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プロ高山勝成、東京五輪へアマ転向も…なんだかなぁ

高山勝成

 元主要4団体の世界ミニマム級王者高山勝成(34=名古屋産大1年)が、このほどWBO王座を返上し、プロを引退した。アマチュアとして、20年東京五輪出場を目指すためだという。

 「1人のアスリートとして、自国開催のスポーツの祭典で思い切り戦ってみたい。東京五輪の時、僕は37歳。年齢的にラストチャンスと思う」。そもそも東京の五輪招致が決まった頃から考えはあったようで、16年リオデジャネイロ五輪でボクシングのプロ出場が解禁となり、今回の決断に踏み切ったわけだ。

 ところが、アマチュアの統括団体・日本ボクシング連盟は“元プロのアマチュアボクサー”を認めていない。同連盟の山根明会長は高山のアマ転向承認を「1000%ない」という断固たる構えを見せ、リオ五輪からのプロ解禁の流れも「それは世界の話で、日本は別」と譲る気配はない。

 山根会長に話を聞いた。

 「プロはお金のために戦うけど、アマは無償で戦うんです。日本のアマチュアはみんな、五輪を目指して頑張ってる。それをプロが『東京五輪だから、自国開催だから出場したい』なんてね。彼はそもそもアマチュア出身じゃない。アマチュア界に貢献したこともない。指導者になりたいというなら考える余地はあるけど、それも4~5年実績を積んでの話。まして選手としてリングに上がるなんて、あり得ない」-。

 個人的に、山根会長に賛同する。“そもそも論”として、五輪はアマチュアの祭典やったはずです。それがテニス、サッカーなどにプロが参入した。ゴルフなんて112年ぶりに競技復帰したと思ったら、出場資格はプロの世界ランクという物差しになった。しかも団体戦はなく、個人戦オンリー。五輪の商業路線に、金銭以外の名誉を求めるプロ選手が乗っかったためやろうけど「4年に1度を目指してやってきたアマチュアはどうなるの?」と思いませんか? テニスには4大大会、サッカーにはW杯、ゴルフにはメジャーがある。プロとして十分に成熟したフィールドがあるのに、何でアマチュアの祭典にまで手を出す必要があるの? ボクシングもそれと一緒でしょ?

 高山の意欲を否定はできません。どう考え、どう動こうが個人の自由です。でも、仮に高山のアマ転向が実現した場合、同じ階級で五輪を目指してきたアマチュアはどう思うか? 

 五輪はやっぱり、アマチュアのものであるべきやと思うんですけどねえ。【加藤裕一】

尾川堅一、大谷級ニュース届けてくれる日待ち遠しい

尾川は、帰国した羽田空港でベルトを巻きポーズ(撮影・浅見桂子)


 大リーグのエンゼルスに移籍が決まった大谷翔平の華々しい入団会見が米アナハイムで行われた日、そこから400キロ離れた米ネバダ州ラスベガスでも1人の日本人が躍動していた。

 9日(日本時間10日)に行われたボクシングのIBF世界スーパーフェザー級王座決定戦で同級4位尾川堅一(29=帝拳)が同級5位テビン・ファーマーを2-1の判定で破り、世界初挑戦でベルトを手にした。人生初の海外で、しかも舞台は本場ラスベガス。敵地で不利が予想される中で、日本拳法歴20年という異色のキャリアの持ち主は、他ボクサーより幾分遠い距離からの鋭い踏み込みで右ストレートを放ち続けた。「スピードには絶対の自信がある。合わせられたことはない」とカウンターを恐れずに攻勢は衰えず、赤いベルトを腰に巻いてみせた。81年三原正以来となる日本人では5人目の米国での王座奪取は、紛れもない偉業だった。

 決して米国から届くスポーツの情報量に上限があるわけではないだろうが、残念ながら尾川の姿が多くのメディアに取り上げられたとは言えない。米国から発信される「大谷」という名前の渦の中に埋もれてしまい、ボクシング担当としては歯がゆい思いが大きかった。もっと大々的になっても…。大谷のエンゼルスの赤いユニホームに隠れる形になった赤いベルトに寂しさを覚えた。

 そんな最中、尾川が帰国した。12日早朝の羽田空港。くしくもロサンゼルス発の航空便は大谷と同便だった。ここでもか…、と午前5時からやるせなくなりそうだったのだが、そんな気分を晴らしてくれたのは尾川自身だった。航空会社の関係者にアテンドされて、いの一番にフラッシュを浴びた大谷が無言で過ぎ去ってから10分ほど。少なくなった報道陣の前に登場した尾川の腰には、堂々と赤いベルトが輝いていた。「期待されてるかなと思ったんで!」と無邪気にポーズを取って、カメラマンにサービスする姿。ジムメートで先輩のWBA世界ミドル級王者村田諒太は「すぐに調子に乗るから」と憎めない後輩を形容するが、まさにあえて調子に乗った行動で、明るく帰国した。こちらも何となく気分が晴れた。

 試合後の控室で言った。

 「まだまだ伸びしろがたくさんあると思っているし、まだボクシングってものを分かっていないと思っているので、そのうえで世界チャンピオンになれたので、これは自分自身でもどこまで強くなれるのかという期待でもあります」。

 謙遜というより、前向きな真実だろう。2歳から始めた日本拳法は明大卒まで20年間取り組んだ。卒業後に転向したボクシングはまだ7年目。拳法で染みついたボクシングではマイナスになる動きの修正を続けてきて、「慣れてきたのは昨年くらいからです」と明かす。拳法出身だからこその無類の武器もあるが、直すところ、向上させないといけないところはまだまだある。それが「伸びしろ」だ。その段階での王座戴冠だからこそ、この先が楽しみでならない。

 知名度も同じだと思う。今回は大谷フィーバーに重なる不運はあったが、これから「伸びしろ」は十分すぎるほどある。いきなりのラスベガスでの勝利、しかも日本拳法というキャリアは、本場で名前を売るにはうってつけだ。「またラスベガスで試合をしたい」と本人も望む。いつかきっと大谷に匹敵するようなニュースを米国から届けてくれる日を待ちたい。【阿部健吾】

今や蚊帳の外の井岡一翔、せめて自分の口で現状を

井岡一翔(左)と谷村奈南


 井岡一翔(28=井岡)は何をしてるんやろう。11月9日付でWBA世界フライ級王座を返上した。本来なら「日本ジム所属選手初の世界4階級制覇」を目指すとか、ポジティブな理由があってしかるべきやと思うけど、返上会見に井岡本人は出席せず、父親の同ジム・井岡一法会長が「予定していた大みそかのリングに調整が間に合わない」と説明。その上「モチベーションが上がらんのなら、引退せな仕方ない」てなことまで言うたから、驚いた。

 理由はケガでもない。「プライベートに時間を割かれたことによる練習不足」。歌手谷村奈南と5月に結婚した。新婚と言えば、そうやけど…。世界王者、しかも脂の乗った3階級覇者の“休業理由”としては、異例でしょう。まして、口癖が「唯一無二のチャンピオンになりたい」やった男としては。

 井岡のプロデビュー後最長ブランクは、15年12月31日、WBAフライ級王座の2度目の防衛戦(レベコ相手に成功)からララ相手に3度目の防衛を飾った16年7月20日までの「202日」やった。このコラムは12月4日に書いてるわけやが、直近の試合が4月23日、ノクノイとの5度目の防衛戦やから「225日」。気づけば記録? を更新してました。

 日本ボクシング界は動いてる。ロンドン五輪金メダリストの村田諒太はWBA世界ミドル級王者になって、日本人が中量級のベルトを奪う快挙を成し遂げた。WBO世界スーパーフライ級王者の“怪物”井上尚弥は12月30日に7度目の防衛戦を行う。

 井岡と同じフライ級では、木村翔が北京&ロンドン五輪金メダリストの中国の英雄・鄒市明からWBOのベルトを奪った。WBC王者で具志堅用高の秘蔵っ子、比嘉大吾はデビュー14連続KO勝ちの離れ業を演じて初防衛に成功した。さらに、将来的な“5階級制覇”を掲げる田中恒成がこのほどWBOライトフライ級王座を返上、おそらくは3階級制覇に動く。

 ところが、井岡は…。昨年まで6年連続でやってきた、恒例の大みそかファイトが途切れる。少し前まで間違いなく、日本の王者の中で特別な存在やったけど、今では蚊帳の外。ワン・オブ・ゼムに成り下がってきたんやないやろか。

 妻の谷村奈南は王座返上返上2日後の11月11日、ツイッターに「必ず本人が、ファンの皆さんへ真実をお伝えします」と書き込んだけど、井岡は依然沈黙を守ってる。まあ他の王者の試合が集中する年末に、水を差すわけにはいかんやろうけど、せめて年が明けたら、公の場で自分の口から現状を語ってほしい。それこそがファン、世間への王者の責任やないでしょうか。【加藤裕一】

村田は伝説の大場政夫に近づけるか!同じ日に王者に

村田諒太(左)と伝説のボクサー大場政夫


 まさにくしくもだった。日本の金メダリストで初の世界王者になった村田諒太。2度目の世界戦のゴング直前に、あるジムのマネジャーから言われた。そのひと言で「村田が勝つだろう」と思った。

 会場は両国国技館。老朽化と東京五輪を控え、世界戦を開催するような会場は建て替えと改修が相次いでいる。村田の試合は8月に発表された。世界戦はランキング、マッチメークの交渉、中継テレビ局の事情などで決まる。このため、事前に会場予約がなかなかできない。帝拳ジムの本田会長によると「今回はたまたま空いていた」そうだ。

 47年前の1970年(昭45)10月22日。会場は現在の両国国技館から徒歩5分ほどにあった旧国技館の日大講堂。あの大場政夫が世界初挑戦し、WBAフライ級王者ベルクレック・チャルバンチャ(タイ)を13回KOで倒した。帝拳ジムにとって、初めての世界王者誕生だった。

 大場は5度目の防衛に成功した直後、23歳の若さで亡くなった。永遠のチャンピオンとも呼ばれる、今や伝説のボクサーだ。マネジャーのひと言は「きょうは大場がチャンピオンになった日」。村田は同じ日に世界王者になり、しかも場所も同じ両国だった。ジムにとって記念日とは運があると言えた。

 プロボクシングの試合はリーグ戦やトーナメントは原則ない。まずは勝っていくことで地域の王座を踏み台に、世界ランキングに入り、ランクを上げていくことで世界挑戦のチャンスが出てくる。

 その間に王者も入れ替わる。これがまた微妙でかみ合うか、かみ合わないか。右か、左か。ボクサーか、ファイターか。ボクサーも当然、得手不得手がある。何より強い王者か、弱い王者か。巡り合わせであり、運、不運がある。村田の世界戦前に日本人初のミドル級世界王者竹原氏も「運は必要」と強調していた。

 90年代は辰吉、鬼塚、川島ら個性的な世界王者が数多く盛り上がった。この時代の帝拳ジムの期待は、横浜高で国体優勝し、甘いマスクの葛西だった。3度世界挑戦も王座をつかめず、トレーナーとなって村田を指導した時期もあった。「金メダルにプロでも頂点に立ったんだから、村田は運を持っている。ボクは実力がなかったが、運もなかった」と言っていた。

 大場から半世紀近くをへて、村田は帝拳ジムの日本人の世界王者として10人目となった。大橋ジムの大橋会長は「井上と村田がいれば、日本ボクシング界は当分安泰だ」と喜んだ。村田が今後どんな戦いを挑んでいき、伝説のボクサーになれるか。見守りながら楽しみたい。【河合香】

新日本プロレスらしい戦いが米国で支持された意味

後藤洋央紀にスリング・ブレイドを見舞う棚橋弘至(左)(2016年7月31日撮影)


 新日本プロレスの「バレットクラブ」ファンならば待望の対戦カードだっただろう。海の向こう、米国で元ボス対決が実現した。10月22日(日本時間23日)、WWEのロウブランドによるPPV大会「TLC」(米ミネソタ州)で急きょ組まれた。初代ボスで、この日はデーモンバージョンのフィン・ベイラー(プリンス・デヴィット)は当初、ブレイ・ワイアットとの対戦が決まっていた。ところがワイアットが体調不良のために欠場。代役として白羽の矢が立ったのが、同じWWEのスマックダウンを主戦場とする2代目ボスのAJスタイルズだった。

 WWEではあるものの、2人の対決は新日本マットのムードが漂っていた。ヘッドロックとグラウンドの攻防でスタート。ベイラーが回し蹴り、延髄斬り、ロメロスペシャルを繰り出せば、AJも負けじと逆水平チョップ、フライングフォーアームで応戦した。場外戦もスリリングな内容で、会場から悲鳴も上がった。いつものWWEとは違う雰囲気に包まれると、途中にはベイラーが棚橋弘至の必殺技スリングブレイド、AJも後藤洋央紀の必殺技となる牛殺しで反撃した。

 終盤もエルボーの打ち合い、ベイラーがリバースのブラディサンデーに成功。AJの雪崩式フランケンシュタイナーを耐え抜くと最後はクー・デ・クラ(ダイビングフットスタンプ)で18分15秒、3カウントを奪った。熱気に包まれた会場。リングの中心で両者は向き合い、ウルフパックを決めた手をくっつけた。以前、新日本マットで繰り返されてきたバレットクラブの決めポーズ「TOO SWEET」。観客の盛り上がりが最高潮に達した瞬間だった。

 ベイラーは13年5月、新日本プロレスで自らバレットクラブを結成した。約1年後となる14年4月に退団。そのベイラーと入れ替わるようにAJスタイルズが新日本マットに登場し、バレットクラブの加入を表明した。そのため、2人が日本で一緒にユニットを組むことはなかった。急きょ組まれたカードだったが、同PPV大会のベストマッチと米国内で評価されていた。WWE上層部がどのように見ていたかは分からないが「バレットクラブ魂」が詰まった新日本プロレスらしい両者の戦いが米国で支持された意味は大きいだろう。【藤中栄二】

比嘉が初防衛、愛弟子の認知度に具志堅氏「!!!」

報道陣の質問に答える具志堅用高会長(左)の横で爆笑する比嘉大吾(2017年10月23日撮影)


 「だって、誰がチャンピオンか分からないでしょ!!!」

 最近、かなり良いなと思った言葉だ。

 具志堅用高氏、その不滅が近年あらためて意識される世界戦13度防衛の日本記録保持者で、方々のバラエティー番組を中心に意表を突いたパンチならぬ言動と距離感の詰め方、なにより昔は虫が死んでいたこともあったと聞くトレードマークのアフロヘアは、そのボリュームを多少少なくしてもいまだに象徴的で、おそらく日本人が最も知っている日本人ボクサーかもしれない。

 その人が文字通り大きな声を上げたので、「!!!」と感嘆符を3度も重ねてしまったが、おそらくその場に居合わせた人なら、テレビ番組で見せる姿とは一線を画す大まじめな正論に、この3度「!」も納得してくれるのではないか。10月23日、都内のホテルの一室で、前夜にWBC世界フライ級の初防衛に成功した比嘉大吾、同じ沖縄県生まれ、白井・具志堅スポーツジムの愛弟子が喜びの一夜明け会見を行った時だった。

 思い返せば、この会見、具志堅会長はなにやら鬱憤(うっぷん)があるようだった。比嘉が試合の前日計量をクリアした後の目を離した隙に、最初の食事でみそ汁を流し込んでしまって、体重を戻すために肝心の炭水化物や肉などがスムーズに胃に入らずに試合前の発汗に支障をきたしたことを「聞いたことがないよ!」と叱責(しっせき)し、「赤だしっていうのは塩辛くて飲めたもんじゃないねえ」と笑いが起こる救いのジャブで和ましながらも、「次は変えないといけない」と口ひげをへの字に曲げる姿もあった。察するにその厳しい眼光は、比嘉自身に足りないもの、そして比嘉を取り巻く環境に足りないものを痛感したからだったと思う。

 「どこも(比嘉の)1面がないねえ」。そうスポーツ紙の前日20日の試合の報じ方に落胆の色を隠さなかった。前夜のトリプル世界戦のメインカードはWBA世界ミドル級タイトルマッチで、ロンドン五輪金メダリストの村田諒太がアッサン・エンダムへのリベンジに成功し、ついに世界ベルトをつかんだ一戦。比嘉はセミファイナルで、1面は村田一色になるのは当然と思われたが、具志堅会長の「1面~」口調に一切の冗談のトーンはなかった。いたって大まじめだった。それ以降に発した言葉。「大吾より(自分の愛犬の)グスマンの方がまだ有名だよ」「昔は90日で試合をしたもんだよ。半年も間が空いたら忘れられてちゃう」。一貫していたのは知名度への敏感さ。「1面」もしかり。14戦連続KO勝利で初防衛戦まで飾った22歳の愛弟子の世間的な認知度はいかほど。疑問符が付きまくっていたのだ。そして、いよいよ、その矛先が比嘉にとどまらない現状に打ち込まれたのが、冒頭の言葉だった。

 「だって、誰がチャンピオンか分からないでしょ!!!」

 あらためて、良い。つまり「いまは4団体もあるでしょ。どんな階級にどんなチャンピオンがいるかファンもわからないよ」なのだ。具志堅会長が現役時はWBAとWBCの2つ。いまはIBFとWBOも日本ボクシングコミッション(JBC)から認定されている。フライ級ではWBAが井岡一翔、WBCが比嘉、IBFがニエテス、WBOが木村翔。4団体中3王者が日本人。最軽量級のミニマム級からフライ級まで合計12人の王者のうちで見ても8人を占める。これはもちろん実力の高さもあるが、世界的な選手層の薄さも1つの要因でもある。そして何より、王者が多すぎることは、具志堅会長の鋭い指摘通り、「誰がチャンピオンか分からない」状況を生んでいることも事実だ。試合前から、WBA王者の井岡一翔の名前を挙げてターゲットと明言することにちゅうちょはなかった。これはパフォーマンスではなく、具志堅会長なりの危機感の現れだったのだと思う。愛弟子にとってはリスクがある相手だし、統一戦の盛り上がりに比例して失うものだって大きい。しかし、王者は知名度あってこそ。それは30年以上前に日本を熱狂の渦に巻き込み、いまも抜群の知名度を誇るボクサーの体感だろうし、誇りでもあると見えた。抜群にすてきだ。

 いまボクシングファン以外の人に日本人の現役世界王者の名前を聞いたら、11人のうち何人まで答えが出るか、考える。きっと多くないだろう。それは4団体認定の実情だろうし、どうしても情報量は拡散されるのだから、致し方ない。ではその中でチャンピオンたちはどうすればいいのか。当然、勝ち続けることが大前提。それも忘れられないペースで。そして、他の日本人の「ライバル」たちを倒していくことが一番ではなかろうか。

 「高校の伝統は?」と聞かれ、「ナショナルです」と電灯のメーカーを答える具志堅会長は最高だと思う。ただ、ボクシングについて急所を一言で打ち抜くような発言も最高だ。次戦に沖縄凱旋(がいせん)試合もぶち上げたのも、いかに注目されるかを熟考するからだろう。予期しない変化球とド直球。その振り幅の大きさを目の当たりにしながら、比嘉がどう誰もが知る「チャンピオン」になっていくのか。また「!!!」と書きたくなるような言葉が飛び出したら伝えていきたいし、待っています。【阿部健吾】

強面も繊細な比嘉、優男も強心臓の拳四朗に興味津々

日刊スポーツを手にガッツポーズするWBC世界フライ級王者・比嘉大吾(左)と同ライトフライ級王者・拳四朗(2017年10月23日)


 WBC世界フライ級王者比嘉大吾(22=白井・具志堅)は強面(こわもて)だ。沖縄出身らしい濃いめの顔に、ゴワッと蓄えたあごひげ。WBC世界ライトフライ級王者拳四朗(25=BMB)は優男だ。京都出身らしいはんなり顔で、お肌つるつる。見た目対極にある2人の世界王者が22日のトリプル世界戦でそろって初防衛に成功した翌日、都内で並んで会見した。実は内面も対極というのが、意外で興味深かった。

 比嘉は試合前日の計量後から、体調がエライことになっていたらしい。

 「ご飯を食べに行って、先に白ご飯とみそ汁を出してもらって食べたんですが…」。試合当日。トイレに行くと…固形物は出ず、ほぼ液体ばかり。会場入りし、アップを始めても汗が全然出ない。「俺、どうなるんやろう」とすごく不安だったそうだ。会見では師匠の具志堅用高会長に「ご飯にみそ汁なんて、全然ダメ!」と冗談交じりにしかられていた。

 対して拳四朗は計量後、5万4000円の超豪華特製焼き肉弁当を“同名”の焼き肉店「けんしろう」のオーナーに差し入れてもらい、ガツガツ食べた。記者が52年生きてきて、1度も食べたことがないシャトーブリアンをほおばり「これ、ヤバッ! めっちゃ柔らかい」と大はしゃぎした。「だんだん緊張しなくなってきてるんです。初めての世界戦から前日、しっかり眠れるようになってるし」。試合当日はトイレも絶好調だった。

 ほんで、試合の結果はというと。比嘉は、過去21戦でダウン経験ゼロの同級5位トマ・マソンを暴風のような攻めに巻き込み、7回1分10秒TKOで仕留めた。デビューから14戦14KO勝ちで、パーフェクトレコードを伸ばした。もうバケモノや。拳四朗は同級1位ペドロ・ゲバラに判定勝ち。ジャッジ3者全員のポイントでリードを許した4回までの劣勢を逆転したのだから、それはそれでなかなかの根性やと思う。

 立ち話で、お互いの印象を聞いてみた。比嘉の拳四朗評。「拳四朗さんって、自分ができないリラックスを当たり前にできる。すごい。試合前日に映画見たり、買い物行ったりするんでしょ?」。拳四朗の比嘉評。「全部KOなんて本当にすごい。尊敬します」。

 強面やのに妙に繊細でコンディションを崩してもKOしてしまう海人。試合後のテレビカメラに顔を近づけて、投げキッスまでしてしまう癒やし系の京男。階級は1つ違い。いつか、ベルトかけて戦ってくれんかなあ。【加藤裕一】

秋山準25周年、社長で王者 背中で引っ張る気概

秋山準(2017年8月28日撮影)


 全日本プロレスの秋山準(48)と大森隆男(48)のプロレスデビュー25周年記念大会が21日、横浜文化体育館で行われた。1992年(平4)にデビューした2人は、現在、全日本の社長と取締役として団体の経営に携わる。

 記念すべき大会で、2人はタッグを組んで世界タッグ王座に挑戦した。対戦相手は、大日本プロレスの実力者関本大介、伊東竜二組。そのパワーと若さにたじたじとなりながら、秋山があえて胸を突き出し関本の逆水平チョップに耐える姿は印象的だった。最後はその秋山が、必殺エクスプロイダーで、関本を下し勝利。ベルトを巻いた。

 「やったというより、この年でベルトを巻くという責任感。まだまだ動かなきゃいけないなと思う」と秋山は大粒の汗を流しながら言った。故ジャイアント馬場さんの死後、分裂や選手の大量離脱、経営者の交代と混乱の続いた全日本だが、秋山が社長に就任してからは徐々に経営を立て直しつつある。このところ、1歩下がったような形でプロレスをしていた秋山だが、経営と同じようにプロレスでも若い年代に背中を見せて引っ張る気概を示した。

 試合の合間に行われた記念セレモニーでは、小橋健太さん、川田利明さんらが花束贈呈にリングに登場。同じく25周年を迎え、同じ日に千葉・東金で記念大会を行った永田裕志、中西学からのビデオメッセージが場内に流された。秋山と大森が、三沢、川田、小橋、田上の四天王を追いかけたように、永田と中西も第3世代として武藤、蝶野、橋本の闘魂三銃士に追いつけ追い越せと戦ってきた。

 かつて馬場さんからアドバイスをされても、自分を主張した秋山が、バックステージで中堅の選手に、強い口調でアドバイスをしていた。以前のインタビューで「今になって、馬場さんの言っていたことの意味が分かる。王道というのは、スタイルではなく、馬場さんが教えてくれた基本的なことで、我々が若い子たちに普通に教えていること」と話したことがある。秋山が25年の中で培ってきたものが、今の全日本プロレスの中に流れている。

 25周年記念大会の会場となった横浜文化体育館のロビーでは、5月にリング上の事故で頸髄(けいずい)損傷などで入院中の高山善広(51)を支援する募金活動が行われていた。高山もまた92年デビューで、今年が25周年だった。【プロレス担当=桝田朗】

勅使河原弘晶、ボクサーきっかけ 少年院で読んだ本

勅使河原弘晶


 スポーツを始める動機にはいろいろある。親やきょうだいをマネしたり、誘われたり、強制されたり。ボクシングはテレビを見てという例が多い。

 昔ならファイティング原田、取材するようになってよく上がった名は辰吉丈一郎。91年に当時の国内最短となるプロ8戦目で世界王者になった時は、所属の大阪帝拳ジムだけでなく、全国のジムで入門者が激増した。

 あとは漫画を読んで始めたボクサーも多い。最近なら「はじめの一歩」、以前は「あしたのジョー」だった。1冊の本との出会いが、人生を変えたボクサーもいた。

 勅使河原弘晶(27)はWBOアジア・パシフィック・バンタム級のベルトをつかみ、29年目にして輪島ジム初の王者となった。「炎の世界チャンピオン」を読んで、ボクサーを目指すことを決めた。スーパーウエルター級で2度世界王者になり、88年にジムを開いた輪島功一会長(74)の自伝だ。

 会長は北海道で中学から漁師の仕事につき、25歳でプロデビューした苦労人で、炎の男と呼ばれていた。勅使河原は図書室でこの本を手に取り、読み終わった時に人生を方向転換させた。

 図書室があったのは少年院だった。物心がついた5、6歳の頃、父が再婚した。この義母にさまざまな虐待を受けた。地獄の4年を過ごして、ついに交番に駆け込んだという。

 母はいなくなったが、中学から自暴自棄になって非行に走り、16歳で少年院に入った。院内でも傷害事件を起こしたが、あの本を読んだ日には「世界王者になる」と日誌に書いた。

 その後は改心して模範囚となり、卒院するとお金をためて上京し、真っすぐにジムへと向かった。「本にあった会長の根性と努力に打たれた。根性は元々ある。あとは努力すれば王者になれると思った」と振り返った。

 6年目の初のタイトル挑戦でベルトを巻き、会長へ恩返しとなった。まだ通過点で、次は世界のベルトをプレゼントしたい。建設現場で働きながら、さらなる高みへの努力を続けるつもりだ。【河合香】

正木脩也「あこがれ世界王者の弟」指導で化学反応

正木(右)とリナレス・トレーナー


 あこがれの世界王者の弟に教わる。アスリートとしてどんな気持ちだろう。

 「一緒にジムにいるときもあるのに、緊張してまだサインとか写真とか頼めてないくらいです」。

 弾む声で教えてくれたのは、7日の東京・後楽園ホール、セミファイナルのスーパーフェザー級(60キロ契約)8回戦に1回1分56秒KO勝ちした正木脩也(23=帝拳)。ボクシングを始めたきっかけは現WBA、WBC世界ライト級王者ホルヘ・リナレス(32=帝拳)。17歳の時にベネズエラから来日して帝拳ジムの門をたたき、輝かしいプロキャリアを歩み、3階級制覇を成し遂げた。先月の防衛戦ではロンドン五輪金メダリストのルーク・キャンベル(英国)を試合中にあばら骨骨折を負いながら判定で破ったばかり。この日、セコンドについたのはその弟カルロス・リナレス(28)トレーナーだった。

 「すごいですよね、そんな人に教えてもらうなんて」。

 コンビを組んだのは8月下旬。兄を追うように来日し、12年には日本ミドル級王座決定戦挑戦経験も持つカルロスが、帝拳ジムでの本格的にトレーナーとして勤め始めてからだった。「ホルヘに似ている」とカルロス・トレーナーに見初められ、練習前には「自分はホルヘや」と自らに暗示をかけて取り組む日々。すぐにストレートを打つ際のバランスの修正に取り組み、それまで上方に打ち気味だったパンチを、思い切って打ち下ろすように心がけた。まるでホルヘ・リナレスのように。

 それから1カ月強。効果はてきめんだった。7日の試合の1回、1発の右ストレートで10カウントを聞かせた相手は、決してかませ犬の外国人選手ではない。東洋太平洋同級9位シソ・モラレス(フィリピン)は、10年2月には世界タイトル挑戦の経歴も持つ。「正直怖かった」という強豪に対し、アゴを打ち抜いての一撃の幕切れは、どこか実感がなさそうに「右ストレートでダウンを取れてうれしい」と振り返ったが、ホルヘに近づこうとしたこの1カ月強の努力ゆえだった。勝利後のインタビューで真っ先に感謝の言葉を述べた教え子に、カルロス・トレーナーもうれしそうだった。控室では高揚しながらニコニコと勝利をたたえていた。

 スーパーフェザー級は内山高志、三浦隆司の名王者が今夏に引退し、新時代を迎えている。日本王座を返上した尾川堅一、その空位となったベルトをかけた7日のメインカードの王座決定戦で新王者となった末吉大は、同じ帝拳ジム所属で正木の先輩。東洋太平洋タイトルを返上した伊藤雅雪(伴流)など世界ランカーも含め、好素材がそろう。23歳、現在日本ランク6位の正木も、その群雄割拠についていきたい。

 あこがれは、現実感を増して、確実に良い化学反応を引き起こしている。まだ日が浅いカルロス・トレーナーとの歩みが、今度どうさらなる変化を見せていくか。注目していきたい。【阿部健吾】

ロッキー時代もう終わり?王者京口紘人の「神対応」

大阪・堺市の浜寺小で人生初の講師に挑戦したIBF世界ミニマム級王者京口紘人(撮影・加藤裕一)


 「世界王者が、こんなにええ子ばっかりでええんか?」というのが、数カ月前からボクシング担当になった、52歳記者の率直な感想である。

 WBC世界ライトフライ級王者拳四朗(25=BMB)は中学生顔負け? の幼い見た目と柔らかい空気感に驚いた。WBO世界ミニマム級王者山中竜也(22=真正)は、腰の低さに驚いた。そして今回、IBF世界ミニマム級王者京口紘人(23=ワタナベ)を初めて取材した。

 京口は9月29日、大阪・堺市の浜寺小で特別授業の講師を務めた。6年生の全児童69人に「夢」の大切さを語った。質問コーナーで間断なく手を挙げる児童に「物おじせんなあ…」と舌を巻いたが、質問がどんなものでも同じ目線で懸命に答える姿に感心した。「筋肉見せて!」というムチャぶりにも、そそくさとシャツをまくって腹筋を見せる。井上孝志トレーナー(47)相手に軽いミット打ちを披露した際は、興味津々の男性教諭にもミットを持たせ、パンチ(もちろん軽め)を味わってもらい、児童を大喜びさせた。

 極め付きは授業終了後だ。校長室でひと息ついていると、授業に出ていた児童がサイン目当てに次々と押しかけてきた。クリアファイルにねだるのは上等な方で、ノートの裏面にお願いする子もいた。その1人1人に「名前、なんていうの?」と聞いて、ちゃんと添え書きする。白地のスペースがほぼない、阪神タイガースの下敷きを差し出された時は「うわ~、これ、どこに書こ?」と笑いながら、その児童と相談してサインの場所を決めていた。おそらく授業を受けた6年生ほぼ全員に、たっぷり30分以上かけて対応したと思う。

 今風に言うなら“神対応”のサービス精神。京口は「いや~、思った以上に、興味を持ってくれていて、ほんまにうれしかったです。僕もかなり活発な方やったけど、みんな元気ですね」と笑うだけ。疲れたそぶりを、これっぽっちも見せなかった。

 かつてボクシングといえば、原動力=ハングリー精神やった。ギラついて、とんがって、人付き合いもうまくない。良くも悪くも自己中心的で自分勝手。それでも、許されるのが強者の特権やった。弱肉強食の世界において、それは間違ってへんと思う、思うけど…。もう、そんな時代ではないのかもしれませんなあ。【加藤裕一】

大鵬3世納谷◎デビュー!名と素質生かすも自分次第

デビュー戦を勝利で飾り意気揚々と引き揚げる納谷


 昭和の名横綱・大鵬の孫、納谷幸男(23)が14日のリアルジャパン後楽園大会で、プロレスデビューを果たした。初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰するプロレス団体へ入団した13年4月から約4年。大鵬3世、将来の大器と期待された納谷が、ようやくプロの第1歩を踏み出した。

 納谷の父は、元大相撲の関脇貴闘力で、息子より先にプロレスデビューを果たしていた。今回、息子のデビュー日が決まり、後楽園大会のチケットを約500枚も売り、息子の援護射撃をした。当日の会場でも、私服姿でチケットを売った友人らを席まで案内するなど、休む間もなく会場を動き回っていた。その貴闘力は「ホッとした。ようやくここまでこぎつけた。これで巣立っていくのかなあ」と感慨深げに話していた。

 幸男は4人兄弟の長男。身長は、団体発表で2メートルと大きいが、気持ちが優しすぎ、闘争心が前面に出てこない。リアルジャパン入りしてからは、内臓を壊し長期休養を強いられたことも。貴闘力は、そんな長男を自分が経営する焼き肉店を手伝わせるこで、かげながら見守ってきた。試合当日は、故大鵬さんの夫人、芳子さんや、大鵬さんの三女で納谷の母親、3人の弟も応援に駆けつけた。

 そんなデビュー戦で、納谷は雷神矢口やそのセコンドからの攻撃に遭いながら、見事勝利を収めた。場外では有刺鉄線ボードに体をたたきつけられ、有刺鉄線バットで殴られた。さらに毒霧攻撃も食らい、顔は真っ赤、体は血だらけというありさまだった。それでも、豪快な右のキック、フライングクロスチョップ、さらに決め技のランニングニーリフトなど、会場を沸かせる大技も披露した。十分合格点をあげられるプロレスデビュー戦だった。

 大鵬さんの遺影や、父母にデビュー戦勝利をプレゼントし、3人の弟には兄としての威厳を示せた。試合翌日の納谷は「緊張したが、お客さんの歓声でいけると思った。勝てて良かった。でも、もっともっと練習してお客さんを喜ばせられるレスラーになりたい」と表情を引き締めた。大鵬3世という自分が背負った運命からは逃れられない。プロレスを知らない人からも注目される。佐山サトルは「アントニオ猪木、タイガーマスクに次ぐプロレスの星になって欲しい」と大きな期待を寄せた。素質と名前を生かすのは本人の努力だけ。そのことは納谷自身が一番分かっているはずだ。【プロレス担当=桝田朗】

たった5% ボクシング世界戦「日本人対決」の意義

小国以載(おぐにゆきのり)対岩佐亮佑(りょうすけ)6回、岩佐(右)のパンチが小国の顔面にヒットする


 最初は50年前だった。ボクシングの世界戦での日本人対決。IBFスーパーバンタム級で小国以載が岩佐亮佑の挑戦を受けたのが、35試合目だった。

 2人は高校時代に1度対戦し、11年半ぶり再戦となった。ともにプロになって3年前まではよくスパーリングし、プロではいい勝負だったという。アマでは高1の岩佐が高2の小国に8-18で快勝し、決勝にまで進んだ。今回は6回TKOで岩佐がまた勝った。

 岩佐は「初対戦はあまり覚えていないが、鼻血を出して手を上げられた」と話していた。小国は終始弱気発言。「誰だって最初が印象に残る。負けた方は忘れないでしょ」。

 小国は的確にポイントを狙っていき、ダウンを奪っても「この回はもらった」と深追いしない。捨てるラウンドもある。防衛戦だけに「引き分けでもいい」と言っていた。それが初回から前に出た。先制攻撃を仕掛ける玉砕戦法。左が大の苦手だった。逆に岩佐は「6割方下がると予想していたが来てくれた」と思いもよらぬ展開。1、2回に左で3度ダウンを奪って、悲願達成となった。

 67年に王者沼田が小林の挑戦を受けたのが、日本人対決の第1戦だった。12回KOで小林が王座を奪取した。35試合のうち2試合が正規王者と暫定王者、1試合が2団体の王者による統一戦、3試合が王座決定戦。この6試合を除く29試合で、挑戦者で勝ったのは5試合しかない。

 内外で日本人と日本のジム所属外国人が、800試合を超える世界戦を繰り広げてきた。35試合と言えば5%に満たず、5人の勝者は1%もいかない。海外の王者に挑んでいくのが世界戦の基本。日本人対決は、一般には無名の海外王者より少しでも名が通る日本人相手で、安易なマッチメーク、集客、経費抑制、視聴率期待などの思惑が見える。

 前座では昨年世界初挑戦失敗した和気が8回KOで世界ランク復帰を確実にし「勝者に挑戦したい」とアピールした。岩佐は元々「日本人対決の意識はない」と言い、「日本人なら挑戦者決定戦を勝ち上がってきてほしい」と注文をつけた。

 海外で世界初挑戦に失敗し、その後も挑戦者決定戦で相手が計量失格など、苦難の道を1歩ずつ歩んできた。「小国さんのためにも王座を守り続けたい」と先輩に敬意を示すとともに、「海外にも挑戦していって、有名より強くなりたい」。最近は粗製乱造気味と言われる世界王者だが、一家言ある新王者が誕生した。【河合香】

底が見えない「モンスター」井上尚弥、好敵手求む!

アントニオ・ニエベス(右)に強烈なボディブローを入れる井上尚弥


 「怪物」あらため「Monster」の底はどこにあるのか。

 WBO世界スーパーフライ級王者、井上尚弥(24=大橋)。

 6戦目での世界王座獲得、8戦目での2階級制覇(当時史上最速)、日本の枠にとどまらない金字塔を打ち立ててきたが、今回は恐ろしさすらも感じた。

 日本人ボクサーでは初と言っていい、本場米国からのオファーを受けての海外進出。9日(10日)にカリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センターで開催された興行「Superfly」のセミファイナルでのV6戦で同級7位アントニオ・ニエベス(30=米国)と相まみえたが、結果は6回終了時TKO勝ち。5回に左ボディーでダウンを奪い、結末は6回を終えてニエベスが棄権したためだった。攻める意志の欠如は、おそらく初回にストレートのような左ジャブを受けたことが原因。そのあまりの威力に面食らい、予想とのギャップに「倒されないこと」に心理がシフトせざるを得なかったからだろう。「容赦なかった」と敗戦後に語ったとおり、グローブを体にぴったりと貼り付けて極端な防御姿勢を作っても、わずかなすきに連打を打ち込んでくる。怪物の恐怖におびえた30歳の銀行マンが、口座開設の仕事に異常をきたすような倒され方をされる前に、ボクサーの仕事を切り上げたのも無理はない。それほど実力差があった。戦意喪失、相手の心を折ってしまうほどの明瞭で残酷な実力差を見せつける“楽勝”だった。

 これまで日本人が米国での世界戦でKO勝ちしたのは2人しかいなかった。27回の挑戦があり、その確率は7・4%。極東の島国と本場との大きな隔たりを感じさせる数字だったが、井上の勝ちっぷりを見ると、そんな大きな隔たりがあったとはとても思えない。見る者の感覚をまひさせられるような勝利だった。海外での防衛戦という視点でも、日本人史上7人目、9例目。史上かつてないほどの圧倒劇と言っても過言ではないだろう。

 見る者の固定観念を軽やかに覆してしまう米国初参戦。11日に成田空港に帰国した際に聞いたエピソードでも、驚かされた。3日に渡米した際にベルトを日本に忘れてきたことを試合前に明かしていたが、なんと試合日にも宿泊していたコンドミニアムに忘れ、会場で気付いた関係者をあぜんとさせたという。そんなリング外でのおとぼけは、井上の常。帯同した大橋会長は「尚弥は本当に日本にいるときと変わらなかった。私たちのほうが浮足立ってしまいましたね」と、気負いや緊張とは無縁なその強心臓ぶりで、「モンスター」のすごみを証言した。

 そんな遠征だったが、今回唯一足りなかったものは、対戦相手の強さ、だろう。1つ上のバンタム級を主戦場にしてきたアマチュア全米2位の実績を持つニエベスは、好選手であったが、好敵手ではなかった。一方的な展開過ぎたことで、「イノウエ」のすごさを100%本場へ伝えられたかというと、本人も曇り顔。実際、試合後の現地メディアの報道を見ると、絶賛はあれど、そこに書き手の高揚感を感じるような記事が少なかった。評価は確実に手に入れた。ただ、心をわしづかみにしてしまうような試合ではなかった。それが「本場」の雰囲気かなと思う。

 単純に強すぎた。豪快なKO劇をみせる前に、相手が白旗を挙げてしまう。似たような状況をここ3試合続けているのは、井上の8戦という最速記録を越える7戦目での2階級制覇王者となった現WBO世界スーパーフェザー級王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)。同様に圧巻の力量差を見せつける形で、初防衛戦から3戦連続で相手の棄権を呼び込んでいる。そして、その強さにもかかわらず米国では絶対的な人気を誇ってはいない。

 理由はファンの求めるものが違うからだと思う。少なくとも対峙(たいじ)した2人のボクサーに顕著なスキルの差が見て取れるときには、勝って当たり前の心境は、興奮をもたらさない。7、8月と日本人ボクサーを追ってカリフォルニアの会場で感じた空気では、やはり打ち合い、拮抗(きっこう)した実力伯仲の両者が、紙一重のタイミングで拳を交える緊張感、それがダウンを奪う一撃で弾ける瞬間こそが、最上の熱をもたらす。それは世界王者であろうが、8回戦の試合であろうが、変わらなかった。

 いま、井上に求められるのは好敵手だ。どんなスポーツであれ、多くの関心を集めるのはライバル物語というのは世の常。絶対王者が君臨する世界において独り勝ちという状況は、勝利に予定調和の既視感がまとわりつく。人は1度見たもの、体験したことでは極度の興奮には到達しにくい。だからこそ、勝つか負けるか分からない、激しい打ち合いをできる、熱をもった戦いを繰り広げられる「相棒」がほしい。

 その時こそ、「モンスター」の底が見られるかもしれない。きっと本人もその時を待っているのではないか。これが伝説の始まりだとして、楽しみに待ちたい。【阿部健吾】

特上の福原辰弥、王者陥落の日いちげん記者に神対応

1R チャンピオン福原辰弥を果敢に攻める挑戦者の山中竜也(2017年8月27日撮影)

 何人ものスポーツ選手を取材してきた。時には「何じゃこいつ」と感じる相手もいたけど、それ以上に感じのええ相手が多かったのは間違いない。その中でも、前WBO世界ミニマム級王者福原辰弥(28=本田フィットネス)は特上の1人です。

 8月27日、熊本・芦北町民総合センター。タイトルマッチが終わって約1時間半。原稿を書いてる合間、屋外の喫煙所で1人で一服してたら、挑戦者の山中竜也に負けた彼が歩いてきた。横にいたんはきっと彼女でしょう。近づいてきて、目が合った。

 「ありがとうございました!」

 力みもなく、普通にしっかりした声。顔はちょっと腫れていたけど、自然な笑みが印象的やった。

 「ナイスファイトやったね?」

 おべんちゃらでなく、実際そう思ってた。打たれたら、必ず前に出て打ち返す。1度も下がらんかった。典型的なファイターの戦い方を見せてもらった。

 こっちの言葉にちゃんと目を見て、頭を下げて、通り過ぎていった。横にいた彼女(と思う)も、彼と一緒に笑顔で頭を下げていった。

 別に特別親しい間柄やない。世界王者になる前から取材してたわけやなく、初めて会ったのは3日前。彼にすれば“いちげんさん”ですわ。しかし、思えばその3日前も、質問に必ず相手の目を見て、質問の意味をじっくり考えてから、自分の言葉で対応してた。

 週に5、6日は朝9時半から夕方6時までは熊本市内のゲームセンターで店員として働き、週に3日は夜9時から深夜2時、3時まで通信販売のコールセンターで働く。そうやってボクシングを続けて、世界王者になった。

 9月9日に熊本でミスチルのライブを見に行くと言うてた。

 「それは君の趣味?」

 「…いや~」

 「ああ、彼女の趣味やね?」

 「…ははは」

 今後も現役を続けるんか。28歳っていう年齢を思えば、きっといろいろ考えると思う。穏やかな時間の中で、じっくり考えるんでしょう。まあでも、彼なら彼にとって正しい結論を出すのは間違いないと、信じています。【加藤裕一】

全日本に復活の兆し「明るく楽しいプロレス」が再び

全日本プロレス運営新会社設立会見で相談役を務める故ジャイアント馬場さんの元子夫人(中央)と手を合わせる社長の秋山準(右)と専務の諏訪魔(2014年7月4日撮影)

 全日本プロレスに復活の兆しが見えてきた。28日の両国国技館は6550人で満員の発表だった。午後3時から約4時間半。62人のレスラーが出場したが、第0試合から、最後の3冠ヘビー級選手権まで会場には心地よい活気が感じられ、大いに盛り上がった。

 ジャイアント馬場が創設し今年で45周年。新日本と並ぶ日本プロレス界の老舗団体は、馬場さんの死後、何度も経営者が変わり、選手の離脱などを繰り返した。それが、14年7月1日に秋山準が社長に就任し、その当時のどん底から、客足が徐々に戻っている。4月のチャンピオンカーニバルの後楽園大会では久しくなかった大入り満員を記録。大都市圏を中心に人気回復の傾向にある。

 秋山とともに経営に携わる大森隆男取締役は「団体の中にいると実感はない」と言いながらも、手応えを感じている。「残った選手たちの頑張り、少人数のスタッフが1人何役も仕事をこなし、若手の意識も変わってきた」と話す。「オレがやらなきゃ」という気持ちが、トレーニングでも試合でも出ているという。

 3冠ヘビー級王座を石川から奪い返し2度目の戴冠となった宮原健斗や、野村直矢、青柳優馬といった若手の台頭。さらに秋山や大森、渕といったベテランがそれぞれの役どころを感じて、試合を盛り上げる。馬場時代をよく知る渕は「おれたちが悪役商会でやっていた時代と、お客さんの反応が似てきた。馬場さんの言った明るく楽しいプロレスが、リングでできている」と話す。

 秋山社長体制になり、大日本や地方のインディー団体などとも交流を広げた。両国大会では、女子レスラーも登場した。また、過去に全日本に所属したレスラーたちも呼び戻され、ファンには懐かしい顔も見られる大会となった。全日本退団後初めて参戦したというグレート小鹿(75)は「全日本のリングは20年ぶり。全日本のリングはにおいがするんだよ。ボクが日本プロレスから吸収合併で来たころの初期のにおいがまだ残っている。秋山社長が地に足がついた経営をして、ここまでやってきた。秋山社長以下の努力をほめてやりたいよ」としみじみと話していた。

 現在のプロレス界は新日本プロレスの一人勝ち状態が続いている。グレート小鹿も「今は横綱が1人いて、あとはせいぜい三役か平幕以下。プロレス界活性化とために全日本には頑張ってもらいたい。全日本はオレらの心のふるさとなんだよ」と願いを口にした。大森隆男取締役も「今に見とけよ、と思っている」と反転攻勢を誓った。【桝田朗】

三浦隆司と内山高志の引退、ボクシング界の世代交代

 偶然の一致だが、今年のボクシング界は世代交代年になった。拳を交えたスーパーフェザー級の元世界王者が、7月に1日違いで引退を表明した。記憶と記録に残る2人だった。

 三浦隆司を初取材したのは09年、日本王座に3度目の挑戦の時だった。初挑戦は小堀に負け、再挑戦は矢代に引き分け、再戦でダウン応酬の末に雪辱の王座獲得。喜びのあまり幼なじみと結婚宣言し、トレーナーから「本当に大丈夫?」と冷やかされていた。まだ横浜光ジムで、初々しい地方出身青年の印象だった。

三浦隆司

 11年の世界初挑戦では内山高志からダウンを奪うも逆転負けした。心機一転して帝拳ジム移籍には驚いた。当初は日本王者だった叔父の薦めで、帝拳ジムに体験入門した。初の高校6冠で同期の粟生が注目され、いつしか姿を消したと聞いていたからだ。

 ジムに一番長くいる選手だった。多くは2時間程度だが、三浦は4時間近いこともあった。バーベルを素手でコツコツたたく姿が印象的だった。普段もリングでも外見にこだわりなく、世界をとっても同じトランクを使った。東北人らしく多くはしゃべらず。寡黙な野武士のような風貌にも好感が持てた。

 内山の世界初挑戦の時は勝てないと思った。体制が問題だった。洪トレーナーが渡辺会長と意見が合わず直前にジムを離れた。急きょチーム内山を結成。役割分担して一丸で支えたが、デビューから指導していた元アマ韓国代表の穴は大きかった。王座奪取は内山のさまざまな能力の高さあってのもの。大人だったのを見落としていた。

 ワタナベジムは来る者を拒まないおおらかムードだが、内山がいると緊張感が出る。トレーナーは同じアマ出身者が多いがいずれも年下。何事も内山が一番熟知していた。拓大では荷物番をやらされた屈辱もあり、特に体育会系の日常の自己と周囲への厳しさが原点、原動力だった。

内山高志

 練習を始めるには、1回3分の間は入り口で待つルールがある。インターバルになると「お願いします」とあいさつして入れる。昔はなかった内山流のけじめ。合宿所も荒れがちだったが、内山が入寮してから規律が確立され、寮生が集合してロードワークなども恒例になったと聞く。

 どこのジムも練習中は1回3分、休憩1分のタイマーを鳴らす。昨年だったが、タイマーがだいぶ古くなり、休憩1分がだいぶ短くなっていた。「スタミナがつく」の声も出ていたが、内山は「時間の間隔を体に染み込ませないといけないのに」と怒っていた。しばらくしてタイマーが新品になった。

 ボンバー・レフトとKOダイナマイト。乱立気味で世界王者の価値観が薄れる中で、個性的ボクサーとしての存在感があった。何よりも強打は魅力があり、たっぷり楽しませてもらった。【河合香】

東京五輪が影響、ボクシング界も頭を悩ます会場確保

笑顔でファイティングポーズを見せる村田(左)とエンダム(撮影・神戸崇利)

 20年東京五輪まであと3年。アマチュアボクシングは両国国技館にて開催されるが、向こう3年、プロにとっては頭を悩ませる問題がある。会場がない、世界戦を組みたくても、テレビ局が放送に前向きでも、肝心の試合を行う場所がない。首都圏ではそんな事態が多くなりそうな様相だ。

 先頃、WBA世界ミドル級タイトルマッチの開催が発表された。同級1位村田諒太(31=帝拳)が王者アッサン・エンダム(33=フランス)との5月以来の直接再戦に挑む大一番だが、交渉に入った両陣営、テレビ関係者を悩ませていたのは、会場をどのように確保するかだった。

 都内では、世界戦を行う会場としては両国国技館、大田区総合体育館、有明コロシアム、東京国際フォーラムなどがある。興行規模的に求められる収容人数が4000人以上の施設は限られている。その主要箇所の年末までのスケジュールがびっしりと埋まっていた。結局は10月22日に両国国技館で開催の運びとなったが、リング、大型スクリーンなどの舞台設置は興行当日に行う強行軍だという。無理を承知しなければ、確保が難しかった。

 各競技が会場確保に苦労している背景にあるのが、東京五輪だ。既存施設を使用する場合、改修工事を行う必要が出てくる。そのため一時的に使用できなくなり、その影響で開いている施設に予約が殺到するという構図。国立代々木競技場は7月2日から休館に入っている。東京国際フォーラムも17~18年に改修工事を予定している。

 競合相手はスポーツ団体だけではなく、音楽業界もいる。東京五輪に伴うコンサート用の施設不足は「2016年問題」として取り上げられ、いまも続く。先々を見ても、日本武道館が19年9月ごろから五輪後まで使用不可になる計画で、他会場の予約でバッティングの機会が多くなりそうだ。

 あまたあるスポーツ競技でも、特にボクシングは会場確保が難しい。世界戦で半年以上前から開催日が決まっていることはほぼない。両陣営が協議して、開催国が決まり、そこから会場を探すのが通例。長期的に、先々を見て予約を入れることができない。例えばある世界王者が1年間に3試合を行うとして、4カ月に1回。実質的には2、3カ月前にならなければ試合の候補日も決まらない。全日本選手権などある程度定期的な開催が見込めるような競技であれば1年先も見越して動けるが、ボクシングではそうはいかない。

 思い通りに会場が決まらなければ、過去最高の13人の国内ジム所属世界王者を抱える現状にとっては、マイナス面は大きい。首都圏を回避して探すにしても、興行的に成功の可能性が低くなり、難しい状況だと話す関係者もいる。抜本的解決策はないだけに、その影響が最小限にとどまってほしい。【阿部健吾】

田中恒成は“中京の怪物”におさまるタマやない

田中恒成

 WBO世界ライトフライ級王者の田中恒成(22=畑中)が、ついに全国デビューを果たす。9月13日、エディオンアリーナ大阪で行う2度目の防衛戦がTBS系で全国ネット中継されるわけやが…遅すぎるよな。

 15年6月、WBO世界ミニマム級王者になった。日本最速のプロ5戦目での世界奪取やった。16年の大みそかには、現在のベルトを手にした。これはプロ8戦目、WBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥と並ぶ日本最速の世界2階級制覇。すごい経歴で、そもそもが“中京の怪物”なんて異名におさまるタマやない。

 何がすごいんか? う~ん、自分はボクサーやないから、うまく言えませんが、要は「素人目で見てもすごい」んです。

 6月5日、名古屋市の畑中ジムで田中の公開練習を見た。ライトフライ級王座初防衛後の再始動やったんで軽く動いただけやけど、その“軽く”がすごかった。リング上と大鏡の前でのシャドーボクシング。右利きのオーソドックスやのに、時々急に、ひょいっとサウスポーにスイッチする。それがまた「ほんまは左利きか?」と思うしなやかさ、素早さ、ド迫力なんですわ。

 田中は7月初旬、オーストラリアに出向いて、マニー・パッキャオの世界戦を現地観戦した。アリーナ席やったらしいが、その時のことを笑いながら説明してくれた。

 「パッキャオが米粒ですよ。目を凝らさないと…凝らしても見えなくて。ちゃんと見ようと思えば、スタンドの特大ビジョンしかない。『これ見るんなら、日本でテレビ見てても一緒やな』と。だから、現場の空気感だけを感じてました」

 口調はどっちか言えば、ほわんとしていて、つかみどころがない。それでいて、次の2度目の防衛戦に向けた抱負は「こないだはKOするって言って、判定。ウソついたんで、今度はKOします。う~ん、中盤ぐらいかな」。言いたいことは、はっきりと言う。

 次戦をクリアすれば、その次はWBA王者田口良一との統一戦が既定路線。そこも越えたら、階級を上げて、フライ級…。“中京の怪物”から、エリアが取れて“怪物”になるはずの全国デビュー戦は見逃せませんよ。【加藤裕一】

激戦続くG1クライマックス 際立つオカダの存在感

オカダ・カズチカ

 新日本プロレスのG1クライマックス27も、いよいよ後半戦に突入した。今や世界中が注目するプロレス界の一大イベントは、その期待を裏切らない戦いが続いている。7月17日、札幌の北海きたえーるで開催された開幕戦で、メインを飾った内藤哲也-飯伏幸太の激闘が、大会に勢いを与えた。

 2年ぶりに新日本マットに復帰した飯伏と、その不在の間に大ブレークした同期同士の戦いだった。試合前には内藤が「ほとんど試合もしていないレスラーが出られるほどG1は甘くない。過去の栄光だけで出てきたやつに負けるわけがない。第1戦は消化試合だ」と挑発。飯伏も「この2年間、誰にもできない経験をしてきた。その成果を出して大爆発する」と返し、ファンの注目を集めた。

 2人の戦いは、持ち前のスピードと過激なワザの応酬で盛り上がった。飯伏コールが始まると、内藤コールがそれをかき消す。ファンと一体となったプロレスは、2人の受けのうまさも相まって、すばらしい空間を作り出した。見る者を感動させる戦いだった。

 Bブロックの開幕戦となった20日後楽園大会では、ケニー・オメガ-鈴木みのる戦も見応え十分だった。さらに、23日町田大会の棚橋弘至-永田裕志の戦いは、見るものの心を打った。今大会限りでG1からの卒業を宣言した49歳の永田。そして同じ40代に足を踏み入れた後輩。新日本のエースの座を引き継いだ2人の戦いは、棚橋がリング中央で永田のほおを張り、最後ははり倒すシーンが印象的だった。「棚橋に殴り倒されたのは初めて」とかつての戦いに永田が思いをはせれば、棚橋は「永田さんの前ではいつでもチャレンジャー。それは変わらない」と先輩を立てる言葉を残した。

 G1の戦いを通して際だつのは、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカの存在感だ。初戦の矢野通戦から始まり、オカダのプロレスは、すごみを増している。相手の持ちワザをすべて受けきり、その上で相手を圧倒するように試合を決める。1・4東京ドームのオメガ戦から始まった絶対王者オカダの進撃はとどまるところを知らない。G1開幕直前のインタビューでオカダは「IWGPヘビー級王座の防衛記録も、IWGP王者としてG1を優勝するということも、ボクは全然考えていないんです。ボクは、ワザをかけるシーンとかが何回も再生されるような、印象に残るシーンにこだわりたいと思います」。それが、今のオカダのプロレスに現れている。

 G1の激しい戦いと、オカダの戦いは、プロレス界にかつてない歴史を刻むかもしれない。【桝田朗】

「最高の見せ物ができないなら」土屋修平の引退理由

土屋修平(2012年5月17日撮影)

 いつも通り勝利後のリングでバク宙した。8回判定も再起を飾り、王座奪回へアピールと思った。ところが、マイクを握ると「今日の試合(6月30日)を持って引退します」。突然の現役引退表明。前日本ライト級王者土屋修平。30歳だがキャリアは10年に満たない。

 なかなか踏ん切りのつかないボクサーは多い。王座から陥落直後に引退表明はまれ。引退示唆から撤回したり、移籍して続行の例もままある。正式に引退会見するのも元世界王者ですら少ない。ひっそり引退届を出す。最近はSNSで表明が多い。土屋は珍しく潔く引退となった。

 5月末のスパーリングがきっかけだった。「パンチに反応できないことがあった。かすったぐらいでダウンした」という。「90%は決めて最後に試合をやってみようと」臨んだラストファイト。「なんでもないパンチが効いた。僕の考えるプロじゃない。最高の見せ物ができないなら一線を引くべき」と決断した。

 小1で空手、中2で極真系フルコンタクト空手を始めた。バスケット、野球もやり、高校は部員不足でラグビーのSO。大東大に進学で上京し、キックボクサーになった。8勝(4KO)4敗1分と行き詰まり、ボクサーを目指そうとジムを回るうちに角海老宝石ジムにたどり着いた。

 09年に22歳で入門し、3カ月後に1回KOでプロデビュー。6戦連続KOで全日本新人王MVP。決勝ではアゴを砕き、一躍KOパンチャーとして注目され、連続KOは12まで伸ばした。判定で13連勝も14戦目は初回ダウンを奪うも9回TKOで初黒星。ここから4敗と低迷し、昨年12月に待望の日本王座初挑戦となり、3回KOでベルトを手にした。

 スポーツ万能だっただけにセンスがいい。当て勘よく強さより切れのいいパンチ。一方で防御に甘さがあった。キック経験者によると「防御はあまり練習しない」「1、2の3とタイミングが同じ」という傾向がある。今年の初防衛戦は白熱の打撃戦の末に8回TKO負けで陥落してしまった。

 激しい打ち合いを演じた元2階級制覇王者ガッティにあこがれ、米国リングを夢見ていた。「危ない戦い方だが1人ぐらいいてもいいのでは」と笑った。そのうちおえつがもれたが「いいボクサー人生。浮き沈みあるのが楽しい。最高のスポーツ。愛している」。

 「最後は田中さんとやりたかった」ともつぶやいた。田中栄民トレーナー。ジムをのぞいた時に「見に来いよ」と入場券をもらった。最後についた小堀佑介トレーナーを世界王者に育てた人と知って、入門を即断した。ジムを移った恩師への感謝の言葉だった。個性派ボクサーはすがすがしくリングを去った。【河合香】

三浦隆司が放った豪快な一撃とファンの「どよめき」

10回、ミゲル・ベルチェルトを攻める三浦隆司(7月15日)

 15日(日本時間16日)に開催されたWBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチをメインカードとする興行を、現地の米カリフォルニア州イングルウッド「ザ・フォーラム」で取材した。

 元王者三浦隆司(33=帝拳)が王者ミゲル・ベルチェルト(25=メキシコ)に0-3の判定負けを喫し、惜しくも王座返り咲きはならなかったことは残念だったが、「本場」のファンが求める物を見せたと確信する。その象徴が、ベルチェルトの顔面をギリギリで左拳の一撃がかすめた5回途中、思わず起きた「おおーー!」というざわめきだった。

 「ザ・フォーラム」は長くNBAレイカーズの本拠地として知られ、ボクシングも数々の激闘が切り広げられてきた会場。この日も約8000人が詰め掛けたが、前座試合からファンの求めるものが明確だった。

 まず、クリンチが嫌い。追い詰められて逃げまどう意味で抱きつきにいく選手には、即座に容赦ないブーイングが飛んだ。また、バッティング、後頭部へのパンチなどで試合が止まると、それを起こした選手にはやじも飛ぶ。多くの人が早くからアルコール飲料を飲んでいる酔い気分もあるのかもしれないが、前座から一貫した空気感。ただ、逆に考えればそれだけ試合を見入っているということで、見せてほしいのは打ち合う姿なのだろう。その意志がない、その意志をみせない選手には、手厳しい。

 三浦にもブーイングは飛んだ。ただ、相手のベルチェルトがメキシコ人で、ヒスパニック系住民の多い土地柄、国籍に根ざしたものだった。それは当たり前だろう。しかし、三浦が見せたファイトスタイルへの批判めいたブーイングは一切なかった。うなり声を張り上げ、豪快な一撃を見舞うべく、打たれても前進をやめない。その愚直な姿には決して批判はなかった。それまで「メヒコ(メキシコ)」コールでベルチェルトを応援していたファンが、5回に三浦が放った空振りの一撃で漏らした「おおーー」というざわめきの声は、国籍から離れ、本場のボクシングファンの質を感じさせてくれた。

 ただ勝てばいい。そんなスタンスを絶対に許さない厳しさ。だからこそ、熱い試合が生まれる。それは観客がともに作り出す空間となり、長い年月をかけて「本場」の重み、伝統を培ってきたのだと思う。

 三浦は勝つことはできなかった。ただし、しっかりと熱い試合は見せた。来月にはWBO世界スーパーウエルター級王座決定戦に亀海喜寛、9月にはWBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥が、同じ米カリフォルニア州で世界タイトル戦に臨む。その時、どんな「どよめき」が聞こえるのか。楽しみに待ちたい。【阿部健吾】

拳四朗「見てもらいたい」笑ってまうほど裏表のなさ

京都府スポーツ特別奨励賞を受け、山田・京都府知事(左)と記念撮影をする拳四朗(撮影・加藤裕一)

 テレビのバラエティー番組とかで、プロスポーツ選手がニコニコしているのを良く見る。MCやお笑い芸人のツッコミにはにかんでみたり、天然風にボケたり、びっくりするほど上手な返しをしてみたり。そんな様を見て、世間の人は「めっちゃ感じええがな」と思う。ええことです。プロたるもの、自分を発信するのはとても大事なことです。映像は基本、ありのままを伝える。それが持ち味のメディアですから。

 ただですね、テレビに映る姿が、映ってへん時の姿とほぼ同じ人もいれば、映ってへん時は仏頂面で「おいおい、ええ加減にせえよ」とこぼしたくなる人もたま~にいます。まあ、そこはその人の本音、魅力を引き出せない、こちらの力不足でもあるんですが。

 WBC世界ライトフライ級王者・拳四朗(25=BMB)のことを書きましょう。彼はバラエティー番組とかにすごく出たがってます。先日、京都府庁で京都府スポーツ特別奨励賞を受けた時なんか、マツコ・デラックスのフジ系「アウト×デラックス」出演が決まって「めちゃめちゃテンション上がりますわ~」と喜んでました。

 ついでに聞きました。「他にテレビ出演の話はあるの?」

 「こないだ『せやねん!』に出るチャンスあったんですよ。僕が、食べ歩くんが好きってことで、お薦めの店を紹介する形で。ところが、お薦めの店の紹介だけに終わってしまったんです。僕は出れずですわ」

 ちなみに「せやねん!」は大阪・毎日放送の情報番組です。関西ローカルやけど、漫才コンビのトミーズ、吉本新喜劇の未知やすえらが出てる、おもろい番組です。

 さて、何が言いたいかと言うと、拳四朗の笑ってまうほどの裏表のなさです。

 「僕、ボクサーに見られないじゃないですか? だから、いろんな所に出て行って、いろんな人に見てもらいたいんです。(取材する人には)どんどんいじっていただければ、と思う。まあ、ほめられて伸びるタイプなんですけど。ははは…」

 こんな風に言われたら「絶対にこの子を応援したる!」と思いますわな。確かに彼みたいなタイプは、かなりレアです。こんなありがたい取材対象者はちょっとおりません。ただ、彼ほどとは言わんまでもね。取材する側とされる側に垣根はあります。でも、基本は人と人。もうちょっとだけ取材に協力してくれたら…。

 まあ、力のない記者の愚痴なんですけどね。【加藤裕一】

KENTA改めイタミ・ヒデオ WWEで苦闘の日々

イタミ・ヒデオ

 WWEデビュー1年で1軍のスマックダウンに昇格した中邑真輔(37)の華々しい活躍の陰で、もう1人の日本人レスラーが苦闘していた。元ノアのKENTA改めイタミ・ヒデオ(34)だ。14年7月にWWE入りし、3年後の6月30日、7月1日に両国国技館で行われたWWE東京公演で、入団後初めてプロレスを披露した。

 その戦いは、凱旋(がいせん)とはほど遠かった。初日の6月30日は、第1試合でWWEトップスターのクリス・ジェリコとシングル戦で完敗。2日目は、第3試合に登場したが、対戦相手アモーレのタッグ仲間との仲間割れ抗争に巻き込まれ、勝敗のつかない無効試合となってしまった。15年の日本公演は、ケガで欠場。昨年12月に大阪で行われたNXT大会でも、故障が癒えず、直前で欠場が決まっていた。WWE入団後初めてとなる日本のファンへのお披露目だったが、活躍の場は与えられなかった。

 「3年前、WWEに入れたときに思い描いていたものとは全く違うものになってしまった」。6月30日の午前中のインタビューで、イタミは苦笑いしながら語った。デビュー直後の肩の負傷は、予想以上にダメージがあった。脱臼だったが、2回も手術した。日本で活躍した時代には、両膝の前十字じん帯断裂の大けがを負ったが「膝のケガの時はリハビリで完治できるという楽観的な気持ちでいられたが、今回は、まだ完全に治りきらない」と焦りをにじませた。

 昨年は首の負傷もあった。度重なるケガとともに、心に迷いも生じたという。入団直後にKENTAからイタミ・ヒデオとリングネームが変わった。日本時代に築いたKENTAというレスラー像を意識的に変えようとした。「新しいものを作っていかないといけないと思ったが、どう表現していいのか分からなくなった」という。

 悩みもがいている中で、試合をすると、米国のファンはいつも温かくイタミに歓声を送ってくれた。「日本もそうですが、米国でもプロレスファンは温かかった。彼らは長いスパンでボクのことを見てくれているんだと思ったら、名前が変わったから違うことをやるのではなく、自分の表現したいものをやっていけばいいと思えるようになった」と、心を切り替えられた。

 試合前、イタミは「たぶん緊張すると思いますよ。ボクは日本のプロレスファンと牛乳に大きくしてもらったんで」と話していた。勝利という結果での恩返しはできなかったが、両国を埋めたファンの温かい声援、拍手をイタミはその体で受け止めた。「正直悔しかった」という中邑の1軍昇格。ケガで不完全燃焼だったプロレスへの思い。東京公演が、悔しさをバネに新たなスタートを切るきっかけとなったことは間違いない。【桝田朗】

自身の夢かなわずも…王者4人育てた葛西トレーナー

バスケス(左)に右フックを浴びせる葛西裕一(1994年3月撮影)

 「今のボクがトレーナーとしてついていたら、ボクも世界王者になれたんじゃないかって」。そう言ったのは帝拳ジムの葛西裕一トレーナー(47)。「今ならいろいろと違った指導はできたし、もっともっとやれることはあったと思う」と続けた。

 葛西トレーナーは横浜高時代に国体を制して専大に進学も、プロを目指して中退して帝拳ジムに入った。順調に白星を積み上げて日本スーパーバンタム級王座を獲得した。

 1学年下の辰吉も同じ87年にプロデビュー。翌年には鬼塚、渡久地、川島といった高校時代から注目の3羽がらすもプロ入りしている。きれいなワンツーを武器にした正統派で、黄金世代の中でも人気ボクサーだった。94年には引き分けをはさんで20戦目に、無敗でついに世界挑戦した。

 結果は初回に3度ダウンでKO負けの惨敗だった。明らかに緊張して、堅くなっていた。30秒過ぎて軽く左ジャブを出したところへ、右ストレートを返されて最初のダウンを喫した。この一発ですべてが狂った。あとは右フックで2度目、さらに攻勢をかけられて3分もたなかった。

 「控室は静まり返っていた。身体は動かしていたけど。今ならいろいろな声を掛けたり、身体をほぐしたり、汗をかかせたり、緊張を和らげることもできる。あの時は堅いままリングに上がってしまった」。

 その後は外国人トレーナーについたり、ベネズエラで単身修行もした。海外のリングにも上がったが、96、97年と通算3度世界挑戦もベルト奪取の願いはかなわなかった。

 トレーナーになると、00年からは移籍してきた西岡と世界を目指した。08年に通算5度目、移籍後4度目の挑戦で、ジムには22年ぶりの世界王者誕生となった。さらに三浦、五十嵐、下田も世界王者に。「ロードワークの目覚まし役までやったり。一生懸命やった」と自負している。

 世界王者にはなれなかったが、世界王者は4人育てた。「ボクは力がなかったのが一番。でも、時代が違ったらと思うことも。あとは運。世界王者になるには運も大事。ボクは運もなかった」と言った。

 不可解判定で世界王座を逃した村田にも、当初はトレーナーとしてついていた。「あの判定はないけど、もっと攻めていってればとも。村田は金メダルをとった。運持ってるはず」。葛西トレーナーはジムを退職し、秋にはアマチュアのジムを開く。世界王者村田誕生へ、これからは一ファンとして見守る。【河合香】

日本人3人が米国で世界戦 濃密2カ月間、転換期へ

三浦隆司

 過去を紐解いた時に、「あれが日本ボクシング界の転換期だった」、そう言われるかもしれない夏がやってくる。

 日本の3人のボクサーが立て続けに本場米国のリングに上がる。すべてが世界タイトル戦。激闘ぶりで多くの海外ファンの人気を得ている男は王座返り咲きを狙い、独自の歩みで上り詰めてきた男は史上最大とも言えるビッグネームと拳をまじえ、「怪物」と称される若者はいよいよ海を渡りそのベールを脱ぐ。

 7月15日から9月9日までのわずか56日間で3試合。これまで米国で日本人の世界タイトル戦は25試合が行われてきたが、2カ月以内に3試合は初めてとなる。1968年(昭43)に西城正三がWBA世界フェザー級王座に挑戦してから半世紀余り。ここまで詰まった日程で日本人が米国の世界タイトル戦のリングに上がったことはない。

 まずは7月15日、元WBC世界スーパーフェザー級王者三浦隆司(33=帝拳)が、ロサンゼルスで現王者ミゲル・ベルチェルト(メキシコ)に挑む。すでに15年に米国での世界戦は経験済み。カリフォルニア州インディオで開催された1月の挑戦者決定戦でも、「ボンバー」と呼ばれる左拳を爆発させるKO劇で、米国のファンを魅了した。

 続く8月26日、WBO世界スーパーウエルター級5位亀海喜寛(34=帝拳)が、同王座決定戦に臨む。相手は元4階級王者ミゲル・コット(プエルトリコ)。ファイトマネーで1500万ドル(約16億5000万円)を稼いだこともある超大物で、「日本人の世界戦史上最大の試合」という声もある。元東洋太平洋王者の亀海は、11年から主戦場を米国に移し、一歩ずつ評価を上げてきた異色の存在。たどり着いた先が「自分が20歳のころから見ていた」というコットで、本人も驚きを隠さない試合が待っていた。

 最後は9月9日、WBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥(24=大橋)が6度目の防衛戦を西海岸で行う。米国からの「オファー」に応えての渡米は、ニュースター発掘にかける米国リングの思惑に沿う形で、日本人ボクサーとしては異例の立場での参戦となる。売り込んだのではない。その戦いぶり、強さが日本にとどまらない評価を不動のものとした上でのオファーだ。大橋会長は「これが伝説の始まりになる」と予言する。

 海の向こうから熱いニュースが届きそうな2カ月間。3人の戦いぶりが、大きな契機になることは間違いない。【阿部健吾】

ギャップ萌え王者 拳四朗が女性ファン生む救世主?

拳四朗

 いつやったか、テレビ局の人にこんな話を聞いた。

 「長谷川穂積の試合は、女性受けがいい」。

 WBC世界バンタム、スーパーバンタム、フェザー級の3階級を制した元王者。切れ味鋭いサウスポーで、かっこよかった。なので、そのファイティングスタイルのおかげと思ったら、違うらしい。「彼の試合は、あんまり血が流れないからね」。…男にはピンと来ん。とはいえ、どんなジャンルでも女性が動けば、ブームが来るのは世の常です。テレビは視聴率の要因を性別、年齢層に分けて細かくチェックしてる。信ぴょう性は高いと思います。

 女性は流血、凄惨(せいさん)なもの(それが格闘技の本質やと思うが)は嫌うとしましょう。ほな、今のプロボクサーで誰が“女性票”にハマるんか? WBC世界ライトフライ級王者拳四朗はどうでしょう。

 第一印象は強烈やった。トリプル世界戦を3日後に控えた5月17日の予備検診。都内のホテルで彼を取材して、目を疑った。顔つき、髪形、物腰。まあどう見ても、25歳には見えん。「よう高校生に間違われます」「コンビニでお酒買う時は、まず『身分証見せて』と言われます」。Tシャツ、ズボンをビシッとユニクロ製品で決めて、ニコニコ笑ってた。

 翌日の調印式も同じホテル。会見場に入ろうと思ったら「こんにちは」と声がする。ふと横を見たら、再びニコニコ笑う拳四朗。ビックリするほど、戦う人間のオーラがない。「こんな少年をボクシングのリングに上げたらあかん」と思った。ところが、見事に勝ってもた。

 彼の本名は寺地拳四朗。所属する、京都・宇治のBMBジム会長でもある元東洋太平洋ライトヘビー級王者の父永(ひさし)さん(53)が立命大に入る前に通ってた大阪・天王寺予備校近くの店で読んでたんが、週刊少年ジャンプ。お目当ては「北斗の拳」。「秘孔(ひこう)を突いたら、ほんまに体が破裂するんかな…」とほんまにちょっと悩むほどハマッてたとか。その父が「漢字3文字の名前にしたい」と主人公ケンシロウから名付けたんやけど…。名は体を表すどころか、一子相伝の伝承者の風情どころか、男臭さ、武骨さのカケラもない。

 まあ、こんな世界王者は古今東西、ちょっと見当たらんけど、女性は彼を見て、そのうち「かわいい~ハート」とキャッキャッ騒ぎ出すんやいやろか。“ギャップ萌(も)え”てな言葉にもハマる。拳四朗が女性を巻き込み、ボクシングブームの救世主になるのも、あながちない話やないと思うんやが。【加藤裕一】

致命的なケガ削減へ、新日本が健康管理を見直し

柴田勝頼

 日本のプロレス人気をけん引する業界最大手の新日本プロレスで、今年上半期にリング上での大きな事故が2件あった。3月3日、沖縄大会で「こけし」で大人気の本間朋晃(40)が中心性頸髄(けいずい)損傷。4月9日の両国大会では、柴田勝頼(37)が硬膜下血腫で緊急手術を受けた。

 本間は、試合中に邪道のハングマンDDTというワザをかけられ、首をきめられたまま頭部をマットに打ち付けられた後、リング上で動けなくなった。そのまま、沖縄市内の病院へ救急搬送。柴田は、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカとの壮絶な死闘の試合後、体調不良を訴えこちらも都内の病院へ救急搬送された。

 本間は、沖縄から大阪の病院へ転院。外出許可も出て、府内のゴールドジムで復帰に向けリハビリを行っているという。一方、柴田は、当初は命に関わる状況で経過報告も控えられていたが、再手術も終え一般病棟に移ったという。歩行や会話はできるが、今後についてはまだ何とも言えない状態ながら、退院へのめどもついてきているという。

 5月16日、今後の経営戦略発表会見の前に、三沢威メディカルトレーナーが、2人の病状報告を行った。その中で、三沢トレーナーは、選手の健康管理に対する社内の取り組みを発表した。それによると、新日本には選手の健康管理を行う医事委員会があり、脳神経外科医、脊髄専門医、整形外科医、団体のトレーナーで構成されている。選手の試合や練習で負った偶発的なケガについて対応し、緊急な手術が必要な場合も迅速な対応ができるような態勢を整えているという。

 所属選手に関しては、6年前からMRIやCTを含めた健康診断を国際医療福祉大、三田病院などで年に1回実施し、そのデータを蓄積しているという。

 試合会場では、選手たちが試合前に、トレーナーにマッサージを受けたり、テーピングしたりと入念な準備をしている。三沢トレーナーは、会見で医事委員会では選手の体調面を考えて、試合数を限定してシリーズ参戦を考える意向も表明した。会見に出席した木谷高明オーナーも「選手の健康管理をすべて見直していきたい」と明言した。

 新日本の選手たちがリング上で繰り広げる戦いは、今や世界一の規模を誇るWWEにひけをとらないどころか、それ以上と評価されている。年間約120試合をこなし、年々高度化する技術にともない、ケガの危険性も高まる。選手たちは、肉体を鍛え上げ、受け身の技術を高めることで、会場に詰めかけるファンに最高のパフォーマンスを見せられるように努力している。しかし、選手のケガは選手の努力だけでは防ぐことができない段階にきている。三沢トレーナーや、木谷オーナーが会見で話した企業努力と相まってこそ、致命的なケガの可能性が減っていくことになる。新日本の取り組みを見守りたい。【プロレス担当=桝田朗】

金メダリストから世界王者へ村田諒太の再挑戦に期待

村田諒太(2016年12月21日撮影)

 ボクシングの採点基準は有効打、攻勢、防御、ペース支配の4つある。醍醐味はダウンを奪うKO。世界初挑戦で判定負けした村田諒太(31=帝拳)の話題はいまだ続くが、4回にダウンを奪うなど有効打では圧倒した。相手は5回に腰砕け、7回も吹っ飛びいずれもロープに救われた。ダウンとしていいダメージだった。一方で受けた有効打は数少ない。どうみても判定負けは疑問だ。

 採点は微妙になると思った人は意外にいて、負けも少数いたようだ。日刊スポーツ判定パンチ数は村田225に対してエンダムは倍以上の464。この手数の差がジャッジによって採点に表れた。最終回のゴング後、エンダム陣営は勝利を確信して喜び、彼らにしてみれば作戦通りだった。

 村田は初回3発は様子見としても、2回以降はもっと手を出し攻めてほしかった。特に終盤4回は勝利を確実にするために。得意の左ボディーは数発。相手が一発KOの右を最後まで警戒。左は固め、右を狙う作戦に徹した。上位経験不足の懸念を吹き飛ばす世界の実力を示したが「手を出せ」の声が飛んだのも事実だった。

 「桜井を思い出した」という人もいた。日本の金メダリストの世界挑戦は東京五輪の桜井孝雄以来2人目だった。桜井は22連勝でファイティング原田から王座を奪ったローズに挑戦。2回にダウンを奪ってリードも、終盤消極的になって15回判定負けした。

 一方でエンダムも驚異的だった。2敗は世界戦で4度と6度のダウンも判定に持ち込んだ。回復力、スタミナ、身体能力の高さには恐れ入った。公開練習ではメニューとインターバルを1分間隔で心拍を高め、ダメージ想定で10秒間クルクル回ってからパンチ、リング内でシャトルラン。独特の練習を精力的にこなしていたのがうなずけた。

 リングの大きさは約5・5メートル以上7・3メートル以内と決められている。契約段階で7・2メートル以上と要求し、自慢のフットワークを使うために広いリングは不可欠だった。ディアス・トレーナーはキューバ人で多くの金メダリストに世界王者3人を指導し、ドクターも帯同していた。

 金メダリストから世界王者は1人もいないという、ミドルの壁の厚さをまた知らされた。これほどボクシングが話題になるのはあの亀田騒動以来だろうが、本来は日本のボクシング史が変わる日のはずだった。業界に意気消沈ムードもあるが、村田は事実を受け入れながらも再挑戦を目指すようだ。今度こそジンクス打破へどう歩んでいくか興味は尽きない。【河合香】

パンチを出さないという村田諒太の断固たる決意

WBA世界ミドル級王座決定戦 村田諒太対アッサン・エンダム(写真は2017年5月20日)

 場内の張り詰めた空気が忘れられない。20日に東京・有明コロシアムで開催されたWBA世界ミドル級王座決定戦。ロンドン五輪金メダリストの村田諒太(31=帝拳)が元WBO世界同級王者アッサン・エンダム(フランス)と覇権を争った国内最大級のビッグマッチは、不可解な判定により後味の悪さが残ったが、判定でエンダムが勝ち名乗りを受けるまでは「至高の味」だった。

 パワーとスピードを兼ね備える花形階級。その一流選手が日本に来ることはまれ。両者とも一発もらったら終わりという世界で、初回から会場に満ちたのは緊迫感だった。村田が固めたガードの腕越しに、じっとエンダムをにらむ。「歩くように前にプレッシャーをかける」。その練習を繰り返してきた通りに前進して重圧をかけていく。軽快なフットワークでサークリングするエンダムが打ち込む多彩なパンチを、ことごとくブロック。逆にパンチは出さない。肩や上半身の動きでフェイントをかけながら、敵の動きを見定めた。

 1回に放ったパンチは3発のみ。試合後にテレビを見た周囲から寄せられた反応には「消極的すぎたのでは?」という声もあったが、リングサイドで見た身としては、正反対の感想を持った。パンチを出す、出さないが姿勢を決めるのではない。

 村田があの舞台でパンチを出さないことを徹底したことは、むしろ積極性を感じた。相手の動きを見定めるというのは事前の作戦通り。ただボクサーの本性として、パンチを出さないことほど不安なことはない。いくら「観察」しようとしても、あれだけエンダムにパンチを打たれれば、打ち返したくなるだろう。だが、村田は違った。大一番で、乱れない断固たる決意を体現した。

 なぜ村田はパンチ打たないのか? 会場にいた観客はきっと、そんな疑問より先に、村田の覚悟を直感的に感じたのではないか。スタンドからは「打て」などのやじは飛ばない。広がったのは極度の緊迫感だ。1分30秒すぎに村田が左ジャブを放ったところで、肺にためていた空気をやっとはき出せたように、会場に一気に声が広がった。ミドル級トップボクサー同士の戦いの魅力に引き込まれた。以降のラウンドも漂った独特の緊張感。それは「また味わいたい」と思わせるものだった。もちろん、今度は「後味の悪さ」はいらないが。

 村田は23日現在、進退については明言していない。自分が続けたいと思っても、再び簡単に世界タイトル戦を組めるような階級ではない。ただ、あの会場にいた者としては、もう1度村田の「覚悟」を見たい。「世界レベルの戦いをする上で引けを取ってない」と確信を得た男は、さらに強くなると思っている。【阿部健吾】