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総合格闘技界に新星 那須川天心、衝撃的強さのワケ

那須川天心

 総合格闘技界に、すごい選手が現れた。かつての山本“KID”徳郁や、魔裟斗を超えるかもしれない。RIZIN横浜アリーナ大会で、わずか67秒の衝撃KO勝利を演じた那須川天心(18)だ。昨年12月29日に、キックボクシング界から総合格闘技に参戦。デビュー戦をKOで飾ると、主催者に直訴して2日後の31日に出場。今度は1本勝ちを収め、前代未聞のデビュー戦2連勝を飾っていた。

 那須川は、対戦相手のフランチェスコ・ギリオッティーと対戦した。「開始20秒ぐらいで、相手の動きは見切っちゃいました。打った打撃は全部当たって、相手をコントロールできた」と、冷静に言ってのけた。5月20日に後楽園ホールで、キックボクシングのISAK世界バンタム級王座の初防衛戦が決まっていた。「次の試合があるので、早く倒そうと思っていた」というが、不慣れな総合の試合で思った通りのKOができるところが、並の選手とは違うところだ。

 キックボクシング界では、早くから「神童」「天才」の名前をほしいままにしてきた。格闘技アニメで見たワザを試合で初めて使ってKOしたり、観戦にきた先輩の得意技をとっさに試合で出したりと、その逸話にはこと欠かない。ハデなKO勝ちがトレードマークになっているが、那須川の強さの秘密は卓越したディフェンス力にある。

 「打ち合っているように見せといて、自分だけ当てるのが一番いいんです」というのが、那須川の真骨頂だ。空手からキックに転向した小学時代。常に那須川の相手は、自分より学年の上の選手だった。「自分の倍ぐらいの選手と対戦して、真っ向勝負しても勝てない。一発もらったらダメージが大きいし、それが命取りになることもある。だから、父とずっとディフェンスの練習をしてきました」と話す。

 高校1年の時に通ったボクシングの帝拳ジムでは、名伯楽の葛西裕一トレーナーに指導を受けた。「1カ月間、ずっと左ジャブとガードの練習だけだった。そこで、相手のパンチを避ける技術を学んだ」と話す。同ジムからは、素質を見込まれボクシングの世界王者になれると勧誘されたという。

 キック、総合、ボクシングと無限の可能性を秘めた那須川だが、当面はキックに軸足を置くという。「20歳までに、キック界を統一することが目標。その後は、ボクシングからも声がかかっているし、いろいろ選べる状況」と、しっかり将来を見据えている。20歳でどんな選択をするのか。これからのキック、総合の戦いとともに目が離せない。【バトル担当=桝田朗】

WWEで夢をつかめ!世界中からスター候補を募集


 WWEの「虎の穴」に門戸開放の動きがあった。

 今夏に5周年を迎えるプロレスラー育成施設WWEパフォーマンスセンターがトライアウト参加用の専用サイトをこのほど開設。世界から希望者を募る新たな試みをスタートさせた。

 WWEのリクルート用ウェブサイトURL=https://www.wweperformancecenter.com/#!/

WWEパフォーマンスセンターには計7つのリングが設置されている(C)2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.

 同パフォーマンスセンターは東京ドーム面積の半個分近くとなる2万6000平方メートルもの大きさで、7個のリングが設置されている大型施設だ。5年前の開設以来、WWE傘下となるNXTのウィリアム・リーガルGMのもと、元新日本プロレスで活躍したマット・ブルーム(ジャイアント・バーナード)がヘッドコーチを務めている。リーガルGMは現在、全日本プロレスを中心に活躍する元WWEのTAJIRIとの関係が深い。また中邑真輔やアスカ(華名)がWWE入団時にはトレーニングを積みながらNXTに参加。現在でもカイリ・セイン(宝城カイリ)ら70選手以上がトレーニングするなど、日本と縁がある施設とも言えるだろう。

中邑真輔もWWE加入初期はパフォーマンスセンターでトレーニングを積んだ(C)2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.

 この5年間で、ロウで活躍する巨獣ブラウン・ストローマンをはじめ、前ロウ女子王者アレクサ・ブリス、前スマックダウン女子王者シャーロット・フレアーらがトップレスラーが育ってきた。公式サイトには「スーパースターの旅はここから始まる。WWEスーパースターになる夢がある」とつづられている。WWEレスラーになることはプロとしての知名度や人気だけでなく、高額な収入も得られる。

 このほど米経済誌フォーブスが17年度の長者番付が発表した。WWE所属選手の年収ランキングでは、過去16度の王座戴冠を誇るジョン・シナが1位。年収は1000万ドル(約11億円)だった。2位には現ユニバーサル王者ブロック・レスナーで650万ドル(約7億1500万円)、3位はローマン・レインズで430万ドル(約4億7300万円)と続いた。中邑との抗争が続くWWEヘビー級王者AJスタイルズは350万ドル(約3億8500万円)で4位にランクイン。10位のケビン・オーエンズであっても、200万ドル(約2億2000万円)を稼いでいる。フォーブスによるとWWE所属選手の平均年収は50万ドル(約5500万円)。来年あたりは中邑も10位以内にランキングされるかもしれない。

フォーブス発表の18年WWE収入ランキング1位のジョン・シナ(C)2018 WWE, Inc. All Rights Reserved.

 今回のWWEパフォーマンスセンターのトライアウトにはプロレス経験者だけでなく、他競技のアスリートの参加も広く募っている。世界から集結している強者との競争は決して簡単ではないだろうが、WWE版「虎の穴」にはアメリカンドリームが詰まっていることは間違いない。日本人アスリートたちがWWEパフォーマンスセンターから夢をつかむ。そんなビッグなストーリーを実現する日本人プロレスラーが今後登場することを、取材する記者の1人として楽しみにしている。【藤中栄二】

ジュニア最強の高橋ヒロム、予知できない言動が魅力


 「ヒロムワールド」が面白い。4日の新日本プロレス、ジュニアヘビー級の最強決定戦「ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア」優勝決定戦を制した高橋ヒロム(28)の予知できない言動が加速し、そして魅力的に映る。

ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝決定戦で石森(左)に勢いを付けてからドロップキックを浴びせる髙橋(撮影・小沢裕)

 突然の話題転換、突拍子もない言動はお手の物なのだが、石森太二との死闘を制した初優勝直後のバックステージでも全くいつもの高橋だった。

 「おーい! 聞こえるか! 2019年の高橋ヒロム。お前も知っていると思うけど、2018年のスーパージュニアはめちゃくちゃ、史上最高に盛り上がったぞ。なあ、2019年の高橋ヒロム! 必ず、越えてみろ!」

 まずは未来の自分へ語りかけてみた。

 「後楽園ホールさん、いつも、いつも、ありがとうね。いつもありがとうね~。分かってる、分かってるよ、ありがとうね」

 次はいきなり会場の柱を触って語りかけた。ベルトにも語りかけるレスラーなので、なにやら生物外の声も聞こえるらしい。

 「最後に1つだけ。知ってるぞ。この会場で、あなたが、あなたが見ていたこと、知っているぞ、イニシャル“K”」

 そして、去り際に残していったのは謎かけ。K…。報道陣はどこかあっけにとられたまま、これが高橋ヒロムだよなとうなずくように見送っていた。

ベスト・オブ・ザ・スーパージュニア優勝決定戦を制しトロフィーを手に笑顔を見せる髙橋(撮影・小沢裕)

 いままでもそうだった。その予想不可能さにはまる人が続出していると感じる。試合では舌を出し、不気味に笑い、緩慢なようで、時に怒り前面のフルファイト。マイクでも同じ単語の永遠の連呼など異彩を放つが、それは試合外でも同じ。

 今大会の開幕前日の会見では出場16人がそろった都内の明治記念館で、突然「おい! がんばれヒロム!」と叫び始め、必殺技D(変形三角絞め)が開発したいきさつを一人芝居で、脈絡なく説明して他選手とは異なる空気感を発揮。3月のIWGPタッグ王者調印式では自作ポエムを書いたノートを読み上げ、ヒロム色を全開にさせた。今大会も昨年に続き自作の「攻略本」を試合ごとに持参。スケッチブックに手書きの似顔絵や文字は、誰にもまねできない技以外の武器だった。「ジュニアが最高」と公言するが、独自のパフォーマンスは、その愛するジュニア戦線への注目度を集める一助となっている。

 そんな変幻自在の自己プロデュース能力の高さは、予想外の出来事も呼び込むらしい。スーパージュニアを制したリングには「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」のメンバーが参集したが、内藤が優勝トロフィーを壊してしまう事態が発生。羽の部分が折れていることに気付いた高橋はがくぜんとして、トロフィーに土下座することになった。「内藤、帰ったのか、あの野郎! 聞いてよ、あの内藤哲也という男は、俺のトロフィーを奪い、そして壊れたことに気付き、俺の耳元で『ごめん、ちょっと壊れた』と俺に渡した。俺はパニックになった。どしたらいいんだと。だったらちょっと笑いに走るしかねえだろ」とバックステージの第一声では猛クレームした。

ベスト・オブ・ザ・スーパージュニアを制した髙橋だったが贈呈されたばかりのトロフィーが壊れ、ぼうぜんとする(撮影・小沢裕)

 冒頭に列挙したコメントはそんな不運に見舞われた後に発した言葉になる。しっかりとアクシデントに言及しながら、自身の世界観はしっかりと表現する。そんな動じない精神性も感じられた出来事だった。

 次は6月9日、大阪大会でIWGPジュニアヘビー級王者ウィル・オスプレイに挑戦表明した。ジュニアを誰よりも愛すると公言する男が、どんな言動をみせてくれるのか注目だ。【阿部健吾】

知名度アップへ「拳四朗&会長」セット売りいかが?


 気がつけば、安定王者である。WBC世界ライトフライ級王者拳四朗(26=BMB)。25日、東京・大田区総合体育館で3度目の防衛戦を行い、昨年5月にベルトを奪った前王者ガニガン・ロペスに2回1分58秒、KO勝ち。右ボディーストレートでもん絶させた。

WBC世界ライトフライ級タイトルマッチ 2回、ボディでダウンを奪う拳四朗(右)(2018年5月25日撮影)

 お見事。圧巻。瞬殺。拳四朗と、父の寺地永会長(54)が「想定外!」と口をそろえる鮮やかさ。当然2人とも「今度は目立ったやろ」と思ったはずが、メインで“モンスター”井上尚弥がバンタム転向初戦にして、さらに早い1回1分52秒KO勝ちで3階級制覇を達成…。井上の勝利はもちろん喜ばしいけど、また目立ち損ねてしまったと言えなくもない。

 拳四朗は昨年5月から計4度、世界戦を行ったものの、1度も自分だけの“シングル世界戦”がない。最初の2試合はWBA世界ミドル級王者村田諒太、最近2試合は井上と同日、同会場で行った。帝拳ジムがプロモーションする興行に“入れてもらって”のダブル、トリプル世界戦。つまり、村田、井上のスケジュールに合わせて、試合が決まる立場にいる。

左からWBC世界ライトフライ級王者拳四朗、井上尚弥、WBA世界バンタム級王者ジェイミー・マクドネル、ガニガン・ロペス(2018年5月23日撮影)

 寺地会長は「ウチは帝拳さんにお世話になってますから。それで全然問題ないし、ええと思ってますよ」という。拳四朗は拳四朗で、誰とやりたいとか、最強を目指したいとか、プロボクサーが持っていて当然の“ギラギラ感”が皆無のタイプで「う~ん、相手は誰でもいいですからね。僕は決まった相手に勝つだけと思ってます」という。

 しかし、計4度の世界戦を取材したこちらにすれば、もうちょいグイグイいってもええんちゃうの、と思う。今回の防衛戦でロペス陣営が持っていたオプション(対戦相手等を選ぶ権利)は消化され、指名試合(WBC同級1位選手の挑戦を、1年以内に受ける義務試合)を除けば、次戦から相手を好きに選べる立場になった。さらに、村田、井上の両王者が次戦は米国で行う予定。いろんな意味で“縛り”はない。じゃあ、次は初の地元関西での防衛戦開催チャンスでは…と思ったりしたのだが…。「いや~、まだ無理でしょ。関西で、1人で世界戦やっても、お客さんは集められませんよ」と寺地会長に、あっさり可能性を否定されてしまった。

 ダブル、トリプル世界戦が別に悪いと思いません。ただ、そればっかりやなくて、もうちょい有名に、ビッグになってほしいだけな訳です。

 「有名になりたい」が口癖の拳四朗はバラエティー番組からオファーが来たら、喜んで出演してるし、寺地会長も「ぜひぜひ」と後押ししてる。防衛を重ねることで、自然と知名度、存在感は高まってくるものですが、それだけではつまらんし、時間もかかる。そこで、考えた。「拳四朗&会長のパック売り」はどうでしょう?

WBC世界ライトフライ級タイトルマッチで防衛に成功した拳四朗(右から2人目)と父の寺地永会長(左から2人目)(2018年5月25日撮影)

 親子そろって天然キャラで、人に好かれることはあっても、嫌われることはまずないタイプ。父は元日本ミドル級&東洋太平洋ライトヘビー級王者で、身長189センチ。対して拳四朗は164センチ。その差25センチのデコボコ具合には、漫才コンビ「オール阪神・巨人」を思わせる、見た目のおもしろさがある。いらうのが上手なMCの番組なら、人気出ると思うんですけど。拳四朗の世界戦がメインになる日が来るために。テレビ局のみなさん、どないですか?【加藤裕一】

全日四天王・川田利明、現役時に寡黙キャラ貫いた訳

丸藤とトークバトルを行った川田利明(2018年4月26日撮影)


 大相撲では、現役時代に取り組み後のインタビューでひと言もしゃべらず記者泣かせの横綱、大関がいた。

 しかし、引退すると、急に笑顔で話し掛けられ驚いたことがあった。そんな話を思い出したのは、川田利明(54)のトークショーを見たからだ。

 全日本プロレス時代は、四天王と呼ばれ、故三沢光晴さん、小橋建太氏、田上明氏とともに黄金時代を築いた伝説のレスラーだ。まだ、引退はしていないが、10年を最後にプロレスはしていない。そんな川田が、再びプロレス界に戻ってきた。自身がプロデュースする大会を4月26日に、新木場1st Ringで開催したのだ。

 もちろん、プロレスはやらなかった。その代わりに、全日本の後輩、丸藤正道(38=ノア)とリングでトークショーを行った。現役時代は常に何かに怒っているような表情で、近づきがたかった。コメントもぶっきらぼうだった。しかし、三沢さんとの激闘は、プロレス史に残る名勝負だった。リング上に登場した川田は、プロレスをやる前のように屈伸運動をした。そして「控室で30分1本勝負でしゃべるなら、試合やった方が、楽じゃない? って言われたけど、オレがイヤだと断った」と笑いを誘った。

 トークショーで川田が話したのは、しゃべらないキャラクターづくりによって、川田自身がプロレスラーとして確立されたということだった。タイガーマスク(三沢)が登場して人気を博していた時代、川田は師匠の故ジャイアント馬場さんから「タイガーマスクよりすごい技をやるな」と言われたという。「何もやらなくなったときに、自分がプロレスラーとして確立できた」と話す。しゃべらないことも、その一環だった。

 「マスコミに対して話さないのは、マスコミが川田がどう(考え、行動する)だろうと考えてくれるから」と当時のダンマリを解説した。それにしても、試合後の川田は怖かった。「近づくな」オーラを出して、記者もびびっていた。そんな川田の考えが、30分1本勝負のトークショーから伝わってきた。

 全日本時代、三沢さんの付け人だった丸藤も、川田から口を聞いてもらえない1人だった。その丸藤が、川田の得意技、ステップキックの伝承を川田にお願いした。「最近、丸藤が気を使ってオレに似たようなことやってくれるんだけど、もうちょっと勉強してからにして」。川田の顔は本当にうれしそうだった。【プロレス担当 桝田朗】

「なんか起きる」予想は当たった亀田興毅の試合

10カウントの途中でゴングを止める亀田興毅


 何かやるかもしれない。そんな思いで後楽園ホールに向かった。

 東京ドームでは安室奈美恵のコンサートがあったが、開演時間が近く人通りは少なかった。ところが後楽園ホールのあるビルにたどり着くと、5階の会場から1階入り口の外まで長蛇の列。やっぱりなんか起きるなと会場入りした。

 亀田興毅の一夜限りの現役復帰での引退試合で、亀田一家が久々表舞台に登場した。数々の騒動や物議を醸したが、一時は日本中が注目したボクサーだったのは間違いない。最近は1000人を切る興行も珍しくなく、リングサイド席は1万円以下が多い。倍の2万円だったが、1803人の観客が詰めかけた。

 客席にネット中継のひな壇が設けられた。MC陣内智則、アシスタント神田愛花、ゲストは板野友美、市原隼人、K-1の武尊ら、解説は元世界王者の竹原慎二、内山高志の両氏に、客席に浜崎あゆみ、佐々木主浩氏、御嶽海、照ノ富士ら。あのASKAもいた。亀田家の血が騒がないわけはなかった。

 ポンサクレックには8年前に判定で初黒星を喫して王座陥落し、父史郎氏が暴言などで大騒動の因縁があった。引退試合とぶち上げてしぶとく粘ったが、結局は単なるスパーリングになった。国内規定でポンサクレックのライセンスが認められず。8オンスのグローブで10回戦の希望が、10オンスでの6回戦でヘッドギアなしのスパーになり、ジャッジはいなかった。

 それでも入場ではライセンスを剥奪された史郎氏を先頭にした亀田トレインも復活させた。3兄弟にメキシコでプロデビュー勝利した妹姫月、前座でプロ初勝利のいとこ京之介も連なった。

 31歳の興毅は2年半、40歳のポンサクレックは直前にタイで突然復帰戦も実に5年ぶりリング。差は歴然でポンサクレックが不憫に思えた。亀田は2回に右ストレートでぶっ倒すと「どんなもんじゃい!」と叫んだ。

 さて、10カウントゴングの引退式となったところで事件は起きた。5つ目のゴングが鳴ると、マイクを手にして「ちょっと待った」。あのロマゴンことゴンサレスと「もう1試合やりたい」と言いだした。ゴング前に足元へマイクを置くよう促していたという。あとで「迷いに迷った」とは言ったが…。

 会場は華やかさがあったが、いつもと違う雰囲気だった。見慣れたボクシングファンより、見慣れぬ一般ファンが多かった。「現役復帰プラス1」に喜ぶ観客もいたが、何人もが「うそつき!!」と叫び、場内騒然となった。

 亀田は当初から「戦いたいボクサーが2人いる」と言い、ロマゴンがその1人とみられていた。一時期は世界最強と言われた現役バリバリのボクサーで王座奪回を狙っている。実現性は極めて低い。

 内山氏は京之介を指導した縁で駆けつけた。指導効果発揮でKO勝ちを見届けると「所用」を理由に会場を後にした。「亀田劇場」は見ていない。ボクシング関係者の姿もほとんどなく、亀田復帰への業界の見方、思いを示す。

 昨年7度目の引退をしたプロレスラー大仁田厚を思い出した。【河合香】

オカダ・カズチカ、米基準の王座保持期間でも金字塔


 新日本プロレスのIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ(30)が、4日の福岡大会で歴代最多となる12度目の防衛に成功した。初代王者アントニオ猪木が88年に4度、89年には藤波辰爾が7度、95年に橋本真也が9度、03年に永田裕志が10度、そして12年に棚橋弘至が11度まで伸ばした防衛記録を「レインメーカー」が超えた。ケニー・オメガ(34)とのV13戦は6月9日の大阪城ホール大会。この間に王座返上しない限り、保持期間は720日に伸びる。こちらも史上最長記録を更新中だ。

IWGPヘビー級選手権12度目の防衛に成功したオカダ・カズチカ(2018年5月4日撮影)

 今、米国ではWWEヘビー級王座と並ぶ2大王座の1つ、ユニバーサル王座を保持する王者ブロック・レスナー(40)のベルト保持期間が話題になっている。昨年4月2日のレッスルマニア33大会での同王座奪取後、米国時間5月7日で区切りの400日となる。米メディアはCMパンクが持つ434日を超えることは確実だろうと報じる。6月17日のPPV大会では、ユニバーサル王座の防衛戦が組まれるとみられており、レスナーは441日まで保持期間を伸ばすことになるだろう。

ブロック・レスナー

 WWEではハウスショー(動画中継なしの興行)でもWWEヘビー級王座、ユニバーサル王座の防衛戦がマッチメークされる。頻繁にビッグタイトルが組まれるため、日本のように防衛回数よりも王座保持期間が注目される「文化」がある。WWE前身のWWWFまでさかのぼれば、最高峰ヘビー級王座の最多保持期間は先月他界したブルーノ・サンマルチノの2803日が歴代1位。先月、藤波辰爾による招へいで来日したボブ・バックランドの2135日が2位。3位にはハルク・ホーガンの持つ1474日が続く。前身団体を含めればCMパンクの434日は歴代6位ではあるものの、02年5月にWWEとなって以降では歴代1位。レスナーの「新記録」更新が注目を集めている。

 興行形態、マッチメーク方式、ベルトそのものの違いはあるが、CMパンクやレスナーの保持記録よりも長いオカダの720日は誇っていい記録だ。弊社の新日本プロレス担当阿部健吾記者が「金字塔」と表現したオカダのV12記録。米国で重視される王座保持期間という側面からも胸を張って「金字塔」と表現していいはずだ。

IWGPヘビー級選手権試合ケニー・オメガ(左)をレインメーカーで仕留めるオカダ・カズチカ(2017年1月4日撮影)

 オカダの記録はどこまで伸びるのか。まずは、オメガとの約1年ぶりとなるIWGP対決を楽しみに待ちたい。【藤中栄二】

ボブ・バックランドに「とげぬき地蔵」は似合わない

倒立してのストレッチをみせるバックランドに驚く藤波(2018年4月18日撮影)


 その68歳は太い幹だった。

 4月20日、後楽園ホールでドラディションの「バック・トゥー・ザ・ニューヨーク・ツアー」を取材した。

 主宰の藤波辰爾(64)の依頼を快諾し、目玉として来日したのは元WWF(現WWE)世界ヘビー級王者ボブ・バックランド(68)。驚かされたのは18日に都内で行われた来日記者会見だった。

 巣鴨に移転したばかりのプロレスを中心とした格闘技グッズ専門「闘道館」の2階に姿を現した「ニューヨークの帝王」は、とてもとげぬき地蔵が似合うような存在ではなかった。

 赤いサスペンダーがピンと張って、ワイシャツ越しからも明らかな筋肉の隆起を感じさせる。肉厚すぎる肉体は、いまだに現役だった。刈り上げられた頭髪は白髪交じりだったが、もし顔を隠して年齢当てクイズでもすれば、正解率は著しく低いだろう。

 「いまも午前6時半に起床して毎日エクササイズをしているからね」。肉体維持の秘訣(ひけつ)を聞かれると、得意げに言った。そして、そこからの行動がさらに驚くものだった。

 「ここでお見せしましょう」とおもむろに立ち上がると、両手を地面に着き。さらに頭頂部も床につける。そのまま脚がきれいに上がっていく。68歳の倒立。そして、さらにその脚を前後に動かして見せた。

 ワイシャツの胸ポケットからコインが落ちて、「これは妻からのお駄賃だね」とアメリカンジョークを飛ばす姿に、会見場のどよめきは止まらなかった。「今でも高校3年生、大学1年生とスパーリングをやっている」という言葉にも説得力があった。

 バックランドが70年代後半から5年以上ベルトを保持していた最中に生まれた記者には、正直言ってなじみが薄い「伝説」の男だった。名前を聞いてぴんと来るのはもう少し上の世代だろう。

 映像や画像で現役時代の姿は予習してから取材に行ったが、衰えた選手の姿のどこかにノスタルジーを探して発見に喜びを見いだすような機会、試合なんだろうと思っていた。ところが、当人を目の前にし、その「エクササイズ」を見せつけられ、レスラーのすごさをまざまざと感じさせられる時間となった。

 「さっき、一度やっただろう」。会見の最後、写真撮影の時間に、そうつぶやきながらももう1度倒立を披露するサービス精神まで見せつけた。

 最近聞いたプロレス好きの識者の言葉に「プロレスラーは異世界の住人です」という指摘があった。20日の後楽園大会、21日の大阪大会と試合でも年齢からかけ離れた動きと肉体とをファンに見続けた「帝王」。

 誰もが予期しないことをできるからこそ、異世界の中心人物として本場マットに君臨し続けたのだと、たった20分ほどの会見で十分に納得させられた。【阿部健吾】

KAZMA SAKAMOTO(左)をチキンウイングフェースロックで仕留めたボブ・バックランド(2018年4月20日撮影)

比嘉大吾の“明日のために”長谷川穂積氏が贈る言葉


 プロボクサー比嘉大吾(22=白井・具志堅スポーツ)が減量に失敗し、WBC世界フライ級王座を失った。前王者としてリングに上がり、9回途中TKO負けを喫した翌日の16日、元世界3階級王者長谷川穂積氏(37)に話が聞けた。「もうこれ以上ええでしょ? 彼をたたくんは、もう今日までにしましょう。まだほんまに若いし、先があるボクサーやから」。少し悲しそうだが、優しかった。

WBC世界フライ級タイトルマッチ ロサレスに破れ、一礼する比嘉大吾(2018年4月15日撮影)

 自らも苦しんだ。死ぬ思いで体重を落とした。「あかんと思ったこと、ありますよ。バンタムの時は毎回。最後は必死で練習して(落ちるのは)50グラム。50グラムってたまご1個分。“こんなんやったら、練習せん方がええ”と思ったりしてね」。最初に世界王者になったバンタム級で11度目の防衛に失敗するとフェザー級に転向。一気に2階級上げた。結果「国内ジム所属選手初の飛び級2階級制覇」を成したが、裏返せば、スーパーバンタム級でも苦しかったのだ。

WBC世界フェザー級王座決定戦でブルゴス(左)を破り2階級制覇を達成した長谷川穂積氏(2010年11月26日撮影)

 比嘉の罪は重い。具志堅会長、トレーナーら周囲の責任もあるが、最終的には本人の問題。だから、問うべき責任を問うことが、逆に比嘉のためだ。比嘉と同じ沖縄出身で元WBC世界スーパーライト級王者浜田剛史氏は「減量は何キロ落としても自慢ではなく当たり前。沖縄ファイターが出て盛り上がっていたが、大きく裏切った。技術、根性すべてが飛んだ」と言った。比嘉を思えばこそ、強烈な叱責(しっせき)が口を突いた。

1回目の計量で900グラムオーバーとなりうなだれる比嘉大吾(左)は具志堅用高会長から声をかけられる(2018年4月14日撮影)

 浜田氏が責め、長谷川氏がかばうのは、すべて“比嘉の明日”を守るためなのではないだろうか。

 長谷川氏は引退後も「ボクサー」であり続けている。体重63キロは現役時のナチュラルウエートと変わらない。基本的に毎朝7キロ~12キロ走る。ミット打ちを最低6回はこなし、サンドバッグもたたく。「やってないの、ダッシュぐらいですかね」。仕事や用事がなければ、ほぼ毎日、現役時と同じ練習をする。

ミット打ちを披露する長谷川穂積氏(2018年4月16日撮影)

 引退したのに、なぜ?

 「ボクシングをやってたら、僕はすべてに自信を持てる。自分に負けない自分でいられる。(プロで)17年間やって、そうなった。練習も、その日の自分に勝ちたいと思ってやる。達成感はやった者にしかわからんと思いますよ」

 10年後か、15年後か。比嘉がグローブを置いた時、同じ言葉を口にしてほしい。【加藤裕一】

宮原健斗を支えるプロレス愛 ホーガン参考に高みへ

宮原健斗(2018年3月25日撮影)


 プロレスの世界でトップに立つ選手には、独特の雰囲気がある。畏敬の念を抱かせるようなオーラと、観客の期待を一身に集めるような存在。そんな選手が、全日本プロレスにも出てきた。3冠ヘビー級王者宮原健斗(29)だ。1番気に入っているのは、宮原がコーナーのロープに足をかけ、観客席に向かって手を耳にあて、歓声をあおるポーズつくる姿だ。

 それが、ある選手のポーズとダブって見えることがある。宮原が最も尊敬し、目標にもしてきた米国のスーパースター、ハルク・ホーガンだ。体格は一回りほど違うが、かつて世界を熱狂させたホーガンのように、宮原も全日本の観客を熱狂させている。

 「子どものころから、ビデオを借りて何回も見てきた。ただのあこがれだったんですが、今、チャンピオンになってホーガンの動きがとても参考になることが分かった。お客さんのじらし方であるとか、お客さんの求めるものに120%応えようとするパフォーマンスとか」。

 福岡の市立福翔高校を卒業して、健介オフィス入り。08年にデビューして今年が10年目となる。14年1月に入団した全日本では、16年2月に26歳11カ月で、史上最年少の若さで3冠ヘビー級のベルトを巻いた。そこから歴代2位の連続8回防衛を達成し、一気に団体のトップを背負う存在になった。

 「全日本の3冠王者は誰でも背負えるものじゃない。オレは、全日本を神様に託された、選ばれた存在だと思っています」と宮原は言い切る。その思いに負けないくらいの練習。練習と食事、寝るとき以外は、ほとんど昔のプロレスのビデオを見るというプロレス愛が、宮原を支えている。

 「全日本をさらなる高みに持って行きますよ。全日本はこんなもんじゃない」。趣味はないと言っていた宮原が、最近は歌手の安室奈美恵に注目しているという。「安室さんのコンサートで、アンコールへの持って行き方とか、マイクパフォーマンスとか参考になりますね」。やっぱり、プロレスのことしか考えていない。【桝田朗】

武尊3階級制覇 第3期K1はこの男にかかっている

3階級制覇を達成した武尊(2018年3月21日撮影)


 久しぶりにK-1を取材した。14年に新生K-1となって、3月21日にさいたまスーパーアリーナのメインで初開催。魔裟斗がいた00年代以来の取材だった。ふたを開ければ、約10時間で24試合が実施された長丁場に、1万5000人が詰めかけていた。

 最初の93年K-1ワールドGPも取材した。無差別級トーナメントがメインで、日本勢は空手から格闘家になった佐竹雅昭がトップだった。ピーター・アーツ、アーネスト・ホーストらがいたが優勝は伏兵ブランコ・シカティックも、代々木第1体育館に1万人が集まった。

 K-1とはうまく考えたなと思ったものだ。空手、キックボクシング、カンフー、拳法などの立ち技系格闘技で、キングも意味するKにNO・1の1がつけられたという。今やお笑いでM-1やR-1もある。F1が出発点だろうが、K-1が定着した効果といえるだろう。

 当初の5回から現在は3回制で、キックもあることで早期決着、KOの多さが魅力。今大会も中盤判定が続いたが、結局は半分の12試合がKO。メインの8選手のスーパー・フェザー級トーナメントも7試合中4試合がKOで盛り上がった。

 今は第3期K-1といえる。創成期はサイズとパワーの迫力があった。かかと落としのアンディ・フグが96年優勝などで人気となったが、白血病で帰らぬ人となった。00年代はワールドMAXでミドル級が中心となり、魔裟斗が女性も含めて人気を集めた。さらに元横綱曙、ボブ・サップらも参戦した総合格闘技イベントに発展した。

 魔裟斗の引退、経営陣の交代などから下火になり、新生K-1へと移行した。日本人中心のイベントだけに、創成期からは徐々にサイズダウンしてきた。世界大会という部分でも、物足りなさは否めない。選手たちもいろいろキャラをつくって、ここぞとアピールしていた。

 その中で武尊が初の3階級制覇を達成した。1回戦は判定も、準決勝、決勝はKOで決めた。ストイックな姿勢を貫くイケメン。しゃべりは控えめでリングに徹する。名前でもあるリングネームは、ヤマトタケルノミコトから命名されたという。第3期K-1はこのエースにかかっている。【河合香】

棚橋ら新日本勢、裏レッスルマニアでファン強奪!?

左から棚橋弘至、鈴木みのる、石井智宏、飯伏幸太


 8日(日本時間9日)にWWE最大の祭典レッスルマニア34大会が開催される米ルイジアナ州ニューオーリンズ。レッスルマニアウイークと称される今週、新日本プロレスのレスラーたちが同地で多くの試合を控えている。

 裏レッスルマニアとも言われるプロレス大型イベント「レッスルコン」(5~8日)では、5日にスーパーショーと呼ばれる大会が予定。ここに飯伏幸太、ケニー・オメガのユニット「ゴールデン☆ラヴァーズ」が参戦し、バレッタ、チャッキーT組(ベストフレンズ)とのタッグマッチに臨む。翌6日には英団体RPWによるニューオーリンズ大会が開催され、棚橋弘至、ジュース・ロビンソンがタッグマッチに出場。石井智宏がRPW英国ヘビー級王者ザック・セイバーJr.に挑戦する。また鈴木みのる、飯伏、IWGPジュニア王者ウィル・オスプレイも参戦予定だ。

 レッスルマニア前日7日には米団体ROH主催のニューオーリンズ大会が開かれ、棚橋、ジェイ・リーサル組がROHタッグ王者ブリスコ・ブラザーズに挑戦する。またオメガ-Codyのバレットクラブ頂上決戦、飯伏-ハングマン・ペイジのシングル戦も組まれる。本隊、CHAOS、バレットクラブ、鈴木軍の各ユニットの実力者たちがニューオーリンズで戦う。

 レッスルマニアウイークには世界中からプロレスファンが開催地に集まる。今年のレッスルマニア34大会も約7万人以上の来場が予想される。動画配信が発達しているとはいえ、生観戦に勝るものはない。新日本プロレスのスタイルをアピールするには絶好の機会だ。近年、米国内のプロレスのメディアから新日本プロレスのレスラーたちが、そして試合内容が、WWEのそれよりも高く評価される傾向にある。例えば棚橋の華、鈴木の醸し出す怖さ、石井のゴツゴツぶり、飯伏の異次元な飛び技は米プロレスでは見られない、独特のスタイルだ。

 レッスルマニア34大会では、元新日本プロレスの2人によるWWE王座戦が控えている。王者AJスタイルズ-挑戦者中邑真輔のカードはメイン候補の1つで注目度も高い。一方で、新日本プロレスのレスラーたちが持ち前の「キラー・インスティンクト」を発揮すればファンの心を根こそぎわしづかみすることも可能だ。レッスルマニアウイークが終わったら、どのカードが世界のファンから高く評価されているのだろうか? 楽しみでならない。【藤中栄二】

ベストパンチは?「神の左」山中慎介が答えたKO劇


 選手が現役生活を引退する時にしか聞けない質問がある。

 「ベスト○○はなんですか?」

 試合や大会が主だが、終わりを迎えていない段階では更新中で総括は適さない。だから引退会見という場では、必ず聞かれることになる。

 26日に都内のホテルで会見を開いたプロボクシングの元WBC世界バンタム級王者山中慎介さん(35)の場合は、「ベストパンチ」だった。世界戦で31回のダウンを生み出してきた通称「神の左」。そのストレートで、日本歴代2位の世界戦連続防衛12回を成し遂げた男の答えは…。

 「迷いなくV2のロハス戦ですね。あの最後の1発。あれがあるからこそ、常にこれくらいのKOしてやろうという思いで調整してこれましたし、あのKOは本当に自分にとっても後援会にもファンにも記憶に残っている試合だと思ってます」

WBC世界バンタム級タイトルマッチ 7回、左ストレートでトマス・ロハス(右)をKOした山中慎介(2012年11月3日撮影)

 2012年11月3日、ゼビオアリーナ仙台、元世界王者トマス・ロハス(メキシコ)を迎えた2度目の防衛戦。左ストレート2発などで7回36秒TKO勝利。ロハスは失神し、そのまま病院に送られた衝撃の試合だった。

 翌4日付の弊紙には「左コークスクリューで失神病院送り」「ホセ・メンドーサだ」「劇画的KO」の文字が躍る。試合を決めた1発は、パンチが当たる瞬間に手首を内側にひねり込む「コークスクリューパンチ」。漫画「あしたのジョー」で矢吹ジョーと対戦した最強王者ホセ・メンドーサも武器にした必殺パンチで、ロハスはその場で失神し、前のめりに頭から崩れ落ちた。

WBC世界バンタム級タイトルマッチ 7回、トマス・ロハス(右)を前のめりに倒し、KO勝ちを飾った山中慎介(2012年11月3日撮影)

 この日、山中が登場する前、会場内には防衛戦の映像などが映し出されたが、集まった報道陣、関係者約150人以上から「おおー」と感嘆の声が上がったのはやはりロハス戦。衝撃シーンはいま見ても、何回見ても鮮烈だ。それは放った本人も同様だった。

 「あれくらいのKOしてやろう」。とてつもなく高いハードルを自分に課すことになったが、次戦から4連続KO勝利、さらに試合内容でも「劇画的」なダウンシーンを量産した。

 会見の最後、その左拳にかける言葉を聞かれると、こう言った。

 「強かったよ、と。まあまあ強かったんじゃないですか(笑)」

 謙遜するところがらしさだが、「まあまあ」なんてとんでもない。間違いなく漫画的とも言えるくらい、とてつもなく強かった。【阿部健吾】

引退会見を行った山中慎介さんは神の左と呼ばれた手をじっと見つめる(撮影・松本俊)

鈴木みのる どこまで行っても本物感がある“強さ”

鈴木みのる


 プロレスの話を書こうと思うのだが、その前に別ジャンルの話を少々。

 ボクシングのWBOアジア太平洋フライ級王者・坂本真宏(27=六島)を取材した。彼は“私が落ちた”大阪市立大の現役大学院生で、4月1日に防衛戦を行う。つまりとても勉強ができる。それなのに“殴り合い”に足を踏み入れた。

 「う~ん…非日常ですかね。普通に生活してたら、あり得ない空間でしょ?」

 大相撲春場所の前相撲で土俵を踏んだ新弟子の神谷元気(15=陸奥)を取材した。彼は宮崎・川南町で生まれ育ち、地元の極真空手の道場で中学日本一になった。それなのに、全く別の格闘技を選んだ。

 「高校で別のスポーツをやろうかと思ってたんです。そんな時、昨年の秋、宮崎で陸奥部屋の合宿があって、参加させてもらったら、もう全然何もできなくて…。それで“おもしろいなあ”と思ったから」

 違うジャンルの話だが、2人が求めたものは“自分ができないこと”や、単純な素手の戦闘能力における“強さ”なのでは、と思う。乱暴に言えば、男なら誰もが強者への憧れがある。そこじゃないか、と思う。

 で、プロレスの話。子どもの頃、単純に「誰が1番強いのか?」と思っていたらアントニオ猪木が「IWGP構想」をぶち上げた。スタン・ハンセンがいて、ローラン・ボックなんかもいて、スティーブ・ウイリアムスとかも強烈やった。やがてUWFが生まれて、前田日明がいて、佐山聡がいて、藤原喜明がいて…で、リングス、パンクラス、UWFインターナショナル、藤原組とかに派生して…。今、プロレス界で強烈に“強さ”を発信してるんは、鈴木みのるじゃないか、と思っている。

 船木誠勝と腕を磨き、パンクラスを立ち上げ、キック・ボクシングの世界王者モーリス・スミスと異種格闘技戦をやって、ボロボロになった。そんなこんなのバックボーンを持って、ザ・プロレスラーとしてリングに立つ。だから「本気出したら、マジでヤバいんちゃうの?」と思わせる。

 新日本プロレスで言えば、オカダ・カズチカも、棚橋弘至も、内藤哲也も個性がある。キャラも濃い。魅力的なレスラーだ。でも、誰が1番怖そうか、ヤバいことやりそうか、と考えたら、やっぱり鈴木みのる、なのだ。狂気じみた表情、超傲慢(ごうまん)なたたずまい。イメージ作りの部分もあるやろうが、どこまで行っても本物感がある。試合後の取材も、ちょっとビビるしね。彼がいるから、オカダも棚橋も内藤も、より輝く。今のプロレスがあるのは、鈴木みのるのおかげやないか。何となくやけど、そう思う今日この頃である。【加藤裕一】

天才武藤敬司最後のムーンサルト、心に焼き付けたい


 「破壊王」故橋本真也さんの長男で大日本プロレスの橋本大地(25)が最近、決め技によく使うのがシャイニングウィザードという技だ。助走をつけての飛びヒザ蹴りで、武藤敬司(55)のオリジナル技だ。

 助走して片ヒザをついたその足を踏み台にジャンプして、相手の頭部にヒザをぶつける。技名の和訳「閃光(せんこう)魔術」も、いかにも天才武藤にふさわしい。それを同じ闘魂三銃士として活躍した故橋本さんの長男が使っている。父親譲りのハイキックや袈裟切りチョップよりも様になっていると思う。

橋本大地(左)と武藤敬司のシャイニングウィザード

 プロレス界の中でも、武藤は多くの後輩に影響を与えている。新日本プロレスの棚橋弘至や内藤哲也、その他多くのレスラーが、武藤の技や動きを研究し、自分の技に取り入れている。そんな武藤の代名詞の1つがムーンサルトプレス。コーナーのロープ最上段にリングを背にして立ち、バック転をして相手の体をプレスする大技だ。

 そのムーンサルトプレスを武藤は、3月14日のW-1後楽園大会を最後に封印する。3月末に両ヒザに人工関節を入れる手術をする。普段の生活で歩くことさえ困難なヒザの状況を改善するためだ。術後はまたプロレスができると医者には言われたが、その際ムーンサルトプレスは禁止された。それだけ、ヒザへの負担が大きいということだ。

武藤敬司のムーンサルトプレス

 武藤は「オレもヒザへの影響を考えて本当はやりたくなかったが、リングに上がればファンの期待を感じるから、ついやってしまうんだ」と話していた。最近では、空港などでは車いすで移動し、試合前の花道を歩く姿も痛々しかった。手術を決断した武藤は「3月14日の試合が最後のムーンサルトプレスになる」と宣言した。

 3月14日、後楽園ホールの第7試合の8人タッグマッチ。武藤のムーンサルトプレスの最後の餌食になるのは誰か? 今後、武藤以上のムーンサルトプレスの使い手が現れるとしたら誰か? そんなことを考えながら、武藤の必殺技を心に焼き付けたい。【プロレス担当=桝田朗】

食物連鎖のトップ!7連続KO防衛ワイルダーの魅力


 ボクシングの面白さの、やるか、やられるか。世界の頂点を争うにもふさわしい、迫力あるファイトだった。WBC世界ヘビー級王者デオンタイ・ワイルダー(32=米国)が7連続KO防衛した。挑戦者の同級3位ルイス・オルティス(38=キューバ)も逆転へあと1歩まで追い込み、手に汗握る試合になった。

 ワイルダーは10月には33歳になる。3月3日の試合もあって「好きな数字」と3回KO宣言していた。実際には慎重な試合運びでブーイングも浴びた。相手の強さを認めて、体も97・4キロまで絞っていた。12キロ差もリーチを生かして左を突いて踏み込ませない。大振りは少なくコンパクトで、さぐり合い、神経戦の序盤となった。

 5回についに右ストレート1発が入った。畳み掛けて最初のダウンを奪う。ゴングに救われたオルティスに7回には反撃を食った。右フックからラッシュをクリンチ、ホールドで必死に逃げる。ロープを背にグラグラのKO寸前だった。

 オルティスはアマ王国キューバ出身で、五輪こそ出てないが30歳のプロ転向まで349勝19敗の戦績を持つ。テクニックもあり、フットワークのよさもみせた。14年にWBA暫定王座獲得もドーピング違反で空白をつくった。高血圧治療のためで、強さに対戦も敬遠されていたが、待望の試合で強さを示した。

 39戦全勝(38KO)の王者陥落かとも思われたが徐々に回復し、逆にオルティスはスタミナが奪われていた。ワイルダーが10回に右からラッシュで再びダウンを奪い、最後は右アッパーで仕留めた。最後はまさにワイルドならしい攻撃だった。「この惑星一番の最強王者だ。食物連鎖のトップがオレ」。こういうユニークなコメントも魅力の一つだろうが、世界ヘビー級戦線の準決勝第1試合だったと言える。

 31日に英国で、WBAスーパー&IBF王者アンソニー・ジョシュア(28=英国)とWBO王者ジョセフ・パーカー(26=ニュージーランド)が激突する。準決勝第2試合も無敗対決だが、ナイジェリア系のジョシュア優位は動かないところ。昨年元統一王者ウラジミール・クリチコ(ウクライナ)と9万人の前でダウン応酬の激闘を演じ、劇的11回TKOを飾った。ロンドン五輪で金メダルを獲得してプロ入りし、20戦オールKO勝ちしている。

 ヘビー級は時代ごとにアリ、タイソンらが世界の注目を集め、脚光を浴びた。その後はクリチコが強すぎて注目度が下降した。何よりも本場の本家米国にスターが不在だったのが大きかった。ここにきてワイルダーが現れ、強打に個性を発揮している。ボクシング母国の英国にもジョシュアというライバルがいて、願ってもない展開になってきた。早く決勝の全勝対決が見たいものだ。【河合香】

レスラー間投票3位の中邑真輔が目指すトップの意味

WWEスマックダウンの新たな試み「トップ10リスト」で初登場3位の中邑真輔(C)2018 WWE, Inc. All Rights Reserved


 2月24日に38歳の誕生日を迎えたWWEスマックダウンの「ロックスター」中邑真輔は初登場3位にランクしました。この順位、WWEファンの人気投票でも、米プロレス専門サイトによるパワーランキングでもありません。では「何の順位?」と思われるでしょう。同6日、スマックダウンのダニエル・ブライアンGM(35)から発表された「トップ10リスト」というランキングです。

 この新たな試みはロウにはなく、スマックダウン所属の選手たちが投票して決まります。基準は<1>ロッカールームでのリーダーシップ<2>タレント性<3>運動能力という3点。必ず自分以外の選手に投票するというルールで「ライバルたちを評価する」指標と言ってもいいでしょう。公平性を保つため、マッチメークなどの権限を持つシェイン・マクマホン・コミッショナー(48)とブライアンGMには投票権がないそうです。

 初めて発表されたランキングの1位はWWEヘビー級王者AJスタイルズ(40)、2位はスマックダウン女子王者シャーロット・フレアー(31)、続いて3位が中邑でした。日本人初優勝を飾ったロイヤルランブル戦直後の発表ではあったものの、男女の各王者に続く順位。9位の「毒蛇」ランディ・オートン(37)や、5位のUS王者ボビー・ルード(41)より上位でした。特にバックステージでの態度も投票基準に含められており、観客やファンに向けた「外面」だけではない評価も高いことが分かりました。

 このランキング発表直後、中邑は自らのツイッターで「3位はいいね。1位ならよりいい。オレにはトップ10リストでのプランがある」とつづった上で、英語と日本語で「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と記していました。新日本プロレスからWWEへ移籍して2年が経過。まだ「ロックスター」は発展途上なのでしょう。確かに現時点のランクでもすごいことに感じますが、その一方でまだ1位ではないのも事実です。

 アントニオ猪木のWWF獲得が認定されていない以上、日本人でWWEヘビー級王座を獲得した日本人はいません。中邑は4月8日の祭典レッスルマニア34大会(米ニューオーリンズ)でWWE王座挑戦が決まっており、日本人初の快挙を達成できるチャンスを得ています。ただ、中邑がリスクを負って目指す「虎子」とはベルト奪取だけではないのでしょう。リング内外の評価、世界的な人気などなど、さまざまの面でのトップを狙おうとしているのではないでしょうか。まだ何もつかんでいない-という中邑の貪欲さが伝わってきます。【藤中栄二】

比嘉大吾が目指す羽生、小平の「すばらしい」強さ


 19日に都内ホテルで行われたボクシングの世界戦発表会見で、WBC世界フライ級王者比嘉大吾(22=白井・具志堅スポーツ)を鍛え上げる名物トレーナー、野木丈司氏(57)に話を聞いた。

防衛戦が決まりポーズをとるWBC世界フライ級王者の比嘉大吾(2018年2月19日撮影)

 「羽生さん、小平さん、ああいうすばらしさに近づきたいですよね」。

 4月15日に横浜アリーナで愛弟子が挑む同級2位クリストファー・ロサレス(23=ニカラグア)との防衛戦に向けた調整について質問を向けると、いの一番にそんな感嘆が返ってきた。

 前日18日に平昌五輪スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が金メダルを獲得したばかり。17日にはフィギュアスケート男子で羽生結弦が66年ぶりの2連覇を成し遂げた。

 同氏は元プロボクサーながら千葉・佐倉高時代は陸上部に在籍。シドニー金メダリストの女子マラソン高橋尚子らを育てた小出義雄監督の薫陶を受けた。五輪を観戦しているのは五輪競技(ボクシングはアマチュアが参加)出身の出自もあるだろうが、すごく視野が広く、比嘉の強さの源を感じた。

野木丈司トレーナー(左)と二人三脚でフィジカルトレに臨む比嘉大吾

 というのは、その「すばらしさ」についてこう続けたから。「全体的な強さがある。だからああいう状態でも勝てるんですよね」。それは右足首の負傷で試合は4カ月ぶりのぶっつけだった羽生を指した言葉で、「それがあるから自信もあるし、動きも美しくなると思うんです」と25連勝とした小平のスケーティング技術にも対象を向けた。そして、「大吾も最近の発言をみるとね…」。

 比嘉は2月4日に37年ぶりとなる故郷沖縄での世界戦で、1回KOで日本記録に並ぶ15連続KO勝ちで防衛に成功した。その時を振り返り、「『調子悪くても自分の方が少し上』と言っていたでしょう。いいですねえ、あれは」とニッコリした。「勝負の舞台では100%の力を出せないものですよね。ただ絶対的な力量差があれば、それでも相手を封じ込めることはできる。本人も(普段から)猛練習している意味を理解しているのかな」。猛烈な練習の意図を自然と体得していそうな教え子の発言だった。

15連続KO勝ちで防衛に成功した比嘉大吾(左)は具志堅用高会長と笑顔を見せる(2018年2月4日撮影)

 次戦は日本新記録の16連続KO記録がかかる。試合間隔2カ月にも、比嘉は「何の問題もない。1回から12回のどこかで必ず倒す」と意に介さない。「すばらしい」強さでの快勝を期待したい。【阿部健吾】

新日本プロレスに熱狂するファン、53歳もときめき


 プロレスはすごい。厳密に言えば、新日本プロレスやけど。プロレスの本担当でないので、えらそうなことは言えんのですが、2月10日にエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館のこと)の大会(THE NEW BEGINNING in OSAKA)を取材して、あらためて痛感した。

SANADAの顔面にキックを決めるオカダ(撮影・和賀正仁)

 プロレス少年でした。高1で、テレビで田園コロシアム大会のハンセンVSアンドレを見て「なんじゃこりゃ?」とシビれてハマッた。金曜午後8時は「ワールドプロレスリング」。部活から帰宅してチャンネル権(死語)を独占し、翌日は学校でプロレス談議を楽しんだ。高2の6月には大阪城ホールに藤波VS前田戦を見に行ったりもした。

 レンタルレコード店(死語)で、プロレスの入場曲を集めたLP(死語)を借り、カセットテープ(死語)に録音した。長州の「パワーホール」とハンセンの「サンライズ」が好きやった。藤波の「ドラゴン・スープレックス」や山崎一夫の「UWFのテーマ」もええし、前田日明の「キャプチュード」はシングルレコード(死語)を買った。

 恥ずかしながら、就活で「週刊ファイト」(廃刊)編集部に電話したら「新卒は採用しません」と断られた。30年以上前ですが。

10度目の防衛を果たし金色のテープが舞う中、両手を広げるオカダ(撮影・和賀正仁)

 10日の大阪大会は観衆5481人の札止め満員でした。この集客力はすごい。リングまでの花道には特設入場ゲートが設置され、特大ビジョンであおりの映像を流す。エンターテインメントとしては、昔から段違いに進化しているとはいえ、もう“金曜午後8時”はないのに…。お客さんの半分ぐらいは内藤哲也率いる「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」や、鈴木みのるの「鈴木軍」のシャツを着てるし、内藤の「スターダスト」や鈴木の「風になれ」(両方ともダウンロードして、スマホで聞いてます)が流れるとギャンギャン騒いで盛り上がる。

 たとえば大相撲は満員御礼続きやけど、他の多くのスポーツは集客に苦労してる。プロゴルフなんか、客足はさびしいもんです。同じバトル系で言うなら、プロボクシングもそう。ダブル、トリプルで世界戦を組んでも満員は約束されん。

 ゴルフのティーグラウンドで入場曲流したら、大変やし、プロボクサーがマイクでやり合ったら、これも大問題。それでも、新日本プロレスの会場にはきっと、学ぶべきものがある。もう53歳のおっさんでも、まだときめくものがあるんですからね。【加藤裕一】

前田日明による若者更生の場、そこにある日本の縮図

THE OUTSIDER10周年記念イベントであいさつする前田日明氏


 元プロレスラーの前田日明氏(59)が08年1月に不良の更生を目的に始めたのが、アマチュア総合格闘技大会の「THE OUTSIDER」だ。その10周年記念イベントが1月24日に東京・渋谷のLOFT9で行われた。

 会場で最初に上映された映画「タイトロープ」は、その大会に出場する若者たちの日常と、インタビュー、大会の様子などを追ったドキュメンタリー映画だった。「THE OUTOSIDER」に出場するのは、ほとんどが元暴走族や、犯罪を犯し更生施設や刑務所から戻った若者たち。彼らが総合格闘技に出合い、新たに目標を見つけそれに打ち込む様が、克明に描かれていた。

 前田氏は、海外で格闘技が若者の更生のために利用されていることを知り、日本でもやってみようと始めたという。「最初は、日本で真っ先に始めるとか、多少の山っ気もあって始めた。でも、試合に出てくる選手たちを見ていると、昔の自分を思い出す。そうすると、おせっかいを焼きたくなってね。何かできないかと」と、前田氏自身も、大会を続けながら参加する若者たちの成長に、継続することの大切さを教えられたという。

 「立ち上げた当時は、暴力団のしのぎに利用されているような地下格闘技と同じような目で見られた」というように、暴力団とのトラブルもあった。タイトロープの試写会が13年11月5日に六本木で行われたときは、暴力団から前田氏の殺害予告があり、会場は警察官の警備で、客がゼロということもあった。

 厳しい状況を乗り越えて「THE OUTSIDER」は10周年を迎えた。若者たちを取り巻く環境も、時代によって変わってきた。前田氏は「最初は、OUTSIDERに出る若者も何を不満にチャラチャラぐれているのかと思ったが、自分たちの世代とは違う悲しさ、例えばネグレクト。親がいても面倒を見てもらえないとか、世間や親子関係の希薄さの中で傷つき、行き詰まったそんな子がたくさんいる」と、現状を説明する。

 親から暴力を受けたり、育児放棄で愛情を得られなかった若者が、非行に走り他人を傷つける。一度は道を踏み外した若者が、OUTSIDERと出会い変わる。前田氏は「不良の更生を目標に始めたけど、今は参加者の中で不良は半分以下。いじめられっ子がいたり家庭内暴力をやっている子だったり。今の日本の縮図だね。OUTSIDERでは、それぞれ自分のペースで再生してくれれば」と参加者に温かい目を向ける。前田氏の取り組みを見て、スポーツの果たす役割の大切さをあらためて考えさせられた。【バトル担当=桝田朗】

大場政夫に挑んだチャチャイ氏のリング史を飾る死闘

WBA世界フライ級タイトルマッチ 大場政夫対チャチャイ・チオノイ コーナーにもたれかかってダウンしたチャチャイ・チオノイ(後方)の手前で苦しい表情を見せる大場政夫(1973年1月2日撮影)


 ここ数年は年末集中開催で、新年は静かなボクシング界となっている。そんなところへ海外から訃報が伝えられた。元世界フライ級王者チャチャイ・チオノイ氏が、21日にタイ・バンコクの病院で亡くなった。75歳だった。ここ数年パーキンソン病で闘病生活を送っていた。

 キックボクシングのムエタイから、14歳で国際式でプロデビュー。19歳の61年から日本のリングに何度も上がった。定評のある記録サイトではプロ戦績は61勝(36KO)18敗3分。通算82戦というのもすごいが、20試合が日本人相手だった。

 関光徳、海老原博幸らに敗れたが「稲妻小僧」と呼ばれた。68年にビラカンポ(フィリピン)からWBC王座を獲得した。初防衛には失敗も、70年には王座返り咲き。この時も初防衛に失敗した。

 3年後に日本で歴史に残る一戦を演じた。73年1月、3度目の王座を狙ってWBA王者大場政夫に挑んだ。初回に右のロングフックでダウンを奪った。大場はふらつき、足がガクガクしていた。実は右足首を捻挫していた。

 大場はピンチを脱出すると、インターバルで足を冷やしながらの戦い。足を引きずりながらも強気の攻めに、中盤からはチャチャイが劣勢に。12回にダウンを奪い返され、1度は立ち上がるも連打にまたダウン。再度立ち上がったがコーナーに吹っ飛ばされ、12回KOで逆転負けとなった。

 当時のプロスポーツと言えば野球、あとは相撲、ゴルフにボクシング程度だった。世界戦は時々テレビで見た。中でもこの大場とチャチャイの試合は、高校生だったが強く記憶に残る。違うスポーツをやっていたが、あれから世界戦は必ず見るようになった。ボクシング記者になるきっかけだったのかもしれない。

 日本のリング史を飾る死闘の1つ。大場の切れよくスピードある連打は今はあまり見られない。記者となって詳細を知り、伝説的試合と分かった。それはV5を果たした大場が、3週間後に交通事故で亡くなったことがある。永遠のチャンプと呼ばれる。

 チャチャイは次の試合で空位の王座を獲得し、2度目の王座返り咲きを果たした。3度目の防衛戦は花形進と対戦も体重オーバーで王座剥奪となった。試合も6回TKO負け。逆に花形は日本最多の5度目の挑戦で世界王座奪取となった。チャチャイはこの2戦後に敗れて引退した。昭和の日本ボクシングを盛り上げた1人だった。【河合香】

内藤マスク作った神谷氏…1・4アナザーストーリー

仮面を付けて入場する内藤哲也(2018年1月4日撮影)


 達成感。歓喜。感動。その、どれでもない感情が胸に芽生えたという。新日本プロレスの1・4東京ドーム大会のメインを初めて「飾った」気持ちは、独特な緊張感だった。

 他仕事の納品のため、1月4日夜は新幹線で移動中。プロレスマスク職人の神谷淳氏(46)は座席に座るとスマートフォンで動画配信サービス・新日本プロレスワールドのアプリボタンを押した。IWGPヘビー級王座に挑戦した内藤哲也の入場をチェック。自ら制作したオーバーマスクを装着した内藤の映像を見つめながら「ドキドキしてしまいましたね」と照れ笑いを浮かべた。

 新日本プロレスの制御不能ユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」に所属するBUSHIのマスクを担当する1人だ。昨年10月、そのBUSHIを通じて内藤のドーム大会用オーバーマスクの制作依頼が舞い込んだ。立体的なマスク制作は1度もなかった。まったく初めての挑戦になるが「イッテンヨンのメインで使うマスクをつくることなんて、なかなかあることではない」。悩むことなく、快諾した。

 テーマは、ガイコツと18年のえと「いぬ年」。使用する素材、着色、軽量化など、神谷氏の頭には「どう表現するか」のイメージが膨らんだ。すぐに試作品も完成したが、3度もボツが出た。内藤とのイメージをシンクロさせることが急務。一から考え直し、数点のデザイン画で再提案した。ガイコツと犬の境目を強調するため縫い痕を入れ、耳にイヤリングを装着した最終形ができあがった。マスク完成は12月中旬。完成まで約2カ月をかけた力作となった。「間違いなく、技術レベルはアップしました。やってよかったです」。

 神谷氏は言う。「ファンの方の反応がどうなるのかというプレッシャーはありました。それ以上に今まで内藤選手のオーバーマスクをご担当されてきた前任の方が築き上げたイメージを崩してはいけないという重圧が一番ありました。何もないところから内藤選手とマスクをつくったご苦労は計り知れないです。職人のバトンタッチというのはリスペクトがないといけないと思っています。その功績を傷つけてはいけない」。

 新幹線の車内で、神谷氏が抱いた独特な緊張感は、前任者に向けたリスペクトの大きさだった。プロレス職人の矜恃-。内藤の「犬とガイコツ」オーバーマスクにまつわる1・4メインのアナザーストーリーは、クリエイター魂があふれている。【藤中栄二】

 ◆神谷淳(かみや・じゅん)1971年(昭46)4月6日、静岡・浜松市生まれ。小学4年の時、初代タイガーマスクのデビュー戦で強い衝撃を受け、手縫いやミシンを駆使し、趣味でマスク作りを開始。初代タイガーのマスクを担当する豊島裕司氏に師事する。中央学院大を卒業後、浜松市の企業に就職し企画部に所属。30歳で一時上京し、外資系人材会社に入社して法人・個人の営業を担当。40歳で退社後、地元に戻って起業塾に通い、ビジネス大賞を受賞。現在は同市でPUKUPUKU工房を経営し、後進を指導。静岡大教育学部でプロレスマスクに関する講師も務める。家族は夫人と1男1女。

プロレスマスク職人の神谷淳氏
新日本プロレスの1・4東京ドーム大会で内藤哲也が装着した犬とガイコツをイメージした神谷淳氏製作のマスク

中3の夢叶えた内藤哲也、プロレスラーとして次の夢

内藤(上)はオカダにデスティーノを見舞う(2018年1月4日)


 中学生の時の夢を果たした男の今後はー。

 新日本プロレスの毎年恒例「イッテンヨン」、1月4日の東京ドーム大会は昨年を大きく上回る3万4995人の観客を集め、数々の激闘が繰り広げられた。その中で人一倍思い入れを持ってリングに上がったのは、IWGPヘビー級王座に挑戦した内藤哲也(35)だっただろう。

 中学3年の時、初めて自分でチケットを買って友人たちと見に行ったのが新日本プロレスの興行。「97年の6月5日、日本武道館の2階の後ろから2列目ですね」と明確に思い出せるほど、いまでも心に残る。そこで花道を入場する武藤敬司に衝撃を受けた。サッカー少年は、1人の存在に大観衆の視線が注ぐその舞台に感銘を受けた。そしてその最高峰の会場こそが東京ドームだった。99年に初生観戦。「どの会場よりも花道が長いですよね。あそこを歩いたら気持ちいいんだろうなと思って」。自然に将来の目標は定まった。

 <1>新日本プロレスに入ること

 <2>武藤敬司と同じように20代でIWGPヘビー級のベルトを巻くこと

 <3>東京ドーム大会のメインに出ること

 それから20年あまり。<1>はかない、<2>は30代に少し足を踏み入れたがベルトを巻くことができた。残っていたのが<3>だった。それがかなったのが今年の1月4日。なにしろその花道への思い入れは格別だった。若手時代も1月4日の直前の会場での練習でも、あえて花道をさけてリングに向かった。それだけ大切な場所だった。

 いよいよその時はきた。王者オカダ・カズチカに対峙(たいじ)するリングへ向けて舞台装置から登場すると、ゆっくりと歩を進めた。白い仮面の中からのぞく目で、人生の最良の時間を確かめるように、一歩ずつ一歩ずつ進んだ。中3の時の自分があこがれた存在になった瞬間だった。

 試合には激闘の末に敗れたが、試合後の表情には少なからず達成感も感じさせた。そして新たな野望に胸躍らせるように、ニヤリとしてみせた。

 「非常に悔しいですよ。オカダにも、そしてお客様にもかつて笑われましたよ。『東京ドームのメインが夢か』って。でもさ、これは俺が中学3年生の時に立てた目標だから。これ、俺は大事にしてきたから。誰に笑われようと、大事にしてきた夢だから。まあ、今日、俺は何か1つ、ゴールを迎えたっすかね。まあ、でもそれは、中学3年生の時に立てた目標のゴールであり、今日、ゴールを迎えた時点でまた新しい夢が見えてきましたよ。レスラー内藤哲也としての夢が、出てきましたよ」

 その不敵さは今後の楽しみに昇華した。さっそく翌5日の後楽園ホールの試合後には、世界的なスーパースターで前日のIWGPUSヘビー級選手権で敗れたクリス・ジェリコの襲撃を受け、ここでも不敵に、大胆な態度を崩さずに「トランキーロ」と泰然としてみせた。自らを「おれはベルトを越えているから」と話す無冠の年男は、いったいどんな「次」を見せてくれるのか。【阿部健吾】

井岡一翔さん、再び「井岡一翔」に戻ると思えて…

引退を発表する井岡一翔(撮影・横山健太)


 井岡一翔…いや、もう井岡一翔さんになるんか。昨年12月31日午後11時過ぎから引退会見を開いたミニマム、ライトフライ、フライの元世界3階級王者。その日は、東京・大田区総合体育館でトリプル世界戦があり、2つめの世界戦後の午後9時過ぎに現場を離れ、会見場の新横浜プリンスホテルに向かった。

 「何でこのタイミング?」と多くの関係者は思ったと思う。「5度目の防衛戦の前に(引退を)決めていた」というが、その試合は半年以上前の4月23日やったのに。会見の模様は、TBSが生中継した。本人は「6年間戦ってきた大みそかという特別な日に、自分の思いと感謝をみなさんに伝えたかった」と言うたけど、これまで大みそかに中継してきたTBSの視聴率に貢献できれば…てな思いからちゃう? などと、どうしても考えてしまう。

 まあ、それはええか。問題は、完全に引退するんかということです。

 勝手な推測ながら、復帰すると思う。なぜか? まず、あれだけ「唯一無二のチャンピオンになりたい」と言い続けた人間の幕引きにしては、あまりにあっけないから。「3階級制覇達成」を理由に挙げて「おじさん(元世界2階級王者・井岡弘樹氏)の時から井岡家が目指していたもの。それ以上のものは現段階で感じられなかった」と言うけど…。いまひとつ説得力に欠けるんちゃいます?

 ちなみに、4月23日の5度目の防衛戦後は、こんなことを言うてました。

 「まだまだ強くなれると、シンプルに感じている。唯一無二になれるよう、周りに“ああいうボクサーはいないな”と言ってもらえるように頑張りたい」

 「僕が王者でいるなら、世界戦が続く。今はそれを1つ1つ、理解と覚悟と感謝の気持ちで戦っていくだけです。その世界戦が統一戦になれば、気持ちが“倍”になるという感じ」

 引退決めてる人のセリフと思えます?

 復帰すると思う根拠をもう1つ。引退後について「次のステージに進むビジョンはできています。応援していただいた皆さんの期待を裏切ることなく、さらに期待を持ってもらえると確信しています」と話してた。ビジョンは具体的には明かさんかったけど、ボクシングとの関係を「それは今は言えない」と否定せんかった。「未練はない」と言いながら、復帰の可能性を「何事もゼロはない」という理由から「ゼロとは言えないです」とも言うた。

 揚げ足取りと指摘されたら、その通りです。でも「井岡さん」が再び「井岡一翔」に戻ると思えて、仕方がないんです。【加藤裕一】

三沢光晴を知らない王者拳王、ノア新時代を引っ張る

エドワーズに勝利し新チャンピオンになった拳王(2017年12月22日撮影)


 プロレスリング・ノアの第30代GHCヘビー級王者に拳王(32)が就いた。

 12月22日の後楽園大会メインで、エディ・エドワーズを激戦の末破った。

 試合後、リング上でマイクを握った拳王は「三沢光晴さんに関わりのないオレが、初めてGHCヘビー級のベルトを巻いた。ノアの新しい時代は、オレが引っ張る」と高らかに宣言した。

 拳王の勝利インタビューの後、ノアの内田雅之会長は「ノア・ザ・リボーンを最終戦で成し遂げた。その象徴が拳王。ジュニアの原田大輔と、団体を任せられる選手が出てきた。新しい世代が出てきたタイミングで、私はしばらく表舞台かた引き下がり、見守っていきたい」と話した。16年11月の事業譲渡に始まった団体の混乱期を、前面に出て引っ張ってきた内田会長も、団体の柱となる若手の台頭にようやく一安心といった表情だった。

 ノアは、団体を創設した故三沢光晴さんの死後、主力選手の度重なる離脱などで経営が低迷。16年11月の事業譲渡に加え、17年2月には前運営会社が破産手続きに入るなど、厳しい状態に陥った。内田会長は、それまで選手の貸し出しなどで支援を受けていた新日本プロレスとの関係を清算。自前の選手だけでの立て直しを図った。そんな中、1月にジュニアからヘビー級に転向した拳王の急成長に目をつけた。

 「拳王はもともと買っていた。日本拳法というしっかりしたバックボーンもあるし、姿勢が一貫していてぶれない。最初は杉浦(貴)と組んでやっていたが、杉浦がケガで長期離脱している間にしっかり独り立ちした」と内田会長は言う。7月にはゼロワンの火祭りに乗り込み、優勝こそ逃したが、優勝した世界ヘビー級王者田中将斗との激闘など、結果を残した。「火祭りあたりから勢いが止まらなくなった。そして、今回のベルト奪取は有言実行で取った」と内田会長は実績を評価した。

 「ノア・ザ・リボーン」という目標を掲げ、日本武道館大会開催の実現を訴えた内田会長。これに呼応するかのように拳王も「オレが日本武道館に連れて行く」とことあるごとに口にするようになった。「今後は、拳王のように三沢光晴を知らない世代と、三沢さんの遺志を受け継ぐ、丸藤や杉浦、さらに三沢さんは知らないが、そのDNAを受け継ぎたいと思う若手たちのイデオロギー闘争が生まれてくると思う」と、団体のさらなる活性化を期待する。

 三沢光晴さんが生きた時代の日本武道館大会は、プロレス界の黄金時代の象徴でもある。その日本武道館大会開催に向け「すぐにはできないが、横浜文化体育館、両国国技館と大きなハコでの開催をやっていきながら、20年東京五輪の頃には実現したい」と内田会長は計画を口にした。1月6日の後楽園大会で、拳王は清宮海斗と初防衛戦を行う。ノア新時代の幕開けだ。【プロレス担当=桝田朗】

引退しても輝く内山高志の実績、人柄、人望、営業力

内山高志(2017年7月29日撮影)


 最後の晴れ舞台は謝罪で始まった。

 「窮屈になって申し訳ありません。こんなに来ていただけると思っていませんでした」

 破壊力あるパンチで世界王座を11度防衛した内山高志氏は、引退記念パーティーでこうあいさつして頭を下げた。

 12月4日の都内の一流ホテルの大宴会場。立すいの余地のないほど、後援者、友人、ファンに関係者が約1000人も詰めかけた。当初は700人想定も、声を掛けた9割の人が来てくれたという。拓大では下積みも経験し、卒業後は観光バスの営業マンなどもしていた。王者時代に1000枚を越すチケットを売ったこともある。

 世界王者が引退を決めても、ほとんど記者会見しない。最近はSNSで表明も多く、日本ボクシングコミッションに引退届を出して終わりもある。相撲などと違って寂しい限りだが、内山氏は7月に会見し、盛大な引退パーティーを開催し、来年には後楽園ホールでの引退式も予定する。実績、人柄、人望、営業力をあらためて知らされた。

 その宴の最中に後楽園ホールのリングで凱旋(がいせん)報告した王者がいた。前日に大阪で東洋太平洋とWBOアジア太平洋のミドル級2冠となった秋山泰幸。東洋太平洋王者太尊に挑み、2回にゴング後パンチで減点も、5回に2度目のダウンを奪うとタオル投入。王座決定戦だったもう1本のベルトも手にし、2度目の王座挑戦で番狂わせの新王者になった。

 内山氏と同じ38歳。国内は37歳定年も昨年にランカーの定年が延長され、秋山は改正後に王座獲得第1号になった。夏に所属していた名門ヨネクラジムが閉鎖となり、移籍初戦でもあった。ワタナベジムには男女合わせて28人目の王者。現役男子は23人目だが、移籍してから王座獲得は7人目になる。

 渡辺会長は「今があるのは内山のおかげ」と話す一方で「秋山が王者になるとは男冥利(みょうり)」と自慢した。75年に故郷栃木・今市で国鉄マンながらジムを開き、81年に五反田へ出てきて、今や日本プロボクシング協会会長も務めるまでになった。

 内山は最初にミットを受けて世界王者になると確信したという。いわば別格で、会長には「来る者は拒まず」の大方針があり、移籍選手も多い。荒川は唯一世界挑戦経験があるが、残る6人はたたき上げでノーランカーが大半。会長は「捨てられた選手でも、必ずチャンスはつくる」を信条にしている。

 ジムの偉大なる存在はいなくなったが、格こそ違えどまた1人王者が誕生した。再生工場長の手腕を発揮。「今がボクシング人生で一番楽しい」と会長はご満悦だった。【河合香】

オメガに挑戦する人気抜群ジェリコの魅力をおさらい

1・4東京ドームに向けて、記者会見した挑戦者クリス・ジェリコ(2017年12月12日撮影)


 クリス・ジェリコ。47歳。99年に加入したWWEでスーパースターとして今も人気抜群のロンゲ金髪イケメンである。最近は年齢を重ねるごとに色気も増し、WWEマットで確固たる地位を築く。そのジェリコが来年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会に参戦し、IWGPUSヘビー級王者ケニー・オメガ(34)に挑戦する。この衝撃的なカードを前に、4つのキーワードでジェリコをおさらいしておきたい。

 <1>WWEグランドスラム達成 01年にWWEが管轄する主要メジャー王座をすべて1度以上獲得し、グランドスラムを成し遂げた。特筆すべきは同年12月、当時の2枚看板スターだったザ・ロック、スティーブ・ストーンコールド・オースチンを1日で連破する快挙で、史上初のWCW・WWF統一王者にもなった。

 <2>Y2J ジェリコのニックネーム。00年になると世界的にコンピューターが誤作動する可能性があるとされたY2K問題がジェリコがWWEに加入した99年ごろに大きな話題に。ジェリコ自らも世界中を混乱させる存在になりたいとの願いを込め、最後のKをイニシャルのJに変え、Y2Jと名乗った。現在もジェリコが登場すると観客からY2Jコールが起こる。

 <3>ライオン道 20代だった90年代は日本マットにも積極的に参戦。天龍源一郎率いるWARでは「理不尽大王」冬木弘道率いるユニット冬木軍に加入した。メンバーは現新日本プロレスの邪道、外道。冬木を全員が最後に「道」があるため、ライオンハートというリングネームをライオン道に変えた。当時は邪道、外道、ライオン道の3人が消化器発射で冬木を助ける「消火器三連射」が話題になった。

 <4>バンドボーカル ヘビメタバンド「FOZZY」でボーカルを担当。音楽活動に専念するため、05年からWWEから離脱したこともある。07年に復帰し、09年レッスルマニアでは米俳優ミッキー・ロークとも対立した。その後、二足のわらじのために退団と復帰を繰り返している。まさに風来坊的な動き。今回もWWEとの契約の間隙(かんげき)を縫って新日本マットに参戦可能となったようだ。

 今年4月、WWE最大の祭典レッスルマニアに出場し、US王者としてケビン・オーエンズと対戦。最近でも同7月のスマックダウン・リッチモンド大会に参戦し、当時のUS王者オーエンズ、AJスタイルズととともに3ウエイ戦に出場するなどWWEの現在進行形選手だ。約1年前からクリップボードに挟んだノートに嫌いな選手を書き込む「リスト・オブ・ジェリコ」を展開。今月12日の会見で本紙記者のノートとペンをむしり取り「Omega Last Match」と書き殴ったのも、オメガがリスト入りした予告でもあるとうかがえる。

 戌(いぬ)年の年男(米国に干支の慣習はないと思うが…)イヤーを迎えるY2Jが東京ドーム大会で大混乱を巻き起こすことは必至だろう。世界中のプロレスファンが注目するオメガ戦は、まさに「狂犬」のように激闘を繰り広げてくれるような気がしてならない。そう期待してしまう。【藤中栄二】

尾川堅一、大谷級ニュース届けてくれる日待ち遠しい

尾川は、帰国した羽田空港でベルトを巻きポーズ(撮影・浅見桂子)


 大リーグのエンゼルスに移籍が決まった大谷翔平の華々しい入団会見が米アナハイムで行われた日、そこから400キロ離れた米ネバダ州ラスベガスでも1人の日本人が躍動していた。

 9日(日本時間10日)に行われたボクシングのIBF世界スーパーフェザー級王座決定戦で同級4位尾川堅一(29=帝拳)が同級5位テビン・ファーマーを2-1の判定で破り、世界初挑戦でベルトを手にした。人生初の海外で、しかも舞台は本場ラスベガス。敵地で不利が予想される中で、日本拳法歴20年という異色のキャリアの持ち主は、他ボクサーより幾分遠い距離からの鋭い踏み込みで右ストレートを放ち続けた。「スピードには絶対の自信がある。合わせられたことはない」とカウンターを恐れずに攻勢は衰えず、赤いベルトを腰に巻いてみせた。81年三原正以来となる日本人では5人目の米国での王座奪取は、紛れもない偉業だった。

 決して米国から届くスポーツの情報量に上限があるわけではないだろうが、残念ながら尾川の姿が多くのメディアに取り上げられたとは言えない。米国から発信される「大谷」という名前の渦の中に埋もれてしまい、ボクシング担当としては歯がゆい思いが大きかった。もっと大々的になっても…。大谷のエンゼルスの赤いユニホームに隠れる形になった赤いベルトに寂しさを覚えた。

 そんな最中、尾川が帰国した。12日早朝の羽田空港。くしくもロサンゼルス発の航空便は大谷と同便だった。ここでもか…、と午前5時からやるせなくなりそうだったのだが、そんな気分を晴らしてくれたのは尾川自身だった。航空会社の関係者にアテンドされて、いの一番にフラッシュを浴びた大谷が無言で過ぎ去ってから10分ほど。少なくなった報道陣の前に登場した尾川の腰には、堂々と赤いベルトが輝いていた。「期待されてるかなと思ったんで!」と無邪気にポーズを取って、カメラマンにサービスする姿。ジムメートで先輩のWBA世界ミドル級王者村田諒太は「すぐに調子に乗るから」と憎めない後輩を形容するが、まさにあえて調子に乗った行動で、明るく帰国した。こちらも何となく気分が晴れた。

 試合後の控室で言った。

 「まだまだ伸びしろがたくさんあると思っているし、まだボクシングってものを分かっていないと思っているので、そのうえで世界チャンピオンになれたので、これは自分自身でもどこまで強くなれるのかという期待でもあります」。

 謙遜というより、前向きな真実だろう。2歳から始めた日本拳法は明大卒まで20年間取り組んだ。卒業後に転向したボクシングはまだ7年目。拳法で染みついたボクシングではマイナスになる動きの修正を続けてきて、「慣れてきたのは昨年くらいからです」と明かす。拳法出身だからこその無類の武器もあるが、直すところ、向上させないといけないところはまだまだある。それが「伸びしろ」だ。その段階での王座戴冠だからこそ、この先が楽しみでならない。

 知名度も同じだと思う。今回は大谷フィーバーに重なる不運はあったが、これから「伸びしろ」は十分すぎるほどある。いきなりのラスベガスでの勝利、しかも日本拳法というキャリアは、本場で名前を売るにはうってつけだ。「またラスベガスで試合をしたい」と本人も望む。いつかきっと大谷に匹敵するようなニュースを米国から届けてくれる日を待ちたい。【阿部健吾】

今や蚊帳の外の井岡一翔、せめて自分の口で現状を

井岡一翔(左)と谷村奈南


 井岡一翔(28=井岡)は何をしてるんやろう。11月9日付でWBA世界フライ級王座を返上した。本来なら「日本ジム所属選手初の世界4階級制覇」を目指すとか、ポジティブな理由があってしかるべきやと思うけど、返上会見に井岡本人は出席せず、父親の同ジム・井岡一法会長が「予定していた大みそかのリングに調整が間に合わない」と説明。その上「モチベーションが上がらんのなら、引退せな仕方ない」てなことまで言うたから、驚いた。

 理由はケガでもない。「プライベートに時間を割かれたことによる練習不足」。歌手谷村奈南と5月に結婚した。新婚と言えば、そうやけど…。世界王者、しかも脂の乗った3階級覇者の“休業理由”としては、異例でしょう。まして、口癖が「唯一無二のチャンピオンになりたい」やった男としては。

 井岡のプロデビュー後最長ブランクは、15年12月31日、WBAフライ級王座の2度目の防衛戦(レベコ相手に成功)からララ相手に3度目の防衛を飾った16年7月20日までの「202日」やった。このコラムは12月4日に書いてるわけやが、直近の試合が4月23日、ノクノイとの5度目の防衛戦やから「225日」。気づけば記録? を更新してました。

 日本ボクシング界は動いてる。ロンドン五輪金メダリストの村田諒太はWBA世界ミドル級王者になって、日本人が中量級のベルトを奪う快挙を成し遂げた。WBO世界スーパーフライ級王者の“怪物”井上尚弥は12月30日に7度目の防衛戦を行う。

 井岡と同じフライ級では、木村翔が北京&ロンドン五輪金メダリストの中国の英雄・鄒市明からWBOのベルトを奪った。WBC王者で具志堅用高の秘蔵っ子、比嘉大吾はデビュー14連続KO勝ちの離れ業を演じて初防衛に成功した。さらに、将来的な“5階級制覇”を掲げる田中恒成がこのほどWBOライトフライ級王座を返上、おそらくは3階級制覇に動く。

 ところが、井岡は…。昨年まで6年連続でやってきた、恒例の大みそかファイトが途切れる。少し前まで間違いなく、日本の王者の中で特別な存在やったけど、今では蚊帳の外。ワン・オブ・ゼムに成り下がってきたんやないやろか。

 妻の谷村奈南は王座返上返上2日後の11月11日、ツイッターに「必ず本人が、ファンの皆さんへ真実をお伝えします」と書き込んだけど、井岡は依然沈黙を守ってる。まあ他の王者の試合が集中する年末に、水を差すわけにはいかんやろうけど、せめて年が明けたら、公の場で自分の口から現状を語ってほしい。それこそがファン、世間への王者の責任やないでしょうか。【加藤裕一】

破壊王降臨!橋本真也さん長男大地が覚醒気配のワケ

橋本大地(左)と故・橋本真也さん


 橋本大地(25)が覚醒しつつある。新日本プロレスで一時代を築いた“破壊王”こと、故橋本真也さんの長男だ。

 11月28日、横浜ラジアントホールで行われた全日本プロレスの世界最強タッグリーグ公式戦。橋本は、神谷英慶(25)と組んで、元3冠ヘビー級王者宮原健斗、ヨシタツ組と対戦した。

 ここまで2連勝と波に乗る2人は、大方の予想を覆して、大金星を挙げた。特に、橋本は、宮原にフォール勝ち。序盤こそ元王者の厳しい攻めにたじろぐような場面もあったが、リング上で何度も叫び声を上げで自らを鼓舞。最後は、宮原の顔面に豪快に右膝蹴りをたたき込んで、勝利をものにした。勝ちっぷりも見事だった。

 11年3月6日、父が興したゼロワンで父の盟友だった蝶野正洋戦でデビューした。しかし、デビュー後は鳴かず飛ばず。14年3月に退団すると、IGFに入団。ここでも結果を出せずに、16年1月に大日本に正式入団した。そして、大日本でようやくスイッチが入ったようだ。

 大日本のグレート小鹿会長は「今までは、ずっと先輩たちばかりで、本人も遠慮してたんでしょう。うちは同じ年齢の若手も、大地より下のレスラーもいる。一緒に練習していく中で、自分が頑張らなきゃいけないんだという気持ちが生まれたんでしょう」と話す。

 同じ年で、タッグチーム「大神」を組む神谷英慶の存在も大きい。タッグ戦を戦っていても、神谷が活躍すると「自分も」というように橋本もよりアグレッシブになっていく。11月21日の後楽園大会では、その2人がBJW認定ストロングヘビー級選手権の挑戦権をかけて戦った。会場は7割ほどの入り。リングサイドで見つめていた小鹿は「これがこの2人の今の実力ですよ。これが、満員にできるように育ってもらいたいね」と、将来のエース候補へ期待を寄せた。

 試合は橋本が勝って、12月17日、横浜文化体育館で王者鈴木秀樹に挑戦することが決まった。勝てば、初めてのシングル王座のベルト獲得となる。鈴木戦へ向けて、宮原への勝利は大きな弾みになるはずだ。橋本真也の息子として生まれ、同じプロレスラーの道を選んだ橋本。「2世」という十字架には逆らえないが、大日本で橋本は、一レスラーとして成長の階段を1歩1歩上っている。「宮原さんには1回だけじゃダメ。2回、3回、5回、10回と勝って初めて上にいける」。宮原に勝利した後の橋本のコメントが、何よりもその成長を物語っている。【プロレス担当=桝田朗】

村田は伝説の大場政夫に近づけるか!同じ日に王者に

村田諒太(左)と伝説のボクサー大場政夫


 まさにくしくもだった。日本の金メダリストで初の世界王者になった村田諒太。2度目の世界戦のゴング直前に、あるジムのマネジャーから言われた。そのひと言で「村田が勝つだろう」と思った。

 会場は両国国技館。老朽化と東京五輪を控え、世界戦を開催するような会場は建て替えと改修が相次いでいる。村田の試合は8月に発表された。世界戦はランキング、マッチメークの交渉、中継テレビ局の事情などで決まる。このため、事前に会場予約がなかなかできない。帝拳ジムの本田会長によると「今回はたまたま空いていた」そうだ。

 47年前の1970年(昭45)10月22日。会場は現在の両国国技館から徒歩5分ほどにあった旧国技館の日大講堂。あの大場政夫が世界初挑戦し、WBAフライ級王者ベルクレック・チャルバンチャ(タイ)を13回KOで倒した。帝拳ジムにとって、初めての世界王者誕生だった。

 大場は5度目の防衛に成功した直後、23歳の若さで亡くなった。永遠のチャンピオンとも呼ばれる、今や伝説のボクサーだ。マネジャーのひと言は「きょうは大場がチャンピオンになった日」。村田は同じ日に世界王者になり、しかも場所も同じ両国だった。ジムにとって記念日とは運があると言えた。

 プロボクシングの試合はリーグ戦やトーナメントは原則ない。まずは勝っていくことで地域の王座を踏み台に、世界ランキングに入り、ランクを上げていくことで世界挑戦のチャンスが出てくる。

 その間に王者も入れ替わる。これがまた微妙でかみ合うか、かみ合わないか。右か、左か。ボクサーか、ファイターか。ボクサーも当然、得手不得手がある。何より強い王者か、弱い王者か。巡り合わせであり、運、不運がある。村田の世界戦前に日本人初のミドル級世界王者竹原氏も「運は必要」と強調していた。

 90年代は辰吉、鬼塚、川島ら個性的な世界王者が数多く盛り上がった。この時代の帝拳ジムの期待は、横浜高で国体優勝し、甘いマスクの葛西だった。3度世界挑戦も王座をつかめず、トレーナーとなって村田を指導した時期もあった。「金メダルにプロでも頂点に立ったんだから、村田は運を持っている。ボクは実力がなかったが、運もなかった」と言っていた。

 大場から半世紀近くをへて、村田は帝拳ジムの日本人の世界王者として10人目となった。大橋ジムの大橋会長は「井上と村田がいれば、日本ボクシング界は当分安泰だ」と喜んだ。村田が今後どんな戦いを挑んでいき、伝説のボクサーになれるか。見守りながら楽しみたい。【河合香】