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元関脇琴勇輝が年寄君ケ浜襲名 死亡の響龍さんら21人の引退発表

琴勇輝(21年1月撮影)

日本相撲協会は26日、東京・両国国技館で2年ぶりの開催を目指す大相撲名古屋場所(7月4日初日、ドルフィンズアリーナ)の番付編成会議を開き、4月に現役引退を発表した元関脇琴勇輝の年寄君ケ浜襲名と、春場所中の取組で頭部を強打した後、入院中に急性呼吸不全のため亡くなった響龍さん(本名・天野光稀)や幕内経験者の舛ノ山、元十両高立ら以下、22人の引退を発表した。

【引退】琴勇輝、琴紺野、琴全翔、琴ノ海、琴欣旺(以上、佐渡ケ嶽)魁ノ隆(友綱)藤佐藤(藤島)高立、大志龍(以上、木瀬)宝龍山、唐津海、天ノ東(以上、玉ノ井)大翔龍、大翔洸(以上、追手風)華の富士、響龍(以上、境川)雅隆(二子山)舛ノ山(常盤山)越乃花(立浪)吉村(出羽海)千代鷹(九重)紫龍(湊)

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元関脇の琴勇輝「安堵感ある」リモート引退会見 君ケ浜親方として後進指導

引退会見に臨む元関脇琴勇輝の君ケ浜親方(日本相撲協会提供)

4月に引退した元関脇琴勇輝の君ケ浜親方(30=佐渡ケ嶽)が9日、リモートでの会見に臨み「張り詰めて土俵に上がり続けたので、安堵(あんど)感がある」と心境を語った。左膝の大けがを乗り越え、突き押し相撲を武器に幕内在位は33場所。直近1年では両肘のけがにも苦しみ、春場所で幕下に陥落していた。「土俵に上がるのが怖いなとなってきた。勝負師として、力士として終わり」と決断の理由を説明した。引退後は部屋付きの親方として後進の指導に当たっており「けがしない体作りを伝えていけたら」と話した。

引退会見に臨む元関脇琴勇輝の君ケ浜親方(右)と同席した師匠の佐渡ケ嶽親方(日本相撲協会提供)

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元関脇琴勇輝の君ケ浜親方「いろんな人に応援してもらった」涙ぬぐう場面も

大相撲初場所13日目、塵手水(ちりちょうず)を切る琴勇輝(21年1月22日撮影)

<大相撲夏場所>◇初日◇9日◇東京・両国国技館

先月14日に現役を引退した元関脇琴勇輝の君ケ浜親方(30=佐渡ケ嶽)が9日、都内で会見に臨んだ。「少しホッとしている。安堵(あんど)感もあるけど、これから親方として気の引き締まる思い」と心境を明かした。「いろんな人に応援してもらった」と周囲への感謝を口にすると言葉が詰まり、涙をぬぐう場面もあった。

引退を決断した要因は、相撲を取る恐怖心からだったという。昨年11月場所前に左膝の内視鏡手術を受けた影響で休場し、十両に陥落した初場所は4勝11敗と負け越して幕下に陥落。たび重なる膝の負傷を乗り越えてきたが「土俵に上がるのが怖いという気持ちが先行していた。勝負師として終わり。いろいろ考えて決断した」と、リハビリの中で気持ちを立て直すことができなかった。

現役生活で印象に残る一番は、16年春場所3日目の日馬富士戦で挙げた金星。この場所は上位総当たりで12勝3敗の好成績を残して殊勲賞も獲得し、翌場所は新関脇昇進も果たした。「とにかく稽古場通りの自分の立ち合いがどこまで通用するかという気持ちだった。結果的に12番勝ったというのも分からなかったくらい、体もよく動いていた」。

会見に同席した師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「私の中ではもう少しできるんじゃないかと思っていた」と、弟子の引退を惜しんだ。「負けず嫌いなところが相撲に出る力士。本当にいい力士だった。先代師匠が元気だったら、琴勇輝の相撲を喜んで見ていたと思う。先代に似ている部分があった」と「猛牛」と呼ばれた亡き先代佐渡ケ嶽親方(元横綱琴桜)に姿を重ねた。

一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。琴勇輝は「関取になってからかなり注目されるようになったけど、もっと前からやっていて、地位が上がるにつれて覚えてもらえるきっかけになっていった。しっかりと気合を入れて、おなかに力を入れるイメージだった。一気に自分の気合が入るようなルーティンになった」と振り返った。

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琴勇輝の信念、白鵬からの“発声禁止令”にも貫いた気合の「ホゥッ!」

白鵬の前で「ホウッ!」とほえる琴勇輝(2016年撮影)

<とっておきメモ>

日本相撲協会は14日、元関脇琴勇輝(30=佐渡ケ嶽)の引退と年寄「君ケ浜」襲名を承認した。西幕下筆頭だった春場所は全休していた。

   ◇   ◇   ◇

幕下琴勇輝(佐渡ケ嶽)が引退を決めた。思い出すのは今から6年前の春場所。その場所前の力士会で、横綱白鵬に2人の幕内力士が「せき払い、やめろ! 犬じゃないんだから、ほえるな!」と全関取の前で叱責(しっせき)された。琴勇輝と千代鳳に対してのものだった。2人は気合を入れるため、最後の仕切りで「ホゥッ!」と声を発するのがルーティンだった。それに対し、白鵬が気合入れの“発声禁止令”を出した。「土俵の美」を守るという白鵬なりの主張でもあった。

場所前から注目されていた、その初日。千代鳳は当時の師匠の九重親方(元横綱千代の富士、故人)の指摘もあり自粛した。琴勇輝も場所前の取材から迷いがあるようだったが「三段目時代から気合を入れる動作。意識的な受け狙いのパフォーマンスでなく自分の中のリズム、あくまでも気合。そこだけは分かってほしい」と、ルーティンを貫き「ホゥッ!」と気合の声を発した。

黒星を喫した取組後の支度部屋。「自分の信念を曲げるぐらいならマゲを落としてもいい、ぐらいの覚悟があったか」と問われると「ありました」と即答した。会場の大阪のファンから「声を出したっていいんだぞ!」「そうだ、そうだ!」の声が飛んだ異様な空気の中、「花道を入場する時に『ホーホー、ホーホー』言われた」と苦笑い。そんな琴勇輝を、千代鳳は「琴勇輝関は男前です。俺は怖くて出来ない。(琴勇輝に)申し訳ない。かっこいいな、琴勇輝さんは…」と、羨望(せんぼう)のまなざしを送っていた。【渡辺佳彦】

15年春場所初日、白鵬に指摘された取組前の癖を自粛した千代鳳(左)に対して、得意の「ホゥッ」を発した琴勇輝
立ち合い前に「ホウッ」と気合を入れる琴勇輝(2015年3月撮影)

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元関脇・琴勇輝が引退 「膝が限界」手術後は満足な稽古できず

立ち合い前に「ホウッ」と気合を入れる琴勇輝(2015年3月撮影)

日本相撲協会は14日、元関脇琴勇輝(30=佐渡ケ嶽)の引退と年寄「君ケ浜」襲名を承認した。

電話取材に応じた師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「膝を手術して四股が踏めず、稽古が思うようにできなくなっていた。加えて番付も落ちてしまった。それが一番。本人からも『膝が限界です』と言われた」と引退を決断した理由を明かした。

琴勇輝は昨年10月に左膝の内視鏡手術を受け、同年11月場所を全休。十両に陥落した1月の初場所では4勝11敗と負け越して、3月の春場所では西幕下筆頭まで番付を落とした。1場所での関取復帰を目指していたが、手術した膝の状況が悪く、春場所を全休。佐渡ケ嶽親方は「膝を治療しながらすぐじゃなくてもいい、焦らなくてもいいからやれることをやろう、という風には声を掛けたんですけど。なかなか難しかったです」と話した。

香川・小豆島町出身の琴勇輝は、08年春場所で初土俵を踏み、11年秋場所で新十両。13年初場所で新入幕を果たし、東前頭筆頭だった16年春場所では横綱日馬富士から初金星を獲得するなど12勝を挙げ、翌夏場所で新三役となる新関脇の座をつかんだ。立ち合いからもろ手突きで一気に押し出す相撲が魅力のほか、一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。通算480勝430敗70休。金星1個、殊勲賞1回受賞だった。

今後は君ケ浜親方として、後進の指導に当たる。佐渡ケ嶽親方は「部屋にも突き押し相撲の力士がいる。そういう力士たちに押し相撲の基本を教えて欲しい。何が必要なのか教えて欲しい」と期待を込めた。

白鵬の前で「ホウッ!」とほえる琴勇輝(2016年撮影)

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元関脇の琴勇輝引退、立ち合い直前気合の「ホウッ」注目 年寄君ケ浜を襲名

琴勇輝(2021年1月撮影)

日本相撲協会は14日、元関脇琴勇輝(30=佐渡ケ嶽)の引退と年寄「君ケ浜」襲名を承認した。西幕下筆頭だった春場所は全休していた。

香川・小豆島町出身の琴勇輝は、08年春場所で初土俵を踏み、11年秋場所で新十両。13年初場所で新入幕を果たし、東前頭筆頭だった16年春場所では横綱日馬富士から初金星を獲得するなど12勝を挙げ、翌夏場所で新三役となる新関脇の座をつかんだ。立ち合いからもろ手突きで一気に押し出す相撲が魅力のほか、一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。

一方で両肘と両膝のケガにも苦しんできた。休場した20年初場所では「両変形性肘関節症により手術を予定」との診断書を提出。同年10月には左膝の内視鏡手術を受けていた。西十両9枚目だった1月の初場所では4勝11敗と負け越し、11年秋場所の新十両昇進以来守り続けた関取の地位を失った。通算480勝430敗70休。金星1個、殊勲賞1回受賞。

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