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井筒親方が聖火ランナー トーチの重さは白鵬関の太刀持ちと「一緒くらい」

土俵入りする白鵬(中央)。左は太刀持ち豊ノ島(現井筒親方)、右は露払い臥牙丸(2014年2月9日撮影)

大相撲の井筒親方(37=元関脇豊ノ島)が19日、出身地の高知・宿毛市で東京五輪の聖火ランナーを務めた。聖火リレーは同日、高知県での初日を迎え、高知市の坂本龍馬像前からスタートし、井筒親方が最終ランナーとしてゴールした。約200メートルを走りきり「こういう経験はなかなかできることではないので、いい経験をさせてもらいました」と振り返った。

ゴール後は、トーチを持ったまま市長あいさつなどのセレブレーションがあったため「手がプルプル震えて、でも、持ち替えたら失礼だと思って…。白鵬関の太刀持ちをやらせてもらった現役時代を思い出しました。(重さは)一緒くらいかな」と苦笑いした。ユニホームは、元力士という体形の事情もあり、特注を用意してもらったという。

五輪開催に向けての考えは、コロナ禍という事情を考慮してコメント。「本当に難しい。新型コロナウイルスがまん延している中、慎重にならないといけない面もあります。勝負の世界に生きてきた人間としては、選手が輝ける場があったらいいなと思います」と言葉を選びながら、心境を口にした。

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鶴竜「井筒は継ぎます」亡き師が認めた指導者の資質

元関脇逆鉾の井筒親方(右)と鶴竜(2016年11月27日撮影)

<とっておきメモ>

鶴竜を入門時から育てた元関脇逆鉾の井筒親方は、鶴竜の指導者としての資質を認めていた。親方が亡くなる1年4カ月前、2018年夏場所中、国技館内の巡業部室で話を聞いた。

まだ鶴竜が日本国籍を取得する前のこと。引退後の見通しは立っていなかったが、井筒親方は鶴竜の将来を案じていた。

「先行きは自分で決めること。自分で決めていい。自分がそうしたいというならそうするし、本人も最近は考えているところがあるみたい。僕としては、鶴竜は技術的にも(いいものを)持っているし、性格も穏やかだから、指導者として適任ではないかと思っています。もちろん、本人がほかにやりたいことがあるならしょうがないけど」

この前年、鶴竜は6場所中5場所で休場していたが、年が明けて復活。18年春場所は8場所ぶり4度目の優勝を果たしており、井筒親方の気持ちも落ち着いていた。

井筒親方は膵臓(すいぞう)がんを患い、2019年9月16日に58歳で亡くなった。部屋は閉鎖となり、鶴竜らは陸奥部屋に転籍した。

師匠の告別式が終わった後、近親者だけが残った最後の席で、鶴竜は決意を口にした。「井筒は、僕が継ぎます」。横綱は引退後、現役名のまま5年間は日本相撲協会に残れる。今後の見通しははっきりしないが、この5年のうちに何らかの名跡を取得することになるだろう。

鶴竜の付け人経験者は皆、その人柄に魅了され、この人のために力を尽くそうとしてきた。きっといい親方になる。天国の師匠は、心配してない。【佐々木一郎】

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鶴竜突然の引退「夏場所出る気満々」も周囲反応で決断

14年9月、秋場所5日目に土俵入りする横綱鶴竜

日本相撲協会は24日、理事会を開催し、第71代横綱鶴竜(35=陸奥)の現役引退と年寄「鶴竜」襲名を承認したことを発表した。鶴竜は5場所連続休場中で、5月の夏場所で再起を懸けるはずだったが心身共に限界を迎えた。01年九州場所で初土俵を踏んでから20年。歴代10位の横綱在位41場所、6度優勝の横綱が土俵人生に幕を下ろした。横綱の引退は19年初場所の稀勢の里以来。最高位は白鵬だけとなり、12年秋場所以来9年ぶりに一人横綱となる。

   ◇   ◇   ◇

大相撲春場所11日目。午後1時の開門に合わせて観客が会場入りし始めた頃、協会が鶴竜の現役引退を発表した。昨年11月場所後に横綱審議委員会(横審)から「注意」の決議を下されるも、1月の初場所を腰痛で休場。春場所では進退を懸けるはずが、初日直前の稽古中に左足を負傷して一転、休場。当初は現役続行の意思を強く示していたが、師匠の陸奥親方(元大関霧島)は「思うように治らなかった。気持ちは切れていなかったけど、体が駄目だった。本人が決めたこと」と引退理由を明かした。

実際は気持ちも切れていた。白鵬が3日目に途中休場した際、横審の山内昌之委員が「横綱の番付が下がらないのは長期休場や成績不振と関係なく、無期限に地位にとどまれることを意味しない。2日勝って休場したのだから、余力を持って今場所中に進退を決してほしいというのが個人的な意見」などと発言。白鵬に対してのコメントが、自身の胸にも刺さった。

部屋関係者は「夏場所に出る気満々だった。最後は土俵に上がって終わりたがっていたけど、周囲から厳しい声があったのも事実。最後は横綱が決めたことだけど…」と話した。鶴竜は、この日も稽古場に姿を現したが、体が思うようには動かなかった。周囲からの厳しい声も重なり、突然の引退を決心したようだ。

最後の取組は、昨年7月場所初日の東前頭筆頭の遠藤戦となった。右裾払いをかわされ、体勢を崩して尻もちをつく「腰砕け」で負けた。再び土俵に立つことはかなわず、無念の引退。横綱は引退後5年間、自身のしこ名で年寄を名乗れることから、鶴竜親方として協会に残って、年寄名跡取得を目指す。後進の指導にあたる前に、まずは25日に行われる引退会見で20年分の土俵人生を語る。

◆鶴竜力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)本名・マンガラジャラブ・アナンダ。1985年(昭60)8月10日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。バスケットボール、レスリングなどを経験して01年9月に来日し、同年九州場所で初土俵。06年九州場所で新入幕、12年春場所後に大関昇進。初優勝した14年春場所後に横綱昇進。19年9月に師匠の先代井筒親方(元関脇逆鉾)が死去し陸奥部屋に移籍。優勝6回。三賞は殊勲賞が2回、技能賞が7回。得意は右四つ、下手投げ。186センチ、154キロ。家族は妻と1男2女。血液型A。

笑顔で優勝パレードに出発する鶴竜(2019年7月21日撮影)

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生き仏のような鶴竜、気は優しく後輩指導は的確

笑顔で優勝パレードに出発する鶴竜(2019年7月21日撮影)

<とっておきメモ>

「約束」が果たされることがないまま、鶴竜が引退した。最後の優勝となった19年名古屋場所後、8月の夏巡業で知人から譲り受けた写真を見せた。鶴竜の母校の写真だ。ウランバートルの第31小中高。バスケットボールに夢中だった当時の話や、父が大学教授とあって、小中高生が時間をずらして同じ学校に通うなどの教育環境の不十分さ、環境改善に尽力したい思いなどを熱く語っていた。当時は「優勝10回」を目標に掲げた直後。「この話は次に優勝した時で」。そう約束したが「次」はなかった。

初めて朝稽古を訪れた時に驚かされた。平幕だった11年前、人けのない当時の井筒部屋を訪れると、すでに軽めの稽古を終えた鶴竜は、上がり座敷で新聞を読んでいた。文字がびっしりの一般紙の経済面。多くの外国出身アスリートは、会話はできても特に漢字の読み書きが不得手。だが鶴竜は「漢字の勉強になるし、経済のことを勉強するのも無駄じゃないから」と、笑って話した。興味を持つとのめり込むタイプ。大好きなサッカーやNBAの知識は豊富で、スマホのサッカーゲームも「たぶん1000万円ぐらい課金してますよ」とある力士は明かす。

静かに燃える男だった。対横綱は朝青龍に7戦全敗で、白鵬には初顔合わせから20連敗していた。普段の柔和な笑顔とは対照的に、平幕のころの鶴竜はガムシャラだった。白鵬の顔面を何度も張り、怒った白鵬からぶん投げられた。それでも次はまた顔を張った。そしてまた投げられた。「誰かに対して怒ったことは、生まれてから1度もない」という、生き仏のような性格。挑発や報復ではなく、ただ全力で壁に向かった。

シャイな性格で、本音を打ち明けられるのは親友の玉鷲ぐらいだろう。それでも11年に、東日本大震災の被災地を巡回慰問した際は「自分は横綱(白鵬)のように有名ではないけど、少しでも被災者の方を励ましたい」と、炊き出しのちゃんこを配り歩き、求められれば全員と握手した。気は優しくて力持ち。後輩の指導も的確で、元付け人でやんちゃな現在幕下の阿炎も鶴竜を尊敬してやまない。

「もし、私を受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の気持ちにこたえるべく、一生懸命がんばりたいと思います。立派な力士になるように精一杯(いっぱい)稽古にはげみます」。何のつてもなく日本相撲振興会などに、無謀な手紙を送って力士人生が始まった。当時の井筒親方(元関脇逆鉾=故人)に声を掛けられ、高校を中退して初来日してから20年。「ケガさえ治れば」。稽古場ではまだまだ強さを見せていただけに、無念の思いはあるだろう。それでも常に言い訳をしないのは、尊敬もしている同世代の稀勢の里の影響もある。全力士の中でも屈指のきれいな日本語を使い、達筆となった鶴竜。相撲道は、道半ばで幕を閉じた。【高田文太=10~11、17~19年大相撲担当】

小中高生が同じ校舎に通う、鶴竜が卒業したウランバートルの第31小中高
小中高生が同じ校舎に通う、鶴竜が卒業したウランバートルの第31小中高
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感染禍の相撲協会 春場所休場の協会員を発表/一覧

両国国技館の外観(2020年5月4日撮影)

日本相撲協会は13日、春場所(14日初日、東京・両国国技館)を休場する協会員を発表した。

15日間を全休する協会員は以下の通り。

山響部屋:力士全員(13人)、山響親方(元前頭巌雄)、小野川親方(元前頭北太樹)、床朝(床山)、大将(呼び出し)

尾上部屋:力士全員(15人)、尾上親方(元小結浜ノ嶋)、佐ノ山親方(元前頭里山)、音羽山親方(元前頭天鎧鵬)、床浜(床山)

富士ケ根親方(元小結大善)、武隈親方(元大関豪栄道)

11日に新型コロナウイルス感染が判明した山響部屋付きの小野川親方、尾上部屋付きの音羽山親方に加えて、濃厚接触の可能性があるそれぞれの部屋の協会員が15日間を休場することになった。山響部屋、尾上部屋の協会員の他には、協会の公式ユーチューブチャンネルで小野川親方や音羽山親方と共演した富士ケ根親方、武隈親方も濃厚接触の可能性があるとして休場することが決まった。

また、小野川親方と音羽山親方と同じく協会の社会貢献部に所属する以下の親方衆は、経過観察期間として4日目まで休場する。

竹縄親方(元関脇栃乃洋)、高崎親方(元前頭金開山)、三保ケ関親方(元前頭栃栄)、岩友親方(元前頭木村山)、不知火親方(元小結若荒雄)、阿武松親方(元前頭大道)、熊ケ谷親方(元前頭玉飛鳥)、押尾川親方(元関脇豪風)、秀ノ山親方(元大関琴奨菊)、楯山親方(元前頭誉富士)、荒汐親方(元前頭蒼国来)、清見潟親方(元関脇栃煌山)、春日山親方(元前頭武州山)、北陣親方(元前頭翔天狼)、井筒親方(元関脇豊ノ島)

報道陣の電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)によると、濃厚接触の可能性がある上記の親方衆は13日にPCR検査を受け、全員が陰性だった。

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正代「開放された感じ」かど番脱出で次はV争い

遠藤(後方)を下した正代(撮影・河野匠)

<大相撲初場所>◇10日目◇19日◇東京・両国国技館

大関正代(29=時津風)が勝ち越してかど番を脱出し、2敗を守った。相撲巧者の遠藤と激しい攻防。最後は突き落としで、物言いがつく際どい勝負を制した。9日目に初黒星の西前頭筆頭大栄翔は、引きずらずに1敗をキープ。優勝争いは、この2人を3敗の朝乃山、明生、逸ノ城が追う展開となった。

  ◇   ◇   ◇

無邪気な笑顔だった。引き揚げた西の花道、出迎えた井筒親方(元関脇豊ノ島)に「おめでとう」と声をかけられた正代は、思い切り表情を崩した。「相撲内容が危なかったのもありますが、緊張から解き放たれた表情が出たんじゃないかと思います」。抑えられない感情があふれ出た。

勝ち越し、かど番脱出をかけた一番も「苦難」だった。遠藤と立ち合いから激しい差し手争い。先に上手を許した苦しい体勢を左からすくって、必死に立て直す。最後は土俵際で倒れ込むように突き落とし。物言いがついたが「軍配通り正代」のアナウンスに今までにない安堵(あんど)感が押し寄せた。

「今までの、どの勝ち越しもうれしいが、その中でも表現しにくいがうれしいというよりホッとした。ずっと息苦しさがあった。場所前から追い込まれて精神的に余裕なかったんで、解放された感じです」

先場所、新大関の晴れ舞台で左足首を痛めて途中休場した。休場は初めての経験。いきなりのかど番に昨年末、「正直、あせりと不安はあります。変に意識せずとは思うが、早くかど番を抜けて心に余裕を戻したい」と明かしていた。苦労してつかんだ地位を手放してしまうかもしれない危機。その重圧も、大関になって初めて知った。

コロナ禍で不要不急の外出禁止。気分転換もできないが、正代には逆に好都合だった。「外出禁止は逆にいいかもしれない。自分の時間に集中できる」とも話していた。もともと、外向的ではない。部屋でゆったり、好きなアニメを見て不安な心を和らげてきた。

1つの目標をクリアし、次は大関として「優勝争い」が待つ。大栄翔を1差で追う、残り5日。「残り全部勝てるように集中し直して頑張っていかないといけないですね」。かど番を抜け、2度目の賜杯への戦いに立ち向かう。【実藤健一】

▽1敗 大栄翔

▽2敗 正代

▽3敗 朝乃山、明生、逸ノ城

遠藤(下)を突き落としで破る正代(撮影・河田真司)
遠藤を突き落としで破り、懸賞金の束を手に土俵から引き揚げる正代(撮影・河田真司)

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正代「精神的余裕なかった」11月途中休場振り返る

ゴムチューブを使ってトレーニングする大関正代

大相撲初場所(来年1月10日初日、東京・両国国技館)をかど番で迎える大関正代(29=時津風)が11日、途中休場した11月場所をあらためて振り返った。

新大関で迎えた同場所で、左足首を負傷して5日目に休場。負傷した要因を問われると「11月場所から始まってちょっと精神的に余裕がなかった。ギリギリの相撲があった。それがケガにつながったと思う」と分析した。現在は痛みもないといい「自分の体と相談して」相撲を取る稽古を再開するという。

この日は負傷した左足首にテーピングを施し、すり足やゴムチューブを使ったトレーニングで汗を流した。「今はジムに行ったらいけない。行きたいけど、今は変にトレーナーを呼ぶ訳にもいかない」と新型コロナウイルス感染拡大の影響で、トレーニング内容にも変化。今は「YouTubeがあるので、いろんな情報を見られる。いいものを探してやってみて、自分に合うものをって感じです」と動画サイトを有効活用している。

新型コロナの影響で、年末年始の地元・熊本への帰省は自粛する。それだけに「餅つきでも部屋でできたらいい。みんないるのなら餅つきぐらいしたいです」と、部屋関係者らとの餅つきを希望した。時津風部屋では年末年始に餅つきをする習慣がないという。部屋付き親方の井筒親方(元関脇豊ノ島)も「俺もいいと思う。コロナでこんな時期でみんな部屋にいる訳だし」と、つかの間の息抜きになれば、という思いをみんなが持っている。

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鶴竜が日本国籍取得 歴代横綱では白鵬に続き4人目

鶴竜(19年1月撮影)

大相撲の横綱鶴竜(35=陸奥)が日本国籍を取得したことが、10日付の官報で告示された。年寄名跡の襲名には日本国籍が必要で、現役引退後に親方として日本相撲協会に残る資格を得た。

外国出身の歴代横綱で日本国籍を有するのは、米国出身の曙、武蔵丸(現武蔵川親方)、現役の白鵬に次いで4人目。モンゴル出身では白鵬のほかに同国勢初の師匠となった友綱親方(元関脇旭天鵬)らがいる。

鶴竜は01年九州場所で井筒部屋から初土俵を踏み、14年春場所後に第71代横綱に昇進した。先代井筒親方(元関脇逆鉾)の死去に伴い、19年9月に陸奥部屋へ移籍。通算6度の優勝経験を持つが、3場所連続休場となった11月場所後の横綱審議委員会で「注意」を決議された。

◆親方になる条件 日本国籍を有することと、現役時代の実績が求められる。年寄を襲名して新たに部屋を興すには<1>横綱、大関経験者<2>三役通算25場所以上<3>幕内通算60場所以上。部屋の継承は<1>幕内通算在位12場所以上など。部屋付きの親方は<1>小結以上<2>幕内通算在位20場所以上<3>十両以上の通算在位30場所。また引退後、横綱は5年、大関は3年に限り現役時のしこ名で年寄として協会に残れる。

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元琴奨菊の秀ノ山親方「勝っても最後に」一問一答1

大きく反り返る琴奨菊のルーティンワーク

大相撲で引退した元大関琴奨菊の秀ノ山親方(36=佐渡ケ嶽)が15日、オンライン会見に臨み、引退を決意した理由や今の心境を明かした。

秀ノ山親方は、現在開催中の大相撲11月場所で15年ぶりに十両に陥落。幕内返り咲きを狙ったが6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、7日目の14日に休場届を提出し、引退の意向を固めた。

主な、一問一答は以下の通り。

-引退を決意した経緯は

秀ノ山親方 何とか頑張って応援してくれる方に結果を出そうと思ったけど、体が言うことをきかず、ここが自分の終わりかなと思って決断しました。

-6日目に「琴バウアー」をした

秀ノ山親方 自分ができることは全てやって、勝っても負けてもこの1番で終わろうと思っていましたので、応援してくれた方に感謝の気持ちが伝わればと思ったので。

-勝ってもやめるつもりだったのか

秀ノ山親方 そうです。前日に師匠に引退のことを考えている旨趣を伝えたけど、師匠からは一回ぶつかってみろと言われた。頑張ってみたけど、朝起きてみたら体が言うことを聞かず、両国国技館に行く車の中で「勝っても負けても最後にする」と師匠に伝えました。

-どんなことが胸にあったか

秀ノ山親方 なんとも言えないけど、まだできるなら相撲が取りたいというのが本音です。

-悔いはあるか

秀ノ山親方 やるべきことは全てしたけど、どうしても体が言うことを聞かないので。自分の相撲が取れないと感じたのでここで終わろうと決めました。

-今の心境は

秀ノ山親方 まだ慣れてなく、朝稽古場に行くとみんなが普段通りにしてるの見るとうらやましいです。

-家族へはどう伝えたか

秀ノ山親方 帰りの車の中で伝えた。妻の方は理解してくれて、子どもも理解してくれた。最後の相撲は家族を呼んで国技館で相撲を見せられたのはよかったです。中日のチケットを取ってたけど、そこまで続くか分からなかったので。

-大事にしてきたことは

秀ノ山親方 自分はご縁という言葉で、先代とのご縁と師匠とのご縁と、たくさんの方々とのご縁で佐渡ケ嶽に入って。ライバルにも出会えてここまでこられたので感謝です。

-思い出の一番は

秀ノ山親方 すごく聞かれると思って考えたけど、今思い出すのは幕下の時とか下の時に厳しく胸を出してくれた兄弟子とか師匠の思いとかライバルの存在が1番なので、どれがと言われたら苦労した時の方が思い出。思い出の一番は全てです。

-1番苦しかった時期はいつか

秀ノ山親方 いつも前向きだった。どこかにヒントがあるんじゃないかと思ってやっていた。

-原動力は何か

秀ノ山親方 ライバルの存在と同期生がどんどん上がっていって、自分も負けていられないと思って頑張ったことだと思います。

-稀勢の里関はどんな存在だったか

秀ノ山親方 土俵上は力を試される1番の相手と思ってぶつかって。1番の思い出は横綱との三番稽古で誰よりもぶつかったのが思い出です。

-それはどんな時間だったか

秀ノ山親方 無我夢中でくらいついた。気を抜いたら壊されるんじゃないかと思って、前日から備えたのが懐かしいです。

-井筒親方(元関脇豊ノ島)については

秀ノ山親方 小さい時から知っていて、いつも比べられるのが豊ノ島の存在で。先に新十両いかれて悔しい思いがあって、三役は私の方が早かったと思うけど、どんな時も意識して半枚でも上にあがろうという思いだった。

-3人の中で1番長く相撲を取った

秀ノ山親方 自分は納得いくまで取り切ろうと思ったので。

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旧井筒部屋の解体工事始まる、別れ惜しむ人の姿も

解体工事が行われる旧井筒部屋

大相撲の東京・墨田区にある旧井筒部屋の解体工事が4日、始まった。足場が組まれた部屋周辺は閑散としていたが、別れを惜しむように立ち止まって写真を撮影する通行人の姿も見られた。

昨年9月に先代井筒親方(元関脇逆鉾)が急逝。横綱鶴竜らは陸奥部屋に転属となり、以降は先代井筒親方の福薗杏里夫人が1人で生活していた。跡地にはマンションが建設される予定。

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旧井筒部屋の解体工事開始 逆鉾夫人「胸いっぱい」

解体が決まった旧井筒部屋

大相撲の東京・墨田区にある旧井筒部屋の解体工事が4日から始まることが3日、分かった。工事前日のこの日、故先代井筒親方(元関脇逆鉾)の福薗杏里夫人が電話取材に応じた。杏里夫人は「主人が部屋を持ったのが26年前。お付き合いしてた時から部屋には行っていたので、あの部屋にはもっと長い時間関わってきた。あそこに全てが詰まっています。胸いっぱいです」と心境を明かした。

昨年9月に先代井筒親方が急逝。横綱鶴竜らは陸奥部屋へ転属となり、以降は杏里夫人が1人で生活してきた。しかし、73年に先々代井筒親方(元関脇鶴ケ峰)が現住所に創設した部屋は老朽化が激しく、また3階建ての部屋に1人で住むには広すぎた。「本当は死ぬまで住みたかったけど、現実的に無理な部分がありますから」と悔やんだ。「主人は引退したらビルにしたいと夢を持っていた」と、跡地にはマンションが建設される予定だ。

電話取材に応じた鶴竜は最近、1人で旧稽古場に行ったという。「寂しい限り。(土俵に)座っていれば涙も出てくる」としみじみ。腰痛などで2場所連続休場中で、11月場所(8日初日、東京・両国国技館)の出場も不透明だが「自分が生きている以上、その記憶がなくなることはない」と先代井筒親方の教えを胸に再起を目指す。現存する相撲部屋では出羽海部屋に次いで2番目に古く、歴史のある旧井筒部屋。建物がなくなっても、代々受け継がれてきた部屋の魂は消えない。【佐々木隆史】

優勝した鶴竜(前列中央)前列左は井筒親方、同右は親方夫人の杏里さん(2018年5月27日撮影)
旧井筒部屋の稽古場

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鶴竜、井筒部屋の建物解体「ちょっと寂しいなって」

鶴竜(2020年3月2日撮影)

大相撲の横綱鶴竜(35=陸奥)が3日、朝稽古後に電話取材に応じ、自身が所属していた井筒部屋の建物が解体されることを明かした。

元井筒部屋所属だった力士が2日にSNSに解体するとの情報をあげ、報道陣に問われた鶴竜は「知っています。OBの皆さんで、ちょっと寂しいなっていう感じでやりとりはしています」と認めた。解体工事の時期については「もう始まるんじゃないかなと思っています」と話した。

01年9月に来日し、井筒部屋に入門。19年9月に先代井筒親方(元関脇逆鉾)が死去して現在の部屋に転属するまでの18年間、井筒部屋で過ごした。

「本当にただただ、もう壊されちゃうのかっていう。そういう寂しい気持ちだけですね」。苦楽を過ごした空間なだけに「自分の家みたいなもんですから。いろんな思い出があります。写真や映像で残ってますけど、実際にはもうなくなっちゃうわけですから」と話した。

当然、思い出も「数え切れないくらいあります。話せば話すほど、思い出せば思い出すほどいっぱいあります」と語り尽くせない様子だった。部屋は解体されても「それは消えることはない。自分が生きている以上、その記憶はなくなることはないですからね」と先代井筒親方の教えは、これからも心の中で生き続ける。

腰痛などの影響で2場所連続休場中で、11月場所(8日初日、東京・両国国技館)に向けては「まだ足りないって感じ。コロナになる前にいつもやってたことと比べると足りないのかなと感じます」と、調整は思ったようには進んでないという。相撲を取る稽古も出来ていないといい「出たときにちゃんと結果を出さないといけない。8番でいいやとか、そういうのはダメだと思います」と話した。

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鶴竜「自分で分かってる」横審からの休場多さ指摘に

都内の陸奥部屋で稽古を行う鶴竜

大相撲秋場所を全休した横綱鶴竜(35=陸奥)が18日、復活に向けて都内の部屋ですり足などの基礎運動を入念に行った。休場の要因となった腰の状態については「常に疲れがたまっていた。なるべくいつもケアはしているけど痛くなる」と説明。東京・両国国技館で行われている合同稽古には横綱白鵬や貴景勝、正代の両大関が参加している。以前から出稽古の解禁を希望していたが「(時期的に)もうちょっと後だと思っていたけど、思ったより早かったから行けなかった」と部屋での調整を選択した。

秋場所後の横綱審議委員会(横審)では、白鵬とともに休場の多さを指摘された。厳しい意見が出ていることについて「自分で分かっているから。こういう時だけど、大目に見てくれないので」と心境を吐露。11月場所(8日初日、両国国技館)に向けて師匠の陸奥親方(元大関霧島)も「進退懸けてやらなきゃいけない」と危機感を募らせる中、鶴竜は「しっかりやらないといけないし、焦ってもいけない」と強調した。

秋場所中の9月16日は先代井筒親方(元関脇逆鉾)の命日だった。先代師匠への思いは「自分が死ぬまで忘れない」と鶴竜。秋場所前には墓参りをしたが、土俵で結果を残せない場所が続いているだけに「かみ合わないし、うまくいかない」と、もどかしさを感じている。天国で見守る先代師匠のためにも、11月場所で結果を残すべく調整を進める。

都内の陸奥部屋で稽古を行う鶴竜

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正代なぜ稽古で人気者なのか…大関予言した元豊ノ島

初優勝を決め、賜杯を手に笑顔を見せる正代(代表撮影)

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇27日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)がついに賜杯を手にした。新入幕の翔猿に攻められ、追い詰められた土俵際で逆転の突き落としを決めた。13勝2敗の好成績で審判部の伊勢ヶ浜部長(元横綱旭富士)は八角理事長(元横綱北勝海)に大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請。恵まれた体を「ネガティブ」と言われた弱気な性格で生かせなかった大器が目覚め、初優勝と大関の夢を一気にかなえて涙した。

   ◇    ◇    ◇

正代の快挙を、時津風部屋付きの井筒親方(元関脇豊ノ島)は全く不思議がらなかった。「今年になって近い人には『(大関に)上がりますよ』と言っていた。地力がついている。(14日目に)朝乃山の体を浮かせたのはびっくりしたけど」と笑う。4月に引退したばかりで現役力士の目線には近い。「部屋の一員として、春場所の関脇での勝ち越し、7月の11勝で自信がついたんだと思う」と精神面の成長を語った。

場所前に師匠が不在となる異例の場所だったが「影響はなかった」という。師匠代行の枝川親方らが審判部の職務で不在でも、部屋付き親方として稽古場で目を光らせていた。

躍進を支えたのが、腰高ながら破壊力のある立ち合いの当たり。井筒親方も正代の入門当時から指摘してきたが「正代の場合は体を丸めることが逆にストレスになる」と気付き、ここ1年は矯正しなかったという。「人がまねできない新しいかたちだね」と認めた。

絶好の“稽古台”だからこそ成長できた。場所前には横綱鶴竜が出稽古に訪れ、巡業の三番稽古では横綱、大関陣に指名されることが多かった正代。井筒親方は「高いレベルでやってきて着実に力がついたんでしょう」と分析する。なぜ稽古相手として人気だったのか。「正代はあごを上げてるから、やってる方もいい稽古台になる。思い切り当たれるから」。のけ反るように胸から当たる立ち合い。かつては弱点と呼ばれたが、成長のきっかけとなった。【佐藤礼征】

2016年初場所殊勲賞の豊ノ島(左)と敢闘賞の正代(2016年1月24日)

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正代親戚の石川さゆり「母もおばも喜び」祝勝会約束

石川さゆり(2019年撮影)

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇27日◇東京・両国国技館

秋場所で初優勝した関脇正代へ、親戚の歌手石川さゆり(62)から所属事務所を通じて祝福メッセージが送られた。「親戚」ではあるが、4年前の11月に正代が明かしたところによると「母方の祖母の兄の奥さんの妹の娘が、石川さゆりさんなんです」。正代の兄弟子、井筒親方(元関脇豊ノ島)が「ほぼ他人やん」と突っ込んだ「遠い親戚」ではあるが、優勝を機に演歌界の大御所と新大関はグッと距離が縮まるかもしれない。

 ◇    ◇

正代関 優勝おめでとうございます。

毎日の取り組みに、私の母も親戚のおば達も連日、「今日も勝った!明日も…」と大変な盛り上がり喜びようでした。

熊本の大変な日を過ごす皆さんにも大きな元気とエネルギーが届いたと思います。

拝見していましたよ!おめでとう(祝)!本当に良かった、おめでとうございます!!

今年のコロナ禍の日本に正代関の優勝が、積み上げる相撲が心沸き立つ元気を

日本中の皆さんにお届け出来たとしたら嬉しいですね。

どうぞ、優勝の喜びをかみしめ一層の精進で大関、横綱となられることを応援しています。

一緒に食事をした事ありませんが、お祝い会をしましょう。

おめでとうございます(祝)石川さゆり

(※原文のまま)

優勝賜杯を手にする正代(撮影・鈴木正人)

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正代ぐしゃぐしゃに顔崩壊 初Vと大関に涙止まらず

八角理事長(右)から内閣総理大臣杯を受け取る正代

<大相撲秋場所>◇千秋楽◇27日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)がついに賜杯を手にした。

新入幕の翔猿に攻められ、追い詰められた土俵際で逆転の突き落としを決めた。熊本県出身、東農大出身の優勝はともに初めて。13勝2敗の好成績で審判部の伊勢ケ浜部長(元横綱旭富士)は八角理事長(元横綱北勝海)に大関昇進を諮る臨時理事会の招集を要請し、30日にも「大関正代」が誕生する。恵まれた体を「ネガティブ」と言われた弱気な性格で生かせなかった大器が目覚め、初優勝と大関の夢を一気にかなえて涙した。

   ◇   ◇   ◇

正代が泣いた。東の花道。出迎えた付け人とグータッチをかわすと、顔はぐしゃぐしゃに崩壊した。青いタオルで涙があふれる両目をぬぐう。「付け人が目を潤ませて、その後ろに井筒親方がいて。涙が止まらなくなった」。支えてくれた顔を見て感情があふれた。

最後まで試練だった。大一番の相手は新入幕翔猿。「初顔でとても意識したし、やりづらさを感じた。今までの相撲人生で一番、緊張したかもしれない」。前夜は深夜0時前に寝床に入ったが、明け方5時すぎまで寝付けなかったという。「目をつむると相撲のことがよぎって…」。極度の緊張は最後の仕切りまで続いた。「ドキドキして心臓の音が聞こえるぐらい。生きた心地がしなかった」。

立ち合い、14日目に大関朝乃山を吹っ飛ばしたような出足はなかった。攻められ、攻め返したところをいなされて体が泳ぐ。もろ差しを許して追い詰められた土俵際、必死の突き落としが決まった。「最後まであきらめなかったのがよかった」。土俵下の控えで息を整え何度も目を閉じた。

入門時から期待された大器が壁を突き破った。恵まれた体を誇りながら、大事な勝負どころで顔を出す「弱気」。今年初場所、そして先場所も千秋楽まで優勝争いに絡みながら届かず「プレッシャーに負けてしまっていた」。悔しい思いを重ねネガティブを捨てた。

母理恵さん(56)が「あがり症でした」という少年は何となく流される人生だった。小学1年で相撲を始めたきっかけも「体が大きい子どもがいる」と聞いた知人が、公園で遊んでいた正代をなかば強引に道場へ“連れ去って”から。熊本農高を卒業して就職を考えたが、当時は就職口がなくて進学。東農大在学中も高校の教員を目指したが、教育実習1週間で10キロやせるほど「教える厳しさ」を痛感し相撲界に導かれた。

「ネガティブ」は心優しさの裏返しでもある。今年3月、祖母の正代正代(まさよ)さん(91)が体調を崩して入院した。春場所前に帰郷していた正代は滞在の3日間、毎日お見舞いに通ったという。元気になった祖母は毎日、仏壇に手を合わせた。その祈りも、歓喜の瞬間につながった。

大関昇進も確実にした。「あこがれの地位。いろいろ責任のかかる地位…パッと思いつかないなぁ」と実感はわかない。誇りを持つ「正代」の名を熊本初の優勝力士に、そして大関の歴史に刻んだ。【実藤健一】

◆正代直也(しょうだい・なおや)1991年(平3)11月5日、熊本県宇土市生まれ。小学1年から相撲を始め、熊本農3年時に国体優勝。東農大に進み、2年時に学生横綱も卒業を優先してプロ入りせず、14年春場所に前相撲で初土俵。序ノ口、幕下、十両で優勝し16年初場所新入幕。184センチ、170キロ。得意は右四つ、寄り。

▽八角理事長(元横綱北勝海) 正代は初日から内容が良く素晴らしかった。最近3場所というより、この1年の相撲がいい。頑張っていればいつか、こんなこともある。翔猿も最後までうまく攻めたし自信になっただろう。(医療関係者らの)周りの人たちの支えで今場所も開催できた。

初優勝を決めた正代はタオルで顔の汗をぬぐう(撮影・小沢裕)
幕内初優勝を飾った正代は伊勢ケ浜審判部長(左)から優勝旗を受け取る(撮影・小沢裕)
初優勝を決め、賜杯を手に笑顔を見せる正代(代表撮影)

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正代が貴景勝撃破、天分の足運びに努力で馬力加え

懸賞金を受け取る正代(撮影・柴田隆二)

<大相撲秋場所>13日日◇25日◇東京・両国国技館

関脇正代(28=時津風)が悲願の初優勝に前進した。大関貴景勝との2敗対決を力強い立ち合いの踏み込みから、最後は突き落としで制した。関脇で2場所連続11勝と大関の座も見据えて残り2日。14日目の大関朝乃山戦にも勝てば、熊本出身力士初の優勝が大きく近づく。

   ◇   ◇   ◇

大関の圧力を自信を持って胸で受け止めた。「いい立ち合いができたと思います。思い切り当たることを意識していた。イメージしていた相撲がとれたと思います」と正代。下から突き上げるような貴景勝の出足を食らっても下がらず、左からおっつけ、最後は突き落としを決めた。

磨いてきた立ち合いの成果だった。新型コロナウイルスの影響で夏場所が中止になった。相撲の稽古もできない中、自身の相撲を見直す時間になった。「立ち合いの踏み込み、馬力を強化する意識があった。それが形になってきた。稽古が生きてきている」。

正代の立ち合いは低く頭からではなく、頭を上げて胸で受ける。その形の矯正は「癖もあるんで短い時間には改善できない」とし、「筋力アップしたら(踏み込みが)強くなるのかなと思って」独自の研究で下半身強化に取り組んだ。部屋付きの井筒親方(元関脇豊ノ島)が場所中の解説で正代について「相手に体を寄せる足の運びは天才的」と評していた。その天分に努力で得た馬力が加わった。

13勝の今年初場所、11勝の先場所と今年すでに2度も千秋楽まで優勝争いに絡んだ。その経験をへて「不思議なくらい(優勝争いを)意識できない」という。「経験させてもらったんで1月場所ほどの緊張やあせりはない。今のところ普通にやれている」。先場所も照ノ富士に勝った相撲でガッツポーズのような感情を爆発させる場面があったが、この日は大関に勝っても淡々と表情も変えない。

故郷の熊本は初の優勝力士誕生を心待ちにする。「自分の相撲で喜んでくれる人がいるなら頑張りたい」。その夢は今日14日目、大関朝乃山に勝てば現実に近づく。「けがなくあと2番。笑顔で部屋に帰れたらいいんじゃないですか」。かつて“ネガティブ力士”と言われた弱気はない。大関の座も見据え、勝負の2日間に臨む。【実藤健一】

▼八角理事長(元横綱北勝海) 今日の正代は下がらず強かった。左の使い方がうまく押っつけが効いた。変に気負わず冷静に集中しているようだ。立ち合いで押されないという自信がついたのでは。(優勝は)明日は朝乃山戦。まだまだ分かりません。

貴景勝(左)を突き落としで破る正代(撮影・小沢裕)

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琴奨菊 連日の稽古、自宅の土俵が原点/プロに聞く

16年初場所で日本出身力士として10年ぶりの優勝を決めた琴奨菊

各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回は大相撲の幕内力士、琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が力士人生を振り返った。中学から親元を離れて相撲留学。7月場所で幕内通算勝利数も716に伸ばし、歴代単独6位となった関取最年長の大関経験者が、ジュニア世代にメッセージを送った。

  ◇   ◇   ◇  

自宅の庭にある土俵が、琴奨菊の原点だ。小3で相撲を始めると1年後、相撲好きで熱心に応援してくれた祖父一男さんがつくってくれた。天候が良ければ1日2時間、四股やすり足で汗を流した。雨が降ったら土俵にブルーシートを敷いて土のうを置き、近所のグラウンドに移動。5キロ超のタイヤを引いて下半身を鍛えた。

「今と変わらず、相撲は生活の一部。放課後に友達と遊べないことが、ちょっとつらかったけど」。自宅での稽古に休みはなかった。休む場合は父一典さん(65)に「お伺い」を立てる必要があった。「『休ませてください』と言葉にするのも難しくて、ほとんど言ったことはないんですけどね」。角界入り後、当時通っていた小学校の担任教師は「(琴奨菊と同じ相撲大会に参加した)クラスのみんなは『毎日あれだけ稽古をやっている菊次君には勝てない』と言っていたぞ」と教えてくれた。それが印象に残っているという。

週に3回は、福岡・柳川市の自宅から車で1時間以上かかる久留米市の井上道場に通った。当時勝てなかった「県で一番強い宮崎君」がその道場にいたためだ。送り迎えは祖父がしてくれた。08年に76歳で亡くなったが「おじいちゃんが帰りにステーキをごちそうしてくれた。それがうれしかった」。支えてくれる家族を思うと「自分がここで逃げ出したらだめ」という気持ちが自然と湧いてきたという。

知人の勧めで中学校から高知の明徳義塾中に相撲留学した。全寮制で起床時間は6時ごろ。朝昼晩の先輩への給仕はもちろん、洗濯などの身支度は初めての経験だった。「生きる知恵は明徳の6年間で学んだ」。高知の山奥で遊ぶ場所はない。息抜きといえば、仲の良かった他の部活の同級生と、卓球で真剣勝負をすることだった。

アマチュアでは中学横綱、高校でも7タイトルを獲得した。相撲漬けの毎日だったが「苦しいとかつらいとか、あまり感じたことはなかった。『もっと強くなれるんじゃないか』というマインドの方が強かった」。在学中、福岡の両親に自ら連絡することはほとんどなかったという。「今思うとかなり気を使っていた。家族に心配をかけたくなくて」。36歳となった今でも、勝ち越した際や場所を終えた報告など、相撲に関する連絡が家族に対してはついつい遅れてしまう。「(連絡をするのは)身内が最後だと思っている。力士が終わったら、素直になれるのかな」。

高校を卒業して18年が経過した。7月場所前に同学年のライバル、元関脇豊ノ島(現井筒親方)が引退。気付けば関取最年長になった。同部屋では兄弟子の元大関琴光喜を追いかけ、同年代の力士には元横綱稀勢の里(現荒磯親方)や豊ノ島らがいたが、今はいない。「引っ張り上げてくれる人がいなくなって悩む時期もあった。今は自分が変わっていく過程が楽しくて、考えながら相撲の変化を楽しんでいる」。7月場所では、膝を伸ばした状態で手をつく新しい立ち合いで臨み、1年4カ月ぶりの勝ち越しを決めた。試行錯誤は続いている。

ジュニア世代の子に伝えたいことがある。「いつか負けちゃいけない場面が来る。相撲だけじゃなく、勉強や試験でここ一番が来る。今は負け続けてもいいので、そのときに備えてほしい」。16年初場所では、日本出身力士として10年ぶりの優勝を果たした。関取最年長の36歳は、現役へのこだわりを強く持っている。【佐藤礼征】

◆琴奨菊和弘(ことしょうぎく・かずひろ)本名・菊次(きくつぎ)一弘。1984年(昭59)1月30日、福岡県柳川市出身。小3から相撲を始め、高知・明徳義塾中で3年時に中学横綱。同高では国体など7タイトルを獲得した。02年初場所で初土俵を踏み、04年名古屋場所で新十両、05年初場所で新入幕。11年秋場所後に大関昇進。16年初場所で初優勝を果たす。17年春場所で関脇に陥落。三賞は殊勲賞が3回、技能賞が4回。181センチ、178キロ。得意は左四つ、寄り。血液型O。家族は夫人と1男。

明徳義塾高2年の時、全国高校相撲新人戦で日本一になった琴奨菊(左)
7月場所9日目に歴代単独6位の715勝目を挙げた琴奨菊(右)

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元蔵玉錦の安達敏正さん葬儀、井筒親方らが別れ

都内で行われた元前頭蔵玉錦の安達敏正さんの葬儀

大相撲の元前頭蔵玉錦(ざおうにしき)の安達敏正(あだち・としまさ)さんの葬儀・告別式が13日、東京・葛飾区の千代田鎌倉ホールで営まれた。

時津風親方(元前頭時津海)、井筒親方(元関脇豊ノ島)や時津風部屋の若い衆、親交の深かった大島親方(元関脇魁輝)ら、前日12日の通夜を含めてのべ180人が参列。喪主の妻とき子さんが弔辞を読み上げ、別れを告げた。

安達さんは元横綱柏戸の鏡山親方の内弟子として伊勢ノ海部屋に入門し、70年秋場所初土俵。翌年、鏡山部屋の創設にともなって移籍した。最高位は前頭筆頭。83年初場所限りで現役を退き、引退後は親方として後進の指導にあたり、最後は武隈親方として時津風部屋に在籍した。

この日は館内の葬儀場とは別室に、現役時代の写真や化粧まわし、最高位の前頭筆頭だった81年初場所の番付表などが展示された。現役時代の映像も流され、同時期に活躍した大島親方も「懐かしいな。(対戦時は)のらりくらりとはいかなかったな」と懐かしんだ。

新型コロナウイルス感染予防の観点から関取衆は参列しなかったが、井筒親方は2日連続で参列した。井筒親方は02年初場所が初土俵で、安達さんは先代武隈親方として同年に鏡山部屋から転籍してきたため、20年近い付き合いだった。井筒親方は7月場所中にお見舞いに訪れていたことを明かし「そのときもしゃべりづらそうにしていた。『(時津風部屋の力士は)みんな頑張っています。正代もいいですよ。いい成績を残すので、みんなのことを見てやってください』と伝えました。そのときにぐっと手を握ってくれて。(千秋楽まで)持たないかもしれないと聞いていたが、今場所を見届けてくれた。そこは力士だなと感じましたね」と振り返った。

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井筒親方「本当に相撲が好きで」先代武隈親方を悼む

元豊ノ島の井筒親方(2020年7月23日撮影)

元幕内蔵玉錦の先代武隈親方が9日に67歳で死去し、元関脇豊ノ島の井筒親方が10日、故人との思い出を語った。井筒親方は2002年1月に初土俵を踏み、同年に鏡山部屋から転籍してきた先代武隈親方から、2019年に退職するまで指導を受けてきた。井筒親方は「自分が新弟子の時に部屋にいらしたので、かれこれ20年近い月日を過ごしました。本当に相撲が好きで、稽古場での指導のポイントは聞いていて勉強になりました」と振り返った。

先代武隈親方は、元横綱柏戸の鏡山部屋で育ち、最高位は西前頭筆頭だった。井筒親方は「お酒を飲むと、口癖は『うちの柏戸は…』でした。今ごろ、柏戸関とお酒を飲みながら怒られているんじゃないでしょうか」と思いをはせた。

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