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62歳越中詩郎、病床天龍へエール送るヒップアタック 対戦相手も脱帽

6人タッグで勝利後、バックステージでポーズを取る、左から真霜拳號、越中詩郎、AKIRA(撮影・松熊洋介)

<天龍プロジェクト SURVIVE THE REVOLUTION>◇25日◇新木場1stRING◇無観客

レジェンドが帰ってくるまで俺がリングを守る。6人タッグに出場した越中詩郎(62)が得意技のヒップアタックで勝利に導いた。

6人の中で1番躍動したのは越中だった。先発を買って出た越中は、進との序盤戦で流れを作ると、その後はリング内外で暴れ回った。場外に連れ出した拳剛を客席の上に投げ飛ばし、殴りつけた。襲いかかってきた那須もそのまま場外でKO。さらにコーナートップからのダイビングヒップアタックを豪快に決めるなど、62歳とは思えない軽やかな動きで相手3人を翻弄(ほんろう)。自身はほとんどダメージを受けることなく、そのまま勝利につなげた。

レジェンドの復帰を願い、リング上で思いを伝えた。勝利後、笑顔でバックステージに現れた越中は「天龍さんが1日も早く元気な姿を見せてくれることを願う。それまでは我々が熱い試合をやっていきたい」と胸の内を明かした。今月3日には、天龍、藤波らが中心となって立ち上げた日本プロレス殿堂会の1周年イベントに参加。同時代を切磋琢磨(せっさたくま)してきた仲間と語り合い、病床の天龍にもエールを送った。

越中のパフォーマンスに敗れた相手も脱帽。那須は「何の必殺技も出せなかった。正直あそこまで畳み掛けられたら無理。相手したくない」と話せば、進も「パワフルなベテランに完敗」と白旗を揚げた。

この日解説を務めたザ・グレート・カブキらとユニット「平成維震軍」を引っ張り、リングに立ち続ける。「当時はまさか長く続くなんて思ったことはなかった。自然体でやっているのが良かったのかも」。謙遜しながらもリングへ上がりたい思いは強い。無観客での開催となったが「お客さんがいないのが残念だが、カメラの向こうで応援してくれたら。今日の勝利でまた勢いがついた」。天龍に元気を与えるプロレスを見せるため、62歳越中はまだまだ成長を続ける。【松熊洋介】

進祐哉にヒップアタックを決める越中詩郎(撮影・松熊洋介)

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「殺されるような目つき」小橋建太、藤波辰爾も恐れたザ・グレート・カブキ

ザ・グレート・カブキ(撮影・柴田隆二)

レジェンドたちが恐れていたプロレスラーがいた。3日に都内で行われた、日本プロレス殿堂会設立1周年記念イベント「レジェンドサミット」で全日本プロレスなどで活躍したザ・グレート・カブキ(72)が登場した。

イベントにはほかに藤波辰爾(67)、長州力(69)、小橋建太(54)、田上明(59)、越中詩郎(62)が参加。昭和時代からリングを沸かせてきた選手たちが、司会者からの「若手のころ怖かった先輩がいたか」の質問に長州、田上以外の3人が口をそろえて「カブキさん」と答えた。70年に日本プロレスに入った藤波は「雰囲気が怖かった。リングサイドで見ていて蹴りも動きがすごかった」と明かした。小橋は「やっぱりカブキさん。殺されるような目つき。近寄れなかったし、控室でも話せなかった」と苦笑いを見せた。

新日本プロレスの平成維震軍として一緒に戦った越中は「キャリアも年齢も違ったが、とても頼もしかった」と話した上で「試合で怒られた記憶しかない」と振り返った。さらにプライベートでの逸話を披露。「本当によく飲まされた」。メンバーで食事に行った際には仲間の“後始末”もさせられることが多かったようで「朝4時ごろに六本木警察に行ったこともある」とエピソードを語った。

後輩たちの暴露にさすがのカブキも苦笑い。「ほかの選手が『カブキと飲み行くな』と言っていたみたい」。周りに一目置かれる存在だったが、それでも平成維震軍のメンバーに溶け込もうと、加入後には結束の証しとして頭をそり上げた。「家で髪を切った。娘が保育園から帰って来て、お帰りと言ったらぎゃーって逃げていった。それが一番の思い出」と目を細めた。

現在でも平成維震軍のメンバーがリングに上がることもある。カブキも毎試合、セコンドとして参戦する。「日本での最高のチームだと思っている。お客さまを引きつけて、喜ばせるのがプロレス。試合を見ていたら、またやりたくなりますよ」。イベント後には集まったファンとにこやかな笑顔で記念撮影。現役時代からリングの上でも外でも暴れ、恐れられたカブキだが、プロレスへの愛着と魂は今も昔も変わらない。【松熊洋介】

ザ・グレート・カブキ(左から2人目)ら平成維新軍のメンバー(1994年12月12日撮影)
グレート・ムタ(右)とザ・グレートカブキ

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療養天龍を長州力ら激励「とんでもないラインきた」

日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」でトークショーする長州力(左)と藤波辰爾(撮影・柴田隆二)

レジェンドたちが病床の盟友にエールを送った。

日本プロレス殿堂会設立1周年記念イベント「レジェンドサミット」が3日、都内で行われ、藤波辰爾(67)、元プロレスラーの長州力(69)らが療養中の天龍源一郎氏(71)を激励した。

本来なら今イベントの立ち上げの1人である天龍氏も参加する予定だったが、先月19日から検査入院しており、不参加。最初に長州と壇上に上がった藤波は「元気そうだという話を聞いた。次回は参加してくれると思う」と思いを明かした。長州は数日前にLINE(ライン)でやりとりをしたことを明かし「ここでは言えないが、とんでもないラインが来た。今は検査入院。源ちゃんは元気いっぱいですよ」と集まったファンを安心させた。

壇上でトークショーを行った藤波と長州。2人はともにアントニオ猪木氏(78)に指導を受け、82年からはお互いの軍団同士で抗争を繰り広げるなどして新日本プロレスを盛り上げた。当時を振り返った藤波は「控室でも顔を合わせず、リングに上がると(お互いに)感情をむき出しにして戦っていた」。2人の戦いはファンも刺激したようで「周りでお互いのファン同士がケンカするなど、あり得ないことが起こっていた」と当時のエピソードも披露した。

「日本プロレス殿堂会」は昨年2月に、藤波、長州、天龍氏らが、2世たちと協力し、結成。協会が存在しない業界の中で「プロレスの宝を守ろう」と、文化の伝承や、歴史を創ってきたレジェンドの功績をさまざまな形で伝えていく活動を行っている。昨年はコロナ禍で開催できなかったが、この日ようやく第1回のイベントが実現。藤波は「今後は往年で活躍した選手たちを殿堂入りさせたい」と意欲を見せた。

この日は、小橋建太氏(54)、田上明氏(59)、越中詩郎(62)、ザ・グレート・カブキ(72)も参加。リング上でぶつかり合った仲間たちと久しぶりの再会を楽しんだ。先月天龍氏とのトークショーを行う予定だった小橋は今イベントに参加を志願。「代わりになるかは分からないが、名乗りを上げさせてもらった。回復も祈っているし、今度は戻ってきて、天龍節を聞けることを楽しみに、第2回もまた来てください」と語った。

また天龍氏は、娘で「天龍プロジェクト」の代表取締役である嶋田紋奈氏を通じ「行けなくなってしまいましたが、みなさん殿堂会の1周年を盛り上げてくれてありがとう。俺はまたファンに元気な姿を見せられるように頑張ります」とメッセージを寄せた。

日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」でトークショーする小橋建太氏(左)と田上明氏(撮影・柴田隆二)
日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」でトークショーをする越中詩郎(左)とザ・グレート・カブキ(撮影・柴田隆二)
日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」で記念撮影に納まる。左から長州力、藤波辰爾、小橋建太氏、田上明氏、越中詩郎、ザ・グレート・カブキ(撮影・柴田隆二)

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タイガー服部「もう時間」レフェリー生活44年で幕

引退セレモニーでオカダ(左)から花束を受け取り労われるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)

タイガー服部(74)が44年のレフェリー生活に幕を下ろした。

19日、新日本プロレス後楽園大会のセミ、メイン2戦を裁き、メイン後の引退セレモニーでは10カウントゴング、胴上げで送られた。

76年に米国でレフェリーデビュー。以来、95年北朝鮮・平壌でのアントニオ猪木-リック・フレアー戦、99年1月4日の橋本真也-小川直也戦などプロレス史に残る数々の試合を裁いてきた。

優秀な海外選手を招くなど、コーディネーターとしても新日マットを支えた。レフェリーが引退試合を行うのは異例。それだけ選手からの信頼は深かった。

セレモニーには、ザ・グレート・カブキ、馳浩、武藤敬司、長州力ら豪華ゲストが来場。天龍源一郎、アントニオ猪木からはビデオメッセージが届き、猪木氏からは「長い間本当にご苦労さまでした」とねぎらわれた。

会場は1600人の超満員。マイクを取った服部レフェリーは「コロナという不気味なものに負けないで、これだけたくさん来られて感謝しております」とまずあいさつ。

そして、「自分はこのユニークなスポーツに出会えて、一生プロレスというものを愛し、だけど自分の人生という感じがします。素晴らしいことも友情もいろいろありますが、裏切りもあります、悲しいこともあります。まるで自分の人生みたいな感じがします」とプロレスと自分の人生を重ねた。

選手、スタッフ、ファンに感謝を述べ、「こういう思い出は一生忘れないように頭の中に刻んで生きていきたいと思います」と目を潤ませた。10カウントゴングの後、米国時代の盟友、故マサ斎藤さんの入場テーマが流れる中、選手らに胴上げされた。

レフェリーとしての哲学は「選手を邪魔しない。無駄な場所にいないこと」。それがうまくできなくなったため、「もう時間だな、と思って」と自ら引退を決めた。

最後の3カウントをたたき、「やり切った感があった。燃え尽きました」。1年新日本との契約を延長し、米国での興行、イベントを裏方で支える予定だ。

【高場泉穂】

引退セレモニーでタイガーマスク(左)と握手を交わすタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
後藤(右奥)にオコーナーブリッジを仕掛けるSANADA(手前右)にカウントをとりにかかるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
タイガー服部レフェリー(中央)引退セレモニーでリングに上がり写真に納まる、左から武藤敬司、長州力、1人おいてザ・グレートカブキ、馳浩(撮影・河田真司)
引退セレモニーでアントニオ猪木のサプライズビデオメッセージを見つめるタイガー服部レフェリー(右)(撮影・河田真司)

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和田アキ子ら笑顔でデストロイヤーさんの思い出語る

ザ・デストロイヤー氏の追悼セレモニーでリングに上った和田アキ子(中央)。右は長男カート・ベイヤー氏、左はドリー・ファンク・ジュニア氏(撮影・加藤諒)

<プロレス:ザ・デストロイヤー・メモリアルナイト~白覆面よ永遠に~>◇15日◇東京・大田区総合体育館

3月7日に88歳で死去した元プロレスラーの「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤーさん(本名リチャード・ベイヤー)の追悼セレモニーには縁のある選手、著名人たちが出席した。

スタン・ハンセン、ドリー・ファンクJr.、ザ・グレート・カブキらプロレスラーをはじめ、日本テレビのバラエティー番組「金曜10時! うわさのチャンネル!!」で共演した和田アキ子、せんだみつお、徳光和夫アナウンサーが出席。リング上で故人の妻ウィルマさん、長男カート氏、長女モナさんとともに10カウントゴングで追悼した。和田、徳光、せんだの主な一問一答は次の通り。

-思い出は

徳光 付き合いが本当に長い。何から話していいか、思い出が鮮明に残っています。銀座で偶然あった時、トクミツと言われ、最初分からなかったんです。なぜか分かりますか? マスクを脱いでいたからなんです。

和田 やっぱり息子さん、お嬢様と久しぶりにお会いして。小さい頃から知っているので。当時、デス(トロイヤー)のおうちが麻布にあって。ハーイと出迎えてくれて、明るいおじちゃんが出てきて。デスのお父さんかと思って「どこにデスはいますか」と聞いたら「イッツ、ミー!」と言われてエーッと驚くほど、マスクを取ると分からなかった。今から11年前、ニューヨークのアポロシアターで日本人で初めてコンサートしたのですけれど、デスが花束を持って来てくれまして、それを思い出しました。

徳光 力道山と試合した人なんですよ。その人が今年まで存命でいらしたことがすごいことだと。素晴らしいなと思います。大きい拍手で送りたいですね。

-せんださんは

せんだ 振り返るとおふたりがいないと全国区になっていない。そしてデストロイヤーさんがいないと有名になっていない。アッコさんは歌手として有名でしたけれど、ボクはコメディアンとして有名になれた。アナウンサーから初めてコメディアンになれたのは徳光さん。これもやっぱりデストロイヤーのおかげ。おかげさまなんです。

和田 こうやって笑って話せるのもいいし、10カウントゴングも(胸に)きますね。日本で頑張ってヒーローになれた。本当に日本のことを1番よく分かっている米国人だと思います。本当にすてきな人でした。

-最後に

徳光アナ 最後に会ったのは3年前なんですけれど、最初のあいさつが「アッコは元気か? ボスは元気か?」でしたからね。

和田 ボスでしたよね。ブスじゃなかったですよね?

徳光アナ ブスのつもりでボスと言っていたかもしれませんが(笑い)。

和田 マスクを取った時は普通のおじちゃんだもんね。

徳光アナ オバQに似ていたもんね。

せんだ 天国から「よく3人がやってくれているな」と見守ってくれているんじゃないですか。

ザ・デストロイヤー氏の追悼セレモニーで、リングに上がった長男カート・ベイヤー氏(中央)、スタン・ハンセン氏(前列右から4人目)、徳光和夫(同3人目)、和田アキ子(同7人目)、せんだみつお(同9人目)ら関係者(撮影・加藤諒)

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デストロイヤー杯、長男カート氏感謝「すごい日」

ザ・デストロイヤー氏の追悼セレモニーで遺影を手に顔を拭う長男カート・ベイヤー氏(撮影・加藤諒)

<プロレス:ザ・デストロイヤー・メモリアルナイト~白覆面よ永遠に~>◇15日◇東京・大田区総合体育館

3月7日に88歳で死去した元プロレスラーの「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤーさん(本名リチャード・ベイヤー)の追悼セレモニーが開かれ、元プロレスラーの長男カート氏が、会場に集結した縁のある選手、著名人、ファンに感謝の言葉を口にした。

同興行に合わせて来日したスタン・ハンセン、ドリー・ファンクJr.をはじめ、ザ・グレート・カブキ、力道山の息子となる百田光雄、渕正信、藤波辰爾、小橋建太、秋山準らプロレスラーがリングイン。デストロイヤーさんが日本テレビのバラエティー番組「金曜10時!うわさのチャンネル!!」で共演した和田アキ子、せんだみつお、徳光和夫アナウンサーとともに10カウントゴングで追悼した。

リングに上がった父とゆかりのある人たちの名前を呼び、頭を下げたカート氏は「今日は本当にすごい日。リングに上がってくれてありがとうございます。みなさんも大田区まで来てくれてありがとうございます」と会場の観客にも感謝していた。

ザ・デストロイヤー氏の追悼セレモニーで弔事を述べる徳光和夫(撮影・加藤諒)
ザ・デストロイヤー氏の追悼セレモニーでリングに上った和田アキ子(中央)。右は長男カート・ベイヤー氏、左はドリー・ファンク・ジュニア氏(撮影・加藤諒)

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武藤敬司が復活?セコンドから乱入し馳をアシスト

プロレスリングマスターズで1年ぶりに復帰し勝利した馳(右)は武藤と談笑(撮影・桝田朗)

<プロレスリング・マスターズ:後楽園大会>◇21日◇後楽園ホール

 武藤敬司(55)が、3月30日の両ひざの手術以来、初めてリングでプロレスの技を披露した。

 メインの8人タッグで、馳浩らの往年のユニット「BATT」のセコンドとして登場。リングサイドで試合を見詰めていたが、平成維新軍のセコンドに就いたザ・グレート・カブキの毒霧攻撃に反応し、リングイン。カブキを攻め立てたが、すぐに維新軍につかまり、両ひざへの集中攻撃を浴びた。それでも、1人ずつドラゴンスクリューを見舞い、維新軍のAKIRAにシャイニングウィザードをお見舞いし、勝利をアシストした。

 試合後は、馳に「武藤、来年は試合できるんだろう?」とマイクで問われ「来年? 来年、やりましょう」と返した。そして「セコンドは初めてで、自分がどこに居ていいのかわからなかった。勉強になった。プロレスの技は手術後初めて使ったが、結構体が覚えているもんだね。ちょっと、不格好だけど、来年だからね」と、来年の復帰に手応えをつかんだ様子だった。

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馳浩1年ぶりリング、不祥事続き文科大臣復帰も意欲

プロレスリングマスターズで1年ぶりに復帰し勝利した馳(中央)は武藤(左から2人目)と談笑。左から太陽ケア、2人おいて新崎人生、大谷晋二郎

<プロレスリング・マスターズ:後楽園大会>◇21日◇後楽園ホール◇1382人(超満員)

 武藤敬司がプロデュースするプロレスリング・マスターズで、衆議院議員の馳浩(57)が、1年ぶりのリング復帰を果たした。馳は、昨年7月に11年ぶりに復帰した同大会でメインに登場。両ひざを手術した武藤をセコンドに大谷晋二郎、太陽ケア、新崎人生らと往年のユニット「BATT」を復活させた。越中詩郎率いる平成維新軍は、AKIRA、青柳政司、斎藤彰俊にセコンドにザ・グレート・カブキが復活。両軍はレジェンドとは思えない激闘を展開した。馳は越中と顔の張り合いを演じた後、AKIRAをジャイアントスイングで22回転。最後は、セコンドから介入した武藤のシャイニングウィザードの助けを借り、AKIRAをノーザンライトボムで仕留めた。試合後は「武藤が頑張っているので、少しでも支えられれば」と来年以降の参戦もにおわせた。

 また元文科大臣として度重なるスポーツ界の不祥事に「大事なことは2つ。スポーツに政治は介入してはいけないということと、問題が起きたときに、アスリートファーストで苦情を受け付け、問題を解決するシステムをつくる必要がある」と力説した。今後については「9月20日に誕生する総裁のもとで、不祥事続きの文科省を立て直したい」と文科大臣復帰への意欲を見せた。

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マサ斎藤さんに坂口相談役、長州力、前田日明ら別れ

マサ斎藤さんの葬儀・告別式で棺を運ぶ、右端の佐々木健介から左回りで坂口征二新日本相談役、西村修、武藤敬司、蝶野正洋、キラー・カーン、前田日明、長州力(撮影・柴田隆二)

 日米のマットで活躍し14日にパーキンソン病のため75歳で亡くなった元プロレスラーのマサ斎藤さん(本名斎藤昌典さん)の告別式が22日、東京・青山の梅窓院で営まれた。

 猛暑の中、明大時代の同期で新日本プロレスの坂口征二相談役や、長州力、前田日明、武藤敬司、蝶野正洋、キラー・カーン、佐々木健介、西村修、小島聡、SANADAらが参列した。

 米国でAWAタッグ王者としてともに戦ったザ・グレート・カブキの米良明久さんが「マサやん、17年間の闘病生活、本当に頑張ったね。お疲れさん。いつか会えるそのときは、またコンビを組んでチャンピオンになりましょう」と声を詰まらせながら弔辞を読み上げた。

 続いて弔辞を述べた武藤敬司は「米国のプロレスの中で一目置かれた先輩がいたから、オレなんかやりやすかった。nWoをやっているときも、蝶野とオレで意見がぶつかると、マサさんに聞いて判断を仰いでいた。日本だけ、米国だけというレスラーが多い中、両方どっちもできるという点で波長が合った」と話した。

 長州は「米国で警官を殴って刑務所に入れられているときに面会に行ったが、すごく明るく、体も筋肉が落ちていなかった。とにかく豪快な人だった。この年まで(プロレスを)やってきたが、あそこまではなれないなと思います」と話した。

 出棺の際は、前田日明、長州力が隣り合わせに棺を抱え、武藤敬司、坂口相談役、キラーカーン、蝶野正洋といったかつての大物レスラーが集まり、故人の人柄をしのばせた。

マサ斎藤さんの葬儀・告別式で弔辞を述べる武藤敬司(撮影・柴田隆二)
マサ斎藤さんの葬儀・告別式で弔辞を述べるザ・グレート・カブキ(撮影・柴田隆二)
マサ斎藤さんの葬儀・告別式で、出棺のあいさつする喪主の倫子夫人(中央)(撮影・柴田隆二)
マサ斎藤さんの葬儀・告別式で棺を運ぶプロレスラー、関係者ら、右手前は位牌(いはい)を持つ喪主の倫子夫人(撮影・柴田隆二)

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ザ・グレート・カブキ最後の毒霧吹いてリングに別れ

引退の10カウント後、カブキが立つリングにはたくさんの紙テープが投げ込まれた(撮影・滝沢徹郎)

<プロレスリング・ノア:後楽園大会>◇22日◇後楽園ホール

 毒霧殺法で日米で人気を博した“東洋の神秘”ザ・グレート・カブキ(69)が、プロレス人生に別れを告げた。引退試合となった第1試合のメモリアル・マッチ6人タッグ戦に出場。勝利で有終の美を飾った。入場時のヌンチャク、毒霧攻撃、アッパーカットとすべてを出し尽くし、ファンの大声援を浴びた。引退式ではヌンチャクと毒霧を2回噴き、リングを去った。

 引退のテンカウントが終わると、カブキは両手に持ったヌンチャクを振り回し、リング上に静かに置いた。そして、天井に向かって、最後の毒霧を噴き上げた。緑色の霧が、プロレス人生の幕を引くように、カブキの頭上から降り注いだ。

 「ヌンチャクと毒霧はこの仕事をやり始めたときからやっている。リングに置いてきたほうがいいかなと。後は毒霧噴かずに、ホラばっかり吹いていればいい」。汗か涙か、左目から一筋こぼれ落ちた。54年のプロレス人生に別れを告げ「もう思い残すことはない。すべてやってきた」と胸を張った。

 81年、米国遠征中にカブキに変身した。試合後のシャワールームで、口に入った水を何げなく噴き上げると、窓から差し込む光の中で虹になった。それから、口の中に緑と赤の液体を入れた風船を2つ仕込み、毒霧を噴くようになった。忍者などの衣装は自分で縫ってつくった。これが大ブレークし、全米の子どもがメロンジュースといちごジュースを噴き出すようになり、テレビ局へ保護者からのクレームが殺到したという。

 カブキとアンドレ・ザ・ジャイアントの抗争は大人気で、1試合で300万円のファイトマネーを稼いだこともあるという。日本では83年に逆輸入の形で登場。米国で大ブレークしたプロレスラーの第一人者となった。98年8月、50歳の誕生日を前に1度引退した。今回は70歳の誕生日を前に引退を決めた。後進へ贈る言葉を求められるとカブキは「考えているだけじゃだめ。思いついたらやってみること」と、笑みを浮かべながら言った。【桝田朗】

 ◆ザ・グレート・カブキ(本名・米良明久)1948年(昭23)9月8日、宮崎県延岡市生まれ。64年に日本プロレス入団。同年10月31日の山本小鉄戦でデビュー。日本プロレス崩壊後、73年に全日本入団。その後米国を主戦場にし、81年にザ・グレート・カブキとなる。独特のコスプレと毒霧殺法で米国で大人気を博した。98年8月に1度引退するがその後復帰した。180センチ、90キロ。家族は安子夫人(60)と1女。

93年6月、IWGPヘビー級選手権でリングに向かうザ・グレート・カブキ

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ザ・グレート・カブキ引退試合、悔いなし最後の毒霧

試合後の引退セレモニーで毒霧を吹くザ・グレート・カブキ(撮影・滝沢徹郎)

 ザ・グレート・カブキの米良明久少年が日本プロレスの合宿所に力道山を訪ねたのは、昭和38年10月10日だった。

 15歳のときだった。合宿所にいたグレート小鹿がそのときのことを覚えていた。「朝5時すぎだったかな。合宿所にいた犬が吠えるんで、1階に降りていったら、小さな少年がちょこんと座っていた。あれがカブキだったんだ」。

 「坊や、事務所は渋谷だから、そっちに行って話したほうがいいよ」。小鹿から言われたものの、宮崎から出てきたばかりの米良少年は電車の乗り方も分からない。仕方なく出直して、翌年1月15日の成人の日に、もう1度日本プロレスの事務所を訪ねた。その間に力道山が亡くなったため、米良少年は会う機会を無くしてしまった。そんな少年に豊登が「卒業したらおいで」と声をかけてくれた。口約束では納得できない米良少年は、豊登に一筆書いてもらい、入団が決まった。

 あれから54年。22日のプロレスリング・ノア後楽園大会で、カブキは引退試合を行った。入場曲が鳴ると、詰めかけたファンのカブキコールが巻き起こった。忍者装束に身を包み、両手にヌンチャクを持ってリングに上がると、緑色の毒霧を高々と吹き上げた。

 80年1月、米国遠征中のカブキは、ブルーザ・ブロディーのマネジャー、ゲーリー・ハート氏に呼ばれダラスに向かった。事務所でいきなり雑誌を渡され「お前、これができるか?」と尋ねられた。そこに映っていたのは連獅子の写真。当時、米国で試合をする日本人の格好といえば、田吾作スタイルで、相手に塩をまくスタイルが主流。そんな中で、カブキは、連獅子をまねて、自分で布を縫って衣装をつくり、ザ・グレート・カブキが誕生した。

 試合後のシャワールームで口に入った水を噴き上げたことをきっかけに毒霧を考案。緑と赤の液体を風船に入れ、口の中に含ませて吹き出す毒霧殺法で、米国で大ブレークした。

 アンドレ・ザ・ジャイアントとの抗争は、特に人気を博した。最初、15ドルほどのファイトマネーが、50ドルに跳ね上がり、さらに200ドルになった。最高で、1試合300万円のファイトマネーをもらったこともある。「あのころは本当にすごかった。試合が終わると、駐車場にファンが大勢待っていて、VIPの通用口から出してもらったこともあった。世界中を旅し、アラブ王様の前でプロレスをやったこともあるよ」とカブキは言う。

 83年2月には全日本に逆輸入の形で凱旋(がいせん)帰国。日本でもカブキスタイルが爆発的な人気となり、日米で活躍した。

 引退試合が終わると、日本プロレス時代の先輩、グレート小鹿や藤波辰爾、川田利明ら関係者から花束をもらった。最後に、1人娘の映理さん(25)から花束と「パパありがとう、大好きです」とねぎらいの言葉をかけられ、リング上で抱き合った。10カウントが終わると、ヌンチャクを振り回し、リング上に静かに置き、最後の毒霧を天井へ吹き上げた。

 「ヌンチャクと毒霧はこの仕事を始めたときからやっているので、ここ(リング)に置いてきたほうがいいかなと。もう思い残すことはない。すべてやってきた」と、カブキはほっとしたように話していた。

試合後、リング上で記念写真するザ・グレート・カブキ(中央)。左は娘の映理さん、右は妻の安子さん(撮影・滝沢徹郎)

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さらば毒霧、ザ・グレート・カブキが今日引退試合

ザ・グレート・カブキ(16年1月4日撮影)

 元祖毒霧戦法のザ・グレート・カブキ(69)が今日22日のプロレスリング・ノア後楽園大会で引退試合を行う。カブキは午後6時30分開始の第1試合で、メモリアルマッチとして越中詩郎らと組んで6人タッグマッチに出場。試合後は引退セレモニーも行われる。全日本プロレスから80年代に米国に渡り、最も成功した日本人レスラーとなったカブキは、80年に毒霧攻撃を考案。ハデな忍者衣装なども受け、1試合で300万円以上のギャラを稼ぐスターとなった。その後は日本に帰国して活躍した。

 「来年、70歳になる前に引退しようと思った。レスラー生活54年。もういいだろう」と、最後の試合に臨む。

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グレート小鹿「全日本のベルトねらう」来年の目標に

グレート小鹿(2017年11月21日撮影)

<全日本:横浜大会>◇28日◇横浜ラジアントホール

 第4試合の8人タッグに登場した大日本会長のグレート小鹿(75)が、試合後にらためて全日本のベルトを狙うことを宣言した。

 今年24試合目の試合は、渕正信、関本大介、丸山敦と組んで、ザ・グレート・カブキ、ドリー・ファンク・ジュニア、西村修、ダルトン・デリック組と対戦。小鹿は、カブキやドリー・ファンクと激しい戦いで会場を沸かせた。試合後には「来年は、全日本のベルトをねらう。最初はアジアタッグと言ったけど、まずベルトだな。機会を見て、秋山社長にお願いするよ」と、2018年の目標を全日本のベルトに定めた。

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ザ・グレート・カブキ引退試合 12・22後楽園

ザ・グレート・カブキ(16年1月4日撮影)

 プロレスリング・ノアは23日、年内完全引退を表明していたザ・グレート・カブキ(69)が12月22日の後楽園大会に参戦すると発表した。この大会で、引退試合、引退セレモニーを行う。

 カブキは64年10月31日に日本プロレスでデビュー。81年1月に遠征中の米国でザ・グレート・カブキに変身し、悪役レスラーとして活躍した。

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元大臣・馳浩11年ぶりリング復帰「続きはある」

ザ・グレート・カブキ(手前)をジャイアントスイングで攻める馳浩(撮影・神戸崇利)

<プロレスリング・マスターズ:後楽園大会>◇26日◇後楽園ホール

 前文部科学大臣の馳浩(56)が11年ぶりにリングに復帰した。

 メインの6人タッグで、先輩の藤波辰爾、長州力と組んで、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNT組と対戦。黄色いトランクス、緑のTシャツで登場すると、立ち見が出るほど満員の観衆で埋まった会場から大歓声が上がった。

 長州、藤波に続き3番手として登場すると、コーナートップからのジャンピングエルボー、強烈な逆水平チョップなどで会場を沸かせた。さらに、カブキを「よし、回すぞ!」と人さし指をクルクル回すポーズを合図に20回、ジャイアントスイングで回してファンを熱狂させた。

 最後は、現役時代に激闘を展開したTNTを裏投げから、北斗原爆固めで破り、16分41秒の激闘を制した。

 試合後、馳は「尊敬する藤波、長州の先輩がそばにおられて、思う存分やらせていただいた。相手も良かったので、自然と体が動きました。リングにいるときは、政治家馳浩はなし。政治家のにおいがあったらイヤだから」と話した。今後については「続きはあるだろう」と、リングに上がる可能性もにおわせた。

グレート・ムタ(右)と場外で争う馳浩(撮影・神戸崇利)
TNT(手前)をスープレックスで投げる馳浩(撮影・神戸崇利)

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馳浩は全開「リング上で政治家のにおいがしたら嫌」

ザ・グレート・カブキ(手前)をジャイアントスイングで攻める馳浩。右奥は長州(撮影・神戸崇利)

<プロレスリング・マスターズ:後楽園大会>◇26日◇後楽園ホール

 ジャイアントスイングが11年ぶりに復活した。元プロレスラーで前文部科学大臣の馳浩(56)が26日、東京・後楽園ホールで行われた「プロレスリング・マスターズ」でリングに復帰。メインの6人タッグに登場すると、得意技ジャイアントスイングでザ・グレート・カブキを20回回した。最後は北斗原爆固めでTNTを破って試合を決め「夢は終わらない」と今後のプロレス継続もにおわせた。

 「よっしゃー! 回すぞ!」。馳が客席を見回し、人さし指をクルクル回すと、超満員の後楽園がどっと沸いた。「1回、2回、3回、4回…」。カブキの両足をロックして、観客のかけ声とともに振り回す。大声援の後押しを受けて20回も回した。

 最後はTNTに北斗原爆固めを決めて勝利。藤波辰爾、長州力の先輩を従えて、華々しく復帰戦を飾った。「リングにいるときは政治家馳浩じゃない。リング上で政治家のにおいがしたらイヤ」と、プロレスラー全開の活躍だった。

 「大臣になってリングに戻る」という“公約”を実現した。藤波、長州とタッグを結成し、グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNTとの対戦という夢のカードが実現。それでも試合後は「夏の夜の夢に終わらせないようにします」とファンに叫んだ。

 今大会の発案者は、馳と新日本プロレス時代の盟友・武藤敬司だった。15年にプロレス界から初の文部科学大臣に就任すると、就任祝いのパーティーの発起人に名を連ねた仲だ。当時から武藤は冗談のように「大臣になったんだから、リングに上がってもらう。オレはいつでもバックアップするから」と話していた。

 武藤からオファーを受けた2月から、毎日1時間の時間をつくってトレーニングに充ててきた。今後について馳は「続きはあるだろう」とプロレスの続投をにおわせた。23年目を迎えた政治活動とともに、11年の時を超えてよみがえった熱い男の胸に、プロレスの火がついた。【桝田朗】

96年に最多60回記録/馳のジャイアントスイング

06年8月、引退試合でYASSHIに最後のジャイアントスイングを決める馳浩

<プロレスリング・マスターズ:後楽園大会>◇26日◇後楽園ホール

 元プロレスラーで前文部科学大臣の馳浩(56)が26日、東京・後楽園ホールで行われた「プロレスリング・マスターズ」でリングに復帰。メインの6人タッグに登場すると、得意技ジャイアントスイングでザ・グレート・カブキを20回回した。最後は北斗原爆固めでTNTを破って試合を決め「夢は終わらない」と今後のプロレス継続もにおわせた。

 ◆馳のジャイアントスイング 90年代に当時新日本の馳が、毎試合使うことにより得意技として定着させた。馳は、保永昇男に25回転を決め、ライオネス飛鳥の24回を超える日本記録を達成。96年には小川良成戦で、最多60回の記録をつくった。06年8月27日の引退試合では、自分の年齢と同じ45回を記録している。

政治家はうそつかない、武藤が馳浩議員の復帰を発表

馳のリング復帰を発表した武藤

 プロレスラー武藤敬司(54)が12日に都内で会見し、自身がプロデュースする26日の興行「プロレスリング・マスターズ」(東京・後楽園ホール)で、06年8月にプロレスを引退した前文部科学大臣の衆院議員、馳浩(56)が、約11年ぶりにリング復帰すると発表した。「『大臣になったら戻る』と言っていたから、そこを突いて交渉した。政治家たるものうそはつけないからね。相当練習しているみたいだし、11回以上はジャイアントスイングを回してくれると思う」と期待した。

 試合は馳が長州力、藤波辰爾と組み、武藤の悪の化身グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ、TNT組と対戦する。豪華メンバーが集結したことに武藤は「90年代の人間模様が時を経てどうなるのか。長州-馳のラインとか2度と見られないかもしれないし、暑さを吹っ飛ばすような試合をしてほしい」と話した。

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前文科大臣馳浩が復帰、レジェンド集結6人タッグ戦

06年8月、引退記念特別試合でYASSHIに現役最後のジャイアントスイングを決める馳浩

 06年8月に引退した、元プロレスラーで前文部科学大臣の馳浩(56)が、今月26日の「プロレスリング・マスターズ」(東京・後楽園ホール)で、11年ぶりにリング復帰することが10日、分かった。「大臣になって戻ってくる」というファンとの約束を果たすため、イベントをプロデュースする武藤敬司(54)のオファーに応えた。大物が集う豪華舞台で、持ち前の熱いファイトを披露する。

 「戦う国会議員」が、リングに戻ってくる。馳の復帰戦の舞台は、師匠長州力(65)藤波辰爾(63)のレジェンド2人と組む6人タッグ。武藤の化身グレート・ムタ、ザ・グレート・カブキ(68)、新日本時代に激闘を繰り広げたTNT(52=プエルトリコ)組が相手と、11年ぶりのリングを祝うかのように豪華メンバーが集まった。

 ファンとの約束が、復帰を後押しした。石川・星稜高の国語教師として84年ロサンゼルス五輪に出場すると、85年にプロレスラーに転身。佐々木健介との「ハセケン」タッグで人気を集め、新日本のIWGPタッグ王座を獲得するなど、技巧派のトップ選手として活躍した。95年に森喜朗元首相の誘いを受けて出馬した参院選で初当選を果たし、政界に進出。05年には文部科学副大臣に就任するなど、二足のわらじで戦い続けた。

 だが、議員としての多忙な日々から、06年に引退を決意。「大臣になって戻ってくる」とファンに誓い、20年におよぶ現役生活に別れを告げた。その後は20年東京五輪・パラリンピック招致などでも存在感を発揮し、15年にプロレス界初の文部科学大臣に就任。「大臣になる」という1つの約束を果たしたことで、リング復帰に気持ちが傾いていったとみられる。

 フェイスブックで鍛え抜かれた肉体を披露するなど、多忙な合間を縫ってトレーニングを続けてきた。引退試合で年齢と同じ45回転を披露したジャイアントスイング、代名詞の裏投げ、北斗原爆固めなど大技への期待も高まる。

 「引退に 臨んで秋の 風が吹く」と得意の俳句でリングに別れを告げてから、11年。真夏のマット界に、熱い男が帰ってくる。

 ◆馳浩(はせ・ひろし)1961年(昭36)5月5日、富山・小矢部市生まれ。星稜高でレスリングを始め、3年で国体優勝。専大4年で全日本学生優勝。卒業後は星稜高で国語の教員を務め、84年に全日本選手権優勝。グレコローマン90キロ級で同年のロサンゼルス五輪出場。85年にジャパンプロレスに入団し、86年にプエルトリコでデビュー。87年の小林邦昭とのデビュー戦でIWGPジュニア王座奪取。デビュー戦での戴冠は史上唯一の快挙。IWGPタッグ王座3度戴冠。96年に全日本移籍。95年に参院議員に初当選し、00年には衆院議員に。現役時代は183センチ、103キロ。夫人はタレントの高見恭子。

 ◆プロレスリング・マスターズ 武藤敬司が「プロレスの達人」を集めてプロデュースする不定期開催の大会。第1回は今年2月に東京・後楽園ホールで行われ、超満員札止め。メインは藤波、長州、武藤、ライガー組が「平成維震軍」の越中、カブキ、AKIRA、斎藤彰と対戦した。ウルティモ・ドラゴン、グレート小鹿、藤原喜明、高山善広らも参戦。

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天龍源一郎引退パーティーに坂口征二ら300人集結

鏡割りに勢ぞろいしたレスラー、手前が天龍(撮影・小谷野俊哉)

 昨年11月にプロレスを引退してタレントに転身した天龍源一郎(66)の引退記念パーティーが13日、東京・早稲田のリーガロイヤルホテル東京に300人を集めて行われた。

 坂口征二、グレート小鹿、ザ・グレート・カブキ、アニマル浜口、前田日明、高山善広、リッキー・フジ、北原光騎、関本大介ら、レジェンドから現役までプロレスラー、三遊亭円楽、徳光和夫ら芸能関係者も駆けつけた。

 天龍は「おかげさまで無事に現役を引退できました。医者によると80歳くらいまで生きなきゃいけないらしいけど、何があるやら」と笑顔を見せた。

 乾杯の音頭を取った坂口征二は「天龍選手と自分と、これで長州がいれば、聞き取りにくい3人衆」と笑わせた。

 天龍とは中学校の同級生という円楽は「源ちゃんと親密になったのは(ジャイアント)馬場さんのおかげ。馬場さんを落語会に呼んだら、代わりに源ちゃんをよこして、そこから仲良くなった」と話した。

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