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待乳山親方定年退職 チケット担当手売りからネットまで「若貴すごかった」

待乳山親方(2010年5月16日撮影)

大相撲の待乳山(まつちやま)親方(元小結播竜山)が4日に70歳の誕生日を迎え、日本相撲協会を定年退職した。三保ケ関部屋に入門し、15歳で初土俵を踏んでから55年。「この業界にずっとお世話になって、肩の荷が下りたというか、やり遂げたという感じですね。一言で55年と言いますが、こんなにやったのかと。いろんなことがありました」と振り返った。

現役時代の最高位は小結。横綱北の湖、大関北天佑とともに三保ケ関部屋をもり立て、北の湖の土俵入りの際は露払いなどを務めた。33歳で引退後は、部屋付き親方として後進の指導に当たってきた。

相撲界での一番の思い出には、病気で苦しんだ時期を挙げた。「昭和53年は上り調子で、一番いい時の54年に肝炎にかかった。体がやせ細り、黄疸(おうだん)が出て目も黄色くなった。体重は140キロ以上あったのに、25キロくらいやせましたからね。部屋の関取衆も、ばたばた倒れた」。1979年春場所ごろから三保ケ関部屋で流行性A型肝炎がまん延し、幡竜山ら10人以上が入院。名古屋場所は医師の許可を得て強行出場したものの連敗し、3日目から休場。その3場所後、幕下に陥落し、そこから1年かけて幕内に復帰した。

「今でも思い出すけど、病院の窓から外を見て、表を歩いている人がうらやましかった。もうダメかと思ったけど、そこから復活して幕内に戻ったんです」。どん底の時に励ましてくれた女性がのちの妻で、「ミス着物」にも選ばれたことがある真知子さんだった。

引退後は、長期間にわたってチケット担当として国技館の入場券売り場に詰めた。現金での手売りのみだった時代から始まり、カード払いや、チケットぴあなどネットを介した販売に移行する時期をすべて経験した。

今では考えられないが、1マスで4人が座れるチケットを売ることが、当時のデジタル化では難題だったという。「例えば、あるマス席を売る時、1つの席にチケットが4枚ある。コンピューターでは、これがダブルブッキングになってしまってできないんです。そういう面で苦労しました」。

チケットが売れる時も、売れない時も経験した。「若貴の時は、勢いがすごかった。手売りの時代です。売り出しの日は、国技館のエントランスに売り場を設置すると、お客さんがばーっと並ぶ。通路の下から上まで人が来ました」。15日間分が、わずか1日で売り切れた時代だった。

今はコロナ禍にあり、観客の上限を設けておきながらも、チケットが余る日は珍しくない。待乳山親方は「コロナが収まっても、すぐに(客足が)戻るわけではない。一からまたやり直しになると思う。心配ですよ」と今後を案じた。

今後については「ゆっくり考えたこともなかったですけどね。人生の区切り。のんびりしようとかと思うけど、さみしい面もありますよ」。まずは9日から始まる夏場所を、テレビで見ながら楽しむという。【佐々木一郎】

◆播竜山孝晴(ばんりゅうやま・たかはる)本名・田口孝晴。1951年(昭26)5月4日生まれ、兵庫県出身。三保ケ関部屋に入門し、1966年11月初土俵、74年7月新十両、75年3月新入幕。敢闘賞1回、十両優勝4回。引退後は、部屋付き親方に。三保ケ関部屋閉鎖後は、春日野部屋へ転籍した。

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10勝若隆景&明生は新三役ならず、先場所三役全員勝ち越し/夏場所新番付

若隆景(左)と明生

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。

先場所は三役が全員、勝ち越し。西前頭2枚目で10勝した若隆景(26=荒汐)、東前頭3枚目でやはり10勝を挙げた明生(25=立浪)は番付運に泣かされる格好で、それぞれ東前頭筆頭と同2枚目にとどまった。この夏場所で新三役昇進に挑戦する。同じく東前頭2枚目で9勝を挙げた北勝富士(28=八角)も西前頭筆頭で、昨年春場所以来の三役復帰を目指す。

今場所も入幕の新顔はなく、返り入幕は3人。石浦(31=宮城野)は4場所ぶり、千代丸(30=九重)は5場所ぶり、天空海(30=立浪)は2場所ぶりの、それぞれ返り入幕を果たした。

初めて関取の座をつかむ新十両昇進も不在。大翔鵬(26=追手風)が4場所ぶり、元横綱大鵬の孫にあたる王鵬(21=大嶽)は2場所ぶりに十両復帰となった。昨年九州場所以来の幕内復帰を目指す炎鵬(26=宮城野)は東十両筆頭、17年九州場所以来の返り入幕を狙う宇良(28=木瀬)は西十両2枚目につけた。

大相撲夏場所は、5月7日予定の取組編成会議で初日と2日目の対戦相手が決定。9日の初日を迎える。

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55年ぶり珍事、横綱から十両まで新たな昇進力士なし/夏場所新番付

両国国技館(2021年1月10日撮影)

日本相撲協会は26日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の新番付を発表した。

新番付に、初めて昇進する力士がいるのは付き物だが…。ところが今場所は、新横綱、新大関、新三役、新入幕、新十両と、新たな昇進力士がいなかった。同一場所で前述の5つの新昇進がなかったのは、66年夏場所以来、55年ぶり史上2度目の“珍事”となった。

なお、同一場所で新三役、新入幕、新十両がいなかったのは、95年初場所であった(この場所は貴乃花が新横綱)。また同一場所で新入幕と新十両が不在だったのは、09年夏場所(この場所は鶴竜と栃煌山が新三役)以来のことになる。

大相撲夏場所は、5月7日予定の取組編成会議で初日と2日目の対戦相手が決定。9日の初日を迎える。

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元関脇・琴勇輝が引退 「膝が限界」手術後は満足な稽古できず

立ち合い前に「ホウッ」と気合を入れる琴勇輝(2015年3月撮影)

日本相撲協会は14日、元関脇琴勇輝(30=佐渡ケ嶽)の引退と年寄「君ケ浜」襲名を承認した。

電話取材に応じた師匠の佐渡ケ嶽親方(元関脇琴ノ若)は「膝を手術して四股が踏めず、稽古が思うようにできなくなっていた。加えて番付も落ちてしまった。それが一番。本人からも『膝が限界です』と言われた」と引退を決断した理由を明かした。

琴勇輝は昨年10月に左膝の内視鏡手術を受け、同年11月場所を全休。十両に陥落した1月の初場所では4勝11敗と負け越して、3月の春場所では西幕下筆頭まで番付を落とした。1場所での関取復帰を目指していたが、手術した膝の状況が悪く、春場所を全休。佐渡ケ嶽親方は「膝を治療しながらすぐじゃなくてもいい、焦らなくてもいいからやれることをやろう、という風には声を掛けたんですけど。なかなか難しかったです」と話した。

香川・小豆島町出身の琴勇輝は、08年春場所で初土俵を踏み、11年秋場所で新十両。13年初場所で新入幕を果たし、東前頭筆頭だった16年春場所では横綱日馬富士から初金星を獲得するなど12勝を挙げ、翌夏場所で新三役となる新関脇の座をつかんだ。立ち合いからもろ手突きで一気に押し出す相撲が魅力のほか、一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。通算480勝430敗70休。金星1個、殊勲賞1回受賞だった。

今後は君ケ浜親方として、後進の指導に当たる。佐渡ケ嶽親方は「部屋にも突き押し相撲の力士がいる。そういう力士たちに押し相撲の基本を教えて欲しい。何が必要なのか教えて欲しい」と期待を込めた。

白鵬の前で「ホウッ!」とほえる琴勇輝(2016年撮影)

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元関脇の琴勇輝引退、立ち合い直前気合の「ホウッ」注目 年寄君ケ浜を襲名

琴勇輝(2021年1月撮影)

日本相撲協会は14日、元関脇琴勇輝(30=佐渡ケ嶽)の引退と年寄「君ケ浜」襲名を承認した。西幕下筆頭だった春場所は全休していた。

香川・小豆島町出身の琴勇輝は、08年春場所で初土俵を踏み、11年秋場所で新十両。13年初場所で新入幕を果たし、東前頭筆頭だった16年春場所では横綱日馬富士から初金星を獲得するなど12勝を挙げ、翌夏場所で新三役となる新関脇の座をつかんだ。立ち合いからもろ手突きで一気に押し出す相撲が魅力のほか、一時は立ち合いの直前に「ホウッ」と気合のこもった声を発することでも注目を浴びていた。

一方で両肘と両膝のケガにも苦しんできた。休場した20年初場所では「両変形性肘関節症により手術を予定」との診断書を提出。同年10月には左膝の内視鏡手術を受けていた。西十両9枚目だった1月の初場所では4勝11敗と負け越し、11年秋場所の新十両昇進以来守り続けた関取の地位を失った。通算480勝430敗70休。金星1個、殊勲賞1回受賞。

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元関脇の麒麟児が死去、多臓器不全で67歳 108発の突っ張り合いも

1976年1月、大相撲初場所4日目 富士桜(左)と麒麟児

日本相撲協会は13日、元関脇麒麟児の垂沢和春さんが3月1日に多臓器不全のため死去したと発表した。67歳だった。

強烈な突っ張りを武器に、幕内通算84場所で三賞受賞は11度。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として土俵を沸かせた。現役引退後は北陣親方として後進の指導に当たり、18年に日本相撲協会を退職していた。

   ◇   ◇   ◇

また1人、名力士がこの世を去った。日本相撲協会は、元関脇麒麟児の垂沢さんの死去を発表。協会関係者によると、15年夏ごろに頭部の腫瘍摘出手術を受けた影響で顔面にまひの症状が残り、体調が悪かったという。18年3月に65歳の定年を迎えたが、再雇用制度は利用せずに協会を退職。3年後の3月1日に、自宅で多臓器不全により死去した。近年は糖尿病と腎臓を患っていたという。葬儀・告別式は家族葬で執り行われた。

1967年夏場所で二所ノ関部屋から初土俵を踏んだ。昭和28年生まれで「花のニッパチ組」の1人として、元横綱北の湖、元横綱2代目若乃花らとともに人気を誇った。1975年夏場所8日目の天覧相撲では、富士桜との計108発に及ぶ壮絶な突っ張り合いを披露。昭和天皇が身を乗り出して観戦された一番は、今も語り草となっている。幕内優勝こそ果たせなかったが、金星6個、三賞受賞は11度と実績を残した。

88年秋場所を最後に35歳で現役引退後、北陣親方として二所ノ関部屋で後進を指導した。相撲協会では主に巡業部に所属。大相撲中継では爽やかな語り口の解説で親しまれた。

◆麒麟児和春(きりんじ・かずはる)本名・垂沢和春。1953年(昭28)3月9日、千葉県柏市生まれ。67年夏場所初土俵、74年初場所新十両。同年秋場所で新入幕。強烈な突っ張りを武器に金星6個、殊勲賞4回、敢闘賞4回、技能賞3回と三賞計11回受賞。最高位は関脇。幕内通算84場所で三役は通算17場所。通算773勝792敗34休。88年秋場所限りで引退し、年寄「北陣」を襲名。18年3月に日本相撲協会を定年退職。

麒麟児
北陣親方(元関脇麒麟児)(2008年09月6日撮影)
断髪式を終えタキシード姿になった元関脇麒麟児の北陣親方=1989年1月29日

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70歳で角界去る千賀ノ浦親方、隆の勝に「唐揚げみたいな稽古を」とエール

左が千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)、右は常盤山親方(元小結隆三杉)(2016年4月8日)

10日に70歳の誕生日を迎える千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)が9日に日本相撲協会の再雇用制度を終える。拓大を経て74年春場所に初土俵。48年間も身を置いた角界を去ることになる。8日までに電話取材に応じ「9日が過ぎないとピンとこない。3月場所が最後と思うと、名残惜しい気持ちになりました」と心境を明かした。

定年後の5年間は「早かったけど、連れてきた子(弟子)が何人残っていたかを気にかけていた」と振り返る。89年名古屋場所限りで現役を引退して春日野部屋付きとなり、04年9月に独立して千賀ノ浦部屋を創設。10年九州場所では舛乃山(当時のしこ名は舛ノ山)が新十両昇進を果たし、部屋から初めて関取を輩出した。

16年4月に65歳となり協会の定年を迎え、現常盤山親方(元小結隆三杉)に部屋を継承したが、東京・台東区の稽古場は自宅でもある。現常盤山部屋が今年2月に東京・板橋区に移転するまでは、部屋内で力士らとコミュニケーションを取ることも多かったという。

自身が引き連れてきた力士も少なくなってきた。史上初のハンガリー出身力士として話題となった舛東欧は、春場所限りで引退。最高位は西幕下8枚目と関取の座に近づいたが、たび重なるケガに泣いた。「ケガがなければチャンスがあったと思うけど、こればかりはしょうがない」と千賀ノ浦親方。舛東欧は引退後、都内の飲食関連の企業に就職するという。「今までも何度も相談に乗ってきた。第2の人生も頑張ってほしい」とエールを送る。

躍進を期待するのが、関脇まで番付を上げた隆の勝(26=常盤山)だ。現在の活躍に、千賀ノ浦親方も「15歳で入門してきて、体を大きくするのに時間がかかった。メシの時間は逃げていたときもあったね(笑い)。素質は良かったけど正直、三役に定着するとは予想外」と驚く。「体重が増えてスピードと勢いが変わった。右を差して半身になるクセがあったが、左が入ったときのスピードがいい。自信もついてきたように見える」。

新関脇から3場所連続で勝ち越し、当然「次期大関」の期待も高まってくる。「(コロナ禍で)出稽古ができないけど、白鵬や照ノ富士みたいな四つ相撲の上位の人にも胸を借りて力をつけてほしいね。泥んこにならないと成果は出ない。お茶漬けを食ったような稽古じゃなくて、こってりした唐揚げみたいな稽古をしてほしいね」と独特な言い回しでエール。「幕下の頃のように、ある意味“バカ”になって頑張ればきっと(大関に)上がれると思いますよ」と笑った。

台東区の部屋には5月の夏場所後に立浪部屋が移転してくる。11月の九州場所後には完全譲渡する予定。自身も今年10月いっぱいまでは居住する。「相撲部屋として残ってくれるのはうれしい」と同親方。今後も相撲界を見守っていく。

【佐藤礼征】

隆の勝(2020年12月10日撮影)

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高見山最後の弟子引退 東関部屋閉鎖とともに区切り

華王錦(2020年7月22日撮影)

元高見山の先々代東関親方(76)がスカウトした最後の現役力士が、土俵に別れを告げた。元十両華王錦(かおうにしき、42=東関)が春場所限りで引退。東関部屋閉鎖とともに区切りをつけ、新たな人生を歩み始めた。現在の心境などを聞いた。【取材・構成=佐々木一郎】

-引退が発表され、今の心境は

「まだ落ち着いてはいません。東関部屋は3月31日までで、4月3日に八角部屋へ引っ越します。その前には出て行かなくてはいけないので、荷物をまとめたり、役所に行って転出届を出したりしています」

-引退のきっかけは

「場所前にヘルニアを悪化させてしまいました。一時は、歩くのもしんどかった。そんな中、部屋がなくなるのもあるんで…。20年間、東関でやってきて、東関で終わりたいので」

-春場所は、最後の1番だけ出場しました

「(部屋を)移ってやるなら、しっかり治した方がいい。でも、自分は東関部屋として最後なので『1番出させてください』と言って出させてもらいました」

-決まり手は逆とったりでした

「たまたまあんな感じになっちゃって…。いろんな人に、『そんな業師だった?』とか『最後だからって必死になりすぎ』って言われました。土俵に立つ以上は一生懸命ですから。2番前に首から落ちた力士(響龍)がいて、ちょうど土俵下にいたんです。中途半端な気持ちで土俵に上がりたくないなというのがあったんで、自然と体が動きました」

-角界での一番の思い出は

「やっぱり、初めて化粧まわしをつけて土俵に上がったときはうれしかったですね。緊張もしました。初めての(土俵入りの)時はどっちに回るんだっけとか、手の上げ方とか、塩まきとか、緊張しましたね。これが関取なんだと、いい経験をさせてもらいました」

-十両2場所目で膝をケガして苦しみました

「ケガして休場してから、再出場しました。もうちょっと様子を見た方がよかったですね。とにかく出なきゃと思ったんで。当時、医師に『どうにか土俵に立ちたいので何とかお願いします』と無理を言っていろいろしてもらった。本来はよくない。焦っていた部分もあります。しっかり治さないといけなかった」

-丸20年、現役でした

「いろんな人から『20年、長かった』と言われるんですけど、力士でいられることは楽しかったですね。いろんな人から声をかけてもらったり、応援してもらうのがすごくうれしかったので、続けることができました」

-一時は協会に残るという話も聞きました

「若者頭として申請を出していたのですが、かないませんでした」

-断髪は

「東関部屋がなくなるので、部屋でできなかったんですよ。そうしたら先々代の高見山さんが『最後の弟子だから、私が責任を持って(まげを)切るよ』と言ってくれました。前の東関部屋はまだ稽古場があるので、そこでやります。本当によかったです。その言葉に、本当にこの部屋で良かったと…。高見山さんにスカウトされて、定年後もずっとかわいがってくれた。力士としてのスタートがあそこだったんで、まだ土俵があるのもありがたいです」

-いつごろになりますか

「コロナの様子を見ながら、あくまで予定なんですが、5月30日に。まだ正式に決まっていないけど、そういう方向で話が進んでいます」。

-今後はどうされますか

「まだ決まっていないんです。部屋があればその間探せるけど、部屋がなくなるし、コロナの状況もあるので…。相撲が好きなので、相撲に携わる仕事があればなと思っています」

◆華王錦武志(かおうにしき・たけし) 本名・村田武志。1978年(昭53)9月14日、秋田県生まれ。東洋大から元関脇高見山の東関部屋に入り、2001年夏場所初土俵。2011年名古屋場所新十両。最高位は西十両6枚目。通算403勝383敗49休。

20年2月 大相撲の継承発展を考える有識者会議に出席する高見山大五郎さん(左)と王貞治ソフトバンク球団会長
東関部屋の看板

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王鵬と大翔鵬が十両復帰 番付編成会議

王鵬(2021年1月21日撮影)

日本相撲協会は3月31日、大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を開き、十両昇進力士2人を発表した。ともに再十両の王鵬(21=大嶽)と大翔鵬(26=追手風)で、新たに関取の座を射止めた新十両はいなかった。

昭和の大横綱・大鵬の孫にあたる王鵬は、今年1月の初場所で待望の新十両昇進を果たしたが、5勝10敗で負け越し1場所で幕下に陥落。だが、3月の春場所は東幕下2枚目で4勝3敗と勝ち越し。1場所での十両復帰を決めた。

モンゴル出身の大翔鵬は、19年3月の春場所では新入幕も果たし、5場所連続で幕内の座にいたが、昨年初場所から十両、さらに同11月場所で幕下に陥落。陥落後、3場所目の幕下となった3月の春場所は、西幕下2枚目で5勝2敗の成績を収め、4場所ぶりに関取復帰となる再十両を決めた。

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照ノ富士が大関返り咲き 十両以下から復帰は史上初

大関昇進伝達式で口上を述べる照ノ富士(中央)と伊勢ケ浜親方夫妻(代表撮影)

大関照ノ富士が帰ってきた。日本相撲協会は31日、東京・両国国技館で大相撲夏場所(5月9日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議と臨時理事会を開催し、春場所で3度目の優勝を飾った関脇照ノ富士(29=伊勢ケ浜)の大関昇進を全会一致で承認した。平幕以下に落ちて大関に返り咲くのは、77年初場所後に昇進した魁傑以来2人目。十両以下に落ちて大関に復帰するのは史上初となった。

返り三役の昨年11月場所で13勝、1月の初場所は関脇で11勝、今場所は12勝を挙げて大関昇進目安の「三役で3場所33勝」を大きく上回る「36勝」としていた。照ノ富士が昇進したことで夏場所は1横綱、4大関となる。

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」で11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所後に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、177キロ。血液型はO。家族は妻。得意は右四つ、寄り。

15年、大関昇進伝達式で笑顔の照ノ富士(中央)。右は伊勢ケ浜親方(2015年5月27日撮影)

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照ノ富士万感「辞めず良かったか」問われ10秒の間

貴景勝(手前)を攻める照ノ富士(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇千秋楽◇28日◇東京・両国国技館

関脇照ノ富士(29=伊勢ケ浜)が昨年7月場所以来の優勝を果たして、事実上決まった大関復帰に花を添えた。負ければ優勝決定ともえ戦にもつれ込む一番で、大関貴景勝を押し出して12勝目。昇進目安の「三役で3場所33勝」に3勝を上乗せした。日本相撲協会審判部の伊勢ケ浜部長(元横綱旭富士)が、大関昇進をはかる臨時理事会の招集を八角理事長(元横綱北勝海)に要請し、了承された。31日の臨時理事会、夏場所の番付編成会議を経て正式に17年秋場所以来の「大関照ノ富士」が帰ってくる。

   ◇   ◇   ◇

大相撲史に史上最大の復活劇を刻んだ。土俵下での優勝インタビューで「辞めなくて良かったか」と問われると、照ノ富士は10秒の間を置いて「そうですね。良かったです」と言葉を振り絞った。3年半前に大関から陥落。両膝のけがや内臓疾患などの影響で何度も引退を考え、そのたび師匠の伊勢ケ浜親方に引き留められた。序二段まで落ちて大関に復帰するのは史上初。優勝と同時に実現し「1日1日必死に、前向きでやってきた結果が現れる日がくると思って信じてやってきた」とうなずいた。

3大関を総ナメして“先輩大関”の実力を示した。貴景勝に土俵際まで押し込まれながら右を差し込むと、苦し紛れに小手で振る相手を力ずくで押し出し。立ち合いで相手の右手をたぐれなかったが「相撲ってあんまり狙い通りにならないもんで」。気持ちと展開を一瞬で切り替えた。

万全ではない終盤戦だった。師匠の伊勢ケ浜親方によると、3敗目を喫した10日目の志摩ノ海戦で膝を痛めたという。残り5日間は痛み止めを打って土俵に上がったが、本人は「完全に治っているわけはない。痛みはあるから、付き合ってやっている。仕方ないこと」と淡々。この日の朝、一緒に病院へ行った弟弟子で平幕の翠富士には「優勝しておいしい酒を飲もうぜ」と宣言。不安な表情は見せなかった。

心身を第一に調整してきた。両膝を痛めるまでは場所直前でも1日50番以上を取ることはざらにあったが、現在は1日20から30番ほど。昨年末には「年齢も変わって、やり方も変わってくるから」と照ノ富士。間垣部屋時代からの仲間で呼び出しの照矢は「僕から言うのは『けがだけはしないように』。保護者みたいに見守っています」と笑う。土俵に立つ姿が何よりの恩返しだった。

来場所から4大関で最高位への出世争いを繰り広げる。「1場所1場所精いっぱい頑張れば、次につながるかな」と照ノ富士。鶴竜の引退で白鵬の1人横綱となった相撲界。その白鵬に次ぐ現役2位の3度目の優勝で、次期横綱候補として再び名乗りを上げた。【佐藤礼征】

◆照ノ富士春雄(てるのふじ・はるお)本名・ガントルガ・ガンエルデネ。1991年11月29日、モンゴル・ウランバートル市生まれ。18歳で来日し、鳥取城北高に留学して相撲を始める。3年時に中退して間垣部屋に入門。しこ名「若三勝」で11年技量審査場所で初土俵。13年春場所後に伊勢ケ浜部屋に転籍。同年秋場所が新十両昇進で「照ノ富士」に改名。関脇だった15年夏場所で初優勝を果たし、場所後に大関昇進。17年秋場所後に大関陥落。5場所連続休場して19年春場所に西序二段48枚目で本場所に復帰。192センチ、177キロ。血液型はO。家族は妻。得意は右四つ、寄り。

貴景勝(右)を土俵際に追い込む照ノ富士(撮影・河田真司)
八角理事長(右)から内閣総理大臣杯を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司)
幕内優勝を飾り師匠の伊勢ケ浜審判部長(左)から優勝旗を受け取る照ノ富士(撮影・小沢裕)
吉本興業賞授与式に臨む間寛平(右)と幕内優勝の照ノ富士(撮影・河田真司)
吉本興業賞授与式で間寛平(右)から額を受け取る照ノ富士(撮影・河田真司)

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元十両の華王錦が引退 01年夏場所で初土俵

華王錦(2020年7月22日撮影)

日本相撲協会は大相撲春場所千秋楽の28日、元十両の東三段目75枚目華王錦(42=東関)の引退を発表した。

華王錦は01年夏場所で初土俵を踏み、同年名古屋場所で序の口全勝優勝。11年名古屋場所で新十両昇進を果たした。

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宇良、業師の本領発揮「ひっかけ」で勝ち越し決めた

宇良(右)は武将山を引っ掛けで破る(撮影・柴田隆二)

<大相撲春場所>◇13日日◇26日◇東京・両国国技館

東十両7枚目の宇良(28=木瀬)が、業師の本領発揮の「ひっかけ」で勝ち越しを決めた。

新十両の武将山と対戦。「(新十両との対戦に)15日間とることのしんどさも踏まえて、気持ち的にはこちらが上。気持ちを強く持っていけると思いました」。立ち合い、左をのぞかせて一気に前に出る。押し返されたところで引きながら、左腕をたぐるようにひっかけを決めた。自身は倒れ込んだ武将山の背中でかわすように1回転。さすがの運動能力だった。

左ふくらはぎの肉離れで2日間休場、再出場して3日目の相撲だった。休場をはさんでの価値ある勝ち越しではの問いに「純粋に勝ち越しはうれしいが、2日休んでいるから価値があるとか、決してそういうことはないと思う」と言った。

十両復帰後も3場所連続の勝ち越しで、着実に再入幕にも前進する。宇良自身は「全然ほど遠いですね。まだまだという気持ちしかないです」。館内をわかせられる1人。「(残り2日)白星を伸ばせるように頑張ります」と誓った。

宇良(右)は武将山を引っ掛けで破る(撮影・柴田隆二)

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王鵬が再十両へ前進「結構気合が入っていたので」

錦富士(右)を攻める王鵬(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇13日目◇26日◇東京・両国国技館

元横綱大鵬の孫、東幕下2枚目王鵬(21=大嶽)が、西十両12枚目錦富士(24=伊勢ケ浜)を寄り切りで破って勝ち越し、再十両へ前進した。

立ち合い一気に前に出て行き土俵際まで追い込んだが、勝負を決められず。錦富士に左差し、右上手を与えてしまった。上手投げを打たれ、大きく体勢を崩したが左足一本で耐えると、もろ差しになりながら体を入れ替えて寄り切った。「組む展開になったけど落ち着けて良かった。結構気合が入っていたので」と振り返った。

新十両で臨んだ初場所は5勝10敗とはね返され、幕下上位で臨んだ今場所。1場所での十両復帰を狙っていただけに「最低限、4番勝たないといけないと思っていた。今日勝つと負けるとでは1年違う。あまりよくないけど、ケガしてでも勝つと思っていた。何もなくてよかたった」と気合が入っていた。

夏場所での再十両が近づいてきたが「それは周り(の成績)次第。番付がどこでも自分の相撲が出せればいいと思う」と引き締めた。

王鵬は錦富士(左)を寄り切りで破る(撮影・小沢裕)

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幕下阿炎が6戦全勝 幕下以下各段優勝の行方

阿炎(20年3月撮影)

<大相撲春場所>◇12日目◇25日◇東京・両国国技館

大相撲春場所は、26日に13日目を迎える。幕下と序二段は6戦全勝同士の直接対決があり、勝った方が優勝。三段目と序ノ口は、勝敗次第で優勝者が決まる可能性がある。

▽幕下 西56枚目の阿炎(26=錣山)と、東15枚目の時栄(24=時津風)が6戦全勝で並んでおり、直接対決で全勝、優勝を争う。阿炎は最高位小結で、昨年7月場所中のコンプライアンス違反で3場所連続出場停止などの処分を受け、今場所から復帰。時栄は勝てば7戦全勝となり、新十両昇進が確実になる。

▽三段目 中大相撲部出身で今場所三段目100枚目格付け出しデビューの西川(22=境川)が6戦全勝で、勝てば千秋楽の優勝決定戦に進出する。他に全勝は西45枚目の高麗の国(30=芝田山)と西68枚目の欧鈴木(23=鳴戸)で、両者は直接対決する。

▽序二段 西48枚目の熱海富士(18=伊勢ケ浜)と西79枚目の千代大和(20=九重)が6戦全勝で直接対決する。

▽序ノ口 西21枚目の村山(18=鳴戸)がただ1人6戦全勝で、13日目に秋山に勝てば優勝が決まる。1敗は秋山ら5人。

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時栄が新十両昇進に王手「チャレンジャーなんで」

田辺(左)の胸に頭をつけて寄って出る時栄(撮影・丹羽敏通)

<大相撲春場所>◇11日日◇24日◇東京・両国国技館

東十両15枚目の時栄(24=時津風)が、新十両昇進に王手をかけた。田辺との全勝対決を寄り切りで制した。

内規により、幕下15枚目以内で全勝なら十両昇進が決まる。あと1番としたが「自分はチャレンジャーなんで思い切っていくだけ。今まで同じ、まわしとって相撲をとれたらというのはあります」とたかぶりや緊張感は見せなかった。

宮城県栗原市出身で小牛田農林高ではインターハイ3位。東京農大から19年春場所、初土俵を踏んだ。丸2年で念願の関取の座が近づいてきた。場所前は「前に出る力をつけよう」とあえて投げにいかず、ひたすら圧力をかけて出る稽古を繰り返した。その成果が結果に表れている。「自分の相撲を取りきる」と言い聞かせるように誓った。

田辺を寄り切りで破り、土俵から引き揚げる時栄(撮影・河田真司)

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横綱鶴竜の引退を発表 年寄「鶴竜」を襲名

鶴竜

日本相撲協会は24日、横綱鶴竜(35=陸奥)の引退と、年寄「鶴竜」の襲名を承認したことを発表した。

昨年7月場所から腰痛などの影響で休場が続いており、同年11月場所後には横綱審議委員会から白鵬とともに「注意」の決議を下された。

再起を期した今場所だったが、場所前の9日に左足太ももを負傷して休場。11日に報道陣の電話取材に応じた師匠の陸奥親方(元大関霧島)によると、鶴竜本人は現役続行の意思を強く示していたという。

モンゴル出身で01年九州場所で初土俵を踏み、05年九州場所で新十両昇進。06年九州場所で新入幕、09年夏場所で新三役と番付を上げ、12年夏場所に大関昇進を果たした。

14年初場所に14勝1敗の成績を残して優勝次点、翌春場所に14勝1敗で初優勝を果たし、場所後に第71代横綱に。史上最多の優勝回数を誇る白鵬や、第70代横綱日馬富士、第72代横綱稀勢の里らとしのぎを削り、6度の幕内優勝を果たした。

一方で横綱昇進後はけがとの戦いが続き、19年名古屋場所の優勝を最後に賜杯から遠ざかっていた。昨年12月には日本国籍を取得し、親方として協会に残る資格を得ていた。

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大鵬孫の夢道鵬が2場所連続勝ち越しに王手

上戸(左)をはたき込みで破る夢道鵬(撮影・鈴木正人)

<大相撲春場所>◇8日目◇21日◇東京・両国国技館

元横綱大鵬の孫で元関脇貴闘力の四男、東幕下27枚目夢道鵬(19=大嶽)が、2場所連続の勝ち越しに王手をかけた。

4番相撲で東幕下30枚目上戸(25=立浪)をはたき込みで下して3勝目。立ち合い右手を出してから前みつを取りにきた相手を、右からうまくいなした。「呼吸がずれた」と自身の中で立ち合いがかみ合わなかったというが「(相手の動きが)よく見えていた」と、その後の反応に手応えを感じていた。

埼玉栄高在学中の19年九州場所で初土俵を踏み、序ノ口デビューから今場所が7場所目。先場所新十両だった兄の東幕下2枚目王鵬とともに、関取候補として期待される。

今場所は自己最高位で、残り3番の結果次第では幕下15枚目以内に入る。「残り全部勝てるように、気を引き締めて頑張りたい」と意気込んだ。

上戸(手前)をはたき込みで破る夢道鵬(撮影・河田真司)

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新十両の貴健斗5日目に初白星「何とか勝てました」

武将山(右)を突き落としで破る貴健斗(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇5日目◇18日◇東京・両国国技館

新十両の西十両11枚目・貴健斗(25=常盤山)が、5日目にようやく初白星を飾った。同じ新十両の武将山に攻め込まれたが、土俵際で執念の突き落としが決まった。「あせらずいけたのがよかった。何とか勝てました」と息をはずませた。

先場所まで大関貴景勝の付け人を務めた。「勝ち負けは気にするな」「真っすぐいけ」が教え。この一番もひたすら前に出続けた。「(最後は)反応しかない。考えて相撲はとれないですから」。必死のパッチでつかんだ1勝から、逆襲を開始する。

武将山(左)と攻め合う貴健斗(撮影・鈴木みどり)

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大鵬の孫王鵬2敗「立ち合いでつかまってしまった」

大翔鵬に上手投げで敗れ、土俵から引き揚げる王鵬(撮影・河田真司)

<大相撲春場所>◇5日目◇18日◇東京・両国国技館

元横綱大鵬の孫で元関脇貴闘力の三男、東幕下2枚目王鵬(21=大嶽)が2敗目を喫した。

幕内経験者の西幕下2枚目大翔鵬(26=追手風)との顔合わせとなった3番相撲。立ち合いで突き放せず右四つに組み止められ、左上手を引かれると苦しかった。まわしを切れず、蹴返しで相手の体勢を崩そうと試みたが空振り。上手投げに屈して1勝2敗となった。

「立ち合いでつかまってしまった」と敗因を振り返る王鵬。新十両だった1月の初場所は5勝10敗ではね返され、今場所は1場所での関取復帰を目指している。「(体の)調子はいいので、いい相撲を取って行ければいい」と、残り4番を見据えた。

王鵬(左)を上手投げで破る大翔鵬(撮影・中島郁夫)

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