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朝乃山「切磋琢磨していきたい」阿武咲と明生を指名

合同稽古で申し合いを行う朝乃山(右)と阿武咲(代表撮影)

大相撲初場所でかど番脱出を果たし大関朝乃山(26=高砂)が20日、東京・両国国技館の相撲教習所で行われた合同稽古の初日に参加した。平幕の阿武咲と明生を指名して、11番取って8勝3敗。「同世代ですし、来場所も当たる地位にいると思う。切磋琢磨(せっさたくま)していきたいという気持ちで2人を指名しました」と明確な狙いを持って合同稽古に臨んだ。

2人を相手に相撲を取り「自分の相撲が雑ということは相手に攻められているということ。なかなか右四つになれてないということが分かった」と発見があったという。部屋には関取が自身しかおらず、関取衆が集まる合同稽古は貴重な場になっている。大関として初優勝を狙う春場所(3月14日初日、両国国技館)に向けて、「普段出来ない人と稽古できる。ケガしないようにしっかり稽古して頑張りたい」と口にした。

稽古後には稽古を見守っていた春日野親方(元関脇栃乃和歌)から声を掛けられた。「相撲が雑だったのでアドバイスをいろいろといただいた。しっかり頭の中に入れていきたい」。6日間の合同稽古で、さまざまなことを吸収する。

合同稽古で王鵬に稽古をつける高安(右)(代表撮影)
合同稽古の申し合いで明生の攻めを残す朝乃山(右)(代表撮影)

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春日野親方「育ての親は栃ノ海」先代花田氏を悼む

春日野親方(2019年12月19日撮影)

先代春日野親方の花田茂広氏の死去を、現春日野親方(元関脇栃乃和歌)がしのんだ。

85年春場所で初土俵を踏んだ際は、元横綱栃錦の先々代春日野親方が師匠だった。指導などで迷うことがあれば、今も2人の師匠を思い浮かべるという。「稽古場で厳しくご指導いただいたことや、ご本人がけがで早く引退されたこともあり、私たちの体のケアにも注力してくださったことが思い出される。『生みの親は栃錦、育ての親は栃ノ海』だと思っております」とコメントした。

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元横綱栃ノ海が死去 小兵の技巧派横綱として活躍

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが29日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。葬儀・告別式は家族葬で営まれる。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

訃報を受けて、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「突然の訃報に接し、思いがけないことゆえ、驚いております。生前は、春日野部屋の師匠として多くの関取を育てられ、理事としても相撲道の継承と発展にご尽力いただきました。ご生前のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表した。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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第49代横綱栃ノ海の花田茂広さん死去 82歳

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが亡くなったことが29日、分かった。

存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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優しく不器用で愛された元栃煌山、きっといい親方に

リモート引退会見に出席した元栃煌山

大相撲の元関脇栃煌山が引退し、年寄「清見潟」を襲名した。不器用だが、魅力にあふれた力士だった。

運動神経は鈍い。体は硬い。高知県安芸市出身。小2で相撲を始めた。相手が怖くて「あっちいけ!」とか「さわるな!」と声を出しながら相撲を取った。稽古を初めて見に行った両親があきれるほどだった。サッカーのPKでは、ボールが止まっているのに空振りした。

幕内力士は、運動能力にすぐれたアスリートの集まりだ。平均体重160キロにもかかわらず、その多くが自在に自らの肉体を操り、俊敏性にも富む。そんな中、栃煌山が戦ってこられたのは、なぜか? ある時聞くと、こう答えた。

「相撲は反復して覚える。体にしみつけばやれるんです」

とにかく根気強い。中学横綱になり、高校は名門・明徳義塾で鍛えられた。角界入りしてからも、センスがないことを自覚して、努力を繰り返した。

入門直後の栃煌山らしいエピソードがある。ちゃんこ番で、初めて米とぎを命じられた時のこと。「とぎ汁が透明になるまでやるんだぞ」と言われ、全力で40分も続けた。すると米は粉々になり、いつもの半分しか炊けなかったという。

生命線は、鋭い立ち合い。低く当たってからもろ差しか、右四つになって寄り切る。これしかなかった。技は少なく、劣勢になると、しのぐ動きはあまりない。だから、あっけない負けもあるが、はまれば横綱も倒す。金星は6個(白鵬、日馬富士、鶴竜から1個ずつ、稀勢の里から3個)。昭和以降10位となる三役在位25場所。三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞を各2度ずつ獲得した。本場所中、全体の稽古が終わっても1人土俵に残り、若い衆を相手に立ち合いの形を納得いくまで繰り返してきた。春日野部屋でのいつもの光景が、本場所での下支えになっていた。

立ち合い変化は、めったにしなかった。負けると、支度部屋ではほとんど話さなかった。取組前、必ずユンケルを1本飲む。入場前の花道では必ず、緊張してえづいた。稽古熱心で裏表がないから、勝つと付け人が本気で喜んだ。

栃煌山。十両に上がる時に本名の影山から改名した。春日野親方(元関脇栃乃和歌)から「考えておいてください」と依頼された母の雪絵さんが、しこ名を考えた。読みは「とちおうやま」ではなく、あえて「とちおうざん」にした。やさしい性格に、もっと強さを加えたかったのだという。

分け隔てなく、誰からも好かれる性格は少年時代から変わらない。雪絵さんは中学時代のことが忘れられない。同学年に1人、不登校の子がいたが、影山少年にだけは心を開いていたという。卒業時、校長からこう言われた。「教師の立場ながら、この子の存在がありがたかった。こういう子は、最近では珍しい。やさしい、いい子っていうのとは違うオーラを持っている子やった。私だけでなく、教員全員がそう思っています」。

勝負の世界に入っても、やや天然な性格は周囲から愛され、現役生活をまっとうした。

コロナ禍にあり、15日の引退会見はオンラインだった。どんな思いで稽古してきたのか聞かれると、こう答えた。

「器用な相撲は取れなかった。しっかり課題を持って体にしみこませるように常に稽古をしていた。なかなか最後、上の番付に上がることができなかったけど、自分のやってきたことに間違いはなかったと思う」

きっと、いい親方になる。【佐々木一郎】

15年9月、秋場所で稀勢の里(手前)を寄り切り全勝対決を制した栃煌山

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引退の栃煌山「寂しい気持ちも」心に残る稀勢の里戦

リモート引退会見に出席した元栃煌山

大相撲の元関脇栃煌山(33=春日野)が15日、現役引退と年寄「清見潟(きよみがた)」の襲名を発表した。春場所で負け越して2度目の十両陥落となっていた。元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らと同じ昭和61年度生まれで「花のロクイチ組」として、三役在位は通算25場所。賜杯には届かなかったものの12年夏場所には優勝決定戦を経験した。今後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

   ◇   ◇   ◇

一時は「大関候補」の呼び声も高かった栃煌山が、土俵に別れを告げた。「ひとつの区切りがついた。次に落ちたときは自分でやめようと決めていた」。昨年の九州場所で、07年春場所での新入幕から75場所守ってきた幕内から陥落。1場所で返り咲いたものの、3月の春場所で3勝12敗と大きく負け越し、再び十両に転落して決断した。

鋭い寄りを武器に入門から約4年で新三役に昇進し、12年夏場所では旭天鵬と史上初となる平幕同士の優勝決定戦を争った。努力家で「コツコツ長年積み重ねたものを出せるタイプ」と、リモート会見に同席した師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)。賜杯と大関には届かなかったが、栃煌山自身も「しっかり課題を持って、体に染み込ませるように常に稽古をしていた。なかなか最後、上の番付に上がることができなかったけど、自分のやってきたことに間違いはなかったと思う」と胸を張った。

元稀勢の里や、小学校からのライバルで同期の元大関豪栄道(現武隈親方)ら同学年の力士としのぎを削ってきた。15年間の現役生活で最も印象に残る取組は、昨年初場所の稀勢の里戦。稀勢の里の現役最後の相手として、白星を挙げた。「同学年で、自分が入門したときには関取に上がっていた。そういう人と最後に相撲が取れたことはうれしい気持ちもあったし、その次の日に引退して寂しい気持ちもあった」。くしくも引導を渡す形になった。

「子どもの頃からずっと相撲しかやってこなかった。自分が相撲を取らないのが想像もつかない」。今後は名門部屋の部屋付き親方として、次の関取を育てる。「相撲に対して真面目で、粘り強い力士になれるように育てたい」。関脇に通算11場所在位した実力者は、第2の人生に向けて決意を固めた。【佐藤礼征】

◆花のロクイチ組 大相撲で昭和61年度生まれの関取の総称。大関以上では元稀勢の里と元豪栄道、三役経験者では栃煌山のほか、宝富士、碧山、勢、魁聖、妙義龍の5人は現在も幕内で活躍。初場所で史上2度目の幕尻優勝を果たした徳勝龍も同学年。

◆栃煌山雄一郎(とちおうざん・ゆういちろう)本名・影山雄一郎。1987年(昭62)3月9日、高知県安芸市生まれ。安芸小2年で相撲を始め、安芸中で中学横綱。明徳義塾高では4冠。05年初場所初土俵。07年春場所新入幕。09年夏場所で新小結、10年秋場所で新関脇昇進。金星は6個、三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞が各2回。幕内通算573勝563敗19休。得意は右四つ、寄り。187センチ、151キロ。血液型A。家族は夫人と1女。

19年1月15日、初場所3日目に稀勢の里(右)を寄り切りで破る栃煌山

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栃煌山が引退「一つの区切りついた」清見潟を襲名

栃煌山(2020年1月12日撮影)

大相撲の元関脇で西十両2枚目栃煌山(33=春日野)が15日、現役引退と年寄「清見潟」襲名を発表した。

師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)とともにリモート会見に出席し「一つの区切りがついたと思う。子どもの頃からずっと相撲しかやってきてなかったので、寂しい気持ちはある」と話した。

3月の春場所で3勝12敗と負け越し、十両に陥落していた。幕内在位は77場所で、三役在位は通算25場所。12年夏場所では賜杯にこそ届かなかったが、旭天鵬との優勝決定戦まで進んだ。金星は6個、三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞をそれぞれ2回獲得した。

栃煌山(2020年3月17日撮影)

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栃ノ心、平幕初4連続大関撃破/夏場所プレイバック

大相撲夏場所5日目 魁皇(右)を寄り切る栃ノ心(2010年5月13日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。5日目は、平幕初の連続撃破です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇5日目◇10年5月13日◇東京・両国国技館

ジョージア出身の怪力が、快挙を成し遂げた。西前頭2枚目の栃ノ心が、4連勝していた大関魁皇を止めた。2日目から日馬富士、琴欧洲、琴光喜を下し、08年九州場所の豊ノ島以来9人目となる平幕の4大関撃破。さらに平幕の4日連続大関撃破は、史上初の快挙となった。

得意の右四つに持ち込み、寄り切りで魁皇を破った。「あの体勢になったら、もう負けないですよ」。この日の朝稽古。最後に春日野親方(元関脇栃乃和歌)から呼ばれ、4日連続はたき込みで勝った魁皇への対策を伝授された。頭を下げ過ぎずに強く当たり、得意とする形に持ち込んだ。

初土俵は06年の3月。入門時に190センチ、129キロだった体格は、192センチ、157キロ、ももの太さは90センチ以上に成長した。09年6月にはジョージアからの要請で母国に戻り、約1カ月の軍事訓練を受けた。銃も撃った。だが「こっち(相撲の稽古)の方が大変」というほど、当時5人の関取衆がいる春日野部屋の厳しい環境で強くなった。

「これまで上位にいた時は1回も3役に上がっていない。負けてもいいから、いい相撲を取りたい」と意気込み、戦った残りの10日間。千秋楽に勝ち越しを決め、自身2度目の敢闘賞を受賞。そして翌名古屋場所で悲願の新小結に昇進した。

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春日野巡業部長が訓示「SNS十分注意するように」

関取衆に訓示を発する巡業部長の春日野親方(右から3番目)(撮影・佐藤礼征)

巡業部長の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が関取衆約60人に訓示を行った。

訓示は非公開で行われたが、巡業部の入間川親方(元関脇栃司)によると「関取衆に対して、体調管理やSNS使用について、十分に注意するように伝えた」。

3日も、幕内琴奨菊が膝の負傷を理由に巡業を離脱。同親方は「膝の裏が痛いらしい。体調が悪くなったり、問題が起きたときは(若者)頭や、同じ一門の親方にすぐに報告してほしい」と求めた。

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幕下塚原が勝ち越しに王手、十両へ前進も内容反省

塚原(2019年7月21日撮影)

<大相撲九州場所>◇7日目◇16日◇福岡国際センター

東幕下4枚目の塚原(20=春日野)が朝玉勢(高砂)をはたき込み、3勝目で勝ち越しに王手をかけた。

「相手の方が低かった」と立ち合いから押し込まれながら、土俵際での逆転技が決まった。ただ、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)からは「はたくと上位にいけない」との教え。「勝つには勝ったけど、怒られる内容です」。

それでも十両昇進の可能性をつなぐ大きな白星は間違いない。「何とか勝ち越して、白星を積んだ結果、関取になれればと思う。でもはたきはいけない」と最後まで反省した。

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栃ノ心が右肋軟骨骨折で休場 大関返り咲きは絶望的

宝富士(手前)を首ひねりで破る栃ノ心(撮影・栗木一考)

<大相撲九州場所>◇5日目◇14日◇福岡国際センター

10勝以上を挙げて大関復帰を目指していた関脇栃ノ心(32=春日野)が休場し、返り咲きは絶望的となった。「右肋(ろく)軟骨骨折で3週間の安静加療を要する」との診断書を提出。5日目の大栄翔戦は不戦敗で、2勝3敗となる。栃ノ心は前日4日目の宝富士戦で、珍手の首ひねりで白星を挙げていたが、取組後の支度部屋では終始右脇腹をさすり、浮かない表情で記者の質問に答えていた。

師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「すぐに出てくるわけにもいかないケガ。(4日目の取り口は)ちょっと強引だったかな。痛いのに無理して出ても勝てないし、相手にも失礼」と、再出場が極めて厳しい状況と説明した。今場所後の大関復帰は絶望的となったが、同親方は「残念だけど、また一から頑張りますよ」と、弟子の無念を代弁していた。

また、東前頭16枚目で新入幕の若隆景(24=荒汐)も「右足部ショパール関節脱臼で約1カ月の治療を要する見込み」との診断書を提出し、休場した。

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塚原が前進無傷2連勝「引いて勝っても叱られる」

塚原(2018年3月23日撮影)

<大相撲九州場所>◇4日目◇13日◇福岡国際センター

東幕下4枚目の塚原(20=春日野)が無傷の2連勝を飾った。千代ノ皇(28=九重)に差し負けたが、かまわず前に出続けて白星を手にした。

「どんな形でも前に出ようと思った」。ここまで2番、自分の相撲が取り切れているという。「引いて勝っても師匠(春日野親方=元関脇栃乃和歌)に叱られる。気持ちが前向きな分、体も動いている」。目指す関取の座へ前進した。

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拓郎の暴力問題に春日野親方「広報部が言った通り」

幕内力士らに訓示を行う春日野巡業部長(右から2番目)(2019年7月28日撮影)

呼び出し最高位となる立呼び出し拓郎の暴力問題について、巡業部長の春日野親方(元関脇栃乃和歌)は「広報部が言った通りです」と言及しなかった。

拓郎は8日に新潟・糸魚川市で行われた秋巡業で後輩の呼び出し2人に暴力を振るった責任を取り、退職の意向を示している。問題が発覚して一夜明けたこの日、協会による暴力根絶に関する注意喚起などは行われなかった。巡業部の入間川親方(元関脇栃司)は「(注意喚起は)重々言っていることだが重く受け止めている」と話した。

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元前頭里山の引退相撲 断髪式は舞の海氏らがはさみ

里山改め佐ノ山親方(左)は師匠の尾上親方から止めばさみを入れてもらう(撮影・小沢裕)

昨年11月の九州場所限りで引退した元前頭里山の引退、年寄佐ノ山(38=尾上)襲名披露大相撲が28日、東京・両国国技館で開催された。

断髪式前には、6歳の長男・瑛汰君とともに2人で最後の土俵入り。初っ切りの後には最後の取組として、やはり瑛汰君と対戦。黒房下に押し出され、集まったファンをわかせた。

十両の取組後に断髪式が行われ、約300人の関係者がはさみを入れた。大相撲評論家の舞の海秀平氏、好角家で漫画家のやくみつる、放送作家の鈴木おさむ、お笑い芸人のあかつらが、次々と別れを惜しみながら土俵へ上がった。

最後の協会関係者では、出羽海一門で日本相撲協会理事の春日野親方(元関脇栃乃和歌)、出羽海親方(元前頭小城乃花)、山響親方(元前頭巌雄)、また親交があり29日に同所での引退相撲を控える荒磯親方(元横綱稀勢の里)や安治川親方(元関脇安美錦)、現役力士では鶴竜、白鵬の両横綱や大関豪栄道、同じ鹿児島・奄美出身の幕内力士・明生らもはさみを入れた。最後に師匠の尾上親方(元小結濱ノ嶋)が止めばさみを入れた。

鹿児島商高、日大を経て04年春場所で初土俵。幕内6場所、十両41場所と関取として47場所を務めた。通算493勝の白星を35手の決まり手で奪った業師は断髪式を終え、整髪になると「(今までと)違う。夢心地、夢を見ているみたい」と鏡を見やりながら不思議そうな顔をした。約300人がはさみを入れた断髪式は、東西南北と4方向に向きを変えながら行ったが「全部の方向を回って、こんなにお客さんが来てくれたんだ、とうれしさと驚きがあった。相撲界に入って思い入れがたくさんある人たちばかり。名前が呼び上げられるたびに、思い出がよみがえってきた」と感慨深げに話した。

佐ノ山親方として次の仕事が待っている。「いろいろな人に支えられているのだから感謝の気持ちを忘れないこと。相撲を教える前に、そこです」。私的な? 夢もある。この日、一緒に土俵入りや取組もあった瑛汰君のこと。既に相撲を始めており「(自分の)意志を継いでくれたら。横綱を目指して頑張ってほしい」と目を細めていた。

長男瑛太くん(右)といっしょに最後の土俵入りを披露する里山(撮影・小沢裕)
断髪式を終えた里山改め佐ノ山親方(左)は、(右へ)長男瑛太くん、長女さくらちゃん、美菜夫人ら家族から心配そうに見守られながら整髪する(撮影・小沢裕)

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栃ノ心ぶつかり稽古再開、師匠に「やりたいです」

ぶつかり稽古で琴ノ若(手前右)に胸を出した栃ノ心

前日11日に巡業に合流した大関栃ノ心(31=春日野)が、12日からぶつかり稽古を再開した。

前頭佐田の海に胸を借りたが「まだまだ」と、厳しく自己評価した。左肩と右膝を痛めて名古屋場所を途中休場。前日は胸を出すだけで、当面は同様の見通しと語っていたが、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)に「やりたいです」と直訴し、ペースを上げた。

ぶつかり稽古で琴ノ若(手前)に胸を出した栃ノ心
土俵下で筋力強化に努める栃ノ心(右)

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栃ノ心が休場 古傷の右膝 親方「甘くなかった」

栃ノ心(19年1月撮影)

大相撲の大関栃ノ心(31=春日野)が「左肩腱板断裂、左肩棘下筋筋断裂、右膝前十字靱帯(じんたい)再建後再断裂、右膝半月板損傷、右変形性膝関節症で約1カ月の加療を要する」との診断書を提出し、名古屋場所6日目の12日、休場した。同場所は初日から5連敗していた。

この日、愛知・春日井市の部屋の朝稽古には姿を見せず、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が報道陣に対応した。同親方によると、古傷の右膝の痛みが最大の要因だという。「大関という地位は、勝ったり負けたりを望まれる地位ではない。勝ち越しギリギリを望まれているわけではない。頑張っているけど踏ん張れない。半分も力が出ない。(5日目までは)惜しい相撲じゃない。圧倒的に負けている。限界が来た」と説明。今後の復調の見込みが薄いと判断し、治療に専念することを選んだ。

前頭朝乃山に完敗した前日5日目の取組後、師弟で話し合った際に栃ノ心が「力が入らない」と話し、前日のうちに6日目の休場を決断したという。4日目に竜電に敗れた後の話し合いでは「もう1番取らせてください」と切り出していたが、5日目はむしろ一方的な負け方だった。春日野親方は「本人も残念だし、私も申し訳ない気持ちでいっぱい。1番でも勝てば良い薬になるかと思ったが、場所はそんなに甘くなかった」と話し、ファンに謝罪した。

栃ノ心は右膝以外にも、場所前に負傷した左肩痛なども重なっていた。春日野親方は「肩が痛くなったのも、すべて右脚からきている」と、全身のバランスを崩していたと分析。手術の可能性については「(靱帯=じんたいなどを)切ったというわけではないから」と否定した。また今後の再出場の可能性についても「どう考えたって、劇的に良くなる膝ではない」と、否定的に話した。名古屋場所後の夏巡業も未定という。

栃ノ心は前日5日目の取組後、師匠に対して「さらに鍛え上げて頑張ります」と話したという。関脇に転落していた5月の夏場所で10勝を挙げて、今場所から大関に返り咲いた直後だが、再出場の可能性は低いだけに、来場所はかど番となる見込みだ。6日目の対戦相手の阿炎は不戦勝となる。

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栃ノ心休場の可能性「考えないと」春日野親方が示唆

大相撲名古屋場所 朝乃山に敗れ肩を落とす栃ノ心(撮影・白石智彦)

<大相撲名古屋場所>◇5日目◇11日◇ドルフィンズアリーナ

いまだ白星のない栃ノ心について、師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が「(出場は)いろいろ考えないといけないこともある」と休場の可能性を示唆した。栃ノ心は朝乃山に寄り切られて完敗。大関の初日から5連敗(不戦敗を除く)は、08年初場所で7連敗した千代大海以来11年ぶりとなった。場所前に左肩痛を発症し、古傷の膝にも不安を抱える。師匠は「やる気はあるけど内容が…。(栃ノ心は)泣きたい気分だろうな。出るからには頑張らないといけない」と、苦しむ弟子の心境を察した。

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秀ノ山襲名の元天鎧鵬「上を目指す力士育てたい」

長男維風輝君を抱いて最後の土俵入りをする秀ノ山親方

元幕内力士で今年3月の春場所を最後に引退した元天鎧鵬の引退、秀ノ山襲名の断髪式が8日、両国国技館で開かれた。

断髪式には、日大時代の恩師で日大の田中英寿理事長、お笑い芸人のあかつ、放送作家の鈴木おさむらが出席。日本相撲協会関係者では、一門の春日野親方(元関脇栃乃和歌)ら親方衆、関取衆では親交のある横綱白鵬(34=宮城野)、一門の大関豪栄道(33=境川)、十両豊ノ島(35=時津風)が出席。約150人の最後に、同じ熊本・文徳高-日大を経て角界入りした師匠の尾上親方(元小結浜ノ嶋)が止めばさみを入れ断髪式は終了した。

断髪式後、整髪中に取材対応した秀ノ山親方は「来ていただいた方、それぞれに思い出があります。横綱、大関、親方衆もたくさん来ていただいて本当にうれしかった。涙は出なかったけど感動しました」と話した。

今後は尾上部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたるが「相撲界に入って思ったのは、あきらめないで良かったな、ということ。関取を育てたいけど、第一に貪欲な、あきらめないで上を目指す力士を育てたい。結果はどうあれ一生懸命、頑張って気持ちを表に出すような」と抱負を語った。明るい性格そのままに、約12年をともにしたマゲとの別れにも「髪を洗う時も『何もない』って。スッキリしました。石立鉄男です」と周囲を笑わせた。断髪式前には10カ月の長男維風輝君を抱いて最後の土俵入り。「本当は地方巡業で関取として子供を抱いて(の土俵入り)が理想だったけど、でも最後にこうやって土俵入りが出来て良かった」と父親の顔をのぞかせていた。

断髪式で秀ノ山親方のマゲに、はさみを入れる尾上親方
断髪式で秀ノ山親方(左)に花束を贈る亜香利夫人
断髪式後、整髪を終え長男維風輝君を抱く秀ノ山親方(左)と亜香利夫人

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元十両栃飛龍の断髪式 同期入門の栃ノ心らがはさみ

断髪式で師匠の春日野親方に止めばさみを入れられる元十両栃飛龍(手前)(撮影・佐藤礼征)

大相撲の元十両栃飛龍(本名・本間幸也、32=春日野)の断髪式が3日、東京・墨田区の部屋で行われ、同期入門の栃ノ心(31=春日野)らがはさみを入れ、止めばさみは師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)が入れた。

静岡県三島市出身。地元の飛龍高を卒業後、06年春場所で初土俵を踏んだ。今後は実家のある静岡県吉田町で、会社員として第2の人生をスタートさせる予定。

現役最後の場所となった5月の夏場所では、7番相撲で勝ち越しを決めて有終の美を飾った。ここ1年は幕下15枚目以内に残れず、関取の座から遠ざかり「ここが区切りかな」と、土俵から去る決断に至った。「自分の中でやりきった。悔いが残る感じではなく、やりきった」と晴れやかな表情だった。

けがに泣かされても腐らなかった。幕下と三段目を行き来していた入門3年目の稽古中に、高3の時に負傷した首のけがが再発。「後で検査してもらって分かったことだけど、少しずれていたら半身不随になっていたかもと(医者に)言われた」。立ち合いで頭からぶちかます取り口から、突きと押しを重視したスタイルに変更するきっかけとなったが、首の痛みには現役引退まで悩まされた。それでも、初土俵から7年後の13年春場所には新十両昇進。十両在位は計9場所だった。師匠の春日野親方は「去年、一昨年と十両だったからもうちょっと頑張ればと思ったんだけど」と、引退が惜しい様子。女手一つで育てた母の久保田祐子さん(55)は「寂しくなるけど、ここまでよく頑張ったと思う」とねぎらった。

今後は会社員として運送業に携わる予定だが、「飲食店をやってみたい」という夢もある。飛龍高時代は食文化コースで料理の知識を蓄えたため、メニューはちゃんこ鍋にこだわらない。「中華屋さんとかいいですよね。(店名は)『中華飛龍』とか悪くないかな」と、思いついて笑った。相撲の指導者にも興味がある。師匠には「高校に(指導に)行くんだよ」と声を掛けられた。長い力士人生で1番の思い出は新十両昇進。母校などから贈呈された化粧まわし2本は、実家に持って帰る。「諦めないで努力すること。やり続ければ芽が出るとは限らないけど、自分は少しは出た」。約13年間の力士生活に終止符を打ち、胸を張って静岡に戻る。

断髪式後に整髪した元十両栃飛龍の本間幸也さん(撮影・佐藤礼征)

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栃ノ心「クッソ~!」阿炎に黒星で大関復帰お預け

阿炎に敗れ土俵から引き揚げる栃ノ心(撮影・河田真司)

<大相撲夏場所>◇11日目◇22日◇東京・両国国技館

関脇栃ノ心(31=春日野)の大関復帰はお預けとなった。

平幕阿炎のもろ手突きであごが上がり、懸命に前に出たタイミングではたかれ、土俵を割った。

合口は過去3戦3勝だったが、今回は阿炎の得意パターンにはまった。「行き過ぎたな。(はたきは)気をつけていても、食うことはある。残念だな」と言って、思わず「クッソ~!」。ジョージア語と思われる言葉でブツブツと、怒りの独り言をつぶやいた。

大関陥落直後の場所で返り咲きとなる10勝目がかかっていた。この日は師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)の57歳の誕生日で、NHK中継の解説も務めており、プレゼントを贈り損ねた。「踏み込みは良かったけど、行き過ぎた。(我慢して)もうちょっと構えていけばよかった」とこぼした。

栃ノ心(左)をはたき込みで破る阿炎(撮影・河田真司)
はたき込みで敗れた栃ノ心(右)は、土俵下から阿炎を見つめる(撮影・河田真司)

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