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アントニオ猪木さんのベストバウト発表 ユーザーアンケートの結果は?

【イラスト】読者アンケート・アントニオ猪木のシングルマッチ名勝負ランキング

アントニオ猪木さんのベストバウトはどれだ? 日刊スポーツ新聞社は7日午前7時から9日いっぱいまでウェブアンケートを実施。ユーザーの皆様から合計1387票の投票をいただきました。ありがとうございました! 全順位をイラストで発表するとともに、皆様からいただいた1~5位のコメントを紹介します。

■1位183票 <IWGPヘビー級選手権:藤波辰巳(時間切れ引き分け)アントニオ猪木>◇1988年8月8日◇横浜文化体育館

「当時会場で試合を観ていましたが新日本プロレス史上に残るベストバウトだと思います。技と技、心と心、お互いの持っている全てを出し切った究極の師弟対決!足4の字固めをかけられた猪木の『折ってみろこの野郎!』とやられているのに凄い気迫を見せてくれた猪木。そして、試合後に弟子の藤波の成長を認めて腰にベルトを巻いてあげた猪木に感動しました。」(50代男性)

「60分フルタイムで引き分け当時テレビに釘付けだった」(40代男性)

「85年9月の藤波辰巳戦もベストバウトです」(50代男性)

「試合内容はもちろん素晴らしいものでしたが、試合後にベルトを装着してあげた猪木さんの姿、試合後の長州さんと越中さんの肩車、猪木さんの涙も含めて、私の中のベストバウトです」(50代男性)

「試合内容だけでなくこの試合に至るまでのプロセスから試合後の肩車までの全てで評価」(50代男性)

「60分時間切れ引き分け試合後、握手抱擁。最後猪木選手を長州選手、藤波選手を越中選手が肩車。辻義就アナが古舘さん猪木が泣いていますとリポート。感動的なシーンでした」(40代男性)

「"真夏の60分フルタイム。チャンピョンとチャレンジャーの立場が入れ替わり、初の師弟対決。2人の闘いに目頭が熱くなった。勿論選出されているのは全てが名勝負だが、日付もわかりやすく、1試合のみ選ぶとすればこの試合になる」(50代男性)

「この試合は実質的に『燃える闘魂・猪木、最後の試合』と言っていい、猪木プロレスの最終回と思えた試合だった。引退は明言しなかったが、試合後『これで最後なんだな』と思え、涙が止まらなかった(50代男性)

「昭和プロレスの最終回。猪木、藤波共に試合迄の過程も良かった」(50代男性)

「猪木の様なプロレスラーは今後出てくる事はない。プロレスファンのプロレスの見方が変わってしまった事が全てである。昭和のプロレスは少なくともファンが強さを求め、勝ち、負けにこだわっていたからだ」(50代男性)

「最後の肩車は自発的に出たものでもシナリオでもどちらでも感動意外のなにまのでもない」(40代男性)

■2位154票 <第1回IWGP決勝戦:ハルク・ホーガン(KO 21分27秒)アントニオ猪木>◇1983年6月2日◇蔵前国技館

「この試合、猪木の負けを見てショックを受けるのと同時にハルクホーガンを好きになったのを思い出しました」(50代男性)

「とても衝撃的だった」(50代男性)

「ハルクホーガン戦のインパクトが忘れられない。負けるはずがないものと当時はTVで見ていたので」(50代男性)

「衝撃的な試合だった。あの会場での雰囲気は、今までにないもの」(50代男性)

「猪木が失神したこの試合を現地で観ました。当時、私は17歳。猪木が死んでしまうかと本気で心配した記憶です」(50代男性)

「いろいろ思い出はありますがどれか一試合となるとホーガン戦です。放送終了後猪木はどうなっちゃうんだろうと小学生の私はとても心配でした」(50代男性)

「新日本プロレスブームの中で、『負けない』猪木の衝撃的なKO負けであり、未だに鮮明に覚えています。サプライズとしてもベストバウトではないかと思います」(50代男性)

「新設したベルトの認知を高めるためだったと考えると、凄まじい効果のある試合だったと思います。今のベルトの価値を考えると、間違いなく猪木のベストバウトだと思います」(50代男性)

「舌出し失神KOは子供心にショックでした」(50代男性)

「猪木と言えばこれ!テレビで見ていて大変なことが起こっている。猪木は大丈夫なのか?とハラハラし、翌日は学校でも大変な騒ぎになったのを覚えています。あの時は良かったなぁ」(50代男性)

「勝利試合の印象は多々あるが、負けがこれほど印象に残るレスラーは猪木くらい。衝撃的な負け方だった」(40代男性)

「当時、金曜夜に放送されていたワールドプロレスリングで衝撃的だった。古舘伊知郎アナの絶叫の最中、猪木が失神した状態のまま番組が終了してしまったことがとてもインパクトがあった」(40代男性)

■3位138票 <NWF世界ヘビー級選手権:アントニオ猪木(原爆固め 29分30秒)ストロング小林>◇1974年3月19日◇蔵前国技館

「入場券を買えなかった人が3000人いたほどですから。それも当日券がとっくに売り切れ、新日本プロレス側が、ポスターを破って裏に当日券と書いて強引にお客さんを入れてでも3000人も入れなかったぐらいですから」(50代男性)

「この頃が猪木さんの全盛期ではなかったでしょうか。相手の力を8に引き上げ、10の力で倒す! 正に猪木プロレスの真骨頂!」(60代男性)

「この試合が日本人対決の先駆けとなった試合で、勝ったアントニオ猪木は凄いと思いました、それと同じ位負けたけどストロング小林も凄いと思いながらテレビをみてました。2人とも残念ながら、亡くなってしまいましたが、これからも私の心のなかでアントニオ猪木とストロング小林はいます、だからお別れはしません。しばらく休んでくださいね!その後は、またアントニオ猪木とストロング小林の試合をして、今のプロレス界に活をいれて、闘魂ビンタをしてください」(50代男性)

「ストロング小林に決めたジャーマン・スープレックス、、、ホント凄かった!!あんなジャーマン・スープレックスあれ以来観てないな」(50代男性)

「最後のジャーマンスープレックスには鳥肌が立ちました」(60代男性)

「アントニオ猪木さんの顔の表情、目の輝き、長いもみあげ、見事にシェイプされたボディ。31歳の絶頂期の猪木さんが、まさに『燃える闘魂』として、全身“炎”と化して闘ったベストバウトだと思います。特にストロング小林選手のバックブリーカーをロープの反動を利用してのリバースのスープレックス、バックドロップ、そして伝説となっている首で支え、両足が浮いたジャーマンスープレックスと、その全ての流れが芸術的に美しく、素晴らしい試合でした。レフェリーの清美川氏のカウント3が入って猪木さんの勝利が決まった時、当時、テレビを一緒に観ていた父と喜び合い、幼かった私は感極まって涙したことを覚えています。猪木さん、本当にありがとうございました」(50代男性)

「試合も凄かったですが、試合後のインタビューがとんでもなく感動的でした!やはり猪木は相手をも輝かせ感動的な試合にしてしまうプロ中のプロである!!」(50代男性)

「場外では客同士が殴り合いのケンカをしていたし、あれ程興奮して試合を見たのは初めてだったし、二度となかった」(70代以上男性)

「両足が浮いたあのジャーマンスープレックスはまさに芸術です」(50代男性)

■4位96票 <NWF世界ヘビー級選手権:アントニオ猪木(1-1)ビル・ロビンソン>◇1975年12月11日◇蔵前国技館

「猪木とロビンソンのテクニック合戦はプロのレスリングの神髄であった。猪木の絶頂期であり、まさに生涯のベストバウトである」(50代男性)

「当日小学生だった頃、お互いのテクニックに魅了され、今では珍しい61分3本勝負。先行された猪木が残り何十秒で卍固めで1本を取り引き分けになった試合。ハラハラドキドキ感最高でした」(50代男性)

「先制された猪木がタイムアップ寸前で卍固めで追いつく白熱の名勝負。プライドを賭けた両者によるザストロングスタイルと言える夢の試合だった」(50代男性)

「アントニオ猪木の生き様。猪木は最期までアントニオ猪木だった。猪木信者は生き神様から本当の神になったアントニオ猪木を永遠に崇拝して行く。私もその中の1人。猪木の一挙手一投足から元気をもらった。今亡き父親とブラウン管の前で叫びながら観たのがロビンソン戦。同日の武道館の他団体の力道山追悼大会に参加せず、蔵前でみせたこの戦いこそアントニオ猪木の生き様が感じられる名勝負だった。(敬称略)。猪木さん、ありがとうございました。私にとって永遠不滅です」(50代男性)

「たった一度の対戦。互いのテクニックがぶつかり合い、猪木のプロレスをすべて凝縮した試合。かつ馬場主導の力道山の追悼イベントにぶつけた、猪木の意地が見られる」(50代男性)

「猪木が主導権を握ることができないまま60分が経過し、最後まで両者の必死な闘いに手に汗を握った熱い思い出のある試合です!」(60代男性)

「子供の時にビデオを借りてきて見たのですが凄い勝負でした」(40代男性)

「中学生時代、テレビ中継で観戦したが、まさに白熱の戦い。判定があればロビンソンの勝ち、だったと思う」(60代男性)

■5位75票 <格闘技世界一決定戦:アントニオ猪木(判定1-1 引き分け)ムハマド・アリ>◇1976年6月26日◇日本武道館

「日本人の格闘技最高の試合です。猪木不利な特別ルールの中、国民の素人はブーイングの嵐でしたが、分かる者から観ればもの凄い試合でした。試合後、猪木は右足首を骨折し、アリは左太腿が腫れ上がり、お互い回復に時間を要しましたよね。後にも先にもこれだけの試合は企画しにくいのでは無いでしょうか。猪木さんとアリさん、プランナーの新間さんに感謝してます。謹んでご冥福をお祈り申し上げます」(60代男性)

「猪木対アリ戦! 当時、世間の誰もが凡戦と失笑しておりました(多勢に乗る)。私は興奮してフ゛ラウン官の前でA猪木選手と一緒になってアリキックしてました。夢をありがとう!」(60代男性)

「現在の格闘技戦の礎を築いた一戦。願わくは全盛期にグレイシーと戦って欲しかったです」(50代男性)

「アントニオ猪木の名前がアリと闘う事で知名度が世界中に広がった。ファイトマネーもテレビの衛星中継も破格の対応だった。誰もやらない事を実行した代表的な1つだったと思います」(50代男性)

「土曜日の小学校を終えて、急いで帰宅した記憶があります。寝転がってつまらなかったですが、今、見直すと面白いですね」(50代男性)

「試合前の期待感が別格」(50代男性)

「当時は世紀の茶番と言われながら、総合格闘技時代になって再評価された試合。猪木の一番の真剣勝負だった」(50代男性)

「何といってもモハメド・アリとの異種格闘技戦ですねぇ~(^^)/。当時、”土曜8時の再放送”(本放送はお昼12時から)で観ましたが、あの時の興奮は、忘れられないですね!!(^^)/」(50代男性)

「猪木の知名度を世界に広げたのはこの試合」(50代男性)

18年12月、プロレス観を語ったアントニオ猪木さん
藤波辰爾(下)に卍固めを見舞うアントニオ猪木(1988年8月8日撮影)
ハルク・ホーガン(左)とアントニオ猪木(1984年撮影)
1974年12月12日、新日本プロレスNWF認定ヘビー級選手権  ストロング小林(下)にボストンクラブを決めるアントニオ猪木
ビル・ロビンソン(右)と対戦するアントニオ猪木(1975年12月撮影)
アントニオ猪木対ムハマド・アリ戦(1976年6月26日撮影)

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北青鵬を「役力士」に 地元北海道内企業有志が支援組織結成へ

初場所8日目で水戸龍を寄りきる北青鵬

大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の新入幕が確実視される札幌市出身の十両2枚目、北青鵬(21=宮城野)に、心強い地元支援組織が立ち上がろうとしている。道内の民間企業の有志十数人が中心となり「北海道から未来の役力士を」と期待を寄せる、身長2メートルの有望株をサポートをしていく。

発起人で会社員の戎谷(えびすたに)侑男さん(76)は「2月上旬にも素案を作成して組織を立ち上げる予定。ルールやしきたりなどを学びながら、本場所応援企画など具体的な策を詰めていきたい」と話す。戎谷さんらは昨春「北海道銭函会」として北青鵬の幟(のぼり)を部屋に提供しているが、今回は組織名も新たに化粧まわしの贈呈も検討している。

北青鵬はモンゴル生まれで幼少期から両親とともに札幌へ。宮城野親方(元横綱白鵬)が滝川市の観光大使を務めていた時に出会ったのが、角界入りを目指すきっかけとなった。戎谷さんは幼少期から接しており「まさか、こんなに大きくなるとは本当に驚き。(新十両の弟弟子)落合もすごいですが、切磋琢磨(せっさたくま)して盛り上げていってほしい」とエールを送る。

初場所千秋楽では朝乃山とぶつかり、星は伸ばせなかったが、9勝6敗と勝ち越して新入幕へ大きく前進した。戎谷さんは「さすが大関経験者ですね。でも勝ち負けよりも、ああいう経験ができたのは今後につながります。将来が楽しみ。出世とともに応援組織も大きくしていきたい」と抱負を口にした。【奥村晶治】

北海道銭函会から寄贈された北青鵬ののぼり
部屋の前で宮城野親方(左から3人目)と記念撮影に応じる十両北青鵬(右端)。左から十両炎鵬、十両石浦、1人おいて先代宮城野親方の間垣親方(22年8月撮影)

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東大出身の須山が相撲教習所卒業 残るは東大卒業だけ、4万字の卒業論文の結果次第

相撲教習所を卒業した須山(前列左から4人目)ら(日本相撲協会提供)

大相撲史上初の東大相撲部出身の須山は26日、相撲教習所を卒業し「より一層相撲に集中していきたいです」と誓った。

残るは東大の卒業だけ。場所前に提出した4万字の卒業論文の結果次第で決まる。来月には口頭試問が待ち受け、これをクリアすれば卒業はほぼ確実だ。「大学も卒業できると良いですね」と前を向いた。

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【日刊バトル大賞】那須川天心が2年ぶり2度目MVP、読者投票での得票は驚異の約76%

那須川天心(2022年8月4日撮影)

<日刊バトル大賞:格闘技部門>

“神童”那須川天心(24)が、日刊バトル大賞格闘技部門で2年ぶり2度目の最優秀選手に輝いた。ニッカンスポーツ・コムで実施した読者投票では、RIZIN王者の伊沢星花、ホベルト・サトシ・ソウザらを抑え、驚異の約76%の票を獲得した。無敗の42連勝でキックボクシングから卒業。今年からプロボクシングのキャリアを開始する。

予想を上回る結末だった。昨年6月に東京ドームで行われた「世紀の一戦」ザ・マッチで、元K-1の3階級制覇王者の武尊から判定5-0で勝利。8年越しで対戦が実現した宿敵を撃破し「格闘技も捨てたものじゃない。それを日本中に伝えられた」と、キック最強を証明した。

いよいよ第2章が幕を開ける。前WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太ら世界王者12人を輩出した名門・帝拳ジムで、来るデビューに向けて虎視眈々(たんたん)と準備を進めている。昨年11月には米・ロサンゼルスでスパーリング中心のキャンプを敢行。「一番下からのスタート」と謙遜するが、可能性は無限大。今月15日には自身のSNSで「みんなで一緒に戦おう」と呼びかけた。那須川は、いつでもファンの期待の上をいく。【勝部晃多】

【イラスト】日刊バトル大賞・格闘技MVP

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新十両昇進の落合が相撲教習所入所式に出席 関取として入所するのは過去に例なく

相撲教習所に入所した落合(後列左から3人目)ら(日本相撲協会提供)

大相撲春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)で昭和以降初となる所要1場所での新十両昇進を果たした落合(19=宮城野)が26日、東京・両国国技館内にある相撲教習所の入所式に出席した。

同教習所に通っている間に関取となった力士には平幕の遠藤や御嶽海がいるが、落合のように関取として入所するのは過去に例がない。関取が稽古場で着用できる白まわし姿が見られそうだ。

相撲教習所は1、5、9月の東京場所後に卒業・入所式が行われる。現役力士や年寄が指導する実技のほか、相撲史や運動医学を学ぶ教養がある。この日の落合は真新しい紺色の着物を着て式に出席し、高砂部屋の朝白龍ら一緒に入所式に臨んだ7人と顔を合わせた。「教習所を一緒にやっていく仲間だと思っています。一緒に稽古したい」と半年間にわたる教習所生活への期待を口にした。

相撲教習所の入所式を終えて取材に応じる落合(撮影・平山連)
相撲教習所の入所式を終えた落合(撮影・平山連)

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元魁皇の浅香山親方が審判部副部長に昇格 元安美錦の安治川親方が審判部入り

元大関魁皇の浅香山親方(2023年1月撮影)

日本相撲協会は26日、親方衆の新たな職務分掌を発表した。2月1日付で浅香山親方(50=元大関魁皇)が審判部副部長に昇格。委員から役員待遇委員となり、理事会に出席する立場となった。

また、安治川親方(44=元関脇安美錦)が初めて審判部に加入することが決まった。

武隈親方(36=元大関豪栄道)、秀ノ山親方(38=元大関琴奨菊)、鶴竜親方(37=元横綱)、宮城野親方(37=元横綱白鵬)は、委員待遇年寄から委員となった。清見潟親方(35=元関脇栃煌山)は、年寄から主任に昇格した。

親方衆の階級は、理事長以下、理事、副理事、役員待遇委員、委員、主任、委員待遇年寄、年寄、参与(定年後の再雇用)となっている。

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東洋太平洋フライ級王者桑原拓3月14日ノンタイトル戦 フェニックスバトル98大会カード発表

桑原拓

プロボクシング東洋太平洋フライ級王者桑原拓(27=大橋)が3月14日、東京・後楽園ホールで開催されるフェニックスバトル98大会で、王座獲得後初試合に臨む。26日に所属ジムから同大会の主要カードが発表され、桑原はメキシコ同級王者ホセ・リバス(メキシコ)と同級8回戦で拳を交える。桑原にとって昨年10月、東洋太平洋同級王者ジーメル・マグラモ(フィリピン)に判定勝ちして以来、約5カ月ぶりのリングとなる。

セミファイナルでは、日本スーパーフライ級ユース王座決定8回戦が組まれ、アマ8冠ボクサー中垣龍汰朗(23=大橋)がアマ33戦の経験を持つ山口仁也(23=三迫)と対戦することが決定した。昨年9月に吉田京太郎(ワタナベ)を下して以来の試合となる。同級ユース王座決定戦出場は21年7月に花田歩夢(神拳阪神)と引き分けて以来、2度目の挑戦となる。

また昨年7月にプロデビューしたアマ戦績豊富な田中湧也(23=大橋)のプロ2戦目、22年全日本ミニマム級新人王の石井武志(23=大橋)の23年初戦も計画されている。

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ジャガー横田「私は小心者」YouTube終了理由を説明、長男大維志くんに「責任もって」

ジャガー横田(2022年4月撮影)

女子プロレスラーでタレントのジャガー横田(61)が、自身のYouTubeチャンネル「ジャガー横田ファミリーチャンネル」を終了した理由について明かした。15日に取材に応じ、「炎上が多すぎる。私は意外と小心者で人の言葉を気にしちゃう」と話した。

ジャガーは今月2日に、19年6月から活動していた同チャンネルの終了を報告。夫で医師の木下博勝氏と長男の大維志くんとの日常を投稿して話題となっていたが、「同じ家族でも考え方が違う。『辞めてしまえばいいや』と思って瞬間的に出してしまった」と、活動終了の動画を投稿した理由を説明した。

昨年12月、大維志くんがインスタグラムで「肝硬変」の手術を受けたことを報告も、後に実際は足の手術だったことを明かし、批判が相次いでいた。今後の復帰については未定。「私が発信することはない。あの2人がどうするのか。いつ何時やり始めるのかわからない」と、話すにとどめた。

息子については、「変わらない。(活動は)見てないですけど1人でやってるんじゃないですか」と言及。「全ては自分に降りかかってくること。痛い思いも自分自身がすることなので。16歳になりましたし、他人様に迷惑をかけずに責任を持ってやってくれれば。だんだん大人になっていくと思う」と、自立を促していた。

木下博勝氏(2009年6月)
2014年7月、結婚10周年記念パーティーであいさつするジャガー横田。左から夫の木下博勝さん、長男大維志くん

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佐山サトル昨年12月からめまい止まらずも回復、自らの足で登場「ストロングスタイル背負って」

会見に出席し笑顔を見せる佐山(撮影・勝部晃多)

闘病中の初代タイガーマスクの佐山サトル(65)が、回復ぶりを示した。

26日、都内で自身が主宰するストロングスタイルプロレスの会見に出席。来月22日に東京・後楽園ホール大会を開催すると発表した。佐山はこの日、車いすを使用することなく、自身の足で歩いて会見に登場。「ストロングスタイルに値する選手が集まった。勝つことも大切だが、ストロングスタイル、プライドを背負ってやってもらいたい」と選手を鼓舞した。

同団体の代表を務める平井氏によると、佐山は昨年12月中旬からめまいが止まらない状態で、約1カ月間の自宅療養を続けていた。先週から回復を見せ、前日の精密検査の結果では「大事に至ることはなかった」という。

15年に狭心症を発症。20年にはパーキンソン病の疑いがあることを明かした。心臓を手術してからは歩くのがやっとの状態が続いていたが、近年は徐々に回復。早期のリング復帰を目指し、闘病を続けていた。

来月22日にストロングスタイルプロレス後楽園大会を開催。メインは第16代レジェンド王者真霜拳號(2AW)と同団体の間下隼人の選手権試合で、セミではタイガー・クイーン、本間多恵、スターダムのウナギ・サヤカが3WAYで対戦する。

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元垣添の雷親方が入間川部屋継承、名称変え「雷部屋」62年ぶり復活 入間川親方4月定年

雷親方(元小結垣添)(2022年9月撮影)

日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で定例の理事会を開き、入間川親方(64=元関脇栃司)が4月に65歳の定年を迎えるに伴い、同親方が師匠を務める入間川部屋(さいたま市中央区)を、部屋付きの雷(いかずち)親方(44=元小結垣添)が2月1日付で継承し、名称も雷部屋に変更することを承認した。

雷親方は、12年4月の現役引退後、部屋付き親方として同じ出羽海一門の藤島部屋(元大関武双山)、武蔵川部屋(元横綱武蔵丸)に所属していたが、20年9月に入間川部屋に転籍していた。名称としての「雷部屋」は62年ぶりの復活となる。

同部屋には、他に部屋付きとして若藤親方(51=元前頭皇司)と幕下以下に7人の力士養成員、行司と床山が各1人、所属している。このうち若藤親方は2月1日付で木瀬部屋へ転属する。

この他、この日の理事会では以下のことが決定、承認された。

【年寄名跡襲名】

1月26日付で年寄音羽山(38=尾上、元前頭天鎧鵬)の年寄佐ノ山襲名。

【横綱審議委員会(横審)委員委嘱】

大島理森氏(前衆議院議長)と上原茂氏(大正製薬代表取締役社長)を1月26日付で横審委員に委嘱。

【相撲博物館】館長の石山五郎氏(元横綱三重ノ海)が2月3日付で退任。八角理事長(元横綱北勝海)が館長代行に。

【日程変更】

24年春場所の前売り開始を同年2月3日から10日に変更。

入間川親方(元関脇栃司)(2018年3月撮影)

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【WWE】「筋肉バービー人形」ティファニー・ストラットンが約3カ月ぶり復帰戦勝利、因縁に決着

自身のSNSで23年初戦で着用した試合コスチュームを紹介したWWE・NXT所属の「筋肉バービー」ティファニ-・ストラットン(ストラットンの公式インスタグラムより)

<WWE:NXT大会>◇24日(日本時間26日配信)◇米フロリダ州オーランド

「筋肉バービー人形」ことティファニー・ストラットン(23)が復帰戦で勝利を飾った。インディ・ハートウェルとのシングル戦に臨み、月面水爆で仕留めた。昨年10月にはウエンディ・チューとの試合中で頭部を負傷し、戦線離脱して以来のカムバック戦で白星を挙げた。前週大会でハートウェルと女子更衣室を巡って言い争いをしており、因縁を決着させた形だ。

ゴング前からハートウェルの襲撃を受け、劣勢の序盤となったストラットンはさらにドロップキック連打、手も踏みつけられた。場外に投げ飛ばされるなど勢いを止められていたものの、ロープを使った頭脳的な攻撃で反撃を開始。スワンダイブ式セントーン、ヒップアタックした後、左腕に集中攻撃を浴びせた。ハートウェルのスパインバスター、ビッグブーツをしのぎ、左ひざへの低空ドロップキックを食らった後に左足負傷を主張。その隙に油断した相手にエルボー攻撃などでマットに転がすと、最後は月面水爆を成功させ、3カウントを奪った。試合後には自らのインスタグラムを更新し、23年初戦の試合コスチュームを紹介していた。

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ドラゴンゲート移動車が雪で立ち往生 選手は12時間以上閉じこめ「日中をずっとトンネル内で」

芸能社会(芸社)ニュース

最強寒波の影響はプロレス団体にも及んだ。ドラゴンゲート所属のドラゴン・ダイヤ(24)は26日までにツイッターを更新。「雪の影響での立ち往生で、車が1ミリも動かなくなってから、とうとう12時間が経過しました…!

全然元気ではありますが、ガソリンも携帯の充電も限界!

いつになったら帰れるの

先頭の状態を教えてください!」とSOSの声を上げた。

三重県から滋賀県に向かう新名神高速道路では25日から多数の車が立ち往生。名古屋の大会から神戸道場に向かったドラゴンゲートの移動車も被害にあい、選手たちは12時間以上も車内に閉じ込められた。

その後、立ち往生から脱出するとドラゴン・ダイヤはツイッターを更新。「今日は日中をずっとトンネル内で過ごしていたので、陽の光を見る事が出来ませんでした。

ようやく立ち往生から動き、なんとかガソリンも切れずにSAに到着。

20時間ぶりに車から解放されました…!

ご飯にもありつけました

まだ道のりは長いですが頑張ります!」

移動車は無事に神戸に到着。この模様が、日本テレビ系列の情報番組「スッキリ」に取り上げられたこともあり、ドラゴン・ダイヤは「立ち往生は本当に大変でしたがお茶の間にドラゴンゲートの名前が届いたと思うと報われました」とツイッターでコメントした。

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元WBOフライ級王者木村翔は2戦連続ドロー WBAインターナショナル王座挑むも奪取ならず

木村翔(2022年5月撮影)

<プロボクシング:WBAインターナショナル・フライ級王座決定10回戦>◇25日◇タイ・バンコク

元WBO世界フライ級王者木村翔(34=花形)が国内未公認王座の決定戦に臨んだものの、2戦連続のドローとなった。WBAインターナショナル同級王座を懸け、前王者で東洋太平洋同級8位のウラン・トロハツ(29=中国)と拳を交え、0-1(93-97、95-95、95-95)で引き分けた。昨年5月、堀川龍(三迫)との同級8回戦で引き分けて以来のリングだったが、またもドローとなった。

トロハツは19年大みそかに当時のWBO世界フライ級王者田中恒成(畑中)にも挑戦した経験がある強敵。木村は手数多く積極的に攻めたものの、相手の右を被弾するなど競り合う展開となっていた。現在、世界ランキングから外れている木村にとっては世界再挑戦を見据えた大事な23年初戦だった。

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「悪童」ネリがホバニシアンとWBCスーパーバンタム級挑戦者決定戦「世界最高をもう1度証明」

ルイス・ネリ(2018年3月1日撮影)

プロボクシング元世界2階級制覇王者で、現WBC世界スーパーバンタム級1位のルイス・ネリ(28=メキシコ)が2月18日、米カリフォルニア州ポモナのFOXシアターで同級2位アザト・ホバニシアン(34=アルメニア)とWBC世界同級挑戦者決定戦に臨むと25日(日本時間26日)、発表された。ネリは元WBC世界バンタム級王者山中慎介(帝拳)と2度対決し、ドーピング検査の陽性反応や体重超過するなど「悪童」と呼ばれている。

興行主を通じ、ネリは「私は次の挑戦の準備ができている。私が世界最高のスーパーバンタム級ボクサーであることをもう1度証明する。この試合に勝てば、(WBC、WBO王者)スティーブン・フルトン、(米国)または(WBA、IBF王者)ムロジョン・アフマダリエフに挑戦する準備ができる。彼らはもはや私を避けることができない。2月18日にお会いしよう。ルイス・ネリはここにいる」と意気込みを示した。

一方のホバシニアンは昨年9月、米ロサンゼルス合宿した際、前4団体統一バンタム級王者井上尚弥(29=大橋)とスパーリングした間柄。現在、WBA同級1位、WBO4位にもランキングされている。「ルイスを尊敬している。元世界王者で才能あるファイター。勝つためにできる限りのことをしなければならない」と気を引き締めた。

井上も今月13日、同級への転向を発表したばかり。米スポーツ局ESPNでは、5月の日本開催を目標にWBC、WBO王者フルトンへの挑戦に向けて合意に達したと報じられている。井上の参戦とともに世界スーパーバンタム級戦線が活発化してきた。

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史上初!所要1場所新十両昇進 19歳落合「今まで以上に精進しないといけない」/一問一答

 

相撲界に現れた令和の怪物が、昭和以降初となる偉業を成し遂げた。日本相撲協会は25日、春場所(3月12日初日、エディオンアリーナ大阪)の番付編成会議を行い、初場所で幕下15枚目格付け出しデビューした落合(19=宮城野)の新十両昇進を決めた。落合は、師匠の宮城野親方(元横綱白鵬)とともに会見に臨み、「幕内で優勝して師匠を泣かせたい」「横綱になるという夢をかなえたい」と目標を掲げた。

■落合一問一答

-十両昇進後に誰かと連絡は取ったか

家族に伝えたら、「これから頑張りなさい」と言ってもらいました。本当にこれからが本番だと思うので、今まで以上に精進しないといけない。

-しこ名については

師匠と話して、しばらくは落合でいくということになりました。

-今場所で得たことは

15日間で7番しか取らない幕下の世界でも、自分が経験したことがないくらい精神的にも肉体的にも疲れが出た。プロで活躍されてる方々がどれだけすごいのかとすごく実感しました。

-まげや大銀杏(おおいちょう)を結う

早く結いたいという気持ちはとても強いですが、まだ髪が短いので。この短いうちに強くなって、番付をどんどん上げていきたい。

-来場所に向けて

まずは勝ち越しを目指して頑張りたいです。

新十両会見で握手を交わす落合(左)と宮城野親方(日本相撲協会提供)
大相撲の番付

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【日刊バトル大賞】オカダ・カズチカ2年連続MVP 8月オスプレイ戦は最高試合賞にも選出

【イラスト】日刊バトル大賞・プロレスMVP

<日刊バトル大賞:プロレス部門>

新日本プロレスのオカダ・カズチカ(35)が、日刊バトル大賞プロレス部門で2年連続6度目の最優秀選手に輝いた。

ニッカンスポーツ・コムで実施した投票では、ノアの武藤らを抑え、半数を超える約52%の票を獲得。IWGP世界ヘビー級王座初戴冠とG1連覇などが評価された。8月18日のG1決勝戦オスプレイ戦は、約39%の得票で最高試合賞に選ばれた。

名実ともに団体創設50周年イヤーの顔だった。22年初戦の東京ドーム大会で王座を獲得すると、その後4度の防衛に成功。史上最多の28人が出場したG1では、オスプレイとの壮絶な必殺技の応酬を制し、史上4人目の連覇を達成した。

姿勢や言葉でも存在感を放った。団体創設者アントニオ猪木さん風のコスチュームを身にまとって歴史を背負う自覚を示し、病床の“燃える闘魂”へ幾度となく来場を呼びかけた。猪木さんが10月に天国に旅立った際には「バカヤロー」と涙を流し「行っておけばよかったと思わせる戦いをする」と闘魂継承を誓った。

今年1月の東京ドーム大会で天敵ホワイトを下し、王者返り咲き。2万6000人の前で「1、2、3、ダァーッ!」も決めた。来月11日の大阪大会の初防衛戦で鷹木を迎え撃つ。23年もプロレス界の先頭を独走する。【勝部晃多】

【イラスト】日刊バトル大賞・プロレス年間最高試合
オカダ・カズチカ(2023年1月4日撮影)

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朝倉未来が自身原案の絵本を出版「サッカーボールと本を全国の児童施設に寄付しました」

朝倉未来(2022年11月2日撮影)

総合格闘技RIZINを主戦場に活躍する人気格闘家の朝倉未来(30=トライフォース赤坂)が25日、自身が原案の絵本を出版したことを明かした。自身のツイッターを更新し、「絵本を出版しました」とツイート。さらに「皆で遊ぶためのサッカーボールと本を全国の児童施設に寄付しました」と報告した。

絵本のタイトルは「キミとはじまりの森」で、作は、朝倉と同じジム生で「戦うイラストクリエイター」こと永田えほん氏。小学館から2月1日に発売される。Amazonでは「『仲間とは?』『優しさとは?』『強さとは?』…朝倉氏が伝えたいメッセージが、魅力的なキャラクター、ストーリーで躍動します」と説明されている。

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朝乃山、十両復帰・優勝祝賀会「この結果に満足していない」4年ぶり後援会主催パーティー参加

「十両復帰・優勝祝賀会」で乾杯する朝乃山。右は高砂親方

22日まで行われた大相撲初場所で初の十両優勝を果たした朝乃山(28=高砂)が25日、都内のホテルで行われた後援会主催の「十両復帰・優勝祝賀会」に出席した。

コロナ禍と1年間の出場停止などで新三役に昇進して以来、後援会主催パーティーに参加するのは4年ぶり。初場所は14勝1敗の好成績だったが「この結果に満足していないです」などとあいさつ。東京富山県人会の約150人の参加者に、さらなる活躍を誓った。朝乃山は「久しぶりに富山の人たちに会えてうれしかった。富山は1番大きな存在」と感謝した。

「十両復帰・優勝祝賀会」に出席し、笑顔で鏡開きを行った朝乃山(右から2人目)。右端は師匠の高砂親方、左端は東京後援会副会長で日本レスリング協会名誉会長の福田氏
後援会主催の「十両復帰・優勝祝賀会」に出席し、来場所に向けて決意表明する朝乃山

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【新日本】内藤哲也が海野翔太をリベンジKO「はっきり見えたよ。大の字で倒れる姿が」

海野(右)を攻める内藤(撮影・勝部晃多)

<新日本プロレス:後楽園大会>◇25日◇東京・後楽園ホール

2月21日の東京ドーム大会で現役引退する武藤敬司(60)との対戦が決まった「ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(LIJ)」の内藤哲也(40)が、次世代のスター海野翔太(25)を相手に前日の屈辱を晴らした。

この日のセミファイナルでLIJのSANADAと組み、本間と組んだ海野と対戦。2月4日の北海道大会(北海道立総合体育センター)のメインで激突する海野の目の前で14分32秒、本間からジャックナイフ式エビ固めで3カウントを奪い、勝利した。試合後は、勝敗が決したにもかかわらず、海野を必殺のデスティーノでKOしてみせた。

意趣返しを果たした。いつもは入場から準備まで悠長に行う“制御不能なカリスマ”内藤が、リングインするやいなや、海野になりふり構わずに襲い掛かった。場外では自身のTシャツで絞首刑。鉄柵にこれでもかといわんばかりにぶつけた。リング上では関節技でいたぶり、前日24日の後楽園でKOされた借りを1日で返した。

バックステージに表れた内藤は両目を広げるポーズを披露。「はっきり見えたよ。大の字で倒れる海野翔太の姿がね」と、前日の海野の「眼中にもないやつにやられる気分はどうですか?」発言にユニーク?なアンサーを出した。そして「2月4日は海野翔太のチャレンジマッチ。お客様と内藤哲也をがっかりさせんなよ」と、不敵な笑みを見せた。

海野は昨年11月に英国遠征から帰国。敗れはしたものの、オスプレイのIWGP・USヘビー級王座に挑戦するなど、次世代のスターとして注目を集めている。

海野(下)を下し、SANADAに勝ち名乗りを受ける内藤(撮影・勝部晃多)
海野(手前)をTシャツを使って絞り上げる内藤(撮影・勝部晃多)
SANADA(右)にドロップキックを決める海野(撮影・勝部晃多)

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村田諒太、帝拳ジム浜田剛史代表がスポーツ学会大賞 ジム初代世界王者大場政夫さん命日に授賞式

第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、トロフィーを手に笑顔の村田(右)と帝拳ジムの浜田代表(撮影・鈴木みどり)

スポーツ界の発展に貢献した個人・団体を表彰する「第13回日本スポーツ学会大賞」授賞式が25日、都内で行われ、受賞者となるボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(37=帝拳)、受賞団体となる帝拳ジムの代表で元WBC世界スーパーライト級王者浜田剛史氏(62)が出席した。同ジムの初代世界王者となる元WBA世界フライ級王者大場政夫さんの50回目の命日という1月25日にボクシング界から初めての受賞となった。

村田は「普通の賞という華やかなものは、それでそれでうれしいけれど、(スポーツ学会大賞は)また違った喜びがある」と感慨深げ。浜田代表は「こんなに素晴らしい賞をいただき、本当にうれしく思います。この壇上に立つと、また来年ももらいたいなという風に思い続けてきます。選手育てるのは時間かかりますが、この壇上に立つために次から次と王者を育てていきたいと思います」と喜びを表現した。

22年は白井義男氏が日本人初の世界王者になった70年の節目で、プロボクシング統括組織の日本ボクシングコミッション(JBC)も70周年を迎えた。帝拳ジムは現存する日本で最も古いボクシングジムで、12人の世界王者をはじめ数々の名選手を育成・輩出するとともにボクシング興行「ダイナミックグローブ」を60年以上続けてきた。

また本田明彦会長は88年、90年と当時の世界ヘビー級王者マイク・タイソン(米国)の防衛戦を、米国以外で初となる日本での開催を2度も実現させるなど、海外での日本の評価・信頼を高めることに寄与したことも評価された。

同ジム所属の村田は12年ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級の金メダリストになり、プロでも17年にWBA世界ミドル級王座を獲得。日本で初めて五輪の金メダルとプロの世界タイトルを手にする偉業を成し遂げた。また、対戦相手に対する敬意に満ちた対応は、フェアプレー精神の象徴として、ボクシングというスポーツの価値を高めたことも評価の対象となった。

◆日本スポーツ学会 1998年(平10)1月、競技団体の垣根を越えて市民レベルでスポーツを文化として考えようと設立。会員は競技団体、元選手、大学教授、企業、メディアの関係者ら幅広く、300人以上。年に数回、ゲストを招いて「スポーツを語り合う会」を実施。10年に「日本スポーツ学会大賞」を創設し、スポーツの発展に貢献した人物を毎年表彰(20年のみ実施せず)している。

第13回日本スポーツ学会大賞受賞記念講演後、囲み取材に応じる村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)

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村田諒太、揺れる去就「自分から求めていくことはない」現時点の率直な心境を吐露

第13回日本スポーツ学会大賞受賞記念講演後、囲み取材に応じる村田(撮影・鈴木みどり)

スポーツ界の発展に貢献した個人・団体を表彰する「第13回日本スポーツ学会大賞」授賞式が25日、都内で行われ、受賞者となるボクシング前WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(37=帝拳)、受賞団体となる帝拳ジムの代表で元WBC世界スーパーライト級王者浜田剛史氏(62)が出席した。ボクシング界からの受賞は初めて。

昨年4月、ミドル級最強と言われるゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)とのWBAスーパー、IBF世界同級王座統一戦に敗れてから9カ月が経過した村田。これまでロードワークやフィットネスジムなどで体は動かしているという状況で「ブランクもあるし、腹もたるんできた」とジョーク交じりにコンディションを口にした上でこう言った。

「現実的にこれから続けることは考えられない。これから先に『もう1度』とか。もっと強くなるというのはあるが、名声やお金以外に得られるものない。3回目の世界王者になればお金もついてくるが、そのメンタリティーでやって、そんないいものが作れるのかというとそうでもない。これ以上、求めることはできない」。

現時点の率直な心境を吐露した。

ただし引退決断に至ったわけではく「逆に言うと応えることはできる。必要としてくれるのであれば応えることはできる。ただ自分から求めていくことはない。ただ結論は自分だけでは出せない。求められれば、そこで働くだけで、レスポンスするだけ。求められたらうれしいですし」と自らの去就について揺れていることを口にした。

第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、トロフィーを手に笑顔の村田(右)と帝拳ジムの浜田代表(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)
第13回日本スポーツ学会大賞を受賞し、講演で話す村田(撮影・鈴木みどり)

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