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プロレスは最強の格闘技…幻想崩れ人気衰退/連載2

真壁は棚橋弘至(右)と激しい場外乱闘を演じた(2003年4月19日撮影)

<真壁刀義が語るプロレスの力(2)>

プロレスには不思議な力がある。24年間、プロレス界の天国も地獄も見てきた真壁刀義(47)の視点からプロレスの力を見つめ直す。第2回は、プロレスが格闘技に揺さぶられ、人気衰退していった時期をたどる。【取材・構成=高場泉穂】

◇  ◇  ◇

強さは、さまざまな魅力を持つプロレスの1つの要素にすぎない。だが、90年代後半から00年代にかけて、プロレスラーたちはひたすら強さを求めた。総合格闘技やキックボクシングがゴールデンタイムで放送され、人気を得ていた時代。“プロレスは最強の格闘技”の信念を持つアントニオ猪木は、自身がオーナーである新日本プロレスの選手と総合格闘家を戦わせ、プロレスの強さを世間に示そうとした。戦うなら負けるわけにはいかない。真壁ら新日本の選手たちは戸惑いながらも、格闘技の技術を磨き始めた。

「橋本対小川戦(注)の影響が大きかった。相手が仕掛けてきたら、やらなきゃだめだろ、というのは当時話していたよね。結局俺たちは夢見がちなクソガキの集まりで、強くなろうとこの世界に入ってるからさ。道場での合同練習が終わって、ヘロヘロなのに、みんな着替えてさらにボクシングやキックの練習とかしてた。ただ、上にのし上がってということばかり考えていたから、みんながむしゃらになってやってたよ」。

猪木は新日本プロレスのオーナーでありながら、総合格闘技団体PRIDEと深く関わり、藤田和之、ケンドー・カシンこと石沢常光や永田裕志らを次々と総合のリングにあげた。00年1月30日、PRIDEの初代王者を決めるトーナメント開幕戦が東京ドームで行われ、藤田は総合格闘技デビューする。当時新日本の寮長を務めていた真壁は後輩を引き連れ、生観戦した。結果は藤田がオランダのハンス・ナイマンに1回KO勝ち。まだ数試合残っていたが、真壁は藤田の勝利を見届けると、すぐ寮へと戻った。「あぁ、藤田くんよかったな。総合のリングでも結果出したな、って。安心したと同時に、なおさらエンジンがかかったよ」。スポットライトを浴びるには、格闘家ともやりあえる藤田のような強さを求めるしかなかった。

同時に新日本のリングでも、プロレスとも格闘技とも言えない試合が増えていった。01年6月、王者藤田と挑戦者永田によるIWGPヘビー級選手権は両者が、主に総合の試合で使用されるオープンフィンガーグローブを着用。馬乗りでの顔面殴打やグラップリングなどの総合格闘技の要素とプロレス技がまじった不思議な試合が展開され、藤田が膝蹴りKOで防衛した。浮上のきっかけをつかめない真壁は「これは俺のやりたいプロレスか?」と自問自答していた。

「当時はみんな、強くならなければ、って比重がそっちにいってたんだよね。でも、おれがガキの頃にワクワクしたのってそういうものだけじゃない。リング上で繰り広げられる、どろどろした人間模様が好きだったんだ。猪木さんがよだれ垂らしながら『てめー、このやろー』って。ああいうものに刺激されたんだよね。それなのに、なんで俺格闘技ライクなことやってんだろう、ってずっと思ってた。同じ戦いではあるかもしれないけど、直接的に戦うことと、相手の技を受けて倒すという、やり方、見せ方が違う。だから自分の中ではこれじゃねえな、と思ってたよね。総合格闘技を否定するんじゃなくて、自分を否定してたの。俺、何やってんのかな、って思ってさ。それだったら、最初から格闘技団体入ればいいじゃんって思ったの」。

葛藤を抱いていたのは真壁だけではなかった。小川との因縁試合で会社に不満を持った橋本は00年に新日本を辞め、ZERO-ONEを旗揚げ。「プロレスは芸術」の信念を持つ武藤敬司も02年に、小島聡、ケンドー・カシンを引き連れ、全日本へ移籍した。格闘技ともプロレスともいえない試合が増え、求心力をもった新たなスターもいない。全国どこの会場でも超満員だったはずが、次第に観客は減っていった。

「その流れは止められなかった。与えられた自分の試合を一生懸命やるよ。でも、控室に帰って、その日のセミとかメイン見るじゃん。なんでこんなのやってんのって思ってた。こんな試合を見せて、誰が喜ぶの、って」。

05年11月には、経済的に苦しくなったオーナーの猪木が新日本の株を手放し、新たにゲームソフト制作会社ユークスが親会社となった。翌06年には、不満を持った選手が大量離脱した。海外遠征から帰国し、さぁこれからと意気込む真壁は、大先輩が高級車を乗り回す姿に触発され、約1000万円のフェラーリ・テスタロッサを購入したばかりだった。だが、下がった給料ではとても維持できない。すぐに手放し、軽自動車に乗りかえた。

「なんかね、もうやってらんねえな、と思ったよ。今だから笑える話だけどさ、新日本やめようと思ってたからね。他団体に行こうと思ったけど、どうせならプロレスごとやめようと思っちゃった。プロレスやめて、学生時代にやってた建設業をやろうと思ってた。自分自身を否定してた。でも、俺はとどまった。なんでかって、夢だよね。ガキのころに憧れて入った新日本プロレスに入ってさ、やっぱり何かを残したいと思うし、おれが昔、狂喜乱舞したようなプロレスを客に見せたいなと思ったの。でも、その時は理想と現実の差がありすぎたのかな。会社の連中が何を考えているのか、何が正しいのか。具体的に何をすればいいのか、その時はわかんなかった」。

もう1つのメジャー団体、全日本も99年にジャイアント馬場が亡くなり、大きく揺らいだ。内紛が起こり、三沢光晴は多くの選手を引き連れ、00年にノアを旗揚げした。

猪木、馬場の時代は終わった。何度もプロレスラーが格闘家に敗れ、「プロレスは最強の格闘技」という幻想も崩れた。観客がどんどんプロレスから離れていく。その中で、プロレスラーはリングで何を見せるのか。それぞれの団体、選手が試行錯誤していた。

プロレスに限らず、物事がうまくいかない時、人は自分のことを棚に上げ、周囲の環境や他人を責めることがある。デビューから8年たっても活躍できない真壁もそうだった。だが、06年5月のある試合をきっかけに真壁は動きだす。「鬼になったよ。これじゃだめだ。このままじゃ、俺ぱっとしないで終わるなって。だから、やることなすこと全部変えてやろうと思った」。そして、真壁はヒールになった。その1歩が、プロレス界を新たな方向へ動かしていくこととなる。

(注)99年1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会での橋本真也対小川直也戦。猪木が、格闘技路線の新団体「UFO」の刺客として送り込んだ小川が、橋本をボコボコにする。6分58分で無効試合となり、波紋を呼んだ。

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タイガー服部「もう時間」レフェリー生活44年で幕

引退セレモニーでオカダ(左)から花束を受け取り労われるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)

タイガー服部(74)が44年のレフェリー生活に幕を下ろした。

19日、新日本プロレス後楽園大会のセミ、メイン2戦を裁き、メイン後の引退セレモニーでは10カウントゴング、胴上げで送られた。

76年に米国でレフェリーデビュー。以来、95年北朝鮮・平壌でのアントニオ猪木-リック・フレアー戦、99年1月4日の橋本真也-小川直也戦などプロレス史に残る数々の試合を裁いてきた。

優秀な海外選手を招くなど、コーディネーターとしても新日マットを支えた。レフェリーが引退試合を行うのは異例。それだけ選手からの信頼は深かった。

セレモニーには、ザ・グレート・カブキ、馳浩、武藤敬司、長州力ら豪華ゲストが来場。天龍源一郎、アントニオ猪木からはビデオメッセージが届き、猪木氏からは「長い間本当にご苦労さまでした」とねぎらわれた。

会場は1600人の超満員。マイクを取った服部レフェリーは「コロナという不気味なものに負けないで、これだけたくさん来られて感謝しております」とまずあいさつ。

そして、「自分はこのユニークなスポーツに出会えて、一生プロレスというものを愛し、だけど自分の人生という感じがします。素晴らしいことも友情もいろいろありますが、裏切りもあります、悲しいこともあります。まるで自分の人生みたいな感じがします」とプロレスと自分の人生を重ねた。

選手、スタッフ、ファンに感謝を述べ、「こういう思い出は一生忘れないように頭の中に刻んで生きていきたいと思います」と目を潤ませた。10カウントゴングの後、米国時代の盟友、故マサ斎藤さんの入場テーマが流れる中、選手らに胴上げされた。

レフェリーとしての哲学は「選手を邪魔しない。無駄な場所にいないこと」。それがうまくできなくなったため、「もう時間だな、と思って」と自ら引退を決めた。

最後の3カウントをたたき、「やり切った感があった。燃え尽きました」。1年新日本との契約を延長し、米国での興行、イベントを裏方で支える予定だ。

【高場泉穂】

引退セレモニーでタイガーマスク(左)と握手を交わすタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
後藤(右奥)にオコーナーブリッジを仕掛けるSANADA(手前右)にカウントをとりにかかるタイガー服部レフェリー(撮影・河田真司)
タイガー服部レフェリー(中央)引退セレモニーでリングに上がり写真に納まる、左から武藤敬司、長州力、1人おいてザ・グレートカブキ、馳浩(撮影・河田真司)
引退セレモニーでアントニオ猪木のサプライズビデオメッセージを見つめるタイガー服部レフェリー(右)(撮影・河田真司)

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30年続く「ドームプロレス」令和へ新たな進化も

89年4月、チョチョシビリに抑え込まれるアントニオ猪木

<平成とは・バトル編(5)>

昭和末期のプロレス界は新日本、全日本、国際の3団体だった。平成を迎えて団体の乱立、交流戦を通じた淘汰(とうた)、そしてK-1、PRIDEの隆盛による人気低下の時期を乗り越え、2010年(平22)以降から新日本が中心となって復活を遂げた。そんな激動続きの平成の時代に幕を開け、30年間続いたのは「ドームプロレス」だった。

平成元年の89年4月24日、アントニオ猪木がけん引した新日本が最初に東京ドームに進出した。前年にマイク・タイソンの世界戦が開かれていたこともあり、世界的規模を意識。「日ソ異種格闘技戦」と題し、旧ソ連VS新日本を演出した。メインではロープのない円形リングで、猪木が72年ミュンヘン五輪柔道金メダリストのチョチョシビリと対戦。裏投げ3連発でKOされる結末に大きなインパクトを与えた。

豪華かつ派手、話題性を加えるため、選手移籍などで緊張感のあった団体間の「壁」が崩れた。翌90年2月、2度目の新日本の東京ドーム大会で全日本勢が参戦。ジャンボ鶴田、谷津嘉章、2代目タイガーマスク、天龍源一郎がタッグ戦に出場。ビッグバン・ベイダーVSスタン・ハンセンという新日本と全日本のトップ外国人が激突した。同年4月には米WWF(現WWE)、新日本、による「日米レスリングサミット」も開催。ハルク・ホーガンらも参加し、ドームプロレスならではの夢対決が実現していった。

ドーム大会で実現させた新日本の交流戦は、特に注目度が高かった。高田延彦のUWFインターとの対抗戦では、闘魂三銃士の1人、武藤敬司が輝きを増した。95年10月9日の東京ドーム大会のメインで高田と対戦し、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。翌96年1月の東京ドーム大会での再戦は5年ぶりに地上波で生中継され、当時の武藤は「史上最大のイベントなんだから派手にやらなきゃ」と豪語した。97年には大阪、ナゴヤ、福岡を含めた4大ドームツアーが行われ、98年4月に猪木引退試合も開催。プロレス参戦した小川直也VS橋本真也との抗争など注目興行は00年初頭まで続いた。

その同時期からわき上がってきたK-1とPRIDEの隆盛で、ドームプロレスはピンチを迎えた。当時について武藤は「三銃士時代はドームと同じ時代を生きてきた。三銃士の成長曲線は、ドームのそれと一致している。オレたちが本流から外れ、ドームが寂しがっているようにも感じる」(09年日刊スポーツのインタビュー)と00年初頭まで続いた第1次ドームプロレスの終結を分析した。年2、3回のドーム大会を続けてきた新日本は集客に苦しみ、サイモン猪木社長(当時)は06年限りの撤退まで示唆する事態となった。

しかし危機こその結束感が当時の新日本にあった。中邑真輔は「新しい時代をつくる。絶対に最後のドームにしない」と全選手の言葉を代弁。社内会議は揺れ動いたが、菅林直樹副社長(現会長)は開催に反対意見があったことを認めた上で「待っているだけでは追い風は吹かない。最後は全員一致でした」と存続を決めた経緯を明かしていた。

一転、開催された07年1月4日のドーム大会は新日本35周年記念興行だった。武藤率いる全日本の全面協力を得て大会名も「レッスルキングダム」へ。06年以降は1月4日の年1回のドーム大会となったものの、年間最大の祭典に据えたことで全体の展開も分かりやすくなった。12年に凱旋(がいせん)帰国したオカダ・カズチカの活躍も重なり、団体の人気が回復を遂げた。16年以降は新日本、海外招請選手のみでマッチメーク。平成最後のドーム大会でIWGP王者となった棚橋弘至は「東京ドーム大会を見れば全部分かる。1年間のゴールであり、スタート」と分かりやすさを強調。新規ファンを増やそうとする姿勢、環境も人気回復のポイントとなった。

令和初となる来年の「1・4」は、翌5日も続くドーム2連戦に決まった。フルサイズでのドーム連戦は初の試み。新日本が平成元年から30年間定期的に続け、死守してきたドーム大会。90~00年代の交流戦、対抗戦を通じた人気とは違い、新日本独自の世界観で演出する第2次ドームプロレスに変貌を遂げた。

ドームプロレスという「文化」は令和でも新たな進化を遂げていくに違いない。(敬称略)【藤中栄二】(この項おわり)

90年2月、スタン・ハンセン(左)にドロップキックを見舞うビッグ・バン・ベイダー
94年1月、アントニオ猪木(右)にパワーボムを見舞う天龍源一郎
95年10月、高田延彦にドラゴンスクリューを決める武藤敬司
99年10月、橋本真也(手前)を蹴り上げる小川直也
04年5月、アントニオ猪木は得意のパフォーマンスを見せる

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高2の内藤が飯塚勝利に「燃えたっす」/ドーム連載

おなじみとなったポーズで1・4東京ドーム大会へ不敵な笑みを浮かべる内藤哲也(撮影・小沢裕)

<俺の平成ベスト1・4(3)>

根っからのプロレス少年内藤哲也(36)が挙げたのは、自分の試合ではなく、初めて1・4を生観戦した00年(平12)橋本、飯塚対小川、村上のタッグ戦。負けると思っていた飯塚が勝利したことで「すごい燃えたっす」と懐かしそうに振り返った。

当時高校2年生だった内藤は新日本ファンクラブに所属していた。ミレニアムにちなんだ2000円の外野席チケットを先行予約で購入。大好きな武藤敬司のTシャツを着込み、足立区の実家からバイクを飛ばし、サッカー部の友人らと東京ドームへ乗り込んだ。

新日本と、アントニオ猪木が立ち上げた「UFO」が抗争を繰り広げていた時代。その焦点となっていた橋本でも小川でもなく、脇役の飯塚が勝った意外な結果に思わず、立ち上がって叫んだ。「僕を含め東京ドームにいる誰もが飯塚が勝つとは思っていなかった。だから、『うわー、飯塚勝ったー』と。ライトスタンドから、興奮して見ていたのを覚えています」。

来年1月4日は、ダブルメインの1つでIWGPインターコンチネンタル王者クリス・ジェリコに挑戦する。世界的なスター選手ジェリコが、愛する新日本のリングにスポット参戦して大きな顔をしているのは気に食わない。リング内外で火花を散らしてきた相手の「うるさい口をふさぎますよ」と言い放った。

外野席から見た経験があるからこそ分かる。「客席との距離があって盛り上がりにくいけど、その分大爆発する可能性がある」。過去8度の1・4での試合で盛り上がりの手応えを感じたのはセミファイナルで棚橋弘至を下した17年の「1度だけ」という。「どう見られているかは考えない。いま自分が何を見せたいか、やりたいかを一番大事にしたい」。本能に従った予測不能の戦いで、ドームに大爆発を呼ぶ。【高場泉穂】

◆00年1月4日新日本対UFOタッグ戦 橋本真也、飯塚高史(新日本)対小川直也、村上一成(UFO) それまで4度のシングル対決で抗争を繰り広げていた橋本と小川がタッグで対戦。途中、村上の蹴りで飯塚が戦闘不能となり無効裁定となったが、UFO総裁のアントニオ猪木が登場し、試合続行を宣言。復活した飯塚が8分59秒で村上をスリーパーホールドで仕留めた。

00年1月、東京ドーム大会のタッグ戦で攻め合う飯塚高史(左)と村上一成

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栃ノ心が大関昇進披露会「番付も番付…」患部大丈夫

大関昇進披露パーティーで小川直也氏(右)から花束を贈呈される栃ノ心

今年5月の夏場所後に昇進を果たした栃ノ心(30=春日野)の大関昇進披露パーティーが1日、東京・文京区の東京ドームホテルに、関係者約1300人を集めて盛大に開かれた。

パーティーには八角理事長(元横綱北勝海)ら親方衆、力士では鶴竜(33=井筒)、白鵬(33=宮城野)、稀勢の里(32=田子ノ浦)の3横綱、豪栄道(32=境川)と高安(28=田子ノ浦)の両大関らが出席。八角理事長らがあいさつした後、栃ノ心が壇上に立ち「お疲れさんでございます」の発声の後、感謝のあいさつ。「日本の心、(出身地)ジョージアの心、相撲の心、春日野部屋の心を大切に、日本とジョージアのみなさんのために、さらに上を目指して稽古に精進、努力します」と謝意を示した。

鏡開きでは、先代春日野親方(元横綱栃ノ海)の花田茂広氏と八角理事長にはさまれて、豪快に木槌を振り下ろし、たるのふたを割った。また乾杯の後には、同じ明大出身で師匠と親交のある、92年バルセロナ五輪柔道男子95キロ超級銀メダリストで小川道場の小川直也道場長から花束を贈呈された。

大勢の関係者の前で晴れの席に臨んだ栃ノ心だが、新大関の名古屋場所では右足親指を負傷し途中休場。8日後に初日を迎える大相撲秋場所(両国国技館)は、負け越せば関脇陥落のかど番で迎える。パーティー前に取材に応じた栃ノ心は「プレッシャーもあるけど番付も番付だし、頑張らないといけない。3、4日前に申し合い(稽古)も始めたし、しっかり場所が始まるまで稽古して今場所を迎えたい。(患部は)それほど痛くはないし、稽古できないわけじゃない。大丈夫、頑張るしかない」と気丈に話した。披露パーティーには「こんなにたくさんの人が集まるとは思わなかった。すごくうれしい。もっともっと頑張らないといけない」と奮起を誓った。

大関昇進披露パーティーで鏡割りする栃ノ心(中央)と八角理事長(右)
大関昇進披露パーティーであいさつする栃ノ心

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小川直也が格闘家引退 今後は長男雄勢の柔道指導へ

小川直也(左)と小川雄勢(2017年12月3日撮影)

 プロ格闘家の小川直也(50)が、プロレス、総合格闘技から引退することが12日までに分かった。小川が自らのブログで明らかにした。

 小川は柔道で全日本選手権7度優勝、92年バルセロナ五輪2位、96年アトランタ五輪5位の成績を残し97年2月にプロ格闘家に転向。同年4月の橋本真也戦でデビューした。橋本との激闘は、当時のプロレス界でも注目を集めた。その後、総合格闘技にも参戦。エメリヤーエンコ・ヒョードルや、同じく柔道界から転身した吉田秀彦らとも対戦した。04年に参戦した「ハッスル」でのハッスルポーズがトレードマークとなった。

 小川はブログで「ファンの皆様、21年間本当に応援どうもありがとうございました。サラリーマンでは絶対に出来なかった経験をたくさんさせて頂きました」「今回この様な卒業に至った経緯は、子供に必要とされた事」となどとつづっている。今後は柔道界復帰を目指し、20年東京五輪の柔道日本代表候補となっている長男雄勢(21=明大)の指導に当たるという。

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小川直也がマラウイ初J選手にハッスルポーズ伝授

サッカーJ3YS横浜の新入団会見で取材に初挑戦した小川直也は、新入団のリンジェ選手にハッスルポーズを伝授

 格闘家の小川直也(49)が、サッカーJ3のYS横浜に新入団のMFジャブラニ・リンジェ(23=マラウイ)にハッスルポーズを伝授した。

 小川は5日、横浜市内のYS横浜事務所で行われた新入団会見で、リンジェ選手への取材に初挑戦した。明大の後輩で、プロレスラーのKENSOこと鈴木健三(43)が共同テレビでプロデューサーを務める関係で、この日の取材が実現。記者席の最前列に陣取り、アフリカ・マラウイから初のJリーガーとなったリンジェに「来日2週間で、YS横浜の練習に参加した印象は?」「日本のサッカー選手で知っている選手は?」など、次々に質問していった。最後には「ボクもプロレスでファンを楽しませるために、ハッスルしている。リンジェ選手もゴールを決めたら、ボクのハッスルポーズをやってください」と、ゴールパフォーマンスにハッスルポーズを約束させた。

 小川は、鈴木がプロデュースし制作中の番組「前へ~明大ラグビー部のキセキ~」(3月31日、BSフジで放送)のナビゲーターにも挑戦している。

 インタビューを終えた小川は「なかなか面白い。取材は言葉のキャッチボールというけど、オレの場合はいかにハッスルに持っていくか。話を聞きながら、ハッスルにたどりついて良かった」と話した。最近は、リングから遠ざかっているが「今は、柔道の方で子ども(雄勢=21=明大3年)のサポートが多い。そちらの方が面白い」と20年東京五輪の柔道日本代表を目指す長男の応援に忙しい様子だった。

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魔裟斗ら発掘の秘蔵っ子4人が代理戦争へ早くも舌戦

前列左から中嶋、スソン、小倉、松村の各出場選手。後列左から武尊、山本、小川、魔裟斗の各推薦人(撮影・吉池彰)

 K-1フェザー級王者武尊(26)が12日、都内で行われた「ROAD TO K-1&300万円トーナメント」調印式に出席した。

 同トーナメントは武尊に魔裟斗、山本”KID”徳郁、小川直也という4人の格闘技界のレジェンド&トップファイターによって発掘された選手が、K-1ルール(肘打ちなしのキックボクシング)で戦うAbemaTVの番組「格闘代理戦争」の目玉イベント。この日は、来年1月8日に新宿FACEで開催の大会を盛り上げようと、武尊ら4人とその秘蔵っ子4人が顔をそろえ、いずれの師弟コンビも必勝を誓った。

 1月8日に1回戦2試合が行われ、決勝は後日開催(未定)。対戦カードは武尊推薦のキック選手中嶋志津麻(18=体重63キロ)-山本推薦のテコンドー選手スソン(21=67キロ)、魔裟斗推薦のキック選手松村英明(25=67キロ)-小川推薦の柔道選手小倉拓実(21=68キロ)に決まった。

 それぞれの推薦選手について、武尊は「(優しそうな)こんな顔だが、気持ちはめっちゃ強い」、山本は「キックでも総合でもトップの選手を目指す」、魔裟斗は「ミドル級クラスのパンチがある」、小川は「下馬評最下位からのまさかを期待してほしい」と自信を見せた。

 優勝者はK-1グループとプロ契約できる上、大会を放送するAbemaTVから賞金300万円をもらえるとあって、選手4人は気合十分。中嶋は「10代で全員倒して優勝できたらおもしろい」、スソンは「地味な選手が優勝しても何にもならない」、松村は「魔裟斗さんのようなスーパースターになる」、小倉は「柔道では修羅場をくぐり抜け(中高で)2度頂点に立った。心配ない」と、早くも舌戦を交わしていた。

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小川直也に猪木魂注入、ロスで弟子入り/復刻

1997年3月4日付日刊スポーツ1面(東京版)

<日刊スポーツ:1997年3月4日付>

 プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月4日付紙面を振り返ります。1997年の1面(東京版)で元柔道世界王者の小川直也がアントニオ猪木に弟子入りしたことを報じています。

◇   ◇   ◇

 元柔道世界王者の小川直也(28)が、新日本プロレス会長のアントニオ猪木(54)に弟子入りした。小川は1日、2月27日に渡米した猪木を頼ってロサンゼルス入り。今日3日(日本時間4日)から現地のグレイシー柔術、キックボクシング・ジムなどを渡り歩き、総合格闘家としてのトレーニングをすることになった。猪木の「闘魂」を胸に秘めた小川は4月12日、東京ドーム大会で格闘家、小川直也としてデビューする。

 新日本プロレスとの契約が秒読みとなっている小川は、米ロサンゼルスにいた。小川が頼ったのは、世界格闘技のネットワークづくりのために渡米していた猪木。現在、猪木と行動を共にしている佐山聡(元タイガーマスク)と一緒に、既に米国に飛んでいたのだ。

現役時代から「柔道がすべてではない」と話していた小川にとって、すべての格闘技を通じ「最も強いものは何か」は永遠のテーマ。それを追求するために、1976年(昭51)の柔道王ウイリアム・ルスカ戦を皮切りに、ムハマド・アリ(ボクシング)ウイリー・ウイリアムス(空手)らとの対戦で、異種格闘技路線を確立させた猪木は最高の師だった。

 小川は今日3日から、猪木のもとで本格的な格闘技修行に入る。プロレスを含め現在の格闘技界は、異種格闘技戦と呼ばれる種類、流派を問わない戦いが人気。その頂点が、急所打ち、目つぶし、かみつき以外はOKというケンカ大会(アルティメットファイト)だ。もともと「格闘技はすべて好き」という小川は、プロレスでなく格闘家から始めることになる。

 柔道家としては完成されている小川だが、ルールに縛られた戦いしか経験がないのが弱点。ノールールに対応することを目的に、日本古来の柔術からブラジルで発展を遂げたグレイシー柔術からトレーニングを始める。佐山と親交の深い第一人者ヒクソン・グレイシーの道場に出向く今日3日が、小川の新しい格闘人生の始まりとなる。

また、マーシャルアーツと呼ばれるキックボクシング系のジムにも入門し、蹴り、打ち、組み、投げを自在に扱える総合格闘家への変身も目指す。このほかにもロサンゼルスにはあらゆる種類の格闘技のジムが点在していることから、ジャンルに捕らわれない修行ができる。

 現在、プロレスから離れて独自の格闘技路線を行く猪木への弟子入りで、小川のレスラーとしての新日本プロ入門は当面見送られる。「今度、大きいヤツが来る」とうれしそうに話していた猪木にとっても、まずは素質を持つ小川を世界最高の格闘家に育てることが最大の目標となる。

いくら世界王者といっても、プロレスでは素人。一人前になるには時間もかかる。しかし、柔道を生かした「総合格闘技」なら即戦力間違いなし。39日後に迫った4月12日の東京ドーム大会では、柔道世界一の誇りを胸に柔道着を着用しての登場となる。猪木の「闘魂」をその巨体に宿し、小川がリングに上がる。

 ◆小川の今後 小川が第二の人生をいきなりプロレスではなく、総合格闘家に求めた選択は正しい。現在最も注目されているのはどんな試合にも対抗できる格闘家で、スタイルが幅広い日本のプロレスでいえばパンクラスが筆頭株だ。

現に総合格闘家としてWWFに入ったケン・ウェイン・シャムロックもパンクラスで活躍した選手だ。相手が距離を保った場合は蹴りやパンチで応戦。組んでくる選手には投げからひじ、腕などの関節技に入る。また、後ろに回っては首絞めなどの攻撃にも移行できる。

 小川には柔道というきちんとした下地があり、投げから抑え込みに入るタイミングなどは、柔道の試合でも実証済み。足払いを発展させた本格的な蹴りをマスターできれば、怖いものなしの格闘家となる。

☆輪島と北尾の修行

 ◆輪島大士(元横綱) 1986年(昭61)4月13日に全日本プロレス入りを発表し、ハワイで修行生活に入った。砂浜でのランニング、腕立て伏せ200回、スクワット1000回などがノルマだった。7月にはミズーリ州セントルイスに移り、元NWA王者パット・オコーナーに師事。8月7日、ジャイアント馬場とのタッグで海外プロレスデビュー。その後もプエルトリコなど各国を回って技を磨き、11月1日に日本デビューを果たした。

 ◆北尾光司(元横綱) 89年(平元)6月2日にプロレス入り。バージニア州ノーフォークで、鉄人ルー・テーズからプロレスの基礎をみっちりとたたき込まれる。朝は砂浜でのランニング、午前中はウエートトレを行い、夕方からテーズ道場での特訓。スクワット、ブリッジ、受け身、グラウンド練習をこなし、フリースパーリングで終了。10月にはミネソタ州ミネアポリスに移り、アマレス出身のブラッド・レイガンズの下で実戦練習。12月に帰国し、翌90年2月10日に新日本プロレスからデビューした。

 ◆小川直也(おがわ・なおや) 1968年(昭43)3月31日、東京・杉並区生まれ。私立八王子高入学と同時に柔道を始め、明大1年の86年全日本学生選手権で優勝した。翌87年に、史上初めて10代(19歳7カ月)で世界選手権優勝を果たすなど、同大会通算優勝4回(無差別級3回、95キロ超級1回)。全日本選手権優勝7回は、山下泰裕氏の9回に次いで史上2位を誇る。五輪での金メダルに縁がなく、92年バルセロナ大会(95キロ超級)は銀、昨年のアトランタ大会(同)は5位に終わった。家族は葉子夫人と1男。193センチ、130キロ。五段。

※記録と表記は当時のもの

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「GENOME35」公開記者会見が無料配信

 格闘技イベント「GENOME35」(26日午後7時開始、東京ドームシティホール)の公開記者会見の模様が、YAMADA動画LIVE「バトルトピック闘道館」で無料配信されている。

 同会見は大会前日の25日午後7時から、東京・新宿のアントニオ猪木酒場で行われ、アントニオ猪木本人が登場した。猪木と出場選手のあいさつのほか、猪木誕生日お祝いイベントも実施された。

 配信URLは、http://live2.mymd.jp/news/archives/300。検索バーに「YAMADA動画」でもアクセスできる。

 「GENOME35」では、小川直也-青木真也、藤田和之-クラッシャー川口、鈴川真一-天田ヒロミ、モハメッド・バハラミ-ホドリゴ、王彬(ワン・ビン)-スーパー・タイガー、ボブ・サップ-ケンドー・カシン、将軍岡本-柴田正人が対戦する。

 当日券は、立見=3500円(税込み)のみ午後5時から販売される。詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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アントニオ猪木が25日GENOME35会見に登場

 格闘技イベント「GENOME35」(26日午後7時開始、東京ドームシティホール)の公開記者会見が、大会前日の25日午後7時から、東京・新宿のアントニオ猪木酒場で行われるが、アントニオ猪木本人の登場が決定した。

 イベント冒頭には猪木のあいさつ、猪木誕生日お祝いイベント、出場選手記者会見が予定されている。

 ファン公開で行われ、ビュッフェ形式の食事とドリンク飲み放題となっている(午後9時30分まで)。完全予約制で料金5000円。予約はアントニオ猪木酒場=03・5155・7680へ(午後5時~午前3時受け付け)。

 なお、「GENOME35」では、小川直也-青木真也、藤田和之-クラッシャー川口、鈴川真一-天田ヒロミ、モハメッド・バハラミ-ホドリゴ、王彬(ワン・ビン)-スーパー・タイガー、ボブ・サップ-ケンドー・カシン、将軍岡本-柴田正人の対戦が組まれている。

 同酒場の住所は新宿区新宿5-17-13、新宿OWビル7F。詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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INOKI BOM-BA-YEをBSフジで放送

大みそかの興奮がよみがえる(C)IGF

 昨年大みそかに開催された「INOKI BOM-BA-YE2015」(東京・両国国技館)が31日午後1時から同2時25分まで、BSフジで放送される。

 注目の「小川直也-橋本大地」は、“破壊王-暴走王”も実況した辻よしなりが実況する。

 ◆ナビゲーター 辻よしなり

 ◆ゲスト 森下悠里

 ◆実況 市川勝也、辻よしなり(小川直也-橋本大地のみ)

 ◆解説 中村拓己、佐藤正行、“Show”大谷泰顕

 大会の詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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アントニオ猪木酒場でIGF3など上映会

IGF3等の激闘を上映するアントニオ猪木酒場の看板

 IGFでは、「INOKI GENOME FIGHT 3(IGF3)」(4月11日、東京・両国国技館、日刊スポーツ新聞社後援)など大会の模様を、アントニオ猪木酒場で上映する。

 上映大会はIGF3をはじめ、GENOME33(5月5日)、GENOME34(6月27日)、IGF4(8月29日)ほか。上映カードは、IGF3から石井慧-ニック・ロズボロウ、藤田和之&ケンドー・カシン-小川直也&沢田敦士、ミノワマン-オリィ・トンプソンなどが予定されている。

 アントニオ猪木酒場(東京・新宿区新宿5-17-13、新宿OWビル7F)の営業時間は、月~木・日が午後5時から深夜2時、金・土・祝前日が午後5時から深夜3時。アントンリブなどの闘魂レシピを堪能しながら大会を観戦しよう。

 詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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GENOMEクラッシャー川口vsエリック・ハマー

クラッシャー川口との対戦が決まったエリック・ハマー

 「GENOME33」(5月5日午後5時開始、大阪府立体育会館)で、クラッシャー川口-エリック・ハマー戦、沢田敦士-モンターニャ・シウバ戦が行われる。IGFが追加カードとして28日、発表した。

 そのほかの対戦は藤田和之&ケンドー・カシン組-鈴川真一&将軍岡本組、橋本大地-ヌックス、王彬(ワン・ビン)-ラジャ・シン、奥田啓介-中井光義、小川直也-ミノワマン。これで全カードが出そろった。

 入場料金など詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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IGF3、午後4時から当日券販売

 「INOKI GENOME FIGHT 3」(日刊スポーツ新聞社後援)は11日、東京・両国国技館で開催されるが、午後4時から当日券を会場で発売する。

 席種は次の通り(全席指定)。

 ◆マス7500円

 ◆2階イスA席7500円

 ◆2階イスB席5500円

 ◆2階イスC席3500円

 ※いずれも税込みで、マス席は合い席になる場合もある。また、整列状況によって販売開始時間が早まることもある。

 対戦カードは石井慧-ニック・ロズボロウ、藤田和之&ケンドー・カシン-小川直也&沢田敦士、ミノワマン-オリィ・トンプソンなど。詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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小川直也がありさとニコ生でIGF3直前情報

 “暴走王”小川直也が9日午後10時30分から無料生配信のニコニコ生放送の「闘魂IGFチャンネル」で、GENOME女子ありさと“合体”する。

 「INOKI GENOME FIGHT 3(IGF3)」(4月11日午後6時、東京・両国国技館、日刊スポーツ新聞社ほか後援)に向けた放送第5弾。小川が司会の週刊プロレス佐藤正行編集長、アシスタントありさと「IGF3」直前情報を届ける。

 放送内容は沢田敦士と組んで藤田和之&ケンドー・カシンと対戦する小川のIGF3への意気込み、プロレス女子ならぬGENOME女子ありさが語るIGFの魅力など。

 放送URLはhttp://live.nicovideo.jp/watch/lv215501441。検索バーに「ニコニコ 闘魂IGFチャンネル」でもアクセス可能だ。

 詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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IGF3全カード発表

IGF3でケンドー・カシンと組み、小川直也&沢田敦士組と対戦する藤田和之

 IGFは1日、「INOKI GENOME FIGHT 3」(4月11日、東京・両国国技館、日刊スポーツ新聞社後援)の全カードを発表した。

 カードは次の通り。

 ◆第1試合(15分1本勝負) スーパー・タイガー-奥田啓介

 ◆第2試合(20分1本勝負) 将軍岡本-橋本大地

 ◆第3試合(20分1本勝負) 王彬-X

 ◆第4試合(30分1本勝負) 小川直也&沢田敦士-藤田和之&ケンドー・カシン

 ◆第5試合(5分2ラウンド) 石井慧-ニック・ロズボロウ

 ◆第6試合 IGF WORLD GP トーナメント2015 リザーブマッチ(5分2ラウンド) 鈴川真一-ジン・イックテ

 ◆第7試合 IGF WORLD GP トーナメント2015 1回戦(5分2ラウンド) ディオン・スターリング-ヨセフ・アリ・ムハマド

 ◆第8試合 IGF WORLD GP トーナメント2015 1回戦(5分2ラウンド) フェルナンド・ロドリゲス・Jr-アントニー・リー

 ◆第9試合 IGF WORLD GP トーナメント2015 1回戦(5分2ラウンド) クリス・バーネット-エミル・ザハリヴ

 ◆第10試合 IGF WORLD GP トーナメント2015 1回戦(5分2ラウンド) ミノワマン-オリィ・トンプソン

 大会は午後5時開場、同6時試合開始。詳細および問い合わせはIGF=http://www.igf.jp/へ。

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小川と沢田がタッグ結成 IGF両国大会

 IGFの小川直也(47)は3月31日、都内の事務所で会見し、11日の両国大会(東京・両国国技館)で沢田敦士とタッグを結成すると発表した。「今プロレスに良い波が来ているし、自分が入った時以上の状態で次の世代にバトンを渡したい」と話した。

 同大会で再起戦に臨む総合格闘家の石井慧については「これからは自分で格闘家としての栄光を作れるように、一からやり直して欲しい」。

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“暴走王”小川直也がニコ生に生出演

トークでも暴走が期待される小川直也

 “暴走王”小川直也が4月9日午後10時30分から、ニコニコ生放送の「闘魂IGFチャンネル」に生出演する。

 「INOKI GENOME FIGHT 3(IGF3)」(4月11日午後6時、東京・両国国技館)に向けた放送第5弾。小川が司会の週刊プロレス佐藤正行編集長と「IGF3」直前情報を無料生配信する。

 放送URLはhttp://live.nicovideo.jp/watch/lv215501441。検索バーに「ニコニコ 闘魂IGFチャンネル」でもアクセス可能だ。

 詳細および問い合わせは、IGF=http://www.igf.jp/へ。

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IGF、ルスカ氏へ黙祷 メーン小川勝利

ルスカ氏の遺影を手に10カウントゴングで追悼する藤原(撮影・下田雄一)

 アントニオ猪木率いるIGFは20日、東京ドームシティホールでGENOME32大会を開催した。

 試合前には、14日に74歳で亡くなった柔道家ビレム・ルスカ氏をしのび、10カウントゴングと黙とうがささげられた。メーンは小川直也(46)がワン・ビンと組み、沢田、ミノワマン組と対戦。集中攻撃を浴びるも、沢田とのSTOの投げ合いを制し、最後は裸絞めで勝利を収めた。猪木会長は「今年は中国やキューバなど、いろんな所でイベントを仕掛けたい」と宣言し、得意の「1、2、3ダー!」で締めくくった。

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