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元関脇麒麟児、突然の訃報 30年前の“あの日”と変わらない柔らかな物腰

行司控室で指導を受ける行司として二所ノ関部屋に入門した押田裕光(1989年1月20日撮影)

新年度が始まる春。新たな出会いの季節でもあり、一方で卒業や異動など別れの季節でもあるだろう。悲しいのは人生の卒業…。訃報が飛び込んだのは13日のことだった。

元関脇麒麟児の垂沢和春(たるさわ・かずはる)さんが、67歳の若さで旅立った。今も語り草となっている、天覧相撲での富士桜との死闘。108発にも及ぶ壮絶な突っ張り合いを、今、演じられる取組はないだろう。

当時、大関貴ノ花ファンで中学2年だった私も部活から帰り、固唾(かたず)をのんでテレビで見ていた記憶がある。その垂沢さんが今から3年前に定年を迎えた際は、その3年前に受けた頭部腫瘍の摘出手術を受けた影響から、顔面にまひの症状が残り、現役時代の面影は薄かった。それでも退職間際、最後に会った時の紳士然とした柔らかな物腰は“あの日”と少しも変わらなかった。

1989年、というより平成元年といった方が経過した時間の重みが分かるだろうか。昭和天皇の崩御で喪に服すことから、初日が1日遅れて月曜日から始まった大相撲初場所。それは私にとっての相撲担当「初土俵」の場所だった。3シーズン務めたプロ野球担当からの配置転換で、右も左も分からぬまま頭の中は大混乱。そんな中、場所中にある若者の行司デビューを取材する機会があった。

2カ月後の春場所で、行司として初土俵を踏む15歳の押田裕光君。前年秋場所後を最後に引退した北陣親方(元麒麟児)の、おいにあたる青年だった。千葉・柏中3年の夏、力士になりたかった押田君は「身長規定に足らないんです。でも相撲が好きで身内に相撲界の人がいるから」と二所ノ関部屋で修業に入った。初場所中は、折を見て両国国技館の行司控室で先輩行司から指導を受けていた。

緊張しきりの押田君を横目に、取材に応じてくれた北陣親方は「修業はつらいけど立派に土俵を務めてほしい」と願いを込めるように話してくれた。驚いたのは、その後だ。「どうぞ、よろしくお願いします」。8歳も年下の新米相撲記者に、頭を下げたシーンは今でも鮮明に覚えている。会釈でも、ちょこんと頭を下げたわけでもない。下げた後、少し静止して頭を上げてニコッと笑みを送ってくれた。前年の暮れから相撲担当になったが、稽古場に行っても場所に行っても別世界のように感じられた。言葉遣いも荒っぽく、ちゃんこの味も染みていない若輩記者は、ただただ「怖い世界だな」と思うばかりだった。

そんな中で紳士的に対応してくれたのが北陣親方。部屋付きとして稽古場では、鋭い眼光と若い衆を腹の底から絞り出すような声で叱咤(しった)激励する姿に、あの天覧相撲で見せた「力士麒麟児」をほうふつとさせたが、稽古を終え我々と談笑する際は、まるで別人のような温和な人だった。NHKの大相撲中継でも、ソフトでさわやかな語り口と分かりやすい解説で、お茶の間の相撲ファンを引きつけた。

あの32年前、私に「よろしくお願いします」と頭を下げ成長を見守っていた、おいの押田君は、今や幕内格行司の12代式守錦太夫として立派に土俵を務めている。叔父も、きっと天国から優しいまなざしで土俵を見守っていることだろう。多臓器不全のため亡くなったのは3月1日。発表が1カ月以上も先になったのは、春場所の初日まで2週間を切った時に、悲しい知らせを角界に伝えるのは忍びない、場所も終わって落ち着いた時にでも、という故人の遺志が尊重されたのではないかと、勝手に思っている。

「別れ」でもう1つ思い出した。私の「初土俵」となった、あの89年初場所初日。取材のスタートは、前年12月に部屋開きし、この初場所が晴れのデビュー場所となる新生・峰崎部屋だった。「新米記者には、新しい部屋から一緒にスタートするのがいいだろう」という先輩の温かい? 配慮で、朝6時の稽古から32歳の峰崎親方(元前頭三杉磯)と、3人の弟子の記念すべき1日を追った。

営団地下鉄(現東京メトロ)赤塚駅から市ケ谷を経由して両国へ。超満員電車での“通勤”に峰崎親方が、1番相撲を控える弟子の1人に「サラリーマンにならなくて良かっただろう」と笑顔で話しかけ緊張を和らげていたのが、ほほえましかった。その力士は「峰崎部屋1番相撲」で敗れた上に、移籍前に所属していた「放駒部屋」とアナウンスされるハプニングもあったが、それも今はいい思い出になっていることだろう、と思いたい。緊張で食事も喉を通らなかった、その若い力士も白菜、焼き豆腐、ぶりなどが、たっぷり入ったちゃんこを平らげていた。頼もしい限り…そんな思いで「取材初土俵」を終えた。

その峰崎部屋も、師匠の定年に伴い3月の春場所で閉鎖となった。時の流れとともに、移ろいゆく大相撲の世界。10年ひと昔というが、デジタル化された現代は1年でも「ひと昔」と感じざるを得ない。それでも30年前の記憶が、しっかり残されている。この世界独特の人情味があるからこそだろう。【渡辺佳彦】

75年5月、夏場所で富士桜(右)と猛烈な突っ張り合いを見せる麒麟児

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幕内格行司の式守錦太夫「今日の自分は親方のおかげ」元関脇の麒麟児悼む

現役時代の元関脇麒麟児(1978年撮影)

元関脇麒麟児の先代北陣親方(本名・垂沢和春)が67歳で死去し、親戚でもある幕内格行司の式守錦太夫(47=二所ノ関)が故人を悼んだ。

先代北陣親方は、錦太夫にとって義理の叔父。母の妹が、先代北陣親方の妻だった。錦太夫は「僕が中2の時に『行司になってみないか?』と誘われました。この世界に入って三十数年ですけど、やっぱり何度もくじけそうになったことがあるわけで、そのつど支えてくれたのが親方。今日の自分があるのは親方のおかげだと実感しています」と感謝した。

断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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石浦、結び目ほどけまわし待ったから冷静下手ひねり

大栄翔(右)を下手ひねりで破る石浦(撮影・狩俣裕三)

<大相撲初場所>◇9日目◇22日◇東京・両国国技館

 前頭15枚目石浦(28=宮城野)はまわし待ったのハプニングがあったが、冷静に調子の良い同13枚目大栄翔(24=追手風)を破った。

 立ち合いで左を差すと結び目に手がかかってまわしが緩み、行司の式守錦太夫が相撲を止めた。頭を下げて上から覆いかぶさられる形だったが、再開後に先に仕掛けて下手ひねりで転がした。「しっかり自分の形を作ってと考えていた。それまでは勝負をしかけないように我慢した」と、狙い通りの相撲だった。

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幕内土俵入りで行司いない「勘違いして」

<大相撲夏場所>◇6日目◇16日◇東京・両国国技館

 東の幕内土俵入りで、先導の行司が一時不在となるハプニングがあった。先導役の式守錦太夫が出番を忘れ、東の花道で関取衆が約1分半、待ちぼうけとなった。横綱土俵入りを控えていた立行司式守伊之助が慌てて代役を呼びに走り、西を先導していた木村恵之助が東も務めて事なきを得た。土俵下で拍子木を打ち続けて待った呼び出し旭(あきら)は「血が逆流しました」と冷や汗。錦太夫は「日にちを間違えて、勘違いしていました。お騒がせしてすみません」と謝罪した。

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行司不在で土俵入り中断、錦太夫が平謝り

代役で土俵入りの先導を務める木村恵之助(撮影・岡本肇)

<大相撲夏場所>◇6日目◇16日◇東京・両国国技館

 先導の行司が一時不在となり、幕内土俵入りが中断するハプニングがあった。

 西の幕内土俵入りが終わり、東の花道から幕内力士が入場しようとする時だった。6日目の先導を予定していた式守錦太夫が、いつまでも現れない。土俵下では、呼び出しの旭(あきら)が約1分半にわたって、拍子木を打ち続けた。入場できない幕内力士は花道でざわつき始め、西の土俵入りを終えた木村恵之助が急きょ、東も先導して事なきを得た。

 付け人から先導役だったことを伝えられず、ハプニングを起こしてしまった錦太夫はその瞬間、すでに行司部屋で装束を脱いでしまっていた。一連の騒動後「単純に日にちを間違えてしまいました。いつもは付け人が伝えてくれるんだけど、それもなかった。でも、人のせいにしてはいけません。自分でも確認しなきゃいけない。お騒がせしてすみません」と平謝りした。

 旭は「(拍子木を)止めるわけにいかなかった。血が逆流しました」と、珍しい事態に冷や汗。代役を務めた恵之助は「『いないから、来て!』と言われて…。いつでもいけるようにはしていました」と振り返った。

 幕内土俵入りの先導役は、幕内格行司が1場所に3、4日、交代しながら務めている。

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三保ケ関部屋、親方引退で消滅

 日本相撲協会は3日、東京・両国国技館で理事会を開き、以下について承認した。11月の三保ケ関親方(元大関増位山)の定年を控え、この日付で親方2人、前頭阿覧ら力士6人、行司、世話人各1人、呼び出し2人が春日野部屋、床山1人は北の湖部屋へ転属。九州場所番付発表日の28日付で、立行司式守伊之助が空席だった木村庄之助、三役格式守錦太夫が式守伊之助に昇進する。11月1日付で高砂親方(元大関朝潮)が監察副委員長に就任。来年の大相撲トーナメントは2月9日、NHK福祉大相撲は2月11日に両国国技館で開催する。

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三保ケ関から阿覧ら6人が春日野部屋へ

 日本相撲協会は3日、東京・両国国技館で理事会を開催し、以下について承認した。

 11月の三保ケ関親方(元大関増位山)の定年を控え、この日付で親方2人、前頭阿覧ら力士6人、行司、世話人各1人、呼び出し2人が春日野部屋、床山1人は北の湖部屋へ転属。九州場所番付発表日の28日付で、立行司式守伊之助が空席だった木村庄之助、三役格式守錦太夫が式守伊之助に昇進する。

 11月1日付で高砂親方(元大関朝潮)が監察副委員長に就任。来年の大相撲トーナメントは2月9日、NHK福祉大相撲は2月11日に両国国技館で開催する。

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木村正直が左目に腫れ 7日目の裁き休む

 日本相撲協会は17日、三役格行司の木村正直(58=朝日山)が春場所7日目の裁きを休むと発表した。左目に腫れがあり、2~3日の加療を要するため。春場所開催中の大阪府立体育会館に出勤し、本人は土俵に立つことを望んだが、周囲との話し合いで取りやめた。7日目に正直が裁く予定だった豊ノ島-琴奨菊、嘉風-琴欧洲の2番は、式守錦太夫が裁く。

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式守伊之助が第36代木村庄之助へ昇進

 日本相撲協会は29日、東京・両国国技館で理事会を開いた。10月31日付で立行司式守伊之助(63=井筒)の第36代木村庄之助への昇進を決め、そのほかの行司の昇進を含めて発表した。式守伊之助は空位となる一方で式守錦太夫(宮城野)が三役格に昇進。三役格行司は3人から4人に増えた。また、寄付行為細則を改正し、部屋の新設や継承に関して、所定の文書の提出や理事会の承認が必要と明記されるようになった。

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