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待乳山親方定年退職 チケット担当手売りからネットまで「若貴すごかった」

待乳山親方(2010年5月16日撮影)

大相撲の待乳山(まつちやま)親方(元小結播竜山)が4日に70歳の誕生日を迎え、日本相撲協会を定年退職した。三保ケ関部屋に入門し、15歳で初土俵を踏んでから55年。「この業界にずっとお世話になって、肩の荷が下りたというか、やり遂げたという感じですね。一言で55年と言いますが、こんなにやったのかと。いろんなことがありました」と振り返った。

現役時代の最高位は小結。横綱北の湖、大関北天佑とともに三保ケ関部屋をもり立て、北の湖の土俵入りの際は露払いなどを務めた。33歳で引退後は、部屋付き親方として後進の指導に当たってきた。

相撲界での一番の思い出には、病気で苦しんだ時期を挙げた。「昭和53年は上り調子で、一番いい時の54年に肝炎にかかった。体がやせ細り、黄疸(おうだん)が出て目も黄色くなった。体重は140キロ以上あったのに、25キロくらいやせましたからね。部屋の関取衆も、ばたばた倒れた」。1979年春場所ごろから三保ケ関部屋で流行性A型肝炎がまん延し、幡竜山ら10人以上が入院。名古屋場所は医師の許可を得て強行出場したものの連敗し、3日目から休場。その3場所後、幕下に陥落し、そこから1年かけて幕内に復帰した。

「今でも思い出すけど、病院の窓から外を見て、表を歩いている人がうらやましかった。もうダメかと思ったけど、そこから復活して幕内に戻ったんです」。どん底の時に励ましてくれた女性がのちの妻で、「ミス着物」にも選ばれたことがある真知子さんだった。

引退後は、長期間にわたってチケット担当として国技館の入場券売り場に詰めた。現金での手売りのみだった時代から始まり、カード払いや、チケットぴあなどネットを介した販売に移行する時期をすべて経験した。

今では考えられないが、1マスで4人が座れるチケットを売ることが、当時のデジタル化では難題だったという。「例えば、あるマス席を売る時、1つの席にチケットが4枚ある。コンピューターでは、これがダブルブッキングになってしまってできないんです。そういう面で苦労しました」。

チケットが売れる時も、売れない時も経験した。「若貴の時は、勢いがすごかった。手売りの時代です。売り出しの日は、国技館のエントランスに売り場を設置すると、お客さんがばーっと並ぶ。通路の下から上まで人が来ました」。15日間分が、わずか1日で売り切れた時代だった。

今はコロナ禍にあり、観客の上限を設けておきながらも、チケットが余る日は珍しくない。待乳山親方は「コロナが収まっても、すぐに(客足が)戻るわけではない。一からまたやり直しになると思う。心配ですよ」と今後を案じた。

今後については「ゆっくり考えたこともなかったですけどね。人生の区切り。のんびりしようとかと思うけど、さみしい面もありますよ」。まずは9日から始まる夏場所を、テレビで見ながら楽しむという。【佐々木一郎】

◆播竜山孝晴(ばんりゅうやま・たかはる)本名・田口孝晴。1951年(昭26)5月4日生まれ、兵庫県出身。三保ケ関部屋に入門し、1966年11月初土俵、74年7月新十両、75年3月新入幕。敢闘賞1回、十両優勝4回。引退後は、部屋付き親方に。三保ケ関部屋閉鎖後は、春日野部屋へ転籍した。

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70歳で角界去る千賀ノ浦親方、隆の勝に「唐揚げみたいな稽古を」とエール

左が千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)、右は常盤山親方(元小結隆三杉)(2016年4月8日)

10日に70歳の誕生日を迎える千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)が9日に日本相撲協会の再雇用制度を終える。拓大を経て74年春場所に初土俵。48年間も身を置いた角界を去ることになる。8日までに電話取材に応じ「9日が過ぎないとピンとこない。3月場所が最後と思うと、名残惜しい気持ちになりました」と心境を明かした。

定年後の5年間は「早かったけど、連れてきた子(弟子)が何人残っていたかを気にかけていた」と振り返る。89年名古屋場所限りで現役を引退して春日野部屋付きとなり、04年9月に独立して千賀ノ浦部屋を創設。10年九州場所では舛乃山(当時のしこ名は舛ノ山)が新十両昇進を果たし、部屋から初めて関取を輩出した。

16年4月に65歳となり協会の定年を迎え、現常盤山親方(元小結隆三杉)に部屋を継承したが、東京・台東区の稽古場は自宅でもある。現常盤山部屋が今年2月に東京・板橋区に移転するまでは、部屋内で力士らとコミュニケーションを取ることも多かったという。

自身が引き連れてきた力士も少なくなってきた。史上初のハンガリー出身力士として話題となった舛東欧は、春場所限りで引退。最高位は西幕下8枚目と関取の座に近づいたが、たび重なるケガに泣いた。「ケガがなければチャンスがあったと思うけど、こればかりはしょうがない」と千賀ノ浦親方。舛東欧は引退後、都内の飲食関連の企業に就職するという。「今までも何度も相談に乗ってきた。第2の人生も頑張ってほしい」とエールを送る。

躍進を期待するのが、関脇まで番付を上げた隆の勝(26=常盤山)だ。現在の活躍に、千賀ノ浦親方も「15歳で入門してきて、体を大きくするのに時間がかかった。メシの時間は逃げていたときもあったね(笑い)。素質は良かったけど正直、三役に定着するとは予想外」と驚く。「体重が増えてスピードと勢いが変わった。右を差して半身になるクセがあったが、左が入ったときのスピードがいい。自信もついてきたように見える」。

新関脇から3場所連続で勝ち越し、当然「次期大関」の期待も高まってくる。「(コロナ禍で)出稽古ができないけど、白鵬や照ノ富士みたいな四つ相撲の上位の人にも胸を借りて力をつけてほしいね。泥んこにならないと成果は出ない。お茶漬けを食ったような稽古じゃなくて、こってりした唐揚げみたいな稽古をしてほしいね」と独特な言い回しでエール。「幕下の頃のように、ある意味“バカ”になって頑張ればきっと(大関に)上がれると思いますよ」と笑った。

台東区の部屋には5月の夏場所後に立浪部屋が移転してくる。11月の九州場所後には完全譲渡する予定。自身も今年10月いっぱいまでは居住する。「相撲部屋として残ってくれるのはうれしい」と同親方。今後も相撲界を見守っていく。

【佐藤礼征】

隆の勝(2020年12月10日撮影)

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元横綱栃ノ海が死去 小兵の技巧派横綱として活躍

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが29日未明、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。葬儀・告別式は家族葬で営まれる。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

訃報を受けて、日本相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は「突然の訃報に接し、思いがけないことゆえ、驚いております。生前は、春日野部屋の師匠として多くの関取を育てられ、理事としても相撲道の継承と発展にご尽力いただきました。ご生前のご功績を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表した。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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第49代横綱栃ノ海の花田茂広さん死去 82歳

土俵入りする栃ノ海(1965年7月撮影)

大相撲の第49代横綱栃ノ海、花田茂広さんが亡くなったことが29日、分かった。

存命の歴代横綱では最年長の82歳だった。青森県南津軽郡出身で現役時代は技巧派横綱として活躍。身長は180センチに届かない小兵だったが、優勝3度、横綱を2年10カ月務めた。引退後は横綱栃錦の後継者として春日野部屋の師匠を務めた。

花田さんは17年に第50代横綱の佐田の山が79歳で死去し、存命の横綱経験者としては最年長となっていた。年6場所制に移行した58年以降の入幕力士でも、横綱経験者としては最高齢だった。

小兵の横綱として活躍した。弘前商高(現弘前実高)時代は2年生まで野球部で、いくつかの運動部をへて相撲部に入部。弘前に巡業に来た力士一行の中に小学校時代の友人を見つけたことが、角界入りのきっかけとなった。第27代横綱栃木山の春日野親方が師匠を務める春日野部屋に入門し、初土俵は55年秋場所。入門当時の体格は175センチ、75キロ程度だったが、前さばきのうまさや変幻自在の取り口で順調に出世し、関脇だった62年夏場所で初優勝を果たすと、場所後に大関昇進した。

64年初場所後に待望の横綱昇進を果たしたが、体格のハンディゆえか故障に苦しんだ。右上腕の筋断裂や椎間板ヘルニアなど、度重なるけがの影響もあり昇進後の優勝は1回のみ。昇進から2年10カ月後の66年11月、九州場所を最後に引退した。横綱在位は17場所。それでも技能賞は通算6度など、ファンを魅了する力士として人気を集めた。

現役引退後は年寄中立を襲名して春日野部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、当時部屋の師匠だった元横綱栃錦の春日野親方が定年を目前にして急逝。90年に栃ノ海が春日野部屋を継承し、名門部屋の師匠として関脇栃乃洋や小結栃乃花らを育てた。

栃ノ心大関昇進伝達式を終えて記念撮影に臨む、先代春日野親方で元横綱栃ノ海の花田茂広氏(中央)。前列左から栃ノ心、春日野親方(2018年5月28日撮影)

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玉ノ井部屋クラスター 秋場所開催「問題ない」協会

玉ノ井部屋の看板(東京都足立区)

日本相撲協会は10日、玉ノ井部屋の十両富士東(33)と幕下以下の力士17人が新型コロナウイルスに感染したことを発表した。5日に同部屋の幕下以下の力士1人の感染が判明。同部屋所属の協会員32人の検査を実施したところ、この日までに新たに力士18人の感染が判明した。同部屋の感染者は計19人となった。

師匠の玉ノ井親方(元大関栃東)や十両東龍らは陰性だったが、協会は感染拡大防止のため、審判委員を務める同親方と部屋に所属する力士28人全員の秋場所(13日初日、東京・両国国技館)全休を決定した。報道陣の電話取材に応じた芝田山広報部長(元横綱大乃国)は「陰性の人もいるけど、部屋の中のことだから全員をロックアウトする」と説明。部屋を構える足立区は、同一施設で5人以上の感染者が短期間で発生したことから「集団感染(クラスター)として公表する」とクラスター認定した。

感染者19人のうち12人はすでに入院している。ほか7人は無症状だが今後入院する予定で、重症者はいないという。全休となる力士の成績に関して同広報部長は「審判部が場所後の番付編成会議で決めること」と前置きし「何らかの形はとらないといけない。感染したことが悪い訳ではない」と救済措置が取られる可能性を示唆した。

角界では4月に高田川部屋で、師匠の高田川親方(元関脇安芸乃島)や十両白鷹山らが感染した。三段目の勝武士さんが5月に死去するなどし、協会は感染防止策を強化してきた。各部屋に外出自粛を求め続け、出稽古禁止の中で発生した集団感染。芝田山広報部長は「ウイルスは目に見えるものではない。こういう風になったのは仕方ない」とあらためて、感染対策の難しさを口にした。

2日後に秋場所の初日を迎える。同広報部長は「開催に関して全く問題ない」と明言した。他の部屋で体調不良を訴える者はおらず、本場所開催における感染防止策も整っているとした。【佐々木隆史】

◆玉ノ井部屋 1977年(昭52)初場所後に引退し、年寄「玉ノ井」を襲名した元関脇栃東が、90年に春日野部屋から独立して創設。実子の現師匠で元大関栃東が、父の定年退職に伴って09年に年寄「玉ノ井」を襲名して継承。秋場所番付で、関取は十両東龍、富士東の2人。幕下以下の力士を含め、全44部屋で3番目に多い力士28人が所属。他の協会員は行司1人、呼び出し1人、床山2人、世話人1人。所在地は東京都足立区西新井

富士東(12年5月撮影)
玉ノ井親方(2020年3月15日撮影)
東京・足立区にある玉ノ井部屋
玉ノ井部屋の所属協会員

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御嶽海、出稽古できず秋場所は「先場所より不安」

御嶽海(20年3月撮影)

大相撲の関脇御嶽海(27=出羽海)が4日、出稽古が解禁されないまま迎える秋場所(13日初日、東京・両国国技館)に向けて不安を吐露した。

都内の部屋での稽古後、電話取材に応じ「不安は先場所よりある。貯金じゃないけど、ずっと前はやってきた。今場所はもう結構出稽古ができない。単純に相撲が取れない」と心境を明かした。

実践的な稽古ができない中で基礎運動に重きを置く。「普段だったら巡業でちょっとしかできなかったりする。でも部屋にいればみっちりできるんでね」。7月場所前の外出自粛期間中に続き、縄跳びでのトレーニングを継続中。172キロの巨体で1分間飛び続け、それを3セット行う。「でも体はなんか重たい。今日から相撲とっているので、ちょっとずつキレが出てくると思う」。この日から相撲を取る稽古を再開させ、幕下以下の力士を相手に計10番取った。春日野部屋で出稽古する通常の調整ではないが「こっち(出羽海部屋)でやると勝つのが当たり前。ずっと残ってなきゃいけないってところでは、意外と体力ついているのかな」と効果を語った。

稽古相手の若い衆を育成するのも「大事だと思う」と、部屋頭として引っ張り上げる覚悟を示した。一方で外出自粛期間中に部屋の屋上で育てた野菜は、猛暑で蒸発して失敗。「途中で諦めた。途中までトマトとかは良かったけど…。作物と弟子は一緒くらい難しい」と、悩ましい様子だった。

11月場所の大関とりに向けて、秋場所は2桁白星が絶対条件になる。「先々場所(春場所)平幕だったけど、2場所連続っていうのはなかなかなかった。いい自信になった。(2場所)連続2桁はもう絶対取りたい」。“次期大関”の最右翼として、今度こそチャンスをつかみ取りたい。【佐藤礼征】

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解説デビュー元栃煌山に北の富士氏「シャケ」を謝罪

NHK向正面の初解説をする清見潟親方(撮影・鈴木正人)

<大相撲7月場所>◇10日目◇28日◇東京・両国国技館

7月場所前に現役を引退した元関脇栃煌山の清見潟親方(33=春日野)が、NHK大相撲中継で解説デビューを果たした。

黒いスーツ姿で向正面の解説を担当した。力士生活を終えて「あっという間の15年間。たくさんの声援があってここまで来られた。応援してくださった方々、師匠に感謝の思いでいっぱい」と話した。

正面解説の北の富士勝昭氏(元横綱)からは、異例の謝罪があった。北の富士氏は「現役時代は失礼なことも言ったけど、あなたは真面目でいい力士でした」と褒めたたえた。2009年春場所12日目、栃煌山が無抵抗のまま把瑠都につり出された際、解説だった北の富士氏は「つられっぱなしじゃねぇ…。シャケじゃないんだから」と指摘。一部ネット上で、栃煌山が「シャケ」と揶揄されるきっかけになってしまった。過去の“愛のムチ”に清見潟親方は「現役時代は厳しいことを言ってもらううちが華だなと思っていました」と、ほほ笑みながら感謝した。

清見潟親方は同部屋の大関経験者、前頭栃ノ心らにエールを送った。「栃ノ心と毎日ずっと今まで頑張ってきた。栃ノ心がいたから頑張ってこられた。本当に心が優しい力士。土俵に上がると気持ちが強くて、豪快な相撲を取ってくれる」。現在は春日野部屋の部屋付き親方として、稽古場でまわしを締めて指導している。「今度は栃ノ心、碧山のために頑張っていきたい」と、どんどん胸を出していく意向を示した。

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優しく不器用で愛された元栃煌山、きっといい親方に

リモート引退会見に出席した元栃煌山

大相撲の元関脇栃煌山が引退し、年寄「清見潟」を襲名した。不器用だが、魅力にあふれた力士だった。

運動神経は鈍い。体は硬い。高知県安芸市出身。小2で相撲を始めた。相手が怖くて「あっちいけ!」とか「さわるな!」と声を出しながら相撲を取った。稽古を初めて見に行った両親があきれるほどだった。サッカーのPKでは、ボールが止まっているのに空振りした。

幕内力士は、運動能力にすぐれたアスリートの集まりだ。平均体重160キロにもかかわらず、その多くが自在に自らの肉体を操り、俊敏性にも富む。そんな中、栃煌山が戦ってこられたのは、なぜか? ある時聞くと、こう答えた。

「相撲は反復して覚える。体にしみつけばやれるんです」

とにかく根気強い。中学横綱になり、高校は名門・明徳義塾で鍛えられた。角界入りしてからも、センスがないことを自覚して、努力を繰り返した。

入門直後の栃煌山らしいエピソードがある。ちゃんこ番で、初めて米とぎを命じられた時のこと。「とぎ汁が透明になるまでやるんだぞ」と言われ、全力で40分も続けた。すると米は粉々になり、いつもの半分しか炊けなかったという。

生命線は、鋭い立ち合い。低く当たってからもろ差しか、右四つになって寄り切る。これしかなかった。技は少なく、劣勢になると、しのぐ動きはあまりない。だから、あっけない負けもあるが、はまれば横綱も倒す。金星は6個(白鵬、日馬富士、鶴竜から1個ずつ、稀勢の里から3個)。昭和以降10位となる三役在位25場所。三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞を各2度ずつ獲得した。本場所中、全体の稽古が終わっても1人土俵に残り、若い衆を相手に立ち合いの形を納得いくまで繰り返してきた。春日野部屋でのいつもの光景が、本場所での下支えになっていた。

立ち合い変化は、めったにしなかった。負けると、支度部屋ではほとんど話さなかった。取組前、必ずユンケルを1本飲む。入場前の花道では必ず、緊張してえづいた。稽古熱心で裏表がないから、勝つと付け人が本気で喜んだ。

栃煌山。十両に上がる時に本名の影山から改名した。春日野親方(元関脇栃乃和歌)から「考えておいてください」と依頼された母の雪絵さんが、しこ名を考えた。読みは「とちおうやま」ではなく、あえて「とちおうざん」にした。やさしい性格に、もっと強さを加えたかったのだという。

分け隔てなく、誰からも好かれる性格は少年時代から変わらない。雪絵さんは中学時代のことが忘れられない。同学年に1人、不登校の子がいたが、影山少年にだけは心を開いていたという。卒業時、校長からこう言われた。「教師の立場ながら、この子の存在がありがたかった。こういう子は、最近では珍しい。やさしい、いい子っていうのとは違うオーラを持っている子やった。私だけでなく、教員全員がそう思っています」。

勝負の世界に入っても、やや天然な性格は周囲から愛され、現役生活をまっとうした。

コロナ禍にあり、15日の引退会見はオンラインだった。どんな思いで稽古してきたのか聞かれると、こう答えた。

「器用な相撲は取れなかった。しっかり課題を持って体にしみこませるように常に稽古をしていた。なかなか最後、上の番付に上がることができなかったけど、自分のやってきたことに間違いはなかったと思う」

きっと、いい親方になる。【佐々木一郎】

15年9月、秋場所で稀勢の里(手前)を寄り切り全勝対決を制した栃煌山

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引退栃煌山「前に出る、それが自分の相撲」一問一答

リモート引退会見に出席した元栃煌山

大相撲の元関脇栃煌山(33=春日野)が15日、現役引退と年寄「清見潟(きよみがた)」の襲名を発表した。春場所で負け越して2度目の十両陥落となっていた。元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らと同じ昭和61年度生まれで「花のロクイチ組」として、三役在位は通算25場所。賜杯には届かなかったものの12年夏場所には優勝決定戦を経験した。今後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

   ◇   ◇   ◇

-12年夏場所の優勝決定戦を振り返って

栃煌山 何も考えずに、しっかり一番一番取っていたら優勝決定戦まで進むことができた。自分の弱さ、甘さが出て最後の一番は勝つことができず優勝を逃した。そこからもう1回あの場に立てるようにと、それが原動力になった。今ではいい思い出だと思う。

-同学年の存在

栃煌山 同い年の力士と当たるときは余計に気合が入る。そういう力士がいて頑張ってこられた。

-「栃煌山」という力士が貫いた信念とは

栃煌山 前に出る、それが自分の相撲。逃げずに、苦しいときでもまっすぐ自分の相撲を取りきろうと心を持っていた。

-部屋の関取と話したか

栃煌山 栃ノ心、碧山ともはじめは残念そうな感じで「まだまだやれますよ」と言ってくれた。今は「お疲れさまでした」と。(2人には)本当に頑張ってもらいたい。

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引退の栃煌山「寂しい気持ちも」心に残る稀勢の里戦

リモート引退会見に出席した元栃煌山

大相撲の元関脇栃煌山(33=春日野)が15日、現役引退と年寄「清見潟(きよみがた)」の襲名を発表した。春場所で負け越して2度目の十両陥落となっていた。元横綱稀勢の里(現荒磯親方)らと同じ昭和61年度生まれで「花のロクイチ組」として、三役在位は通算25場所。賜杯には届かなかったものの12年夏場所には優勝決定戦を経験した。今後は春日野部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。

   ◇   ◇   ◇

一時は「大関候補」の呼び声も高かった栃煌山が、土俵に別れを告げた。「ひとつの区切りがついた。次に落ちたときは自分でやめようと決めていた」。昨年の九州場所で、07年春場所での新入幕から75場所守ってきた幕内から陥落。1場所で返り咲いたものの、3月の春場所で3勝12敗と大きく負け越し、再び十両に転落して決断した。

鋭い寄りを武器に入門から約4年で新三役に昇進し、12年夏場所では旭天鵬と史上初となる平幕同士の優勝決定戦を争った。努力家で「コツコツ長年積み重ねたものを出せるタイプ」と、リモート会見に同席した師匠の春日野親方(元関脇栃乃和歌)。賜杯と大関には届かなかったが、栃煌山自身も「しっかり課題を持って、体に染み込ませるように常に稽古をしていた。なかなか最後、上の番付に上がることができなかったけど、自分のやってきたことに間違いはなかったと思う」と胸を張った。

元稀勢の里や、小学校からのライバルで同期の元大関豪栄道(現武隈親方)ら同学年の力士としのぎを削ってきた。15年間の現役生活で最も印象に残る取組は、昨年初場所の稀勢の里戦。稀勢の里の現役最後の相手として、白星を挙げた。「同学年で、自分が入門したときには関取に上がっていた。そういう人と最後に相撲が取れたことはうれしい気持ちもあったし、その次の日に引退して寂しい気持ちもあった」。くしくも引導を渡す形になった。

「子どもの頃からずっと相撲しかやってこなかった。自分が相撲を取らないのが想像もつかない」。今後は名門部屋の部屋付き親方として、次の関取を育てる。「相撲に対して真面目で、粘り強い力士になれるように育てたい」。関脇に通算11場所在位した実力者は、第2の人生に向けて決意を固めた。【佐藤礼征】

◆花のロクイチ組 大相撲で昭和61年度生まれの関取の総称。大関以上では元稀勢の里と元豪栄道、三役経験者では栃煌山のほか、宝富士、碧山、勢、魁聖、妙義龍の5人は現在も幕内で活躍。初場所で史上2度目の幕尻優勝を果たした徳勝龍も同学年。

◆栃煌山雄一郎(とちおうざん・ゆういちろう)本名・影山雄一郎。1987年(昭62)3月9日、高知県安芸市生まれ。安芸小2年で相撲を始め、安芸中で中学横綱。明徳義塾高では4冠。05年初場所初土俵。07年春場所新入幕。09年夏場所で新小結、10年秋場所で新関脇昇進。金星は6個、三賞は殊勲賞、敢闘賞、技能賞が各2回。幕内通算573勝563敗19休。得意は右四つ、寄り。187センチ、151キロ。血液型A。家族は夫人と1女。

19年1月15日、初場所3日目に稀勢の里(右)を寄り切りで破る栃煌山

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御嶽海「前に出るしかない」幕下らと約20番相撲

7月場所に向けて稽古に励む御嶽海(左から2番目)

大相撲の関脇御嶽海(27=出羽海)が10日、7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて「前に出るしかない。『あれ、御嶽海、前の速い相撲に戻ったんじゃないか』と思われる相撲を見せたい」と誓った。代表取材に応じ、この日は部屋の幕下と三段目を相手に約20番相撲を取ったことを明かした。

本来なら、出稽古で春日野部屋の関取を相手に調整するだけに「やっぱり(相手の)重みとか感じられない。踏み込みの圧が感じられない」と懸念。それでも若い衆を相手にした申し合いでは勝ち続けなければいけない立場。「春日野に行くと1番取って休憩、1番取って休憩ですけど、部屋では20番ぶっ続けでやって、それも勝たないといけないから、そういう体力というのはつく」とメリットも強調した。

他競技では10日からプロ野球とJリーグが観客を入れての公式戦を再開する。

土俵では大歓声を浴びる御嶽海は「やっぱり、アマチュアじゃないので。それでも(アマチュアでも)、100人、200人いるわけですから。それがゼロっていうのは、気合も入りにくくなるし、やっぱり生で見てもらいたいっていうのはあります」と観客の声援が恋しい様子。

3場所ぶりに関脇復帰を果たした7月場所。「僕たちのやることは1つなので、精いっぱいやるしかない」。全国の大相撲ファンへ活躍を届ける。

7月場所に向けてぶつかり稽古に励む御嶽海(左)

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御嶽海が稽古状況へ複雑な思い、土俵外で様々挑戦も

御嶽海(20年3月撮影)

大相撲の関脇御嶽海(27=出羽海)が8日、報道陣の電話取材に応じ、現在の稽古状況への複雑な思いを語った。無観客開催を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて、部屋の幕下以下の若い衆相手に申し合い稽古を重ねる日々だが「幕下では調子が良いのか悪いのか分からないのはありますね。まぁ、体は鈍いですね」と手応えをつかめていない。さらに「モチベーション上がらないですよね。保つので精いっぱい」とエンジンもなかなか温まらない様子だった。

本来なら場所前は、都内の部屋近くの春日野部屋の関取衆相手に相撲を取るが、いまだ出稽古は禁止の状況で、今後も解禁の見込みはない。「それはちょっと想定外でしたね。出稽古は出来るかなと思っていたので。関取衆と肌を合わせられないというのは不安ですよね」とコメント。「親方もできないかもしれないと言っていた。申し合いの回数も来週から、『今は20番ちょっと取ってるけど、30番ぐらいに増やせよ』みたいに」と関取衆相手に稽古ができない分は、量で補うつもりだ。

そんな中、土俵外でさまざまなことに挑戦している。まずは縄跳び。「1分間ずっと跳ぶ。それを何セットか。休まずに跳べる。100回以上は跳んでいる。縄跳びが一番しんどいかな」と普段使わない筋肉を刺激しているという。また部屋屋上では野菜を栽培。「トマト、キュウリ、ナス、オクラ。トマトはいい感じです」と自粛期間中のいい気分転換になっている。

それでも先の見えない不安に襲われることもある。「2週間切ったけど、もう相撲取るの? って。あれだけ取りたいなと思ったんですけど、実際近づくと」と今まで感じたことなかった感情が芽生える時があるという。しかし、弱音を吐いてばかりではいられない。「付け人と(相撲を)取るしかないので、しっかり確かめながら。後は体重の維持。ここを気をつければ大丈夫かなと思います」と自分に言い聞かせるように気合を入れた。

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御嶽海7月場所へ気合「初心の気持ちで暴れたい」

御嶽海(2019年9月22日撮影)

大相撲の関脇御嶽海(27=出羽海)が24日、報道陣の電話取材に応じ、出稽古の早期解禁を願った。この日の朝稽古は筋トレが中心。1週間前からぶつかり稽古は再開したが、相撲を取る稽古はまだ再開していないという。

本来なら本場所前は、近所の春日野部屋の関取衆を相手に稽古を重ねる。しかし現在、新型コロナウイルスの影響により日本相撲協会は出稽古を禁止にしている。自身が所属する部屋に関取は自分だけ。「1人というのはつらい。7月に入って相撲を取って、早く出稽古を解禁してもらわないと。自分の場合は稽古相手は春日野部屋の3人しかいないから」と平幕の碧山、栃ノ心、十両栃煌山との稽古を切に願った。

3月の春場所以降、稽古内容は基礎運動や筋トレが続いている。「ここまで相撲を取らないのは初めて。相撲を取らないと体は張らない」と調子はまだまだ上がっていない。それでも昨年の九州場所以来に関脇に返り咲いたことで「関脇ですけど引っ張っていくつもり。初心の気持ちで暴れたいし、相撲を取りたい」と、協会が無観客での開催を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて気合は十分だ。【佐々木隆史】

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御嶽海「1人というのはつらい」早期出稽古解禁願う

御嶽海(20年3月撮影)

大相撲の関脇御嶽海(27=出羽海)が24日、報道陣の電話取材に応じ、早期の出稽古解禁を願った。

この日の朝稽古は筋トレがメーン。1週間前からぶつかり稽古を開始したというが、相撲を取る稽古はまだ再開していないという。「ここまで相撲を取らないのは初めて。相撲を取らないと体は張らない」と、日本相撲協会が無観客での開催を目指す7月場所(19日初日、東京・両国国技館)に向けて、まだ調子は上がっていない。

本来なら本場所前は、都内の部屋近くの春日野部屋の関取衆を相手に稽古を重ねる。しかし現在、新型コロナウイルスの影響により出稽古は禁止になっている。自身が所属する部屋には関取が自分だけのため「(関取が)1人というのはつらい。7月入って自分も相撲を取って、早く出稽古を解禁してもらわらないと。自分の場合は稽古相手は春日野部屋の3人(碧山、栃ノ心、栃煌山)しかいないから」と切実だった。

3月の春場所後は、基礎運動に徹してきたという。「下半身は落ちやすい。落とすと(筋肉が)つきにくい」と毎日、四股やすり足などを1時間半行ってきたが、実戦を重ねることは出来ず。自粛生活の中でボクシングのミット打ちや、トランプ遊びなどもしたが、モチベーションの維持は難しい。「7月場所まで何とか、と思ったけど思った以上に難しいかもしれない。僕らの学生(出身)の年代で遠藤関より下は場所がないというのは経験していない。どういう気持ちで持っていればいいのか難しい」とメンタル面の課題も口にした。

長野出身の御嶽海にとって年1回の名古屋場所は、準ご当地場所とだけあって他の場所に比べて応援も多くて力が入る。しかし新型コロナの影響で開催場所が東京・両国国技館に変更。「地元が近くで応援が一番多いので残念。暑い気候が僕には合っていた。名古屋の人にも会えないのは残念。自分の元気な姿を見せたかった」と関脇に返り咲いた姿を見せられずに残念がった。

とは言え、7月場所に向けて気合は十分。「関脇ですけど引っ張っていくつもり。2回も優勝している訳だから。食らいついてというより、今度はしっかり引っ張ってみんなが喜ぶ成績にしたい。久々の土俵の感覚がどうなるのか自分も読めない。初心の気持ちで暴れたいし、相撲を取りたい。向かって行く気持ちを前面に出したい」と意気込みを語った。

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栃ノ心、平幕初4連続大関撃破/夏場所プレイバック

大相撲夏場所5日目 魁皇(右)を寄り切る栃ノ心(2010年5月13日撮影)

コロナ禍により大相撲夏場所が中止になり、本場所開催まで待ち遠しい日々が続きます。そんな中、日刊スポーツでは「大相撲夏場所プレイバック」と題し、初日予定だった24日から15日間、平成以降の夏場所の名勝負や歴史的出来事、話題などを各日ごとにお届けします。5日目は、平幕初の連続撃破です。

<大相撲夏場所プレイバック>◇5日目◇10年5月13日◇東京・両国国技館

ジョージア出身の怪力が、快挙を成し遂げた。西前頭2枚目の栃ノ心が、4連勝していた大関魁皇を止めた。2日目から日馬富士、琴欧洲、琴光喜を下し、08年九州場所の豊ノ島以来9人目となる平幕の4大関撃破。さらに平幕の4日連続大関撃破は、史上初の快挙となった。

得意の右四つに持ち込み、寄り切りで魁皇を破った。「あの体勢になったら、もう負けないですよ」。この日の朝稽古。最後に春日野親方(元関脇栃乃和歌)から呼ばれ、4日連続はたき込みで勝った魁皇への対策を伝授された。頭を下げ過ぎずに強く当たり、得意とする形に持ち込んだ。

初土俵は06年の3月。入門時に190センチ、129キロだった体格は、192センチ、157キロ、ももの太さは90センチ以上に成長した。09年6月にはジョージアからの要請で母国に戻り、約1カ月の軍事訓練を受けた。銃も撃った。だが「こっち(相撲の稽古)の方が大変」というほど、当時5人の関取衆がいる春日野部屋の厳しい環境で強くなった。

「これまで上位にいた時は1回も3役に上がっていない。負けてもいいから、いい相撲を取りたい」と意気込み、戦った残りの10日間。千秋楽に勝ち越しを決め、自身2度目の敢闘賞を受賞。そして翌名古屋場所で悲願の新小結に昇進した。

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関取最年少の琴勝峰が11勝目、十両単独トップ守る

琴勝峰は千代鳳(左)を寄り切りで下す(撮影・小沢裕)

<大相撲春場所>◇13日目◇20日◇エディオンアリーナ大阪

関取最年少のホープ、東十両6枚目琴勝峰(20=佐渡ケ嶽)が11勝目を挙げ、十両の優勝争いで単独トップを守った。

すでに勝ち越しを決めている好調の三役経験者、東十両14枚目千代鳳(27=九重)を寄り切り。かち上げで相手の体勢を起こし、引く場面もあったが左四つに組み止め、右上手を引いて休まずに攻めた。「引いてしまったけど、焦らずに立て直すことができた」。本来は右四つだが「胸が合えば(左四つでも取れる)。どっちで取っても自分の流れでいけば大丈夫」と、スケールの大きさを見せつけた。

元横綱大鵬の孫、幕下納谷や春日野部屋のホープ、幕下塚原らと埼玉栄高で活躍した。190センチ、165キロの大器。入門時から将来を嘱望され、順調に番付を上げてきたが、各段優勝は1度もない。14日目に琴勝峰が勝ち、3敗を守る兄弟子の東十両5枚目琴恵光が敗れれば、初の十両優勝を果たすと同時に、来場所の新入幕が近づいてくる。「どうしても(優勝を)意識する部分はあるが、一番一番の積み重ね。(新入幕も)視野に入れながら集中したい」と、平常心を強調した。【佐藤礼征】

琴勝峰(手前)は千代鳳を寄り切りで破る(撮影・前岡正明)

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御嶽海、初詣は浅草寺へ 今年は「大凶だった」

若い衆を相手に立ち合いの確認を行う御嶽海(右)(撮影・佐藤礼征)

大相撲初場所(来年1月12日初日、東京・両国国技館)で三役復帰を目指す西前頭2枚目御嶽海(27=出羽海)が28日、東京・墨田区の部屋で稽古を行った。若い衆を相手に、立ち合いの踏み込みの確認を約20回行うなど、精力的に汗を流した。番付発表後の25日以降は出稽古に来た春日野部屋の関取衆と相撲を取って稽古を重ねたが、この日、春日野部屋では餅つきが行われたため、相撲は取らず基礎運動に終始する1日となった。

年内は31日まで稽古を行う予定。今年の年初と同様、年明けは東京・台東区の浅草寺での初詣を計画している。「今年おみくじを引いたときは『大凶』だった。初場所のときもそうなった(けがで7日目から休場)ので『そういう年か~』と思っていた」。それでも9月の秋場所では2度目の優勝を果たし、存在感を示した。「そのおみくじにも『いいことも悪いこともある』と書いてあった。でもそれって、当たり前じゃんって。あてになりませんね」と、苦笑いを浮かべた。

九州場所では6勝9敗と負け越し、17場所連続で在位した三役の地位から陥落した。出直しとなった大関昇進に向けて、25日に行われた力士会の体重測定で175キロを記録した体重を落とすことから始める。「しっかり絞ろうと思います」と、明るい表情で話した。

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碧山「しょうがない」沖縄合宿で妻と愛犬に会えず

沖縄・うるま市で行われた冬巡業で、幕内トーナメントで優勝して商品をもらう碧山(左)(撮影・佐藤礼征)

大相撲冬巡業が15日、沖縄・うるま市で行われ、前頭碧山(33=春日野)が2日連続で幕内力士16人によるトーナメントを制した。

1回戦で小結阿炎、2回戦で横綱鶴竜、準決勝で宝富士、決勝で竜電を撃破。前日14日に続き、この日も優勝賞品のプロテイン、ホテルの宿泊券などを手にした。今巡業ではインフルエンザ感染者が続出し、右肋軟骨骨折で初日から休場しているジョージア出身の栃ノ心も含めて、幕内力士が10人以上休場。「昨日も今日もアジア人じゃない顔をしているのが私しかいない。自分が頑張って(観客に)喜んでもらえればと思っていた」。米軍基地が多い沖縄での開催で、会場には外国人の観客も多数。ブルガリア出身の碧山にとって、気合が入る舞台だった。

冬巡業は終了したが、春日野部屋は翌16日から沖縄・名護市で3日間の合宿を行うため、碧山も沖縄に残って合宿に参加。帰京は19日で「3日間いい稽古ができればいい」と力を込めた。東京では妻のトドロバさんと、1歳足らずのトイプードルのメス「MOLLY(モリー)」が待っている。「(犬は)小さくてかわいい。そういう(早く家族に再会したい)気持ちはあるが、しょうがない。合宿頑張ります」と話して引き揚げた。

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御嶽海「意識して負けてる」出稽古1勝9敗も手応え

春日野部屋への出稽古で栃ノ心(右)と相撲を取る御嶽海(2019年10月31日撮影)

大相撲の関脇御嶽海(26=出羽海)が6日、出稽古を打ち上げた。福岡市内の春日野部屋で関脇栃ノ心らと申し合いで1勝9敗。

それでも手応えは十分で「中に入る。その意識はできた」と収穫を強調した。大関とり、大きな目標がかかる九州場所(10日初日、福岡国際センター)だが「意識して負けてるんで。意識せず頑張ります」と誓った。

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多忙の御嶽海、高安の胸出しに「吐きそうになった」

「九州御嶽海関後援会」による激励会に出席した御嶽海(左)(撮影・佐藤礼征)

大相撲九州場所(10日初日、福岡国際センター)に向けて、関脇御嶽海(26=出羽海)が大関昇進を誓った。

5日、福岡市内のホテルで行われた「九州御嶽海関後援会」による激励会に出席。名古屋場所で9勝、優勝した秋場所で12勝を挙げ、成績次第では今場所後の大関昇進の可能性がある中、九州各地から駆け付けた約100人を前に「9月場所のインタビューで言ったように、この場所で1つ上の大関を狙っていきたい」と力強く話した。

この日の朝は春日野部屋に出稽古に行き、同じく出稽古に来た大関高安に胸を出してもらったという。「久々で吐きそうになった」と苦笑い。その後、福岡市の結婚式場で幕内炎鵬とともにトークショーを行い、激励会でも後援者向けにトークショーをする多忙っぷり。それでも表情に疲労感を表さず、21時近くに会場を後にする際には報道陣に笑顔を振りまきながら引き揚げた。

トークショー来場者の九州場所チケット獲得を懸けてじゃんけんをする、左から炎鵬、御嶽海(撮影・佐藤礼征)

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