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【藤波辰爾50周年連載3】今でも緊張で直立不動…アントニオ猪木と50年

新日本IWGPヘビー級選手権 試合後、王者藤波辰爾(左)と祝杯をあげるアントニオ猪木(1988年8月8日撮影)

プロレスラーの藤波辰爾(67)が9日、デビュー50周年を迎えた。連載第3回は、アントニオ猪木との50年。入門時から家族よりも長い時間をともにしてきた師匠は、藤波にとって今でもかけがえのない存在だ。【取材・構成=松熊洋介】

藤波は日本プロレス入門から半年後、除名された猪木と一緒に脱退、翌年の新日本旗揚げに参加した。「今の新日本を作っている」という当時の猪木の練習はとにかく厳しかった。年200日以上の試合をこなしながら、練習も手を抜くことは許さなかった。つまらないパフォーマンスをすれば、試合中でもリングに乱入してきて殴られた。試合前に角材で殴られ、流血しながらリングに上がったこともあったという。藤波が78年に海外から帰国し、「ドラゴンブーム」の人気絶頂時でも、全体に気合を入れるための見せしめとして、殴られ続けた。

藤波 試合を止めることもよくあった。お客さんはただ猪木さんが乱入してきただけだと思っていて、実際には何が起こっているのか分かっていない。相手のことよりも、いつ猪木さんが控室から竹刀を持ってやってくるか、びくびくしながら試合をしていた。馬場さんの全日本に負けるな、というのもあったと思う。

ファンの目も肥えていき、つまらない試合には容赦なくヤジが飛んだ。ファン同士のケンカも日常茶飯事だった。

藤波 リングに上がったら鳥肌が立って、ぞくぞくしていた。緊張感で殺気立っていたし、試合前に控室で相手と話したり、笑ったりすることもなかった。

練習や試合後は毎日のように猪木と食事をともにした。「昼間殴られていても関係なかった」と猪木の周りに集まり、故・力道山など昔の話を聞き入った。朝でも夜中でも走る猪木について行き、一緒にトレーニングした。朝まで飲み明かしたり、羽目を外す選手もたまにはいたが、藤波含め、ほとんどの選手は厳しい練習の疲れを取るために休養を優先していた。

藤波 一番上の人が1番練習するから僕らも休むことができない。みんな気が張ってダラダラしていられなかった。

猪木の「お客さんから金をとれる体を作れ」という教えを守り、プロレスラーとして長くリングに上がる体を作り上げた。日本プロレス入門から半世紀以上の付き合いになる猪木とは、引退後も交流は続く。2年ほど前まで毎月1回、夫婦で食事会をしていた。猪木の前では今でも緊張して直立不動になることもあるという。

藤波 妻は「お互いに良い年なのに」と不思議がるが、50年たっても関係性は変わらない。僕にとっては永遠の師匠。

今の藤波のプロレスを作ったのは間違いなく猪木の存在が大きいが、実はもう1人、50年現役の藤波にとって「今の自分がいるのは彼のおかげ」という男がいた。(つづく)

◆藤波辰爾(ふじなみ・たつみ) 1953年(昭28)12月28日、大分県生まれ。中学卒業後、70年に日本プロレスに入団。猪木の付き人をしながら、71年5月9日、北沢戦でデビュー。71年猪木らとともに新日本プロレス移籍し、旗揚げより参戦。75年に欧州、米国遠征し、76年NWAデビュー。78年WWWFジュニアヘビー級王座を獲得(その後防衛計52回)し、帰国。81年ヘビー級転向。88年にIWGPヘビー級王者に輝く。89年に腰痛を患い、1年3カ月休養。99年に新日本プロレス社長就任、03年に辞任。07年無我(後のドラディション)の代表取締役に就任。15年3月WWE殿堂入り。183センチ、105キロ。

アントニオ猪木(下)に卍固めを見舞う藤波辰爾(1988年8月8日撮影)
藤波辰爾(右)に闘魂注入したアントニオ猪木(2019年4月26日撮影)

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新日本、発熱2選手に続き7選手が感染 陽性の全選手は軽症もしくは無症状

新日本プロレスのエンブレム(2018年3月24日撮影)

新日本プロレスは9日、新たに7選手が新型コロナウイルスのPCR検査で陽性判定されたと発表された。

4月から5月にかけたシリーズ終了後、帯同メンバーを対象に実施し、判明したという。陽性判定を受けた全選手とも軽症、無症状ではあるものの、保健所、医療機関の指導のもと、隔離措置した上で治療に専念する予定。5月4日の福岡国際センターの午前中に発熱があった2選手も陽性判定を受けており、計9選手が感染したことになる。

新日本プロレスでは日常的な体温、血中酸素飽和濃度の把握、定期的なPCR検査をはじめたとした事前対策、巡業中も会場入り時の検温や練習中や控室のマスク着用義務、弁当形式の夕食、夜間外出の禁止などを実施してきた。公式サイトでは「今回の事象を重く受け止め、さらなる感染対策の強化を努めてまいります」と報告している。

同団体では現在、東京都の緊急事態宣言発令により8、10、11日の後楽園大会が中止。また、15日の横浜スタジアム大会、29日の東京ドーム大会も延期が発表されている。

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新日本、15日横浜スタジアム、29日東京D大会の開催延期

オスプレイ(左)とオカダ

新日本プロレスは7日、15日の横浜スタジアム大会、29日の東京ドーム大会の開催延期を発表した。

政府からの緊急事態宣言延長発令、新型コロナウイルス感染状況や感染拡大防止に向けた判断だという。団体公式サイトでは「各大会を楽しみにされていたお客様には、ご迷惑をお掛けしてしまい誠に申し訳ございません。心よりおわび申し上げます」などと掲載された。日程が決定次第、発表する見通し。延期に伴い、チケットの払い戻しの対応も予定している。

29日の東京ドーム大会では、IWGP世界ヘビー級王者ウィル・オスプレイがオカダ・カズチカを挑戦者に迎えた2度目の防衛戦が予定されていた。

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【藤波辰爾50周年連載1】78年飛龍原爆固めで初戴冠「ドラゴン」ブーム

78年、WWWFジュニア王座タイトルマッチで剛竜馬(後方)をやぶり、王座を防衛しベルトとトロフィーを掲げる藤波

<藤波辰爾のプロレス人生50年(1)>

プロレスラーの藤波辰爾(67)が9日にデビュー50周年を迎える。新日本プロレスを立ち上げから支え、99年には社長にも就任。低迷期を乗り越え、1度も引退することなく、現在でもリングに立ち続ける。日刊スポーツでは「藤波辰爾のプロレス人生50年」と題して、6回にわたり連載する。第1回はプロレスラー藤波辰爾。【取材・構成=松熊洋介】

★必殺技「ドラゴン・スープレックス・ホールド(飛龍原爆固め)」 1978年(昭53)1月23日、無名ながらWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座を獲得。王者エストラーダにフルネルソンを決めたまま、原爆固めの要領で後方に投げ、そのままフォールした。

★「ドラゴン」ブーム 78年の王座獲得で一気にスターダムに。日本でも女性や子供のファンを獲得。ジュニアながら、ブルース・リーをほうふつさせる肉体美、軽快な動きから名前の「辰=龍」にちなんだ「ドラゴン」ブームを巻き起こした。

★「オレはお前のかませ犬じゃねえ」 81年にはヘビー級転向。82年からは「飛龍十番勝負」でホーガン、ブッチャーらと戦った。同10月には長州との抗争が勃発。「オレはお前のかませ犬じゃねえ」という暴言を吐かれ、大乱闘。その後も感情むき出しの“ケンカ”が続いた。

★師匠アントニオ猪木との激戦 85年12月のIWGPタッグ・リーグ優勝戦でも、この大技で師匠アントニオ猪木からフォールを奪った。88年にはIWGPヘビー級の防衛戦に猪木が挑戦、60分間戦った末に引き分けた。

★ケガとの戦い 89年にベイダーとの一戦で腰を負傷。選手生命の危機に立たされた。「立って歩けないくらいくらいになった」。1年半後に復帰も、痛み止めを飲みながらの戦いはその後も続いた。93年にはG1クライマックス、94年にはIWGPヘビー級王座を獲得。

★社長就任 99年に新日本プロレスの社長に就任し、第一戦から退いた。格闘技ブームや他団体の盛況もある中で低迷期を支え続けてきた。04年に社長を辞任。06年に新日本を退団する。

★現在 「ドラディション」を立ち上げ、11年には長州らと「レジェンド・ザ・プロレスリング」も旗揚げ。15年3月には、猪木に次いで日本人2人目となるWWE殿堂入りを果たした。昨年からは「日本プロレス殿堂会」を発足させて、後世の育成にも尽力する。「50年という感じはしないが、いろんな人と話をするとよみがえってくるので年月は感じる。いろんな歴史を見てきた中でいい経験をさせてもらっている」と話した。

第2回は、波瀾(はらん)万丈の人生を歩む藤波のプロレスとの出会いに迫る。(つづく)

◆藤波辰爾(ふじなみ・たつみ) 1953年(昭28)12月28日、大分県生まれ。中学卒業後、70年に日本プロレスに入団。猪木の付き人をしながら、71年5月9日、北沢戦でデビュー。71年猪木らとともに新日本プロレス移籍し、旗揚げより参戦。75年に欧州、米国遠征し、76年NWAデビュー。78年WWWFジュニアヘビー級王座を獲得(その後防衛計52回)し凱旋(がいせん)帰国。81年ヘビー級転向。88年にIWGPヘビー級王者に輝く。89年に腰痛を患い、1年3カ月休養。99年に新日本プロレス社長就任、03年に辞任。07年無我(後のドラディション)の代表取締役に就任。15年3月WWE殿堂入り。183センチ、105キロ。

83年10月26日、タッグ戦で長州力(下)に逆サソリ固めで攻める藤波
83年11月19日、新日本プロレス千葉大会でリングに上がった左から藤波、アントニオ猪木、ハルク・ホーガン

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オスプレイ激闘制し初防衛「鷹木は俺のレベルに達していないから負けた」

新日本プロレス福岡大会 IWGP世界ヘビー級の初防衛に成功し、ベルトを掲げるウィル・オスプレイ(新日本プロレス提供)

<新日本プロレス福岡大会>◇4日◇福岡国際センター◇観衆2367人

龍魂を打ち砕いた。IWGP世界ヘビー級王者ウィル・オスプレイ(27)が鷹木信悟(38)を44分53秒の激闘の末に破り、初防衛に成功した。

メイドインジャパン、パンピングボンバー、GTR…。「秘策がある」と言っていた鷹木の上をいき、武器である魂の攻撃をすべてはねのけた。テーブルの上にたたき落とされて腰を痛め、終盤は立つのもやっとの状態だったが、何度もかわされたストームブレイカーをさく裂させ、粘る相手をリングに沈めた。試合後観客が席を立てないほど、のみ込まれていた総力戦を制し「鷹木は俺のレベルに達していないから負けた。俺が勝つことは初めから運命で決まっていた」とほえた。

ベルトへの執念が実った。3月ニュージャパンカップで優勝し、飯伏への挑戦権を獲得した際に、恋人のプレストリーにオスカッターを浴びせて仲間割れ。当時、女子プロレスのスターダムに所属しながら、毎試合セコンドで助けてきたパートナーを「ベルト以外は意味がない」とあっさり切り捨てた。その後4月4日の両国大会で、宣言通り飯伏を破り、頂点に立った。

次戦は29日東京ドームでオカダと対戦する。英国時代に新日本へ導いてくれた兄貴分を昨年10月に裏切り、CHAOSを脱退。今年1月4日東京ドーム大会で対戦するも敗れ、眠れないほど悔しがった。この日の試合ではオカダの得意技のレインメーカーを披露するなど、リベンジの思いをリングでも表現した。

飯伏、鷹木と実力者を退け、勢いが止まらない。O・カーン、コブ、ヘナーレと形成するUNITED EMPIRE(UE)は1月の東京ドーム大会で全敗。そこからはい上がり、今シリーズの前哨戦では、鷹木、内藤らのロスインゴ・ベルナブレス・デ・ハポンに圧勝した。「オカダに負けた時はみんながおしまいだと言っていたが、今は俺たちが中心に立っている」と叫んだ。

この日、選手に発熱者が出て、試合数が減った。それでも「俺が立つメインの試合は、チケット料金に値する」とファンに向け堂々と語った。新設されたIWGPのベルトを“世界”に見せつけ「俺はこの団体(新日本)の未来だ。先輩たちからバトンを受け継いだ。期待に応えるのが俺の役目だ。この団体は俺を頼りにしている」と豪語した。英国の工事現場で働いていた時に夢を抱き、バカにされた周囲の人を見返すために努力を重ね、頂点に立ったオスプレイ。29日、オカダに敗れた同じ舞台で雪辱を果たし、誰も届かない領域に君臨する。

新日本プロレス福岡大会 鷹木信悟をロープに乗せ、コーナートップからシューティングスタープレスを決めるウィル・オスプレイ(新日本プロレス提供)
新日本プロレス福岡大会 IWGP世界ヘビー級の初防衛を果たしたウィル・オスプレイ(右から2人目)を祝って乾杯するUNITED EMPIREの選手たち。左からジェフ・コブ、グレート・O・カーン、1人おいてアーロン・ヘナーレ(新日本プロレス提供)

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ゼロワン田中将人が清宮海斗に勝利「売り込みに来ている」稲村挑戦も受けた

プロレスリング・ノア後楽園大会 清宮海斗(左)にスライディング弾丸エルボーを浴びせる田中将人(プロレスリング・ノア提供)

<プロレスリング・ノア後楽園大会>◇2日◇後楽園ホール◇無観客

ゼロワン所属の田中将人(48)が存在感を見せた。丸藤、武藤らのM's allianceのメンバーとして参戦している田中は、メインマッチで若手実力者の清宮海斗(24)に、シングル初対決で勝利。「ノアのリングに上がっているからには仲間だけでやっているわけにはいかない。ここで田中将人を売り込みに来ている」と力強く語った。

清宮の腰を徹底的に痛めつけ、エプロンで豪快にラリアットを決めた。中盤にはトップロープから雪崩式ブレーンバスターを決め、流れをつかみ、最後はスライディング弾丸エルボーを前後からさく裂させて3カウントを奪った。「(相手は)何個か前のGHCチャンピオン。機会を与えてもらって感謝している。この勝利が何かにつながると思う」と今後を見据えた。

デビュー28年目。新日本や全日本、NWAなどさまざまな団体のリングに立ち、多くのタイトルを取ってきたプライドがある。「若い人間にスパッと負けたら、これまでのプロレスラーや、今まで巻いてきたベルトにも失礼」と話す。試合後にはデビュー3年目、120キロの稲村からにらみ付けられシングルマッチの挑戦を受けた。タッグマッチで何度か対戦経験のある田中は「僕の若いころより全然すごい。重いタイヤを持ち上げたり、いいものを持っているのは肌で感じている」と実力を認めた上で「1つの武器だけど、パワーだけでは勝てない」とベテランの技術で強さを見せつけるつもりだ。

前日1日にはゼロワン岩手大会に出場、4日には札幌でリングに上がる予定だ。コロナ禍で延期になる興行もある中、全国を駆け巡り、ファンを元気づける。プロレス以外でも「ゼロワンお助け隊」として地域貢献や抗原検査キットの配送などにも精を出す。「28年いろんな団体で結果残してきた。若い選手に負けるわけにはいかない」。まだまだ元気いっぱいの田中は、力強いプロレスをこれからもさまざまリングから全国に届ける。【松熊洋介】

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新日本永田裕志が米AEWへ初進出 IWGP・USヘビー級王座挑戦発表

永田裕志(2021年2月4日撮影)

新日本プロレスは「ブルージャスティス」永田裕志(53)が5月12日(日本時間13日)、米オールエリートレスリング(AEW)マットに初進出し、IWGP・USヘビー級王者ジョン・モクスリー(35)に挑戦すると30日までに発表した。

これまでモクスリーから動画メッセージで次期挑戦者として指名されていた永田は「顔を洗って出直してこい」と動画メッセージで反応。両者による王座戦が浮上していた。AEWマットには、バレットクラブのKENTAが乱入、参戦し、モクスリーとタッグ戦をしているものの、王座戦となると新日本勢では初めてとなる。

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矢野通、一瞬のスキを突き防衛成功「明けない闇はない」暗闇の恐怖から解放

新日本プロレス鹿児島大会 KOPW2021争奪戦で勝利し、金色に塗ったトロフィーを大事に持ち帰る矢野通(新日本プロレス提供)

<新日本:鹿児島大会>◇28日◇西原商会アリーナ

暗闇の恐怖から解放された。KOPW2021争奪戦は、タイトル保持者の矢野通(42)がEVILに勝利し、防衛に成功した。

黒頭巾を相手にかぶせた場合にのみ、フォールなどの決着がつけられるルール。序盤からピンチの連続だった。場外でパイプ椅子を首にかけられ、もう1つの椅子で殴打。さらに手首をテーピングで鉄柵にグルグル巻きにされ黒頭巾をかぶせられた。「動けない」と叫ぶ中、場外カウントがコールされたが、首を振って頭巾を脱ぎ、危機を回避した。

中盤には黒頭巾のまま、リング下に入れられたが、目の部分を切り取って暗闇を脱出。さらにセコンドの東郷が場内を暗くした間に襲撃されたが、すぐに相手に黒頭巾をかぶせ、EVILと東郷を同士討ちで流れをつかんだ。その後、一瞬のスキをついて丸め込み、3カウント。「こんなにうれしいことはない。素晴らしい!」と満面の笑みで叫んだ。

勝利後は、前試合で黒塗りにされたトロフィーを用意していたスプレーで金色に塗り、元通りに。「前よりも輝いている。見てくれ、この太陽に照らされたような金色に輝くマイベイビーを」と興奮気味に語った。

3月16日のニュージャパンカップ準々決勝で暗転中に襲われ、その後は暗闇がトラウマに。前哨戦では黒頭巾をかぶせられ泣きわめくシーンもあった。「ギリギリまで追い詰められていた。夜も眠れず、実は昨日も30分しか寝ていない」とこれまでの苦悩を明かした。

今大会は事前にお互いに提案したルールをSNSのファン投票で決定。EVIL提案の「ダークネスマッチ」とわずか907票差で勝利し、矢野の黒頭巾マッチに決まった。苦手な暗黒を自らもルールとして提案。トラウマを見事に克服した。「信じ続ければ輝きを取り戻せる。明けない闇はない」。金色に輝くトロフィーを見つめながら、勝利に酔いしれた。

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王者・SHO&YOH組がリマッチ制し初防衛「1つ自分を超えられた」

新日本プロレス鹿児島大会 IWGPジュニアタッグ選手権で初防衛に成功したSHO(右)、YOH組(新日本プロレス提供)

<新日本:鹿児島大会>◇28日◇西原商会アリーナ

IWGPジュニアタッグ選手権は王者SHO(31)YOH(32)組が、前王者の金丸、デスペラード組に勝利し、初防衛に成功した。

YOHが左膝のケガから復帰し、新王者に輝いた4日両国大会の再戦となった今試合。「厳しい戦いだった」と、序盤は金丸にその膝を痛めつけられて苦しんだ。それでも前哨戦から言い続けてきた「敵に勝つにはまず自分に勝たないと」との思いで、復帰後初めて場外に飛ぶ、トペ・コンヒーロを決め、流れをつかんだ。最後は金丸に2人の連携技である「STRONG X」をさく裂させてリングに沈めた。YOHは「苦しかったし、強かったけど、1つ自分を超えられた」と納得の表情を見せた。

自らの発言が引き金となって生まれた防衛戦だった。両国大会での初タイトル奪取後、デスペラードの持つ「ジュニアヘビー級のベルトに挑戦したい」と表明。デスペラードからは「ジュニアタッグの再戦が条件だ」と持ち掛けられ、実現した。その後の前哨戦では1勝10敗。納得のパフォーマンスには程遠く、デスペラードからは「全く響かない」と罵倒されたこともあった。

復帰後すぐにベルトを手に入れ、初の防衛戦も制した。最高の結果を出し、満を持してデスペラードとのシングルマッチに向かう。決戦は5月4日福岡での「レスリングどんたく2021」。YOHは「防衛して終わりじゃない。博多で大きな祭りがある。そこででっかい風を吹かせたい」と前を向いた。「キャリアをかけた大一番になる」。コロナ禍のため、本家の博多どんたくは中止となったが、ジュニア2冠に輝き、新日本のどんたく祭りを盛り上げる。

新日本プロレス鹿児島大会 金丸義信にSTRONG Xを決めるYOH(上)。左はSHO(新日本プロレス提供)

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カープファン内藤哲也“ホーム”広島でO・カーン撃破 逆転ストーリー開始

グレート・O・カーンに勝利した内藤哲也(新日本プロレス提供)

<新日本:広島大会>◇26日◇広島サンプラザホール

思い入れのある地で連敗を止めた。内藤哲也(38)が、グレート・O・カーンとの27分に及ぶ戦いを制した。必殺技のデスティーノを連続で浴びせ、粘るO・カーンを沈めた。プロ野球・広島のファンである内藤。東京出身だが、年に何度かは球場に応援に行くこともある。「カープが好きなだけだが、広島をホームだと思っている」。右手を高々と突き上げ、ファンの応援に応えた。

中盤まではO・カーンの試合運びに苦しみ、あわや3カウントのシーンが何度も訪れたが、本能だけで返した。O・カーンに「椅子にでもなってもらおう」とコーナートップで顔の上に座られ「靴、おいしいか?」と踏み付けられた。首を絞められてロープに逃げ、相手のトレードマークの弁髪を引っ張って応戦することしかできなかった。それでも終盤決めにかかったO・カーンのエリミネーターを切り返し、逆転の3カウントを奪った。

今年1月東京ドーム大会で飯伏に敗れて2冠王者から陥落。目標を見失い、2月にはベルトに挑戦して敗れるなど、ふがいない戦いが続いていた。ターゲットを募ったが、納得の相手は見つからなかった。そんな中、今シリーズで3月のニュージャパンカップで敗れていたO・カーンに照準を定めた。「俺に勝っているから実力はあると思う。だからこそ指名した」。それでも前哨戦では、今月11日から10連敗。O・カーン率いるUNITED EMPIREの勢いに押され続けたが、ホームの地で勝利をつかみ、ようやく浮上のきっかけをつかんだ。

今年2月の広島大会では、当時IWGPヘビー級とインターコンチネンタル王者だった飯伏の2冠統一に待ったをかけようとしたが、失敗した。「逆転の内藤哲也を見せないと、また広島のお客さまの前でウソをついてしまうことになるから宣言をしっかり守る」。内藤はO・カーンとの対決を五分に戻し、カープは25日の試合で勝率を5割に戻した。「年末に振り返ったときに、この広島がきっかけだったと言われるように突っ走っていく」。カープとともに、内藤の逆転のストーリーが始まった。

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SANADAがヘナーレに雪辱「俺に勝とうとしたのが早すぎただけ」

アーロン・ヘナーレ(下)にラウンディング・ボディプレスを決めるSANADA(新日本プロレス提供)

<新日本:広島大会>◇26日◇広島サンプラザホール

SANADA(33)がアーロン・ヘナーレ(28)に勝利し、快進撃を続けるUNITED EMPIRE(UE)の勢いを止めた。

3度目の屈辱を味わうわけにはいかなかった。4日のUEデビュー戦でいきなり、新技のStreets of Rage(フィッシャーマン式デスバレーボム)でKOされ、18日にも同技で屈した。この試合も序盤からヘナーレペース。得意技のラウンディング・ボディプレスも2度もかわされ、つかみかけた流れを手放した。それでも勝機と見たヘナーレの必殺技は何とか回避。ローリングエルボーから怒濤(どとう)の連続攻撃を見せ、最後は再びラウンディング・ボディプレスを2発浴びせ、KO。

SANADAは2月にIWGPヘビー級、インターコンチネンタルの2冠に挑戦して敗れ、3月のニュージャパンカップは準々決勝でオスプレイに屈した。納得の試合ができないなまま今シリーズを迎えたが、前哨戦ではヘナーレが加入し、快進撃を続けるUEに歯が立たなかった。「行動力、成長はすごいと思う」と実力を認めるしかなかった。ようやく雪辱し、ヘナーレに「肋骨(ろっこつ)が折れているみたいだ、チクショー」と完敗を認めさせた。

試合後はいつものように「俺に勝とうとしたのが早すぎただけだ」とクールに語った。次の試合では内藤がO・カーンに勝利。5月4日、IWGP世界ヘビー級のベルトをかけ、オスプレイに挑戦する鷹木にバトンをつないだ。ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンが猛威を振るってきたUEの息の根を止める。

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プロレスと格闘技「道」追求もいまだ届かぬ境地/タイガーマスクの40年3

初代タイガーマスクこと佐山サトル(2007年4月26日撮影)

「タイガーマスク」佐山サトル(63)は、プロレスだけでなく、格闘技にも力を注いできた。23日にデビュー40周年を迎える初代タイガーマスクの記念大会「ストロングスタイルプロレス」(22日、後楽園ホール)に向け、佐山が日刊スポーツの取材に応じた。「タイガーマスクの40年」と題した連載最終回(全3回)は、格闘技の世界へ。

衝撃的なデビューから2年がたった。3年目に突入した83年も、タイガーマスク人気は衰える気配はなかった。試合をこなし、イベントに顔を出し、殺到するマスコミ取材に対応する…。プロレスラーとして誰もが羨望(せんぼう)する地位を築いた。リング上のパフォーマンスも円熟味を増していた。しかし、25歳になった佐山は、そんな現状に物足りなさを感じていた。

78年5月のデビュー戦後間もなく、新日本に新設するマーシャル・アーツ部門の「第1号選手にする」と指名された。以来ずっと、佐山は格闘家になるための練習を続けていた。実は「18歳くらいから格闘技を取り入れようと考えていた」という。メキシコ、英国での海外修行中も、自室に自腹で購入したサンドバッグを備え付けた。タイガーマスクになってからも、毎朝の走り込みを欠かさず、イメージトレーニングも続けていた。

83年6月12日、タイガーマスクは突然赤いパンタロンを履いてリングに登場した。メキシコシティーでのフィッシュマンとのWWF世界ジュニアヘビー級王座決定戦で、マーシャル・アーツで着用するコスチュームをまとった。得意の4次元殺法も駆使したが、それ以上に蹴り技で相手を圧倒した。負傷により1度手放した王座を奪回するとともに、格闘技への情熱をリングの上でアピールした。

心の中に閉じ込めていた欲求をリング上で解放したことで、佐山は腹の底から沸き上がる格闘技への情熱を抑えることができなくなった。フィッシュマン戦から国内シリーズが開幕する同7月1日までの半月間で引退の意志を固めた。同シリーズでもパンタロンをはいて戦い続けた。ファイトスタイルも格闘家に近くなっていた。佐山の心は完全にタイガーマスクから離れていた。

83年8月、新日本に契約解除を告げ、引退を表明した。84年2月、タイガージムを設立して新しい形を模索。ジム開設から2年後の86年6月、ついに理想とする格闘技「シューティング(現・修斗)」の記念すべき第1回大会を開催した。グローブやリングなど、考えたルールは60項目にもなったという。ジムでは技術を教え、選手を育てた。「プロレスラーは、寝技はやっているが、打撃も含め、総合的なものをやっていこうと新しい競技を作った」。

プロレス界で革命を起こした男が、格闘技というリングで先駆者になった。「プロレスと格闘技は融合しない」という理論は今も変わりはない。「格闘技の世界では1回負けることは許されない。選手は命を懸けて勝つための練習をやって、リングに上がっている」。プロレスと格闘技をへてたどり着いたのは「プロレス最強」。プロレスラーは格闘家としての強さを備えた上で、ファンを喜ばせるテクニックを身につけていなければならないという。

22日の大会で、リングに上がる愛弟子のスーパータイガーは、格闘家からプロレスに転向した。自身の精神論に一番近いと考える。「まだプロレスに慣れていないところがある。体で表現できていないというか。そこがしっかりしてくれば、分かってくると思う」と愛弟子の成長に期待する。

いずれは礼儀を重んじ相撲、柔道のような「道」を作りたいと考えている。「シューティングも武道にしたくて修斗という(漢字の)名前にした」。天覧試合をやろうと計画したこともあった。技術は教えられても、精神的な部分は現在も模索中だ。自身もまだその境地にたどり着いてないという。「精神を統一して、不動心で試合に臨む。そのためにはメンタル、人格、平静心を鍛えていかないと。できていないファイターも多い。弟子たちには話したりしているが、なかなか伝えきれていない」。

プロレスを守り、格闘技の選手を育てる。2つの魂を持ちながら佐山はこれからも「道」を追及し続ける。(おわり)【松熊洋介】

スーパー・タイガーと初代タイガーマスクこと佐山サトル(2017年11月24日撮影)
「タイガージム」をオープンさせ写真に納まる初代タイガーマスク(1984年2月撮影)

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YOSHI-HASHIが4度目防衛成功 「戦友」如意棒を取り返し安堵

新日本プロレス後楽園大会 KENTA(手前)から棒を奪い取ったYOSHI-HASHI(新日本プロレス提供)

<新日本:後楽園大会>◇20日◇東京・後楽園ホール

「棒」がようやく手元に返ってきた。

NEVER無差別級6人タッグ選手権試合で、YOSHI-HASHI(38)が、石井智宏(45)、後藤洋央紀(41)と組んで勝利。最多タイとなる4度目の防衛に成功し、試合後にKENTAに奪われていた如意棒を取り返した。

終盤、高橋裕二郎がレフェリーの気を引く間にKENTAが棒を取り出し、攻撃を開始。気付いたYOSHI-HASHIは、すぐに奪い取り、思いっ切り殴りつけた。勝利後、相棒を取り戻し、ホッとした表情を見せたYOSHI-HASHIは「どんな時もこの棒を持って入場してきた。苦楽をともにしてきた戦友」と熱い思いを明かした。

一方、敗れたKENTAは目が覚めたのか「もう冷めたわ。この1カ月、俺はどうかしてた。そんなのどうでもいい」。リング上でキスをしたり、東京タワー“デート”の写真をSNSにアップするなど愛情を注いでいたが「家の物干しさおにまでヤキモチを焼くし、束縛がきつかったから、ちょうど良かった」と悲しむ様子も見せなかった。

11年に海外修業を終えて帰国したYOSHI-HASHIは、12年からCHAOSの一員として棒と一緒に戦ってきた。昨年8月にようやく手にした初のベルトを今回もしっかり守り「歩みを止めないで、いろんなものを積み上げて来たから今、俺はここにいる」と語った。棒を巡る争奪戦にようやく終止符が打たれたが、ジュニアを引っ張る2人の戦いはこれからも続いていく。誰に何と言われようとも、棒もベルトも渡すつもりはない。【松熊洋介】

新日本プロレス後楽園大会 NEVER無差別級6人タッグ選手権で4度目の防衛に成功した、左から後藤洋央紀、石井智宏、YOSHI-HASHI(新日本プロレス提供)

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後藤組が歴代最多タイV4「プロレスは負けない」 鬱憤晴らすGTRで勝利

新日本プロレス後楽園大会 NEVER無差別級6人タッグ選手権で4度目の防衛に成功した、左から後藤洋央紀、石井智宏、YOSHI-HASHI(新日本プロレス提供)

<新日本:後楽園大会>◇20日◇東京・後楽園ホール

NEVER無差別級6人タッグ選手権試合は、YOSHI-HASHI(38)、石井智宏(45)、後藤洋央紀(41)組が、石森太二(38)、高橋裕二郎(40)、KENTA(40)組に勝利し、最多タイとなる4度目の防衛に成功した。

最後にリングに立っていたのは後藤だった。前日の前哨戦で敗れた石森を頭突きでふらつかせると、自らの右膝に相手の背中を打ち付ける必殺技、GTRを決め、たまった鬱憤(うっぷん)を晴らした。勝利後、マイクを取り「コロナでこんな時代になったが、また超満員の後楽園ホールを見るまでは俺たちは負けない。また大歓声をもう1度聞くまでは、プロレスは負けない」と集まったファンに向けて、力強くメッセージを届けた。

19日の前哨戦ではあと1歩の所まで追い込みながら、石森に逆さ押さえ込みで逆転負け。「何の言い訳も思い付かない」と珍しく弱気な発言で肩を落とした。この日も痛めた左腕の影響からか、序盤から10分近くも相手に捕まり、集中攻撃を受けた。それでも石井のアシストもあり、豪快なラリアットから、ヘッドロックで流れを引き寄せた。中盤には石森が、レフェリーの目を盗み、ロープに足をかけてフォールする反則を仕掛けたが、カウント2でしっかり返し、その後の連携技につなげた。

4度目の防衛を果たし、真壁、矢野、田口組と並んで歴代最多タイとなった。YOSHI-HASHIがKENTAに奪われていた「棒」も返ってきた。「勝ったのは俺たち。それが事実。試合を見たお客さんが、明日への活力になってくれたら」。結束を強めた3人は、最多防衛に向け、これからも真っ向勝負で立ち向かう。【松熊洋介】

新日本プロレス後楽園大会 KENTA(手前)から棒を奪い取ったYOSHI-HASHI(新日本プロレス提供)

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猪木、小鉄…プロレス道たたき込まれた/タイガーマスクの40年2

笑顔を見せるアントニオ猪木(右)と初代タイガーマスク(2011年1月17日撮影)

「タイガーマスク」佐山サトル(63)には、プロレス道の魂が宿る。

23日にデビュー40周年を迎える初代タイガーマスクの記念大会「ストロングスタイルプロレス」(22日、後楽園ホール)に向け、佐山が日刊スポーツの取材に応じた。「タイガーマスクの40年」と題した連載第2回(全3回)は、佐山とアントニオ猪木。

佐山の原点は、アントニオ猪木(78)にあった。76年5月デビュー後、猪木の付き人を2年間務めた。そのプロレス道は「基本をしっかり身に付けた上で、リング上で表現する。ナチュラルにみせることができるのが昭和のプロレス」と明かす。観客は持っている食べ物を食べ忘れるほど引き込まれた。佐山自身もかつて、都内にある猪木酒場(昨年閉店)で観戦時、「最初はにらみ合ってばかりで、地味な展開のように思えたが、いつの間にか引き込まれて最後まで見てしまった。これが猪木さんの天才的なところ」と話すほどだ。

その魅力は、圧倒的な練習量と地道な基本の積み重ねがあった。試合がない時は常に練習。「寝技のスパーリングばかりしていた」。当時は練習公開され、ファンの厳しい目にさらされることもあった。本番でつまらない試合をするとヤジが飛んできた。練習での猪木は厳しかったという。「サボるといつもみんな怒られていた。自分は(練習が)結構ちゃんとやっていたのであまりなかったけど(笑い)」。闘魂注入のビンタは、受けたことはない。「目の前で(人が)張り手を受けている姿を見てきたので、やられたいとは思わないよ」と語った。

先輩たちも猪木イズムを継承して厳しかった。故・山本小鉄さんには礼儀を教わった。半年に1回来日する故・カール・ゴッチさんからは服装やマナーをしつけられた。「麺を食べる時、音を出すなと言われた。忠実に守ってきたから、今でも音を出してすすれない」と笑顔で振り返る。

猪木とは昨年行われた同窓会で対談の機会があったが、自身の体調が良くなかったため、実現しなかった。今年に入って入院している猪木の姿をユーチューブで見て「また会いたくなった」と心配な表情を見せた。ただ、「プロレスラーはみんな体が強い。猪木さんのことだから、つくっているかもしれないよ」と笑い飛ばした。

佐山には、猪木ら厳しい先輩たちに教わったプロレス道の魂が宿る。現在は礼儀と基本を重視し、表現できるレスラーを育てている。

プロレスから新たな世界へ。「タイガーマスク」として衝撃的なデビューから2年がたち、3年目に突入した83年。佐山は大きな決断を下す。(続く=第3回は格闘技の世界へ)【松熊洋介】

◆佐山サトル(さやま・さとる) 1957年(昭32)11月27日、山口県生まれ。小学校で格闘技に興味を持ち、高3時にはレスリングで国体出場。75年7月新日本プロレスに入門し、76年5月デビュー。山本小鉄、アントニオ猪木の付け人を務める。その後メキシコ遠征から帰国し、81年タイガーマスクとしてデビュー。83年8月に一時引退。84年スーパータイガーに改名し、UWFで現役復帰。85年に脱退、格闘技「シューティング」(後の修斗)を設立。94年新日本で4年ぶりにリング復帰。99年には掣圏真陰流を設立した。

初代タイガーマスクデビュー40周年記念大会に向けてインタビューに応じた佐山サトル(撮影・松熊洋介)
新日本入門以降、アントニオ猪木とUFO創設などで密接に関わる
84年、手を合わせるUWFのメンバー
84年、前田日明と対戦
04年、3代目(中央)4代目タイガーマスク(右)と
07年、小林邦昭と対戦
16年、アレクサンダー大塚と対戦
18年、新間氏(右)とダイナマイト・キッドさんを追悼する
タイガーマスクのライバル、ダイナマイト・キッド
20年、新間寿氏と長期休養中にあいさつ

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石井智宏が高橋裕二郎に勝利「お前はもう終わりだ」開始から怒りMAX

新日本プロレス後楽園大会 高橋裕二郎に強烈なラリアットを決める石井智宏(新日本プロレス提供)

<新日本:後楽園大会>◇19日◇後楽園ホール

石井智宏(45)が、20日に控えるNEVER無差別級6人タッグ選手権の前哨戦で、高橋裕二郎(40)とのシングルマッチに勝利した。

開始から怒りMAXだった石井。サミングなど反則技を繰り出す高橋に対し、険しい表情で正攻法でぶつかっていった。串刺しラリアットから高橋をコーナートップに上げ、滞空時間の長い雪崩式ブレーンバスターでリングにたたきつけた。終盤、ヘッドバッドで流れを引き寄せると、垂直落下式ブレーンバスターで3カウントを奪った。

かつて同じCHAOSに所属していた高橋が14年に仲間を裏切り脱退。バレットクラブ加入直後に石井が持っていたNEVER無差別級のベルトを奪われた。7年前の悔しさを晴らすかのように、今シリーズの前哨戦では「ベルト挑戦するレベルでない」と毎試合リング上でにらみつけ、試合後には罵倒し続けた。バレットクラブに「あいつは何も結果が残せていない。パートナーを変えなくていいのか」と要求するほど。この日の試合後も「やっぱり(ディック)東郷に変われ。お前はもう終わりだ」と言い放った。

この日はベルトを持つ他の2人もシングルマッチの前哨戦だった。石井は試合後すぐに後藤のセコンドに向かい、リング下からエールを送った。メインのYOSHI-HASHIの試合は後藤も駆けつけ、見守った。普段から強い絆で結ばれている3人。リング中央で相手を袋だたきにする暴れ太鼓は、他がまねできないほど息ピッタリの得意技だ。連携では負けないCHAOSの3人が4度目の防衛戦でもしっかりとベルトを守る。

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静かな会場に落胆…実は引き込まれていた観客/タイガーマスクの40年1

84年2月、「タイガージム」を開設

佐山サトル(63)が、1年半ぶりにリングに上がる。23日にデビュー40周年を迎える初代タイガーマスクの記念大会「ストロングスタイルプロレス」(22日、後楽園ホール)に向け、佐山が、日刊スポーツの取材に応じた。「タイガーマスクの40年」と題して、3回にわたって連載する。第1回はタイガーマスク誕生秘話。

衝撃デビューから40年。あの初代タイガーマスクがリングに戻ってくる。40周年記念大会第1弾で、昨年9月以来となるリング登壇に意欲を見せる。「リングには上がれるがコーナーポストは無理かな」とジョーク交じりに笑顔を見せた。

15年に狭心症と診断されて心臓を手術。16年に復帰するも再び体調を崩し、リングからは離れていた。その後自力で歩行できるまでに回復し、昨年からは公の場にも登場。体調について「寒い時は少し悪いが暖かくなると大丈夫」とガッツポーズをつくってみせた。

81年4月23日。新日本プロレスの蔵前国技館大会でタイガーマスクはデビューした。虎の覆面をかぶった身長173センチの小柄な男は、リングに革命をもたらした。「4次元殺法」と呼ばれた華麗な空中技で、血なまぐさいマットを華やかな舞台へと変えた。

もともとタイガーマスクは1試合限定の予定だった。テレビ朝日で放送開始したアニメ「タイガーマスク2世」の番組宣伝を兼ねたタイアップ企画だった。その主役に佐山が抜てきされた。アントニオ猪木や当時営業部長だった新間寿氏の指名だった。佐山は、当時サミー・リーとして英国で絶大な人気を誇っていた。最初は「帰れないと断った」。すると新間氏から「猪木の顔をつぶさないでくれ」と言われ、1試合で英国に戻るつもりで帰国した。

「期待されている」と思って受け入れたが、違っていた。用意されたマスクとマントは、シーツのような薄っぺらな生地で一夜漬けで作製したような代物だった。ファンからのヤジも聞こえ、予想外の反応に戸惑った。

このデビュー戦は「伝説の一戦」といわれる。ダイナマイト・キッドとの9分29秒の激闘は、それほど衝撃的だった。見たこともない飛び技と、切れ味鋭い打撃。美しいフォームのソバットを繰り出し、ジャーマンスープレックス・ホールドで勝利した。試合後の会場は、静寂に包まれた。総立ちで拍手が起こっていた英国と違った。「ウケなかった。すぐに英国に帰ろう」とそそくさとリングから引き揚げた。実は佐山のファイトに会場が引き込まれていたからだった。周囲はたった1試合で激変した。ファンから次戦の問い合わせが殺到。新日本は2週間後に2戦目を組んだ。

タイガーマスクの時代は2年4カ月と短い。なのにプロレス史に強烈な印象を残した。それは空中殺法が華麗だったからではない。圧倒的に強かったから。シングル、タッグ合わせて通算387戦で敗戦はわずか11試合。しかもシングルマッチは165戦してダイナマイト・キッドに反則負けした1敗のみ。残るタッグでの10敗も、タッグパートナーがフォールされただけだ。初代タイガーマスクは1度もフォール負けしていない。

現在はプロレスラーと格闘家の育成に励む。83年の引退後には「18歳の時から考えていた」と格闘技「シューティング(現・修斗)」を作った。人格、平静心を鍛え、礼儀を重んじる佐山の魂を受け継ぐ選手たちがリングで躍動している。

佐山は新日本プロレスに誘ってくれた新間氏との縁を「数奇な人生」と振り返る。「タイガーマスクになれと言われたし、付き合ううちに考え方も一緒だと分かった。人間の本当の優しさを持っている人」。タイガーマスク人生を作り上げてくれた恩師と、温かく見守り続けるファンのために、リング上の元気な姿で恩返しする。(続く=第2回は「佐山サトルとアントニオ猪木」)【松熊洋介】

◆佐山サトル(さやま・さとる) 1957年(昭32)11月27日、山口県生まれ。小学校で格闘技に興味を持ち、高3時にはレスリングで国体出場。75年7月新日本プロレスに入門し、76年5月デビュー。山本小鉄、アントニオ猪木の付け人を務める。その後メキシコ遠征から帰国し、81年タイガーマスクとしてデビュー。83年8月に一時引退。84年スーパータイガーに改名し、UWFで現役復帰。85年に脱退、格闘技「シューティング」(後の修斗)を設立。94年新日本で4年ぶりにリング復帰。99年には掣圏真陰流を設立した。

<タイガーマスクアラカルト>

◆技 デビュー戦から毎試合のように高度な新技を披露した。有名な後ろ回し蹴りローリングソバット、バック宙しながら相手を蹴るサマーソルトキック、コーナーポストからの旋回式ボディープレス…。1試合で複数の新たな必殺技を決めることもあった。そのほとんどがオリジナル技だった。

◆歴代タイガーマスク 初代の佐山は83年に一時引退し、UWFでスーパータイガーに改名。84年8月に故・三沢光晴さんが2代目としてデビューし、90年まで務める。92年に金本浩二が3代目。佐山の教えを受けた4代目は、95年7月にデビューし、現在も新日本プロレスのリングに立つ。

◆ライバル 

ダイナマイト・キッド 「それまで対戦した中で一番強かった」と明かす。82年8月、WWFジュニアヘビー級王座をかけた蔵前国技館大会では、試合開始と同時にハイペースで技を応酬。リング上から場外へ投げ捨てるブレーンバスターで反撃し、サイドスープレックスの体勢から、受け身の取れない変形パイルドライバー。鼻血を出したキッドに、旋回式ボディープレスを浴びせ3カウントを奪った。

「暗闇の虎」ことブラックタイガー 82年5月に、相手の必殺技であるツームストン・パイルドライバーを逆に仕掛け、ラウディング・ボディープレスで勝利した。

メキシコ修業時代から一緒だった小林邦昭と数々の激闘を繰り広げた。82年10月の初対決からマスクを引き剥がされるなど、WWFジュニアヘビー級のベルトを懸けて何度も戦った。

84年7月23日、UWFのリングに「ザ・タイガー」としてデビューしたタイガーマスクに頭突きを浴びせる藤原喜明
初代タイガーマスクこと佐山聡(2020年11月5日撮影)

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WWE王座を初戴冠したKUSHIDA「まだ実感がない。疑っている」

WWE王座初戴冠となるNXTクルーザー級王座を獲得したKUSHIDA(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.

19年4月、新日本プロレスからWWEに移籍したKUSHIDA(37)が今週のWWE・NXT大会(米オーランド)で王座を初戴冠した。

15日配信のNXT大会で、NXTクルーザー急王者サントス・エスコバーに挑戦して勝利を飾った。16日に日刊スポーツのインタビューに応じ、2年を費やして到達したタイトル獲得までの道、今後の野望を明かした。

    ◇    ◇    ◇

ようやくたどり着いたWWEの王座に「まだ実感がない。祝福されても疑っている」と苦笑するKUSHIDAは、NXT総責任者トリプルH、NXTコーチのショーン・マイケルズのレジェンド2人に祝福されたことが何よりうれしかったという。「普通の試合では何も言われない。そこそこ良い試合はグッドジョブ、メチャメチャ良い試合だけほめてくれる。今回はベルトを取ったというおめでとう感もあり、ほめてくれた。自信になった」と納得の表情を浮かべた。

新日本時代はIWGPジュニア王座を6回戴冠。WWE加入当初、元新日本組となる中邑真輔やリコシェと比較されるギャップに苦しんだそうだ。「これが20歳代だったらへこんでいたかも。『自分は違う』と心を落ち着かせた。2人のようなカリスマ性のキャラではないし、自分のキャラクターを浸透させ、実力で見返してやると思った2年間だった」と振り返った。

リング内外も試行錯誤の連続だった。KUSHIDAは「すぐに超大活躍、日本人スーパースター、という訳ではなかったし。悩んで『うまくいかない』とネガティブになることもあった。でも、それがあってベルトが取れたと思う。この2年間のタメが効いている」と強調。苦悩するプロセスを他選手やプロデューサーら関係者にみせたことで「信頼を置いてくれたと思う」とうなずいた。

2年前は「WWEに入りたい」「米国で暮らしたい」だけで新たな世界に飛び込んだそうだ。今、WWEのベルトをつかみ「この2年で(王者になるには)何が必要なのかを学ばせてもらった。WWEで王者になるのは、名誉なことで大変なことが今、分かる。だから喜びは倍増する。WWEに入って中邑さんとアスカさんが上がってきた道が本当にすごいなと感じている。いつか2人と絡みたい。それが野望」。

NXTクルーザー級新王者となったKUSHIDAの野望は大きく、多い。年間最大の祭典レッスルマニア、真夏の祭典サマースラムという2大PPV大会名を挙げ「そこで防衛戦がしたい」と目標を掲げた後、こう続けた。

「(元WWEヘビー級王者)ダニエル・ブライアンがKUSHIDAと戦いたいと言ってくれているし、それを実現するためにWWEに来たようなものなので。あと(新日本時代に名勝負を繰り広げた)カイル・オライリーとレッスルマニアで試合がしたい。レイ・ミステリオJr.やジョン・シナとも絡みたい。シナは日本で言えば(新日本の)棚橋(弘至)さんかなと。近くでオーラとか人柄とか盗み取りたい。近くにいかなくてはいけないと思う」

前週8日のNXTのPPVテイクオーバー大会でKUSHIDAはピート・ダンとのシングル戦で敗れていた。しかし、翌週にタイトル挑戦のチャンスが巡り、あっという間に王座を初戴冠した。KUSHIDAは言う。「ここは何が起こるか分からない。負けたのに、数日後になぜに王座挑戦できるのか。来週、何が起こるか分からないです、マジで。すごくチャンスにあふれている。男女平等にチャンスが与えられる。女子選手が入場も格好いいし、キャラクターも人格も素晴らしい。より競争が激しくなっている」。

生き残りが厳しいWWEというプロレスの“メジャー舞台”。WWEのベルトを巻いたKUSHIDAは「野望」を大きく膨らませながら、日々勝負を続ける。【藤中栄二】

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KUSHIDAがWWE王座初戴冠「日本の皆さん、ついに取りました」

NXTクルーザー級王座奪取に成功したKUSHIDA(左)(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.

<WWE:NXT大会>◇15日配信◇米フロリダ州オーランド

19年4月にWWE入りした元新日本プロレスのKUSHIDAが初王座を戴冠した。

前週のPPV大会テイクオーバーで米、英のクルーザー級王座を統一したばかりのNXTクルーザー王者サントス・エスコバーの挑戦者募集を受け、KUSHIDAが登場し、同王座挑戦が実現した。

ミサイルキックで襲いかかったKUSHIDAはWWE殿堂入りした新日本時代の大先輩となる獣神サンダー・ライガーのポーズでエスコバーを挑発。すると鉄製階段にたたきつけられ、ハリケーン・ラナやドロップキックまで浴びる反撃を受けた。負けじとKUSHIDAもアトミックドロップからミサイルキック、マサヒロ・タナカ(ナックルパート)、掌底と連続攻撃で追い詰めた。

さらにスーパープレックス、スープレックス、飛びつき式ホバーボードロックとたて続けに攻め、エスコバーのファントムドライバーをかわしながらフォールの取り合いを制し、丸め込んで3カウントを奪ってみせた。KUSHIDAは「ありがとうございます! 日本のファンの皆さん、ついについに取りました。NXTクルーザー級王座。地道にコツコツと確実に試行錯誤した2年でした。ようやくここにたどり着きました。とりあえず今日はこのすてきなモーメントに酒を飲みたいと思います。やったぜー!」と初王座戴冠に歓喜した。

WWEのレジェンドたちもKUSHIDAの王座奪取を祝福。トリプルHは「成功とはチャンスをつかむために絶好のタイミングを見つけること。KUSHIDAは、まさにそれをした」とSNSに投稿すれば「HBK」ショーン・マイケルズも「NXTでは何でも起こり得る。新たなクルーザー級王者KUSHIDA、おめでとう」とコメントを寄せた。

また試合後、KUSHIDAは早速、元王者ジョーダン・デブリンに絡まれた。「ラッキーだったな。俺はUKに帰るが、いつかベルトを取り戻しに戻ってくるぞ」と挑発されると、新王者らしく「いつでもやってやるよ」と返答してにらみ合いを展開していた。

NXTクルーザー級王者サントス・エスコバー(右)を丸め込むKUSHIDA(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.
NXTクルーザー級王者サントス・エスコバー(左)にミサイルキックを放ったKUSHIDA(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.

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KUSHIDAがWWE王座初戴冠 エスコバルからクルーザー級王座奪取

WWEクルーザー級王座を獲得したKUSHIDA(C)2021 WWE, Inc. All Rights Reserved.

<WWE:NXT大会>◇13日(日本時間14日)◇米フロリダ州オーランド

元新日本プロレスのKUSHIDA(37)が、WWEの王座を初戴冠した。挑戦者を求めたWWEクルーザー級王者サントス・エスコバルに挑んだ。場外戦では鉄製ステップにたたきつけられ、雪崩式フランケンシュタイナーの大技も浴びるなど王者に押されながらも丸め込んで逆転勝ち。20年6月3日から王座を保持していたエスコバルを撃破した。日本勢では戸沢陽が17年8月に同王座を獲得している。

新日本時代に6度のIWGPジュニアヘビー級王者戴冠を誇るなどジュニアのエースとして活躍したKUSHIDAは19年1月末に新日本を退団。同年4月からWWEに加入し、NXTを主戦場に活動している。

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