジョージア」の懸賞が、栃ノ心指定で1日1本付くことになった。

 出身名と同じだからという単純な理由ではない。実は、栃ノ心が来日してから愛飲していたのが缶コーヒー「ジョージア」だった。15年に日本の呼称が「グルジア」から「ジョージア」に変更。当時「ジョージアから懸賞つかないかなぁ」とアピールしていたのを伝え聞いた同社が、初場所での初優勝を機に懸賞を出すことを決めた。

 同社の広報担当者は「会社でも盛り上がっていました。あらためて優勝おめでとうございますと、これからも応援しています、という意味を込めて」とエールを送る。懸賞旗は栃ノ心が好きな「エメラルドマウンテン ブレンド」のデザインとなっている。

 初日こそ懸賞を受け取ったが、この日は初黒星を喫し、取り逃した。「せっかく付けてもらったから頑張りたいです」と栃ノ心。本場所も懐事情も熱くしたい。【佐々木隆史】

郷土とつながり強い相撲、被災地出身力士の3・11

東日本大震災の黙とうをする八角理事長ら三役力士たち(撮影・岡本肇)


 東日本大震災が起きた3月11日が初日と重なり、初日恒例の八角理事長(元横綱北勝海)の協会あいさつ前に1分間、黙とうの時間が設けられた。八角理事長は代表して「この場をお借りし、被災された方々には心よりお見舞いを申し上げ、追悼の意を表します」とあいさつした。関係各所にも震災が起きた午後2時46分を目安に、同様に黙とうするよう通達されていた。

 それに先立ち、被害の大きかった福島・相馬市出身で序二段の森(25)、同県南相馬市出身で序ノ口の東山(23)という玉ノ井部屋の2人が土俵に立った。東山は敗れたが、今場所で東政馬から改名した森は、白星発進。もろ差しを許しながら左四つに巻き替え、最後は寄り切り「心機一転、改名初戦で勝ててホッとしたし、特別な日なのでうれしい」と笑顔を見せた。

 ともに震災当時は入門しており、家族と1週間以上連絡がつかず、不安な日を過ごした。だからこそ東山は「自分の相撲で地元が少しでも元気になれば」と、負けたもののこの日に懸けていた。取組前に出身地がアナウンスされるなど、相撲は他のスポーツ以上に郷土とのつながりが強い。八角理事長は「(震災を)忘れていないということ」。6年ぶりに3月11日が初日となった協会あいさつに込めた思いを振り返った。【高田文太】