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びんつけ油の香水大人気も北勝富士「ちょっと違う」


 力士がまげを結うときに使用するびんつけ油の、甘~い香り。力士の代名詞ともいえる香りを、フレグランスメーカー「LUZ」が香水にして発売している。同社が今年に立ち上げたブランド「J-Scent」から7月に発売され、当初用意した500個がすぐに完売するなど、大人気商品になっているという。

 担当者によると「びんつけ油の香りだけだと淡泊になるので、力士の体から漂うパウダリーの香りなども表現したかった」と開発期間に1年半要したという。香りだけでなく、商品名にもこだわった。「びんつけ油」「お相撲さん」「関取」などが候補に挙がったが「強さとたくましさがテーマ」として「力士」に決めた。本格的な香りと商品名が話題になり「こんなに人気が出るとは思わなかった」と担当者も驚いている。

 実際に、においを嗅いだことのある北勝富士は「ん~ちょっと違うかな」とピンとこない様子。しかし、担当者の元には「びんつけ油のにおいでいいにおい」という購買者からの声が多数届いてるという。この1本で、力士気分を味わってみてはどうだろうか。【佐々木隆史】

力士直撃禍 なぜか多い陣幕親方「あきらめてます」

13日、土俵下に落ちる貴景勝(右)。左は陣幕親方(撮影・鈴木正人)


 休場者が多い今場所。ケガが怖いのは力士だけでない。土俵下に座る審判の親方衆も危険と背中合わせだ。

 陣幕親方(元幕内富士乃真)は、特に多くの力士が落ちてくることで知られる。今場所は4日目に貴景勝が飛んできた。受難の連続だが「これはもう、あきらめてます。たまに、磁石のように引き寄せてるんじゃないかと思うことがありますね」と苦笑いする。

 現役時代の89年秋場所12日目、控えに座っていると三杉里が落ちてきて左足首の関節を骨折。土俵に上がれず、不戦敗になった。このケガがきっかけで番付を落とし、1年後に引退した。親方になった後の01年夏場所7日目には須佐の湖が落ちてきて右スネを骨折した。10年初場所10日目には、三段目の力士に左足首を踏まれて休場した。

 「これは運に任せるしかないんです。現役中はあのケガに苦しみましたが、ある時点から運命だと思うようになりました。それでも、勝負はしっかり見ようと思っています。そういえば、錦戸親方のところも何回も落ちてきますね」。今では酒席での笑い話として、ネタにしているという。残り6日間、土俵の無事を祈りたい。【佐々木一郎】

休場明け碧山いきなり横綱戦 56年ぶり

結びの一番、日馬富士の攻めを懸命にこらえる碧山(右)(撮影・丹羽敏通)


 左膝骨挫傷で初日から休場していた平幕の碧山が、中日の17日から出場した。休場明けとはいえ、土俵の上に立つ以上は弱音は吐けない。いきなり結びの一番で横綱戦が組まれた。

 休場明け最初の取組が横綱戦となったのは、61年名古屋場所の東前頭5枚目北の洋以来56年ぶり。昭和以降では、今回が8例目となる。いきなり横綱を倒すのは至難の業だが、過去に1度だけある。51年秋場所で5日目から休場していた西張出小結の備州山が、再出場の8日目に張出横綱の千代の山を破った。今回を除く6例は、全て平幕力士によるものだったが金星は1度もなかった。

 昭和以降初の休場明け金星へ臨んだ碧山だったが、達成はならなかった。横綱戦と知った前夜は「びっくりでした。普通はないですよね」と驚いたという。ただ「番付見たらね。横綱、大関休みですからね」と覚悟はあった。さらに「家で見てたら悔しかった。僕も(相撲を)取りたかった。今日は出られてうれしかった」と土俵に上がれる幸せをかみしめていた。【佐々木隆史】

場所中に緊急発売!阿武咲錦絵に反響「一種の事件」

急きょ完成した阿武咲の錦絵


 7日目から国技館の売店に新たな商品が加わった。阿武咲の錦絵。99年ぶりに3横綱2大関が休場する異常事態の今場所を盛り上げている若武者とあって「あまりにも多くのお客さんから聞かれるので」。相撲錦絵師の木下大門氏が急きょ、5時間かけて製作した。

 30年以上も錦絵をつくる木下氏が、場所中に急きょ製作したのは3度目のこと。「ざんばら髪の遠藤と、同じくざんばら髪の逸ノ城のとき以来です。今回はあまり相撲観戦に不慣れなご婦人まで求められてきたので一種の事件ですね」。

 今年4月の神奈川・藤沢市巡業で阿武咲の写真を撮った際には若き日の大横綱を思い出したという。「北の湖さんが上がってきたときとすごくダブる。決して表情に出さず、ふてぶてしい雰囲気がとても似ている。目つきも普通の人ではない怖さを感じる。ただものじゃないと思いました」。

 北の湖と体格こそ違えど、大物の雰囲気を醸し出す阿武咲。稀勢の里にも似る武骨な21歳が、相撲ファンの興味を引きつけている。【今村健人】

安美錦“とっくり”でご機嫌「一杯やりたいね」


<大相撲秋場所>◇6日目◇15日◇両国国技館

 初土俵から21年目の初体験。東十両2枚目安美錦(38=伊勢ケ浜)が琴勇輝にとっくり投げを見舞った。通算43手目の決まり手だ。

 「技のデパート」と称された元小結舞の海は33手。多彩な取り口で知られた元小結旭鷲山は46手。前人未到の優勝39回の横綱白鵬は41手。そんな名手たちも未経験の珍技だ。相手の首、頭をとっくりに見立て、両手で挟み左右にひねって倒す。01年初場所で新設された12の決まり手の1つで、いまだ幕内では1度も出ていない。安美錦は「当たって右を張って。差そうと思ったら(相手が)前に出てきたからこう…」。ジェスチャー付きで、いかにも説明しづらそうに解説した。

 今場所3日目、新十両の大成道も照強に決めた。十両で約2年ぶりの珍事がわずか3日後に飛び出した。くしくも大成道は同郷の青森出身。「そうなんだ。巡業中にとっくりで一杯やりたいね」。星も4勝2敗。再入幕を目指す大ベテランはご機嫌だった。【加藤裕一】

琴奨菊、殊勲白星でもインタビュー断る理由

秋場所3日目、日馬富士を破った琴奨菊(右)(17年9月12日撮影)


 横綱や大関に勝った下位の力士は、NHKのインタビュールームに呼ばれる。ほとんどの力士はこれに応じるが、断る場合もある。

 元大関の琴奨菊は初日から1横綱2大関を破ったが、1度もインタビューを受けなかった。なぜか?

 「その方がいいかなと思った。今後においても、今においても…」。今年初場所まで大関を務めていた自負もあるだろう。日馬富士に勝って初金星を挙げたが「ああいう内容だったからね」と、テレビで喜びを語ることは控えた。

 元大関の初金星は、雅山(現二子山親方)以来10年半ぶりだった。雅山は、大関から陥落して33場所目に横綱朝青龍に勝ち、インタビューを受けた。二子山親方は「僕は強い横綱に勝ってうれしかったので行きました。でも、大関戦に勝っても一切行きませんでした」と振り返る。大関に勝つたび、断り続けた。「現役中は元大関と言われるのが嫌でした。大関に戻るつもりでいましたから」。

 勝ってテレビカメラの前に立つかどうかは、本人次第。放送時間の関係もあるが、殊勲の白星の後にインタビューがなかった場合、そこには力士の生きざまが反映されている。【佐々木一郎】

「なんかかわいい」千代丸のCM出演

千代丸(17年8月9日撮影)


 2日目の11日から放送されている東洋水産のカップ麺「QTTA(クッタ)」のCMに、九重部屋の力士が出演している。芸人松本人志が差し入れに訪れ、力士がむしゃぶりつく。その中心にいるのが幕内千代丸。松本に「なんかかわいいな、あいつ」と言われる。

 部屋総出で出演するが、1番の狙いは千代丸だった。「自分に連絡がきたんです。スポーツ編を撮りたくて、相撲なら自分だと。最初で最後のCMっすね」。

 美声で知られる幕内勢も、ウェブ限定でパナソニックのCMに出演。その中でオリジナルの歌「二人で生きよう」を披露している。

 広告代理店関係者は「今まで白鵬関への依頼が多かったですが、最近はいろいろな力士に話が来ます。面白い力士が増えていることもあるでしょう」と言う。白鵬や遠藤、照ノ富士らが出演中で、最近では宇良にも白羽の矢が立っている。

 かつては大鵬、そして高見山や千代の富士が隆盛を極めたCMも、85年7月の理事会で1度は“禁止”された。それが95年から徐々に解禁されて今に至る。3横綱1大関が不在で三役以上の全勝も皆無とまるで底冷えする秋場所の相撲人気を、広く伝わるようになった多くの力士の“個性”で支えている。【今村健人】

伏兵現れる楽しみも


 3横綱と平幕の2人が休場して始まった秋場所。3日目の12日に高安と宇良の休場も決まり、幕内で7人が休場となった。肩を落とすファンも多いと思うが、裏を返せば、誰が賜杯を抱くか分からない、手に汗握る展開になったとも言える。

 休場者数が多い場所は、大関に優勝のチャンスがあるようだ。戦後、引退・廃業を除き幕内力士の同時休場数が最多だったのは、02年名古屋場所の9人。横綱貴乃花、大関魁皇、栃東、武双山らが休場した中で、大関千代大海が優勝した。今場所と同じ3横綱1大関が休場した99年春場所は、大関武蔵丸が優勝している。

 しかし、今場所残された2人の大関は、万全の状態とは言い難い。三役力士も序盤ながら星を落としている。この日を終えて全勝は琴奨菊、阿武咲らの平幕勢6人となった。まさに戦国場所。12年夏場所の旭天鵬以来の平幕優勝か。横綱で唯一出場している日馬富士や、大関陣が盛り返すのか。はたまた、予想もしていない伏兵が現れるのか。荒れているからこその、楽しみもある。【佐々木隆史】

大砂嵐、友鵬さんに捧げる勝利


 JR両国駅に最も近い国技館の南門は、力士らが出入りする。入ってすぐの詰め所に、世話人の友鵬さん(享年60=大嶽)はいつもいた。亡くなって2日後の秋場所初日。不在の友鵬さんに代わって、似顔絵、遺影、花が飾られていた。

 「世話人になくてはならない存在だよ」と、40年以上の付き合いになる世話人、白法山(61)は言う。世話人は雑務全般をこなす裏方中の裏方。友鵬さんは多くの力士から慕われ、内外の関係者や好角家に知られた名物的存在でもあった。

 大鵬部屋でともに育った大嶽親方(元十両大竜)は初日の前日、力士を集めて言った。「弔いの場所になる。みんな死ぬ気でやろう。忙しいのを言い訳にしちゃだめだ」。稽古場に祭壇が作られ、棺(ひつぎ)とともに愛用していた帽子が置かれた。

 部屋唯一の関取、大砂嵐は白星発進した。8月の所沢巡業後、タクシーに友鵬さんと同乗した時の話が忘れられない。65歳の定年後のことを聞くと「宮古島に帰って、海の前でゆっくりする。そうなっても俺のこと、忘れるなよ」と言われた。エジプトから来日し、すべてを教えてくれた恩人を忘れるわけがない。

 通夜は今日11日、午後6時から大嶽部屋で営まれる。【佐々木一郎】

白鵬2年連続の秋休場…昨年断食、今年はどう過ごす

部屋で体を動かす横綱白鵬(2017年9月6日)

 春場所で稀勢の里が横綱に昇進して4横綱となり、豪華番付となった大相撲。しかし、4横綱が皆勤した場所はいまだなく、秋場所では昭和以降初となる3横綱が初日から休場する緊急事態となってしまった。

 名古屋場所前から違和感があった左膝痛が原因で休場した横綱白鵬(32=宮城野)は、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)によれば「『もう少し時間があれば』と話していた。出たい気持ちはあった」と苦渋の決断だったようだ。

 8月25日。神奈川・小田原市で巡業が行われた。この日まで1度も土俵の上で稽古を行っていなかった白鵬は、稽古場にすら姿を現さなかった。支度部屋で治療もしくは、休養しているのだろうか、と思いながら朝稽古の取材を終えて、力士の取材のために支度部屋に移動している時だった。歩きながらふと、扉の開いている関係者入り口を見ると、けいこまわしを着けた白鵬が、1人黙々と体を動かしていた。太陽の光を浴びながら深呼吸をして、腰を落とし、ゴムチューブを使って上半身のトレーニング。どれぐらいの時間動いていたのだろうか。額には大粒の汗を流していた。

 8月28日に番付発表が行われた。3場所連続優勝と大台となる40回目の優勝を狙う白鵬も、ここからエンジンをかけるはずだったが、休場を決断する9月8日まで出稽古はおろか、関取衆と相撲を取ることすらなかった。しかし、やれることはやっていた。稽古後に、若い衆を相手にモンゴル相撲を行い、少しでも相撲の感覚が鈍らないようにしていた。宮城野親方は「若い衆がいなくなった後も、毎日1時間は四股を踏んでいた」とその努力を見ていた。何としてでも出場したいという気持ちは、所々に現れていた。

 2年連続で秋場所を休場することになった。昨年はこの時期に、今の活躍につながる断食を行った。休むことは相撲勘が鈍ることにつながるかもしれないが、この時にしか出来ないこともある。休むもよし、鍛えるもよし、新たな治療をするもよし。納めの九州場所に向けて、白鵬はどんな時間の使い方をするのだろうか。【佐々木隆史】

笑顔が抜群…忘れられない友鵬飯/元担当記者が悼む

友鵬さん(右)と大砂嵐

 大相撲の世話人、友鵬さん(享年60)のあまりに急な訃報に接し、悲しみが止まらない。運営のほとんどを「協会員」が担う特殊な大相撲の組織にあって、世話人の存在は貴重で、その仕事は多岐にわたっていた。あらゆる雑用をこなす縁の下の力持ち。中でも友鵬さんの“笑顔”はずばぬけていた。ちょっとしたトラブルがあっても、その人懐っこい、何ともいえない柔和な笑顔が解決した。

 相撲担当時代を思い出す。両国国技館の南門が関係者出入り口で、そこに設置された小屋に世話人たちが常駐する。記者は朝稽古を取材し、昼ごろに場所入りするのだが、個人的にそこはまさに“関所”だった。

 いつからか身を隠すようにこそっと通過するようになった。それは…。「おー、飯食って行けよ」。見つかると、小屋の友鵬さんから声がかかる。ありがたいこと、だがしかし…。「相撲飯」は半端ない。

 例えばどんぶりなど、店側も気を利かせた通常の2倍以上の特盛り。残せば「えびすこ弱し」のレッテルを貼られ、完食すれば「えびすこ、つええな」の喝采。頑張るしかない。さらに後押しは友鵬さんの笑顔だ。たとえ場所入り前に昼飯を済ませていようとも「友鵬飯」は必ず完食し、死にそうになった。

 もちろん、飯を食うだけではなく、いろんなことを教わった。角界のしきたり、ある力士の特徴、裏話…。お世話になったことばかりで、恩返しもできぬまま、訃報に触れることになってしまった。相撲人気が盛況を取り戻した今、友鵬さんが活躍する舞台はここからだった。ご冥福をお祈りします。本当にお世話になりました。安らかにお眠りください。【元相撲担当・実藤健一】

験担いだ碧山、取材できずも千秋楽のひと言に喜び

逸ノ城(右)を押しだしに破る碧山(2017年7月15日撮影)

 入社して30年目。記者としてのキャリアは20年以上になる。数字は立派なベテランやが、中身は立派やない。派手なニュースを抜いたこともなく、仲間うちでは「記者」というより「記者っぽい人」てな認識です。そんな50過ぎのおっさんが思う「記者の喜び」もまた、ささやかなもんです。

 名古屋場所の10日目と13日目から千秋楽まで、春日野部屋の朝稽古をのぞいた。狙いは平幕優勝の可能性があった碧山。相撲取材2場所目の新米なんで「まあ、行くだけ行ってみよか」てな気持ちで足を運んだ。

 最初の10日目。取材に来た記者は私を含めて2人だけ。朝稽古を終えた碧山に話を聞こかと思ったら、付け人が近づいてきた。で、頭を下げる。

 「すみません。実は先日、朝に取材受けて…」

 阿武咲に初黒星を喫した8日目らしい。ピンと来た。

 「ああ、験担ぎやね」

 「そうなんです」

 そうか。ブルガリアの人でも、そこは一緒か。ごり押しするのも無粋やし「そら、しゃあないね」と黙って引いた。ラスト3日間も一緒やった。本人の話はなし。朝何時に土俵に上がって、すり足を何回して、相撲を何番取って、てなあたりをチェックして表情を見て、親方に話を聞いて帰る。

 ほんで千秋楽。碧山は嘉風に勝って13勝2敗。結びの一番で白鵬が負ければ優勝決定戦…という権利を手にして取組を終えた。白鵬は日馬富士に勝って、そのまま優勝した。

 支度部屋で碧山の取材が始まった。すると、こっちを見た。開口一番に「残念です」。私の目を見て、私に言いよった。

 別に紙面に差が出るほどの話やない。それでも、やっぱりちょっとうれしい。その気持ちは、30年前と変わりません。

 たわいもない話なんですがね。【加藤裕一】

大鵬の弟子“北錦”が語った、オヤジの強さデカさ

元北錦の紺野幸浩さん

 札幌市で行われた夏巡業に、1人の元力士が訪れていた。紺野幸浩さん(57)。現在、水産物の卸売りなどを手がける「株式会社イチマル渋谷」で社長を務めているが、以前は「北錦」のしこ名で角界にいた。その師匠は誰あろう、元横綱大鵬。最高位は三段目で、わずか3年しか在籍しなかったが「オヤジ」と呼ぶ師匠との仲は、実に濃いものだった。紺野さんに思い出を振り返ってもらった。

 ◇ ◇ ◇

 「忘れもしない、昭和52年(1977年)2月13日でした。新弟子で入門する自分を迎えに、住んでいた北海道北見市にオヤジが来る予定だったんです。でも、来なかった。マネジャーから連絡がありました。朝、歯を磨いていて、バタッと倒れたと。『まさか』とびっくりしました。オヤジはすぐに入院です。自分は結局、次の日にマネジャーが迎えに来て、部屋へと行きました」。

 脳梗塞で倒れて運ばれた入院先の病院が、師匠「大鵬親方」との初対面。左半身にはまひが残っていた。それから3年間、引退するまで師匠の付け人を務めた。

 「リハビリはすごかった。おかみさんと、部屋近くの清澄公園をただ歩くだけ。私も後ろをついて歩きました。歩いて歩いて、2時間は間違いなく歩いた。もっと歩いたときもあった。止まろうとはしなかった。オヤジは左半身が動かなかったけど、やっぱり強かったです。あるとき、規律を守らなかった兄弟子に怒って、右でひっぱたいたんです。吹っ飛んだ。大げさでなく、本当に転がっていった。すごかったです」。

 そのとき初めて「大鵬」の強さを間近で見て、恐れ入ったという。それでも、紺野さんにとっては優しいオヤジだった。

 「大鵬部屋に入ったのは、おふくろの弟が(北海道の)川湯でオヤジと同級生で、その縁です。オヤジからは『高校に落ちたら来い』と誘われていましたが、進学した。でも、1年間通った後で、もう1度「来い」と誘ってくれました。忘れていなかったんですね。その言葉で、親にも誰にも相談しないで『行く』と決めてしまいました。やめたのは根性がなかったから。それでも本当にかわいがってくれて、やめるときも『マネジャーになれ』と言ってくれました」。

 ◇ ◇ ◇

 引退後、紺野さんは市場に入って鮮魚店に勤め、37歳で「海鵬フーズ」という社名で会社を立ち上げた。「鵬」はもちろん、オヤジから。そのことを報告すると「サイン色紙を持ってこい」と言われた。そして「30枚書いたら教えろ」と、今は世話人の友鵬に伝えて、サインを書き始めた。そのとき、紺野さんの兄弟子でもある友鵬は機転を利かせた。「何枚だ?」と聞く師匠に「まだ○枚です」と言う。結局、サイン色紙は100枚になった。気づかないわけはない。でも、大鵬親方は、気づかないふりをしてくれていたのだろう。

 「サイン色紙を会社設立の引き出物に使いたいと伝えると、大喜びしてくれました。お礼じゃないですが、お金を持っていったんです。そうしたら怒られました。そして、オヤジに『木を持ってこい』と言われて…。何をしたかというと、看板を書いてくれたんです。『大鵬幸喜』とサインを入れてくれたんです。今もあります」

 ◇ ◇ ◇

 13年1月19日の初場所7日目。紺野さんは家族4人で初めて大相撲を見に、東京を訪れた。直前に部屋に行ったが、オヤジには会えなかった。入院していると聞いた。そして、結びの一番を終えて弓取り式が始まったとき、観客が「大鵬、万歳!」とさけんだ。そのとき、友鵬から着信があった。「オヤジが死んだ」。

 「本当に、不思議な運命を感じました。入門のときもそう。そして、最期のときも…」。

 前年のオヤジの誕生日。祝いの席に顔を出したときに、こう言われた。「お前は相撲取りをやめた中で一番出世なんだから、あいさつせい!」。

 「そう言ってもらえたのは、本当にうれしかった。北海道に来ると、連絡もなしに突然、会社に来るんです。酔っぱらって電話が来たことも2回あります。オヤジは、せっけん1つ買うことにも領収書にうるさい人でした。10円、20円をしっかり削ろうとする。飲みでは10万、20万円を使うんですけどね。でも、そこは付け人として本当に教えられました」

 数年後、大鵬部屋に税務署の調査が入ったことがあった。そのとき“何も”取られなかった。それは、とても珍しいことだという。それだけ、キチッとしていたのが大鵬親方。そのオヤジの教えは、今の紺野さんの商売につながっている。

 「すべてが、オヤジに教えられたこと。本当にデカイです」。

 「大鵬」の教えは今も、さまざまなところで引き継がれていた。【今村健人】

天風「関取の命」汚され涙と怒り、ファンも分別を

天風(写真は2017年5月21日)

 必死に笑顔を取り繕うとしていた。それでも、心の中は怒りに震え、悲しさのあまり、泣きじゃくっていた。

 大相撲の夏巡業が佳境に入っている。久々の相撲人気を反映して、どの会場も満員御礼の盛況ぶりだ。本場所同様、やっとのことでチケットを入手したファンも多いだろう。それも地方巡業とあれば、年に1日、巡業ならではの力士を至近距離で見ることができるチャンス。記念撮影にもサインにも、力士は気さくに応じてくれる。だからファンが熱狂するのも分かる。ただ、それが度を超してしまっては、お互いが悲しむ結果になる。

 「これですよ。見てください」。悲しそうな表情でそう話すのは、十両の天風(26=尾車)だった。見れば、化粧まわしに付けられた黒いサインペンの跡。今月11日に開催された山形・上山市巡業の支度部屋で、普段は愛嬌(あいきょう)たっぷりに報道陣へのリップサービスには事欠かない天風が、うなだれていた。ファンへのサービス精神も角界屈指の旺盛な男が…。

 聞けば今巡業中、十両土俵入りに備え会場入りし、ファンが求めるサインに応じている際に、押し寄せるファンが持つサインペンが、化粧まわしに触れて付けられたという。もちろん、そのファンが故意に、落書きしたのではない。弾みで起きたアクシデントだ。それは分かっているが、関取の象徴ともいえる化粧まわしに、もう消しようもない痕跡を付けられた当事者としては、たまったものではない。

 「関取にとって命なんです。お金には換えられない、世界に1つしかない逸品なんです。応援してくれる、いろいろな人たちの思いが、この化粧まわしに込められているんです。ファンの人には気持ちよく相撲を見て『ああ、来て良かったな』と思って帰ってもらいたい。だから自分たちは、握手でもサインでも写真でも、気持ちよく応じているんです。お互いに、いい気持ちのまま、お別れしたいんですよ」

 悲痛な心の叫びの、ほんの一部分だ。1本100万円するといわれる化粧まわしだが、お金の問題ではない。それでも、ファンあっての相撲界をわきまえている天風は、こんな悲しい出来事があっても、ファンの求めには応じるという。ただし、化粧まわしを締めているときのサインだけは応じない、という。

 実は、化粧まわしにサインペンの跡を付けられた、この手の「被害者」は、天風にとどまらず何人かいる。その中には、もうファンサービスには応じたくないという力士もいると聞く。人気があるのは喜ばしい限り。ただ節度だけは、わきまえたいところ。力士はアイドルとは違う。相撲には「粋」の良さがある。その分別はファンにも求められる。【渡辺佳彦】

玉鷲のツッコミに衝撃!アン・ソンジュ級のセンス

玉鷲

 コーナーのタイトルが「裏話」というくらいやから、あまり正統派の話を書くもいかがなもんか。なので、かなりばかばかしい話を書こうと思う。

 先月の名古屋場所。中入り後、支度部屋で記者の数が急に増える。取組後の力士の話を聞く。そんないつもの仕事をしようと、ある力士の前にかがんだ。ペンとノートを手に。その時やった。

 「やる気のなさそうなノートですね」

 ? オレのことか? あまりに虚を突く言葉やったので、一瞬ぽかんとして、直後に焦った。確かに縦約15センチ、横約10センチと小さくて、表紙は少女趣味的なピンクでプラスチック。百均ショップで買いました。確かに「やる気がある」と胸を張っては言いにくい代物ですわ。しかし、やねえ…。「いやいや関取。こう見えて、中はきっちりしとるんですよ。ほれ、この通り」。縮小コピーした番付をはったページを開けて見せたり、あわてふためいてもうたわい。

 力士は玉鷲やった。こっちは相撲担当まだ2場所目、特に親しくもない。そんな相手に何の前触れもなく放り込むには、考えられん言葉でしょ? ただ、その声色のソフトさ、普通さに嫌みのたぐいはかけらも感じず、見上げた顔は優しく笑って、穏やか。モンゴル出身ですよ? なんちゅうセンスや。抜群の突っ込みに、めちゃめちゃビックリしたわけです。

 聞けば手芸の達人らしい。お菓子作りや料理も達者とか。昔、女子プロゴルフでアン・ソンジュの言葉のチョイスに「日本選手よりはるかにおもろいがな」と感心したけど…。

 玉鷲、恐るべし。【加藤裕一】

「世代交代」見えた!爪痕残した貴景勝ら若手3力士

名古屋場所3日目、横綱日馬富士(右)に寄り切りで敗れる貴景勝

 横綱白鵬の記録ずくめで終えた名古屋場所。ただ、2横綱1大関が途中休場した中で、場所を盛り上げたのは間違いなく若手力士の奮闘だった。自分が聞いた中で、印象に残った若手3力士の言葉を列挙したい。

 ◆場所直前に21歳の誕生日を迎えた阿武咲(阿武松)は10勝した。新入幕から2場所連続で2桁勝利を挙げたのは、1場所15日制が定着した49年夏場所以降、初代若乃花や白鵬らと並び、04年九州の露鵬以来13年ぶり7人目の快挙だった。

 「(2桁は)別に意識もしなかった。一日一番取ろうと思っていた。それよりも楽しいっすね、テレビで見ている人とやれて。(雰囲気に)のまれることはないです。食ってやろうと思っている。先場所よりも明らかに強い人たちだから、めちゃくちゃ楽しいです。(まだ上に強い力士がいると思うと)ワクワクします」(10勝目を挙げた14日目の取組後)

 ◆自己最高位の西前頭2枚目で勝ち越した北勝富士(25=八角)は、横綱鶴竜から初土俵からわずか15場所目で初金星を挙げるなど、1横綱2大関を撃破した。

 「ようやったなという感じです。本当に今場所はきつかった。自分の相撲がどれくらい通用するか、取り切れるかを課題としてやってきた。自分の相撲が取れずに悔しい思いもしたし、拾った星もあったけど、後半からは自分の思う相撲が取れるようになりました。一皮むけて成長できたのかな。自分の相撲を取りきれば通用する、頑張れるなと確認できました。まだ弱いところがいっぱいある。もっと自分の相撲に磨きをかけたい。楽しみがいっぱいありますね」(14日目で勝ち越しを決めて)

 ◆自己最高位の西前頭筆頭で初日に大関照ノ富士を倒した20歳の貴景勝(20=貴乃花)。しかし、2日目から6連敗を喫するなど5勝10敗に終わった。

 「一番印象に残ったのは日馬富士関。本当に強いと思いました。今までの人生で(立ち合いで自分より低く)相手の軌道が見えたのは初めて。速すぎた。あまりにも鋭かった」「正直、場所前は不安で1勝もできないんじゃないかと思っていた。でも、やってみて、やれるんじゃないかとも思った。でも、この成績では口だけで言っても戯れ言。もう1度、挑戦したい。宇良や北勝富士は苦しくても、取るところで取って挽回する。自分はまだまだ精神が甘い」「世代交代という言葉は自分がどうこう言えない。人が判断すること。自分が言うのはおかしい。ほかの人に言ってもらえるように頑張るだけです」(千秋楽を取り終えて)

 若手の台頭が目立ったとはいえ、壁をはね返した者がいれば、壁にはね返された者もいた。どちらにしても、彼らは歩みを止めることなく、前を向いていた。貴景勝が言うように「世代交代」という言葉は周囲が口にすることなのかもしれない。だが、引き出すのは間違いなく彼ら自身。この“文句”が自然と収まるような場所は、すぐそこまで来ている。【今村健人】

「全身全霊」日馬富士、貴乃花超え

 白鵬の大記録に沸いた今場所結びの一番。その白鵬と対戦した日馬富士は、勝っても負けても“貴超え”の記録がかかっていた。勝てば、並んでいた元横綱貴乃花を抜き単独7位となる幕内702勝。負ければ、やはり貴乃花が99敗でギリギリとどまった横綱100敗目。マークしたのは後者の方だった。

 番付降下がなく、負けが込めば引退しか道が残されない横綱の地位。その中での100敗は意味ある数字ともいえる。勝利も伴わなければ退くしかない。細身の日馬富士だけに、なおさらのことだ。勝率から1場所平均11勝はしている。敗戦という負の積み重ねの数字を突きつけられても日馬富士は「これからも自分のやるべきことに集中して、あとは神様に祈るだけ。見ている人に感動と喜びを与えたい」と正面を見た。

 場所前、宇良との対戦を「あの足腰はすごい。楽しみだ」と話す一方、顔を曇らせて言った。「でも宇良の相撲を見るのは怖い。怖くて見てられないんだ。小さいからつぶされる」。力士生命を断たれかねないケガと闘ってきた自分と宇良が重なった。その宇良に横綱99敗目を喫したのは皮肉な巡り合わせだが、これからも「全身全霊」を傾ける姿勢に揺るぎはない。【渡辺佳彦】

旭天鵬のままでも良かったんだよ

 「よく言われるけど、違うんだ。正しく広めてよ」。白鵬が将来、日本国籍を取得する意向が明らかになった。そこでモンゴル人力士として初めて日本国籍を取得した友綱親方(元関脇旭天鵬)も注目された。その親方が苦笑いしていた。

 05年6月に日本国籍を取得。当時の師匠で元大関旭国の太田武雄氏の名字をもらい「太田勝」になった。そのためによく、太田氏の養子に入ったと思われた。

 「養子ではないんだ。新しく戸籍をつくる上で、名前は何でも良かった。『田中』でも『旭天鵬』のままでも。でも、オヤジに敬意を払いたかったから『太田』。それだけだよ」。当初はよく説明していたが、最近は「疲れるから、そのままにしていた」。それで、間違って広まったようだ。

 “日本人”になった当初は母国で「モンゴルを捨てた男」「国を裏切った」などと非難された。「当時は、親方として残るために日本国籍が必要だと知られていなかった。でも、今は違う。残念がられるだろうけど、みんな分かっている。朝赤龍(錦島親方)も問題なかった。横綱も大丈夫だと思うよ。自分のおかげかな」。その前向きな明るさに救われる部分は大きい。【今村健人】

白鵬、柔道原沢を持ち上げ鈴木桂治コーチも圧倒

 白鵬の強さは、世界を舞台に戦う人も認めている。

 リオデジャネイロ五輪柔道男子100キロ超級銀メダルの原沢久喜は今月上旬、朝稽古に参加。軽々と持ち上げられて「人生で初めて」と驚いた。白鵬が土俵に上がった時、全視線が白鵬に注がれ、稽古場全体が静寂に包まれる雰囲気に04年アテネ五輪金メダルで、引率した鈴木桂治コーチは「怖さというか、大きさというか」と圧倒された。

 親交のある女子レスリングの吉田沙保里は「瞬発力系なのは私に似ている。ただ違うのは、戦い方のセンスがある」と評した。組んで良し、離れても良し。取組中に突然、仁王立ちになった4日目の貴景勝戦のような戦い方もできる。引き出しの多さが、強さに比例していると感じていた。

 アスリート界以外からも、称賛の声は上がる。トヨタ自動車の豊田章男社長は全体の稽古が終わった後も稽古場に残って、1人黙々と体を動かす姿に「孤独を楽しまないといけないのかな。凡人にはできないね。彼だから出来る」と同じトップに立つ人間として感銘を受けた。

 日本の国技で10年間もトップに立つ白鵬。その影響力も、大横綱だった。【佐々木隆史】

ジャンル超え広まる10年王者の凄さ

15年7月、激励会で、WBOミニマム級王者の田中恒成(右)と握手を交わす白鵬

 白鵬が通算勝利歴代1位1047勝に並ぶ-。話題はジャンルを超えている。

 ボクシングのWBO世界ライトフライ級王者田中恒成は数年前から白鵬と面識がある。今場所3日目には朝稽古にまわしをつけて参加していたから、白鵬の話になった。

 「今の僕の年、22歳で横綱になって、10年でしょ? ただの横綱と、10年やってきた横綱は全然違う。全くの別物ですよ。ボクシングなら、世界王者と、何度も防衛を重ねた世界王者。第一線で勝ち続けるすごさ」。ぶつかり稽古で相手を押し切って、なおも押し続ける遠慮なさ。一方で若い衆に的確な助言を送る姿。「風格」を感じた。

 「朝稽古の収穫は、予想以上に大きかった。ボクシングに何か生かせるか、じゃない。とんでもなくすごいけど、同じ人間なわけです。違う世界のトップを見て、新たな考え方、発想をもらった。22歳で行けて、すごくありがたかった」

 22歳の世界王者に聞いた。10年後、想像できる?

 「イメージはできません。でも、今のレベルでないところに、必ず持っていきます」。大横綱が、若い王者に大事な何かを授けた。【加藤裕一】

力士それぞれ、冷房「設定温度」

 名古屋の梅雨が明けた。暑い名古屋がもっと暑くなり、体形ゆえに暑がりが多い力士はますます冷房に頼る。今年も、設定温度に表れる人柄をのぞいてみた。

 やっぱり最低温度の16度を譲らない力士はいる。千代丸と同部屋の千代大龍は「考えてもみてください。自分と千代丸ですよ」。大柄な臥牙丸も「もちろんマックス」と胸を張った。

 だが、譲る力士もいた。それは碧山。栃煌山や栃ノ心らと同部屋だが、昨年と違って今年は21度を守る。栃煌山は「ボクと栃ノ心は暑がりだけど、碧山が風量を弱くしてくれたり調整してくれるので、風邪をひかずにすんでます」。おかげで春日野勢は好調。思えばおととしまで16度だった豊響は結婚した昨年、23度に変えた。碧山も今年結婚。結婚で温度は変わるのか。

 大柄でも逸ノ城はちょっと意外。「24度。それくらいがちょうどいいです」。そして嘉風は言う。「大部屋を仕切っているだけなので上は吹き抜けですが、自分の頭上にあるエアコンは止めています。全然暑くない」。無の境地で土俵を駆け回る35歳は、暑さ寒さに右往左往しないらしい。

 今年の設定温度にみる人柄は、いかがでしょうか。【今村健人】

いい思い出になる!? 新記録相手は誰だ

 白鵬が、史上最多1047勝に王手をかけた。11日目は御嶽海戦。その後の対戦は通例ならば玉鷲、高安、豪栄道、日馬富士の順。新記録の相手は恐らく、この中から生まれるだろう。

 魁皇が千代の富士と並ぶ1045勝目を挙げ、新記録となる1046勝、そして最後の1047勝で終えたのは11年名古屋だった。新記録の相手となったのは元関脇旭天鵬の友綱親方。左四つから寄り切られた。「おれかぁ…と思った。当時はかなり嫌だった。負けた映像がずっと使われるから」。ただ、今となっては「その時代にいたという、いい思い出。当たりたくても、上位にいないと当たれないしね」と振り返った。

 最後の白星の相手は安美錦だった。立ち合いから激しい攻防の末、互いに上手が取れない左四つに。俵の前では懸命に粘った。29秒9の熱戦の末に寄り倒されたが「長い相撲で、互いに立てなかったのを覚えているよ」。魁皇に手を差し伸べられて、体を起こした。

 「最後の白星」という予感はあったという。翌年5月の引退披露宴では1047を忘れないように写真も撮った。「何でも名前が残ればいいかな」と笑った。

 「1047」は通過点に思える白鵬の記録。今度は誰が、そうした思いを抱くのだろうか。【今村健人】

千代の富士亡くなって1年…千代の国と千代翔馬の縁

 元横綱千代の富士の先代九重親方(本名・秋元貢)が亡くなって、もうすぐ1年になる。名古屋市東区にある九重部屋では今年、宿舎内の部屋の配置が換わった。先代が寝泊まりしていた部屋には、千代翔馬と千代の国の2人が移った。

 初日の朝、千代の国は不思議な気持ちで目覚めた。夢に、先代師匠が現れた。「師匠を夢で見たのは1年ぶりでした」。1年前に見たのは昨年7月27日。亡くなる4日前だった。改めて在りし日の姿が思い出された。「目が覚めると忘れてしまったんですが、すごく良い言葉を掛けてもらった気がする。どんな言葉だったか、思い出したいなぁ。みんな泣いていました」。

 宿舎には先代の衣装ケースや湯飲みなどが、変わらずにある。懐かしむ千代翔馬は、先代の通算1045勝が白鵬に並ばれた今、その偉大さを思った。「親方は、誰もいない中で1000勝を超えて、魁皇関や白鵬関の目標をつくった。130キロない体で押されないし、張り差しもしない。見ていて気持ちがいい」。

 初めて大関を倒し、今日10日目は白鵬と組まれた。千代の富士と似た体形に先代の魂は宿るか。「普通なら横綱と当たらない番付。何か縁がある。親方超えを1日でも延ばせるように頑張りたい」。【今村健人】

バラエティー番組ADからの転職弟子も

新序出世披露した左から高木、若野口、隅田川、虎来欧、庄司(撮影・鈴木正人)

 まだ暑い午後3時過ぎ、朝日山親方(元関脇琴錦)は正面入り口でチケットのもぎりに汗していた。スピーディーな“F1相撲”で2度の平幕優勝を飾った元花形力士がお客さんを笑顔で迎えていた。協会の仕事は大変だ。だが、部屋の長としてはもっと大変だ。

 昨年6月1日付で尾車部屋から独立し、朝日山部屋をおこして1年。まず頭を悩ますのは弟子集め。「車の運転中でも“有望な子、いないかな”と探しちゃう」。東序ノ口朝日錦はコンビニのレジ打ちをしている時に声をかけた。西序二段の松沢は自分の息子。この日の新序出世披露で紹介された高木城治(21)は5人目の弟子。テレビ番組製作会社でバラエティー番組のADなどをしていたが「努力が結果に出る」と転職を決め、1カ月前に入門希望の電話をしてきた。「彼はまじめだし、いいですよ」と大歓迎した。

 「ただ集めりゃいいってもんじゃない。家族のような部屋にしていきたいから、集めても15人かな。ちゃんとしつけもしなきゃいけないし…」。時代を考え、朝稽古は午前8時からだったが、早めようかと考え中。「今も7時50分に起きるやつがいる。どうしたもんかね」。汗だくの思案顔に充実感が漂った。【加藤裕一】

 ◆新序出世 日本相撲協会は名古屋場所8日目の16日、ブルガリア出身のベンチスラフ・カツァロフ改め虎来欧(鳴戸)や埼玉大から入門した庄司(武蔵川)ら新序出世力士6人(再出世1人)を発表。秋場所(9月10日初日、東京・両国国技館)から番付にしこ名が載る。

力士も御朱印集め

 寺や神社を参拝して「御朱印」を集める人が増えている。全国各地を回る力士もご多分に漏れず。小結嘉風は3月の春場所後から、京都を皮切りに回り始めた。ただ集めに回るだけではない。歴史や由緒などを調べてから行く。

 「(長野県の)松本城の近くにある『四柱神社』は願い事がかなうと言われているんです」。嘉風にとって、願い事は1つ。「家族が幸せであることだけ。家族が幸せ=自分の仕事も充実しているってことですから」。その効果がここ2場所、出ているのだろうか。 十両天風も「心が洗われる」と回る。2月には復興城主になった熊本城を訪れて、城を築いた武将・加藤清正をまつる「加藤神社」を参拝。その加藤清正の生誕の地の寺が名古屋市内にあると知ると「行ってみたい」と興味津々だった。

 8月23、24日に東京・お台場で行われる夏巡業ではそうした盛り上がりに応えてか、限定の“御朱印帳”を販売してサイン帳代わりに使ってもらうほか、行司が相撲字で記す“御朱印所”も設けられるという。

 地方場所では寺社を宿舎にする部屋も多い。まして、大相撲は神事。力士や行司のサインも、御朱印のようなものか。【今村健人】

稀勢の里休場に名古屋のファン心配と怒りと期待

名古屋場所5日目、稀勢の里は勢に敗れ風呂場へ向かう(2017年7月11日撮影)

 稀勢の里の休場に、名古屋のファンはため息をついた。愛知・一宮市在住の67歳男性は「巡業を全部休んででも東京で完全復活してもらいたい」と期待。他にも、けがの治療を優先して万全な状態で戻ってきて欲しいという声が多数あった。

 一方、この日初めて観戦に訪れた名古屋市在住の52歳男性は「楽しみにしていたのに正直、お金を返せと思う。最初から休めば良かったのに。どんどん引退に近づいている感じだね」と語気を強めて言った。他にも「親方にも責任があるのでは」(37歳女性)「ワシが生きている間にまた見られるかな」(82歳男性)。どれも愛知県在住のファンの声だ。年に1回の名古屋場所。楽しみにしていたからこそ落胆ぶりは大きかった。

 稀勢の里と同じぐらいにファンの関心が多かったのが平幕の宇良だ。「いつ見ても驚く相撲」(36歳女性)「予想のつかない動きに技。横綱、大関も苦戦すると思う」(44歳男性)。観戦に訪れた40人にインタビューして、27人が宇良に期待を持っていた。稀勢の里の休場は残念かもしれないが、残された力士が残りの8日間を盛り上げる。【佐々木隆史】

良い環境を少しでも 滑る土俵に隠岐の海の提言

 名古屋の土俵は年6場所の中で最も滑りやすい、との声が出る。引き合いに出されるのは砂だが、使われているのは「木曽砂」という、いわば公園にある砂場と同じ自然の砂だ。それよりも滑る要因は、土にもある。

 かつての愛知県体育館は土俵を照らす照明の熱量と空調とのバランスが悪く、土俵まわりの人は「暑い」と扇子であおぎ、後方では「寒い」とバスタオルを羽織る光景があった。今でこそ空調は改良されたが、土俵が乾きやすくなった。土と砂を用意する安藤組は「土俵祭の際はいい土俵だと思っていても、乾燥して縮み、初日にはもうひびが入る」という。

 水をまけば滑りは止められるが、量が多ければ土がえぐれる。昨年9日目、白鵬は右足親指がえぐれた土に引っかかり、勢に敗れた。このけがで失速した。

 隠岐の海が提言する。「打ち出し後、土俵の砂を真ん中に集めて、端から水をまくだけでいいんです。夜にしっかりまくと、次の日は少しの量で染みる。砂の上からまいても、砂がぬれるだけですぐ乾く。稽古場でも同じです。なんなら自分がやりたいですね」。

 力の出るより良い環境を、少しでも。【今村健人】

沖縄5人目の関取へ木崎連勝

朝弁慶(手前)を下手出し投げで破る木崎(撮影・鈴木正人)

 島人(しまんちゅ)の星になれ! 東幕下7枚目の木崎(24=木瀬)が12日、2連勝を飾った。189センチ、195キロという朝弁慶に176センチ、128キロの体で当たり負けせず「2歩目がすごく速い人。立ち合いは差し込む感じでした」と喜んだ。昨夏の序ノ口デビュー以来7場所連続勝ち越し。来場所に十両昇進を決める腹づもりだが、今場所も勝数次第で可能性はある。沖縄県うるま市出身、名門日大で主将を務めた逸材は、沖縄出身5人目の関取を視界に捉えている。

 沖縄出身力士7人中最高位の木崎に熱視線を送るのが、同郷で元前頭琉鵬の浦崎桂助さん(39)。02年九州場所で県勢4人目の十両に昇進し、5年前に引退した。現在は沖縄・伊江島の照太寺の副住職で、小中学生約20人に相撲を教える。「体を鍛えるのはもちろん、あいさつ、礼儀、思いやりなど心の面も重視してます」。昨年12月の沖縄巡業で木崎と会った。「おっとりして動じないプロ向きの性格。木瀬部屋には(宇良など)お手本もいる」と新たな島人関取誕生を願う。

 地元の期待を木崎は感じている。「母に頼まれる番付表の枚数が増えました。今は50枚。最初なんて5枚です。『欲しがる人、いるのか?』と思ってましたから」。今より大きい「木崎」が載った番付表を送るのが楽しみだ。【加藤裕一】

九州豪雨 親方、力士それぞれの思い/記者席から

 多数の犠牲者を出した九州豪雨を受け、日本相撲協会は11日、義援金募金箱を場内の10カ所に設置した。八角理事長(元横綱北勝海)は「九州場所に来てくれる人もいる。心配だよね」と被災地を思い、広報部長の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「相撲は地方、地方でお世話になって成り立っているんだから」と、設置の意図を聞かれること自体が不思議そうだった。

 同協会は1月26日、社会貢献部を立ち上げた。それまで有志の親方衆が11年の東日本大震災、昨年の熊本地震などで募金、慈善グッズ販売などボランティア活動を行ってきたものをオフィシャル化した。メンバーは三保ケ関親方(元前頭栃栄)ら14人で、今回も中心となって話を進めた。

 力士の思いも熱い。福岡出身の琴奨菊は3連敗とあって故郷への思いを「勝ってから言います」としながら「元気与えないかんねえ…」と悔しがった。大分出身の嘉風は初日に「被害状況を見ると『自分らしく自分の相撲を』という思いが強くなる。僕が(被災者に)後押しされているようです」と話し、その結果が3連勝だ。

 角界のアンテナは、とても正しく働いている。【加藤裕一】

御嶽海、北勝富士ら「花のヨン組」が盛り上げる

 若武者が名古屋の土俵を盛り上げている。初日に横綱を倒した24歳の御嶽海と大関初挑戦で初勝利を挙げた24歳の北勝富士、自己最高位の東前頭4枚目で2連勝の25歳宇良は、いずれも平成4年生まれで、しかも15年春場所に初土俵を踏んだ同期だ。

 「花の○○組」といえば「ロクサン組」を思い浮かべる方は少なくないだろう。昭和63年春場所で初土俵を踏んで活躍した力士たちの総称だ。元横綱の曙、3代目若乃花、貴乃花、元大関魁皇らを中心に一時代を築いた。他にも昭和28年生まれの元横綱の北の湖、2代目若乃花、関脇麒麟児らの「花のニッパチ組」なども知られている。

 今まさに「花のヨン組」が盛り上げている。2日目には、御嶽海と北勝富士の元学生横綱同士の対決が組まれた。勝った関脇御嶽海は「(北勝富士は)強いです。(対戦は)うれしい。いい方向に気合が入っている」とうなずいた。自己最高位の西前頭2枚目の北勝富士は「意識しないようにしたけど」と唇をかんだ。

 平成4年生まれには、新十両翔猿や十両大奄美ら他にも有望株がいる。20代半ばで脂が乗ってきた彼らが、近い将来の相撲界を引っ張っていくような気がしている。【佐々木隆史】