「あのような人はもう出てこない」蝶野正洋が猪木さん語る CSテレ朝chで2、3日連続放送

猪木さんは24時間、365日、アントニオ猪木であり続けた-。蝶野正洋(59)が故アントニオ猪木さん(享年79)への思いを語った。若手時代に猪木さんの付け人を務め、リング上で対峙(たいじ)してきた男は「あのような人はもう出てこない」と断言した。蝶野と猪木さんが18年に行ったロング対談や、厳選した猪木の名勝負が収められた特番「独占公開!珠玉のロングインタビュー!猪木自ら語った“アントニオ猪木”闘いの舞台裏と激闘名勝負」がCSテレ朝チャンネルで2、3日の午後6時から2夜連続で放送される。
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蝶野は自身にとってスーパースターであり、親分であった猪木さんについてゆっくりと語り始めた。「24時間、365日、360度、背中越しの見られ方も常に意識している。17歳で業界入りしてから今までアントニオ猪木として生きてきた人だと思う」。
メインイベンターを何十年も張り続け、76年のボクシングヘビー級世界王者モハメド・アリとの異種格闘技戦、89年の日米ソ3国対抗シリーズなどを実現させた。「プロデューサー、プロモーター、そしてメインイベンター。そんな存在、もう出てこないですよ」。
蝶野は武藤敬司、故橋本真也さんと「闘魂三銃士」として猪木さんの代名詞「闘魂」を背負った。「付け人として猪木さんの努力を見ていたし、闘魂は重たすぎるというか、責任を背負えないよと。それなら自分で違う動きをした方がいいと感じた」と振り返る。
「アントニオ猪木」の不安な背中を一度だけ見たことがある。2011年3月、東日本大震災が発生した3週間後、猪木さんの号令で被災地の福島県に向かった。「被災状況の情報もなく、被災者の方々とどう接すればいいかも分からない。告知もしていない。車を降りて1カ所目の体育館に入る時、猪木さんの背中が不安そうだった」と話す。
体育館に入り、次第に猪木訪問が伝わると「闘魂ビンタ」を強く希望する若者が現れた。一瞬「不謹慎では」との思いも交錯したが、強い思いに応えた猪木さんがビンタを放つと、会場に熱量が広がったという。
「実際、猪木さんの行動がきっかけで被災地の情報が拡散された部分があった。リング上はもちろん、興業、事業、行動、全てで0を1にできる人だった」。そんな不世出のレスラー、アントニオ猪木の歴史が「猪木特番」に集約される。
<1月2、3日放送の猪木特番で扱われる名勝負>
【1月2日=第1夜】
★猪木本人が選んだ名勝負
1973年10月14日・蔵前国技館
世界最強タッグ戦90分3本勝負 アントニオ猪木、坂口征二組2-1テーズ、ゴッチ組
★藤波辰爾が選んだ名勝負
1988年8月8日・横浜文化体育館
IWGP世界ヘビー級選手権60分1本勝負
<王者>藤波辰爾 60分時間切れ引き分け アントニオ猪木<挑戦者>
★藤原喜明と猪木本人が選んだ名勝負
1976年6月26日・日本武道館
格闘技世界一決定戦3分15ラウンド
アントニオ猪木 引き分け モハメド・アリ
【1月3日=第2夜】
★初代タイガーマスクが選んだ名勝負
1975年12月11日・蔵前国技館
NWF世界ヘビー級選手権60分3本勝負
<王者>アントニオ猪木 1-1 ロビンソン<挑戦者>
★猪木本人が選んだ名勝負
1980年9月25日・広島県立体育館
NWF世界ヘビー級選手権61分1本勝負
<王者>アントニオ猪木 10分49秒・逆さ押さえ込み ハンセン<挑戦者>
★ライガーが選んだ名勝負
1969年12月2日・大阪府立体育会館
NWA世界ヘビー級選手権60分3本勝負
<王者>ドリー・ファンクJr. 引き分け アントニオ猪木<挑戦者>
★猪木本人が選んだ名勝負
1995年4月29日・平壌メーデースタジアム
20分1本勝負
アントニオ猪木 14分52秒・体固め フレアー
- 蝶野と猪木さん(左から)は2018年に対談を行っていた