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田中恒成は“中京の怪物”におさまるタマやない

田中恒成

 WBO世界ライトフライ級王者の田中恒成(22=畑中)が、ついに全国デビューを果たす。9月13日、エディオンアリーナ大阪で行う2度目の防衛戦がTBS系で全国ネット中継されるわけやが…遅すぎるよな。

 15年6月、WBO世界ミニマム級王者になった。日本最速のプロ5戦目での世界奪取やった。16年の大みそかには、現在のベルトを手にした。これはプロ8戦目、WBO世界スーパーフライ級王者井上尚弥と並ぶ日本最速の世界2階級制覇。すごい経歴で、そもそもが“中京の怪物”なんて異名におさまるタマやない。

 何がすごいんか? う~ん、自分はボクサーやないから、うまく言えませんが、要は「素人目で見てもすごい」んです。

 6月5日、名古屋市の畑中ジムで田中の公開練習を見た。ライトフライ級王座初防衛後の再始動やったんで軽く動いただけやけど、その“軽く”がすごかった。リング上と大鏡の前でのシャドーボクシング。右利きのオーソドックスやのに、時々急に、ひょいっとサウスポーにスイッチする。それがまた「ほんまは左利きか?」と思うしなやかさ、素早さ、ド迫力なんですわ。

 田中は7月初旬、オーストラリアに出向いて、マニー・パッキャオの世界戦を現地観戦した。アリーナ席やったらしいが、その時のことを笑いながら説明してくれた。

 「パッキャオが米粒ですよ。目を凝らさないと…凝らしても見えなくて。ちゃんと見ようと思えば、スタンドの特大ビジョンしかない。『これ見るんなら、日本でテレビ見てても一緒やな』と。だから、現場の空気感だけを感じてました」

 口調はどっちか言えば、ほわんとしていて、つかみどころがない。それでいて、次の2度目の防衛戦に向けた抱負は「こないだはKOするって言って、判定。ウソついたんで、今度はKOします。う~ん、中盤ぐらいかな」。言いたいことは、はっきりと言う。

 次戦をクリアすれば、その次はWBA王者田口良一との統一戦が既定路線。そこも越えたら、階級を上げて、フライ級…。“中京の怪物”から、エリアが取れて“怪物”になるはずの全国デビュー戦は見逃せませんよ。【加藤裕一】

比嘉大吾が目指す羽生、小平の「すばらしい」強さ


 19日に都内ホテルで行われたボクシングの世界戦発表会見で、WBC世界フライ級王者比嘉大吾(22=白井・具志堅スポーツ)を鍛え上げる名物トレーナー、野木丈司氏(57)に話を聞いた。

防衛戦が決まりポーズをとるWBC世界フライ級王者の比嘉大吾(2018年2月19日撮影)

 「羽生さん、小平さん、ああいうすばらしさに近づきたいですよね」。

 4月15日に横浜アリーナで愛弟子が挑む同級2位クリストファー・ロサレス(23=ニカラグア)との防衛戦に向けた調整について質問を向けると、いの一番にそんな感嘆が返ってきた。

 前日18日に平昌五輪スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が金メダルを獲得したばかり。17日にはフィギュアスケート男子で羽生結弦が66年ぶりの2連覇を成し遂げた。

 同氏は元プロボクサーながら千葉・佐倉高時代は陸上部に在籍。シドニー金メダリストの女子マラソン高橋尚子らを育てた小出義雄監督の薫陶を受けた。五輪を観戦しているのは五輪競技(ボクシングはアマチュアが参加)出身の出自もあるだろうが、すごく視野が広く、比嘉の強さの源を感じた。

野木丈司トレーナー(左)と二人三脚でフィジカルトレに臨む比嘉大吾

 というのは、その「すばらしさ」についてこう続けたから。「全体的な強さがある。だからああいう状態でも勝てるんですよね」。それは右足首の負傷で試合は4カ月ぶりのぶっつけだった羽生を指した言葉で、「それがあるから自信もあるし、動きも美しくなると思うんです」と25連勝とした小平のスケーティング技術にも対象を向けた。そして、「大吾も最近の発言をみるとね…」。

 比嘉は2月4日に37年ぶりとなる故郷沖縄での世界戦で、1回KOで日本記録に並ぶ15連続KO勝ちで防衛に成功した。その時を振り返り、「『調子悪くても自分の方が少し上』と言っていたでしょう。いいですねえ、あれは」とニッコリした。「勝負の舞台では100%の力を出せないものですよね。ただ絶対的な力量差があれば、それでも相手を封じ込めることはできる。本人も(普段から)猛練習している意味を理解しているのかな」。猛烈な練習の意図を自然と体得していそうな教え子の発言だった。

15連続KO勝ちで防衛に成功した比嘉大吾(左)は具志堅用高会長と笑顔を見せる(2018年2月4日撮影)

 次戦は日本新記録の16連続KO記録がかかる。試合間隔2カ月にも、比嘉は「何の問題もない。1回から12回のどこかで必ず倒す」と意に介さない。「すばらしい」強さでの快勝を期待したい。【阿部健吾】

新日本プロレスに熱狂するファン、53歳もときめき


 プロレスはすごい。厳密に言えば、新日本プロレスやけど。プロレスの本担当でないので、えらそうなことは言えんのですが、2月10日にエディオンアリーナ大阪(大阪府立体育会館のこと)の大会(THE NEW BEGINNING in OSAKA)を取材して、あらためて痛感した。

SANADAの顔面にキックを決めるオカダ(撮影・和賀正仁)

 プロレス少年でした。高1で、テレビで田園コロシアム大会のハンセンVSアンドレを見て「なんじゃこりゃ?」とシビれてハマッた。金曜午後8時は「ワールドプロレスリング」。部活から帰宅してチャンネル権(死語)を独占し、翌日は学校でプロレス談議を楽しんだ。高2の6月には大阪城ホールに藤波VS前田戦を見に行ったりもした。

 レンタルレコード店(死語)で、プロレスの入場曲を集めたLP(死語)を借り、カセットテープ(死語)に録音した。長州の「パワーホール」とハンセンの「サンライズ」が好きやった。藤波の「ドラゴン・スープレックス」や山崎一夫の「UWFのテーマ」もええし、前田日明の「キャプチュード」はシングルレコード(死語)を買った。

 恥ずかしながら、就活で「週刊ファイト」(廃刊)編集部に電話したら「新卒は採用しません」と断られた。30年以上前ですが。

10度目の防衛を果たし金色のテープが舞う中、両手を広げるオカダ(撮影・和賀正仁)

 10日の大阪大会は観衆5481人の札止め満員でした。この集客力はすごい。リングまでの花道には特設入場ゲートが設置され、特大ビジョンであおりの映像を流す。エンターテインメントとしては、昔から段違いに進化しているとはいえ、もう“金曜午後8時”はないのに…。お客さんの半分ぐらいは内藤哲也率いる「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」や、鈴木みのるの「鈴木軍」のシャツを着てるし、内藤の「スターダスト」や鈴木の「風になれ」(両方ともダウンロードして、スマホで聞いてます)が流れるとギャンギャン騒いで盛り上がる。

 たとえば大相撲は満員御礼続きやけど、他の多くのスポーツは集客に苦労してる。プロゴルフなんか、客足はさびしいもんです。同じバトル系で言うなら、プロボクシングもそう。ダブル、トリプルで世界戦を組んでも満員は約束されん。

 ゴルフのティーグラウンドで入場曲流したら、大変やし、プロボクサーがマイクでやり合ったら、これも大問題。それでも、新日本プロレスの会場にはきっと、学ぶべきものがある。もう53歳のおっさんでも、まだときめくものがあるんですからね。【加藤裕一】

前田日明による若者更生の場、そこにある日本の縮図

THE OUTSIDER10周年記念イベントであいさつする前田日明氏


 元プロレスラーの前田日明氏(59)が08年1月に不良の更生を目的に始めたのが、アマチュア総合格闘技大会の「THE OUTSIDER」だ。その10周年記念イベントが1月24日に東京・渋谷のLOFT9で行われた。

 会場で最初に上映された映画「タイトロープ」は、その大会に出場する若者たちの日常と、インタビュー、大会の様子などを追ったドキュメンタリー映画だった。「THE OUTOSIDER」に出場するのは、ほとんどが元暴走族や、犯罪を犯し更生施設や刑務所から戻った若者たち。彼らが総合格闘技に出合い、新たに目標を見つけそれに打ち込む様が、克明に描かれていた。

 前田氏は、海外で格闘技が若者の更生のために利用されていることを知り、日本でもやってみようと始めたという。「最初は、日本で真っ先に始めるとか、多少の山っ気もあって始めた。でも、試合に出てくる選手たちを見ていると、昔の自分を思い出す。そうすると、おせっかいを焼きたくなってね。何かできないかと」と、前田氏自身も、大会を続けながら参加する若者たちの成長に、継続することの大切さを教えられたという。

 「立ち上げた当時は、暴力団のしのぎに利用されているような地下格闘技と同じような目で見られた」というように、暴力団とのトラブルもあった。タイトロープの試写会が13年11月5日に六本木で行われたときは、暴力団から前田氏の殺害予告があり、会場は警察官の警備で、客がゼロということもあった。

 厳しい状況を乗り越えて「THE OUTSIDER」は10周年を迎えた。若者たちを取り巻く環境も、時代によって変わってきた。前田氏は「最初は、OUTSIDERに出る若者も何を不満にチャラチャラぐれているのかと思ったが、自分たちの世代とは違う悲しさ、例えばネグレクト。親がいても面倒を見てもらえないとか、世間や親子関係の希薄さの中で傷つき、行き詰まったそんな子がたくさんいる」と、現状を説明する。

 親から暴力を受けたり、育児放棄で愛情を得られなかった若者が、非行に走り他人を傷つける。一度は道を踏み外した若者が、OUTSIDERと出会い変わる。前田氏は「不良の更生を目標に始めたけど、今は参加者の中で不良は半分以下。いじめられっ子がいたり家庭内暴力をやっている子だったり。今の日本の縮図だね。OUTSIDERでは、それぞれ自分のペースで再生してくれれば」と参加者に温かい目を向ける。前田氏の取り組みを見て、スポーツの果たす役割の大切さをあらためて考えさせられた。【バトル担当=桝田朗】

大場政夫に挑んだチャチャイ氏のリング史を飾る死闘

WBA世界フライ級タイトルマッチ 大場政夫対チャチャイ・チオノイ コーナーにもたれかかってダウンしたチャチャイ・チオノイ(後方)の手前で苦しい表情を見せる大場政夫(1973年1月2日撮影)


 ここ数年は年末集中開催で、新年は静かなボクシング界となっている。そんなところへ海外から訃報が伝えられた。元世界フライ級王者チャチャイ・チオノイ氏が、21日にタイ・バンコクの病院で亡くなった。75歳だった。ここ数年パーキンソン病で闘病生活を送っていた。

 キックボクシングのムエタイから、14歳で国際式でプロデビュー。19歳の61年から日本のリングに何度も上がった。定評のある記録サイトではプロ戦績は61勝(36KO)18敗3分。通算82戦というのもすごいが、20試合が日本人相手だった。

 関光徳、海老原博幸らに敗れたが「稲妻小僧」と呼ばれた。68年にビラカンポ(フィリピン)からWBC王座を獲得した。初防衛には失敗も、70年には王座返り咲き。この時も初防衛に失敗した。

 3年後に日本で歴史に残る一戦を演じた。73年1月、3度目の王座を狙ってWBA王者大場政夫に挑んだ。初回に右のロングフックでダウンを奪った。大場はふらつき、足がガクガクしていた。実は右足首を捻挫していた。

 大場はピンチを脱出すると、インターバルで足を冷やしながらの戦い。足を引きずりながらも強気の攻めに、中盤からはチャチャイが劣勢に。12回にダウンを奪い返され、1度は立ち上がるも連打にまたダウン。再度立ち上がったがコーナーに吹っ飛ばされ、12回KOで逆転負けとなった。

 当時のプロスポーツと言えば野球、あとは相撲、ゴルフにボクシング程度だった。世界戦は時々テレビで見た。中でもこの大場とチャチャイの試合は、高校生だったが強く記憶に残る。違うスポーツをやっていたが、あれから世界戦は必ず見るようになった。ボクシング記者になるきっかけだったのかもしれない。

 日本のリング史を飾る死闘の1つ。大場の切れよくスピードある連打は今はあまり見られない。記者となって詳細を知り、伝説的試合と分かった。それはV5を果たした大場が、3週間後に交通事故で亡くなったことがある。永遠のチャンプと呼ばれる。

 チャチャイは次の試合で空位の王座を獲得し、2度目の王座返り咲きを果たした。3度目の防衛戦は花形進と対戦も体重オーバーで王座剥奪となった。試合も6回TKO負け。逆に花形は日本最多の5度目の挑戦で世界王座奪取となった。チャチャイはこの2戦後に敗れて引退した。昭和の日本ボクシングを盛り上げた1人だった。【河合香】

内藤マスク作った神谷氏…1・4アナザーストーリー

仮面を付けて入場する内藤哲也(2018年1月4日撮影)


 達成感。歓喜。感動。その、どれでもない感情が胸に芽生えたという。新日本プロレスの1・4東京ドーム大会のメインを初めて「飾った」気持ちは、独特な緊張感だった。

 他仕事の納品のため、1月4日夜は新幹線で移動中。プロレスマスク職人の神谷淳氏(46)は座席に座るとスマートフォンで動画配信サービス・新日本プロレスワールドのアプリボタンを押した。IWGPヘビー級王座に挑戦した内藤哲也の入場をチェック。自ら制作したオーバーマスクを装着した内藤の映像を見つめながら「ドキドキしてしまいましたね」と照れ笑いを浮かべた。

 新日本プロレスの制御不能ユニット「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン」に所属するBUSHIのマスクを担当する1人だ。昨年10月、そのBUSHIを通じて内藤のドーム大会用オーバーマスクの制作依頼が舞い込んだ。立体的なマスク制作は1度もなかった。まったく初めての挑戦になるが「イッテンヨンのメインで使うマスクをつくることなんて、なかなかあることではない」。悩むことなく、快諾した。

 テーマは、ガイコツと18年のえと「いぬ年」。使用する素材、着色、軽量化など、神谷氏の頭には「どう表現するか」のイメージが膨らんだ。すぐに試作品も完成したが、3度もボツが出た。内藤とのイメージをシンクロさせることが急務。一から考え直し、数点のデザイン画で再提案した。ガイコツと犬の境目を強調するため縫い痕を入れ、耳にイヤリングを装着した最終形ができあがった。マスク完成は12月中旬。完成まで約2カ月をかけた力作となった。「間違いなく、技術レベルはアップしました。やってよかったです」。

 神谷氏は言う。「ファンの方の反応がどうなるのかというプレッシャーはありました。それ以上に今まで内藤選手のオーバーマスクをご担当されてきた前任の方が築き上げたイメージを崩してはいけないという重圧が一番ありました。何もないところから内藤選手とマスクをつくったご苦労は計り知れないです。職人のバトンタッチというのはリスペクトがないといけないと思っています。その功績を傷つけてはいけない」。

 新幹線の車内で、神谷氏が抱いた独特な緊張感は、前任者に向けたリスペクトの大きさだった。プロレス職人の矜恃-。内藤の「犬とガイコツ」オーバーマスクにまつわる1・4メインのアナザーストーリーは、クリエイター魂があふれている。【藤中栄二】

 ◆神谷淳(かみや・じゅん)1971年(昭46)4月6日、静岡・浜松市生まれ。小学4年の時、初代タイガーマスクのデビュー戦で強い衝撃を受け、手縫いやミシンを駆使し、趣味でマスク作りを開始。初代タイガーのマスクを担当する豊島裕司氏に師事する。中央学院大を卒業後、浜松市の企業に就職し企画部に所属。30歳で一時上京し、外資系人材会社に入社して法人・個人の営業を担当。40歳で退社後、地元に戻って起業塾に通い、ビジネス大賞を受賞。現在は同市でPUKUPUKU工房を経営し、後進を指導。静岡大教育学部でプロレスマスクに関する講師も務める。家族は夫人と1男1女。

プロレスマスク職人の神谷淳氏
新日本プロレスの1・4東京ドーム大会で内藤哲也が装着した犬とガイコツをイメージした神谷淳氏製作のマスク

中3の夢叶えた内藤哲也、プロレスラーとして次の夢

内藤(上)はオカダにデスティーノを見舞う(2018年1月4日)


 中学生の時の夢を果たした男の今後はー。

 新日本プロレスの毎年恒例「イッテンヨン」、1月4日の東京ドーム大会は昨年を大きく上回る3万4995人の観客を集め、数々の激闘が繰り広げられた。その中で人一倍思い入れを持ってリングに上がったのは、IWGPヘビー級王座に挑戦した内藤哲也(35)だっただろう。

 中学3年の時、初めて自分でチケットを買って友人たちと見に行ったのが新日本プロレスの興行。「97年の6月5日、日本武道館の2階の後ろから2列目ですね」と明確に思い出せるほど、いまでも心に残る。そこで花道を入場する武藤敬司に衝撃を受けた。サッカー少年は、1人の存在に大観衆の視線が注ぐその舞台に感銘を受けた。そしてその最高峰の会場こそが東京ドームだった。99年に初生観戦。「どの会場よりも花道が長いですよね。あそこを歩いたら気持ちいいんだろうなと思って」。自然に将来の目標は定まった。

 <1>新日本プロレスに入ること

 <2>武藤敬司と同じように20代でIWGPヘビー級のベルトを巻くこと

 <3>東京ドーム大会のメインに出ること

 それから20年あまり。<1>はかない、<2>は30代に少し足を踏み入れたがベルトを巻くことができた。残っていたのが<3>だった。それがかなったのが今年の1月4日。なにしろその花道への思い入れは格別だった。若手時代も1月4日の直前の会場での練習でも、あえて花道をさけてリングに向かった。それだけ大切な場所だった。

 いよいよその時はきた。王者オカダ・カズチカに対峙(たいじ)するリングへ向けて舞台装置から登場すると、ゆっくりと歩を進めた。白い仮面の中からのぞく目で、人生の最良の時間を確かめるように、一歩ずつ一歩ずつ進んだ。中3の時の自分があこがれた存在になった瞬間だった。

 試合には激闘の末に敗れたが、試合後の表情には少なからず達成感も感じさせた。そして新たな野望に胸躍らせるように、ニヤリとしてみせた。

 「非常に悔しいですよ。オカダにも、そしてお客様にもかつて笑われましたよ。『東京ドームのメインが夢か』って。でもさ、これは俺が中学3年生の時に立てた目標だから。これ、俺は大事にしてきたから。誰に笑われようと、大事にしてきた夢だから。まあ、今日、俺は何か1つ、ゴールを迎えたっすかね。まあ、でもそれは、中学3年生の時に立てた目標のゴールであり、今日、ゴールを迎えた時点でまた新しい夢が見えてきましたよ。レスラー内藤哲也としての夢が、出てきましたよ」

 その不敵さは今後の楽しみに昇華した。さっそく翌5日の後楽園ホールの試合後には、世界的なスーパースターで前日のIWGPUSヘビー級選手権で敗れたクリス・ジェリコの襲撃を受け、ここでも不敵に、大胆な態度を崩さずに「トランキーロ」と泰然としてみせた。自らを「おれはベルトを越えているから」と話す無冠の年男は、いったいどんな「次」を見せてくれるのか。【阿部健吾】

井岡一翔さん、再び「井岡一翔」に戻ると思えて…

引退を発表する井岡一翔(撮影・横山健太)


 井岡一翔…いや、もう井岡一翔さんになるんか。昨年12月31日午後11時過ぎから引退会見を開いたミニマム、ライトフライ、フライの元世界3階級王者。その日は、東京・大田区総合体育館でトリプル世界戦があり、2つめの世界戦後の午後9時過ぎに現場を離れ、会見場の新横浜プリンスホテルに向かった。

 「何でこのタイミング?」と多くの関係者は思ったと思う。「5度目の防衛戦の前に(引退を)決めていた」というが、その試合は半年以上前の4月23日やったのに。会見の模様は、TBSが生中継した。本人は「6年間戦ってきた大みそかという特別な日に、自分の思いと感謝をみなさんに伝えたかった」と言うたけど、これまで大みそかに中継してきたTBSの視聴率に貢献できれば…てな思いからちゃう? などと、どうしても考えてしまう。

 まあ、それはええか。問題は、完全に引退するんかということです。

 勝手な推測ながら、復帰すると思う。なぜか? まず、あれだけ「唯一無二のチャンピオンになりたい」と言い続けた人間の幕引きにしては、あまりにあっけないから。「3階級制覇達成」を理由に挙げて「おじさん(元世界2階級王者・井岡弘樹氏)の時から井岡家が目指していたもの。それ以上のものは現段階で感じられなかった」と言うけど…。いまひとつ説得力に欠けるんちゃいます?

 ちなみに、4月23日の5度目の防衛戦後は、こんなことを言うてました。

 「まだまだ強くなれると、シンプルに感じている。唯一無二になれるよう、周りに“ああいうボクサーはいないな”と言ってもらえるように頑張りたい」

 「僕が王者でいるなら、世界戦が続く。今はそれを1つ1つ、理解と覚悟と感謝の気持ちで戦っていくだけです。その世界戦が統一戦になれば、気持ちが“倍”になるという感じ」

 引退決めてる人のセリフと思えます?

 復帰すると思う根拠をもう1つ。引退後について「次のステージに進むビジョンはできています。応援していただいた皆さんの期待を裏切ることなく、さらに期待を持ってもらえると確信しています」と話してた。ビジョンは具体的には明かさんかったけど、ボクシングとの関係を「それは今は言えない」と否定せんかった。「未練はない」と言いながら、復帰の可能性を「何事もゼロはない」という理由から「ゼロとは言えないです」とも言うた。

 揚げ足取りと指摘されたら、その通りです。でも「井岡さん」が再び「井岡一翔」に戻ると思えて、仕方がないんです。【加藤裕一】

三沢光晴を知らない王者拳王、ノア新時代を引っ張る

エドワーズに勝利し新チャンピオンになった拳王(2017年12月22日撮影)


 プロレスリング・ノアの第30代GHCヘビー級王者に拳王(32)が就いた。

 12月22日の後楽園大会メインで、エディ・エドワーズを激戦の末破った。

 試合後、リング上でマイクを握った拳王は「三沢光晴さんに関わりのないオレが、初めてGHCヘビー級のベルトを巻いた。ノアの新しい時代は、オレが引っ張る」と高らかに宣言した。

 拳王の勝利インタビューの後、ノアの内田雅之会長は「ノア・ザ・リボーンを最終戦で成し遂げた。その象徴が拳王。ジュニアの原田大輔と、団体を任せられる選手が出てきた。新しい世代が出てきたタイミングで、私はしばらく表舞台かた引き下がり、見守っていきたい」と話した。16年11月の事業譲渡に始まった団体の混乱期を、前面に出て引っ張ってきた内田会長も、団体の柱となる若手の台頭にようやく一安心といった表情だった。

 ノアは、団体を創設した故三沢光晴さんの死後、主力選手の度重なる離脱などで経営が低迷。16年11月の事業譲渡に加え、17年2月には前運営会社が破産手続きに入るなど、厳しい状態に陥った。内田会長は、それまで選手の貸し出しなどで支援を受けていた新日本プロレスとの関係を清算。自前の選手だけでの立て直しを図った。そんな中、1月にジュニアからヘビー級に転向した拳王の急成長に目をつけた。

 「拳王はもともと買っていた。日本拳法というしっかりしたバックボーンもあるし、姿勢が一貫していてぶれない。最初は杉浦(貴)と組んでやっていたが、杉浦がケガで長期離脱している間にしっかり独り立ちした」と内田会長は言う。7月にはゼロワンの火祭りに乗り込み、優勝こそ逃したが、優勝した世界ヘビー級王者田中将斗との激闘など、結果を残した。「火祭りあたりから勢いが止まらなくなった。そして、今回のベルト奪取は有言実行で取った」と内田会長は実績を評価した。

 「ノア・ザ・リボーン」という目標を掲げ、日本武道館大会開催の実現を訴えた内田会長。これに呼応するかのように拳王も「オレが日本武道館に連れて行く」とことあるごとに口にするようになった。「今後は、拳王のように三沢光晴を知らない世代と、三沢さんの遺志を受け継ぐ、丸藤や杉浦、さらに三沢さんは知らないが、そのDNAを受け継ぎたいと思う若手たちのイデオロギー闘争が生まれてくると思う」と、団体のさらなる活性化を期待する。

 三沢光晴さんが生きた時代の日本武道館大会は、プロレス界の黄金時代の象徴でもある。その日本武道館大会開催に向け「すぐにはできないが、横浜文化体育館、両国国技館と大きなハコでの開催をやっていきながら、20年東京五輪の頃には実現したい」と内田会長は計画を口にした。1月6日の後楽園大会で、拳王は清宮海斗と初防衛戦を行う。ノア新時代の幕開けだ。【プロレス担当=桝田朗】

引退しても輝く内山高志の実績、人柄、人望、営業力

内山高志(2017年7月29日撮影)


 最後の晴れ舞台は謝罪で始まった。

 「窮屈になって申し訳ありません。こんなに来ていただけると思っていませんでした」

 破壊力あるパンチで世界王座を11度防衛した内山高志氏は、引退記念パーティーでこうあいさつして頭を下げた。

 12月4日の都内の一流ホテルの大宴会場。立すいの余地のないほど、後援者、友人、ファンに関係者が約1000人も詰めかけた。当初は700人想定も、声を掛けた9割の人が来てくれたという。拓大では下積みも経験し、卒業後は観光バスの営業マンなどもしていた。王者時代に1000枚を越すチケットを売ったこともある。

 世界王者が引退を決めても、ほとんど記者会見しない。最近はSNSで表明も多く、日本ボクシングコミッションに引退届を出して終わりもある。相撲などと違って寂しい限りだが、内山氏は7月に会見し、盛大な引退パーティーを開催し、来年には後楽園ホールでの引退式も予定する。実績、人柄、人望、営業力をあらためて知らされた。

 その宴の最中に後楽園ホールのリングで凱旋(がいせん)報告した王者がいた。前日に大阪で東洋太平洋とWBOアジア太平洋のミドル級2冠となった秋山泰幸。東洋太平洋王者太尊に挑み、2回にゴング後パンチで減点も、5回に2度目のダウンを奪うとタオル投入。王座決定戦だったもう1本のベルトも手にし、2度目の王座挑戦で番狂わせの新王者になった。

 内山氏と同じ38歳。国内は37歳定年も昨年にランカーの定年が延長され、秋山は改正後に王座獲得第1号になった。夏に所属していた名門ヨネクラジムが閉鎖となり、移籍初戦でもあった。ワタナベジムには男女合わせて28人目の王者。現役男子は23人目だが、移籍してから王座獲得は7人目になる。

 渡辺会長は「今があるのは内山のおかげ」と話す一方で「秋山が王者になるとは男冥利(みょうり)」と自慢した。75年に故郷栃木・今市で国鉄マンながらジムを開き、81年に五反田へ出てきて、今や日本プロボクシング協会会長も務めるまでになった。

 内山は最初にミットを受けて世界王者になると確信したという。いわば別格で、会長には「来る者は拒まず」の大方針があり、移籍選手も多い。荒川は唯一世界挑戦経験があるが、残る6人はたたき上げでノーランカーが大半。会長は「捨てられた選手でも、必ずチャンスはつくる」を信条にしている。

 ジムの偉大なる存在はいなくなったが、格こそ違えどまた1人王者が誕生した。再生工場長の手腕を発揮。「今がボクシング人生で一番楽しい」と会長はご満悦だった。【河合香】

オメガに挑戦する人気抜群ジェリコの魅力をおさらい

1・4東京ドームに向けて、記者会見した挑戦者クリス・ジェリコ(2017年12月12日撮影)


 クリス・ジェリコ。47歳。99年に加入したWWEでスーパースターとして今も人気抜群のロンゲ金髪イケメンである。最近は年齢を重ねるごとに色気も増し、WWEマットで確固たる地位を築く。そのジェリコが来年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会に参戦し、IWGPUSヘビー級王者ケニー・オメガ(34)に挑戦する。この衝撃的なカードを前に、4つのキーワードでジェリコをおさらいしておきたい。

 <1>WWEグランドスラム達成 01年にWWEが管轄する主要メジャー王座をすべて1度以上獲得し、グランドスラムを成し遂げた。特筆すべきは同年12月、当時の2枚看板スターだったザ・ロック、スティーブ・ストーンコールド・オースチンを1日で連破する快挙で、史上初のWCW・WWF統一王者にもなった。

 <2>Y2J ジェリコのニックネーム。00年になると世界的にコンピューターが誤作動する可能性があるとされたY2K問題がジェリコがWWEに加入した99年ごろに大きな話題に。ジェリコ自らも世界中を混乱させる存在になりたいとの願いを込め、最後のKをイニシャルのJに変え、Y2Jと名乗った。現在もジェリコが登場すると観客からY2Jコールが起こる。

 <3>ライオン道 20代だった90年代は日本マットにも積極的に参戦。天龍源一郎率いるWARでは「理不尽大王」冬木弘道率いるユニット冬木軍に加入した。メンバーは現新日本プロレスの邪道、外道。冬木を全員が最後に「道」があるため、ライオンハートというリングネームをライオン道に変えた。当時は邪道、外道、ライオン道の3人が消化器発射で冬木を助ける「消火器三連射」が話題になった。

 <4>バンドボーカル ヘビメタバンド「FOZZY」でボーカルを担当。音楽活動に専念するため、05年からWWEから離脱したこともある。07年に復帰し、09年レッスルマニアでは米俳優ミッキー・ロークとも対立した。その後、二足のわらじのために退団と復帰を繰り返している。まさに風来坊的な動き。今回もWWEとの契約の間隙(かんげき)を縫って新日本マットに参戦可能となったようだ。

 今年4月、WWE最大の祭典レッスルマニアに出場し、US王者としてケビン・オーエンズと対戦。最近でも同7月のスマックダウン・リッチモンド大会に参戦し、当時のUS王者オーエンズ、AJスタイルズととともに3ウエイ戦に出場するなどWWEの現在進行形選手だ。約1年前からクリップボードに挟んだノートに嫌いな選手を書き込む「リスト・オブ・ジェリコ」を展開。今月12日の会見で本紙記者のノートとペンをむしり取り「Omega Last Match」と書き殴ったのも、オメガがリスト入りした予告でもあるとうかがえる。

 戌(いぬ)年の年男(米国に干支の慣習はないと思うが…)イヤーを迎えるY2Jが東京ドーム大会で大混乱を巻き起こすことは必至だろう。世界中のプロレスファンが注目するオメガ戦は、まさに「狂犬」のように激闘を繰り広げてくれるような気がしてならない。そう期待してしまう。【藤中栄二】

尾川堅一、大谷級ニュース届けてくれる日待ち遠しい

尾川は、帰国した羽田空港でベルトを巻きポーズ(撮影・浅見桂子)


 大リーグのエンゼルスに移籍が決まった大谷翔平の華々しい入団会見が米アナハイムで行われた日、そこから400キロ離れた米ネバダ州ラスベガスでも1人の日本人が躍動していた。

 9日(日本時間10日)に行われたボクシングのIBF世界スーパーフェザー級王座決定戦で同級4位尾川堅一(29=帝拳)が同級5位テビン・ファーマーを2-1の判定で破り、世界初挑戦でベルトを手にした。人生初の海外で、しかも舞台は本場ラスベガス。敵地で不利が予想される中で、日本拳法歴20年という異色のキャリアの持ち主は、他ボクサーより幾分遠い距離からの鋭い踏み込みで右ストレートを放ち続けた。「スピードには絶対の自信がある。合わせられたことはない」とカウンターを恐れずに攻勢は衰えず、赤いベルトを腰に巻いてみせた。81年三原正以来となる日本人では5人目の米国での王座奪取は、紛れもない偉業だった。

 決して米国から届くスポーツの情報量に上限があるわけではないだろうが、残念ながら尾川の姿が多くのメディアに取り上げられたとは言えない。米国から発信される「大谷」という名前の渦の中に埋もれてしまい、ボクシング担当としては歯がゆい思いが大きかった。もっと大々的になっても…。大谷のエンゼルスの赤いユニホームに隠れる形になった赤いベルトに寂しさを覚えた。

 そんな最中、尾川が帰国した。12日早朝の羽田空港。くしくもロサンゼルス発の航空便は大谷と同便だった。ここでもか…、と午前5時からやるせなくなりそうだったのだが、そんな気分を晴らしてくれたのは尾川自身だった。航空会社の関係者にアテンドされて、いの一番にフラッシュを浴びた大谷が無言で過ぎ去ってから10分ほど。少なくなった報道陣の前に登場した尾川の腰には、堂々と赤いベルトが輝いていた。「期待されてるかなと思ったんで!」と無邪気にポーズを取って、カメラマンにサービスする姿。ジムメートで先輩のWBA世界ミドル級王者村田諒太は「すぐに調子に乗るから」と憎めない後輩を形容するが、まさにあえて調子に乗った行動で、明るく帰国した。こちらも何となく気分が晴れた。

 試合後の控室で言った。

 「まだまだ伸びしろがたくさんあると思っているし、まだボクシングってものを分かっていないと思っているので、そのうえで世界チャンピオンになれたので、これは自分自身でもどこまで強くなれるのかという期待でもあります」。

 謙遜というより、前向きな真実だろう。2歳から始めた日本拳法は明大卒まで20年間取り組んだ。卒業後に転向したボクシングはまだ7年目。拳法で染みついたボクシングではマイナスになる動きの修正を続けてきて、「慣れてきたのは昨年くらいからです」と明かす。拳法出身だからこその無類の武器もあるが、直すところ、向上させないといけないところはまだまだある。それが「伸びしろ」だ。その段階での王座戴冠だからこそ、この先が楽しみでならない。

 知名度も同じだと思う。今回は大谷フィーバーに重なる不運はあったが、これから「伸びしろ」は十分すぎるほどある。いきなりのラスベガスでの勝利、しかも日本拳法というキャリアは、本場で名前を売るにはうってつけだ。「またラスベガスで試合をしたい」と本人も望む。いつかきっと大谷に匹敵するようなニュースを米国から届けてくれる日を待ちたい。【阿部健吾】

今や蚊帳の外の井岡一翔、せめて自分の口で現状を

井岡一翔(左)と谷村奈南


 井岡一翔(28=井岡)は何をしてるんやろう。11月9日付でWBA世界フライ級王座を返上した。本来なら「日本ジム所属選手初の世界4階級制覇」を目指すとか、ポジティブな理由があってしかるべきやと思うけど、返上会見に井岡本人は出席せず、父親の同ジム・井岡一法会長が「予定していた大みそかのリングに調整が間に合わない」と説明。その上「モチベーションが上がらんのなら、引退せな仕方ない」てなことまで言うたから、驚いた。

 理由はケガでもない。「プライベートに時間を割かれたことによる練習不足」。歌手谷村奈南と5月に結婚した。新婚と言えば、そうやけど…。世界王者、しかも脂の乗った3階級覇者の“休業理由”としては、異例でしょう。まして、口癖が「唯一無二のチャンピオンになりたい」やった男としては。

 井岡のプロデビュー後最長ブランクは、15年12月31日、WBAフライ級王座の2度目の防衛戦(レベコ相手に成功)からララ相手に3度目の防衛を飾った16年7月20日までの「202日」やった。このコラムは12月4日に書いてるわけやが、直近の試合が4月23日、ノクノイとの5度目の防衛戦やから「225日」。気づけば記録? を更新してました。

 日本ボクシング界は動いてる。ロンドン五輪金メダリストの村田諒太はWBA世界ミドル級王者になって、日本人が中量級のベルトを奪う快挙を成し遂げた。WBO世界スーパーフライ級王者の“怪物”井上尚弥は12月30日に7度目の防衛戦を行う。

 井岡と同じフライ級では、木村翔が北京&ロンドン五輪金メダリストの中国の英雄・鄒市明からWBOのベルトを奪った。WBC王者で具志堅用高の秘蔵っ子、比嘉大吾はデビュー14連続KO勝ちの離れ業を演じて初防衛に成功した。さらに、将来的な“5階級制覇”を掲げる田中恒成がこのほどWBOライトフライ級王座を返上、おそらくは3階級制覇に動く。

 ところが、井岡は…。昨年まで6年連続でやってきた、恒例の大みそかファイトが途切れる。少し前まで間違いなく、日本の王者の中で特別な存在やったけど、今では蚊帳の外。ワン・オブ・ゼムに成り下がってきたんやないやろか。

 妻の谷村奈南は王座返上返上2日後の11月11日、ツイッターに「必ず本人が、ファンの皆さんへ真実をお伝えします」と書き込んだけど、井岡は依然沈黙を守ってる。まあ他の王者の試合が集中する年末に、水を差すわけにはいかんやろうけど、せめて年が明けたら、公の場で自分の口から現状を語ってほしい。それこそがファン、世間への王者の責任やないでしょうか。【加藤裕一】

村田は伝説の大場政夫に近づけるか!同じ日に王者に

村田諒太(左)と伝説のボクサー大場政夫


 まさにくしくもだった。日本の金メダリストで初の世界王者になった村田諒太。2度目の世界戦のゴング直前に、あるジムのマネジャーから言われた。そのひと言で「村田が勝つだろう」と思った。

 会場は両国国技館。老朽化と東京五輪を控え、世界戦を開催するような会場は建て替えと改修が相次いでいる。村田の試合は8月に発表された。世界戦はランキング、マッチメークの交渉、中継テレビ局の事情などで決まる。このため、事前に会場予約がなかなかできない。帝拳ジムの本田会長によると「今回はたまたま空いていた」そうだ。

 47年前の1970年(昭45)10月22日。会場は現在の両国国技館から徒歩5分ほどにあった旧国技館の日大講堂。あの大場政夫が世界初挑戦し、WBAフライ級王者ベルクレック・チャルバンチャ(タイ)を13回KOで倒した。帝拳ジムにとって、初めての世界王者誕生だった。

 大場は5度目の防衛に成功した直後、23歳の若さで亡くなった。永遠のチャンピオンとも呼ばれる、今や伝説のボクサーだ。マネジャーのひと言は「きょうは大場がチャンピオンになった日」。村田は同じ日に世界王者になり、しかも場所も同じ両国だった。ジムにとって記念日とは運があると言えた。

 プロボクシングの試合はリーグ戦やトーナメントは原則ない。まずは勝っていくことで地域の王座を踏み台に、世界ランキングに入り、ランクを上げていくことで世界挑戦のチャンスが出てくる。

 その間に王者も入れ替わる。これがまた微妙でかみ合うか、かみ合わないか。右か、左か。ボクサーか、ファイターか。ボクサーも当然、得手不得手がある。何より強い王者か、弱い王者か。巡り合わせであり、運、不運がある。村田の世界戦前に日本人初のミドル級世界王者竹原氏も「運は必要」と強調していた。

 90年代は辰吉、鬼塚、川島ら個性的な世界王者が数多く盛り上がった。この時代の帝拳ジムの期待は、横浜高で国体優勝し、甘いマスクの葛西だった。3度世界挑戦も王座をつかめず、トレーナーとなって村田を指導した時期もあった。「金メダルにプロでも頂点に立ったんだから、村田は運を持っている。ボクは実力がなかったが、運もなかった」と言っていた。

 大場から半世紀近くをへて、村田は帝拳ジムの日本人の世界王者として10人目となった。大橋ジムの大橋会長は「井上と村田がいれば、日本ボクシング界は当分安泰だ」と喜んだ。村田が今後どんな戦いを挑んでいき、伝説のボクサーになれるか。見守りながら楽しみたい。【河合香】

新日本プロレスらしい戦いが米国で支持された意味

後藤洋央紀にスリング・ブレイドを見舞う棚橋弘至(左)(2016年7月31日撮影)


 新日本プロレスの「バレットクラブ」ファンならば待望の対戦カードだっただろう。海の向こう、米国で元ボス対決が実現した。10月22日(日本時間23日)、WWEのロウブランドによるPPV大会「TLC」(米ミネソタ州)で急きょ組まれた。初代ボスで、この日はデーモンバージョンのフィン・ベイラー(プリンス・デヴィット)は当初、ブレイ・ワイアットとの対戦が決まっていた。ところがワイアットが体調不良のために欠場。代役として白羽の矢が立ったのが、同じWWEのスマックダウンを主戦場とする2代目ボスのAJスタイルズだった。

 WWEではあるものの、2人の対決は新日本マットのムードが漂っていた。ヘッドロックとグラウンドの攻防でスタート。ベイラーが回し蹴り、延髄斬り、ロメロスペシャルを繰り出せば、AJも負けじと逆水平チョップ、フライングフォーアームで応戦した。場外戦もスリリングな内容で、会場から悲鳴も上がった。いつものWWEとは違う雰囲気に包まれると、途中にはベイラーが棚橋弘至の必殺技スリングブレイド、AJも後藤洋央紀の必殺技となる牛殺しで反撃した。

 終盤もエルボーの打ち合い、ベイラーがリバースのブラディサンデーに成功。AJの雪崩式フランケンシュタイナーを耐え抜くと最後はクー・デ・クラ(ダイビングフットスタンプ)で18分15秒、3カウントを奪った。熱気に包まれた会場。リングの中心で両者は向き合い、ウルフパックを決めた手をくっつけた。以前、新日本マットで繰り返されてきたバレットクラブの決めポーズ「TOO SWEET」。観客の盛り上がりが最高潮に達した瞬間だった。

 ベイラーは13年5月、新日本プロレスで自らバレットクラブを結成した。約1年後となる14年4月に退団。そのベイラーと入れ替わるようにAJスタイルズが新日本マットに登場し、バレットクラブの加入を表明した。そのため、2人が日本で一緒にユニットを組むことはなかった。急きょ組まれたカードだったが、同PPV大会のベストマッチと米国内で評価されていた。WWE上層部がどのように見ていたかは分からないが「バレットクラブ魂」が詰まった新日本プロレスらしい両者の戦いが米国で支持された意味は大きいだろう。【藤中栄二】

比嘉が初防衛、愛弟子の認知度に具志堅氏「!!!」

報道陣の質問に答える具志堅用高会長(左)の横で爆笑する比嘉大吾(2017年10月23日撮影)


 「だって、誰がチャンピオンか分からないでしょ!!!」

 最近、かなり良いなと思った言葉だ。

 具志堅用高氏、その不滅が近年あらためて意識される世界戦13度防衛の日本記録保持者で、方々のバラエティー番組を中心に意表を突いたパンチならぬ言動と距離感の詰め方、なにより昔は虫が死んでいたこともあったと聞くトレードマークのアフロヘアは、そのボリュームを多少少なくしてもいまだに象徴的で、おそらく日本人が最も知っている日本人ボクサーかもしれない。

 その人が文字通り大きな声を上げたので、「!!!」と感嘆符を3度も重ねてしまったが、おそらくその場に居合わせた人なら、テレビ番組で見せる姿とは一線を画す大まじめな正論に、この3度「!」も納得してくれるのではないか。10月23日、都内のホテルの一室で、前夜にWBC世界フライ級の初防衛に成功した比嘉大吾、同じ沖縄県生まれ、白井・具志堅スポーツジムの愛弟子が喜びの一夜明け会見を行った時だった。

 思い返せば、この会見、具志堅会長はなにやら鬱憤(うっぷん)があるようだった。比嘉が試合の前日計量をクリアした後の目を離した隙に、最初の食事でみそ汁を流し込んでしまって、体重を戻すために肝心の炭水化物や肉などがスムーズに胃に入らずに試合前の発汗に支障をきたしたことを「聞いたことがないよ!」と叱責(しっせき)し、「赤だしっていうのは塩辛くて飲めたもんじゃないねえ」と笑いが起こる救いのジャブで和ましながらも、「次は変えないといけない」と口ひげをへの字に曲げる姿もあった。察するにその厳しい眼光は、比嘉自身に足りないもの、そして比嘉を取り巻く環境に足りないものを痛感したからだったと思う。

 「どこも(比嘉の)1面がないねえ」。そうスポーツ紙の前日20日の試合の報じ方に落胆の色を隠さなかった。前夜のトリプル世界戦のメインカードはWBA世界ミドル級タイトルマッチで、ロンドン五輪金メダリストの村田諒太がアッサン・エンダムへのリベンジに成功し、ついに世界ベルトをつかんだ一戦。比嘉はセミファイナルで、1面は村田一色になるのは当然と思われたが、具志堅会長の「1面~」口調に一切の冗談のトーンはなかった。いたって大まじめだった。それ以降に発した言葉。「大吾より(自分の愛犬の)グスマンの方がまだ有名だよ」「昔は90日で試合をしたもんだよ。半年も間が空いたら忘れられてちゃう」。一貫していたのは知名度への敏感さ。「1面」もしかり。14戦連続KO勝利で初防衛戦まで飾った22歳の愛弟子の世間的な認知度はいかほど。疑問符が付きまくっていたのだ。そして、いよいよ、その矛先が比嘉にとどまらない現状に打ち込まれたのが、冒頭の言葉だった。

 「だって、誰がチャンピオンか分からないでしょ!!!」

 あらためて、良い。つまり「いまは4団体もあるでしょ。どんな階級にどんなチャンピオンがいるかファンもわからないよ」なのだ。具志堅会長が現役時はWBAとWBCの2つ。いまはIBFとWBOも日本ボクシングコミッション(JBC)から認定されている。フライ級ではWBAが井岡一翔、WBCが比嘉、IBFがニエテス、WBOが木村翔。4団体中3王者が日本人。最軽量級のミニマム級からフライ級まで合計12人の王者のうちで見ても8人を占める。これはもちろん実力の高さもあるが、世界的な選手層の薄さも1つの要因でもある。そして何より、王者が多すぎることは、具志堅会長の鋭い指摘通り、「誰がチャンピオンか分からない」状況を生んでいることも事実だ。試合前から、WBA王者の井岡一翔の名前を挙げてターゲットと明言することにちゅうちょはなかった。これはパフォーマンスではなく、具志堅会長なりの危機感の現れだったのだと思う。愛弟子にとってはリスクがある相手だし、統一戦の盛り上がりに比例して失うものだって大きい。しかし、王者は知名度あってこそ。それは30年以上前に日本を熱狂の渦に巻き込み、いまも抜群の知名度を誇るボクサーの体感だろうし、誇りでもあると見えた。抜群にすてきだ。

 いまボクシングファン以外の人に日本人の現役世界王者の名前を聞いたら、11人のうち何人まで答えが出るか、考える。きっと多くないだろう。それは4団体認定の実情だろうし、どうしても情報量は拡散されるのだから、致し方ない。ではその中でチャンピオンたちはどうすればいいのか。当然、勝ち続けることが大前提。それも忘れられないペースで。そして、他の日本人の「ライバル」たちを倒していくことが一番ではなかろうか。

 「高校の伝統は?」と聞かれ、「ナショナルです」と電灯のメーカーを答える具志堅会長は最高だと思う。ただ、ボクシングについて急所を一言で打ち抜くような発言も最高だ。次戦に沖縄凱旋(がいせん)試合もぶち上げたのも、いかに注目されるかを熟考するからだろう。予期しない変化球とド直球。その振り幅の大きさを目の当たりにしながら、比嘉がどう誰もが知る「チャンピオン」になっていくのか。また「!!!」と書きたくなるような言葉が飛び出したら伝えていきたいし、待っています。【阿部健吾】

強面も繊細な比嘉、優男も強心臓の拳四朗に興味津々

日刊スポーツを手にガッツポーズするWBC世界フライ級王者・比嘉大吾(左)と同ライトフライ級王者・拳四朗(2017年10月23日)


 WBC世界フライ級王者比嘉大吾(22=白井・具志堅)は強面(こわもて)だ。沖縄出身らしい濃いめの顔に、ゴワッと蓄えたあごひげ。WBC世界ライトフライ級王者拳四朗(25=BMB)は優男だ。京都出身らしいはんなり顔で、お肌つるつる。見た目対極にある2人の世界王者が22日のトリプル世界戦でそろって初防衛に成功した翌日、都内で並んで会見した。実は内面も対極というのが、意外で興味深かった。

 比嘉は試合前日の計量後から、体調がエライことになっていたらしい。

 「ご飯を食べに行って、先に白ご飯とみそ汁を出してもらって食べたんですが…」。試合当日。トイレに行くと…固形物は出ず、ほぼ液体ばかり。会場入りし、アップを始めても汗が全然出ない。「俺、どうなるんやろう」とすごく不安だったそうだ。会見では師匠の具志堅用高会長に「ご飯にみそ汁なんて、全然ダメ!」と冗談交じりにしかられていた。

 対して拳四朗は計量後、5万4000円の超豪華特製焼き肉弁当を“同名”の焼き肉店「けんしろう」のオーナーに差し入れてもらい、ガツガツ食べた。記者が52年生きてきて、1度も食べたことがないシャトーブリアンをほおばり「これ、ヤバッ! めっちゃ柔らかい」と大はしゃぎした。「だんだん緊張しなくなってきてるんです。初めての世界戦から前日、しっかり眠れるようになってるし」。試合当日はトイレも絶好調だった。

 ほんで、試合の結果はというと。比嘉は、過去21戦でダウン経験ゼロの同級5位トマ・マソンを暴風のような攻めに巻き込み、7回1分10秒TKOで仕留めた。デビューから14戦14KO勝ちで、パーフェクトレコードを伸ばした。もうバケモノや。拳四朗は同級1位ペドロ・ゲバラに判定勝ち。ジャッジ3者全員のポイントでリードを許した4回までの劣勢を逆転したのだから、それはそれでなかなかの根性やと思う。

 立ち話で、お互いの印象を聞いてみた。比嘉の拳四朗評。「拳四朗さんって、自分ができないリラックスを当たり前にできる。すごい。試合前日に映画見たり、買い物行ったりするんでしょ?」。拳四朗の比嘉評。「全部KOなんて本当にすごい。尊敬します」。

 強面やのに妙に繊細でコンディションを崩してもKOしてしまう海人。試合後のテレビカメラに顔を近づけて、投げキッスまでしてしまう癒やし系の京男。階級は1つ違い。いつか、ベルトかけて戦ってくれんかなあ。【加藤裕一】

秋山準25周年、社長で王者 背中で引っ張る気概

秋山準(2017年8月28日撮影)


 全日本プロレスの秋山準(48)と大森隆男(48)のプロレスデビュー25周年記念大会が21日、横浜文化体育館で行われた。1992年(平4)にデビューした2人は、現在、全日本の社長と取締役として団体の経営に携わる。

 記念すべき大会で、2人はタッグを組んで世界タッグ王座に挑戦した。対戦相手は、大日本プロレスの実力者関本大介、伊東竜二組。そのパワーと若さにたじたじとなりながら、秋山があえて胸を突き出し関本の逆水平チョップに耐える姿は印象的だった。最後はその秋山が、必殺エクスプロイダーで、関本を下し勝利。ベルトを巻いた。

 「やったというより、この年でベルトを巻くという責任感。まだまだ動かなきゃいけないなと思う」と秋山は大粒の汗を流しながら言った。故ジャイアント馬場さんの死後、分裂や選手の大量離脱、経営者の交代と混乱の続いた全日本だが、秋山が社長に就任してからは徐々に経営を立て直しつつある。このところ、1歩下がったような形でプロレスをしていた秋山だが、経営と同じようにプロレスでも若い年代に背中を見せて引っ張る気概を示した。

 試合の合間に行われた記念セレモニーでは、小橋健太さん、川田利明さんらが花束贈呈にリングに登場。同じく25周年を迎え、同じ日に千葉・東金で記念大会を行った永田裕志、中西学からのビデオメッセージが場内に流された。秋山と大森が、三沢、川田、小橋、田上の四天王を追いかけたように、永田と中西も第3世代として武藤、蝶野、橋本の闘魂三銃士に追いつけ追い越せと戦ってきた。

 かつて馬場さんからアドバイスをされても、自分を主張した秋山が、バックステージで中堅の選手に、強い口調でアドバイスをしていた。以前のインタビューで「今になって、馬場さんの言っていたことの意味が分かる。王道というのは、スタイルではなく、馬場さんが教えてくれた基本的なことで、我々が若い子たちに普通に教えていること」と話したことがある。秋山が25年の中で培ってきたものが、今の全日本プロレスの中に流れている。

 25周年記念大会の会場となった横浜文化体育館のロビーでは、5月にリング上の事故で頸髄(けいずい)損傷などで入院中の高山善広(51)を支援する募金活動が行われていた。高山もまた92年デビューで、今年が25周年だった。【プロレス担当=桝田朗】

勅使河原弘晶、ボクサーきっかけ 少年院で読んだ本

勅使河原弘晶


 スポーツを始める動機にはいろいろある。親やきょうだいをマネしたり、誘われたり、強制されたり。ボクシングはテレビを見てという例が多い。

 昔ならファイティング原田、取材するようになってよく上がった名は辰吉丈一郎。91年に当時の国内最短となるプロ8戦目で世界王者になった時は、所属の大阪帝拳ジムだけでなく、全国のジムで入門者が激増した。

 あとは漫画を読んで始めたボクサーも多い。最近なら「はじめの一歩」、以前は「あしたのジョー」だった。1冊の本との出会いが、人生を変えたボクサーもいた。

 勅使河原弘晶(27)はWBOアジア・パシフィック・バンタム級のベルトをつかみ、29年目にして輪島ジム初の王者となった。「炎の世界チャンピオン」を読んで、ボクサーを目指すことを決めた。スーパーウエルター級で2度世界王者になり、88年にジムを開いた輪島功一会長(74)の自伝だ。

 会長は北海道で中学から漁師の仕事につき、25歳でプロデビューした苦労人で、炎の男と呼ばれていた。勅使河原は図書室でこの本を手に取り、読み終わった時に人生を方向転換させた。

 図書室があったのは少年院だった。物心がついた5、6歳の頃、父が再婚した。この義母にさまざまな虐待を受けた。地獄の4年を過ごして、ついに交番に駆け込んだという。

 母はいなくなったが、中学から自暴自棄になって非行に走り、16歳で少年院に入った。院内でも傷害事件を起こしたが、あの本を読んだ日には「世界王者になる」と日誌に書いた。

 その後は改心して模範囚となり、卒院するとお金をためて上京し、真っすぐにジムへと向かった。「本にあった会長の根性と努力に打たれた。根性は元々ある。あとは努力すれば王者になれると思った」と振り返った。

 6年目の初のタイトル挑戦でベルトを巻き、会長へ恩返しとなった。まだ通過点で、次は世界のベルトをプレゼントしたい。建設現場で働きながら、さらなる高みへの努力を続けるつもりだ。【河合香】

正木脩也「あこがれ世界王者の弟」指導で化学反応

正木(右)とリナレス・トレーナー


 あこがれの世界王者の弟に教わる。アスリートとしてどんな気持ちだろう。

 「一緒にジムにいるときもあるのに、緊張してまだサインとか写真とか頼めてないくらいです」。

 弾む声で教えてくれたのは、7日の東京・後楽園ホール、セミファイナルのスーパーフェザー級(60キロ契約)8回戦に1回1分56秒KO勝ちした正木脩也(23=帝拳)。ボクシングを始めたきっかけは現WBA、WBC世界ライト級王者ホルヘ・リナレス(32=帝拳)。17歳の時にベネズエラから来日して帝拳ジムの門をたたき、輝かしいプロキャリアを歩み、3階級制覇を成し遂げた。先月の防衛戦ではロンドン五輪金メダリストのルーク・キャンベル(英国)を試合中にあばら骨骨折を負いながら判定で破ったばかり。この日、セコンドについたのはその弟カルロス・リナレス(28)トレーナーだった。

 「すごいですよね、そんな人に教えてもらうなんて」。

 コンビを組んだのは8月下旬。兄を追うように来日し、12年には日本ミドル級王座決定戦挑戦経験も持つカルロスが、帝拳ジムでの本格的にトレーナーとして勤め始めてからだった。「ホルヘに似ている」とカルロス・トレーナーに見初められ、練習前には「自分はホルヘや」と自らに暗示をかけて取り組む日々。すぐにストレートを打つ際のバランスの修正に取り組み、それまで上方に打ち気味だったパンチを、思い切って打ち下ろすように心がけた。まるでホルヘ・リナレスのように。

 それから1カ月強。効果はてきめんだった。7日の試合の1回、1発の右ストレートで10カウントを聞かせた相手は、決してかませ犬の外国人選手ではない。東洋太平洋同級9位シソ・モラレス(フィリピン)は、10年2月には世界タイトル挑戦の経歴も持つ。「正直怖かった」という強豪に対し、アゴを打ち抜いての一撃の幕切れは、どこか実感がなさそうに「右ストレートでダウンを取れてうれしい」と振り返ったが、ホルヘに近づこうとしたこの1カ月強の努力ゆえだった。勝利後のインタビューで真っ先に感謝の言葉を述べた教え子に、カルロス・トレーナーもうれしそうだった。控室では高揚しながらニコニコと勝利をたたえていた。

 スーパーフェザー級は内山高志、三浦隆司の名王者が今夏に引退し、新時代を迎えている。日本王座を返上した尾川堅一、その空位となったベルトをかけた7日のメインカードの王座決定戦で新王者となった末吉大は、同じ帝拳ジム所属で正木の先輩。東洋太平洋タイトルを返上した伊藤雅雪(伴流)など世界ランカーも含め、好素材がそろう。23歳、現在日本ランク6位の正木も、その群雄割拠についていきたい。

 あこがれは、現実感を増して、確実に良い化学反応を引き起こしている。まだ日が浅いカルロス・トレーナーとの歩みが、今度どうさらなる変化を見せていくか。注目していきたい。【阿部健吾】

ロッキー時代もう終わり?王者京口紘人の「神対応」

大阪・堺市の浜寺小で人生初の講師に挑戦したIBF世界ミニマム級王者京口紘人(撮影・加藤裕一)


 「世界王者が、こんなにええ子ばっかりでええんか?」というのが、数カ月前からボクシング担当になった、52歳記者の率直な感想である。

 WBC世界ライトフライ級王者拳四朗(25=BMB)は中学生顔負け? の幼い見た目と柔らかい空気感に驚いた。WBO世界ミニマム級王者山中竜也(22=真正)は、腰の低さに驚いた。そして今回、IBF世界ミニマム級王者京口紘人(23=ワタナベ)を初めて取材した。

 京口は9月29日、大阪・堺市の浜寺小で特別授業の講師を務めた。6年生の全児童69人に「夢」の大切さを語った。質問コーナーで間断なく手を挙げる児童に「物おじせんなあ…」と舌を巻いたが、質問がどんなものでも同じ目線で懸命に答える姿に感心した。「筋肉見せて!」というムチャぶりにも、そそくさとシャツをまくって腹筋を見せる。井上孝志トレーナー(47)相手に軽いミット打ちを披露した際は、興味津々の男性教諭にもミットを持たせ、パンチ(もちろん軽め)を味わってもらい、児童を大喜びさせた。

 極め付きは授業終了後だ。校長室でひと息ついていると、授業に出ていた児童がサイン目当てに次々と押しかけてきた。クリアファイルにねだるのは上等な方で、ノートの裏面にお願いする子もいた。その1人1人に「名前、なんていうの?」と聞いて、ちゃんと添え書きする。白地のスペースがほぼない、阪神タイガースの下敷きを差し出された時は「うわ~、これ、どこに書こ?」と笑いながら、その児童と相談してサインの場所を決めていた。おそらく授業を受けた6年生ほぼ全員に、たっぷり30分以上かけて対応したと思う。

 今風に言うなら“神対応”のサービス精神。京口は「いや~、思った以上に、興味を持ってくれていて、ほんまにうれしかったです。僕もかなり活発な方やったけど、みんな元気ですね」と笑うだけ。疲れたそぶりを、これっぽっちも見せなかった。

 かつてボクシングといえば、原動力=ハングリー精神やった。ギラついて、とんがって、人付き合いもうまくない。良くも悪くも自己中心的で自分勝手。それでも、許されるのが強者の特権やった。弱肉強食の世界において、それは間違ってへんと思う、思うけど…。もう、そんな時代ではないのかもしれませんなあ。【加藤裕一】

大鵬3世納谷◎デビュー!名と素質生かすも自分次第

デビュー戦を勝利で飾り意気揚々と引き揚げる納谷


 昭和の名横綱・大鵬の孫、納谷幸男(23)が14日のリアルジャパン後楽園大会で、プロレスデビューを果たした。初代タイガーマスクの佐山サトルが主宰するプロレス団体へ入団した13年4月から約4年。大鵬3世、将来の大器と期待された納谷が、ようやくプロの第1歩を踏み出した。

 納谷の父は、元大相撲の関脇貴闘力で、息子より先にプロレスデビューを果たしていた。今回、息子のデビュー日が決まり、後楽園大会のチケットを約500枚も売り、息子の援護射撃をした。当日の会場でも、私服姿でチケットを売った友人らを席まで案内するなど、休む間もなく会場を動き回っていた。その貴闘力は「ホッとした。ようやくここまでこぎつけた。これで巣立っていくのかなあ」と感慨深げに話していた。

 幸男は4人兄弟の長男。身長は、団体発表で2メートルと大きいが、気持ちが優しすぎ、闘争心が前面に出てこない。リアルジャパン入りしてからは、内臓を壊し長期休養を強いられたことも。貴闘力は、そんな長男を自分が経営する焼き肉店を手伝わせるこで、かげながら見守ってきた。試合当日は、故大鵬さんの夫人、芳子さんや、大鵬さんの三女で納谷の母親、3人の弟も応援に駆けつけた。

 そんなデビュー戦で、納谷は雷神矢口やそのセコンドからの攻撃に遭いながら、見事勝利を収めた。場外では有刺鉄線ボードに体をたたきつけられ、有刺鉄線バットで殴られた。さらに毒霧攻撃も食らい、顔は真っ赤、体は血だらけというありさまだった。それでも、豪快な右のキック、フライングクロスチョップ、さらに決め技のランニングニーリフトなど、会場を沸かせる大技も披露した。十分合格点をあげられるプロレスデビュー戦だった。

 大鵬さんの遺影や、父母にデビュー戦勝利をプレゼントし、3人の弟には兄としての威厳を示せた。試合翌日の納谷は「緊張したが、お客さんの歓声でいけると思った。勝てて良かった。でも、もっともっと練習してお客さんを喜ばせられるレスラーになりたい」と表情を引き締めた。大鵬3世という自分が背負った運命からは逃れられない。プロレスを知らない人からも注目される。佐山サトルは「アントニオ猪木、タイガーマスクに次ぐプロレスの星になって欲しい」と大きな期待を寄せた。素質と名前を生かすのは本人の努力だけ。そのことは納谷自身が一番分かっているはずだ。【プロレス担当=桝田朗】

たった5% ボクシング世界戦「日本人対決」の意義

小国以載(おぐにゆきのり)対岩佐亮佑(りょうすけ)6回、岩佐(右)のパンチが小国の顔面にヒットする


 最初は50年前だった。ボクシングの世界戦での日本人対決。IBFスーパーバンタム級で小国以載が岩佐亮佑の挑戦を受けたのが、35試合目だった。

 2人は高校時代に1度対戦し、11年半ぶり再戦となった。ともにプロになって3年前まではよくスパーリングし、プロではいい勝負だったという。アマでは高1の岩佐が高2の小国に8-18で快勝し、決勝にまで進んだ。今回は6回TKOで岩佐がまた勝った。

 岩佐は「初対戦はあまり覚えていないが、鼻血を出して手を上げられた」と話していた。小国は終始弱気発言。「誰だって最初が印象に残る。負けた方は忘れないでしょ」。

 小国は的確にポイントを狙っていき、ダウンを奪っても「この回はもらった」と深追いしない。捨てるラウンドもある。防衛戦だけに「引き分けでもいい」と言っていた。それが初回から前に出た。先制攻撃を仕掛ける玉砕戦法。左が大の苦手だった。逆に岩佐は「6割方下がると予想していたが来てくれた」と思いもよらぬ展開。1、2回に左で3度ダウンを奪って、悲願達成となった。

 67年に王者沼田が小林の挑戦を受けたのが、日本人対決の第1戦だった。12回KOで小林が王座を奪取した。35試合のうち2試合が正規王者と暫定王者、1試合が2団体の王者による統一戦、3試合が王座決定戦。この6試合を除く29試合で、挑戦者で勝ったのは5試合しかない。

 内外で日本人と日本のジム所属外国人が、800試合を超える世界戦を繰り広げてきた。35試合と言えば5%に満たず、5人の勝者は1%もいかない。海外の王者に挑んでいくのが世界戦の基本。日本人対決は、一般には無名の海外王者より少しでも名が通る日本人相手で、安易なマッチメーク、集客、経費抑制、視聴率期待などの思惑が見える。

 前座では昨年世界初挑戦失敗した和気が8回KOで世界ランク復帰を確実にし「勝者に挑戦したい」とアピールした。岩佐は元々「日本人対決の意識はない」と言い、「日本人なら挑戦者決定戦を勝ち上がってきてほしい」と注文をつけた。

 海外で世界初挑戦に失敗し、その後も挑戦者決定戦で相手が計量失格など、苦難の道を1歩ずつ歩んできた。「小国さんのためにも王座を守り続けたい」と先輩に敬意を示すとともに、「海外にも挑戦していって、有名より強くなりたい」。最近は粗製乱造気味と言われる世界王者だが、一家言ある新王者が誕生した。【河合香】

底が見えない「モンスター」井上尚弥、好敵手求む!

アントニオ・ニエベス(右)に強烈なボディブローを入れる井上尚弥


 「怪物」あらため「Monster」の底はどこにあるのか。

 WBO世界スーパーフライ級王者、井上尚弥(24=大橋)。

 6戦目での世界王座獲得、8戦目での2階級制覇(当時史上最速)、日本の枠にとどまらない金字塔を打ち立ててきたが、今回は恐ろしさすらも感じた。

 日本人ボクサーでは初と言っていい、本場米国からのオファーを受けての海外進出。9日(10日)にカリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センターで開催された興行「Superfly」のセミファイナルでのV6戦で同級7位アントニオ・ニエベス(30=米国)と相まみえたが、結果は6回終了時TKO勝ち。5回に左ボディーでダウンを奪い、結末は6回を終えてニエベスが棄権したためだった。攻める意志の欠如は、おそらく初回にストレートのような左ジャブを受けたことが原因。そのあまりの威力に面食らい、予想とのギャップに「倒されないこと」に心理がシフトせざるを得なかったからだろう。「容赦なかった」と敗戦後に語ったとおり、グローブを体にぴったりと貼り付けて極端な防御姿勢を作っても、わずかなすきに連打を打ち込んでくる。怪物の恐怖におびえた30歳の銀行マンが、口座開設の仕事に異常をきたすような倒され方をされる前に、ボクサーの仕事を切り上げたのも無理はない。それほど実力差があった。戦意喪失、相手の心を折ってしまうほどの明瞭で残酷な実力差を見せつける“楽勝”だった。

 これまで日本人が米国での世界戦でKO勝ちしたのは2人しかいなかった。27回の挑戦があり、その確率は7・4%。極東の島国と本場との大きな隔たりを感じさせる数字だったが、井上の勝ちっぷりを見ると、そんな大きな隔たりがあったとはとても思えない。見る者の感覚をまひさせられるような勝利だった。海外での防衛戦という視点でも、日本人史上7人目、9例目。史上かつてないほどの圧倒劇と言っても過言ではないだろう。

 見る者の固定観念を軽やかに覆してしまう米国初参戦。11日に成田空港に帰国した際に聞いたエピソードでも、驚かされた。3日に渡米した際にベルトを日本に忘れてきたことを試合前に明かしていたが、なんと試合日にも宿泊していたコンドミニアムに忘れ、会場で気付いた関係者をあぜんとさせたという。そんなリング外でのおとぼけは、井上の常。帯同した大橋会長は「尚弥は本当に日本にいるときと変わらなかった。私たちのほうが浮足立ってしまいましたね」と、気負いや緊張とは無縁なその強心臓ぶりで、「モンスター」のすごみを証言した。

 そんな遠征だったが、今回唯一足りなかったものは、対戦相手の強さ、だろう。1つ上のバンタム級を主戦場にしてきたアマチュア全米2位の実績を持つニエベスは、好選手であったが、好敵手ではなかった。一方的な展開過ぎたことで、「イノウエ」のすごさを100%本場へ伝えられたかというと、本人も曇り顔。実際、試合後の現地メディアの報道を見ると、絶賛はあれど、そこに書き手の高揚感を感じるような記事が少なかった。評価は確実に手に入れた。ただ、心をわしづかみにしてしまうような試合ではなかった。それが「本場」の雰囲気かなと思う。

 単純に強すぎた。豪快なKO劇をみせる前に、相手が白旗を挙げてしまう。似たような状況をここ3試合続けているのは、井上の8戦という最速記録を越える7戦目での2階級制覇王者となった現WBO世界スーパーフェザー級王者ワシル・ロマチェンコ(ウクライナ)。同様に圧巻の力量差を見せつける形で、初防衛戦から3戦連続で相手の棄権を呼び込んでいる。そして、その強さにもかかわらず米国では絶対的な人気を誇ってはいない。

 理由はファンの求めるものが違うからだと思う。少なくとも対峙(たいじ)した2人のボクサーに顕著なスキルの差が見て取れるときには、勝って当たり前の心境は、興奮をもたらさない。7、8月と日本人ボクサーを追ってカリフォルニアの会場で感じた空気では、やはり打ち合い、拮抗(きっこう)した実力伯仲の両者が、紙一重のタイミングで拳を交える緊張感、それがダウンを奪う一撃で弾ける瞬間こそが、最上の熱をもたらす。それは世界王者であろうが、8回戦の試合であろうが、変わらなかった。

 いま、井上に求められるのは好敵手だ。どんなスポーツであれ、多くの関心を集めるのはライバル物語というのは世の常。絶対王者が君臨する世界において独り勝ちという状況は、勝利に予定調和の既視感がまとわりつく。人は1度見たもの、体験したことでは極度の興奮には到達しにくい。だからこそ、勝つか負けるか分からない、激しい打ち合いをできる、熱をもった戦いを繰り広げられる「相棒」がほしい。

 その時こそ、「モンスター」の底が見られるかもしれない。きっと本人もその時を待っているのではないか。これが伝説の始まりだとして、楽しみに待ちたい。【阿部健吾】

特上の福原辰弥、王者陥落の日いちげん記者に神対応

1R チャンピオン福原辰弥を果敢に攻める挑戦者の山中竜也(2017年8月27日撮影)

 何人ものスポーツ選手を取材してきた。時には「何じゃこいつ」と感じる相手もいたけど、それ以上に感じのええ相手が多かったのは間違いない。その中でも、前WBO世界ミニマム級王者福原辰弥(28=本田フィットネス)は特上の1人です。

 8月27日、熊本・芦北町民総合センター。タイトルマッチが終わって約1時間半。原稿を書いてる合間、屋外の喫煙所で1人で一服してたら、挑戦者の山中竜也に負けた彼が歩いてきた。横にいたんはきっと彼女でしょう。近づいてきて、目が合った。

 「ありがとうございました!」

 力みもなく、普通にしっかりした声。顔はちょっと腫れていたけど、自然な笑みが印象的やった。

 「ナイスファイトやったね?」

 おべんちゃらでなく、実際そう思ってた。打たれたら、必ず前に出て打ち返す。1度も下がらんかった。典型的なファイターの戦い方を見せてもらった。

 こっちの言葉にちゃんと目を見て、頭を下げて、通り過ぎていった。横にいた彼女(と思う)も、彼と一緒に笑顔で頭を下げていった。

 別に特別親しい間柄やない。世界王者になる前から取材してたわけやなく、初めて会ったのは3日前。彼にすれば“いちげんさん”ですわ。しかし、思えばその3日前も、質問に必ず相手の目を見て、質問の意味をじっくり考えてから、自分の言葉で対応してた。

 週に5、6日は朝9時半から夕方6時までは熊本市内のゲームセンターで店員として働き、週に3日は夜9時から深夜2時、3時まで通信販売のコールセンターで働く。そうやってボクシングを続けて、世界王者になった。

 9月9日に熊本でミスチルのライブを見に行くと言うてた。

 「それは君の趣味?」

 「…いや~」

 「ああ、彼女の趣味やね?」

 「…ははは」

 今後も現役を続けるんか。28歳っていう年齢を思えば、きっといろいろ考えると思う。穏やかな時間の中で、じっくり考えるんでしょう。まあでも、彼なら彼にとって正しい結論を出すのは間違いないと、信じています。【加藤裕一】

全日本に復活の兆し「明るく楽しいプロレス」が再び

全日本プロレス運営新会社設立会見で相談役を務める故ジャイアント馬場さんの元子夫人(中央)と手を合わせる社長の秋山準(右)と専務の諏訪魔(2014年7月4日撮影)

 全日本プロレスに復活の兆しが見えてきた。28日の両国国技館は6550人で満員の発表だった。午後3時から約4時間半。62人のレスラーが出場したが、第0試合から、最後の3冠ヘビー級選手権まで会場には心地よい活気が感じられ、大いに盛り上がった。

 ジャイアント馬場が創設し今年で45周年。新日本と並ぶ日本プロレス界の老舗団体は、馬場さんの死後、何度も経営者が変わり、選手の離脱などを繰り返した。それが、14年7月1日に秋山準が社長に就任し、その当時のどん底から、客足が徐々に戻っている。4月のチャンピオンカーニバルの後楽園大会では久しくなかった大入り満員を記録。大都市圏を中心に人気回復の傾向にある。

 秋山とともに経営に携わる大森隆男取締役は「団体の中にいると実感はない」と言いながらも、手応えを感じている。「残った選手たちの頑張り、少人数のスタッフが1人何役も仕事をこなし、若手の意識も変わってきた」と話す。「オレがやらなきゃ」という気持ちが、トレーニングでも試合でも出ているという。

 3冠ヘビー級王座を石川から奪い返し2度目の戴冠となった宮原健斗や、野村直矢、青柳優馬といった若手の台頭。さらに秋山や大森、渕といったベテランがそれぞれの役どころを感じて、試合を盛り上げる。馬場時代をよく知る渕は「おれたちが悪役商会でやっていた時代と、お客さんの反応が似てきた。馬場さんの言った明るく楽しいプロレスが、リングでできている」と話す。

 秋山社長体制になり、大日本や地方のインディー団体などとも交流を広げた。両国大会では、女子レスラーも登場した。また、過去に全日本に所属したレスラーたちも呼び戻され、ファンには懐かしい顔も見られる大会となった。全日本退団後初めて参戦したというグレート小鹿(75)は「全日本のリングは20年ぶり。全日本のリングはにおいがするんだよ。ボクが日本プロレスから吸収合併で来たころの初期のにおいがまだ残っている。秋山社長が地に足がついた経営をして、ここまでやってきた。秋山社長以下の努力をほめてやりたいよ」としみじみと話していた。

 現在のプロレス界は新日本プロレスの一人勝ち状態が続いている。グレート小鹿も「今は横綱が1人いて、あとはせいぜい三役か平幕以下。プロレス界活性化とために全日本には頑張ってもらいたい。全日本はオレらの心のふるさとなんだよ」と願いを口にした。大森隆男取締役も「今に見とけよ、と思っている」と反転攻勢を誓った。【桝田朗】

三浦隆司と内山高志の引退、ボクシング界の世代交代

 偶然の一致だが、今年のボクシング界は世代交代年になった。拳を交えたスーパーフェザー級の元世界王者が、7月に1日違いで引退を表明した。記憶と記録に残る2人だった。

 三浦隆司を初取材したのは09年、日本王座に3度目の挑戦の時だった。初挑戦は小堀に負け、再挑戦は矢代に引き分け、再戦でダウン応酬の末に雪辱の王座獲得。喜びのあまり幼なじみと結婚宣言し、トレーナーから「本当に大丈夫?」と冷やかされていた。まだ横浜光ジムで、初々しい地方出身青年の印象だった。

三浦隆司

 11年の世界初挑戦では内山高志からダウンを奪うも逆転負けした。心機一転して帝拳ジム移籍には驚いた。当初は日本王者だった叔父の薦めで、帝拳ジムに体験入門した。初の高校6冠で同期の粟生が注目され、いつしか姿を消したと聞いていたからだ。

 ジムに一番長くいる選手だった。多くは2時間程度だが、三浦は4時間近いこともあった。バーベルを素手でコツコツたたく姿が印象的だった。普段もリングでも外見にこだわりなく、世界をとっても同じトランクを使った。東北人らしく多くはしゃべらず。寡黙な野武士のような風貌にも好感が持てた。

 内山の世界初挑戦の時は勝てないと思った。体制が問題だった。洪トレーナーが渡辺会長と意見が合わず直前にジムを離れた。急きょチーム内山を結成。役割分担して一丸で支えたが、デビューから指導していた元アマ韓国代表の穴は大きかった。王座奪取は内山のさまざまな能力の高さあってのもの。大人だったのを見落としていた。

 ワタナベジムは来る者を拒まないおおらかムードだが、内山がいると緊張感が出る。トレーナーは同じアマ出身者が多いがいずれも年下。何事も内山が一番熟知していた。拓大では荷物番をやらされた屈辱もあり、特に体育会系の日常の自己と周囲への厳しさが原点、原動力だった。

内山高志

 練習を始めるには、1回3分の間は入り口で待つルールがある。インターバルになると「お願いします」とあいさつして入れる。昔はなかった内山流のけじめ。合宿所も荒れがちだったが、内山が入寮してから規律が確立され、寮生が集合してロードワークなども恒例になったと聞く。

 どこのジムも練習中は1回3分、休憩1分のタイマーを鳴らす。昨年だったが、タイマーがだいぶ古くなり、休憩1分がだいぶ短くなっていた。「スタミナがつく」の声も出ていたが、内山は「時間の間隔を体に染み込ませないといけないのに」と怒っていた。しばらくしてタイマーが新品になった。

 ボンバー・レフトとKOダイナマイト。乱立気味で世界王者の価値観が薄れる中で、個性的ボクサーとしての存在感があった。何よりも強打は魅力があり、たっぷり楽しませてもらった。【河合香】

東京五輪が影響、ボクシング界も頭を悩ます会場確保

笑顔でファイティングポーズを見せる村田(左)とエンダム(撮影・神戸崇利)

 20年東京五輪まであと3年。アマチュアボクシングは両国国技館にて開催されるが、向こう3年、プロにとっては頭を悩ませる問題がある。会場がない、世界戦を組みたくても、テレビ局が放送に前向きでも、肝心の試合を行う場所がない。首都圏ではそんな事態が多くなりそうな様相だ。

 先頃、WBA世界ミドル級タイトルマッチの開催が発表された。同級1位村田諒太(31=帝拳)が王者アッサン・エンダム(33=フランス)との5月以来の直接再戦に挑む大一番だが、交渉に入った両陣営、テレビ関係者を悩ませていたのは、会場をどのように確保するかだった。

 都内では、世界戦を行う会場としては両国国技館、大田区総合体育館、有明コロシアム、東京国際フォーラムなどがある。興行規模的に求められる収容人数が4000人以上の施設は限られている。その主要箇所の年末までのスケジュールがびっしりと埋まっていた。結局は10月22日に両国国技館で開催の運びとなったが、リング、大型スクリーンなどの舞台設置は興行当日に行う強行軍だという。無理を承知しなければ、確保が難しかった。

 各競技が会場確保に苦労している背景にあるのが、東京五輪だ。既存施設を使用する場合、改修工事を行う必要が出てくる。そのため一時的に使用できなくなり、その影響で開いている施設に予約が殺到するという構図。国立代々木競技場は7月2日から休館に入っている。東京国際フォーラムも17~18年に改修工事を予定している。

 競合相手はスポーツ団体だけではなく、音楽業界もいる。東京五輪に伴うコンサート用の施設不足は「2016年問題」として取り上げられ、いまも続く。先々を見ても、日本武道館が19年9月ごろから五輪後まで使用不可になる計画で、他会場の予約でバッティングの機会が多くなりそうだ。

 あまたあるスポーツ競技でも、特にボクシングは会場確保が難しい。世界戦で半年以上前から開催日が決まっていることはほぼない。両陣営が協議して、開催国が決まり、そこから会場を探すのが通例。長期的に、先々を見て予約を入れることができない。例えばある世界王者が1年間に3試合を行うとして、4カ月に1回。実質的には2、3カ月前にならなければ試合の候補日も決まらない。全日本選手権などある程度定期的な開催が見込めるような競技であれば1年先も見越して動けるが、ボクシングではそうはいかない。

 思い通りに会場が決まらなければ、過去最高の13人の国内ジム所属世界王者を抱える現状にとっては、マイナス面は大きい。首都圏を回避して探すにしても、興行的に成功の可能性が低くなり、難しい状況だと話す関係者もいる。抜本的解決策はないだけに、その影響が最小限にとどまってほしい。【阿部健吾】

激戦続くG1クライマックス 際立つオカダの存在感

オカダ・カズチカ

 新日本プロレスのG1クライマックス27も、いよいよ後半戦に突入した。今や世界中が注目するプロレス界の一大イベントは、その期待を裏切らない戦いが続いている。7月17日、札幌の北海きたえーるで開催された開幕戦で、メインを飾った内藤哲也-飯伏幸太の激闘が、大会に勢いを与えた。

 2年ぶりに新日本マットに復帰した飯伏と、その不在の間に大ブレークした同期同士の戦いだった。試合前には内藤が「ほとんど試合もしていないレスラーが出られるほどG1は甘くない。過去の栄光だけで出てきたやつに負けるわけがない。第1戦は消化試合だ」と挑発。飯伏も「この2年間、誰にもできない経験をしてきた。その成果を出して大爆発する」と返し、ファンの注目を集めた。

 2人の戦いは、持ち前のスピードと過激なワザの応酬で盛り上がった。飯伏コールが始まると、内藤コールがそれをかき消す。ファンと一体となったプロレスは、2人の受けのうまさも相まって、すばらしい空間を作り出した。見る者を感動させる戦いだった。

 Bブロックの開幕戦となった20日後楽園大会では、ケニー・オメガ-鈴木みのる戦も見応え十分だった。さらに、23日町田大会の棚橋弘至-永田裕志の戦いは、見るものの心を打った。今大会限りでG1からの卒業を宣言した49歳の永田。そして同じ40代に足を踏み入れた後輩。新日本のエースの座を引き継いだ2人の戦いは、棚橋がリング中央で永田のほおを張り、最後ははり倒すシーンが印象的だった。「棚橋に殴り倒されたのは初めて」とかつての戦いに永田が思いをはせれば、棚橋は「永田さんの前ではいつでもチャレンジャー。それは変わらない」と先輩を立てる言葉を残した。

 G1の戦いを通して際だつのは、IWGPヘビー級王者オカダ・カズチカの存在感だ。初戦の矢野通戦から始まり、オカダのプロレスは、すごみを増している。相手の持ちワザをすべて受けきり、その上で相手を圧倒するように試合を決める。1・4東京ドームのオメガ戦から始まった絶対王者オカダの進撃はとどまるところを知らない。G1開幕直前のインタビューでオカダは「IWGPヘビー級王座の防衛記録も、IWGP王者としてG1を優勝するということも、ボクは全然考えていないんです。ボクは、ワザをかけるシーンとかが何回も再生されるような、印象に残るシーンにこだわりたいと思います」。それが、今のオカダのプロレスに現れている。

 G1の激しい戦いと、オカダの戦いは、プロレス界にかつてない歴史を刻むかもしれない。【桝田朗】

「最高の見せ物ができないなら」土屋修平の引退理由

土屋修平(2012年5月17日撮影)

 いつも通り勝利後のリングでバク宙した。8回判定も再起を飾り、王座奪回へアピールと思った。ところが、マイクを握ると「今日の試合(6月30日)を持って引退します」。突然の現役引退表明。前日本ライト級王者土屋修平。30歳だがキャリアは10年に満たない。

 なかなか踏ん切りのつかないボクサーは多い。王座から陥落直後に引退表明はまれ。引退示唆から撤回したり、移籍して続行の例もままある。正式に引退会見するのも元世界王者ですら少ない。ひっそり引退届を出す。最近はSNSで表明が多い。土屋は珍しく潔く引退となった。

 5月末のスパーリングがきっかけだった。「パンチに反応できないことがあった。かすったぐらいでダウンした」という。「90%は決めて最後に試合をやってみようと」臨んだラストファイト。「なんでもないパンチが効いた。僕の考えるプロじゃない。最高の見せ物ができないなら一線を引くべき」と決断した。

 小1で空手、中2で極真系フルコンタクト空手を始めた。バスケット、野球もやり、高校は部員不足でラグビーのSO。大東大に進学で上京し、キックボクサーになった。8勝(4KO)4敗1分と行き詰まり、ボクサーを目指そうとジムを回るうちに角海老宝石ジムにたどり着いた。

 09年に22歳で入門し、3カ月後に1回KOでプロデビュー。6戦連続KOで全日本新人王MVP。決勝ではアゴを砕き、一躍KOパンチャーとして注目され、連続KOは12まで伸ばした。判定で13連勝も14戦目は初回ダウンを奪うも9回TKOで初黒星。ここから4敗と低迷し、昨年12月に待望の日本王座初挑戦となり、3回KOでベルトを手にした。

 スポーツ万能だっただけにセンスがいい。当て勘よく強さより切れのいいパンチ。一方で防御に甘さがあった。キック経験者によると「防御はあまり練習しない」「1、2の3とタイミングが同じ」という傾向がある。今年の初防衛戦は白熱の打撃戦の末に8回TKO負けで陥落してしまった。

 激しい打ち合いを演じた元2階級制覇王者ガッティにあこがれ、米国リングを夢見ていた。「危ない戦い方だが1人ぐらいいてもいいのでは」と笑った。そのうちおえつがもれたが「いいボクサー人生。浮き沈みあるのが楽しい。最高のスポーツ。愛している」。

 「最後は田中さんとやりたかった」ともつぶやいた。田中栄民トレーナー。ジムをのぞいた時に「見に来いよ」と入場券をもらった。最後についた小堀佑介トレーナーを世界王者に育てた人と知って、入門を即断した。ジムを移った恩師への感謝の言葉だった。個性派ボクサーはすがすがしくリングを去った。【河合香】