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新日本、発熱2選手に続き7選手が感染 陽性の全選手は軽症もしくは無症状

新日本プロレスのエンブレム(2018年3月24日撮影)

新日本プロレスは9日、新たに7選手が新型コロナウイルスのPCR検査で陽性判定されたと発表された。

4月から5月にかけたシリーズ終了後、帯同メンバーを対象に実施し、判明したという。陽性判定を受けた全選手とも軽症、無症状ではあるものの、保健所、医療機関の指導のもと、隔離措置した上で治療に専念する予定。5月4日の福岡国際センターの午前中に発熱があった2選手も陽性判定を受けており、計9選手が感染したことになる。

新日本プロレスでは日常的な体温、血中酸素飽和濃度の把握、定期的なPCR検査をはじめたとした事前対策、巡業中も会場入り時の検温や練習中や控室のマスク着用義務、弁当形式の夕食、夜間外出の禁止などを実施してきた。公式サイトでは「今回の事象を重く受け止め、さらなる感染対策の強化を努めてまいります」と報告している。

同団体では現在、東京都の緊急事態宣言発令により8、10、11日の後楽園大会が中止。また、15日の横浜スタジアム大会、29日の東京ドーム大会も延期が発表されている。

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御嶽海、夏場所へ課題「スピード感」重たい相手に対して動きが悪い

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で6場所連続の三役在位となる小結御嶽海(28=出羽海)が2日、都内の部屋で基礎運動を中心に体を動かし、1週間後に迫った初日に向けて調整した。

稽古後、報道陣の電話取材に応じ「(目標は)2桁。(大関は)上がりたい地位。しっかり今できることをやっていきたい」と意気込んだ。

現在の課題は「スピード感」と明確に口にした。8勝止まりに終わった春場所を「自分が当たって前に出ている時に、横に動かれたりとか力比べしてしまう。高安関とか重たい相手に対して動きが悪いのかなと思いましたね」と振り返る。理想は新入幕から新三役まで駆け上がった16年ごろの相撲。「あのときをよく見返す。やっぱり反応、動きは良い。スピード=重さだと思っているので、スピードがあったからこそ相手に伝わっているものがあった」と、スピードと圧力の両立をイメージする。

春場所は3日目までの無観客開催が決まったが、史上初の無観客開催となった昨年3月の春場所では平幕で10勝を挙げるなど左右されなかった。「あまり気にしていない。無観客だからこそ頑張らないといけないのかなというのはありましたね」と、お茶の間の相撲ファンに思いをはせた。

コロナ禍で地元長野には昨年から1回しか帰っていない。「名古屋場所だったり東京場所のときも3場所に1回、多くて2回帰っていたので。3日4日はいた。コロナになって全然。親の方も帰ってこなくていいからって」。故郷の木曽町でスナックを経営する母マルガリータさんも、本場所の応援に駆け付けられていない。「もし(コロナに)かかって帰ってきたら影響しちゃう。電話では『そろそろ(国技館に)行っていい?』と聞かれますけど『いや来なくていいです』って。『お店を大事にしてください』って」と苦笑いだ。

先月28日に急性呼吸不全のため死去した境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)さんとは同学年で同じ出羽海一門。高校時代には対戦経験もあり、巡業などで会話を交わすこともあったという。響龍さんは春場所の取組で頭部を強打し、1カ月以上寝たきりの生活が続いていた。今回の事故が直接の死因か不明だが「本当に危険なことを僕たちはしているわけですから。気を引き締めたところでけがをするときはけがしますし。それは仕方ないですけど、けがしないように普段の準備はしっかりやらなければいけないというのは、改めて思いましたね」と話した。

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隠岐の海、響龍さん死去受け「一生懸命にやるだけ、それが最大限の予防」

大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)で西前頭12枚目に就いた隠岐の海(35=八角)が1日、昨年春場所以来となる無観客開催の場所に向けて気持ちを高めた。

都内の部屋での稽古後、報道陣の電話取材に応じ「(無観客は)そんなに嫌じゃない。逆にお客さんが入ってもシーンとしている方が緊張しますよ。自分結構土俵に上がるとむせるタイプなので、せき払いとかしづらいなあとか無観客の時はありましたけど、意外と稽古場みたいで自分は嫌いじゃないですけどね」と話した。

昨年秋場所から4場所連続で負け越しており、「やっぱり体が硬いですよ。小さなけがをかばっていると思いますし、その積み重ねが良くないのかもしれない」と不調の原因を分析する。7月には36歳の誕生日を迎えるベテラン。「もうひと花、もうひと花と思いながらやっているけどね。もうひと花と言いながら5年も10年もたっている」と笑った。

春場所後に旧東関部屋の力士が八角部屋に転属したため、計30人という大所帯となった。「いい雰囲気ですよ。東関部屋の魂もですね、(19年12月に41歳で死去した)前親方の潮丸関の気持ちを引き継いで一生懸命やってほしいですよね」と期待を寄せた。

悲しいニュースもあった。先月28日に境川部屋の三段目力士、響龍(ひびきりゅう)の天野光稀(あまの・みつき)さんが急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。響龍さんは春場所13日目の取組で、すくい投げを食った際に頭部を強打し、自力で立ち上がることができず都内の病院に救急搬送され、入院先で寝たきりの状態が続いていた。「つらいと思いますよ。対戦相手の子も。何もないと思ったって感じることがあるだろうし、自分らだってきついから」。

土俵に頭を打つなどの衝撃で電気が走り、腕が上がらなくなるなどのアクシデントは、力士にとって珍しくないという。「よくあることって『大丈夫、大丈夫』ってなっちゃうんですよね。やっぱり『それを乗り越えて先がある』ってなっちゃうし、顔から落ちろっていう指導もあるし。でも本当に危ないときは手を着かないといけないと思いましたよ」。自身も巡業の稽古で投げの打ち合いの結果、頭から落ちて腕のしびれが半日なくならなかったことがあるという。「紙一重なところをいっているんですよね。それを怖がって相撲にならないのもいけないですしね。こればかりは難しいですよ。だから我々は一生懸命にやるだけ。それが最大限の予防」と話した。

日本相撲協会の理事長を務める師匠の八角親方(元横綱北勝海)からは、響龍さんの死去を受けて力士に話があったという。「とにかくそれだけ危ないことをやっているんだという話はありましたね。気を引き締めてやらないとダメだ、と。改めて気を引き締めてやろうということはありましたね。それ以上、あまり言い過ぎても、かえってびびっちゃうし、頭にみんな残っていますからね、衝撃が。考えれば考えるほど怖いだろうし。一生懸命やるのが正解なんじゃないですかね」と話した。

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特等床山の床淀が定年退職「あっという間」胸の内に“誇り”生涯貫いた裏方

照強のまげを結う床淀。床淀が定年を迎えるため、記念に照強が自撮りした

大相撲の特等床山、床淀(とこよど、本名・天井康広)が18日に65歳の定年を迎え、日本相撲協会を退職した。1972年(昭和47年)に15歳で角界入りしてから丸50年。「ホッとしている気持ちが半分、さみしい気持ちが半分。いろんなことが走馬灯のように浮かんでは消えますが、あっという間でした」と電話インタビューに答えた。

入門したのは、元幕内二瀬山の朝日山部屋。力士志望だったが体格が基準に満たず、床山の道を選んだ。師匠の急逝にともない、部屋は元小結若二瀬へ継承され、その後は元大関大受の定年により閉鎖。2015年2月からは伊勢ケ浜部屋に転籍して、力士のまげを結い続けた。

床山は、行司や呼び出しのように本場所で土俵に上がることはない裏方。日ごろは所属する部屋で、本場所中は支度部屋でも力士の出番前と後にまげを結う。基本的に年功序列の世界。床淀は2019年初場所から床山の最高位、特等床山を務めてきた。

かつては、太寿山(現在の花籠親方)の大銀杏(おおいちょう)を担当する時期もあった。「そんなに年が変わらない関取を尊敬していました。付け人に怒っているのもあまり見たことがないやさしい人。こちらが相撲を取るわけではありませんが、負ければこっちも落ち込みました」。関取に最も近い場所で、ピリピリした雰囲気の支度部屋を体感してきた。

床山としての名前を2度も変えた珍しい経歴もある。入門時は、本名の康広から「床康(とこやす)」。「出羽海部屋の先輩で床安(とこやす)さんがいました。同じ宿にまとめて泊まる時、間違えられるので、『悪いけど変えてもらえないかな』ということで、変えたんです」。当時は東京・江戸川区に部屋があったため、「床江戸」に改名した。だが大阪出身であるため、その数年後に淀川の淀をとって「床淀」に落ち着いた。

仕事が第一ではあったが、巡業などで日本全国を回ったことが思い出として残っているという。このほど定年を迎えたが、コロナ禍にあるため、祝いの席などは設けなかった。昨年11月の九州場所、今年3月の春場所はいずれも東京開催になり、当地の人たちに会えなかったことが心残り。「コロナがいつ終息するか分かりませんが、落ち着いてから、お世話になった方々にあいさつにいきたいですね」と、定年後のささやかな楽しみを口にした。

最後に、後輩たちへのメッセージを-。「国技の伝統を受け継いでいるわけですから、誇りをもってやってもらいたいですね」。胸の内に「誇り」があったからこそ、生涯裏方を貫けたという。【佐々木一郎】

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日本相撲協会、秋と冬巡業は中止を発表 コロナ感染拡大の影響

日本相撲協会は13日、今年9月の秋場所後の秋巡業と11月場所後の冬巡業を、新型コロナウイルス感染拡大の影響により中止することを発表した。巡業開催は19年九州場所後の冬巡業が最後となっている。

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元関脇の麒麟児が死去、多臓器不全で67歳 108発の突っ張り合いも

1976年1月、大相撲初場所4日目 富士桜(左)と麒麟児

日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した。67歳だった。

強烈な突っ張りを武器に、幕内通算84場所で三賞受賞は11度。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として土俵を沸かせた。現役引退後は北陣親方として後進の指導に当たり、18年に日本相撲協会を退職していた。

   ◇   ◇   ◇

また1人、名力士がこの世を去った。日本相撲協会は、元関脇麒麟児の垂沢さんの死去を発表。協会関係者によると、15年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かったという。18年3月に65歳の定年を迎えたが、再雇用制度は利用せずに協会を退職。3年後の3月1日に、自宅で多臓器不全により死去した。近年は糖尿病と腎臓を患っていたという。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。

1967年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として、元横綱北の湖、元横綱2代目若乃花らとともに人気を誇った。1975年夏場所8日目の天覧相撲では、富士桜との計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いを披露。昭和天皇が身を乗り出して観戦された一番は、今も語り草となっている。幕内優勝こそ果たせなかったが、金星6個、三賞受賞は11度と実績を残した。

88年秋場所を最後に35歳で現役引退後、北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

◆麒麟児和春(きりんじ・かずはる)本名・垂沢和春。1953年(昭28)3月9日、千葉県柏市生まれ。67年夏場所初土俵、74年初場所新十両。同年秋場所で新入幕。強烈な突っ張りを武器に金星6個、殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞3回と三賞計11回受賞。最高位は関脇。幕内通算84場所で三役は通算17場所。通算773勝792敗34休。88年秋場所限りで引退し、年寄「北陣」を襲名。18年3月に日本相撲協会を定年退職。

麒麟児
北陣親方(元関脇麒麟児)(2008年09月6日撮影)
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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ゴルフ大好きグレート小鹿、松山偉業に感激「池ポチャにはオレが冷や汗」

グレート小鹿(2020年3月16日撮影)

松山英樹(29=LEXUS)が、日本男子ゴルフ界悲願のマスターズ優勝を果たした。これを受けて、国内最年長現役レスラーのグレート小鹿(78=大日本)も、松山の偉業に感激した。

「いやあ、感動するね。これまで、ジャンボ尾崎や青木功とか、多くの日本人が越えられなかった壁を越えて、グリーンジャケットに袖を通した。途中、15番で池ポチャしたときは、オレが冷や汗かいたよ。2日連続で早起きして、眠いけど、朝早くから日本国民に感動を与えてくれて、うれしいね」としみじみと話した。

米国でレスラーとして活躍していた1968年。ジョージア州アトランタで試合をしているときに、マスターズの存在を知った。

「米国でゴルフのすごい大会をやっているって。そのあと、ジャンボ尾崎が来るようになって、注目していたもんだよ。ジャンボ鶴田が来ていたときには、尾崎と会えないかって、いろいろ手配したんだよ。結局実現しなかったけど」

自身も、現役時代は1週間に5回プレーするほどのゴルフ好きだった。全日本時代は、ジャイアント馬場の運転手として、巡業のたびに全国のゴルフ場を回った。「馬場さんが、ゴルフ場の名前の入ったステッカーを集めるのが趣味で、ステッカー収集用のアルバムを何冊も持って回ったものです」。

「次に生まれ変わったらゴルファーになりたいと思った時期もあった。ゴルフは面白いね。松山は今日も試練を乗り越えて頑張った。彼の表情が印象的だったね。失敗しても“しまった”っていう顔をしないし、表情が変化しない。オレからみたら、とても安心感があった」と、松山のプレーに感動しきりだった。

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鶴竜「井筒は継ぎます」亡き師が認めた指導者の資質

元関脇逆鉾の井筒親方(右)と鶴竜(2016年11月27日撮影)

<とっておきメモ>

鶴竜を入門時から育てた元関脇逆鉾の井筒親方は、鶴竜の指導者としての資質を認めていた。親方が亡くなる1年4カ月前、2018年夏場所中、国技館内の巡業部室で話を聞いた。

まだ鶴竜が日本国籍を取得する前のこと。引退後の見通しは立っていなかったが、井筒親方は鶴竜の将来を案じていた。

「先行きは自分で決めること。自分で決めていい。自分がそうしたいというならそうするし、本人も最近は考えているところがあるみたい。僕としては、鶴竜は技術的にも(いいものを)持っているし、性格も穏やかだから、指導者として適任ではないかと思っています。もちろん、本人がほかにやりたいことがあるならしょうがないけど」

この前年、鶴竜は6場所中5場所で休場していたが、年が明けて復活。18年春場所は8場所ぶり4度目の優勝を果たしており、井筒親方の気持ちも落ち着いていた。

井筒親方は膵臓(すいぞう)がんを患い、2019年9月16日に58歳で亡くなった。部屋は閉鎖となり、鶴竜らは陸奥部屋に転籍した。

師匠の告別式が終わった後、近親者だけが残った最後の席で、鶴竜は決意を口にした。「井筒は、僕が継ぎます」。横綱は引退後、現役名のまま5年間は日本相撲協会に残れる。今後の見通しははっきりしないが、この5年のうちに何らかの名跡を取得することになるだろう。

鶴竜の付け人経験者は皆、その人柄に魅了され、この人のために力を尽くそうとしてきた。きっといい親方になる。天国の師匠は、心配してない。【佐々木一郎】

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明生が引退鶴竜に感謝「声をかけていただいた横綱」

明生(左)は寄り切りで逸ノ城を破る(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇11日目◇24日◇東京・両国国技館

東前頭3枚目明生(25=立浪)が、引退した横綱鶴竜に感謝の思いを口にした。

この日は巨漢の西前頭6枚目逸ノ城を下して6勝目。右前みつ、左を深く差し込んで寄り切った。「集中して攻めることができた。どんどん調子上がってきていると思う」と手応えを口にする。

引退した鶴竜には、巡業で気にかけてもらうことが多かった。稽古熱心な一方で、オーバーワーク気味な明生に「体を大事にしなさい。休むの稽古のうち」と声をかけてくれた。「巡業でよく稽古を見ていただいて、声をかけていただいた横綱でした」。19年名古屋場所での初挑戦は完敗。「1回対戦して負けているので、次は、という思いはずっとありました」と残念がった。

逸ノ城(手前)を寄り切りで破る明生(撮影・河田真司)

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生き仏のような鶴竜、気は優しく後輩指導は的確

笑顔で優勝パレードに出発する鶴竜(2019年7月21日撮影)

<とっておきメモ>

「約束」が果たされることがないまま、鶴竜が引退した。最後の優勝となった19年名古屋場所後、8月の夏巡業で知人から譲り受けた写真を見せた。鶴竜の母校の写真だ。ウランバートルの第31小中高。バスケットボールに夢中だった当時の話や、父が大学教授とあって、小中高生が時間をずらして同じ学校に通うなどの教育環境の不十分さ、環境改善に尽力したい思いなどを熱く語っていた。当時は「優勝10回」を目標に掲げた直後。「この話は次に優勝した時で」。そう約束したが「次」はなかった。

初めて朝稽古を訪れた時に驚かされた。平幕だった11年前、人けのない当時の井筒部屋を訪れると、すでに軽めの稽古を終えた鶴竜は、上がり座敷で新聞を読んでいた。文字がびっしりの一般紙の経済面。多くの外国出身アスリートは、会話はできても特に漢字の読み書きが不得手。だが鶴竜は「漢字の勉強になるし、経済のことを勉強するのも無駄じゃないから」と、笑って話した。興味を持つとのめり込むタイプ。大好きなサッカーやNBAの知識は豊富で、スマホのサッカーゲームも「たぶん1000万円ぐらい課金してますよ」とある力士は明かす。

静かに燃える男だった。対横綱は朝青龍に7戦全敗で、白鵬には初顔合わせから20連敗していた。普段の柔和な笑顔とは対照的に、平幕のころの鶴竜はガムシャラだった。白鵬の顔面を何度も張り、怒った白鵬からぶん投げられた。それでも次はまた顔を張った。そしてまた投げられた。「誰かに対して怒ったことは、生まれてから1度もない」という、生き仏のような性格。挑発や報復ではなく、ただ全力で壁に向かった。

シャイな性格で、本音を打ち明けられるのは親友の玉鷲ぐらいだろう。それでも11年に、東日本大震災の被災地を巡回慰問した際は「自分は横綱(白鵬)のように有名ではないけど、少しでも被災者の方を励ましたい」と、炊き出しのちゃんこを配り歩き、求められれば全員と握手した。気は優しくて力持ち。後輩の指導も的確で、元付け人でやんちゃな現在幕下の阿炎も鶴竜を尊敬してやまない。

「もし、私を受け入れてくれる部屋がありましたら、その方々の気持ちにこたえるべく、一生懸命がんばりたいと思います。立派な力士になるように精一杯(いっぱい)稽古にはげみます」。何のつてもなく日本相撲振興会などに、無謀な手紙を送って力士人生が始まった。当時の井筒親方(元関脇逆鉾=故人)に声を掛けられ、高校を中退して初来日してから20年。「ケガさえ治れば」。稽古場ではまだまだ強さを見せていただけに、無念の思いはあるだろう。それでも常に言い訳をしないのは、尊敬もしている同世代の稀勢の里の影響もある。全力士の中でも屈指のきれいな日本語を使い、達筆となった鶴竜。相撲道は、道半ばで幕を閉じた。【高田文太=10~11、17~19年大相撲担当】

小中高生が同じ校舎に通う、鶴竜が卒業したウランバートルの第31小中高
小中高生が同じ校舎に通う、鶴竜が卒業したウランバートルの第31小中高
小中高生が同じ校舎に通う、鶴竜が卒業したウランバートルの第31小中高

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貴景勝かど番脱出王手「知らなかった」横綱鶴竜引退

霧馬山を突き出しで破り、懸賞金の束を手に土俵から引き揚げる貴景勝(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇11日目◇24日◇東京・両国国技館

大関貴景勝(24=常盤山)が、かど番脱出に王手をかけた。

東前頭4枚目霧馬山を突き出して7勝4敗とした。立ち合いから突きを下からあてがわれ、やや押し込まれたが、体勢は崩れることなく逆襲に転じた。

横綱鶴竜が引退したことについては「知らなかったです」と、報道陣のリモート取材で一報を知ったという。「いま知ったので簡単に(言葉は)出てこないけど」と前置きした上で「巡業で横綱が一生懸命体を動かしていたら、自分たちもやらなきゃと思う。言葉ではなくて、いろんなものを勉強させてもらいました」と話した。

番付上では1横綱、3大関に。看板力士として、さらなる活躍が求められることになりそうだが「成績残していくことが、そういうものにつながる。いまできることを一生懸命やるしかない」と話した。

霧馬山を突き出しで破った貴景勝(撮影・丹羽敏通)

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高安、苦手正代に破れ2敗目/11日目写真特集

<大相撲春場所>◇11日目◇24日◇東京・両国国技館

大関復帰を目指す関脇照ノ富士が勝ち越しを決めた。隆の勝との関脇対決。立ち合い、突き放したい相手の右腕をたぐって半身にすると素早く左上手を取って一気に寄り切った。

序二段で復帰した19年春場所から12場所連続の勝ち越し。大関復帰の勝ち星の目安、三役で3場所合計33勝にもあと1勝と“王手”をかけた。

優勝争い単独トップの小結高安は、7連敗中と苦手の大関正代に突き落とされて2敗目を喫した。

大関朝乃山が勝ち越して3敗を守った。照ノ富士、平幕の翔猿と3人が1差で高安を追う展開となった。

大関貴景勝は霧馬山を突き出して7勝目とし、かど番脱出に王手をかけた。


英乃海寄り切り千代翔馬

☆英乃海「先に上手を取られたが、攻めることができてよかった。最近、ここ何場所かとったりとかで負けていたんで、手をあまり出さないよう気をつけていきました」

英乃海(左)は寄り切りで千代翔馬を破る(撮影・小沢裕)


照強寄り切り魁聖

照強(左)を寄り切りで破る魁聖(撮影・河田真司)


豊山押し倒し碧山

★豊山「くっついて前に出たかったが、強引なやつにやられた。体は動いている。まだまだ終わったわけじゃないんで残り4日、必死に相撲とりたい」

碧山(手前)に押し倒しで敗れる豊山(撮影・河田真司)


明瀬山寄り切り剣翔

★明瀬山「うまくやられました。相手が上手でした。結構疲れてますけど、みんな疲れてるんで。毎場所、こんな感じですね。いつも疲れてます」

剣翔(左)に寄り切りで敗れる明瀬山(撮影・河田真司)


千代の国寄り切り大奄美

千代の国を押し出しで破り、勝ち名乗りを受ける大奄美(撮影・河田真司)


琴恵光突き落とし翔猿

琴恵光(右)を突き落としで破った翔猿(撮影・丹羽敏通)

琴恵光(右)を突き落としで破った翔猿(撮影・丹羽敏通)


琴ノ若寄り切り竜電

琴ノ若を寄り切りで破り、土俵から引き揚げる竜電(撮影・河田真司)


翠富士押し倒し

翠富士(右)を押し倒しで破る輝(撮影・河田真司)

翠富士(左)を押し倒しで破った輝(撮影・丹羽敏通)


栃ノ心叩き込み千代大龍

☆栃ノ心「落ち着いていますけど、なかなか勝てないね。(体は)厳しい状態になってきたがあと4日、頑張ります。(鶴竜の引退に)何度も胸を借りたし、対戦もした。私と同じ年代の人が辞めていくのは寂しいけど、いずれその時期がくるんでしょうね」

千代大龍(右)をはたき込みで破る栃ノ心(撮影・河田真司)

千代大龍(左)をはたき込みで破った栃ノ心(撮影・丹羽敏通)


豊昇龍掬い投げ隠岐の海

☆豊昇龍「いい感じで当たったけど、すぐに差された。親方からも「差されないように」言われていたけど、勝って本当によかった。(引退の鶴竜に)場所に来て知ってびっくりした。合同稽古でも胸を出してもらったし、感謝いっぱい。その気持ちを持って、頑張っていきたい」

豊昇龍(手前左)はすくい投げで隠岐の海を破る(撮影・小沢裕)


明生寄り切り逸ノ城

☆明生「集中して攻めることができた。どんどん調子が上がってきていると思う。(引退した鶴竜について)巡業でよく稽古を見ていただいて、声をかけていただいた横綱でした。(自分が)無理して稽古する場面が多かったので、そういうところをちゃんと見てくれて体を大事にしなさいと言われた。休むのも稽古のうちと言われた。1回対戦して負けているので、次はという思いはずっとありました」

明生(左)は寄り切りで逸ノ城を破る(撮影・小沢裕)


玉鷲押し出し若隆景

玉鷲(右)を押し出しで破る若隆景(撮影・河田真司)


宝富士押し出し志摩ノ海

☆宝富士「今日は気合入りました。昨日取組が終わって家帰ったら(近大で同期の)徳勝龍からラインがきた。『お互い星が上がっていないので頑張ろうよ』ときたので気合が入った。後半頑張って少しでも白星を伸ばせたら。(鶴竜引退について)自分がとやかく言うことじゃないが、苦しいところもあったんじゃないか。お疲れさまですと言いたいです」

志摩ノ海(左)を押し出しで破る宝富士(撮影・河田真司)


阿武咲突き落とし大栄翔

阿武咲(右)を突き落としで破る大栄翔(撮影・河田真司)

阿武咲(右)を突き押しで攻める大栄翔(撮影・小沢裕)


北勝富士押し出し御嶽海

☆北勝富士「(御嶽海には)連敗だったけど、ここで勝つことができて良かった。(22日に第1子となる長男が誕生)まだ実感はわかないけど、場所が終わったら(母子ともに)帰ってくる。そのときに実感というか、責任感が増すと思う」

御嶽海(右)を攻める北勝富士(撮影・河田真司)


照ノ富士寄り切り隆の勝

☆照ノ富士「(立ち合い相手の右をたぐる)狙ってはないけど、たまたまそういう形になった。とりあえず33勝、そこから一番一番集中して頑張っていきたい。(同じモンゴル出身の鶴竜が引退したことについて)新弟子の頃からかわいがっていただいた。昔から尊敬していた横綱。最後にこうやって上がってきて、もう1度(鶴竜と)相撲を取りたいという気持ちはありました。それは残念。何事も真面目に取り組む横綱で、自分が言うのもあれだけど(鶴竜の取り組みから刺激を受けて)自分でもやらないといけないなという気持ちになった。寂しいけど、次の世代の自分らが頑張らないといけない」

隆の勝(右)を寄り切りで破る照ノ富士(撮影・河田真司)


正代突き落とし高安

☆正代「立ち合いから左がのぞいて、勢いを相手に伝えられてよかった。(単独トップの高安への意識は)あまりそういう意識はなかった。思い切り圧力をかけられる立ち合いができるようにだけです。踏み込んで前に持っていく相撲がとれたんで、残り4日にいい影響が与えられると思う」

正代(左)に突き落としで敗れる高安(撮影・河田真司)

高安を突き落としで破った正代(撮影・丹羽敏通)


貴景勝突き出し霧馬山

☆貴景勝「一生懸命やることしかないので、とにかく集中して取りたいと思っている。(鶴竜が引退)知らなかったです。いま知ったので、簡単に(言葉は)出てこないけど、巡業で横綱が一生懸命体を動かしていたら自分たちもやらなきゃと思う。言葉ではなくて、いろんなものを勉強させてもらいました」

霧馬山(右)を突き出しで破る貴景勝。土俵下中央は朝乃山(撮影・河田真司)

霧馬山を突き出しで破った貴景勝(撮影・丹羽敏通)


妙義龍寄り切り朝乃山

朝乃山(左)は寄り切りで妙義龍を破る(撮影・小沢裕)

朝乃山に敗れ、土俵から引き揚げる妙義龍(撮影・河田真司)

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八角理事長「再びお目にかかる日を待ち望んで」

日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)が11日、この日で発生から10年たった東日本大震災について、協会を通してコメントを発表した。コメントは以下の通り。

「東日本大震災の発生から10年を迎えました。震災でお亡くなりになられた多くの方々のご冥福を心からお祈りするとともに、ご遺族の方々や、今もなお避難生活を余儀なくされ、ご不自由な生活を送られている皆さまに、心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。東北地方は相撲どころとして、巡業でも何度も訪問いたしましたが、震災後も毎年、復興を祈る奉納土俵入りや慰問などで被災者の皆さまとふれあってまいりました。残念ながら今は、コロナ禍でお伺いすることはできませんが、再びお目にかかる日を待ち望んでおります。古来から力士の四股は、邪悪なものを土の下に踏み固める力があると言われてきました。横綱の土俵入りは、五穀豊穣と世の中の平安を祈願するためのものです。協会員一同、1日も早い復興を心より祈念しております。三月場所も力士一同、力強い取組を披露する所存であります」

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御嶽海、痛めた右胸付近は「しっかり治療できた」

御嶽海(2021年1月17日撮影)

大相撲の小結御嶽海(28=出羽海)が8日、報道陣の電話取材に応じ、春場所(14日初日、東京・両国国技館)に向けて万全を強調した。

初日まで1週間を切ったこの日は、都内の部屋で幕下、三段目を相手に約20番相撲を取って調整。2月の合同稽古では、2日目の21日に横綱鶴竜と相撲を取った際に右胸付近を痛め、稽古を切り上げる場面があり「胸筋あたりが筋肉が固くなった。つった感じ。力も入らなかった部分があった」と当時の状況を説明。現在は「しっかり治療できたので今のところ問題はない」と、順調に回復していることを明かした。

関脇から小結に陥落した初場所では9勝を挙げて、三役の地位を守った。先場所は正代、朝乃山、貴景勝の3大関を撃破。「一番負けたくない3人。先に大関に上がられてしまったふがいなさもあるので」と、長く大関候補と呼ばれてきた意地を見せた。春場所では照ノ富士が大関復帰に挑み、初場所覇者の大栄翔は大関候補としても注目を集める。「周りは周りでやってほしい。(自身も)のんびりはしていられないのでね。自分のペースで周りを見ずにやっていきたい」と、マイペースを貫いて再び大関の地位を目指す。

東日本大震災から11日で10年。御嶽海は当時、東洋大入学前だったが、すでに入寮していたため東京にいた。「いろいろモノが倒れて大変だった。部屋とかちゃんこ場、調理場とかが使えなかったり、大変な部分があった」と地震の恐怖を体験。角界に入り、巡業などで被災地を訪れる機会もあった。「現場を目の当たりにして声も聞いた。相撲って特別みんなに勇気を与えられる日本の国技だと思う。みんなが見てくれているので、しっかり盛り上げていきたいなと思う」。節目の年に、土俵上での勇姿を見せることを誓った。

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2代目若乃花と隆の里が乗った伝説の夜行列車を解明

著書「大相撲と鉄道」が発売された行司の木村銀治郎

<「大相撲と鉄道」後編>

大相撲の幕内格行司、木村銀治郎(46=峰崎)の初の著書「大相撲と鉄道」がこのほど、交通新聞社新書から出版された。この本の魅力について、銀治郎に聞いた。後編です。【取材・構成=佐々木一郎】

-本書では、角界における伝説の夜行列車「ゆうづる」についても解き明かしています。今から50年以上前、当時の二子山親方(元横綱初代若乃花)が、青森で2人の少年をスカウトし、同じ列車で上京。2人はのちに横綱2代目若乃花と横綱隆の里になりました。本書では、あの列車を特定しました

「あの列車について、正確に書かれた文献がまったく見当たらなかったんです。いいかげんに書かれたものもありました」

-上京したのは昭和43年6月6日と書かれていましたが

「いろんな文献で、日にちは分かっていました。当事者が後年語っていた内容には、やや記憶違いになっていた部分もありました。例えば、寝台3段の真ん中に寝たって書いてあったものもありましたが、A寝台に3段はないので、真ん中に寝るのは不可能です。文献は花田勝治さん(元横綱初代若乃花)や、若三杉さん(のちの横綱2代目若乃花)の自伝や、ベースボール・マガジン社のDVDマガジンなども確認しました。当時の時刻表は、本当は鉄道博物館で調べたかったのですが(昨年の一時期は)閉まっていたので、ヤフオクで落札しました」

-時刻表で、ゆうづるは1日1往復だったことがわかったんですね

「そうです。何時まで寝台が使えるかどうかも時刻表を見れば書いてあります」

-鳴戸親方(元横綱隆の里)が後年「茨城県に差しかかるころには外は明るかった」と証言したことをもとに、本書では列車の通過時刻と日の出の時刻まで調べてありました

「日の出の時間は、気象台のホームページで調べました。資料が公開してあるサイトがあるんです」

-すべて分かった時は、どう思いました

「調べれば分かることだったんで…。きちんとやっておかないといけないんじゃないかと思っていました。自分もちょっとこだわっていたところなんです」

-コロナ禍にあり、今は本場所の地方開催や巡業がありません。早く元に戻って欲しいですね

「僕も丸1年、東京駅に行っていません。7月は、名古屋に行きたいですね。鉄道と一緒でトンネルをくぐったら、必ず出口はあるんですよ。どんなに真っ暗な長いトンネルでも前に進んでいれば光は見えてくる。あとは抜けるだけです。僕らは止まっちゃいけないんです。まだトンネルの中にいますが、早く抜けられるように努力しないといけませんね」

著書「大相撲と鉄道」が発売された行司の木村銀治郎

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鉄道好き行司に聞いた!初著書で力士大移動の舞台裏

門司港駅のホームでポーズを取る木村銀治郎

<「大相撲と鉄道」前編>

大相撲の幕内格行司、木村銀治郎(46=峰崎)の初の著書「大相撲と鉄道」がこのほど、交通新聞社新書から出版された。鉄道ファンでもある銀治郎が、鉄道による力士大移動の舞台裏や、相撲界の鉄道にまつわる逸話などを書き込んだ。この本の魅力について、銀治郎に聞いた。まずは前編。【取材・構成=佐々木一郎】

-本の反響はいかがですか

「SNSなどでは『読んで分かりやすかった』という声をいただいています。『大相撲と鉄道』という切り口なので、大相撲側から鉄道を見る、鉄道側から大相撲を見る、どちらの視点も意識して書きました。大相撲側から鉄道、鉄道側から大相撲をのぞく機会は、これまではあまりありませんでした。どちらにも強いマニアがいます。鉄道ファンが相撲列車(※1)などをきっかけに大相撲に目を向けてくれたらうれしいですし、大相撲ファンが鉄道にも目を向けてくれたらいいですね」

-もともとは能町みね子さん(※2)が書くかもしれない本だったとか

「完全に能町さんが書くつもりだったんです。僕は資料を抱えて(打ち合わせで)ああでもない、こうでもないと言っていて。その後、LINEが来て、いっそのこと銀治郎さんが書いてくださいと。1日くらい考えましたね、どうしようかなと。不安もありましたが、本を書く機会もそうないだろうと思って引き受けました。調べものをすると、新たな事実が出てきます。いろんなことが出てきて、まったく筆が進まない。文章を書くよりも調べものの方が数倍時間がかかりました」

-行司さんの仕事は、土俵上のさばきだけでなく、さまざまな仕事があります。本書では、行司さんが地方場所や巡業での移動のための切符を手配する仕事が紹介されています。この「輸送係」は、行司さんのうち何人がやっていますか

「6人います」

-銀治郎さんはもともと鉄道ファンだからいいとして、鉄道に詳しくない行司さんは大変なのでは

「仕事としては、ルールさえ覚えてしまえば大丈夫。机の上で電卓をたたくのは誰でもできます。仕事のもう1つ先にあるのが、気遣いです。34代庄之助(※3)の親方に教えてもらいました。自分が決めた座席の車両を実際に見に行けと。座っている様子をちゃんと見て、自分が正しいのか、それで合っていたのか、ちゃんと考えなさいと言われたことを覚えています」

-力士や親方衆の座席を決める上での気遣いとは何ですか

「例えば、ウチの師匠(峰崎親方)は新幹線の『圧』を嫌がるんです。トンネル内で新幹線同士が擦れ違うとき、風圧で『どーん』となりますよね。あれが嫌なんです。これを避けるために、擦れ違う内側の席にしないようにします。また、特急列車の席によっては窓の視野が狭い場合がある。シートマップを持っていますので、できるだけ席のリクエストに応えるようにします」

-本書では「富士山が見える方がいい」「西日が当たらない方がいい」など、力士のあらゆる要望に応えようとする気遣いに感心しました。「座席の数字にこだわりがある」力士なんていたんですか

「中にはいました。例えば偶数の席にしてくれとか、足して「5」になる数字がいいとか。何人かいました」

-なにより、体の大きい力士をどのように座席に配置するかはパズルのようです。鳴戸親方(元大関琴欧洲)の若いころのエピソード(入門間もないため、3人掛けの真ん中に座らされていた)は泣けました。

「かわいそうでしたよ。ケガをしてまともに歩けないので、通路側の席をあてがいました。それなのに真ん中の席に座っていたんです。以来、(広い席に座れるくらい)絶対に強くなってやるとずっと思っていたそうです」

-力士の座席をうまく割り振るために、力士の体重や体形は頭に入っているのですか

「入っていますね。巡業中など雑談する機会も多いので、それとなしに会話の中で、その人たちの嗜好(しこう)を把握するように努力しています。自分も興味があるので」

※1「相撲列車」=日本相撲協会が利用する、力士らを乗せた団体列車の通称。

※2「能町みね子さん」=好角家、エッセイスト、イラストレーター。本書ではイラストを担当している。

※3「34代木村庄之助」=本名・伊藤勝治。立行司になってから1度も差し違えることなく、2008年に退職。博識で知られている。

大行司駅のホームにて、装束でポーズを取る木村銀治郎
大行司駅でポーズを取る木村銀治郎
初の著書「大相撲と鉄道」を上梓(じょうし)した行司の木村銀治郎

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照ノ富士が挙式、夫人と初デートは隅田川/一問一答

結婚式を終えて記念撮影をする照ノ富士(左)と夫人(代表撮影)

大相撲春場所(3月14日初日、東京・両国国技館)で、17年秋場所以来の大関復帰を目指す関脇照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が11日、東京・江東区の富岡八幡宮で、モンゴルからの留学生で15年夏場所後の新大関昇進前から交際していた、ツェグメド・ドルジハンドさん(26)と挙式した。既に3年前に結婚届は提出している。

幸せいっぱいの2人のコメントは以下の通り。

Q晴れの日を迎えた気持ちは

照ノ富士(以下「照」) この日を楽しみにしてました。迎えることが出来て良かったなと思います。(快晴で)本当に運が良い。

夫人 緊張してます(笑い)。うれしいですね。

Q親しくなったきっかけは

照 初めて会ったのは7年前で、共通の知り合いの方がいて、その方の紹介、紹介と言ったらおかしいんですけど、一緒にたまたまご飯食って、知り合って、そこからですね。

Q第一印象は

照 美しい女性だなと。

夫人 すごいいろんな面白い話してくれて、その時はずっと笑ってて、あっ面白い方だなと思っていました。明るくて。

Qどのように照ノ富士関を支えてきたのか

夫人 普通通りに前と変わらない(ように)。

Qデートなどは

照 近いのが隅田川なんで、初めてデートしたのもそこ。たまにその初めての頃を思い出すために、そこに行きますね。

Q共通の趣味は

照 う~ん、ドライブとか。自分は運転できないので、奥さんが運転してくれてドライブする。あと観光ぐらいですかね。

Qドライブはどこへ

夫人 一番遠くて九州まで行きました(笑い)。初めて。

Q奥様が九州まで

夫人 そうですね、休みながら。

照 巡業や地方場所とか、仕事でいろいろな所を回るので、いい所があれば奥さんにも見せたいと思っています。

Qプロポーズの言葉は

照 いや、やっぱりもう、2人で幸せな家庭を築きたいもので、自分が幸せにする努力をしますから、ということで、はい。

Qどんな家庭を築きたい

照 明るく幸せな家庭を築きたいなと思っています。

夫人 穏やかで暖かい家庭を築いていきたいですね。

Q奥様の晴れ着は

照 派手ですね(笑い)。

Q来場所の意気込みは

照 やっぱり大事な場所ですから、この結婚式を挙げて、来場所もいい成績で終わらせたいなと思います。

結婚式に臨む照ノ富士と夫人(手前)(代表撮影)

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元横綱栃ノ海が死去 小兵の技巧派横綱として活躍

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが29日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。葬儀・告別式は家族葬で営まれる。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

訃報を受けて、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「突然の訃報に接し、思いがけないことゆえ、驚いております。生前は、春日野部屋の師匠として多くの関取を育てられ、理事としても相撲道の継承と発展にご尽力いただきました。ご生前のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表した。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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第49代横綱栃ノ海の花田茂広さん死去 82歳

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが亡くなったことが29日、分かった。

存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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五輪開催予定で夏巡業中止、19年冬から中止続く

協会あいさつが行われる両国国技館(2021年1月10日撮影)

日本相撲協会は28日、東京・両国国技館で理事会を開き、東京五輪開催予定のため、今年の夏巡業を中止すると発表した。巡業開催は19年九州場所後の冬巡業が最後となっている。

そのほか行事の日程発表および変更があり、評議員会は3月29日の午後2時から両国国技館で行われ、7月22日の午後1時に行われる予定だった理事会は同月21日の午後3時に変更となった。

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