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au版ニッカン★バトル

リングにかける男たち

総合格闘技界に新星 那須川天心、衝撃的強さのワケ

那須川天心

 総合格闘技界に、すごい選手が現れた。かつての山本“KID”徳郁や、魔裟斗を超えるかもしれない。RIZIN横浜アリーナ大会で、わずか67秒の衝撃KO勝利を演じた那須川天心(18)だ。昨年12月29日に、キックボクシング界から総合格闘技に参戦。デビュー戦をKOで飾ると、主催者に直訴して2日後の31日に出場。今度は1本勝ちを収め、前代未聞のデビュー戦2連勝を飾っていた。

 那須川は、対戦相手のフランチェスコ・ギリオッティーと対戦した。「開始20秒ぐらいで、相手の動きは見切っちゃいました。打った打撃は全部当たって、相手をコントロールできた」と、冷静に言ってのけた。5月20日に後楽園ホールで、キックボクシングのISAK世界バンタム級王座の初防衛戦が決まっていた。「次の試合があるので、早く倒そうと思っていた」というが、不慣れな総合の試合で思った通りのKOができるところが、並の選手とは違うところだ。

 キックボクシング界では、早くから「神童」「天才」の名前をほしいままにしてきた。格闘技アニメで見たワザを試合で初めて使ってKOしたり、観戦にきた先輩の得意技をとっさに試合で出したりと、その逸話にはこと欠かない。ハデなKO勝ちがトレードマークになっているが、那須川の強さの秘密は卓越したディフェンス力にある。

 「打ち合っているように見せといて、自分だけ当てるのが一番いいんです」というのが、那須川の真骨頂だ。空手からキックに転向した小学時代。常に那須川の相手は、自分より学年の上の選手だった。「自分の倍ぐらいの選手と対戦して、真っ向勝負しても勝てない。一発もらったらダメージが大きいし、それが命取りになることもある。だから、父とずっとディフェンスの練習をしてきました」と話す。

 高校1年の時に通ったボクシングの帝拳ジムでは、名伯楽の葛西裕一トレーナーに指導を受けた。「1カ月間、ずっと左ジャブとガードの練習だけだった。そこで、相手のパンチを避ける技術を学んだ」と話す。同ジムからは、素質を見込まれボクシングの世界王者になれると勧誘されたという。

 キック、総合、ボクシングと無限の可能性を秘めた那須川だが、当面はキックに軸足を置くという。「20歳までに、キック界を統一することが目標。その後は、ボクシングからも声がかかっているし、いろいろ選べる状況」と、しっかり将来を見据えている。20歳でどんな選択をするのか。これからのキック、総合の戦いとともに目が離せない。【バトル担当=桝田朗】

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自身の夢かなわずも…王者4人育てた葛西トレーナー

バスケス(左)に右フックを浴びせる葛西裕一(1994年3月撮影)

 「今のボクがトレーナーとしてついていたら、ボクも世界王者になれたんじゃないかって」。そう言ったのは帝拳ジムの葛西裕一トレーナー(47)。「今ならいろいろと違った指導はできたし、もっともっとやれることはあったと思う」と続けた。

 葛西トレーナーは横浜高時代に国体を制して専大に進学も、プロを目指して中退して帝拳ジムに入った。順調に白星を積み上げて日本スーパーバンタム級王座を獲得した。

 1学年下の辰吉も同じ87年にプロデビュー。翌年には鬼塚、渡久地、川島といった高校時代から注目の3羽がらすもプロ入りしている。きれいなワンツーを武器にした正統派で、黄金世代の中でも人気ボクサーだった。94年には引き分けをはさんで20戦目に、無敗でついに世界挑戦した。

 結果は初回に3度ダウンでKO負けの惨敗だった。明らかに緊張して、堅くなっていた。30秒過ぎて軽く左ジャブを出したところへ、右ストレートを返されて最初のダウンを喫した。この一発ですべてが狂った。あとは右フックで2度目、さらに攻勢をかけられて3分もたなかった。

 「控室は静まり返っていた。身体は動かしていたけど。今ならいろいろな声を掛けたり、身体をほぐしたり、汗をかかせたり、緊張を和らげることもできる。あの時は堅いままリングに上がってしまった」。

 その後は外国人トレーナーについたり、ベネズエラで単身修行もした。海外のリングにも上がったが、96、97年と通算3度世界挑戦もベルト奪取の願いはかなわなかった。

 トレーナーになると、00年からは移籍してきた西岡と世界を目指した。08年に通算5度目、移籍後4度目の挑戦で、ジムには22年ぶりの世界王者誕生となった。さらに三浦、五十嵐、下田も世界王者に。「ロードワークの目覚まし役までやったり。一生懸命やった」と自負している。

 世界王者にはなれなかったが、世界王者は4人育てた。「ボクは力がなかったのが一番。でも、時代が違ったらと思うことも。あとは運。世界王者になるには運も大事。ボクは運もなかった」と言った。

 不可解判定で世界王座を逃した村田にも、当初はトレーナーとしてついていた。「あの判定はないけど、もっと攻めていってればとも。村田は金メダルをとった。運持ってるはず」。葛西トレーナーはジムを退職し、秋にはアマチュアのジムを開く。世界王者村田誕生へ、これからは一ファンとして見守る。【河合香】

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日本人3人が米国で世界戦 濃密2カ月間、転換期へ

三浦隆司

 過去を紐解いた時に、「あれが日本ボクシング界の転換期だった」、そう言われるかもしれない夏がやってくる。

 日本の3人のボクサーが立て続けに本場米国のリングに上がる。すべてが世界タイトル戦。激闘ぶりで多くの海外ファンの人気を得ている男は王座返り咲きを狙い、独自の歩みで上り詰めてきた男は史上最大とも言えるビッグネームと拳をまじえ、「怪物」と称される若者はいよいよ海を渡りそのベールを脱ぐ。

 7月15日から9月9日までのわずか56日間で3試合。これまで米国で日本人の世界タイトル戦は25試合が行われてきたが、2カ月以内に3試合は初めてとなる。1968年(昭43)に西城正三がWBA世界フェザー級王座に挑戦してから半世紀余り。ここまで詰まった日程で日本人が米国の世界タイトル戦のリングに上がったことはない。

 まずは7月15日、元WBC世界スーパーフェザー級王者三浦隆司(33=帝拳)が、ロサンゼルスで現王者ミゲル・ベルチェルト(メキシコ)に挑む。すでに15年に米国での世界戦は経験済み。カリフォルニア州インディオで開催された1月の挑戦者決定戦でも、「ボンバー」と呼ばれる左拳を爆発させるKO劇で、米国のファンを魅了した。

 続く8月26日、WBO世界スーパーウエルター級5位亀海喜寛(34=帝拳)が、同王座決定戦に臨む。相手は元4階級王者ミゲル・コット(プエルトリコ)。ファイトマネーで1500万ドル(約16億5000万円)を稼いだこともある超大物で、「日本人の世界戦史上最大の試合」という声もある。元東洋太平洋王者の亀海は、11年から主戦場を米国に移し、一歩ずつ評価を上げてきた異色の存在。たどり着いた先が「自分が20歳のころから見ていた」というコットで、本人も驚きを隠さない試合が待っていた。

 最後は9月9日、WBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥(24=大橋)が6度目の防衛戦を西海岸で行う。米国からの「オファー」に応えての渡米は、ニュースター発掘にかける米国リングの思惑に沿う形で、日本人ボクサーとしては異例の立場での参戦となる。売り込んだのではない。その戦いぶり、強さが日本にとどまらない評価を不動のものとした上でのオファーだ。大橋会長は「これが伝説の始まりになる」と予言する。

 海の向こうから熱いニュースが届きそうな2カ月間。3人の戦いぶりが、大きな契機になることは間違いない。【阿部健吾】

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ギャップ萌え王者 拳四朗が女性ファン生む救世主?

拳四朗

 いつやったか、テレビ局の人にこんな話を聞いた。

 「長谷川穂積の試合は、女性受けがいい」。

 WBC世界バンタム、スーパーバンタム、フェザー級の3階級を制した元王者。切れ味鋭いサウスポーで、かっこよかった。なので、そのファイティングスタイルのおかげと思ったら、違うらしい。「彼の試合は、あんまり血が流れないからね」。…男にはピンと来ん。とはいえ、どんなジャンルでも女性が動けば、ブームが来るのは世の常です。テレビは視聴率の要因を性別、年齢層に分けて細かくチェックしてる。信ぴょう性は高いと思います。

 女性は流血、凄惨(せいさん)なもの(それが格闘技の本質やと思うが)は嫌うとしましょう。ほな、今のプロボクサーで誰が“女性票”にハマるんか? WBC世界ライトフライ級王者拳四朗はどうでしょう。

 第一印象は強烈やった。トリプル世界戦を3日後に控えた5月17日の予備検診。都内のホテルで彼を取材して、目を疑った。顔つき、髪形、物腰。まあどう見ても、25歳には見えん。「よう高校生に間違われます」「コンビニでお酒買う時は、まず『身分証見せて』と言われます」。Tシャツ、ズボンをビシッとユニクロ製品で決めて、ニコニコ笑ってた。

 翌日の調印式も同じホテル。会見場に入ろうと思ったら「こんにちは」と声がする。ふと横を見たら、再びニコニコ笑う拳四朗。ビックリするほど、戦う人間のオーラがない。「こんな少年をボクシングのリングに上げたらあかん」と思った。ところが、見事に勝ってもた。

 彼の本名は寺地拳四朗。所属する、京都・宇治のBMBジム会長でもある元東洋太平洋ライトヘビー級王者の父永(ひさし)さん(53)が立命大に入る前に通ってた大阪・天王寺予備校近くの店で読んでたんが、週刊少年ジャンプ。お目当ては「北斗の拳」。「秘孔(ひこう)を突いたら、ほんまに体が破裂するんかな…」とほんまにちょっと悩むほどハマッてたとか。その父が「漢字3文字の名前にしたい」と主人公ケンシロウから名付けたんやけど…。名は体を表すどころか、一子相伝の伝承者の風情どころか、男臭さ、武骨さのカケラもない。

 まあ、こんな世界王者は古今東西、ちょっと見当たらんけど、女性は彼を見て、そのうち「かわいい~ハート」とキャッキャッ騒ぎ出すんやいやろか。“ギャップ萌(も)え”てな言葉にもハマる。拳四朗が女性を巻き込み、ボクシングブームの救世主になるのも、あながちない話やないと思うんやが。【加藤裕一】

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致命的なケガ削減へ、新日本が健康管理を見直し

柴田勝頼

 日本のプロレス人気をけん引する業界最大手の新日本プロレスで、今年上半期にリング上での大きな事故が2件あった。3月3日、沖縄大会で「こけし」で大人気の本間朋晃(40)が中心性頸髄(けいずい)損傷。4月9日の両国大会では、柴田勝頼(37)が硬膜下血腫で緊急手術を受けた。

 本間は、試合中に邪道のハングマンDDTというワザをかけられ、首をきめられたまま頭部をマットに打ち付けられた後、リング上で動けなくなった。そのまま、沖縄市内の病院へ救急搬送。柴田は、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカとの壮絶な死闘の試合後、体調不良を訴えこちらも都内の病院へ救急搬送された。

 本間は、沖縄から大阪の病院へ転院。外出許可も出て、府内のゴールドジムで復帰に向けリハビリを行っているという。一方、柴田は、当初は命に関わる状況で経過報告も控えられていたが、再手術も終え一般病棟に移ったという。歩行や会話はできるが、今後についてはまだ何とも言えない状態ながら、退院へのめどもついてきているという。

 5月16日、今後の経営戦略発表会見の前に、三沢威メディカルトレーナーが、2人の病状報告を行った。その中で、三沢トレーナーは、選手の健康管理に対する社内の取り組みを発表した。それによると、新日本には選手の健康管理を行う医事委員会があり、脳神経外科医、脊髄専門医、整形外科医、団体のトレーナーで構成されている。選手の試合や練習で負った偶発的なケガについて対応し、緊急な手術が必要な場合も迅速な対応ができるような態勢を整えているという。

 所属選手に関しては、6年前からMRIやCTを含めた健康診断を国際医療福祉大、三田病院などで年に1回実施し、そのデータを蓄積しているという。

 試合会場では、選手たちが試合前に、トレーナーにマッサージを受けたり、テーピングしたりと入念な準備をしている。三沢トレーナーは、会見で医事委員会では選手の体調面を考えて、試合数を限定してシリーズ参戦を考える意向も表明した。会見に出席した木谷高明オーナーも「選手の健康管理をすべて見直していきたい」と明言した。

 新日本の選手たちがリング上で繰り広げる戦いは、今や世界一の規模を誇るWWEにひけをとらないどころか、それ以上と評価されている。年間約120試合をこなし、年々高度化する技術にともない、ケガの危険性も高まる。選手たちは、肉体を鍛え上げ、受け身の技術を高めることで、会場に詰めかけるファンに最高のパフォーマンスを見せられるように努力している。しかし、選手のケガは選手の努力だけでは防ぐことができない段階にきている。三沢トレーナーや、木谷オーナーが会見で話した企業努力と相まってこそ、致命的なケガの可能性が減っていくことになる。新日本の取り組みを見守りたい。【プロレス担当=桝田朗】

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金メダリストから世界王者へ村田諒太の再挑戦に期待

村田諒太(2016年12月21日撮影)

 ボクシングの採点基準は有効打、攻勢、防御、ペース支配の4つある。醍醐味はダウンを奪うKO。世界初挑戦で判定負けした村田諒太(31=帝拳)の話題はいまだ続くが、4回にダウンを奪うなど有効打では圧倒した。相手は5回に腰砕け、7回も吹っ飛びいずれもロープに救われた。ダウンとしていいダメージだった。一方で受けた有効打は数少ない。どうみても判定負けは疑問だ。

 採点は微妙になると思った人は意外にいて、負けも少数いたようだ。日刊スポーツ判定パンチ数は村田225に対してエンダムは倍以上の464。この手数の差がジャッジによって採点に表れた。最終回のゴング後、エンダム陣営は勝利を確信して喜び、彼らにしてみれば作戦通りだった。

 村田は初回3発は様子見としても、2回以降はもっと手を出し攻めてほしかった。特に終盤4回は勝利を確実にするために。得意の左ボディーは数発。相手が一発KOの右を最後まで警戒。左は固め、右を狙う作戦に徹した。上位経験不足の懸念を吹き飛ばす世界の実力を示したが「手を出せ」の声が飛んだのも事実だった。

 「桜井を思い出した」という人もいた。日本の金メダリストの世界挑戦は東京五輪の桜井孝雄以来2人目だった。桜井は22連勝でファイティング原田から王座を奪ったローズに挑戦。2回にダウンを奪ってリードも、終盤消極的になって15回判定負けした。

 一方でエンダムも驚異的だった。2敗は世界戦で4度と6度のダウンも判定に持ち込んだ。回復力、スタミナ、身体能力の高さには恐れ入った。公開練習ではメニューとインターバルを1分間隔で心拍を高め、ダメージ想定で10秒間クルクル回ってからパンチ、リング内でシャトルラン。独特の練習を精力的にこなしていたのがうなずけた。

 リングの大きさは約5・5メートル以上7・3メートル以内と決められている。契約段階で7・2メートル以上と要求し、自慢のフットワークを使うために広いリングは不可欠だった。ディアス・トレーナーはキューバ人で多くの金メダリストに世界王者3人を指導し、ドクターも帯同していた。

 金メダリストから世界王者は1人もいないという、ミドルの壁の厚さをまた知らされた。これほどボクシングが話題になるのはあの亀田騒動以来だろうが、本来は日本のボクシング史が変わる日のはずだった。業界に意気消沈ムードもあるが、村田は事実を受け入れながらも再挑戦を目指すようだ。今度こそジンクス打破へどう歩んでいくか興味は尽きない。【河合香】

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パンチを出さないという村田諒太の断固たる決意

WBA世界ミドル級王座決定戦 村田諒太対アッサン・エンダム(写真は2017年5月20日)

 場内の張り詰めた空気が忘れられない。20日に東京・有明コロシアムで開催されたWBA世界ミドル級王座決定戦。ロンドン五輪金メダリストの村田諒太(31=帝拳)が元WBO世界同級王者アッサン・エンダム(フランス)と覇権を争った国内最大級のビッグマッチは、不可解な判定により後味の悪さが残ったが、判定でエンダムが勝ち名乗りを受けるまでは「至高の味」だった。

 パワーとスピードを兼ね備える花形階級。その一流選手が日本に来ることはまれ。両者とも一発もらったら終わりという世界で、初回から会場に満ちたのは緊迫感だった。村田が固めたガードの腕越しに、じっとエンダムをにらむ。「歩くように前にプレッシャーをかける」。その練習を繰り返してきた通りに前進して重圧をかけていく。軽快なフットワークでサークリングするエンダムが打ち込む多彩なパンチを、ことごとくブロック。逆にパンチは出さない。肩や上半身の動きでフェイントをかけながら、敵の動きを見定めた。

 1回に放ったパンチは3発のみ。試合後にテレビを見た周囲から寄せられた反応には「消極的すぎたのでは?」という声もあったが、リングサイドで見た身としては、正反対の感想を持った。パンチを出す、出さないが姿勢を決めるのではない。

 村田があの舞台でパンチを出さないことを徹底したことは、むしろ積極性を感じた。相手の動きを見定めるというのは事前の作戦通り。ただボクサーの本性として、パンチを出さないことほど不安なことはない。いくら「観察」しようとしても、あれだけエンダムにパンチを打たれれば、打ち返したくなるだろう。だが、村田は違った。大一番で、乱れない断固たる決意を体現した。

 なぜ村田はパンチ打たないのか? 会場にいた観客はきっと、そんな疑問より先に、村田の覚悟を直感的に感じたのではないか。スタンドからは「打て」などのやじは飛ばない。広がったのは極度の緊迫感だ。1分30秒すぎに村田が左ジャブを放ったところで、肺にためていた空気をやっとはき出せたように、会場に一気に声が広がった。ミドル級トップボクサー同士の戦いの魅力に引き込まれた。以降のラウンドも漂った独特の緊張感。それは「また味わいたい」と思わせるものだった。もちろん、今度は「後味の悪さ」はいらないが。

 村田は23日現在、進退については明言していない。自分が続けたいと思っても、再び簡単に世界タイトル戦を組めるような階級ではない。ただ、あの会場にいた者としては、もう1度村田の「覚悟」を見たい。「世界レベルの戦いをする上で引けを取ってない」と確信を得た男は、さらに強くなると思っている。【阿部健吾】

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プロ高山勝成、東京五輪へアマ転向も…なんだかなぁ

高山勝成

 元主要4団体の世界ミニマム級王者高山勝成(34=名古屋産大1年)が、このほどWBO王座を返上し、プロを引退した。アマチュアとして、20年東京五輪出場を目指すためだという。

 「1人のアスリートとして、自国開催のスポーツの祭典で思い切り戦ってみたい。東京五輪の時、僕は37歳。年齢的にラストチャンスと思う」。そもそも東京の五輪招致が決まった頃から考えはあったようで、16年リオデジャネイロ五輪でボクシングのプロ出場が解禁となり、今回の決断に踏み切ったわけだ。

 ところが、アマチュアの統括団体・日本ボクシング連盟は“元プロのアマチュアボクサー”を認めていない。同連盟の山根明会長は高山のアマ転向承認を「1000%ない」という断固たる構えを見せ、リオ五輪からのプロ解禁の流れも「それは世界の話で、日本は別」と譲る気配はない。

 山根会長に話を聞いた。

 「プロはお金のために戦うけど、アマは無償で戦うんです。日本のアマチュアはみんな、五輪を目指して頑張ってる。それをプロが『東京五輪だから、自国開催だから出場したい』なんてね。彼はそもそもアマチュア出身じゃない。アマチュア界に貢献したこともない。指導者になりたいというなら考える余地はあるけど、それも4~5年実績を積んでの話。まして選手としてリングに上がるなんて、あり得ない」-。

 個人的に、山根会長に賛同する。“そもそも論”として、五輪はアマチュアの祭典やったはずです。それがテニス、サッカーなどにプロが参入した。ゴルフなんて112年ぶりに競技復帰したと思ったら、出場資格はプロの世界ランクという物差しになった。しかも団体戦はなく、個人戦オンリー。五輪の商業路線に、金銭以外の名誉を求めるプロ選手が乗っかったためやろうけど「4年に1度を目指してやってきたアマチュアはどうなるの?」と思いませんか? テニスには4大大会、サッカーにはW杯、ゴルフにはメジャーがある。プロとして十分に成熟したフィールドがあるのに、何でアマチュアの祭典にまで手を出す必要があるの? ボクシングもそれと一緒でしょ?

 高山の意欲を否定はできません。どう考え、どう動こうが個人の自由です。でも、仮に高山のアマ転向が実現した場合、同じ階級で五輪を目指してきたアマチュアはどう思うか? 

 五輪はやっぱり、アマチュアのものであるべきやと思うんですけどねえ。【加藤裕一】

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天国の力道山に届け「プロレスは盛り上がってます」

故力道山さんの墓前で、殿堂入り記念トロフィーをWWEジャパンの徳升宏臣氏(右)から手渡された息子の百田光雄

 力道山の墓は、東京・池上の池上本門寺にある。寺を訪ねると、墓は誰にでも分かるように案内の掲示板で示されている。4月24日、WWEのレガシー部門殿堂入りの記念トロフィー贈呈が、墓前で行われた。大きい墓石の前には、力道山の銅像が建っていた。

 次男でプロレスラーの百田光雄(68)は「亡くなって54年たっても、父の名前が残っていることがありがたい。私の孫の代まで伝えていってくれれば」と、感無量の表情で喜んでいた。力道山が亡くなったのは、1963年(昭38)12月15日。暴力団員にナイフで刺されたことが原因だった。

 百田が話したように、亡くなって54年。今年58歳の記者も生で見た記憶がないぐらいだから、力道山をよく知っている世代は60歳以上の人ではなかろうか。日本プロレスの父といわれ、戦後日本の最初のヒーローの記憶も、現在では徐々に薄れている。そんな中で、米国プロレス団体の殿堂入り表彰は、あらためて力道山という日本プロレス界の大功労者の存在を思い出させてくれた。

 力道山がいなかったら、ジャイアント馬場も、アントニオ猪木も生まれなかった。その後の、日本プロレス界を支えてきたヒーローたちも出てこなかっただろう。力道山は、日本にプロレスという大衆娯楽を根付かせ、その土台をつくった。土台があるからこそ、現在、新日本プロレスで大活躍するIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカのようなスーパースターが生まれたのだ。

 記者が子どものころは、親戚のおばちゃんが、夜8時を過ぎるとテレビの前に正座して、プロレスを見ていた。外国人レスラーの反則攻撃に悔しがり、ジャイアント馬場が勝つと、両手をたたいて喜んでいた。小学校時代には、プロレスごっこで友だちにコブラツイストや卍固めをかけて遊んでいた。長崎県の五島列島で行われた興行で、初めて生のプロレスを見たことは今も大きな思い出だ。それも、力道山がいたからこそと、今回の取材で思い知った。

 百田の勧めで、力道山の墓に線香を上げ、お参りもさせてもらった。力道山がつくりあげたプロレスは、今でも日本中を熱くさせ、人々に生きる勇気を与えてもいる。「プロレスは今でも盛り上がっていますよ」。せんえつながら、記者からも天国の力道山に報告させてもらった。【プロレス担当=桝田朗】

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名物会長率いた「拳闘道場」ヨネクラジムの幕引き

94年5月、ヨネクラジム5人目の世界王者川島郭志と米倉会長(右)

 元世界王者である川島ジムの川島郭志会長に言われたことがある。「顔を見るのが嫌だったんですよ。久しぶりに会うと、世界戦が近くなったと思って。プレッシャーになりました」。

94年5月、ヨネクラジム5人目の世界王者川島郭志と米倉会長(右)

 以前は系列のテレビ朝日と本紙がヨネクラジム興行は主催や後援だった。川島会長が日本王者になり、世界間近で担当になった。世界戦では発表前から顔を出し始め、恒例の長崎・諫早キャンプに毎回同行し、スパーリングに密着した。今は懐かしげに当時を話しての思い出のひと言だった。

 足しげく通い、ボクサーだけでなく、記者にとってもジムには思い出が詰まっている。その超名門が8月で幕を閉じる。90年に大橋ジムの大橋秀行会長が日本の世界挑戦失敗を21で止めた。当時は他ジムの世界戦も外国人選手の公開練習などの場になり、自然と取材機会は多くもなった。

 米倉健司会長はメルボルン五輪に出て、プロで2度世界挑戦した。アマ上がりの右ボクサーのテクニシャンで人気も、プロではファイターを好んだ。昭和ヒトケタ世代ながら、堅い伝統よりもプロらしい派手さを喜び、三度がさのガッツ石松も生まれた。

 70歳代までミットを持ち、昨年10月の最後の興行でもセコンドについていた。鼓舞する姿は会長と言うよりも熱血トレーナー。帝拳ジム本田明彦会長がプロモーター、協栄ジム金平正紀会長がマネジャーのトリオなら、理想的トロイカと思ったこともあった。

 25日で83歳で高齢が閉鎖要因になった。車の運転はスピード狂で怖い思いをした。数年前に運転を辞め、代わりに夫人が運転。昨年は興行後に夫妻がタクシーで帰る姿を見てちょっと安心した。歳には勝てずにジム閉鎖は流れだが、実に残念だ。

リングの回りには歴代王者のパネルが飾られたヨネクラジム(撮影・河合香)

 創設55年目で36人が世界、東洋太平洋、日本王者になった。63年に大塚でジムを開き、69年に目白へ引っ越し。JR山手線の車窓から見える木造2階建て。外観以上に内部は昔の趣がある。天井や壁には王者のパネル、会長の現役時のポスター、王者認定証、心構えなどの標語がところ狭しと張られている。一番奥にはトロフィーが並ぶ。

JR線沿いにある木造2階建てのヨネクラジム(撮影・河合香)

 ボクシングジムと言うよりも、拳闘道場と言った方がふさわしい。マニアにとっては垂ぜんの宝物が山のよう。ジム自体をボクシング文化遺産として保存し、業界念願のボクシング博物館にしたら。無理は承知でそう思った。一つの時代が終わった。【河合香】

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井上尚弥、豪快なKOシーンで度肝を抜く男の裏舞台

トレーニングを行った階段を背にする井上尚弥

 「怪物」は変化を恐れない。だから、強い。

 ボクシングのWBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥(23=大橋)が17日から4日間、静岡県熱海市で合宿を行った。昨年から定期的にキャンプを張る恒例の土地だが、今回の注目はその時期。従来は試合を控えて2~3カ月前に行ってきたが、今回は5月21日に同級2位リカルド・ロドリゲス(27=米国)を相手に迎える5度目の防衛戦(有明コロシアム)を1カ月後に控えての実施となった。

 その理由を聞くと「合宿後の動きがすごく調子が良い。今回は良い状態で試合を迎えるためです」と説明してくれたが、調整法を変えることを怖がらないその姿勢に、強さの秘訣(ひけつ)の一端をのぞいた気がした。成功者が過去の体験にとらわれ、それに拘泥するあまりに、いつしか成長が止まり、後退につながるということはスポーツの世界に限らずにあることだろう。井上はそうではない。

 例えば、河野公平(ワタナベ)を6回TKOで下した昨年末のV4戦を前にして試していたことも多くあった。拳を鍛えるための素手でのサンドバッグ打ちや、腰痛などの対策として体重を増やしすぎずにスーパーフライ級のリミット(52・1キロ)から5キロ増ほどの58キロ前後をキープするなど、新しいことへの挑戦に実に意欲的だった。今回の合宿に関しても、1日で階段を2700段ほど登るなど過酷なフィジカル強化合宿で「故障には気を付けたい」としながらも、従来の調整とは異なるスケジュールで動くことのリスクもあったと思う。それでも「合宿をした後はパンチのパワーの乗りが違う」という確信が、それまでしたことがない行動に移させていた。

 もちろん、重要なのは試合までの過程ではなく、その結果。勝利してこそ、それまでの取り組みも意味を持つことも事実だろう。ただ、常に新しいことに挑戦していく姿は、単純に見ていて面白く、興味を引く。豪快なKOシーンで度肝を抜く「怪物」だが、その内面にも注目していきたい。【阿部健吾】

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ボクシング界変える? 金メダリスト村田諒太の挑戦

村田諒太

 ボクシングという競技は紀元前の古代ギリシャ五輪からあった。他は陸上中心で、レスリングとともに歴史のある格闘技。当時は無差別級というか体重制限なく、時間も無制限だった。18世紀に競技となった当時も同じで、体格差の優劣は明らかだった。

 そのうちヘビーとライトという2つの階級制になり、19世紀半ばには3番目にミドル級ができた。重い階級と軽い階級の中間というわけだ。リミットは154ポンド超(69・9キロ)~160ポンド(72・5キロ)。現在は17階級あるが、最軽量ミニマム級から13番目、最重量ヘビー級からから5番目になる。

 中間の階級と言っても、近代ボクシングが始まった英国を中心に欧米をベースに考えられたもの。日本などのアジアでは重量級に位置付けられる。何しろ、日本は95年の竹原まで、世界挑戦すらなかった。

 竹原への期待は薄く、それまでのテレビ中継局は見送り、別の東京ローカルで深夜に録画放送だった。しかし、3回に左ボディーでダウンを奪って見事に王座を奪取。「広島の粗大ごみが勝てた」の名言を残した。その後の挑戦も保住、淵上、石田と3人しかいない。

 厚い壁に、12年ロンドン五輪金メダリスト村田が5月に挑む。試合発表はプロ転向会見した同じホテルの会場。相手は当初の標的から変わり、カメルーン生まれのフランス人エンダムとの王座決定戦となった。

 相手はこれまでヌジカムと呼ばれ、04年アテネ五輪8強後にプロ入り。10年からWBA2度にWBOと3度暫定王座獲得。昨年12月は右1発で1回22秒KOでの奪取だった。2敗は世界戦で6度と4度のダウンも判定負けに持ち込んだ。今回38戦目とキャリアあり、テクニックある右ボクサーと言える。

 村田は今回13戦目となる。7戦目で初の世界ランカーに判定、8戦目で元ランカーに判定勝ち。昨年は元米国王者らに4KOと成長を見せたが、経験の差は大きい。帝拳ジムの本田会長も「きつい勝負になる。村田の頭と体力の勝負」と言った。

 ついに言うべきか、ようやくと言うべきか。本田会長は「挑戦は1、2年早いが、いろいろ事情もある」とも吐露した。最強のゴロフキンが3団体を統一し、マッチメークがより難しい中でのチャンス。日本人が好きな五輪の金メダリストだが、あれから5年が経過し、テレビ局の待ち切れない状況もあるようだ。

 日本の現役世界王者は10人になったが、もう一つ盛り上がりに欠く。黄金のバンタムとよく言われるが、海外では黄金のミドルと言われる。古くはロビンソン、その後もハグラー、レナード、ハーンズらが王者になった。村田も名を連ねることができるか。今年というより、今後のボクシング界の命運を左右する一戦と言えるだろう。【河合香】

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村田諒太、世界初挑戦へ頭脳と体力での勝利期待

サンドバッグを打つ村田(撮影・鈴木正人)

 ボクシングのロンドン五輪金メダリスト、村田諒太(31=帝拳)の世界初挑戦が決まった。5月20日、東京・有明コロシアムでWBA世界ミドル級王座決定戦で、WBA同級1位アッサン・エンダム(フランス)と相まみえる。3日に都内で行われた発表会見から、気になった言葉を取り上げたい。

 「ビッグネーム、過去のグレートになると、ベルト以上になしえたことが大きい。ただ挑戦するだけで、僕の中で比べることが出来ない、というのが正直なところ」

 質問は「尊敬するフェリックス・トリニダードやバーナード・ホプキンスらも巻いたミドル級のベルトに挑む気持ちについて」だった。先人の偉大さを深く知るからこそ、素直な謙遜が口から漏れた。

 村田の“ボクシングマニア”ぶりは、業界内では有名だ。専門誌では「ボクシング・マエストロ」の異名を授かったこともある。一流アスリートは過去の記憶に関して突出しているケースが多々あるが、村田もしかり。有名王者に限らず、階級も問わず、その脳内データベースには、おそらく1000試合以上の記録が収められているのではないか。日常の取材でも、技術的な会話で過去の事例を引いて、答えてることが多い。そして、その見方は非常に面白いし、記者としても勉強になる。

 だからこそ、誰よりも深く、重くミドル級の世界のベルトに挑戦することの意味、困難さも分かっているのだろう。決して大言は出なかった会見だったが、それが逆に覚悟をにじませた。「多くの方にサポートに支えられてキャリアを進めている。恩恵に結果で応えたい」。そんな発言にも、決意が凝縮していた。

 帝拳ジムの本田会長は「自分の事も相手のことも、誰よりも分かっているのが村田。頭と体力に期待したい」と話す。学習能力の高さだけでなく、「頭」としてはその記憶力も間違いなく武器の1つだと思う。

 「こういうプロの世界とか、いろいろなボクシングの世界、世間を見ることが出来た。あの時点で辞めていたら、見ることが出来なかった世界。ボクシングが好きな1人間として、ここまで長くやることが出来ていることに対して、うれしく思います」

 ロンドン五輪の金メダルでアスリート人生を終えなかった決断を、会見でこう振り返った。ボクシングが好きだからこそ、新たなデータベースに更新してきた情報は豊富だっただろう。プロという経験が加わった「頭」で、勝利を期待している。【阿部健吾】

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柴田勝頼、3年胸に秘めたオカダ・カズチカとの約束

柴田勝頼

 遅すぎたのか、満を持してなのか、遠回りをしたのか。新日本プロレスの柴田勝頼(37)が、今年ブレークしそうな勢いだ。3月21日の長岡大会で、ニュージャパン・カップ(NJC)初優勝を果たした。優勝者は好きなタイトルに挑戦できるという権利を行使し、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカに、4月9日の両国国技館大会で挑戦することも決まった。

 柴田は、その立ち姿だけでファンを魅了する、男臭いレスラーだ。黒のパンツに、ガウンやTシャツなど余計な装飾は一切なし。タオル1本を首に巻いて、リングをにらみつけるように入場するシーンに、ファンは興奮する。その後ろ姿は、若き日のアントニオ猪木をほうふつさせるオーラを放っている。

 1998年に新日本に入団し、翌99年10月にデビューした。04年には、棚橋弘至、中邑真輔とともに新闘魂三銃士として売り出された期待の星だった。しかし、05年に退団し、総合格闘技へ戦いの場を求めた。その後、12年から再び新日本マットで戦い、16年3月に再入団した。

 紆余(うよ)曲折のレスラー、格闘家人生だが、その経験が現在の柴田のファイトスタイルをつくっているのだろう。その戦いぶりは、とにかく武骨。リング中央で相手を挑発するように、壮絶な打撃戦を挑み、決して引くことがない。見ている方が痛くなるような戦いには「昭和のプロレス」の匂いがして、それが多くのファンを引きつける理由になっている。

 NJCに優勝し、オカダに挑戦した理由が3年も前の、14年2月のオカダからの言葉だったというのも、いかにも柴田らしい。当時オカダに挑戦した後藤洋央紀のセコンドにについていたが、試合後に次期挑戦者に名乗りを上げた。帰ってきた言葉が「挑戦したかったら、NJCに優勝してこい」だった。それから3年かけてようやく挑戦権をつかみ、オカダの名前を口にしたのだ。

 流れの速い新日本プロレス界にあって、オカダの約束を3年間も胸に秘め、約束を実現した柴田に、昭和の匂いを感じてしまう。群雄割拠する新日本にあって、柴田もまた、シングルマッチに外れのないレスラーの1人だ。4月9日、両国国技館でのオカダ戦は、間違いなく名勝負になるに違いない。団体を超えプロレス界の顔となってきたオカダと、柴田の戦い。棚橋でも内藤でもオメガでもない、2人の戦いに今から期待が高まっている。【プロレス担当=桝田朗】

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元世界王者、下田昭文の再出発 現役引退し高校入学

下田昭文

 それぞれのスポーツに引退を表す言葉がある。野球なら「バットを置く」「マウンドを去る」、相撲なら「土俵を去る」、いくつかに共通する「スパイクを脱ぐ」など。ボクシングでは唯一身につけるものである「グローブをつるす」という。最近つるした元世界王者がいた。

 WBA世界スーパーバンタム級王者だった下田昭文。2月21日にブログで「引退します」と表明した。近年はアマ経験者が増え、特に名門帝拳ジムにはエリートが集まる。その中にあって下田はたたき上げで、異彩を放つ個性豊かなボクサーだった。

 高校受験に失敗し、自宅近くの帝拳ジムに「なんとなく」入門し、2日目でスパーを許された。8回戦までろくにロードワークせず、天性のカンだけで日本、東洋太平洋王座を獲得。そして、11年の世界初挑戦で王者李を3度ダウンさせて王座に就いた。

 グアムキャンプで初の海外に紙袋1つで成田空港に表れた。日サロ通いの真っ黒。ゴルフ焼けの本田会長に「日サロ行ったんですか?」。天然の逸話には事欠かない。リングでも感性で動き、強引にパンチをねじ込む。スパーでスリップダウンも、一瞬のでんぐり返しで飛び上がった時はびっくりした。野性的だった。

 米国で初防衛に失敗し、14年にマカオで一撃KO負けし、本田会長から引退勧告された。何度も頭を下げ、こっそりジムで練習し、運転免許と高卒資格取得を条件に再起。この3年間で2度目の日本王座挑戦失敗に引退を決意した。

 「15歳からやってきて、半端だった自分が逃げずにやりきりました。世界王者になったんだから、悔いはないです」。3月に入って、後輩の応援に来た東京・後楽園ホールで明るく話していた。

 入門から指導した葛西トレーナーは「リングの中はいいけど外は全然ダメ」と振り返る。朝に母親が起こしても起きず、ずっと朝電話する目覚まし役まで務めていた。2次募集で合格した高校は中退し、通信制の高校も辞めていた。

 下田は2月からバイトをしながら、今度こそと新宿にある通信制の高校に通い始めた。「初日は気合入って、先生より早く一番に行きました。楽しいです」。今も屈託ない笑顔。将来もトレーナーなどでボクシングに関わっていきたいという。【河合香】

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井岡一翔が偉業王手!具志堅持つ「世界戦14勝」へ

井岡一翔

 WBA世界フライ級王者の井岡一翔(27=井岡)が、4月23日にエディオンアリーナ大阪で同級2位ノクノイ・シットプラサート(30=タイ)と5度目の防衛戦を行うことになった。

 最大の関心は、61連勝中で世界初挑戦の相手よりも、井岡が勝って具志堅用高が持つ「世界戦14勝」の国内最多記録に並べるかどうか、だろう。WBC世界バンタム級王者の山中慎介は3月の試合で12度目の防衛に成功し、具志堅が持つ「13度防衛」の国内記録に王手をかけた。世界戦勝利数と防衛回数では、どちらが価値が高いかは判断できないが、世界3階級を制している井岡はミニマム、ライトフライ王者時代も負けて王座を失ったことはなく「世界戦14勝」も大きくたたえられるべきものだろう。

 具志堅が、WBA世界ライトフライ級王座の13度目防衛に成功して世界戦14勝目を挙げたのは、80年10月だった。それから37年間、誰も破ることができなかった記録を前にして、井岡もあらためて具志堅の偉大さを思い知った。

「僕以外にも山中選手だったり、内山選手だったり、常に13回防衛という記録は、僕たちが勝つにつれて、期待されていくにつれて、出てくる。具志堅さんが当時積み重ねて、その記録を残したという、その重みを感じてます。世代はまったく違いますけど、それだけ影響を与える選手ということは間違いないので、相当大きな刺激はもらってます」

 試合の巡り合わせもあり、山中が次戦で挑む13回連続防衛よりひと足先に、井岡は世界戦14勝の記録に挑むことができる。かつて、具志堅を取材した時、井岡について「パンチが正確だ。だからこそ、軽量級でもKOを量産できるんだ」と、安定した打撃術を評価していた。自身の力を認めてくれているレジェンドへ、肩を並べる勝利まで、あと1つ。

 「やってる限りは、防衛だったり、勝利を積み重ねたいと思ってるので。今回勝って具志堅さんの記録に並べるのはすごく光栄なこと。あと1戦まで来てますけど、油断はできないので、しっかり気を引き締めて、終わってみて並べたらいいなと思います」。井岡が目を光らせた。【木村有三】

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同学年、同門、同期、同級…切磋琢磨の2人が追う夢

京口紘人(右)のベルトに悔しそうなポーズの谷口将隆

 同学年、同門、同期、同級。

 そんな2人がいる。

 ワタナベジム所属の東洋太平洋ミニマム級王者京口紘人(23)、日本ミニマム級2位谷口将隆(23)。

 名前を記す順番で京口を先にしたのは、2月28日のタイトルマッチで初のベルトを巻いたばかりだから。王座決定戦にて同2位のアルマンド・デラクルズ(フィリピン)を3回2分2秒KOで下し、昨年4月のデビューから6戦6勝(6KO)での戴冠。1年たたずに1つの頂まで駆け上がった。「2番目」に名前を書いた谷口は、現在が6戦6勝(4KO)。同じくデビューは昨年の4月。4月には日本タイトル戦が控える。

 この2人、とにかく駆け足での切磋琢磨(せっさたくま)が見物だ。ともに関西の大学の主将、京口は大商大、谷口は龍谷大。初対面は中3で、縁あっていまはワタナベジムの寮にともに住み、寝食を共にする。スパーリングもしょっちゅう。そんな2人の会話は例えば…。

--互いの初印象は?

 谷口「初めて会ったのは中3のスパーリング。国体の近畿予選。そっから因果が…。高3から話してあげてますよ」

 京口「それはこっちやな。こっちからやな」

 谷口「高1のスパーリングではRSCで負けてます。それがアマで唯一のRSC負けです。淡い思い出やな~」

 京口「谷口は中3でヤンキーですよ。襟足がえらい長くて。いなかっぺヤンキーですねえ」

 谷口「でも、僕も京口とは絶対に友達にならんともいましたよ。互いに130センチくらいでしたよ。懐かしいなあ」

--一緒のジムに抵抗は?

 京口「ないですよ」

 谷口「最初はえっと思いましたよ。でも出世争いですよ。まあライバルというか舎弟ですけど。アマの成績は僕が上なんで。チケットもおれが持っているな」

 京口「まあ、あとはルックスになってくるんですけど。これはおれでしょ。あとは食い力も」

 谷口「こいつはめっちゃくいますよ。一緒にラーメンいって、大盛りにご飯にギョーザですからね」

--好きなものは被る?

 谷口「いや、かぶらないですよ。女優なら? 僕は有村架純さんが好きですよ」

 京口「この前の試合の時(昨年12月31日に大田区総合体育館でジム頭の内山高志の世界戦で前座を務めた)恥ずかしかったわ~。試合前の画面に『綾瀬はるかに会わないとだめだ』的なVTRですよ。本当は(好きな女優)いないけど、強引に名前言って、使わないでと言ったらそれでしょ。アップしている時にうわっと思いましたよ」

 谷口「あとはほんま、よくしゃべるでしょ、京口は。ボクが1なら、10ですよ」

 京口「しゃべり続けるとエネルギー使うんですよ、一石二鳥でしょ!」

 よくしゃべり、よく掛け合う2人が同門になったのは、ワタナベジムの井上トレーナーのスカウトによる。小学校時代から京口を知っており、大学卒業後にプロとしてジムに誘うために出向いた大学の近畿リーグ。そこで対戦相手だったのが谷口だった。劣らぬ才能、甲乙つけがたい、そこで2人とも、の運びとなった。2人の評は、こうなる。「京口は大胆で華がある。谷口は控えめですけど、確実なボクシングをする。白と黒くらいの差がある」。

 当初は3年かけて2人を育てていく、チャンピオンにしていく計画が、最高のライバル心の効果か、そのペースはかなり早まって、早くも京口はベルトを手にした。その控室、2人での記念撮影を頼むと、快く快諾して、谷口は悔しそうにも、うれしそうにもベルトを指さしてのポージング。「谷口の刺激になれば」を真っ先に盟友の名前を挙げた京口の言動とともに、2人の良き対抗心がにじみ出るやりとりが続いた。

 2人の今の目標はもちろん世界王者。そこには主要4団体がある。どちらが先にその頂を極めるのか。しかし、そこで戦いは終わらないのが2人。口をそろえて言うことがある。その時が来るのが楽しみだ。

「統一戦ですね、2人で世界王者として」

 ◆京口紘人(きょうぐち・ひろと)1993年11月27日、大阪府生まれ。アマ戦績は66戦52勝(8KO)14敗。好きな選手はローマン・ゴンサレス。趣味はスニーカー集め、絵描き。161センチ。

 ◆谷口将隆(たにぐち・まさたか)1994年(平6)1月19日、兵庫県生まれ。アマ戦績は74戦55勝(16KO)19敗。好きな選手は内山高志、渡辺二郎。趣味はプロレス、岩盤浴。162センチ。

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内藤哲也自戒の言葉「トランキーロ」新日でブレーク

内藤哲也(写真は2017年1月4日)

 2016年のプロレス界の流行語大賞を選ぶなら、おそらく「トランキーロ」で決まりだろう。新日本プロレスで大ブレークした内藤哲也(36)の決めぜりふだ。15年5月のメキシコ遠征から持ち帰ったロスインゴベルナブレスというユニットとともに、内藤が口にするようになったスペイン語。「トランキーロ! あっせんなよ」というセリフは、瞬く間に日本中に広まった。

 内藤の勢いは、2017年も健在だ。1月4日の東京ドーム大会で、悲願の棚橋弘至超えを果たした。2月11日の大阪大会では、マイケル・エルガンとの激闘を制し、王座防衛に成功した。内藤は、ロスインゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)のメンバーとともに「今年も、我々LIJが、皆さんに楽しい時間をプレゼントしようかなと、思ってます。次の、大阪ビッグマッチ、つーまーり、大阪城ホール大会も、我々LIJが、大阪のお客様を熱くすることでしょう。まあ、大阪城ホール大会は、まだ4カ月も先の話なわけで、こういうとき、なんて言うかわかりますか? そう! まーさーに! トランキーロ!! あっせんなよ!」。会場は大歓声に包まれ、内藤コールが鳴りやまなかった。

 そんな内藤に、トランキーロを使うようになったきっかけを聞くと、意外な答えが返ってきた。「実は、あれは自分自身に向かってかけている言葉なんです」。自らの閉塞(へいそく)感を打破するために渡ったメキシコ。そこで出会った本家ロスインゴベルナブレス。ようやく悩みからの出口が見えかけた内藤は、試合中も積極的にリングに飛び出していった。そんな内藤に仲間のラ・ソンブラたちがかけた言葉が「トランキーロ」だった。

 「最初は内藤、落ち着け。慌てるな、みたいな言葉だった。ボクは楽しくて、プロレスがしたくて仕方がなかったけど、周りの仲間たちは焦らず、ゆっくりやれと言ってくれた」と内藤は振り返る。自分を生まれ変わらせてくれた仲間たちの思いを胸に、内藤はLIJとともに日本でブレーク。その勢いはとどまるところを知らない。

 観客や対戦相手に発する「トランキーロ!」の言葉は、長年の苦悩の末にトップの座をつかんだ内藤の自分に対する自戒の言葉でもある。2016年に大ブレークした内藤にとって、今年は勝負の年とも言える。滑り出しは好調だ。今後も勢いを落とさず、走り続けるために、内藤は「トランキーロ!」を発信していく。「焦らずに、自分の道を突き進め!」と。【プロレス担当=桝田朗】

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小国以載の世界王者ベルトは日本勢4人目の希少価値

プロボクシング2016年度年間表彰式 山中慎介(中央)井上尚弥(左)と並んで表彰される小国以載

 2月10日にプロボクシング16年度年間表彰式があった。第1回の49年(昭24)は最優秀、技能、努力、最高試合の4賞だけ。ここに新鋭、殊勲、KOが加わった形が60年から定着し、08年から女子最優秀、09年から女子最高試合も追加された。

 今回から優秀選手賞が新設され、防衛した世界王者、それに匹敵する活躍をした選手に贈られる。さらに最優秀、殊勲、技能の3賞は表彰式当日発表になった。式をより盛り上げようという狙いだった。

 最優秀は山中、技能は井上と両雄が射止め、山中はKOと最高試合の3冠となった。近年は常連世界王者が競う中で、10年のKO賞から常連の内山の名が消え、小国以載が殊勲賞に選出されたのが新鮮だった。

 お笑い路線の小国だが、初めて出席に緊張しっぱなし。「すごいメンバー中で、賞なんて思ってもいなかった。こんなに人がいるとは」とガチガチ。「こんなところでパフォーマンスなんて…。もう帰っていいですかね」。晴れ舞台にも居心地悪そうだった。

 大みそかに自ら2-8と言った世界初挑戦で番狂わせを演じた。壇上に上がった時は「スーツで来いとだけ言われたので」とベルトはなかった。あわてて関係者に届けてもらった。4日前にようやく届き、世界王者を実感したそうだ。

 タイトル戦では王者陣営がベルトを掲げて入場し、試合中はコミッションが保管し、勝者に授与される。新王者が誕生してもそのまま自分のものになるとは限らない。控室に戻ると敗者の前王者陣営が引き取りに来る。王者といえど一時的にベルト空白期ができる。

 通常は挑戦時に支払う各団体承認料に50万円前後のベルト代が含まれる。王者が交代すると発注され、完成すると届くわけだ。王座決定戦には立会人が持参して、その場で手にすることができる。

 日本王者のベルトに限ると、ずっと持ち回り制が続く。傷むこともあって、現在のものは07年に更新された6代目のもの。記念に自前や後援者らがレプリカを作るボクサーもいる。特に引退後購入することが多いようだ。

 プロボクサーが目指すのは、表彰台でもなく、メダルでもなく、このベルト。小国は一生の記念のベルトを手に入れた。IBFは男子が赤、女子が水色と色分けしている。日本では13年に公認され、男子は高山、亀田大、八重樫に続きまだ4人目と、希少価値のあるものだ。【河合香】

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久保隼が追う長谷川、山中、村田…偉大な先輩たち

王者セルメニョの写真を手にファイティングポーズをとる久保隼

 WBA世界スーパーバンタム級9位の久保隼(26=真正)が、世界に初挑戦する。4月9日に、エディオンアリーナ大阪で同級王者ネオマール・セルメニョ(37=ベネズエラ)に挑むことになった。

 真正ジムの先輩には、同じサウスポー、同じ階級で王者になり、昨年現役を引退した長谷川穂積氏がいる。身近な兄貴分から、久保はいくつもの助言を受けてきた。「頑張ってる選手には、いずれチャンスがやってくる」と言われ続けて練習に励んできた。12回までもつれた末に何とか初防衛した昨年5月の東洋太平洋タイトルマッチ後は「世界戦までに12回を経験できて良かったんや」と言われ、気持ちを切り替えることもできた。「長谷川さんがいてくれて良かった」と久保も頭を下げる。

 そんなレジェンドの他にも、久保の周辺には豪華な先駆者がいた。同じ南京都(現京都広学館)高校の8学年先輩にはWBC世界バンタム級王者・山中慎介、5学年先輩にはミドル級で世界を目指す村田諒太がいた。久保にとって、山中は憧れの存在。「話すのも緊張します。左ストレートにこだわるところがすごい。参考にしてます」と、表情を引き締める。

 そして、村田の話になると、申し訳なさそうな表情になる。村田と同じ東洋大に進学しながら、4年時にはボクシングをやめて、迷惑をかけた思いがあるからだ。「やめて、裏切ってしまってるので…」と、それまで滑らかだった口調が、ぎこちなくなるほどだ。

 励まされてきた長谷川、憧れの山中、そして最も学年が近く高校、大学と同じ道を進みながら、気まずい思いをさせてしまった村田。それぞれの先輩に恩返しをするためにも、巡ってきたチャンスは逃さない。【木村有三】

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野球からボクシングへ中村駿介が覚悟をみせる17年

14年8月、4回戦でハンサム水上(右)と対戦する中村駿介

 ボクシング界の「ナカムラシュンスケ」にも、一世一代の決断の時はあった。 サッカー界の「中村俊輔」は、横浜から磐田への移籍でシーズン開幕前の話題をさらうが、こちらは今年新人王を狙う新鋭になる。

 帝拳ジム所属、ウエルター級、6戦4勝(3KO)1敗1分け、1992年(平4)12月7日、24歳。出生届に書かれた名前は「中村駿介」だった。その頃、中村俊輔は当時まだ日産と呼ばれたジュニアユースに所属していた中学生だったから、当然名前の一致に何の縁もない。「よく言われますよ、サッカーやってないのって」と会話の定番になるくらいだと、こちらの駿介は笑う。

 熱心に取り組んできたのは野球だった。ボクシングの開始年齢は21歳だ。志望動機には「自分も輝きたいと思ったため」と書いた。「も」の対象は、あこがれの先輩にある。

 13年全日本大学野球選手権大会で、創部32年目での初の日本一に沸いた上武大。関甲新学生野球連盟所属で群馬県に本拠を置く強豪校にあって、その時の主軸を務めていたのが小川裕生外野手。俊足に好打好守を併せ持ち、いまは社会人野球の東芝でプロ入りにむけて精進する。控えの外野手だった1学年下の駿介はノックのボールをトスしながら、在学中にずっと思っていた。「この人みたいに俺も輝きたい」。最終学年でもレギュラーの座は野球ではつかめなかった。ただ、何か自分でも光を浴びる場所を探していた。

 「ボクシングはずっとやりたいなと思っていたんです」。周りの同級生が就職活動に励む中で、1人プロボクサーになる。「勇気がいりましたよ」。団体競技から個人競技へ。ジムの門をたたくまでに時間はかからなかった。

 14年8月にプロデビュー。先月23日に吉村鉄矢(KG大和)に2回TKO勝ちして4勝目を挙げたばかり。試合内容には課題ばかりで、「トレーナーさんに怒られました」と反省しきりだったが、リーチをいかしたボディー、TKOに追い込むきっかけを作ったカウンターなど、随所に練習の成長の兆しは見せた。

 今年、2度目の挑戦となる新人王大会に挑む。昨年は1回戦で敗退。その後にジムを帝拳ジムに移し、今年こその頂点にかける。ジムには中学まで同じく野球経験がある、WBC世界バンタム級王者山中慎介(34)など一流選手が集い、「最高の環境でやらせてもらっているので結果を出したい」と気持ちは高ぶる。

 中村俊輔にはこんな言葉がある。

 「『敗戦から得るものはない』と言う人もいるかもしれない。でも、僕は負けても得るものはあると考えている」。

 こちらの駿介にも、それは当てはまる。昨年の敗戦をどう生かすのか。野球からボクシングに“移籍”して3年目。「いまは野球ではなく、おれはボクサーだな、こっちの側の人間だなと思えるんです」。大きな人生の決断、その覚悟をみせる17年になる。【阿部健吾】

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真壁刀義「秋葉原のオタク」に学び新日本復活けん引

真壁刀義

 新日本プロレスの人気レスラー、真壁刀義(44)は、昭和の匂いをプンプンさせたプロレススタイルや、スイーツ真壁というキャラに加え、発信力という強力な武器で、新日本の人気に貢献している。新日本の人気回復の陰には、レスラーたちのSNSを使ったPR活動があると言われているが、真壁はそれをけん引する役割を果たしている。そのツイッターは、フォロワー数12万人を超す人気だ。

 真壁はツイッターを毎日発信している。内容は練習や食事などその日の活動や、大会のPRなど多岐にわたる。その中で特に多いのが、ファンの誕生日に対するやりとりだ。ファンが誕生日に真壁のツイッターに投稿すると、必ずおめでとうコメントを返している。丁寧な対応に、人柄がにじみ出ている。

 真壁がツイッターをやるようになったのは、新日本の木谷高明オーナーとの出会いがきっかけだった。12年に新日本を買収した木谷氏と、買収の数日前に対面したという真壁は、木谷氏からSNSの大切さを説かれたという。「木谷さんの話を聞いたら、オレたちがバカにしていた秋葉原のオタクが、実は世界の最先端をいっていたことが分かったんだ。木谷さんのような人がうちの社長をやればいいのにと思ったら、本当になっちゃった」。

 木谷氏が新日本の社長になってから、ツイッターを奨励し、フォロワーが多くなったレスラーには賞金を出したという。真壁も、毎日のようにツイッターでつぶやいた。それが、「スイーツ真壁」という新しいキャラクターにつながり、女性人気をつかむことにもなった。

 プロレスでは、徹底して棚橋弘至や中邑真輔といったスターの敵役を演じた。嫌われ役を認識していたが、気がついてみると棚橋や中邑と同じように声援を集める人気レスラーになっていた。武骨なプロレススタイルに加え、ツイッターでの発信力がファンの心を捉えた結果だと思う。

 今年はデビュー20周年。年齢は45歳になり、新日本プロレスの歴史と同じ年になる。1月22日のツイッターで真壁は「道場なう。レスラーの心構えを説かれる若手を見て思う。今は非力でムカつくだろうが、いずれ分かる時が必ず来る。ソノ日が来なければ人々が夢を託せない単なるレスラーになったというコトだ。今を踏ん張って頑張れぃッ」と、若手レスラーにエールを送っている。「雑草」真壁らしい言葉だ。【プロレス担当=桝田朗】

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山中、井上、村田 2017ビッグマッチに期待大

左から山中慎介、井上尚弥、村田諒太

 日本ボクシング界の17年がようやく動きだした。今年は3ビッグマッチに期待したい。

 まずは記録だ。今や現役世界王者の第一人者のWBC世界バンタム級山中が、先陣を切って初戦となる。22連勝中のカールソン(メキシコ)は、15位までのランカーにオファーして唯一手を上げた9位のメキシカンという。

 対戦相手不足に悩むのは強さ故だが、今回はV12がかかる。安定王者と見られた内山ですら達成できなかった。油断禁物と言いつつ、気も早いが、勝てば具志堅の日本最多連続防衛の大記録に、37年を経過して挑戦となる。

 11年に世界王者となり、13年の3試合を除いて年2試合ペースでこなす。新記録前にまずは今年具志堅に並べるか。切れ味、破壊力ある左ストレートで13個目の白星を連ねるシーンを見たい。

 2つ目は怪物対決だ。スーパーフライ級でWBO世界王者井上と、ロマゴンことWBC王者ゴンサレス(ニカラグア)との2団体統一戦。両陣営は以前から意欲的で年内対決が確実視される。

 ロマゴンは3月初防衛戦、次は昨年4階級制覇時のクアドラス(メキシコ)との再戦が見込まれる。井上は同級での試合は今年限りの方向で、2試合のようだ。12月と思われる決戦が待ち遠しい。

 昨年末の元世界王者河野との日本人対決は、力の違いを見せる6回TKOも抑えめに見えた。以前痛めた腰を警戒しながらの試合だったか。ロマゴン戦ではエンジン全開で、日本の怪物ここにありと世界に知らしめてもらいたい。

 3つ目は初挑戦だ。五輪金メダリストとして、プロでも世界一を目指す村田。WBOミドル級王者サンダース(英国)へ挑戦が間近とみられる。実は昨年12月に有明コロシアムで実現寸前だった。億単位の高額ファイトマネーも提示して合意目前も、本人だけが「うん」と言わなかったという。

 日本では重量級も世界では層の厚い人気のミドル級だけに交渉は難しい。村田が年末の前哨戦で12連勝を飾ると、陣営も英国開催も受け入れる考えを示した。マッチメークというこの世界ならではの難しさを示すが、それだけに実現すれば価値がある。

 金メダルと世界チャンピオンベルト。海外には多数いるが、日本人では初の2つの世界制覇。そのチャンスを実現だけでもすごいこと。ましてやベルトをつかめば。今年最大の見どころになる。【河合香】

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小国以載は明るく楽しい異色の王者、今後も楽しみ

一夜明け会見で世界王座奪取を報じた日刊スポーツを手にする小国以載(撮影・木村有三)

 異色の世界王者が誕生した。年末に行われた日本人選手のボクシング世界戦7試合で、IBF世界スーパーバンタム級王座に挑んだ小国以載(28=角海老宝石)は、最も前評判が低かったが、見事に22勝22KOだった強豪王者ジョナタン・グスマン(27=ドミニカ共和国)に3-0の判定勝ち。夢の世界王座を獲得した。

 試合前から出身地の兵庫・赤穂市にちなんで赤穂浪士のコスプレで会見を行うなど話題を振りまいていたが、王座奪取から一夜明けた元日朝も、報道陣を爆笑させた。目の腫れを隠すならサングラスを掛けるのがボクシングの通例だが、小国は塩沢とき風の大きな金縁メガネを掛けて、会見場に現れたのだ。強豪王者にパンチをもらって顔が腫れることを想定し、試合前にネットショップで900円で購入したという一品で、私を含め関西の記者の心はグッとつかまれた。

 さらに、会いたい人について問われると「深田恭子」と即答。「昔からかわいいなあと思っていた」と明かし「(映画の)ヤッターマンで見て、そのボディーに感動した」と、28歳の青年らしい動機を正直に明かした。

 そんな小国の姿を会見場の後方で見守っていたのが、母佐栄子さん(63)だ。赤穂市内で保育園の園長を長年務めていた佐栄子さんは、子供や保護者が集うイベントで自ら率先して物まねなどをして、場を盛り上げていたという。「研ナオコや、長州小力のものまねをしていたんです。鼻の穴を上に向けるために、テープも貼ってましたよ」と笑って打ち明けてくれた。

 そんな明るい佐栄子さんの性格を受け継いだ小国だからこそ、初の世界戦で相手が強豪王者でもプラスイメージで挑めたのだろう。今年もリング上だけではなく、リング外でもボクシングファンを楽しませてくれそうだ。【木村有三】

グスマン戦を前に、赤穂浪士の討ち入り衣装で気勢を上げた小国以載(撮影・河合香)

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比嘉大吾が巻き起こす沖縄の熱い風

昨年11月の東洋太平洋フライ級タイトルマッチでパンチを見舞う比嘉大吾

 沖縄の2文字が目に留まるな。そう思っていた年末年始だった。

 政治の話はもちろんだが、本稿に至ってはボクシングの話。亜熱帯気候育ちのボクサーたちが、17年のリングを騒がしそうな予感がしている。

 最大注目は東洋太平洋フライ級王者、比嘉大吾(21=具志堅・白井)の世界取り。具志堅用高会長の特集映像を見たことがきっかけで宮古島市の宮古工業高で競技を開始した新鋭は、ここまで11戦11勝(11KO)のパーフェクトレコードを積み上げる。同会長からの直々のスカウトにより上京して5年あまり。「会長と同じ21歳で世界王者に」を命題に掲げ、そのリミットは今年の誕生日前日の8月8日まで。2月4日には「世界前哨戦」を目する試合を組んだ。準備は着々と。

 沖縄県生まれの世界王者(暫定はのぞく)が生まれなくなって久しい。最後にベルトを持ち帰ったのは92年4月にWBAジュニアウエルター級王者となった平仲明信。72年に本土返還されて以降、76年に具志堅用高が初めて世界一の冠を頂いた。那覇での凱旋(がいせん)パレードは何十万人という人であふれたという。それからは上原康恒、渡嘉敷勝男、友利正、新垣諭(当時IBFはJBC非公認)、浜田剛が誕生。81年には高校総体で12階級中6階級で沖縄県勢が占めるという勢いも。その中の1人が平仲だった。

 その後に訪れた四半世紀に及んだ沈黙に終わりを告げ、再び主役に躍り出る可能性を秘めるのが、「具志堅の秘蔵っ子」「具志堅2世」である比嘉だ。物語の葉脈は十分に太い。

 もっとも、比嘉だけが17年の希望ではない。昨年暮れの全日本新人王決定戦では、全12階級中3階級を制覇。スーパーライト級吉開右京(19=島袋)は、沖縄県出身者として03年の前堂真人以来となる最優秀選手賞に輝いた。中学から高1までは野球に打ち込み、「団体競技より個人競技の方があっている」とボクシングを志し、美里高2年時にボクシングの同好会を立ち上げてからまだ3年弱。その試合ぶりを見た関係者から「(93年新人王で元世界王者の)畑山隆則の当時を見ているかのような衝撃だった」と称賛される大器で、17年の勝ち上がり方も逃せない楽しみだ。

 昨年末に新人王が行われた後楽園ホールには比嘉も姿を見せ、吉開、ライト級王者の小田翔夢(18=琉球)らと集合写真を撮る一幕もあった。のちに、この3ショットが世界的にも貴重な「あの頃」の1枚になるかも。そんな想像もふくらませつつ、17年のボクシング界に沖縄からの熱い風を感じたい。【阿部健吾】

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米国進出へ新日本の底力を見た1・4東京ドーム大会

オメガを下し、ベルトを手に引き揚げるオカダ

 4日に行われた新日本プロレスの東京ドーム大会は、会場の雰囲気、派手な演出、試合内容ともに世界最大の米プロレス団体WWEに勝るとも劣らないものだった。特に、セミファイナルのIWGPインターコンチネンタル選手権試合、内藤哲也(34)と棚橋弘至(40)の試合前の演出は鳥肌が立った。

 入場前に、両レスラーの因縁、試合にかけるコメントが流され、会場を盛り上げる。棚橋は今回から採用した新しい入場曲にこの試合に対する決意を込めた。エース復権へファンの手も借りたいとばかりに、盛んに両手を挙げて会場をあおる。しかし、昨年、一大ムーブメントを巻き起こした内藤の入場曲がかかると、会場に爆発が起きたように歓声が挙がった。

 試合も素晴らしかったが、メインのオカダ・カズチカ-ケニー・オメガの死闘は、壮絶さという部分で内藤-棚橋戦を上回った。たぐいまれな身体能力を誇る両者の、果てしない肉弾戦。46分45秒の戦いは、見る者を引き込んだ。勝利したオカダ、負けたオメガ。2人のレスラーが紡ぎ出したプロレスは、新日本の底力を、世界に示したといえる。

 この大会の前日、木谷高明オーナーにインタビューした。木谷氏は、昨年1月にWWEに主力選手を引き抜かれたことに怒っていた。そして、今年7月にロサンゼルスで興行を行うことを話してくれた。「やられっぱなしじゃ悔しいじゃないですか。米国に本格的に進出します」。その翌日の東京ドーム大会は、まさに木谷オーナーの米国進出の決意を表現しているようだった。

 売り上げでは20倍以上の巨人「WWE」に、新日本が戦いを挑む。しかし、経営規模は違っても、東京ドームで見せた11試合は、どれをとってもWWEにひけを取らない内容だった。「新日本を背負って戦っている」というオカダは、まさに米国進出に打って出る新日本の顔であることを証明した。

 オカダに加え、オメガ、内藤、棚橋。昨年の1・4東京ドームを彩ったオカダ、棚橋、中邑真輔、AJスタイルズからメンバーは2人入れ替わったが、遜色ないどころか、よりすごみを増した新四天王が生まれた。「オメガと内藤は、地位が人をつくるという感じですね」と木谷オーナーもうれしそうに話した。実力のあるレスラーが次々にブレークしていく勢いが、今の新日本にはある。今年、どんな選手が内藤やオメガのようにブレークするか、楽しみは尽きない。【プロレス担当=桝田朗】

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たたえる声ばかり長谷川穂積3階級王者の潔い引き際

引退会見を行いすっきりとした笑顔を見せる長谷川穂積(写真は2016年12月9日)

 一時代を築いたと言えるボクサーが、ついにグローブをつるした。長谷川穂積。具志堅に次ぐ当時国内史上2位の10度防衛後、さらに2度の王座奪取で3階級制覇を達成した。引退会見で3本のベルトを並べて撮影に応じる姿はなかなか格好よかった。

 現役最後の一戦をリングサイドで見ることができた。ダウンなしでも観客は異常と言えるほど盛り上がった。最後の打ち合いはすごかった。いいものを見せてもらった。メインで山中も見応えたっぷりのダウン応酬で防衛。ボクシングの魅力が詰まったファイト、それを2試合も堪能なんてめったにない。

 関西の選手のため、直接話した機会は数少ない。海外キャンプなどへ成田から出発したり、帝拳ジムで練習したり、都内での表彰時などぐらい。それでも気さくで、飾らず、親しみやすいチャンピオンというのは十分に分かった。

 11年に2度目の王座陥落後は苦しい道のりだっただろう。14年に王座奪取に失敗。もう引退した方がと思ったが、あの試合を見せられると…。相手が音を上げて王座を奪ったのだから、大したものだ。

 王者のまま引退なんて、そうできるものでない。国内では新井田が世界王者となった2カ月後に腰痛と達成感を理由に突然引退した。1年あまりたって結局復帰して王座に返り咲き、陥落して引退した。徳山は9度目の防衛後に王座を返上し、現役続行表明も思うような試合が実現せずに引退した例はある。

 ボクサーの引き際は難しい。健康面からジムが引退勧告もするが、移籍して続けるボクサーもいる。王者に限らず4回戦ボーイでもなかなか辞められないよう。海外では金目当ても多いが、日本では「リングでまたスポットライトを浴びたくなる」とよく聞く。辰吉もいまだ現役と言って練習しているように。

 今年亡くなったアリは終盤の試合が病気の引き金になったとも言われる。長谷川は「証明するものがなくなった」と引退理由を説明した。裏には家族らの勧めもあったとは思われる。引退を惜しむ声より、たたえる声ばかり。潔いいい引き際だった。【河合香】

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長谷川穂積さん初対面の印象はトレーナーの特大馬券

引退会見を終え、チャンピオンベルトと記念撮影に納まる長谷川穂積

 人々の記憶にも記録にも残る、まれなボクサーが、王者のまま現役引退した。長谷川穂積さんが9日、神戸市内で会見し、リングから去ることを表明した。

 初めて長谷川さんを取材したのは、真正ジムに移る前の千里馬神戸ジム時代だから、10年ほど前になる。その日は、土曜日だった。ボクシング担当記者が取材に行けず、ゴルフ担当だった私に依頼がきたのだが、記者歴18年の中でも強烈な印象があり、今も鮮明に覚えている。現在の真正ジム会長で、当時長谷川さんの専属だった山下正人トレーナーが、競馬で会心の“ホームラン”を放ち、帯封の万札が入った封筒を手に、さっそうとジムにやってきたのだ。もちろん、直後のミット打ちで、山下トレーナーのミットめがけて高速連打を繰り出していた長谷川さんの姿も目に焼きついているが、初対面のインパクトは山下トレーナーの馬券の方が大きかった。

 その後、WBC世界バンタム級王座を10度防衛し、WBC世界フェザー級王座も獲得したが、11年4月に同王座から陥落。私がボクシング担当になった12年秋ごろは、ちょうどノンタイトル戦が続いていた長谷川さんにとっては苦しい時期だった。14年4月に3年ぶりとなるIBF世界スーパーバンタム級戦が決まるが、その試合前に「勝っても負けても引退」の可能性が浮上し、普段は多い長谷川さんの口数も少なくなった。試合は無残なTKO負けで、誰もが引退を疑わなかった。本人も、直後はやりきった表情だった。

 しかし、決断できずに日は過ぎていく。14年秋ごろには、スパーリングも開始。練習で日本ランカーを圧倒するうちに、なえかけていた闘争本能はよみがえっていく。さらに、プロゴルファーの松山英樹らも通っていたハードトレーニングのジム関係者との出会いもあり、完全に気力が復活。「もっと強くなれる」「自分の強さを知りたい」と自らを鼓舞し、試合直前の左親指脱臼骨折というアクシデントにも負けず、ついに今年9月、3階級目のベルト、WBC世界スーパーバンタム級王座をつかんだ。

 2年ほど前、長谷川さんが経営に携わる神戸市内のタイ料理店で、ボクシング担当記者との囲む会が行われた。大きなジョッキを手に、自ら“配合”した酒を笑顔で各記者に注ぐ長谷川さんの姿を見て、リング上の鬼気迫る姿とのギャップに驚いたことがあった。気配りもできて、話も面白いだけに、多くの人に愛される。リングから去った今後の人生で、どんなチャンピオンになるのか。本当に楽しみだ。【木村有三】

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ローマン・ゴンサレスのあいさつにも感じる「道」

9月、4階級制覇を果たしたゴンサレス(右)の控室を訪れた井上

 ボクシングにも「道」がある。

 10月末まで4年間担当した柔道は、その競技名にすでに「道」があった。剣道などの武道も同じで、競技の勝敗以上にその競技性が求める理念があるということ。それは華道などの非武道にも通底する。柔道で言うならば、始祖嘉納治五郎が掲げた「自他共栄」「精力善用」の精神になる。

 「自他共栄」は自分も他人も幸せにすることで、人間は意味がある。そして「精力善用」は自分の力を社会を良くする方向に用いること。そのためには何をしたら効果があるのかを考えて実践する思考力、行動力を養うために、柔道に励むことが根幹にある。

 そのためにまず何をするべきか、何が欠かせないか。柔道男子監督の井上康生氏は一時期、代表選手たちにこう問い掛けることを徹底していた。「『すっ』って何だ?」。付き合いが長くなれば、自然と互いのあいさつも簡略化される。「おはようございます」「こんにちは」「こんばんは」「お疲れさまです」などの日常会話が省略されたのが「すっ」。監督と選手という立場の距離感の問題と言うよりは、人と人とのコミュニケーションとして問題視した。なにより、「自他共栄」を目指す柔道選手に至って、あいさつをしっかりできないのでは、話にならない。手本となる代表選手たちだからこそ、あえて井上監督は根本を問い続けた。

 

 そんな記憶を思い起こしたのは、11月からボクシング担当としてジム通いを始めて、どこでもしっかりとしたあいさつに出合うからだ。4回戦から世界王者まで、ジムの端の方から練習を眺める記者にわざわざ近づき、「お疲れさまです」と頭を下げてくれる。観察していると、入退時にはトレーナー、マネジャー、先輩、後輩に歩を向けて、何度もそんな声が響く。それはすがすがしい光景だ。そして、そこには「道」があると感じた。あるトレーナーは「相手を殴る競技だからこそ、相手を敬うという基本的なことは徹底させている」と教えてくれた。

 なかでも最も印象的な出来事は、4階級王者ローマン・ゴンサレス(29=ニカラグア)の言動だった。11月下旬に帝拳プロモーションとの話し合いと休暇を兼ねて来日。帝拳ジムで汗を流すのが日課だったが、ある日のこと、入り口のエレベーターを降りてジムにはいるときに一礼すると、みなに握手をしていく。その立ち居振る舞いを見ていた記者にも、こちらの目をしっかり見て握手してくれた。「コンニチハ」という日本語とともに。

 「パウンド・フォー・パウンド」(全階級を通じて最強)と称される「ロマゴン」は、ジム以外でも徹底して控えめで礼儀正しかった。12月3日には後楽園ホールで試合を観戦したが、その存在に気付いた多くのファンにも笑顔で対応。写真撮影に応じて、むしろロマゴンの方が頭を下げていた。

 

 「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ではないが、世界一の男が見せたあいさつ1つにも「道」を感じるボクシングがあった。【阿部健吾】

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名伯楽グレート小鹿、失敗しても笑って直す雰囲気を

グレート小鹿

 全日本プロレスの両国国技館大会で、グレート小鹿(74)に会った。同大会に、自分が創設した大日本プロレスの選手たちが出場し、それを視察に来たのだという。所属の世界タッグ王者の関本大介、岡林裕二組は5度目の防衛に失敗した。しかし、2人は、今や全日本でも人気選手で興行には欠かせない存在だ。

 全日本やノア、W-1、リアルジャパンに加え、その他のインディー団体でも関本を始め、大日本の選手は引っ張りだこだ。その人気と実力で、各団体の興行を支えているといっても過言ではない。大日本からは、WWEでも一世を風靡(ふうび)したTAJIRIや、昨年、新日本でブレークした本間朋晃ら、次々と有望な選手が育っている。グレート小鹿は、現在でもリングに上がるが、若手を育てる名伯楽でもある。

 「昔は、ゲンコツで怒鳴って、練習をやらせていたけど、今は違うよ。オレたちの時代は、スクワット1日1000回とかやらされていたけど、今なんか3回からだよ。厳しくしたって、辞めちゃうもん。若い子は褒めて、たとえ辞めても、プロレスを嫌いにならないように、お客さんと思って大事に育てているんだよ」と小鹿は笑った。

 指導法を改めるきっかけになったのは、99年に関本が入ってからだという。野球の名門、高知・明徳義塾高の野球部在籍当時からプロレスラーを目指した関本は、大日本に入門してからも、率先して練習をやった。新人につられて、先輩たちも小鹿に言われなくても練習するようになった。今では、スカウトしなくてもプロレスが好きな若者が入ってくるようになった。

 「練習は、関本に任せている。彼は黙っていてもやるから、それにつられてみんな一生懸命に練習していますよ」と小鹿。新しい選手が入ると「おい、関本、練習見てやってくれ」で、1年もすると、見どころのある若手が育ってくる。

 小鹿は若い選手にプロレスだけでなく、リングの設営や会場の掃除など、すべてを経験させる。大日本では、地方を回る際に、自前のリングを持ち込み、設営から片付けまで、すべて選手とスタッフでまかなう。長年やっているデスマッチ路線と、生きのいい若手の台頭で後楽園でも、ほぼ満員の集客力を誇る。

 「今、ボクが考えているのは、失敗しても笑って直してやる練習場の雰囲気をつくりたいということ。練習場に笑いがあってもいいからね」。長年ファミリー経営でやってきた小鹿らしい言葉だ。先月28日に元全日本、ノアに所属した永源遥さんが70歳で急死した。元全日本の仲間たちが次々と旅立っていくなか、小鹿はまだまだ元気だ。【桝田朗】

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日刊スポーツ新聞社バトル取材班

日刊スポーツのバトル担当記者のとっておきコラム。プロレス、ボクシング、総合格闘技の現場からお届けします。