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旧東関部屋に移転した二子山部屋が始動「地元の方と交流していきたい」

寅さんの街に相撲部屋が残った-。3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に部屋を構えていた二子山部屋が移転し、1日から始動した。

この日の朝稽古は午前7時半から約3時間。稽古後に電話取材に応じた二子山親方(43=元大関雅山)は「所沢で頑張ってきたものを発揮して、これからみんなで、さらに頑張るぞ、というのを感じられるいい稽古内容でした。関取を狙うのもいるし、同世代はそれに置いていかれないように頑張っていました。新しい部屋になって、さらにその相乗効果が出ていた気がしました」と語った。

所沢の部屋で飾っていた、現役時代の師匠だった先代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)のA3サイズほどの写真も玄関に飾り「新たに大きな写真をいただいたので、それを稽古場に飾っている」という。またベンチプレスの器具も所沢から持ち運ぶなど、前の部屋から培われたものを引き継いでいる。

地元・柴又との交流についても言及。「コロナが落ちついたら、地元の方と交流していきたいですね。稽古見学もしてもらいたい。僕のツイッターにも(情報を)載せるので」と、コロナ収束後の日常生活が戻った際には、稽古場見学を歓迎する気持ちを口にした。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。だが先代は翌19年12月に死去し、現東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年で部屋は閉鎖。東関部屋の力士は同じ高砂一門の八角部屋へ転籍し、柴又の部屋は空き状態だった。先代東関親方の遺族や土地を有償で貸し出す葛飾区との話し合いが続き、二子山部屋が移転することが決まり、この日、門出を迎えることになった。

部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。約150坪の区有地を、有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で2階建て。先代(故人)の「ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意。両国国技館にも公共交通機関で30分ほどと利便性もあり、相撲部屋として申し分ない立地にある。

徒歩10分ほどの所には、寅さんシリーズとなった映画「男はつらいよ」の舞台となった、東京の観光名所・帝釈天もあり、葛飾区としては観光など地域活性化の期待もかけている。

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「一代年寄」に物言い「白鵬」襲名へ厳しい見解、存在意義を見いだせず

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(左から2人目)から提言書を受け取った後、会見する八角理事長(右端)ら(代表撮影)

大相撲の「一代年寄」に物言いがついた。

日本相撲協会に設置された「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の第11回会合が19日、東京・両国国技館で行われ、山内昌之委員長(東大名誉教授)が、協会の八角理事長(元横綱北勝海)に提言書を提出。功績顕著な横綱に対し一代限りで襲名を認めていた「一代年寄」について、存在意義を示すものを見いだされないなどと問題提起した。史上最多44度の優勝を誇る横綱白鵬(36=宮城野)にとって、一代年寄「白鵬」襲名へ厳しい見解が示された。

    ◇    ◇    ◇

一代年寄の親方は今後、誕生しないかもしれない。約2年間にわたって開催されてきた有識者会議の会合が最終回を迎え、山内委員長から八角理事長に約50ページに及ぶ提言書が提出された。多国籍化した角界が目指す方向性などについて指摘される中、一代年寄について問題提起された。

提言書は「一代年寄は当該横綱一代限りの特例のため、その部屋の弟子らによる継承襲名は認められない。その横綱の力と技の相撲ぶりが名乗りの部屋名とともには後世に継承されないことを意味する」と論じた。過去に一代年寄を襲名したのは、大鵬、北の湖、貴乃花の3横綱のみ。3人とも部屋を興したが、死去や退職などにより3部屋とも消滅している。所属していた力士らは他の部屋への転籍を余儀なくされた。

また、現在の協会の定款に根拠となる規定はないなどとして、存在意義を示すものは見いだされないとも論じた。山内委員長は「(一代年寄を)『廃止』と理解されては困る。廃止ではなく、制度そのものが本来なかった。協会のどこにも規定がない」と説明。提言書によると一代年寄は、1969年に現役だった横綱大鵬に、内弟子集めを例外的に認めて「横綱大鵬」と「年寄大鵬」を並立させる工夫として生み出されたものだという。加えて、弟子への継承が認められていないこともあり、提言書では「大相撲の師資相承の伝統から外れたいわば『異形』の資格」と論じた。

一代年寄について進言を受けた八角理事長は「そういう場面があれば理事会で審議していく」と話した。提言書に強制力はないが、協会が今後、一代年寄を認めない可能性が出てきた。認められなければ、横綱白鵬は引退後、一代年寄「白鵬親方」として協会に残ることができず、親方名跡取得の道を模索しなければならない。横綱は引退後5年間、力士名の親方として協会に残れるが、白鵬は年寄「間垣」を取得する方向で調整中。一代年寄取得に興味を示していた時期もあったが、厳しい見解が示される形となった。

◆一代年寄 日本相撲協会に以前から登録された105の年寄名跡のほかに、著しい貢献のあった横綱の功績をたたえて贈られる名跡。幕内優勝20回が目安とされ、個人一代限りにおいて年寄として待遇される。過去の権利取得者は4人。

▽大鵬 69年9月に一代年寄「大鵬」を贈られた。71年5月に引退し、同年12月に二所ノ関部屋から独立。史上初の一代年寄。2013年に72歳で死去。

▽北の湖 85年1月に引退して一代年寄「北の湖」となり、同年12月に三保ケ関部屋から独立。2015年に62歳で死去。

▽千代の富士(辞退) 89年9月に理事会で提案されたが本人が辞退。91年夏場所限りで引退し年寄「陣幕」を経て「九重」を継承。2016年に61歳で死去。

▽貴乃花 03年初場所中に引退して一代年寄「貴乃花」を襲名。04年2月に二子山部屋を継承し、部屋名を変更。2018年に退職。

<横綱比較>

▽大鵬 第48代横綱。優勝32回。通算872勝182敗136休

▽北の湖 第55代横綱。優勝24回。通算951勝350敗107休

▽千代の富士 第58代横綱。優勝31回。1045勝437敗159休

▽貴乃花 第65代横綱。優勝22回。通算794勝262敗201休

▽白鵬 第69代横綱。優勝44回。1172勝247敗223休

◆大相撲の継承発展を考える有識者会議 八角理事長(元横綱北勝海)の諮問機関。17年に起きた元横綱日馬富士による傷害事件など不祥事が続き、暴力問題再発防止検討委員会から外国出身力士に対する指導方法などについて外部有識者による協議を要請され、19年に創設された。委員はプロ野球ソフトバンクホークスの王貞治会長や俳優の紺野美沙子ら8人で構成。19年6月から議論を重ねてきた。

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(右)から提言書を受け取る八角理事長(代表撮影)

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白鵬の一代年寄襲名は厳しく、横綱大鵬への特例で定款に規定なしと説明

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(右)から提言書を受け取る八角理事長(代表撮影)

日本相撲協会は19日、東京・両国国技館で「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の第11回会合を開いた。

同会の山内昌之委員長が、協会の八角理事長(元横綱北勝海)に提言書を提出した。

約50ページに及ぶ提言書は、外国出身力士に大相撲の伝統文化を理解させるため、師匠の指導力や協会のガバナンス(統治)の重要性を指摘した。外国出身力士が多く活躍している現状を踏まえ、外国出身力士に対し「日本文化になじむ『入日本化』を促す」ことなどを進言。協会ガバナンスの向上を目指し、女性の外部理事登用も提言した。

また、功績顕著な横綱に対し一代限りで襲名を認めていた「一代年寄」についても言及した。提言書では「一代年寄は当該横綱一代限りの特例のため、その部屋の弟子らによる継承襲名は認められない。つまり、その横綱の力と技の相撲ぶりが名乗りの部屋名とともには後世に継承されないことを意味する。これは他の芸能・芸道には類例がなく、大相撲の師質相承の伝統からも外れたいわば異形の『資格』である」(一部抜粋)と論じた。

さらに一代年寄については、現在の協会の定款に根拠となる規定はないなどとして、一代年寄の存在意義を示すものは見いだされないとも論じた。山内委員長は「『廃止』と理解されては困る。廃止ではなく、制度そのものが本来なかった。協会のどこにも規定がない。横綱大鵬に対して工夫されたもので、それがある種の制度として考えられた」などと説明。提言書によると、一代年寄は1969年(昭44)に現役だった横綱大鵬に、内弟子集めを例外的に認めて「横綱大鵬」と「年寄大鵬」を並立させる工夫として生み出されたという。

一代年寄について進言を受けた八角理事長は「そういう場面があれば理事会で審議していきたいと思います」と話した。協会が提言書を受け、今後は一代年寄を認めないとなれば、横綱白鵬は「白鵬親方」として5年を超えて協会に残ることはできず、年寄名跡取得の道を模索することとなる。

同会議は八角理事長の諮問機関。元横綱日馬富士による傷害事件など不祥事が続き、暴力問題再発防止検討委員会から外国出身力士に対する指導法などについて外部有識者による協議を要請され、19年に創設した。委員にはプロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長ら8人で構成。19年6月から議論を重ねてきた。

◆一代年寄 日本相撲協会に以前から登録された105の年寄名跡のほかに、著しい貢献のあった横綱の功績をたたえて贈られる名跡。幕内優勝20回が目安とされ、個人一代限りにおいて年寄として待遇される。過去の権利取得者は4人。

▽大鵬 69年9月に一代年寄「大鵬」を贈られた。71年5月に引退し、同年12月に二所ノ関部屋から独立。史上初の一代年寄。2013年に72歳で死去。

▽北の湖 85年1月に引退して一代年寄「北の湖」となり、同年12月に三保ケ関部屋から独立。2015年に62歳で死去。

▽千代の富士(辞退) 89年9月に理事会で提案されたが本人が辞退。91年夏場所限りで引退し年寄「陣幕」を経て「九重」を継承。2016年に61歳で死去。

▽貴乃花 03年初場所中に引退して一代年寄「貴乃花」を襲名。04年2月に二子山部屋を継承し、部屋名を変更。2018年に退職。

◆大相撲の継承発展を考える有識者会議 八角理事長(元横綱北勝海)の諮問機関。17年に起きた元横綱日馬富士による傷害事件など不祥事が続き、暴力問題再発防止検討委員会から外国出身力士に対する指導方法などについて外部有識者による協議を要請され、19年に創設された。委員はプロ野球ソフトバンクホークスの王貞治会長や俳優の紺野美沙子さんら8人で構成。19年6月から議論を重ねてきた。

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(左から2人目)から提言書を受け取った後、会見する八角理事長(右端)ら(代表撮影)

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二子山部屋が旧東関部屋に移転へ 一門の枠超え継承

二子山部屋

寅さんの街に相撲部屋は残ります-。

3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に拠点を構える二子山部屋が移転することで調整が進んでいることが5日、分かった。関係者によれば、細部の条件が整えば今月中旬にも移転するという。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。翌2月に部屋開きが行われた。だが先代は翌19年12月に死去。年明けの20年1月に、現在の東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年をかけて高砂一門内で後継者探しを模索。それでも適任者が見つからず3月の春場所を最後に封鎖され、今年4月1日付で東関親方や力士は八角部屋(元横綱北勝海)に移籍した。

柴又の部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。区有地を50年間の有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で、約150坪の広大な敷地に2階建ての建物。先代(故人)の「3階建ても考えたけど、ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意するなど環境は抜群。その部屋が閉鎖されたことを惜しむ多くの声が、角界や地元・柴又からもれていた。

後継師匠捜しが難航し、断念の方向に向かうと同時に、両国まで公共交通機関を使っても30分足らずという、絶好の環境にあるその部屋を、何とか継続使用できないかと関係者間で話し合いが進められていた。そんな中で浮上したのが二子山部屋の移転だ。二子山親方は藤島部屋から分家独立し、18年4月に所沢に部屋を創設。農地に囲まれた自然豊かな環境にあり、所沢市としても西武線沿線としても初の相撲部屋として話題となった。

ただ、最寄り駅から両国までは、電車を数本乗り継いで最速でも1時間以上かかり、力士の負担は大きかった。前日、明らかになった立浪部屋の茨城県つくばみらい市から、東京・台東区への移転同様、解禁された際の出稽古や東京場所で両国まで通う“通勤負担”の軽減など、稽古環境を整えたいという師匠としての思いがあった。

関係者によれば、先代東関親方の遺族や葛飾区との折衝が進み、詰めの交渉は最終段階に入っている。二子山親方は電話取材に、全てがクリアされたことを前提に「亡くなった(先代東関親方の)潮丸さんとは現役時代から仲が良かったので、その遺志を引き継ぎたい。今はコロナ禍で、すぐには難しいかもしれませんが、地元の方々と触れ合って地域の活性化に貢献したい」と話した。41歳の若さで死去した先代東関親方は、柴又に部屋を構えた際、「寅さんシリーズ」となった映画「男はつらいよ」の舞台となった「帝釈天でパレードできるような力士を育てたい」と夢を膨らませていた。志半ばで他界し「東関」の部屋名もなくなったが、その思いは一門の枠を超え、新たに部屋を構えることになる二子山部屋に継がれようとしている。

二子山部屋の看板

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若隆景「びっくり」5日連続で佐渡ケ嶽部屋勢と対戦

若隆景は琴勇輝(左)を押し出しで下す(撮影・小沢裕)

<大相撲7月場所>◇5日目◇23日◇東京・両国国技館

西前頭14枚目の若隆景(25=荒汐)が、同17枚目の琴勇輝(29)を押し出した。

初日から5日間連続で、佐渡ケ嶽部屋の力士との対戦だった。

初日から琴奨菊、琴勝峰、琴恵光に3連敗したが、4日目から琴ノ若、琴勇輝に連勝。2勝3敗とした。

若隆景は「昨日、5日目の割(取組表)を見て、びっくりしました」とコメント。佐渡ケ嶽部屋勢が幕内13~17枚目までに5人もひしめいていることが珍現象のきっかけになった。

初日から同部屋力士と5日連続で対戦があったのは、1995年(平成7年)九州場所の湊富士(現在の湊親方)以来。当時、西前頭5枚目だった湊富士は初日から東前頭5枚目浪乃花、大関貴ノ浪、大関若乃花、横綱貴乃花、西前頭7枚目安芸乃島という二子山部屋勢と対戦し、横綱に敗れただけで4勝1敗とした。この場所は8勝7敗で敢闘賞受賞している。

若隆景(左)は琴勇輝を押し出しで破る(撮影・柴田隆二)

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貴ノ浪「悲しくない」涙の引退/夏場所プレイバック

引退会見で涙を拭う貴ノ浪(2004年5月11日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。3日目は、90年代を中心に活躍した元大関の土俵との別れです。

<大相撲夏場所プレイバック>◇3日目◇04年5月11日◇東京・両国国技館

貴ノ浪は目に涙を浮かべながら、何度か言葉を詰まらせた。「全然悲しくない。悲しくないんだけど、涙が出る」。場所前に不整脈が出て入院し、医者の制止を振り切って現役に執念を燃やしたが2連敗。前夜、師匠の貴乃花親方(元横綱)と話し合い引退を決断した。「体調面がすぐれなかった。自分らしい相撲が取れないのであれば、終止符を打つのが正しいと思った」。

元大関貴ノ花が師匠の藤島部屋に入門し、87年春場所で初土俵を踏んだ。取り口は豪快。196センチの長身で懐が深く、もろ差しを許しても抱え込んで振り回した。94年初場所後、武蔵丸と大関に同時昇進した。96年初場所では、横綱貴乃花と同部屋同士の優勝決定戦を制して初優勝を果たした。綱取りには届かなかったが、大関在位37場所は史上7位。明るい人柄でもファンを引きつけ、記録にも記憶にも残る名大関だった。

名門二子山部屋から38年ぶりに関取が途絶え「それが一番残念。下が来るまで持ちこたえたかった」。引退後は音羽山親方として貴乃花部屋で指導し、将来の角界を支える人材として期待された。しかし15年6月に急性心不全のため43歳で急逝。早すぎる別れだった。

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ロシア生まれ狼雅が序ノ口V「いいスタート切れた」

天恵(下)を上手出し投げで破る狼雅(撮影・鈴木正人)

<大相撲初場所>◇13日目◇25日◇両国国技館

6戦全勝で2人が並んだ序ノ口の優勝争いは、両者とも勝てば二子山部屋力士による千秋楽優勝決定戦に持ち込まれたところだったが、序ノ口デビューの狼雅(19)が勝ち、その一番後に序二段の土俵で取った藪岡(20)が敗れたため、狼雅の優勝が決まった。

西の花道奥の通路で、藪岡の取組を確かめた狼雅は「優勝決定戦をしたかったけど、うれしい。いいスタートを切れました」と笑みを浮かべた。母ドランナンさんの故郷であるロシア・トワで生まれ育ち、14歳まで過ごした。「モンゴル語を勉強したい」と国を越え、モンゴルへ。ロシアでは柔道、レスリング、モンゴル相撲に似た相撲の経験があり、モンゴルに渡ると横綱白鵬が主催する「白鵬杯」に出場。そこでスカウトされ15歳の2月に来日。そのまま鳥取城北高に入学し、一昨年夏の高校総体決勝では、朝青龍のおいにあたる現幕下の豊昇龍に勝ち、外国出身として初の高校横綱に就いた逸材だ。

国籍はモンゴルだが、滞在は1年あまりで「急にモンゴル人と言われても…」とロシアへの郷愁の念は強い。「今場所は右の前みつを取るという形を作っての相撲が取れた」。高校相撲と比べると「高校(の大会)は1日で全てが終わる。プロは失敗しても動画を見たりして(翌日に)直せる」と精神的にもプロ向き。昨年4月から二子山部屋での生活を始め、約半年間の「研修期間」を経て、昨年11月の九州場所で初土俵。番付に初めてしこ名が載った実質的な「プロデビュー」の場所で幸先いいスタートを切った。

◆東23枚目 本名アマルトゥブシン・アマルサナー。モンゴル・ウランバートル出身。18年九州場所初土俵。183センチ、135キロ。得意は右四つ、寄り。

狼雅(撮影・河田真司)

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95年に結婚、1男2女/貴乃花元夫妻アラカルト

05年6月、故二子山親方協会葬で遺族席に座る、左から貴乃花親方、景子夫人、花田勝氏

10月に日本相撲協会を退職した元貴乃花親方(元横綱)の花田光司氏(46)が景子夫人(54)と離婚していたことが26日、分かった。先月25日に自ら離婚届を提出したという。

<貴乃花元夫妻アラカルト>

◆95年5月 結婚。同年9月、長男優一氏が誕生。その後、長女、次女をもうける。

◆03年1月 貴乃花引退。

◆04年5月 宮崎県の景子夫人実家が火事で全焼。

◆同6月 二子山部屋を継承し貴乃花部屋に変更。景子夫人は相撲部屋の女将(おかみ)に。

◆05年5月 貴乃花親方の父満氏(初代貴ノ花)が死去。

◆09年7月 貴乃花親方が週刊誌などの記事で名誉を傷つけられたとして発行元の出版社などに損害賠償を求め、貴乃花親方と景子夫人にそれぞれ支払いと謝罪広告の掲載を命じる。

◆16年 景子夫人が株式会社ル・クール設立。

◆16年7月 貴乃花部屋が中野新橋から江東区東砂に転居。土俵開きで景子夫人は「地元に愛される部屋にしたいです」。

◆18年3月19日 景子夫人が部屋のホームページで貴公俊の付け人への暴行について謝罪。「女将としても行き届かない点があったかと深く反省しております」。

◆同9月25日 貴乃花親方が相撲界から引退発表。

◆同10月25日 離婚

9月25日、引退記者会見で険しい表情を見せる貴乃花親方

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95年に結婚、18年9月に退職/元貴乃花親方略歴

元貴乃花親方(18年5月13日撮影)

元貴乃花親方の花田光司氏(46)が、花田景子夫人(54)と離婚したことが26日、分かった。先月25日に花田氏自らが離婚届を提出した。

花田氏は1995年に、元フジテレビアナウンサーで8歳年上の河野景子さんと婚約した。

◆貴乃花光司(たかのはな・こうじ)元65代横綱貴乃花。本名・花田光司。1972年(昭47)8月12日、東京都中野区出身。88年春場所初土俵、94年九州場所後に横綱昇進。95年5月に景子さんと結婚し、同年9月に長男が誕生した。03年初場所途中で引退。04年2月に貴乃花部屋として二子山部屋を継承した。通算794勝262敗201休、優勝22回。10年の理事選初当選から審判部長、大阪場所担当部長など歴任。18年1月に理事を解任され、2月の理事候補選挙で落選。3月に弟子の暴行問題などで年寄に降格し、9月場所後に日本相撲協会を退職した。

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92年10月 宮沢りえと婚約発表/貴乃花光司年表

91年5月、初日に千代の富士を破る

元横綱の貴乃花親方(46)が日本相撲協会に退職の届け出を提出したことで、花田家が大相撲界から完全決別することになる。1946年(昭21)、伯父で元横綱初代若乃花の花田勝治氏(享年82)が、二所ノ関部屋に入門してから72年。父で元大関貴ノ花の故満氏(享年55)、兄で元横綱3代目若乃花の虎上(47)と重ねた幕内優勝回数は、39回に及ぶ。

<貴乃花光司年表>

◆1972年(昭47) 杉並区阿佐谷生まれ。

◆83年 小学5年でわんぱく相撲の全国大会優勝。

◆85年 明大中野中に進学。

◆88年2月 兄勝とともに父の藤島部屋に入門。

◆88年3月 貴花田のしこ名で春場所で初土俵。

◆89年3月 春場所で序の口東11枚目で5勝2敗

◆89年5月 幕下東48枚目で7戦全勝で優勝。16歳9カ月での幕下優勝は史上最年少。

◆90年3月 春場所は西十両3枚目で臨み9勝6敗。場所後に17歳8カ月での新入幕昇進を果たした。

◆91年3月 春場所東前頭13枚目で初日から27年ぶりの11連勝。敢闘賞、技能賞のダブル受賞を果たす。

◆91年5月 夏場所では西前頭筆頭まで番付を上げ、初日に横綱千代の富士と対戦し、18歳9カ月での史上最年少金星を獲得。

◆92年1月 初場所は東前頭2枚目。14勝1敗の好成績で初優勝。

◆92年10月 秋場所後に女優宮沢りえとの婚約発表。世紀のカップル誕生は社会現象となった。

◆93年1月 東関脇で迎えた初場所は11勝4敗。20歳5カ月で大関昇進を果たし、その直後にしこ名を貴花田から父親と同じ貴ノ花に改名。また、宮沢りえとの破局が明らかになった。

◆94年9月 西大関として初の全勝優勝。場所後に貴ノ花から貴乃花に改名した。

◆94年11月 九州場所で2度目の全勝優勝。秋場所初日から30連勝で、第65代横綱に昇進。11月23日の昇進伝達式では「不撓(ふとう)不屈」(大関昇進時も使用)「不惜身命」の4文字熟語で横綱昇進への決意を示した。

◆95年5月 元フジテレビアナウンサーの河野景子と結婚。同年9月に長男優一氏が誕生。

◆01年5月 初日から13連勝も14日目の大関武双山戦で右膝半月板損傷の大けが。千秋楽に完敗し、決定戦で武蔵丸を上手投げで破り優勝、表彰式で当時の小泉首相から「痛みに耐えてよく頑張った。感動した」の名文句が飛び出した。

◆03年1月 最後の場所となった初場所、4勝4敗1休で、30歳5カ月で相撲人生にピリオドを打った。

◆04年6月 正式に二子山部屋を継承。名前は貴乃花部屋に変更した。

◆05年5月 父の二子山親方(元大関貴ノ花)が口腔底がんのため死去。

◆10年1月 初場所後の理事選に立候補することを表明。二所ノ関一門を離脱してまで単独で立候補する貴乃花親方の行動は一門の枠を超えて親方衆に影響を与え、落選必至と言われた中で当選を果たし「貴の乱」と言われた。

◆10年5月 貴乃花グループと呼ばれていた派閥は「貴乃花一門」に。

◆16年1月 初場所後の理事選で4選を果たし、理事長選に出馬も6対2で現在の八角理事長に完敗。

◆18年6月 貴乃花一門は、貴乃花親方が離脱したため消滅。

◆18年9月 25日に相撲界からの引退を発表。

88年2月、角界入りのあいさつをする、左から藤島親方、花田勝、花田光司、花田憲子さん
花田家の家系図

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平成の大横綱 平成とともに…貴親方「断腸」引退

日本相撲協会に引退届を提出した貴乃花親方は表情を引き締める(撮影・小沢裕)

平成の大横綱が角界から去った-。大相撲の貴乃花親方(46=元横綱)が25日、日本相撲協会に退職の届け出を提出したことを明らかにした。同日夕方に都内で引退記者会見を開き、年寄引退の理由を説明。弟子の貴ノ岩が被害者となった、昨年10月の元横綱日馬富士関による傷害事件に関する告発状に関しての、協会からの圧力が最大の要因だと話した。現在貴乃花部屋に所属している力士、床山、世話人は千賀ノ浦部屋に所属を変更する。自身の今後の活動については不明とした。

秋場所千秋楽から2日たったこの日の午後1時、代理人を通して貴乃花親方が相撲協会に退職の届け出を提出した。それから4時間後、貴乃花親方は都内の引退会見場に上下黒のスーツ姿で現れた。表情は無。報道陣に向かって一礼して水を一口飲み、語り出した。

「告発状の内容が事実無根な理由に基づいてなされたものであることを認めないと、親方を廃業せざるを得ないという有形無形の要請を受け続けてきました」

元日馬富士関による貴ノ岩に対する暴行事件に関し、日本相撲協会の対応を問題視。春場所前の3月9日に内閣府に告発状を提出した。だが同場所中に弟子の貴公俊が付け人に暴行して、告発状を取り下げた。その後、理事だった役職も5階級降格の年寄へ。貴乃花一門からも離脱して無所属となり「一兵卒」として再スタートしていた。

しかし8月7日に告発状に関する話が再浮上した。埼玉・所沢市で行われた夏巡業の会場で、春日野巡業部長(元関脇栃乃和歌)から八角理事長(元横綱北勝海)名義で「告発状の内容は全て事実無根である」といった内容が書かれた書面を手渡されたという。それに対して貴乃花親方も、代理人を通して反論した。

しかし秋場所終盤になり状況は一変。「名前は伏せさせていただきますが」と、ある親方から一門に所属しない親方は部屋を持つことができない旨の決定がされたことを聞かされたという。ただし条件として、告発状の内容を事実無根であると認めなければ、いずれかの一門に入れないとも告げられた。

だが「真実を曲げて、告発状は事実無根だと認めることは、私にはできません」と断固拒否。一門に所属しなければいけない期限は理事会、年寄会などが行われる27日までだったが、このままでは将来的に弟子が相撲を取れなくなると考え、この日に自ら引退に踏み切った。「苦渋の決断ではありますが、弟子達の将来まで見ずに断腸の思いです」と語気を強めた。

現在部屋には弟子、床山、世話人が合わせて10人在籍している。その全員が千賀ノ浦部屋へと所属を変更する。数年前から千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)には、有事の際には弟子らを引き取ってもらうように相談していた。弟子らには今朝、話したといい「泣く子もいました」と明かした。今後の自身の活動について「土俵に携わっていきたい」などと話したが、具体的な内容は明言しなかった。

1時間半の会見中、涙も見せず、感情もむき出しにしなかった。「平成の大横綱」と呼ばれた貴乃花。間もなく終わる「平成」とともに去るように、会場を後にした。【佐々木隆史】

◆一門問題 相撲協会は7月26日の理事会で、全ての親方や力士は9月27日の理事会までに5つある一門のいずれかに所属しなければならないと決定した。貴乃花親方は6月には自ら貴乃花一門を離脱し「阿武松グループ」への名称変更を協会執行部に申し入れ。同親方は無所属となっていた。

◆貴乃花光司(たかのはな・こうじ)本名・花田光司。1972年(昭47)8月12日、杉並区阿佐谷生まれ。元大関貴ノ花の次男で、父が師匠の藤島部屋(のち二子山部屋)に入門、88年春場所初土俵。兄の3代目若乃花と兄弟横綱となり、空前のブームを起こす。優勝22回。03年初場所中に引退して一代年寄「貴乃花」を襲名。04年2月に二子山部屋を継承し、部屋名を変更。10年に日本相撲協会理事となり、審判部長などを歴任。18年1月に理事を解任され、2月の理事候補選挙で落選。3月に弟子の暴行問題などで年寄に降格。

2017年10月の傷害事件の相関図

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二子山親方「雅山聞いたことない」二子山でイベント

埼玉・小鹿野町の二子山登山道の入り口で、登山事故防止キャンペーンを行った二子山親方

 大相撲の二子山部屋が1日、埼玉・小鹿野町の二子山で行われた登山事故防止キャンペーンに初参加した。

 「二子山」のつながりに加え、4月に同じ埼玉県の所沢市に部屋を構え、5月に初土俵を踏んだ颯雅が同町出身などの縁で実現。秩父山地の登山道入り口で登山家にグッズを配布した二子山親方(元大関雅山)は「もともと二子山という山があるのは知っていた。山に来ることはあまりないけど空気がおいしい。雅山という山は聞いたことないけどね」と笑顔で話した。

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二子山部屋が「ゆかりの地」埼玉小鹿野町でイベント

埼玉・小鹿野町の二子山登山道の入り口で、登山事故防止キャンペーンを行った二子山親方

 大相撲の二子山部屋が1日、埼玉・小鹿野町の二子山で行われた、登山事故防止キャンペーンに初参加した。「二子山」というつながりはもちろん、二子山親方(元大関雅山)が、同じ埼玉県の所沢市に4月に部屋を構えたこと、5月の夏場所で初土俵を踏んだ颯雅が同町出身だった縁もあった。さらに二子山親方が現役だった武蔵川部屋時代に、弟弟子だった元前頭剣武の宮本一輝さんが、家族とともに同町で「宮本荘グループ」という旅館など複数の宿泊施設を経営。現役時代から仲が良かったことで実現した。

 参加した二子山親方と力士3人は、秩父山地にある標高1166メートルの二子山の山頂にほど近い登山道入り口で、登山家らに事故防止を訴えるキャンペーングッズなどを配布した。「もともと二子山という山があるのは知っていた。ただ、どこにあるかまでは知らなかった。『二子山』という名跡と、何かしら由来があるのかなと気になってはいたので、せっかくそういう山が近くにあるなら行ってみたいと思って」と話し、有意義だったという。続けて「山に来ることはあまりないけど空気がおいしい。景色もきれい」と、気持ちよさそうに話した。

 宮本さんは「颯雅が入門する時に『ぜひ(二子山に)来てください』と話していた。実際に来てくれて、地元の人たちも喜んでいます」と、今も交流のある兄弟子に感謝した。小鹿野町の森真太郎町長は「これを機に二子山部屋の力士の方々が、ますます活躍してもらえれば」と、今後を楽しみにしている様子だった。 5月の夏場所で、ようやく部屋を構えてから最初の本場所を終えた二子山親方は「最初の場所としては(弟子の)成績もよかった。こっちはバタバタだったけど、力士は頑張ったと思う。どんどん上を目指してほしい」と、まだ初土俵を踏んでいない力士も含めて7人の弟子の成長を期待していた。

埼玉・小鹿野町の二子山登山道の入り口で、登山事故防止キャンペーンを行った二子山親方(右)と二子山部屋の力士

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西武線沿線に所沢に初、14年ぶり復活の二子山部屋

土俵開きを終え写真に納まる二子山親方(前列中央)、侑加夫人(同右から2人目)、長男雅功くん(同左から2人目)と力士ら

 大相撲の二子山部屋が、14年ぶりに復活した。今月1日付で藤島部屋から独立し、埼玉・所沢市にできた部屋で21日、土俵開きが行われた。出席者は二子山親方(40=元大関雅山)と家族、研修生を含む力士7人と関係者数人。倉庫を整備した広い稽古場は、農地に囲まれた自然豊かな場所というアットホームな雰囲気の中、土俵の安全が祈願された。二子山部屋といえば若乃花、貴乃花の2横綱を輩出して若貴ブームを起こすなど名門で知られる。二子山親方は「二子山部屋の名前を復活できたことはうれしい」と笑顔で話した。

 二子山部屋は、一代年寄となった貴乃花親方(元横綱)が、04年に父の11代二子山親方(元大関貴ノ花)から部屋を継承して以降、存在していなかった。当時は二所ノ関一門で、現在の14代二子山親方は出羽海一門。何よりも若貴ブームのころ、横綱武蔵丸、大関出島、武双山らとともに対抗していた武蔵川部屋の一員だった。二子山親方は「まさかライバルの部屋の名前を継いで独立することになるとは思わなかった。一世を風靡(ふうび)した二子山部屋の名前は記憶に残りやすい。新しい二子山も覚えてもらいたい」と、当時を思い出しながら話した。

 現在はすでに三段目まで番付を上げた弟子もいる。さらに昨年の全国高校総体個人戦決勝で、朝青龍のおいの豊昇龍を破って高校横綱となったモンゴル出身のアマルトゥブシン・アマルサナー(鳥取城北高卒)も、後に部屋所属となる予定で研修生として籍を置く。今日22日からは完成したばかりの土俵で稽古を開始。「二子山部屋の力士はちゃんとしていると思ってもらえるよう人間性も教育したい」。所沢市としても西武線沿線としても初の相撲部屋が始動した。【高田文太】

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二子山部屋14年ぶり復活 若貴ブーム築いた名門

土俵開きに臨んだ二子山親方(右手前から3人目)(撮影・高田文太)

 大相撲の二子山部屋が21日、埼玉・所沢市の部屋で土俵開きを行った。農地に囲まれた静かな場所に、倉庫を整備した広い稽古場で、木村勘九郎を祭主に土俵の安全を祈願する土俵祭りが行われた。

 22日から稽古を始める土俵を見ながら、二子山親方(40=元大関雅山)は「力士を強くすることと同時に、礼儀なども指導して『二子山部屋の力士はちゃんとしている』と人間性を成長させていきたい」と、目標を語った。

 二子山部屋といえば、2人の横綱を輩出して若貴ブームを築いた名門で、14年ぶりに復活することになった。現在の二子山親方は、現役時代はむしろライバルの武蔵川部屋の一員として切磋琢磨(せっさたくま)していた。一門も当時の二所ノ関一門から出羽海一門に変わっている。それだけに当時を振り返り「まさかライバルだった部屋の名前を引き継いで独立することになるとは思わなかった。二子山部屋を復活できることになって光栄。一世を風靡(ふうび)した二子山部屋という部屋の名前は記憶に残りやすいと思う。皆さんに新しい二子山も覚えてもらいたいし、相撲協会やファンに恩返ししたい」と、感慨深そうに話した。

 所沢市としても、西武線沿線としても初の部屋とあって、地域の農家からすでに農産物の差し入れが届けられるなど、周囲の期待は大きい。

土俵開きを終え写真に納まる二子山親方(前列中央)、侑加夫人(同右から2人目)、長男雅功くん(同左から2人目)と力士ら(撮影・高田文太)

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元大関雅山の二子山親方、藤島部屋から独立

二子山親方

 日本相撲協会は29日、東京・両国国技館で理事会を開き、二子山部屋の新設を承認した。4月1日付で、元大関雅山の二子山親方は藤島部屋から独立し、埼玉県所沢市に二子山部屋を興す。

 藤島部屋から田井中、林、藪岡、高田、森田、相馬の6人が二子山部屋に転属する。

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貴乃花親方は現れず…新小結貴景勝、堂々1人で会見

小結昇進が決まった貴景勝は、両国国技館で行われた会見で番付表を指さす。下段右から3番目には貴ノ岩の名も(撮影・野上伸悟)

 日本相撲協会は26日、大相撲初場所(来年1月14日初日、両国国技館)の新番付を発表し、貴景勝(21)が、新小結に昇進した。貴乃花部屋からの三役誕生は、貴乃花親方(45=元横綱)が04年に部屋を創設して以来初。東京・両国国技館で行った会見では、師匠の同親方が同席していないことも、元横綱日馬富士関による兄弟子の十両貴ノ岩への暴行事件も、どちらも気にしない強心臓ぶりを見せた。

 会見場に姿を現した貴景勝は、落ち着いた表情を浮かべていた。テレビカメラ8台、報道陣約70人が集まった注目の会見。暴行事件に関して、前日25日に日本相撲協会危機管理委員会の聴取に応じ、28日に処分が協議される師匠の貴乃花親方の姿はなく、華々しい会見に1人で臨んだ。師匠からは「1人で行ってこい」と言われたという。しかし「新入幕の時も1人でやりましたし、2回目なので」と違和感はなかった。

 兄弟子貴ノ岩への日馬富士関による暴行事件発覚後、常に周囲は騒がしかった。そんな中で九州場所は金星2個を含む11勝。「自分は自分のことでいっぱいでした。影響は全然なかった」と自然体だった。全休した貴ノ岩は、初場所で東十両3枚目まで落ちるが「いろいろと思うことはあるけど、僕が言うこともないし、言う立場でもない」ときっぱり。ただ、復帰を願う気持ちについては「もちろんです」と弟弟子らしく待ち望んでいる。

 175センチと身長は低いながら、得意の押し相撲を磨いてここまで上がってきた。しかし、おごる気持ちはない。「自分1人では三役になれなかった。兄弟子たちに胸を出してもらったのもある。貴乃花部屋の恥にならないように」と感謝の気持ちがあった。

 三役昇進は今年の目標だった。次の目標は「関脇に上がりたい。1歩1歩良い成績を残して、目指していかないといけない。関脇にならないと大関にはなれない」と意気込んだ。師匠と兄弟子らへの恩返し、そして部屋を明るい話題で照らすために、とことん結果にこだわり続ける。【佐々木隆史】

 ◆貴景勝光信(たかけいしょう・みつのぶ)本名・佐藤貴信。1996年(平8)8月5日、兵庫県芦屋市生まれ。4歳から極真空手を始め、小3の終わりに全国大会で準優勝。小4から相撲を始め、埼玉栄高で全国7冠。しこ名は師匠の貴乃花親方が尊敬する上杉謙信の後継者、上杉景勝から。本名の「貴信」は、父がファンだった貴乃花と織田信長が由来。家族は両親。175センチ、168キロ。血液型O。

 ◆貴乃花部屋 04年2月、二子山部屋の部屋付きだった貴乃花親方が、父である元大関貴ノ花の二子山親方(故人)から継承し、貴乃花部屋に名称が変わった。12年名古屋場所で、貴ノ岩が新十両昇進を果たし、貴乃花部屋の関取第1号となった。昨年、部屋を東京・中野区から江東区に移転した。

1人で会見する貴景勝(撮影・野上伸悟)
午後1時前、外出する貴乃花親方(撮影・松本俊)

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西岩親方が独立、浅草に相撲部屋「師匠の教え意識」

西岩親方(2017年2月28日撮影)

 日本相撲協会は30日、東京・両国国技館で理事会を開き、来年2月1日付で元関脇若の里の西岩親方(41)が東京・台東区に「西岩部屋」を新設することを承認した。西岩親方は内弟子の若佐竹と若野口を連れて、田子ノ浦部屋から独立する。相撲部屋はこれで「46」となる。

 西岩親方は「現役時代は強くなることが目標でした。親方になってからは、相撲部屋を持つことが目標で夢でした。ようやくスタートが切れます」と喜びを口にした。指導のベースは、現役時代の師匠だった鳴戸親方(元横綱隆の里)と、師匠の師匠だった二子山親方(元初代横綱若乃花)を意識したものになる。「猛稽古でならした二子山部屋の教えをもとに、自分の考えをミックスしたものになればいいと思います」と話した。

 部屋は浅草寺まで約500メートルの距離にある「浅草」になる。現在は浅草に相撲部屋はなく「世界的な観光地に部屋を持てることほどうれしいことはありません。地域に恩返ししながらやっていきたいですし、皆さんに稽古を見に来てもらえる部屋にしていきたいです」と話している。

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元若嶋津が開頭手術4時間半昏睡状態、自転車で転倒

1月、三賞選考委員会後の会見で稀勢の里の横綱昇進へ理事会招集要請を行うことを明かした二所ノ関審判部長

 19日午後4時20分すぎ、元大関若嶋津の二所ノ関親方(60=本名・日高六男)が千葉県船橋市行田2丁目の路上で倒れているのを通行人に発見された。自転車で転倒して頭部を強打。船橋市内の病院で4時間半に及ぶ手術を受けて、集中治療室(ICU)に入った。意識不明の重体だったが、手術後に一時意識を回復。関係者によると、医師は命に別条はないと説明しているという。親方は日本相撲協会理事で16年3月から審判部長を務めている。夫人は元歌手の高田みづえさん。

 二所ノ関親方が倒れて発見された現場は、二所ノ関部屋から約750メートル離れた住宅や公園がある地域だった。千葉県警船橋署によると、目立った外傷はなく、近くには自転車も倒れていたが、大きな破損はなかった。車道と歩道の間に段差があり、車道側に体の右側を下にして、横向けに倒れていたという。当時は雨が降っていたとみられ、同署が状況を調べている。

 通行人の女性に発見された当初は話もできる状態だった。だが、意識不明の重体に陥り、船橋市内の病院に搬送されて午後5時20分ごろから開頭手術を受けた。手術は午後10時すぎに終わり、直後に対応した高田みづえ夫人は「意識はまだ回復していません。予断を許さない状況というのは確かです」と説明した。その後、午後11時に対応した部屋付きの湊川親方(元小結大徹)は「無事手術は終わり、ICUに入っている。意識は1度戻った。今は昏睡(こんすい)というか眠っている状況」と話した。命に別条はないという。

 湊川親方によると、二所ノ関親方はこの日も部屋の朝稽古に姿を見せていた。その後はいつも通っている銭湯に向かったそうで、転倒したのは「そのサウナからの部屋に戻る途中だと思う」と説明。持病を耳にしたことはなく「自転車で走り回るぐらい運動し、一生懸命歩いたり、体に気を使っていた」とも話した。

 二所ノ関親方は鹿児島県中種子町に生まれ、鹿児島商工高(現樟南高)を経て「土俵の鬼」で知られる初代横綱若乃花の二子山部屋に入門。75年春場所で初土俵を踏んだ。浅黒い体に俊敏な動きから「南海の黒豹」の異名を取り、82年九州場所後に大関に昇進。84年は春、名古屋場所で優勝。綱とりこそかなわなかったが、71勝19敗とその年の年間最多勝も獲得。翌85年2月には、当時アイドル歌手として絶頂期だった夫人との婚約を発表した。87年名古屋場所途中で引退し、年寄「松ケ根」を襲名。90年2月には独立して松ケ根部屋を興し、14年12月に「二所ノ関」を襲名。現在、部屋には幕内松鳳山ら12人の力士が在籍。また、14年に日本相撲協会理事となり、16年3月からは審判部長を務めている。

 ◆二所ノ関六男(にしょのせき・むつお)元大関若嶋津。本名・日高六男。1957年(昭32)1月12日、鹿児島県中種子町生まれ。鹿児島商工高(現樟南高)相撲部から二子山部屋に入門。75年春場所初土俵。浅黒い体に俊敏な動きから「南海の黒豹(ヒョウ)」の異名を取り、82年九州場所後に大関昇進。84年春、名古屋場所優勝。87年名古屋場所途中で引退し「松ケ根」、14年12月から「二所ノ関」襲名。夫人は元歌手高田みづえさん。通算515勝330敗21休、優勝2回。

86年9月、二子山部屋の若嶋津

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兄弟弟子の明暗…高安「充実」も稀勢の里「歯車が」

二所ノ関一門の連合稽古で、北勝富士(右)に上手投げを見舞う大関高安(左)。後方は見守る横綱稀勢の里(撮影・今村健人)

 名古屋市天白区の大相撲の二所ノ関部屋で1日に行われた二所ノ関一門の連合稽古で、田子ノ浦部屋の兄弟弟子の明暗が分かれた。大関高安(27)は一門外の平幕北勝富士や元大関琴奨菊に10戦全勝。しかし、横綱稀勢の里(30)は小結嘉風に2勝7敗と苦戦し、最後はうめき声とともに力なく土俵を割って相撲を終えた。見守った相撲解説者の北の富士勝昭氏(元横綱)も不安を隠せなかった。

 「あっ!」といううめき声を、思わず上げてしまった。稀勢の里はすぐに力を抜き、あえなく土俵を割る。そのまま稽古を終わりとし、いら立ち気味に足元の草を蹴り上げた。前日と同じ嘉風との稽古をわずか9番、それも2勝(7敗)のみで自ら切り上げた。

 9勝12敗だった前日から、どう修正できたかが分かる同じ相手。だが、左を封じられ、右でも捕まえられない。土俵際まで行くも何度も回り込まれて逆転された。まるで前日の繰り返し。そして、最後の不吉な声…。負傷を抱える左腕付近を再び痛めたのか、という問いかけには「う~ん、まぁ…」と言葉を濁し「少しのことですけど、歯車が狂ってくると良くない。少しでも変えようと思うけど…」。表情はさえなかった。

 直前の稽古では、弟弟子の高安が存在感を示していた。前日は疲労で欠席したが、大関として初めて臨んだ連合稽古では、馬力ある北勝富士、琴奨菊を力強い相撲で10戦全勝と圧倒した。「立ち合いが良かった。押し込んでいる分、土俵際でも余裕がありました。充実した稽古ができた」と満足そう。それだけに、最後に登場した稀勢の里への不安が一層、際立った。

 見守った北の富士氏は「高安はやるんじゃないか。十分、活躍できる。それより稀勢の里だ。『痛ッ』と言っていた。左から押して胸を合わせるまでいかないから回り込まれちゃう。楽観はできないだろう。いやいや、困ったもんだな。期待よりも心配の方が大きいよ」と不安を隠せなかった。二所ノ関親方(元大関若嶋津)も「最後がちょっと心配」と渋い表情だった。

 二所ノ関部屋がある仏地院は以前「土俵の鬼」の初代若乃花が、旧二子山部屋の宿舎を構えていた地。いわば一門の象徴でもある。そこで目立った明と暗。名古屋場所の1週間前に分からせてくれたことを、良しとすべきか。【今村健人】

小結嘉風(右)との相撲でバッタリと落ちて顔をしかめる横綱稀勢の里(撮影・今村健人)

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