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【猪木さん死去】坂口征二戦“黄金コンビ”初のシングル対決ほか/名勝負ベスト30&番外編

1976年、アントニオ猪木(右)を絞める坂口征ニ

元プロレスラーで参議院議員も務めたアントニオ猪木さんが1日午前7時40分、都内の自宅で心不全のため亡くなった。79歳だった。力道山にスカウトされ1960年(昭35)に日本プロレスでジャイアント馬場さん(故人)とともにデビュー。72年に新日本プロレスを旗揚げし、プロボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦など数々の名勝負を繰り広げた。思い出の名勝負を振り返る。

   ◇   ◇   ◇

【アントニオ猪木・思い出の名勝負・ベスト30】

<1>タイガー・ジェット・シン戦(74年6月26日、大阪府立体育会館)猪木は6日前にシンの火炎攻撃で左目をやけどしていた。同じ3本勝負のこの試合もシンの鉄柱攻撃などで1本目は両者リングアウト。大流血した猪木は2本目に怒りが爆発。執拗(しつよう)なショルダー・アームブリーカーでシンの右腕を折った。最後は外国勢総出で試合を止め、猪木のTKO勝ちとなった。

<2>ストロング小林戦(74年3月19日、蔵前国技館)国際プロレスのエースで、IWA王者だった小林との一騎打ちは「昭和の巌流島の決闘」と注目され会場は満員札止め。試合は団体のプライドをかけたエース同士の息詰まる攻防の末、猪木が原爆固めで勝利。第1回プロレス大賞の年間最高試合に選出された。

<3>ドリー・ファンク・ジュニア戦(69年12月2日、大阪府立体育会館)猪木が当時世界最  高峰と呼ばれたNWA王者ドリー・ファンク・ジュニアに初挑戦。試合巧者の王者に真っ向勝負を挑み、3本勝負だったが1本も許さず、60分フルタイムドロー。王座奪取はならなかったが、猪木の高い潜在能力を世界に示した一戦だった。

<4>ウィリアム・ルスカ戦(76年2月6日、日本武道館)72年ミュンヘン五輪の柔道で重量級と無差別級を制したルスカと、初の異種格闘技戦に臨んだ。ルスカの投げや絞めなどの柔道技に、猪木はエルボーなどの打撃技やコブラツイストで応戦。最後はバックドロップ3連発で金メダリストをマットに沈めた。

<5>アンドレ・ザ・ジャイアント戦(76年10月7日、蔵前国技館)「格闘技世界一決定戦」と銘打って行われた一戦。開始から2メートル23、230キロの大巨人のパワーに圧倒されたが、リバース・スープレックスでアンドレを投げるなど応戦。最後はパンチ攻撃と、鉄柱への頭付きの誤爆を誘うなど、アンドレが額から大流血したため猪木のTKO勝ちとなった。

<6>ザ・モンスターマン戦(77年8月2日、日本武道館)全米プロ空手の世界ヘビー級王者と3分10回ルールで対戦。多彩なパンチとキックに苦められたが、ナックルパンチで逆襲すると体ごと持ち上げて頭からリングにたたきつけ、とどめのギロチンドロップを浴びせて失神KO勝ち。猪木の異種格闘技戦の中でも屈指の名勝負と言われている。

<7>スタン・ハンセン戦(80年9月25日、広島県立体育館)猪木はハンセンと何度も名勝負を繰り広げてきた。猪木のNWFヘビー級王座をかけたこの試合は10分すぎ、ハンセンが必殺技のウエスタンラリアットに合わせて、ジャンプして左腕でラリアットをたたきつけた。猪木が「逆ラリアット」として語り継がれる一戦になった。

<8>ビル・ロビンソン戦(75年12月11日、蔵前国技館)“人間風車”の異名を取ったロビンソンとのテクニシャン同士の一戦は“夢の対決”として話題になった。猪木は3本勝負の1本目は逆さ抑え込みで奪われたが、2本目に卍(まんじ)固めを決めたところで時間切れ引き分けとなった。この試合を猪木のベストファイトに挙げる声が多い。

<9>ウィリー・ウィリアムス戦(80年2月27日、日本武道館)極真空手の強豪で“熊殺し”の異名を取ったウィリアムスとの一戦は試合前から殺気立っていた。4回に猪木がウィリアムスに腕ひしぎ逆十字固めを決めた状態で両者場外に転落すると、両陣営が乱入して大混乱となり、猪木は肋骨(ろっこつ)、ウィリアムスは左ひじを負傷して、両者ドクターストップの裁定が下された。

<10>ハルク・ホーガン戦(83年6月2日、蔵前国技館)第1回IWGP決勝戦で猪木はパワーで上回るホーガンに圧倒された。バックドロップで後頭部を痛打し、場外で背後からホーガンの必殺アックスボンバーを浴びて鉄柱に激突。最後はリングに入ろうとしたところを再びアックスボンバーを直撃され場外に転落。失神したまま起き上がれず、病院送りとなった。

<11>ムハマド・アリ戦(76年6月26日、日本武道館)「世紀の一戦」と呼ばれたプロボクシング世界ヘビー級王者との異種格闘技戦。猪木は多くのプロレス技が禁じられた不利なルールの中、リングに転がって蹴りを繰り出し続けたが、最後までかみ合わず、ヤマ場もなく15回引き分けに終わった。「世紀の茶番劇」と酷評された。

<12>カール・ゴッチ戦(72年10月4日、蔵前国技館)3月の新日本旗揚げ戦でゴッチに敗れた猪木は、この試合でもパワーと老かいな技に苦戦するが、場外で原爆固めを浴びた直後にゴッチより一瞬早くリングに戻り、リングアウト勝ちで恩師でもあるゴッチから初勝利を収めた。この試合は「実力世界一決定戦」と銘打って行われた。

<13>ボブ・バックランド戦(79年11月30日、徳島市体育館)WWFヘビー級王者バックランドへの3度目の挑戦。猪木は18分すぎにバックドロップからの体固めで勝利を収め、日本人初のWWF王座奪取に成功した。しかし、猪木は6日後の再戦がタイガー・ジェット・シンの乱入でノーコンテストになったことに納得いかず、王座を返上した。

<14>ブルーザー・ブロディ戦(85年4月18日、両国国技館)全日本から移籍したブロディとの一騎打ちに猪木は気合十分だった。延髄斬りや卍固め、バックドロップと得意技を連発。ブロディのパワフルな攻撃を真っ向から受け止めた。最後は両者リングアウトに終わったが、猪木の底力をあらためて示した一戦だった。

<15>藤波辰巳戦(88年8月8日、横浜文化体育館)IWGPヘビー級王者の藤波に猪木が挑戦した。45歳の猪木は「負けたら引退」とも言われていた。試合は目まぐるしいグラウンドの攻防が続き、ストロングスタイルの原点のような試合に。結果は60分時間切れの引き分け。師匠超えはならなかったがこの一戦は藤波にとってもベストファイトの一つである。

<16>ジョニー・パワーズ戦(73年12月10日、東京体育館)米ニューヨークの新興団体NWF王者パワーズを招へいして挑戦。3本勝負の1本目はコブラツイストで先取。2本目は王者の必殺技8の字固めに屈したが、3本目に卍固めで勝利。新日本旗揚げ後、初めて手にした世界タイトルは猪木の代名詞となる。

<17>クリス・マルコフ戦(69年5月16日、東京都体育館)第11回ワールドリーグ戦の決勝トーナメントで対戦。マルコフのラフファイトに流血の苦戦を強いられたが、最後は卍固めで逆転勝ち。もう1試合は馬場とボボ・ブラジルが引き分けていたため、猪木の初優勝が決定。ライバル馬場に肩を並べた。

<18>アクラム・ペールワン戦(76年12月12日、パキスタン・カラチナショナルスタジアム)アリ戦で有名になった猪木は、パキスタン英雄ペールワンからの挑戦状に応じた。3回にチキンウイングアームロックを決めたが相手がギブアップしなかったため、そのまま腕を折り、最後はレフェリーストップ勝ちとなった。

<19>長州力戦(84年8月2日、蔵前国技館)維新軍のリーダーに君臨する長州との一騎打ちは、新旧エースの意地がぶつかった名勝負になった。猪木の原爆固め、長州のサソリ固めと大技も応酬。最後は猪木がリキラリアットをかわしてグラウンドコブラで30分近く続いた激闘に決着をつけた。

<20>マサ斎藤戦(87年10月4日、山口県・巌流島特設リング)観客、レフェリー不在で完全決着をかけた一戦。リング上での技の応酬から、いつしか戦いの場はリング外の芝生に移った。すっかり日も落ち、かがり火の中で戦いは続き、最後は猪木が裸絞めで斎藤を絞め落とし決着。開始のゴングから2時間5分14秒が経過していた。

<21>坂口征二戦(74年4月26日、広島県立体育館)新日本の“黄金コンビ”の初のシングル対決。新日本移籍前は日本プロレスのエースだった坂口との一戦は互いのプライドをかけた好試合に。坂口がアトミックドロップなど大技を繰り出せば、猪木は華麗なレスリングテクニックで応戦。30分で勝負がつかなかった。

<22>グレート・ムタ戦(94年5月1日、福岡ドーム)猪木は開始からムタの毒霧や場外戦に巻き込まれて大苦戦した。鉄柱攻撃で額からも流血したが、側転エルボーを間一髪かわして、チョークスリーパーからフォールを奪って逆転勝ち。全盛期は過ぎていたとはいえ、キャリアと勝負勘で勝利をもぎ取った。

<23>ルー・テーズ戦(75年10月9日、蔵前国技館)力道山とも激闘を演じた元NWA王者を迎えてのNWF王座防衛戦。若手時代には5分足らずで完敗していた。開始早々、テーズのバックドロップを浴びるなど59歳の元王者の意外なスピードと技術に苦戦したが、最後はサイドからの岩石落とし固めで勝利を収めた。

<24>ローラン・ボック戦(78年11月26日、西ドイツ・シュツットガルト)欧州遠征でメキシコ五輪レスリング代表の肩書を持つ未知の強豪ボックに、猪木はスープレックスで投げられ続けた。突破口も見いだせずに0-3の判定負け。試合は「シュツットガルトの惨劇」と言われ、今もボックは猪木の対戦相手の中で最強という声が根強い。

<25>ショータ・チョチョシビリ戦(89年4月24日、東京ドーム)初の東京ドーム興行のメインで柔道五輪金メダリストと、ロープのない円形のリングで対戦。バックドロップをはじめ、猪木の技は次々と受け流され、5回に裏投げの連発を食ってKO負け。猪木が異種格闘技戦で喫した初めての黒星だった。

<26>天龍源一郎戦(94年1月4日、東京ドーム)猪木がチョークスリーパーで天龍を失神させるなどすごみを見せつけた。最後は天龍のパワーボムでフォールを奪われたが、勝敗を抜きにした名勝負になった。この勝利で天龍は馬場と猪木の2人からフォールを奪った唯一の日本人レスラーとして名を挙げた。

<27>大木金太郎戦(74年10月10日、蔵前国技館)猪木のデビュー戦の対戦相手で1度も勝てなかった大木をNWF王座の挑戦者に迎えた。大木の1本足頭突きを何度も浴びて流血した猪木は、ナックルパートをカウンターで額に打ち込んで反撃。最後はバックドロップで仕留めた。

<28>ドン・フライ戦(98年4月4日、東京ドーム)猪木の引退試合。総合格闘家のフライをグラウンド技、スリーパーなどプロレス技で圧倒。さらに延髄斬り、ナックルパートで追い込み、得意のコブラツイストで捕まえると、そのままグランドコブラに移行して、最後の舞台を勝利で締めくくった。

<29>ヒロ・マツダ戦(78年12月16日、蔵前国技館)新日本所属選手とフリー選手が出場したプレ日本選手権の決勝戦で対戦。海外を主戦場とするフリー選手のリーダーのマツダは、猪木と同じストロングスタイルが身上。コブラツイストの掛け合いなど玄人受けする試合になったが、猪木が卍(固めで決着をつけた。

<30>前田明(名前は当時)戦(83年5月27日、高松市民文化センター)後にUWFでカリスマとなる前田との唯一の一騎打ちは、IWGP決勝リーグで実現。欧州から凱旋(がいせん)帰国した若き前田がキックや三角絞め、原爆固めと華麗な技を繰り出すと、猪木も得意の弓矢固めなどで応戦。最後は卍固めでペースを握った猪木が、延髄斬りで仕留めた。

番外編

◆馬場、猪木-ビル・ワット、ターザン・タイラー戦(67年10月31日、大阪府立体育会館)ジャイアント馬場とのタッグでインターナショナル・タッグ王座に挑戦。2-1で勝利を収めて王座奪取に成功した。日本プロレスで一時代を築いた馬場と猪木のタッグ“BI砲”の初戴冠試合。71年12月までコンビは絶大な人気を博した。

◆チャック・ウェップナー戦(77年10月25日、日本武道館)アリにも挑戦した経験のある実力派白人ボクサーとの異種格闘技戦。グローブを着用した猪木はウェップナーの強烈なパンチを浴びてダウンしたが、アリ戦とは違って立って勝負を挑み、6回に延髄斬りからチャンスをつかみ、逆エビ固めで勝利を収めた。

◆グレート・アントニオ戦(77年12月8日、蔵前国技館)かつてバスを引っ張って動かす怪力パフォーマンスで注目され、力道山とも対戦したアントニオは、来日して再びバスを引っ張るパフォーマンスで怪力健在をアピールしたが、試合は顔面にキックを連発して流血させた猪木がわずか3分49秒でKO勝ちした。

◆上田馬之助戦(78年2月8日、日本武道館)リングの周囲に4万本の五寸くぎが突き出た板を敷き詰めて対戦した史上初の『くぎ板デスマッチ』。上田が猪木の延髄斬りで、猪木が上田のストンピングでリング下へ落下寸前のピンチはあったが大事には至らず。最後は猪木がアームブリーカーを連発。上田のセコンドのシンがタオルを投入。

◆馬場、猪木-タイガー・ジェット・シン、アブドラ・ザ・ブッチャー(79年8月26日、日本武道館)オールスター戦で新日本の猪木と全日本の馬場が8年ぶりにタッグを結成。両団体のトップ外国人とタッグで対戦し、猪木がシンからフォールを奪った。試合後「次でリングで会うときは戦う時だ」と対戦アピールした猪木に、馬場も「よし、やろう」と応じた。

◆ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇戦(82年11月4日、蔵前国技館)猪木が1人で崩壊した国際プロレスの3選手を相手にした。寺西からギブアップ、浜口からフォールを奪ったが、最後に残った木村のパワーに圧倒され、片足をロープにかけたまま場外に出た上体を起こせず、リングアウト負けを喫した。

◆ビッグバン・ベイダー戦(87年12月27日、両国国技館)猪木は当初予定された長州力との一騎打ちに反則勝ちを収めた後、来場して対戦を迫ったベイダーの要求を受けたが、パワーで勝るベイダーに圧倒されて3分足らずでフォール負けした。試合後、想定外の事態とお粗末な内容に激怒したファンが、国技館の升席やイスを破壊するなど暴動が起きた。

77年、タイガー・ジェット・シン(下)の足を決める猪木
1980年2月、ウィリー・ウィリアムスを攻めるアントニオ猪木
1974年3月、ストロング小林(手前)をバックドロップで破るアントニオ猪木
72年3月、新日本旗揚げ戦、アントニオ猪木(奥)のヘッドシザースを倒立でかわそうとするカール・ゴッチ
98年4月、新日本東京ドーム大会での引退試合でドン・フライ(左)に延髄斬りを浴びせる
76年6月26日、アリにキックを放つ猪木

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北青鵬を「役力士」に 地元北海道内企業有志が支援組織結成へ

初場所8日目で水戸龍を寄りきる北青鵬

大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の新入幕が確実視される札幌市出身の十両2枚目、北青鵬(21=宮城野)に、心強い地元支援組織が立ち上がろうとしている。道内の民間企業の有志十数人が中心となり「北海道から未来の役力士を」と期待を寄せる、身長2メートルの有望株をサポートをしていく。

発起人で会社員の戎谷(えびすたに)侑男さん(76)は「2月上旬にも素案を作成して組織を立ち上げる予定。ルールやしきたりなどを学びながら、本場所応援企画など具体的な策を詰めていきたい」と話す。戎谷さんらは昨春「北海道銭函会」として北青鵬の幟(のぼり)を部屋に提供しているが、今回は組織名も新たに化粧まわしの贈呈も検討している。

北青鵬はモンゴル生まれで幼少期から両親とともに札幌へ。宮城野親方(元横綱白鵬)が滝川市の観光大使を務めていた時に出会ったのが、角界入りを目指すきっかけとなった。戎谷さんは幼少期から接しており「まさか、こんなに大きくなるとは本当に驚き。(新十両の弟弟子)落合もすごいですが、切磋琢磨(せっさたくま)して盛り上げていってほしい」とエールを送る。

初場所千秋楽では朝乃山とぶつかり、星は伸ばせなかったが、9勝6敗と勝ち越して新入幕へ大きく前進した。戎谷さんは「さすが大関経験者ですね。でも勝ち負けよりも、ああいう経験ができたのは今後につながります。将来が楽しみ。出世とともに応援組織も大きくしていきたい」と抱負を口にした。【奥村晶治】

北海道銭函会から寄贈された北青鵬ののぼり
部屋の前で宮城野親方(左から3人目)と記念撮影に応じる十両北青鵬(右端)。左から十両炎鵬、十両石浦、1人おいて先代宮城野親方の間垣親方(22年8月撮影)

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東大出身の須山が相撲教習所卒業 残るは東大卒業だけ、4万字の卒業論文の結果次第

相撲教習所を卒業した須山(前列左から4人目)ら(日本相撲協会提供)

大相撲史上初の東大相撲部出身の須山は26日、相撲教習所を卒業し「より一層相撲に集中していきたいです」と誓った。

残るは東大の卒業だけ。場所前に提出した4万字の卒業論文の結果次第で決まる。来月には口頭試問が待ち受け、これをクリアすれば卒業はほぼ確実だ。「大学も卒業できると良いですね」と前を向いた。

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【日刊バトル大賞】那須川天心が2年ぶり2度目MVP、読者投票での得票は驚異の約76%

那須川天心(2022年8月4日撮影)

<日刊バトル大賞:格闘技部門>

“神童”那須川天心(24)が、日刊バトル大賞格闘技部門で2年ぶり2度目の最優秀選手に輝いた。ニッカンスポーツ・コムで実施した読者投票では、RIZIN王者の伊沢星花、ホベルト・サトシ・ソウザらを抑え、驚異の約76%の票を獲得した。無敗の42連勝でキックボクシングから卒業。今年からプロボクシングのキャリアを開始する。

予想を上回る結末だった。昨年6月に東京ドームで行われた「世紀の一戦」ザ・マッチで、元K-1の3階級制覇王者の武尊から判定5-0で勝利。8年越しで対戦が実現した宿敵を撃破し「格闘技も捨てたものじゃない。それを日本中に伝えられた」と、キック最強を証明した。

いよいよ第2章が幕を開ける。前WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太ら世界王者12人を輩出した名門・帝拳ジムで、来るデビューに向けて虎視眈々(たんたん)と準備を進めている。昨年11月には米・ロサンゼルスでスパーリング中心のキャンプを敢行。「一番下からのスタート」と謙遜するが、可能性は無限大。今月15日には自身のSNSで「みんなで一緒に戦おう」と呼びかけた。那須川は、いつでもファンの期待の上をいく。【勝部晃多】

【イラスト】日刊バトル大賞・格闘技MVP

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新十両昇進の落合が相撲教習所入所式に出席 関取として入所するのは過去に例なく

相撲教習所に入所した落合(後列左から3人目)ら(日本相撲協会提供)

大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)で昭和以降初となる所要1場所での新十両昇進を果たした落合(19=宮城野)が26日、東京・両国国技館内にある相撲教習所の入所式に出席した。

同教習所に通っている間に関取となった力士には平幕の遠藤や御嶽海がいるが、落合のように関取として入所するのは過去に例がない。関取が稽古場で着用できる白まわし姿が見られそうだ。

相撲教習所は1、5、9月の東京場所後に卒業・入所式が行われる。現役力士や年寄が指導する実技のほか、相撲史や運動医学を学ぶ教養がある。この日の落合は真新しい紺色の着物を着て式に出席し、高砂部屋の朝白龍ら一緒に入所式に臨んだ7人と顔を合わせた。「教習所を一緒にやっていく仲間だと思っています。一緒に稽古したい」と半年間にわたる教習所生活への期待を口にした。

相撲教習所の入所式を終えて取材に応じる落合(撮影・平山連)
相撲教習所の入所式を終えた落合(撮影・平山連)

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元魁皇の浅香山親方が審判部副部長に昇格 元安美錦の安治川親方が審判部入り

元大関魁皇の浅香山親方(2023年1月撮影)

日本相撲協会は26日、親方衆の新たな職務分掌を発表した。2月1日付で浅香山親方(50=元大関魁皇)が審判部副部長に昇格。委員から役員待遇委員となり、理事会に出席する立場となった。

また、安治川親方(44=元関脇安美錦)が初めて審判部に加入することが決まった。

武隈親方(36=元大関豪栄道)、秀ノ山親方(38=元大関琴奨菊)、鶴竜親方(37=元横綱)、宮城野親方(37=元横綱白鵬)は、委員待遇年寄から委員となった。清見潟親方(35=元関脇栃煌山)は、年寄から主任に昇格した。

親方衆の階級は、理事長以下、理事、副理事、役員待遇委員、委員、主任、委員待遇年寄、年寄、参与(定年後の再雇用)となっている。

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東洋太平洋フライ級王者桑原拓3月14日ノンタイトル戦 フェニックスバトル98大会カード発表

桑原拓

プロボクシング東洋太平洋フライ級王者桑原拓(27=大橋)が3月14日、東京・後楽園ホールで開催されるフェニックスバトル98大会で、王座獲得後初試合に臨む。26日に所属ジムから同大会の主要カードが発表され、桑原はメキシコ同級王者ホセ・リバス(メキシコ)と同級8回戦で拳を交える。桑原にとって昨年10月、東洋太平洋同級王者ジーメル・マグラモ(フィリピン)に判定勝ちして以来、約5カ月ぶりのリングとなる。

セミファイナルでは、日本スーパーフライ級ユース王座決定8回戦が組まれ、アマ8冠ボクサー中垣龍汰朗(23=大橋)がアマ33戦の経験を持つ山口仁也(23=三迫)と対戦することが決定した。昨年9月に吉田京太郎(ワタナベ)を下して以来の試合となる。同級ユース王座決定戦出場は21年7月に花田歩夢(神拳阪神)と引き分けて以来、2度目の挑戦となる。

また昨年7月にプロデビューしたアマ戦績豊富な田中湧也(23=大橋)のプロ2戦目、22年全日本ミニマム級新人王の石井武志(23=大橋)の23年初戦も計画されている。

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ジャガー横田「私は小心者」YouTube終了理由を説明、長男大維志くんに「責任もって」

ジャガー横田(2022年4月撮影)

女子プロレスラーでタレントのジャガー横田(61)が、自身のYouTubeチャンネル「ジャガー横田ファミリーチャンネル」を終了した理由について明かした。15日に取材に応じ、「炎上が多すぎる。私は意外と小心者で人の言葉を気にしちゃう」と話した。

ジャガーは今月2日に、19年6月から活動していた同チャンネルの終了を報告。夫で医師の木下博勝氏と長男の大維志くんとの日常を投稿して話題となっていたが、「同じ家族でも考え方が違う。『辞めてしまえばいいや』と思って瞬間的に出してしまった」と、活動終了の動画を投稿した理由を説明した。

昨年12月、大維志くんがインスタグラムで「肝硬変」の手術を受けたことを報告も、後に実際は足の手術だったことを明かし、批判が相次いでいた。今後の復帰については未定。「私が発信することはない。あの2人がどうするのか。いつ何時やり始めるのかわからない」と、話すにとどめた。

息子については、「変わらない。(活動は)見てないですけど1人でやってるんじゃないですか」と言及。「全ては自分に降りかかってくること。痛い思いも自分自身がすることなので。16歳になりましたし、他人様に迷惑をかけずに責任を持ってやってくれれば。だんだん大人になっていくと思う」と、自立を促していた。

木下博勝氏(2009年6月)
2014年7月、結婚10周年記念パーティーであいさつするジャガー横田。左から夫の木下博勝さん、長男大維志くん

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佐山サトル昨年12月からめまい止まらずも回復、自らの足で登場「ストロングスタイル背負って」

会見に出席し笑顔を見せる佐山(撮影・勝部晃多)

闘病中の初代タイガーマスクの佐山サトル(65)が、回復ぶりを示した。

26日、都内で自身が主宰するストロングスタイルプロレスの会見に出席。来月22日に東京・後楽園ホール大会を開催すると発表した。佐山はこの日、車いすを使用することなく、自身の足で歩いて会見に登場。「ストロングスタイルに値する選手が集まった。勝つことも大切だが、ストロングスタイル、プライドを背負ってやってもらいたい」と選手を鼓舞した。

同団体の代表を務める平井氏によると、佐山は昨年12月中旬からめまいが止まらない状態で、約1カ月間の自宅療養を続けていた。先週から回復を見せ、前日の精密検査の結果では「大事に至ることはなかった」という。

15年に狭心症を発症。20年にはパーキンソン病の疑いがあることを明かした。心臓を手術してからは歩くのがやっとの状態が続いていたが、近年は徐々に回復。早期のリング復帰を目指し、闘病を続けていた。

来月22日にストロングスタイルプロレス後楽園大会を開催。メインは第16代レジェンド王者真霜拳號(2AW)と同団体の間下隼人の選手権試合で、セミではタイガー・クイーン、本間多恵、スターダムのウナギ・サヤカが3WAYで対戦する。

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元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え「雷部屋」62年ぶり復活 入間川親方4月定年

雷親方(元小結垣添)(2022年9月撮影)

日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で定例の理事会を開き、入間川親方(64=元関脇栃司)が4月に65歳の定年を迎えるに伴い、同親方が師匠を務める入間川部屋(さいたま市中央区)を、部屋付きの雷(いかずち)親方(44=元小結垣添)が2月1日付で継承し、名称も雷部屋に変更することを承認した。

雷親方は、12年4月の現役引退後、部屋付き親方として同じ出羽海一門の藤島部屋(元大関武双山)、武蔵川部屋(元横綱武蔵丸)に所属していたが、20年9月に入間川部屋に転籍していた。名称としての「雷部屋」は62年ぶりの復活となる。

同部屋には、他に部屋付きとして若藤親方(51=元前頭皇司)と幕下以下に7人の力士養成員、行司と床山が各1人、所属している。このうち若藤親方は2月1日付で木瀬部屋へ転属する。

この他、この日の理事会では以下のことが決定、承認された。

【年寄名跡襲名】

1月26日付で年寄音羽山(38=尾上、元前頭天鎧鵬)の年寄佐ノ山襲名。

【横綱審議委員会(横審)委員委嘱】

大島理森氏(前衆議院議長)と上原茂氏(大正製薬代表取締役社長)を1月26日付で横審委員に委嘱。

【相撲博物館】館長の石山五郎氏(元横綱三重ノ海)が2月3日付で退任。八角理事長(元横綱北勝海)が館長代行に。

【日程変更】

24年春場所の前売り開始を同年2月3日から10日に変更。

入間川親方(元関脇栃司)(2018年3月撮影)

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【WWE】「筋肉バービー人形」ティファニー・ストラットンが約3カ月ぶり復帰戦勝利、因縁に決着

自身のSNSで23年初戦で着用した試合コスチュームを紹介したWWE・NXT所属の「筋肉バービー」ティファニ-・ストラットン(ストラットンの公式インスタグラムより)

<WWE:NXT大会>◇24日(日本時間26日配信)◇米フロリダ州オーランド

「筋肉バービー人形」ことティファニー・ストラットン(23)が復帰戦で勝利を飾った。インディ・ハートウェルとのシングル戦に臨み、月面水爆で仕留めた。昨年10月にはウエンディ・チューとの試合中で頭部を負傷し、戦線離脱して以来のカムバック戦で白星を挙げた。前週大会でハートウェルと女子更衣室を巡って言い争いをしており、因縁を決着させた形だ。

ゴング前からハートウェルの襲撃を受け、劣勢の序盤となったストラットンはさらにドロップキック連打、手も踏みつけられた。場外に投げ飛ばされるなど勢いを止められていたものの、ロープを使った頭脳的な攻撃で反撃を開始。スワンダイブ式セントーン、ヒップアタックした後、左腕に集中攻撃を浴びせた。ハートウェルのスパインバスター、ビッグブーツをしのぎ、左ひざへの低空ドロップキックを食らった後に左足負傷を主張。その隙に油断した相手にエルボー攻撃などでマットに転がすと、最後は月面水爆を成功させ、3カウントを奪った。試合後には自らのインスタグラムを更新し、23年初戦の試合コスチュームを紹介していた。

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ドラゴンゲート移動車が雪で立ち往生 選手は12時間以上閉じこめ「日中をずっとトンネル内で」

芸能社会(芸社)ニュース

最強寒波の影響はプロレス団体にも及んだ。ドラゴンゲート所属のドラゴン・ダイヤ(24)は26日までにツイッターを更新。「雪の影響での立ち往生で、車が1ミリも動かなくなってから、とうとう12時間が経過しました…!

全然元気ではありますが、ガソリンも携帯の充電も限界!

いつになったら帰れるの

先頭の状態を教えてください!」とSOSの声を上げた。

三重県から滋賀県に向かう新名神高速道路では25日から多数の車が立ち往生。名古屋の大会から神戸道場に向かったドラゴンゲートの移動車も被害にあい、選手たちは12時間以上も車内に閉じ込められた。

その後、立ち往生から脱出するとドラゴン・ダイヤはツイッターを更新。「今日は日中をずっとトンネル内で過ごしていたので、陽の光を見る事が出来ませんでした。

ようやく立ち往生から動き、なんとかガソリンも切れずにSAに到着。

20時間ぶりに車から解放されました…!

ご飯にもありつけました

まだ道のりは長いですが頑張ります!」

移動車は無事に神戸に到着。この模様が、日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」に取り上げられたこともあり、ドラゴン・ダイヤは「立ち往生は本当に大変でしたがお茶の間にドラゴンゲートの名前が届いたと思うと報われました」とツイッターでコメントした。

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元WBOフライ級王者木村翔は2戦連続ドロー WBAインターナショナル王座挑むも奪取ならず

木村翔(2022年5月撮影)

<プロボクシング:WBAインターナショナル・フライ級王座決定10回戦>◇25日◇タイ・バンコク

元WBO世界フライ級王者木村翔(34=花形)が国内未公認王座の決定戦に臨んだものの、2戦連続のドローとなった。WBAインターナショナル同級王座を懸け、前王者で東洋太平洋同級8位のウラン・トロハツ(29=中国)と拳を交え、0-1(93-97、95-95、95-95)で引き分けた。昨年5月、堀川龍(三迫)との同級8回戦で引き分けて以来のリングだったが、またもドローとなった。

トロハツは19年大みそかに当時のWBO世界フライ級王者田中恒成(畑中)にも挑戦した経験がある強敵。木村は手数多く積極的に攻めたものの、相手の右を被弾するなど競り合う展開となっていた。現在、世界ランキングから外れている木村にとっては世界再挑戦を見据えた大事な23年初戦だった。

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「悪童」ネリがホバニシアンとWBCスーパーバンタム級挑戦者決定戦「世界最高をもう1度証明」

ルイス・ネリ(2018年3月1日撮影)

プロボクシング元世界2階級制覇王者で、現WBC世界スーパーバンタム級1位のルイス・ネリ(28=メキシコ)が2月18日、米カリフォルニア州ポモナのFOXシアターで同級2位アザト・ホバニシアン(34=アルメニア)とWBC世界同級挑戦者決定戦に臨むと25日(日本時間26日)、発表された。ネリは元WBC世界バンタム級王者山中慎介(帝拳)と2度対決し、ドーピング検査の陽性反応や体重超過するなど「悪童」と呼ばれている。

興行主を通じ、ネリは「私は次の挑戦の準備ができている。私が世界最高のスーパーバンタム級ボクサーであることをもう1度証明する。この試合に勝てば、(WBC、WBO王者)スティーブン・フルトン、(米国)または(WBA、IBF王者)ムロジョン・アフマダリエフに挑戦する準備ができる。彼らはもはや私を避けることができない。2月18日にお会いしよう。ルイス・ネリはここにいる」と意気込みを示した。

一方のホバシニアンは昨年9月、米ロサンゼルス合宿した際、前4団体統一バンタム級王者井上尚弥(29=大橋)とスパーリングした間柄。現在、WBA同級1位、WBO4位にもランキングされている。「ルイスを尊敬している。元世界王者で才能あるファイター。勝つためにできる限りのことをしなければならない」と気を引き締めた。

井上も今月13日、同級への転向を発表したばかり。米スポーツ局ESPNでは、5月の日本開催を目標にWBC、WBO王者フルトンへの挑戦に向けて合意に達したと報じられている。井上の参戦とともに世界スーパーバンタム級戦線が活発化してきた。

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史上初!所要1場所新十両昇進 19歳落合「今まで以上に精進しないといけない」/一問一答

 

相撲界に現れた令和の怪物が、昭和以降初となる偉業を成し遂げた。日本相撲協会は25日、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を行い、初場所で幕下15枚目格付け出しデビューした落合(19=宮城野)の新十両昇進を決めた。落合は、師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)とともに会見に臨み、「幕内で優勝して師匠を泣かせたい」「横綱になるという夢をかなえたい」と目標を掲げた。

■落合一問一答

-十両昇進後に誰かと連絡は取ったか

家族に伝えたら、「これから頑張りなさい」と言ってもらいました。本当にこれからが本番だと思うので、今まで以上に精進しないといけない。

-しこ名については

師匠と話して、しばらくは落合でいくということになりました。

-今場所で得たことは

15日間で7番しか取らない幕下の世界でも、自分が経験したことがないくらい精神的にも肉体的にも疲れが出た。プロで活躍されてる方々がどれだけすごいのかとすごく実感しました。

-まげや大銀杏(おおいちょう)を結う

早く結いたいという気持ちはとても強いですが、まだ髪が短いので。この短いうちに強くなって、番付をどんどん上げていきたい。

-来場所に向けて

まずは勝ち越しを目指して頑張りたいです。

新十両会見で握手を交わす落合(左)と宮城野親方(日本相撲協会提供)
大相撲の番付

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【日刊バトル大賞】オカダ・カズチカ2年連続MVP 8月オスプレイ戦は最高試合賞にも選出

【イラスト】日刊バトル大賞・プロレスMVP

<日刊バトル大賞:プロレス部門>

新日本プロレスのオカダ・カズチカ(35)が、日刊バトル大賞プロレス部門で2年連続6度目の最優秀選手に輝いた。

ニッカンスポーツ・コムで実施した投票では、ノアの武藤らを抑え、半数を超える約52%の票を獲得。IWGP世界ヘビー級王座初戴冠とG1連覇などが評価された。8月18日のG1決勝戦オスプレイ戦は、約39%の得票で最高試合賞に選ばれた。

名実ともに団体創設50周年イヤーの顔だった。22年初戦の東京ドーム大会で王座を獲得すると、その後4度の防衛に成功。史上最多の28人が出場したG1では、オスプレイとの壮絶な必殺技の応酬を制し、史上4人目の連覇を達成した。

姿勢や言葉でも存在感を放った。団体創設者アントニオ猪木さん風のコスチュームを身にまとって歴史を背負う自覚を示し、病床の“燃える闘魂”へ幾度となく来場を呼びかけた。猪木さんが10月に天国に旅立った際には「バカヤロー」と涙を流し「行っておけばよかったと思わせる戦いをする」と闘魂継承を誓った。

今年1月の東京ドーム大会で天敵ホワイトを下し、王者返り咲き。2万6000人の前で「1、2、3、ダァーッ!」も決めた。来月11日の大阪大会の初防衛戦で鷹木を迎え撃つ。23年もプロレス界の先頭を独走する。【勝部晃多】

【イラスト】日刊バトル大賞・プロレス年間最高試合
オカダ・カズチカ(2023年1月4日撮影)

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朝倉未来が自身原案の絵本を出版「サッカーボールと本を全国の児童施設に寄付しました」

朝倉未来(2022年11月2日撮影)

総合格闘技RIZINを主戦場に活躍する人気格闘家の朝倉未来(30=トライフォース赤坂)が25日、自身が原案の絵本を出版したことを明かした。自身のツイッターを更新し、「絵本を出版しました」とツイート。さらに「皆で遊ぶためのサッカーボールと本を全国の児童施設に寄付しました」と報告した。

絵本のタイトルは「キミとはじまりの森」で、作は、朝倉と同じジム生で「戦うイラストクリエイター」こと永田えほん氏。小学館から2月1日に発売される。Amazonでは「『仲間とは?』『優しさとは?』『強さとは?』…朝倉氏が伝えたいメッセージが、魅力的なキャラクター、ストーリーで躍動します」と説明されている。

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朝乃山、十両復帰・優勝祝賀会「この結果に満足していない」4年ぶり後援会主催パーティー参加

「十両復帰・優勝祝賀会」で乾杯する朝乃山。右は高砂親方

22日まで行われた大相撲初場所で初の十両優勝を果たした朝乃山(28=高砂)が25日、都内のホテルで行われた後援会主催の「十両復帰・優勝祝賀会」に出席した。

コロナ禍と1年間の出場停止などで新三役に昇進して以来、後援会主催パーティーに参加するのは4年ぶり。初場所は14勝1敗の好成績だったが「この結果に満足していないです」などとあいさつ。東京富山県人会の約150人の参加者に、さらなる活躍を誓った。朝乃山は「久しぶりに富山の人たちに会えてうれしかった。富山は1番大きな存在」と感謝した。

「十両復帰・優勝祝賀会」に出席し、笑顔で鏡開きを行った朝乃山(右から2人目)。右端は師匠の高砂親方、左端は東京後援会副会長で日本レスリング協会名誉会長の福田氏
後援会主催の「十両復帰・優勝祝賀会」に出席し、来場所に向けて決意表明する朝乃山

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【新日本】内藤哲也が海野翔太をリベンジKO「はっきり見えたよ。大の字で倒れる姿が」

海野(右)を攻める内藤(撮影・勝部晃多)

<新日本プロレス:後楽園大会>◇25日◇東京・後楽園ホール

2月21日の東京ドーム大会で現役引退する武藤敬司(60)との対戦が決まった「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)」の内藤哲也(40)が、次世代のスター海野翔太(25)を相手に前日の屈辱を晴らした。

この日のセミファイナルでLIJのSANADAと組み、本間と組んだ海野と対戦。2月4日の北海道大会(北海道立総合体育センター)のメインで激突する海野の目の前で14分32秒、本間からジャックナイフ式エビ固めで3カウントを奪い、勝利した。試合後は、勝敗が決したにもかかわらず、海野を必殺のデスティーノでKOしてみせた。

意趣返しを果たした。いつもは入場から準備まで悠長に行う“制御不能なカリスマ”内藤が、リングインするやいなや、海野になりふり構わずに襲い掛かった。場外では自身のTシャツで絞首刑。鉄柵にこれでもかといわんばかりにぶつけた。リング上では関節技でいたぶり、前日24日の後楽園でKOされた借りを1日で返した。

バックステージに表れた内藤は両目を広げるポーズを披露。「はっきり見えたよ。大の字で倒れる海野翔太の姿がね」と、前日の海野の「眼中にもないやつにやられる気分はどうですか?」発言にユニーク?なアンサーを出した。そして「2月4日は海野翔太のチャレンジマッチ。お客様と内藤哲也をがっかりさせんなよ」と、不敵な笑みを見せた。

海野は昨年11月に英国遠征から帰国。敗れはしたものの、オスプレイのIWGP・USヘビー級王座に挑戦するなど、次世代のスターとして注目を集めている。

海野(下)を下し、SANADAに勝ち名乗りを受ける内藤(撮影・勝部晃多)
海野(手前)をTシャツを使って絞り上げる内藤(撮影・勝部晃多)
SANADA(右)にドロップキックを決める海野(撮影・勝部晃多)

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村田諒太、帝拳ジム浜田剛史代表がスポーツ学会大賞 ジム初代世界王者大場政夫さん命日に授賞式

第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、トロフィーを手に笑顔の村田(右)と帝拳ジムの浜田代表(撮影・鈴木みどり)

スポーツ界の発展に貢献した個人・団体を表彰する「第13回日本スポーツ学会大賞」授賞式が25日、都内で行われ、受賞者となるボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(37=帝拳)、受賞団体となる帝拳ジムの代表で元WBC世界スーパーライト級王者浜田剛史氏(62)が出席した。同ジムの初代世界王者となる元WBA世界フライ級王者大場政夫さんの50回目の命日という1月25日にボクシング界から初めての受賞となった。

村田は「普通の賞という華やかなものは、それでそれでうれしいけれど、(スポーツ学会大賞は)また違った喜びがある」と感慨深げ。浜田代表は「こんなに素晴らしい賞をいただき、本当にうれしく思います。この壇上に立つと、また来年ももらいたいなという風に思い続けてきます。選手育てるのは時間かかりますが、この壇上に立つために次から次と王者を育てていきたいと思います」と喜びを表現した。

22年は白井義男氏が日本人初の世界王者になった70年の節目で、プロボクシング統括組織の日本ボクシングコミッション(JBC)も70周年を迎えた。帝拳ジムは現存する日本で最も古いボクシングジムで、12人の世界王者をはじめ数々の名選手を育成・輩出するとともにボクシング興行「ダイナミックグローブ」を60年以上続けてきた。

また本田明彦会長は88年、90年と当時の世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦を、米国以外で初となる日本での開催を2度も実現させるなど、海外での日本の評価・信頼を高めることに寄与したことも評価された。

同ジム所属の村田は12年ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級の金メダリストになり、プロでも17年にWBA世界ミドル級王座を獲得。日本で初めて五輪の金メダルとプロの世界タイトルを手にする偉業を成し遂げた。また、対戦相手に対する敬意に満ちた対応は、フェアプレー精神の象徴として、ボクシングというスポーツの価値を高めたことも評価の対象となった。

◆日本スポーツ学会 1998年(平10)1月、競技団体の垣根を越えて市民レベルでスポーツを文化として考えようと設立。会員は競技団体、元選手、大学教授、企業、メディアの関係者ら幅広く、300人以上。年に数回、ゲストを招いて「スポーツを語り合う会」を実施。10年に「日本スポーツ学会大賞」を創設し、スポーツの発展に貢献した人物を毎年表彰(20年のみ実施せず)している。

第13回日本スポーツ学会大賞受賞記念講演後、囲み取材に応じる村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)

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村田諒太、揺れる去就「自分から求めていくことはない」現時点の率直な心境を吐露

第13回日本スポーツ学会大賞受賞記念講演後、囲み取材に応じる村田(撮影・鈴木みどり)

スポーツ界の発展に貢献した個人・団体を表彰する「第13回日本スポーツ学会大賞」授賞式が25日、都内で行われ、受賞者となるボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(37=帝拳)、受賞団体となる帝拳ジムの代表で元WBC世界スーパーライト級王者浜田剛史氏(62)が出席した。ボクシング界からの受賞は初めて。

昨年4月、ミドル級最強と言われるゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)とのWBAスーパー、IBF世界同級王座統一戦に敗れてから9カ月が経過した村田。これまでロードワークやフィットネスジムなどで体は動かしているという状況で「ブランクもあるし、腹もたるんできた」とジョーク交じりにコンディションを口にした上でこう言った。

「現実的にこれから続けることは考えられない。これから先に『もう1度』とか。もっと強くなるというのはあるが、名声やお金以外に得られるものない。3回目の世界王者になればお金もついてくるが、そのメンタリティーでやって、そんないいものが作れるのかというとそうでもない。これ以上、求めることはできない」。

現時点の率直な心境を吐露した。

ただし引退決断に至ったわけではく「逆に言うと応えることはできる。必要としてくれるのであれば応えることはできる。ただ自分から求めていくことはない。ただ結論は自分だけでは出せない。求められれば、そこで働くだけで、レスポンスするだけ。求められたらうれしいですし」と自らの去就について揺れていることを口にした。

第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、トロフィーを手に笑顔の村田(右)と帝拳ジムの浜田代表(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)

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