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石崎拓馬の三段目付け出しを承認 学生相撲で3位

高砂部屋入り口(2021年2月26日撮影)

日本相撲協会は1日、東京・両国国技館で理事会を開き、日体大相撲部出身で昨年の全国学生相撲選手権で3位となった石崎拓馬(22=高砂)の三段目100枚目格付け出しを承認したと発表した。夏場所(5月9日初日、両国国技館)でデビューする。

高砂部屋の入門は、昨年の11月場所後に部屋を継承した高砂親方(元関脇朝赤龍)と同じ高知・明徳義塾高出身だったことが縁。日体大では主将を務めていた。

元関脇朝赤龍の高砂親方(2018年2月4日撮影)

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日体大・石崎拓馬が高砂部屋入門「相撲うまい」親方

高砂親方(2018年2月4日撮影)

昨年の全国学生相撲選手権で3位となった石崎拓馬(日体大4年)が大相撲の高砂部屋に入門することが10日、分かった。

昨年の11月場所後に部屋を継承した高砂親方(元関脇朝赤龍)と同じ高知・明徳義塾高出身だったことが縁。石崎はインカレの成績により三段目最下位格付け出しの資格を得ており、順調にいけば5月の夏場所でデビューする。

この日は師匠となる高砂親方が東京・世田谷区の日体大を訪問し、松浪健四郎理事長らが同席のもと、あいさつが行われた。石崎は日体大では主将を務め、現在は相撲部の土俵で稽古を重ねている。石崎を高校時代から知る高砂親方は、電話取材に応じ「背は大きくない(173センチ、123キロ)けど相撲がうまい。相撲に対する熱意もある。将来が楽しみ」と期待を寄せた。部屋に住むのは4月以降になる見通しという。

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虎党徳勝龍「ホームランか三振」少年時代強打の捕手

徳勝龍

虎の横綱になる! 阪神ドラフト1位の佐藤輝明内野手(21=近大)と大相撲の徳勝龍(34=木瀬)が、新春の「仮想対談」を行った。近大の先輩徳勝龍は、大の阪神ファンで、黄金ルーキーにプロの世界で生き抜く秘訣(ひけつ)を伝授。期待に応えるべく佐藤輝も、1年目から大暴れを誓った。【取材・構成=実藤健一、只松憲】

   ◇   ◇   ◇

徳勝龍は生まれた瞬間から阪神ファンだった。「両親がすごいファンだったんで」。特に父順次さんはファンクラブに入会するほど熱狂的。その父に連れられ、甲子園球場にもよく通った。好きだった選手は亀山。「背番号00がめちゃかっこいいと思ってました」。

少年野球で「ホームランか三振」という強打の捕手だった。同時に地元の相撲クラブにも通った。将来は野球か相撲か。「野球は好きだったが自信がなかった。走れない。何をやったら一番いいかが相撲だった」。その視点は玄人で初場所優勝後、キャンプも始まる前から高卒ルーキー井上の長距離砲の資質を見抜き、イチ押ししていた。

近大の先輩、阪神の“男前”藤井バッテリーコーチとは共通の知人を介して知り合い、たまに食事に行く仲という。初場所の初優勝後、お祝いに藤井コーチから現役時代に使用したキャッチャーミットをプレゼントされた。そのミットを手に甲子園で「受球式」は現実的な夢だ。【実藤健一】

◆徳勝龍誠(とくしょうりゅう・まこと) 本名・青木誠。1986年(昭61)8月22日、奈良市生まれで育ちは橿原市。家族は千恵夫人。3歳から柔道、小学2年から野球を始め、相撲は4年から。少年野球は4番捕手で6年時に橿原市の大会で優勝。父順次さん、母えみ子さんも生粋の阪神ファン。明徳義塾高-近大から木瀬部屋へ。09年初場所、前相撲から初土俵。11年九州場所新十両、13年名古屋場所新入幕。20年初場所、幕尻で14勝1敗の初優勝。最高位は西前頭2枚目。183センチ、192キロ。得意は突き、押し。

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志摩ノ海1敗守る「流れかな」初V好機地元バタバタ

竜電(右)を下手出し投げで破る志摩ノ海(撮影・鈴木正人)

<大相撲11月場所>◇12日目◇19日◇東京・両国国技館

幕尻の快進撃が止まらない。東前頭17枚目の志摩ノ海(31=木瀬)が竜電を下手出し投げで下し、1敗を守った。幕内での11勝は自己最多。

13日目は結びで大関貴景勝との「1敗対決」が組まれた。初優勝が現実味を帯び、地元の三重・志摩市もバタバタの優勝準備を開始した。小結照ノ富士が大関再昇進の起点となる2桁10勝目をあげた。

   ◇   ◇   ◇

勝ち運に乗っている。突き押し相撲の志摩ノ海が、まわしをとっても勝ち星を引っ張ってきた。「流れなのかなと思います」。組み止めて左からの下手出し投げを鮮やかに決めた。「何も考えないで自分の相撲を取りきるだけ」という無心の境地で幕内で自己最多、11個の白星を積み上げた。

13日目は、大関貴景勝と結びで「1敗対決」が組まれた。幕尻の快進撃が「割り崩し」を生んだが、取組後、「明日の取組は見てません」。部屋に戻って、師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)から対戦相手を知らされ、助言をもらうのが通例という。「明日の取組は何も考えていない。いい相撲をとるだけで、帰ってから師匠に聞きます」が、曲げない姿勢を物語る。

一方で初優勝の好機に地元はバタバタしてきた。三重・志摩市役所の関係者は取組前、「今日の結果次第で動きだしたいと思います」。垂れ幕の準備。新型コロナウイルス感染症の影響を考慮しつつ、パブリックビューイングや凱旋(がいせん)パレードの可能性も探る。三重県出身力士では83年初場所の大関琴風以来37年ぶり。機運は確実に高まってきた。

今年初場所、徳勝龍の優勝パレードで旗手を務めた。その光景が忘れられない。「人がいっぱいいて、旗手をやらせてもらってよかったと思う。旗手をやったからにはその横(優勝者)に座りたいとだれもが思っている」。コロナ禍でパレードは実現しないが主役の座は奪える。夢を現実に。13日目に大一番を迎える。【実藤健一】

◆志摩ノ海航洋(しまのうみ・こうよう) 本名・浜口(はまぐち)航洋。1989年(平元)7月11日、三重県志摩市生まれ。和具中(現志摩中)-明徳義塾高-近大。12年夏場所初土俵。16年名古屋場所新十両。19年夏場所新入幕。同場所10勝で敢闘賞。最高位は東前頭6枚目。幕下を除く各段で優勝(十両は2回)。179センチ、160キロ。得意は突き、押し。

竜電を下手出し投げで破り、勝ち名乗りを受ける志摩ノ海(撮影・河田真司)

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苦労人の志摩ノ海1敗死守 あるぞ今年3度目幕尻V

勝ち名乗りを受ける志摩ノ海(撮影・小沢裕)

<大相撲11月場所>◇10日目◇17日◇東京・両国国技館

今年3度目の幕尻優勝もあるぞ。東前頭17枚目の志摩ノ海(31=木瀬)が千代の国を寄り切り、1敗を守った。今年初場所で幕尻優勝を飾った同部屋の徳勝龍と同じ明徳義塾-近大の経歴。アマで実績を積んだ実力者ながら、大けがで出世が遅れた苦労人でもある。2横綱2大関休場で大混戦の今場所、幕内最下位からの下克上を狙う。1敗は大関貴景勝と2人となった。

   ◇   ◇   ◇

またも幕尻が脚光を浴びる。幕内残留に後がなかった志摩ノ海が、堂々の優勝争いだ。「昨日、師匠(木瀬親方=元幕内肥後ノ海)が『相手は突っ張ってくるから頭を上げるな』と言ってくれた。それだけを頭に刻んでいった」。師匠の助言通り、低い前傾姿勢で千代の国を寄り切った。

今年初場所。まったくのノーマークで初優勝を遂げた徳勝龍と重なる。幕尻、同部屋、さらに明徳義塾高から近大をへての角界入りの経歴も同じ。1敗を守ったが「何も考えていない。考えたらダメなんで。師匠からも『無心になっていけ』と言われている」。

エリート街道から転げ落ちた経験が今に生きる。付け出しの資格は得られず、前相撲からのスタートも順調に番付を上げて13年名古屋場所は関取目前の西幕下4枚目。しかし、この場所で左膝前十字靱帯(じんたい)断裂の大けがを負った。復帰した翌14年名古屋場所は東序ノ口18枚目。関取に手をかけながら振り出しに戻された。そこから愚直に努力を重ね、幕内力士の地位を築いた。

この日、兄弟子の元小結臥牙丸の引退が発表された。「入門当初、小結にいた。はるか上の人に稽古をつけていただいた。感謝の気持ちと寂しい気持ちでいっぱい。指導してもらったんで、結果を出していきたい」。胸を借りてきた恩を返すためにも、負けられない相撲だった。

優勝すれば、三重県出身力士では元大関琴風の83年初場所以来37年ぶりとなる。今年は初場所で徳勝龍、7月場所で照ノ富士が幕尻優勝。波乱に満ちた1年を締めくくる場所で「3度目」も現実味を帯びてきた。志摩ノ海は「中途半端にならない、悔いの残らない相撲だけを意識している」。幕内に残る最低限の目標はすでにクリアも、別次元の重圧がのしかかる。「下克上」へ、大勝負の残り5日間が始まる。【実藤健一】

▽八角理事長(元横綱北勝海)「志摩ノ海は下から下から押し上げるのがいい。コツコツやるタイプでは。押し相撲だから特に精神的にも粘り強い。貴景勝は今日も、相手を見て考えながらの相撲で動きは悪かったが勝ったのは良かった。明日からまた行けるだろう」

▽高田川審判長(元関脇安芸乃島)「志摩ノ海はいい相撲を取っている。どんどん前に出ている。照ノ富士はずばっと入られたけど、根こそぎいきましたね」

◆志摩ノ海航洋(しまのうみ・こうよう) 本名・浜口(はまぐち)航洋。1989年(平元)7月11日、三重県志摩市生まれ。和具中(現志摩中)-明徳義塾高-近大。12年夏場所初土俵。16年名古屋場所新十両。19年夏場所新入幕。同場所10勝で敢闘賞。最高位は東前頭6枚目。幕下を除く各段で優勝(十両は2回)。179センチ、160キロ。得意は突き、押し。

志摩ノ海(右)は千代の国を寄り切りで破る(撮影・柴田隆二)
志摩ノ海(左)に敗れた千代の国(撮影・丹羽敏通)

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貴景勝、志摩ノ海1敗トップ維持 照ノ富士ら2敗

妙義龍(左)をはたき込みで破る貴景勝(撮影・小沢裕)

<大相撲11月場所>◇10日目◇17日◇東京・両国国技館

幕尻の東前頭17枚目志摩ノ海が、1敗を守ってトップを維持した。再入幕ながら好調の千代の国の引きに落ちることなく、前に出続けて寄り切った。春場所以来となる9勝目を挙げ、新入幕だった19年初場所での自己最多の10勝に王手をかけた。明徳義塾高、近大出身と実績と経験が豊富な志摩ノ海が、1年納めの場所で存在感を出している。

前日に初黒星を喫した大関貴景勝は、埼玉栄高の先輩の妙義龍と対戦。過去10戦全勝中の相手に、落ち着いて突き押しで攻めた。互いに距離を取りながら勝機を伺い、左の突きからはたき込みを決めた。連敗することなく、志摩ノ海とともに1敗を守った。

東前頭6枚目宝富士は、北勝富士と激しい攻防戦を繰り広げるも取り直しに。互いに息絶え絶えの状況で臨んだ取り直しの一番で、攻め込まれながらも土俵際で回り込むなどして粘ったが、押し出しで負けて2敗に後退。トップは1敗の貴景勝と志摩ノ海の2人となった。

連敗中の小結照ノ富士は、小兵の翔猿を立ち合いで捕まえると、つり上げて土俵中央から一気に土俵外へと運んだ。連敗も止めて、再入幕の7月場所から3場所連続で勝ち越しを決めた。2敗を守り、1差の貴景勝と志摩ノ海を追いかける。

照ノ富士(右)は翔猿をつり出しで破る(撮影・柴田隆二)

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「個性ある力士」「強い背中」/琴奨菊惜別コメント

16年初場所を制し八角理事長から賜杯受ける琴奨菊

<大相撲11月場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館

元大関で現役最年長関取の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が、引退を決意したことが大相撲11月場所7日目の14日、分かった。

15年ぶりに十両に転落した今場所は、6日目終了時点で1勝5敗と振るわず、この日に休場届を提出した。日本相撲協会理事会の承認を経て、年寄「秀ノ山」を襲名する見通し。波乱続きの1年納めの場所は、大関貴景勝と小結照ノ富士が全勝をキープ。再入幕で奮闘する千代の国が初黒星を喫した。

▽八角理事長(元横綱北勝海) 琴奨菊はケガが多かったが、最後の最後まであきらめずよく頑張った。身長はないが腰が重く馬力があって個性のある力士だった。この頃の子どもは(指導が)難しいからよく(師匠ら)親方にならって勉強を積み重ねてほしい。

▽貴景勝(同じ二所ノ関一門) 膝のケアの仕方とかいろんなことを教えていただいた。強い背中を相撲界に入る以前から見てきました。

▽高安(入れ替わるように大関へ) 長年、稽古でも取組でも胸にぶつかっていった。感慨深いものがあるし、寂しい気持ち。相撲を突き詰めて努力していた方。とても影響受けました。

▽照ノ富士(同時期に大関を務めた) 長い間お疲れさまでした。いろんな意味で刺激をもらった先輩です。

▽徳勝龍(明徳義塾高の後輩) あこがれの先輩でした。菊関が大関の時にやりたかったですね。

大きく反り返る琴奨菊のルーティンワーク

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志摩ノ海「尊敬のまなざし」引退決断の琴奨菊へ感謝

魁聖(左)を攻める志摩ノ海(撮影・鈴木正人)

<大相撲11月場所>◇7日目◇14日◇東京・両国国技館

東前頭17枚目の志摩ノ海(31=木瀬)が、引退を決断した琴奨菊への感謝の気持ちを明かした。

志摩ノ海は近大卒業後に角界入りしたが、琴奨菊は高知・明徳義塾高の先輩にあたる。この日の取組後「昔から大活躍された方。高校の先輩で、学ぶことは多かった。膝をケガしてからも努力されていたし、尊敬のまなざしで見ていました」と話した。

部屋は違うものの、巡業中にアドバイスを受けたこともあったという。幕内では7度対戦し、6勝した。「当たれたことは光栄だと思う。当たれてよかったと思います。自分の年を取っても負けないくらい、若々しく取れればと思います」と胸の内を明かした。

魁聖(右)を送り出しで破る志摩ノ海(撮影・中島郁夫)
魁聖を送り出しで破り、土俵から引き揚げる志摩ノ海(撮影・河田真司)

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幕内最年長琴奨菊が残留へ崖っぷち、3戦全勝が目安

顔面から流血する琴奨菊(撮影・小沢裕)

<大相撲秋場所>◇12日目◇24日◇東京・両国国技館

幕内最年長の西前頭11枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)が、幕内残留に向けて崖っぷちに立たされた。

高知・明徳義塾高の後輩でもある志摩ノ海に、土俵際で逆転を許した。鋭い踏み込みから左をねじ込んで前に出たが、足がついていかず突き落としで敗れた。2勝7敗3休。幕内残留の目安は5勝。残り3日間で全勝が求められ、厳しい星勘定となっている。

琴奨菊は2日目の明生戦で左ふくらはぎを負傷し、3日目から「左下腿(かたい)肉離れにより全治2週間の見込み」との診断書を提出して休場していた。幕内在位が15年を超える大関経験者は、再出場しなければ11月場所で十両に陥落することが確実だった。

志摩ノ海(手前)は琴奨菊を突き落としで破る(撮影・柴田隆二)

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引退の栃煌山「寂しい気持ちも」心に残る稀勢の里戦

リモート引退会見に出席した元栃煌山

大相撲の元関脇栃煌山(33=春日野)が15日、現役引退と年寄「清見潟(きよみがた)」の襲名を発表した。春場所で負け越して2度目の十両陥落となっていた。元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らと同じ昭和61年度生まれで「花のロクイチ組」として、三役在位は通算25場所。賜杯には届かなかったものの12年夏場所には優勝決定戦を経験した。今後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

   ◇   ◇   ◇

一時は「大関候補」の呼び声も高かった栃煌山が、土俵に別れを告げた。「ひとつの区切りがついた。次に落ちたときは自分でやめようと決めていた」。昨年の九州場所で、07年春場所での新入幕から75場所守ってきた幕内から陥落。1場所で返り咲いたものの、3月の春場所で3勝12敗と大きく負け越し、再び十両に転落して決断した。

鋭い寄りを武器に入門から約4年で新三役に昇進し、12年夏場所では旭天鵬と史上初となる平幕同士の優勝決定戦を争った。努力家で「コツコツ長年積み重ねたものを出せるタイプ」と、リモート会見に同席した師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)。賜杯と大関には届かなかったが、栃煌山自身も「しっかり課題を持って、体に染み込ませるように常に稽古をしていた。なかなか最後、上の番付に上がることができなかったけど、自分のやってきたことに間違いはなかったと思う」と胸を張った。

元稀勢の里や、小学校からのライバルで同期の元大関豪栄道(現武隈親方)ら同学年の力士としのぎを削ってきた。15年間の現役生活で最も印象に残る取組は、昨年初場所の稀勢の里戦。稀勢の里の現役最後の相手として、白星を挙げた。「同学年で、自分が入門したときには関取に上がっていた。そういう人と最後に相撲が取れたことはうれしい気持ちもあったし、その次の日に引退して寂しい気持ちもあった」。くしくも引導を渡す形になった。

「子どもの頃からずっと相撲しかやってこなかった。自分が相撲を取らないのが想像もつかない」。今後は名門部屋の部屋付き親方として、次の関取を育てる。「相撲に対して真面目で、粘り強い力士になれるように育てたい」。関脇に通算11場所在位した実力者は、第2の人生に向けて決意を固めた。【佐藤礼征】

◆花のロクイチ組 大相撲で昭和61年度生まれの関取の総称。大関以上では元稀勢の里と元豪栄道、三役経験者では栃煌山のほか、宝富士、碧山、勢、魁聖、妙義龍の5人は現在も幕内で活躍。初場所で史上2度目の幕尻優勝を果たした徳勝龍も同学年。

◆栃煌山雄一郎(とちおうざん・ゆういちろう)本名・影山雄一郎。1987年(昭62)3月9日、高知県安芸市生まれ。安芸小2年で相撲を始め、安芸中で中学横綱。明徳義塾高では4冠。05年初場所初土俵。07年春場所新入幕。09年夏場所で新小結、10年秋場所で新関脇昇進。金星は6個、三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞が各2回。幕内通算573勝563敗19休。得意は右四つ、寄り。187センチ、151キロ。血液型A。家族は夫人と1女。

19年1月15日、初場所3日目に稀勢の里(右)を寄り切りで破る栃煌山

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徳勝龍が涙浮かべ献花「感謝」近大伊東監督お別れ会

近畿大学相撲部伊東勝人監督お別れの会に参列した徳勝龍は思い出を語る(撮影・宮崎幸一)

近大相撲部監督で1月18日に急死した伊東勝人氏(享年55)のお別れの会が22日、大阪市内のホテルで約400人が出席して行われた。角界からは初場所で平幕優勝を飾った同大OBの徳勝龍(33=木瀬)や、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)鳴戸親方(元大関琴欧洲)相撲解説者の舞の海秀平氏らが出席、故人に別れを告げた。

優しく笑う伊東さんの遺影を前に、徳勝龍は涙を浮かべて献花した。「いろんな思いがこみ上げてきて…。お通夜もお葬式も場所中で行けず、本当は監督の顔を見て、しっかり話をしたかったですけど…ここに来られて良かったです」。

明徳義塾高3年の時、真っ先に声を掛けてくれたのが伊東さん。「自分でも必要としてくれる人がいる。この人のために4年間頑張ろう」と決意し、近大で力をつけ、プロの世界に飛び込んだ。強く覚えているのは、卒業前の進路相談などで伊東さんが「俺もプロに行きたかったなあ」とぼそっとつぶやく姿だ。

しこ名の徳勝龍の「勝」は、木瀬親方(元前頭)が命名時に伊東さんの名前をもらって入れてくれた。「僕が勝手に思っていたことですが(伊東さんが)自分のおやじならいいなと。何でも話せて、監督と生徒なのに、僕を一社会人として見てくれていた。本当に感謝しかないし、監督がいなかったら今の僕はないです」。初場所は天国から背中を押してもらい、初優勝した。迫り来る春場所(3月8日初日、エディオンアリーナ大阪)へ。「天国でゆっくり寝ながら見ていてください」。あらためて「勝」の字に恥じない奮闘を誓った。

近畿大学相撲部伊東勝人監督お別れの会に参列し、献花する徳勝龍ら(撮影・宮崎幸一)
近畿大学相撲部伊東勝人監督お別れの会に飾られた遺影(撮影・宮崎幸一)

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徳勝龍は阪神ファン、憧れ亀山努氏と始球式共演熱望

幕内優勝を飾り、一夜明け会見で「幕尻」としたためた色紙と、優勝の「V」バルーンを手に笑顔を見せる徳勝龍(撮影・河田真司)

大相撲初場所で幕尻として20年ぶり史上2度目、奈良県出身力士として98年ぶりの優勝を果たした平幕の徳勝龍(33=木瀬)が、千秋楽から一夜明けた27日、都内の部屋で会見を行った。

前日は涙と笑いが入り交じっていたが、この日は終始笑顔。上位陣と対戦する見込みの春場所(3月8日初日、大阪・エディオンアリーナ)を前に、大好きなプロ野球阪神との共演を夢見た。

   ◇   ◇   ◇

寝不足を感じさせない笑顔がまぶしかった。会見に出席した徳勝龍は「今も自分じゃないような、ふわふわした感じ。昨日は興奮して眠れなかった」と吐露。LINEなどで祝福のメッセージは500件以上届いた。「新聞で主役になる日がくるとは思わなかった」。スポーツ紙の1面をジャックしても、快挙にまだ実感が湧いていない様子だ。

会見後に、まさかの逆指名が飛び出した。前日は「“関西魂”で笑かそうと」ユーモアたっぷりの優勝インタビューで相撲ファンを魅了。お笑い動画鑑賞が趣味なだけに「(吉本)新喜劇から出演オファーがくるのでは?」と報道陣に振られると「それよりも野球でしょ」と自ら切り出した。

父青木順次さん(73)と親子2代で阪神ファン。自身も野球経験者で、相撲と並行して小2から小6まで習っていた。本塁打性の打球を打っても「足が遅くて2塁で必ず止められる」という鈍足強打の4番捕手として、市大会で優勝するなど活躍。中学から相撲一本に絞ったが、角界入り後も特注のキャッチャーミットでキャッチボールを楽しむこともある野球好きだ。

異例の形で阪神との共演を熱望する。「始球式より(捕手として)球を受けてみたい。(現役選手の球は)速すぎて取れないけど、今の亀山さんの球なら取れるかも」。ヘッドスライディングなどの全力プレーで活躍し、新庄剛志氏とともに「亀新フィーバー」を巻き起こした元阪神外野手の亀山努氏(50)が小さい頃のスターだった。ちなみに今の注目選手は、昨年夏の甲子園を制した履正社高からドラフト2位で入団した井上広大外野手。「(1軍の)試合に出るか分からないけど、すごい体してますよね。甲子園から見ていました」と熱視線を送った。

早くも来場所の活躍が期待されるが「今はゆっくり、温泉とか入りたい」。幕内上位まで番付を上昇させる見込みの春場所へ、充電期間に入る。【佐藤礼征】

◆徳勝龍誠(とくしょうりゅう・まこと) 本名・青木誠。1986年(昭61)8月22日、奈良市生まれ。家族は千恵夫人。3歳から柔道、小学2年から野球を始め、相撲は4年から。少年野球は4番捕手で6年時に橿原市の大会で優勝。父順次さん、母えみ子さんも阪神ファン。明徳義塾高-近大から角界入り。20年初場所、幕尻で初優勝。

幕内優勝を飾った徳勝龍は一夜明け会見で優勝紙面を手にガッツポーズ(撮影・河田真司)

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徳勝龍、場所中死去の恩師に「一緒に戦ってくれた」

亡き恩師の近大相撲部伊東監督の遺影を手に、優勝パレード車から笑顔で手を振る徳勝龍(右)と旗持ちの志摩ノ海(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇千秋楽◇26日◇東京・両国国技館

涙あり、笑いありの初優勝だ。優勝に王手をかけていた西前頭17枚目徳勝龍(33=木瀬)が、幕尻として初めて千秋楽結びに登場し、大関貴景勝を撃破。寄り切った瞬間に、感極まり涙を流した。

再入幕として史上初、幕尻としては史上2度目の快挙。場所中に死去した恩師、近大相撲部監督の伊東勝人さんに最高の恩返しをした。33歳5カ月の優勝は、年6場所制が定着した58年以降で3位、日本出身の力士としては最年長記録。奈良県出身では98年ぶり2度目、木瀬部屋では初となった。

   ◇   ◇   ◇

満員御礼の国技館に問いかけた。歓声が鳴りやまない優勝インタビュー。徳勝龍が「自分なんかが優勝していいんでしょうか?」と苦笑いを浮かべると、会場は和やかな笑い声に包まれた。出場最高位の大関貴景勝に勝って14勝目。文句のつけようがない、史上2度目の幕尻優勝だった。

支度部屋のテレビで2敗の正代が勝利する瞬間を見届けると、無言で立ち上がり準備運動を始めた。「(優勝なんて)できるわけないんやから、思い切っていけばいいと言い聞かせた」。負ければ正代との優勝決定戦にもつれ込む結びの一番。貴景勝の鋭い出足に下がらず、右上手をがっちりつかんだ。土俵際で投げを打たれても、堪える。「危ないと思ったけど、いくしかなかった」。倒れ込みながら寄り切り、吠えて、泣いた。「うれしいのもあったけど、15日間苦しかったかもしれない」。重圧から解き放たれた瞬間だった。

吉報を届けたい人がいた。7日目の18日、母校近大相撲部監督の伊東勝人さんが死去。55歳だった。しこ名の「勝」は伊東さんの本名からもらっていた。勝ち越せば真っ先に報告していた存在だった。明徳義塾高ではビッグタイトルと無縁も「1番熱心に誘ってくれたのが監督だった。大学にいってなかったらプロになっていない」。10日目から5日連続で土俵際の突き落とし。神懸かり的な逆転劇が続き「伊東監督が一緒に戦ってくれていた感じ」と、真っ赤な目で言った。印象に残っている恩師の言葉がある。「引くことは悪いことじゃない。その代わり、立ち合いはしっかり当たれよ」。体現するような終盤戦だった。

09年の初土俵から11年間、休場はない。連続出場847回は現役4位で「体を大事にした人が1番強い」と強調する。場所入り前にはストレッチを30分間、必ず行うのがルーティーン。支度部屋でまげを直すと、両足の膝下にボディークリームを塗る。香りは「ローズとジャスミン」。「乾燥するんですよ。冬場は特に」。肌の保湿も欠かさない“鉄人”は「けがをしても出られない人がいる。土俵に上がれるだけで感謝です」と何度も繰り返した。

前日から考えていた優勝インタビューで、相撲ファンをどっと沸かせた。「みんなめちゃ笑ってましたね!」。“相撲発祥の地”と呼ばれる奈良県出身の関西人。ユーモアを忘れない33歳が、歴史的な番狂わせを起こした。【佐藤礼征】

◆木瀬部屋 元幕内桂川が一般向けに開設した相撲錬成道場に力士志願者が出たため、1958年に相撲部屋となった。元幕内清の盛が67年に継承し、小結青葉山らを育てた。定年のため2000年に消滅。03年に現師匠(元幕内肥後ノ海)が三保ケ関部屋から独立して再興した。暴力団関係者に入場券を手配したことが発覚し、10年に一時閉鎖。力士らは北の湖部屋預かりとなった。12年に再興。番付人員は36人と全45部屋で2番目に多い。所在地は東京都墨田区立川。

木瀬部屋での祝勝会で鯛を持つ徳勝龍。右は師匠の木瀬親方(撮影・小沢裕)

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荒磯親方にもらったステテコ着用/徳勝龍アラカルト

国技館を引き揚げる徳勝龍(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇14日目◇25日◇東京・両国国技館

幕尻の西前頭17枚目徳勝龍(33=木瀬)が、記録ずくめの初優勝に王手をかけた。平幕で1敗同士の正代との直接対決を制し、単独トップに立った。

2敗の大関貴景勝が敗れ、優勝争いは1敗の徳勝龍と2敗の正代に絞られた。千秋楽は大関貴景勝との対戦が決まった。千秋楽結びに平幕が出場するのは昭和以降3度目で、幕尻が登場するのは史上初となった。優勝なら幕尻は20年ぶり史上2度目、奈良県勢は98年ぶり、再入幕は史上初、木瀬部屋でも初となる。

   ◇   ◇   ◇

<徳勝龍誠アラカルト>

◆本名 青木誠(あおき・まこと)。あだ名は「まこ」。家族は千恵夫人。

◆出身 1986年(昭61)8月22日、奈良市生まれ。育ちは橿原(かしはらし)市。

◆経歴 3歳から小6まで柔道。小4から地元の橿原市「けはや相撲クラブ」に通い、高校は高知・明徳義塾に相撲留学。近大4年で西日本選手権優勝。

◆角界入り 09年初場所で初土俵。11年九州場所で新十両、13年名古屋場所で新入幕。15年夏場所の西前頭4枚目が最高位。

◆サイズ 181センチ、188キロ。

◆しこ名の由来 母校の明徳義塾高から「徳」、18日に死去した恩師で近大相撲部監督の伊東勝人さんから「勝」。

◆稀勢の里と親交 荒磯親方(元横綱稀勢の里)の現役時代、巡業中にキャッチボールをすることも。今場所も数年前に荒磯親方から譲り受けたステテコを着用して帰路につく。

◆左四つ 10年5月に木瀬部屋が一時閉鎖となり、北の湖部屋預かりとなったときに、15年に亡くなった元横綱北の湖元親方から「お前は押し相撲だろうと思っているだろうが、左四つだ」と型の変更を薦められた。今場所も左四つの相撲を展開。

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徳勝龍が貴闘力以来の幕尻Vへ堅首「足が出たかと」

碧山(手前)を突き落としで破る徳勝龍(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇11日目◇22日◇東京・両国国技館

幕尻の西前頭17枚目徳勝龍(33=木瀬)が、関脇経験を持つ平幕の碧山を突き落として首位を守った。幕内での2桁白星は、11勝で優勝次点だった15年初場所以来2度目。

“相撲発祥の地”奈良県出身の力士として、98年ぶりとなる優勝も視野に入ってきた。幕尻Vなら00年春場所の貴闘力以来2度目となる。正代も1敗を堅持。11日目を終えて平幕2人が首位に並ぶのは1956年夏場所の大晃、双ツ竜以来だ。貴景勝ら2敗勢3人が追走する。

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西方に軍配を上げた行司を見て、徳勝龍は一瞬、驚いたように口をぽかんと開けた。「足が出たかなと思ったんですが、軍配はこっちでしたね」。

リーチがある碧山との突っ張り合い。左四つに組まれて寄られたが、土俵際で右から突き落とした。徳勝龍の足が出たと物言いがつくも、協議の結果、行司軍配通り。「たまたま。落ちついて、やれることをやればいいと言い聞かせながらやっていた」。賜杯レースの先頭集団にいながら、ひょうひょうとして土俵に上がっていた。

自身の活躍によって、故郷の相撲熱を高めたい。日本書紀に「相撲発祥の地」と記されている奈良県だが、現在は相撲部を持つ高校がない。「僕が中学生のときはあったけど。寂しいです。自分は土俵で頑張ることしかできないので、ちょっとでも盛り上げられれば」。奈良県出身の力士の優勝は、1922年(大11)の元小結鶴ケ浜が最後。「変わらず一番一番」と欲を出さないものの、98年ぶりの快挙に少しずつ近づいている。

師匠の木瀬親方(元前頭肥後ノ海)は「徳勝龍を慕って部屋に入る子もいる。うちの部屋にとって“福の神”だよ」と、人望の厚い弟子の躍進がうれしそうだ。高校、大学の3学年後輩で、弟弟子でもある平幕の志摩ノ海も「面倒見がいいし、先輩ぶらない」と尊敬のまなざしを向ける。優勝争いの中心として迎える残り4日。「周りは気にしません」。高い求心力をうかがわせる33歳は、どっしり構えて勝利も引きつける。【佐藤礼征】

<徳勝龍アラカルト>

◆本名 青木誠(あおき・まこと)

◆生まれ 1986年(昭61)8月22日、奈良市出身。

◆サイズ 181センチ、188キロ。

◆相撲歴 小4から「けはや相撲クラブ」に通い、光陽中3年時に都道府県大会個人3位。高知・明徳義塾高から近大に進学。大学4年時に全国大学選抜大会で優勝するなど在学中に5タイトル獲得。

◆しこ名 両親が好きな「徳」、18日未明に死去した近大相撲部監督の伊東勝人さんの「勝」から。

◆角界入り 09年初場所で初土俵。11年九州場所で新十両昇進、13年名古屋場所で新入幕。通算433勝410敗。

碧山を破り、1敗をキープし花道から引き揚げる徳勝龍(撮影・河田真司)

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徳勝龍「目標の1つ」高校の先輩琴奨菊破り1敗守る

琴奨菊(左)を突き落としで破る徳勝龍(撮影・河田真司)

<大相撲初場所>◇8日目◇19日◇東京・両国国技館

前頭17枚目徳勝龍(33=木瀬)が前頭13枚目琴奨菊(35=佐渡ケ嶽)を土俵際、逆転の突き落としで1敗を守った。

明徳義塾高の先輩と初対戦。「入れ替わりだったけどあこがれて明徳に入ったこともありますし、プロで対戦したかった。目標の1つ」。その夢を好成績でかなえた。それでも笑顔はなく、「うれしいですけど、調子に乗らないようにしないと。相撲は15日間ありますんで」。気持ちを緩めず後半戦に臨む。

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元球児の志摩ノ海「勝って」母校明徳義塾へエール

バットを持ったポーズで母校の明徳義塾高を応援する志摩ノ海(撮影・佐藤礼征)

大相撲の前頭志摩ノ海(30=木瀬)が、甲子園に出場する母校、高知代表の明徳義塾高の活躍を願った。7日、埼玉・秩父市で行われた夏巡業に参加。8日に初戦を迎える後輩たちへ「やっぱり頑張ってほしいし、勝ってほしい」とエールを送った。自身は相撲部だったが、三重・志摩市立和具中時代は野球部に所属。「ポジションはファーストで体重は130キロくらいの、当たれば飛ぶタイプだった」。相撲道場に通うことに軸足を置き、野球部では試合に出場せず練習に参加するだけだったが、かつて白球を追った身として甲子園常連の母校の成績は常に気に掛けているという。

野球部との接点はほとんどないが、直近で“馬淵ジュニア”に刺激を受けた。野球部の馬淵史郎監督の息子で、当時主将だった烈さんは同級生。志摩ノ海も相撲部の主将を務め、同校を代表する部活動の主将同士だった。十両優勝した初場所の祝勝会で、駆け付けてくれた烈さんに卒業以来初めて顔を合わせた。「たわいのない会話だけど『最近どうしてるの?』とか話した。懐かしかったし、拓大のコーチをやっているらしくて、今も野球に携わっているんだなって。頑張っているなと思った」。

名古屋場所前には知人の明徳義塾高OBに紹介された居酒屋で、92年に星稜高の松井秀喜氏を5打席連続で敬遠した当時のエース河野和洋さんと偶然の対面。「びっくりした。『松井を敬遠したときのピッチャーだぞ』って言われて『もちろん知ってます』と。とても面白い人でした」。卒業後も広がる明徳の輪に、母校の偉大さを感じた。

そんな母校に負けじと、19年は快進撃を続けている。2場所連続の十両優勝を果たし、新入幕の夏場所では10勝を挙げて敢闘賞を受賞。名古屋場所でも勝ち越しを決めて、千秋楽では是より三役も経験した。秋場所(9月8日初日、東京・両国国技館)では、上位陣との対戦も予想される。「やっぱり上は強い。その中でいかに自分の相撲を貫けるかだと思う」。課題は序盤戦の弱さ。ここ数場所は中盤戦以降、尻上がりに調子を上げる場所が目立っているだけに「最初から持っていけたらいい」と力を込めた。粘り強い“馬淵野球”ばりのしぶといおっつけを武器に、自己最高位を更新し続ける。

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志摩ノ海ケガ乗り越えて新入幕「思い切って暴れる」

新入幕会見で自身のしこ名が載った番付表を指さす志摩ノ海(撮影・佐藤礼征)

大相撲夏場所(5月12日初日、東京・両国国技館)の番付が発表された30日、新入幕の東前頭12枚目志摩ノ海(29=木瀬)が、都内の部屋で会見を行った。

近大から入門して12年夏場所で初土俵を踏み、膝のけがを乗り越えた苦労人。1月の初場所から3月の春場所にかけた、2場所連続の十両優勝で念願の新入幕を勝ち取った。平成元年生まれの29歳は、「(2場所連続優勝は)自信になった。幕内で自分の相撲が通用するか楽しみ。相手が『志摩ノ海と当たって嫌だな』と思うような相撲を取りたい」と、力強く宣言した。

会見に同席した師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)は「(入門時から)幕内に上がれる子だと思っていたので良かった。自分がやりやすいように、ではなく相手が嫌がるような相撲をする。腰が低い分、頭さえ上げなければ本人も持っていきやすくなる」と、弟子の特長を挙げた。木瀬部屋からの新入幕は、現師匠が部屋を創設してから17年春場所の宇良以来7人目。師匠は「けがをしても投げやりにならずにコツコツとやっていた。下の子ども(弟子)たちもそれを見て頑張ろうと思ったはず」と、同部屋力士の手本としても期待した。

今後の目標として三役を掲げるが、夏場所は「とりあえず勝ち越したい」と足元を見つめた。幕内で母校、明徳義塾高の先輩栃煌山や、近大の先輩宝富士らとの対戦を望む。新元号「令和」では初の新入幕。「思い切って暴れていけたら」と、意気込んだ。

新入幕会見で握手を交わす志摩ノ海(左)と師匠の木瀬親方(元幕内肥後ノ海)(撮影・佐藤礼征)

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大転換の時代 外国人横綱誕生で歴史塗り替え

64代横綱曙

<平成とは・大相撲編(2)>

大相撲の長い歴史の中で、平成の30年は大転換の時代だ。史上初の外国人横綱が誕生し、モンゴル勢が国技の歴史を塗り替えた。戦後初の外国人力士となった高見山から始まった異国の力士たちの戦いは、平成になって大きな実を結んだ。

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平成の前半は、ハワイ勢が活躍した。曙、武蔵丸の2人の横綱が、貴乃花、若乃花の好敵手として空前の相撲ブームといわれた若貴時代を盛り上げた。「相撲はケンカだ」と発言し「黒船襲来」と恐れられた小錦は、大関で3度優勝しながら横綱の夢はかなわなかった。その無念を教訓に、有無を言わせぬ強さで曙が昇進したのは93年(平5)春場所のことだった。4年後には武蔵丸も続いた。

92年(平4)2月、大島部屋にスカウトされてやってきた6人が、モンゴル力士の始まりだった。160人の応募者の中から選ばれ、現友綱親方の元関脇旭天鵬に、元小結旭鷲山らがいた。「最初は留学気分。学校入って、余った時間で部活するような感覚で来た」と友綱親方。独特の上下関係や食生活など相撲部屋の生活になじめず、集団脱走しモンゴルへ逃げ帰ったことも。そんな苦労の末、95年(平7)春場所、旭鷲山が初の関取となり、その多彩なワザで「ワザのデパートモンゴル支店」と脚光を浴びた。

旭鷲山に続き旭天鵬が関取になったことで、モンゴル人力士への期待が高まった。国内の相撲有力高校がモンゴルの能力の高い若者をスカウト。高校でさらに鍛えられて大相撲に入門し、明徳義塾高から横綱になった朝青龍の成功につながった。平成の大横綱、貴乃花が引退した03年(平15)初場所、朝青龍がモンゴル人初の横綱に昇進。2年後、史上最長の7場所連続優勝、年6場所完全制覇の大記録を打ち立てる。その強さは白鵬に引き継がれ、平成後半はモンゴル勢の圧倒的強さが角界を席巻した。

モンゴル人の成功を白鵬は「40年前の日本人力士に聞いてみればいいよ。そのころと同じハングリー精神があり、故郷から出て一旗揚げてやろうという気持ちでやって来る。精神的な面が大きい」と話す。続々と入ってくる後進の面倒を先に入った旭天鵬らがサポートしたことも大きい。白鵬から「兄さん」と慕われる旭天鵬は「後輩が関取になると、必ずテレビをプレゼントした。モンゴルではなかなか買えないから」。

平成の182場所で外国出身力士の優勝は114回。うち85回がモンゴル出身力士の優勝だ。特に平成後半はモンゴル勢が優勝をほぼ独占。そんな状況を喜ばない相撲ファンの声を協会も無視できなくなった。98年(平10)4月の師匠会で、外国人は1部屋2人、全体で40人という人数制限を確認。2年後の師匠会では、モンゴル人は全体で20人までという話も出た。02年(平14)2月には理事会で、外国人力士の採用定員40人という枠を外した上で、原則として1部屋1人(平成22年には日本国籍取得者も含められた)が決定した。

日本人力士の勝利や優勝を望む雰囲気をモンゴル人力士も肌で感じている。貴乃花引退前年の02年秋場所2日目。旭天鵬は横綱貴乃花に勝って金星を獲得した。また、12年夏場所千秋楽、栃煌山との平幕優勝決定戦に勝利して史上最年長40歳8カ月と10日で初優勝。そのどちらの取組でも「オレが勝っていいのか?」と対戦前に悩んだという。貴乃花は当時、負ければ引退といわれており、栃煌山は6年ぶりの日本人優勝がかかっていた。部屋には無言電話や、嫌がらせの手紙も来た。

暴行事件で引退を余儀なくされた朝青龍や日馬富士、貴ノ岩らの不祥事もモンゴルへの逆風となっている。自分より相手への声援が多くても、それをバネに白鵬は勝ち続けた。昭和の大横綱大鵬の優勝32回を抜き去り、19年春場所まで43回の優勝。八百長や賭博問題で世間の批判にさらされた角界を1人横綱として支えた。最近は、自らが壁となり続けることで稀勢の里(現荒磯親方)を日本人横綱へと導くなど、後進の育成にも目を向けている。

「余裕が出てきて周りがよく見えるようになった。次を育てないといけないし、もっと相撲界を盛り上げたい」

国は違えど、角界に入れば思いは同じだ。今後、外国人力士は増えるか聞かれると白鵬は「(予想するのは)自信がないね。40年、50年前の人たちの体と精神を(自分たちが)つないでいければいいんじゃないかな」と話した。(敬称略)【桝田朗、高田文太、佐藤礼征】

67代横綱武蔵丸
68代横綱朝青龍
69代横綱白鵬
70代横綱日馬富士
71代横綱鶴竜

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元朝赤龍の錦島親方「相撲塾」でエピソード話し爆笑

トークショーをする錦島親方(元朝赤龍)(撮影・鈴木正人)

 2月4日に引退相撲を控える大相撲の錦島親方(36=元関脇朝赤龍)が13日、東京・両国国技館で行われた「相撲塾」と題したイベントに参加した。初場所(14日初日、両国国技館)を前に行われた土俵祭り終了後、集まったファンの前で、同じ高砂部屋所属の行司、木村朝之助とともにトークを展開。会場となった両国国技館内の相撲教習所には、立ち見を含む超満員の一般客が集まっており、錦島親方は開口一番「緊張しますね」と話し、笑いを誘っていた。

 錦島親方が半生を振り返るのが、今回の「相撲塾」のテーマ。モンゴルから元横綱朝青龍関と一緒に来日し、明徳義塾高相撲部を経て角界入り。「1997年9月6日」と、自身がはっきりと記憶している初来日の際に移動で利用したのが、錦島親方にとっても元朝青龍関にとっても初めての飛行機搭乗。「2人とも窓側に座りたかったから、最初は30分ごとに座席を交代していた。そのうちに海が見えてきたら、どっちも『もっと見たい』と思って5分とか10分ごとに座席を替えていましたよ」と、初々しいエピソードなどを明かし、随所で会場を爆笑に包んでいた。

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