上へ戻る

au版ニッカン★バトル

トップ

拳四朗「見てもらいたい」笑ってまうほど裏表のなさ

京都府スポーツ特別奨励賞を受け、山田・京都府知事(左)と記念撮影をする拳四朗(撮影・加藤裕一)

 テレビのバラエティー番組とかで、プロスポーツ選手がニコニコしているのを良く見る。MCやお笑い芸人のツッコミにはにかんでみたり、天然風にボケたり、びっくりするほど上手な返しをしてみたり。そんな様を見て、世間の人は「めっちゃ感じええがな」と思う。ええことです。プロたるもの、自分を発信するのはとても大事なことです。映像は基本、ありのままを伝える。それが持ち味のメディアですから。

 ただですね、テレビに映る姿が、映ってへん時の姿とほぼ同じ人もいれば、映ってへん時は仏頂面で「おいおい、ええ加減にせえよ」とこぼしたくなる人もたま~にいます。まあ、そこはその人の本音、魅力を引き出せない、こちらの力不足でもあるんですが。

 WBC世界ライトフライ級王者・拳四朗(25=BMB)のことを書きましょう。彼はバラエティー番組とかにすごく出たがってます。先日、京都府庁で京都府スポーツ特別奨励賞を受けた時なんか、マツコ・デラックスのフジ系「アウト×デラックス」出演が決まって「めちゃめちゃテンション上がりますわ~」と喜んでました。

 ついでに聞きました。「他にテレビ出演の話はあるの?」

 「こないだ『せやねん!』に出るチャンスあったんですよ。僕が、食べ歩くんが好きってことで、お薦めの店を紹介する形で。ところが、お薦めの店の紹介だけに終わってしまったんです。僕は出れずですわ」

 ちなみに「せやねん!」は大阪・毎日放送の情報番組です。関西ローカルやけど、漫才コンビのトミーズ、吉本新喜劇の未知やすえらが出てる、おもろい番組です。

 さて、何が言いたいかと言うと、拳四朗の笑ってまうほどの裏表のなさです。

 「僕、ボクサーに見られないじゃないですか? だから、いろんな所に出て行って、いろんな人に見てもらいたいんです。(取材する人には)どんどんいじっていただければ、と思う。まあ、ほめられて伸びるタイプなんですけど。ははは…」

 こんな風に言われたら「絶対にこの子を応援したる!」と思いますわな。確かに彼みたいなタイプは、かなりレアです。こんなありがたい取材対象者はちょっとおりません。ただ、彼ほどとは言わんまでもね。取材する側とされる側に垣根はあります。でも、基本は人と人。もうちょっとだけ取材に協力してくれたら…。

 まあ、力のない記者の愚痴なんですけどね。【加藤裕一】

那須川、メイウェザー戦はボクシング転向への試金石?

メイウェザー(左)と那須川天心(2018年11月5日撮影)

今年も年末は格闘技イベントが花盛りだ。15年に始まったRIZINは総合格闘技が主体だが、キックボクシングも女子もある。今年は異色のカードが組まれた。当初は平成最後の異種格闘技戦と銘打たれたが、異種格闘技者の対戦へと変わった。神童といわれるキックボクサー那須川天心が、世界が認める5階級制覇ボクサーのフロイド・メイウェザーに挑む。

注目はルールだったが、基本はボクシング・ルールで体重差のある3回制となった。非公式試合。実質エキシビションになった。ガッカリしたファンも多いが、端から予想していたファンも多い。来年にはマニー・パッキャオと再戦も浮上している中、メイウェザーには小遣い稼ぎか!?

一方の那須川は世界に名を売るチャンスと意欲満々だ。将来ボクシングに転向するプランがある。すでに「世界王者になれる」という評価もあるが、その技量を図るには願ってもない試合にもなる。

5歳で極真空手を始め、小6でキックボクシングに転向し、15歳で14年にプロデビューした。父弘幸さんとの二人三脚だが、中3からはボクシングの帝拳ジムにも通っていた。「パンチを教えてほしい」と、知人を通じて葛西トレーナーに依頼があったのがきっかけだった。

15年にWBC世界ライトフライ級王者になった木村と、世界戦前にスパーリングしたことがあった。2階級上の体格、木村の減量や疲労はあったが、高校生だった那須川が互角以上だったという。「パンチ力があり、距離感もよく、急所への当て勘がいい。頭も柔軟でのみ込みが早い。目がいいから防御も抜群」と絶賛する。

葛西トレーナーは1年前から、東京・用賀にフィットネスボクシングジム「GLOVES」を開いた。プロ育成ではなく、一般会員に「楽しみながら、食べながら、締まった体作り」を教えている。その合間を縫って、那須川にも月に数度指導を続けている。

那須川には「ポテンシャルは負けていないが、ボクシングルールであり、階級も全然違う。それも相手は黒人選手。なめたらだめ」と話しているそうだ。現役時代に経験した、想像以上だった黒人特有のバネなどの身体能力を警戒する。作戦を聞くと「打たせないことが第一で終盤勝負」と言った。

異種格闘技戦と言えば、猪木とアリが代名詞といえる。ただし、試合内容は茶番と酷評された。状況はだいぶ違うが、今度はどんなファイトになるのか。何しろ、あのメイウェザーが日本でリングに上がるだけでも、見ものには違いない。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

資金潤沢17億人視聴可能なONEはまさに黒船団体

8月23日、都内のホテルで開催されたONEチャンピオンシップの公式会見

2018年も残り1カ月弱。日本の格闘技界では、大みそかのRIZIN14大会(さいたまスーパーアリーナ)で50戦全勝のボクシング元5階級制覇王者フロイド・メイウェザー(米国)と33連勝中のキックボクシング界の「神童」那須川天心(TARGET/Cygames)によるエキシビションマッチが大きな話題となっている。

那須川に加え、元UFCファイターでRIZINバンタム級GP覇者堀口恭司(アメリカン・トップチーム)の強さも認知度を増し日本の総合格闘技(MMA)が再び盛り上がりをみせつつある。そして年が明けると、日本にはアジアの「黒船」が“襲来”する。その名もONEチャンピオンシップだ。

今年8月、都内のホテルでONEチャンピオンシップのチャトリ・シットヨートンCEOらが会見。来年から日本でイベント開催することを発表した。3月31日、10月11日、いずれも午後7時から東京・両国国技館。初上陸の2019年に、いきなり2大会が開かれる。同CEOは「日本には豊かな総合格闘技の文化と歴史があります。ONEチャンピオンシップは、その真の総合格闘技の体験をアジアの心の奥深くまでファンのみなさまにお届けしたいです。われわれの使命は志が高いです。総合格闘技界のスーパーヒーローを、情熱と希望にあふれたワールドクラスのアスリートを世界に解き放ちたいのです」と宣言した。

同団体にはDREAMの元ライト級王者青木真也、元バンタム級王者ビビアーノ・フェルナンデス(ブラジル)が参戦し、ONEベルトを獲得。今年は11回というUFC最長防衛記録を保持する元UFCフライ級王者デミトリアス・ジョンソンや元UFCライト級王者エディ・アルバレス(ともに米国)と契約。先月にはDREAM、UFCで活躍した43歳の秋山成勲の参戦も発表された。

アジア経済の中心といわれるシンガポールが拠点なのもONEチャンピオンシップの強み。2年前、同国政府系投資会社から1000億円規模の資金が投入されたとの報道があった。既にFOXスポーツ・アジアで中継され、国内ではAbema TVと20大会以上の中継契約を結んだ。チャトリCEOによれば、世界136カ国で約17億人が視聴可能という状況にある。資金調達、大会中継ネットワークという「インフラ」もそろえつつ、日本に乗り込んでくる。

10月6日、タイで開催したONEチャンピオンシップ興行では総合格闘技、キックボクシング、そしてボクシング世界戦となるWBC世界スーパーフライ級王者シーサケット(タイ)の防衛戦を一緒に組み込んだ異色のイベントも実現させた。日本のプロボクシング関係者もアジア視察した際、総合格闘技の隆盛ぶりに驚いたという。日本格闘技界の関係者には脅威になるかもしれないが、ファンには刺激的なアジアの「黒船」。平成最後にやってくるONEチャンピオンシップの動きに注目している。

【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

ONEチャンピオンシップのチャトリCEO(右)とのツーショット写真をインスタに掲載した秋山成勲
ONEチャンピオンシップのロゴ

元王者石本さん、弟子のやる気引き出すトレーナーに

石本さん(中)は勝利を飾った愛弟子を祝う。山田(左)と小林

1月の現役引退から10カ月、久々にかいだ後楽園ホールの匂いに、緊張感と責任感が自然と芽生えたという。元日本スーパーバンタム級王者石本康隆さん(36)が11月22日、ボクシングの「聖地」に戻ってきた。手に持っていたのは、グローブではなくタオル。この日がトレーナーとしての「デビュー戦」だった。

リングの下から、初めての教え子たちの奮闘を見守った。「ナイスジャブ!」。その指示の声は大きすぎて、関係者にたしなめられる場面もあったが、指導半年の2人の弟子たち、デビュー戦だった小林柾貴(19)と、プロ5戦目だった山田大(28)は両者ともフルマークの判定勝ちを飾った。

春先、名門帝拳ジムで魂こもるファイトを続け、世界戦まであと1歩に迫った努力の男は、新たなステージに身を移した。「やっぱり、ボクシングに携わる仕事がしたくて」と知人を介して紹介された元東洋太平洋フェザー級王者今岡武雄さんが会長を務めるイマオカジムでトレーナーとなった。

プロ2選手を教えながら、一般会員の練習も担当。昼の12時から夜の12時まで、腕にはめたミットに何百発というパンチを受けながら、少しでも向上してほしいと試行錯誤。「言われたこと、教わったことの良い部分は伝えて、自分ではうまくいかなかったことはさせない」。

帝拳ジムでは、数多くの世界王者を担当してきた田中繊大トレーナーが長くパートナーだった。「いまだからですね、よく『選手をやる気にさせるのがトレーナーの仕事』と言っていたことが分かる」という。

技術伝授よりも、まずは練習に試合に向き合う気持ちをどう作るか。例えば、練習後にメールを送る。そんなまめな作業も大事にする。かっとなりがちで声が聞こえなくなる小林には「頼むから俺の言うことを聞いてくれ」と懇願しながら、それが押しつけがましくなく、小林自身も師匠を横にニヤッとするのは、石本さんの性格のなせる技だろう。「メールの内容ですか? 『俺の言うことを聞いてくれ』です」と披露すると、2人で苦笑した。

プロでの成績は、31勝(9KO)9敗だった。13年に元世界王者ウィルフレド・バスケス・ジュニアを破り、世界ランクを駆け上がると、14年5月にはIBFスーパーバンタム級挑戦者決定戦へ。敗れはしたがその闘志は消えず、15年に同級日本王座をつかんだ。

ベテランの立場となっても衰えぬ練習量と真摯(しんし)な姿勢に、後輩たちの人望も厚かった。苦労をしたからこそ、教え子が苦境に直面した時も、さしのべる手はあるだろう。

「2人には、ここにまた連れてきてくれて感謝したい。僕を信じてくれて」

殊勝な言葉がまた、その性格を表していた。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

現役時代の石本康隆さん(2016年10月1日撮影)

メイウェザー側に“本気”ないなら無理にやっても…

フロイド・メイウェザー(左)と那須川天心(2018年11月5日撮影)

大みそかにRIZIN14大会(さいたまスーパーアリーナ)で行われるボクシング世界5階級制覇王者フロイド・メイウェザー(41=米国)とキックボクシングの“神童”那須川天心(20)の試合が気になる。というか、とても不安です。状況を直接取材していないから、あくまで感覚的なものですが。

11月5日に対戦が発表されて「ほんまか?」と驚いた。ワクワクした。ところが、8日にメイウェザーが話が違う、と中止をにおわせた瞬間に「おいおい…」と首をかしげ、渡米して再交渉に当たった榊原伸行実行委員長の説明を聞いて「あれ~?」と暗い気分になりました。

榊原氏の説明は「最初からノン・オフィシャルバウト(非公式戦)として話をして…(中略)…決してスパーリングではない…(中略)…限りなくボクシングに近い打撃のみのスタンディングバウト…(中略)…KO決着あり」-。

一方でメイウェザーの説明は「エキシビション。キックなし。(那須川と)9分間(3分×3ラウンド)動き回る」-。

話がかみ合ってない。誤解を恐れず言うならば、一方は「真剣勝負」と言って、一方は「ショーみたいなもん」と言ってるようなもんです。

最近あまり使わん言葉やけど、この試合は異種格闘技戦みたいなもんですよね。異ジャンル同士のぶつかり合い。互いが「何でもあり」のルールを認めてやるなら、スッキリしたもんになる。でも、そうなるともはやそれはUFCのような総合格闘技。拳による打撃のみのボクシング、拳とキックのキックボクシングといった、技術をある部分に特化したジャンルのトップ同士が戦う時、両者が“すり合わせて”ちょうどええ具合のルールなんて、まずできません。それは、あの猪木VSアリ戦以降の歴史を見たら明らかでしょう。

回転胴まわし蹴りを堀口恭司(左)にヒットさせる那須川天心(2018年9月30日撮影)

やるなら、一方が腹を決めて、もう一方の土俵に上がる覚悟があって初めて、見応えのある試合が成立すると思います。9月30日、RIZIN13で実現した那須川VS堀口恭司戦がそうでした。総合格闘家の堀口が投げ、締め、グラウンドなどの技術を放棄した。そのスッキリ感に加え、キックボクシングという那須川の土俵に乗り込んで、互角に渡り合った。すごいな、総合格闘家が立ち技だけで、ここまでやれるんや-。世間がそう思ったからこそ、名勝負になったんちゃいますかね?

今回はルールの点で言えば、那須川がメイウェザーの土俵に身を投じる訳で、そこはスッキリするけれど、メイウェザーに1番肝心な“本気”がないなら、きっとグダグダ感だけが目立ってしまう。ビッグネーム同士の戦いは魅力的ですけど、イコール名勝負が約束される訳じゃないですからね。一時は冷え込んだ格闘技熱がせっかく盛り上がってきただけに、冷や水をぶっかける結末になりはしまいかと心配で、心配で…。もう無理にやらんでええんちゃうの? そう思う、今日この頃です。【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

羽田空港で会見するRIZIN榊原信行実行委員長(2018年11月17日撮影)

人生ヒップアタック越中詩郎、いまだ侍魂は衰えず

来年1月30日に後楽園ホールでデビュー40周年記念大会を開催する越中詩郎(2018年11月6日撮影)

越中詩郎(60)が元気だ。最近、レジェンドプロレス、マスターズ、さらにはさざまな団体でよく見かけるなと思っていたら、デビュー40周年記念大会を、来年1月30日に後楽園ホールで開催するという。還暦を迎えても、越中の人気は衰えを知らない。「SAMURAI」の入場曲が流れると、観客は熱狂し、ヒップアタックに沸く。何よりも、若い世代のレスラーと対戦してもひけをとらない動きに驚かされる。

越中のプロレス人生は「ヒップアタック」とともにある。その起源は、入門から約7年を過ごした全日本プロレス時代にあった。「全日本でジュニアのトーナメントがあって、1回戦で優勝候補大本命のチャボ・ゲレロと当たったんだ。こいつを驚かせてやろうと、当時ゲレロが使っていたヒップアタックをやってみたのが始まり。その試合はボコボコにやられたけどね」。

それからヒップアタックを使うようになった、得意技ではなかった。本格的に使うようになったのは、85年に移籍した新日本プロレス時代だ。「長州力や高田延彦と試合をやるようになって、やつらに『ヒップアタックなんか効かない』ってばかにされたんだ。じゃあ、10発でも20発でもやってやるって」。越中は、相手に効くまで反発もヒップアタックを繰り出すようになった。ヒップバット、ダイビングヒップアタック、ミサイルヒップアタック。あらゆる場面を考え、バリエーションを増やしたことで、相手にダメージを与える効果的な技になった。

「まさか、自分の代名詞になるとは夢にも思っていなかった」と越中は振り返る。デビュー40年で、ヘビー級のシングル王座は1つも取ったことがないが、多くの王者と熱戦を演じた名脇役として、越中の存在は大きい。おしりで相手を攻撃するという、コミカルな技も、相手の攻撃を真っ向から受け止め、やられてもやられても立ち向かっていく越中が使うことで、説得力を持つようになった。ファンはヒップアタックに越中のプロレス人生をダブらせ、大きな声援を送る。

越中は現在も毎日ランニングを欠かさない。「走るときは1日10キロは走るね。『おい、走るぞ』って猪木さんについて、道場(世田谷区上野毛)から府中まで走ったこともある。若い頃の厳しい練習のおかげで、今の自分がある」と話す。94年に反選手会同盟の流れで立ち上げた平成維震軍が、ヒップアタックとともに、越中の代名詞だ。維震軍の「震」は「プロレス界を震撼(しんかん)させる」の意味だそうだ。来年は、元号が平成から変わるが、越中は「年号が変わろうが何しようが、平成維震軍は変わらない。来年は新しいメンバーを加えて、またプロレス界を震撼(しんかん)させていきたい」と決意を語った。【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

永田裕志にヒップアタックを決める越中詩郎(2007年05月02日)

痛い村田諒太の敗戦、日本ボクシング発展に改革必要

WBA世界ミドル級タイトルマッチ、顔面に挑戦者ブラントのストレートを受ける村田諒太(2018年10月20日撮影)

ボクシングの難しさと奥深さをあらためて知らされた。WBA世界ミドル級王者村田諒太の初防衛戦。試合発表時から村田はKOを意識していた。挑戦者ブラントは無名であり、村田がいつ捕まえ、倒しきれるかが焦点と思われた。よもや負けるとは思わなかった。

村田は「幅の狭さを感じた」と振り返った。金メダリストからのプロ転向。当初はプロ仕様に改造へいろいろ試みた。アウトボクシングにも取り組んだが「強みを生かそう」と、本来のガードを固めてプレスをかける、アマ時代のスタイルに戻った。

ブラントには弱みをつかれた。スピードについていけなかった。防御で対応しきれず、ボディーもかわされた。ガードだけでは小さくても蓄積するダメージを受けた。かわしきる技術はなかった。右ストレートもこの階級ではまだまだ。手数も少なかった。

DAZNがこれまでにない有料ネットで独占生中継した。東京のスタジオでゲストの元世界王者西岡利晃氏とタレント香川照之は苦渋の表情。ブラントを一言ほめると早々に中継は終了。予定されていた取材対応は中止となった。DAZNは今回初の日本選手の世界戦。事前に地上波でバンバンCMを流し、起爆剤との期待も吹き飛んでしまった。

初防衛後にゴロフキンとのビッグマッチ、東京ドームでのビッグイベントのプランが浮上していた。業界内も村田を中心としたボクシングの盛り上がりに大きな期待を寄せていた。業界には大きな、大きなショックだった。

1年前は男子の世界王者は10人いたが、今や4人になった。後楽園ホールでの興行では観客が1000人を切ることも珍しくない。井上の怪物ぶりだけは衰えることがないが、ボクシングの人気拡大にオリンピック(五輪)好きの日本にあって村田は不可欠だった。プロとアマ、それもミドル級で世界の頂点に立った偉業は色あせることはないが、この黒星は痛かった。

日本独特のジム制度は長所も多いが、ジム主体の興行の厳しさを増している。ファイトマネーを生み出すテレビも今や地上波は3局程度になってしまった。競技人口減少の歯止めもきかない。スターの存在はインパクトがあるが、業界が一体となっての抜本的改革は必要だ。ボクシング界の行く末が心配である。【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」

WBA世界ミドル級タイトルマッチで判定で挑戦者ブラントに敗れ、ぼう然とする村田諒太(2018年10月20日撮影)

セインら日本女子勢が進化、米マットで頂点も近い

全7試合。28日(日本時間29日)、米ニューヨーク州にあるナッソー・ベテランズ・メモリアル・コロシアムで、WWE初の試みとなった女子レスラーのみのPPV大会エボリューションが開催された。「海賊姫」と呼ばれるWWE傘下のNXT女子王者カイリ・セイン、「天空の逸女」の愛称を持つ紫雷イオ、そして15年10月のデビューから267試合のWWE連勝記録を誇った「明日の女帝」と呼ばれるアスカが、うち3試合に出場した。

WWEで「海賊姫」として人気上昇中の前NXT女子王者カイリ・セイン(C)2018WWE,Inc.AllRightsReserved

セインのNXT王座戦はセミファイナル前に組み込まれた。挑戦者は前王者シェイナ・ベイズラー。会場で観戦していたはずのベイズラーの盟友2人(マリナ・シェファーとジェサミン・デューク)による想定外の試合介入を受けて敗れてしまったが、場外へのダイビングボディープレスなどで会場の視線をくぎ付けにした。ベイズラーたちは現ロウ女子王者ロンダ・ラウジーと4人で「MMA(総合格闘技)フォー・ホースウィメン」と呼ばれており、セインも彼女らとの因縁もできた。

メイ・ヤング・クラシック準優勝の紫雷イオ(C)2018WWE,Inc.AllRightsReserved

世界12カ国から計32選手が出場したトーナメント、メイ・ヤング・クラシック決勝には、紫雷が勝ちあがってきた。日本マットで対決してきたトニー・ストームとの顔合わせ。お互いの得意技をいかんなく繰り出し、紫雷が狙った2発目の月面水爆を両ヒザで迎撃されると、ストームの2発目のストロングゼロで3カウントを許す、という好勝負だった。計20選手出場の女子王座挑戦権争奪バトルロイヤル戦にはアスカが見せ場を作り、最後の4人に残ったところでリング外に排除されて敗退となった。

WWEで300戦近く無敗を誇ったアスカはもっとも女子王座に近い存在(C)2018WWE,Inc.AllRightsReserved

日本勢はいずれも勝利には届かなかったが、WWE殿堂入りの選手も加えた新旧50人を超えるメンバーが出場した中でインパクト、そして爪痕を残せた印象だ。世界中に動画配信されており、存在感は示したはずだ。以前からWWEでは女子タッグ王座の新設が計画されており、今回の大会成功も後押しに女子王座が増える可能性が高い。さらに3選手がタイトルに絡むチャンスが増えることになりそうだ。

過去、WWEではケンゾー(現KENSO)の妻で日本人初のディーバとなったヒロコ(鈴木浩子=現船橋市議)がマットに上がっていたが、主にケンゾーをサポートする役目。タイトルといえばWWE前身のWWF時代には94年にブル中野が初めてWWF女子王座を獲得。さかのぼること88年には「JBエンジェルス」山崎五紀、立野記代組がWWFタッグ王座を奪取した2例ほどだ。

シングル王座か、近い将来に新設されるであろうタッグ王座か。ロウ、スマックダウンの舞台で、日本女子勢が四半世紀以上の時を越え、WWEベルトを掲げる姿が見られるかもしれない。トップ級が集結する米マットで戦う「やまとなでしこ」たちの進化(エボリューション)は止まることはない。【藤中栄二】

現状維持は後退 変化を恐れない村田諒太と内藤哲也

変化を恐れないこと。そんな決意が担当する2つのスポーツで聞かれた秋だった。

ボクシングの村田諒太(32=帝拳)。10月20日(日本時間21日)に米ラスベガスで行われたWBA世界ミドル級タイトルマッチ、2度目の防衛戦で同級3位ロブ・ブラント(米国)に敗れて王座陥落した。日本人2人目のミドル級王者は1年でベルトを手放すことになったが、試合から一夜明けた会見では「練習も100%できましたし、こうしておけば良かったというのはない。過程においてやってきた自信はある」と後悔はないとした。

過程、その中でつぶやいた言葉がある。「諸行無常ですよね。物事に同じことはない。常に変化しないと」。決戦まで残り1カ月を切った時期だった。ミット打ちでひたすら右ストレートの距離感を確かめていた。「相手を倒すパンチって、だいたい振り切ってないですよね。振り切ったところで当たると力が伝わらない。考えれば当たり前なんですけど」。腕が伸びきった瞬間にインパクトを迎えても、押し出す力が欠ける。最も効果的なパンチは軌道の途中、振り抜く余力を残した地点で当てること。 「何でこんな当たり前のことを今更やっているんですかね」。その自嘲気味の言葉には失望の気持ちはなかった。自分のだめ出ししながら、どこか向上の余地を楽しむかのような、自分の現在地点を冷静に捉えられている事を、とても前向きに考えているように感じられた。それが印象的だった。

敗戦から一夜明け、腫れ上がった目をサングラスで隠し、会見する村田(2018年10月21日撮影)

プロレスラーの内藤哲也(36)。新日本プロレスのユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(L・I・J)」のリーダー。随一の人気を誇る男が最近口にしてきた言葉がある。「一歩踏み出す勇気」。4月29日、震災から復興しようとしていた熊本大会のリング上で語ったフレーズだった。「変わらないこと、諦めないことはもちろん大事。でも、変わろうとする思い、変わろうとする覚悟、そして、一歩踏み出す勇気も俺は大事なことじゃないかなと思います」。そこから時が経ち、その進言が自らに跳ね返った。

7月の米ロサンゼルス大会でメンバーの高橋ヒロムがけがを負い、長期欠場することになった。そこからL・I・Jは4人で戦ってきたが、ある決断をした。「ただ待つわけでなく、一歩踏み出すことも大事なんじゃないかなと思いました。4人で待つのではなく、5人で高橋ヒロムの帰りを待つ。つ・ま・り、新たなL・I・Jとして、高橋ヒロムの帰りを待ちたいと思います」。そして10月8日、両国大会で第6の男、ドラゴンゲートで活躍してきた鷹木信悟の加入が発表された。新メンバー加入でまたどう変化がもたらされるのかが注目されている。

内藤哲也(2018年7月13日撮影)

トップ選手の中には、現状維持は後退という考えの選手が多い。その覚悟が人を魅了する姿を生み出している。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」

井上だけでなく田中恒成にも注目を次戦は全国中継で

激しく打ち合う田中恒成(右)と木村翔(2018年9月24日撮影)

WBA世界バンタム級王者井上尚弥が“70秒KO”をして、WBC世界ライトフライ級王者拳四朗がV3を達成した7日、会場の横浜アリーナで、東京の記者から「え?」という一言を聞いた。私が「最近、おもろい試合が多いから、ええよな。田中-木村戦もめちゃおもろかったし」と言うと「田中の試合って、そんな良かったんですか?」と返された。

…そんな良かったんですかて…めちゃめちゃええ試合やったがな…って君、知らんか…。

9月24日、名古屋の武田テバオーシャンアリーナで行われたWBO世界フライ級タイトルマッチ。挑戦者の同級1位田中恒成が、王者木村翔を2-0の僅差判定で破った。プロ12戦目の世界3階級制覇は、パウンド・フォー・パウンド最強とされるWBA世界ライト級スーパー王者ロマチェンコに並ぶ世界最速タイの快挙になった。

それ以上にタフな王者に、スピード&テクニックが際立つ挑戦者が真っ向から打ち合いに応じた内容が、すごかった。どつき合い、拳闘。どんな言葉を使っても、表現が陳腐になるほどの死闘。井上の“70秒KO”もええけど、現時点で年間ベストバウトを選ぶなら田中-木村戦に勝るものはない。そう思う。

ところが、テレビ中継はCBCによる中部ローカルの生放送。関東地区は後日録画放送。関西地区に至っては放送自体なかった。

テレビ局にはテレビ局の事情があるでしょう。「数字(視聴率)が取れないから」とか「スポンサーがつかないから」とか。放送枠の問題もあるか。慈善事業やないですからね。

ウチらの業界かて、ネタの「価値」と同時に「売れる紙面」を考える。読者が見たら「何でこれが1面やねん」ということは、ままあると思います。だから、わかる。わかるけど、今回ばかりはやりきれん思いが残った。

ここからは、半分愚痴ですわ。

田中-木村戦は戦前から、おもろい試合になることは分かってた。北京、ロンドン五輪のライトフライ級で金メダルをとった中国の英雄・鄒市明(ぞう・しみん)から、敵地に乗り込み、KOでベルトを奪い、初防衛戦、V2戦もKOで防衛した王者木村のラッシングファイトに、挑戦者田中がどう挑むのか? ボクシングファンの興味をそそる要素はてんこ盛りやった。

それなのに、全国中継できませんか? まあ仮にできんにしても、録画中継をせんエリアがあるなんて、いくら何でも、それはないんと違います? あの試合を見れんかった関西のボクシングファンは大損です。命を削るような殴り合いを演じた2人も、気の毒やないですか。

世界3階級王者田中は、ボクシング担当歴の浅い、素人記者の私が見てもすごいです。所属の畑中ジムの畑中清詞会長に「次の試合は全国中継で?」と意向を聞くと「もちろん。それ以外は考えてない」。初防衛戦は来年3月あたりが有力です。活字メディアが一生懸命頑張っても、テレビには絶対かなわん一面もある。だからこそ、次こそは、何とぞよろしくお願いいたします。

【加藤裕一】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

田上明氏、久々の“バトル”は愛ある30分1本勝負

川田利明プロデュースの大会で、川田(右)とのトークバトルに参戦したかつての盟友田上明

全日本プロレス四天王として一時代を築き13年に引退した田上明氏(57)が、4月16日の胃がんの全摘出手術後、久々にファンの前に姿を見せた。1日に同じく全日本で活躍した川田利明(54)がプロデュースするプロレス興行「FOLY WAR」新宿大会(新宿FACE)のトークバトルに登場した。

2人は、全日本で名コンビで知られたが、私生活でもお互いが経営する店に行き来するなど、大の仲良し。トークバトルは、茨城県つくば市でステーキ居酒屋を経営する田上氏のもとに、川田が直談判に行き実現した。2人の対決は、ぶっきらぼうな言葉の中に、お互いへの愛情があふれる、「30分1本勝負」だった。

先にリングインしたスーツ姿の川田がコーナーで屈伸運動をすると、田上氏は苦笑。「屈伸運動したら、後ろに倒れたよ。四股でも踏んでやろうかと思ったけど、やめといた」。終了後のインタビューで田上氏は笑いながら話した。

田上氏は玉麒麟のしこ名で大相撲の十両まで務めたが、プロレス転向。ジャイアント馬場とのタッグという破格の待遇でデビューした。その後、川田らの超世代軍に属したが鳴かず飛ばず。しかし、ジャンボ鶴田のパートナーに抜てきされたのが転機となり台頭。鶴田が病気となった後に、それまで敵対していた川田とタッグを結成。「聖鬼軍」を名乗り、世界タッグを最多の6度獲得するなど、一世を風靡(ふうび)した。

お互いのタッグについて田上氏は「気難しそうで最初はいやだった。組んでみたら、今までで一番信頼できるパートナー。組んでみたら、うまかったね。今はラーメンがうまいけど」と、川田が経営するラーメン店もしっかり宣伝。川田は「気が楽。(田上氏)に気にせず、自分が好きなことができた」と話した。

ジャイアント馬場死去後の00年に、三沢が小橋、田上氏らを連れて大量離脱。全日本に残った川田と、ノアの旗揚げに参加した田上氏は離れ離れになった。離脱直後には田上氏が川田に電話しノアへ誘ったという裏話も披露。「あの時に連絡あったのは田上さんだけ」と川田。断ったが、2人の親交は続いた。

13年12月の田上氏の引退試合には川田も参加。川田は「引退試合に行って、お疲れさまでした。今後はノアの社長として田上火山を大噴火させてください」と激励した話をすると、田上氏が「どんどん沈下していった。オレは社長は似合わない」と苦笑交じりに返す。ノア社長時代の苦悩も、2人はトークショーで笑い飛ばしてしまった。

胃の全摘手術を受けた田上氏は、かなりやせてしまっていた。「若いころは良きライバル、おっさんになったら良き飲み友だちだから」という田上氏に、川田は「いい飲み友だちとして、しっかり健康管理してタバコも止めてください」と心遣いを見せていた。98年4月、最後のシングル対決となった仙台大会で、左膝を負傷していた田上氏にあえて足四の字固めを見舞い、早々に試合を終わらせたように。

【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

たたき上げ木村翔、王座陥落も名勝負記憶に残した

WBO世界フライ級タイトルマッチ 12回に激しく打ち合う木村翔(右)と田中恒成(2018年9月24日撮影)

今年はあと3カ月あるが、ボクシングの今年の年間最高試合は決まりかもしれない。9月24日の日本人対決。V3を目指したWBO世界フライ級王者木村翔と3階級制覇をかけた田中恒成の一戦は、初回開始のゴングから最終回終了のゴングまで、目を離せない激しい打撃戦だった。

木村が攻め込むと田中が反撃し、田中が連打を打ち込むと木村も連打で応酬と、毎回両者の攻防が繰り返された。最終回には息をのむ見せ場もあった。ともに向き合って、呼吸を合わせて、右ストレートを打ち込んだ。しかも3回連続して。

記者が見て優劣が明確なラウンドは数回で、毎回のように採点に迷った。結果は田中が2-0で判定勝ち。木村は「こんなの初めて。中盤から見えなかった」と右目周囲を大きくはらせた。田中も右目周囲にアザも木村ほどでなく、採点に影響したかもしれない。

7回に木村がダウンを奪うもスリップと判断された。ダウンなら木村が2-1で勝ちだった。最終回は2人が木村優位も1人は田中優位。全員木村優位なら、1人が田中も2人は引き分けで防衛成功だった。青木ジムの有吉将之会長(44)は結果を受け入れつつ「最終回の採点は納得できない」と何度も繰り返した。木村は「紙一重。燃え尽きた」と言ったが、会長の悔しがった顔は忘れられない。

18歳で国際ジムに入門も1勝1敗で引退した。右目網膜剥離で3度手術を受けたが、今も視界は限られている。現役時に修行したタイで仕事していたが、元世界王者のレパード玉熊会長に誘われてトレーナーになった。初代青木敏郎会長が亡くなり、跡を継いだたつ夫人から人づてに誘われた。06年からマネジャー兼務で経営にあたり、09年には会長となった。

1945年(昭20)創設の名門ジムでは、アマ時代から指導した小関を女子世界王者に導き、歴代2位の17度防衛させた。東洋太平洋王者大久保も誕生。そして、木村がついに世界王座についた。国際ジムからは世界王者が3人出たが2人が1回防衛しただけ。孫弟子の岩佐も1回。木村は2回防衛で抜いたことが自慢になった。

木村はデビュー戦で1回KO負け。5連勝もすべて判定で、その後は連続引き分け。トレーナーがさじを投げると会長が引き継いだ。以前から「世界をとれる」との評価を周囲に話していたという。スパーでやられまくっていた相手に判定勝ちで一皮むけた。V3戦前まで12連勝で10KOまで鍛え上げてきた。

練習は昔ながらのスパーでの実戦中心だ。週36回スパーが基本で1日は12回をこなす。ジムでは1回3分30秒でインターバルは30秒。世界戦前のタイ合宿は1回4分でインターバルは45秒。12回なら48分。木村が「15回もできる昭和のボクサー」を自称する由縁だった。

木村は中3で地元の熊谷コサカジムに通い出し、ボクシングを始めた。高1で遊びに走り、23歳でプロを目指して上京した。そのジムからは工藤政志が世界王者になっている。会長は「今回勝てば同じ3回防衛に並べる」と言っていた。記録は残せなかったが、記憶には残るファイトを見せてくれた。

最近は大手ジム、アマ経験者が日本ボクシング界の中心となっている。その中で高田馬場の小さなジムからたたき上げで世界をつかんだ。中国で人気者になった個性派王者の陥落は惜しかった。

【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

WBO世界フライ級タイトルマッチ 12回を闘い終え、抱き合ってたたえ合う木村翔(右)と田中恒成(2018年9月24日撮影)

闘病しながらUFCと契約を続けたKIDさんの思い

米メディアの取材に対し、流ちょうな英語で対応していた姿が印象的だった。11年2月、格闘技の聖地、米ラスベガス。今月18日に死去した山本“KID”徳郁さん(享年41)が初めてUFCに参戦した時のことだ。高校中退後、4年間の米留学の経験があり、通訳は必要なし。UFCデイナ・ホワイト社長との会話も弾んでいた。もう何年も前からUFCにいたような雰囲気に見えた。

11年2月、米ラスベガスのUFC初参戦前の公開練習で現地メディアのインタビューを英語で応じる山本“KID”徳郁さん(中央)

前座カードにもかかわらず、UFCから異例の要請を受け、メインカードの選手と公式会見に出席した。ホワイト社長から「KIDが私にファイト・オブ・ザ・ナイト(MVP)とノックアウト・オブ・ザ・ナイト(KO賞)を取ると言った」と明かされ、会見の盛り上がりは頂点に達した。急きょ試合順も第3試合から第4試合に格上げされ、ネット生中継も決まった。「メインしか呼ばれない会見に呼ばれて光栄」と感謝したKIDさんには、米国でも暗闇の荒野に道を切り開いてしまうようなオーラを放っていた。

この11年からUFCに軽量級のバンタム級(61・2キロ以下)が新設された。「今まで『オレの階級』がなかった。UFCバンタム級の中心になりたい。集大成のつもりでやる」と明確な目標を掲げた。姉美憂と妹聖子がレスリングで世界女王だったこともあり「UFCはランキング、王座、階級が決まっていて世界の強いヤツが集まる。UFCのベルトが事実上、世界トップ。世界一になりたい」とこだわっていた。

KIDさんが33歳で迎えたUFCデビュー戦は得意の打撃をかわされ、何度もタックルを浴びて判定負け。「殴り合うことしか考えていなかった。ルールを知らないのも準備不足」と反省した。運命のいたずらか、そのデビュー戦の相手デミトリアス・ジョンソン(米国)は12年に新設されたフライ級(56・7キロ以下)でUFC王座を獲得。UFC最多の11度防衛に成功し、王座陥落するまでパウンド・フォー・パウンド(階級を超越した最強選手)1位に君臨した。「たら」「れば」を言えばきりがないが、UFCがあと5~6年早く軽量級を新設すれば、KIDさんが「オレの階級」で日本人初のUFCベルトを手にしていたかもしれない-と今でも思う。

11年2月、UFCの要請を受けて急きょ公式会見に出席した山本“KID”徳郁さん

7年前、あのUFC公式会見で、KIDさんが壇上に設置されたUFCベルトをじっくり眺めていた姿を覚えている。闘病しながら「集大成のつもり」の言葉通り、UFCとの契約を続けた。実現しなかったが、オクタゴン(金網)の中で英語の勝利者インタビューに応じるKIDさんは、きっと格好良かったに違いない。

【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

スーパー、正規、暫定…乱立王座 誰が真の最強か

村田諒太(2018年6月13日撮影)

ボクシングの「ミドル級頂上決戦第2弾」のゴングが鳴る前に、残念な知らせが届いた。

WBAスーパー、WBCの2団体統一王者ゲンナジー・ゴロフキン対元2階級制覇王者サウル・アルバレスの1年ぶりの決着戦。そのアンダーカードで組まれたWBA同級3位ゲーリー・オサリバン(アイルランド)対同4位デビッド・レミュー(カナダ)戦が、WBAスーパー王者挑戦者決定戦として認められたという報道だった。この決定は、認定団体としてのWBAの方針に関し、さらに疑問を募らせた。

思い返せば17年2月、WBAのメンドーサ・ジュニア会長は日本で会見を開き、スーパー、正規、暫定と王座が乱立する状況に歯止めをかけるために、一本化していく宣言をしていた。具体的には、スーパー王者は他団体のベルトも保持する統一王者に限定すること、統一王者が設置される階級は正規王者を空けること、暫定王座はけがなど正当な理由で正規王者が試合を行えない場合にのみ設置すること、以上を明言。18年までに統一させていくと説いた。

それから1年7カ月、状況は進んでない。レミュー対オサリバン戦の情報を知ると、一層そう思えた。WBAのミドル級の事情で言えば、統一王者として長く君臨してきたゴロフキンの存在が、正規王者や暫定を作らざるを得ない状況を生んだ。そして、現在の正規王者としてベルトを巻くのは村田諒太(32=帝拳)だ。であるならば、一本化という意味ですべきことは、挑戦者決定戦の承認ではなく、スーパー王者と正規王者による統一戦以外にないはずだった。

結果としてゴロフキンは敗れ、アルバレスが新王者となったが、次戦は挑戦者決定戦に勝利したレミューとのV1戦になるとの報道も出ている。統一という機運に傾く流れはなさそうだ。村田自身も、興行面での難しさからアルバレス戦を行うには、「2、3ステップ踏み出さないと行けない」と険しい道のりであることを認識している。

村田を取材する身として知りたいのは、きっと村田自身もそうだが、どれだけ強いのか、ということだ。正規王者にはなったが、スーパー王者がその上にいる事実からして、最強ではない。ただ、それはむしろ前向きな要素で、自分の力がどれほどなのかを追い求めることができる環境に、いま村田は生きがいを感じているように思う。そうであるならば、最強決定戦を見たい。

王座乱立はWBAだけの問題ではなく、ボクシング界全体を覆う。誰が一番強いのか。その単純な事実が分かりにくい状況は、ファン層の拡大への障害にもなる。「だって、誰がチャンピオンか分からないでしょ!」。昨年、具志堅用高氏は、声を荒らげて言った。4団体も王座認定団体があり、ただでさえ王者が大勢いる。その中で、さらにスーパーやら、暫定やら…。その通り、誰が王者か分からない。王者とは最も強い者であるべき。

アルバレス勝利で置かれてた状況を険しいと表現した村田。最強を追い求めるその道にも、しっかりと道筋が敷かれることを願う。

【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」

再起戦を完勝、井岡一翔の新ストーリーが始まった

復帰戦判定勝ち後、顔を腫らしながら報道陣の質問に答える井岡一翔(2018年9月8日撮影)

ロサンゼルス郊外で井岡一翔の復帰戦を見て、成田空港に帰国した。税関チェックで、若い検査官のお兄ちゃんに物言いをつけられた。「あの~お客様の荷物なんですが、麻薬犬が興味を示してまして…」

麻薬犬?

「それでですね、別室でチェックさせていただけませんか?」。そりゃあ、嫌とは言えんがな。先輩とおぼしき中年男性の係員も出てきて、3人で別室へ。キャリーバッグを開けて、さあどうぞと見てもらう。パンパンに膨らんだ袋が気になるようで「それ、洗濯物ですよ。洗ってませんから。すみませんね」。当然何も出てこず、無罪放免。私がTシャツに半ズボン姿やったんで怪しまれた気がするけど、麻薬犬て。おったか? そんな犬。

人間、間違ったことをしてなければ、堂々とできるもんです。

9月8日の井岡はどうやったか。昨年大みそかの引退表明で「ボクシングに未練はない」「3階級制覇した時点で(引退を)考えていた」と言いながら、2月に渡米して「SUPERFLY2を見て、米国の空気、雰囲気を感じて」リングに戻ってきた。おいおい話が違うがな、と思った。引退表明から2カ月ちょっとでしょ? 大みそかに語ってた「新しいビジョン」は結局、米国での復帰やったんちゃうの? 整合性の取れんカムバック-。少なくとも、井岡陣営、井岡に近い関係者以外はみんな、ファンも含めてそう感じたはずやし、本人にも気まずさのようなものがあったんちゃうかと思います。

ところが、アローヨ戦は圧巻でした。最初から左をバシバシ打つ。先にジャブ、ボディーを出し、下がることなく、前に出続ける。3ラウンド、きれいなワンツーで奪ったダウンはカウンター気味やったけど、偶然ではなく必然の出来事やったと思います。あんなに激しく、攻撃的な井岡を初めて見ました。

「本当にいっぱいいっぱいでした。余裕がなかった」。スーパーフライ級の試合、米国の試合はともに初めて。その緊張感はあったでしょう。しかし、それ以上に彼を追い込んでいたのは、不可思議な引退表明に終止符を打たんとあかんっちゅうプレッシャーやったんやないでしょうか。

復帰戦の完勝で全部とは言えんまでも、井岡一翔のボクサー人生はほぼリセットされ、新たなストーリーが始まったと思う。決意、意地を拳で語ったととらえましょう。次戦からはきっと、より純粋なボクサー井岡一翔が期待できる。そう思うようにしましょう。【加藤裕一】

プロレス実況15年清野茂樹アナの夢を叶えた生き方

プロレス実況15年目を迎え、プロレス本「コブラツイストに愛をこめて」を上梓した清野茂樹アナウンサー(撮影・桝田朗)

今年でプロレス実況15年を迎えたフリーアナウンサーの清野茂樹さん(45)が、プロレス本を出した。「コブラツイストに愛をこめて」(1600円+税、立東舎)だ。新日本プロレスを中心に実況アナを務め、15年には新日本、WWE、UFCの“世界3大メジャー”の実況を初めて達成。プロレス界では第一人者として活躍している。

清野さんは小学生時代に聞いた古舘伊知郎のプロレス実況のとりこになって、この仕事を志した。ラジカセで録音した古舘の実況を丸暗記し、小学校ではプロレスごっこの実況で腕を磨いた。青学大を卒業後、東京、地方とテレビ局の採用試験は全滅。96年4月にプロレス実況とは縁遠い広島FMに入社した。

しかし、そんな清野さんに転機が訪れる。新日本の広島大会のPRに来ていた蝶野正洋のトークショーの司会を担当。新日本とつながりができ、03年4月の広島大会で場内FMの実況を提案すると、それが通ってしまう。清野さんのプロレス実況のスタートだ。「実は、そのときがプロレスの実況は初めて。でも、全試合を1人でしゃべり続けた」と清野さん。

これを機に、新日本の実況に声がかかるようになり、会社を辞めて06年に上京。フリーアナウンサーとして活動するようになった。プロレス以外にも、K-1やDREAM、最近では大相撲、米国プロバスケットボールのNBA、東京五輪の新種目となった空手の実況も務める。

自身7冊目という本には、実況アナの仕事や、プロレスラーのエピソード。目標とする古舘伊知郎さんの実況への思いなどがつづられている。新日本のどん底時代を支えてきた棚橋と、駆け出し時代に励まし合った話。オカダ・カズチカの新日本デビュー戦となった内藤哲也戦の話など、実況アナならではの秘蔵エピソード満載だ。

本のデザインとなっている覆面レスラーに清野さんがコブラツイストを掛ける人形は、獣神サンダーライガー自作の粘土細工だ。楽しいプロレスラーの話、実況アナウンサーという職業の紹介も楽しいが、「プロレス実況アナウンサーになる」という思いを実現させた清野さんの生き方が、とてもステキだと感じさせる本だ。【桝田朗】

失格、棄権続いた計量問題 重い腰上げルール改正

再計量で1.3キロオーバーとなるネリ(2018年2月28日撮影)

スポーツ界が揺れている。プロボクシングでは一連の計量騒動があった。3月の山中とネリの直接再戦は世間でも大きく問題視された。国内が怒りで沸騰したが、約1カ月後には落胆が渦巻いた。比嘉が世界戦で日本人で初めて王座剥奪。前戦で日本タイ15連続KOで故郷に錦も、試合はタオル投入でのTKO負けで日本新記録もフイになった。

日本タイトル戦なども失格や棄権が続き、業界も重い腰を上げた。日本ボクシングコミッション(JBC)の現行ルールは「契約書に規定した違約金の支払い、その他の制裁を科す」というもの。通常は厳重注意、階級変更勧告程度にとどまっていた。ネリ、比嘉の場合は倫理委員会で日本で活動停止、ライセンス無期限停止処分などを下した。新ルールが以下のように決まり、9月1日から適用される。

◆試合出場の可否

(1)体重超過が契約体重の3%以上の場合 JBCルールに基づく2時間の猶予は与えない。よって計量失格となり試合出場は不可(試合は中止)

(2)3%未満の場合 ルールに基づき2時間の猶予が与えられる

2時間の猶予後も体重超過の場合

<1>計量失格とし、試合出場は不可(試合中止)

<2>試合中止をしない場合は、試合当日に再計量を義務付ける。再計量時の体重が契約体重を8%以上超過した場合、試合出場は不可(試合中止)

◆ペナルティー及び処分

(1)上記の(1)及び(2)の<1>に基づき試合中止する場合 ファイトマネー相当額を制裁金として、1年間ライセンス停止、次戦以降は1階級以上の階級への転向を義務付け、体重超過ボクサーのマネジャーを戒告

(2)上記の(2)の<2>に基づき試合中止をしない場合

ファイトマネーの20%を制裁金として、6カ月ライセンス停止、マネジャーを厳重注意

3%の線引きは経験とデータから「落ちないし、落とさせるのも危ない」と決められた。バンタム級の3%は1・6キロのため、2・3キロオーバーのネリは今後即試合中止となる。減量は大半が本人任せも再犯も多く、ジムの管理体制の甘さを指摘する声も強い。最近は計量に現れずに棄権のケースが増えた。

アマの日本ボクシング連盟では山根会長体制が大問題となった。他競技も不祥事などが相次ぎ、ガバナンスやコンプライアンスが問題になった。日本は独自のジム制度が基盤だが、時代遅れした部分もある。減量以外でもファイトマネー、移籍などの課題があり、JBCと日本プロボクシング協会が協議している。

1年前は男子の日本の世界王者が12人いたが、ここにきて5人に減った。ボクサー人口も減っている。今回のルール改正は世界でも画期的なものと言える。旧態依然とした体制、体質の改善への積極的取り組みも望まれる。

【河合香】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

前日計量で900グラムオーバーとなった比嘉はその後の再計量を断念(2018年4月14日撮影)

新日本&ROH共催とWWE祭典、大会日接近に注目

ハングマン・ペイジ(左)にドロップキックを決めるオカダ・カズチカ(2018年7月19日撮影)

 新日本プロレスが7月13日、来年4月6日(現地時間)に米ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG=約2万人収容)大会を米団体ROHと共催すると発表した。MSGは、プロレス界ではWWEがほぼ独占的に大会を開催してきた格闘技の殿堂。何より日にちと会場を知って頭によぎったのはWWE最大の祭典レッスルマニアに「近すぎないか」ということだった。

 19年のレッスルマニア35大会は4月7日(現地時間)に米ニュージャージー州のメットライフ・スタジアム(約8万人収容)で開催することが発表済み。NFLで親しまれる同スタジアムはニューヨークのマンハッタンから電車で30分程度で到着するほど近い。レッスルマニア週には同じ開催地域で裏レッスルマニアと呼ばれるイベント「レッスルコン」が開かれ、世界中からファンやマスコミが集結するのが恒例だ。今年も同34大会が開催されたニュージャージー州でROHや英団体RPWなどがレッスルコン枠で大会を行った。

 特にROHはレッスルマニア前日に「スーパーカード・オブ・オナー」というPPV大会を開いた。新日本との共催となった来年の大会名は「G1スーパーカード」に変更し、ライオンマーク色が強く打ち出された。米メディアによると共催大会の発表前にWWE側から一時、横やりが入ったとの情報もあった。

 一方のWWEはレッスルマニアの2日前にWWE殿堂入り式典、前日に傘下となるNXTの大会を開催し、ビッグイベントの機運を盛り上げる。ちなみに来年のNXTの前日大会は米ブルックリンのバークレイズセンターで行われる。MSGとはブルッリン橋のかかるイーストリバーを挟んで近い。新日本とROH共催大会はモロかぶりと言える。

 新日本の海外戦略はパワーアップを続けている。海外への動画配信とともに選手たち自身も積極的に海外進出する。最近でも、今月17日にはオカダ・カズチカがメキシコシティーでアレナメヒコ金曜定期大会に出場。同じ日には石井智宏も英団体RPWのロンドン大会に参戦してウォルターを下し、RPW英国ヘビー級王座の挑戦権を得ている。

 欧米を中心に認知度アップし、ファンを増やすことには地道な努力と時間が必要だ。難しい作業だが、数年かけ、新日本は着実に土台作りしている印象が強い。18年は米国内で計4大会を開催。そして9月1日には新日本のユニット「バレットクラブ」に所属するCodyとヤングバックス(マット&ニックのジャクソン兄弟)が主催する1万人興行「オールイン」大会(米シカゴ)にもオカダら新日本勢が多く参戦する。来年の新日本&ROHとWWEの大会接近は、来春の大きなインパクトになるだろう。19年4月6、7日。海外ファンの動向が楽しみでならない。【藤中栄二】

棚橋弘至、苦境語らずとも想起させる絶妙な言語感覚

G1を制し祝福のテープを浴びる棚橋(2018年8月12日撮影)

 「今まで、苦しんだ分……」。

 棚橋弘至、G1クライマックス28を3年ぶり3度目の制覇で飾った直後。バックステージでの2問目だった。「今のお気持ちは?」。定番の質問に、ゆっくりと息を整え、気持ちを吐き出し続ける…、かに思えたが、すぐに訂正した。

 「苦しんでない! 苦しんでない!」。

 そう、それが棚橋弘至。「楽しんで、喜んでやってきたけど、結果が出なかった分、今日はいつもより、倍うれしいです」。思わず出た本音に照れ笑いなのか、勝利の喜びなのか、止めどなく噴き出る汗をぬぐう顔には笑顔が広がっていた。

 「疲れない、落ち込まない、あきらめない。それが逸材三原則ですから」。100年に1人の逸材は、この2年あまり、IWGPヘビー級のベルト戦線から離れ、故障の連鎖に苦しむ中でも、そのスタンスを崩さなかった。苦労話を探る報道陣との“攻防戦”は度々だっただろう。記者もその1人だ。スポーツに付き物の逆境をはねのける物語を求め、数々の質問を浴びてきたはずだ。ただ、逸材はぶれなかった。G1優勝後のバックステージでもそうだった。「苦しんでないと言われましたが、気持ち的には追い込まれたりは?」の問いかけにも、「はい……、ないです! ないです!」と切り返した。

 苦境に雄弁である必要はない。この日のバックステージの棚橋を見て思った。苦しかったかと聞かれ、思わず透けてしまう本音、それを必至に打ち消すまでの間。その絶妙な言語感覚で十分だ。苦境はあった。ただ「逸材三原則」はぶれない。だから、少し、ほんのわずかのぞいたその本音をきっかけに、想像力を働かせれば十分。そしてその想像を喚起させるところが、棚橋の類いまれな魅力ではないか。

 優勝で来年1月4日の東京ドーム大会メイン、IWGPヘビー級選手権の挑戦権利証を手にした。18年の下半期は、その言語感覚を発揮してくれる場が多々あるだろう。耳を傾けたい。【阿部健吾】

G1を制し優勝旗を手にポーズを決める棚橋(2018年8月12日撮影)

武骨さ貫く石井智宏、42歳王者の勇姿がぜひ見たい

 佳境を迎えた新日本のG1クライマックス。シングルのリーグ戦はやはり楽しくて、通常のタイトルマッチにない番狂わせがしばしば起こる。8月4日の大阪大会でもあった。輝いたのは石井智宏だ。

新日本プロレスG1クライマックス出場者記者会見 入場時、ポーズをする石井智宏=2018年7月13日

 日本人男性の平均身長とほぼ同じ170センチで、体重100キロ。短めの手足で、スタイルはお世辞にも「いい」とは言えない。その体の上に丸刈り頭、無精(?)ひげのごつめの顔がのっている。見た目は明らかにオカダ・カズチカ、棚橋弘至、内藤哲也ら華やかな一群とは違う。典型的なバイプレーヤータイプだ。

オメガ(左)にラリアートを決める石井(撮影・垰建太)(2018年8月4日)

 しかし、強い。その日はBブロック公式戦で、相手はIWGPヘビー級王者ケニー・オメガ。王者の躍動感あふれる、多種多様な技を、体全体で受け止め、跳ね返した。要所で見せる頭突き(あえてヘッドバットとは言わんでおきましょう)や、パワー系の技で試合にアクセントを加え、垂直落下式ブレーンバスターでとどめを刺した。

右が石井智宏、左は長州力、中央はニコラス・ペタス(2005年9月7日)

 天龍源一郎、長州力の薫陶を受けてきたことが手に取るようにわかる、ゴツゴツしたファイトスタイル。見ていて、とても痛い。かつて山崎一夫や藤田和之が絶賛したのが、よくわかる。鈴木みのるとは少し違うけど「説得力」という点では、多士済々の新日本でも出色だと思う。

 ファンが彼の力を百も承知なことは、オメガ戦での歓声、拍手で手に取るようにわかった。「番狂わせ」と言うには失礼で、IWGPヘビー級王者の全勝街道に立ちふさがったレスラーが「石井でよかった」という空気感が、場内には確かにあった。

 「あいつ、今が一番楽しいだろうな。すべて思い通りで。でもな、世の中そんなに甘くねえんだよ。山あり谷ありで、必ず障害があるんだよ。おめえ(オメガ)にとっては、それが俺だ。今だけじゃねえぞ。これからもだ」。オメガ戦後、それだけを言い残して、インタビューエリアを後にした。俺にもっと仕事をさせろ、と言わんばかりに。

 42歳。今のパフォーマンスをどれだけ維持できるのか。だから、早いとこもうひと花咲かせてほしい。近いうちに、IWGPへの挑戦はないかな。10年10月から11年2月まで、第55代王者として君臨した小島聡以来となる40代王者の勇姿がぜひ見たい。【加藤裕一】

陰で新日支えたマサ斎藤さん、みんなに愛されていた

リングの形をしているマサ斎藤さんの祭壇

 巌流島の戦いで有名な元プロレスラーのマサ斎藤さん(享年75)が亡くなった。米国で活躍し、新日本プロレスでは、巌流島でアントニオ猪木と名勝負を演じ、引退後は渉外担当として、ドーム興行などビッグマッチを陰で支えた。東京・青山の梅窓院で営まれた葬儀は、故人の人柄もあり多くの参列者も集まったすばらしい式だった。

 ドン荒川さんが昨年亡くなったときに取材した、新日本の元執行役員、上井文彦氏の言葉を思い出した。「プロレスラーは静かに死んじゃいけないんです」。白い花でリングをあしらった祭壇に、倫子夫人が選んだ遺影。それを囲むように、赤い花は、巌流島のかがり火を再現したとか。闘志あふれる遺影に、斎藤さんの代名詞「GO FOR BROKE(当たってくだけろ)」の文字版。その祭壇の中で、斎藤さんが今も戦っているような雰囲気があった。

 会場となった梅窓院は、倫子夫人が選んだ。青山通りを1本入ったところにある、静かで品のある寺院。斎藤さんが生前「青山通りは昔、戦車が走ったことがるんだ」と話したことを覚えていた倫子さんが、通りからたまたま見かけた梅窓院を選んだと話してくれた。もともと親族だけでという通夜、告別式だったが、訃報を聞き付け、かつての仲間や世話になった人たちが数多く足を運んだ。

 かつてリング上で、長州力の顔面を蹴って、新日本を解雇された前田日明氏と、長州の2人が、そろって出棺の際に棺を抱えていた。前田氏は「試合のあとマサさんにちょっとあやまったら、『あやまることないよ。元気があるのはいいことだよ』と言われた」と思い出を語った。長州は「この年までやってきて、あそこまでにはなれないね」と故人の偉大さをたたえた。

 米国時代のマサさんの思い出を弔辞で切々と語ったザ・グレート・カブキの米良さん。マサさんにビジネスのイロハを教わったという蝶野正洋。明大時代にレスリング部と柔道部で切磋琢磨(せっさたくま)したという新日本の坂口征二相談役は「同じ体育会で仲が良くて、おとこ気のあるやつだった。オレが社長で、マサが渉外部長で一緒に頑張ったんだよ」と寂しそうに話していた。

 マサさんはみんなに愛されていた。パーキンソン病で早すぎた死であったが、参列した人々の言葉と、倫子夫人の姿を見て、マサ斎藤さんの人生はとてもすばらしいものだったと教えられた。【バトル担当=桝田朗】