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貴景勝は結びで御嶽海 照ノ富士は北勝富士 2日目幕内取組

日本相撲協会審判部は7日、東京・両国国技館で取組編成会議を開き、大相撲夏場所(9日初日、東京・両国国技館)の初日と2日目の取組を決めた。

3月の春場所を3日目から途中休場し右膝を手術した横綱白鵬(36=宮城野)は、かねて師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)が示唆していた通り、休場届を提出。6場所連続休場が決まった。年6場所制となった58年以降で、横綱として6場所連続休場は3番目の長さとなった(最長は稀勢の里の8場所連続)。これにより出場する番付最上位は、今場所から4人になった大関陣となった。

2日目の取組で、大関返り咲きの照ノ富士(29=伊勢ケ浜)は、西前頭筆頭の北勝富士(28=八角)と対戦する。2年前の夏場所で初優勝した朝乃山(27=高砂)は、東前頭2枚目の明生(25=立浪)の挑戦を受ける。貴景勝(24=常盤山)は結びの一番で小結御嶽海(28=出羽海)と、2度目のかど番となった正代(29=時津風)は東前頭筆頭の若隆景(26=荒汐)と対戦する。

十両以上の休場は白鵬の他もいずれも幕内力士で、平幕の碧山(34=春日野)、竜電(30=高田川)、翠富士(24=伊勢ケ浜)の4人。2日目の幕内取組は以下の通り(左が西)。

千代丸 -石  浦

千代大龍-天空海 

大奄美 -魁  聖

明瀬山 -琴恵光 

隠岐の海-琴ノ若 

照  強-千代翔馬

玉  鷲-志摩ノ海

遠  藤-輝   

剣  翔-栃ノ心 

逸ノ城 -宝富士 

英乃海 -豊昇龍 

妙義龍 -阿武咲 

大栄翔 -霧馬山 

千代の国-高  安

隆の勝 -翔  猿

明  生-朝乃山 

照ノ富士-北勝富士

若隆景 -正  代

貴景勝 -御嶽海 

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白鵬6場所連続休場 照ノ富士は初日に明生 朝乃山は結びで大栄翔

照ノ富士(21年3月撮影)

日本相撲協会審判部は7日、東京・両国国技館で取組編成会議を開き、大相撲夏場所(9日初日、東京・両国国技館)の初日と2日目の取組を決めた。

3月の春場所を3日目から途中休場し右膝を手術した横綱白鵬(36=宮城野)は、かねて師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)が示唆していた通り、休場届を提出。6場所連続休場が決まった。年6場所制となった58年以降で、横綱として6場所連続休場は3番目の長さとなった(最長は稀勢の里の8場所連続)。

これにより出場する番付最上位は、今場所から4人になった大関陣となった。返り咲きの照ノ富士(29=伊勢ケ浜)は初日、東前頭2枚目の明生(25=立浪)の挑戦を受ける。2年前の夏場所で初優勝した朝乃山(27=高砂)は、結びの一番で小結大栄翔(27=追手風)と対戦する。貴景勝(24=常盤山)は東前頭筆頭の若隆景(26=荒汐)と、2度目のかど番となった正代(29=時津風)は西前頭筆頭の北勝富士(28=八角)と対戦する。

十両以上の休場は白鵬の他もいずれも幕内力士で、平幕の碧山(34=春日野)、竜電(30=高田川)、翠富士(24=伊勢ケ浜)の4人。初日の幕内取組は以下の通り(左が東)。

天空海 -千代丸 

魁  聖-石  浦

千代大龍-大奄美 

明瀬山 -隠岐の海

琴恵光 -千代翔馬

琴ノ若 -照  強

玉  鷲-輝   

志摩ノ海-遠  藤

剣  翔-宝富士 

栃ノ心 -逸ノ城 

英乃海 -阿武咲 

豊昇龍 -妙義龍 

御嶽海 -霧馬山 

千代の国-隆の勝 

高  安-翔  猿

明  生-照ノ富士

正  代-北勝富士

若隆景 -貴景勝 

朝乃山 -大栄翔 

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旧東関部屋に移転した二子山部屋が始動「地元の方と交流していきたい」

寅さんの街に相撲部屋が残った-。3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に部屋を構えていた二子山部屋が移転し、1日から始動した。

この日の朝稽古は午前7時半から約3時間。稽古後に電話取材に応じた二子山親方(43=元大関雅山)は「所沢で頑張ってきたものを発揮して、これからみんなで、さらに頑張るぞ、というのを感じられるいい稽古内容でした。関取を狙うのもいるし、同世代はそれに置いていかれないように頑張っていました。新しい部屋になって、さらにその相乗効果が出ていた気がしました」と語った。

所沢の部屋で飾っていた、現役時代の師匠だった先代武蔵川親方(元横綱三重ノ海)のA3サイズほどの写真も玄関に飾り「新たに大きな写真をいただいたので、それを稽古場に飾っている」という。またベンチプレスの器具も所沢から持ち運ぶなど、前の部屋から培われたものを引き継いでいる。

地元・柴又との交流についても言及。「コロナが落ちついたら、地元の方と交流していきたいですね。稽古見学もしてもらいたい。僕のツイッターにも(情報を)載せるので」と、コロナ収束後の日常生活が戻った際には、稽古場見学を歓迎する気持ちを口にした。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。だが先代は翌19年12月に死去し、現東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年で部屋は閉鎖。東関部屋の力士は同じ高砂一門の八角部屋へ転籍し、柴又の部屋は空き状態だった。先代東関親方の遺族や土地を有償で貸し出す葛飾区との話し合いが続き、二子山部屋が移転することが決まり、この日、門出を迎えることになった。

部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。約150坪の区有地を、有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で2階建て。先代(故人)の「ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意。両国国技館にも公共交通機関で30分ほどと利便性もあり、相撲部屋として申し分ない立地にある。

徒歩10分ほどの所には、寅さんシリーズとなった映画「男はつらいよ」の舞台となった、東京の観光名所・帝釈天もあり、葛飾区としては観光など地域活性化の期待もかけている。

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隠岐の海、響龍さん死去受け「一生懸命にやるだけ、それが最大限の予防」

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で西前頭12枚目に就いた隠岐の海(35=八角)が1日、昨年春場所以来となる無観客開催の場所に向けて気持ちを高めた。

都内の部屋での稽古後、報道陣の電話取材に応じ「(無観客は)そんなに嫌じゃない。逆にお客さんが入ってもシーンとしている方が緊張しますよ。自分結構土俵に上がるとむせるタイプなので、せき払いとかしづらいなあとか無観客の時はありましたけど、意外と稽古場みたいで自分は嫌いじゃないですけどね」と話した。

昨年秋場所から4場所連続で負け越しており、「やっぱり体が硬いですよ。小さなけがをかばっていると思いますし、その積み重ねが良くないのかもしれない」と不調の原因を分析する。7月には36歳の誕生日を迎えるベテラン。「もうひと花、もうひと花と思いながらやっているけどね。もうひと花と言いながら5年も10年もたっている」と笑った。

春場所後に旧東関部屋の力士が八角部屋に転属したため、計30人という大所帯となった。「いい雰囲気ですよ。東関部屋の魂もですね、(19年12月に41歳で死去した)前親方の潮丸関の気持ちを引き継いで一生懸命やってほしいですよね」と期待を寄せた。

悲しいニュースもあった。先月28日に境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打し、自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送され、入院先で寝たきりの状態が続いていた。「つらいと思いますよ。対戦相手の子も。何もないと思ったって感じることがあるだろうし、自分らだってきついから」。

土俵に頭を打つなどの衝撃で電気が走り、腕が上がらなくなるなどのアクシデントは、力士にとって珍しくないという。「よくあることって『大丈夫、大丈夫』ってなっちゃうんですよね。やっぱり『それを乗り越えて先がある』ってなっちゃうし、顔から落ちろっていう指導もあるし。でも本当に危ないときは手を着かないといけないと思いましたよ」。自身も巡業の稽古で投げの打ち合いの結果、頭から落ちて腕のしびれが半日なくならなかったことがあるという。「紙一重なところをいっているんですよね。それを怖がって相撲にならないのもいけないですしね。こればかりは難しいですよ。だから我々は一生懸命にやるだけ。それが最大限の予防」と話した。

日本相撲協会の理事長を務める師匠の八角親方(元横綱北勝海)からは、響龍さんの死去を受けて力士に話があったという。「とにかくそれだけ危ないことをやっているんだという話はありましたね。気を引き締めてやらないとダメだ、と。改めて気を引き締めてやろうということはありましたね。それ以上、あまり言い過ぎても、かえってびびっちゃうし、頭にみんな残っていますからね、衝撃が。考えれば考えるほど怖いだろうし。一生懸命やるのが正解なんじゃないですかね」と話した。

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前頭筆頭の北勝富士、長男の初育児に奮闘 将来は「劇団四季の俳優に」

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で西前頭筆頭に就いた北勝富士(28=八角)が1日、都内の部屋での稽古後、報道陣の電話取材に応じた。

この日は幕下を相手に相撲を取って調整。先場所後に旧東関部屋の力士が八角部屋に転属したため、部屋は計30人という大所帯で「活気が出始めた。新しい風が入ってきた」と歓迎していた。

夏場所は緊急事態宣言下のため3日目まで無観客開催となる。「無観客の取組は得意じゃないが、気持ちのつくり方は(昨年春場所で)1回経験しているので、しっかりやっていきたい。大阪の時は図書館で相撲取ってるみたいな感じ。本当にお客さんのありがたみは感じた」。

先場所は東前頭2枚目で9勝を挙げたが、周囲の好成績もあって返り三役には届かなかった。金星獲得数7個は現役2位タイの実力者。春場所後には照ノ富士が大関に復帰し「奮い立たされますね」と刺激を受ける。

4大関撃破へ「自分も上に勝つことで、お客さんとかも喜んでくれる。北勝富士ならやってくれるんじゃないかっていう期待とかも言われたり、感じたりしているので。それをちょっと楽しみながら、期待に応えられるように頑張らないといけない」と意気込んだ。

相撲だけでなく初めての育児にも奮闘している。春場所中に第1子となる長男が誕生した。

「奥さんが一生懸命、子育てをやってくれてる。一緒にサポートしながら稽古して、トレーニングしてっていう生活が今は続いているけど、あんまりきつくなくて。親バカかもしれないけど、元気をもらえてる」

家庭では長男を風呂に入れるのが一つの役目。「お風呂はいっつも泣かせています」と苦笑い。「僕のおなかの上で寝てくれるので、かわいいですよ。かわいいっすね。でも思いますよね、子どもがかわいくなかったら、人類は繁栄してなかったっすね。大変なことが多いので。かわいいから面倒見てあげられるっすね。そう思います」とデレデレだ。

関取のDNAを継いでいるが「絶対相撲だけはやらせない。やりたいと言ってもやらせない」とキッパリ。わんぱく相撲で埼玉県を制したという小6のおいが相撲に取り組んでおり、「(相撲は)そっちに任せて、こっちはもう(鑑賞が趣味の)劇団四季の俳優にさせます。ははははは」と豪快に笑った。

一方で先月28日に境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打。自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送され、入院先で寝たきりの状態が続いていた。深い交流はないが自身と同い年。「常にけがと隣り合わせですけど、打ち所が悪かったら、死にもつながる。さらに気が引き締まります」と、けが予防の意識を高めた。

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響龍さん死去 28歳 春場所取組で倒れ入院、寝たきり続き急性呼吸不全で

響龍さん(2020年7月21日撮影)

大相撲の境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)さん(本名・天野光稀)が28日、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。28歳だった。日本相撲協会が29日、発表した。

響龍さんは3月の春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭から落ちた。意識はあったがうつぶせ状態のまま立つことができず、倒れてから約1分後に、呼び出し3人があおむけにした。審判の親方衆や医師らが容体をうかがうなどし、倒れてから約6分後に担架に乗せられて土俵を降り、都内の病院に救急搬送されていた。響龍さんは救急搬送された際、協会関係者に体のしびれを訴えていた。

翌日には、師匠の境川親方(元小結両国)が日本相撲協会広報部を通じて「いま、一生懸命、治療に専念しています」とコメントしていた。関係者によると、響龍さんの入院生活は続いていたというが、徐々にまひした体が動くようになっていたという。しかし、28日に容体が急変。同日に死去した。取組でのアクシデントがきっかけとなった死去は、異例。寝たきりの状態が続いており、肺血栓を患っていたという。

協会トップの八角理事長(元横綱北勝海)は「この度の訃報に接し、協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。私自身、突然の訃報に、ただただ驚き、茫然としております。一か月以上にわたる闘病生活、さぞ辛かったと思いますが、ご家族や師匠らの懸命の看病のもと、力士らしく、粘り強く耐え、病魔と闘ってくれました。今はただ、安らかに眠って欲しいと願っております。懸命の治療を施してくださった医療関係者の皆様には故人に代わり、深く感謝申し上げます」(原文ママ)とのコメントを発表した。

◆響龍光稀(ひびきりゅう・みつき)本名・天野光稀。1993年(平5)3月17日、山口県下関市生まれ。山口・響高校(現下関北高)相撲部出身で、11年5月の技量審査場所で初土俵。最高位は19年秋場所での西三段目24枚目。通算195勝206敗5休。

響龍さん(2020年7月21日撮影)

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響龍さん死去に八角理事長「ただただ驚き、茫然としております」

響龍さん(2020年7月21日撮影)

大相撲の境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)さん(本名・天野光稀)が28日、急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去した。28歳だった。日本相撲協会が29日、発表した。

響龍さんは3月の春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭から落ち、都内の病院に救急搬送されていた。

協会トップの八角理事長(元横綱北勝海)がコメントを発表した。

「この度の訃報に接し、協会員一同、心より哀悼の意を表します。ご遺族の皆様方のご傷心を察しますと、お慰めの言葉も見つかりません。私自身、突然の訃報に、ただただ驚き、茫然としております。一か月以上にわたる闘病生活、さぞ辛かったと思いますが、ご家族や師匠らの懸命の看病のもと、力士らしく、粘り強く耐え、病魔と闘ってくれました。今はただ、安らかに眠って欲しいと願っております。懸命の治療を施してくださった医療関係者の皆様には故人に代わり、深く感謝申し上げます」(原文のまま)

突然の訃報に触れ、ショックの大きさを声明文ににじませた。

八角理事長(2018年10月1日撮影)

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18年間「皆勤賞」の玉鷲が現役2位の673勝/夏場所新番付

玉鷲(2021年3月25日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。現役力士の今場所達成可能な歴代10傑入りなどの記録は以下の通り(在位したことで達成済みも含む)。

【通算勝利数】

先場所、3日目から休場したものの2勝を上積みした横綱白鵬(35=宮城野)が、1172勝で歴代トップに君臨。今場所は既に休場を“表明”しており、7月の名古屋場所で更新できるか。現役2位の785勝だった横綱鶴竜(現鶴竜親方)が引退したため、現在の現役2位は玉鷲(36=片男波)の673勝。歴代10位で860勝の元関脇寺尾(現錣山親方)までは、あと187勝で、歴代10傑入りは苦しいか…。ちなみに現役3位は、西序二段94枚目の50歳力士・華吹(立浪)の670勝。単純比較は出来ないが、元横綱朝青龍の669勝を1つ上回る立派な記録だ。

【幕内在位場所数】

先場所で白鵬が、旭天鵬(元関脇=現友綱親方)を抜き歴代単独2位の100場所となり、今場所が101場所目。歴代1位の元大関魁皇(現浅香山親方)の107場所まで、あと1年、現役を続ければ並ぶ。なお、新入幕からの幕内連続在位は先場所、史上初の100場所となり、これも101場所に更新した。

【幕内出場回数】

白鵬が歴代8位の1265回だが、今場所は休場する方向で上積みは来場所以降になる。7月の名古屋場所で皆勤すれば、9月の秋場所初日に、歴代7位の安芸乃島(元関脇=現高田川親方)に並ぶ。歴代1位は、元関脇旭天鵬(現友綱親方)の1470回。

【幕内勝利数】

白鵬が1078勝で、2位の魁皇に199勝もの差をつけ歴代トップ。現役2位は玉鷲の490勝、3位は栃ノ心(33=春日野)の488勝。

【通算連続出場】

初土俵以来、無休の「鉄人記録」。歴代7位に1331回の玉鷲が入っている。04年春場所の序ノ口デビューから足かけ18年の「皆勤賞」だ。歴代6位の寺尾まで、あと28回。2場所皆勤で5位に浮上する。ちなみに1位は元関脇青葉城の1630回。

【金星獲得】

現役力士で歴代10傑(9個で三根山ら5人)入りは不在だが、ただ1人、現在8個で西前頭6枚目の逸ノ城(28=湊)に10傑入りのチャンスがあった。だが、白鵬休場で横綱戦はなし。横綱がいなければ獲得できないものだが、7個の北勝富士(28=八角)や遠藤(30=追手風)にも今後、10傑入りのチャンスがありそうだ。

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朝鬼神克忠が朝鬼神閻魔、嶺刃常乃助は峰刃幾叉丸に改名/夏場所新番付

初場所の両国国技館(2021年1月10日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。番付降下、改名、引退などの力士、年寄など協会関係者は以下の通り。

【降下】

<幕内から十両>

豊山(27=時津風)東前頭15枚目→東十両4枚目

琴勝峰(21=佐渡ケ嶽)西前頭11枚目→東十両5枚目

<十両から幕下>

矢後(26=尾車)西十両10枚目→西幕下筆頭

【改名<1>】(しこ名の上の部分)

<幕下>

中園→島津海(しまづうみ=二所ノ関)

津志田→時乃平(ときのひら=時津風)

大天馬→北勝丸(ほくとまる=八角)

<三段目>

琴粂→琴羽黒(ことはぐろ=佐渡ケ嶽)

嶺刃→峰刃(みねやいば=錣山)

横江→剛士丸(ごうしまる=武蔵川)

琴伊藤→琴拓也(ことたくや=佐渡ケ嶽)

佐々木→北勝栄(ほくとさかえ=八角)

琴進→琴大進(ことだいしん=佐渡ケ嶽)

若松永→透輝の里(ときのさと=西岩)

<序二段>

舛乃山→舛ノ山(ますのやま=常盤山)

中田→北勝岩(ほくといわ=八角)

琴長濱→琴大河(ことたいが=佐渡ケ嶽)

福井→北勝八雲(ほくとやぐも=八角)

札野→北勝大(ほくとひろ=八角)

秋山→北勝空(ほくとそら=八角)

松岡→北勝真(ほくとしん=八角)

青乃潮→北勝潮(ほくとしお=八角)

<序ノ口>

石坂→藤雄峰(ふじゆうほう=藤島)

【改名<2>】(しこ名の下の部分も含める)

朝鬼神克忠→朝鬼神閻魔(あさきしん・えんま=高砂)

嶺刃常乃助→峰刃幾叉丸(みねやいば・きしゃまる=錣山)

横江黎→剛士丸黎明(ごうしまる・れいめい=武蔵川)

琴粂貞→琴羽黒貞晴(ことはぐろ・さだはる=佐渡ケ嶽)

琴伊藤暉→琴拓也暉紘(ことたくや・あきひろ=佐渡ケ嶽)

琴進洸希→琴大進光輝(ことだいしん・こうき)

琴長濱大河→琴大河誠哉(ことたいが・せいや)

朝玉勢一嗣磨→朝玉勢大幸(あさぎょくせい・たいこう=高砂)

若松永輝透→透輝の里大(ときのさと・だい)

【改名<3>】(年寄)

錣山矩幸→錣山瑛一(しころやま・えいいち)

【引退】

舛東欧(常盤山)光源治、大勇人(以上、峰崎)斗城丸(宮城野)華王錦(東関)綾風、宙風(以上、尾車)富栄、勇富士、八百ツ富士(以上、伊勢ケ浜)播磨灘(尾上)琴今川(佐渡ケ嶽)大翔鶴(追手風)玉の星(片男波)清水(武蔵川)太田(山響)久之虎(出羽海)霧乃龍(陸奥)煌(朝日山)東照錦(錦戸)

【退職(年寄)】

時津風正博(元前頭時津海、退職勧告処分)

千賀ノ浦靖仁(元関脇舛田山=契約満了)

【停年退職(床山)】

床淀

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八角部屋が所属力士最多に、閉鎖東関部屋から力士受け入れ/夏場所新番付

両国国技館(2021年1月10日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。

3月の春場所を最後に東関部屋と峰崎部屋が閉鎖されたため、部屋数は44部屋から42部屋に減少。新番付にしこ名が載った力士総数は、春場所の新弟子が多かったことから、春場所比で18人増え670人になった。部屋別、出身地別のナンバーワンはどこか…。データを紹介します。

【部屋別力士数】

長らく最多を誇った佐渡ケ嶽部屋が、1位の座を譲る格好となった。閉鎖された東関部屋から力士を受け入れた八角部屋が、春場所の24人から6人増え一気に30人となり最多となった。2位は佐渡ケ嶽部屋と九重部屋の29人。木瀬部屋と玉ノ井部屋の28人が4位タイで続く。

以下、6位境川部屋(27人)、7位高砂部屋(25人)、8位高田川部屋(22人)、9位追手風部屋(20人)と続き、ここまでが20人以上の部屋。トップ10の最後は19人の式秀部屋だ。

関取輩出では、追手風部屋(幕内5人、十両2人)、九重部屋(幕内4人、十両3人)、木瀬部屋(幕内3人、十両4人)の3部屋が7人を擁してトップ。5人の伊勢ケ浜部屋(幕内4人、十両1人)、4人の常盤山部屋(幕内2人、十両2人)がこれに続く。

力士数の最少は鏡山部屋の2人で、片男波部屋と錦戸部屋は4人の“少数精鋭”で臨んでいる。

【出身地別力士数】

ここ数年の傾向で、日本全国の人口比率に準じている順位に、ほとんど変動はない。1位は東京都の54人。以下<2>大阪府35人<3>愛知県と兵庫県が33人と、本場所開催3都府県が上位3傑に入る。以下<5>千葉県32人<6>神奈川県30人<7>埼玉県29人<8>福岡県と鹿児島県26人<10>熊本県25人と、ここまでがベスト10入り。

幾多の横綱を輩出した“相撲どころ”の北海道が22人で続く。幕内7人、十両4人とも出身地別で最多のモンゴルは20人で、ここまでが20人超え。北海道同様、やはり多くの名力士を輩出した相撲どころの青森県は春場所から2人増えて11人(18位タイ)となっている。なお47都道府県の最少は鳥取県と滋賀県の1人。福井県が3人、奈良県と和歌山県が4人となっている。

国別ではモンゴルの20人がダントツで、ブラジル、ロシア、ジョージア、ブルガリア、フィリピン、ウクライナが各1人となっている。

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10勝若隆景&明生は新三役ならず、先場所三役全員勝ち越し/夏場所新番付

若隆景(左)と明生

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。

先場所は三役が全員、勝ち越し。西前頭2枚目で10勝した若隆景(26=荒汐)、東前頭3枚目でやはり10勝を挙げた明生(25=立浪)は番付運に泣かされる格好で、それぞれ東前頭筆頭と同2枚目にとどまった。この夏場所で新三役昇進に挑戦する。同じく東前頭2枚目で9勝を挙げた北勝富士(28=八角)も西前頭筆頭で、昨年春場所以来の三役復帰を目指す。

今場所も入幕の新顔はなく、返り入幕は3人。石浦(31=宮城野)は4場所ぶり、千代丸(30=九重)は5場所ぶり、天空海(30=立浪)は2場所ぶりの、それぞれ返り入幕を果たした。

初めて関取の座をつかむ新十両昇進も不在。大翔鵬(26=追手風)が4場所ぶり、元横綱大鵬の孫にあたる王鵬(21=大嶽)は2場所ぶりに十両復帰となった。昨年九州場所以来の幕内復帰を目指す炎鵬(26=宮城野)は東十両筆頭、17年九州場所以来の返り入幕を狙う宇良(28=木瀬)は西十両2枚目につけた。

大相撲夏場所は、5月7日予定の取組編成会議で初日と2日目の対戦相手が決定。9日の初日を迎える。

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「一代年寄」に物言い「白鵬」襲名へ厳しい見解、存在意義を見いだせず

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(左から2人目)から提言書を受け取った後、会見する八角理事長(右端)ら(代表撮影)

大相撲の「一代年寄」に物言いがついた。

日本相撲協会に設置された「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の第11回会合が19日、東京・両国国技館で行われ、山内昌之委員長(東大名誉教授)が、協会の八角理事長(元横綱北勝海)に提言書を提出。功績顕著な横綱に対し一代限りで襲名を認めていた「一代年寄」について、存在意義を示すものを見いだされないなどと問題提起した。史上最多44度の優勝を誇る横綱白鵬(36=宮城野)にとって、一代年寄「白鵬」襲名へ厳しい見解が示された。

    ◇    ◇    ◇

一代年寄の親方は今後、誕生しないかもしれない。約2年間にわたって開催されてきた有識者会議の会合が最終回を迎え、山内委員長から八角理事長に約50ページに及ぶ提言書が提出された。多国籍化した角界が目指す方向性などについて指摘される中、一代年寄について問題提起された。

提言書は「一代年寄は当該横綱一代限りの特例のため、その部屋の弟子らによる継承襲名は認められない。その横綱の力と技の相撲ぶりが名乗りの部屋名とともには後世に継承されないことを意味する」と論じた。過去に一代年寄を襲名したのは、大鵬、北の湖、貴乃花の3横綱のみ。3人とも部屋を興したが、死去や退職などにより3部屋とも消滅している。所属していた力士らは他の部屋への転籍を余儀なくされた。

また、現在の協会の定款に根拠となる規定はないなどとして、存在意義を示すものは見いだされないとも論じた。山内委員長は「(一代年寄を)『廃止』と理解されては困る。廃止ではなく、制度そのものが本来なかった。協会のどこにも規定がない」と説明。提言書によると一代年寄は、1969年に現役だった横綱大鵬に、内弟子集めを例外的に認めて「横綱大鵬」と「年寄大鵬」を並立させる工夫として生み出されたものだという。加えて、弟子への継承が認められていないこともあり、提言書では「大相撲の師資相承の伝統から外れたいわば『異形』の資格」と論じた。

一代年寄について進言を受けた八角理事長は「そういう場面があれば理事会で審議していく」と話した。提言書に強制力はないが、協会が今後、一代年寄を認めない可能性が出てきた。認められなければ、横綱白鵬は引退後、一代年寄「白鵬親方」として協会に残ることができず、親方名跡取得の道を模索しなければならない。横綱は引退後5年間、力士名の親方として協会に残れるが、白鵬は年寄「間垣」を取得する方向で調整中。一代年寄取得に興味を示していた時期もあったが、厳しい見解が示される形となった。

◆一代年寄 日本相撲協会に以前から登録された105の年寄名跡のほかに、著しい貢献のあった横綱の功績をたたえて贈られる名跡。幕内優勝20回が目安とされ、個人一代限りにおいて年寄として待遇される。過去の権利取得者は4人。

▽大鵬 69年9月に一代年寄「大鵬」を贈られた。71年5月に引退し、同年12月に二所ノ関部屋から独立。史上初の一代年寄。2013年に72歳で死去。

▽北の湖 85年1月に引退して一代年寄「北の湖」となり、同年12月に三保ケ関部屋から独立。2015年に62歳で死去。

▽千代の富士(辞退) 89年9月に理事会で提案されたが本人が辞退。91年夏場所限りで引退し年寄「陣幕」を経て「九重」を継承。2016年に61歳で死去。

▽貴乃花 03年初場所中に引退して一代年寄「貴乃花」を襲名。04年2月に二子山部屋を継承し、部屋名を変更。2018年に退職。

<横綱比較>

▽大鵬 第48代横綱。優勝32回。通算872勝182敗136休

▽北の湖 第55代横綱。優勝24回。通算951勝350敗107休

▽千代の富士 第58代横綱。優勝31回。1045勝437敗159休

▽貴乃花 第65代横綱。優勝22回。通算794勝262敗201休

▽白鵬 第69代横綱。優勝44回。1172勝247敗223休

◆大相撲の継承発展を考える有識者会議 八角理事長(元横綱北勝海)の諮問機関。17年に起きた元横綱日馬富士による傷害事件など不祥事が続き、暴力問題再発防止検討委員会から外国出身力士に対する指導方法などについて外部有識者による協議を要請され、19年に創設された。委員はプロ野球ソフトバンクホークスの王貞治会長や俳優の紺野美沙子ら8人で構成。19年6月から議論を重ねてきた。

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(右)から提言書を受け取る八角理事長(代表撮影)

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白鵬の一代年寄襲名は厳しく、横綱大鵬への特例で定款に規定なしと説明

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(右)から提言書を受け取る八角理事長(代表撮影)

日本相撲協会は19日、東京・両国国技館で「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の第11回会合を開いた。

同会の山内昌之委員長が、協会の八角理事長(元横綱北勝海)に提言書を提出した。

約50ページに及ぶ提言書は、外国出身力士に大相撲の伝統文化を理解させるため、師匠の指導力や協会のガバナンス(統治)の重要性を指摘した。外国出身力士が多く活躍している現状を踏まえ、外国出身力士に対し「日本文化になじむ『入日本化』を促す」ことなどを進言。協会ガバナンスの向上を目指し、女性の外部理事登用も提言した。

また、功績顕著な横綱に対し一代限りで襲名を認めていた「一代年寄」についても言及した。提言書では「一代年寄は当該横綱一代限りの特例のため、その部屋の弟子らによる継承襲名は認められない。つまり、その横綱の力と技の相撲ぶりが名乗りの部屋名とともには後世に継承されないことを意味する。これは他の芸能・芸道には類例がなく、大相撲の師質相承の伝統からも外れたいわば異形の『資格』である」(一部抜粋)と論じた。

さらに一代年寄については、現在の協会の定款に根拠となる規定はないなどとして、一代年寄の存在意義を示すものは見いだされないとも論じた。山内委員長は「『廃止』と理解されては困る。廃止ではなく、制度そのものが本来なかった。協会のどこにも規定がない。横綱大鵬に対して工夫されたもので、それがある種の制度として考えられた」などと説明。提言書によると、一代年寄は1969年(昭44)に現役だった横綱大鵬に、内弟子集めを例外的に認めて「横綱大鵬」と「年寄大鵬」を並立させる工夫として生み出されたという。

一代年寄について進言を受けた八角理事長は「そういう場面があれば理事会で審議していきたいと思います」と話した。協会が提言書を受け、今後は一代年寄を認めないとなれば、横綱白鵬は「白鵬親方」として5年を超えて協会に残ることはできず、年寄名跡取得の道を模索することとなる。

同会議は八角理事長の諮問機関。元横綱日馬富士による傷害事件など不祥事が続き、暴力問題再発防止検討委員会から外国出身力士に対する指導法などについて外部有識者による協議を要請され、19年に創設した。委員にはプロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長ら8人で構成。19年6月から議論を重ねてきた。

◆一代年寄 日本相撲協会に以前から登録された105の年寄名跡のほかに、著しい貢献のあった横綱の功績をたたえて贈られる名跡。幕内優勝20回が目安とされ、個人一代限りにおいて年寄として待遇される。過去の権利取得者は4人。

▽大鵬 69年9月に一代年寄「大鵬」を贈られた。71年5月に引退し、同年12月に二所ノ関部屋から独立。史上初の一代年寄。2013年に72歳で死去。

▽北の湖 85年1月に引退して一代年寄「北の湖」となり、同年12月に三保ケ関部屋から独立。2015年に62歳で死去。

▽千代の富士(辞退) 89年9月に理事会で提案されたが本人が辞退。91年夏場所限りで引退し年寄「陣幕」を経て「九重」を継承。2016年に61歳で死去。

▽貴乃花 03年初場所中に引退して一代年寄「貴乃花」を襲名。04年2月に二子山部屋を継承し、部屋名を変更。2018年に退職。

◆大相撲の継承発展を考える有識者会議 八角理事長(元横綱北勝海)の諮問機関。17年に起きた元横綱日馬富士による傷害事件など不祥事が続き、暴力問題再発防止検討委員会から外国出身力士に対する指導方法などについて外部有識者による協議を要請され、19年に創設された。委員はプロ野球ソフトバンクホークスの王貞治会長や俳優の紺野美沙子さんら8人で構成。19年6月から議論を重ねてきた。

「大相撲の継承発展を考える有識者会議」の山内委員長(左から2人目)から提言書を受け取った後、会見する八角理事長(右端)ら(代表撮影)

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二子山部屋が旧東関部屋に移転へ 一門の枠超え継承

二子山部屋

寅さんの街に相撲部屋は残ります-。

3月いっぱいで部屋が閉鎖された東京・柴又にある旧東関部屋に、埼玉・所沢に拠点を構える二子山部屋が移転することで調整が進んでいることが5日、分かった。関係者によれば、細部の条件が整えば今月中旬にも移転するという。

東関部屋は2代目師匠の先代東関親方(元前頭潮丸)が、初代師匠(元関脇高見山)が開設した東京都墨田区東駒形から、18年1月に葛飾区柴又へ移転。翌2月に部屋開きが行われた。だが先代は翌19年12月に死去。年明けの20年1月に、現在の東関親方(元小結高見盛)が部屋を継いだが、精神的負担の重さから難色を示し、1年をかけて高砂一門内で後継者探しを模索。それでも適任者が見つからず3月の春場所を最後に封鎖され、今年4月1日付で東関親方や力士は八角部屋(元横綱北勝海)に移籍した。

柴又の部屋は、葛飾区が観光戦略など地域活性化を狙って相撲部屋を誘致。区有地を50年間の有償で借し出して建てられた。完成から3年あまりとリフォームも必要ない築浅で、約150坪の広大な敷地に2階建ての建物。先代(故人)の「3階建ても考えたけど、ケガした力士でも2階に上がらないで済むように、力士の生活が1階だけで全部できるようにした」という弟子への愛情から、稽古場や風呂場、ちゃんこ場がある1階に大広間も作った。2階にも20畳ほどの部屋と関取用の個室2部屋を用意するなど環境は抜群。その部屋が閉鎖されたことを惜しむ多くの声が、角界や地元・柴又からもれていた。

後継師匠捜しが難航し、断念の方向に向かうと同時に、両国まで公共交通機関を使っても30分足らずという、絶好の環境にあるその部屋を、何とか継続使用できないかと関係者間で話し合いが進められていた。そんな中で浮上したのが二子山部屋の移転だ。二子山親方は藤島部屋から分家独立し、18年4月に所沢に部屋を創設。農地に囲まれた自然豊かな環境にあり、所沢市としても西武線沿線としても初の相撲部屋として話題となった。

ただ、最寄り駅から両国までは、電車を数本乗り継いで最速でも1時間以上かかり、力士の負担は大きかった。前日、明らかになった立浪部屋の茨城県つくばみらい市から、東京・台東区への移転同様、解禁された際の出稽古や東京場所で両国まで通う“通勤負担”の軽減など、稽古環境を整えたいという師匠としての思いがあった。

関係者によれば、先代東関親方の遺族や葛飾区との折衝が進み、詰めの交渉は最終段階に入っている。二子山親方は電話取材に、全てがクリアされたことを前提に「亡くなった(先代東関親方の)潮丸さんとは現役時代から仲が良かったので、その遺志を引き継ぎたい。今はコロナ禍で、すぐには難しいかもしれませんが、地元の方々と触れ合って地域の活性化に貢献したい」と話した。41歳の若さで死去した先代東関親方は、柴又に部屋を構えた際、「寅さんシリーズ」となった映画「男はつらいよ」の舞台となった「帝釈天でパレードできるような力士を育てたい」と夢を膨らませていた。志半ばで他界し「東関」の部屋名もなくなったが、その思いは一門の枠を超え、新たに部屋を構えることになる二子山部屋に継がれようとしている。

二子山部屋の看板

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大相撲の有識者会議「次回最後」で報告書作成目指す

有識者会議を終えリモート記者会見に臨む山内昌之委員長(右)と芝田山広報部長

日本相撲協会は3日、東京都内で「大相撲の継承発展を考える有識者会議」(山内昌之委員長)の第10回会合を開いた。委員8人のうち歌舞伎役者の松本白鸚氏と俳優の紺野美沙子氏が欠席。王貞治氏(プロ野球ソフトバンク球団会長)ら6委員が、約2時間にわたり意見交換した。昨年12月以来の開催で、次回は今月19日に開催予定。

次回の会合で、最終的に自己規律指針をまとめ、協会に提出する提言書の完成を目指す。リモートによる代表取材に応じた山内委員長によれば、この日は提言書にまとめる内容を議論。提言書は大枠で3つに分けられるという。1つ目は昭和から現在に至るまで力士が多国籍化した現状を踏まえ、どのような方向性に進むべきか。2つ目は、新しい時代の大相撲が継承発展のために、どう進むべきか方向性の施策。3つ目は他のスポーツ諸団体同様のガバナンス、インテグリティを相撲界としてどう考慮するべきか。山内委員長は「今の段階では次回が最後(の会合)とは必ずしも言えないが、次回でおおむね最終的なものが出る形で努力したい」と話し、次回の会合で最終報告書ができれば「八角理事長(元横綱北勝海)にお渡しすることになる。至らなければ、その次(の会合後)にお渡しする」と語った。報告書については、本文は400字詰めで40枚から50枚、各委員の主要発言をまとめたものは400字詰めで各委員4枚ほどになると説明した。

有識者会議を終えリモート記者会見に臨む山内昌之委員長

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床山の床鶏3・31付で退職 4・1付で床雅を採用

両国国技館

日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で理事会を開き、床山の退職と採用を発表した。

3月31日付で床鶏(28)が退職。床鶏が所属していた東関部屋は4月1日付で閉鎖し、師匠を務めていた東関親方(元小結高見盛)や力士は八角部屋に移籍することが決まっていた。

また、協会は1日付で床雅(本名・加藤真生、18=二子山)を採用した。

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高見山最後の弟子引退 東関部屋閉鎖とともに区切り

華王錦(2020年7月22日撮影)

元高見山の先々代東関親方(76)がスカウトした最後の現役力士が、土俵に別れを告げた。元十両華王錦(かおうにしき、42=東関)が春場所限りで引退。東関部屋閉鎖とともに区切りをつけ、新たな人生を歩み始めた。現在の心境などを聞いた。【取材・構成=佐々木一郎】

-引退が発表され、今の心境は

「まだ落ち着いてはいません。東関部屋は3月31日までで、4月3日に八角部屋へ引っ越します。その前には出て行かなくてはいけないので、荷物をまとめたり、役所に行って転出届を出したりしています」

-引退のきっかけは

「場所前にヘルニアを悪化させてしまいました。一時は、歩くのもしんどかった。そんな中、部屋がなくなるのもあるんで…。20年間、東関でやってきて、東関で終わりたいので」

-春場所は、最後の1番だけ出場しました

「(部屋を)移ってやるなら、しっかり治した方がいい。でも、自分は東関部屋として最後なので『1番出させてください』と言って出させてもらいました」

-決まり手は逆とったりでした

「たまたまあんな感じになっちゃって…。いろんな人に、『そんな業師だった?』とか『最後だからって必死になりすぎ』って言われました。土俵に立つ以上は一生懸命ですから。2番前に首から落ちた力士(響龍)がいて、ちょうど土俵下にいたんです。中途半端な気持ちで土俵に上がりたくないなというのがあったんで、自然と体が動きました」

-角界での一番の思い出は

「やっぱり、初めて化粧まわしをつけて土俵に上がったときはうれしかったですね。緊張もしました。初めての(土俵入りの)時はどっちに回るんだっけとか、手の上げ方とか、塩まきとか、緊張しましたね。これが関取なんだと、いい経験をさせてもらいました」

-十両2場所目で膝をケガして苦しみました

「ケガして休場してから、再出場しました。もうちょっと様子を見た方がよかったですね。とにかく出なきゃと思ったんで。当時、医師に『どうにか土俵に立ちたいので何とかお願いします』と無理を言っていろいろしてもらった。本来はよくない。焦っていた部分もあります。しっかり治さないといけなかった」

-丸20年、現役でした

「いろんな人から『20年、長かった』と言われるんですけど、力士でいられることは楽しかったですね。いろんな人から声をかけてもらったり、応援してもらうのがすごくうれしかったので、続けることができました」

-一時は協会に残るという話も聞きました

「若者頭として申請を出していたのですが、かないませんでした」

-断髪は

「東関部屋がなくなるので、部屋でできなかったんですよ。そうしたら先々代の高見山さんが『最後の弟子だから、私が責任を持って(まげを)切るよ』と言ってくれました。前の東関部屋はまだ稽古場があるので、そこでやります。本当によかったです。その言葉に、本当にこの部屋で良かったと…。高見山さんにスカウトされて、定年後もずっとかわいがってくれた。力士としてのスタートがあそこだったんで、まだ土俵があるのもありがたいです」

-いつごろになりますか

「コロナの様子を見ながら、あくまで予定なんですが、5月30日に。まだ正式に決まっていないけど、そういう方向で話が進んでいます」。

-今後はどうされますか

「まだ決まっていないんです。部屋があればその間探せるけど、部屋がなくなるし、コロナの状況もあるので…。相撲が好きなので、相撲に携わる仕事があればなと思っています」

◆華王錦武志(かおうにしき・たけし) 本名・村田武志。1978年(昭53)9月14日、秋田県生まれ。東洋大から元関脇高見山の東関部屋に入り、2001年夏場所初土俵。2011年名古屋場所新十両。最高位は西十両6枚目。通算403勝383敗49休。

20年2月 大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する高見山大五郎さん(左)と王貞治ソフトバンク球団会長
東関部屋の看板

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白鵬5場所連続休場「注意」継続、横審全会一致で

横綱白鵬(2021年3月15日撮影)

日本相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会(横審)の定例会合が29日、東京都内で開かれ、横綱白鵬(36=宮城野)に対して、昨年11月場所後の会合で出した「注意」の決議を、継続することを決めた。出席7委員(1人欠席)の全会一致で、あらたに決議することはなかった。

白鵬と、春場所中に引退を発表した鶴竜(35=陸奥、現鶴竜親方)の両横綱に対しては、休場の多さから昨年11月場所後の定例会合で「引退勧告」に次ぐ重さの「注意」が決議されていた。白鵬は春場所3日目から、右膝負傷で休場。5場所連続休場となり、今回の協議が注目されていた。

横審の矢野弘典委員長(産業雇用安定センター会長)は、既に右膝の手術を終え7月の名古屋場所で再起をかける意思を、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)が明かしている白鵬について「厳しい意見も出たが、もう1回チャンスを与えようということで一致した。7月場所の奮起に期待したい」と話し、さらに「7月場所の結果によっては厳しい意見が出ると思う」とし最も重い「引退勧告」が決議される可能性にも言及した。7月場所の「結果」のラインについては「状況を見て決めるしかない。仮定に基づく話は出来かねる」と具体的な数字については言及を避けた。

矢野委員長は、注意の決議を継続した3つの理由についても言及。<1>1月の初場所は新型コロナウイルス感染で休場はやむを得ないこと<2>3月の春場所は2日だけの出場だったが意欲を示したことは評価<3>7月場所で進退をかけることを明言している、の3点を挙げた。3点目については発言の真意を確認するため、八角理事長(元横綱北勝海)に確認を要請。同理事長は師匠の宮城野親方を呼び真意を確認。その説明を同委員長も受けたという。

「横綱の在り方を含め相当、時間をかけた」と矢野委員長。あらためて「横綱の責任を全うすることを強く求めたい」と期待し、さらに「横綱は大相撲の象徴的な、富士山のような存在。それは単なる自然でなく文化遺産。それと同じように大相撲も単なるスポーツではなく、歴史や伝統に支えられた国技。その意義を十分にかみしめて(白鵬のみならず)師匠や協会も自覚をもってほしい」と注文した。

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V照ノ富士知る兄弟子の安治川親方「全て変わった」

元安美錦の安治川親方(2019年8月13日撮影)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇28日◇東京・両国国技館

関脇照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が昨年7月場所以来の優勝を果たして、事実上決まった大関復帰に花を添えた。負ければ優勝決定ともえ戦にもつれ込む一番で、大関貴景勝を押し出して12勝目。昇進目安の「三役で3場所33勝」に3勝を上乗せした。日本相撲協会審判部の伊勢ケ浜部長(元横綱旭富士)が、大関昇進をはかる臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、了承された。31日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議を経て正式に17年秋場所以来の「大関照ノ富士」が帰ってくる。

   ◇   ◇   ◇

照ノ富士の兄弟子でもある、部屋付きの安治川親方(元関脇安美錦)は「ケガで番付が下がったけど、よく頑張った。ここまでのことは想像できなかった」と祝福した。自身が現役の時に、照ノ富士は大関昇進と大関陥落を経験。当時を間近で見ていた安治川親方は「ケガもそうだけど病気も重なった。相撲を取れる状態ではなかった」と、照ノ富士が序二段まで番付を落とした時の様子を明かした。

今回の優勝で2度目の大関昇進は確実。1度目の大関昇進時と、現在の違いについて問われると「今日1日を精いっぱい頑張っている。全てにおいて違う」と稽古に打ち込む姿勢や私生活などが、まるっきり変わったという。「他の関取衆がケガで稽古を休んだとしても、照ノ富士は若い衆相手に稽古をしていた。その時に出来ることを精いっぱいやってきた。その結果が出た」と優勝の要因を語った。

貴景勝(右)を土俵際に追い込む照ノ富士(撮影・河田真司)
八角理事長(右)から内閣総理大臣杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司)

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照ノ富士「皆さんのおかげで元の位置に」一問一答

優勝力士インタビューで笑顔を見せる照ノ富士(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇28日◇東京・両国国技館

関脇照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が昨年7月場所以来の優勝を果たして、事実上決まった大関復帰に花を添えた。負ければ優勝決定ともえ戦にもつれ込む一番で、大関貴景勝を押し出して12勝目。昇進目安の「三役で3場所33勝」に3勝を上乗せした。日本相撲協会審判部の伊勢ケ浜部長(元横綱旭富士)が、大関昇進をはかる臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、了承された。31日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議を経て正式に17年秋場所以来の「大関照ノ富士」が帰ってくる。

   ◇   ◇   ◇

照ノ富士の一問一答は以下の通り。

-優勝を決めた心境は

照ノ富士 本当に皆さんのおかげでこうやって元の位置に戻ることができた。

-優勝への意識はいつから

照ノ富士 そんなに意識してなかったけど、最後の方はちょっと意識してしまった。

-初優勝した15年夏場所との違いは

照ノ富士 比べても分からないが、うれしさがある。

-ともえ戦にしたくはなかったか

照ノ富士 万が一負けてともえ戦になったとしても、精いっぱい力を出し切ろうとしか考えてなかった。なったら仕方ない。一生懸命やるだけ。

-支えになったものは

照ノ富士 これは番組でいっぱい出てるから、そんな毎回言うことじゃないけど(笑い)。本当に皆さんの応援のおかげで戻ることができた。

八角理事長(右)から内閣総理大臣杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司)
貴景勝(右)を土俵際に追い込む照ノ富士(撮影・河田真司)

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