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au版ニッカン★バトル

リングにかける男たち

元世界王者、下田昭文の再出発 現役引退し高校入学

下田昭文

 それぞれのスポーツに引退を表す言葉がある。野球なら「バットを置く」「マウンドを去る」、相撲なら「土俵を去る」、いくつかに共通する「スパイクを脱ぐ」など。ボクシングでは唯一身につけるものである「グローブをつるす」という。最近つるした元世界王者がいた。

 WBA世界スーパーバンタム級王者だった下田昭文。2月21日にブログで「引退します」と表明した。近年はアマ経験者が増え、特に名門帝拳ジムにはエリートが集まる。その中にあって下田はたたき上げで、異彩を放つ個性豊かなボクサーだった。

 高校受験に失敗し、自宅近くの帝拳ジムに「なんとなく」入門し、2日目でスパーを許された。8回戦までろくにロードワークせず、天性のカンだけで日本、東洋太平洋王座を獲得。そして、11年の世界初挑戦で王者李を3度ダウンさせて王座に就いた。

 グアムキャンプで初の海外に紙袋1つで成田空港に表れた。日サロ通いの真っ黒。ゴルフ焼けの本田会長に「日サロ行ったんですか?」。天然の逸話には事欠かない。リングでも感性で動き、強引にパンチをねじ込む。スパーでスリップダウンも、一瞬のでんぐり返しで飛び上がった時はびっくりした。野性的だった。

 米国で初防衛に失敗し、14年にマカオで一撃KO負けし、本田会長から引退勧告された。何度も頭を下げ、こっそりジムで練習し、運転免許と高卒資格取得を条件に再起。この3年間で2度目の日本王座挑戦失敗に引退を決意した。

 「15歳からやってきて、半端だった自分が逃げずにやりきりました。世界王者になったんだから、悔いはないです」。3月に入って、後輩の応援に来た東京・後楽園ホールで明るく話していた。

 入門から指導した葛西トレーナーは「リングの中はいいけど外は全然ダメ」と振り返る。朝に母親が起こしても起きず、ずっと朝電話する目覚まし役まで務めていた。2次募集で合格した高校は中退し、通信制の高校も辞めていた。

 下田は2月からバイトをしながら、今度こそと新宿にある通信制の高校に通い始めた。「初日は気合入って、先生より早く一番に行きました。楽しいです」。今も屈託ない笑顔。将来もトレーナーなどでボクシングに関わっていきたいという。【河合香】

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井岡一翔が偉業王手!具志堅持つ「世界戦14勝」へ

井岡一翔

 WBA世界フライ級王者の井岡一翔(27=井岡)が、4月23日にエディオンアリーナ大阪で同級2位ノクノイ・シットプラサート(30=タイ)と5度目の防衛戦を行うことになった。

 最大の関心は、61連勝中で世界初挑戦の相手よりも、井岡が勝って具志堅用高が持つ「世界戦14勝」の国内最多記録に並べるかどうか、だろう。WBC世界バンタム級王者の山中慎介は3月の試合で12度目の防衛に成功し、具志堅が持つ「13度防衛」の国内記録に王手をかけた。世界戦勝利数と防衛回数では、どちらが価値が高いかは判断できないが、世界3階級を制している井岡はミニマム、ライトフライ王者時代も負けて王座を失ったことはなく「世界戦14勝」も大きくたたえられるべきものだろう。

 具志堅が、WBA世界ライトフライ級王座の13度目防衛に成功して世界戦14勝目を挙げたのは、80年10月だった。それから37年間、誰も破ることができなかった記録を前にして、井岡もあらためて具志堅の偉大さを思い知った。

「僕以外にも山中選手だったり、内山選手だったり、常に13回防衛という記録は、僕たちが勝つにつれて、期待されていくにつれて、出てくる。具志堅さんが当時積み重ねて、その記録を残したという、その重みを感じてます。世代はまったく違いますけど、それだけ影響を与える選手ということは間違いないので、相当大きな刺激はもらってます」

 試合の巡り合わせもあり、山中が次戦で挑む13回連続防衛よりひと足先に、井岡は世界戦14勝の記録に挑むことができる。かつて、具志堅を取材した時、井岡について「パンチが正確だ。だからこそ、軽量級でもKOを量産できるんだ」と、安定した打撃術を評価していた。自身の力を認めてくれているレジェンドへ、肩を並べる勝利まで、あと1つ。

 「やってる限りは、防衛だったり、勝利を積み重ねたいと思ってるので。今回勝って具志堅さんの記録に並べるのはすごく光栄なこと。あと1戦まで来てますけど、油断はできないので、しっかり気を引き締めて、終わってみて並べたらいいなと思います」。井岡が目を光らせた。【木村有三】

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同学年、同門、同期、同級…切磋琢磨の2人が追う夢

京口紘人(右)のベルトに悔しそうなポーズの谷口将隆

 同学年、同門、同期、同級。

 そんな2人がいる。

 ワタナベジム所属の東洋太平洋ミニマム級王者京口紘人(23)、日本ミニマム級2位谷口将隆(23)。

 名前を記す順番で京口を先にしたのは、2月28日のタイトルマッチで初のベルトを巻いたばかりだから。王座決定戦にて同2位のアルマンド・デラクルズ(フィリピン)を3回2分2秒KOで下し、昨年4月のデビューから6戦6勝(6KO)での戴冠。1年たたずに1つの頂まで駆け上がった。「2番目」に名前を書いた谷口は、現在が6戦6勝(4KO)。同じくデビューは昨年の4月。4月には日本タイトル戦が控える。

 この2人、とにかく駆け足での切磋琢磨(せっさたくま)が見物だ。ともに関西の大学の主将、京口は大商大、谷口は龍谷大。初対面は中3で、縁あっていまはワタナベジムの寮にともに住み、寝食を共にする。スパーリングもしょっちゅう。そんな2人の会話は例えば…。

--互いの初印象は?

 谷口「初めて会ったのは中3のスパーリング。国体の近畿予選。そっから因果が…。高3から話してあげてますよ」

 京口「それはこっちやな。こっちからやな」

 谷口「高1のスパーリングではRSCで負けてます。それがアマで唯一のRSC負けです。淡い思い出やな~」

 京口「谷口は中3でヤンキーですよ。襟足がえらい長くて。いなかっぺヤンキーですねえ」

 谷口「でも、僕も京口とは絶対に友達にならんともいましたよ。互いに130センチくらいでしたよ。懐かしいなあ」

--一緒のジムに抵抗は?

 京口「ないですよ」

 谷口「最初はえっと思いましたよ。でも出世争いですよ。まあライバルというか舎弟ですけど。アマの成績は僕が上なんで。チケットもおれが持っているな」

 京口「まあ、あとはルックスになってくるんですけど。これはおれでしょ。あとは食い力も」

 谷口「こいつはめっちゃくいますよ。一緒にラーメンいって、大盛りにご飯にギョーザですからね」

--好きなものは被る?

 谷口「いや、かぶらないですよ。女優なら? 僕は有村架純さんが好きですよ」

 京口「この前の試合の時(昨年12月31日に大田区総合体育館でジム頭の内山高志の世界戦で前座を務めた)恥ずかしかったわ~。試合前の画面に『綾瀬はるかに会わないとだめだ』的なVTRですよ。本当は(好きな女優)いないけど、強引に名前言って、使わないでと言ったらそれでしょ。アップしている時にうわっと思いましたよ」

 谷口「あとはほんま、よくしゃべるでしょ、京口は。ボクが1なら、10ですよ」

 京口「しゃべり続けるとエネルギー使うんですよ、一石二鳥でしょ!」

 よくしゃべり、よく掛け合う2人が同門になったのは、ワタナベジムの井上トレーナーのスカウトによる。小学校時代から京口を知っており、大学卒業後にプロとしてジムに誘うために出向いた大学の近畿リーグ。そこで対戦相手だったのが谷口だった。劣らぬ才能、甲乙つけがたい、そこで2人とも、の運びとなった。2人の評は、こうなる。「京口は大胆で華がある。谷口は控えめですけど、確実なボクシングをする。白と黒くらいの差がある」。

 当初は3年かけて2人を育てていく、チャンピオンにしていく計画が、最高のライバル心の効果か、そのペースはかなり早まって、早くも京口はベルトを手にした。その控室、2人での記念撮影を頼むと、快く快諾して、谷口は悔しそうにも、うれしそうにもベルトを指さしてのポージング。「谷口の刺激になれば」を真っ先に盟友の名前を挙げた京口の言動とともに、2人の良き対抗心がにじみ出るやりとりが続いた。

 2人の今の目標はもちろん世界王者。そこには主要4団体がある。どちらが先にその頂を極めるのか。しかし、そこで戦いは終わらないのが2人。口をそろえて言うことがある。その時が来るのが楽しみだ。

「統一戦ですね、2人で世界王者として」

 ◆京口紘人(きょうぐち・ひろと)1993年11月27日、大阪府生まれ。アマ戦績は66戦52勝(8KO)14敗。好きな選手はローマン・ゴンサレス。趣味はスニーカー集め、絵描き。161センチ。

 ◆谷口将隆(たにぐち・まさたか)1994年(平6)1月19日、兵庫県生まれ。アマ戦績は74戦55勝(16KO)19敗。好きな選手は内山高志、渡辺二郎。趣味はプロレス、岩盤浴。162センチ。

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内藤哲也自戒の言葉「トランキーロ」新日でブレーク

内藤哲也(写真は2017年1月4日)

 2016年のプロレス界の流行語大賞を選ぶなら、おそらく「トランキーロ」で決まりだろう。新日本プロレスで大ブレークした内藤哲也(36)の決めぜりふだ。15年5月のメキシコ遠征から持ち帰ったロスインゴベルナブレスというユニットとともに、内藤が口にするようになったスペイン語。「トランキーロ! あっせんなよ」というセリフは、瞬く間に日本中に広まった。

 内藤の勢いは、2017年も健在だ。1月4日の東京ドーム大会で、悲願の棚橋弘至超えを果たした。2月11日の大阪大会では、マイケル・エルガンとの激闘を制し、王座防衛に成功した。内藤は、ロスインゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)のメンバーとともに「今年も、我々LIJが、皆さんに楽しい時間をプレゼントしようかなと、思ってます。次の、大阪ビッグマッチ、つーまーり、大阪城ホール大会も、我々LIJが、大阪のお客様を熱くすることでしょう。まあ、大阪城ホール大会は、まだ4カ月も先の話なわけで、こういうとき、なんて言うかわかりますか? そう! まーさーに! トランキーロ!! あっせんなよ!」。会場は大歓声に包まれ、内藤コールが鳴りやまなかった。

 そんな内藤に、トランキーロを使うようになったきっかけを聞くと、意外な答えが返ってきた。「実は、あれは自分自身に向かってかけている言葉なんです」。自らの閉塞(へいそく)感を打破するために渡ったメキシコ。そこで出会った本家ロスインゴベルナブレス。ようやく悩みからの出口が見えかけた内藤は、試合中も積極的にリングに飛び出していった。そんな内藤に仲間のラ・ソンブラたちがかけた言葉が「トランキーロ」だった。

 「最初は内藤、落ち着け。慌てるな、みたいな言葉だった。ボクは楽しくて、プロレスがしたくて仕方がなかったけど、周りの仲間たちは焦らず、ゆっくりやれと言ってくれた」と内藤は振り返る。自分を生まれ変わらせてくれた仲間たちの思いを胸に、内藤はLIJとともに日本でブレーク。その勢いはとどまるところを知らない。

 観客や対戦相手に発する「トランキーロ!」の言葉は、長年の苦悩の末にトップの座をつかんだ内藤の自分に対する自戒の言葉でもある。2016年に大ブレークした内藤にとって、今年は勝負の年とも言える。滑り出しは好調だ。今後も勢いを落とさず、走り続けるために、内藤は「トランキーロ!」を発信していく。「焦らずに、自分の道を突き進め!」と。【プロレス担当=桝田朗】

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小国以載の世界王者ベルトは日本勢4人目の希少価値

プロボクシング2016年度年間表彰式 山中慎介(中央)井上尚弥(左)と並んで表彰される小国以載

 2月10日にプロボクシング16年度年間表彰式があった。第1回の49年(昭24)は最優秀、技能、努力、最高試合の4賞だけ。ここに新鋭、殊勲、KOが加わった形が60年から定着し、08年から女子最優秀、09年から女子最高試合も追加された。

 今回から優秀選手賞が新設され、防衛した世界王者、それに匹敵する活躍をした選手に贈られる。さらに最優秀、殊勲、技能の3賞は表彰式当日発表になった。式をより盛り上げようという狙いだった。

 最優秀は山中、技能は井上と両雄が射止め、山中はKOと最高試合の3冠となった。近年は常連世界王者が競う中で、10年のKO賞から常連の内山の名が消え、小国以載が殊勲賞に選出されたのが新鮮だった。

 お笑い路線の小国だが、初めて出席に緊張しっぱなし。「すごいメンバー中で、賞なんて思ってもいなかった。こんなに人がいるとは」とガチガチ。「こんなところでパフォーマンスなんて…。もう帰っていいですかね」。晴れ舞台にも居心地悪そうだった。

 大みそかに自ら2-8と言った世界初挑戦で番狂わせを演じた。壇上に上がった時は「スーツで来いとだけ言われたので」とベルトはなかった。あわてて関係者に届けてもらった。4日前にようやく届き、世界王者を実感したそうだ。

 タイトル戦では王者陣営がベルトを掲げて入場し、試合中はコミッションが保管し、勝者に授与される。新王者が誕生してもそのまま自分のものになるとは限らない。控室に戻ると敗者の前王者陣営が引き取りに来る。王者といえど一時的にベルト空白期ができる。

 通常は挑戦時に支払う各団体承認料に50万円前後のベルト代が含まれる。王者が交代すると発注され、完成すると届くわけだ。王座決定戦には立会人が持参して、その場で手にすることができる。

 日本王者のベルトに限ると、ずっと持ち回り制が続く。傷むこともあって、現在のものは07年に更新された6代目のもの。記念に自前や後援者らがレプリカを作るボクサーもいる。特に引退後購入することが多いようだ。

 プロボクサーが目指すのは、表彰台でもなく、メダルでもなく、このベルト。小国は一生の記念のベルトを手に入れた。IBFは男子が赤、女子が水色と色分けしている。日本では13年に公認され、男子は高山、亀田大、八重樫に続きまだ4人目と、希少価値のあるものだ。【河合香】

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久保隼が追う長谷川、山中、村田…偉大な先輩たち

王者セルメニョの写真を手にファイティングポーズをとる久保隼

 WBA世界スーパーバンタム級9位の久保隼(26=真正)が、世界に初挑戦する。4月9日に、エディオンアリーナ大阪で同級王者ネオマール・セルメニョ(37=ベネズエラ)に挑むことになった。

 真正ジムの先輩には、同じサウスポー、同じ階級で王者になり、昨年現役を引退した長谷川穂積氏がいる。身近な兄貴分から、久保はいくつもの助言を受けてきた。「頑張ってる選手には、いずれチャンスがやってくる」と言われ続けて練習に励んできた。12回までもつれた末に何とか初防衛した昨年5月の東洋太平洋タイトルマッチ後は「世界戦までに12回を経験できて良かったんや」と言われ、気持ちを切り替えることもできた。「長谷川さんがいてくれて良かった」と久保も頭を下げる。

 そんなレジェンドの他にも、久保の周辺には豪華な先駆者がいた。同じ南京都(現京都広学館)高校の8学年先輩にはWBC世界バンタム級王者・山中慎介、5学年先輩にはミドル級で世界を目指す村田諒太がいた。久保にとって、山中は憧れの存在。「話すのも緊張します。左ストレートにこだわるところがすごい。参考にしてます」と、表情を引き締める。

 そして、村田の話になると、申し訳なさそうな表情になる。村田と同じ東洋大に進学しながら、4年時にはボクシングをやめて、迷惑をかけた思いがあるからだ。「やめて、裏切ってしまってるので…」と、それまで滑らかだった口調が、ぎこちなくなるほどだ。

 励まされてきた長谷川、憧れの山中、そして最も学年が近く高校、大学と同じ道を進みながら、気まずい思いをさせてしまった村田。それぞれの先輩に恩返しをするためにも、巡ってきたチャンスは逃さない。【木村有三】

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野球からボクシングへ中村駿介が覚悟をみせる17年

14年8月、4回戦でハンサム水上(右)と対戦する中村駿介

 ボクシング界の「ナカムラシュンスケ」にも、一世一代の決断の時はあった。 サッカー界の「中村俊輔」は、横浜から磐田への移籍でシーズン開幕前の話題をさらうが、こちらは今年新人王を狙う新鋭になる。

 帝拳ジム所属、ウエルター級、6戦4勝(3KO)1敗1分け、1992年(平4)12月7日、24歳。出生届に書かれた名前は「中村駿介」だった。その頃、中村俊輔は当時まだ日産と呼ばれたジュニアユースに所属していた中学生だったから、当然名前の一致に何の縁もない。「よく言われますよ、サッカーやってないのって」と会話の定番になるくらいだと、こちらの駿介は笑う。

 熱心に取り組んできたのは野球だった。ボクシングの開始年齢は21歳だ。志望動機には「自分も輝きたいと思ったため」と書いた。「も」の対象は、あこがれの先輩にある。

 13年全日本大学野球選手権大会で、創部32年目での初の日本一に沸いた上武大。関甲新学生野球連盟所属で群馬県に本拠を置く強豪校にあって、その時の主軸を務めていたのが小川裕生外野手。俊足に好打好守を併せ持ち、いまは社会人野球の東芝でプロ入りにむけて精進する。控えの外野手だった1学年下の駿介はノックのボールをトスしながら、在学中にずっと思っていた。「この人みたいに俺も輝きたい」。最終学年でもレギュラーの座は野球ではつかめなかった。ただ、何か自分でも光を浴びる場所を探していた。

 「ボクシングはずっとやりたいなと思っていたんです」。周りの同級生が就職活動に励む中で、1人プロボクサーになる。「勇気がいりましたよ」。団体競技から個人競技へ。ジムの門をたたくまでに時間はかからなかった。

 14年8月にプロデビュー。先月23日に吉村鉄矢(KG大和)に2回TKO勝ちして4勝目を挙げたばかり。試合内容には課題ばかりで、「トレーナーさんに怒られました」と反省しきりだったが、リーチをいかしたボディー、TKOに追い込むきっかけを作ったカウンターなど、随所に練習の成長の兆しは見せた。

 今年、2度目の挑戦となる新人王大会に挑む。昨年は1回戦で敗退。その後にジムを帝拳ジムに移し、今年こその頂点にかける。ジムには中学まで同じく野球経験がある、WBC世界バンタム級王者山中慎介(34)など一流選手が集い、「最高の環境でやらせてもらっているので結果を出したい」と気持ちは高ぶる。

 中村俊輔にはこんな言葉がある。

 「『敗戦から得るものはない』と言う人もいるかもしれない。でも、僕は負けても得るものはあると考えている」。

 こちらの駿介にも、それは当てはまる。昨年の敗戦をどう生かすのか。野球からボクシングに“移籍”して3年目。「いまは野球ではなく、おれはボクサーだな、こっちの側の人間だなと思えるんです」。大きな人生の決断、その覚悟をみせる17年になる。【阿部健吾】

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真壁刀義「秋葉原のオタク」に学び新日本復活けん引

真壁刀義

 新日本プロレスの人気レスラー、真壁刀義(44)は、昭和の匂いをプンプンさせたプロレススタイルや、スイーツ真壁というキャラに加え、発信力という強力な武器で、新日本の人気に貢献している。新日本の人気回復の陰には、レスラーたちのSNSを使ったPR活動があると言われているが、真壁はそれをけん引する役割を果たしている。そのツイッターは、フォロワー数12万人を超す人気だ。

 真壁はツイッターを毎日発信している。内容は練習や食事などその日の活動や、大会のPRなど多岐にわたる。その中で特に多いのが、ファンの誕生日に対するやりとりだ。ファンが誕生日に真壁のツイッターに投稿すると、必ずおめでとうコメントを返している。丁寧な対応に、人柄がにじみ出ている。

 真壁がツイッターをやるようになったのは、新日本の木谷高明オーナーとの出会いがきっかけだった。12年に新日本を買収した木谷氏と、買収の数日前に対面したという真壁は、木谷氏からSNSの大切さを説かれたという。「木谷さんの話を聞いたら、オレたちがバカにしていた秋葉原のオタクが、実は世界の最先端をいっていたことが分かったんだ。木谷さんのような人がうちの社長をやればいいのにと思ったら、本当になっちゃった」。

 木谷氏が新日本の社長になってから、ツイッターを奨励し、フォロワーが多くなったレスラーには賞金を出したという。真壁も、毎日のようにツイッターでつぶやいた。それが、「スイーツ真壁」という新しいキャラクターにつながり、女性人気をつかむことにもなった。

 プロレスでは、徹底して棚橋弘至や中邑真輔といったスターの敵役を演じた。嫌われ役を認識していたが、気がついてみると棚橋や中邑と同じように声援を集める人気レスラーになっていた。武骨なプロレススタイルに加え、ツイッターでの発信力がファンの心を捉えた結果だと思う。

 今年はデビュー20周年。年齢は45歳になり、新日本プロレスの歴史と同じ年になる。1月22日のツイッターで真壁は「道場なう。レスラーの心構えを説かれる若手を見て思う。今は非力でムカつくだろうが、いずれ分かる時が必ず来る。ソノ日が来なければ人々が夢を託せない単なるレスラーになったというコトだ。今を踏ん張って頑張れぃッ」と、若手レスラーにエールを送っている。「雑草」真壁らしい言葉だ。【プロレス担当=桝田朗】

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山中、井上、村田 2017ビッグマッチに期待大

左から山中慎介、井上尚弥、村田諒太

 日本ボクシング界の17年がようやく動きだした。今年は3ビッグマッチに期待したい。

 まずは記録だ。今や現役世界王者の第一人者のWBC世界バンタム級山中が、先陣を切って初戦となる。22連勝中のカールソン(メキシコ)は、15位までのランカーにオファーして唯一手を上げた9位のメキシカンという。

 対戦相手不足に悩むのは強さ故だが、今回はV12がかかる。安定王者と見られた内山ですら達成できなかった。油断禁物と言いつつ、気も早いが、勝てば具志堅の日本最多連続防衛の大記録に、37年を経過して挑戦となる。

 11年に世界王者となり、13年の3試合を除いて年2試合ペースでこなす。新記録前にまずは今年具志堅に並べるか。切れ味、破壊力ある左ストレートで13個目の白星を連ねるシーンを見たい。

 2つ目は怪物対決だ。スーパーフライ級でWBO世界王者井上と、ロマゴンことWBC王者ゴンサレス(ニカラグア)との2団体統一戦。両陣営は以前から意欲的で年内対決が確実視される。

 ロマゴンは3月初防衛戦、次は昨年4階級制覇時のクアドラス(メキシコ)との再戦が見込まれる。井上は同級での試合は今年限りの方向で、2試合のようだ。12月と思われる決戦が待ち遠しい。

 昨年末の元世界王者河野との日本人対決は、力の違いを見せる6回TKOも抑えめに見えた。以前痛めた腰を警戒しながらの試合だったか。ロマゴン戦ではエンジン全開で、日本の怪物ここにありと世界に知らしめてもらいたい。

 3つ目は初挑戦だ。五輪金メダリストとして、プロでも世界一を目指す村田。WBOミドル級王者サンダース(英国)へ挑戦が間近とみられる。実は昨年12月に有明コロシアムで実現寸前だった。億単位の高額ファイトマネーも提示して合意目前も、本人だけが「うん」と言わなかったという。

 日本では重量級も世界では層の厚い人気のミドル級だけに交渉は難しい。村田が年末の前哨戦で12連勝を飾ると、陣営も英国開催も受け入れる考えを示した。マッチメークというこの世界ならではの難しさを示すが、それだけに実現すれば価値がある。

 金メダルと世界チャンピオンベルト。海外には多数いるが、日本人では初の2つの世界制覇。そのチャンスを実現だけでもすごいこと。ましてやベルトをつかめば。今年最大の見どころになる。【河合香】

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小国以載は明るく楽しい異色の王者、今後も楽しみ

一夜明け会見で世界王座奪取を報じた日刊スポーツを手にする小国以載(撮影・木村有三)

 異色の世界王者が誕生した。年末に行われた日本人選手のボクシング世界戦7試合で、IBF世界スーパーバンタム級王座に挑んだ小国以載(28=角海老宝石)は、最も前評判が低かったが、見事に22勝22KOだった強豪王者ジョナタン・グスマン(27=ドミニカ共和国)に3-0の判定勝ち。夢の世界王座を獲得した。

 試合前から出身地の兵庫・赤穂市にちなんで赤穂浪士のコスプレで会見を行うなど話題を振りまいていたが、王座奪取から一夜明けた元日朝も、報道陣を爆笑させた。目の腫れを隠すならサングラスを掛けるのがボクシングの通例だが、小国は塩沢とき風の大きな金縁メガネを掛けて、会見場に現れたのだ。強豪王者にパンチをもらって顔が腫れることを想定し、試合前にネットショップで900円で購入したという一品で、私を含め関西の記者の心はグッとつかまれた。

 さらに、会いたい人について問われると「深田恭子」と即答。「昔からかわいいなあと思っていた」と明かし「(映画の)ヤッターマンで見て、そのボディーに感動した」と、28歳の青年らしい動機を正直に明かした。

 そんな小国の姿を会見場の後方で見守っていたのが、母佐栄子さん(63)だ。赤穂市内で保育園の園長を長年務めていた佐栄子さんは、子供や保護者が集うイベントで自ら率先して物まねなどをして、場を盛り上げていたという。「研ナオコや、長州小力のものまねをしていたんです。鼻の穴を上に向けるために、テープも貼ってましたよ」と笑って打ち明けてくれた。

 そんな明るい佐栄子さんの性格を受け継いだ小国だからこそ、初の世界戦で相手が強豪王者でもプラスイメージで挑めたのだろう。今年もリング上だけではなく、リング外でもボクシングファンを楽しませてくれそうだ。【木村有三】

グスマン戦を前に、赤穂浪士の討ち入り衣装で気勢を上げた小国以載(撮影・河合香)

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比嘉大吾が巻き起こす沖縄の熱い風

昨年11月の東洋太平洋フライ級タイトルマッチでパンチを見舞う比嘉大吾

 沖縄の2文字が目に留まるな。そう思っていた年末年始だった。

 政治の話はもちろんだが、本稿に至ってはボクシングの話。亜熱帯気候育ちのボクサーたちが、17年のリングを騒がしそうな予感がしている。

 最大注目は東洋太平洋フライ級王者、比嘉大吾(21=具志堅・白井)の世界取り。具志堅用高会長の特集映像を見たことがきっかけで宮古島市の宮古工業高で競技を開始した新鋭は、ここまで11戦11勝(11KO)のパーフェクトレコードを積み上げる。同会長からの直々のスカウトにより上京して5年あまり。「会長と同じ21歳で世界王者に」を命題に掲げ、そのリミットは今年の誕生日前日の8月8日まで。2月4日には「世界前哨戦」を目する試合を組んだ。準備は着々と。

 沖縄県生まれの世界王者(暫定はのぞく)が生まれなくなって久しい。最後にベルトを持ち帰ったのは92年4月にWBAジュニアウエルター級王者となった平仲明信。72年に本土返還されて以降、76年に具志堅用高が初めて世界一の冠を頂いた。那覇での凱旋(がいせん)パレードは何十万人という人であふれたという。それからは上原康恒、渡嘉敷勝男、友利正、新垣諭(当時IBFはJBC非公認)、浜田剛が誕生。81年には高校総体で12階級中6階級で沖縄県勢が占めるという勢いも。その中の1人が平仲だった。

 その後に訪れた四半世紀に及んだ沈黙に終わりを告げ、再び主役に躍り出る可能性を秘めるのが、「具志堅の秘蔵っ子」「具志堅2世」である比嘉だ。物語の葉脈は十分に太い。

 もっとも、比嘉だけが17年の希望ではない。昨年暮れの全日本新人王決定戦では、全12階級中3階級を制覇。スーパーライト級吉開右京(19=島袋)は、沖縄県出身者として03年の前堂真人以来となる最優秀選手賞に輝いた。中学から高1までは野球に打ち込み、「団体競技より個人競技の方があっている」とボクシングを志し、美里高2年時にボクシングの同好会を立ち上げてからまだ3年弱。その試合ぶりを見た関係者から「(93年新人王で元世界王者の)畑山隆則の当時を見ているかのような衝撃だった」と称賛される大器で、17年の勝ち上がり方も逃せない楽しみだ。

 昨年末に新人王が行われた後楽園ホールには比嘉も姿を見せ、吉開、ライト級王者の小田翔夢(18=琉球)らと集合写真を撮る一幕もあった。のちに、この3ショットが世界的にも貴重な「あの頃」の1枚になるかも。そんな想像もふくらませつつ、17年のボクシング界に沖縄からの熱い風を感じたい。【阿部健吾】

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米国進出へ新日本の底力を見た1・4東京ドーム大会

オメガを下し、ベルトを手に引き揚げるオカダ

 4日に行われた新日本プロレスの東京ドーム大会は、会場の雰囲気、派手な演出、試合内容ともに世界最大の米プロレス団体WWEに勝るとも劣らないものだった。特に、セミファイナルのIWGPインターコンチネンタル選手権試合、内藤哲也(34)と棚橋弘至(40)の試合前の演出は鳥肌が立った。

 入場前に、両レスラーの因縁、試合にかけるコメントが流され、会場を盛り上げる。棚橋は今回から採用した新しい入場曲にこの試合に対する決意を込めた。エース復権へファンの手も借りたいとばかりに、盛んに両手を挙げて会場をあおる。しかし、昨年、一大ムーブメントを巻き起こした内藤の入場曲がかかると、会場に爆発が起きたように歓声が挙がった。

 試合も素晴らしかったが、メインのオカダ・カズチカ-ケニー・オメガの死闘は、壮絶さという部分で内藤-棚橋戦を上回った。たぐいまれな身体能力を誇る両者の、果てしない肉弾戦。46分45秒の戦いは、見る者を引き込んだ。勝利したオカダ、負けたオメガ。2人のレスラーが紡ぎ出したプロレスは、新日本の底力を、世界に示したといえる。

 この大会の前日、木谷高明オーナーにインタビューした。木谷氏は、昨年1月にWWEに主力選手を引き抜かれたことに怒っていた。そして、今年7月にロサンゼルスで興行を行うことを話してくれた。「やられっぱなしじゃ悔しいじゃないですか。米国に本格的に進出します」。その翌日の東京ドーム大会は、まさに木谷オーナーの米国進出の決意を表現しているようだった。

 売り上げでは20倍以上の巨人「WWE」に、新日本が戦いを挑む。しかし、経営規模は違っても、東京ドームで見せた11試合は、どれをとってもWWEにひけを取らない内容だった。「新日本を背負って戦っている」というオカダは、まさに米国進出に打って出る新日本の顔であることを証明した。

 オカダに加え、オメガ、内藤、棚橋。昨年の1・4東京ドームを彩ったオカダ、棚橋、中邑真輔、AJスタイルズからメンバーは2人入れ替わったが、遜色ないどころか、よりすごみを増した新四天王が生まれた。「オメガと内藤は、地位が人をつくるという感じですね」と木谷オーナーもうれしそうに話した。実力のあるレスラーが次々にブレークしていく勢いが、今の新日本にはある。今年、どんな選手が内藤やオメガのようにブレークするか、楽しみは尽きない。【プロレス担当=桝田朗】

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たたえる声ばかり長谷川穂積3階級王者の潔い引き際

引退会見を行いすっきりとした笑顔を見せる長谷川穂積(写真は2016年12月9日)

 一時代を築いたと言えるボクサーが、ついにグローブをつるした。長谷川穂積。具志堅に次ぐ当時国内史上2位の10度防衛後、さらに2度の王座奪取で3階級制覇を達成した。引退会見で3本のベルトを並べて撮影に応じる姿はなかなか格好よかった。

 現役最後の一戦をリングサイドで見ることができた。ダウンなしでも観客は異常と言えるほど盛り上がった。最後の打ち合いはすごかった。いいものを見せてもらった。メインで山中も見応えたっぷりのダウン応酬で防衛。ボクシングの魅力が詰まったファイト、それを2試合も堪能なんてめったにない。

 関西の選手のため、直接話した機会は数少ない。海外キャンプなどへ成田から出発したり、帝拳ジムで練習したり、都内での表彰時などぐらい。それでも気さくで、飾らず、親しみやすいチャンピオンというのは十分に分かった。

 11年に2度目の王座陥落後は苦しい道のりだっただろう。14年に王座奪取に失敗。もう引退した方がと思ったが、あの試合を見せられると…。相手が音を上げて王座を奪ったのだから、大したものだ。

 王者のまま引退なんて、そうできるものでない。国内では新井田が世界王者となった2カ月後に腰痛と達成感を理由に突然引退した。1年あまりたって結局復帰して王座に返り咲き、陥落して引退した。徳山は9度目の防衛後に王座を返上し、現役続行表明も思うような試合が実現せずに引退した例はある。

 ボクサーの引き際は難しい。健康面からジムが引退勧告もするが、移籍して続けるボクサーもいる。王者に限らず4回戦ボーイでもなかなか辞められないよう。海外では金目当ても多いが、日本では「リングでまたスポットライトを浴びたくなる」とよく聞く。辰吉もいまだ現役と言って練習しているように。

 今年亡くなったアリは終盤の試合が病気の引き金になったとも言われる。長谷川は「証明するものがなくなった」と引退理由を説明した。裏には家族らの勧めもあったとは思われる。引退を惜しむ声より、たたえる声ばかり。潔いいい引き際だった。【河合香】

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長谷川穂積さん初対面の印象はトレーナーの特大馬券

引退会見を終え、チャンピオンベルトと記念撮影に納まる長谷川穂積

 人々の記憶にも記録にも残る、まれなボクサーが、王者のまま現役引退した。長谷川穂積さんが9日、神戸市内で会見し、リングから去ることを表明した。

 初めて長谷川さんを取材したのは、真正ジムに移る前の千里馬神戸ジム時代だから、10年ほど前になる。その日は、土曜日だった。ボクシング担当記者が取材に行けず、ゴルフ担当だった私に依頼がきたのだが、記者歴18年の中でも強烈な印象があり、今も鮮明に覚えている。現在の真正ジム会長で、当時長谷川さんの専属だった山下正人トレーナーが、競馬で会心の“ホームラン”を放ち、帯封の万札が入った封筒を手に、さっそうとジムにやってきたのだ。もちろん、直後のミット打ちで、山下トレーナーのミットめがけて高速連打を繰り出していた長谷川さんの姿も目に焼きついているが、初対面のインパクトは山下トレーナーの馬券の方が大きかった。

 その後、WBC世界バンタム級王座を10度防衛し、WBC世界フェザー級王座も獲得したが、11年4月に同王座から陥落。私がボクシング担当になった12年秋ごろは、ちょうどノンタイトル戦が続いていた長谷川さんにとっては苦しい時期だった。14年4月に3年ぶりとなるIBF世界スーパーバンタム級戦が決まるが、その試合前に「勝っても負けても引退」の可能性が浮上し、普段は多い長谷川さんの口数も少なくなった。試合は無残なTKO負けで、誰もが引退を疑わなかった。本人も、直後はやりきった表情だった。

 しかし、決断できずに日は過ぎていく。14年秋ごろには、スパーリングも開始。練習で日本ランカーを圧倒するうちに、なえかけていた闘争本能はよみがえっていく。さらに、プロゴルファーの松山英樹らも通っていたハードトレーニングのジム関係者との出会いもあり、完全に気力が復活。「もっと強くなれる」「自分の強さを知りたい」と自らを鼓舞し、試合直前の左親指脱臼骨折というアクシデントにも負けず、ついに今年9月、3階級目のベルト、WBC世界スーパーバンタム級王座をつかんだ。

 2年ほど前、長谷川さんが経営に携わる神戸市内のタイ料理店で、ボクシング担当記者との囲む会が行われた。大きなジョッキを手に、自ら“配合”した酒を笑顔で各記者に注ぐ長谷川さんの姿を見て、リング上の鬼気迫る姿とのギャップに驚いたことがあった。気配りもできて、話も面白いだけに、多くの人に愛される。リングから去った今後の人生で、どんなチャンピオンになるのか。本当に楽しみだ。【木村有三】

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ローマン・ゴンサレスのあいさつにも感じる「道」

9月、4階級制覇を果たしたゴンサレス(右)の控室を訪れた井上

 ボクシングにも「道」がある。

 10月末まで4年間担当した柔道は、その競技名にすでに「道」があった。剣道などの武道も同じで、競技の勝敗以上にその競技性が求める理念があるということ。それは華道などの非武道にも通底する。柔道で言うならば、始祖嘉納治五郎が掲げた「自他共栄」「精力善用」の精神になる。

 「自他共栄」は自分も他人も幸せにすることで、人間は意味がある。そして「精力善用」は自分の力を社会を良くする方向に用いること。そのためには何をしたら効果があるのかを考えて実践する思考力、行動力を養うために、柔道に励むことが根幹にある。

 そのためにまず何をするべきか、何が欠かせないか。柔道男子監督の井上康生氏は一時期、代表選手たちにこう問い掛けることを徹底していた。「『すっ』って何だ?」。付き合いが長くなれば、自然と互いのあいさつも簡略化される。「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お疲れさまです」などの日常会話が省略されたのが「すっ」。監督と選手という立場の距離感の問題と言うよりは、人と人とのコミュニケーションとして問題視した。なにより、「自他共栄」を目指す柔道選手に至って、あいさつをしっかりできないのでは、話にならない。手本となる代表選手たちだからこそ、あえて井上監督は根本を問い続けた。

 

 そんな記憶を思い起こしたのは、11月からボクシング担当としてジム通いを始めて、どこでもしっかりとしたあいさつに出合うからだ。4回戦から世界王者まで、ジムの端の方から練習を眺める記者にわざわざ近づき、「お疲れさまです」と頭を下げてくれる。観察していると、入退時にはトレーナー、マネジャー、先輩、後輩に歩を向けて、何度もそんな声が響く。それはすがすがしい光景だ。そして、そこには「道」があると感じた。あるトレーナーは「相手を殴る競技だからこそ、相手を敬うという基本的なことは徹底させている」と教えてくれた。

 なかでも最も印象的な出来事は、4階級王者ローマン・ゴンサレス(29=ニカラグア)の言動だった。11月下旬に帝拳プロモーションとの話し合いと休暇を兼ねて来日。帝拳ジムで汗を流すのが日課だったが、ある日のこと、入り口のエレベーターを降りてジムにはいるときに一礼すると、みなに握手をしていく。その立ち居振る舞いを見ていた記者にも、こちらの目をしっかり見て握手してくれた。「コンニチハ」という日本語とともに。

 「パウンド・フォー・パウンド」(全階級を通じて最強)と称される「ロマゴン」は、ジム以外でも徹底して控えめで礼儀正しかった。12月3日には後楽園ホールで試合を観戦したが、その存在に気付いた多くのファンにも笑顔で対応。写真撮影に応じて、むしろロマゴンの方が頭を下げていた。

 

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ではないが、世界一の男が見せたあいさつ1つにも「道」を感じるボクシングがあった。【阿部健吾】

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名伯楽グレート小鹿、失敗しても笑って直す雰囲気を

グレート小鹿

 全日本プロレスの両国国技館大会で、グレート小鹿(74)に会った。同大会に、自分が創設した大日本プロレスの選手たちが出場し、それを視察に来たのだという。所属の世界タッグ王者の関本大介、岡林裕二組は5度目の防衛に失敗した。しかし、2人は、今や全日本でも人気選手で興行には欠かせない存在だ。

 全日本やノア、W-1、リアルジャパンに加え、その他のインディー団体でも関本を始め、大日本の選手は引っ張りだこだ。その人気と実力で、各団体の興行を支えているといっても過言ではない。大日本からは、WWEでも一世を風靡(ふうび)したTAJIRIや、昨年、新日本でブレークした本間朋晃ら、次々と有望な選手が育っている。グレート小鹿は、現在でもリングに上がるが、若手を育てる名伯楽でもある。

 「昔は、ゲンコツで怒鳴って、練習をやらせていたけど、今は違うよ。オレたちの時代は、スクワット1日1000回とかやらされていたけど、今なんか3回からだよ。厳しくしたって、辞めちゃうもん。若い子は褒めて、たとえ辞めても、プロレスを嫌いにならないように、お客さんと思って大事に育てているんだよ」と小鹿は笑った。

 指導法を改めるきっかけになったのは、99年に関本が入ってからだという。野球の名門、高知・明徳義塾高の野球部在籍当時からプロレスラーを目指した関本は、大日本に入門してからも、率先して練習をやった。新人につられて、先輩たちも小鹿に言われなくても練習するようになった。今では、スカウトしなくてもプロレスが好きな若者が入ってくるようになった。

 「練習は、関本に任せている。彼は黙っていてもやるから、それにつられてみんな一生懸命に練習していますよ」と小鹿。新しい選手が入ると「おい、関本、練習見てやってくれ」で、1年もすると、見どころのある若手が育ってくる。

 小鹿は若い選手にプロレスだけでなく、リングの設営や会場の掃除など、すべてを経験させる。大日本では、地方を回る際に、自前のリングを持ち込み、設営から片付けまで、すべて選手とスタッフでまかなう。長年やっているデスマッチ路線と、生きのいい若手の台頭で後楽園でも、ほぼ満員の集客力を誇る。

 「今、ボクが考えているのは、失敗しても笑って直してやる練習場の雰囲気をつくりたいということ。練習場に笑いがあってもいいからね」。長年ファミリー経営でやってきた小鹿らしい言葉だ。先月28日に元全日本、ノアに所属した永源遥さんが70歳で急死した。元全日本の仲間たちが次々と旅立っていくなか、小鹿はまだまだ元気だ。【桝田朗】

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「打たせずに打つ」徳島出身の川島2世、開花するか

川島郭志会長(左)とプロデビューを飾った川浦龍生

 22歳のホープが11月14日にプロデビューした。川島ジムの川浦龍生。タイ人を初回から圧倒して2回TKO勝ち。左ストレート、左フック、右ボディーなどで3度ダウンを奪い、最後はレフェリーストップ勝ちとなった。

 「会長から長いラウンドをやって見せろと言われた。足を使いたかったが、相手が出てこないので詰めたら」。早期決着に物足りなさそうだった。それでも「プロは華やかで楽しかった」と初々しかった。

 6回戦のB級デビューとアマ経験がある。ボクシング好きの父信夫さんに勧められ、小5から地元徳島のアマジムに通い出した。徳島市立高ではインターハイ、選抜で優勝。中大に進学してアマ戦績は38勝(6KO)14敗。1年で国体3位が最高で、3、4年はケガに悩まされた。

 それでも「一花咲かせたい」とプロ入りを決意した。入門ジムに迷いはなかった。故郷のヒーロー川島郭志会長(46)のジム。中1の時に地元ジムでの教室で初対面し、高校時代にも県の強化の一環で1度指導を受けた。父も大好きで、川浦には憧れの人だった。

 打たせずに打つ。会長はアンタッチャブルといわれたテクニシャンで、WBCスーパーフライ級王座を6度防衛。父郭伸さんから英才教育を受け、海南高時代に鬼塚、渡久地を破ってインターハイを制したアマエリートだった。

 ただし、川浦は同じアマ出身もそれが関門だった。会長は00年にジムを開いた時に誓ったことがある。「王者を作るまではアマ選手のスカウトはしない。結果を出して、胸を張ってスカウトできるようになりたい」と。練習生集めに悩むジムが多い中で大看板の会長だが、信念を守っていた。

 川浦は上京した両親とジムを訪れ、入門をお願いした。ジムからは2人が3度挑戦も日本王者はまだ誕生していなかった。熱い訴えに会長もリングでの動きをチェック。「なかなか動きがよかった。同じ地元だったし」と受け入れた。

 4月末には日本ウエルター級で有川稔男が待望のジム初の王者になった。入門願いに行ったのはその挑戦が決まったころ。会長も有川の王座奪取に自信を持っていたことで、川浦に運も味方し、有川も無事に王座獲得となった。

 プロテスト受験合格も9月、入門からデビューまで8カ月かけて鍛えた。会長は「アウトボクシングだがパンチもあって、メインを張れる選手」と評価する。川浦は「出身、サウスポー、階級、カウンターと同じところが多い。やるからには世界王者になりたい」と笑顔で話した。川島2世が開花するか。【河合香】

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山本隆寛に期待…世界挑戦前で黒星も突き進む行動力

タイトル防衛で笑顔で客席に手を振る山本=2015年12月31日

 昨年大みそかのことだった。舞台は大阪。山本隆寛(25=井岡)は華々しく、東洋太平洋バンタム級初防衛を飾った。当時の同級14位ストロング小林佑樹(六島)に2回TKO勝ち。最高の形でWBA世界フライ級タイトルマッチを控えていた兄貴分の井岡一翔(井岡)へ、バトンを渡した。

 あの日の取材ノートには、山本の試合内容を記したメモの横に「内藤大助」の文字がある。数人の記者に発した試合後の談。そこに偶然、元WBC世界フライ級王者内藤大助が通りかかった。「山本くん、良かったね!」。「いえいえ、まだまだです」。技術的なアドバイスを授けた後、内藤は「ごめんね! つい、いろいろ口出しちゃって。本当に頑張ってね!」と手を振り、エレベーターに乗り込んだ。山本は丁寧に頭を下げた。「内藤さん、僕みたいなのに、わざわざありがとうございました。失礼します」。直立不動だった。

 ずばぬけた運動能力は、兵庫・宝塚市で過ごした少年時代から光っていた。体育のサッカーでは俊足を生かしてFWが定位置。バック転も朝飯前だった。中学3年時の体育大会のフィナーレは「1つ上の先輩たちを超えたい」と仲間と組み体操の4段やぐらを計画。安全面を心配する先生と意欲的な生徒のせめぎ合いで人選に苦慮する中、山本はケロリと「俺が、一番上をやるわ!」と手を挙げた。人間4人分の高さとなったやぐら。本番、その最上段で山本は堂々と右拳を掲げた。

 恐れ知らずで突き進む行動力はこの頃から育まれていた。高校入学後にボクシングを始め「世界チャンピオンになる!」と宣言して中退。後に井岡ジムの門をたたいた。今月11日。東洋太平洋3度目の防衛戦で、山本は挑戦者マーク・ジョン・ヤップ(六島)に5回TKOで敗れた。世界挑戦への道は足止め。ズシリと重みのある黒星だった。

 「悔しいけれど、俺がやることは1つしかない。ボクシング。これで終わるようならそれまでやから。負けで得るものも大きいから」

 中学時代、合唱コンクールではクラスの中心で合唱曲を歌った。照れくささを示す友人を、自ら引っ張った。いかつい風貌から少し想像できないかもしれないが、周囲に愛され、応援される人柄が最大の武器だろう。内藤を前にした山本の謙虚さも「言葉だけ」ではない。18勝(15KO)5敗。一筋縄ではいかないが、座右の銘「栄光に近道なし」の文字通り、今こそ突き進む行動力が問われる。その姿勢がある限り、必ずや周りも最大限のサポートをしてくれる。

 今年の大みそか。兄貴分の井岡一翔は島津アリーナ京都で4度目の防衛戦に臨む。そこにバトンを渡す一戦が、山本が4位に名を連ねるIBF世界バンタム級の14位大森将平(23=ウォズ)が王者リー・ハスキンス(32=英国)に挑む世界戦となった。「これまで意識はなかったけれど、同じ関西やし(京都生まれの大森が)世界を取ったら意識すると思う。試合を見るのが楽しみ」。その数時間後には2017年がやってくる。持ち味の強気で攻撃的なボクシングを、来年もまた見たい。【松本航】

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細川バレンタイン「全部出す」会社員ボクサーの美学

細川バレンタイン

 「ボクシング好きだから…。こういう風に全部出せることって、人生の中で本気って、そういう機会って何回ありますか? 生きているって実感できる瞬間なんです!」

 

 強く響く言葉だった。

 私は記者生活9年目にして、11月から新たにボクシング担当として歩み出した。その最初の試合として11月1日に後楽園ホールで取材したのが、日本スーパーライト級王座戦だった。その試合後に聞いた冒頭の声の主は、挑戦者としてリングに上がった細川バレンタイン(宮田)、35歳。くしくも自分と同い年だった。だからこそ、考え込んでしまった、「たしかに…」と。ボクシング界に足を踏み入れて、いきなりの「出合い」だった。

 現日本王者で最も安定感があるといわれる岡田博喜(26=角海老宝石)に挑んだ3度目の日本タイトル挑戦は、的確な相手のジャブに苦しんだ。ただ、いくら打たれようと前進をやめなかった。被弾を恐れずに、懐に飛び込んで拳を振る。ラウンドが進むごとに顔が腫れ上がるが、目は死なない。10回を戦い抜き、0-3の判定で悲願の日本一は逃したが、その姿勢に会場からは万雷の拍手が送られた。

 細川は二足のわらじを履いている。プロボクサーにはアルバイトをしながら糊口(ここう)をしのぎ、競技を続ける選手が大半と聞くが、細川は外資系金融会社に正社員として勤めるサラリーマンだ。理由は会社員になった方が、ボクシングを始めるより早かったから。グローブを手にしたのは23歳、プロデビューは25歳だった。なぜ「真逆の世界」に飛び込んだのか。

 「社会人になってやり切るとか、絶対にないなと。仕事はお金のために頑張るけど、何か自分の100%を出せるものが欲しかった。会社員でいるなら『ボクシングなんかいらないじゃん』と言われるんですけど、僕はそうは思わない。どっちも本気ですから」

 朝9時から午後7時ころまで就業し、帰宅後に約15キロを走ってジムへ行く。「仕事は一切言い訳しないようにやっている。いろいろ工夫している。会社では心を打たれ、会社が終われば体を打たれているんです」と冗談交じりに胸を張る。だからこそ、ボクシングをしているときは、会社員の肩書を忘れてほしいと願う。「1人のボクサーとして見てほしい」。

 3度目の日本王者挑戦は、キャリア29戦目だった。会場からの「バレ!!」の応援には、初めての声も混じっていた。「会社の人を初めて呼んだんです。見てもらえたら、スポーツジムに通っている感覚ではなくて、ちゃんとプロなんだって分かってくれると思ったから」。試合を終えてリングを降りるときには、その仲間たちに向けて深々と頭を下げた。

 プロボクサー、その誇りを賭けて戦った。敗れはしたが、「今まで1度もチャレンジしてこなかったのかもしれない。今日は…、本当に…」と振り返ると、言葉をつまらせ涙を浮かべた。「初めて試合をやりながら怖くねーなと思った。負けたんですけど、自分の皮が1枚むけた気がしますね」。語感には充実感しかなかった。その姿は敗者の美学にあふれていた。

 なぜボクシングをするのか。その理由はさまざまだろう。置かれている生活環境も多様だろう。ただ、リングに上がる男たちの話は、取材初日にして魅力にあふれていた。自分に置き換えれば記者として「全部出せる」記事をいくつ書いていけるか。スタートで出合った言葉を胸に刻み、ボクシング担当記者として奮迅していきたい。

 どうぞよろしくお願いします。【阿部健吾】

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ノア、IT企業に事業譲渡 新日本に学べ情報発信術

3日の興業後、内田雅之新会長(左)と両手でしっかりと握手する丸藤正道

 プロレスリング・ノアが、IT企業のエストビーに事業譲渡した。ノアの会社自体は残したままで、プロレス事業とノアという商標だけ譲渡するというが、実質的には「身売り」ということだろう。00年に故三沢光晴さんが、全日本を辞めて創設した団体は、16年目にして大きな転換期を迎えたといえる。

 ノアは、三沢さんが09年6月に試合中の事故で亡くなってから徐々に経営が苦しくなった。三沢さんとともにノアを支えた小橋建太が引退し、秋山準、KENTAといったエース級も団体を去った。大会場での興行も難しくなり、地方では数百人という入場者数も珍しくなかった。ここ2年ほどは、新日本から鈴木軍の貸し出しを受け、何とか踏みとどまっていた。

 関係者によると、興行収入の低下で、収支はトントンか赤字。ここ数年は、スポンサー探しを継続して行ってきたという。そんな中、過去に全日本の社長も務めた経験のある内田雅之氏の仲介もあって、エストビー社に事業譲渡が決まった。今後は、エストビー社に資金援助を受け、ノアという名前はそのままで、プロレスを続けていくという。

 日本のプロレス界では、これまでメジャー団体がいずれも買収を経験している。新日本は、カードゲーム会社ブシロードに買収され経営を立て直した。全日本は、スピード・パートナーズ社(のち八丁堀投資)に買収されたが、八丁堀投資の倒産などにより、秋山準が社長となって経営権を取り戻す形となった。

 経営者の交代や、事業譲渡というのは、やはりプロレスラーによる会社経営が、時代の流れに追いつけないという部分があるように思える。昭和時代は「いいプロレスをやっていれば、黙っていても客は入る」あるいは「見に来たくないやつは、来なくていい」で済んだかもしれない。しかし、メディアや、SNSの発達で、あらゆるエンターテインメントの中でプロレスの希少価値が薄れて行く中で、どう生き残っていくかの視点がないと、業界は衰退していくだけだ。

 新日本は、いちはやく情報発信の大切さを認識し、会社、レスラーが一体となって情報発信を続け、若い女性を中心に観客を会場に呼び込むことに成功した。ノア、全日本も、レスラーの質、プロレスの試合内容については、新日本とそんなに変わらないものを持っていながら、情報発信という点では大きく劣っているように見える。

 新日本の選手たちのように、選手個々が自分をどう売り込むかを自分で考える力。自分プロデュース能力を高めるとともに、会社も選手の売り込み方、世の中への発信の仕方をあらためて考える必要があると思う。いいプロレスをやっても、その面白さを、プロレスを知らない未来のファンに伝えるすべを知らなければ、プロレスは衰退してしまう。【桝田朗】

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ボクシング興行の新形態、欠かせぬDANGANって

 ここ数年で後楽園ホールでのボクシング興行の形態が変わった。主催するジムが激減し、名門や大手ジムに限られるようになった。日本王者を抱えていても、自前ではなく合同や人任せが増えた。

 ジムの一番の収入源は選手、練習生の入会金、月謝。あとはファイトマネーのマネジメント料、スポンサー料、そして、興行収入となる。興行収入は入場料、スポンサー料、テレビ放送料となる。

 ところが、まずテレビ放送が激減した。現在も定期放送するのは日本テレビとフジテレビ。不定期を入れてもTBS、テレビ東京の4局しかない。この場合も帝拳、三迫など昔から提携の名門ジム中心となる。

 観客も減少傾向で入場料収入も減っている。さらに選手も減って足りないという。通常は1興行50ラウンド目安。王者がいても他にカードが必要だが、ジムに選手がいても相手も必要であり、このマッチメークがまた難しくなっている。

 そんな状況から、運営会社ビータイトから独立してボクシング専門に扱うDANGANによる興行が増加している。古沢将太代表がプロデューサーを務める。マッチメークにはじまり、会場確保からすべてを運営する。

 ジムは会長=プロモーターがトップに立つが、選手と違って定年はない。新しいジムや会長も増えたがベテランも健在。しかし、興行のためにマッチメーク、スポンサー集めや入場券販売など、企画、交渉、営業もこなすのは大変。そこでDANGANへ一任することになる。主催はジムながら乗り興行も増えた。

 古沢代表は慶大理工学部から上場企業に入社した。WOWOWでデラホーヤやハメドらの海外ボクサーにはまって、ボクシングに興味を持った。ビータイトの瀬端幸男代表の存在を知り、押しかけで修行。12年からこの仕事に専念している。

 DANGANはB級やC級のトーナメント、KOラウンドによる賞金マッチも開催する。底辺の充実、拡大にも力を入れる。今年になって外部へ発信しようと有料のネット中継も始めた。

 中立の立場のファン目線で、ジムの垣根を越えるマッチメークができる。その結果、好カードを生み出して評判も上がった。古沢代表は「面白いけど思惑、タイミングとか難しい。実現したのは半分」という。

 元々はスポーツイベントの集客に興味を持ったのがスタートだった。「世界戦もやってみたいけど、やっぱり集客しないと盛り上がらない。来年は集客に力を入れたい」と話す。ずぶの素人から、今や業界に欠かせぬ存在となっている。【河合香】

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三十路ボクサー大沢宏晋、夢追いラスベガスで挑戦

大沢宏晋

 アメリカンドリームを目指して1人の三十路(みそじ)ボクサーが、ラスベガスのリングに立つ。WBO世界フェザー級2位の大沢宏晋(ひろしげ、31=ロマンサ雅)が11月5日に、同級王者オスカル・バルデス(25=メキシコ)に挑むことになった。

 「自分はボクシングを始めた時から、周りの人に『いつか大きいところで世界戦をするよ』と言っていた。有言実行になってよかった」。

 柔和に笑う大沢だが、その人生は波瀾(はらん)万丈だ。小3から野球に打ち込むが、高1になって団体競技が性に合わないことを悟り、高校を中退。けんかに明け暮れる日々も、幼少時の夢だったボクサーへの憧れを捨てきれず、50メートルを5秒台で走った身体能力を武器に、18歳でボクシングを始めた。20歳の05年にライト級で西日本新人王に輝く。11年5月には東洋太平洋フェザー級王座獲得した。だが、13年に海外試合申請の不手際から1年間のライセンス停止処分を食らい、同王座を剥奪されている。

 ボクシングに打ち込む一方で、別の顔も併せ持つ。21歳から介護の仕事もこなし、ホームヘルパー2級の資格を持つ。4年前には大阪市内にデイサービスセンターも設立。障害者団体などへ寄付したファイトマネーは総額500万円以上になる。「お年寄りの表情を見ていると、人の心理が読めてくるんです。それはボクシングにプラスになっているかもしれません。毎回、試合に来てくれるお年寄りもいる。この仕事をやっててよかったと思いますよ」。大阪市から表彰も受けた社会貢献活動は、確かな力になっている。

 ラスベガスでの試合は、現役復帰する元世界6階級王者マニー・パッキャオ(37=フィリピン)が、WBO世界ウエルター級王者ジェシー・バルガス(27=米国)に挑むメインイベントの前座試合となる。世界的な注目も高く、ベルト奪取なら一気にブレークする可能性がある。「世界中のボクサーが頂きを目指してやってる場所に自分が立てる。とても幸せです。僕、引きは強いんですよ。普段の生活でもね」。事もなげに語る好青年に、人生最大のビッグチャンスが訪れた。【木村有三】

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辰吉丈一郎の「スター論」個性ある武器で勝ち続けろ

辰吉丈一郎

 ボクシングの元世界王者辰吉丈一郎(46)が語る「スター論」が興味深かった。10月1日、次男寿以輝(20)のプロ第6戦、後楽園ホール初登場となった一戦をリングサイドで観戦。試合は寿以輝が初回にプロ初のダウンを奪われるも、そこから強引に攻め返し、5回TKO勝ち。豪快な試合で会場を沸かせた。

 だが、試合後の辰吉の評価は厳しかった。「パワー、スタミナ、パンチと良いものは持っているけど生かし切れていない。練習量が足らん。練習したことしかリングでは出されへん。努力に勝る天才なしや」。そして、そこからが辰吉ならではだった。

 「寿以輝のボクシングには個性がないというか、華がない。『こいつのこれが怖い』というのがその選手の武器。その武器で勝ち続けていけばそれが華になる。スターというのは、次はどんな試合を見せてくれるの? とワクワクさせてくれる存在。華があるから客が呼べる。あいつが普通の選手なんなら今のままでいいけど、『辰吉』はそれじゃあかんねん」。

 思い出す試合があった。99年8月の大阪ドーム。辰吉-ウィラポンの第2戦だ。当時高校生だった記者は、友人と一番安い席のチケットを買って試合を見に行った。リングで戦う辰吉は豆粒のように小さく、簡易な双眼鏡を買って声をからした。7回TKO負け。わずか20分あまりの短い時間だったが、入場曲が流れ始めた瞬間の熱狂、あのフワフワとした異様な空気感は今も頭に残っている。

 あれから17年。当時3歳だった寿以輝が、A級昇格を決める節目の勝利を挙げた。まだまだ技術的には荒さも残る。父と比較するのはもちろんコクだが「辰吉」の名には人を引きつける魅力がある。「ぼくにとっては普通のお父ちゃんです」。そう語る寿以輝にも、父のようなスターになってほしい。【奥山将志】

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プロレス界の「神ってる」男・内藤哲也のカープ愛

IWGPのベルトを手にお決まりのポーズを見せる内藤哲也(写真は2016年4月)

 「いやあ、うれしかったですね。ボクがIWGPヘビー級王者のタイトルを取った年に広島が優勝するなんて。運命を感じますね」。新日本プロレスのIWGPインターコンチネンタル王者内藤哲也(34)は、プロ野球広島カープの優勝に、感激もひとしおだった。自他ともに認めるプロレス界きっての広島ファン。プロレス試合の合間を縫って、時間ができれば広島を応援。黒田の200勝がかかった試合には、わざわざ金沢まで足を運んだ。

 広島ファンになったのは、1995年のことだった。それまで応援していたのは原辰徳のいる巨人だった。原が引退すると一時は応援の対象を失なったものの、広島の足を使う野球に魅了された。「カープにはビッグネームもそんなにいないけど、若い選手が大きなチームに立ち向かっていく姿が好きなんです」と内藤は言う。

 小、中学校と、野球、サッカーに明け暮れた少年時代。高校まで、所属した部活ではすべてキャプテンを務め、主力として活躍した。しかし、都立高校のサッカー部は、都大会にも出場できない弱小校。団体競技に限界を感じ、プロレスラーを志すようになった。

 05年に入団した新日本では、野球部の2番、ショートとして活躍している。広島の応援グッズも集め、オフには仲間とマツダスタジアムに出かけることも。ロスインゴベルナブレス・デ・ハポンがブレークする前は、内藤のコスチュームは広島カラーの赤が基調だった。現在も、黒ずくめの衣装に、赤のリストバンドで広島愛をさりげなくアピール。今年は「神ってる」という言葉も、試合後のインタビューでひんぱんに使っている。

 20年近く応援してきた広島が、9月に念願のリーグ優勝を決めた。内藤にとっては、デビュー10年目にレスラーとしての花を咲かせた記念すべき年でダブルのおめでたとなった。4月に悲願のIWGPヘビー級王座を獲得。広島優勝後の9月25日には、神戸大会でIWGPインターコンチネンタル王座を、エルガンから奪取してみせた。「プロレス界を見渡して誰が話題の中心か分かるでしょう。毎日、カープの結果を見てその活躍に引っ張られた。カープのおかげでモチベーションを保てた」と内藤。そして野望を打ち明けた。「マツダスタジアムで始球式をやってみたい。プロレス界で1番ふさわしいのはオレでしょ」。内藤はクライマックスシリーズのファイナルに予約しているという。【桝田朗】

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井上には物足りなさも 夏の世界戦9試合を振り返る

 夏の世界戦ラッシュが終わった。数年前から年末が恒例になり、年に3、4回集中開催の流れになった。今年はリオ五輪があり、海外も含めて大会後に集中した。日本勢の内外での世界戦は8月20日から9月24日まで9試合あった。

 五輪期間中だったが日本人対決で始まった。加納の国内最年少王座への思惑が見え見え。高山が負傷判定勝ちと不完全燃焼も、実力の違いも明らかだった。

 続くはダブル世界戦でワタナベジムのコンビが登場した。トリとなる内山が不在で盛り上がりは今イチ。河野は序盤何もせず、そのツケで王座から陥落した。7月に晴れて挙式し、3度目の挑戦で奪取のころに比べ、ハングリー精神を欠いていたか。

 田口は初のKOを逃すもメイン抜てきに応えた。完勝で安定王者の趣すらうかがえた。宮崎はしきりに挑発して2階級制覇へ自信も、口ほどになくほとんど何もできず。リングに上がった時には泣いていた。みじめな減量失敗から再挑戦にこぎ着け、最後の思い出づくりの試合!? ファンはガッカリだった。

 井上は期待が大きいだけに不満が残った。仕留めたのはさすがも、腰痛にまた拳を痛めて時間がかかった。衝撃の2階級制覇を知る者には物足りない。直後には標的が海外で決戦があった。

 帝拳ジムと契約するグアドラスとゴンサレスが激突した。ロマゴンが勝利も最後まで倒せず、反撃に見たこともないほど顔を腫らせた。ロマゴンでも階級アップは苦しいか。井上との大決戦へ期待が高まるが、やはり井上の拳が心配になる。

 この間に小原がロシアで初挑戦した。久々の中量級に期待もリング下にまで突き落とされた。日本では重量級の壁はやはり厚い。盛り上がりがいまひとつの世界戦月間だったが、最後の最後にいいものを見せてもらった。

 長谷川が見事に王座へ返り咲いた。全盛時を思わせる9回の打ち合いはすごかった。あの時点で採点は2-1。最後までいけばどうなったかという接戦。長谷川の意地に、王者がまさに心を折られた一戦だった。

 その熱戦に刺激を受け、山中はモレノに完全決着のV11となった。前回パンチが3センチ届かず接戦。その3センチへ試行錯誤したが、今回はモレノも勝負と出てきたことで逆に30センチ? 近くなったか。4度ダウンを奪うも、山中もダウンでより盛り上がった。

 最後にリナレスが英国で王座統一して世界戦月間を締めた。次は12月からになりそうだ。村田は来年に延びるようだが、内山の再起戦が組まれそう。今度はどんなカードが組まれるか、今月中には発表されるはずだ。【河合香】

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「浪速の番長」宮崎亮、グローブを置くのはまだ早い

田口良一にパンチを浴びせる宮崎亮(左)

 「浪速の番長」がボクサー人生の岐路に立たされた。元WBA世界ミニマム級王者の宮崎亮(28=井岡)が8月31日のWBA世界ライトフライ級タイトルマッチで、王者田口良一(ワタナベ)に0-3判定で敗れた。「実力を出せなかったのが、弱いということ。やりづらいというか、すべて自分のせいです。相手どうこうじゃない。自分にむかついてます」と、悔しさをあらわにした。

 順風だったボクサー人生が暗転したのは、13年大みそか。WBAミニマム級王座返上直後のノンタイトル戦で、減量苦が響き初黒星を喫した。1度負けたら、やめるつもりだった。「着飾るものなんかいらん。髪の毛もいらん」。すぐに頭を丸刈りにしても、気分は晴れない。約3カ月、ジムから足が遠のいた。井岡会長とも距離を置いた。だが、不本意な敗戦のままでやめられなかった。「オレはボクサー宮崎亮やのに、何してんねん」。再起を決意した。

 戦う土台から作り直した。管理栄養士を付け、筋肉がついても絞りやすい体への改善に着手。減量中の食事も野菜スープだけではなく、肉を積極的に取り入れ、今年は常に体重50キロ台半ばを保った。「赤身の肉は食べても肥えない。アミノ酸のLカルニチンが、脂肪を燃やしてくれるんです」。低血圧の体を考え、鉄分はサプリで補給した。体調を管理するプロ意識を高く持って、2階級制覇へ挑んだが、実現はならなかった。

 「この一戦に進退をかけている」と、決死の覚悟で挑んだ3年ぶりの世界戦。敗れた宮崎は今後について「何もまだ考えてないですけど、反省して考えます」と話した。“肉を切らせて骨を断つ”という、被弾覚悟の徹底攻撃も魅力の宮崎だけに、攻めきれなかった田口戦の内容は自分でも納得しがたいだろう。グローブを置くのは、まだ早い。もう1度、リングで勇姿を見せてほしい。【木村有三】

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長谷川穂積&山中慎介の激闘にボクシング界が震えた

山中慎介(左)と長谷川穂積

 ベテラン2人の底力を見た。9月16日、エディオンアリーナ大阪。「負ければ引退」を公言していた長谷川穂積(真正)がセミで3階級制覇を果たすと、メインでは山中慎介(帝拳)が最強挑戦者モレノから4度のダウンを奪い、11度目の防衛に成功。劇的な試合の連続に、会場は怒号のような歓声が飛び交う異様な雰囲気に包まれた。

 チケットが発売と同時に完売した注目度の高さとは裏腹に、戦前は試合に対する厳しい見方も強かった。4月には内山高志(36)が6年以上守ってきた王座から陥落したばかり。35歳9カ月の長谷川が敗れてリングから去り、33歳11カ月の山中が4年10カ月保持したベルトを失えば、「世代交代」の声は一気にわき上がっていただろう。だが、そんな中で2人が見せた戦いは、経験と技が凝縮されたすさまじいものだった。

 長谷川は理想とする「打たせずに打つ」スタイルで試合のペースを握るも、9回のピンチでは逆に足を止め、魂の連打。「(ルイスの)攻撃は粗かったし、僕はチャンスだと思った」と試合の局面を見抜き、勝負に出た。山中は、代名詞の「左」を信じ抜いた。ワンツー後の返しの右フックにカウンターを合わされてダウンを取られると、陣営は「ワンツーを打ち抜くことだけを考えろ」と指示。山中も「ずっと信じてきたパンチ。勇気を出していった」。4度のダウンをすべて左ストレートで奪う“らしい”戦いで王座を守った。

 関係者の間で「年間最高試合が2試合続いた」という声が上がるほどの激闘は、同じ30代の選手にも大きな刺激を与えた。IBF世界ライトフライ級王者八重樫は「いろんな世界王者がいるけど、あの2人は特別。自分も試合がしたくなった」。前WBC世界スーパーフェザー級王者三浦は「すごかった。自分も世界王者に返り咲きたい」と力を込め、会場を後にした。

 大阪市内のホテルで行われた一夜明け会見。興行をプロモートした帝拳ジムの本田会長は「ボクシングのすべてが見せられた。若い王者にとっても意味のある2試合だった」と総括し、「年寄り2人だから、ゆっくり休ませてあげて」と冗談交じりに続けた。新たなスター誕生もいいが、歴史の詰まったベテランの意地もいい。ボクシングは面白い。あらためてそう思った1日だった。【奥山将志】

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レジェンド山本美憂は総合格闘技界の金メダル目指す

 目の前で、母親と息子が、激しい攻防を繰り広げていた。女子レスリング界のレジェンド山本美憂(42)と、長男で20年東京五輪の男子レスリング日本代表候補、アーセン(19)。山本の25日、RIZINさいたまスーパーアリーナ大会での総合格闘技デビュー戦に向け、初めての親子スパーリングだった。

 場所は、東京・馬込の山本“KID”徳郁が経営するジム。大会出場が決まってから、山本は居住するカナダ・トロントから、日本で調整を続けていた。ジムには長男のアーノン君(10)も遊びに来て、母親の練習をながめていた。そのジムで1日、4~5時間みっちり練習する。午前中は打撃やワザの確認。午後からはミット打ち、スパーリングを行う。

 デビュー戦について山本は「もちろん勝つつもりだけど、総合格闘技デビュー戦は、今後への第1歩。これが私のメインではない。自分のメインはまだ先。だから、今回は楽しみなんです」と、初挑戦への喜びを強調した。

 思えば、五輪競技になるかどうかも分からない女子レスリング界で、小学生時代に社会人の大会に出場していた。ミュンヘン五輪男子レスリングに出場した父・郁栄氏の英才教育を受けた山本は、13歳で全日本選手権優勝。17歳で世界選手権に最年少で優勝し、94、95年と世界選手権連覇。当時、五輪競技に入っていれば間違いなく金メダルを取った先駆者だった。

 04年のアテネで正式に五輪種目に採用されると、結婚し引退していたが現役復帰。五輪出場を目指したが、年齢と厚い選手層に阻まれた。12年のロンドン五輪への挑戦も失敗。それでもあきらめず、カナダ国籍を取り、カナダ代表としてリオ五輪出場を目指した。「トロントに住んだのは、いろんな民族が住んでいる町で、年齢や国籍とかで差別されることもなかったから」。集中できる環境で、五輪へのラストチャンスへかけたが、山本の階級は五輪予選が行われなかったという。

 「このままやめられない、レスリングを続けたいと思ったけど、五輪へ向かったほどの集中力もなく、そんなときにRIZINから話がきた」と山本は言う。RIZINと専属契約を結び、新たな挑戦へ気持ちを切り替えた。総合格闘技では先輩の弟・山本“KID”徳郁の指導を受け、息子と同じ目標に向かい一緒に練習する機会も得た。「今は、最高に幸せ。これがあるから五輪にいけなかったんだと思う。これが、自分に合った幸せなのかな、と」。女子レスリング界のレジェンドは、新たに総合格闘技界の金メダルを目指す。「将来は、RIZINのカナダチームをつくるのが夢」と、新たな夢も生まれた。【桝田朗】

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元アマ井上尚弥「競技が違う」五輪プロ解禁に違和感

井上尚弥(写真は2016年9月4日)

 ロンドン五輪金メダルの村田は、デビューから3年で世界挑戦が迫りつつある。銅メダルだった清水も5回TKOでプロデビューした。30歳の遅れてきたルーキー。プロになった過去3人のメダリストは世界王者になれなかった。アマエリート2人の今後は…。

 日本人世界王者は6人いるが、山中、八重樫、井上、井岡もアマ経験者だ。現役の元世界王者も内山、三浦、田中、粟生ら経験者がそろう。最近の日本もアマで経験し、箔(はく)を付けてプロ入りという欧米スタイルになってきた。

 リオ大会で日本は最多41個とメダルラッシュも、ボクシングは男子2人が序盤で敗退した。今大会はついにプロ解禁が話題だった。出場したプロは3人で、タイのアムナットは前IBF世界フライ級王者で井岡を下している。5月に王座を陥落したばかりも、タイ連盟から1勝約300万円を約束されて予選出場。08年北京に続いて出場も、アマにはね返された。

 プロ解禁には一般的に反対意見が多い。友好的なのはWBAだけで、他団体は危険性があると、出場すれば王座剥奪などの罰則を設けた。日本連盟は国際連盟総会で賛成はしたが、国内で解禁の意思はない。

 アマはシニアのヘッドギアを廃止などプロ化を加速させてきた。ロンドン大会後にプロ大会も発足させていた。まだ階級数、ラウンド数、グローブなどが違う。アマはトーナメントで連戦でもある。実際にアムナットは減量の少ないライト級での出場だった。リオ大会後には5回戦制への考えも示し、さらに接近を強めようとする。

 IOCは五輪=世界最高の大会にとプロ解禁が進んだ。バスケットボールはNBA選手の参加で人気もエキシビションのよう。20年東京で野球が追加になって日本中が喜ぶが、MLBの出場予定はない。星野仙一氏は「プロはWBC、五輪はアマがいい」と言う。ゴルフは復活も世界のトップが続々辞退した。

 うまいのがサッカーで、23歳以下限定にオーバーエージ枠でバランスをとる。何よりサッカーはW杯が最高の大会と世界中に浸透している。ラグビーは15人制とは異質感も強い7人制が初の採用だった。

 ボクシングは直前解禁でなくても、出場者がそう増えたとは思えない。不利という見方もあり、報酬の違いから代償も大きい。なんでもかんでもプロには賛成しかねる。五輪代表を逃してプロ入りした井上は「競技が違う」と言い切る。どうも違和感がある。メダルとベルト。アマとプロがあっていい。【河合香】

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打たせず打つ!35歳長谷川穂積が進化の奥義見せる

公開練習で軽快な動きを見せる長谷川穂積(撮影・木村有三)

 すべてを達観したような表情だった。9月16日、エディオンアリーナ大阪でWBC世界スーパーバンタム級王者ウーゴ・ルイス(29=メキシコ)に挑む、長谷川穂積(35=真正)。数多くの取材申し込みを断り、ボクシング人生を懸けた大一番に向けて集中力を研ぎ澄ませて調整している“レジェンド”は、変な力みも、逆の緩みもなかった。

 「これが勝てるボクシングだというのを、少しずつつかめて来てます。それが試合で出るかは分からないけど。単純に打たせず、打ったら勝てる。それをどうしたらできるのか、どういうことなのか、ちょっとずつ分かってきました」。

 8月下旬の公開練習で、長谷川はそう語った。

 05年から5年間に渡ってWBC世界バンタム級王座を10度防衛し、まさかの敗戦後も鮮やかな復活劇で同フェザー級王者にも上り詰めた。全盛期のスピードを望むのは酷かもしれないが、ジムでの練習を見ると攻防一体のその動きには、いつもほれぼれする。そんな日本の“元エース”が、35歳になった今も自身の成長を感じていると言う。9月の試合が、より楽しみになったのは言うまでもない。

 相手のルイスは、36勝(32KO)3敗の戦績が示す通り、強打が武器。王座奪取に成功した今年2月のフリオ・セハ戦では1回51秒でTKOと強烈な内容だったが、今回は最も難しいと言われる初防衛戦。しかも、日本では12年12月のWBA世界バンタム級暫定王者時代に正規王者の亀田興毅と対戦し判定負けもしており、2年ぶりの世界戦になる長谷川が勝つチャンスも小さくはないと見る。

 「このまま行けば、チャンピオンになると思います。これでなれなかったら、おかしいと思うくらいの状態を作れている」と長谷川。5年ぶりの世界王座返り咲きが実現すれば、どれほどの感動を世間に巻き起こすのか。その瞬間が、待ち遠しい。【木村有三】

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日刊スポーツ新聞社バトル取材班

日刊スポーツのバトル担当記者のとっておきコラム。プロレス、ボクシング、総合格闘技の現場からお届けします。