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元関脇麒麟児、突然の訃報 30年前の“あの日”と変わらない柔らかな物腰

行司控室で指導を受ける行司として二所ノ関部屋に入門した押田裕光(1989年1月20日撮影)

新年度が始まる春。新たな出会いの季節でもあり、一方で卒業や異動など別れの季節でもあるだろう。悲しいのは人生の卒業…。訃報が飛び込んだのは13日のことだった。

元関脇麒麟児の垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが、67歳の若さで旅立った。今も語り草となっている、天覧相撲での富士桜との死闘。108発にも及ぶ壮絶な突っ張り合いを、今、演じられる取組はないだろう。

当時、大関貴ノ花ファンで中学2年だった私も部活から帰り、固唾(かたず)をのんでテレビで見ていた記憶がある。その垂沢さんが今から3年前に定年を迎えた際は、その3年前に受けた頭部腫瘍の摘出手術を受けた影響から、顔面にまひの症状が残り、現役時代の面影は薄かった。それでも退職間際、最後に会った時の紳士然とした柔らかな物腰は“あの日”と少しも変わらなかった。

1989年、というより平成元年といった方が経過した時間の重みが分かるだろうか。昭和天皇の崩御で喪に服すことから、初日が1日遅れて月曜日から始まった大相撲初場所。それは私にとっての相撲担当「初土俵」の場所だった。3シーズン務めたプロ野球担当からの配置転換で、右も左も分からぬまま頭の中は大混乱。そんな中、場所中にある若者の行司デビューを取材する機会があった。

2カ月後の春場所で、行司として初土俵を踏む15歳の押田裕光君。前年秋場所後を最後に引退した北陣親方(元麒麟児)の、おいにあたる青年だった。千葉・柏中3年の夏、力士になりたかった押田君は「身長規定に足らないんです。でも相撲が好きで身内に相撲界の人がいるから」と二所ノ関部屋で修業に入った。初場所中は、折を見て両国国技館の行司控室で先輩行司から指導を受けていた。

緊張しきりの押田君を横目に、取材に応じてくれた北陣親方は「修業はつらいけど立派に土俵を務めてほしい」と願いを込めるように話してくれた。驚いたのは、その後だ。「どうぞ、よろしくお願いします」。8歳も年下の新米相撲記者に、頭を下げたシーンは今でも鮮明に覚えている。会釈でも、ちょこんと頭を下げたわけでもない。下げた後、少し静止して頭を上げてニコッと笑みを送ってくれた。前年の暮れから相撲担当になったが、稽古場に行っても場所に行っても別世界のように感じられた。言葉遣いも荒っぽく、ちゃんこの味も染みていない若輩記者は、ただただ「怖い世界だな」と思うばかりだった。

そんな中で紳士的に対応してくれたのが北陣親方。部屋付きとして稽古場では、鋭い眼光と若い衆を腹の底から絞り出すような声で叱咤(しった)激励する姿に、あの天覧相撲で見せた「力士麒麟児」をほうふつとさせたが、稽古を終え我々と談笑する際は、まるで別人のような温和な人だった。NHKの大相撲中継でも、ソフトでさわやかな語り口と分かりやすい解説で、お茶の間の相撲ファンを引きつけた。

あの32年前、私に「よろしくお願いします」と頭を下げ成長を見守っていた、おいの押田君は、今や幕内格行司の12代式守錦太夫として立派に土俵を務めている。叔父も、きっと天国から優しいまなざしで土俵を見守っていることだろう。多臓器不全のため亡くなったのは3月1日。発表が1カ月以上も先になったのは、春場所の初日まで2週間を切った時に、悲しい知らせを角界に伝えるのは忍びない、場所も終わって落ち着いた時にでも、という故人の遺志が尊重されたのではないかと、勝手に思っている。

「別れ」でもう1つ思い出した。私の「初土俵」となった、あの89年初場所初日。取材のスタートは、前年12月に部屋開きし、この初場所が晴れのデビュー場所となる新生・峰崎部屋だった。「新米記者には、新しい部屋から一緒にスタートするのがいいだろう」という先輩の温かい? 配慮で、朝6時の稽古から32歳の峰崎親方(元前頭三杉磯)と、3人の弟子の記念すべき1日を追った。

営団地下鉄(現東京メトロ)赤塚駅から市ケ谷を経由して両国へ。超満員電車での“通勤”に峰崎親方が、1番相撲を控える弟子の1人に「サラリーマンにならなくて良かっただろう」と笑顔で話しかけ緊張を和らげていたのが、ほほえましかった。その力士は「峰崎部屋1番相撲」で敗れた上に、移籍前に所属していた「放駒部屋」とアナウンスされるハプニングもあったが、それも今はいい思い出になっていることだろう、と思いたい。緊張で食事も喉を通らなかった、その若い力士も白菜、焼き豆腐、ぶりなどが、たっぷり入ったちゃんこを平らげていた。頼もしい限り…そんな思いで「取材初土俵」を終えた。

その峰崎部屋も、師匠の定年に伴い3月の春場所で閉鎖となった。時の流れとともに、移ろいゆく大相撲の世界。10年ひと昔というが、デジタル化された現代は1年でも「ひと昔」と感じざるを得ない。それでも30年前の記憶が、しっかり残されている。この世界独特の人情味があるからこそだろう。【渡辺佳彦】

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児

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元関脇富士桜、突っ張り合い天覧相撲「一番の思い出」好敵手の元麒麟児悼む

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児

元関脇富士桜の中沢栄男氏(73)は元麒麟児の垂沢氏の訃報に触れ、75年夏場所中日の天覧相撲を「力士として一番の思い出」に挙げた。

「相撲は負けたが、一番の思い出になっている。向こうもこっちもいい相撲がとれた。やり切った感があった」と振り返った。

昭和天皇は富士桜ファンになったとまで言われたが「いい相撲を見せられてよかった。喜んでくれたようで」と話した。両者とも54発の突っ張りの末に、最後は上手投げに敗れた。「向こうの方が一回り大きく、若いし。こっちの息がもたなかった」という。

通算でも9勝17敗と分が悪かった。「勝つのは3回に1回ぐらい。同じ押し相撲で、突っ張りという型も同じ。負けたくなかった。最後の一番はおれが勝っている」と笑った。

「同じ型の相手とはやらなかった」と、稽古をしたことはほとんどなかった。「部屋が違えば、話もほとんどしないものだった」。交友はなかったが「おれより5歳も若いのに」と好敵手の死を悼んだ。

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児
大相撲 夏場所8日目、麒麟児対富士桜 果てしなく続くように思われた突っ張り合いは、両力士とも56発繰り出し富士桜(左)は口の中を切り鮮血が飛ぶ(1975年5月18日撮影)
大相撲 夏場所8日目、麒麟児対富士桜 精根尽き果て両力士(左手前が富士桜)土俵下へ、突っ張りが大部分で26秒はまさに死闘。天皇陛下も「いい相撲だった」と感想(1975年5月18日撮影)
麒麟児
75年9月、秋場所で三賞受賞者の、左から殊勲賞麒麟児、敢闘賞鷲羽山、技能賞旭国
北陣親方(元関脇麒麟児)(2008年09月6日撮影)
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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元関脇の麒麟児が死去、多臓器不全で67歳 108発の突っ張り合いも

1976年1月、大相撲初場所4日目 富士桜(左)と麒麟児

日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した。67歳だった。

強烈な突っ張りを武器に、幕内通算84場所で三賞受賞は11度。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として土俵を沸かせた。現役引退後は北陣親方として後進の指導に当たり、18年に日本相撲協会を退職していた。

   ◇   ◇   ◇

また1人、名力士がこの世を去った。日本相撲協会は、元関脇麒麟児の垂沢さんの死去を発表。協会関係者によると、15年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かったという。18年3月に65歳の定年を迎えたが、再雇用制度は利用せずに協会を退職。3年後の3月1日に、自宅で多臓器不全により死去した。近年は糖尿病と腎臓を患っていたという。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。

1967年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として、元横綱北の湖、元横綱2代目若乃花らとともに人気を誇った。1975年夏場所8日目の天覧相撲では、富士桜との計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いを披露。昭和天皇が身を乗り出して観戦された一番は、今も語り草となっている。幕内優勝こそ果たせなかったが、金星6個、三賞受賞は11度と実績を残した。

88年秋場所を最後に35歳で現役引退後、北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

◆麒麟児和春(きりんじ・かずはる)本名・垂沢和春。1953年(昭28)3月9日、千葉県柏市生まれ。67年夏場所初土俵、74年初場所新十両。同年秋場所で新入幕。強烈な突っ張りを武器に金星6個、殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞3回と三賞計11回受賞。最高位は関脇。幕内通算84場所で三役は通算17場所。通算773勝792敗34休。88年秋場所限りで引退し、年寄「北陣」を襲名。18年3月に日本相撲協会を定年退職。

麒麟児
北陣親方(元関脇麒麟児)(2008年09月6日撮影)
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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北勝富士、歴代10位タイの金星記録なるか/新番付

北勝富士(2020年9月20日撮影)

日本相撲協会は1日、大相撲春場所(14日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。現役力士の今場所達成可能な歴代10傑入りなどの記録は以下の通り(在位したことで達成済みも含む)。

【通算勝利数】

既に横綱白鵬(35=宮城野)が1170勝で歴代トップに君臨。昨年7月場所10日目以来の白星を、どこまで伸ばせるか注目だ。現役2位は横綱鶴竜(35=陸奥)の785勝。こちらも最後の白星は、昨年春場所14日目で1年ぶりの白星で、あと75勝の歴代10位・寺尾(元関脇=現錣山親方)に迫りたいところだ。

【幕内在位場所数】

今場所で白鵬が、旭天鵬(元関脇=現友綱親方)を抜き歴代単独2位の100場所。ちなみに歴代1位は元大関魁皇(現浅香山親方)の107場所。新入幕からの幕内連続在位100場所は、史上初の快挙となった。

【幕内出場回数】

白鵬が歴代8位の1265回。今場所、皆勤し5月の夏場所も出場すれば、3日目に歴代7位の安芸乃島(元関脇=現高田川親方)に並ぶ。現役2位は鶴竜の1027回。なお歴代1位は、元関脇旭天鵬(現友綱親方)の1470回。

【幕内勝利数】

白鵬が1076勝で、2位の魁皇に197勝もの差をつけ歴代トップ。現役2位は鶴竜の645勝で、歴代10位の貴乃花(元横綱)までは残り56勝。

【通算連続出場】

初土俵以来、無休の「鉄人記録」。歴代7位タイに1316回の玉鷲(36=片男波)が入っている。04年春場所の序ノ口デビューから足かけ18年の「皆勤賞」だ。ちなみに1位は元関脇青葉城の1630回。

【金星獲得】

現役力士で歴代10傑入りは不在だが、今場所チャンスがあるとすれば現在7個の北勝富士(28=八角)。横綱2人を倒せば通算9個で三根山、玉乃海、長谷川、富士桜、貴闘力が名を連ねる歴代10位タイに滑り込む。番付も上位総当たりの東前頭2枚目。序盤にチャンスが巡ってくるか…。

なお8個で現役トップの逸ノ城(27=湊)は、ようやく西前頭6枚目まで番付を戻した。序列では横綱戦はないが、中盤まで好成績を残せば当てられる可能性はある。それは7個で追う遠藤(30=追手風)も同じで、初場所は7勝8敗で負け越したが、東前頭5枚目に据え置かれた。こちらも序盤から白星を並べれば、中盤以降に横綱との一番が組まれる可能性がある。

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東関親方の告別式500人参列 八角理事長涙の弔辞

出棺される元潮丸の東関親方(本名・佐野元泰)の棺がある祭壇の前で弔辞を読む葬儀委員長の八角理事長(撮影・現場代表)

さる13日、血管肉腫のため41歳で死去した東関部屋の師匠、東関親方(元前頭潮丸、本名・佐野元泰さん)の告別式が19日、東京都葛飾区柴又の東関部屋で営まれた。

前日18日の通夜に続き、日本相撲協会の八角理事長(56=元横綱北勝海)を葬儀委員長とする高砂一門の一門葬として執り行われた告別式には、協会理事や一門の枠を超えた親方衆、関取衆や、故人とゆかりのあった政治家の鈴木宗男氏ら約500人が参列。先代東関親方(元関脇高見山)の渡辺大五郎さん、元関脇富士桜の中沢栄男さんら多数の高砂部屋OBも参列した。

八角理事長は時折、涙で声を詰まらせながら「さぞ無念だったでしょう。あなたの誠実な人柄に私もほれ込んで、一回り年下でも何か相談するたびに、あなたの言葉に救われました。自分の体を失ったような感じで、運命の残酷さを痛感しています」などと弔辞を読み上げた。

戒名は、師匠として率いた部屋名の一部、本名から「大優院東元泰善居士」と付けられた。告別式終了後、東関親方の遺体を乗せた霊きゅう車は、部屋がある葛飾区内の四ツ木斎場に向かい荼毘(だび)に付された。

東関親方は今月10日ごろ、再入院していた都内の病院で様態が悪化。故人の遺志をくんで12日に部屋に戻り、力士一人一人の手を握り、声をかけたという。翌13日午後9時52分、力士や部屋関係者、夫人で喪主を務めた真充さん(40)らにみとられながら息を引き取った。

喪主を務めた東関親方(本名・佐野元泰)の妻の真充さん(左から2人目)(撮影・河田真司)
元潮丸の東関親方の告別式に参列する、元高見山の先代東関親方(撮影・河田真司)

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元富士桜の中沢栄男氏「早すぎる」東関親方悼む

元関脇富士桜の中沢栄男氏(71)が14日、元前頭潮丸の東関親方の死去を悼んだ。13日は連絡を受けて、東京・葛飾区の東関部屋に駆けつけたという。「41歳はあまりにも早すぎる。子供もまだ小さいし、これからという時だったのに」と声を落とした。

中沢氏は12年12月に中村部屋を閉鎖して転属し、13年2月の65歳定年までは東関部屋付き親方となった。元関脇高見山、元横綱曙と部屋の師範代でもあり、東関親方の入院中は稽古や合宿で指導することもあった。中村部屋から転属した力士3人と床山1人が、今も現役を続けている。「余計な口を出す身ではないが、できる限りの協力はしたい」と話した。

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朝乃山「一途に前へ」ラッキー呼ぶ/大ちゃん大分析

鶴竜(右)を寄り切りで破る朝乃山(撮影・中島郁夫)

<大相撲秋場所>◇5日目◇12日◇東京・両国国技館

西前頭2枚目の朝乃山(25=高砂)が、無敗の横綱鶴竜を破り、初金星を挙げた。得意の右四つから寄り切る完勝で3勝2敗とした。

      ◇      ◇

ある意味、朝乃山にとってラッキーだったのは、鶴竜が安易に打った右の下手投げだ。あれで朝乃山は左上手を十分に引きつけられた。ラッキーではあるが、そうさせるだけの前に出る馬力が朝乃山にはあった。

負けはしたが攻め込んだ前日の遠藤戦、引かせた3日目の貴景勝戦も内容は悪くない。高見山さん、富士桜さん、私や小錦もそう。四つと押しの違いはあるが、いちずに前に出る相撲は高砂部屋の伝統。その姿勢を朝乃山は見せてくれた。場所前は蜂窩(ほうか)織炎で満足に稽古できなかったから「とにかく前に出ればいい」とだけしか師匠として言わなかった。朝乃山も万全ではないから、その一点に集中して臨んでいるのだろう。前に出れば自然とまわしを取れて四つになれる自信は、優勝した経験が大きい。余計なことを考えずに臨めているのがプラスになっていれば、まさにけがの功名だ。(高砂浦五郎=元大関朝潮・日刊スポーツ評論家)

出待ちファンのサインに応じる朝乃山(撮影・河田真司)

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鶴竜が東横綱、貴景勝大関2場所目でかど番 新番付

貴景勝

日本相撲協会は24日、大相撲名古屋場所(7月7日初日、ドルフィンズアリーナ)の新番付を発表した。

先場所と東西が入れ替わった横綱は、東が鶴竜(33=井筒)、西が白鵬(34=宮城野)となった。鶴竜は横綱在位32場所となり千代の山と並び史上10位(1位は白鵬の72場所)。昨年夏場所以来となる6回目の優勝を目指す。全休明けからの復帰を目指す白鵬は、43回目の優勝を目指す。

大関は東西の正位が豪栄道(33=境川)と高安(29=田子ノ浦)で変わらず。先場所、2度の途中休場があった、かど番の貴景勝(22=千賀ノ浦)は東の2枚目。大関2場所目でのかど番は、現行制度になった69年名古屋場所以降、昨年秋場所の栃ノ心以来、9人目。過去8人中、負け越して大関から陥落したのは武双山だけ。ケガの回復具合が気になるだけに、大関を維持できるか注目だ。西の2枚目は05年春場所の栃東以来の大関復帰となった栃ノ心(31=春日野)。昭和以降の大関復帰は9人(10度)目となった。

関脇は東に昨年九州場所以来、4場所ぶりに復帰した御嶽海(26=出羽海)。15場所連続三役在位は昭和以降、単独2位(1位は若の里の19場所連続)。西の玉鷲(34=片男波)も2場所ぶりの関脇復帰(三役としても2場所ぶり)となった。

東西の小結は、いずれも新三役でフレッシュな顔ぶれとなった。東の阿炎(25=錣山)は錣山部屋からは現師匠の部屋創設後、11年九州場所の豊真将以来、2人目。埼玉県からは若葉山、若秩父、今年春場所の北勝富士(八角)に続き、戦後4人目の新小結誕生となった。西の竜電(28=高田川)は、現師匠の部屋創設後としては初の新小結。山梨県からは富士錦、富士桜以来、戦後3人目。初土俵から所要79場所の新三役は史上10位のスロー昇進(1位は玉龍の107場所)。関取経験者が序ノ口陥落後に新三役を果たしたのは、史上初の快挙だ。なお、同じ場所で新三役が2人誕生したのは、16年夏場所の琴勇輝、魁聖以来となる。

名古屋場所は、7月5日の取組編成会議で初日、2日目の対戦相手が決定。7日の初日を迎える。

横綱鶴竜

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元朝青龍関「先生、さようなら」床寿さん通夜に参列

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)

4月30日に肺炎のため75歳で死去した元特等床山、床寿の日向端隆寿(ひなはた・たかじゅ)さんの通夜が5日、東京・江戸川区内の葬儀所で営まれた。

入門から約半世紀にわたり、角界を裏方として支えてきた。大銀杏(おおいちょう)を結う速さ、出来栄えの美しさなどから「伝説の床山」とさえ言われた。所属した高砂部屋の富士桜、高見山、朝潮、小錦らを手がけたほか、高い技術で部屋の枠を超え、同じ高砂一門の横綱千代の富士、横綱曙らの大銀杏(おおいちょう)も結った。

通夜には、その高砂一門で日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)、高砂親方(元大関朝潮)、九重親方(元大関千代大海)、錦戸親方(元関脇水戸泉)、振分親方(元関脇高見盛)ら親方衆はじめ、一門の枠を超えた現役の床山ら関係者が多数、参列した。

その中の1人が、日向端さんを「日本のお父さん」と慕っていた元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏だ。遺族の意向で「指名焼香」し、親族が終わった後、一般参列者の中でいの一番に焼香した。

最後まで遺族に付き添ったダグワドルジ氏は「まさかこんなに早いとは思ってなく突然のニュースでした。最後のひと言は『床寿先生、さようなら』。もう少し生きてほしかった」と惜しんだ。「お相撲さんと違って床山さんは、侍たちのヘアスタイル(を手がける)」とし、一番印象に残っている言葉に「力士の顔と体つきに合わせて大銀杏を結うんだ、ということを言っていた」と述懐した。

「癖のある自分を直すために、いろいろ言ってくれた。平成の元で出会った2人が令和で別れた」。物静かな穏やかな口調で、恩人の死を悼んだ。6日午後1時から同所(セレモ江戸川ホール=東京都江戸川区谷河内1の1の16)で葬儀が営まれる。喪主は日向端育子さん。

4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの通夜を訪れた後、記者に思い出を語る元横綱・朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジさん(撮影・狩俣裕三)
4月30日に亡くなった大相撲の元特等床山、床寿の日向端隆寿さんの祭壇(撮影・狩俣裕三)

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彩豪さん葬儀「100個土俵プロジェクト」受け継ぐ

関係者によって出棺される墨谷さんの棺

6日に43歳の若さで死去した、大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんの葬儀が15日午後、東京・西浅草の長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)で営まれた。

前日の通夜には、角界から藤島親方(元大関武双山)、錣山親方(元関脇寺尾)、西岩親方(元関脇若の里)、振分親方(元関脇高見盛)、高崎親方(元前頭金開山)ら多数の親方衆や、平幕の妙義龍、佐田の海(いずれも境川)ら現役力士はじめ関係者約300人が参列。この日の葬儀も、故人とゆかりのある多数の関係者が参列し故人の冥福を祈った。

現役時代の師匠だった元中村親方(元関脇富士桜)の中沢栄男氏は、部屋を興して最初の関取誕生となった日を思い浮かべ「やっと生まれた関取第1号に、全ての関係者と舞い上がったことが昨日のことのように思い出されます。まさに力士のかがみ。こちらが見送ってほしかった。あまりに早い」などと弔辞を読んだ。荼毘(だび)に付される都内の葬祭場に向かうバスに乗り込む間際には「現役をやめても巡業の勧進元を6回もやってくれたり、相撲のことで頑張ってくれた。もっと頑張ってほしかった。でも自慢の弟子でした」と涙ぐんだ。

相撲の普及に汗を流していた墨谷さんは、全国の小学校や相撲クラブにある土俵の改修を含め、100個の土俵を作るプロジェクトを今年に入って着手。2月に、さいたま市内で第1号が作られ、続く2番目の土俵も埼玉県内に作る予定だった。その矢先の急死だったが、墨谷さんとともに会社の運営に携わってきた関係者は「その道しるべを墨谷さんが作ってくれたので、あとは私たちで頑張ります」と、その遺志を受け継ぐ決意を語った。参列者には、墨谷さんの相撲人生を読み込んだ相撲甚句「彩豪快一代」が配られた。

弔辞を読み上げる元中村親方の中沢栄男氏(左)と位牌を持つ喪主で妻の墨谷倫子さん(中央)
元十両彩豪さん

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元十両彩豪の墨谷一義さん通夜、同期高崎親方ら参列

東京・浅草で営まれた元十両彩豪の墨谷一義さんの通夜には約300人の関係者が参列した

6日に43歳の若さで死去した、大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんの通夜が14日夜、東京・西浅草の長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)で営まれた。

墨谷さんは元関脇富士桜の中村親方が興した中村部屋に入門し、1991年春場所が初土俵。95年九州場所で、同部屋第1号の関取になった。突き、押しを得意とし最高位は西十両5枚目で、十両在位は11場所。2005年1月の初場所を最後に引退した。引退後も、さいたま相撲クラブの顧問として少年相撲の相撲に携わり、さいたま巡業の勧進元も務めるなど、協会を離れても相撲の普及に尽力してきた。

そんな人柄をしのぶように、通夜には振分親方(元関脇高見盛)ら高砂一門の親方衆、行司、呼び出し、若者頭らはもちろん、一門の枠を超える藤島親方(元大関武双山)、西岩親方(元関脇若の里)、錣山親方(元関脇寺尾)、同期生の高崎親方(元前頭金開山)らが参列。さいたま巡業では埼玉栄高も運営に協力していた縁もあり、同校出身の平幕力士・妙義龍(32)と佐田の海(31)の境川部屋の現役関取や、幕下以下の若い衆らも参列した。

91年春場所で初土俵を踏んだ同期の高崎親方は「私たち201期生は88人。千代天山、春日錦、私と…(関取になったのは寿山と彩豪を合わせて5人)。急に逝ってしまいました。(3月31日に春巡業が行われた)伊勢神宮で会ったばかりなのに…」と、早すぎる故人の死を悼んだ。

墨谷さんは6日午前、台東区内にある会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。不整脈からくる心臓発作があったとみられている。15日には同所で、午後1時から葬儀(喪主は妻の墨谷倫子さん)が営まれる。

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元十両の彩豪・墨谷一義さん死去 不整脈で発作か

元十両彩豪さん

大相撲の元十両彩豪(さいごう)の墨谷一義さんが6日に死去した。43歳。遺族が7日、明らかにした。

墨谷さんは6日午前、東京・台東区の会社事務所で倒れ、救急車で運ばれた先の病院で死去。詳しい原因は検査中だが、不整脈からくる心臓発作があったとみられている。

墨谷さんは1991年に元関脇富士桜の中村部屋に入門。95年九州場所で、中村部屋第1号の関取となり、しこ名を本名から「彩豪」に改めた。十両在位は11場所で、最高位は西5枚目。2005年1月に引退した後は、会社を興し、近年はさいたま市巡業の勧進元も務めていた。

元富士桜の中沢栄男さんは「連絡をもらってびっくりした。部屋の関取第1号で思い出が一番でいっぱいある。まじめでよく稽古したし、辞めてからも会社を興し、巡業の勧進元までやってくれた。まだ若いのに、残念で寂しい」と話している。

通夜・葬儀の日程は以下の通り。場所は、長敬寺(東京都台東区西浅草1の2の7)。喪主は妻の墨谷倫子さん。

▽通夜 14日午後6~7時

▽葬儀 15日午後1~2時

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安美錦が引退危機、アキレス腱断裂「ボンッと音が」

栃ノ心を送り出したかに見えた安美錦だったが、左足を痛め、つきひざで敗れる

<大相撲夏場所>◇2日目◇9日◇東京・両国国技館

 関取最年長の西前頭3枚目安美錦(37=伊勢ケ浜)が悪夢に襲われた。同4枚目の栃ノ心をいなして勝ったかに見えた瞬間、左アキレス腱(けん)を断裂して土俵に崩れ落ちた。3日目からの休場が決定。さらに栃ノ心の足が先に出たように見えたが、軍配は相手で、物言いもつかなかった。今日10日に再検査を行うが、復帰に半年以上かかる恐れがあり、ベテラン業師が突然の引退危機を迎えた。

 前のめりに崩れ落ちた安美錦が、顔を突っ伏しながら右手で何度も土俵をたたいた。大けがを何度も経験しているベテランが、耐えられない痛み。「左のアキレス腱が、ボンッと音がした。後ろから殴られた感じ。力が入らない」。

 自ら呼び出しを呼んで、肩を借りて土俵から下りた。病院へ向かい、夜に対応した師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は休場を明言して「切れている。相撲が取れる状況ではない。(部分断裂か完全か)詳しいことは分からないので明日、検査する。手術をする」と無念そうに話した。

 悲劇は、それだけではなかった。顔をゆがめて左膝から落ちたのは、栃ノ心の体をうまくいなして両手で送り出した瞬間。勝負をあきらめた栃ノ心の左足が先に土俵を割ったように見えた。だが、軍配は相手。物言いすらつかなかった。勝負結果は「つきひざ」で「出たと思ったから倒れたのに…」。この状況でも白星への執念を見せた業師の恨み節が、悲しく響いた。

 古傷の両膝に装具と大きなサポーターが欠かせない関取最年長の37歳。再検査によるが、復帰に半年以上かかる恐れがある。十両から転落する可能性もある。巧みな相撲で沸かせる安美錦の土俵人生が、思わぬ岐路を迎えた。【今村健人】

 ◆アキレス腱を断裂した主な力士 横綱羽黒山は47年秋に4場所連続6度目の優勝を果たした後、右アキレス腱断裂で3場所連続全休。49年夏に復帰し、その後全勝優勝もした。元小結龍虎は71年九州で断裂し、4場所休場で幕下に落ちるも、その後に小結復帰。元関脇富士桜は84年初に断裂し、翌春全休後に復帰。ただ、幕内には戻れなかった。元前頭の大翔山と蒼樹山は部分断裂を経験。2人とも2場所後復帰し、蒼樹山は再入幕。元前頭戦闘竜は02年2月の断裂で幕下に落ちるも十両に戻った。

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嘉風らしい相撲、それは「アドリブ相撲」だ

二所ノ関一門の連合稽古後、充実した表情を浮かべる関脇嘉風

 大相撲の二所ノ関一門の連合稽古が5日、東京・江東区の尾車部屋で行われ、新関脇の嘉風(33=尾車)が「嘉風らしい相撲とは」の答えを周囲に求めた。

 稽古後に報道陣に聞かれると「分からないです」と即答し「逆に教えてもらいたい。周りから見ている人は、どう思っているのか」とお願いした。

 ただ、その答えの1つを自ら明かした。昨年12月にラジオに出演する機会があり、得意技を聞かれて悩んだという。「当たっていくけど(元大関)大受のような押しではない。(元関脇)富士桜のような突きでもない。相手の力を利用しながら、円の外に出す。足の裏以外をつけることです。そう言ったら『アドリブだね』と言われた。それなんです。自分の得意技はアドリブ! しゃべっても型がないから、すぐ脱線しちゃうし」。

 年末に地元大分に戻ったとき「相撲を見るのが楽しみ。何かやってくれそう」と声を掛けられたという。「最高の褒め言葉でした」。相手も予測不能な嘉風の「アドリブ相撲」。今年ますます、磨きがかかる予感。

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若の里4勝、十両残留確実に

<大相撲秋場所>◇12日目◇25日◇東京・両国国技館

 東十両5枚目の38歳の若の里(田子ノ浦)が西十両12枚目の北■磨(28=北の湖)を小手投げで下して、4勝目を挙げた。十両残留を確実とし「九州行きの切符を手に入れたかな」と笑った。

 この日が通算1613回目の出場で、元関脇富士桜に並んで史上7位タイとなった。ただ「うれしいのはうれしいですけど、出場は記録じゃない。白星は、つかみ取るモノだからうれしいけど、出場はただ出るだけ。記者さんでもできますよ」と平然と笑い飛ばした。

※■は石へんに番

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武蔵川親方部屋開き「強い力士育てたい」

武蔵川部屋の土俵開きで、部屋の前で雅美夫人と写真に納まる武蔵川親方(共同)

 再興した武蔵川部屋の部屋開きが8日、江戸川区内の部屋で行われた。元横綱武蔵丸の武蔵川親方(42)が夏場所から独立を認められ、昨年閉鎖した元関脇富士桜の中村部屋を借り受けた。

 師匠だった元横綱三重ノ海の石山氏、元オリックス監督の岡田氏ら約200人がお祝いに駆けつけた。行司が祭主となって土俵祭り後、場所を移してのパーティーとなった。武蔵川親方は「やっと始まった感じ。強い力士を育てたい」と決意も新た。力士はまだ4人。同じハワイ生まれで期待のおいっ子フィアマル・ペタニ(18)は、7月の名古屋場所に前相撲でデビューする。「しこ名はまだ考えている。武蔵丸はない。力士募集中です」と、新弟子スカウトをお願いしていた。

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中村親方定年「あっという間…満足」

記者会見後に花束を受けとり笑顔の中村親方(共同)

 元関脇富士桜の中村親方が24日、場所後の2月に65歳定年を前に会見した。

 63年春初土俵でちょうど50年に「あっという間。よくやって、満足しました」。昭和天皇がファンで、75年夏の天覧相撲での麒麟児との一番は、今も名勝負と言われる。突き押しに徹して突貫小僧と呼ばれた。「子どもができても小僧は困った」と笑わせた。金星9個に三賞8回受賞。2代目若乃花の新横綱場所初日に金星を挙げ「うれしかったね。結構横綱に強かったんだ」。親方としては同じ中卒たたき上げを鍛え、4人の十両を育てた。すでに先場所で部屋は閉めている。

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定年の中村親方「相撲やった甲斐あった」

 中村親方(64=元関脇富士桜)の定年を祝う会が24日に都内で行われた。山梨の同郷巨人軍堀内元監督、一門など角界関係者ら約400人が駆けつけた。63年春に入門から50年。現役時は突貫小僧として人気を集め、親方としては関取4人を育てた。「親の反対を押し切って相撲をやった甲斐はあった」とあいさつした。

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高見盛、新生東関部屋を背負う

中村部屋からの力士たちを前に訓示を行う高見盛(左から2人目)(撮影・高橋悟史)

 十両高見盛(36=東関)が19日、新生東関部屋を背負う覚悟を示した。朝稽古後には、定年にともない中村部屋から力士5人が東関部屋へ引っ越してきた。「自分が頑張れば、若い力士のついてくる」と相撲への姿勢は背中で表す。東関親方(元前頭潮丸)は「若い世代が多くなるからね。若いエキスを吸って気を引き締めて、一層頑張ってほしい」とエールを送った。

 中村部屋の力士たちは18日夜、中村親方(元関脇富士桜)を囲み最後の食事会をした。飛翔富士は「親方が涙ながらに『もう終わるんだな』と話してくれたんです。もらい泣きしそうになったけど、頑張ることで感謝の気持ちを示したい」と話した。

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武蔵丸独立 高見山以来外国出身「師匠」

 元横綱武蔵丸の大島親方(41)が、武蔵川部屋を再興することが17日、分かった。武蔵川親方(元横綱三重ノ海)の定年(来年2月4日)に伴い、年寄「武蔵川」を継承。現在は藤島部屋の部屋付き親方だが、独立する。米ハワイ州から、おいのフィアマル・ペニタニ君(17)も入門予定。第2の武蔵丸を育てるべく、力を注ぐことになる。

 横綱武蔵丸、大関出島、武双山、雅山、小結垣添-。そうそうたる力士が育った武蔵川部屋が来年、復活する。再興するのは、米国出身の第67代横綱武蔵丸。現在は大島親方として、部屋付きの立場だが、武蔵川親方が来年2月4日に定年を迎えるため、年寄「武蔵川」を継承して、独立することになる。

 武蔵川親方は81年8月、出羽海部屋から円満に独立。1横綱3大関を含む12人の関取を輩出した。理事長在任中に体調を崩したこともあり、10年秋場所後に元大関武双山の藤島親方に部屋を継承。年寄名跡は変更しなかったため、約29年間続いた武蔵川部屋の看板は一時的に下ろされていた。

 武蔵川親方はすでに、藤島親方らにも事情を説明し、武蔵川部屋の再興も了承済み。部屋関係者によると、一部の裏方が新たな部屋へ移籍するという。力士は、大島親方のおいに当たるフィアマル君が入門する予定。ほかに、新弟子獲得へ勧誘を続ける見通しだ。

 新たな部屋は、中村部屋の土地・建物を借りる予定。中村親方(元関脇富士桜)が来年2月8日に定年を迎えるため、力士らは今月19日付で東関部屋へ転籍することがすでに決定済み(行司1人は八角部屋)。空いた稽古場や住居を一部改築して使うことになる。

 順調に準備が進めば、来年3月の春場所から、武蔵川部屋の力士が土俵に上がることになる。外国出身力士が部屋の師匠になるのは、高砂部屋から独立して東関部屋を興した元関脇高見山以来、2人目になる。

 ◆大島光洋(おおしま・こうよう)本名・武蔵丸光洋。1971年5月2日、米国生まれ。旧名はフィアマル・ペニタニ。高校時代はアメフトで活躍。89年秋場所初土俵。91年名古屋場所新十両、同年九州場所新入幕。99年名古屋場所で横綱昇進。03年九州場所後に引退。優勝12回。通算779勝294敗115休。96年1月に日本国籍取得。08年4月、日本人女性と結婚した。

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