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元前頭里山の佐ノ山親方が年寄「千賀ノ浦」継承、襲名 先代は元関脇舛田山

佐ノ山親方

日本相撲協会は16日、佐ノ山親方(元前頭里山)が16日付で年寄「千賀ノ浦」を継承、襲名したことを発表した。

元里山は18年九州場所限りで引退し、その後は尾上部屋付きの親方として後進の指導にあたっていた。

先代千賀ノ浦親方の元関脇舛田山は10日に70歳の誕生日を迎え、協会の再雇用制度を終えていた。

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感染禍の相撲協会 春場所休場の協会員を発表/一覧

両国国技館の外観(2020年5月4日撮影)

日本相撲協会は13日、春場所(14日初日、東京・両国国技館)を休場する協会員を発表した。

15日間を全休する協会員は以下の通り。

山響部屋:力士全員(13人)、山響親方(元前頭巌雄)、小野川親方(元前頭北太樹)、床朝(床山)、大将(呼び出し)

尾上部屋:力士全員(15人)、尾上親方(元小結浜ノ嶋)、佐ノ山親方(元前頭里山)、音羽山親方(元前頭天鎧鵬)、床浜(床山)

富士ケ根親方(元小結大善)、武隈親方(元大関豪栄道)

11日に新型コロナウイルス感染が判明した山響部屋付きの小野川親方、尾上部屋付きの音羽山親方に加えて、濃厚接触の可能性があるそれぞれの部屋の協会員が15日間を休場することになった。山響部屋、尾上部屋の協会員の他には、協会の公式ユーチューブチャンネルで小野川親方や音羽山親方と共演した富士ケ根親方、武隈親方も濃厚接触の可能性があるとして休場することが決まった。

また、小野川親方と音羽山親方と同じく協会の社会貢献部に所属する以下の親方衆は、経過観察期間として4日目まで休場する。

竹縄親方(元関脇栃乃洋)、高崎親方(元前頭金開山)、三保ケ関親方(元前頭栃栄)、岩友親方(元前頭木村山)、不知火親方(元小結若荒雄)、阿武松親方(元前頭大道)、熊ケ谷親方(元前頭玉飛鳥)、押尾川親方(元関脇豪風)、秀ノ山親方(元大関琴奨菊)、楯山親方(元前頭誉富士)、荒汐親方(元前頭蒼国来)、清見潟親方(元関脇栃煌山)、春日山親方(元前頭武州山)、北陣親方(元前頭翔天狼)、井筒親方(元関脇豊ノ島)

報道陣の電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)によると、濃厚接触の可能性がある上記の親方衆は13日にPCR検査を受け、全員が陰性だった。

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元安美錦の安治川親方がOB戦出場「体が動かない」

<第44回日本大相撲トーナメント>◇9日◇東京・両国国技館

OB戦に出場した元関脇安美錦の安治川親方が引退後初めて相撲を取った。

出場した親方6人で唯一のまげ姿。両膝にサポーターをして、元前頭里山の佐ノ山親方と対戦した。差し手争いから左四つになり、右上手で投げを打ったが決まらず、寄り切られた。

取組後の支度部屋では肩で息をしながら、第一声は「体が動かないね」。この日のために2、3日前から稽古で若い衆に胸を出すなどして調整してきたが「逆に背中が痛くなっちゃったよ」と苦笑いを浮かべた。

10月に同所で断髪式を行う。

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相撲列車が博多駅到着、力士ら200人が5時間長旅

福岡入りする力士たち(撮影・栗木一考)

大相撲九州場所(11月10日初日、福岡国際センター)の新番付発表を翌日に控えた27日、力士ら約200人が乗った新幹線の「相撲列車」が、JR博多駅に到着した。

約5時間の長旅だったが、力士らは足早に改札を通過するなど、疲れた様子を見せなかった。昨年の九州場所で引退後、初めて相撲列車の引率責任者を務めた佐ノ山親方(元前頭里山)は「できるだけ、みんなケガなく頑張ってほしい。自分も頑張って指導します」と、初々しさをのぞかせながら話した。

福岡入りする力士たち(撮影・栗木一考)
博多入りする高安(撮影・栗木一考)

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貴源治「やめた方がいい」貴ノ富士会見制止も実らず

貴源治

前頭貴源治が、日本相撲協会から自主引退を促されている、双子の兄の十両貴ノ富士(ともに22=千賀ノ浦)の会見を、止めようとしていたことを明かした。この日、両国国技館で行われた佐ノ山親方の襲名披露大相撲に参加。前日27日の貴ノ富士の会見は「見ました」という。師匠の千賀ノ浦親方(元小結隆三杉)の反対を押し切ったと明かされていたが、貴源治は「会見を開くと報道で知り『やめた方がいい』と言いました。それから連絡が取れなくなりました」と、さらなる強行だったと明かした。

付け人への2度目の暴力を謝罪、差別的な発言も認めており「兄貴もうすうす戻れないと思っているのでは」と推測した。その上で自身も若い衆への理不尽な言動でけん責処分を受けたことには「申し訳ない気持ち。受け止めて、ゼロというよりマイナスからのスタート」と再出発を誓った。

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元前頭里山の引退相撲 断髪式は舞の海氏らがはさみ

里山改め佐ノ山親方(左)は師匠の尾上親方から止めばさみを入れてもらう(撮影・小沢裕)

昨年11月の九州場所限りで引退した元前頭里山の引退、年寄佐ノ山(38=尾上)襲名披露大相撲が28日、東京・両国国技館で開催された。

断髪式前には、6歳の長男・瑛汰君とともに2人で最後の土俵入り。初っ切りの後には最後の取組として、やはり瑛汰君と対戦。黒房下に押し出され、集まったファンをわかせた。

十両の取組後に断髪式が行われ、約300人の関係者がはさみを入れた。大相撲評論家の舞の海秀平氏、好角家で漫画家のやくみつる、放送作家の鈴木おさむ、お笑い芸人のあかつらが、次々と別れを惜しみながら土俵へ上がった。

最後の協会関係者では、出羽海一門で日本相撲協会理事の春日野親方(元関脇栃乃和歌)、出羽海親方(元前頭小城乃花)、山響親方(元前頭巌雄)、また親交があり29日に同所での引退相撲を控える荒磯親方(元横綱稀勢の里)や安治川親方(元関脇安美錦)、現役力士では鶴竜、白鵬の両横綱や大関豪栄道、同じ鹿児島・奄美出身の幕内力士・明生らもはさみを入れた。最後に師匠の尾上親方(元小結濱ノ嶋)が止めばさみを入れた。

鹿児島商高、日大を経て04年春場所で初土俵。幕内6場所、十両41場所と関取として47場所を務めた。通算493勝の白星を35手の決まり手で奪った業師は断髪式を終え、整髪になると「(今までと)違う。夢心地、夢を見ているみたい」と鏡を見やりながら不思議そうな顔をした。約300人がはさみを入れた断髪式は、東西南北と4方向に向きを変えながら行ったが「全部の方向を回って、こんなにお客さんが来てくれたんだ、とうれしさと驚きがあった。相撲界に入って思い入れがたくさんある人たちばかり。名前が呼び上げられるたびに、思い出がよみがえってきた」と感慨深げに話した。

佐ノ山親方として次の仕事が待っている。「いろいろな人に支えられているのだから感謝の気持ちを忘れないこと。相撲を教える前に、そこです」。私的な? 夢もある。この日、一緒に土俵入りや取組もあった瑛汰君のこと。既に相撲を始めており「(自分の)意志を継いでくれたら。横綱を目指して頑張ってほしい」と目を細めていた。

長男瑛太くん(右)といっしょに最後の土俵入りを披露する里山(撮影・小沢裕)
断髪式を終えた里山改め佐ノ山親方(左)は、(右へ)長男瑛太くん、長女さくらちゃん、美菜夫人ら家族から心配そうに見守られながら整髪する(撮影・小沢裕)

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荒磯、佐ノ山親方が力士会で引退相撲の協力呼びかけ

力士会に足を運び、会員に引退相撲の実施を呼びかけた元横綱稀勢の里の荒磯親方(左)と元里山の佐ノ山親方

大相撲で元横綱稀勢の里の荒磯親方と、元前頭里山の佐ノ山親方が、力士会員に引退相撲の協力を呼びかけた。

27日、東京・両国国技館内の相撲教習所で行われた力士会に出席。9月28日に佐ノ山親方、29日に荒磯親方と2日連続で引退相撲が行われるため、荒磯親方は「(秋)場所後に力士会の皆さんに協力していただきたい」と話した。

荒磯親方の前日に引退相撲が行われる佐ノ山親方は「前夜祭だと思って楽しんでいただければ」と腰を低くした。ともにまげ姿は残り約1カ月。荒磯親方は「寂しい気持ちです。1日1日、あと1カ月のまげ姿を楽しみたい」と、神妙な面持ちで話した。断髪式後のヘアスタイルについては「美容院の人と打ち合わせをしていく。スタンダードな感じにするつもり」と明かした。

荒磯親方は24日に都内の田子ノ浦部屋で綱打ちを行い、引退相撲で使用する綱をすでに締めている。それだけに「激やせでもしたら長さがずれてくる」と、最近は体形維持も意識してトレーニングに励んでいるという。弟弟子の大関高安は、左肘の負傷により調整が遅れているが「いつでも(相撲を取る)準備はできている」と、稽古相手として意欲満々だった。

まわし姿で土俵外で体を動かす荒磯親方

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元時天空 30日午前に容体急変「救急車を呼んで」

元小結時天空の間垣親方が亡くなり、忙しく対応する時津風親方(撮影・神戸崇利)

 日本相撲協会は31日、元小結時天空の間垣親方(本名・時天空慶晃=ときてんくう・よしあき)が同日午前1時12分に悪性リンパ腫のため東京都内の病院で死去したと発表した。37歳だった。

 師匠の時津風親方(元前頭時津海)は、協会を通じて間垣親方の状況を説明し、コメントを出した。詳細は以下の通り。

 間垣親方の容体が急変したのは30日の午前中。東京・墨田区内の自宅で療養中「呼吸が苦しくなった。救急車を呼んでほしい」と看病に当たっていた家族に伝え、慶応病院に搬送されて入院。時津風親方が連絡を受けたのは午後2時ごろ。慌てて支度をして、午後2時半ごろに病院を訪れた。

 病院で対面した際は「声をかけたら2回ぐらい、目を開けた。呼吸が苦しそうだった」。病院には間垣親方の入門時の師匠である先々代の時津風親方(元大関豊山)の内田勝男さん、部屋の全力士、家族らが訪れた。午後10時ごろ、時津風親方と部屋の力士は病院から引き揚げて部屋に戻ったが、再び家族から連絡が入り、師匠と部屋の力士らは31日午前0時30分ごろに病院に到着。最期は家族だけでみとった。

 遺体は午前3時ごろ、時津風部屋に運ばれた。1日夕方には都内の実妹の自宅に移される予定。6日の通夜、7日の葬儀・告別式は時津風一門葬で執り行う。

 時津風親方のコメント 間垣親方の現役時代は弟弟子でした。とても真面目で、面倒見のいい力士でした。闘病生活の最初のころは「モルヒネを打ったら痛みに負ける」という理由でモルヒネを拒否していたと聞きました。昨年の9月には花道の警備を務めましたが、千秋楽が終わった後に話を聞くと、本人は「疲れた」と言ってました。10月には土佐豊(佐ノ山親方)の結婚式にも出ました。10月半ばごろには体調が悪化し、「腰が痛い。足が不自由になってきた」と言い、自宅療養するようになりました。突然の訃報で、残念で仕方ありません。間垣親方の現役時代は、多くの方々にご支援を賜り、誠にありがとうございました。

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元千代大海佐ノ山親方が部屋別最多Vの九重部屋継承

日馬富士(右)と言葉を交わす九重親方

 日本相撲協会は3日、元大関千代大海の佐ノ山親方(40)が同日付で年寄「九重」を襲名し、元横綱千代の富士の前親方が死去した九重部屋を継承したと発表した。年寄「佐ノ山」は幕内千代鳳が所有するという。

 九重部屋は北の富士、北勝海を含めた3横綱を輩出し、千代の富士の31度を筆頭に部屋別の優勝回数で52度とトップを誇る。7月の名古屋場所番付では6関取など力士13人が在籍した。

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佐ノ山親方が年寄「九重」襲名、九重部屋を継承

佐ノ山親方(写真は2016年5月11日)

 日本相撲協会は3日、元大関千代大海の佐ノ山親方(40=本名須藤龍二、大分県出身)が同日付で年寄「九重」を襲名し、元横綱千代の富士の前親方が死去した九重部屋を継承したと発表した。

 元千代大海の九重親方は1992年九州場所初土俵。激しい突っ張りを武器に99年初場所で初優勝し、場所後に大関へ昇進した。優勝3度で、大関在位65場所は魁皇と並んで歴代最多。2010年初場所限りで引退し、九重部屋付きで後進の指導に当たっていた。

 九重部屋は北の富士、北勝海を含めた3横綱を輩出。千代の富士の31度を筆頭に、部屋別の優勝回数では52度でトップを誇る。7月の名古屋場所の番付では、幕内千代鳳関ら6関取など力士13人が在籍した。

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千代の富士さんとお別れ10月1日、国技館で調整

61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方

 膵臓(すいぞう)がんのため61歳で急逝した元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)のお別れの会が、10月1日に両国国技館で営まれる方向で調整していることが1日、分かった。九重部屋は佐ノ山親方(元大関千代大海)が継承する。訃報から一夜明け、遺体が眠る東京都墨田区の部屋には弟弟子の八角理事長(元横綱北勝海)や、現役時代の師匠の北の富士勝昭氏(元横綱)らが弔問に訪れた。

 昭和から平成を彩った九重親方との最後の別れは、秋場所後になる。6日の通夜、7日の葬儀・告別式は遺族や関係者だけで営まれる。そこで、一般ファンも参加できるお別れの会を10月1日に両国国技館で開く方向で調整しているという。8月中は夏巡業で日程が埋まっているため、秋場所後に延ばされた。関係者は「協会葬ではなく、お別れの会として、笑顔で楽しく送りたい」と話した。

 九重部屋の継承も方針が固まった。春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)は「佐ノ山親方が継承する」と明かした。近く年寄名跡が変更され、3横綱を生んだ部屋が引き継がれる。

 九重親方の遺体は、部屋の自宅スペースにあたる4階に安置された。通夜も告別式も、その自宅で執り行われる。八角理事長は「まったく同じ場所で娘さんを亡くして、あそこで通夜、葬式…思い出しました」。

 89年6月に、生後3カ月の三女愛ちゃんを乳幼児突然死症候群で亡くした。左肩の脱臼で5月の夏場所を全休した身に、ショックが重なった。迎えた7月の名古屋は「場所前は稽古できず、休場か、引退かというくらいだった。でも、逆境に強い。絶対にくじけなかった。優勝決定戦で私に勝って優勝したんですよね」と述懐した。それだけに「悪いとは聞いていたが、何事にも絶対勝つと思っていた。治るだろうと」。まだ訃報を信じられずにいた。

 兄弟子との猛稽古は有名な話で、自らが横綱に上り詰めた原動力だった。「そのときの思い出をゆっくり…何年かたって、2人で飲みながらもう1度、話してみたかった」と涙ぐんだ。

 2人の師匠だった北の富士氏も弔問し「穏やかな表情だった。千代の富士らしい顔でね。豪快だけど繊細。口は悪いけど、腹はそれほど悪くない。ユーモアも適当にあったし、涙もろいところも」と故人をしのんだ。「3年前は大鵬さん、そして北の湖さん、千代の富士。強い順番に逝っちゃうんだなぁ」。先に逝く弟子を悲しむよりなかった。

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九重親方死去に八角理事長「あまりにもショック」

81年1月、初優勝を決めた関脇・千代の富士は、支度部屋で後援者から祝福を受ける

 元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)の突然の訃報は、関係者に驚きをもたらした。7月31日は岐阜市で夏巡業が始まったばかり。多くの関取衆は次の福井市(2日)に移動したばかりだった。部屋関係者によると、九重部屋の関取衆は通夜と葬儀・告別式が営まれる6、7日に帰京するが、それ以外は巡業に同行するという。

 大横綱であり現役親方の突然の訃報は、関係者に激震をもたらした。現役時代に千代の富士の猛稽古で横綱に上り詰めた八角理事長(元横綱北勝海)は「あまりにもショックで、コメントのしようがない」と、春日野広報部長(元関脇栃乃和歌)を通じてコメントするのが精いっぱいだった。

 尾車事業部長(元大関琴風)は幕内対戦6勝22敗だった“戦友”との現役時代を振り返った。「初顔は78年夏、私が寄り切りで勝ち、その後5連勝しました。すると突然、佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来るようになりました。東京にいても巡業にいてもいつも胸を合わせました。右手の指が裂ける大けがも気がつかないほどでした。鋭い当たりから中に入って左前まわしを取られたら体が浮いてしまい、つま先立ちの状態になるほどでした。そして、その後は11連敗です。本当に強かったです」と悼んだ。

 夏巡業が始まったこの日、休場した幕内千代の国と十両千代皇を除く部屋の関取衆は福井市へ移動中に訃報に接した。十両千代翔馬は「連絡があったばかりで詳しいことは全然分からない」と悲しんだ。部屋関係者によると、6、7日に通夜と葬儀・告別式が営まれ、幕内千代鳳ら巡業参加組も、貴乃花巡業部長(元横綱)の許可を得て帰京し、列席する。ただ、それ以外は巡業に同行するという。玉ノ井巡業部副部長(元大関栃東)は巡業での追悼などについて「大横綱ですから、いろいろ相談して何かできることを、巡業でもやりたい」と話した。

 「小さな大横綱」の名は海を渡ったモンゴルでも有名だった。関係者によると、横綱白鵬は岐阜巡業後に訃報を知り、驚いていたという。横綱日馬富士には模範となる大先輩だった。

 「びっくりして言葉が出ない。鳥肌が立っています。大好きな、大好きな方だった。あの方の相撲を見て勇気をもらっていた。体が小さいなら、こういう相撲を取ればいいんだと、強い気持ちにさせてくれた。よくかわいがってもらいました。還暦土俵入りで露払いをさせていただいたことが心に残っています。今でも千代の富士関のDVDは車の中で見ています」

 都内の部屋には多くの報道陣が殺到し、警察官も巡回に出た。佐ノ山親方(元大関千代大海)は「オヤジの最後を、盛大に書いてやってほしい」と頼んだ。

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元大関千代大海の佐ノ山親方が九重部屋を継承へ

生前の思い出を語る佐ノ山親方(撮影・神戸崇利)

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。

 佐ノ山親方は無念の表情で師匠との思い出を語った。入門時に「『お前、すごい頭して来たな』と言われた」のが始まりで、名古屋場所中の稽古場での会話が最後。病院での面会時は意識もなかったが「血のつながりはないけど、本当の自分の父親とずっと思っていた」。部屋については「生前『次はお前が引っ張っていってくれよ』と言われていたので、できる限り頑張らせていただきます」。九重親方が一代年寄を辞退したのも部屋の継承を望んでいたためで、今後は佐ノ山親方が部屋を引き継ぐ見通し。

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「鋼の横綱」千代の富士、膵臓がんに屈す 61歳

84年9月、高々と足を上げ、力強い四股を踏む第58代横綱千代の富士

 小さな大横綱が天国に旅立った。大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が7月31日午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、東京・文京区内の病院で死去した。61歳だった。「ウルフ」の愛称で親しまれ、史上3位の31度の優勝など昭和から平成にかけて一時代を築き、89年には角界で初めて国民栄誉賞も受賞。大鵬、北の湖に続き道産子の大横綱がこの世を去った。

 横綱千代の富士はケガとの闘いを乗り越え、史上初の通算1000勝、31度の優勝を達成した。度重なる肩の脱臼などにも弱音をはかなかった。わが道を貫き、角界をけん引してきた、そんな小さな大横綱も、病にはかなわなかった。

 午後5時11分、家族全員にみとられて逝った。遺体を乗せた車に、久美子夫人と長男剛さんが同乗。都内の病院から、午後8時12分に東京・墨田区の九重部屋に到着した。キャスター付きベッドに乗せられ、佐ノ山親方(元大関千代大海)や幕内千代の国らが寄り添った。力士らは師匠の遺体に触れ「ありがとうございました」と涙を流しながら言葉をかけた。

 九重親方は昨年5月末に両国国技館で還暦土俵入りを披露。その後、膵臓がんが見つかり、手術を受けた。「早期発見で良かった」と喜び、以後は1滴もアルコールを口にしなかった。しかし、最近になってがんが胃や肺などに転移し、鹿児島県などで治療を続けていた。7月の名古屋場所は4日目の13日を最後に休場し、都内で入院していた。

 70年秋場所初土俵。81年名古屋場所後に第58代横綱に昇進した。小兵ながら左前まわしを引いての寄り、豪快な上手投げで土俵に君臨し「小さな大横綱」と称された。角界のプリンスと人気を博した大関貴ノ花に代わるように看板力士となり、筋肉質の体で北の湖らと一時代を築いた。身長183センチ、125キロ前後の細身ながら、スピード、引き締まった体、眼光の鋭さなどで老若男女を魅了した。

 91年夏場所。初日に貴花田(のち横綱貴乃花)に敗れ、3日目に貴闘力に屈し現役を引退。「体力の限界…」と涙する姿は感動を呼んだ。92年4月から九重部屋を継承。大関千代大海らを育てた。

 協会内では日本相撲協会理事として事業部長や審判部長などを務めた。しかし、14年の理事候補選に落選。今年1月の理事選も出馬の意向を持っていたが、票がまとまらず断念した。夢に描いていた第2の千代の富士育成に心血を注ぐ-。そう心機一転した直後に待っていた人生の最期。波瀾(はらん)万丈の人生に、幕を下ろした。

 日本相撲協会は今日1日、両国国技館で臨時の理事会を開く。協会葬やファンに向けたお別れの会などの開催が検討される。

 ◆膵臓(すいぞう)がん 膵臓にできる悪性腫瘍。早期の場合はほとんどが症状に表れず、早期発見が難しい病気。多くが進行している状態で発見されて、手術不可能な状態で見つかることも多い。手術したとしても、3年以内に再発する可能性が高く、5年生存率(5年間がんが再発しなければ完治したと言われている)は10~20%とされている。

 ◆九重貢(ここのえ・みつぐ)元横綱千代の富士。本名は秋元貢。1955年(昭30)6月1日、北海道松前郡福島町生まれ。70年秋場所初土俵。75年秋新入幕。81年秋から横綱に。通算1045勝は史上2位。優勝31回は同3位。88年夏場所から昭和以降3位の53連勝をマーク。89年に角界初の国民栄誉賞受賞。三賞7度。金星3個。91年夏場所限りで引退し、92年4月に年寄「九重」を襲名して部屋継承。家族は夫人と1男2女。

<葬儀日程>

 ▼通夜 6日午後6時から、東京都墨田区石原4の22の4、九重部屋

 ▼葬儀・告別式 7日午後0時半から、同所

 ▼喪主 妻久美子(くみこ)さん

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貴乃花、日馬、王会長、カズが…九重親方追悼まとめ

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、東京都内の病院で死去した。61歳だった。

 大横綱の死去は、各界の関係者に大きな衝撃を与えた。

 コメントは以下の通り。

九重親方の遺体が無言で部屋に到着。力士らに迎えられる。手前右は佐ノ山親方

貴乃花親方 「いまは厳粛に静粛に受け止めています。現役時代には胸をお借りし、鋼の肉体に額をおそるおそる当てたことを忘れてはいません。まだ下積み時代に横綱から、早く上に上がってこいと激励のお言葉をたまわったことも忘れてはいません。いまはご遺族に哀悼の意をささげております」

元横綱朝青龍 「悲しい悲しいな涙が止まらない…憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ~~悲しいな。親方よ 夏にモンゴルに来てイトウ釣る約束は?悲しいな涙」

横綱日馬富士 「言葉が出ない。何て言えばいいか…。鳥肌が立っています。大好きな大好きな方。あの方の相撲を見て勇気をもらっていた。小さい体でもこういう相撲を取ればいいんだと強い気持ちにさせてくれた。よくかわいがってもらいました」

佐ノ山親方(元大関千代大海)「師匠が好きで憧れの力士だった。本当にしみじみと(悲しみを)感じている。名古屋場所中に稽古場で指導内容を話したのが最後の会話。ご遺体の手を握りながら『今までありがとうございました』と言った」

玉ノ井親方(元大関栃東)「すごい人だった。存在が違った。スターですし、大きな存在を亡くした。すごい横綱だった。急なことで、悲しいの一言。気持ちを引き継いでしっかり頑張りたい」

尾車親方(元大関琴風)「年齢は2つ上、まさに戦友でした。初顔は78年夏、私が寄り切りで勝ち、その後5連勝しました。すると突然、佐渡ケ嶽部屋に出稽古に来るようになりました。東京にいても、巡業にいても、いつも胸を合わせました。右手の指が裂ける大けがも気がつかないほどでした。鋭い当たりから中に入って左前まわしを取られたら体が浮いてしまい、つま先立ちの状態になるほどでした。そして、その後は11連敗です。本当に強かったです。これからは協会のご意見番としてアドバイスをいただきかっただけに残念です」

芝田山親方(元横綱大乃国)「こんなに早く亡くなるとは思っていなかった。当時は千代の富士、同部屋の北勝海がいて、一門が違う大乃国がいた。そういう相手がいたから、土俵を沸かせられたのではと思う。相四つだったので、なんとか先に左の上手を取らせないように研究した」

ソフトバンク王貞治球団会長 「九重親方の訃報に接し、大変残念でなりません。土俵での圧倒的な強さで、31回の優勝など数々の記録を打ち立て、相撲界を大いに沸かせてくれました。一時代を築いた心に残る横綱でした。謹んでご冥福をお祈りします」

日本ハム栗山英樹監督「食事をしたことがあり、おおらかで大きな人だった。けがをトレーニングで克服したのを(かつて教壇に立っていた)大学の授業でも話したことがある。ショックで残念」

楽天梨田昌孝監督「悪いのは知っていたが、すごくショック。体は小さいが強いし、スケールの大きさがあった。ゴルフではアプローチもパットもうまい。酒(の飲み方)も豪快だった」

ロッテ伊東勤監督「われわれの子どものころのヒーローだった。相撲人気が復活して、盛り上がってきている。ヒーローが亡くなって残念」

横浜FCカズ(三浦知良) 「何回かお会いしたことがあります。まだお若い。残念ですね」

元NHKアナウンサー杉山邦博さん 「努力の人で、とにかく強かった。力士になった当初は体が小さいのに上手投げにこだわって相撲を取っていたため、肩の脱臼が相次いだ。そこから自分を変え、一直線に前に出るスタイルにしたことが歴史に残る『小さな大横綱』の誕生につながった。自分を変えることはなかなか至難の業だが、見事に成し遂げた。自分と向き合う強い気持ちを持っていたからだろう。横綱としても一人の人間としても誇り高かった。最大級の賛辞を贈りたい」

1981年初場所、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇・千代の富士(写真は1981年1月25日)

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横綱千代の富士(写真は1989年1月10日)

佐ノ山親方、九重親方と面会も…意識なく反応せず

部屋の前で取材に応じる元千代大海の佐ノ山親方(撮影・野上伸悟)

 第58代横綱千代の富士の九重親方(享年61)の死去を受けて、部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)が31日、報道陣の取材に応じた。

 東京・墨田区の部屋で無言の帰宅となった師匠を出迎え「九重師匠は午後5時11分、膵臓(すいぞう)がんのため、都内の病院でお亡くなりになられました。生前には皆さまに大変お世話になりました。ありがとうございました」とあいさつ。

 面会に行ったことなども明かし「その時にはもう意識がない、声を掛けても反応しない状態だった。名古屋場所中の会話が最後。師匠は稽古場で指導していましたので、その指導の内容を、師匠と言葉を交わしたのが最後でした」と無念の表情で話した。

 16歳で入門。その際「『お前、すごい頭して来たな』と言われた」という。そこから大関まで上り詰め「僕にとっては、血のつながりはないですけど、本当の自分の父親としてずっと思っていました。師匠なくして僕はいないんだなと、しみじみ感じている」。遺体の手を握って、感謝を述べた。

 部屋の今後については「師匠には生前『次はお前が引っ張っていってくれよ』と言われていましたので、(力士たちが)不安にならないように、できる限り頑張らせていただきます」と話した。

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九重親方無言の帰宅、佐ノ山親方や力士ら迎え入れる

九重親方の遺体が無言で部屋に到着。力士らに迎えられる。手前右は佐ノ山親方

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。61歳だった。

 九重親方の遺体は午後8時すぎに、病院から東京・墨田区の九重部屋におかみさんらが同乗する車で戻った。部屋では、部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)や力士らが、師匠の無言の帰宅を迎え入れた。

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朝青龍「涙止まらない…角界の神様」九重親方悼む

元朝青龍(手前)の断髪式に出席した九重親方(元横綱・千代の富士)(2010年10月)

 大相撲の元横綱千代の富士の九重親方(本名・秋元貢)が31日、膵臓(すいぞう)がんのため東京都内の病院で死去した。61歳だった。

 東京・墨田区の九重部屋では、部屋付きの佐ノ山親方(元大関千代大海)らが対応に追われた。

 突然の訃報に、角界関係者らは悲しみに包まれた。元横綱朝青龍はツイッターで「悲しい悲しいな涙が止まらない…憧れの力士、角界の神様、横綱たちの横綱よ~~悲しいな」「親方よ 夏にモンゴルに来てイトウ釣る約束は?悲しいな涙」とつぶやいた。

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玉ノ井親方「早く優勝してほしかった」/連載1

豪栄道(左)を破り、初優勝を決めた琴奨菊(撮影・岡本肇)

<10年ぶりの和製力士V>

 琴奨菊が、日本出身力士として10年ぶりの優勝を果たした。06年初場所の栃東以来、なぜ日本生まれの力士による優勝が途絶え、どうして壁を破れたのか? 連載「10年ぶりの和製力士V」では、今回の節目にまつわる話題を紹介する。1回目は、親方衆の見解。

  ◇  ◇

 10年の節目に自分のしこ名がスポットを浴びた。巡り合わせの運命に、06年初場所で最後の和製優勝力士だった玉ノ井親方(元大関栃東)は「早く優勝してほしかった」と少し肩の荷を下ろすように話した。10年の空白を生んだ外国出身力士は「ハングリー精神が強かった。(和製は)あと1歩だった」と指摘。「これからの経験になる」と横綱昇進に期待した。

 マゲがあれば日本出身も外国出身もない。そのスタンスは協会トップになる前から不変だ。船出の場所となった八角新理事長(元横綱北勝海)は言う。「全力士、頑張っているから感動がある。頑張った者が優勝するんです。なおさらこの10年、外国出身力士が頑張った。白鵬は1人横綱で頑張ってきた」。双方を分け隔てる気持ちはない。相撲道を歩む者に、国境はないという姿勢だ。もちろん琴奨菊だけの美酒にとどまらせてはいけない。そこは協会トップ。「オレも頑張ればできるんだという励み、勇気。特に稀勢の里は自分が一番(日本出身力士優勝に)近かったわけだから」と化学反応に期待する。

 若手指導者は、日本出身力士の精神的もろさを指摘する。関脇時代の99年名古屋場所で優勝した大鳴戸親方(元大関出島)は「体形的にはそんなに変わらなく日馬富士なんか小兵でも横綱を張る。心技体、最初の心が大事、その違い」と指摘。「巡業も稽古で土俵に上がるのはモンゴル勢ばかり。稽古場に来ない日本勢が勝てるわけがない」と現状を嘆きつつ「これが幕開けだと思って、オレもオレもとなってほしい」。若貴兄弟やハワイ勢に挟まれる中、3度優勝した元大関千代大海の佐ノ山親方も「気持ちしかない。技量はどっこいどっこい。ここが、今の日本人力士にとってはチャンス」と期待する。

 NHKがテロップで琴奨菊の優勝を速報。「地震が来たのかと思った」と笑いながらも、九重親方(元横綱千代の富士)は「もっと日本出身力士が1歩2歩と踏み込んでチャレンジしないと。頑張って稽古しているのはモンゴル人力士」と厳しい。終止符は打ったが、モンゴル勢優位の潮目は「なかなか変わらない。白鵬も、まだまだ厳しい壁。日本人力士が一丸にならないと」と期待を込める。スポーツの世界では、1つのたがが外れた時、せきを切ったように流れが変わることが多々ある。ターニングポイントになるかは、和製力士の力量にかかっている。【大相撲取材班】

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千代大龍 おいしい2発

<大相撲名古屋場所>◇3日目◇14日◇愛知県体育館

 前頭13枚目千代大龍(26=九重)は、たった2発だった。2度の当たりだけで遠藤を土俵外へ押し出し、初日を出した。

 懸賞12本を手にして「初日が人気者の遠藤くんで、2倍おいしいですね」と喜んだ。朝の稽古場で、佐ノ山親方(元大関千代大海)から「自分の全てを丸めて当たれ」と言われてきた。その通りの力強さ。「20日ごろに妻と子供が来る。これでおいしい食事にでも…」とにんまりだった。

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