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玉鷲のツッコミに衝撃!アン・ソンジュ級のセンス

玉鷲

 コーナーのタイトルが「裏話」というくらいやから、あまり正統派の話を書くもいかがなもんか。なので、かなりばかばかしい話を書こうと思う。

 先月の名古屋場所。中入り後、支度部屋で記者の数が急に増える。取組後の力士の話を聞く。そんないつもの仕事をしようと、ある力士の前にかがんだ。ペンとノートを手に。その時やった。

 「やる気のなさそうなノートですね」

 ? オレのことか? あまりに虚を突く言葉やったので、一瞬ぽかんとして、直後に焦った。確かに縦約15センチ、横約10センチと小さくて、表紙は少女趣味的なピンクでプラスチック。百均ショップで買いました。確かに「やる気がある」と胸を張っては言いにくい代物ですわ。しかし、やねえ…。「いやいや関取。こう見えて、中はきっちりしとるんですよ。ほれ、この通り」。縮小コピーした番付をはったページを開けて見せたり、あわてふためいてもうたわい。

 力士は玉鷲やった。こっちは相撲担当まだ2場所目、特に親しくもない。そんな相手に何の前触れもなく放り込むには、考えられん言葉でしょ? ただ、その声色のソフトさ、普通さに嫌みのたぐいはかけらも感じず、見上げた顔は優しく笑って、穏やか。モンゴル出身ですよ? なんちゅうセンスや。抜群の突っ込みに、めちゃめちゃビックリしたわけです。

 聞けば手芸の達人らしい。お菓子作りや料理も達者とか。昔、女子プロゴルフでアン・ソンジュの言葉のチョイスに「日本選手よりはるかにおもろいがな」と感心したけど…。

 玉鷲、恐るべし。【加藤裕一】

木崎の「技術は絶対に負けてない」の言葉に「へ~」

木崎(2017年9月16日)


 競技者がひんぱんに使う言葉がある。野球なら「1試合1試合を大事に…」。ゴルフなら「目の前の1打に集中して…」。相撲なら「今日の1番に集中して…」。ごもっとも。その通り。しかし、その競技者がプロなら、誰もが使う決まり文句でなく、自分なりの言葉を使ってほしい。そう思ったりもする。

 秋場所の千秋楽で、久々に「へ~」と思う言葉を聞いた。「技術は絶対に負けてない」-。若い力士。西幕下3枚目木崎(24=木瀬)だ。

 西十両13枚目矢後に負けた。3勝3敗で勝ち越しがかかる一番だった。矢後は中大出身の元アマチュア横綱で187センチ、172キロの大型。木崎も名門日大相撲部で主将を務めたキャリアを持つが、現在の注目度では1学年下の矢後に一歩譲る。番付も劣るし、サイズも176センチ、138キロと及ばない。アマチュアでの対戦は「多分3戦全敗」(木崎)、プロでも2戦2敗となった。それでも「技術は負けてない」と言う姿がたのもしかった。

 論理的、具体的に説明できるタイプだ。「課題は多いやろうけど、来場所に向けて、特にコレっちゅうのは?」という、抽象的で荒っぽい質問に「…う~ん、足りない部分が多すぎてわからないです」と前置きして、こう答えた。

 「来場所どうこうじゃないですけど、体重を増やさないとダメですよね。(入門時は115キロで)今は138キロですけど、場所中にどうしても落ちる。最終的に145キロまで、と思うけど、スピードが落ちたらダメです。小さいですからね。時間はかかると思うけど」。ずっと昔から自分を省みて、自己分析を重ねたのだろう。だから、負け惜しみと取られかねない状況で口にした強気な言葉にも納得してしまう。

 昨年夏場所のデビューから9場所目で初の負け越しだった。目前まで迫っていた関取の座は一歩遠のいたが、十両目前で足踏みした先輩力士は多い。「負け越しですか。家に帰ったら、じわっと来るんでしょうね」。木瀬部屋の先輩、宇良のように土俵を沸かせる日が、きっと来る。そんな期待を抱かせる言葉だった。【加藤裕一】

3横綱2大関休場の秋場所…地殻変動の起点となるか

大相撲秋場所 千秋楽 優勝賜杯を受け取る日馬富士(2017年9月24日撮影)


 99年ぶりに3横綱2大関が休場し、日本相撲協会にはチケットの返金を求める抗議の電話もあったという秋場所。終わってみて実際にファンは、世間はどう感じたのだろう。面白かったのか、つまらなかったのか。盛り上がったのか、興ざめだったのか。観戦に訪れた友人に聞けば「熱戦が多かった」「これはこれで打ち上げに花が咲いた」などと好意的な声が多かった。

 “中”で取材をしていると、実際の体感温度はよく分からなくなる。優勝成績は11勝4敗と、低レベルと言えば低レベル。そこだけを切り取れば情けなくも見える。ただ、周囲は「誰が優勝するか分からないから面白かった」とも言う。

 終盤に10人以上もの力士に優勝の可能性が残っていたのは、取材する側からすれば実に「ドキドキ」だった。見ている人たちには「ワクワク」だったろうか。豪栄道には申し訳ないが、13日目で優勝が決まっていたら、14日目、千秋楽の話題に困ったかもしれない。本命不在だったからこそ、誰が勝つのか、どちらが勝つのか、ワクワクやドキドキが最後まで続いた。こんな感覚は昨今の大相撲では、なかなかない。

 こんな場所だからこそ、よく「世代交代」という言葉が出た。実際に阿武咲や貴景勝、朝乃山といった20代前半の力士の活躍が場所を盛り上げてくれた。

 ただ、秋場所はまだ、若手の活躍が目立っただけ。「世代交代」という言葉が当てはまる場所ではない。世代交代とは、加齢によって自然と起こることもあるが、我々が求めている形はおそらく、違うからだ。

 かつて「角界のプリンス」と呼ばれた大関貴ノ花を一方的に破って引退を決意させたのが千代の富士。その横綱千代の富士を倒して引退に追い込んだのが、プリンスの息子の貴乃花だった。ここまでドラマチックにはならずとも、若い世代がベテランの上位と実際に対戦して、倒し、引導を渡す-。それがあって初めて、望みの「世代交代」は生まれる。

 上位陣の休場という不可抗力な未対戦はもちろん、仕方がない。ならば、おそらく上位陣が出てくる次の九州場所は、今場所の物語の続き。若手は、上位を倒す力を養えたのか。それとも、両者にまだまだ差はあるのか。地殻変動、世代交代は面白いが、そう簡単に許さないベテランの意地と迫力にも見応えはある。

 99年ぶりの事態が起きた秋場所。どうせ取り返しがつかないなら、ここから「あの物語が始まった」と後々、振り返ってみたい。【今村健人】

松沢亮英、入門して初めて分かった父朝日山の偉大さ

卒業証書を手にする松沢亮英


 やっぱりオヤジは偉大だった-。卒業証書を手に、あらためて実感した。

 角界入りした新弟子は必ず、相撲教習所に入所し6カ月間、実技や相撲史、一般常識、書道などを学ぶ。東京場所終了後、入所及び卒業式が行われ、今回も29日に新弟子が通い慣れた両国国技館内の相撲教習所で行われた。

 今年3月の春場所新弟子検査に合格し、晴れて角界入りした松沢亮英(19=朝日山)も、この卒業式に出席した。千葉・八千代松陰高時代はラグビー部でプロップ、フッカーとして活躍。調理師を目指し専門学校の合格通知も受けたが「やっぱり自分にはスポーツが合っている。挑戦してみたい」と角界の門をたたいた。入門したのは自分の父が興した部屋。父は史上ただ一人、平幕優勝2回を成し遂げ「F1相撲」の異名を取った、元関脇琴錦の朝日山親方(49)だ。

 もちろん親の七光など通用しない、文字通り裸一貫の実力だけの世界。それは百も承知で、決して甘く見たわけではなかった。ただ何せ相撲は初体験。壁には当然、ぶち当たった。番付に初めてしこ名が載った5月の夏場所こそ、5勝2敗と上々のスタートを切ったが、序二段に上がった7月の名古屋場所は1勝6敗。再び序ノ口に番付を下げたこの秋場所も3勝4敗と負け越した。

 「もちろん相撲はまだまだなんですが、一番悪いのはメンタル面。1回負けちゃうと『負け越してしまう』と焦って、尾を引いちゃうんです」。あどけない笑みを浮かべながら松沢は、自分の弱点を分析した。相撲についても「脇が甘い。ラグビーでは甘くても良かったけど、相撲では駄目。なかなか直らないんです」。入門して半年。道半ばどころか、まだ1歩目を踏み出したばかりなのだから、直面して当然の壁だ。

 ただ、悪いようには考えない。名古屋場所は1勝2敗から4連敗したが、秋場所は負け越し決定から、精神面で立て直し連勝で締め「だんだんとメンタル面も良くなっていると思います」と精神的にも落ち着いてきた。168センチ、76キロで新弟子検査をパスした体重も、20キロ増。「石浦関の、あのスピード感のある相撲が好きなので、120キロぐらいまでは増やしたい」と言う。

 入門前の今年2月までは「(父の)言うことは聞いてないこともあった」と、どこにでもいる長男坊だった。入門を境に、それは師弟関係になり「厳しく怒られることが多くなった。今は素直に受け入れてます」と話す。さらに肌で感じた父へのリスペクトも。「入門して序ノ口で1場所取っただけで分かりました。父は偉大すぎます」と脱帽した。

 入門時に挙げた「幕内力士」の第1目標は「厳しい世界と分かりました。関取になることです」と、新十両昇進に“下方修正”した。その父であり師匠の朝日山親方は、相撲教習所の卒業を機に、10月から稽古まわしを締め愛弟子を鍛えるという。「まだまだ勝ち方を知らない。これからですよ」。親子鷹に期待したい。【渡辺佳彦】

稀勢締める 友鵬さん最後の綱


 横綱が締める「綱」は年3回の東京場所前に作られる。「綱打ち」と呼ばれる行事で、一門の力士らが掛け声に合わせ綱をよる。今場所、稀勢の里は休場したため、この時作った綱が使われるのは九州場所だけ。実はこの綱、8日急逝した相撲協会の世話人、友鵬さん(享年60)が携わった最後の綱だ。

 綱打ちは3本の綱をテッポウ柱にくくり、引っ張りながら1本によっていく。柱に近い、より合わせる部分を作る者が重要な役割を担う。ここにいたのが友鵬さんだった。

 当初「肩も腰も痛いから今回はやめておくわ」と言っていたという。稀勢の里の兄弟子、西岩親方(元関脇若の里)は振り返る。「綱打ちは亡くなる2日前でした。友鵬さんがいないときれいな綱ができない。『見てるだけでもいいから来て下さい』とお願いしました。これが最後と言ってましたが、本当に最後になってしまいました」。

 稀勢の里が手形にサインをする際、痛む左腕で紙を押さえられないと、友鵬さんがそっと手助けしてくれたこともあったという。

 九州でこの綱を締める時、いつもと違う思いが込み上げるかもしれない。【佐々木一郎】

優勝争い混沌の今場所…幕内全取組に懸賞という皮肉


 今場所、実に3度目だった。中入り後の幕内の全取組で懸賞旗が回ったのは。

 初めて幕内全取組に懸賞を懸けたのは、62年秋場所初日の「岡村製作所」。以来、幾度となくあったが、最近では珍しい。12年夏場所の初日と、翌名古屋場所千秋楽に、タマホーム1社が「大相撲を応援する」という形で全取組に懸けた2例があり、それ以来だ。ただ、複数社を伴う形では、92年名古屋場所以降なかった。

 皮肉にも、休場者が多く出て幕内の取組数が減ったことが要因の1つ。ただ、3横綱と2大関、そして人気者の宇良が休場しても、取りやめる企業は多くなかった。朝乃山には、師匠の高砂親方(元大関朝潮)の現役時代から親交がある東京バスが懸賞を復活させた。九重部屋の4力士にそれぞれ、15日間通して別々の企業から懸賞が懸かる形も例がない。色とりどりの懸賞旗は、上位陣の休場で寂しかった土俵の、にぎやかしになっている。

 そして、優勝争いが混沌(こんとん)とし、14日目の取組前まで5敗までの16人に優勝の可能性があったことを考えれば、懸賞が広く懸かることは良かったともいえる。それもまた、皮肉な話だが。【今村健人】

余興で不覚…横綱双葉山が若武者の外掛けに倒される


 10月4日に両国国技館で開かれる「大相撲beyond2020場所」で「横綱五人掛かり」が行われる。国技館では01年のNHK福祉大相撲で披露されて以来16年ぶりの“余興”だ。

 1人の横綱が下位力士5人と次々に勝負するのが五人掛かり。5人は横綱の向かいと四方の房の下に散らばり、同時にちりを切り、四股を踏み、仕切る。いざ勝負ではその場から1人ずつ、間髪を入れず横綱に飛びかかる。あくまでも余興。

 だが下位力士が勝っていけないわけでもない。横綱が敗れたこともある。誰あろう、双葉山だ。

 38年6月開催の帝都日日新聞大相撲。大日本相撲協会が発行した雑誌「相撲」には「2人目に出た元気いっぱいの鹿島洋が、鋭気に外掛けを強襲して双葉山を倒す」と記されている。前月の夏場所で双葉山は前人未到の66連勝。鹿島洋は新入幕ながら優勝次点の若武者だ。無敵の横綱の“黒星”に「満場の観衆は一時にわっと歓声をあげ、さながら館も揺るがんばかりであった」とある。

 次場所の39年春場所4日目、双葉山は安芸ノ海に敗れ連勝が69で止まった。その決まり手も外掛けだったのは、何の奇縁か。“余興”もまた、ドラマになりうる。【今村健人】

下から刺激 木瀬部屋願う「関取10人」


 93年春場所、二子山部屋勢が10人も幕内に名を連ねた。優勝は小結若花田、準優勝は大関貴ノ花。史上最多の「同一部屋幕内10人」は翌夏場所まで続いた。

 その伝説には及ばないが、木瀬部屋が「関取10人」を視野に入れている。力士数37人は、佐渡ケ嶽部屋の41人に次ぎ2番目。関取数は幕内に宇良、徳勝龍の2人、十両に英乃海ら4人と現在6人。幕下には関取予備軍の上位15枚目までの5人を含め、15人もいる。

 元十両の28歳、西幕下5枚目志摩ノ海は「ウチは下からガンガン来るから厳しい。宇良の時のように、もう下に抜かれるのはごめんです」。すでに4勝2敗と勝ち越した。自己最高位西幕下3枚目の24歳、木崎は「部屋内の競争は感じます。僕は次勝って、来場所が(十両昇進の)勝負です」。3勝3敗。残る一番は絶対落とせない。

 元小結の29歳、東幕下9枚目常幸龍は、この日敗れて3勝3敗となった。小結の時「木瀬部屋がかつての二子山部屋のように…」と口にした男は「十両も大事ですが、やはり幕内で相撲をとってなんぼですよ」。お互いが刺激し合って、部屋全体がレベルアップすることを願っている。【加藤裕一】

前相撲含まぬ新連勝記録なるか


 白鵬の内弟子、西三段目18枚目炎鵬(18=宮城野)が、同20枚目本多を下して、初土俵から20連勝を飾った。史上6位タイの記録だが、協会関係者は頭を悩ませていた。1位は元小結板井の29連勝で、前相撲の3勝が含まれている。炎鵬には前相撲の2勝が含まれていない。初土俵からの連勝記録者が出る度に「なぜか?」と問い合わせがあるという。答えはこうだ。

 前相撲は新弟子検査に合格した力士が、本場所で相撲を取ること。現在は、中日に行われる新序出世披露の順番決めの役割があり、1人が1日に2番取ることもある“非公式戦”だ。

 しかし、73~86年は特定の場所を除き、今と違って取組表に前相撲が載り、1人1日1番。成績を伸ばした力士は中日以降に、序ノ口力士と相撲を取っていたこともあり、“公式戦”扱い。板井は、この時期に前相撲を取っていたので3勝が含まれる。炎鵬は29連勝について「無理ですよ」と苦笑い。協会関係者は「すぱっと記録を抜いてもらいたい」と期待する。3勝の差は大きいが、それに負けじと炎鵬は突き進む。【佐々木隆史】

飲んで食って勝つは昔の話


 酒を浴びるように飲み、これでもかというぐらいご飯を食べる。そんな、お相撲さん像は古いのかもしれない。食生活に気を使う力士が多くなったと感じる。

 174センチと小柄ながら175キロと重量級の平幕貴景勝(21)は栄養学を学んでいる。「亜鉛とかアルギニンとかは筋肉に影響する。あと植物性タンパク質は女性ホルモンが出るので注意してます。納豆は食べ過ぎると女性ホルモンが出るので食べ過ぎないようにしています」と言う。夏巡業中には、2つの炭酸飲料の成分表示を見比べて「こっちには砂糖が20個分入っているけど、こっちは60個も入っている」と力説していた。口に入れる物に並々ならぬこだわりを持っている。

 酒量をコントロールする力士も少なくない。平幕の北勝富士(25)は、番付発表後から千秋楽まで約1カ月は酒を1滴も飲まない。睡眠時間を含めて生活のリズムを崩したくないといい、「後援会関係者との食事であっても、絶対に飲みません」と摂生している。平幕の石浦(27)に至っては「個人差はあると思うけど、お酒は筋肉に悪い影響がある。極力飲みません」とまで言う。体が資本。自己管理の大切さは浸透している。【佐々木隆史】

力士直撃禍 なぜか多い陣幕親方「あきらめてます」

13日、土俵下に落ちる貴景勝(右)。左は陣幕親方(撮影・鈴木正人)


 休場者が多い今場所。ケガが怖いのは力士だけでない。土俵下に座る審判の親方衆も危険と背中合わせだ。

 陣幕親方(元幕内富士乃真)は、特に多くの力士が落ちてくることで知られる。今場所は4日目に貴景勝が飛んできた。受難の連続だが「これはもう、あきらめてます。たまに、磁石のように引き寄せてるんじゃないかと思うことがありますね」と苦笑いする。

 現役時代の89年秋場所12日目、控えに座っていると三杉里が落ちてきて左足首の関節を骨折。土俵に上がれず、不戦敗になった。このケガがきっかけで番付を落とし、1年後に引退した。親方になった後の01年夏場所7日目には須佐の湖が落ちてきて右スネを骨折した。10年初場所10日目には、三段目の力士に左足首を踏まれて休場した。

 「これは運に任せるしかないんです。現役中はあのケガに苦しみましたが、ある時点から運命だと思うようになりました。それでも、勝負はしっかり見ようと思っています。そういえば、錦戸親方のところも何回も落ちてきますね」。今では酒席での笑い話として、ネタにしているという。残り6日間、土俵の無事を祈りたい。【佐々木一郎】

休場明け碧山いきなり横綱戦 56年ぶり

結びの一番、日馬富士の攻めを懸命にこらえる碧山(右)(撮影・丹羽敏通)


 左膝骨挫傷で初日から休場していた平幕の碧山が、中日の17日から出場した。休場明けとはいえ、土俵の上に立つ以上は弱音は吐けない。いきなり結びの一番で横綱戦が組まれた。

 休場明け最初の取組が横綱戦となったのは、61年名古屋場所の東前頭5枚目北の洋以来56年ぶり。昭和以降では、今回が8例目となる。いきなり横綱を倒すのは至難の業だが、過去に1度だけある。51年秋場所で5日目から休場していた西張出小結の備州山が、再出場の8日目に張出横綱の千代の山を破った。今回を除く6例は、全て平幕力士によるものだったが金星は1度もなかった。

 昭和以降初の休場明け金星へ臨んだ碧山だったが、達成はならなかった。横綱戦と知った前夜は「びっくりでした。普通はないですよね」と驚いたという。ただ「番付見たらね。横綱、大関休みですからね」と覚悟はあった。さらに「家で見てたら悔しかった。僕も(相撲を)取りたかった。今日は出られてうれしかった」と土俵に上がれる幸せをかみしめていた。【佐々木隆史】

場所中に緊急発売!阿武咲錦絵に反響「一種の事件」

急きょ完成した阿武咲の錦絵


 7日目から国技館の売店に新たな商品が加わった。阿武咲の錦絵。99年ぶりに3横綱2大関が休場する異常事態の今場所を盛り上げている若武者とあって「あまりにも多くのお客さんから聞かれるので」。相撲錦絵師の木下大門氏が急きょ、5時間かけて製作した。

 30年以上も錦絵をつくる木下氏が、場所中に急きょ製作したのは3度目のこと。「ざんばら髪の遠藤と、同じくざんばら髪の逸ノ城のとき以来です。今回はあまり相撲観戦に不慣れなご婦人まで求められてきたので一種の事件ですね」。

 今年4月の神奈川・藤沢市巡業で阿武咲の写真を撮った際には若き日の大横綱を思い出したという。「北の湖さんが上がってきたときとすごくダブる。決して表情に出さず、ふてぶてしい雰囲気がとても似ている。目つきも普通の人ではない怖さを感じる。ただものじゃないと思いました」。

 北の湖と体格こそ違えど、大物の雰囲気を醸し出す阿武咲。稀勢の里にも似る武骨な21歳が、相撲ファンの興味を引きつけている。【今村健人】

安美錦“とっくり”でご機嫌「一杯やりたいね」


<大相撲秋場所>◇6日目◇15日◇両国国技館

 初土俵から21年目の初体験。東十両2枚目安美錦(38=伊勢ケ浜)が琴勇輝にとっくり投げを見舞った。通算43手目の決まり手だ。

 「技のデパート」と称された元小結舞の海は33手。多彩な取り口で知られた元小結旭鷲山は46手。前人未到の優勝39回の横綱白鵬は41手。そんな名手たちも未経験の珍技だ。相手の首、頭をとっくりに見立て、両手で挟み左右にひねって倒す。01年初場所で新設された12の決まり手の1つで、いまだ幕内では1度も出ていない。安美錦は「当たって右を張って。差そうと思ったら(相手が)前に出てきたからこう…」。ジェスチャー付きで、いかにも説明しづらそうに解説した。

 今場所3日目、新十両の大成道も照強に決めた。十両で約2年ぶりの珍事がわずか3日後に飛び出した。くしくも大成道は同郷の青森出身。「そうなんだ。巡業中にとっくりで一杯やりたいね」。星も4勝2敗。再入幕を目指す大ベテランはご機嫌だった。【加藤裕一】

琴奨菊、殊勲白星でもインタビュー断る理由

秋場所3日目、日馬富士を破った琴奨菊(右)(17年9月12日撮影)


 横綱や大関に勝った下位の力士は、NHKのインタビュールームに呼ばれる。ほとんどの力士はこれに応じるが、断る場合もある。

 元大関の琴奨菊は初日から1横綱2大関を破ったが、1度もインタビューを受けなかった。なぜか?

 「その方がいいかなと思った。今後においても、今においても…」。今年初場所まで大関を務めていた自負もあるだろう。日馬富士に勝って初金星を挙げたが「ああいう内容だったからね」と、テレビで喜びを語ることは控えた。

 元大関の初金星は、雅山(現二子山親方)以来10年半ぶりだった。雅山は、大関から陥落して33場所目に横綱朝青龍に勝ち、インタビューを受けた。二子山親方は「僕は強い横綱に勝ってうれしかったので行きました。でも、大関戦に勝っても一切行きませんでした」と振り返る。大関に勝つたび、断り続けた。「現役中は元大関と言われるのが嫌でした。大関に戻るつもりでいましたから」。

 勝ってテレビカメラの前に立つかどうかは、本人次第。放送時間の関係もあるが、殊勲の白星の後にインタビューがなかった場合、そこには力士の生きざまが反映されている。【佐々木一郎】

「なんかかわいい」千代丸のCM出演

千代丸(17年8月9日撮影)


 2日目の11日から放送されている東洋水産のカップ麺「QTTA(クッタ)」のCMに、九重部屋の力士が出演している。芸人松本人志が差し入れに訪れ、力士がむしゃぶりつく。その中心にいるのが幕内千代丸。松本に「なんかかわいいな、あいつ」と言われる。

 部屋総出で出演するが、1番の狙いは千代丸だった。「自分に連絡がきたんです。スポーツ編を撮りたくて、相撲なら自分だと。最初で最後のCMっすね」。

 美声で知られる幕内勢も、ウェブ限定でパナソニックのCMに出演。その中でオリジナルの歌「二人で生きよう」を披露している。

 広告代理店関係者は「今まで白鵬関への依頼が多かったですが、最近はいろいろな力士に話が来ます。面白い力士が増えていることもあるでしょう」と言う。白鵬や遠藤、照ノ富士らが出演中で、最近では宇良にも白羽の矢が立っている。

 かつては大鵬、そして高見山や千代の富士が隆盛を極めたCMも、85年7月の理事会で1度は“禁止”された。それが95年から徐々に解禁されて今に至る。3横綱1大関が不在で三役以上の全勝も皆無とまるで底冷えする秋場所の相撲人気を、広く伝わるようになった多くの力士の“個性”で支えている。【今村健人】

伏兵現れる楽しみも


 3横綱と平幕の2人が休場して始まった秋場所。3日目の12日に高安と宇良の休場も決まり、幕内で7人が休場となった。肩を落とすファンも多いと思うが、裏を返せば、誰が賜杯を抱くか分からない、手に汗握る展開になったとも言える。

 休場者数が多い場所は、大関に優勝のチャンスがあるようだ。戦後、引退・廃業を除き幕内力士の同時休場数が最多だったのは、02年名古屋場所の9人。横綱貴乃花、大関魁皇、栃東、武双山らが休場した中で、大関千代大海が優勝した。今場所と同じ3横綱1大関が休場した99年春場所は、大関武蔵丸が優勝している。

 しかし、今場所残された2人の大関は、万全の状態とは言い難い。三役力士も序盤ながら星を落としている。この日を終えて全勝は琴奨菊、阿武咲らの平幕勢6人となった。まさに戦国場所。12年夏場所の旭天鵬以来の平幕優勝か。横綱で唯一出場している日馬富士や、大関陣が盛り返すのか。はたまた、予想もしていない伏兵が現れるのか。荒れているからこその、楽しみもある。【佐々木隆史】

びんつけ油の香水大人気も北勝富士「ちょっと違う」


 力士がまげを結うときに使用するびんつけ油の、甘~い香り。力士の代名詞ともいえる香りを、フレグランスメーカー「LUZ」が香水にして発売している。同社が今年に立ち上げたブランド「J-Scent」から7月に発売され、当初用意した500個がすぐに完売するなど、大人気商品になっているという。

 担当者によると「びんつけ油の香りだけだと淡泊になるので、力士の体から漂うパウダリーの香りなども表現したかった」と開発期間に1年半要したという。香りだけでなく、商品名にもこだわった。「びんつけ油」「お相撲さん」「関取」などが候補に挙がったが「強さとたくましさがテーマ」として「力士」に決めた。本格的な香りと商品名が話題になり「こんなに人気が出るとは思わなかった」と担当者も驚いている。

 実際に、においを嗅いだことのある北勝富士は「ん~ちょっと違うかな」とピンとこない様子。しかし、担当者の元には「びんつけ油のにおいでいいにおい」という購買者からの声が多数届いてるという。この1本で、力士気分を味わってみてはどうだろうか。【佐々木隆史】

大砂嵐、友鵬さんに捧げる勝利


 JR両国駅に最も近い国技館の南門は、力士らが出入りする。入ってすぐの詰め所に、世話人の友鵬さん(享年60=大嶽)はいつもいた。亡くなって2日後の秋場所初日。不在の友鵬さんに代わって、似顔絵、遺影、花が飾られていた。

 「世話人になくてはならない存在だよ」と、40年以上の付き合いになる世話人、白法山(61)は言う。世話人は雑務全般をこなす裏方中の裏方。友鵬さんは多くの力士から慕われ、内外の関係者や好角家に知られた名物的存在でもあった。

 大鵬部屋でともに育った大嶽親方(元十両大竜)は初日の前日、力士を集めて言った。「弔いの場所になる。みんな死ぬ気でやろう。忙しいのを言い訳にしちゃだめだ」。稽古場に祭壇が作られ、棺(ひつぎ)とともに愛用していた帽子が置かれた。

 部屋唯一の関取、大砂嵐は白星発進した。8月の所沢巡業後、タクシーに友鵬さんと同乗した時の話が忘れられない。65歳の定年後のことを聞くと「宮古島に帰って、海の前でゆっくりする。そうなっても俺のこと、忘れるなよ」と言われた。エジプトから来日し、すべてを教えてくれた恩人を忘れるわけがない。

 通夜は今日11日、午後6時から大嶽部屋で営まれる。【佐々木一郎】

白鵬2年連続の秋休場…昨年断食、今年はどう過ごす

部屋で体を動かす横綱白鵬(2017年9月6日)

 春場所で稀勢の里が横綱に昇進して4横綱となり、豪華番付となった大相撲。しかし、4横綱が皆勤した場所はいまだなく、秋場所では昭和以降初となる3横綱が初日から休場する緊急事態となってしまった。

 名古屋場所前から違和感があった左膝痛が原因で休場した横綱白鵬(32=宮城野)は、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)によれば「『もう少し時間があれば』と話していた。出たい気持ちはあった」と苦渋の決断だったようだ。

 8月25日。神奈川・小田原市で巡業が行われた。この日まで1度も土俵の上で稽古を行っていなかった白鵬は、稽古場にすら姿を現さなかった。支度部屋で治療もしくは、休養しているのだろうか、と思いながら朝稽古の取材を終えて、力士の取材のために支度部屋に移動している時だった。歩きながらふと、扉の開いている関係者入り口を見ると、けいこまわしを着けた白鵬が、1人黙々と体を動かしていた。太陽の光を浴びながら深呼吸をして、腰を落とし、ゴムチューブを使って上半身のトレーニング。どれぐらいの時間動いていたのだろうか。額には大粒の汗を流していた。

 8月28日に番付発表が行われた。3場所連続優勝と大台となる40回目の優勝を狙う白鵬も、ここからエンジンをかけるはずだったが、休場を決断する9月8日まで出稽古はおろか、関取衆と相撲を取ることすらなかった。しかし、やれることはやっていた。稽古後に、若い衆を相手にモンゴル相撲を行い、少しでも相撲の感覚が鈍らないようにしていた。宮城野親方は「若い衆がいなくなった後も、毎日1時間は四股を踏んでいた」とその努力を見ていた。何としてでも出場したいという気持ちは、所々に現れていた。

 2年連続で秋場所を休場することになった。昨年はこの時期に、今の活躍につながる断食を行った。休むことは相撲勘が鈍ることにつながるかもしれないが、この時にしか出来ないこともある。休むもよし、鍛えるもよし、新たな治療をするもよし。納めの九州場所に向けて、白鵬はどんな時間の使い方をするのだろうか。【佐々木隆史】

笑顔が抜群…忘れられない友鵬飯/元担当記者が悼む

友鵬さん(右)と大砂嵐

 大相撲の世話人、友鵬さん(享年60)のあまりに急な訃報に接し、悲しみが止まらない。運営のほとんどを「協会員」が担う特殊な大相撲の組織にあって、世話人の存在は貴重で、その仕事は多岐にわたっていた。あらゆる雑用をこなす縁の下の力持ち。中でも友鵬さんの“笑顔”はずばぬけていた。ちょっとしたトラブルがあっても、その人懐っこい、何ともいえない柔和な笑顔が解決した。

 相撲担当時代を思い出す。両国国技館の南門が関係者出入り口で、そこに設置された小屋に世話人たちが常駐する。記者は朝稽古を取材し、昼ごろに場所入りするのだが、個人的にそこはまさに“関所”だった。

 いつからか身を隠すようにこそっと通過するようになった。それは…。「おー、飯食って行けよ」。見つかると、小屋の友鵬さんから声がかかる。ありがたいこと、だがしかし…。「相撲飯」は半端ない。

 例えばどんぶりなど、店側も気を利かせた通常の2倍以上の特盛り。残せば「えびすこ弱し」のレッテルを貼られ、完食すれば「えびすこ、つええな」の喝采。頑張るしかない。さらに後押しは友鵬さんの笑顔だ。たとえ場所入り前に昼飯を済ませていようとも「友鵬飯」は必ず完食し、死にそうになった。

 もちろん、飯を食うだけではなく、いろんなことを教わった。角界のしきたり、ある力士の特徴、裏話…。お世話になったことばかりで、恩返しもできぬまま、訃報に触れることになってしまった。相撲人気が盛況を取り戻した今、友鵬さんが活躍する舞台はここからだった。ご冥福をお祈りします。本当にお世話になりました。安らかにお眠りください。【元相撲担当・実藤健一】

験担いだ碧山、取材できずも千秋楽のひと言に喜び

逸ノ城(右)を押しだしに破る碧山(2017年7月15日撮影)

 入社して30年目。記者としてのキャリアは20年以上になる。数字は立派なベテランやが、中身は立派やない。派手なニュースを抜いたこともなく、仲間うちでは「記者」というより「記者っぽい人」てな認識です。そんな50過ぎのおっさんが思う「記者の喜び」もまた、ささやかなもんです。

 名古屋場所の10日目と13日目から千秋楽まで、春日野部屋の朝稽古をのぞいた。狙いは平幕優勝の可能性があった碧山。相撲取材2場所目の新米なんで「まあ、行くだけ行ってみよか」てな気持ちで足を運んだ。

 最初の10日目。取材に来た記者は私を含めて2人だけ。朝稽古を終えた碧山に話を聞こかと思ったら、付け人が近づいてきた。で、頭を下げる。

 「すみません。実は先日、朝に取材受けて…」

 阿武咲に初黒星を喫した8日目らしい。ピンと来た。

 「ああ、験担ぎやね」

 「そうなんです」

 そうか。ブルガリアの人でも、そこは一緒か。ごり押しするのも無粋やし「そら、しゃあないね」と黙って引いた。ラスト3日間も一緒やった。本人の話はなし。朝何時に土俵に上がって、すり足を何回して、相撲を何番取って、てなあたりをチェックして表情を見て、親方に話を聞いて帰る。

 ほんで千秋楽。碧山は嘉風に勝って13勝2敗。結びの一番で白鵬が負ければ優勝決定戦…という権利を手にして取組を終えた。白鵬は日馬富士に勝って、そのまま優勝した。

 支度部屋で碧山の取材が始まった。すると、こっちを見た。開口一番に「残念です」。私の目を見て、私に言いよった。

 別に紙面に差が出るほどの話やない。それでも、やっぱりちょっとうれしい。その気持ちは、30年前と変わりません。

 たわいもない話なんですがね。【加藤裕一】

大鵬の弟子“北錦”が語った、オヤジの強さデカさ

元北錦の紺野幸浩さん

 札幌市で行われた夏巡業に、1人の元力士が訪れていた。紺野幸浩さん(57)。現在、水産物の卸売りなどを手がける「株式会社イチマル渋谷」で社長を務めているが、以前は「北錦」のしこ名で角界にいた。その師匠は誰あろう、元横綱大鵬。最高位は三段目で、わずか3年しか在籍しなかったが「オヤジ」と呼ぶ師匠との仲は、実に濃いものだった。紺野さんに思い出を振り返ってもらった。

 ◇ ◇ ◇

 「忘れもしない、昭和52年(1977年)2月13日でした。新弟子で入門する自分を迎えに、住んでいた北海道北見市にオヤジが来る予定だったんです。でも、来なかった。マネジャーから連絡がありました。朝、歯を磨いていて、バタッと倒れたと。『まさか』とびっくりしました。オヤジはすぐに入院です。自分は結局、次の日にマネジャーが迎えに来て、部屋へと行きました」。

 脳梗塞で倒れて運ばれた入院先の病院が、師匠「大鵬親方」との初対面。左半身にはまひが残っていた。それから3年間、引退するまで師匠の付け人を務めた。

 「リハビリはすごかった。おかみさんと、部屋近くの清澄公園をただ歩くだけ。私も後ろをついて歩きました。歩いて歩いて、2時間は間違いなく歩いた。もっと歩いたときもあった。止まろうとはしなかった。オヤジは左半身が動かなかったけど、やっぱり強かったです。あるとき、規律を守らなかった兄弟子に怒って、右でひっぱたいたんです。吹っ飛んだ。大げさでなく、本当に転がっていった。すごかったです」。

 そのとき初めて「大鵬」の強さを間近で見て、恐れ入ったという。それでも、紺野さんにとっては優しいオヤジだった。

 「大鵬部屋に入ったのは、おふくろの弟が(北海道の)川湯でオヤジと同級生で、その縁です。オヤジからは『高校に落ちたら来い』と誘われていましたが、進学した。でも、1年間通った後で、もう1度「来い」と誘ってくれました。忘れていなかったんですね。その言葉で、親にも誰にも相談しないで『行く』と決めてしまいました。やめたのは根性がなかったから。それでも本当にかわいがってくれて、やめるときも『マネジャーになれ』と言ってくれました」。

 ◇ ◇ ◇

 引退後、紺野さんは市場に入って鮮魚店に勤め、37歳で「海鵬フーズ」という社名で会社を立ち上げた。「鵬」はもちろん、オヤジから。そのことを報告すると「サイン色紙を持ってこい」と言われた。そして「30枚書いたら教えろ」と、今は世話人の友鵬に伝えて、サインを書き始めた。そのとき、紺野さんの兄弟子でもある友鵬は機転を利かせた。「何枚だ?」と聞く師匠に「まだ○枚です」と言う。結局、サイン色紙は100枚になった。気づかないわけはない。でも、大鵬親方は、気づかないふりをしてくれていたのだろう。

 「サイン色紙を会社設立の引き出物に使いたいと伝えると、大喜びしてくれました。お礼じゃないですが、お金を持っていったんです。そうしたら怒られました。そして、オヤジに『木を持ってこい』と言われて…。何をしたかというと、看板を書いてくれたんです。『大鵬幸喜』とサインを入れてくれたんです。今もあります」

 ◇ ◇ ◇

 13年1月19日の初場所7日目。紺野さんは家族4人で初めて大相撲を見に、東京を訪れた。直前に部屋に行ったが、オヤジには会えなかった。入院していると聞いた。そして、結びの一番を終えて弓取り式が始まったとき、観客が「大鵬、万歳!」とさけんだ。そのとき、友鵬から着信があった。「オヤジが死んだ」。

 「本当に、不思議な運命を感じました。入門のときもそう。そして、最期のときも…」。

 前年のオヤジの誕生日。祝いの席に顔を出したときに、こう言われた。「お前は相撲取りをやめた中で一番出世なんだから、あいさつせい!」。

 「そう言ってもらえたのは、本当にうれしかった。北海道に来ると、連絡もなしに突然、会社に来るんです。酔っぱらって電話が来たことも2回あります。オヤジは、せっけん1つ買うことにも領収書にうるさい人でした。10円、20円をしっかり削ろうとする。飲みでは10万、20万円を使うんですけどね。でも、そこは付け人として本当に教えられました」

 数年後、大鵬部屋に税務署の調査が入ったことがあった。そのとき“何も”取られなかった。それは、とても珍しいことだという。それだけ、キチッとしていたのが大鵬親方。そのオヤジの教えは、今の紺野さんの商売につながっている。

 「すべてが、オヤジに教えられたこと。本当にデカイです」。

 「大鵬」の教えは今も、さまざまなところで引き継がれていた。【今村健人】

天風「関取の命」汚され涙と怒り、ファンも分別を

天風(写真は2017年5月21日)

 必死に笑顔を取り繕うとしていた。それでも、心の中は怒りに震え、悲しさのあまり、泣きじゃくっていた。

 大相撲の夏巡業が佳境に入っている。久々の相撲人気を反映して、どの会場も満員御礼の盛況ぶりだ。本場所同様、やっとのことでチケットを入手したファンも多いだろう。それも地方巡業とあれば、年に1日、巡業ならではの力士を至近距離で見ることができるチャンス。記念撮影にもサインにも、力士は気さくに応じてくれる。だからファンが熱狂するのも分かる。ただ、それが度を超してしまっては、お互いが悲しむ結果になる。

 「これですよ。見てください」。悲しそうな表情でそう話すのは、十両の天風(26=尾車)だった。見れば、化粧まわしに付けられた黒いサインペンの跡。今月11日に開催された山形・上山市巡業の支度部屋で、普段は愛嬌(あいきょう)たっぷりに報道陣へのリップサービスには事欠かない天風が、うなだれていた。ファンへのサービス精神も角界屈指の旺盛な男が…。

 聞けば今巡業中、十両土俵入りに備え会場入りし、ファンが求めるサインに応じている際に、押し寄せるファンが持つサインペンが、化粧まわしに触れて付けられたという。もちろん、そのファンが故意に、落書きしたのではない。弾みで起きたアクシデントだ。それは分かっているが、関取の象徴ともいえる化粧まわしに、もう消しようもない痕跡を付けられた当事者としては、たまったものではない。

 「関取にとって命なんです。お金には換えられない、世界に1つしかない逸品なんです。応援してくれる、いろいろな人たちの思いが、この化粧まわしに込められているんです。ファンの人には気持ちよく相撲を見て『ああ、来て良かったな』と思って帰ってもらいたい。だから自分たちは、握手でもサインでも写真でも、気持ちよく応じているんです。お互いに、いい気持ちのまま、お別れしたいんですよ」

 悲痛な心の叫びの、ほんの一部分だ。1本100万円するといわれる化粧まわしだが、お金の問題ではない。それでも、ファンあっての相撲界をわきまえている天風は、こんな悲しい出来事があっても、ファンの求めには応じるという。ただし、化粧まわしを締めているときのサインだけは応じない、という。

 実は、化粧まわしにサインペンの跡を付けられた、この手の「被害者」は、天風にとどまらず何人かいる。その中には、もうファンサービスには応じたくないという力士もいると聞く。人気があるのは喜ばしい限り。ただ節度だけは、わきまえたいところ。力士はアイドルとは違う。相撲には「粋」の良さがある。その分別はファンにも求められる。【渡辺佳彦】

「世代交代」見えた!爪痕残した貴景勝ら若手3力士

名古屋場所3日目、横綱日馬富士(右)に寄り切りで敗れる貴景勝

 横綱白鵬の記録ずくめで終えた名古屋場所。ただ、2横綱1大関が途中休場した中で、場所を盛り上げたのは間違いなく若手力士の奮闘だった。自分が聞いた中で、印象に残った若手3力士の言葉を列挙したい。

 ◆場所直前に21歳の誕生日を迎えた阿武咲(阿武松)は10勝した。新入幕から2場所連続で2桁勝利を挙げたのは、1場所15日制が定着した49年夏場所以降、初代若乃花や白鵬らと並び、04年九州の露鵬以来13年ぶり7人目の快挙だった。

 「(2桁は)別に意識もしなかった。一日一番取ろうと思っていた。それよりも楽しいっすね、テレビで見ている人とやれて。(雰囲気に)のまれることはないです。食ってやろうと思っている。先場所よりも明らかに強い人たちだから、めちゃくちゃ楽しいです。(まだ上に強い力士がいると思うと)ワクワクします」(10勝目を挙げた14日目の取組後)

 ◆自己最高位の西前頭2枚目で勝ち越した北勝富士(25=八角)は、横綱鶴竜から初土俵からわずか15場所目で初金星を挙げるなど、1横綱2大関を撃破した。

 「ようやったなという感じです。本当に今場所はきつかった。自分の相撲がどれくらい通用するか、取り切れるかを課題としてやってきた。自分の相撲が取れずに悔しい思いもしたし、拾った星もあったけど、後半からは自分の思う相撲が取れるようになりました。一皮むけて成長できたのかな。自分の相撲を取りきれば通用する、頑張れるなと確認できました。まだ弱いところがいっぱいある。もっと自分の相撲に磨きをかけたい。楽しみがいっぱいありますね」(14日目で勝ち越しを決めて)

 ◆自己最高位の西前頭筆頭で初日に大関照ノ富士を倒した20歳の貴景勝(20=貴乃花)。しかし、2日目から6連敗を喫するなど5勝10敗に終わった。

 「一番印象に残ったのは日馬富士関。本当に強いと思いました。今までの人生で(立ち合いで自分より低く)相手の軌道が見えたのは初めて。速すぎた。あまりにも鋭かった」「正直、場所前は不安で1勝もできないんじゃないかと思っていた。でも、やってみて、やれるんじゃないかとも思った。でも、この成績では口だけで言っても戯れ言。もう1度、挑戦したい。宇良や北勝富士は苦しくても、取るところで取って挽回する。自分はまだまだ精神が甘い」「世代交代という言葉は自分がどうこう言えない。人が判断すること。自分が言うのはおかしい。ほかの人に言ってもらえるように頑張るだけです」(千秋楽を取り終えて)

 若手の台頭が目立ったとはいえ、壁をはね返した者がいれば、壁にはね返された者もいた。どちらにしても、彼らは歩みを止めることなく、前を向いていた。貴景勝が言うように「世代交代」という言葉は周囲が口にすることなのかもしれない。だが、引き出すのは間違いなく彼ら自身。この“文句”が自然と収まるような場所は、すぐそこまで来ている。【今村健人】

「全身全霊」日馬富士、貴乃花超え

 白鵬の大記録に沸いた今場所結びの一番。その白鵬と対戦した日馬富士は、勝っても負けても“貴超え”の記録がかかっていた。勝てば、並んでいた元横綱貴乃花を抜き単独7位となる幕内702勝。負ければ、やはり貴乃花が99敗でギリギリとどまった横綱100敗目。マークしたのは後者の方だった。

 番付降下がなく、負けが込めば引退しか道が残されない横綱の地位。その中での100敗は意味ある数字ともいえる。勝利も伴わなければ退くしかない。細身の日馬富士だけに、なおさらのことだ。勝率から1場所平均11勝はしている。敗戦という負の積み重ねの数字を突きつけられても日馬富士は「これからも自分のやるべきことに集中して、あとは神様に祈るだけ。見ている人に感動と喜びを与えたい」と正面を見た。

 場所前、宇良との対戦を「あの足腰はすごい。楽しみだ」と話す一方、顔を曇らせて言った。「でも宇良の相撲を見るのは怖い。怖くて見てられないんだ。小さいからつぶされる」。力士生命を断たれかねないケガと闘ってきた自分と宇良が重なった。その宇良に横綱99敗目を喫したのは皮肉な巡り合わせだが、これからも「全身全霊」を傾ける姿勢に揺るぎはない。【渡辺佳彦】

旭天鵬のままでも良かったんだよ

 「よく言われるけど、違うんだ。正しく広めてよ」。白鵬が将来、日本国籍を取得する意向が明らかになった。そこでモンゴル人力士として初めて日本国籍を取得した友綱親方(元関脇旭天鵬)も注目された。その親方が苦笑いしていた。

 05年6月に日本国籍を取得。当時の師匠で元大関旭国の太田武雄氏の名字をもらい「太田勝」になった。そのためによく、太田氏の養子に入ったと思われた。

 「養子ではないんだ。新しく戸籍をつくる上で、名前は何でも良かった。『田中』でも『旭天鵬』のままでも。でも、オヤジに敬意を払いたかったから『太田』。それだけだよ」。当初はよく説明していたが、最近は「疲れるから、そのままにしていた」。それで、間違って広まったようだ。

 “日本人”になった当初は母国で「モンゴルを捨てた男」「国を裏切った」などと非難された。「当時は、親方として残るために日本国籍が必要だと知られていなかった。でも、今は違う。残念がられるだろうけど、みんな分かっている。朝赤龍(錦島親方)も問題なかった。横綱も大丈夫だと思うよ。自分のおかげかな」。その前向きな明るさに救われる部分は大きい。【今村健人】

白鵬、柔道原沢を持ち上げ鈴木桂治コーチも圧倒

 白鵬の強さは、世界を舞台に戦う人も認めている。

 リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜は今月上旬、朝稽古に参加。軽々と持ち上げられて「人生で初めて」と驚いた。白鵬が土俵に上がった時、全視線が白鵬に注がれ、稽古場全体が静寂に包まれる雰囲気に04年アテネ五輪金メダルで、引率した鈴木桂治コーチは「怖さというか、大きさというか」と圧倒された。

 親交のある女子レスリングの吉田沙保里は「瞬発力系なのは私に似ている。ただ違うのは、戦い方のセンスがある」と評した。組んで良し、離れても良し。取組中に突然、仁王立ちになった4日目の貴景勝戦のような戦い方もできる。引き出しの多さが、強さに比例していると感じていた。

 アスリート界以外からも、称賛の声は上がる。トヨタ自動車の豊田章男社長は全体の稽古が終わった後も稽古場に残って、1人黙々と体を動かす姿に「孤独を楽しまないといけないのかな。凡人にはできないね。彼だから出来る」と同じトップに立つ人間として感銘を受けた。

 日本の国技で10年間もトップに立つ白鵬。その影響力も、大横綱だった。【佐々木隆史】

ジャンル超え広まる10年王者の凄さ

15年7月、激励会で、WBOミニマム級王者の田中恒成(右)と握手を交わす白鵬

 白鵬が通算勝利歴代1位1047勝に並ぶ-。話題はジャンルを超えている。

 ボクシングのWBO世界ライトフライ級王者田中恒成は数年前から白鵬と面識がある。今場所3日目には朝稽古にまわしをつけて参加していたから、白鵬の話になった。

 「今の僕の年、22歳で横綱になって、10年でしょ? ただの横綱と、10年やってきた横綱は全然違う。全くの別物ですよ。ボクシングなら、世界王者と、何度も防衛を重ねた世界王者。第一線で勝ち続けるすごさ」。ぶつかり稽古で相手を押し切って、なおも押し続ける遠慮なさ。一方で若い衆に的確な助言を送る姿。「風格」を感じた。

 「朝稽古の収穫は、予想以上に大きかった。ボクシングに何か生かせるか、じゃない。とんでもなくすごいけど、同じ人間なわけです。違う世界のトップを見て、新たな考え方、発想をもらった。22歳で行けて、すごくありがたかった」

 22歳の世界王者に聞いた。10年後、想像できる?

 「イメージはできません。でも、今のレベルでないところに、必ず持っていきます」。大横綱が、若い王者に大事な何かを授けた。【加藤裕一】

力士それぞれ、冷房「設定温度」

 名古屋の梅雨が明けた。暑い名古屋がもっと暑くなり、体形ゆえに暑がりが多い力士はますます冷房に頼る。今年も、設定温度に表れる人柄をのぞいてみた。

 やっぱり最低温度の16度を譲らない力士はいる。千代丸と同部屋の千代大龍は「考えてもみてください。自分と千代丸ですよ」。大柄な臥牙丸も「もちろんマックス」と胸を張った。

 だが、譲る力士もいた。それは碧山。栃煌山や栃ノ心らと同部屋だが、昨年と違って今年は21度を守る。栃煌山は「ボクと栃ノ心は暑がりだけど、碧山が風量を弱くしてくれたり調整してくれるので、風邪をひかずにすんでます」。おかげで春日野勢は好調。思えばおととしまで16度だった豊響は結婚した昨年、23度に変えた。碧山も今年結婚。結婚で温度は変わるのか。

 大柄でも逸ノ城はちょっと意外。「24度。それくらいがちょうどいいです」。そして嘉風は言う。「大部屋を仕切っているだけなので上は吹き抜けですが、自分の頭上にあるエアコンは止めています。全然暑くない」。無の境地で土俵を駆け回る35歳は、暑さ寒さに右往左往しないらしい。

 今年の設定温度にみる人柄は、いかがでしょうか。【今村健人】