上へ戻る

au版ニッカン★バトル

記事検索

天龍源一郎が退院後初めて公の場、杖つき登場し越中詩郎と記念撮影

退院後、初めてファンの前に姿を見せつえを持ち上げあいさつする天龍源一郎(撮影・中島郁夫)

<天龍プロジェクト SURVIVE THE REVOLUTION>◇12日◇新木場1stRING

4月28日に退院した元プロレスラー、天龍源一郎(71)が、退院後初めて公の場に姿を見せた。

つえをつきながら、ゆっくりと歩を進め、解説席に向かうと、隣に座っていた越中詩郎と並び、記念撮影に応じた。その後は「リラックスできて、見ているうちに楽しくなった」と、時折笑みを見せながら若手選手の試合を見守った。

試合後には選手に支えられながらリングに上がった。マイクを取り、ファンに向けて「40日間も入院していて、こんなぶざまな格好ですが、いつかはアントニオ猪木さんのように元気ですかー、と言いたいので、みなさん、もう少し我慢してください」とメッセージを届けた。全快でリングに上がることができず「不本意だった」と言いながらも、すべてをさらけ出したことで「吹っ切れた」と力強く言い放った。

天龍の復帰を選手たちも待ち望んでいた。第1試合で勝利した河野真幸は「リング下から見られていたので、緊張感があった。いつかは挑戦者に指名するので、頑張って復帰してください」とエールを送った。また藤波辰彌の息子、LEONAは「小さいころはよく見ていたけど、天龍さんの前でやるのは初めて。泥臭く行けと言われ、心に染みた」と愛のあるアドバイスに気を引き締めた。盟友である父も天龍復帰を自分のことのように喜んでいたという。

天龍は3月19日に動悸(どうき)、息切れなどの体調不良で入院した。その後の小橋建太とのトークバトルや、日本プロレス殿堂会設立1周年記念イベントも欠席していたが、順調に回復し、先月28日に退院。「長い入院生活でしたけど、ちょっとずつ調子を上げて、気候も良くなったことだし、元気いっぱいに無理せずやっていきます!」とリング復帰を心待ちにしていた。

この日、天龍プロジェクトは再始動後、初の有観客での試合を行った。今後も7月末までに5大会が決定。同団体代表で、天龍の娘でもある嶋田紋奈氏は「ご心配をおかけしましたが、病状は心配なく、ご覧の通り、元気いっぱい。これから天龍とともにどんな状況でも希望を持って進んでいきたい」と決意を見せた。慣れ親しんだリングに上がり「もう怖いものはない」という天龍。自分の居場所を再認識したレジェンドは、これからも歩みを止めずに進み続ける。【松熊洋介】

解説者席で越中詩郎(右)とポーズを決める天龍源一郎(撮影・中島郁夫)

関連するニュースを読む

療養中の天龍源一郎が退院「元気いっぱいに無理せず」5月大会に解説者参加

天龍源一郎(2020年2月20日撮影)

プロレス団体の天龍プロジェクトは28日、病気療養中の元プロレスラー、天龍源一郎(71)が退院したことを発表した。

回復も良く、今後は通院と自宅療養で経過を見ながら仕事を再開していくという。

天龍は所属を通じて「皆様、大変ご迷惑をお掛けしましたが、今日無事に自宅に戻りました。今回の件で最善を尽くしてくれた病院の皆さんには感謝しています。長い入院生活でしたけど、ちょっとずつ調子を上げて、気候も良くなったことだし、元気いっぱいに無理せずやっていきます!」とコメントを発表した。

天龍は3月19日に動悸(どうき)、息切れなどの体調不良で入院した。その後の小橋建太とのトークバトルや、日本プロレス殿堂会設立1周年記念イベントも不参加だったが、11日にはプレミアム音声サービス「Now Voice」で元気な声を届けるなど順調に回復していた。

また、同団体は次回5月12日大会(東京・新木場1stRING)の対戦カードを発表。天龍も越中詩郎とともに解説者として参加予定で「今の気持ちは、早く試合の会場に行って、プロレスを観たい。そう思っています!」とコメントした。5月12日の対戦カードは以下の通り。

▽第1試合 河野真幸(フリー)、TORU(TTT)vs佐藤耕平(フリー)、LEONA(ドラディション)

▽第2試合 菊タロー(フリー)vs SUSHI(フリー)

▽第3試合 新井健一郎(DRAGON GATE)vs翔太(ガンバレ☆プロレス)

▽第4試合 マンモス佐々木(プロレスリングFREEDOMS)、神谷英慶(大日本プロレス)vs矢野啓太(プロフェッショナルレスリング・ワラビー)、那須晃太郎(フリー)

▽第5試合 進祐哉(プロレスリングFREEDOMS)、拳剛(フリー)vs TSUBASA(フリー)、HUB(フリー)

00年10月、川田利明にグーパンチを浴びせる天龍
天龍源一郎とハンセンは場外乱闘(2000年撮影)

関連するニュースを読む

11周年天龍プロジェクト再始動 娘の嶋田紋奈氏「誇り持って進んでいく」

天龍プロジェクト新木場大会 6人タッグで勝利後、バックステージでポーズを取る、左から真霜拳號、越中詩郎、AKIRA(撮影・松熊洋介)

<天龍プロジェクト SURVIVE THE REVOLUTION>◇25日◇新木場1stRING◇無観客

今月19日に11周年を迎えた天龍プロジェクトが再始動した。

昨年11月の天龍源一郎引退5周年記念大会以来の開催は、東京都の緊急事態宣言により、無観客となった。同団体代表で、天龍の娘でもある嶋田紋奈氏は「15年までと同様、小さな所帯ではありますが、志を高く持って、伝承文化というプロレスを重んじ、誇りを持って進んでいく」と決意を語った。

島田氏からいい知らせが届けられた。3月から体調を崩して入院中の天龍が、来週にも退院予定だという。「しっかりと治療に励み退院となった。今後は天龍プロジェクトの大会を盛り上げてくれると思う」とレジェンドの復活を待ち望む。

今後は月2回ペースで興行を行っていく。インターナショナルジュニアヘビーのベルトも復活させる。「シングルのベルトは8選手によるトーナメントで争いたいと思っている。参加したい選手はぜひ」と呼び掛けた。試合後にはすでに数選手が参戦表明。嶋田氏は「天龍からは、プロレスラーに戦いの場を1つでも多く与えられるようにと言われている。ジャイアント馬場さんのいう明るく、楽しく、激しいプロレスを基本に、天龍色にアレンジした大会にしていきたい」と語った。

21年最初の大会が無観客となってしまったが「お客さんには迷惑をかけてしまったが、こういう困難に立ち向かうことが、天龍プロジェクトらしい姿だと思う」と前を向いた。来週には天龍が戻ってくる。「選手たちの覚悟を見ている人たちに届けることができた。この試合を(天龍に)真っ先に見せて、良かったと言ってもらいたいし、今後もいい試合を見せていきたい」。ようやく21年のスタートを切った天龍プロジェクト。次の大会は5月12日。順調にいけば、11日に緊急事態宣言が解除される。レジェンドが復活し、パワーアップした天プロが熱い試合を観客の前で披露する。【松熊洋介】

天龍プロジェクト新木場大会 進祐哉にヒップアタックを決める越中詩郎(撮影・松熊洋介)
天龍プロジェクト新木場大会 大会終了後、取材に応じる天龍プロジェクト嶋田紋奈代表(撮影・松熊洋介)

関連するニュースを読む

療養中の天龍源一郎が来週にも退院へ、娘の嶋田紋奈氏が明かす

天龍源一郎(2019年9月22日撮影)

病気療養中の元プロレスラー、天龍源一郎(71)が来週にも退院予定であることが分かった。

25日、無観客で行われた天龍プロジェクト「SURVIVE THE REVOLUTION」を欠席したが、娘で同団体代表の嶋田紋奈氏が「しっかりと治療に励み、退院する運びとなりました」と明かした。天龍は3月19日に動悸(どうき)、息切れなどの体調不良で入院した。その後の小橋建太とのトークバトルや、日本プロレス殿堂会設立1周年記念イベントも不参加だったが、11日にはプレミアム音声サービス「Now Voice」で元気な声を届けるなど順調に回復していた。

関連するニュースを読む

療養天龍を長州力ら激励「とんでもないラインきた」

日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」でトークショーする長州力(左)と藤波辰爾(撮影・柴田隆二)

レジェンドたちが病床の盟友にエールを送った。

日本プロレス殿堂会設立1周年記念イベント「レジェンドサミット」が3日、都内で行われ、藤波辰爾(67)、元プロレスラーの長州力(69)らが療養中の天龍源一郎氏(71)を激励した。

本来なら今イベントの立ち上げの1人である天龍氏も参加する予定だったが、先月19日から検査入院しており、不参加。最初に長州と壇上に上がった藤波は「元気そうだという話を聞いた。次回は参加してくれると思う」と思いを明かした。長州は数日前にLINE(ライン)でやりとりをしたことを明かし「ここでは言えないが、とんでもないラインが来た。今は検査入院。源ちゃんは元気いっぱいですよ」と集まったファンを安心させた。

壇上でトークショーを行った藤波と長州。2人はともにアントニオ猪木氏(78)に指導を受け、82年からはお互いの軍団同士で抗争を繰り広げるなどして新日本プロレスを盛り上げた。当時を振り返った藤波は「控室でも顔を合わせず、リングに上がると(お互いに)感情をむき出しにして戦っていた」。2人の戦いはファンも刺激したようで「周りでお互いのファン同士がケンカするなど、あり得ないことが起こっていた」と当時のエピソードも披露した。

「日本プロレス殿堂会」は昨年2月に、藤波、長州、天龍氏らが、2世たちと協力し、結成。協会が存在しない業界の中で「プロレスの宝を守ろう」と、文化の伝承や、歴史を創ってきたレジェンドの功績をさまざまな形で伝えていく活動を行っている。昨年はコロナ禍で開催できなかったが、この日ようやく第1回のイベントが実現。藤波は「今後は往年で活躍した選手たちを殿堂入りさせたい」と意欲を見せた。

この日は、小橋建太氏(54)、田上明氏(59)、越中詩郎(62)、ザ・グレート・カブキ(72)も参加。リング上でぶつかり合った仲間たちと久しぶりの再会を楽しんだ。先月天龍氏とのトークショーを行う予定だった小橋は今イベントに参加を志願。「代わりになるかは分からないが、名乗りを上げさせてもらった。回復も祈っているし、今度は戻ってきて、天龍節を聞けることを楽しみに、第2回もまた来てください」と語った。

また天龍氏は、娘で「天龍プロジェクト」の代表取締役である嶋田紋奈氏を通じ「行けなくなってしまいましたが、みなさん殿堂会の1周年を盛り上げてくれてありがとう。俺はまたファンに元気な姿を見せられるように頑張ります」とメッセージを寄せた。

日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」でトークショーする小橋建太氏(左)と田上明氏(撮影・柴田隆二)
日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」でトークショーをする越中詩郎(左)とザ・グレート・カブキ(撮影・柴田隆二)
日本プロレス殿堂会「レジェンドサミット」で記念撮影に納まる。左から長州力、藤波辰爾、小橋建太氏、田上明氏、越中詩郎、ザ・グレート・カブキ(撮影・柴田隆二)

関連するニュースを読む

鶴竜お気に入りはCロナウド 多様なスポーツの知識

3点シュートを決め、ポーズを決める大相撲横綱鶴竜(2019年8月24日撮影)

<こんな人>

日本相撲協会は24日、横綱鶴竜(35=陸奥)の引退と、年寄「鶴竜」の襲名を承認したことを発表した。

   ◇   ◇   ◇

鶴竜は相撲だけでなく、スポーツ知識の引き出しの多さも横綱だ。朝稽古を終えて帰宅すると、録画しておいた欧州を中心とした海外サッカーや、米バスケットボールNBAなど、さまざまな競技をテレビ鑑賞しながら気分転換することが日課だった。

相撲の話を聞く前に、「サッカーの欧州チャンピオンズリーグ、すごい大逆転劇でしたよね」など、他競技の話題で入ることで、鶴竜の舌は滑らかさを増した。一番のお気に入りはポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウドだった。

どんな流れで聞いたのかは、記憶にないが、横綱に「プロレスの鶴竜(正確には鶴龍)コンビってご存じですか?」と問い掛けたことがある。汗をタオルで拭いながら「分からないですねえ」と横綱。「ジャンボ鶴田と天龍源一郎のダッグの愛称です」と伝えると、「天龍さんは相撲界の大先輩ですよね」と即答した。

後日、鶴竜の出稽古先で取材した。遠目に私の姿を見つけると、右膝を胸のあたりまで上げて、笑った。ジャンボ鶴田の得意技「ジャンピング・ニー・パット」だった。分からないことは、すぐに調べて、また引き出しを増やす。競技、国内外問わず、知識や興味は幅広い。次は今夏の東京五輪・パラリンピックで日刊スポーツ評論家に推薦。評論コーナーのタイトルは「鶴のひと声」で。【13~14年大相撲担当・鎌田直秀】

大相撲を観戦に訪れた柔道男子73キロ級大野将平(左)は横綱鶴竜と握手する(2019年9月11日撮影)

関連するニュースを読む

大仁田厚「早い回復を」天龍源一郎氏入院に驚き

大仁田厚

プロレスラー大仁田厚(63)が、元プロレスラー天龍源一郎氏(71)の入院に驚き、「早い回復をお祈りします」とした。

大仁田は23日、ツイッターを更新し、「前回の馬場さん23回忌の後楽園ホールの試合で両手に松葉づえで歩いてる姿に俺も選手たちも心配していたが『天龍緊急入院』ニュースに驚いたのだ」と言及。「俺がプロレスに悩んだ時期『俺も相撲からプロレス』凄く悩んだもんだと声をかけてくれたのだ」と振り返り、「早い回復をお祈りします」とつづった。

天龍氏の公式サイトによれば、3月初旬より動悸(どうき)、足のむくみ、息切れなどの体調不良があり、検査を受けたところ「うっ血性心不全」の診断が下され、19日より入院した。関係者によると、症状に関しては緊急性は伴うものの命に別状はなく一定期間の安静を要するもので入院治療となる予定。天龍氏は飲酒も月に何度かたしなむ程度で、喫煙もしておらず、週2回以上の定期的な運動も行っていたという。

関連するニュースを読む

天龍源一郎が心不全での入院公表「息切れなどが」

天龍源一郎

元プロレスラーの天龍源一郎氏(71)が、入院していると、公式サイトが22日に報告した。

3月初旬より動悸、足のむくみ、息切れなどの体調不良があった。検査を受けたところ「うっ血性心不全」の診断が下され、19日より入院した。関係者によると、症状に関しては緊急性は伴うものの命に別状はなく一定期間の安静を要するもので入院治療となる予定。天龍氏は飲酒も月に何度かたしなむ程度で、喫煙もしておらず、週2回以上の定期的な運動も行っていたという。

以下天龍氏のコメント。「この度はファンの皆さん、関係者の皆さんにご心配をおかけしてしまい申し訳ありません。自分自身も突然のことで驚いていますが、これもまた生きろ!と言われたのだと思って前向きにとらえるしかありません。また皆さんと一緒に過ごせる日を思い、頑張って治療していきたいと思います。何より、イベントや仕事に大きな穴をあけてしまったことが悔やまれます。でも生きてこそだとも思うので元気な姿をお見せできるように、頑張ります!」(原文まま)

関連するニュースを読む

新日、全日の最高齢は天龍/3大メジャータイトル

3冠王者に返り咲きベルトを掲げた天龍源一郎(2002年4月13日撮影)

11年ぶりに行われた12日のノア日本武道館大会で、武藤敬司(58)が新たな歴史を作った。

GHCヘビー級王者の潮崎豪(38)にフランケンシュタイナーで勝利し、同団体での初タイトルを手にした。42歳での高山善広、佐々木健介を抜き、史上最年長で新日本IWGPヘビー級、全日本三冠ヘビー級と合わせたシングル3大メジャータイトル獲得という「グランドスラム」を達成。昭和、平成、令和3時代で頂点に輝いた58歳は、プロレスの発展と日本を元気づけるため、まだまだリングで暴れ続ける。

◆3大メジャータイトルと年齢 

▼新日本IWGPヘビー級 初戴冠の最高齢は25代王者・天龍源一郎の49歳10カ月(99年12月)。戴冠時の最高齢もこの時の天龍。

▼全日本3冠ヘビー級 初戴冠の最高齢は48代王者・大森隆男の44歳8カ月(14年6月)。戴冠時の最高齢は29代王者・天龍の52歳8カ月(02年4月)。

▼ノアGHCヘビー級 今回の武藤の58歳1カ月が最年長。これまでの初戴冠の最高齢は23代王者・鈴木みのるの46歳9カ月(15年3月)。戴冠時の最高齢は31代王者・杉浦貴の47歳10カ月(18年3月)だった。

潮崎豪をエメラルドフロージョンから天を指さし体固めにいく武藤敬司(撮影・丹羽敏通)
GHCヘビー級王座を獲得した鈴木みのる(2015年3月15日撮影)
プロレス3大メジャータイトル

関連するニュースを読む

武藤史上3人目3大メジャー制覇へ ノアGHC挑戦

得意のポーズを決める武藤敬司(21年2月4日撮影)

58歳の武藤敬司が、史上3人目となるヘビー級シングルの「3大メジャー」制覇に挑む。12日、ノアでは実に11年ぶり開催となる日本武道館での大会で、GHCヘビー級王者の潮崎豪(38)と対戦する。昭和、平成の時代に新日本のIWGPヘビー級を4度、全日本の3冠ヘビー級を3度獲得した。令和には、新たなメジャータイトルを「史上最年長」の記録つきで手にする意気込みだ。

昨年12月のノアの代々木大会だった。武藤はGHCヘビー級王座防衛に成功した潮崎に、対戦を要求した。「年取って老いぼれているけど、俺だって夢を追い求めていいだろう。俺の夢につきあってくれ。日本武道館ベルト挑戦させてくれ」。潮崎の「いつ何時でも誰の挑戦でも受ける」との快諾で、12日の対戦が正式決定した。

近年は引退と背中合わせのプロレス人生だ。昨年1年間、頂点に立ち続けた20歳下の潮崎への挑戦には批判的な声もあった。18年3月、変形性ヒザ関節症で金属製の人工関節を両膝に埋め込む手術を行った。長年のプロレスによる両膝の酷使で、一時は歩くことも困難だった。約1年後の欠場を経てリングに復帰した。

武藤 (批判は)クソくらえだ。ただ、正直自分でも悩んだ。俺の存在というのがプロレス界にとってマイナスになるんじゃないかと。でも、出ないとゼロで終わってしまう。どうせなら出て批判を浴びた方がいい。出て何か言われてもゼロではない。何かは生まれる。

この1年はコンディションが整い、力強さも戻ってきた。昨年8月には手術後初のシングルマッチで33歳下の清宮と対戦し、27分間の戦いを制した。今年1月31日の後楽園大会では、潮崎から足4の字固めでギブアップを奪って前哨戦を制した。5日の調印式では「90分やる体力がついた」と話すなど、スタミナ面の不安もない。

新日本のIWGPヘビー級、全日本の3冠ヘビー級、ノアのGHCヘビー級の「3大メジャー」制覇は過去に高山善広と佐々木健介の2人しかいない。50代でメジャータイトルを獲得したのは、全日本3冠ヘビー級の天龍源一郎(00年50歳、02年52歳)だけだ。昭和、平成、令和の3つの時代をまたいだベルト戴冠となれは、史上最年長の記録もついてくる。

58歳の今も挑戦を続ける背景には、新日本入門時から指導を受けたアントニオ猪木の影響がある。海外での興行や異種格闘技戦など、さまざまな仕掛けをそばで見てきた。「猪木さんはプロレスを含め、常に攻撃型のスタイルで、チャレンジしていた」。偉業達成は同世代、そして閉塞(へいそく)感のただよう日本へのエールにもなる。「コロナ禍で年寄りが姨捨山(うばすてやま)に追いやられているような感じの(暗い)世の中。みんなに、元気を与えたい」。時代の流れと自分の体に向き合いながら、ムチを打ち、武藤が新たな歴史を作る。【松熊洋介】

◆武藤敬司(むとう・けいじ)1962年(昭37)12月23日、山梨県生まれ。84年に新日本入門。同日入門の蝶野、橋本と「闘魂三銃士」と呼ばれる。同年10月蝶野戦でデビュー。その後、米NWAに参戦。同化身の「グレート・ムタ」としても活躍。02年に全日本に正式に入団し、その後11年まで社長に就任。13年「WRESTLE-1」を旗揚げ。20年3月よりフリー。娘はタレントの武藤愛莉。188センチ、110キロ。

<3大メジャータイトルと年齢>

58歳の武藤がノアGHCヘビー級で初の王者に輝けば、史上初めて50代での初戴冠となる。

▼新日本IWGPヘビー級 初戴冠の最高齢は25代王者・天龍源一郎の49歳10カ月(99年12月)。戴冠時の最高齢もこの時の天龍。

▼全日本3冠ヘビー級 初戴冠の最高齢は48代王者・大森隆男の44歳8カ月(14年6月)。戴冠時の最高齢は29代王者・天龍の52歳8カ月(02年4月)。

▼ノアGHCヘビー級 初戴冠の最高齢は23代王者・鈴木みのるの46歳9カ月(15年3月)。戴冠時の最高齢は31代王者・杉浦貴の47歳10カ月(18年3月)。

プロレス3大メジャータイトル

関連するニュースを読む

天国の馬場さんへ届け 天龍、越中らレジェンド集合

ジャイアント馬場23回忌追善興行で、あいさつする天竜源一郎氏(撮影・丹羽敏通)

<ジャイアント馬場23回忌追善興行>◇4日◇後楽園ホール

天国の馬場さんに届けとレジェンドたちが軽やかな? 動きで観客を魅了した。

最初に登場したのは70歳天龍源一郎だった。元気よくリングに上がり「選手たちが、馬場さんの作った、明るく楽しく激しいプロレスをしてくれると思います。馬場さん、見ていてください」と声高らかに開会宣言を行った。

第2試合の8人タッグマッチでは、78歳グレート小鹿が菊池毅の胸に強烈な逆水平チョップを浴びせ、63歳大仁田厚は場外で2代目タイガーマスクを鉄柵に何度もぶつけ、62歳越中詩郎もフットワークの軽さで相手の技をかわした。最後は67歳渕正信が菊池を丸め込み、66歳和田京平レフェリーの3カウントで沈めた。4人合計270歳のレスラーたちが、リングで暴れ回った。

試合後、渕は「みんな姿、形は変わってしまったけどね」と振り返り、和田レフェリーは「同窓会みたいで控室も入りにくい(笑い)。こんなに集まってくれてうれしい」と目を細めた。自分たちの試合後には、82年2月の馬場対ハンセンの伝説の試合が放映。渕は「もう40年も経つんだね。あの試合が流れる前で良かった。あの迫力を見た後にはやりにくい」と笑いを誘った。和田レフェリーも「40年前の映像見るとやっぱりすごい。今やってほしいくらい」と馬場さんの偉大さを改めて感じた。

第1試合に登場した、みちのくプロレスの54歳、新崎人生は白装束に身を包み、さっそうと登場。ロープ上を綱渡りのように歩く、拝み渡りも披露し、バランスの良さも見せた。「22年経ってもリングで元気に上がっているということを伝えた」。

馬場さんとの思い出を聞かれ、初参戦した97年の全日本世界最強タッグリーグでのエピソードを披露。12月2日の誕生日の試合後、控え室に誰もおらず、元子夫人に呼ばれていくと、馬場さんがケーキを持ってハッピーバースデーを歌って祝ってくれたという。

「30代前半で恥ずかしかったけど、自分のためにやってくれてうれしかった」と笑顔で振り返った。

馬場さんと縁のある多くのレスラーたちが、リング上で肌を合わせ、それぞれの思い出を語り合った。

渕正信に3カウントを奪われた菊地毅(撮影・丹羽敏通)
トップロープの上を歩くパフォーマンスを披露する新崎人生(撮影・丹羽敏通)
トップロープから攻撃を仕掛ける新崎人生(中央)(撮影・丹羽敏通)

関連するニュースを読む

天龍源一郎トークバトルでオカダの巧みな話術に敗戦

引退5周年記念大会でトークバトルを行った天龍源一郎(左)とオカダ・カズチカ(撮影・松熊洋介)

<革命伝承 天龍源一郎引退5周年記念大会>◇15日◇東京・後楽園ホール

15年に65歳で引退した元プロレスラーの天龍源一郎(70)が引退試合の相手だった新日本プロレスのオカダ・カズチカ(33)と時間無制限のスペシャルトークバトルを行った。

「(オカダは)トークが苦手分野。からしのきいたコメントで追い込んでいく」と自信満々で挑んだが、巧みな話術に翻弄(ほんろう)され、34分43秒でまたしても敗れた。

つえをつきながらの登場だったが、黒のスーツを身にまとい、5年ぶりに元気にリングに上がり、2人で当時を振り返った。オカダの「同じ時代じゃなくて良かった」という発言に怒り、引退試合の相手に指名。パワーボムを食らわせ、練習で成功しなかった技も決めるなど、死力を尽くしたが、最後はレインメーカーで3カウントを取られ、引導を渡された。

「試合中に客席を見渡す余裕を見せられて、勝てないと感じた。怒りをぶつけていく相手としては最高だったし、勝っても負けても悔いはなかった」と当時の心境を明かした。

オカダも天龍の気迫に「新日本ではないオーラだった。天龍さんに1番熱くなってもらおうと、普段使わない技も出した。3カウント取って、僕の手によって終わったんだなと。お客さんの寂しい気持ちも感じた。最高の試合だったし、お互い全盛期の時にやりたかった」とレジェンドをたたえた。

先輩としてこれからのプロレス界をけん引するオカダにアドバイスとエールを送った。「レスラー同士しかわからない威圧感が出てきた。新日のエースとして責任を持って行動してほしいし、業界全体を引っ張っていってほしい」。熱いメッセージを受けたオカダも「天龍さんが飽きない戦いをして、ダメだと言われないように頑張っていかないと」と決意で返した。

76年にプロレスデビューしてから約40年。全日本、SWS、WJプロレス、天龍プロジェクトなどさまざまな団体で活躍してきた。引退後はバラエティータレントとして活動していたが、昨年4月ごろから体調を崩し、小脳梗塞と診断。入退院を経て、現在はトークショーやテレビ出演をするなど、症状は安定しているという。

引退からちょうど5年となったこの日、天龍に縁のあるレスラーたちが集結し、激闘を繰り広げた。「もう5年経ったのかっていう感じ。こういう大会が持てるのは天龍源一郎として幸せ」。久しぶりのリング上での戦いを楽しんだ天龍は、オカダら後輩たちにしっかりと魂を伝承した。

引退5周年記念大会でトークバトルを行った天龍源一郎(左)とオカダ・カズチカ(撮影・松熊洋介)

関連するニュースを読む

78歳グレート小鹿、32歳翔太を足4の字で勝利

天龍源一郎引退5周年記念大会で勝利したグレート小鹿(撮影:松熊洋介)

<革命伝承 天龍源一郎引退5周年記念大会>◇15日◇東京・後楽園ホール

78歳のグレート小鹿が元気だ。

井上雅央(50)とタッグを組み、リッキー・フジ(55)、翔太(32)と対戦。相手の「結構元気だな」の挑発に乗らず、コーナーに倒れた際には審判からも「行け!」という活を入れられながら、11分翔太に足4の字固めを決め、見事勝利した。

天龍源一郎引退5周年記念試合とあって試合後「昔バチバチやっていたのを思い出した」と当時を振り返った。印象に残っている試合として、約40年前の後楽園ホールでのアジアタッグを挙げ「70分近い試合をした。(天龍は)やられっ放しは嫌いで、1つやられると3つくらいやり返してきたのを覚えている。元気だったら、またやりたいね」と話した。

また、体調を崩した天龍には「長いこと時代を作ってきた人間。今よりももっと元気になって欲しい」とエールを送った。自身は78歳だが毎日トレーニングを欠かさず行っているという。「足腰から弱ってくる。毎日やれることをやるだけ。今後どうなるかは分からないが、あと2年やって、80歳超えるまでできたら」と、オファーがある限り、リングの上に立ち続ける。【松熊洋介】

関連するニュースを読む

アニマル・ウォリアーさん死去 日本プロレス界席巻

拳をつきあげるアニマル・ウォリアーさん(2002年12月2日)

日本プロレス界のタッグ戦線を熱くしたユニット「ロード・ウォリアーズ」のアニマル・ウォリアーさん(本名ジョセフ・マイケル・ロウリネイティス)が死去した。60歳だった。死因は明らかにされていない。22日、アニマルさんの公式ツイッターで関係者によって公表された。

80~90年代、相棒のホークとともにロード・ウォリアーズとして日米のタッグ戦線で活躍。ホークは03年10月に心臓発作のため46歳で死去していた。

アニマルさんは、ホークとともにロードウォリアーズとして85年3月、全日本プロレスに初来日。アニマル浜口、キラー・カーン組を4分足らずで勝利して衝撃の日本デビューを果たした。

「暴走戦士」などの異名を持ち、ジャンボ鶴田、天龍源一郎らと激闘。89年3月まで全日本に継続参戦後、90年7月からは新日本プロレスに初参戦。一時はホーク、アニマル、パワー・ウォリアー(佐々木健介)の3人でトリプルウォリアーズも結成した。

アニマルさんははモヒカン刈りに顔にペイントを施し、サングラスにレザーベストや巨大なトゲのついたアメリカンフットボールのプロテクターを装着。ホークさんと統一された派手なコスチュームでも注目され、人気を誇っていた。

アニマル・ウォリアー(左)とホーク・ウォリアー

関連するニュースを読む

天龍、藤波、長州らが「日本プロレス殿堂会」発足

日本プロレス殿堂会発足会見で記念撮影する、左から天龍源一郎、藤波辰爾、長州力(撮影・浅見桂子)

天龍源一郎(70)、藤波辰爾(66)、長州力(68)らが20日、都内で会見し「日本プロレス殿堂会」の発足を発表した。日本プロレス界の発展に貢献した選手の功績を後世に伝え、引退した選手支援のために立ち上げられた。

初期メンバーは3人に、故ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木氏を加えた5人。今後、会独自の選考基準をクリアした選手が殿堂に加入していく予定。15年に米WWE殿堂入りした藤波は「日本にもできたらという思いが強かった。レスラー全員、ファンの願いでもある」と喜びを語った。

日本プロレス殿堂会発足会見で、笑顔で記念撮影する、前列左から天龍源一郎、藤波辰爾、長州力。後列左から嶋田紋奈、LEONA、池野慎太郎(撮影・浅見桂子)

関連するニュースを読む

タイガー服部「もう時間」レフェリー生活44年で幕

引退セレモニーでオカダ(左)から花束を受け取り労われるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)

タイガー服部(74)が44年のレフェリー生活に幕を下ろした。

19日、新日本プロレス後楽園大会のセミ、メイン2戦を裁き、メイン後の引退セレモニーでは10カウントゴング、胴上げで送られた。

76年に米国でレフェリーデビュー。以来、95年北朝鮮・平壌でのアントニオ猪木-リック・フレアー戦、99年1月4日の橋本真也-小川直也戦などプロレス史に残る数々の試合を裁いてきた。

優秀な海外選手を招くなど、コーディネーターとしても新日マットを支えた。レフェリーが引退試合を行うのは異例。それだけ選手からの信頼は深かった。

セレモニーには、ザ・グレート・カブキ、馳浩、武藤敬司、長州力ら豪華ゲストが来場。天龍源一郎、アントニオ猪木からはビデオメッセージが届き、猪木氏からは「長い間本当にご苦労さまでした」とねぎらわれた。

会場は1600人の超満員。マイクを取った服部レフェリーは「コロナという不気味なものに負けないで、これだけたくさん来られて感謝しております」とまずあいさつ。

そして、「自分はこのユニークなスポーツに出会えて、一生プロレスというものを愛し、だけど自分の人生という感じがします。素晴らしいことも友情もいろいろありますが、裏切りもあります、悲しいこともあります。まるで自分の人生みたいな感じがします」とプロレスと自分の人生を重ねた。

選手、スタッフ、ファンに感謝を述べ、「こういう思い出は一生忘れないように頭の中に刻んで生きていきたいと思います」と目を潤ませた。10カウントゴングの後、米国時代の盟友、故マサ斎藤さんの入場テーマが流れる中、選手らに胴上げされた。

レフェリーとしての哲学は「選手を邪魔しない。無駄な場所にいないこと」。それがうまくできなくなったため、「もう時間だな、と思って」と自ら引退を決めた。

最後の3カウントをたたき、「やり切った感があった。燃え尽きました」。1年新日本との契約を延長し、米国での興行、イベントを裏方で支える予定だ。

【高場泉穂】

引退セレモニーでタイガーマスク(左)と握手を交わすタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
後藤(右奥)にオコーナーブリッジを仕掛けるSANADA(手前右)にカウントをとりにかかるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
タイガー服部レフェリー(中央)引退セレモニーでリングに上がり写真に納まる、左から武藤敬司、長州力、1人おいてザ・グレートカブキ、馳浩(撮影・河田真司)
引退セレモニーでアントニオ猪木のサプライズビデオメッセージを見つめるタイガー服部レフェリー(右)(撮影・河田真司)

関連するニュースを読む

天龍氏「髪を結ってもらった」同期ナガサキさん悼む

天龍源一郎氏

「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラー桜田一男さんが71歳で亡くなったことが13日、分かった。訃報を受け、角界の同期でともにSWS創設メンバーだった元プロレスラー天龍源一郎氏(69)がコメントを発表した。

「突然の訃報に驚いています。相撲の同期でプロレス入り、後に二人でファンクス道場へ私と一緒に行き、まげをつけたまま渡米した私の髪を結ってもらったことが昨日の事のようです。(桜田さんは)アメリカで成功し、共に過ごした時期もありました。最近は会う機会はありませんでしたがやはり気になる人でした。あまりにも早すぎる訃報に、あんなに頑丈な人がと思うと残念でなりません。心よりのご冥福をお祈りいたします」。

関連するニュースを読む

ケンドー・ナガサキさん死去、デスマッチ戦線をけん引

バラ線パーフェクトホールデスマッチに臨むケンドー・ナガサキさん(1995年3月16日撮影)

「ケンドー・ナガサキ」のリングネームで知られるプロレスラー桜田一男さんが亡くなったことが13日、分かった。71歳だった。死因は不明。元所属先の大日本プロレスによれば、12日に千葉の自宅で亡くなっているところを知人に発見されたという。

桜田さんは64年に大相撲立浪部屋で初土俵を踏み、71年に日本プロレスでデビュー。70年代後半から80年代にかけて米国で落武者姿のヒールレスラーとして活躍した。95年には大日本旗揚げに参加。同団体デスマッチ戦線をけん引するだけでなく、総合格闘技にも挑戦。プロレス界「ケンカ最強」と言われてきた。

この日の大日本後楽園大会では、10カウントゴングでの追悼が行われ、試合中は遺影がリングサイドに飾られた。グレート小鹿会長(77)は「彼の協力がなかったら、今の大日本はない」と感謝。米国に子どもはいるが、日本では独り身だったと明かし、「もし親戚、知り合いの方ががいれば大日本まで名乗り出てほしい。あらためてお別れの会を開きたい」と話した。140キロの巨体を誇るデスマッチエース、アブドーラ小林(43)は「入門時に体重75キロだったのが数カ月で100キロまで増えたのは竹刀を持ちながらちゃんこを食わせてくれたおかげ」と故人をしのんだ。

かつて米国で生活をともにした武藤敬司(57)は「若手時代に海外で大変お世話になり、本当に良くして頂きました。実は自分がプロデュースする大会にも来て頂こうと構想があったのですが…、残念です」。角界の同期でともにSWS旗揚げメンバーだった元プロレスラー天龍源一郎(69)氏は「あまりにも早すぎる訃報に、あんなに頑丈な人がと思うと残念でなりません」と急逝を悼んだ。

◆ケンドー・ナガサキ 本名桜田一男(さくらだ・かずお)1948年(昭23)9月26日、北海道網走市生まれ。中学卒業後、大相撲立浪部屋に入門。1971年(昭46)に日本プロレス入門。同年6月27日、戸口正徳戦でデビュー。73年の団体解散後に全日本入りし、76年から米マットなど海外で活躍。81年にケンドー・ナガサキとなる。90年にSWS旗揚げに関わり、NOWを経て、95年に大日本旗揚げに参加。98年に退団し、フリー。188センチ、120キロ。

13日後楽園ホールで行われた大日本プロレス後楽園大会では、創設メンバーだったケンドー・ナガサキさんの遺影がリングサイドに飾られた(撮影・高場泉穂)
ケンドー・ナガサキさんの思い出を語る大日本プロレスグレート小鹿会長(撮影・高場泉穂)

関連するニュースを読む

天龍源一郎「元気ですかー」脳梗塞公表以来初公の場

都内でトークショーを行った天龍源一郎(左)と高田延彦

小脳梗塞を発症していたことを今月9日に公表した天龍源一郎(69)が22日、都内で高田延彦(57)とトークショーを行った。

病を公表したのは最近だが発覚したのは4月で3度の入院を経て、6月に退院。その後もトークショーやテレビ出演をするなど精力的に活動していた。この日集まった約180人のファンの前に登場すると、「元気ですかー!」と第一声。アントニオ猪木のフレーズで、いきなり笑いを誘い、健康ぶりをアピールした。

天龍と高田といえば96年の2度の一騎打ちが知られる。場が温まってきたところで、その年の年間最高試合となったUWFインターナショナル神宮大会での初シングルに話が及んだ。高田は「不思議なファイターであり、アーティストであり、もちろんプロレスラーであり、格闘家であり、すべて兼ね備えている、人一倍なにくそという気持ちをもっている方。そういう天龍さんと交える幸福感があった。会社がきついとかそういうことふっとばして、たくさんの人が見ている前でやらせてもらえる、これを私のキャリアーにとって、大きな勲章にしたいという思いが強かった」と回想。「あの短い時間の中で、宇宙にいったり、観客を俯瞰(ふかん)してみれたりした。名勝負製造器である天龍さんが相手だったから、評価をいただいた。ありがたい気持ちでいっぱい」とあらためて先輩天龍に感謝した。天龍は「キックの打ち出すとき、佐山と高田は見えないんですよ。すっと入る」と高田の天性のキックを思い出し、たたえた。

病気公表以来初の公の場に姿を現し、変わらぬ元気っぷりを示した天龍に対し、高田は「156歳ぐらいまでしっかり生きていただいて、天龍魂を後生に伝えてほしい」とエールを送った。

登場するなり「元気ですかー」とアントニオ猪木氏のフレーズで笑いをとる天龍源一郎

関連するニュースを読む

89年6月全日3冠ヘビー級王者/天龍源一郎略歴

天龍源一郎引退試合 天龍源一郎(左)はオカダ・カズチカにラリアットを決める

元プロレスラー天龍源一郎(69)が小脳梗塞を起こしたことを9日、報告した。症状は安定しているという。

◆天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)本名・嶋田源一郎。1950年(昭25)2月2日、福井県生まれ。63年に大相撲二所ノ関部屋入門。天龍のしこ名で前頭筆頭まで務めたが76年秋場所で引退、同年10月全日本プロレス入団。89年6月に3冠ヘビー級王者。90年SWS移籍、92年WAR設立、フリー、WJプロレス、天龍プロジェクトとあらゆるマットで活躍。得意技はグーパンチ、パワーボム。189センチ。

関連するニュースを読む