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小島聡が勝利目前で逆転負け「強くなるしかない」

小島聡対ジェフ・コブ ジェフ・コブ(右)はは小島聡にチョップを浴びせる(撮影・浅見桂子)

<新日本プロレス日本武道館大会>◇4日◇日本武道館

ニュージャパンカップ開幕戦は、小島聡(50)がジェフ・コブ(38)に勝利目前で逆転負けした。

序盤から合言葉の「いっちゃうぞ、バカヤロー!」が飛び出し、119キロの巨漢に物おじせずにぶつかっていった。得意の連続逆水平チョップでダメージを与え、コーナートップから豪快に雪崩式ブレーンバスター。さらに久しぶりのシャイニングウィザードも披露。終盤ラリアット対決を制した小島は、雄たけびを上げ、勝利を確信したが、落とし穴が待っていた。ロープに走った後、コブに受け止められ、ツアー・オブ・ジ・アイランドで撃沈。3カウントで初戦敗退となった。

この日、2冠王者飯伏によって、IWGPヘビー級と同インターコンチネンタルが「世界ヘビー級」に統一された。「伝統は残したまま」と飯伏は話すが、1つの歴史に終止符が打たれたことには違いない。05年にヘビー級のベルトを獲得した小島にも思うところがあったが「負けた人間には言う資格がない」と発言を控えた。今大会に優勝し、飯伏への挑戦権を獲得してから話すつもりだったが、夢はかなわず。「発言するにはもっと強くなるしかない」と前を向いた。

2月28日には天山とのタッグで久しぶりの勝利を挙げた。小島はコブに右ラリアットをさく裂させ、天山は1カ月ぶりにモンゴリアンチョップを解禁してするなど「テンコジ」にいい流れが来ていただけに悔しい敗戦となった。【松熊洋介】

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天山広吉「真モンゴリアンチョップや」コブ組撃破

オスプレイにラリアットを決める天山(右)(C)新日本プロレス

<新日本:CASTLE ATTACK>◇28日◇大阪城ホール

1カ月ぶりにモンゴリアンチョップ解禁! 第1試合で、小島聡(50)天山広吉(49)組がジェフ・コブ(38)、ウィル・オスプレイ(27)組を撃破した。

新日本マットでやりたい放題の新ユニット「THE EMPIRE」のコブに、小島がおきて破りのマシンガンチョップを浴びた。さらに天山も自身が封印している得意技モンゴリアンチョップを敵2人から連続浴びる屈辱を味わった。我慢の限界に達した天山は1月30日の愛知大会でグレート・O・カーンに敗れて以降、使っていなかったモンゴリアンチョップを解禁。次々とオスプレイとコブにチョップを繰り出して局面打開した。さらにダメージの大きいコブを捕獲し、小島との合体技テンコジカッター。最後は小島が剛腕ラリアットでコブを沈め、9分56秒で勝負を決めた。

天山は「普通のモンゴリアンちゃうねん。モンゴリアンチョップあらため『真モンゴリアンチョップ』や。これまもう、ウソも偽りもない、真(まこと)の、真実の『真』や。真モンゴリアンチョップ、もうそれでブチのめしていくよ」と勝ち残っていた。

27日の6人タッグでオスプレイに3カウントを奪われて敗れていた天山が、意地のモンゴリアンチョップ復活で「THE EMPIRE」の猛威を食い止めた。

オスプレイ(左端)にモンゴリアンチョップを打ち込む天山(中央)。右端はコブ(提供:新日本プロレス)

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棚橋弘至NEVERへの思い「ちょっくら長旅でも」

前哨戦に敗れ、グレート・O・カーンに踏み付けられる棚橋弘至(新日本プロレス提供)

<新日本:CASTLE ATTACK>◇27日◇大阪城ホール

小島聡、天山広吉、棚橋弘至×ジェフ・コブ、ウィル・オスプレイ、グレート・O・カーンのタッグ戦は10分22秒、オスプレイが天山をオスカッターからの片エビ固めで撃破した。

28日にNEVER無差別級王座戦で激突する王者の棚橋と挑戦者O・カーンの前哨戦となった。ともに意識した戦い。最後はオスプレイが決着を着けた。

O・カーンは棚橋を挑発。「IWGP(ヘビー級王座)より下だと見下し、腰にも巻かないそのNEVERのベルトに価値は、意味は、愛は、やる気は、輝きはあるのか。答えられるものなら答えてみろよ。貴様には豚に真珠だ! 明日、弟子もベルトもすべて略奪してやる!」。

受ける棚橋は「なぜNEVERのベルトを巻かないか。最初の考えと変わってきました。最初はね。IWGPをもう1回目指すんだと。でもそうじゃなくて棚橋弘至にNEVERのベルトを巻く資格があるのかどうか。だからNEVERを巻く日は俺が納得して初めて巻くんだと思います。それが明日か、その先かもしれないし。ちょっくら長旅でもしようぜ」と謎のコメントを残して、控室に消えた。

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「馬場さんありがとう」武藤敬司がGHC奪取宣言

メーンイベントを終えて「天国の馬場さん、ありがとう!」と、叫ぶ武藤敬司(撮影・丹羽敏通)

<ジャイアント馬場23回忌追善興行>◇4日◇後楽園ホール

馬場さんの思いを胸に武藤敬司(58)がタイトル奪取に向かう。

メインの6人タッグマッチで、諏訪魔、小島聡と組み、天山広吉、カズ・ハヤシ、河野真幸組に勝利。最後自らシャイニング・ウィザードで河野から3カウントを奪い、大会を締めた。「この6人は今は全然違う場所でやっているけど、同じ釜の飯を食った仲間。心地いい時間だった。馬場さんありがとう」と感謝した。

大きな挑戦が控える。12日ノア日本武道館大会で、GHCヘビー級王者の潮崎豪に挑む。「この中では俺が現役最年長。みんなからエネルギー頂きましたよ。最年長の俺がGHC取って大きな背中を見せてやりたい」と宣言した。これには横にいた天山も「こんな現役バリバリな58歳見たことない」と脱帽。武藤はさらに「長くやれるスポーツとして見本になりたい」と後輩や子どもたちへも思いを届ける。「(GHCを)取ればあと5年くらいいけそうじゃない?」。元気いっぱいの58歳武藤が12日、ベルトを巻いて天国の馬場さんに勝利の報告をする。

メーンイベントで得意のポーズを決める武藤敬司(撮影・丹羽敏通)

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新日本KENTAがUS王者に挑戦、米番組で発表

KENTA(2021年1月4日撮影)

新日本プロレスは31日、IWGP・USヘビー級王座挑戦権利証を保持するKENTA(39)が2月27日、新日本プロレスワールドで配信される米国発の番組「NJPWストロング」で王者ジョン・モクスリー(35)に挑戦することを発表した。

KENTAは昨年9月に同権利証を獲得し、今年1月4日の東京ドーム大会では小島聡を下して死守。日本時間30日に配信されたNJPWストロングのメインで6人タッグに出場したKENTAが敗戦後に相手チームに暴行していたところ、会場が暗転。目の前にベルトを持ったモクスリーが登場した。そのままエルボー合戦を展開した後、デスライダー葬されていた。王者から「お前のUSヘビー級王者になるという夢は悪夢になる」と宣告されていた。

モクスリーは昨年2月の大阪城ホール大会で鈴木みのるを下して防衛後、新型コロナウイルスの影響で来日できず、主に米団体オール・エリート・レスリング(AEW)のAEWヘビー級王者として活動。昨年11月、ケニー・オメガに敗れ、AEW王座からは陥落していた。

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天山広吉2分で無効試合に激怒「血の海に沈める」

試合がノーコンテストとなり怒りをぶちまける天山広吉(撮影・横山健太)

<新日本:後楽園大会>◇25日◇東京・後楽園ホール

天山広吉(49)がまたしても天敵を仕留めることができなかった。

小島聡(50)とのタッグでO・カーン、オスプレイ組と対戦。前日同様、椅子、机などがリングに持ち込まれ、わずか2分25秒で無効試合となった。試合後も「(次は)血の海に沈めてブチのめしてやる」と怒りをあらわにした。

椅子を持って登場した天山はレフェリーを投げ飛ばし、いきなり襲いかかった。その後も机の設置を止めようとしたレフェリーを再び突き飛ばすなど、暴走は止まらなかった。O・カーンも負けじとコードでチョーク攻撃で応戦。殴る、蹴るの「大人のケンカ」は収まらず、そのまま終了となった。

23日の復帰戦から3日連続での対戦となり「ボコボコにする」と挑んたが、勝負は持ち越しとなった。24日の対戦後には「1000倍返しにする」と発言した天山に対し、O・カーンも「引退寸前のよぼよぼ老人。1万倍にして返す」と挑発。この日の試合後も「花を持たせてやろうと思ったけど、やめだ。貴様から全部奪ってやる」とさらに罵倒した。

30日愛知大会では、いよいよシングルマッチが行われる。モンゴリアンチョップ封印を提案するO・カーンに対し天山は「俺の技なんや。お前が言うことちゃうやろ」と言いつつも「何でもやってやるよ」と受けて立つ意志を見せた。連日の「場外戦」で怒りは増すばかりの2人。30日のリングで決着をつけるしかない。

試合がノーコンテストとなり怒りをぶちまける天山広吉(撮影・横山健太)
言い争う、左から小島聡、天山広吉、ウィル・オスプレイ、グレート・O・カーン(撮影・横山健太)
試合がノーコンテストとなり引き揚げる小島聡(左)と天山広吉(撮影・横山健太)

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天山広吉「試合する気あんのか」無効試合にブチギレ

O・カーン(右)にモンゴリアンチョップを浴びせる天山(撮影・中島郁夫)

<新日本:後楽園大会>◇24日◇東京・後楽園ホール

天山広吉(49)がブチギレた。前日と同様に小島聡と組んで、O・カーン、オスプレイ組と対決。途中で相手2人が椅子をリングに持ち出し、わずか3分39秒で無効試合となった。

4人の殴り合いは終了のゴングが鳴っても収まらず、しばらく続き、2日連続で大荒れの試合に。天山は「こんなの試合ちゃうぞ。お前ら試合する気あんのか。殴ったろか」とぶちまけた。

前日の試合は自らが椅子を持ち出し、反則負け。試合後も天敵O・カーンを殴り続けたが、納得がいかず「1000倍返しだ」と話していた。この日はO・カーンがいきなりレフェリーを場外に放り投げ奇襲攻撃を仕掛けた。のど元を踏み付けられた天山はヘッドバットなどで応戦したが、その痛めた首を狙われるなど防戦一方。ほとんど攻撃できずに終了した。「やり足らなかった。何もできなかった」と悔しさをあらわにした。

25、27日も同カードが組まれており、30日愛知大会ではシングルマッチで激突する。「明日(25日)もやるけど、ボコボコにするで、ホンマに。シングルマッチとか関係ない、その前に倒してやる。バカタレが」。怒りの収まらない天山だが、このまま消化不良の試合を続けるわけにはいかない。

天山(左)にモンゴリアンチョップを浴びせるO・カーン(撮影・中島郁夫)

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天山広吉「1000倍返しじゃ」久々復帰で天敵KO

タッグマッチでグレート・O・カーン(下)を締める天山広吉(撮影・滝沢徹郎)

<新日本:大田区大会>◇23日◇東京・大田区総合体育館

天山広吉(49)が17日ぶりに復帰し、6日に首を負傷させられたグレート・O・カーンにやり返した。小島聡と組んだ天山は、リングに上がった瞬間から怒り爆発。ゴングを待たずに、O・カーンに突っ込み殴打を繰り返した。途中、テーピングをはがされ、痛めた首を何度も攻められたが、モンゴリアンチョップやアナコンダバスターなど得意技を次々と披露し、因縁の相手に真っ向勝負を挑んだ。

最後は相手の持ち出した椅子を奪い、レフェリーを制し、何度もO・カーンの背中に振り下ろすなどして反則負け。ゴングが鳴った後も椅子で殴り続け、天敵をKOした。「こんなもんで済むと思ったら大間違いやぞ。その気になったら何でもできるんじゃ」と豪語した。

6日の試合に敗れた直後、TTD(テンザン・ツームストーン・ドライバー)を食らい、担架送りにされた。「(O・カーンの)顔がちらついて寝られない。やられた借りは返す」と奮起し、わずか2週間でリングに帰ってきた。モンゴリアンチョップなど、自分の技を“横取り”する相手に「やすやすと使いやがって。本来は俺のものしかない。お前に使われるほど飢えていない」と強烈な打撃を何度も浴びせ、力比べで圧倒した。

十分痛めつけたようにも見えたが、反則負けとなったこともあり「首をぶちのめしてやる」と怒りは収まる気配がない。23日からもO・カーンとのマッチアップは続き、30日にはシングルマッチも行われる。「1000倍返しじゃ、覚悟しておけ」。今月11日にデビュー30周年を迎えた。出はなをくじかれた悔しさを晴らす戦いは、これからも続いていく。【松熊洋介】

タッグマッチでグレート・O・カーン(右)にブレーンバスターを見舞う天山広吉(撮影・滝沢徹郎)

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小島聡「かけがえない時間」急きょ参戦敗れるも充実

KENTAの膝蹴りを浴びる小島聡(撮影・菅敏)

<新日本:東京ドーム大会>◇4日◇東京ドーム

代役でKENTAに挑んだ小島聡は試合後「とても濃密な、自分にとってかけがえのない時間を過ごすことができた」と充実感を漂わせた。

敗れたとはいえ、昨年50歳を迎えた大ベテランは、約2週間できっちりと仕上げ、試合ではKENTAを窮地に追い込む場面もあった。「そんなに甘くない。だからずっと夢中でプロレスを続けてきたんだと思っています」。小島の顔は敗者のそれではなかった。

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KENTAが小島を膝蹴り葬、USヘビー挑戦権守る

小島(右)に膝蹴りを決めるKENTA(撮影・菅敏)

<新日本:東京ドーム大会>◇4日◇東京ドーム

IWGP・USヘビー級王座挑戦権利証争奪戦で権利証を保持するKENTA(39)が、大ベテランの小島聡(50)の挑戦を退けた。対戦予定だったジュース・ロビンソンが左眼窩(がんか)底骨折で欠場したため、先月24日に急きょ決まった対戦だった。

パワーで上回る小島に先手を取られた。力強いストンピングを浴びて、豪腕で頭を絞め上げられた。その後、得意のキックでペースを奪い返すと、小島の必殺技のラリアットを徹底してかわし続け、最後はgo 2 sleepからの片エビ固めで、フォール勝ちした。

昨年8月に米国で開催されたニュージャパンカップで優勝。IWGP・USヘビー級王者ジョン・モスクリーへの挑戦権を得たが、コロナ禍の影響などもあり、対戦は実現していなかった。挑戦権利証保持者として、この日の小島も含めて5人の挑戦を退けてきたKENTAは「年齢感じさせないくらい頑張ったじゃねえかよ。でもオレのレベルじゃねえんだよ」。

小島戦の直前に東京ドームの大型スクリーンに王者モスクリーからのメッセージが映し出された。「東京ドームの後に挑戦権利証を持ってるヤツは覚悟しておけ。オレは準備できているぞ」。試合後、KENTAは「オレ、挑戦する。勝ったから喜んで。いつでもどこでも」。待ちわびた挑戦の時が巡ってきそうだ。

コーナーに倒れ込んだ小島聡(右)に串刺しドロップキックを見舞うKENTA(撮影・菅敏)

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KENTA-小島 新日本US王座権利証争奪カード

小島聡(2018年9月9日撮影)

新日本プロレスは24日、来年1月4日に控える東京ドーム大会の一部カード変更を発表した。IWGP・USヘビー級王座権利証を保持するKENTA(39)が対戦予定だったジュース・ロビンソンの左目眼窩(がんか)底骨折による欠場を受け、代わりに小島聡(50)と対戦すると発表された。

KENTAは23日の後楽園ホール大会でタッグマッチで激突した小島から「今年の9月14日に齢(よわい)50を迎えたプロレスラーの挑戦を受けてみるつもりはありませんか?」と対戦要求を受けた。その対戦アピールを受け、試合後には「おもしれえじゃん。どうせいつになるかわかんねえ、いつジョンモク(IWGP・USヘビー級王者ジョン・モクスリー)が来るかもわからねえ。いいよ、やってやるよ」と受諾する意向を示していた。

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武藤敬司「プライベートで交流」ウォリアーさん追悼

武藤敬司

日米プロレス界で人気を博したタッグチーム「ロード・ウォリアーズ」のアニマル・ウォリアーさんが60歳で死去したことを受け、ゆかりのある日本人レスラーたちも23日夜から24日にかけて次々と自身の公式ツイッターを通じ、追悼コメントをつづった。

武藤敬司は「プロレス界で一世を風靡(ふうび)した、ロード・ウォリアーズのアニマル・ウォリアーが亡くなった。何度も戦った経験があるが、実はプライベートでも交流があったんだ。天国に旅立ったホーク・ウォリアーが、きっと待っているぜ!ご冥福をお祈り致します」と投稿した。全日本プロレスの秋山準は「1999年のドーム大会で1度対戦させて頂きました。入場してきた時の迫力は今でも覚えている。謹んでお悔やみ申し上げます」などと記した。

新日本プロレスの小島聡は「私がまだ20代の頃、ロード・ウォリアーズと対戦させてもらえた。本当に格好良くて、怖くて、強かった。2002年にアメリカで大会があった時のプロモーターがアニマルさんで、その時にハンセンさんからラリアットを教わったのでした。試合以外はいつも笑顔で、大好きな人でした」と思い出を明かした。

ノアの丸藤正道は「ロード・ウォリアーズがいなければ僕はプロレスを好きになっていなかっただろう。全日本のドーム大会でおふたりにお会いできたがペーペーだった僕はただ見る事しかできなかった。そしてプロレスラーになりご縁を頂きアニマルさんと仕事をさせて頂いた。二人ともいなくなっちゃったけど永遠の憧れです」と天国に旅立った自らのスーパースターに哀悼の意を表した。

また米プロレスのWWE時代に対戦経験のあるTAJIRIは「RIPアニマル オレ、SMAKDOWN!で1度だけアニマルと闘ったことがある歴史の証言者だぜ」と独特の表現でアニマルさんの死去を悲しんでいた。

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新日本5カ月ぶりに聖地・後楽園ホールに帰ってきた

半年ぶりに観客を入れて行われた新日本の後楽園ホール大会(撮影・河野匠)

<新日本:後楽園大会>◇20日◇東京・後楽園ホール

新日本プロレスの約5カ月ぶりの後楽園ホール大会が行われた。新日本は新型コロナウイルスの影響で3月から試合を中止。6月15日から無観客試合を実施し、7月11、12日の大阪城ホール大会から観客を入れた興行を再開。2月22日の中西学の引退記念大会以来半年ぶりに聖地に戻ってきた。

観戦防止のため客席は十分な間隔が空けられ、観衆は普段の約3分の1の482人だった。第1試合のタッグ戦で若手の上村優也(25)にラリアットを決め勝利した小島聡(49)は「いつもお客さんが超満員で迎えてくれるのとは違う。特別なプロレス。プロレスラーとして貴重な時間に立ち会えてうれしく思います」とコメント。コロナ禍で聖地の特別な雰囲気を味わえることを前向きにとらえた。

第8試合の8人タッグ戦に出場した棚橋弘至(43)は「もしかしたらだけど、俺が10年以上かけてやってきた少しずつ席を埋めていく、増えていく光景が、このコロナが収まってその先の1年、2年で倍速、3倍速、4倍速で見られるような気がします」と自身が経験してきた新日本プロレスの人気低迷からの復活を、コロナ禍からの復活に重ねた。【高場泉穂】

ソーシャルディスタンスを意識し間隔を空けて観戦する観衆(撮影・河野匠)

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新日本ら6団体とサンリオがコラボ Tシャツを発売

ハローキティなどのキャラクターで知られるサンリオとプロレス6団体のコラボレーションTシャツ販売について1日、オンライン会見が行われた。

この企画「SAVE OUR PRO-WRESTLING×SANRIO CHARACTERS」は、新型コロナウイルスで打撃を受けたプロレス界を盛り上げるために株式会社ジーミックスが呼びかけ。新日本、全日本、ノア、DDT、スターダム、東京女子の6団体が賛同し、実現した。Tシャツのデザインはサンリオの人気キャラクターと6団体のロゴを配置したもので、団体ごとに違うカラーでウェブ限定受注発売される。販売価格は3500円。受注期間は7月3日午後2時から20日午後0時まで。各団体の専用ページから注文できる。

会見には各団体の代表選手が出席。新日本の小島聡(49)は「これをきっかけにして、プロレスを好きになっていただいたり、プロレスからサンリオさんを好きになっていただいたり、さまざまな効果が得らればいいなとも思います」。

スターダムの岩谷麻優(27)は「自分のお母さんがキティちゃんが好きで、小さい頃からキティちゃんのぬいぐるみとかが置いてある状況で育ってきたので、うれしい。小さいお子さんや、女性、おじさんも着てくれればいい」とコメントした。

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EVILが小島撃破「内藤のベルト奪い3冠王に」

EVIL(上)は小島をマットにたたきつける(撮影・足立雅史)

<新日本プロレス:「NEW JAPAN CUP 2020」>◇1回戦4試合◇23日◇会場非公開

32人が出場するシングルトーナメント「ニュージャパン杯」の1回戦4試合が行われ、メインではEVILが小島聡(49)を破り、2回戦に駒を進めた。

2人が持ち前のパワーでぶつかり合った。EVILは小島の右腕をリングの鉄柱にたたきつけるなど、腕を徹底攻撃。だが、小島は痛みをこらえてラリアットやエルボーで応戦。EVILがコーナーから雪崩式ブレーンバスターを繰り出し、重い音とともに小島をマットにたたきつけるが、小島はカウント2で返す。その後、ラリアット合戦で打ち勝った小島がとどめを刺そうとするが、EVILが巧みに切り返してEVILを決め、3カウントを奪った。

EVILはリング上で「今年のニュージャパンなにがなんでも優勝してやる。なにがなんでもだ。よく覚えとけ」と優勝宣言。バックステージでも「内藤の持つベルト2本を奪い、覇者で王者の3冠王になってやる。よく、覚えとけ」と同じユニットの大将でIWGPヘビー、同インターコンチネンタル王者内藤哲也(38)撃破を予告した。

EVIL(右)は小島をマットにたたきつける(撮影・足立雅史)
EVILは小島に勝利しマイクパフォーマンスで雄たけびを上げる(撮影・足立雅史)

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内藤「息もあがって…」試合再開に新日本選手の声

SHO、YOH、オカダ組対高橋、鷹木、内藤組 試合に勝利し叫ぶ内藤(撮影・滝沢徹郎)

新日本プロレスが15日、新型コロナウイルス感染拡大の影響で止まっていた試合を、無観客で110日ぶりに行った。3カ月半も試合が空いたのは団体史上初めて。全6試合34選手が、久々のリングの上で躍動した。以下、出場選手の主なコメント。

第2試合タッグ戦出場の金丸義信「いい汗かいたし。これで今夜もいい酒飲めるだろう」

第4試合6人タッグ戦で勝利した田口隆祐「やっぱり今までお客様にすごい力をいただいてたんだなと、無観客試合をしてあらためて感じました」

第4試合6人タッグ戦出場の天山広吉「やっとこの日が、待ちに待ったこの日がやって来てね。俺的には、コロナ、ふざけんな、タコ! 3カ月半、ほんまイライラして、ストレスがたまりまくって、どこにぶつけたらいいって。とにかく試合やって、リングに上がって、暴れて、全部をぶつけるって、その気持ちですよ」。

第4試合6人タッグ戦出場の小島聡「プロレスラー生活29年にして、初めての無観客での試合。このキャリアにしてこの初めての経験っていうのは本当に大きいから。これを経験した俺とか天山とかはっきり言って絶対に誰もかなわないぞ。自信もってやってやるよ。(16日から始まるニュージャパン杯で)ぶっちぎりで優勝してやる」

第5試合8人タッグ戦出場の永田裕志「キャリア28年で初の無観客試合。いろんな雑音、試合前あったけど何のことはなかったですね。客を意識するんじゃなく、客の目を向けさせろ。それを思い出して、なかなか今日はいい気持ちで試合ができた」

第5試合8人タッグマッチ出場の飯伏幸太「ちょっと興奮しすぎましたね。またこうやってみんなの前でプロレスができて、ほんと最高です」

第5試合8人タッグ戦出場の棚橋弘至「(無観客は)選手にとってすっごい経験になる! どう伝えるか、どう魅せるか、どう戦うかっていう経験値が。だからこそ会場でみんなに見てもらった時に今の経験が生きてくると思うし、応援してくれるファンのみなさんの存在がどれだけうれしくて、ありがたくて、プロレスラーにとって尊いものかっていうことを、今選手は感じていると思います」

第6試合6人タッグ戦出場の高橋ヒロム「ああ! ああ! ああああ! ああなんて面白すぎるんだ。なんて面白いんだプロレスって! こんなに面白くて、こんなに快感なんだ!」

第6試合6人タッグ戦で勝利した内藤哲也「久々のリング、久々の試合。息もあがって、非常に苦しい試合でしたよ。なんかこんなにプロレスってしんどかったかな、って。でも楽しかったな、楽しかったよ」

第6試合6人タッグ戦出場のオカダ・カズチカ「お客さんがいようがいなかろうが、リング上の戦いは変わらないんでね。こうやって110日ぶりに試合ができたということは、小さな一歩なのか、大きな1歩なのか。それを決めるのはまだ誰も分からない。でも、これから僕たちがしっかりやっていくことによって、今日の1歩が大きな1歩だったね、と言えるようになるんじゃないかなと思います。まだまだ大変な状態ですけど、新日本プロレスさすがだね、スポーツ界やエンターテインメント界みんなから、さすが新日本プロレス、今日の1日は良かったよって言ってもらえるように、これからもしっかりやっていきたいと思います」

オープニングで記念撮影する棚橋(前列右から2人目)ら(撮影・滝沢徹郎)
SHO、YOH、オカダ組対高橋、鷹木、内藤組 YOH(左)にデスティーノを決める内藤(撮影・滝沢徹郎)
真壁、永田、飯伏、棚橋組対DOUKI、鈴木、ザック・セイバーJr、タイチ組 入場しポーズを決める棚橋(撮影・滝沢徹郎)

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真壁刀義、06年悪役転向を決めた屈辱体験/連載3

06年7月6日、後楽園ホールで行われたIWGPヘビー級選手権で永田裕志を鎖で攻撃する真壁刀義(左)

プロレスには不思議な力がある。24年間、プロレス界の天国も地獄も見てきた真壁刀義(47)の視点からプロレスの力を見つめ直す。

連載の第3回は、人気低迷の中で試行錯誤していた時期をたどる。

【取材・構成=高場泉穂】

◇  ◇  ◇

小泉純一郎首相が劇場型政治を繰り広げ、ヒルズ族が世をにぎわせていた00年代後半、プロレス人気は低迷していた。

00年前半にブームとなった総合格闘技PRIDEやキックボクシングK-1の人気におされて、という面もある。

だが、真壁はプロレスとも総合格闘技ともいえない「中途半端な試合をしていた」自分たちのせいだと語る。

「俺たちは本物のプロレスをしてなかったのよ。それがすべて。なんちゃって総合格闘技なら、総合格闘技みればいいじゃん。プロレスのチケットは高い。8000円とか1万円とか、1日働いた分かかる。その金に見合ったものを客は見たいのよ。喜びとか、悔しさとか、怒りとか。観客が一番シビアなの」

プロレスが人気を誇っていた90年代までとは違い、スポーツに限らず、娯楽の対象は多種多様になった。その中で、身銭をきって見ようと思える面白さがあるか? 真壁の言う通り、ファンの目は厳しかった。

離れていったファンを取り戻すため、それぞれの団体、選手が試行錯誤を続けていた。その中で特別な個性もなく埋没していた真壁は、思いきって悪役=ヒールに転向した。

きっかけは、06年5月に行った長州力プロデュースの「LOCK UP」大会。他団体選手も多く交じるこの興行に参戦した真壁は、インディー団体アパッチプロレス軍の金村キンタローから「真壁は呼んでねぇ」と侮辱された。同時に客にも笑われた。その言葉が真壁の心に突き刺さった。屈辱だった。

97年のデビュー以来、脇役であり続けた真壁の中の何かがはじけた。

「自分の価値を思い知らされた。恥ずかしかった。だから、俺は鬼になった。やることなすこと全部変えてやろうと」

そこから真壁はかつてのレジェンド、ヒールとして一時代を築いたブルーザー・ブロディのスタイルに影響を受けた“暴走キングコング”というスタイルを作り上げた。

入場曲にブロディと同じ「移民の歌」を使い、8キロもある鎖を首に巻いた。デビュー9年目にして、誰が見てもひと目でそれと分かるキャラクターを確立した。

当時の新日本のエースは棚橋と中邑。真壁は正統派の2人と違う何かを求め、インディー団体の試合に参戦し、デスマッチも経験した。

名門新日本の選手がインディーの大会でデスマッチをするというのは、はたから見れば“左遷”に見えたかもしれない。だが、真壁はその中で多くの事を学びとった。

「おれはそれまで死にもの狂いで練習してたから、技術や強さで金村たちに負けるわけないと思っていた。だけど、いざ戦ってみると、彼らの方が試合で何を見せたらいいか、どうしたら自分の面白いところを見せられるか分かってたんだ」

ヒールになった真壁は会社や他の選手、自分自身に対して思っていた怒りを試合でぶちまけた。その熱い戦いがファンを引きつけた。09年夏にG1初優勝を果たし、翌10年には中邑真輔を破り、IWGPヘビー級王座初戴冠。「俺みたいな雑草が天下をとる、世にも奇妙な物語が始まったわけだ」。

プロレスは一筋縄ではいかない。だから面白い。その一方で、自分のスタイルを貫き革新を起こそうとした選手もいた。

新日本プロレスの棚橋弘至だ。07年にIWGPヘビー級を初戴冠。その頃から「愛してま~す」の決めぜりふを使い始めたが、どこか軽くうつる棚橋は、旧来のファンにブーイングを浴び続けた。

それでも棚橋は揺るがない。自らに「100年に一人の逸材」とキャッチコピーをつけ、ファンに向かって「愛してま~す」と言い続けた。

09年の年明けの名物大会「1・4」では、全日本のトップでありレジェンドの武藤敬司に勝利。エースの存在感を示しつつあった。エアギターや試合後のハイタッチで幸福感を演出する棚橋、対して鎖を手に暴れるヒール真壁。新たな個性を持った選手が、ファンの支持を得ていった。

プロレス界は05年に橋本真也、09年に三沢光晴と2人の偉大な選手を失う。40歳という若さでの橋本の病死も、試合中の事故で亡くなった三沢の死も、社会に大きな衝撃を与えた。

ノアを率いていた三沢は生前「プロレスをメジャーに」と願い、新日本、全日本に呼びかけ統一機構の設立に動いていた。結局、実現に至らなかったが、プロレス界は新しく生まれ変わろうとしていた。

経済が傾き、次々と社会問題が起こる時代。人々はプロレスに非日常とハッピーを求めたのかもしれない。

ドロドロした感情が渦巻く過去のプロレスとはまた違う、明るく楽しいプロレス。新日本のエース棚橋が作ってきた価値観に時代が追いついてきた。

11年2月、新日本プロレスの仙台サンプラザホール大会は、3200人の超満員となった。仙台での17年ぶりとなるIWGPヘビー級選手権のため、王者棚橋は大会前に宮城に乗り込み、テレビ、ラジオ各局、雑誌などさまざまなメディアでPRに駆けずり回っていた。

その棚橋の相手は当時全日本を退団し、フリーとなっていた小島聡。前年から新日本のトップ戦線をかき回していた“外敵”だった。新日本対外敵という分かりやすいストーリーと、激しい戦い。防衛した棚橋が作り出すハッピーな空間。会場は熱狂と幸福感にあふれていた。

メインで小島のセコンドにつくタイチを排除した真壁も大声援を受けた。1つ1つの反響の大きさに、選手もファンも新たな風を感じていた。

「まだ、場所によって(観客動員が)きついとこはきつかったけど、だんだんと会場が埋まり始めてきていた。さあこれから始まるぞ、新しい流れが始まるぞ、という時に、東日本大震災が起こったんだ」

それは、ようやく光が見えた矢先のことだった。

その仙台大会から18日後の2011年3月11日に東日本大震災が発生。多数の犠牲者を出し、東日本の太平洋沿岸部に甚大な被害をもたらした。

ただ、そんな中でも、プロレスは止まらぬどころか、その底力を発揮するのだった。(続く)

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プロレスは最強の格闘技…幻想崩れ人気衰退/連載2

真壁は棚橋弘至(右)と激しい場外乱闘を演じた(2003年4月19日撮影)

<真壁刀義が語るプロレスの力(2)>

プロレスには不思議な力がある。24年間、プロレス界の天国も地獄も見てきた真壁刀義(47)の視点からプロレスの力を見つめ直す。第2回は、プロレスが格闘技に揺さぶられ、人気衰退していった時期をたどる。【取材・構成=高場泉穂】

◇  ◇  ◇

強さは、さまざまな魅力を持つプロレスの1つの要素にすぎない。だが、90年代後半から00年代にかけて、プロレスラーたちはひたすら強さを求めた。総合格闘技やキックボクシングがゴールデンタイムで放送され、人気を得ていた時代。“プロレスは最強の格闘技”の信念を持つアントニオ猪木は、自身がオーナーである新日本プロレスの選手と総合格闘家を戦わせ、プロレスの強さを世間に示そうとした。戦うなら負けるわけにはいかない。真壁ら新日本の選手たちは戸惑いながらも、格闘技の技術を磨き始めた。

「橋本対小川戦(注)の影響が大きかった。相手が仕掛けてきたら、やらなきゃだめだろ、というのは当時話していたよね。結局俺たちは夢見がちなクソガキの集まりで、強くなろうとこの世界に入ってるからさ。道場での合同練習が終わって、ヘロヘロなのに、みんな着替えてさらにボクシングやキックの練習とかしてた。ただ、上にのし上がってということばかり考えていたから、みんながむしゃらになってやってたよ」。

猪木は新日本プロレスのオーナーでありながら、総合格闘技団体PRIDEと深く関わり、藤田和之、ケンドー・カシンこと石沢常光や永田裕志らを次々と総合のリングにあげた。00年1月30日、PRIDEの初代王者を決めるトーナメント開幕戦が東京ドームで行われ、藤田は総合格闘技デビューする。当時新日本の寮長を務めていた真壁は後輩を引き連れ、生観戦した。結果は藤田がオランダのハンス・ナイマンに1回KO勝ち。まだ数試合残っていたが、真壁は藤田の勝利を見届けると、すぐ寮へと戻った。「あぁ、藤田くんよかったな。総合のリングでも結果出したな、って。安心したと同時に、なおさらエンジンがかかったよ」。スポットライトを浴びるには、格闘家ともやりあえる藤田のような強さを求めるしかなかった。

同時に新日本のリングでも、プロレスとも格闘技とも言えない試合が増えていった。01年6月、王者藤田と挑戦者永田によるIWGPヘビー級選手権は両者が、主に総合の試合で使用されるオープンフィンガーグローブを着用。馬乗りでの顔面殴打やグラップリングなどの総合格闘技の要素とプロレス技がまじった不思議な試合が展開され、藤田が膝蹴りKOで防衛した。浮上のきっかけをつかめない真壁は「これは俺のやりたいプロレスか?」と自問自答していた。

「当時はみんな、強くならなければ、って比重がそっちにいってたんだよね。でも、おれがガキの頃にワクワクしたのってそういうものだけじゃない。リング上で繰り広げられる、どろどろした人間模様が好きだったんだ。猪木さんがよだれ垂らしながら『てめー、このやろー』って。ああいうものに刺激されたんだよね。それなのに、なんで俺格闘技ライクなことやってんだろう、ってずっと思ってた。同じ戦いではあるかもしれないけど、直接的に戦うことと、相手の技を受けて倒すという、やり方、見せ方が違う。だから自分の中ではこれじゃねえな、と思ってたよね。総合格闘技を否定するんじゃなくて、自分を否定してたの。俺、何やってんのかな、って思ってさ。それだったら、最初から格闘技団体入ればいいじゃんって思ったの」。

葛藤を抱いていたのは真壁だけではなかった。小川との因縁試合で会社に不満を持った橋本は00年に新日本を辞め、ZERO-ONEを旗揚げ。「プロレスは芸術」の信念を持つ武藤敬司も02年に、小島聡、ケンドー・カシンを引き連れ、全日本へ移籍した。格闘技ともプロレスともいえない試合が増え、求心力をもった新たなスターもいない。全国どこの会場でも超満員だったはずが、次第に観客は減っていった。

「その流れは止められなかった。与えられた自分の試合を一生懸命やるよ。でも、控室に帰って、その日のセミとかメイン見るじゃん。なんでこんなのやってんのって思ってた。こんな試合を見せて、誰が喜ぶの、って」。

05年11月には、経済的に苦しくなったオーナーの猪木が新日本の株を手放し、新たにゲームソフト制作会社ユークスが親会社となった。翌06年には、不満を持った選手が大量離脱した。海外遠征から帰国し、さぁこれからと意気込む真壁は、大先輩が高級車を乗り回す姿に触発され、約1000万円のフェラーリ・テスタロッサを購入したばかりだった。だが、下がった給料ではとても維持できない。すぐに手放し、軽自動車に乗りかえた。

「なんかね、もうやってらんねえな、と思ったよ。今だから笑える話だけどさ、新日本やめようと思ってたからね。他団体に行こうと思ったけど、どうせならプロレスごとやめようと思っちゃった。プロレスやめて、学生時代にやってた建設業をやろうと思ってた。自分自身を否定してた。でも、俺はとどまった。なんでかって、夢だよね。ガキのころに憧れて入った新日本プロレスに入ってさ、やっぱり何かを残したいと思うし、おれが昔、狂喜乱舞したようなプロレスを客に見せたいなと思ったの。でも、その時は理想と現実の差がありすぎたのかな。会社の連中が何を考えているのか、何が正しいのか。具体的に何をすればいいのか、その時はわかんなかった」。

もう1つのメジャー団体、全日本も99年にジャイアント馬場が亡くなり、大きく揺らいだ。内紛が起こり、三沢光晴は多くの選手を引き連れ、00年にノアを旗揚げした。

猪木、馬場の時代は終わった。何度もプロレスラーが格闘家に敗れ、「プロレスは最強の格闘技」という幻想も崩れた。観客がどんどんプロレスから離れていく。その中で、プロレスラーはリングで何を見せるのか。それぞれの団体、選手が試行錯誤していた。

プロレスに限らず、物事がうまくいかない時、人は自分のことを棚に上げ、周囲の環境や他人を責めることがある。デビューから8年たっても活躍できない真壁もそうだった。だが、06年5月のある試合をきっかけに真壁は動きだす。「鬼になったよ。これじゃだめだ。このままじゃ、俺ぱっとしないで終わるなって。だから、やることなすこと全部変えてやろうと思った」。そして、真壁はヒールになった。その1歩が、プロレス界を新たな方向へ動かしていくこととなる。

(注)99年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会での橋本真也対小川直也戦。猪木が、格闘技路線の新団体「UFO」の刺客として送り込んだ小川が、橋本をボコボコにする。6分58分で無効試合となり、波紋を呼んだ。

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武藤敬司プロデュース公演、28日に予定通り開催

昨年行われたプロレスリング・マスターズ大会 後方左から2人目が武藤敬司(2019年8月30日撮影)

プロレスラー武藤敬司(57)がプロデュースする「プロレスリング・マスターズ」は27日、28日の東京・後楽園大会を予定通り開催すると発表した。

新型コロナウイルス対策として来場者にマスク着用などを呼びかけるほか、観戦キャンセル希望者には返金対応する。大会は武藤の師匠であるアントニオ猪木氏が来場。メインイベント出場予定だった新日本プロレス天山広吉、小島聡が欠場となり、藤波辰爾、藤原喜明組対武藤、スーパーJ組にカード変更となった。また、プロレスリング・ノアは3月8日の横浜文化体育館大会、全日本プロレスは3月7日千葉・銚子大会を延期するとそれぞれ発表した。

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中西学は最後も背骨折り…27年幕「感謝しかない」

引退セレモニーで新日本プロレスの選手たちに胴上げされねぎらわれる中西(撮影・河田真司)

<新日本:後楽園大会>◇22日◇東京・後楽園ホール

新日本の“野人”中西学(53)が27年間のプロレスラー人生に幕を下ろした。

22日の東京・後楽園ホール大会で同じ第三世代の永田裕志、天山広吉、小島聡と組み後藤洋央紀、飯伏幸太、棚橋弘至、オカダ・カズチカ組と対戦。最後は棚橋に抑え込まれたが、札止め1720人の前で全力のラストファイトを披露した。

先陣を切ってリングインし「最高のパートナーに助けられ、最高の相手4人」と渡り合った。永田に誤爆されると、得意のアルゼンチン式背骨折りを2度繰り出す。棚橋も担ぎ上げて仕留めにいくが、最後はハイフライフローに沈んだ。

引退セレモニーでは坂口征二顧問から「一番最高やった」、藤波辰爾から「まだいい体なのに」、馳浩専大OB会長に「面白かった」と惜しまれた。10カウントゴング後、選手に3回胴上げされリングをおりた。

五輪出場、G1優勝にIWGPヘビー級王座も手にした。首のケガが引退を早めたが「みんなに感謝しかない」と涙ぐんだ。「死ぬまでプロレスラー。トレーニングも続けて携わっていきたい」。家業の茶栽培を手伝いながら、新日に恩返しをしていくつもりだ。

◆中西学(なかにし・まなぶ) 1967年(昭42)1月22日、京都市生まれ。専大時代にレスリング全日本選手権4連覇。92年バルセロナ五輪代表。同年8月に新日本に入団。97年に小島聡とIWGPタッグ王座獲得。99年G1優勝。09年IWGPヘビー級王座。得意技はアルゼンチン式背骨折り、原爆固めなど。186センチ、120キロ。

引退セレモニーで新日本プロレスの選手たちにとポーズを決める中西(中央)(撮影・河田真司)
引退セレモニーで10カウントゴングに臨む中西(撮影・河田真司)

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