上へ戻る

au版ニッカン★バトル

プロレスの月曜日

“スターダムのアイコン”岩谷麻優「世界中で有名に」

プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー5回目はスターダムの岩谷麻優(26)。団体は10月17日に新日本の親会社ブシロードの傘下入り。11年旗揚げからの生え抜きで「スターダムのアイコン」こと岩谷に団体の歴史と今後の展望、新たな目標を語ってもらった。【取材・構成=高場泉穂】

スターダムのこれからを語った岩谷麻優

「日本にいながら世界中で有名な選手になりたい」。岩谷が数年前から持ち続ける夢だ。スターダムは国内最大手の女子プロレス団体。それでも知名度は高いとはいえない。エースである岩谷でさえ、街を歩いて声をかけられることは全くないという。今回、新日本プロレスのV字回復を支えたブシロード傘下に入ったことで海外進出、露出の場は格段に増える見込み。それによって「夢がかなうんじゃないかと思った」。提携発表後、SNSのフォロワー数は300人増えた。夢にまた1歩近づいた。

スターダムからは世界最大の団体WWEに移籍し活躍する宝城カイリ(現カイリ・セイン)、紫雷イオらがいるが「同じ流れをたどっても面白くない」。2人をリスペクトしつつ、「違う道で2人よりも知ってもらえる存在になりたい」と違うやり方で世界に名を売っていくつもりだ。

これまでの歩みは「崖」の連続だった。11年のデビュー後についたニックネームは「ウルトラマン」。スタミナがなく、3分間動くと息があがった。初勝利まで1年もかかった。だが、そこから団体の各ベルトを巻くまで成長。カイリ、イオとともにトップ選手として団体を引っ張ってきた。

15年2月に起こった世4虎対安川悪斗戦の事件を機に選手が大量離脱した時は「このまま終わってしまうんじゃないかと思った」。岩谷ら残された数人の選手が1日数試合をこなし、リング設営も自分たちで行った。「精神的にも体力的にもきつかったけど、充実感がありました。みんなで『まじつらい』とか言って、励まし合いながら。雰囲気が良かった」。厳しい時期を乗り越えてからのここ数年は右肩上がり。個性豊かな選手が集まり、年間収入は約2億円にまでのぼる。

スターダム、さらに女子プロレス人気を上げるため、今後は新規ファン獲得に力を入れたいと岩谷は言う。「若い方や女性の方に見ていただければより広まると思います。今は一部のプロレスファンの40、50代の男性にしか届けられていない。今まで8年間(広める努力が)出来てこなかったから現状がある。自分たちができなかった分を(ブシロードに)補っていただけたらと思います」とPRでのサポートに期待する。

「見てもらえればはまると思う」と内容にも自信を持つ。「選手1人1人にドラマがある。ドラマを見にきてください。あわよくば私を見てほしいです!」。最近はアクション教室にも通い始めた。常に自分を磨いて、リングで待つ。

◆岩谷麻優(いわたに・まゆ)1993年(平5)2月19日、山口県美祢市生まれ。11年1月旗揚げ戦の星輝ありさ戦でデビュー。14年に初のシングルタイトルとなるワンダー・オブ・スターダム王座を獲得。19年2月、米団体ROHのWOH王座を獲得。得意技ドラゴンスープレックスホールド。163センチ、53キロ。

拳王ノア改革 反体制ユニット「金剛」結成で活性化

プロレスリングノアの年間最大のビッグマッチが11月2日、両国国技館で開催される。メインのGHCヘビー級選手権で王者清宮海斗(23)に挑戦するのは元タッグパートナーの拳王(34)。反体制ユニット「金剛」を率いて、ノアの改革を目指す拳王に今回のタイトル戦への思いや今後の野望を聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

11・2ノア両国大会でGHCヘビー級王座に挑戦する拳王

両国国技館を超満員にし、そこを「金剛」(ダイヤモンド)の輝きにする-。拳王の1つの夢がそこまで近づいている。今年5月に清宮とのタッグを解消し、マサ北宮、稲村愛輝らと反体制ユニット「金剛」を結成。リーダーとしてノアを活性化させるとともに、親会社「リデットエンターテインメント」と清宮の批判を繰り返してきた。すべてはノアを業界NO・1に引き上げるためだ。

「ずっとリング上で言っているんですけど(選手らが)会社に洗脳されているような感じになっている。ぼくが目指しているのは業界の2位ではない。一番人気のある団体のまねをしていてもだめ。もっとオリジナリティーを出して、自分たちはやっていきたい」。

若き王者清宮と決別したのも「会社のいいなり」で自分の意思を感じられなかったから。だが、ここに来て変化を感じつつあるという。「あいつはプロレスの教科書通りにやっていくだけのおもしろくない、響かないプロレスラー。でもようやく、言い続けたかいがあって、少し本音がでてきているかな。まぁ、それでも響かないけど」。両国のタイトル戦に求めるのはすべてをぶつけ合う戦い。「むこうが本気できたら、こっちもさらに熱い気持ちでぶつかっていける」と本音を引き出す挑発を仕掛けていくつもりだ。

敵は清宮だけではない。拳王はノアを長らく引っ張ってきた丸藤正道、杉浦貴打倒も目標に掲げる。「ノア=丸藤、杉浦の時代がいまも続いていると僕は思う。両国のカードを見ても悔しかった」。両国で丸藤はレジェンド、グレート・ムタと対戦。杉浦は新ベルト「ナショナル王座」をかけ、マイケル・エルガンと戦う。「どうにかして超えていきたい」と彼らの豪華カードに負けない戦いをすることを自身に課す。

8月4日、ノア旗揚げ19周年記念大会で岡田(下)を攻める拳王

17年にGHCヘビー級王座を初戴冠。ノアの新時代を目指したが、杉浦に奪われ約4カ月で陥落。革命は志半ばで終わった。「おれがもう1回(王者に)なって、もう1度丸藤、杉浦を倒して超えたというのを世間に知らしめたい」。さらにその先に見つめるのは、20年の日本武道館進出。会社からの圧力をも力に変えて、ノアの新たな時代を切り開く。

◆拳王(けんおう)1985年(昭60)1月1日、徳島市生まれ。幼少期から続ける日本拳法で03年に全日本選手権で優勝するなど結果を残した後、08年みちのくプロレスでデビュー。15年にノア入団。16年末にジュニアからヘビー級に転向。17年12月にGHCヘビー級王座初戴冠。174センチ、95キロ。得意技ダイビング・フットスタンプ。

勝みなみ 飯伏幸太選手と互いに刺激し合ってます

<私とプロレス>

女子ゴルフ界で、黄金世代の代表格として活躍する勝みなみ(21=明治安田生命)は、大のプロレスファンだ。今年1月、新日本プロレスの東京ドーム大会を観戦し、その魅力に取りつかれた。同じアスリートとして、プロレスに元気をもらっているという勝に、その魅力を聞いた。

飯伏幸太から贈られたサインを手に笑顔を見せる勝みなみ(撮影・前岡正明)

勝は今季2勝を挙げた期待の若手。1998年(平10)生まれで、AIG全英女子オープン優勝の渋野日向子や、先日の日本女子オープンを制した畑岡奈紗らと並ぶ黄金世代の代表選手だ。その勝が、初めてプロレスを見たのが、今年1月4日に開催された新日本プロレスの東京ドーム大会だった。

「2つ下のいとこと母が大好きで、私はまったく興味がなかったんです。最初は、あんなに人のことをたたいたりして、怖い印象しかなかった。観戦も乗り気じゃなかったんです。でも、実際に見てみると、この競技はすごいなと思いました。体の大きな人たちが全身を使って戦う激しさと、そのパフォーマンス。入場シーンの衣装や、その選手に合ったBGMに引き込まれて。いっぺんにファンになりました」

その後、今季の開幕戦となったダイキンオーキッド・レディース(沖縄)の前に、たまたま沖縄で開催された新日本の沖縄大会を観戦。さらにその魅力に取りつかれた。

「こけしと呼ばれる本間朋晃さんの、復帰戦だったんです。首のケガで危険な状態だったのに、リングに戻ってきたということで、お客さんの歓声とかすごかったんです。私はゴルフしかやったことがないですけど、ギャラリーになったら、こんな気持ちなんだと実感しました。プロレス会場では、応援するというより、選手のことを見守っている感じで」

プロレスを見ているうちに、それぞれの選手にドラマがあって、ファンが応援しながら選手から勇気や元気をもらっていることを感じるようになったという。

8月、G1クライマックスで優勝した飯伏幸太

「ゴルフをやっていて、練習しても自分の思うようにいかない時期もある。それでも、あきらめずにやったからこそ、上にいけるということを、G1クライマックスで優勝した飯伏幸太選手に教えられました。私もあきらめずに頑張ろうと思いました」

飯伏とは同じ鹿児島出身で大ファンになった。その飯伏からツイッターやインスタグラムをフォローされ、互いに刺激し合っているという。

「プロレスをまだ見にいっていない人は、最初は私みたいに、怖かったり、興味がなかったりかもしれないけど、全身でぶつかり合うことを通して、いろんなことを選手たちが伝えてくれるので、ぜひ1回見にいってほしいです」【取材・構成=桝田朗】

◆勝(かつ)みなみ 1998年(平10)7月1日、鹿児島県生まれ。8歳でゴルフを始め、17年7月にプロテスト合格。14年4月のKKT杯バンテリン・レディースで15歳293日の史上最年少のアマチュア優勝を達成。プロ本格参戦の18年大王製紙エリエール・レディースでプロ初優勝を飾るなど通算3勝。157センチ。

デビュー35周年 蝶野正洋に聞く「ヒール」の美学

プロレス界のレジェンド、蝶野正洋(56)が10月でデビュー35周年を迎えた。「黒のカリスマ」と呼ばれ、ヒール(悪役)のイメージを大きく変えた功労者でもある。悪の軍団「nWo」を率い日米を股に掛け、新日本プロレスで空前のブームを作り上げた蝶野に「ヒール」の美学を聞いた。

カメラに向かって吠える蝶野正洋(撮影・滝沢徹郎) 

プロレスの戦いの基本は、ヒーロー(ベビーフェース)対ヒール(悪役)という構図だ。最近は、それに軍団(ユニット)ごとの抗争がミックスされて複雑化している。昭和の時代まではヒールといえば、外国人レスラーや他団体からの侵略者。しかし、蝶野はその構図を一変させた。

デビューから10年の94年、G1クライマックスで3度目の優勝を達成した直後、蝶野は突然「武闘派宣言」してヒールに転向した。「29歳でそこそこのポジションを築いていたが、プロレスをやれるのもせいぜいあと10年。新日本で本当のトップになるために、あえて正規軍のワクからはみ出してみようと決断した」という。会社や、創始者のアントニオ猪木に相談しても断られ、見切り発車での決断だった。

蝶野は会社の体制を批判し、天山広吉、ヒロ斎藤とともにヒールユニット「狼軍団」を結成した。この動きを参考に、米国WCWのエリック・ビショフ副社長が当時大人気のヒーロー、ハルク・ホーガンをヒールに転向させ、nWoを結成。一気にブレークした。

「米国も日本と同じように、組織内での勢力争いはなかった。外国人や人種との対決が軸だったけど、エリックがオレらの動きをみて、組織内での対立という構図をWCWの中でやったら、お客がどっと入るようになった。それでオレらも米国に呼ばれて、その人気を目の当たりにした」

笑顔でインタビューに応じる蝶野正洋(撮影・滝沢徹郎) 

nWoでは、ホーガンらの軍団に蝶野が加わり、nWoジャパン結成という流れになるが、実際は蝶野の行動がその始まりだった。蝶野はファッションやプロレススタイルにもこだわった。「オレらの時代はパンツも赤やオレンジ、黄色、ブルーとカラフルになっていた。そんな中で、あえて黒にこだわった。入場時のガウンもバスローブ型じゃなく、カッコいい黒のロングコート。学ランとか長ランのイメージでつくった」

そのファッションも米国WCWに取り入れられた。蝶野が率いるnWoは、そのカッコ良さと強さで爆発的な人気を博した。現在も新日本プロレスはブームといわれるが、その爆発力では蝶野のnWo旋風がはるかに上だった。

「ヒールというのは組織中にいるレスラーの本音の部分。タテ社会の結束の中では吐いてはいけない言葉とか、たまったものを吐き出している。だから一般の人の共感を呼んだ」と蝶野は回想する。蝶野が作り出した新しいヒール像は、今やプロレス界のヒールの主流となっている。【桝田朗】

◆蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)1963年(昭38)9月17日生まれ、東京都出身。84年4月に新日本プロレスに入団し、同年10月5日の武藤敬司戦でデビュー。91年、初開催のG1クライマックスで優勝。同大会は最多の5度優勝。96年のnWo旋風でプロレス大賞MVP受賞。98年にはIWGPヘビー級王座獲得。10年に新日本を退団し、14年4月の試合を最後に事実上の引退。現在は一般社団法人NWHスポーツ救命協会代表理事で社会貢献活動に取り組み、タレントとしても活躍中。

「100年に一人の逸材」棚橋弘至20年を振り返る

新日本プロレスのエース「100年に一人の逸材」棚橋弘至(42)が、10月10日にデビュー20周年を迎えた。ヤングライオン時代から、数々の故障を乗り越え復活した最近の姿まで、プロレス界のV字回復の立役者となった逸材の歩みを、日刊スポーツ秘蔵の写真とともにふりかえります。

◆棚橋の歩み◆

99年 10月10日後楽園大会の真壁伸也(刀義)戦でデビュー。

00年 9月の栃木大会で左手骨折し、長期欠場。

00年、真壁伸也の腕を固める

01年 4月19日の後楽園大会で復帰し、ヤングライオン卒業。

02年 G1初出場。11月28日、女性に刃物で刺され、12月に丸刈り姿で会見。

02年、女性に刺されてから初めて公式の場に姿を見せ、背中に2カ所ある傷を報道陣に公開

03年 U-30(30歳以下限定王座)を提唱し、4月に初代王者となる。6月、吉江豊とIWGPタッグ戴冠。

03年7月、新日本プロレス・大阪大会 流血させられた棚橋弘至(下)は魔界4号に首をしめられる

04年 6月、IWGPヘビー級王者ボブ・サップとのカードが直前に消滅。

04年6月、新日本プロレス・大阪大会 IWGPヘビー級王座決定戦 藤田和之対棚橋弘至 藤田和之(右)は倒れた棚橋弘至に容赦のないキックを浴びせTKOを奪った

05年 4月、ニュージャパン杯第1回大会優勝。

05年10月、メキシコ遠征から帰国した棚橋弘至(左)と中邑真輔

06年 7月、ジャイアント・バーナードに勝ち、IWGPヘビー級王座初戴冠。

06年7月、新日本月寒大会 IWGPヘビー級王者に輝いた棚橋弘至(前列中央)は右から長州力、永田裕志からビールをかけられ大喜び

07年 8月、G1決勝で永田裕志を破り、初優勝。

07年8月、新日本両国大会G1クライマックス最終日 勝利の瞬間マットにひざまずき喜びを表す棚橋弘至。奥は敗れた永田裕志

08年 4月、全日本のチャンピオンカーニバル準優勝。直後に左膝負傷で欠場し、8月復帰。

09年 1・4で師匠武藤敬司に勝利し、IWGP王座奪取。プロレス大賞MVP。

09年、師匠の武藤敬司戦

10年 09年にメキシコから帰ってきた内藤哲也との抗争勃発。

10年10月、新日本プロレス両国大会 棚橋弘至対内藤哲也 内藤哲也(下)からテキサスクローバーホールドでギブアップを奪った棚橋弘至

11年 1・4で小島聡を破り、IWGPヘビー級王座戴冠。そこから約1年間11度防衛し、新記録更新。

12年 2月、オカダ・カズチカに敗れ王座陥落も、6月に奪還。

12年1月、11試合連続防衛を果たした棚橋(左)は、オカダ・カズチカの挑戦を受ける

13年 CMLLトーナメント制覇。

13年、オカダ・カズチカ(右)と

14年 10月、AJスタイルズを破りIWGP戴冠。

15年 8年ぶり2度目のG1制覇も、優勝旗折るアクシデント。

15年8月、新日本プロレスG1クライマックス25 棚橋弘至はG1優勝旗を折ってしまいうなだれる

16年 1・4で王者オカダに挑戦も敗退。

17年 6月に内藤を破りIWGPインターコンチネンタル王者奪取。

18年 3年ぶり3度目のG1制覇。映画「パパはわるものチャンピオン」で主演。プロレス大賞MVP。

18年8月、新日本プロレスG1クライマックス28 棚橋弘至対飯伏幸太 セコンドの柴田勝頼(下)の肩車で優勝を喜ぶ棚橋弘至

19年 1・4で王者ケニー・オメガを破り、IWGPヘビー級王座8度目戴冠。

19年1月、ケニー・オメガに勝利した棚橋

新日本プロレスYOHの個展は「なぜトイレ?」

アーティストとしても活動する新日本プロレスYOH(31)の2度目の個展「YOHの部屋(風呂なし)」が10月26日まで東京・アートコンプレックスセンターで開かれている。一見「?」な作品について、YOH本人に解説してもらった。【取材・構成=高場泉穂】

展示スペースのトイレに溶け込む、プロレスラーでアーティストのYOH(撮影・河田真司)

建物内のいくつかの部屋をのぞき、やっと見つけた展示「YOHの部屋」はトイレの中にあった。便器と床は黒い線と色面(しきめん)で構成されたピエト・モンドリアンの抽象画で覆われ、後ろの壁面にはシルクスクリーンで複製した便器の図が12枚。ところどころにプロレスラーYOHの象徴ともいえる星を木でかたどったものが置いてある。「この空間は好きで、うまくいったかなと思います」と自慢げに話す通り、わずか1畳分のスペースに自分の好きなものを美しく配したインスタレーションだ。

少年の頃からの夢が実現した。「いつかぼくもプロレスラーになったら、バンドやってみたい、個展したい。軸に枝をつけたいと思っていた」。本格的にアート活動を始めたのは約1年半前から。プロレスラーを描く旧知の日本画家森博幸さんにアドバイスを受けながら、絵を描き始め、「描けば描くほど上手になる自分がいやになって」と次第にシルクスクリーンや物を使っての表現に発展した。

YOHの展示スペースであるトイレは通常使用可能

しかし、なぜトイレ、便器を使うのか。YOHの答えは「うんちが好きなんです」だった。「毎日違う色で、うんちだってアート。100人いたら100個違う。ただ出すものじゃない、生み出すもの」と哲学的にうんちの魅力を語った。自然と引かれる便器をそのまま展示してみたい。調べているうち知ったのが芸術家マルセル・デュシャン。便器に「泉」とタイトルを付け、展示会場に置いた現代アートの先駆者だった。「自分と考えが一緒の人いるんだと思った。もしかしてボクは生まれ変わりかもしれないです(笑い)」。

アイデアは次から次へと湧いてくる。「映像とか作りたいです。クレーン車で便器を落とすんです。それを映像にとって…。そういうことばっかり考えてます」。年内には六本木で師匠森さんと一緒に展示を行う予定だ。プロレスラーでありながら芸術活動をすることで「うまく回っている。これを続けていってどうなるのかなという未来を想像して、ワクワクしてます」とうれしそうに語った。

YOHが描き上げたユニークなイラストも展示されている

プロレスファンが自身の作品に興味を持つのと同様に、作品からプロレスを知る人が増えることに期待する。「きっかけが自分の作品だったらうれしい。根底にあるのはプロレスを広めたい、届けたいという思い」。大好きなうんちと向き合いながら、新たなアートを生み出していくつもりだ。

◆YOH(よう)1988年(昭63)、宮城県栗原市生まれ。12年2月に入門テストに合格し、同11月にデビュー。16年1月からメキシコ遠征へ、その後米国ROHでも活躍。17年10月に凱旋(がいせん)帰国。SHO、ロッキー・ロメロとともに「ROPPPONG 3K」のチームを組む。SHOとのタッグで第54、56、59代IWGPジュニアタッグ王者。172センチ、85キロ。得意技はファイブスタークラッチ。

内藤哲也 相棒「内藤くん」と育む風景愛と写真愛

<プロレスラーの相棒>

「相棒」シリーズ第4回は新日本プロレス内藤哲也(37)が登場です。国内外の巡業やプライベートの旅などどこでも行動とともにするミニチュア人形「内藤くん」について、また彼を撮ることで生まれた風景愛と写真へのこだわりについて語ってもらいました。【取材・構成=高場泉穂】

人形「内藤くん」と同じポーズをする内藤哲也(撮影・大野祥一)

-(人形の)呼び名は

僕は「内藤くん」かな。

-いつからの付き合い

うーん、この2、3年かな。もともと自分の写ってる写真あんまり好きじゃないんですよ。特に自分で自分を撮るのが嫌で。15年の5月にロス・インゴ(・ベルナブレス・デ・ハポン)に入ってからはツイッターでは自分の姿は一切出さず、キャップだけ置いて風景の写真を撮るというのをずっとやっていました。そのうち、これ(内藤くん)を知ってこれでやろうかな、と。

-どこでも登場しますね

彼は身長が低いので持ち運びが簡単。日本中もそうですし、海外に行くときも常に一緒に連れていってますね。いま働いているのは2人。1人はクラッチバッグ、1人はスーツケースに入れてます。

-ロケーション選びや構図が上手。その土地が分かるように撮ってますよね

最近気付いたんですけど風景の写真撮るの好きだなと思って。写真家の人ってこんな感じかなと。もし僕がプロレスラーではなく、一ファンだったら、完全に客席でカメラ構えて、レスラーを撮ってると思います。それぐらい今はちょっと写真に興味がある。昔はメインは自分で風景がサブだったんですけど、今はメインが風景で、内藤くんがサブ。構図とか考えるのが毎回すごい楽しくて。

内藤の相棒「内藤くん」

-撮影の合間に恥ずかしい思いをしたことは

今のところないですね。ぱっと決めたらさっと動いて、すぐ撤収しちゃうので。毎回時間をかけない。後で見たらピントが合ってなくて後悔することはあります。

-オフになぜたくさん旅に出るのか

おもしろい回答ではないけど、いろんな景色を見てみたいし、いろんなところに住んでいるいろんな人と触れあいたいんだよね。だからお誘いがあったり、カープの試合を見られると思ったら飛んでいく。僕ら試合がなければオフで時間はあるっちゃあるので、使わない手はないなと。

-旅先ですることは

なんだろな。ぼーっとしてます。彼を連れて、その土地が分かる場所を探してるかな。あとはのんびり。ぜいたくしてます。

-今、行きたいところは

北海道の右側に行きたいんです。釧路とか。自然の中の水が好きなんで、流氷に内藤くんを乗せてみたいですね。基本暑がりなんで、寒いところのほうが好きなんですよ。プロレスラーなのに汗かくのは嫌い。例外は毎年行ってるサイパンぐらいで。37歳ですけど、東京生まれだからか、いまだに雪でテンションが上がっちゃうんですよ。積雪というものに興奮しますよね。もっと(日本の)上に行きたいですね。

◆内藤哲也(ないとう・てつや)1982年(昭57)6月22日、東京都足立区生まれ。06年5月デビュー。13年8月G1クライマックスで初優勝。メキシコ遠征から戻った15年に「ロスインゴベルナブレス・デ・ハポン」を結成し大ブレーク。16年4月にIWGPヘビー級王座初戴冠。現IWGPインターコンチネンタル王者。180センチ、102キロ。得意技はデスティーノ。

飯伏幸太がラグビーワールドカップ日本代表にエール

逃げない、負けない、諦めない! 元ラガーマンの新日本プロレス飯伏幸太(37)が、ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会に向け、日本代表へエールを送った。また、ベールに包まれている高校ラグビー部での思い出も明かした。【取材・構成=高場泉穂】

元ラガーマンで、当時から体の強さが持ち味だった飯伏(撮影・大野祥一)

ゴールデンスター飯伏にラグビー界の常識は通じない。日本代表が定める今回のW杯目標は初の8強だが、「ベスト8といわず、優勝じゃだめなんですか?」。色紙に書いたエールは「逃げない!負けない!諦めない!」。左足首痛を抱えながら初優勝したG1中に支えとした言葉を、そのまま桜戦士へ贈った。

記者(右)のタックルをモノともせず前に進む飯伏(撮影・大野祥一)

ラグビーとの出合いは15歳の時。中卒でプロレスラーになることを親に反対され、鹿児島・加治木工高に進学。そこで最もプロレスに生かせると感じて選んだ部活がラグビー部だった。「初めて見学にいった時に、フロントスープレックスやってたんですよ。たぶん、正確にはスマザータックルです。相手をつかんで、自分側に倒す。その時はたまたま体が浮いてしまったのだと思いますが。でも僕はそれを見た瞬間、『これだ』って思いました」。

ラグビーの楽しさに開眼しつつも、「すべてはプロレスのため。ぶれませんでした」。ポジションはフォワードの花形NO8で、役割は“投げ”。「試合中に『いけ』とサインがあって、本当に相手を投げまくってました」。反則すれすれの技でチームに貢献した。片手でボールを抱え、もう一方の手でタックルをかわすハンドオフも得意だった。「僕は常にフルスイングで、相手のあご狙い。プロレス、戦い、と思ってやっていました」。今とほぼ変わらぬ体形と50メートル6・2秒の快足で敵を倒しまくり、高3の時には鹿児島選抜候補にも選ばれた。

高校卒業後はラグビーから遠ざかったが、この夏のG1優勝を機に再び接点が生まれた。優勝するとすぐに、ラグビー部同期のグループLINEで祝福メッセージが殺到。その後、帰郷した際には地元テレビ局の企画で母校ラグビー部を約20年ぶりに訪ね、後輩たちのタックルを受けた。「久々にラグビーに触れて、懐かしかったですね。グラウンドも何にも変わってなかった」。当時の監督とも再会し、思い出が鮮やかによみがえった。

ラグビー日本代表への応援メッセージを記した飯伏(撮影・大野祥一)

W杯は「見ます」と飯伏。注目選手には、松島幸太朗とトンプソン・ルークの2人を挙げた。松島について「こうた、ろう。僕の名前が入ってるから頑張ってほしい」。代表最年長で1歳上のトンプソンについては「どうやって体力を維持しているのか。肉体的な衰えを感じているのか。けがもどう乗り越えているのか。いろいろ話してみたい」。芝上の選手と自分を重ねながら応援するつもりだ。

◆ラグビー出身のプロレスラー 日本プロレスと国際プロレスで活躍したグレート草津(08年死去)は、元八幡製鉄のロックで日本代表も経験。国際プロレス阿修羅・原(15年死去)は元近鉄でNO8、プロップで日本代表入り。現在テレビマン兼レスラーのKENSOは元明大ラグビー部。新日本でトンガ生まれの巨人バッドラック・ファレは福岡サニックスブルース(現宗像サニックスブルース)で06年から2年間ロックとしてプレー。

「ヤングライオン杯」令和最初の最強若獅子は誰だ

新日本プロレス若手選手の登竜門「ヤングライオン杯」が9月4日の後楽園大会から開幕した。2年ぶり12度目の開催となる今回は新日本2、3年目の4人に加え、柴田勝頼がコーチを務めるLA道場から3人、バッドラック・ファレが指導するニュージーランドのファレ道場から1人の計8人が参戦。未来のスターを目指し、頂点を争う。

   ◇   ◇

この中から未来のスターが生まれるかもしれない。4日の後楽園ホールから総当たりリーグ戦がスタート。3カ所の道場から集まった8人は熱いファイトで聖地を盛り上げた。リーグ戦は22日神戸大会まで続き、最高得点者が優勝となる。以下参戦8人を紹介する。

海野翔太<新日本>(左)と成田蓮<新日本>

<新日本(野毛道場)>

公式のファン優勝予想で1位となったのがデビュー3年目の海野だ。転機となったのは6月のジョン・モクスリーとのシングルマッチ。元WWEのスーパースターに敗れたものの、モクスリーに気に入られ、G1期間中はタッグパートナーと、セコンドを務めた。英語でのコミュニケーションに苦戦しながらも一流の背中を近くで追った経験は大きい。黒星スタートとなったが、「絶対あきらめない」と巻き返し初優勝を狙う。

同期で青森生まれの成田も負けじとステップアップのチャンスをうかがう。今年は初めてベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアに参戦も全敗。その悔しさをぶつける。

辻陽太<新日本>(左)と上村優也<新日本>

アメフト出身の2年目辻は、ヤングライオンの名にそぐわない貫禄とパワーをつけつつある。G1最終戦の武道館でLA道場のコナーズに敗れ、体を絞り、新技も用意してリベンジを狙う。もう1人の2年目上村はアマレス出身で技術と高い身体能力を誇る。優勝とその先の海外遠征を目標に掲げる。G1期間中諸事情により、トレードマークだった髪をばっさりカット。昭和風のお気に入りの髪形に戻すためにも、ここで結果を残したい。

カール・フレドリックス<LA道場>(左)とクラーク・コナーズ<LA道場>

<LA道場>

長期欠場中の柴田勝頼が育てた精鋭がそろった。最年長29歳のフレドリックスは185センチの長身と強靱(きょうじん)な肉体を武器にチャンスを狙う。コナーズは初戦で優勝候補の海野を撃破。173センチと小柄だが技術とジュニア離れしたパワーを持つ。

アレックス・コグリン<LA道場>とマイケル・リチャーズ<ファレ道場>

鋼の筋肉をまとうコグリンは8人中唯一2連勝。強烈な逆水平で客席を沸かせるほか、甘いマスクで人気が出そうだ。

<ファレ道場>

バッドラック・ファレがニュージーランドで主宰する同道場からは1人。スキンヘッドにあごひげ、24歳には到底見えない風貌のリチャーズは17年のトライアウトで合格し、ファレ道場に入門。日本の野毛道場でも練習を積み、この6月にオーストラリア大会で2連勝デビューした。必死なファイトが日本のファンの心をつかみつつある。【高場泉穂】

ヤングライオン杯歴代王者

プロレスもコーヒーも「表現」三沢ファン妻と出会い

<私とプロレス>

今年で25周年を迎える鎌倉の名店「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」の店主堀内隆志さん(51)は熱心なプロレスファンでもあります。WWE中邑真輔ら数々のレスラーとの交遊やプロレスの魅力などを語ってもらいました。【取材・構成=高場泉穂】

01年4月、ノア広島大会で勝ち名乗りで手を上げる三沢光晴さん

堀内さんの人生は、プロレスと深く結びついている。妻千佳さんと出会い、親しくなったきっかけが故三沢光晴さんだった。

「プロレスは、父が好きだったので小学校の頃から一緒にテレビで見ていました。(ミル・)マスカラスや、猪木さんが好きでしたね。1度は離れましたが、四天王(※注)が出始めたころに見始めました。94年に店を開いて数年経った頃、ここに営業に来た嫁さんと出会いました。持っていた荷物に週プロが入ってたんですよね。そこで「プロレス好きなんですか?」と聞いて。嫁さんも三沢ファンだったので、全日本を中心にいろんな大会を一緒に見に行きました」。今年18歳になる夫妻の愛犬パグの名前は「ミサワ」だ。

6月、ロバート・ルードを執拗に攻める中邑真輔

コーヒーを通じて選手とも交流が生まれた。12年のある日、現WWEの中邑真輔がいきなり店に訪れた。「あれ? 大きい人が来たな、と思ったら中邑さんだったんです。それまでレスラーの方が来ることはなかったので、舞い上がっちゃって。コーヒーを食後に頼まれたんですけど、先に出しちゃって、しかも(手が震えて)ガタガタガタ…としちゃいました」。

以来、中邑が度々店に訪れるようになった。堀内さんは今年3月、コスタリカへの豆買い付けの帰りに米・ミネアポリスでスマックダウンを観戦。中邑に直接コーヒー豆を差し入れた。春先に帰国した際にも来店し、人気メニュー「プリンパフェ」を食べていったという。また、コーヒー通で知られるWWEのセザーロとも6月の両国大会で交流し、豆をプレゼント。DDTのアントーニオ本多、竹下幸之介らもなじみ客の1人だ。

カフェ経営やコーヒー作りは堀内さんにとっての表現。プロレスラーに重なる部分もあると感じている。「店をやっていると出会いも別れもあり、浮き沈みもある。僕もフリーの選手みたいなもので、自分が焙煎(ばいせん)したコーヒーを飲んだ方がどう評価してくださるのか、試合じゃないですけど、表現としてどう受け取ってくれるか考えながらやっています」。

WWE中邑真輔のポーズをとる「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」の店主堀内隆志さん

仕事の合間を塗ってテレビや現地での観戦を楽しんでおり、それが日々の活力につながるという。「仕事でつらいときもあるんですけど、プロレスを見ると元気が出るんですよね」。店を開いて25年、焙煎を始めて10年。「僕も試行錯誤しながら、現役を続けることが目標です」と語った。

◆堀内隆志(ほりうち・たかし)1967年(昭42)9月30日、東京都生まれ。大学卒業後、流通業を経て、94年に「カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ」を開店。ブラジル音楽にも精通し、FMヨコハマなどラジオパーソナリティーとしても活躍する。

※注 四天王…90年代前半以降全日本プロレスの人気をけん引した三沢光晴、川田利明、小橋健太、田上明の4人を指す言葉。彼らが中心となり行った激しいファイトスタイルを四天王プロレスという。

武藤敬司「引退?今はないよ」生涯プロレスLOVE

プロレス界で「天才」「プロレスリング・マスター」と呼ばれるレジェンド、武藤敬司(56)が、10月でデビュー35周年を迎える。9月1日にはW-1の横浜文化体育館大会で、記念試合も行われる。35年間、日本のプロレスのトップに君臨してきた武藤に、過去と未来を語ってもらった。

「プロレスは芸術だ」。35年たった今も変わらぬプロレスLOVEを語る武藤敬司(撮影・中島郁夫)

武藤は昨年、両ひざに人工関節を入れる手術をして、今年6月26日の長州力引退試合で復帰した。復帰に当たっては代名詞のムーンサルトプレスを封印。その代わりに、新たな武器となるワザに取り組んでいる。

「これからやっていかなきゃいけないのは、ドロップキック。今のオレは、自分にふさわしいワザか、向いていないワザか選別していく作業をしている」

武藤敬司の両膝の手術痕

55歳で両ひざの大手術に踏み切ったのは、現役を続けていく強い気持ちがあったからだ。

「プロレスでしか、自分を表現できない。引退? 今はないよ。できるなら、生涯プロレスをやっていきたい」

そこまでプロレスにこだわる理由は何か。

「朝6時に起きて、9時から練習する。このルーティンをもう何十年も続けている。このルーティンを続けていくためには、試合というものがあって、試合に向かって練習していかないといけない。これがなくなるオレの生活が想像できない」

84年10月7日、同期入門の蝶野正洋戦でデビュー戦勝利。翌年秋には米国武者修行に出された。米国では、その天才ぶりから、多くのプロモーターの注目を集めた。

「デビュー戦から勝って、ムーンサルトプレスを引っ提げて米国に渡った。そこではい上がった。活躍が認められて、メジャー団体から初めてスカウトされた。米国のメジャーからスカウトされたレスラーは、オレが日本で初めてじゃない?」

日本に凱旋(がいせん)帰国してからは、「闘魂三銃士」として一時代を築いた。

「上に長州、藤波、前田。下には馳、佐々木健介がいた。層の厚い時代だった。一見ライバルみたいに見られたけど、オレたちは運命共同体。同じ時代に一緒に団体を引っ張ったんじゃなくて、それぞれが次々に時代をつくっていった。その後、みんなが新日本を離れ、別れてから初めて本当のライバルになったんだ」

6月26日、長州力の引退試合で石井智宏(左下)にフラッシングエルボーを見舞う武藤敬司

56歳で武藤は、これまで築いてきたものとは違う新たな武藤としてのプロレスラー像を模索している。

「ベルトも30本以上巻いて、もう馬場さんよりたくさん取ったから、これ以上タイトルを取る必要はない。オレ自身は楽しんで、見てくれるお客さんとともに楽しい空間をつくれればいい。そして、見ている人を元気にさせたい」

9月1日、35周年記念試合では、カズ・ハヤシ、ペガソ・イルミラルと組んで、TARU、レネ・デュプリ、ゾディアック組と対戦する。この試合で、どのような新しい武藤が見られるか楽しみだ。【取材・構成=桝田朗】

中島翔子 元吉本芸人「147センチの大怪獣」

<プロレスの女>

プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー4回目は、元吉本芸人の東京女子プロレス中島翔子(28)。この5月、デビュー7年目にして団体の顔といえるプリンセス・オブ・プリンセス王座を初戴冠。「147センチの大怪獣」として、さらなるレベルアップに励んでいる。【取材・構成=高場泉穂】

「147センチの大怪獣」こと東京女子プロレスのプリンセス・オブ・プリンセス王者中島翔子

元吉本芸人の中島が自ら衝撃の事実を切り出した。「最近(吉本興業の)騒動があって思い出したんですけど、デビュー戦は“闇営業”だったんです」。高校卒業後、NSCを経て芸人としてデビューしたものの半年で1回のペースで相方が変わるさえない日々。そんな中、先輩芸人に連れられ女子プロレスを観戦し、心がうずいた。旗揚げ間近の東京女子プロレスが選手募集しているのを見つけ「芸の肥やしになればいい」と軽い気持ちで入門した。

「デビュー戦(13年8月)が決まってから事務所に事後報告したんですよ。そうしたら問題になって…。ダブル所属するための話し合いをしていたんですが、プロレスを頑張っても吉本にファイトマネーが吸収されてしまうと思って、きっぱり芸人はやめました」。雪国生まれで長くクロスカントリーをやっていたからか、「運動神経もスタミナも問題ありませんでした」。13年末から東京女子プロレスに専属所属。147センチと小柄ながら派手なムーブで沸かせる中心選手として、団体を引っ張ってきた。

デビュー7年目となる今年、大きな出来事が2つあった。1つは5月に団体の不動のエース山下実優を下し、初のシングル王者となったこと。団体の顔であるプリンセス・オブ・プリンセス王者となり、既に1度防衛したが「まだ実感はわかない」。9月1日には挑戦者瑞希との2度目の防衛戦が待つ。「瑞希は自分よりプロレス経験が長く、華がある」と弱音を吐きつつも、「王者としてやりたいことがあるのでまだ負けるわけにはいかない。自分の土俵に持ち込めばいける」と必勝を約束した。

もう1つは初の海外リングの経験。7月に米国AEWに初参戦。物おじしないファイトで米国ファンを沸かせた半面、反省も多かった。「試合をしながら『足りないな』と感じました。体力もそうだし、技術面でも引き出しが圧倒的に少ないと思った」。試合後にはAEW副社長を務めるケニー・オメガにもアドバイスをもらったという。「『ここはいいけど、ここはすごくダメ』と改善点を指摘してもらった。そこを直したら、もっと上にいけると思えた。収穫がいっぱいありました」。

夢はもっと「あぶないこと」をできる選手になること。トランポリンや床運動で跳躍を磨き、さらに最近は空中感覚を鍛える特別トレーニングも開始。「147センチの大怪獣」はさらに進化する。

東京女子プロレスのプリンセス・オブ・プリンセス王者中島翔子

◆中島翔子(なかじま・しょうこ)1991年(平3)7月19日、新潟県津南町生まれ。高校卒業後、上京し、吉本興業の養成所NSC入り(16期生)。芸人活動中にプロレス観戦したのをきっかけに13年東京女子プロレスに入団。13年8月のDDT両国大会でプロレスラーデビュー。得意技はノーザンライト・スープレックス。147センチ。

激突!? ノア清宮海斗vs日刊ジュニア記者

王者清宮がちびっこと格闘!? 8月4日のプロレスリングノア後楽園大会で日刊スポーツ新聞社主催「ジュニア記者教室」が開催された。試合後、小学校1年生から6年生までの11人のジュニア記者に質問攻めをくらったGHCヘビー級王者清宮海斗(23)はどう答えたのか。そのやりとりを詳報します。【取材・構成=高場泉穂】

試合後、ノア清宮海斗(右)を取材する日刊スポーツのジュニア記者たち(撮影・柴田隆二)

清宮はその日、タッグ戦で杉浦貴に絞め落とされ敗れた。だが、そのふがいない姿から一転、ベルトを手に子どもたちの前にさっそうと登場すると笑顔で「どうぞ」と質問を促した。

-強くなるためにどういう練習をしていますか

清宮 毎日6時間以上は練習しています。腕立て伏せや腹筋とかそういうトレーニングを通常の10倍ぐらい、何千回とかやってるよ。

-どうして技の名前を「タイガースープレックスホールド」にしたんですか

清宮 ぼくが好きな選手(三沢光晴)が使っていた技で、小さい頃からずっと見てきてかっこいいなと思ったから僕も使っているんだよ。

-なんでプロレスラーになろうと思ったんですか

清宮 やられてもやられても立ち上がっていくのがかっこいいから。僕もヒーローになりたいと思ったんだ。

-相手(杉浦)はどのぐらい強かったですか

清宮 めちゃめちゃ強い。できることなら戦いたくない。みんなも嫌いな食べ物あるでしょ。でも食べなきゃいけない。そんな感じ。

清宮海斗(中央)のチャンピオンベルトに触る日刊スポーツのジュニア記者たち(撮影・柴田隆二)

-ノアってなんですか

清宮 夢がいっぱいつまっているところかな。

-どのぐらいごはんを食べているんですか

清宮 肉とか野菜とかいっぱい入ってるちゃんこ鍋を4、5杯。お米も大きい器で2杯ぐらいおかわり。それを毎日食べてます。

-技はどうやって覚えるんですか

清宮 自分の頭の中でやってみたいな、という技を道場で試してみて、それを試合のリング上で出してるよ。

-やりがいを感じることはなんですか

清宮 目立てることかな。リングでは自分が主役になって、声援をもらえる。

-技は痛いですか

清宮 すごい痛い。痛いんだけど、繰り返していくとちょっとずつ慣れていくんだ。

-嫌いな選手はいますか

清宮 拳王という僕と似てる金髪の人がいるんだけど、その人は僕が負けるとすごい言ってくる。あんとき負けたよな、弱いな、って。

-好きな色を教えてください

清宮 緑。僕の好きな選手が緑色のコスチュームを着ていたからです。

-どうして金髪にしたんですか

清宮 いろんな人がいる中でどう目立てるかなと思ったときに、この色にしている人がいなかったからです。

-最初から強い選手だったんですか

清宮 最初から強くないよ。100連敗以上していました。

ノアのチャンピオン清宮海斗(中央)と記念撮影に納まる日刊スポーツのジュニア記者たち(撮影・柴田隆二)

こどもたちの質問を見事にさばいた清宮は「シンプルで、ひねりがない質問っていいですね…」と暗にプロレス記者批判? し、「もっとああいうこどもたちに来てもらえるとうれしいな」と満足そうにジュニア記者たちの背中を見送った。

モクスリー「真剣勝負の場」俺の原点/インタビュー

新日本G1クライマックス29に参戦中のジョン・モクスリー(撮影・高場泉穂)

元WWEのスーパースター、ディーン・アンブローズことジョン・モクスリー(33)が新日本のG1クライマックスに参戦し、輝きを放っている。初めて体験する新日本のリングで感じていること、今後の展望などについて話を聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

◇   ◇   ◇

-プロレスとの出合いは

自分にとってプロレスは逃げ場だったんだ。家は貧しく、現実は不安だらけだった。だから、ビデオやテレビでプロレスを見て、そこに居場所を探してた。プロレスでは強いやつが勝つ。それだけ。そんな世界に憧れて、自分もそこにいたいと思った。16歳で学校を辞めてトレーニングを始め、プロレスの世界に入った。

-WWEを辞めた後、新日本に参戦した理由は

もともと日本のプロレスの大ファンだったからね。自分はくだらないキャラクターを演じるエンターテインメントじゃなく、真剣なプロレスがしたかった。それが俺の原点で、日本のプロレスがそういうシリアスな場所なのは知っていた。WWEの時は、会社に言われた場所に行き、言われたように戦っていた。鎖につながれているのと同じ。今は何をやるにも俺の自由。世界中で戦い、経験、知識を得て、人生を楽しむことができる。

-新日本プロレスは思い描いた通りだったか

いや、だいぶ違っていた。新日本は世界中で最も激しくぶつかりあう真剣勝負の場だ。おどけてダンスを踊るのとはわけが違う。世界のどのプロレスとも違い、新日本で重要なのは戦いに絶対的に集中することなんだ。

-いきなり長いリーグ戦。どう過ごしているか

いい時間を過ごしているよ。自分の体は若くないから回復に努めてる。試合の合間は次の相手の研究をしたり、ストレッチをしたり、けがの手当てをしたり。

-日本のプロレスの聖地である後楽園ホールでも試合したが、どうだったか

神社、寺のような聖地だった。人生の1つの目標が達成できたよ。

-G1の後の予定は。また新日本に参戦できるか

幸い、いまアメリカの団体(AEW)に所属しながら新日本で戦うことに何の問題もない。将来的に、おれはいつでも日本に現れて試合をすることができる。

-来年1・4、5の東京ドーム参戦は頭にあるか

当然、東京ドームではやりたい。G1で優勝すれば、東京ドームのメインで戦える。やるだけだ。

-対戦したい選手は

鈴木みのるとやってみたい。また、斬新でユニークなスタイルを試みるレスラーなら誰とでも対戦してみたい。日本にはそんなレスラーがいっぱいいる。

-ファンに向けて一言

日本のファンは世界一だ。尊敬するし、本当にありがたい。彼らの前でプロレスができることを誇りに思う。みんな歓迎してくれて、そしてキャンバスで戦わせてくれてありがとう。

◆ジョン・モクスリー 1985年12月7日、米オハイオ州シンシナティ生まれ。04年6月、HWAでデビュー。11年にWWE入団。リングネームをディーン・アンブローズに変え、12年からローマン・レインズ、セス・ロリンズとともに「ザ・シールド」を結成して大活躍。19年4月に退団。5月にAEWと契約を結ぶとともに、新日本への参戦を発表した。得意技はデスライダー(WWEではダーティ・ディーズ)。妻はWWEのキャスター、ルネ・ヤング。188センチ、102キロ。

全日本プロレス旗揚げ47年目 新体制で新たな歩み

旗揚げ47年目を迎える全日本プロレスが、新たな道を歩み出した。7月10日付でオーナーの福田剛紀氏(53)が社長に就任。秋山準前社長(49)は現場最高責任者のGMとなった。新体制となった全日本プロレスの今後の展望について、福田新社長と秋山GMに話を聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

全日本プロレスのさらなる発展を目指す福田剛紀新社長(左)と秋山準GM

大の全日本ファンだった福田社長がトップに就くことは必然だったのかもしれない。小学校4年生で賞をとった作文の題は「プロレスを見にいったこと」。デストロイヤーにサインをもらったうれしさを書いたものだった。全日本との接点ができたのは約7年前。経営している都内のビルにテナントとして全日本が入ったことから。15年12月に筆頭株主となって以来、オーナーとして裏方で経営を支え、今回満を持して秋山から社長の座を引き継いだ。

「電柱看板の仕事をしていまして、一生看板屋さんで終わるのもいやだなと思っていました。人生後半にひと花咲かせられないかなと。この年になってかなうとは感慨深いです。でも責任は重大。全日本の灯を消しちゃいけない」。培ってきた経営術と愛情で全日本のさらなる発展を目指す。

新体制に踏み切ったのはこの5年で経営がジリ貧状態から右肩上がりに転じたから。それでも「まだまだ厳しいところもたくさんある」と秋山GMは正直に明かす。「いまうちの(ツイッター)フォロワー数が2万ちょっと。その中でもしっかり見てくれているのは10分の1ぐらいだろう。それを増やしていかないと」。昨年3月から始めた動画サービス「全日本TV」の契約者数も「まだ十分ではない」(福田社長)。広告、SNSを通じてさらなるファン拡大に努めるほか、英語版の動画の配信も検討中。世界中のファン獲得に向け、情報量を増やして行く予定だ。

来年、新日本プロレスは東京ドーム2日連続興行、DDTはさいたまスーパーアリーナ大会実施と攻めの姿勢を打ち出している。だが、全日本はこの2年間を「足固め」にするという。秋山GMは「ちょっと前に冒険したこともあったけど、大変だった。それより後楽園でお客さまを着実に増やしていくほうがいい。今は宮原(健斗)がいて、ジェイク(リー)、野村(直矢)らが並ぶぐらいになれば」。福田社長も「いずれは武道館で、という思いはあるが、時期がきたら」と慎重な姿勢を示した。

リングのさらなる充実も課題だ。秋山GMは「うちの選手は言葉の力が足りない」と課題を挙げた。「俺だったらもっとこういう風に言うのに、というのがたくさんあるんですよ。でも四六時中言うわけにもいかないし、教えても俺の言葉になってしまう。個々の自覚に任せるしかない。アンテナをもっと広げて、他の選手の言葉を拾ってキャッチボールしてほしい。そうすれば試合ももっと面白くなる」。激しい戦いはそのままに、さまざまな方策で新たな全日本プロレスを築く。

KENTA「充実しています」G1の夏に燃える

今年1月にWWEを退団したKENTA(38)が、新日本プロレスのG1クライマックスに初参戦している。4戦を終え、得意の打撃を武器に無傷の4連勝と好調。初体験の新日マットの感触や、再起にかける思いを聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

日本でのリングは5年ぶり、「G1クライマックス29」に帰ってきたKENTA(撮影・酒井清司)

「自分のやりたいプロレスをやりたい」。それがKENTAがG1に参戦する理由だ。14年、ノアを退団し移ったWWEでの新リングネームは「イタミ・ヒデオ」。「いつかそう呼ばれることに慣れるだろうと思っていたけど、最後までしっくりこなかった(笑い)」。けがなどもあり、WWEでは思うようなプロレスができず今年1月に退団。次の戦いの場に新日本プロレスを選んだのは世界に発信力があるから。ここで再起のチャンスを狙う。

米ダラスでのG1初戦は昨年準優勝の飯伏幸太。世界中のファンが注目する中、必殺技go2sleepで勝利した。約半年ぶりの実戦。ブランクは感じつつも「今までの思うようにいかなかった数年間の思いをぶつけようという思いでやりました」。初対戦だった飯伏とのタフな試合を制し、鮮烈な新日デビューを果たした。

14日、棚橋弘至にスワンダイブ式ドロップキックを放つKENTA(左)

エース棚橋、巨人アーチャー、EVILも下し開幕4連勝。最高の滑り出しだが、残る試合もオスプレイ、SANADA、オカダと初顔合わせの強敵が並ぶ。「どういう試合になるのか予想もつかない」。全員を警戒した上で、ポイントと定めるのが27日名古屋でのIWGPヘビー級王者オカダ戦。「米国にいた時、また新しい才能が出てきたと思ったのを覚えている。全勝で(オカダ戦に)臨めればいい」。新日本の顔を倒せば、この上ないアピールになる。

連戦のきつさはあるが「充実しています」と笑顔で語る。自宅は米フロリダにあるが、G1中は日本に長期滞在。「すぐいけばコンビニがあって便利だったり、ココイチ(カレーチェーン店)もある。巡業でも久しぶりに行くところが多くて楽しみ」と久しぶりの日本生活を堪能している。

インタビューで笑顔を見せるKENTA(撮影・酒井清司)

ファンの歓迎と拒否。さらに5年前の自分と比べて見られていることも感じている。「期待に応えたいとは思う。自分でも自分に期待している。5年前にやっていたようなことをやりたいとは思いますけど、その後の5年も、自分のなかでは無駄な時期ではなかった。そこで学んだもの、得たものをプラスαで出していきたい」。G1後のプランは考えているが、「ここでなにかを残さないと次はないと思っている」。すべてを出し尽くす覚悟で、残る試合を完走する。

デビュー20年、女性レフェリー李日韓の「流儀」

<プロレスの女>

プロレス界の輝く女性たちを紹介するコーナー3回目は、フリーのレフェリー李日韓(44)。99年に大日本プロレスでデビューしてから今年で20年。唯一無二の名レフェリーにその半生を語ってもらった。【取材・構成=高場泉穂】

6月、全日本プロレス後楽園ホール大会 カウントを取る女性レフェリー李日韓(撮影・河田真司)

白黒タテジマの衣装に髪を後ろにまとめたスタイル。柔らかな雰囲気の李がリングに上がると、その貫禄で一気に緊張感がみなぎる。試合中はハスキーなボイスで選手の名前を呼び、激しい技の応酬には苦しそうに顔をしかめる。反則には毅然(きぜん)とした態度で怒号を発し、試合後は選手を笑顔でたたえる。すべては「お客さんが楽しめるように」。喜怒哀楽豊かな李につられて、見ている側も思わず心を揺さぶられる。

99年に大日本でレフェリーデビュー。翌00年からはデスマッチもさばくようになり、大日本を代表する名レフェリーに成長。16年に独立してからは、全日マットを中心に、海外にも活動の場所を広げている。「全日本に出始めた時は『女があがるリングじゃない』とSNS上で言われたこともありました。でも、私はこれが仕事。女だから、と悲観してみられたらだめだなと思っています」。

新米時代、元大日本で現新日本の本間朋晃からは「体を鍛えろ」。大日本の伊東竜二からは「泣くなら、リングからおりろ」と助言を受けた。その教えを今も守り、「思いきり(リングを)たたける体をつくらないと」と、トレーニングは欠かさない。確かなプライドを胸に男たちの戦いを20年間さばき続ける。

胸に刻む一戦がある。09年11月20日、後楽園ホールでの葛西純対伊東竜二。デスマッチ界トップ2人の対戦に聖地は満員札止め。残り15秒で葛西が制した死闘はその年のプロレス大賞年間ベストバウトに選ばれた。そのレフェリーを務めたのが李だった。受賞後、葛西には食事をごちそうされ、伊東からは賞金をそのままもらった。

「おれたちがすごいんじゃない。あれは3人でとった賞だからと2人が言ってくださった。試合の後、記憶に残る選手とレフェリーになろう。そのために、あの試合を塗り替えていかないといけない。がんばって努力しよう、と3人で話をしました」

6月、全日本プロレス後楽園ホール大会で選手のかけ技に驚きの表情を浮かべる女性レフェリー李日韓

20年間のレフェリー生活でさばいた試合数は「4ケタ以上」。それでも李は「まだまだです」と謙遜する。現在主戦場とする全日本では名物レフェリー和田京平から多くのことを学んでいるという。

「大日本でお世話になった16年間を恩返しするために、野心を忘れず、もっと有名になりたい。もっと海外もみてみたい」

唯一無二のレフェリー人生はまだまだ続く。

◆李日韓(り・にっかん)1975年(昭50)4月15日、滋賀県生まれ。高校卒業後、岐阜、愛知地区タウン誌ライター。インディ団体「世界のプロレス」スタッフ、週刊ゴングのアルバイトを経て、99年に営業兼レフェリーとして大日本プロレス入り。16年からフリー。157センチ、65キロ。

「大鵬3世」納谷幸男、プロレスラーとして生きる

未完の大器がいよいよ目覚めるか-。5月にリアルジャパンからDDTに移籍した「大鵬3世」納谷幸男(24)が、15日の大田区大会で因縁の鈴木秀樹(39=フリー)とシングルで対戦する。3月に鈴木とタッグ戦で対戦し、惨敗。厳しい言葉を浴びせられたのが移籍の1つのきっかけとなった。環境が一変した納谷に、現在の生活や鈴木戦への思いを聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

2メートルを超える長身でポーズを決める納谷幸男(撮影・中島郁夫)

「ほとんど休みがないです」と話す納谷はうれしそうに見えた。練習、移動、試合の繰り返し。そんなプロレスラーとして当たり前の日々が今は何よりの喜びだ。リアルジャパン在籍時は格闘技の練習が基本。リングでの練習はほとんどなかったという。試合も他団体への参戦を含め年間10戦程度。身長2メートル超の恵まれた体を持つ「大鵬3世」として注目を浴びる分、実力とのギャップに悩まされてきた。「お客さんの反応を見てもそうだし、自分でも分かっていた。ずっとこのままじゃいけないと思っていました」。この5月、覚悟を決め、DDTに電撃移籍した。

17年12月、雷神矢口(左)にハイキックを放つ納谷幸男

19年3月、2人に対し技を仕掛ける納谷幸男(中央)

今はほぼ毎日、御茶ノ水の道場で練習生や先輩と汗を流し、加えて、週3、4度のペースでグラップリング世界王者タカ・クノウの指導のもと、ウエートトレーニングに励む。「ずっとリングで練習したいと1年前ぐらいから考えていて、今はそれができている。楽しいです」。渇きを癒やすように、プロレスにどっぷり漬かる日々を過ごす。

15日に控える大田区体育館でのビッグマッチでは、因縁の鈴木と初シングルマッチを行う。鈴木とは3月に対戦し、手も足も出ずに完敗。「心技体すべてがなっていない。ゼロからやり直せ」と厳しい言葉を浴びせられた。「あの時はなんもできなかった。終わったあと、自分で『これはだめだな』と思いました」。ぐうの音も出ない試合内容と言葉が、移籍のきっかけの1つにもなった。

大鵬の書が記されたTシャツを披露する納谷幸男(撮影・中島郁夫)

やることは決めている。「前回あれだけボコボコにやられて、絶対勝てます、いい試合をしますとは言えないです。前回は気持ちの部分で負けていた。本当は足にしがみつくぐらい必死にやるべきだった。それもできなかったのが悔しい。全てにおいて鈴木選手とは大きな差がある。なにか1つでも、気持ちの部分だけでも、食らいついていこうと思います」。プロレスラーとして生きていく。その覚悟を鈴木にぶつける。

識者に聞くG1クライマックス注目カードと見どころ

新日本プロレスの真夏の祭典「G1クライマックス」が6日(日本時間7日)に米ダラスで開幕する。今年は元WWEのジョン・モクスリーやKENTAら初出場が4人、ジュニア選手も含めた多彩な20人がそろった。29度目の夏を誰が制するのか。識者3人に注目のカードと見どころを聞いた。【取材・構成=高場泉穂】

新日本プロレス「G1クライマックス」の日程表

◆斎藤文彦氏(57、プロレス評論家、ライター。在米中の81年からプロレスを取材。WWEの解説を務めるなど米プロレスの専門家)

★Aブロック テーマは「KENTAの夏物語」。KENTA対オカダ、棚橋、オスプレイ、飯伏の4試合はいずれも単純にだれでも見たい試合だ。KENTAの新日本でのポジションを決定づける夏の本場所。また、Aブロックの隠れテーマは、天才オスプレイの覚醒。

★Bブロック 初出場のモクスリー対内藤、ジェイ、石井、鷹木の4試合に注目したい。モクスリーは大物のノルマとして、Bブロック最多得点を。シングルマッチ全90試合はプロレス・スタミナの闘い。決勝戦はオカダ対モクスリーあたりか?

6月9日、リング上でマイクパフォーマンスするKENTA

6月9日、テレビカメラに向かってパフォーマンスするモクスリー

オカダ・カズチカ

◆原悦生氏(64、スポーツカメラマン。40年以上プロレスを撮り続ける)

★Aブロック 前回決勝カードの棚橋対飯伏に注目したい。去年も棚橋は満身創痍(そうい)で動けなかった。だが、セコンドに柴田を携えた決勝だったから、飯伏相手に思いきり飛べた。今度は平場のリーグでの対戦。その中でどこまで動けるか興味深い。

★Bブロック 内藤対モクスリーは、かみ合わなそうな気がする(笑い)。お互いのやりたいことをやった時に、どんなプロレスが展開されるか、想像つかない。楽しみ。

飯伏幸太

ラリアットを放つタイチ

内藤哲也(右)

ヒップアタックで攻める棚橋弘至

◆小佐野景浩氏(57、プロレス評論家、ライター。元週刊ゴング編集長)

★Aブロック KENTA対オカダはイメージできない面白さがある。KENTAにはどうしても古巣ノアを見てしまう。一方のオカダは4月のMSG大会で新日本のエースとして米国、世界にアピールした。新日本、ノア、WWE、世界…と2人が背負うさまざまな背景を感じられる一戦。

★Bブロック タイチ対内藤戦を挙げたい。タイチは、6月9日大阪大会のNEVER無差別級タイトル戦で石井にベルトを奪われたが、キャラクターの底にある武骨なプロレスがかいま見えた。石井との再戦に加え、昨年ヘビー級転向のきっかけとなった内藤との戦いで本質を見せてほしい。2月のIC戦とはまた違った展開を期待する。

◆試合方式 すべて30分1本勝負。得点は勝ち2点、引き分け1点、負け0点。ブロック1位同士が8月12日に優勝決定戦。得点は直接対決の勝者が上位。1位が複数で直接対決の優劣がつかない場合は優勝決定戦進出決定戦を行う。

全日本「最高男」宮原健斗、入場は安室奈美恵参考に

<プロレスラーの相棒>

「相棒」シリーズ第3回は全日本プロレスの「最高男」こと3冠ヘビー級王者宮原健斗(30)の入場曲「BREAK HEART」。派手で、やたら長い入場へのこだわりについて聞きました。【取材・構成=高場泉穂】

派手なパフォーマンスで入場する宮原(撮影・河田真司)

-曲を使い始めたのはいつからですか

健介オフィスにいた13年頃にヒールターンをしまして、その時に曲ができました。悪くて、クールっぽくして欲しいと依頼してできました。

-14年に全日本に移籍。曲を変えなかった

プロレスラーが入場曲を変えるのは好きじゃなくて。お客さんに浸透するまで使い続けないとと思っていました。今はみなさんに頭から離れない、と言われます。

-だいぶ長い時間をかけて入場する今のスタイルはいつから

ここ1年ぐらいじゃないですかね。もともと歌手のライブが好きで、お客さんにインパクト残せないかなと。入場の長い人として忘れられない選手になれれば、とある日ふと思いつきました。前は今の半分ぐらい、1分半ぐらいですよ。全日本プロレスらしくない、というのもはじめたきっかけの1つですかね。ああいう入場は男くさい全日本のプロレスの伝統からいったら、外れてるんですよ。でも、そこにチャンスを見いだしたんですよね。らしくないほうが目立てる、と。人と違うことしないと目立てないので。

-参考にしているのは

安室奈美恵さんですね。ライブの動画をみて「聞こえないなぁ」って耳に手をあてて、やるじゃないですか。ああいうお客さんとのやりとりとか使えるなと。

-ダンスもうまい

もともとラテン系の血が3割ぐらい入ってるんじゃないですか。リズム感あるんですよ。その時、体が感じたまま動いていることが多いです。

-入場時の「ケント」コール。自然発生したんですか

いや、3年前ぐらいに完全に自分から発信しました。ツイッターやブログでケントコールや、マイクのコールアンドレスポンスのやりかたとか説明しているんですよ。ここ1、2年で好きになってくれた方は知らないと思いますが、全部自分で説明してます。それをやってくださる方が増えてきたという感じです。

-目標にする選手はいますか

ハルク・ホーガンですね。小学校2年生の頃からずっと好きです。自然と体にホーガンが染みこんでいるから、そういう動きが出ちゃう。彼はスーパースター。見た瞬間、カリスマ性がある。入場だけで金が取れるレスラー。僕もいつか試合しないで金を取りたい。そんなレスラーになりたいです。

入場パフォーマンスへのこだわりを語った宮原健斗(撮影・中島郁夫)

◆宮原健斗(みやはら・けんと)1989年(平元)2月27日、福岡市生まれ。08年2月健介オフィスでデビュー。14年1月に全日本入団。16年2月に史上最年少の26歳で3冠ヘビー級王者となる。3冠ヘビー級は第55、57、60、62代王者。19年チャンピオンカーニバル優勝。得意技はシャットダウン・スープレックスホールド。186センチ、102キロ。